夢(いめ)にだに見ずありしものをおほほしく宮出(みやで)もするかさ檜(ひ)の隈廻(くまみ)を(万葉集)
朝日照る島の御門におほほしく人音(ひとおと)もせねばまうら悲も(仝上)、
の、
宮出(みやで)もする、
は、
真弓の殯宮に出仕する意、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
檜(ひ)の隈廻(くまみ)、
は、
明日香の檜前(ひのくま)。真弓の東隣、
と注記がある(仝上)。
おほほし、
は、前者では、
こころも晴れやらず、
と訳注され、後者は、
うっとうしくも、
と訳注され、
賑わしかるべき御殿のひそまりかえった重苦しさをいう、
としている(仝上)。
おほほし、
の、
ホホの清濁不明、
とある(広辞苑)が、
おぼぼし、
とするものもある(岩波古語辞典)。
おぼろ、
で触れたことだが、
おぼろ、
は、
朧、
とあてるが、朧月の「おぼろ」の意味で、
はっきりしないさま、
ほのかなさま、
薄く曇るさま、
の意の他に、いわゆる料理の「おぼろ」、つまり、
エビ・タイ・ヒラメなどの肉をすりつぶし味をつけて炒った食品。でんぶ、
の意味もある。この、
オボ、
は、
オボホレ(溺)・オボメキのオボと同根。ロは、状態を示す接尾語、
とあり(岩波古語辞典)、
ぼんやりしたさま、
という意味になる(仝上)。濁点の、
おぼほし、
は、
溺ほし(オボホルの他動詞形)、
と当てる、
溺れるようにする、
の意の、
おぼほし、
と、
ぼんやりしているさま、
の意の、
おぼほし、
があり、後者は、
オボは、オボロ(朧)・オボメキ・オボロケのオボと同根。ぼんやりしているさま。奈良時代にはおほほしの形であったかもしれないが、オホ(大)とはアクセントの異なる別語、
とあり(岩波古語辞典)、前者の自動詞は、
おぼほ(溺)る、
で、
オホ(朧)ホレ(惚)の意。古くは、
オホホレと清音か、
とあり(仝上)、
ぼんやりとして気を失った状態になる意、
としている(仝上)。つまり、どちらも、
ぼんやりしたさま、
を含意していることになる。因みに、料理でいう、
おぼろ、
つまり、
でんぶ、
は、
田麩、
と当て、
魚肉または畜肉加工品のひとつ。佃煮の一種。日本では魚肉を使うことが多く、江戸前寿司の店ではおぼろと称するほか、一部では力煮(ちからに)ともいう。中国や台湾では豚肉を使うことが多いが、鶏肉、牛肉を使うものもある、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E9%BA%A9)、日本の「田麩」については、
日本の田麩は魚肉を使うことが多い。三枚におろした魚をゆで、骨や皮を取り除いた後、圧搾して水気をしぼってから焙炉にかけてもみくだき、擂り鉢で軽くすりほぐす。その後、鍋に移して、酒・みりん・砂糖・塩で調味し煎りあげる。鯛などの白身魚を使用したものに食紅を加えて薄紅色に色付けすることもある。薄紅色のものは、その色から「桜でんぶ」と呼ばれる。(中略)伝説によれば、京のあたりの貞婦が、病気で食の進まない夫のために、産土神の諭しにしたがって、土佐節を粉にして、酒と醤油とで味をととのえ供したところ、夫の食欲は進んで病気もなおった。そして自分でも試み、人にもわけたのが初めであるという。もしこれが事実となんらかの関係があるとすれば、おそらく田麩のおこりはカツオであろうという。北海道の一部の地域などでは、単に そぼろ と呼ぶ場合がある、
とある(仝上)が、なぜ「おぼろ」と呼ぶかはわからない。ただ、
そぼろ、
について、
そぼろは、豚や鶏の挽肉、魚肉やエビをゆでてほぐしたもの、溶き卵などを、そのままあるいは調味して、汁気がなくなりぱらぱらになるまで炒った食品、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%81%BC%E3%82%8D)。「おぼろ」の含意から、牽強付会すれば、
原形をわからなくする、
という意味なのかもしれない。『大言海』は、
おぼろ、
を、
おほほろほろの約、
という、「おほほろほろ」は見当たらないが、おぼろに、という意味の、
おぼおぼし、
おぼほし、
という言い方がある。いずれも、「おぼろ(朧)」の「おぼ」である。この、
おぼ、
とつながる、
おぼほし、
は、
鬱し、
朧し、
朦し、
と当て(大言海・精選版日本国語大辞典)、
おほほし、
ともいい、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ
の形容詞シク活用で(学研全訳古語辞典)、
ぼんやりした状態、
の意だが、
海女(あま)をとめ漁(いざ)りたく火の於煩保之久(オボホシク)つのの松原思ほゆるかも(万葉集)、
と、
対象の形、様子がはっきりしない、
ぼんやりして明らかでない、
という外界の状態を表す状態表現、
であったものが、それをメタファにしてか、
国遠き路の長手(ながて)を意保保斯久(おほほしく)今日や過ぎなむ言問(ことど)ひも無く(万葉集)
と、
心が悲しみに沈んで晴れない、
うっとうしい、
と、心の状態表現に転じ、さらに、
はしきやし翁の歌に大欲寸(おほほしき)九(ここの)の児らや感(かま)けて居(を)らむ(万葉集)
と、
愚鈍である、
間抜けである、
という、価値表現へと転じている。
(「鬱」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AC%B1より)
(「鬱」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AC%B1より)
「鬱(欝)」(漢音ウツ、呉音ウチ)の、異字体は、
鬰 、 欝󠄁(俗字)、 欝(俗字)、 菀 、 䖇 、 罻 、 𮫘(俗字)、 𩰪 、 𣝪 、 𣟜 、 𣡡 、 𣠵、郁(簡体字(別字衝突))、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AC%B1)、
鬱、
は、
所謂康煕字典体であり、本来は手書きで書く字体ではない。もし手書きで書く場合は、「缶、木(左側、右側)、冖、鬯、彡」の順に書く、
とある(仝上)。その字源は、
会意兼形声。鬱の原字は、「臼(両手)+缶(かめ)+鬯(香草でにおいをつけた酒)」の会意文字で、かめにとじこめて酒ににおいをつける草。鬱はその略体を音符とし、林を添えた字で、木々が一定の場所にとじこめられて、こんもりと茂ることをあらわす。中に香りや空気がこもる意を含む、
とある(漢字源)。別に、
形声。意符林(はやし)と、音符𩰪(ウツ)(は省略形)とから成る(角川新字源)、
会意兼形声文字です。「大地を覆う木の象形と酒などの飲み物を入れる腹部の膨らんだふたつき土器の象形」(「柱と柱の間にある器」の意味)と「穀物の粒と容器の象形とさじの象形と長く流れる豊かでつややかな髪の象形」(「におい草」の意味)から、「立ち込めるよい香り」、「(よい香りが)ふさがる」を意味する「鬱」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2081.html)、
会意。林+缶(ふ)+冖(べき)+鬯(ちよう)+彡(さん)。〔説文〕六上に「木、叢生する者なり」とし、𩰪 (うつ)の省声に従うとする。鬯は酒をかもす形。彡はその酒気。密閉して香草を加え、その醞醸を待つ意。もとに𩰪作り、臼(きよく)に従う。蔚と通じ、醞茂の意に用い、字形も鬱を用いる(字通)、
等々と、会意文字、会意兼形声文字、形声文字と、字の成り立ちについての解釈の違いはあるが、いずれも、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)の解釈に依拠している。しかし、
『説文解字』では、「林」と音符「𩰪」から構成される形声文字と分析されているが、甲骨文字や金文などの資料とは一致しない誤った分析である。また、「𩰪」なる字の実在は確認されていない、
とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AC%B1)、
甲骨文字・金文は「林」+「勹」(かがんだ人)+「大」(立った人)、人が生い茂った草木の中に隠れる様子を象る。「茂る」を意味する漢語{鬱 /*ʔut/}を表す字。「爵」の略体を加えて「鬱」となる、
とする(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95