2022年01月25日

モチーフの焦慮


吉本隆明『共同幻想論』を読む。

共同幻想論.jpg


若い時に読んだときには、あまり気にならないことが、年を経て、気づくこともある。

本書は、

「人間のつくりだした共同幻想という観点から追及するために試みられたものである。ここで共同幻想というのは、おおざっぱにいえば個体としての人間の心的な世界と心的な世界がつくりだした以外のすべての観念世界を意味している。いいかえれば人間が個体としてではなく、なんらかの共同性としてこの世界と関係する観念の在り方のことを指している。」

その試みは、

「やっと原始的なあるいは未開的な共同の幻想の在りかたからはじまって、〈国家〉の起源の形態となった共同の幻想にまでたどりついた」

ところまでが考察されている(後記)。そして、

「ただ個人の幻想とは異なった次元に想定される共同幻想のさまざまな形態としてだけ、(民俗学とか文化人類学とかが対象とする領域の)対象を取り上げようとおもった」

とし(「角川文庫版のための序」)、その拠るべき原点を、「はじめからおわりまで『遠野物語』と『古事記』の二つに限って」、

「人間のうみだす共同幻想の様々な態様が、どのようにして綜合的な視野のうちに包括されるか」

についての方法を具体的に進めていく。そのキーになる概念は、

自己幻想、
対幻想、
共同幻想、

である。言葉だけが独り歩きして、夙に有名になった「共同幻想」だが、「序」で、こう書いている。

「(文学理論、政治思想、経済学といったばらばらに見えていた問題を)統一する視点はなにかといいますと、すべて基本的には幻想領域であるということだとおもうんです。なぜそれでは上部構造というようにいわないのか。上部構造といってもいいんだけれども、上部構造ということばには既成のいろいろな概念が付着していますから、つまり手あかがついていますから、あまり使いたくないし使わないんですけれども、全幻想領域だというふうにつかめると思うんです」

と述べ(「序」)、その「全幻想領域の構造」を解明する軸として、第一に、国家とか法とかという問題になる、

共同幻想、

第二は、家族論の問題であり、セックスの問題、つまり男女関係の問題である、

対幻想、

第三は、芸術理論、文学理論というものである、個体の幻想である、

自己幻想、

に、構造分解して見せたのである。

「共同幻想」と「自己幻想」「対幻想」関係は次のように説かれる。

「共同幻想も人間がこの世界でとりうる態度がつくりだした観念の形態である。〈種族の父〉も〈種族の母〉も〈トーテム〉も、単なる〈習俗〉や〈神話〉も、〈宗教〉や〈法〉や〈国家〉とおなじように共同幻想のある表われ方であるということができよう。人間はしばしばじぶんの存在を圧殺するために、圧殺されることをしりながら、どうすることもできない必然にうながされてさまざまな負担をつくりだすことができる存在である。共同幻想もまたこの種の負担のひとつである。だから人間にとって共同幻想は個体の幻想と逆立する構造をもっている。そして共同幻想のうち男性または女性としての人間がうみだす幻想をここでは特に対幻想とよぶことにした。」

と。「社会の共同性」のなかでは個人が「逆立」するというのは、人が作り出したものであるにもかかわらず、人のための国家、人のための法ではなく、国家のための個、法のための個であるかの如く受け止めざるを得なくなるのを指し、

「単に心的な世界を実在するかのように行使し、身体はただ抽象的な身体一般であるかのように行使するというばかりではなく、人間存在としても桎梏や矛盾や虚偽としてしか〈社会〉の共同性に参加することはできないということを意味している」(個人・家族・社会)

と、

「人間の幻想の世界は共同性として存在するかぎりは、個々の人間の〈心理的〉世界と逆立してしまうのである。」

と、主客が逆転していく。この機制が、

禁制論、

から続く、各論の背骨として通っていく。

禁制論、

では、

タブーは、恐怖の共同性、

として、村落の禁制として生かされていく。

「わたしたちの心の風土で、禁制がうみだされる条件はすくなくともふた色ある。ひとつは、個体がなんらかの理由で入眠状態にあることであり、もうひとつは閉じられた弱小な生活圏にあると無意識のうちでもかんがえていることである。この条件は共同的な幻想についてもかわらない。共同的な幻想もまた入眠とおなじように、現実と理念との区別がうしなわれた心の状態で、たやすく共同的な禁制をうみだすことができる。そしてこの状態のほんとうの生み手は、貧弱な共同社会そのものである。」

憑人論、

では、

「一般的にいってはっきりと確定された共同幻想(たとえば法)は、個々の幻想と逆立する。どこかに逆転する水準をかんがえなければ、それぞれの個人の幻想は共同性の幻想と接続しない。しかし、『遠野物語』の〈予兆〉譚が語っているのは個体の幻想性と共同の幻想性が逆立する契機をもたないままで接続している特異な位相である。」

そういう「せまくつよい村落」のなかに起こっている事情は、

「嫁と姑のいさかいから、他人の家のかまどの奥まで、村民にとってはじぶんを知るように知られている。そういうところでは、個々の村民の〈幻想〉は共同性としてしか疎外されない。個々の幻想は共同性の幻想に〈憑く〉のである。」

つまり、

「個体の異常な幻想がただ伝承的な共同幻想に同致しているだけである。」

巫覡(ふげき)論、

では、狐が女に化けるとか女に憑くという民潭について、

「〈狐〉が〈女〉に化けてまたもとの〈狐〉の姿を現したという『遠野物語拾遺』の民潭は、村落の共同幻想が村民の男女の対幻想になってあらわれ、ふたたび村落の共同幻想に転化するという過程の構造を象徴しているとおもえる。そして一番暗示的なのは〈女〉に象徴される男女の対幻想の共同性は、消滅することで(民潭では女が鉈で殺されることで)しか、共同幻想に転化しないことである。」

つまり、

「村落の男女の対幻想は、あるばあい村落の共同幻想の象徴でありうるが、それにもかかわらず対幻想は消滅することによってしか共同幻想に転化しない。そこに村落の共同幻想にたいして村民の男女の対幻想の共同性がもっている特異の位相がある…。いうまでもなく、これは村落共同体のなかで〈家族〉はどんな本質的な在り方をするかを象徴している。」

巫女論、

では、

「〈巫女〉は、共同幻想を自分の対なる幻想の対象にできるものを意味している。いいかえれば、村落の共同幻想が、巫女にとっては〈性〉的な対象なのだ。巫女にとって、〈性〉行為の対象は、共同幻想が凝縮された象徴物である。〈神〉でも〈ひと〉でも、〈狐〉とか〈犬〉のような動物でも、また〈仏像〉でも、ただ共同幻想の象徴という位相をもつかぎりは巫女にとって〈性〉的な対象でありうるのだ。」

だから、

「『わか』に象徴される日本の口寄せ巫女がシャーマン一般とちがうのは、巫女がもっている能力が、共同幻想をじぶんの〈性〉的な対幻想の対象にできる能力なのに、シャーマンの能力は自己幻想を共同幻想と同化させる力だということだ。巫女がしばしば修行中にも〈性〉的な恍惚を感じられるだろうが、シャーマンでは心的に禁圧された苦痛がしばしば重要な意味をもつだろう。なぜなら本来的には超えがたい自己幻想と共同幻想の逆立した構造をとびこえる能力を意味するからである。」

他界論、

では、人間の〈死〉とは何かを、心的に規定してみるなら、

「人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで共同幻想に〈侵蝕〉された状態を〈死〉と呼ぶ……。〈死〉の様式が文化空間のひとつの様式となってあらわれるのはそのためである。たとえば、未開社会では人間の生理的な〈死〉は、自己幻想(または対幻想)が共同幻想にまったくとってかわられるような〈侵蝕〉を意味するために、個体の〈死〉は共同幻想の〈彼岸〉へ投げだされる疎外を意味するにすぎない。近代社会では〈死〉は、大なり小なり自己幻想(または対幻想)自体の消滅を意味するために、共同幻想の〈侵蝕〉は皆無にちかいから、大なり小なり死ねば死にきりという概念が流通するようになる。」

そして本来時間性としてしか存在しない〈他界〉は、

「〈死〉が作為された自己幻想として関係づけられる(たとえば、山の神を邪魔したからといったような)段階を離脱して、対幻想のなかに対幻想の〈作為〉された対象として関係づけられたとき(例えば、死んだ家族が、死後家の入口にいたといったような)、はじめて〈他界〉の概念が(対幻想に侵蝕してくる)空間性として発生する。」

祭儀論、

では、女性が共同幻想として表象されることについて、

「初期の農耕社会……の共同の幻想にとっては、一対の男女の〈性〉的行為が〈子〉を生む結果をもたらすのが重要ではない。女〈性〉だけが〈子〉を分娩するということが重要なのだ。だからこそ女〈性〉はかれらの共同幻想の象徴に変容し、女〈性〉の〈生む〉行為が、農耕社会の共同利害の象徴である穀物の生成と同一視されるのである。(中略)つぎに……もっと高度になった形を想定できる。そこでは一対の男女の〈性〉的な行為から〈子〉がうまれることが、そのままで変容をへず共同幻想にうけいれられ、穀物の生成に結びつく段階がかんがえられる。このばあい〈子〉を受胎し、分娩する女性は、あくまでも対幻想の対象であり、(中略)対幻想そのものが共同幻想に同致される。」

民族的な祭儀では、耕作の土地と、農民の対幻想の基盤である家との間で、たとえば

「穀神が一対の男女神とかんがえられ、その対幻想としての〈性〉的な象徴が、共同幻想の地上的な表象である穀物の生成と関係づけられている」

というような民俗的な農耕祭儀に対して、大嘗祭では、巧みな構成がなされる。

「民俗的な農耕祭儀では、〈田神〉と農民はべつべつであった。世襲大嘗祭では天皇は〈抽象〉された農民であるとともに〈抽象〉された〈田神〉に対する異性〈神〉としてじぶんを二重化させる。だから農耕祭儀では農民は〈田神〉のほうへ貌をむけている。だが世襲大嘗祭では天皇は〈抽象〉された〈田神〉のほうへ貌をむけるとともに、じぶんの半顔を〈抽象〉された〈田神〉の対幻想の対象である異性〈神〉として、農民のほうへむけるのである。祭儀が支配的な規範力に転化する秘密は、この二重化のなかにかくされている。なぜならば、農民たちがついに天皇を〈田神〉と錯覚できる機構ができあがっているからである。」

母性論、

では、

「〈性〉的な行為を、対なる幻想として心的に疎外し、自立させてはじめて、動物と違った共同性(家族)を獲得」

した人間にとって、母系制とは、

「家族の〈対なる幻想〉が部落の〈共同幻想〉と同致している社会」

であり、〈対なる幻想〉の中で、

「〈空間〉的な拡大に耐えられるのは兄弟と姉妹の関係だけである。兄と妹、姉と弟の関係だけは〈空間〉的にどれほど隔たってもほとんど無傷で〈対なる幻想〉としての本質をたもつことができる。」

だから、原始的母系制社会は、アマテラスとスサノオのような、

「兄弟と姉妹のあいだの〈対なる幻想〉が種族の〈共同幻想〉のに同致するところにあり、この同致を媒介するものは共同的な規範を意味する祭儀行為だということが大切なのだ。」

対幻想論、

では、そこから、

「〈対なる幻想〉を〈共同なる幻想〉に同致できるような人物を、血縁から疎外したとき〈家族〉は発生した。そしてこの疎外された人物は、宗教的な権力を集団全体にふるう存在でもありえたし、集団のある局面だけでふるう存在でもありえた。それだから〈家族〉の本質はただ、それが〈対なる幻想〉だということだけである。……また〈対なる幻想〉はそれ自体の構造をもっており、いちどその構造のうちにふみこんでゆけば、集団の共同的な体制とは独立しているといってよい。(中略)そして集団の心と対なる心が、いいかえれば共同体とそのなかの〈家族〉とが、まったくちがった水準に分離したとき、はじめて対なる心(対幻想)のなかの個人の心(自己幻想)の問題が大きく登場するようになったのである。」

そして、

「〈対なる幻想〉が生みだされたことは、人間の〈性〉を、社会の共同性と個人性のはざまに投げだす作用をおよぼした。そのために人間は〈性〉としては男か女であるのに、夫婦とか、親子とか、兄弟姉妹とか、親族とかよばれる系列におかれることになった。いいかえれば、〈家族〉が生みだされたのである。」

罪責論、

では、

「『高天が原』を統治するアマテラスが、神の託宣の世界を支配する〈姉〉という象徴であり、スサノオは農耕社会を現実的に支配する〈弟〉という象徴……の形態は、おそらく神権の優位のもとで〈姉妹〉と〈兄弟〉が宗教的な権力と政治的な権力とを分治するという氏族(または前氏族)的な段階での〈共同幻想〉の制度的な形態を語っている。そしてもうひとつ重要なのは、〈姉妹〉と〈兄弟〉とで〈共同幻想〉の天上的および現世的な分割統治がなされる形をかりて、大和朝廷勢力をわが列島の農耕的社会とむすびつけていることである。」

とし、そこでスサノオが負わされた〈原罪〉は、

「農耕土民の集落的な社会の〈共同幻想〉と、大和朝廷勢力に統一されたのちの部族的な社会の〈共同幻想〉のあいだにうまれた矛盾やあつれきに発祥したのはたしからしくおもえる。もとをただせば、大和朝廷勢力が背負うはずの〈原罪〉だったのに、農耕土民が背負わされたか、または農耕土民が大和朝廷勢力に従属したときに、じぶんたちが土俗神にいだいた負目にしたか、どちらかである。けれど作為的にかあるいは無作為にか混融がおこった。農耕土民たちの〈共同幻想〉は、大和朝廷の支配下での統一的な部族社会の〈共同幻想〉のように装われてしまった。」

規範論、

では、〈規範〉は〈宗教〉からはじまって〈法〉や〈国家〉にまで貫かれてゆくが、

「法的な共同規範は、共同体の〈共同幻想〉が血縁的な社会の集団の水準をいささかでも離脱したときに成立した」

のであり、

「未開な社会では、……〈法〉はまだ、犯罪をおかした人を罰するのか、犯罪行為を罰することで〈人〉そのものを救済しているのか明瞭ではない。そのためおそらく〈清祓〉(はらいきよめ)の義式と罰則の行為とが、未開の段階で〈法〉的な共同規範として並んで成立するのである、〈清祓〉の儀式そのものが〈法〉的対象であり、ハライキヨメによって犯罪行為にたいする罰は代行され〈人〉そのものは罰を追わないとかんがえられる。だが罰則では〈法〉的な対象は〈人〉そのものであり、かれは追放されたり、代償を支払わされたり、体罰をこうむったりする。」

そして、法への変化は、

「経済社会的な構成が、前農耕的な段階から農耕的な段階へ次第に移行していったとき、〈共同幻想〉としての〈法〉的な規範は、ただ前段階にある〈共同幻想〉を、個々の家族的あるいは家族集団的な〈掟〉、〈伝習〉、〈習俗〉、〈家内信仰〉的なものに蹴落とし、封じこめることで、はじめて農耕的な〈共同規範〉を生みだしたのである…。だから〈共同幻想〉の移行は一般的にたんに〈移行〉ではなくて、同時に〈飛躍〉をともなう〈共同幻想〉それ自体の疎外を意味する…。」

のである。

起源論、

では、国家の原始的な形を、

「〈国家〉とよびうるプリミティブな形態は、村落社会の〈共同幻想〉がどんな意味でも、血縁的な共同性から独立にあらわれたものをさしている。この条件がみたされたら村落社会の〈共同幻想〉ははじめて、家族あるいは親族体系の共同性から分離してあらわれる。そのとき〈共同幻想〉は家族形態と親族体系の地平を離脱して、それ自体で独自な水準を確定するようになる。」

この意味から見ると、邪馬臺国や初期大和朝廷の〈法〉の段階は、かなり発達した段階にあり、たとえば、

「おなじ田地の侵犯が世襲的な宗教的王権の内部でかんがえられる〈法〉概念と、政治的な権力の核に想定される〈法〉概念とでは、それぞれ相違していることになるという問題にであう。宗教的な王権の内部では田地の侵犯に類する行為は〈清祓〉の対象であるが、政治権力の次元ではじっさいの刑罰に値する行為である。この同じ〈罪〉が二重性となってあらわれるところに、おそらく邪馬台国的なあるいは初期天皇群的な〈国家〉における〈共同幻想〉の構成の特異さがあらわれている。もちろんこれは、王権の継承が呪術宗教的なもので、現世的な政治権力の掌握と同じことを意味していない初期権力の二重構造に根ざすものであった。」

と、

未開的な共同幻想、

から、

国家の起源レベルの共同幻想、

への大づかみな展開を手繰ってきただけで、前例のない論考だということは論を俟たない。しかし、どこか苛立たしいものがあるのは、引用した文章が「結語」の部分を選んだせいもあるが、極めて断定的に結論づけているのに気づくはずだ。しかし、この断定に至る論理の道筋はあまり示されない。むしろ、

共同幻想、
対幻想、
個人幻想、

という概念が、まずありきで、それが帰納的に定義されることなく、その概念を演繹するように、『古事記』や『遠野物語』から、事例的に抽出され、論旨が展開されていく。ヘーゲルやルカーチなど、様々な引用も、丁度、著者が文芸評論でするように、論旨の正否の素材とされていく。だから、『古事記』や『遠野物語』の分析は、まるで文芸作品の評論のように分析されている。しかし、場違いかもしれないが、

「同じものが自己自身に異なった形を与えたために、成しとげられたことではなく、おなじものが形もなく繰り返されたためであることがわかる。このおなじものは、異なった素材に外から適用されており、(中略)ただ一つの動かぬ形式を、現存するもののあれこれにひきまわし適用する結果、素材はこの静止した場に外からしみこませる結果、内容についての勝手な思いつきと同じで、求められたものを実現することにならないし、充実した内容が自分のなかからあふれでることにもならない。」

という言葉(ヘーゲル(樫山欽四郎訳)『精神現象学』)とシンクロしてしまった。

確かに、著者のいう、

「本書の基本となっているわたしのモチーフは、具体的な場面では、ふたつあった。ひとつは、種々の人間が、共同観念の世界、たとえば政治とか法律とか国家とか宗教とかイデオロギーとかの共同性の場面に登場するときは、それ自体が、相対的には独立した観念の世界として、あつかわなければならないし、また扱いうるということである。そう扱わないことから起こる悲喜劇は、戦争期しこたま体験してきた……。もうひとつのモチーフは、個々の人間の観念が、圧倒的に優勢な共同観念から、強制的に滲入され混和してしまうという、わが国に固有な宿業のようにさえみえる精神の現象は、どう理解されるべきか、ということである。」

というモチーフから見て、共同幻想に取り込まれていくプロセスの不可避的な重要性は、能くわかる。わかるだけに、モチーフの焦燥が逆に目についた、というべきかもしれない。

なお、吉本隆明『言語にとって美とはなにかⅠⅡ』http://ppnetwork.seesaa.net/article/485160561.htmlについては、別に触れた。

参考文献;
吉本隆明『共同幻想論』(河出書房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年01月24日

隔生則忘


「隔生則忘」(きゃくしょうそくもう)は、

隔生即忘、

とも当てる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

そも隔生則忘とて、生死道隔てぬれば、昇沈苦楽悉くに忘れ(源平盛衰記)、
隔生則忘とは申しながら、また一年五百生(しょう)、懸念無量劫の業なれば、奈利(泥犂(ないり) 地獄)八万の底までも、同じ思ひの炎にや沈みぬらんとあわれなり(太平記)、

なと、

普通一般の人は、この世に生まれ変わる時は、前世のことを忘れ去る、

という仏教用語である(仝上)。

「隔生」とは、

「きゃく」は「隔」の呉音、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

法門の愛楽隔生にも忘るべからざる歟(「雑談集(1305)」)、
二世の契をたがへず、夫の隔生(ギャクシャウ)を待つと見へたり(浮世草子「当世乙女織(1706)」)、

などと、

生(しょう)を隔てて生まれかわること

の意の仏語である(仝上)。

「隔」 漢字.gif

(「隔」 https://kakijun.jp/page/1341200.htmlより)

「隔」(漢音カク、呉音キャク)は、

会意文字。鬲(レキ)は、中国独特の土器を描いた象形文字で、間を仕切って隔てる意を含む。隔は「阜(壁や土盛り)+鬲」で、壁や塀で仕切ることを示す。鬲にはカクの音もあるので、隔の字においては鬲が音符の役割を果たすと見てもよい。そのさいは、「阜+音符鬲」の会意兼形声文字、

とある(漢字源)。ただ、

形声。阜と、音符(レキ、カク 鬲は変わった形)とから成る。わけへだてるものの意を表す、

と、形成と見るのもある(角川新字源)が、

会意兼形声文字です(阝+鬲)。「はしご」の象形と「脚が高く、地上からへだてる鼎(かなえ。古代中国の金属製の器)」の象形から、「へだてる」を意味する「隔」という漢字が成り立ちました、

と、会意兼形声とみるものもあるhttps://okjiten.jp/kanji1486.html

「隔」 成り立ち.gif

(「隔」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1486.htmlより)

「へだてる」意の漢字には、いくつかあり、

隔は、中に仕切りをいれるなり、史記「防隔内外」、
障は、隔也。界也。ささへ、へだつる義、禮、月令「毋有障塞」、
阻は、山川道路のへだてるに用ふ。詩、秦風「道阻且長」、又、へだて止むる義にも用ふ。阻諫の如し、
閒は、すきまをこしらへる義。左伝「遠閒親、新閒奮」。また間をへだておく義にも用ふ。閒歳は、一年間を置く意、

とある(字源)。生死の堺の意では、「隔」の字以外にはなさそうである。

「隔生則忘」は、生まれ変わり、つまり、

輪廻転生、

が前提になっている。輪廻転生とは、

六道(ろくどう/りくどう)、

と呼ばれる六つの世界を、

生まれ変わりながら何度も行き来するもの、

と考えられているhttps://www.famille-kazokusou.com/magazine/manner/325。六道は、

地獄(罪を償わせるための世界。地下の世界)、
餓鬼(餓鬼の世界。腹が膨れた姿の鬼になる)、
畜生(鳥・獣・虫など畜生の世界。種類は約34億種[9]で、苦しみを受けて死ぬ)、
修羅(阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界)、
人間(人間が住む世界。四苦八苦に悩まされる)、
天上(天人が住まう世界)、

の六つhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93。で、

六道輪廻、

ともいう。大乗仏教が成立すると、六道に、

声聞(仏陀の教えを聞く者の意で、仏の教えを聞いてさとる者や、教えを聞く修行僧、すなわち仏弟子を指す)、
縁覚(仏の教えによらずに独力で十二因縁を悟り、それを他人に説かない聖者を指す)、
菩薩(一般的には菩提(悟り)を求める衆生(薩埵)を意味する)、
仏(「修行完成者」つまり「悟りを開き、真理に達した者」を意味する)、

を加え、六道と併せて十界を立てるようになったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB、とある。この転生について、仏教の正統的立場は、

この六道に輪廻し転生する生命のあり方を、肯定するのではない。反対に、克服すべき“迷い”の中にある命とみた。地獄は苦痛にみちた無残な世界であり、天上界は幸福にみちた境界であるけれども、その天上界は救いの実現した“浄土”でもなく、善悪の行為に縛られた輪廻転生を超えた“涅槃”の世界でもない。
仏教は生死を解脱する道をこそ求める。はてしない輪廻を肯定し、転生を求めるのではない。輪廻し転生する生命のあり方を、無残な迷いと観るのである。そして輪廻の束縛からの解放を“解脱”として求め、輪廻し転生する生命、すなわち “生死する命”の超越を、“涅槃”として求め続けるのである、

とあるhttps://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000pth.html。しかし、前世を忘れるとすると、その生命のあり方は、その都度リセットされるのではないか。とすれば、何の意味があるのだろう。

すべての前世の記憶を取り戻す方法が1つだけあります、

というhttp://hounokura.houzouin.net/?eid=74。それは、

極楽浄土に生まれることです。南無阿弥陀佛とお念仏をお称えし、阿弥陀さまのお力によって、極楽浄土にお救い頂くと、宿命通(しゅくみょうつう)という力がそなわります。この力によって、すべての前世の記憶が明らかになります。しかし、極楽浄土以外の世界に生まれ変わると、再びすべてを忘れてしまいます。

と(仝上)、信仰以外ない、という結論になるのだが、ぼくには、

仏教における輪廻とは、

単なる物質には存在しない、認識という働きの移転である。心とは認識のエネルギーの連続に、仮に名付けたものであり、自我とはそこから生じる錯覚にすぎないため、輪廻における、単立常住の主体(霊魂)は否定される。輪廻のプロセスは、生命の死後に認識のエネルギーが消滅したあと、別の場所において新たに類似のエネルギーが生まれる、というものである。このことは科学のエネルギー保存の法則にたとえて説明される場合がある。この消滅したエネルギーと、生まれたエネルギーは別物であるが、流れとしては一貫しているので、意識が断絶することはない。また、このような一つの心が消滅するとその直後に、前の心によく似た新たな心が生み出されるというプロセスは、生命の生存中にも起こっている。それゆえ、仏教における輪廻とは、心がどのように機能するかを説明する概念であり、単なる死後を説く教えの一つではない、

との説明https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BBが気になる。

自我とはそこから生じる錯覚にすぎない、

となるらしいのだが。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年01月23日

村消え


今は残雪半ば村消(むらぎ)えて、疋馬(ひつば)地を踏むに、蹄を労せざる時分によくなりぬ(太平記)、

の、

村消ゆ、

は、

斑消ゆ、
叢消ゆ、
群消ゆ、

とも当て(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)、

(雪などが)あちこちとまばらに消えている、
一方は消え、一方は残る、

意である(広辞苑・岩波古語辞典)。名詞として、

若菜摘む袖とぞ見ゆる春日野の飛火(とぶひ)の野べの雪のむらぎえ(新古今和歌集)、
薄く濃き野辺の緑の若草に跡まで見ゆる雪のむらぎえ(仝上)、
こりつみてまきのすみやくけをぬるみ大原山の雪のむらぎえ(後拾遺・和泉式部)、

などと、

まだらに消え残る、

意でも使う。

「すそご」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484482055.htmlで触れた、縅(おどし)や染色に、

同じ色で、所々に濃い所と薄い所のあるもの、

を、

村濃(むらご)、

というが、これも、

斑濃、
叢濃、

とも当て、紫色を、

紫村濃、

紺色を、

紺村濃、

といい、

むら(斑)、

の意、

ここかしこに叢(むら)をなすこと(大言海)、

つまり、

色の濃淡、物の厚薄などがあって、不揃い、

の意である(広辞苑)。「むら」は、

叢、
羣(群)、

と当てるが、

当て字に多く村と記す、羣(むれ)の転、

とある(大言海)。

俄に激しく降ってくる雨に、

村雨、

は、

叢雨(岩波古語辞典)、
群雨(大言海)、

の意であり、

ときどきさっと強く降って通り過ぎる雨を、

村時雨、

というのも、

叢時雨、

の意であり(岩波古語辞典)、

叢時雨、
群時雨、

とも当てる。

斑霧(むらぎり)、

は、

まばらに立つ霧、

であり、

黒漆塗村重籐強弓.jpg

(黒漆塗村重籐強弓 https://www.touken-world.jp/search-bow/art0007040/より)

村重藤(むらしげとう)、

とは、

重藤弓を斑(むら)に巻いたもの、

を指す(広辞苑)。

「村」 漢字.gif


「村」(ソン)は、

会意兼形声。寸は、手の指をしばしおし当てること。村は「木+音符寸」で、人々がしばし腰を落ち着けた木のある所をあらわす、

とある(漢字源)が、

会意兼形声文字です(木+寸)。「大地を覆う木」の象形(「木」の意味)と「右手の手首に親指をあて、脈を測(はか)る事を示す文字」(脈を「測る」の意味だが、ここでは、「人」の意味)から、木材・人が多く集まる「むら」を意味する「村」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji173.html

「村」 成り立ち.gif

(「村」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji173.htmlより)

ただ、「村」の異字体は、

邨、

で、

形声。意符邑(ゆう むら)と、音符屯(トン)→(ソン)とから成る。人が集まり住む「むら」の意を表す。村は形声で、木と、音符寸(ソン)とから成り、もと、木の名を表したが、のち、邨の意に用いる、

とある(角川新字源)ので、

形声。「木」+音符「寸」。「邨」に同音の文字を当て、「むら」の意を仮借、

ということのようであるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9D%91。当然、「村」には、「斑(むら)」の意はない。

「斑」 漢字.gif


「斑」(漢音ハン、呉音ヘン)は、

会意。二つの王は、玉を二つにわけたさま。斑はそれと文を合わせた字で、分かれて散らばる意を含む、

とある(漢字源)が、

形声。文と、音符辡(ハン・ベン 玨は変わった形)とから成る。まだらもようの意を表す、

とも(角川新字源)、

会意文字です(辡+文)。「入れ墨をする為の針」の象形×2と「人の胸を開いて、入れ墨の模様を書く」象形から、模様に分かれ目がある事を意味し、そこから、「まだら」を意味する「斑」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2120.html

「斑」 成り立ち.gif

(「斑」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2120.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:村消え
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2022年01月22日


「劫」は、慣用的に、

ゴウ、

とも訓むが、

コウ(コフ)、

が正しい。

呉音、

である。

劫波(こうは)、
劫簸(こうは)、

ともいう(広辞苑)。

「劫」 漢字.gif


「劫」(慣用ゴウ、漢音キョウ、呉音コウ)は、

会意。「力+去(くぼむ、ひっこむ)」で、圧力を加えて相手をあとずさりさせること、

とある(漢字源)。「脅」と同義で、

おびやかす、
力で相手をおじけさせる、

意だが、異字体「刧」とは本来別字ながら、

俗に誤りて、通用す、

とある(字源)。「劫」の字は、

サンスクリット語のカルパ(kalpa)、

に、

劫波(劫簸)、

と、音写した(漢字源)ため、仏教用語として、

一世の称、
また、
極めて長い時間、

を意味する(仝上)。

その後、四所の菩薩、化(け)を助けて、十方より来たり、……その済度利生(さいどりしょう)の区(まちまち)なる徳、百千劫の間に、舌に暢(の)べて説くとも、尽くべからず(太平記)、

は、「長い時間」を強調している。「劫」は、

刹那の反対、

だが、単に、

時間、
または、
世、

の義でも使う(字源)。インドでは、

梵天の一日、
人間の四億三千二百万年、

を、

一劫(いちごう)、

という。ために、仏教では、その長さの喩えとして、

四十四里四方の大石が三年に一度布で拭かれ、摩滅してしまうまで、
方四十里の城にケシを満たして、百年に一度、一粒ずつとり去りケシはなくなっても終わらない長い時間、

などともいわれる(仝上・精選版日本国語大辞典)。『大智度論』には、

1辺4000里の岩を100年に1度布でなで、岩がすり減って完全になくなっても劫に満たない、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%AB

磐石劫、

と呼ぶ、とか。この故か、囲碁で、

お互いが交互に相手の石を取り、無限に続きうる形、

を、

コウ(劫)、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%A6

なお、劫には小中大の大きさの段階があり、

上下四方40里の城いっぱいにけしを満たし、3年ごとに1粒ずつけしを取除いて、すっかりけしがなくなってしまう時間、

を、

芥子(けし)劫、

といい、

死して無間地獄に墜ちて、多劫の苦を受け終って、今、人中に生まる(太平記)、

に注記(兵藤裕己校注『太平記』)する、

四十里の城に芥子粒を満たし、百年に一粒ずつ取って一劫はなお終わらない(大智度論)、

とあるのは、これを指すものと思われるが、さらに、

上下四方40里の岩を、天女が天から3年ごとに下ってきて、羽衣でひと触れしているうちについにその岩がすりへってなくなってしまうまでの時間、

を、

磐石劫、

といい、この、

芥子劫、
磐石劫、

を、

小劫、

とし、

上下四方80里の城と岩にたとえる場合、

を、

中劫、

さらに120里にたとえる、

のを、

大劫、

とする場合がある(ブリタニカ国際大百科事典)。また、

三千大千世界を擦って墨汁とし、千の世界に一点だけ下していき、墨汁が尽きるまで下した国全部を粉微塵にし、その一塵を、

塵点劫、

といい、これを多く集めた、

三千塵点劫、
とか
五百塵点劫、

とかの語もある(世界宗教用語大事典)。

四劫(しこう)、

というと、

世界の成立から無にいたるまでの期間を4期に分類したもの、

をいい、

成劫(じょうごう) 山河、大地、草木などの自然界と生き物とが成立する期間。人間の寿命が8万4000歳のときから100年ごとに1歳ずつ減少していって寿命が10歳になるまでの期間を1減とし、10歳のときから100年ごとに1歳ずつ増加していって8万4000歳となるまでの期間を1増というが、この成劫では20増減(20小劫)があるという、
住劫(じゅうごう) 自然界と生き物とが安穏に持続していく期間。20増減がある、
壊劫(えこう) まず生き物が破壊消滅していき、次に自然界が破壊されていく期間。20増減がある、
空劫(くうごう) 破壊しつくされて何もなくなってしまった時期。20増減がある、

とされる(ブリタニカ国際大百科事典・広辞苑・精選版日本国語大辞典)。また、この、

成(じょう)、
住、
壊(え)、
空、

の四劫は、循環するとも説かれる(精選版日本国語大辞典)。

天地すでに分かれて後、第九の減劫(げんこう)、人寿(にんじゅ)二万歳の時、迦葉(かしょう)世尊西天に出世し給ふ時(太平記)、

の、「第九の減劫」とは、

人間の寿命が百年毎に一歳減って八万歳から十歳になるまでを減劫、逆に十歳から八万歳になるまでを増劫という。それ十回ずつ繰り返される間この世が存続する、この九回目で、人の寿命が二万歳だった頃、

と注記(兵藤裕己校注『太平記』)されるのは、上記に基づく。

「劫」の字源については、

会意兼形声文字です(去(盍の省略形)+力)。「物をのせた皿にふたをした象形」(「覆う」の意味)と「力強い腕の象形」(「力」の意味)から、「力で相手をおしふせる」、「おどす」を意味する「劫」という漢字が
成り立ちました、

との説明もあるhttps://okjiten.jp/kanji2375.html

「劫」 成り立ち.gif

(「劫」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2375.htmlより)

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年01月21日

黈纊(とうこう)耳を塞がず


后妃の徳違(たが)はば、四海の鎮まる期(ご)あるべからず。褒姒(ほうじ)周の代(よ)を乱り、西施呉國を傾(かたぶ)けし事、黈纊耳に届かず、君、何ぞ思し召し知らざらん(太平記)、

とある、

黈纊(トウコウ)、

とは、

天子の冠の両脇にたらして耳を塞ぐ綿玉、

をいい(兵藤裕己校注『太平記』)、

黄綿似て作りし耳ふさぎ、

とある(字源)。

「黈」 漢字.gif


「黈」(トウ)は、漢書・東方朔伝に、

黈纊充耳、所以塞聴、

とあり、

みみだま、
みみふさぎ、

とあり(字源)、

黄色の纊(わた)にて作りし珠を、冕(ベン)に懸けて両耳の旁に垂れ、妄りに聞くことを戒むるもの、

とある(仝上)。「冕(ベン)」は、

冠、

の意であり、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に、

古黄帝初作冕、

とある(仝上)。

冕冠(ベンカン)、

ともいい、

東アジアの漢字文化圏諸国で皇帝、天皇、国王などが着用した冠、

を指すhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%95%E5%86%A0

武帝 漢.jpg


「冕旒(べんりゅう)」は、

冕(かんむり)の前後に垂れ下げる珠玉。天子の冕は十有二旒、諸侯は九、上大夫は七、下大夫は五旒、

とあり、清・康熙帝勅撰の、漢代『説文解字』以降の字書の集大成として編纂した『康熙字典』(1716年)には、

冕旒以絲縄貫玉、垂冕前後也、

とある(字源)。「纊」(コウ)も、

わた、
新しいわた、

の意である。

「纊」 漢字.gif


黈纊耳を塞がず、

は、

天子の耳に届かないはずはない、

の意となる(兵藤裕己校注『太平記』)。

東方朔・答客難に、

水至清則無魚(水至って清ければ則ち魚無し)、
人至察則無徒(人至って察なれば則ち徒(ト 仲間)無し)、
冕而前旒(冕(べん)して旒(りゅう)を前にするは)、
所以蔽明(明を蔽(おお)う所以なり)、
黈纊充耳(黈纊(とうこう)して耳を充(みた)すは)、
所以塞聰(聡を塞(ふさ)ぐ所以なり)、
明有所不見(明にして見ざる所有り)、
聰有所不聞(聡にして聞かざる所有り)、
擧大德(大徳を挙げ)、
赦小過(小過を赦し)、
無求備於一人之義也(備(そな)わらんことを一人(いちにん)に求むる無きの義なり)、

とありhttps://kanbun.info/koji/mizukiyo.html

冕而前旒、
所以蔽明、
黈纊充耳、
所以塞聰、

である。これは、例の、

水清ければ魚棲まず、

の出典でもある。

無求備於一人之(備(そな)わらんことを一人に求むること無かれ)、

は、『論語』微子篇に、

周公謂魯公曰(周公魯公に謂(い)いて曰わく)、
君子不施其親(君子は其の親(しん)を施(す)てず)、
不使大臣怨乎不以(大臣をして以(もち)いられざるを怨ま使(し)めず)、
故旧無大故(故旧(こきゅう)大故(たいこ)無ければ)、
則不棄也(則ち棄(す)てざるなり)、
無求備於一人(一人に備わらんことを求むるなかれ)、

とあり、

一人の人間に完全を求めてはならない、

意とされる(貝塚茂樹訳注『論語』)。万能な人間などいないのだから、一人の人間に完全無欠を要求してはいけないという含意であるが、

備わるを一人に求むるなかれ、

と訓ますこともある(故事ことわざの辞典)。同趣旨は、『書経』に、

居上克明(上に居りては克(よ)く明らかに)、
為下克忠(下(しも)と爲りては克(よ)く忠あり)、
與人不求備(人と與(とも)にするには備わらんことを求めず)、
檢身若不及(身を検(けん)するも及ばざるが若くす)、

とあるhttps://ats5396.xsrv.jp/5620/

東方朔.jpg


参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)

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2022年01月20日

函蓋ともに相応す


上将(静尊(せいそん)法親王)は鳩嶺(男山)に軍(いくさ)し、下臣(足利高氏)は篠村に陣す。共に瑞籬(みずがき)の影に在り、同じく擁護(おうご)の懐を出づ。函蓋(かんがい)相応せり(太平記)、

あるいは、

霊仏の威光、上人の陰徳、函蓋(かんかい)ともに相応して、奇特なりける事どもなり(太平記)、

と、

函蓋(かんがい)ともに相応す、
函蓋(かんがい)相応す、

は、

函蓋相応ず、
函蓋相応、
函蓋、

などともいい、

箱と蓋、

の意だが、

二者が相応ずるのに喩えて言う、

語で、

物事がよく合致する、

のにいう(広辞苑)とある。仏教で、

「機」と「法」とが相応する、

意であり、

境智冥合(きょうちみょうごう)すること、

あるいは、

仏の説いた法が衆生の機根にあっていること、

など、

二物が能く相和するたとえ、

として用いられる。「境智冥合」とは、

境と智が融合した一体の境界をいいます。境とは所観の対象であり、主観に対する客観世界をいい、智とは境を観察する能観の智慧、すなわち認識する心の作用としての主観的世界をいいます、

とあるhttp://monnbutuji.la.coocan.jp/yougo/4/461a.html。「機根」を見極めて法を説ける境地ということであろうか。「機根」は、「根機」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484995810.htmlで触れたように、

根機、

とも、

機、

ともいい、

一般の人々に潜在的に存在し、仏教にふれて活動しはじめる一種の潜在的能力のこと、

の意であり(ブリタニカ国際大百科事典)、仏教においては、

弟子や衆生のこの機根を見極めて説法することが肝要で、非常に大事である、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E6%A0%B9、各種経典において、

利根(りこん) - 素直に仏の教えを受け入れ理解する人、
鈍根(どんこん) - 素直に仏の教えを受け入れず理解しにくい人、

などとも説かれている(仝上)。

阿弥陀仏は、すべての人を「逆謗(ぎゃくほう)」(五逆の罪を犯したもの これを「真実の機」)とみて、それを助けようと本願を建てられています。……「逆謗」とは絶対助からないものということです。それなのに私たちは、何とかしたら何とかなれると思っています。だから、本願と合わないのです。それが、金輪際助からない逆謗であった、と知らされた時、本願と相応します。蓋と身がピッタリあいます。ところが私たちは、何とかしたら何とかなれると自惚れているから、願に相応せず、いつまでたっても流転を重ねるのです。「相応」とは、蓋と身がピタッとあったことです。本願でいうなら、逆謗の機と、それを助ける本願の法がピタッと一致した時、

とあるhttps://xn--vuqrjl75e.com/44kyoki.htmlのが、仏教でいう、

函蓋相応ず、

ということらしい。大智度論には、

不増不減是名相應譬如函蓋大小相稱雖般若波羅蜜滅諸觀法而智慧力故名爲無所不能無所不觀能如是知不墮二邊是爲與、

とある。

不増不減是名相應譬如函蓋、

である。

「函」 漢字.gif


「函」(漢音カン、呉音ゴン)は、

象形。矢をはこの中に入れた姿を描いたもの、

とあり(漢字源)、ひいて「いれる」、また、「はこ」の意に用いる(角川新字源)。

「函」甲骨文字・殷.png

(「函」甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%87%BDより)

「蓋」 漢字.gif


「蓋」(慣用ガイ、漢音呉音カイ、コウ、ゴウ)は、

会意兼形声。盍(コウ)は「去+皿」の会意文字で、皿にふたをかぶせたさま、かぶせること。蓋は「艸+音符盍」で、むしろや草ぶきの屋根をかぶせること、

とあり(漢字源)、草のふた、ひいて「おおう」意を表す。「盍」の後にできた字。借りて、助字に用いる(角川新字源)、とある。別に、

会意兼形声文字です(艸+盍)。「並び生えた草」の象形と「覆いの象形と食物を盛る皿の象形」(「覆う」の意味)から、「草を編んで作った覆い」、「覆う」、「かぶせる」、「ふた」、「覆い」を意味する「蓋」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2099.html

「蓋」 成り立ち.gif

(「蓋」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2099.htmlより)

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

参考文献;
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2022年01月19日

見たうもなし


ここなる僧の臆病げなる、見たうもなさよ(太平記)、

の「見たうもなさ」は、

見たうもなし、

の名詞化で、

みっともないこと、

の意である。

「みたうもなし」は、

見たうも無し、

とも当てるが、

見たくもなしの音便形、

である。つまり、

心憂(こころう)や、みとうもなや(御伽・新蔵人物語)、

と、

見むことを欲せず、

という意味である。ここでは、既に、

(そのものを)見たくない、見る気がしない、

という、

主体の価値表現(感情表現)、

の意とともに、

我が身の年の寄りてみたうもない事をば、悲しむべき事とも知らずして(三体詩抄)、

と、

(そのものの)みにくさ、外聞の悪さ、

という、現代で使う、

みっともなさ、

のいう、
客体の価値表現、

の意をも含意している。

だから、

見たくもなし→みたうもなし→みとむなし→みともなし→みっともなし→みっともない、

と転訛していくうちに、

見たくない→それが見たくもないほど見苦しい→外聞が悪い、見苦しい、

と意味がシフトしていく。「みともなし」では、まだ、

取りて突退け、見ともない、おかっしゃれ(近松「生玉心中」)、

と、

見たくもない、

意と、

どうやら犬の様で、見ともない、どりゃ放して取らせふ(近松・国姓爺合戦)、

と、

外聞悪し、人目を恥ずべし、

の意とが併用されているが、「みっともなし」となると、

みっともないまねはよせ、

というように、

見るにたえない、
外聞が悪い、

という対象の価値表現へと完全にシフトしてしまっている。

「みっともない」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163583.htmlで触れたように、

中世の「見たくもなし」が、「見たうもない」「見とむない」などを経て、近世後期に「みとむない」「みっともない」となった(日本語源大辞典)、

ものだが、現代だと、

みっともいいものではない、
みっともよくない、

という言い方が生まれている(仝上)。これなどは、完全に対象の価値表現となっている。

「見」(漢音呉音ケン、呉音ゲン)は、

会意。「目+人」で、目立つものを人が目にとめること。また、目立って見える意から、現れるの意ともなる、

とある(漢字源)。別に、

「見」 漢字.gif


会意。目(め)と、儿(じん ひと)とから成る。人が目を大きくみひらいているさまにより、ものを明らかに「みる」意を表す(角川新字源)、

会意(又は、象形)。上部は「目」、下部は「人」を表わし、人が目にとめることを意味するhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A6%8B

会意文字です(目+儿)。「人の目・人」の象形から成り立っています。「大きな目の人」を意味する文字から、「見」という漢字が成り立ちました。ものをはっきり「見る」という意味を持ちますhttps://okjiten.jp/kanji11.html

など、同じ趣旨乍ら、微妙に異なっているが、目と人の会意文字であることは変わらない。

「見」 甲骨文字・殷.png

(「見」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A6%8Bより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2022年01月18日

荼枳尼天


仁和寺に志一房とて外法成就の人ありけるに、咜祇尼天(だぎにてん)の法を習ひて、三七(さんひち)日行ひけるに(太平記)、

と、「咜祇尼天」とあるのは、

荼枳尼天(だきにてん)、

の意で、

人の死を六ヶ月前に知ってその心臓を食い、その法を修する者に自在の通力を得させるという夜叉神、

と注する(兵藤裕己校注『太平記』)。

以術召請荼枳尼而訶責之、猶汝常噉(=喰)人、故我今當食汝、

とあり(大日経疏)、

荼枳尼は、通力自在の夜叉神なれば、此の法を修すれば、その人、亦、通力を得と云ふ、故に印度の外道、吾が朝の真言密教にては、荼枳尼法と云ひて、盛んに之を行ふ、

とある(大言海)。

「荼枳尼天」は、

梵語のダーキニー(Ḍākinī)を音訳、

で、

荼吉尼、
陀祇尼、
拏吉尼、
吒祇尼、
吒枳尼、

などとも写す(日本大百科全書)とあるが、

荼吉尼天、
吒枳尼天、

と、「天」をつけるのは、わが国特有で、

中国の仏典では“天”が付くことはなく荼枳尼とのみ記される、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BC%E6%9E%B3%E5%B0%BC%E5%A4%A9。サンスクリット語ダーキニーDākinīは、

大母神カーリーの使婢たる鬼霊。幻力(マーヤー)を有し、夜間尸林(しりん 墓所)に集会し、肉を食い飲酒し、奏楽乱舞し、性的放縦を伴う狂宴を現出する。人を害する鬼女として恐れられるが、手段を講じてなだめれば非常な恩恵をもたらす。タントラ仏教では彼女ら(〈母〉たち、現実には、特殊な魔術的能力を有するとされる低賤カーストの女性たち)のグループ(荼枳尼網)を、世界の究極的実在としての女性原理であり、悟りを生む知恵でもある〈般若波羅蜜〉とみなし、それと性的に瑜伽(ヨーガ 合一)することによって即身成仏の実現を期する、

とある(世界大百科事典)。ダーキニーの起源は明らかでないが、ヒンドゥー教もしくはベンガル地方の土着信仰から仏教に導入されたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BC%E6%9E%B3%E5%B0%BC%E5%A4%A9と考えられ、ダーキニーは、

もともと集団や種族を指す名であるが、日本の荼枳尼天は一個の尊格を表すようになった、

とされる(仝上)。で、密教では、

胎蔵界曼陀羅外金剛部院に配される女性の悪鬼、

とされ、

六ヶ月前に人の死を知り、その心臓を食う、

という(広辞苑)。日本では、その本体は、

此れは狐を云ふ、曼荼羅の中では、夜叉と云ふもの也、業通自在にして、速疾身を自由にせり、我が朝の飯綱(いづな)の神と云ふと同類なるべし、

と(真俗仏事編「陀羅尼」の注)、

狐の精、

とされ、白い狐がシンボルになっている、

稲荷大明神、
飯縄(いづな)権現、

と同一視する(広辞苑)。これは、「野干」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485021299.htmlで触れたたように、日本の密教では、閻魔天の眷属の女鬼・荼枳尼(だきに)が、

野干の化身であると解釈され、平安時代以後、野干=狐にまたがる姿の荼枳尼天となる。この日本独特の荼枳尼天の解釈はやがて豊饒や福徳をもたらすという利益の面や狐(野干)に乗っているという点から稲荷神と習合したり、天狗信仰と結び付いて飯綱権現や秋葉権現、狗賓などが誕生した、

ことによるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%B9%B2。因みに、「狗賓」(ぐひん)は、

天狗の一種。狼の姿をしており、犬の口を持つとされる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%97%E8%B3%93

荼枳尼天.png

(荼枳尼天(剣と宝珠を持つ)仏像図彙(1783年) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BC%E6%9E%B3%E5%B0%BC%E5%A4%A9より)

「夜叉」も、

梵語yakkhaの音写、

で、

インド古代から知られる半神半鬼。もとは光のように速い者、祀(まつ)られる者を意味し、神聖な超自然的存在とみられたらしい。しばしば悪鬼羅刹とも同一視される、

とあり(日本大百科全書)、

夜叉には男と女があり、男はヤクシャ(Yaksa)、女はヤクシーもしくはヤクシニーと呼ばれる。財宝の神クベーラ(毘沙門天)の眷属と言われ、その性格は仏教に取り入れられてからも変わらなかったが、一方で人を食らう鬼神の性格も併せ持った。ヤクシャは鬼神である反面、人間に恩恵をもたらす存在と考えられていた。森林に棲む神霊であり、樹木に関係するため、聖樹と共に絵図化されることも多い。バラモン教の精舎の前門には一対の夜叉像を置き、これを守護させていたといい、現在の金剛力士像はその名残であるともいう、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E5%8F%89。したがって、のちに仏教では、

クベーラ神(毘沙門天)の従者として、仏法を守護する八部衆(はちぶしゅう)の一つに位置づけられた。人に恩恵を与える寛大さと殺害する凶暴さとをあわせもつ性格から、その信仰には強い祈願と慰撫の儀礼を伴う場合が多い、

とある(日本大百科全書)。

「荼」 漢字.gif


「荼」(慣用ダ・タ、漢音ト、呉音ド・ジャ)は、

会意兼形声。「艸+音符余(のびる、ゆるやかにする)」。からだのしこりをのばす薬効のある植物のこと。後一画を省いて茶と書き、荼(にがな)と区別するようになった、

とある(漢字源)。

「荼」 小篆・説文・漢.png

(「荼」 小篆・説文・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8D%BCより)

「枳」(シ・キ)は、

会意兼形声。「木+音符只(シ 小さい)」。小さい実のなる木、

とあり(漢字源)、「からたち」の意である。

「枳」 漢字.gif


「尼」(漢音ジ・デイ、呉音ニ、ネイ)は、

会意。「尸(ひとのからだ)+比(ならぶ)の略体」で、人が相並び親しむさまを示す。もと人(ニン 親しみ合う)と同系。のち、「あま」の意に転用されたが、尼の原義は昵懇の昵の字に保存された、

とある(漢字源)。別に、

「尼」 漢字.gif

(「尼」 https://kakijun.jp/page/0553200.htmlより)

会意文字です(尸+匕)。「死んで手足を伸ばした人」の象形と「人」の象形から、「人が近づき親しむ」、「ちかづく」を意味する「尼」という漢字が成り立ちました。(また、梵語を漢訳した「比丘尼(びくに)」の略称、「あま」の意味も表します)、

とも解釈されるhttps://okjiten.jp/kanji1385.html

「尼」 小篆・説文・漢.png

(「尼」 小篆・説文・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%BCより)

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:荼枳尼天
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2022年01月17日

宇宙の終末


ケイティ・マック(吉田三知世訳)『宇宙の終わりに何が起こるのか』を読む。

宇宙の終わりに何が起こるのか.jpg


著者は、

「宇宙に始まりがあったことはわかっている。約13億年前、宇宙は想像を絶する高密度状態から、一つの火の玉の状態になり、そこから冷えていくうちに、物質とエネルギーが元気に動き回る流体となった。やがてその中に、たくさんの種子ができ、成長して、いま私たちを取り巻いている恒星や銀河になった。惑星が形成され、銀河と銀河が衝突し、光が宇宙を満たした。
 そしてついに、ある渦巻銀河の辺縁部で、ごくふつうの恒星の周りを公転している一つの岩石惑星に、生命体、コンピュータ、政治科学、そして、気晴らしに物理学の本を読む、ひょろっとした二足歩行の哺乳類が誕生した。」

と書き始め、

「だが、『次』はどうなるのだろう? 物語の最後には何が起こるのだろう? 一つの惑星の死、あるいは、一つの恒星の死さえも、理屈の上では人類が生き延びられる可能性はあるだろう。この先何十億年も、人類がさらに存続する可能性はある。現在とは似ても似つかない姿になっているかもしれないが、大胆に宇宙の彼方まで行って、新しい住み処を見つけ、新しい文明を築いているかもしれない。しかし、宇宙そのものの死は決定的である。宇宙のすべてがついには終わってしまうなら、それは私たちにとって、すべてのものにとって、何を意味するの だろう?」

そして、問う、

宇宙そのものはどのように終わるのか、

と。その答えとして、現在考えられている「終末パターン」の5種類を、順次説明していく。つまり、

ビッグクランチ(収縮してつぶれる)、
熱的死(膨張してすべての活動の停止にいたる)、
ビッグリップ(急激に膨張してズタズタになる)、
真空崩壊(真の真空の泡に突然包まれて完全消滅する)、
ビッグバウンス(収縮と膨張を周期的に繰り返す)、

である。

「まずは『ビッグクランチ』から始めよう。これは、現在の宇宙膨張が逆転するのなら起こるであろう、劇的な宇宙崩壊だ。続く二つの章では、ダークエネルギーによってもたらされる終末を2種類論じる。一つは、宇宙が永遠に膨張を続け、徐々に空っぽになり、暗くなっていくもの(熱的死)、そしてもう一つは、宇宙が文字どおり自らズタズタに千切れていくものである(ビッグリップ)。
 その次に登場するのは、『真空崩壊』による終末だが、これは、『死の量子の泡』(正式な専門用語では、『真の真空の泡』とよぶ。公平にいって、こちらもなかなかおどろおどろしい)が自発的に発生し、それが宇宙全体を吞み込んでしまうというものだ。そして最後に、『サイクリック宇宙論』という、現時点ではまだ仮説段階にある領域に踏み込む。ここでは、空間の余剰次元に関する諸理論も論じるが、そのような理論では、私たちの宇宙が並行宇宙と衝突して消滅する可能性がある…… しかも、繰り返し何度も。」

とある諸説は、いずれも破滅的なものだが、ロジャー・ペンローズは、

共形サイクリック宇宙論(宇宙はビッグバンから熱的死までのサイクルを、永遠に何度も繰り返す)、

で、

「次のサイクルに移る際に、何か──前のサイクルのなんらかの痕跡──が生き残るという、魅力的な可能性を含ん でいる。」

としているし、この他にも、

ランドスケープ(私たち自身の宇宙とはまったく異なる条件をもつ可能性のある、さまざまに異なる空間からなる理論上の多宇宙説)、

があり、

「このような多宇宙は、ある特定の種類のインフレーションから生まれる可能性がある。すなわち、もともと存在している永遠の空間というようなものから、新しい多数の泡宇宙が、永久に次々と膨らんで生まれてくるようなインフレーションである」

が、あるいは、

「多宇宙のランドスケープの可能性が、私たちの慰めになるかもしれない。」

とし、

「インペリアル・カレッジ・ロンドンの宇宙論研究者で、宇宙のインフレーションから銀河の進化まで、じつに広範囲に及ぶ研究をおこなっているジョナサン・プリッチャードは、どこか遠方にある、私たちとは結びつきのない領域に、私たちが廃熱にすぎない存在になったずっとあとにも、何かが存在しているかもしれないという考えに希望を見出す。」

と。もちろん、

「でも、私たちはやっぱり死にますよね」。

それにしても、どうも、本書の、

宇宙の終り方、

は、キリスト教的な終末論に近い気がしてならない。

吉田伸夫『宇宙に「終わり」はあるのか-最新宇宙論が描く、誕生から「10の100乗年」後まで』http://ppnetwork.seesaa.net/article/452881667.htmlで触れたように、ここでは、ビックバンから「10の100乗年」後、

ビッグウィンパー、

と名づけられた、永遠の静寂を迎えるとした。

すでに、1兆年先には、ビッグバンの証拠も、膨張し続けた証拠、

ハッブルの法則(「他の銀河が、距離的にはほぼ比例する後退速度で天の川銀河から遠ざかる」)、
ビッグバンの核融合理論値(宇宙に存在する元素のわりあいは、水素全体の3/4、残りの大半をヘリウムが占める)、
宇宙背景放射(ビッグバンの余熱が宇宙歴38万年の熱放射という形で残っている)、

などの痕跡はまったく消えてしまい、

全てのブラックホールが蒸発し、物理現象がほとんど何も起きなくなった熱死に近い状態、

である。ビッグウィンパーとは、エリオットの詩から取られた、

すすり泣きの声、

である。

同じ「熱的死」でも、この「熱的死」は、どこか、

仏教的、

である。

著者は、最後に、

「人類が思考する生物であるかぎり、私たちは問うことをやめないだろう。『次は何が出てくるかな?』」

という言葉で締めくくる。まだ宇宙終末の構想は、新たな宇宙論とともに、次々と出てくるのだろう。

参考文献;
ケイティ・マック(吉田三知世訳)『宇宙の終わりに何が起こるのか』(Kindle版 講談社)
吉田伸夫『宇宙に「終わり」はあるのか-最新宇宙論が描く、誕生から「10の100乗年」後まで』(ブルーバックス)

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2022年01月16日

白波


「白波」は、

白浪、

とも当てるが、文字通り、

伊豆の海に立つ白波(思良奈美 しらなみ)のありつつも継(つ)ぎなむものを、乱(みだ)れしめめや(万葉集)、

と、

白く泡立つ波、

の意(広辞苑)の他に、

白浪五人男、

というように、

盗賊の異称、

としても使う(仝上)。これは、

海上(かいしょう)には海賊多くして白浪(はくろう)の難を去りかねたり(太平記)、

と、

白波、

の、

はくろう、

を訓読したものだが、出典は、後漢書・霊帝紀にみえる、

中平元年(184)張角反、皇甫嵩討之、角余賊在西河白波谷、時號白波賊、

の、

白波賊、

の、

白波、

に依る。張角は、

太平道の教祖、

で、目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いたことから、

黄巾(こうきん)の乱(黄巾之乱)、

と呼ばれる。この反乱を契機に後漢が衰退、劉備の蜀、曹操の魏、孫権の呉が鼎立した三国時代に移っていく。

ただ、海賊を、

白波、

山賊を、

緑林、

と区別することもある(岩波古語辞典)、とある。「緑林(りょくりん)」は、文字通り、

木の葉が青々としている林、

の意だが、

盗賊、

の意である。これは、

中国の湖北省当陽県の緑林山、

という山の名で、

前漢の末、王莽(おうもう)の時、王匡(おうきょう)・王鳳(おうほう)等が窮民をひきいてこの山にたてこもり、征討軍に抗して強盗をはたらいたとある、

ところに由来する(漢書・王莽伝、後漢書・劉玄伝)、とある(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。

緑林豪客夜知聞(李渉・遇盗詩)、

それによって、

隴頭秋水、白波之音間聞、辺城暁雲、緑林之陳不定(「本朝文粋(1060頃)」)、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「白」 漢字.gif

(「白」 https://kakijun.jp/page/0595200.htmlより)

「白」(漢音ハク、呉音ビャク)は、

象形。どんぐり状の実を描いたもので、下の部分は実の台座。上半は、その実。柏科の木の実のしろい中身を示す。柏(ハク このてがしわ)の原字、

とある(漢字源)が、

「白」 甲骨文字・殷.png

(「白」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BDより)

象形。白骨化した頭骨の形にかたどる。もと、されこうべの意を表した。転じて「しろい」、借りて、あきらか、「もうす」意に用いる、

ともあり(角川新字源)、象形説でも、

親指の爪。親指の形象(加藤道理)、
柏類の樹木のどんぐり状の木の実の形で、白の顔料をとるのに用いた(藤堂明保)、
頭蓋骨の象形(白川静)、

とわかれ、さらに、

陰を表わす「入」と陽を表わす「二」の組み合わせ、

とする会意説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BD。で、

象形文字です。「頭の白い骨とも、日光とも、どんぐりの実」とも言われる象形から、「しろい」を意味する「白」という漢字が成り立ちました。どんぐりの色は「茶色」になる前は「白っぽい色」をしてます、

と並べるものもあるhttps://okjiten.jp/kanji140.html

「浪」 漢字.gif


「浪」(漢音呉音ロウ、唐音ラン)は、

会意兼形声。良は◉(穀物)を水でといてきれいにするさま。清らかに澄んだ意を含む。粮(リョウ きれいな米)の原字。浪は「水+音符良」で、清らかに流れる水のこと、

とある(漢字源)が、

「浪」 小篆・説文・漢.png

(「浪」 小篆・説文・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B5%AAより)

形声。水と、音符良(リヤウ)→(ラウ)とから成る。もと、川の名。のち、借りて「なみ」の意に用いる、

ともある(角川新字源)。さらに、

「浪」 成り立ち.gif

(「浪」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1512.htmlより)

会意兼形声文字です(氵(水)+良)。「流れる水」の象形(「水」の意味)と「穀物の中から特に良いものだけを選び出すための器具の象形」(「良い」の意味だが、ここでは、「ザーザーと、うねる波を表す擬態語」)から、「なみ」を意味する「浪」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1512.html

「波」 漢字.gif


「波」(ハ)は、

会意兼形声。皮は「頭のついた動物のかわ+又(手)」の会意文字で、皮衣を手で斜めに引き寄せてかぶるさま。波は「水+音符波」で、水面がななめにかぶさるなみ、

とある(漢字源)。「皮」は動物の皮を斜めにかぶったさまで、それをメタファに、水の表面の斜めになっている状態をいっているようだhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B3%A2。別に、

会意兼形声文字です(氵(水)+皮)「流れる水の象形」と「獣の皮を手ではぎとる象形」(「毛皮」の意味)から、毛皮のようになみうつ水、「なみ」を意味する「波」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji405.html

「波」 成り立ち.gif

(「波」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji405.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:白波 白浪 緑林
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2022年01月15日

者(てえ)れば


上の施行によって、須らく箚付(さっぷ 上から下に下ろす公文書)を議(はか)るべし。者(てえ)れば一実右を起こし(太平記)、

とか、

一方欠けんにおいては、いかでかその嘆きなからんや。てへればことに合力(かふりよく)いたして(平家物語)、

などと使われる「者れば」は、

てえ(へ)れば、

と訓ませ、

「と言へれば」の約、

とあり(広辞苑)、

記録体・書簡などで使う語、

とある(岩波古語辞典)。上記二例は、いずれも、牒状(回状)である。

格助詞「と」+動詞「いふ」の已然形+完了の助動詞「り」の已然形+接続助詞「ば」からなる「といへれば」の変化した語。漢文的色彩の強い文章に用いられた、

とあり(学研全訳古語辞典)、

先行の事柄を受け、その結果、後続の事柄が生じたことを示す

もので(精選版日本国語大辞典)、

というわけで、
よって、
されば、

の意となる(仝上)。

「といへり」が「てへり」となったのと同じように、「といへれば」が「てへれば」となった。仮名文では、「といへば」となる。中世の古辞書などでは多く「ていれば」となっており、「文明本節用集」に「者 テイレバ 此事治定之義也」とある、

とある(仝上)。

と言へれば→ていれば→てへれば、

といった転訛となるのだろうか。「てへれば」の、

てへ、

は、

といへの約、

で、「といへ」の「いへ」は、

「言ふ」の已然形・命令形、

であり(岩波古語辞典)、「てへ」の、

てふ、

は、だから、

ちふ、とふ(といふの約)の転、

どある(大言海)。「とふ」は、

吾れのみぞ君に戀ふる吾れが背子が戀云(コフトフ)は言の慰(なぐさ)ぞ(万葉集)、

と使われるが、「とふ」は、

チフ、後に、テフ、

とある(仝上)ので、

と言ふ→ちふ→とふ→てふ、

と転訛したものかと推測する。

うたたねに戀しき人を見てしよりゆめてふものはたのみそめてき(小野小町)、

と、

平安朝よりの歌詞に云へり、

とある(大言海)。

「者」 (者旧字) 漢字.gif

(「者」(「者」旧字) https://kakijun.jp/page/u_j050200.htmlより)

「者(者)」(シャ)は、

象形。者は、柴がこんろの上で燃えているさまを描いたもので、煮(火力を集中してにる)の原字。ただし、古くから「これ」を意味する近称指示詞に当てて用いられ、諸(これ)と同系のことばをあらわす。ひいては直前の語や句を、「~するそれ」ともう一度指示して浮き出させる助詞となった。また、転じて「~するそのもの」の意となる。唐・宋の代には、「者箇(これ)」をまた「遮箇」「適箇」とも書き、近世には適の草書を誤って「這箇」と書くようになった、

とある(漢字源)。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、

者、別事詞也(者とは、事を別つ詞なり)、

とある。その意味では、

といへれば、

に、「者」を当てたのは卓見ということになる。

「者」 漢字.gif


別に、

旧字「者」は、象形。台の上でまきを重ねて火をたくさまにかたどり、焼く、にる、あつい意を表す。「煮(シヤ)」の原字。借りて、助字「もの」の意に用いる、

とあり(角川新字源)、また、会意説(白川静説)、象形説(藤堂明保説)を併記して、

会意。耂(交差させ集めた木の枝:「老・考」の部首とは異なる)+曰、曰は祝詞を入れる器で、まじない用の土塁を示す。「堵」の原字で「都」等と同系。後に「諸」(人々)の意となる(白川)、
象形。焚火のため木の枝を集めたものを象る、「煮」の原字。古くから近称指示語として用いられ、時代が下り主語を示す助辞となった(藤堂)、
なお、部首は「老部」であるが、上記のとおり字源を異にし、それを明確にするため篆書体やそれを受けた(清代の1716年編纂の)康煕字典体では左払いの下に点を打つ。しかし、(明の万暦43年(1615)編纂の)字彙以前に確立した楷書体などにはすでに点は無く「老部」と同形である、

としているhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%80%85

「者」 金文・殷.png

(「者」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%80%85より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年01月14日

進化史の新参者


斎藤成也編『図解 人類の進化―猿人から原人、旧人、現生人類へ』を読む。

図解 人類の進化 猿人から原人、旧人、現生人類へ.jpg


本書は、

人類進化、

を、綜合的に解説するべく、

進化のしくみ(第1~4章)、
人類のあゆみ(第5~12章)、

に分けて展開している(はじめに)。「人類のあゆみ」の部分は、溝口優司『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』http://ppnetwork.seesaa.net/article/484577228.htmlとほぼ重なる。全体の中で、特に、

進化とは、

の章(第1象)の、

自然淘汰ではうまく説明できない現象、

たとえば、生物の進化をタンパク質やDNAなどの分子レベルでの研究をする分子進化学において、

いろいろな生物のタンパク質のアミノ酸配列を決定し比較、

してみると、

同じ種類のタンパク質(たとえばヘモグロビンを構成するグロビン)のアミノ酸の違いをいろいろな生物で比較すると、アミノ酸の変化する量がほぼ時間に比例していました。進化速度が一定であり、時計のように規則正しく時を刻んでいるように見えるので、この現象を分子時計とよびます。

という、進化に対して、アミノ酸が変化をもたらさない、という矛盾に対して、木村資生(もとお)他の、

中立進化論、

が面白い(1968年)。中立進化論は、

突然変異を進化の原動力と考えています。突然変異は無秩序に生ずるので、生物にとって有害なものも多数生じますが、これらは短時間のうちに消えてゆくので、長期的には進化には寄与しません。この過程を負の自然淘汰あるいは純化淘汰とよびます。この部分については中立進化論でも淘汰進化論でも同じです。
両者の見解が大きく異なるのは、進化に長期的に寄与する突然変異についてです。淘汰進化論では、生存に有利な突然変異をもつ個体だけが進化の過程で生き残ってゆくと考えます。この過程を正の自然淘汰とよびます。しかし突然変異が生じても、生物が生きてゆく上であまり影響がないことがあります。これを淘汰上中立であるといいます。このタイプの中立突然変異は、生物に有利な突然変異よりもずっと頻繁に生じます。このような中立突然変異をもつ個体が子孫を増やせるかどうかは、遺伝的浮動による、

と考える。「遺伝的浮動」とは、

遺伝子の割合を表す遺伝子頻度が偶然に変化する現象であり、生物の個体数が有限であることから生じます、

ということで、

たまたま運よく生き残る中立突然変異遺伝子もあれば、他のものより生存に有利に働く遺伝子であっても、運悪く消えてゆくものもあるのです。その結果、生き残る遺伝子の大部分は中立突然変異になります、

ということになる。

分子レベルでの遺伝子の突然変異は、そのほとんどが自然選択に対し有利でも不利でもない中立なもので、それが集団中に広まるのは偶然によって決まる。すなわち、遺伝子の広まりの決定要因には、運のよさ(サバイバル・オブ・ザ・ラッキスト)と適者生存(サバイバル・オブ・ザ・フィッテスト)が関係している、

となりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AA%AC

中立説と自然選択説は並立する概念、

ということらしい(仝上)。こうみると、

進化の中心、ゲノムDNA、

の章(第2章)は、なおさら興味深いが、

現在のヒトゲノム、

に到達するまでに、

脊椎動物の起源に近い祖先種は、現在生存している頭索類のナメクジウオに似た種、

のゲノムから、

頭索類と脊椎動物の分岐以後から軟骨魚類の分岐以前に、

2回のゲノム重複、

をくり返した、とされる。つまり、生物を形作るDNA遺伝情報のすべてひと揃いであるゲノムの、

全体が重複することで遺伝子数が飛躍的に増え、その後消失していく重複した遺伝子がある一方で、一部の遺伝子は新たな機能を獲得し、より複雑な体制の動物に進化、

していくことになるが、現時点では、

ヒト化に決定的に働いた遺伝子進化、

は、候補はあるが、とらえきれていない、という。

ホモサピエンス拡散ルート (2).jpg

(ホモサピエンス拡散ルートと年代 本書より)

なお、猿人、原人、旧人、新人、という、「人類のあゆみ」の部分は、溝口優司『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』http://ppnetwork.seesaa.net/article/484577228.htmlとほぼ重なるが、「ホモ・サピエンス」は、

6~5万年前ごろ、

から、アフリカから、急速に世界に広がっていた。しかし、

1種類の生物が、このように地球上の気候も湿度も異なる多様な環境下に分布しているというのは、きわめて異例なことなのです。(ユーラシアの南部までに留まった)旧人の分布範囲を見てみると、この時点ではまだ世界の半分以上が人類のいない土地であったことに気づくでしょう。つまり私たちホモ・サピエンスは、原人や旧人たちには越えられなかった自然の障壁を次々と突破して、ついには世界全体へ広がってしまった種なのです。

しかも、3万年ほどまえには、

ネアンデルタール人、

が、そして、

インドネシアのフローレンス島にいたきわめて(1mと)低身長のホモ属の系統が(数万年前)絶滅した後、地球上に生存するホモ属の生物はヒトだけです。今後どうなるのでしょうか。いいかえると、ヒトは新しい種を生み出すことがあるのでしょうか。

という問いは、なかなか意味深である。ホモ・サピエンスが登場して以降(10万年前)のほうが、原人登場以降(1000~700万年)の長い年月を考えると、ほんの短時間でしかないことを思い知らされます。

そう見ると、人種などというのは、外見の違い程、ミトコンドリアDNAの多様性パターンで見ると、

現代人どうしの遺伝子の違いは、ごく限られたものでしかありません。ヒトと近縁な類人猿たちは、……その遺伝的変異はヒトの何倍も大きい、

のである。これは、

現世類人猿たちが長い進化史を持っているのに対して、ヒトはごく最近に共通祖先から分化した新参者であることを反映している、

のである。まだ、ヒトの進化史は始まったばかりということになる。

現代人と類人猿の遺伝距離.jpg

(ミトコンドリアDNAにもとづく現代人と現生類人猿の遺伝距離 本書より)

参考文献;
斎藤成也編『図解 人類の進化―猿人から原人、旧人、現生人類へ』(ブルーバックス)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年01月13日

涯分


不肖の身としてこの一大事を思ひ立ち候事、涯分を量(はか)らざるに似たりと云へども(太平記)、

の、

涯分、

は、

がいぶん、

と訓むが、

かいぶん、

とも訓ます(精選版日本国語大辞典)。

逍遥飲啄安涯分、何假扶揺九萬爲(蘆象詩)、

と、

身分に相応したこと、
身の程、

の意であり(字源)、そこから、

環視其中所有、頗識涯分(曾鞏文)、

と、

本分、

の意にもなる(仝上)が、「涯分」は、

かぎり、

の意である。さらに、

涯分武略を廻ぐらし、金闕無為なるやう成敗仕るべし(「平治物語(1220頃)」)、

と、

「身分相応に」の意から転じて、副詞的に、

自分の力の及ぶ限り、精一杯、

の意でも用いる(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。

日本で中世以降に生じた用法である。本来名詞として用いられた漢語が、副詞としての用法に転じたという点は「随分」などと同様の変化をたどっている、

とある(仝上)。「随分」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463881312.htmlについては、触れた。

「涯分」を超えると、

報国の忠薄くして、超涯の賞を蒙らん事、これに過ぎたる国賊や候ふべき(太平記)、

と、

度を超えたること、
分限に過ぎたること、

の意、つまり、

過分、

の意で、

超涯、

といい(大言海・広辞苑)、

身分不相応の昇進、
異例の抜擢、

を、

労功ありとて、超涯不次の賞を行はれける(太平記)、

と、

超涯不次(ちょうがいふじ)、

と使う(デジタル大辞泉)。しかし、それを、

シカラバ イカナルセイカノツマトモナシ、chôgai(チョウガイ)ノガイタクニホコルベシ(「サントスの御作業(1591)」)、

と、

一生涯にわたっていること、

の意でも使う例がある(精選版日本国語大辞典)。「涯」を、

果て、

と見なせば、「涯分」を、

精一杯、

と見なしたのと同じかと見える。

「涯」 漢字.gif


「涯」(漢音ガイ、呉音ゲ)は、

会意兼形声。厓(ガイ)は、「圭(土盛り)+音符厂(ガン・ガイ 切り立った姿)」の会意兼形声文字で、崖と同じく、切り立ったガケのこと。涯はそれを音符とし、水を加えた字で、水辺のがけ、つまり岸を表す、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(氵(水)+厓)。「流れる水」の象形と「削り取られた崖の象形と縦横線を重ねて幾何学的な製図」の象形(「傾いた崖」の意味)から、崖と水との接点「水際」を意味する「涯」という漢字が成り立ちました。転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「果て」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1833.html

「涯」 成り立ち.gif

(「涯」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1833.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2022年01月12日

蚍蜉大樹を動かす


この兵を以て、かの大敵に合はん事、たとへば蚍蜉の大樹を動かし、蟷螂の隆車を遮らんとするが如し(太平記)、

と、

蚍蜉(ひふ)大樹を動かす、

と、

蟷螂(とうろう)の隆車を遮らんとする、

は、共に、

弱者が自分の力や身分を弁えず、強者に立ち向かう、無謀で、身の程知らずの振舞い、

の喩えとして使われ(故事ことわざの辞典・広辞苑)、ほぼ同義である。「蚍蜉」は、

大蟻、

の意(字源・広辞苑)、あるいは、

羽アリ、

の意であり(白水中国語辞典)、

蚍蜉撼大樹(蚍蜉大樹を撼(うご)かす)、

は、時に後に

「可笑不自量」を伴う、

とある(仝上)のは、

蚍蜉撼大樹(蚍蜉大樹を撼(うご)かす)、
可笑自不量(笑うべし自ら量(はか)らざるを)、

からきている(韓愈・調張籍(張籍を調(の)ぶ)詩)。

蟷螂の隆車を遮らんとす、

は、

蟷螂の斧、
蟷螂が斧、
蟷螂が斧を以て隆車(りゅうしゃ)に向かう、
蟷螂車を遮る、
蟷螂の怒り、
蟷螂手を挙げて毒蛇を招き、蜘蛛網を張りて飛鳥を襲う、
蟷螂車轍(しゃてつ)に当る、

などともいう(故事ことわざの辞典)。「隆車」は、

大きな車、

の意。出典は、「淮南子(えなんじ)」人間訓の、

齊莊公出獵(斉(せい)の荘公出でて猟す)、
有一蟲、擧足將搏其輪(一虫有あり、足を挙て将に其の輪を搏(う)たんとす)、
問其御曰、此何蟲也(其の御に問いて曰く、此何の虫ぞや)、
對曰、此所謂螳螂者也(対えて曰く、此所謂螳螂なる者なり)、
其爲蟲也、知進而不知却、不量力而輕敵(其の虫たるや進むを知りて却くを知らず、力を量らずして敵を軽んず)、
莊公曰、此爲人而必爲天下勇武矣(荘公曰く、此人為(た)らば必ず天下の勇武為らん)、
廻車而避之(車を廻らして之を避さく)、
勇武聞之、知所盡死矣(勇武之を聞き、死を尽す所を知る)、

とか(https://kanbun.info/koji/toro.html・故事ことわざ辞典)、荘子・人間世(じんかんせい)の、

猶蟷螂之怒臂、以当車轍、則必不勝任矣(猶蟷螂の臂を怒らして以て車轍に当たるが如し、則ち必ず任に勝(た)へず)、

とか(故事ことわざの辞典)、後漢書・袁紹傳の、

乃欲運蟷螂之斧、禦隆車之隧(スイ 道)、

等々ある(http://fukushima-net.com/sites/meigen/246・故事ことわざの辞典・大言海)。『淮南子』の言葉は、

強敵を恐れない勇敢な姿、

の喩えとして使われているので、今日の「蟷螂の斧」の意味からは少しはずれる。荘子の言葉は、

中国の春秋時代、衛という国で、太子のお守り役に任命されたある人物が、太子が凶暴な性格であることを知って、どうしたものか蘧伯玉(きょはくぎょく)に相談をしました。すると蘧伯玉は、「螳螂を知らざるか、其の臂(ひぢ)を怒らして以て車轍に当たるを」と言って、身のほど知らずのことはせず、相手に合わせていくのがよいでしょう、と諭した、

というところからきている(故事成語を知る辞典)。これが今日の意味になる。

なお、漢文では、「蟷螂」は、

螳蜋、
螗蜋、

などとも書かれる(仝上)。類義の諺に、

石亀の地団駄、
小男の腕立て、
ごまめの歯ぎしり、
泥鰌の地団駄、
竜の鬚を蟻が狙う、

等々がある(故事ことわざ辞典)とされるが、

石亀の地団駄、
ごまめの歯ぎしり、
泥鰌の地団駄、

は、ちょっと含意が異なるような気がする。

「蚍」(ヒ)は、中国最古の字書『爾雅(じが)』(秦・漢初頃)に、

蚍蜉大螘、

とあり(螘は蟻)、

蚍蜉蟻子之援(ヒフキセシノエン 少しばかりの援兵に喩ふ 韓愈、張中丞伝後序「外無蚍蜉蟻子之援」)、
蚍蜉憾大樹(ヒフタイジュヲウゴカス 見識狭き者が妄りに大学者を批評するに喩ふ 韓愈詩「蚍蜉憾大樹、可笑不自量」)、

と、「蚍蜉」の用例以外載っていなかった(字源)。

「蜉」 漢字.gif

(「蜉」 https://kakijun.jp/page/E58A200.htmlより)

「蜉」(慣用フ、漢音フウ、呉音ブ)は、

会意兼形声。「虫+音符孚化(フ =浮かぶ)」で、空中に浮遊する虫、

とある(漢字源)。「蜉蝣」は、蜻蛉の意となる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2022年01月11日

言語の価値と美


吉本隆明『言語にとって美とはなにかⅠⅡ』を読む。

言語にとって美とは何かⅠ.jpg


何度目かの読み直しになるが、今回新たに気づいたことがある。吉本の言語論は、

この人間が何ごとかを言わねばならないまでにいたった現実的な与件と、その与件にうながされて自発的に言語を表出することとのあいだに存在する千里の径庭を言語の自己表出として想定することができる。自己表出は現実的な与件にうながされた現実的な意識の体験が累積して、もはや意識の内部に幻想の可能性として想定できるにいたったもので、これが人間の言語の現実離脱の水準をきめるとともに、ある時代の言語の水準の上昇度をしめす尺度となることができる。言語はこのように対象に対する指示と対象に対する意識の自動的水準の表出という二重性として言語の本質をなしている。

と、言語を、

自己表出、
と、
指示表出、

の二次元でとらえ、言語の、

人間の意識の指示表出であることによって自己表出であるか、自己表出(対自)であることによって指示表出(対他)としてあらわれる、

ことについて、

人間が、じぶんを〈人間〉として意識の対象としうるようになったことと、人間が実在の牝牛を、〈牝牛〉という名称で呼びうるようになったこととは、別のことではない、

と説き、

言語が知覚とも実在とも異なった次元に属するのは、人間の自己意識が、自然意識とも知覚的意識とも対象的にちがった次元に属しうることの証左にほかならない。このようにして、言語は、ふつうのとりかわされるコトバであるとともに、人間が対象的世界に関係する意識の本質である。この関係の仕方のなかに言語段階の現存性と歴史性の結び目があらわれる。

と、言語表現の高度化を、

自己表出、

指示表出、

を指針に、分析していく。この、二つは、時枝誠記の、

話者の立場からの表現であることを示す「辞」

表現される事物、事柄の客体的概念的表現である「詞」、

あるいは、三浦つとむの、

主体的表現、

客体的表現、

と発想は同じである。ただ、吉本は、この両者を、例えば、

縦軸に自己表出、
横軸に指示表出、

をとる座標として、たびだび図解する。そして、言語の意味と価値の関係を、

言語の意味は、指示表出経路、
言語の価値は、自己表出経路、

とし、

指示表出からみられた言語の関係は、それがどれだけいわんとする対象を鮮明に指示しえているかというところの有用性ではかることができるが、自己表出からみられた言語の関係は、自己表出力という抽象的な、しかし、意識発生いらいの連続的転化の性質をもつ等質な歴史的現存性の力を想定するほかないのである。

と、表現の、

各時代とともに連続的に転化する自己表出のなかから、おびただしく変化し、断続し、ゆれうごく現在的な社会と言語の指示性とのたたかいをみているとき、価値をみている、

と言明する。以降、指示表出と相渡りつつ自己表出が高度化するたたかいを分析するその鋭い筆力には目を見張るが、僕が気になったのは、時枝誠記の、

話者の立場からの表現であることを示す「辞」

表現される事物、事柄の客体的概念的表現である「詞」、

あるいは、三浦つとむの、

主体的表現、

客体的表現、

を、

自己表出、

指示表出、

に置き換えたとき、吉本は、大事なものを捨象してしまったのではないか、と気づいたことだ。たとえば、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』http://ppnetwork.seesaa.net/article/483830026.htmlでも触れたが、

われわれは、生活の必要から、直接与えられている対象を問題にするだけでなく、想像によって、直接与えられていない視野のかなたの世界をとりあげたり、過去の世界や未来の世界について考えたりしています。直接与えられている対象に対するわれわれの位置や置かれている立場と同じような状態が、やはりそれらの想像の世界にあっても存在するわけです。観念的に二重化し、あるいは二重化した世界がさらに二重化するといった入子型の世界の中を、われわれは観念的な自己分裂によって分裂した自分になり、現実の自分としては動かなくてもあちらこちらに行ったり帰ったりしているのです。昨日私が「雨がふる」という予測を立てたのに、今朝はふらなかつたとすれば、現在の私は
       予想の否定 過去
雨がふら なく あった
というかたちで、予想が否定されたという過去の事実を回想します。言語に表現すれば簡単な、いくつかの語のつながりのうしろに、実は……三重の世界(昨日予想した雨のふっている〃とき〃と今朝のそれを否定する天候を確認した〃とき〃とそれを語っている〃いま〃=引用者)と、その世界の中へ観念的に行ったり帰ったりする分裂した自分の主体的な動きとがかくれています。

と、話者にとって、語っている〃いま〃からみた過去の〃とき〃も、それを語っている瞬間には、その〃とき〃を現前化し、その上で、それを語っている〃いま〃に立ち戻って、否定しているということを意味している。入子になっているのは、語られている事態であると同時に、語っている〃とき〃の中にある語られている〃とき〃に他ならない、という入子構造を、自己表出と指示表出の二次元化することによって、見落としてしまったのではないか。「辞」(主体的表現)の中に、「詞」(客体的表現)が、何層にも入子にできる。たとえば、
三浦④.gif

という表現の示しているのは、「桜の花が咲いてい」る状態は過去のことであり(〃いま〃は咲いていない)、それが「てい」(る)のは「た」(過去であった)で示され、語っている〃とき〃とは別の〃とき〃であることが表現されている。そして「なァ」で、語っている〃いま〃、そのことを懐かしむか惜しむか、ともかく感慨をもって思い出している、ということである。この表現のプロセスは、
①「桜の花が咲いてい」ない状態である〃いま〃にあって、
②話者は、「桜の花の咲いてい」る〃とき〃を思い出し、〃そのとき〃にいるかのように現前化し、
③「た」によって時間的隔たりを〃いま〃へと戻して、④「なァ」と、〃いま〃そのことを慨嘆している、
という構造になる。これはいくらでも入子にできる。

ここで大事なことは、辞において、語られていることとの時間的隔たりが示されるが、語られている〃とき〃においては、〃そのとき〃ではなく、〃いま〃としてそれを見ていることを、〃いま〃語っているということである。だから、語っている〃いま〃からみると、語られている〃いま〃を入子としているということになる。その文学的な表現については『語りのパースペクティブ』http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic1-1.htmで触れた。二次元的に、

指示表出、

自己表出、

を交差させるだけでは、自己表出の中に、

「『「指示表出」自己表出』自己表出」自己表出、

を何層も入子にしていく次元を異にする自己表出の多層的な表現の複雑さは、対象から漏れてしまうのではないか。たとえば、『語りのパースペクティブ』http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic1-1.htmで触れた、古井由吉の『木曜日に』にみる、「私」が、宿の人々への礼状を書きあぐねていたある夜更け、「私の眼に何かがありありと見えてきた」ものを現前化する、

「それは木目だった。山の風雨に曝されて灰色になった板戸の木目だった。私はその戸をいましがた、まだ朝日の届かない森の中で閉じたところだった。そして、なぜかそれをまじまじと眺めている。と、木目が動きはじめた。木質の中に固く封じこめられて、もう生命のなごりもない乾からびた節の中から、奇妙なリズムにのって、ふくよかな木目がつぎつぎと生まれてくる。数かぎりない同心円が若々しくひしめきあって輪をひろげ、やがて成長しきると、うっとりと身をくねらせて板戸の表面を流れ、見つめる私の目を眠気の中に誘いこんだ。」

という表現の、厳密に言うと、木目を見ていたのは、手紙を書きあぐねている〃とき〃の「私」ではなく、森の山小屋にいた〃そのとき〃〃そこ〃にいた「私」であり、その「私」が見ていたものを「私」が語っている。つまり、
 ①「私」について語っている〃いま〃
 ②「私」が礼状を書きあぐねていた夜更けの〃とき〃
 ③山小屋の中で木目を見ていた〃とき〃
 ④木目になって感じている〃とき〃
 の四層が語られている。しかし、木目を見ていた〃とき〃に立つうちに、それを見ていたはずの「私」が背後に隠れ、「私」は木目そのものの中に入り込み、木目そのもののに〃成って〃、木目が語っているように「うっとり」と語る。見ていたはずの「私」は、木目と浸透しあっている。動き出した木目の感覚に共感して、「私」自身の体感が「うっとり」と誘い出され、その体感でまた木目の体感を感じ取っている。

「節の中心からは、新しい木目がつぎつぎに生まれ出てくる。何という苦しみだろう。その時、板戸の一隅でひとすじのかすかな罅がふと眠りから爽やかに覚めた赤児の眼のように割れてわずかに密集の中へ喰いこみ、そのまま永遠に向かって息をこらしている……。私も白い便箋の前で長い間、息をこらしていた。」

と、最後に、視線は、〃いま〃語っている「私」へと戻ってくる。そして、その「私」のパースペクティブの入子になって書きあぐねていた〃そのとき〃の「私」の視線があり、その入子となって、小屋の中で木目を見ていた〃そのとき〃があり、更に木目に滑り込んで、木目に感応していた〃そのとき〃がある。と同時に、浸潤しあっていたのは、〃そのとき〃見ていた「私」だけでなく、それを〃いま〃として、眼前に思い出している語っている「私」もなのだということである。
 そのとき、《見るもの》は《見られるもの》に見られており、《見られるもの》は《見るもの》を見ている。《見るもの》は、《見られるもの》のパースペクティブの中では《見られるもの》になり、《見られるもの》は、《見るもの》に変わっていく。あるいは《見るもの》は《見られるもの》のパースペクティブを自分のものとすることで、《見られるもの》は《見るもの》になっていく。その中で《見るもの》が微妙に変わっていく。だが、その語りは、語っている「私」が、〃いま〃見たのにすぎない。〃いま〃そのときを思い出して語っている「私」も、その入子になっている「私」も、木目も、その距離を埋めることはない。いやもともと隔たりも一体感も「私」が生み出したものなのだ。ただ、「私」はそれに〃なって〃語ることで、三者はどこまでいっても同心円の「私」であると同時に、それはまた「私」ではないものになっていく。それが「私」自身をも変える。変えた自分自身を語り出していく。そういう語りの構造は評価できなくなる。

この表現の構造は、

「腹をくだして朝顔の花を眺めた。十歳を越した頃だった。」(『槿』)

では、主人公を語っている〃いま〃と、主人公が朝顔を眺めている〃とき〃とは一致しているわけではないから、
 ①主人公を語っている〃とき〃
 ②主人公が朝顔を眺めている〃とき〃
 ③主人公に語られている、「十歳を越した」〃そのとき〃
 と、三重構造になっているというべきである。同時に、思い出されている〃そのとき〃の場面と、それを思い出している〃いま〃の場面とが、それを語る語り手のいる〃とき〃から、二重に対象化して、語り手は、それぞれを〃いま〃として、現前させているということにほかならない。

こうした入子になった語りが、何層にも折り重なっている、単に指示表出と自己表出の交差だけではとらえきれない、次元を異にする語りの層の積重ねが持つ表現の意味が見逃されていくのではないか、そんな危惧を感じた。

たとえば、「〈価値〉としての言語」をたかめるものとする「喩」について、吉本は、

喩は言語の表現にとって現在のところ最も高度な選択であり、言語がその自己表出のはんいをどこまでもおしあげようとするところにあらわれる、

と、あくまで、指示表出との二次元的な対比の中で見ようとしているが、例えば「雪の肌」といった簡単なメタファでも、
 「雪」■、
と、「雪」という「詞」の「のような」という「辞」を零記号化した隠れた入子構造としてみた方が、メタファの立体的な構造がより明確なはずだ。因みに、「零記号」とは、

三浦②.gif

のように、「認識としては存在するが表現において省略されている」(三浦・前掲書)場合の、「言語形式零という意味」(仝上)を、ゼロ記号と呼んでいる(『語りのパースペクティブ』http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic1-1.htm参照)。これが、今回気になった一点目だ。

第二点目は、

言語にとって美とはなにか、

というタイトルなのに、「美」については言及がないことだ。ここは憶測なのだが、吉本は、

美、

を、

価値、

に置き換えているのではないか、という気がする。価値についてはしばしば言及がある。たとえば、

〈海〉という言葉を、意識の自己表出によってうちあげられた頂で、海の象徴的な像をしめすものとしてみるとき、価値として〈海〉という言葉を見ている。逆に、〈海〉という言葉を、他に対する訴え、対象的指示として、いいかえれば意識の指示表出のはてに、海の像をしめすものとしてみるとき、〈海〉ということばを意味としてみている。

だから、言語の価値は、

意識の自己表出からみられた言語構造の全体の関係、

だと定義する。さらに、古典について、

その意味を理解するために、意識的に予備知識をさぐることがひつようであるにもかかわらず、その価値はわたしたちになおなまなましく通じるものをもつのは、価値が、意識発生いらいの累積として連続性をもつ意識の自己表出にかかわり、しかもその強さにかかわる側面をもつからである。

とも。このとき、言語の価値ある表現は、

美、

と置換可能であるように読み取れ、確かに、

言語の価値という概念は、そのまま文学の価値(芸術の価値)に拡大できる、

としている。そして、

言語の価値という概念は、意識を意識の方へかえすことによってはじめて言語の内部で成立つ概念であり、その意味では言語は意識に還元される。しかし、言語の芸術的表現である文学の価値は、意識に還元されず、意識の外へ、そして表現の内部構造へとつきすすむ。そこでは、言語の指示表出は、文学の構成にまで入り組んだ波をつくり、言語の自己表出は、この構成の波形をおしあげたり、おろしたりしてこれにつきまとうインテグレーションを形成する。だから言語の価値を還元という概念から、表出という概念の方へ転倒させることによって、文学の価値はただ言葉の上からは、きわめて単純に定義することができる。自己表出からみられた言語表現の全体の構造の展開を文学の価値とよぶ。

と。では、

言語の美、文学の美は?

それにかかわる言及は、

文学の価値は、個々の鑑定者にとっては、つねに個人的である。しかし、この個別性は読みこんでゆくかぎり文学表現の価値に収斂するほかに収斂の方向はかんがえられないというだけだ。

と、これだけである。しかし、「美」は、価値の下位概念ではあるが、イコールではない気がする。だから、続いて吉本はこう書いている。

ここで定義された文学の価値の概念は、ひとたびその概念の次元をくずせば、さまざまな現実上の主張と問題にぶつかる。わたしたちがみている集団政策の倫理も、美的体験の理念も、倫理主義も、百花のように、そこでは自己主張するし、現にしているのである。そして、わたしたちも現実的な効用についての主観と決意の次元では、この百花のなかの一つに加わって乱戦者のひとりになる。

つまりは、価値に比べれば、美は主観的なものに過ぎないということなのかもしれない。それなら、本書のタイトル、

言語にとって美とはなにか、

は何なのか。大きな疑問が残る。

あるいは別の視点から見ると、吉本は、前出の、

各時代とともに連続的に転化する自己表出のなかから、おびただしく変化し、断続し、ゆれうごく現在的な社会と言語の指示性とのたたかいをみているとき、価値をみているのである、

に続けて、

そして、言語にとっての美である文学が、マルクスのいうように、「人間の本質力が対象的に展開された富」のひとつとして、かんがえられるものとすれば、言語の表現はわたしたちの本質力が現在的社会とたたかいながら創りあげている成果、または、たたかわれたあとに残されたものである、

と、書いている。この文意から考えると、

各時代とともに連続的に転化する自己表出のなかから、おびただしく変化し、断続し、ゆれうごく現在的な社会と言語の指示性とのたたかい、

の成果である、

自己表出の高い嶺、

である、

文学、

に、

価値を見、美を見ている、

と。つまり、ここで言う、

言語にとって美とはなにか、

とは、その高い嶺である、

文学、

のそれである、と。「表出」と「表現」にこだわる記述からして、あり得るが、それなら、タイトルは、

文学にとって美とはなにか、

でなくてはならないのではないか。

言語にとって美とは何かⅡ.jpg


参考文献;
吉本隆明『言語にとって美とはなにかⅠⅡ』(勁草書房)
三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(季節社)
時枝誠記『日本文法 口語篇』(岩波全書)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年01月10日

紅顔翠黛


その昔、紅顔翠黛の世に類ひなき有様を、ほのかに見染し玉簾の、ひまもあらばと三年(みとせ)余り恋慕しけるを、とかく方便(てだて)を廻らして盗みい出してぞ迎へける(太平記)、

とある、

紅顔翠黛(こうがんすいたい)、

は、

紅(くれない)の顔と翠(みどり)の眉墨、

で、

翠黛紅顔錦繍粧(翠黛紅顔錦繍(きんしゅう)の粧(よそお)ひ)、
泣尋沙塞出家郷(泣くなく沙塞(ささい)を尋ねて家郷を出づ)、

と(「和漢朗詠集(1018頃)」)、

容貌の美しい、

意である(兵藤裕己校注『太平記』)。

「紅顔」は、

朝有紅顔誇世路(朝(あした)には紅顔ありて世路(せろ)に誇れども)、
暮為白骨朽郊原(暮(ゆふべ)には白骨となりて郊原(かうげん 野辺)に朽(く)つ)、

と(「和漢朗詠集(1018頃)」)、

年若い頃の血色のつやつやした顔、

の意(広辞苑)で、

此翁白頭眞可憐、伊(これ)昔紅顔美少年、

と(劉廷芝)、

少年をいふ、

が(字源)、

嗟呼痛しきかも紅顔は三従(さんしょう)と長(とこしなえ)に逝き(万葉集)、

と、

婦人の麗しい容貌、

をもいう(広辞苑)。

漢字「紅」は、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)によると、

赤糸と白糸からなる布の色、すなわち桃色、ピンク、

であり、中国ではその後、紅が赤を置き換えたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%85、とある。

赤は、きらきらとあかきなり(字源)、火のあかく燃える色(漢字源)、
紅は、桃色なり、
丹は、丹沙の色なり、大赤なり、
緋は、深紅色なり(字源)、目の覚めるような赤色(漢字源)、
絳(コウ)は、深紅の色(漢字源)、大赤色なり(字源)、
茜(セン)は、夕焼け色の赤色(漢字源)、
殷(アン)は、赤黒色なり、血の古くなりて黒色を帯びたるをいふ、

と(字源・漢字源)、赤系統の色の区別があり、「紅」は、

桃色に近いあか色、

である。

少年の顔色、

に、似つかわしい。「紅」を

くれなゐ、

と訓むのは、

呉(くれ)の藍(あゐ)、

と、中国から来た染料の意(漢字源)、とある。

「翠黛」は、

燕姫翠黛愁(杜甫)

と、

みどりのまゆずみ、

の意、さらに、

そのまゆずみで描いた美しい眉、

を指し(精選版日本国語大辞典)、それをメタファに、

煙波山色翠黛横(彦周詩話)、

と、

青き山の形容(字源)、
緑にかすむ山のたとえ(精選版日本国語大辞典)、

にも使い、さらに、

翠黛開眉纔画出、金糸結繭未繰将(「菅家文草(900頃)」)、

と、

柳の葉、

にも喩える(精選版日本国語大辞典)。

「翠」 漢字.gif

(「翠」 https://kakijun.jp/page/1495200.htmlより)

「翠」(スイ)は、

会意兼形声。「羽+音符卒(シュツ 小さい、よけいな成分を去ってちいさくしめる)」。からだの小さな小鳥のこと。また汚れを去った純粋な色、

とある(漢字源)が、別に、

形声文字です(羽+卒)。「鳥の両翼」の象形(「羽」の意味)と「衣服のえりもとの象形に一を付した」文字(「神職に携わる人の死や天寿を全うした人の死の時に用いる衣服」の意味だが、ここでは、「粹(スイ)」に通じ(「粹」と同じ意味を持つようになって)、「混じり気がない」の意味)から、色に混じり気のない羽の鳥「かわせみ」を意味する「翠」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji2662.html

「翠」 成り立ち.gif

(「翠」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2662.htmlより)

「黛」(漢音タイ、呉音ダイ)は、

形声。黒+音符代、

とあるのみだ(漢字源)が、

「黛」 漢字.gif

(「黛」 https://kakijun.jp/page/1678200.htmlより)

別に、

会意兼形声文字です(代+黒)。「横から見た人の象形と2本の木を交差させて作ったくいの象形」(人がたがいちがいになる、すなわち「かわる」の意味)と「煙出しにすすが詰まった象形と燃えあがる炎の象形」(すすの色が黒い事から、「黒い」の意味)から、「人の眉にとってかわる黒いすみ」を意味する「黛」という漢字が成り立ちました、

との解釈があるhttps://okjiten.jp/kanji2542.html

「黛」 成り立ち.gif

(「黛」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2542.htmlより)

「紅」(漢音コウ、呉音グ、慣用ク)は、

形声。糸+音符工(コウ)、

としかない(漢字源)が、

「紅」 漢字.gif


別に、

形声。「糸」+音符「工」、同義同音字「絳」。植物性原料による染料(「糸」を染めるもの)。説文解字によると、赤糸と白糸からなる布の色、すなわち桃色、ピンク。中国ではその後、紅が赤を置き換えた、

とかhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%85

形声文字です(糸+工)。「より糸」の象形と「工具(のみ又はさしがね)の象形」(「作る」意味だが、ここでは「烘(コウ)」に通じ(同じ読みを持つ「烘」と同じ意味を持つようになって)、「赤いかがり火」の意味)から、「あかい」、「べに」を意味する「紅」という漢字が成り立ちました、

とかhttps://okjiten.jp/kanji927.htmlの解釈がある。

「紅」 成り立ち.gif

(「紅」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji927.htmlより)

「顔(顏)」(漢音ガン、呉音ゲン)は、

会意兼形声。彥(ゲン)彦は「文(もよう)+彡(もよう)+音符厂(ガン 厂型にかどがたつ)」の会意兼形声文字で、ひたいがひいでた美男のこと。顏は「頁(あたま)+音符彥(ゲン)で、くっきりした美男のひたい、

とあり(漢字源)、

「厂(がけ)」は、岸(水辺のがけ)、雁(厂型に飛ぶ雁)と同系で、くっきりと角張っている意を含む、

とある(仝上)。

「顔」 漢字.gif

(「顔」 https://kakijun.jp/page/1837200.htmlより)

別に、

会意兼形声文字です(彦(彥)+頁)。「人の胸に入れ墨した」象形(模様、彩り」の意味)と「崖」の象形(「崖」の意味だが、ここでは、「鉱物性顔料」の意味)と「長く流れる豊かでつややかな髪」の象形(「模様、彩り」の意味)と「人の頭部を強調した」象形から「化粧をする部分、かお」を意味する「顔」という漢字が成り立ちました、

との説明もあるhttps://okjiten.jp/kanji20.html

「顔」 成り立ち .gif

(「顔」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji20.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2022年01月09日

犂牛


犂牛の喩へ、その理(ことわ)りしかなり。罰その罪にあり、賞その功に依るを、善政の最(さい)とする(太平記)、

とある、

「犂牛(りぎゅう)」は、

毛色のまだらな牛、
まだらうし、

の意(広辞苑・精選版日本国語大辞典)で、日葡辞書(1603~04)にも、

リギュウ、マダラウシ、

とある(広辞苑)。ただし、「犂牛」については、

まだら牛、

とする説以外に、

耕作用の犂を引く牛、

とする説がある(貝塚茂樹訳注『論語』)。

「犂」 漢字.gif


「犂(犁)」(漢音レイ・リ、呉音リ)の字は、

会意兼形声。「牛+音符利(リ よくきれる)」。牛にひかせ、土を切り開くすき、

とあり(漢字源)、どうやら、

牛に引かせて土を起こす農具、

つまり、

からすき、

の意であるが、そこから、

耕作に使うまだらうし、

をも指す。「犂牛」に二つの意味がある所以であるが、個人的には、こういう背景から見ると、「犂牛」は、本来、

耕作用の犂を引く牛、

の意なのではないか、という気がする。「からすき」というのは、

唐鋤、
犂、

と当て、

柄が曲がっていて刃が広く、牛馬に引かせて田畑を耕すのに用いる、

もので、

牛鍬(うしぐわ)、

ともいい(精選版日本国語大辞典)、

四辺形の枠組をもつこの種の長床犂は、中国から朝鮮半島を経て由来したものと考えられ、わが国古来から用いられた代表的型式の犂である、

とある(農機具の種類)。わが国に伝わったものの原形を指していることになる。

からすき.bmp

(「からすき」 精選版日本国語大辞典より)

『論語』・雍也篇に、

子謂仲弓曰、犂牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舍諸(子、仲弓を謂いて曰く、犂牛(りぎゅう)の子も騂(あかく)く且つ角(つの)あらば、用うる勿(な)からんと欲すと雖も、山川それ諸(これ)を舎(す)てんや)、

とある(貝塚茂樹訳注『論語』)。仲弓とは、孔門十哲の一人、

冉雍(ぜんよう)の字(あざな)、

である。仲弓を指して、

犂牛之子、

つまり、

田で鋤を引くまだら牛の仔、

と言ったということは、

仲弓が賤眠の出自である、

ことを象徴している(仝上)。貝塚茂樹訳注には、こうある。

天神などのいけにえにあてるためには、ふだんから政府の牧人が毛並みのいい牛を養っている。これが足りなくなると、一般の耕作につかう牛から毛並みのいい牛を選んでいけにえにする。それと同じように、徳行がすぐれ、人の上に立つ資格を備えた仲弓は、いつかはきっと世間で用いられるにちがいないことをたとえたのである、

と。ここから、

犂牛之子、
犂牛の喩え、

等々とも言われる。

仲弓.jpg


「犂牛」には、

方便品、深着五欲如犂牛愛尾(「長秋詠藻(1178)」)、

と使われている(精選版日本国語大辞典)が、正確には、これは、「犂牛」ではなく、

犛牛(リギュウ)

で、

やく、

を指し、

からうし、
黒牛、

の意ともされ(字源)、「犂牛」とは別物で、

深著於五欲 如犛牛愛尾(法華経・方便品)、

と、

犂牛の麻を愛するが如し、

とも使われる。

牛が役にも立たない自分の尾をいとおしむように、人が無意味な欲望からのがれられないさま、

を言うのに使う(故事ことわざの辞典)。仏教では、

犛牛、

を、

みょうご、

と訓むとある(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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ラベル:犂牛
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2022年01月08日

揖譲の礼


車馬門前に立ち連なって、出入(しゅつにゅう)身を側(そば)め、賓客堂上に群集して、揖譲(ゆうじよう)の礼を慎めり(太平記)、

とある、

揖譲、

は、

ゆうじょう(いふじゃう)

と訓むが、

いつじょう(いつじゃう)、

とも訓ませる(字源・大言海)。

揖は、一入(イツニフノ)切にて、音は、イフなり。されど、フは、入聲(ニッシャウ)の韻なれば、他の字の上に熟語となるときは、立(リフ)を立身(リッシン)、立禮(リツレイ)、入(ニフ)を入聲(ニッシャウ)とも云ふなり。六書故「揖、拱手上下左右(シテ)之以相禮也」(楚辞、大招、註「上手延登曰揖、壓手退避曰譲)、

とあり(大言海)、色葉字類抄(1177~81)には、

揖譲、イツジャウ、揖、イフス、

とある。「延登(えんとう)」は、

初めて官に拝するとき、天子がその人を延き入れて、殿に登らしめ、親(みずか)ら詔を下す、

とある(字源)。「退避」は、それとの対で、「引退する」意と思われる(仝上)。

「拱手上下左右」は、

へりくだって敬意を表す、

意と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)が、

手をこまねきて(両手の指を組み合わせて)、或は上下にし、或は左右にする礼法、

とある(仝上)。

論語(八佾篇)に、

子曰、君子無所争、必也射乎、揖譲而升下、而飲、其争也君子(子曰く、君子は争う所無し、必ず射(ゆみい)るときか、揖譲して升(のぼ)り下(くだ)り、而して飲ましむ、その争いや君子なり)、

とある。「升下」とは、

射礼の際、最初、主人が招待にこたえて堂、つまり殿にのぼるのが升であり、次に堂から庭におりて弓を射るのである、

とある(貝塚茂樹訳注『論語』)。

射礼、

は、

弓の競い合いのことである。孔子は、

礼の故事、つまり、作法の心得を解説したものらしい(仝上)。

「揖譲」は、

大古之時、聖人揖譲(「聖徳太子伝暦(917頃)」)

と、

両手を前で組み合わせて礼をし、へりくだること、

であり、

古く中国で客と主人とが会うときの礼式、

で(仝上)、

拱手の礼をなしてへりくだる、

意である(字源)。そこから、意味を広げ、

会釈してゆずる、
謙虚で温和なふるまい、

などにもいう、とある(精選版日本国語大辞典)。

8世紀頃に呉道玄が描いた拱手する孔子像.png

(拱手する孔子像(呉道玄、8世紀頃) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%B1%E6%89%8Bより)

つまり、「こまねく」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484220493.htmlで触れた、

拱く、
拱手、

である。「こまねく」は、現存する中国最古の字書『説文解字(100年頃)』には、

拱、斂手(手をおさむる)也、

礼記・玉藻篇「垂拱」疏には、

沓(かさぬる)手也、身俯則宜手沓而下垂也、

とあり(大言海)、

拱の字の義(両手をそろえて組むこと)に因りて作れる訓語にて、組貫(くみぬ)くの音轉なるべしと云ふ(蹴(く)ゆ、こゆ。圍(かく)む、かこむ。隈床(くまど)、くみど。籠(かたま)、かたみ)、細取(こまどり)と云ふ語も、組取(くみとり)の転なるべく、木舞(こまひ)も、組結(くみゆひ)の約なるべし、

とする(大言海)ように、「こまねく」は、もともと、

子路拱而立(論語)、

と、

両手の指を組み合わせて敬礼する

意であり、

拱手、

と言えば、

遭先生于道、正立拱手(曲禮)、

と、

両手の指を合わせてこまぬく、人を敬う礼、

であり(字源)、

中国で敬礼の一つ。両手を組み合わせて胸元で上下する、

とあり(広辞苑)、

中国、朝鮮、ベトナム、日本の沖縄地方に残る伝統的な礼儀作法で、もとは「揖(ゆう)」とも呼ばれた。まず左右の人差し指、中指、薬指、小指の4本の指をそろえ、一方の掌をもう一方の手の甲にあてたり、手を折りたたむ。手のひらを自身の身体の内側に向け、左右の親指を合わせ、両手を合わせることで敬意を表す。一般的には、男性は左手で右手を包むようにするが、女性は逆の所作となる。葬儀のような凶事の場合は左右が逆になる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%B1%E6%89%8B

「揖譲」には、「拱手」の意の他に、

禅譲、

の意で、

天子の位を譲ること。特に、その位を子孫であるなしにかかわらず、徳の高い者に譲ること、

の意でも使われる。この逆は、

征誅、

とあり(字源)、

放伐、

ともいう(広辞苑)。

堯の舜に授け、舜の禹に授くる如きは揖譲なり、湯の桀を放ち、武王の紂を伐ち、兵力を以て国を得たる如きは征誅なり、

とある(字源)。

「揖」 漢字.gif


「揖」(ユフ(イフ)、イツ)は、

会意。旁(シュウ)は「口+耳」からなり、口と耳をくっつけるさまを示す。揖はそれと手を合わせた字で、両手を胸の前でくっつけること、

とある(漢字源・字源)。

「譲」 漢字.gif

(「譲」 https://kakijun.jp/page/2010200.htmlより)

「譲(讓)」(漢音ジョウ、呉音ニョウ)は、

会意兼形声。襄(ジョウ)は、中に割り込むの意を含む。讓は「言+音符襄」で、どうぞといって間に割り込ませること。転じて、間に挟んで両脇からせめる意ともなる、

とある(漢字源)、

三タビ天下を以て讓る(論語)、

と、譲る意である。別に、

会意兼形声文字です(言+襄)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)と「衣服に土などのおまじない物を入れて邪気を払う象形と手の象形」(「衣服にまじないの品を詰め込んで、邪気を払う」の意味)から、「言葉で悪い点を責める」を意味する「譲」という漢字が成り立ちました。また、たくさんの品を詰め込む事を許すさまから、「ゆずる」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1680.html

問い責める意を表す。転じて「ゆずる」意に用いる、

とある(角川新字源)ので、原義は、それのようである。

「譲」 成り立ち.gif

(「譲」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1680.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:揖譲の礼 揖譲
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2022年01月07日

庶幾


「庶幾(しょき)」は、

云うふに及ばす、尤も庶幾する所なり(太平記)

と、

こい願う、

意で使うが、これは、「庶幾」の、

「庶」「幾」はともにこいねがうの意、

であり(精選版日本国語大辞典)、

庶幾夙夜、以永終誉(詩経)、

と、漢語である(字源)。また、

顔氏之子、其始庶幾乎(易経)、

と、

ちかし、

とも訓ませる(字源)。これは、

「庶」「幾」はともに近いの意、

でもある(精選版日本国語大辞典)。

和語では、ために、

この一様、すなはち定家卿が庶幾する姿なり(「後鳥羽院御口伝(1212~27頃)」)、

と、

しょき、

と訓むだけではなく、

心あらむ人愚老が心を知て、如説行学庶幾(ソキ)する所也(「雑談集(1305)」)、

と、

そき、

とも訛り(精選版日本国語大辞典)、また、

記録と實地を併せ考へ、古今の對照やや眞を得たるに庶幾(ちか)い(桑原隲蔵「大師の入唐」)、

と、

ちかし、

と訓ませたり、

庶幾(こいねが)うところなりとて、すでに、軍、立つを大国に聞き付けて万が一の勢なるが故に軽しめ嘲りて(南方熊楠「十二支考」)、

と、

こいねがう、

と訓ませたりする。因みに、「こいねがう」には、

希う(ふ)、
冀う(ふ)、
庶幾う(ふ)、
乞願う(ふ)、

等々と当てたりする(精選版日本国語大辞典)。ために、「庶幾」の訓み方は、

しょき    41.2%、
ちか(シ)  29.4%、
こいねが(ウ)5.9%、

とあるhttps://furigana.info/w/%E5%BA%B6%E5%B9%BE:%E3%81%A1%E3%81%8B

ところで、漢字では、

庶は、冀(キ こいねがう)也と註す。幾と同義なり。庶幾と連用しても、一字ずつ別ち用ひても同じ。又、庶乎(ショコ)と連用す(庶乎は、近しの意で、庶幾と同義)、
幾は、こひねがはくはとも、ちかしとも訓む、遠きものは及び難き故、望を絶つも、近きは及ぶべし、されば、願辞、又は、近辞と註すれども、意は一なり。孟子「王庶幾無疾病」、
希は、まれといふ字なり、故にまれなることのできるやうに願ふなり、
冀は、欲也、望也と註す。覬(キ のぞむ)と音通ず。伺ひ望む意あり、
尚は、庶幾也と註す。「黎民(レイミン 冠を着けない黒髪の者、つまり庶民)尚亦有利哉」の如し。尚の字、たふとぶといふ義あり、たふとび願ふ意なり、
幸は、非分而得曰幸と註す、幸調護太子の如し、

と、註されている(字源)。

「庶」 漢字.gif

(「庶」 https://kakijun.jp/page/1147200.htmlより)

「庶」(ショ)は、

会意。广の中は、動物の頭(廿印)のあぶらを燃やすさまで、光の字の古文。庶はそれに广(いえ)を添えたもので、家の中で火を集め燃やすこと。さらにまた、諸(これ)と同様に、近称の指示詞にあて「これこそは」と強く指示して、「ぜひこれだけは」の意を表す副詞に転用された、

とある(漢字源)。字源には、象形、指事、会意、形声、会意形声の諸説があるらしいが、

广と廿と火とに従う、广は厨房、廿は鍋など烹炊(ほうすい)に用いる器。その下に火を炊いて器中のものを烹炊し、煮ることを意味する字で、煮の本字である(白川)、

とかhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BA%B6

形声。火と、音符石(セキ)→(シヨ)とから成る。火で煮る意を表す。借りて、「もろもろ」の意に用いる、

とか(角川新字源)、

会意兼形声文字です(广+炗)。「家屋のおおいに相当する屋根」の象形と「器の中の物を火で煮たり沸かしたりする」象形から、屋内をいぶして「害虫を除去する」の意味を表しましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「おおい(たくさん)」を意味する「庶」という漢字が成り立ちました、

とかhttps://okjiten.jp/kanji1842.html、微妙に分かれるが、「火」と関わらせていることは同じである。

「庶」 成り立ち.gif

(「庶」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1842.htmlより)

「幾」(漢音キ、呉音ケ)は、

会意。幺ふたつは、細く幽かな糸を示す。戈は、ほこ。幾は「幺ふたつ(わずか)+戈(ほこ)+人」で、人の首にもうわずかで戈の刃がとどくさまを示す。もう少し、近いなどの意を含む。わずかの幅をともなう意からはしたの数(いくつ)を意味するようになった、

とある(漢字源)。

別に、
会意。𢆶(ゆう かすか)と、戍(じゆ まもり)とから成る。軽微な防備から、あやうい意を表す、

との説(角川新字源)、

「幾」 漢字.gif

(「幾」 https://kakijun.jp/page/1245200.htmlより)

会意文字です。「細かい糸」の象形と「矛(ほこ)の象形と人の象形」(「守る」の意味)から、戦争の際、守備兵が抱く細かな気づかいを意味し、そこから、「かすか」を意味する「幾」という漢字が成り立ちました。また、「近」に通じ(「近」と同じ意味を持つようになって)、「ちかい」、「祈」に通じ、「ねがう」、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「いくつ」の意味も表すようになりました、

とする説https://okjiten.jp/kanji1288.htmlがあるが、最後の説で、「ねがう」意が出てくる意味が分かる。

「幾」 成り立ち.gif

(「幾」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1288.htmlより)

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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ラベル:庶幾
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2022年01月06日

狂骨


「狂骨」は、

きょうこつ、

と訓ませ、

「きょう」は「軽」の呉音、

とあり(精選版 日本国語大辞典)、

軽忽、
軽骨、

とも当て、この場合、

けいこつ、

とも訓み、

然し汝に感服したればとて今直に五重の塔の工事を汝に任するはと、軽忽(かるはずみ)なことを老衲(ろうのう)の独断(ひとりぎめ)で云ふ訳にもならねば、これだけは明瞭(はっきり)とことわつて置きまする(幸田露伴「五重塔」)

と、

かるはずみ、

と訓ませる場合もある。「狂骨」は、

軽忽
軽骨、

を、

きょうこつ、

と呼んだ時の当て字かと思われる。

「軽忽(けいこつ)」は、漢語である。

軽忽簡誣(漢書・孔光伝)、

と、

かろがろしくそそっかしい、

意である(字源)。で、

けいこつ、

と訓ませる、

軽忽、

は、漢語の意に近く、

軽んじ、ゆるがせにすること、

と(大言海)、

そそっかしい、
かるがるしい、

意で、

粗忽、

と同義になる(広辞苑)。しかし、

きょうこつ、

と訓ませ、

軽忽、
軽骨、

などと当てる場合は、漢語と同義で、

事極軽忽、上下側目云々(「小右記永延二年(988)」)、
キョウコツナコトヲイフ(「日葡辞書(1603~04)」)、

などと、

軽率、
そそっかしい、

意でも使うが、

公家の成敗を軽忽し(太平記)、

と、

軽視する、
軽蔑する、

意や、

此の人の体軽骨(キャウコツ)也。墓々敷(はかばかしく)日本の主とならじとて(「源平盛衰記(14C前)」)、

と、

人の様子や人柄が軽はずみで頼りにならないようにみえる、

意で使い、その軽率な状態表現を、

中中不足言ともあまり軽忽なほどに物語ぞ(「三体詩幻雲抄(1527)」)、
此かさたためと有ければ、なふきゃうこつや是程ふるあめにといへば(浄瑠璃「凱陣八島(1685頃)」)、

などと、

他人から見て軽はずみで不注意に見えると思われるような愚かなこと、とんでもないこと、笑止、

と、価値表現へとシフトして使う。さらに、それが過ぎると、

あら軽忽や児わ何を泣給ふぞ(幸若「満仲(室町末~近世初)」)、

と、

気の毒な、

という意にまで広がる(精選版日本国語大辞典)。

狂骨、

は、

若輩の興を勧むる舞にもあらず、また狂骨の言(ことば)を巧みにする戯(たわぶ)れにもあらず(太平記)、

と、

ばかばかしい、

意で使うとき当てたのではあるまいか。また、漢語「軽忽」の「忽」に、

軽骨、
狂骨、

と、「骨」を当てたのは、漢字「骨」に、

気骨、
硬骨漢、

というように、

人柄、
品格、

の意味で使うので、原義に適った当て字ではある。

「狂」 漢字.gif


「狂」(漢音キョウ、呉音ゴウ)は、

会意兼形声。王は二線の間に立つ大きな人を示す会意文字。または、末広がりの大きなおのの形を描いた象形文字。狂は「犬+音符王」で、おおげさにむやみに走り回る犬。ある枠を外れて広がる意を含む、

とある(漢字源)が、

形声。犬と、音符王(ワウ)→(クヰヤウ)とから成る。手に負えないあれ犬の意を表す。転じて「くるう」意に用いる(角川新字源)、

形声文字です(犭(犬)+王)。「耳を立てた犬」の象形と「支配権の象徴として用いられたまさかりの象形」(「王」の意味だが、ここでは、「枉(おう)」に通じ、「曲がる」の意味)から、獣のように精神が曲がる事を意味し、そこから、「くるう」を意味する「狂」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1163.html

などともある。

「王」 甲骨文字①.png

(「王」甲骨文字・殷① https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8Bより)

「王」 甲骨文字②.png

(「王」甲骨文字・殷② https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8Bより)

この違いは、「王」を示す甲骨文字がかなりの数あって、「王」(オウ)の字の解釈が、

「大+―印(天)+-印(地)」で、手足を広げた人が天と地の間に立つさまをしめす。あるいは、下が大きく広がった、おのの形を描いた象形文字ともいう。もと偉大な人の意、

とある(漢字源)他、諸説あり、中でも、

象形文字。「大」(人が立った様)の上下に線を引いたもの。王権を示す斧/鉞の象形https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8B

象形文字です。「古代中国で、支配の象徴として用いられたまさかり」の象形から「きみ・おう」を意味する「王」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji189.html

と、「まさかり」「おの」と見る説が目につく。

「輕」 漢字.gif

(「輕」 成りたち https://okjiten.jp/kanji481.htmlより)

会意兼形声文字です(車+圣(坙)。「車」の象形と「まっすぐ伸びる縦糸の象形」(「まっすぐで力強い」の意味)から、「敵陣にまっすぐ突進していく車」を意味し、それが転じて、「かるい」を意味する「軽」という漢字が成り立ちました、

との説明https://okjiten.jp/kanji481.htmlは、同趣旨乍ら具体的である。

「骨」 漢字.gif


「骨」(漢音コツ、呉音コチ)は、

会意兼形声。月を除いた部分は、冎(カ)や窩(カ)の原字で、上部は大きく穴の開いた関節の受ける方のほね。下部はその穴にはまり込む関節の下のほうのほね。骨はこれに肉(月)を加えたもの、

とある(漢字源)。要は、

会意。冎(カ ほねの形)と、肉(月は省略形)とから成る。肉の付いているほね、ひいて「ほね」、骨節などの意を表す、

ということになる(角川新字源)。

「骨」 金文・殷.png

(「骨」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AA%A8より)

「骨」 簡帛文字.png

(「骨」 簡帛文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AA%A8より)

「咼」 簡牘文字.png

(「咼」 簡牘文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AA%A8より)

「忽」(カン億コツ、呉音コチ)は、

会意兼形声。勿(ブツ)は、吹き流しがゆらゆらして、はっきり見えないさまを描いた象形文字。忽は「心+音符勿」で、心がそこに存在せず、はっきりしないまま見過ごしていること、

とある(漢字源)が、

「忽」 漢字.gif


形声。心と、音符勿(ブツ)→(コツ)とから成る。ぼんやりする意を表す。「惚(コツ)」の原字。ひいて、「ゆるがせにする」「たちまち」の意に用いる(角川新字源)、

ともある(角川新字源)。さらに、別に、

「忽」 金文 戦国時代.png

(「忽」 金文・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BF%BDより)

形声文字です(勿+心)。「弓の弦(つる)をはじいて、払い清める」象形(借りて「禁止。~してはいけない」、「ない」)の意味と「心臓」の象形(「心」の意味)から、「心の中に何もない」事を意味し、そこから、「ゆるがせにする」を意味する「忽」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji2446.html

「忽」 成り立ち.gif

(「忽」 成りたち https://okjiten.jp/kanji2446.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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