2023年02月04日

サイクリック宇宙論


高水裕一『時間は逆戻りするのか―宇宙から量子まで、可能性のすべて』を読む。

時間は逆戻りするのか.jpg

本書では、

時間を逆に進む世界はあるのか、
そもそも時間とは何か、

について考えをめぐらせていくのが目的(はじめに)とある。そして、

時間が過去から未来に進むのはあたりまえ、

とする常識をうたがっとほしい、とある(仝上)。しかし、そのために、現代の宇宙物理学を総覧し、復習させられることになる。

で、まずは、

時間、

そのものを、

方向、
次元数、
大きさ、

の三点から把握するところから始める。つまり、不可逆とされる、

時間の矢、

そして、空間が三次元なのに、時間が、

一次元、

であること、そして、時間も、空間と同様、進み方が速くなったり、遅くなったりする、つまり、時間も、空間同様、

絶対的なものではなく、相対的なものである、

ことである。そして、時間の不可逆性を示すのが、

エントロピー増大の法則、

である。これを前提にして、果たして時間は可逆的でありうるのかを検証していくのが、本書の旅である。

お定まりの、

相対性理論、
熱力学、
量子力学、

と辿り、

電磁気力、
強い力、
弱い力、
重力、

の四つの力を検討し、悲願の、四つの力を統合する、

Theory of Everything(大統一理論)、

を展望する(著者は「量子重力理論」と呼んでいる)。そのためのアイデアとなる仮説が、現時点では、

超弦理論(超 ひも 理論)、
と、
ループ量子重力理論、

となる。前者は、

9次元の空間と1次元の時間という、きわめて高次元の時空、

に対して、後者は、

空間も時間も飛び飛びの編み目のように離散的な構造で、「ノード」と呼ばれる点と、それらを格子状 に結ぶ「エッジ」と呼ばれる線からなるネットワークの時空、

とし、超弦理論では、

「9+1=10次元という高次元の時空を想定しますが、それは既存の4次元時空に、人工的にコンパクト化した6次元空間をくっつけたもの」

であり、その意味では、一般相対性理論からみちびかれた時空の概念を大きく変更するものではないのに対して、ループ量子重力理論は、

「時空の量子化をめざして、一般相対性理論とも量子力学とも異なる『飛び飛びの時空』という新たな時空モデルを構築」

しており、著者は、

「現状では、高次元の時空を考えることに、数学的な枠組みをつくれるという以上のメリットはないように思われます。率直にいえば私も、超弦理論は時空の本質を真剣に考えているとは思えず、ループ量子重力理論のほうに、相対性理論や量子力学にも通じる過激なまでの革新性を感じるのです。」

と、後者に肩入れしている。それは、ループ量子重力理論は、

重力が伝わる「場」、すなわち「重力場」の量子化、

で、

時間 にも素粒子サイズの「大きさ」があることを示しただけではなく、ついには時間の存在そのものを消す、

ことを示したところにあり、こうまとめる、

「時間とは、あらかじめ決められた特別な何かではない。時間は方向づけられてなどいないし、『現在』もなければ、『過去』も『未来』もない。だとするなら、いったい時間の何が残るのか。あるのはただ、観測されたときに決まる事象どうしの関係だけだ。ごく局所的な、Aという事象とBという事象の間の関係を述べているだけだ。これまでは量子力学の方程式も、時間の発展を前提としていたが、もはや時間は表舞台からきれいに姿を消してしまった。時間とは、関係性のネットワークのことである。」

他方、超弦理論では、

両端に何もない、ひも状の「開いた弦」、
と、
両端がくっついて輪になっている「閉じ た弦」、

の2種類のうち、「開いた弦」は、その端っこを「膜」のようなものにくっつけていることが計算上発見され、それを、

プレーン、

と呼び、

「私たちは9+1次元の時空に浮かぶ、平たい3+1次元のブレーンの上に拘束され、……この時空のほかの場所で起こる高次元の現象はすべて、いわば影絵のように、平たいブレーンの上に投影された3+1次元の現象として認識」

されるという世界像を描いた。そして、時間の矢の始まりとされる、

ビッグバン、

とは、

二枚のプレーンの衝突、

という、

サイクリック宇宙論、

へと発展していく。それは、

宇宙にはそもそも時間的な起点などはなく、収縮→衝突(ビッグバン)→ 膨張→収縮→…… というサイクルを、何度も繰り返している、

というものである。これは、マクロスケールで見た「時間の逆戻り」にひとつの回答を与えている、と著者は見ている。いまひとつは、

ミクロの量子世界、

での時間の逆戻りである。不確定性原理から見て、

「素粒子を個々に見れば時間が逆戻りしているものもあるけれども、多くの素粒子が集まりマクロの系になると、個々の逆戻りの効果は統計的に無視されてしまって、結果として時間は一方向にしか現れない」

ことになる。その意味で、今後ミクロの世界から、時間は見直されていく、と著者は見ている。

実は、時間について考える時、残されているのは、

人間原理、

と言われるものだ。量子力学では、

揺らいでいる素粒子は、観測者が見ることではじめて状態が一つに定まる、つまり固定化される、

とされる。では、この固定化を、誰が見たのか。この面でも、

サイクリック宇宙論、

は、

「歴史が何度も繰り返される宇宙では、現在の宇宙における過去と未来は、前回までのサイクルですでに関係づけられている」

と見なせ、

人間の生まれる前から人間にちょうどよいように宇宙がお膳立てされているのも、必然性があるように見える」

と、最適なモデルになっているとする。ただ、

宇宙の最初の観察者は誰か、

という疑問はまだ残るが、と。

結局、宇宙論を総覧し、

「白黒をつけるより、時間の思考を楽しみながら宇宙の不思議さに思いを馳せる」

ことで終わったことになるが。

なお、ケイティ・マック(吉田三知世訳)『宇宙の終わりに何が起こるのか』)、高水裕一『宇宙人と出会う前に読む本―全宇宙で共通の教養を身につけよう』、ルイーザ・ギルダー『宇宙は「もつれ」でできている-「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか』)、吉田伸夫『宇宙に「終わり」はあるのか-最新宇宙論が描く、誕生から「10の100乗年」後まで』、吉田たかよし『世界は「ゆらぎ」でできている―宇宙、素粒子、人体の本質』、
鈴木洋一郎『暗黒物質とは何か』、ブライアン・グリーン『隠れていた宇宙』、岸根卓郎『量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」』、青木薫『宇宙はなぜこのような宇宙なのか』、佐藤勝彦『宇宙は無数にあるのか』、
大栗博司『重力とは何か』、等々については触れたことがある。

参考文献;
高水裕一『時間は逆戻りするのか―宇宙から量子まで、可能性のすべて』(ブルーバックスKindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2023年02月03日

卒都婆の杖


夜道旅道には、迷ひの物(さまよう霊や変化)に逢はぬためとて、卒都婆の杖をつねづね拵へ持ちけるが(諸国百物語)、

にある、

卒都婆の杖、

は、

卒都婆は、墓の後ろに供養のため、経文を書いて立てる長い板、「一見卒都婆、永離三悪通」(謡曲「卒都婆小町」)。卒都婆の杖は、とくにあつらえて、そのような経文を書き入れた六角棒、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。あまり辞書に載らないが、修行僧や、修験者が持つ杖を、

錫杖(しゃくじょう)、

といい、また四国八十八カ所などの巡礼の遍路が持つ杖を、

金剛杖(こんごうじょう、こんごうづえ)、
または、
遍路杖(へんろじょう)、

という。杖は、

卒都婆、

の意味に加え、

弘法大師(空海)の身代り、

との意味https://www.weblio.jp/content/%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%9D%96も持つという。確かに、遍路の白衣が死に装束とされたように、杖も、

道中で行き倒れたときに「墓標」とする意味、

があったhttps://ohenro.konenki-iyashi.com/category3/entry44.htmlとある。

その名残が、金剛杖の上部にあり、

四角に削られた4つの面には「梵字」で「空・風・火・水・地」の5文字、

が書かれており、

五輪の塔、

を表しているもので、墓標に掲げられた文字と同じ意味(仝上)である。

卒都婆.bmp

(卒都婆 大辞林より)

卒都婆、

は、

卒塔婆、
率塔婆、
卒堵婆
窣堵婆、

などとも表記し(広辞苑・大言海)、

そとうば、
そとば、

と訓ませる(仝上)が、

梵語stpaの音訳、

で、

藪斗婆、
窣都婆、

とも音写され、

高顕の義(大言海)、
頭の頂、髪の房などの義(日本国語大辞典)、

などとされ、

廟、
方墳、
円塚、
霊廟、
墳陵、

などと意訳する(大言海・日本国語大辞典)。本来、

仏舎利を安置したり、供養・報恩をしたりするために、土石や塼(せん)を積み、あるいは木材を組み合わせて造られた築造物、

つまり、

塔、

の意で、

塔婆、

ともいう(仝上)。それが転じて、

供養のため墓の後ろに立てる細長い板、

を指し、

板塔婆(いたとうば、いたとば)、

ともいいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%A1%94%E5%A9%86、上部は、

五輪卒都婆(五輪塔)、

を模して上部が塔状になっており、上から、

空(宝珠)・風(半円)・火(三角)・水(円)・地(四角)の五大、

を表す(仝上)とある。

五輪卒都婆.bmp

(五輪卒都婆(五輪塔) 精選版日本国語大辞典より)

「五輪卒都婆」は、

五輪塔、
五輪の石、
五輪の石塔、

ともいい、

卒塔婆の一つ、

だが、平安中期ごろ密教で創始された塔形で、

石などで、方・円・三角・半月・団(如意珠 にょいしゅ)の五つの形をつくり、それぞれ地・水・火・風・空の五輪(五大)にあて、下から積みあげた形のもの。多くはその表面に五大の種子(しゅじ)、すなわち梵字(ぼんじ)を刻む。これはもと大日法身の形相を表示したもの、

とある(精選版日本国語大辞典)。

仏陀の骨や髪または一般に聖遺物をまつるために土石を椀形に盛り、あるいは煉瓦を積んで作った建造物、

である、

梵語stūpa、

の、

塔(とう)、

は、

卒塔婆、
塔婆、

ともいうが、中国に伝えられて楼閣建築と結びつき、独特の木造・塼せん造などの層塔が成立し、日本では、

木造塔、

が多く、三重・五重の層塔や多宝塔・根本大塔などがある。地中や地表面上の仏舎利収容部、心柱、頂上の相輪に本来の塔の名残が見られる(広辞苑)とある。

タイ国のストゥーパ.jpg

(タイ国のストゥーパ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%92%E5%A1%94%E5%A9%86より)


真身宝塔.jpg

(真身宝塔(法門寺(西安市) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E5%A1%94より)


法隆寺五重塔.jpg


なお、卒塔婆を使った死者供養の古層と言える形態に、枝や葉のついた生木を依代として墓前に刺す、

梢付塔婆(うれつきとうば)、
葉付塔婆、

などと呼ばれる風習があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%A1%94%E5%A9%86。これらは神式葬祭に使われる、

玉串の原型、

とも言われ、12世紀に密教と真言宗の教えが習合し、五輪塔を墓碑や供養塔として建てる風習が現れた。『餓鬼草紙』や『一遍聖絵』などには林立する木製の五輪卒塔婆が描かれている(仝上)。

木製の五輪卒塔(餓鬼草子) (2).jpeg

(木製の五輪卒塔婆(餓鬼草子) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%A1%94%E5%A9%86より)

日本紀略(にほんきりゃく 平安時代に編纂された歴史書)康保(こうほう)四年(967)に、

五畿内幷伊賀伊勢等廿六箇國、可立率都婆六十基之由被下宣旨、高七尺、径八寸、

とあり、同永祚永祚(えいそ)元年(989)には、

摂政(兼家)於吉田、被立千本率都婆、

とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年02月02日

けうがる


武家に宮仕へさする上は、かねて覚悟の事なれども、かやうにけうがる責め様あるべき(諸国百物語)、

とある、

けうがる、

は、

残忍で面白半分な、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「けうがる」は、

希有がる、

とあてる、

けうがる、

かと思うが、この「けう」は、

希有、

と当て、

千歳希有(漢書・王莽傳)、

とある、漢語で、

きいう、
けう、

で、

稀有、

とも同義である(字源)。それをそのまま、

「琉球風炉に、チンカラ、なぞといふがありヤス」「ハテけうな名じゃな」(洒落本「文選臥坐(1790)」)、

と、

めったにないこと、
珍しいこと、

の意で使うが、

是に希有の想を発して禅師に白して言はく(「日本霊異記(810~24)」)、
いとあやしうけうのことをなんみ給へし(源氏物語)、

と、

不思議なこと、

の意や、

射手ども、けうのにぞ言ひあへりける(平家物語)、

と、

めったにないほど素晴らしいこと、

の意や、

御房は希有(けうの)事云ふ者かな(「今昔物語(1120頃)」)、

と、逆に、

(多く悪い事について)意外であること、とんでもないこと、

の意で使い、

正俊けうにしてそこをば遁れて鞍馬の奥に逃げ籠りたりけるが(平家物語)、

と、

やっとのことで、
九死に一生を得て、

と、かろうじて危地を脱した場合にも使う。この「けう」は、

「け」「う」は「希」「有」の呉音、

であるが、訛って、

けぶ、

ともいい、漢音の、

きゆう、

とも訓ます。「けう」は、

仏典を通じて受け入れられた語、

と見られるが、中世には、上述のように、「希有にして」「希有の命を生きる」のような慣用句が生じて、九死に一生を得るの意味で、軍記物語に多く用いられる(精選版日本国語大辞典)。

「けうがる」の、

「がる」は接尾語、

で、「希有」の意味から、

そこより水湧(わ)き出(い)づ。けうがりて、方二、三尺深さ一尺余ばかり掘りたれば(古本説話集)、

と、

珍しいことだと思う、
不思議に思う、

の意で使うが、室町時代、

きょうがる、

と発音されるに至り、

興がる、

と混同されて、

判官南都へ忍び御出ある事、けうがる風情(ふぜい)にて通らんとする者あり(義経記)、

と、

風変わりで興味深く感じる、
興味を覚える、

意で使うようになる(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)。その意味で、

残忍で面白半分な、

という上記の訳注は、かなりの意訳になる。

興がる、

は、

興がありの約まれる語なるべし、やうがりと云ふ語もあり、仮名本に多く、ケウガリと書けり(大言海)、
「興が有る」が変化して一語化したもの(精選版日本国語大辞典)、

などとあり、「興」を、

古き仮名文に、多くは、

けう、

と記し、だから、「きょうがる」も、

けうがる、

と表記する(大言海)ことからきた混同のように思える。

ただ、「興がる」は、

お前に参りて恭敬礼拝して見下ろせば、この滝は様かる滝の、けうかる滝の水(「梁塵秘抄(1179頃)」)、
けうがるかな。無証文事論ずるやうやはある(「明月記」建暦二年(1212)一一月一五日)、

と、

普通の在り方と異なる、
異常である、
風変わりである、
奇妙である、
常軌を逸している、
また、
予想と違う。意外である。普通と違っているので面白かったりあきれたりするさまである、

意や、

あやしがりて、すこしばかりかひほりて見に、そこよりみづわきいづ。けうがりて、ほう二三尺ふかさ一さくよばかりほりたれば(「古本説話集(1130頃)」)、

と、

不思議に思う、
あやしがる、

意や、

それそれ又ひかりたるはとおどしかけて興がりけるに(浮世草子・「武道伝来記(1687)」)、

と、

興味深く感じた気持を態度などに表わす、
おもしろがる、

意などで使うなど、

見なれぬことに面白がったり、意外さや不審さを抱いたりする、

意に用い、中世から近世初めには、

常識に反した突飛な言動を指して、

も用い、近世では、

とんでもないことの意で常軌を逸したことをなじる気持で使う、

例が多い(精選版日本国語大辞典)とあり、意味の上からも、表記の上からも、

希有がる、
と、
興がる、

とは重なるところが多いようである。

「希」 漢字.gif

(「希」 https://kakijun.jp/page/0778200.htmlより)


「希」(漢音キ、呉音ケ)は、

会意文字。「メ二つ(まじわる)+巾(ぬの)」で、細かく交差して織った布。すきまがほとんどないことから、微小で少ない意となり、またその小さいすきまを通して何かを求める意になった、

とある(漢字源)。別に、多少の異同はあるが、

会意。巾+爻(まじわる)で、目を細かく織った布を意味。隙間がほとんどないこと、即ち、「まれ」であることを意味。「のぞむ」は、めったにないことをこいねがうことから、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B8%8C

会意。布と、(㐅は省略形。織りめ)とから成り、細かい織りめ、ひいて微少、「まれ」の意を表す。借りて「こいねがう」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(爻+布)。「織り目」の象形と「頭に巻く布きれにひもをつけて帯にさしこむ」象形(「布きれ」の意味)から、織り目が少ないを意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「まれ」を意味する「希」という漢字が成り立ちました。また、「祈(キ)」に通じ(同じ読みを持つ「祈」と同じ意味を持つようになって)、「もとめる」の意味も表すようになりました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji659.htmlある。

なお、「興」(漢音キョウ、呉音コウ)は、「不興」で触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2023年02月01日

いらだかの数珠


僧、これを見て、「ぜひ真の姿を顕さずば、いでいて目に物みせん」とて、いらだかの数珠にて叩き給へば(諸国百物語)、

とある、

いらだかの数珠、

は、

玉が角ばっている数珠、木製、揉むと高い音を発する、修験僧の持つ物、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

いらだかの数珠.bmp

(いらだかの数珠 精選版日本国語大辞典より)

いらだかの数珠、

は、

いらたかの数珠、

ともいい、

苛高数珠、

と当て、

山臥大に腹を立て……澳(おき)行く船に立ち向かって、いらたか誦珠(シュス)をさらさらと押揉(おしもみ)て(太平記)、

と、

いらたか誦珠、

とも当て、「数珠」は、

珠数、

とも当て、

念珠(ねんじゅ)、

とも言い、

いらたか念珠、

ともいう。約して、

いらたかずず、
いらたか、

ともいう(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。また、「いらたか」は、

最多角、
伊良太加、
刺高、

などとも表記する(仝上)。

そろばんの玉のように平たく、かどが高くて、粒の大きい玉を連ねた数珠。修験者が用いるもので、もむと高い音がする、

とあり(仝上)、

通常は、数珠をもむときには音をたててはならないとされているが、修験道では悪魔祓いの意味で、読経や祈禱の際に、この数珠を両手で激しく上下にもんで音をたてる、

とある(世界大百科事典)。

「いらたか」は、

角が多い意(仝上)
高くかどばった意(精選版日本国語大辞典)、

とされるが、

もみ摺る音の高く聞こえることに由来する、

とする説(世界大百科事典)もある。しかし、これは後付け解釈ではないか。

「いらだか」は、

苛高、
刺高、

と当て、

いらたか、

とも訓ませる(デジタル大辞泉・岩波古語辞典)。

イラはイラ(刺)と同根、

とある。「いら」で触れたように、「いら」は、

刺(広辞苑・大言海・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
莿(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、

などと当て、

とげ、

の意と、

苛、

と当て、

苛立つ、
いらいら、
いらつく、

等々と使う、

かどのあるさま、
いらいらするたま、
甚だしいさま、

の意とがある(広辞苑)。この「いら(苛)」は、

形容詞、または、その語幹や派生語の上に付いて、角張ったさま、また、はなはだしいさま、

を表わし、

いらくさし、
いらひどい、
いらたか、

等々とつかわれる(精選版日本国語大辞典)とあり、

イラカ(甍)・イラチ・イラナシ・イララゲ(苛)などの語幹、

ともある(岩波古語辞典)ので、

苛、

と当てる「いら」は、

莿、
刺、

とあてる「いら」からきているものと思われる。

「いら」は多くの語を派生し、動詞として「いらつ」「いらだつ」「いらつく」「いららぐ」、形容詞として「いらいらし」「いらなし」、副詞として「いらいら」「いらくら」などがある、

とある(日本語源大辞典)。この「いら」の語源には、

イガと音通(和訓栞)、
イラは刺す義(南方方言史攷=伊波普猷)、
イタ(痛)の転語(言元梯)、

等々の諸説がある。ただ、

刺刺、

と当てる、

いらら、

という言葉がある(大言海)。平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、

木乃伊良良、

とあり、

草木の刺、

の状態を示す「擬態語」と考えると、

いら、

はそれが由来と考えていい。

『字鏡』には、

莿、木芒、伊良、

とある。「芒」(ぼう)は、

のぎ、

で、

穀物の先端、草木のとげ、けさき、

の意である(漢字源)。

どう考えても、「いら」の由来を「揉む音」とするのは無理筋ではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年01月31日

牛頭馬頭(ごずめず)


如来の庭(誓願時阿弥陀堂の前の庭)にて、とし四十ばかりなる女を、牛頭馬頭(ごずめず)の鬼、火の車より引き下ろして、いろいろ呵責して、又、車に乗せ(諸国百物語)、

の、

牛頭馬頭、

は、

地獄に居る牛頭、馬頭の鬼、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。因みに、「火の車」は「火車(かしゃ)」で触れたように、

火が燃えている車。生前に悪事をした亡者を乗せて地獄に運ぶ、

という。

牛頭馬頭(精選版日本国語大辞典).bmp

(牛頭馬頭 精選版日本国語大辞典より)


牛頭馬頭.jpg

(牛頭馬頭 広辞苑より)

「牛頭馬頭」の、

ごづめづ、

は、

何れも、字音の呉音なり、

とある(大言海・岩波古語辞典)。

「牛頭馬頭」は、『大智度論(だいちどろん)』『大仏頂首楞厳経(大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経 だいぶっちょうしゅりょうごんきょう)』、『十王経(じゅうおうぎょう)』などが出典で、牛頭は、

梵語gośīrṣa(ゴーシールシャ)、

馬頭は、

梵語aśvaśīrṣa(アシュヴァシールシャ)、

の漢訳語。

牛頭鬼馬頭鬼(ごずきめずき)、
牛頭獄卒馬頭羅刹(ごずごくそつめずらせつ)、

とも表記され、

中国では、

牛頭馬面、

ともいい(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E9%A6%AC%E9%A0%AD)、

牛頭馬頭等諸獄卒、手執器杖、駆令入山間(「往生要集(984~5)」)、

と、

手に鉄叉を持って罪人を突いたり焼いたりする地獄にいるとされる、最下級の獄卒(ごくそつ 冥卒 地獄で罪人を責めさいなむ鬼)、

で(世界大百科事典)、

頭が牛や馬の形で、からだは人間の形をしている、

ことからいうが、また、

地獄に落ちて、牛あるいは馬の頭の形をしている罪人、

をいうとするもの(阿毘曇論)もある(仝上)。「牛頭」と「馬頭」は、

衆合地獄、

と呼ばれる場所にいるとされるhttps://biz.trans-suite.jp/19131。仏教では、地獄には八相になる八大(八熱)地獄があり、その周りにはさらに16の小さな地獄があるとし、その十六小地獄のひとつに、

衆合地獄、

があり、その地獄には、

殺生や盗み、邪淫(じゃいん)の罪を犯した者だけが落ちる、

という。その衆合地獄で、

「牛頭」は手に棒を持ち、「馬頭」は「叉」(さ)と呼ばれる武器の一種を持って罪人を山へと追い立てます。するとその山と山の距離が縮まっていき、最後には山同士がくっつき、罪人たちは山に挟まれて骨が砕かれ血の海となる、

とある(仝上)。「八熱地獄」の「衆合地獄」については「衆合叫喚」で触れた。なお、

牛頭馬頭、

は、それをメタファに、

地獄の獄卒のように情け容赦のない人のこと、

を指す四字熟語になっている(学研 四字熟語辞典)。

ただ、「鬼」は、

鬼と言ふ語は、仏教の羅卒と混同して、牛頭ゴヅ・馬頭メヅの様に想像せられてしまうた(折口信夫「鬼の話」)、

とあるように、「」で触れたことだが、本来、

隠の古い字音onに母音iを添えた語。ボニ(盆)・ラニ(蘭)の類、

で、(岩波古語辞典)、

隠(おに)で、姿が見えない、

意(広辞苑)となり、和名類聚抄(平安中期)に、

鬼、和名於爾(おに)、或説云、穏字、音於爾訛也、鬼物隠而不欲顕形、故俗呼曰隠也、人死魂神也、

とあり、それを受けて、

和名抄二十一「四声字苑云、鬼(キ)、於爾、或説云、穏(オヌノ)字、音於爾(オニノ)訛也、鬼物隠而不欲顕形、故俗呼曰隠也、人死魂神也」トアリ、是レ支那ニテ、鬼(キ)ト云フモノノ釋ニテ、人ノ幽霊(和名抄ニ「鬼火 於邇比」トアル、是レナリ)即チ、古語ニ、みたま、又ハ、ものト云フモノナリ、然ルニ又、易経、下経、睽卦ニ、「戴鬼一車」疏「鬼魅盈車、怪異之甚也」、史記、五帝紀ニ、「魑魅」註「人面、獣身、四足、好感人」、論衡、訂鬼編ニ、「鬼者、老物之精者」ナドアルヨリ、恐ルベキモノノ意ニ移シタルナラム。おにハ、中古ニ出来シ語トオボシ。神代記ナドニ、鬼(オニ)ト訓ジタルハ、追記ナリ、

とあり(大言海)、

恐ろしい形をした怪物。オニということばが文献にあらわれるのは平安時代に入ってからで、奈良時代の万葉集では、「鬼」の字をモノと読ませている。モノは直接いうことを避けなければならない超自然的な存在であるのに対して、オニは本来形を見せないものであったが、後に異類異形の恐ろしい怪物として想像された。それには、仏教・陰陽道における獄卒鬼・邪鬼の像が強く影響していると思われる、

とある(岩波古語辞典)。漢字「鬼」の字は、

大きなまるい頭をして足元の定かでない亡霊を描いた象形文字、

で、中国語では、

おぼろげなかたちをしてこの世に現れる亡霊、

つまりは、

亡霊、

を指す。『漢字源』には、

中国では、魂がからだを離れてさまようと考え、三国・六朝以降は泰山の地に鬼の世界(冥界)があると信じられた、

とあり(漢字源)、やはり、仏教の影響で、餓鬼のイメージになっていった、と見られる。

牛頭馬頭 春日権現霊験記  (2).jpg

(牛頭馬頭(春日権現霊験記) 大辞泉より)


牛頭馬頭(地獄草紙).jpg

(牛頭馬頭(地獄草紙) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E9%A6%AC%E9%A0%ADより)

仏教の思想に基づく地獄の獄卒は、六朝以後の中国の小説類にも散見され、日本でも地獄の登場する説話や、地獄の様子を描いた『六道輪廻図』、『六道道』、『十王図』、『地獄草紙』などの絵画にその姿が描かれ、馴染みのイメージが形成されていったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E9%A6%AC%E9%A0%ADようである。

なお、剣道用語に、

牛頭馬頭(ごづめづ)、

があり、

牛の頭は大きく馬の頭は小さい、

意で、牛頭馬頭とは、

大技小技のこと、

で、剣道では、

大技だけでもいけないし、小技ばかりに偏しても駄目である。大技小技を織りまぜてやれという教え、

とある(剣道用語辞典)。意図はわかるが、本来の意味とはかけ離れていてこじつけに見える。

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2023年01月30日

行水


もはや帰り候。女体にて身けがれて有り、行水(ぎょうずい)させ給へ(諸国百物語)、

の、

行水、

とは、

行水を使う、
カラスの行水、

と使う、

暑中などに、湯や水を入れたたらいに入って、身体の汗を流し去ること、

という意(広辞苑)だが、

行水(こうすい)、

は、

天下之言性也、則故而已矣。故者以利爲本。所惡於智者、爲其鑿也。如智者若禹之行水也、則無惡於智矣。禹之行水也、行其所無事也(孟子)

と、

水をやる、水を治め通ずる、

意(字源)や、

輒使行水(梁・高僧伝)、

と、

神仏に祈る時。水を浴びて身を浄める、

意(仝上)の漢語である。

「鉢から手を離して」を意味する古代インド言語のパーリー語を漢訳する際、

手自斟酌。食訖行水(自ら手に水を汲み、食事の後に終えて手を洗うこと)、

と訳され、

行水、

の字が当てられ(語源由来辞典)、ここから、潔斎のために清水で体を洗い清める行の意味で用いられ(仝上)、

修行人の行(ギヤウ)をするに、身を清むることより起これる語なり、水は湯水なり、水風呂も、湯水風呂なり、

となり(大言海)、

朝行水、念誦(ねんじゅ)の後、角殿へ参る(明月記)、
…講始也、……先是、行水、装束了(仝上)、
先帝をば、法皇になし奉るべしとて、……毎朝の御行水をめして(太平記)、

等々と、

神事や仏事などの前に、きよらかな水で身体を清めること、

つまり、

潔斎(けっさい)するに湯浴みすること、

の意で使い、転じて、

ただ湯を盥に盛りて、身の汗などを洗い拭ふこと、

の意となる(仝上)。湯ではなく水の行水を、

みづきぎゃうずゐ、

という(仝上)らしい。

行水(歌川国貞(三代歌川豊国)「風流十二月ノ内 水無月」).jpg

(行水(歌川国貞(三代歌川豊国)「風流十二月ノ内 水無月」) https://www.kumon.ne.jp/kumonnow/topics/vol404/より)

「行水」は、古くは、

宗教的な意味から、穢(けがれ)をはらうため水浴をしてこれを禊(みそぎ みそそぎ)といい、行を行う前提としての精神的浄化行為であった、

とある(日本大百科全書)。これが祭事前の潔斎となり、平安時代には、

行水、

とよび、滝に打たれることなどもその一種であった(仝上)。単に、手を洗い、口をすすぐのみでも、

行水、

と称されることもあったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E6%B0%B4ともある。中世には現代の意味が生じ、江戸時代以降、一般家庭でもたらいなどに湯や水を入れて沐浴をすることが普及し、水上生活者のために小舟に据風呂(ぶろ)を設けた、

行水船(ぎょうずいぶね)、

も現れた(仝上・広辞苑)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2023年01月29日

篳篥(ひちりき)


西の方より、三尊(さんぞん)、その外廿五の菩薩たち、笙、篳篥(ひちりき)、管弦にて、光を放って来迎ありければ(諸国百物語)、

の、

笙、篳篥(ひちりき)、管弦、

は、

笙、篳篥(ひちりき)とも古代の吹奏楽器、管弦は絃楽器、管楽器の総称、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「管楽器」としては、

竜笛(りゅうてき)、
高麗笛(こまぶえ)、
神楽笛(かぐらぶえ)

等々の、

笛(ふえ)、

の他、

篳篥(ひちりき)、
笙(しょう)、
古代尺八(雅楽尺八)、

などがあり、「絃楽器」としては、

箏(そう・しやう)、

があるhttps://www.geidankyo.or.jp/12kaden/entertainments/instrument.html

箏(そう).jpeg


「箏」は、

箏の琴(しやうのこと)、

とよばれる(シヤウは呉音、サウノコトとも)、

十三絃琴、

である(岩波古語辞典)。

「笙(しょう)」は、

笙の笛、

ともいい(シヤウは呉音、サウノフエとも)、

いい(岩波古語辞典)、

その形が翼を立てて休んでいる鳳凰に見立てられ、別名、

鳳笙(ほうしょう)、

とも呼ばれhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%99

木製椀型の頭かしらの周縁に、長短17本の竹管を環状に立て、うち2本は無音、他の15本それぞれの管の外側または内側に指孔、管の脚端に金属製の簧(した)がある。頭にある吹口から吹き、または吸って鳴らす、

もので、

単音で奏する本吹の法(催馬楽さいばらや朗詠の伴奏などに用いる)、
と、
6音または5音ずつ同時に鳴らす合竹あいたけの法(唐楽の楽曲に用いる)、

とがある(広辞苑)。「笙」(呉音ショウ、漢音セイ、唐音ソウ)は、

鼓瑟吹笙、吹笙鼓簧(詩経)、

とあるように、

この字も楽器も、奈良時代、雅楽とともに伝わってきたものである(広辞苑)。

笙.bmp

(「笙」 広辞苑より)


笙を吹く源義光を描いた『足柄山月』.jpg

(笙を吹く源義光を描いた『足柄山月』(月岡芳年「月百姿」) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%99より)

「篳篥(ひちりき)」は、

推古朝末期に中国より伝来、

し(広辞苑)、

大小の篳篥があった、

とされるが、平安中期からは、小篳篥のみ奏され(仝上)、

小は長さ6寸(約18.2センチメートル)の竹管の表に7孔、裏に2孔をあけ、その間に樺かばの皮を巻き、上端に蘆製の舌(蘆舌ろぜつ)を挿入する。舌の中途に籐でつくった帯状の責せめをはめて、音色・音量を調節し、縦にして吹く、

とある(仝上)。雅楽の、

主要旋律楽器、

で、初め唐楽、のち高麗楽および東遊などの日本古来の楽舞や催馬楽・朗詠に至る各種の歌曲の伴奏にも用いられる(仝上)。原名は、

悲篥、

とあり(大言海)、

其聲、悲壮なれば名とすと云ふ、

とある(仝上)。

篳篥(ひちりき).png


した」で触れたことだが、雅楽器の笙(しやう)・篳篥(ひちりき)などの竹管のそれぞれのもとにつけられている廬舌(ろぜつ)、つまりリードと呼ぶ吹き口から息を吐きまた吸って、振動させる、

のを、特に、

簧の字をしたとよむ、笙篳篥に通ずる歟(「塵袋(1264‐88頃)」)、
宇殿の芦名物にて、ひちりきの舌にもちゆ(「謡曲拾葉抄(1741)」)、

などとあるように、

簧、

と当て(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、和名類聚抄(平安中期)に、

簧、俗云之太、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

簧、シタ、笙舌、

色葉字類抄(1177~81)に、

簧、シタ、中舌也、於管頭、横横施其中也、

とある。

「篳」 漢字.gif


「篳」(漢音ヒツ、呉音ヒツ)は、

会意兼形声。「竹+音符畢(ヒツ びっしりと締めつける、とじる)」

とある(漢字源)。「葦簀(よしず)」の意味で、「篳篥」の、

乾燥した蘆(葦、あし)の管の一方に熱を加えてつぶし(ひしぎ)、責(せめ)と呼ばれる籐を四つに割り、間に切り口を入れて折り合わせて括った輪をはめ込む、

という製法https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%B3%E7%AF%A5を考えるとうなづける。

「篥」 漢字.gif


「篥」(漢音リツ、呉音リチ、慣用リツ)は、

会意兼形声。「竹+音符栗(リツ 肌を刺す栗の毬)」、

とある(漢字源)が、「篳篥」にしか使われていない(仝上・字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2023年01月28日

女﨟


二八ばかりなる女﨟(じょろう)、薄絹にかぶりを着し、はなやかに出で立ち(諸国百物語)、
年の頃十八、九ばかりなる、女﨟(じょろう)、肌には白き小袖、上には惣鹿子(そうかのこ 全体を鹿子絞(かのこしぼり)にした着物)の小袖を着て、練りのかづきにて(仝上)、

の、

二八ばかりなる女﨟、

は、

十六歳くらいの貴婦人、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「女﨟」は、

じょうろう、

とも訓ませるが、この場合は、

上臈女房、
上女房、

の意とみていい。「女﨟」の「﨟」は、「らふたく」で触れたように、

臘、

が正字とあり(字源)、

﨟、
臈、

は俗字(仝上・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%87%88)で、

唐代、7、8世紀の『干禄字書(かんろくじしょ)』に、

臘、俗作﨟、

とある。「臘」は、古代中国の、

冬至後、第三戌の日の祭、転じて年の意となる、

とある(大言海)。それを、

臘祭(蜡祭)、

といい、

その年に生じた百物を並べまつって年を送る祭、

とあり、

臘月(ろうげつ)、

と、

臘祭は年末に行ふ、故に陰暦十二月の異名、

でもある(漢字源)。「臘」は、

年の意、

に転じて、

我生五十有七矣、僧臘方十二(太平廣紀)、

とあるように、

僧臘(そうろう)、
法臘(ほうろう)、
夏臘(げろう)、
戒臘(かいろう)、

などと、

僧の得度以後の年数を数ふる、

にいう(字源・漢字源・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%98)。

出家する者、髪を剃り受戒してより、一夏九旬の閒、安居(あんご)勤行(ごんぎょう)の経るを云ふ、これを、年﨟、法﨟、僧﨟、戒﨟などといふ、僧の位は受戒後の﨟の數に因りて次第す、之を﨟次(らふじ)と云ふ(僧の歳を記するに、俗年幾許、法臘幾許と云ふ、臘は安居の功(安居の功は、陰暦4月16日から7月15日までの3か月間の修行、この期間を一夏(いちげ)という)より數ふ)、又、在俗の人にも、年功を積むことに称ふ。極﨟(きょくろう・ごくろう)、上﨟、中﨟、下﨟と云ふは、上位、中位、下位と云ふが如し、

とあり(大言海・デジタル大辞泉)、そこから、身分の高きを、

上﨟、

といい、さらに、転じて、

女房の通称、

として、

二位、三位の典侍、

をいい、公卿の女を、

小上﨟、

と云ふ(大言海)とある。「女房」は、

「房」は部屋、

の意で、

宮中・院中に仕える女官の賜っている部屋、

の意味から、

一房を賜っている高位の女官、

で、

上﨟・中﨟・下﨟の三階級、

がある。その意味で、「﨟」は、年功を積んで得た、

序列、
階級、
地位、

の意味に転じ、

すぐれた御﨟どもに、かやうの事はたへぬにやありけむ(源氏物語)、

と、

年功のある人、

の意でも使う(広辞苑・岩波古語辞典)。

だから、

上臈女房、

の意である「女﨟」は、

身分や地位の高い貴婦人、

の意となる。

「上﨟」(じゃうらふ・じょうろう)は、元来、

僧侶の夏安居(げあんご)修行の回数を数える、

「﨟」から、

修行の年数を多く積んだ僧、年功を積んだ高僧、

の意から、

右衛門督殿(うゑもんのかみどの)の上(かみ)に着き給ふ上﨟は一人もおはせざりつるものを(平治物語)、

と、

地位・身分の高い人、

の意に転じ、

あるなかの上﨟なれど、おほやけに世をしづめ、久しう仕うまつりたる人の女なり(宇津保物語)、

と、

上女房の略、
身分の高い女性、貴婦人、

の意となり、具体的には、

二位・三位の典侍(ないしのすけ)や大臣の女、

を指し(世界大百科事典)、江戸時代は、

大奥に仕えた上級の御殿女中をさす職名、

となった(大辞泉)が、

わかい上﨟のおやさしい、年寄りと思し召し、嫁子もならぬ介抱(浄瑠璃「冥途の飛脚」)、

と、単に、

女性、特に、若い女性、

を指しても使い、はては、

われあまた上﨟を持ちて候ふ中に(謡曲「班女」)、

と、

遊女、
女郎、

の意でも使う(広辞苑・大辞泉)。この場合、

女郎(ぢょらう)、

と当てるのではないか。この「女郎」は、

上﨟(じゃうらふ)

女﨟(じゃうらふ・じょらふ)、

上郎(じょらふ)

女郎(ぢょらう)、

と転訛したもので、

ジョロー、

の発音は江戸初期には行われており、遊女の

女郎、

も、貴族の、

上﨟、

も、一時期、

ジョーロー、
ジョロー、

の両方が使われ(日本語源大辞典)、「上﨟」から「女郎」に到る過渡期には、

内裏上﨟、

を、

内裏女郎、

と表記した例もある(仝上)。「女郎」の表記が定着したのは江戸初期である(仝上)。だから「女郎」にも、

日の目も遂に身給わぬ女郎達や御端(はした)也(西鶴「好色一代男」)、

と、

身分の高い女性、

の意で使う例がある(岩波古語辞典)。この「女郎」の語源は、

女童(メハラハ)をメロと約して、女郎の字を当てて、音読セル語ナラム(大言海)、
メラ、メラハ、ワラハなどに当てた女郎の字音ヂョラウから(俚言集覧)、

とあるところから見ると、

女郎、

は、「女児」を指した語のようである。

「中﨟(ちゅうろふ)」は、

臈(修行の年数)の多少によって上・中・下に分けた、中の位の僧、

の意だが、

官位の中位の者、

を指し、具体的には、

中﨟、内侍(ないし 内侍司(ないしのつかさ)の女官。特に掌侍(ないしのじょう)の称)外不着織物類也、是昔號命婦、侍臣女已下也、諸太夫両家子、醫陰陽道等猶號中﨟(禁秘御抄)、

と、

掌侍の称、

で、

小上﨟の下、下﨟の上にあるもの、即ち、内侍、にあらざる侍臣已下の女をいう、

とある(大言海)のは、

上﨟は公卿の家の娘がなるのが例であり、稀に摂家出身の女房が存在した場合には大上﨟(おおじょうろう)と呼ばれ、その他の上﨟である小上﨟(こじょうろう)とは区別された、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%EF%A8%9Fところによる。中﨟は五位以上、下﨟は六位官人か社家(しゃけ 代々特定神社の奉祀を世襲してきた家(氏族)のこと)出身の女性が就くこととされていた(仝上)。

なお、「中﨟」は、江戸時代、

江戸幕府の大奥の女官、武家大名の女中、

を指すようになる(広辞苑)。

「下﨟(げらふ)」

臈(修行の年数)が少ない僧、

の本来の意から、

おなじ程、それより下﨟の更衣たちは、まして安からず(源氏物語)、

と、

年功を積むことが浅くて地位の低いこと、また、その人、

を指したり、

下﨟女房(げろうにょうぼう)の略、

で使い、下位の意味から、

下﨟なれども都ほとりといふ事なれば(大鏡)、

と、

下衆、
下種、
下郎、

の意で使うに至る(岩波古語辞典)。

「﨟」 漢字.gif

(「﨟」 https://kakijun.jp/page/EE59200.htmlより)

「臈(﨟・臘)」(ロウ)は、「らふたく」で触れたように、

会意兼形声。巤は、動物のむらがりはえた頭上の毛の総称で、多く集まる意を含む。臘はそれを音符とし、肉を添えた字で、百物を集めてまつる感謝祭である、

とある(漢字源)。

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2023年01月27日

かづき


二八ばかりなる女﨟(じょろう 十六歳くらいの貴婦人)、薄絹にかぶりを着し(諸国百物語)、

の、

かぶり、

は、

頭に被るもの、

の意(高田衛編・校注『江戸怪談集』)だが、

上には惣鹿子(そうかのこ 全体を鹿子絞(かのこしぼり)にした着物)の小袖を着て、練りのかづきにて(仝上)、

の、

練りのかづき、

の、

練り絹で作った被き物、上から冠る着物、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)のと同じ意味かと思う。

衣被き.jpg

(衣被(きぬかづき) 広辞苑より)

衣被.bmp

(衣被(きぬかづき) 大辞林より)

かづき、

は、

かつぎ(かずき)、

ともいい、

「かぶる」意の動詞「かづ(ず)く(被)」の連用形の名詞化、

で(精選版日本国語大辞典)、本来は、

かづき、

で、後世「かつぎ」と転訛した(仝上)。「かづく」は、

かづく(潜)と同根(岩波古語辞典)、
頭突(かぶつ)くの約か、額突ぬかつ)く、頂突(うなづ)くの例(大言海)、

などとあり、

すっぽりと頭に被る、

意である。

つぼ折」で触れたように、「かづき」は、

かづく衣服であるので、

被衣、
被き、

と当て、

女子が外出に頭に被(かづ)く(かぶる)衣服、

のことだが、平安時代からみられ、女子は素顔で外出しない風習があり、衣をかぶったので、

その衣、

を指し、多く単(ひとえ)の衣(きぬ)が便宜的に用いられ、

衣かずき(衣被き・被衣)、
きぬかぶり(衣被り)、

ともよばれた。なお、この衣は腰のあたりで帯で結ぶ場合もあり、ただ手で前につぼねることもあって、これに市女笠(いちめがさ)をかぶった姿を、

壺装束(つぼしようぞく)、

と称したことは「つぼ折」で触れた。

日本では上代において、

おすひ(襲)、

という被り物があり、

上代の上着の一種。長い布を頭からかぶり、全身をおおうように裾(すそ)まで長く垂らしたもの、

で(学研全訳古語辞典)、男も女もともにこれをかぶりはおったことがあったので、「かづき」も、もこうした風習のなごりであろう(世界大百科事典)とある。

元来は、

袿(うちき)、

をそのままかずき、漸次背通りより襟を前に延長して、かずき易いように仕立てるのを常とした(広辞苑)。「袿」については「小袿(こうちき)」で触れた。

室町時代から小袖(こそで)を用いるようになると、これを、

小袖かづき、

といい、武家における婚礼衣装にも用いられた(仝上)とある。近世、宮中でも、小袖形式になり、紺絽(ろ)に白、紺、縹(はなだ)の三色の雁木(がんぎ)形段文様とされ、

御所かづき(被衣)、

と称し、民間の上流階級では、色も文様も自由なものを用い、

町かづき(被衣)、

とよびhttp://www.so-bien.com/kimono/syurui/kazuki.html、衿肩あきを前身頃に9cmほど下げて、頭にかぶりやすいような形に仕立て、着方は、頭の両脇を内側から手で支えた(仝上)。ただ、慶安四年(1651)、浪人がこの、

被衣姿、

で老中を暗殺しようとした『由井正雪の乱』以降、宮中以外の女性のかぶり物は禁止され、これにより、結髪と髪飾りが発達した(仝上)とある。しかし、『昔々物語』(元禄二年(1689)、『八十翁疇昔話』)には、

明暦の頃まで針妙腰元かつぎを戴きありきしに、万治の頃より江戸中かづき透(すき)と止み、酉年大火事以後より此事断絶に及びしなり、

とあり、江戸時代後期の随筆『嬉遊笑覧』には、

昔は後世の如くかつぎとて別につくりしにはあらずと見ゆ。もと常服を着たりしたるべし、

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。

被衣(『春日権現霊験記』) 小袖の被衣をはおった女.jpg

(「小袖被衣(かづき)」(春日権現霊験記) 小袖の被衣をはおった女(中央) 日本大百科全書より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2023年01月26日

火定(かじょう)


汝、早く此の娑婆を立ちさりて、火定(かじょう)に入るべし。その時来迎して、西方へ救ひとらん(諸国百物語)、

とある、

火定(かじょう)、

は、

火中禅定、

ともいい、

自ら焼身して、弥陀の世界にはいること、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

火化、

ともいう(広辞苑)。

「西方」とは、いうまでもなく、

西方浄土、

の意である(仝上)。「禅定」で触れたように、

本来、

禅に同じ、

とある(岩波古語辞典)。「禅」は、

梵語dhyānaの音写、

とされ、その音訳、

禅那の略、

で(大言海)、

静慮、定・禅定などと訳す、

とある(岩波古語辞典)。つまり、「禅定」には、

禅と定、

の意味が重なっているらしく、

「禅」と「定」の合成語、

とあり(精選版日本国語大辞典)、「禅定」は、

dhyānaの訳語であるが、また、dhyāna を音訳した「禅那」を略した「禅」を「定」と合成したもので、「定」はもとsamādhi の訳語で、心を一つの対象に注いで、心の散乱をしずめるのが「定」、その上で、対象を正しくはっきりとらえて考えるのが「禅」、

とある(仝上)。「定」と訳すSamādhiは、「三昧」で触れたように、「三昧」とも訳されたりする。「禅定」は、

心を一点に集中し、雑念を退け、絶対の境地に達するための瞑想、また、その心の状態、

をいい(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

禅定に入る、

という言い方をする(仝上)が、

如来。無礙力無畏禅定解脱三昧諸法皆深成就故。云広大甚深無量(法華義疏)、

と、

散乱する心を統一し、煩悩の境界を離れて、静かに真理を考えること、

である(岩波古語辞典)。

入定(にゅうじょう)三昧、

ともいう(大言海)。「入定」は、

禅定(ぜんじょう)の境地にはいること、

をいう。

これは、大乗仏教の修行法である、

六波羅蜜の第五、

また、

三学(さんがく 戒・定・慧)の一つ、

である(精選版日本国語大辞典)とされ、仏道修行の、

三学、
六波羅蜜、

の一つとされる。「三学(さんがく)」は、

仏道修行者が修すべき三つの基本的な道、

つまり、

戒学(戒学は戒律を護持すること)、
定学(精神を集中して心を散乱させないこと)、
慧学(煩悩を離れ真実を知る智慧を獲得するように努めること)、

をいう。この戒、定、慧の三学は互いに補い合って修すべきものであるとし、

戒あれば慧あり、慧あれば戒あり、

などという(仝上・ブリタニカ国際大百科事典)。この三学が、大乗仏教では、基本的実践道である六波羅蜜に発展する。

火の中に身を投げ入れて死ぬこと、

とある、

火定、

に対して、

仏道修行者がみずから穴を掘り、土中に埋もれながら入定(にゅうじょう)すること、

を、

土定(どじょう)、

といい、

極楽往生を信じ、みずから海や川に身を投じて死ぬこと、

を、

水定(すいじょう)、

という(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

入定(にゅうじょう)、

は、上述したように、

禅定(ぜんじょう)の境地にはいること、

つまり、

心を統一集中させて、無我の境地にはいること、

だが、その意味を敷衍して、

大師の御入定の様を覗き見奉らせ給へば(「栄花物語(1028~92頃)」)、

と、

高僧の死、

をもいう(仝上)。

入定、

の対が、

禅定(ぜんじょう)から、もとの平常の状態にもどること、

で、

出定(しゅつじょう)、

という(仝上)。

「火」 漢字.gif

(「火」 https://kakijun.jp/page/0468200.htmlより)


「火」 甲骨文字・殷.png

(「火」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%81%ABより)

「火」(漢音呉音カ、唐音コ)は、

象形、火が燃えるさまを描いたもの、

で(漢字源)、転じて「燃える」、「焼く」こと。更に転じて「火災」のこと(角川新字源)とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年01月25日

三尊


西の方より、三尊(さんぞん)、その外廿五の菩薩たち、笙、篳篥(ひちりき)、管弦にて、光を放って来迎ありければ(諸国百物語)、

の、

三尊、

は、

さんそん、

と訓ませると、

3人の尊ぶべきもの、

つまり、

君と父と師、

の意となる(広辞苑・大言海)。天治字鏡(平安中期も漢和辞書)には、

三尊者、父、師、君也、

和名類聚抄(平安中期)には、

師、徐廣雑記云、人有三尊、非父不生、非師不學、非君不仕、故曰三尊也、

とある。

さんぞん、

と訓ませると、

佛家にて、中尊(ちゅうそん 中央に立つ尊像。左右に脇士を従え、まん中に立っている仏像)の左右の二挟侍(きょうじ 脇侍)との称、

で、

阿弥陀如来と観音、勢至の二菩薩(阿弥陀三尊)、
釈迦如来と文殊、普賢の二菩薩(釈迦三尊)、
薬師如来と日光天、月光天(薬師三尊)、

との如き、とある(大言海・広辞苑)。因みに、上記の、

二十五菩薩、

とは、

仏遣二十五菩薩、常守護行人(「往生要集(984~85)」)、

と、

阿彌陀仏を念じて極楽往生を願う者を守護し、その臨終の時には迎えに来るという二五の菩薩、

をいい、すなわち、

観音・勢至・薬王・薬上・普賢・法自在・師子吼(ししく)・陀羅尼・虚空蔵・徳蔵・宝蔵・山海慧(さんかいえ)・金蔵・金剛蔵・光明王・華厳王・衆宝王・日照王・月光王(がっこうおう)・三昧王(ざんまいおう)・定(じょう)自在王・大自在王・白象王・大威徳王・無辺身、

の菩薩を指す(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

三尊像(おもな中尊と脇侍の組合せ).jpg

(三尊像(おもな中尊と脇侍の組合せ) 日本大百科全書より)

釈迦三尊(しゃかさんぞん)、

は、

釈迦如来像を中尊とし、その左右に両脇侍(きょうじ)像を配した造像・安置形式、

を称するが、両脇侍として配される尊像の種類は一定ではなく、

文殊菩薩と普賢菩薩、
梵天と帝釈天、
薬王菩薩と薬上菩薩、
金剛手菩薩と蓮華手菩薩、

などの例があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6%E4%B8%89%E5%B0%8Aとあるが、日本では左脇侍(向かって右)に騎獅の文殊菩薩、右脇侍(向かって左)に乗象の普賢菩薩を配する例が多い(仝上)。法隆寺金堂に安置されている釈迦三尊像(国宝)の脇侍は寺伝では、

薬王菩薩、
薬上菩薩、

と称しており、興福寺の中金堂の本尊釈迦如来の脇侍像(鎌倉時代、重要文化財)も、

薬王菩薩、
薬上菩薩、

と呼ばれている(仝上)とある。

釈迦三尊像(国宝、法隆寺金堂).jpg

(釈迦三尊像(法隆寺金堂) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6%E4%B8%89%E5%B0%8Aより)

方広寺の釈迦三尊像は、釈迦如來を中心に、

向かって右に文殊菩薩(左脇侍)、左に普賢菩薩(右脇侍)、

が並ぶhttp://www.houkouji.or.jp/shakasanzonzou.html

釈迦三尊像(方広寺).jpg

(釈迦三尊像(方広寺) http://www.houkouji.or.jp/shakasanzonzou.htmlより)

阿弥陀三尊(あみださんぞん)、

は、『無量寿経』『観無量寿経』をもとに、

阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を配する仏像安置形式、

で、観音菩薩は、

阿弥陀如来の「慈悲」をあらわす化身、

勢至菩薩は、

「智慧」をあらわす化身、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E4%B8%89%E5%B0%8Aとある。

木造阿弥陀如来及両脇侍像.jpg

(木造阿弥陀如来及両脇侍像(浄土寺)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E4%B8%89%E5%B0%8Aより)

薬師三尊(やくしさんぞん)は、

薬師如来を中尊とし、日光菩薩を左脇侍、月光菩薩(がっこうぼさつ)を右脇侍とする三尊形式、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E4%B8%89%E5%B0%8A、薬師寺の金堂本尊像は、日本における薬師三尊像の古例であるとともに、最高傑作の一つとされる(仝上)。

薬師三尊 薬師寺旧金堂 .jpg

(薬師三尊(薬師寺旧金堂) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E4%B8%89%E5%B0%8Aより)

この他に、

左右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制吒迦童子(せいたかどうじ)を配した

不動三尊(ふどうさんぞん)、

中尊に弥勒如来(弥勒菩薩が釈尊寂滅後5億7千6百万年のちに悟りを開いた姿)、右脇侍(向かって左)大妙相(だいみょうそう)菩薩、左脇侍(向かって右)法苑林(ほうおんりん)菩薩を配した、

弥勒三尊、

等々がある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年01月24日

すごろく


存生(ぞんじょう)のとき、かの腰元と、つねづね双六(すごろく)を好きて、うたれしが(諸国百物語)、

とある、

双六、

は、

盤双六、

を指し、

当時の双六は、貴人の遊びで、双六盤に二人が向い合い、相互に筒に入れた二個の采(さい)を振り出し、出た采の目によって、自分の駒を相手の陣営に進める遊び、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、古い形の、

バックギャモンhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%A2%E3%83%B3

の一種で、

盤上に白黒一五個ずつの駒(コマ)を置き、筒から振り出した二つの采(サイ)の目の数によって駒を進め、早く敵陣にはいった方を勝ちとする、

とある(大辞林)。「双六盤」は、

中間に横に1条の間地を設け、縦に左右各12の長方形の地を設けたもの。厚さ4寸、縦8寸、横1尺2寸を一つの規準とするほか、大きさは一定しない、

とある。采筒は、

長さ10センチメートル、

で、二個の采の目には慣用の呼称があり、同じであった場合、

重一(でっち)、
重二(じゅうに)、
朱三(しゅさん)、
朱四(しゅし)、
重五(でっく)、
畳六(じょうろく)、

等々と呼ぶ(日本国語大辞典)とある。日本には、

武烈(ぶれつ)天皇時代(6世紀初め)に朝鮮半島を経由して渡来した、

とも、

遣唐使吉備真備(きびのまきび)が天平七年(735)に唐土からもたらした、

とも言われ、『日本書紀』持統紀に、

三年(689)十二月丙辰、禁断雙六(すごろくをきんだんす)、

と禁令が発せられており、すでに賭博の具として流行していたことされる(日本大百科全書)。

平安時代は、

上手が黒、

江戸時代は、

上手が白とされたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%94%E3%82%8D%E3%81%8Fとある。中古以来、賭博(トバク)として行われることが多かったが、文化文政時代には衰微していた(仝上)。

なお、「とばく」、「ばくち」については前に触れた。

双六盤.jpg

(双六盤 広辞苑より)


双六.bmp

(盤すごろく 大辞林より)

すごろく、

には、由来の異なる、

盤双六、
と、
絵双六、

とがあり、「盤双六」は、

エジプトまたはインドに起こり、中国から奈良時代以前に伝わった、

が(大辞林)、「絵双六」は、盤双六の影響を受けて発達した遊戯で、

紙面を多数に区切って絵を描いたものを用い、数人が順にさいを振って、出た目の数だけ区切りを進み、早く最後の区切り(上がり)に達した者を勝ちとする遊び、

で、

回り双六、
と、
飛び双六、

とがある(大辞泉)が、

かなり早い段階で(賭博の道具でもあった)盤双六とは別箇の発展を遂げていった、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%94%E3%82%8D%E3%81%8F、最古のものとされる浄土双六は、

絵の代わりに仏教の用語や教訓が書かれており、室町時代後期(15世紀後半)には、

浄土双六、

が遊ばれていたとされる。江戸時代の元禄年間には、

道中双六、
野郎双六(芝居双六)、

等々絵入りの双六が遊ばれるようになり、後期になると勧善懲悪や立身出世などのテーマ性を持ったものや浮世絵師による豪華な双六も出現した(仝上)が、近代以降は特に正月の子供の遊びとなる(広辞苑)。

新版御府内流行名物案内双六.jpg

(『新版御府内流行名物案内双六』(歌川芳艶) 江戸の名店や食べ物など、当時の名物をちりばめた絵双六 日本大百科全書より)


しんせん工夫双六.jpg

(『しんせん工夫双六』(浅草、御殿山、王子など、江戸の名所を題材とした円形の絵双六) 日本大百科全書より)

「すごろく」の語源は、

すぐろくの転(岩波古語辞典)、

とあり、

中世以前はスグロクの語形が一般的であったが、のちにスゴロクに転じた、

とある(日本語源大辞典)。

「すぐ」は「双」の古い字音(sung)を写したもの、

とある(日本国語大辞典・岩波古語辞典)が、

唐音ならむ(大言海)、
朝鮮語のサグロクから転訛したもの(日本大百科全書)、

ともある。漢語では、

雙六(そうりく)、

と呼び、

雙陸に同じ、

とある(字源)。

天竺に出て、婆羅塞戯と名づく、支那に入り、初、六箸を投じ、白棊(ゴ)、黒棊、各、六を行(ヤ)る、故に、名とす。又、二つの盤に、六の目の雙び出たるを勝とするより、名ありとも云ふ、

とある(大言海)。『涅槃経(ねはんぎょう)』には、

波羅塞戯(ばらそくぎ)、

とあり(日本大百科全書)、これを嚆矢とするとする説である。

「雙」 漢字.gif

(「雙」 https://kakijun.jp/page/99D4200.htmlより)

「双」  漢字.gif

(「双」 https://kakijun.jp/page/0436200.htmlより)

「双(雙)」(ソウ)は、

会意。雙は、「隹(とり)+隹+又(ユウ 手)」で、二羽ひとつがいの鳥を手で持つことを指す。双は、又(て)を二つ書いた略字、

とある(漢字源)。別に、

隹一つが一羽の鳥を手に持つのに対して、二羽の鳥を手で持つことから、一つがいの鳥の意。転じて、対になるものの意に用いる、

とある(角川新字源)。

会意文字です(隹+隹+又)。「2羽の尾の短いずんぐりした小鳥」の象形と「右手」の象形から、2羽の鳥を手にする事を意味し、そこから、「ふたつ」、「ペア(2つで1組のもの)」を意味する「双」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1713.html

「六」 漢字.gif

(「六」 https://kakijun.jp/page/0421200.htmlより)

「六」は、「六道四生」で触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2023年01月23日

松明


平野海道を、もどりけるに、弓削のかたより、大いなる明松(たいまつ)をともして来る(平仮名本・因果物語)、

にある、

明松(たいまつ)、

は、普通、

松明、
炬、

などと当て(広辞苑)、

炬火、
松炬(しょうきょ)、

などともいい(大言海)、

ついまつ、
しょうめい(松明)、
たてあかし、
たきあかし、
ともしび、
うちまつ、
続松(ついまつ)、

あるいは、略して、

まつ、

ともいい(仝上・広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

松のやにの多い部分や竹・あしなどをたばね、火をつけて照明に用いたもの、

をいう(広辞苑)。「松明(しょうめい)」は、

松明夜當燈(載石屛)、

と、漢語で、

松の木の心の油のあるものをもやすをいふ、

とあり(字源)、

忽然白蝙蝠、來樸松炬明(皮日休、入林屋堂詩)、

と、

松炬(しょうきょ)、

ともいう(仝上)。「たいまつ」で触れたように、

松明(しょうめい)は、通鑑、唐肅宗紀、註「松枯而油存、可燎之為明」という語句アリ、正字通「滇人以松心為炬、號曰松明」、

とある(大言海)。

たいまつ.bmp

(たいまつ 精選版日本国語大辞典より)

「たいまつ」は、

松明(まつほ)にて作れる炬火、

で(仝上)、「炬火」は、

「炬」は、かかげる火の意、

である。「炬火」は、

こか、

とも訓ませ、

たいまつの火、

の意(広辞苑)だが、

薪を束ねて立てて火を点じ、灯火とするもの、

で、

たてあかし、

ともいい、どちらかというと、

かがりび、

に近くなる(精選版日本国語大辞典)。「たてあかし」は、

立明、
炬火、

とあて、

庭上に人々をならべ、かかげ持たせて照明とした松明(たいまつ)、

をいうが、また、

庭上に立てて用いる松明、

とあり(仝上)、これが、

炬火(こか)、

あるいは、

たちあかし、
あるいは、
たてあかし、

で、

炬火(きょか)、

が、

たいまつ、

になるが、「きょか(炬火)」を、

たいまつ、
かがり火、

と並べるもの(広辞苑)もあり、あまり厳密とは思えないが、平安時代には、「たいまつ」は、単に、

まつ、

とも言い、庭上で立てて使う場合は、

たてあかし、
たちあかし、

とも呼んだ(日本語源大辞典)。また、

ついまつ(続松)、

と記した例も多く、両者は同じように使われていたらしい。鎌倉・室町時代になると、

まつび、
まつあかし、
あかしまつ、

などと新しい呼び名も生まれる(仝上)、とある。確かに、和名類聚抄(平安中期)は、「たてあかし」を、

炬火、太天阿加之、束薪灼之、

とし、「たいまつ」は、

松明者、今之續松乎、

と区別している。ついでながら、「続松」(ついまつ)は、

つぎまつ、
つきまつ、

とも訓み(平安末期『色葉字類抄』)、

松を続けて燃やす意の「つ(継)ぎまつ(松)」のイ音便(学研全訳古語辞典)、
つぎまつの音便、續松明(つぎたいまつ)の略と云ふ(大言海)、

などとあるが、どうも本来は、

松明の燃え尽きんむとする時、続ぎ足すべく用意する松明の名ならむ、

とある(江家次第・大言海)。ただ、古来マツはひで(脂の多い根)を裂いて台上で燃やしたり、松脂をこねて蝋燭にして照明にし、平安時代の、続松(ついまつ)も、

松脂蝋燭、

らしい(世界大百科事典)ともある。「たいまつ」は、本来は、

脂(やに)の多い松材、

の意なので、それを、

続松(ついまつ)、
肥松(こえまつ)、

と言ったらしい(日本大百科全書)ので、「たいまつ」の原形に近いものなのかもしれない。

「たいまつ」は、

手に持って照明としたもの、

をいうので、古くは、手に持つ灯火を、

たび、

と呼び、

秉炬、
手火、

と当てた(いまもタイといっている地方がある)。のちに、

炬火、
焚松、
松明、

などと書いてタイマツとよぶようになった(日本大百科全書)とあるのが分かりやすい。和漢三才図会によると、

タケを心にマツ、クヌギ、スギなどを細く割って作り、もとを鉄の帯で巻く、

あり、

約1mで1時間もつ、

とある。

なお、「たいまつ」の語源は、「たいまつ」で触れたように、

焼(た)き松の音便(大言海)、
タキマツ(焚松)の音便(広辞苑・大辞泉・学研全訳古語辞典)、
タキマツ(焼松・焚松・燔松)の(名語記・日本釈名・類聚名物考・箋注和名抄・俗語考・柴門和語類集・日本語原学=林甕臣・大言海)、

と、ほぼ、

焚く松、

の意となるようである。

たいまつ②.jpg

(たいまつ 学研国語大辞典より)

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2023年01月22日

述懐奉公


それがし、述懐奉公いたしける事、身におぼせえたる科(とが)なれば、ちからなし(平仮名本・因果物語)、

とある、

述懐奉公、

とは、ここでは、

公然とお上の非を訴えること、

という意味で使われている(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、

述懐奉公身を持たず、

という諺があり、

不平不満をいだきながらする奉公、

をいい、

(主人や君主に)奉公するのに気持ちよく働かず、愚痴ばかり言っていると、結局身の破滅になる、

という意味で使う。

述懐奉公身の仇(あだ)、

ともいう(故事ことわざの辞典・精選版日本国語大辞典)。同義で、

不足奉公(ふそくぼうこう)は両方の損、

という言い方もある(仝上)。

述懐、

は、漢語である。

依人而異事、雖似偏頗、代天而授官、誠懸運命、ナド、述懐ノ詞ヲ書過グセルニヨリテ(古今著聞集)、

と、

懐(おもひ)を述べ云ふこと(大言海)、

つまり、

己の思いを述べる、

意で(字源)、

述志、

と同じである(仝上)。古くは、

シュックヮイ、

と、清音。近世末頃から、

ジュックヮイ、

と濁る(岩波古語辞典)。本来、

思いをのべること、

の意から、漢詩では、

五言。述懐。一絶……道徳承天訓、塩梅寄真宰(「懐風藻(751)」)、
譴を蒙りて外居し、聊かに述懐(しゅっかい)し、敬みて、金吾将軍に簡す。一首(「文華秀麗集(818年)」)、

などと、

痛切な想いを述べること、特に、憂愁・忿懣・不平・愚痴・恨みなどに関する場合が多い、

と、思いの中身が結構シフトして使われ、そこから、

述懐の心もやさしく見えし上、ことがらも希代の勝事にてありき(「後鳥羽院御口伝(1212~27頃)」)、
おんな共も花みにやらぬと申てしゅっくゎひ致す程に(虎明本狂言「猿座頭(室町末~近世初)」)、

と、ほぼ、

ぐち、
不平、
不満を洩らすこと、
うらみを言うこと、

の意へと移っていく。江戸語大辞典では、

じゅっかい、

と訓ませ、

古くはしゅっくゎいと読んだ、なお残存する、

とあり、

しゅつくゎいをいつてうづらへおりる也(天明元年(1781)「柳多留」)、

と、

愚痴をこぼすこと、
泣きごとを言うこと、

と共に、

島台ほど述懐な物は御座らぬ(天明九年(1789)「四つの梅」)、

と、

なさけない、
愚痴の出る、

意とを載せている(江戸語大辞典)。

「述」 漢字.gif


「述」(漢音シュツ、呉音ジュツ、ズチ)は、

会意兼形声。朮(ジュツ)は、穂の茎にもちあわのくっついたさまを描いた象形文字で、中心軸にくっついて離れない意を含む。述は「辶+朮」で、従来のルートにそっていくこと、

とある(漢字源)が、別に、

形声。辵と、音符朮(シユツ)とから成る。人について行く、したがう意を表す。借りて、「のべる」意に用いる、

とあり(角川新字源)、また、

会意兼形声文字です(辶(辵)+朮)。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「行く」の意味)と「もちきび(とうもろこし)の穂」の象形から、もちきびの穂が整然と並び続く事を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、先人の言行を「受け継ぐ」を意味する「述」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji737.html

「懐」 漢字.gif

(「懐」 https://kakijun.jp/page/1624200.htmlより)


「懷」 漢字.gif


「懐(懷)」(漢音カイ、呉音エ)は、

会意兼形声。褱(カイ)は、「目からたれる涙+衣」の会意文字で、涙を衣で囲んで隠すさま。ふところに入れて囲む意を含む。懷はそれを音符とし、心を加えた字で、胸中やふところに入れて囲む、中に囲んで大切に温める気持ちを表す、

とある(漢字源)。別に、

形声。「心」+音符「懷/*KUJ/」。{懷/*gruuj/}(思う、懐かしむ)を表す字、

という説、

音符の「褱」は形声文字、「衣」+音符「眔/*KUJ/」。{懷/*gruuj/}(いだく、つつむ)を表す字、

の二説をあげるものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%87%B7

会意兼形声文字です(忄(心)+褱)。「心臓」の象形(「心」の意味)と「衣服のえりもとの象形と目から涙が垂れている象形」(「死者をなつかしみおもう」の意味)から、「なつかしく思う」を意味する「懐」という漢字が成り立ちました、

とするものhttps://okjiten.jp/kanji1539.htmlがある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2023年01月21日

十二調子


宮(きゅう)商(しょう)角(かく)徴(ち)羽(う)の五音(ごいん)にもこえ十二調子にもはづれ、音楽、糸竹(しちく 「糸」は琴、琵琶などの弦楽器、「竹」は笙(しょう)、笛などの管楽器の総称)にものらぬとぞ(新御伽婢子)、

の、

五音、

は、

日本、中国で称した五音階、

で、

五声(ごせい)、

ともいう(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。また、

十二調子(じゅうにちょうし)、

は、

雅楽に用いられた十二の音、一オクターブ間を一律(約半音)の差で十二に分けたもの、

と注記がある(仝上)。「十二調子」は、

十二律の俗称、

とある(広辞苑)。

十二律(表).jpg

(十二律比較 広辞苑より)


五音、

は、日本・中国の音楽で、低音から、

宮(きゅう)・商(しょう)・角(かく)・徴(ち)・羽(う)、

の5音を言い、また、その構成する音階をも指す(広辞苑)。五音(ごいん)に、

変徴(へんち 徴の低半音)・変宮(へんきゅう 宮の低半音)、

を加えた7音を、

七音(しちいん)、
または、
七声(しちせい)、

といい(仝上)、西洋音楽の階名で、宮をドとすると、商はレ、角はミ、徴はソ、羽はラ、変宮はシ、変徴はファ#に相当し、

宮・商・角・変徴・徴・羽・変宮はファ・ソ・ラ・シ・ド・レ・ミに相当、



西洋の教会旋法のリディアの7音に対応する、

とあり(広辞苑・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A3%B0)、

日本の雅楽や声明(しょうみょう)も使用する、

とする(仝上)。なお、「五声」は、

三分損益法(さんぶんそんえきほう)、

に基づいている(仝上)とある。『史記』に、

律數 九九八十一以為宮 三分去一 五十四以為徵 三分益一 七十二以為商 三分去一 四十八以為羽 三分益一 六十四以為角、

とあるが、これは、

完全5度の音程は振動比2:3で振動管の長さは2/3となる。すなわち、律管の3分の1を削除すると5度上の音ができ、加えると5度下の音ができる。前者を三分損一(去一)法、後者を三分益一法と称し、両者を交互に用いるのが三分損益法である、

とあり(日本大百科全書)、

5度上の音を次々に求めるピタゴラス定律法と同じ原理、

で、日本では、

損一の法を順八、益一の法を逆六、

といい、別名、

順八逆六の法、

と称する(仝上)とある。つまり、古代ギリシャでも古代中国でも音楽は盛んだったが、二つの異なる文化が、

周波数比が2:3である二つの音はよく調和する、

という全く同じ現象に到達していたのであるhttps://www.phonim.com/post/what-is-temperament。現代では周波数が2:3であるような音は、

完全5度、

と呼ばれている(仝上)。

日本へは奈良時代にこの中国の五声が移入されたが、平安時代になると日本式の五声が生まれ、中国の五声の第五度(徴)を宮に読み替えた音階で、西洋音階のド・レ・ファ・ソ・ラに相当する。中国の五声を、

呂(りょ)、

日本式の五声を、

律(りつ)、

とよぶのが習わしとなった(仝上)。

因みに、音階中の各音の音程関係を規程する基準を、

音律、

というが、中国、日本の音律は、

十二律、

である。

「十二律」は、『前漢志』や『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』には、

4000年前黄帝の代に、伶倫(れいりん)が命を受け昆崙山(こんろんざん)の竹でつくった、

とあるが、中国では、

黄鐘(こうしょう)を基音、

として、

黄鐘(こうしょう)を三分損一して林鐘(りんしょう)、次に益一して太簇(たいそく)、

と、以下同様にして得て、

黄鐘(こうしょう)、大呂(たいりょ)、太簇(たいそく)、夾鐘(きょうしょう)、姑洗(こせん)、仲呂(ちゅうりょ)、蕤賓(すいひん)、林鐘(りんしょう)、夷則(いそく)、南呂(なんりょ)、無射(ぶえき)、応鐘(おうしょう)、

となる。前漢の京房(けいぼう)はこれを反復して、

六十律、

南朝宋の銭楽之(せんらくし)は、

三百六十律、

を求めた(仝上)という。日本では天平七年(735)吉備真備が『楽書要録』で伝えたのち、平安時代後期より雅楽調名に基づいて、

壱越(いちこつ)、断金(たんぎん)、平調(ひょうじょう)、勝絶(しょうせつ)、下無(しもむ)、双調(そうじょう)、鳧鐘(ふしょう)、黄鐘(おうしき)、鸞鏡(らんけい)、盤渉(ばんしき)、神仙(しんせん)、上無(かみむ)、

の名称が決められた(仝上)。ただ、中国では、

標準音の絶対音高が時代によって異なるので、律名をそのまま絶対的な音名ということはできない、

ようだが、日本独自の、

十二律、
十二調子、

は、

壱越 (いちこつ)がほぼ洋楽のニ音に相当し、以下、順に半音ずつ高くなっていくので、律名は音名といってもさしつかえない、

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。しかし、

雅楽や声明、

を除けば、この12の律名はあまり用いられず、普通は、もっと実用的な、

一本(地歌・箏曲・長唄・豊後系浄瑠璃などでは黄鐘〈おうしき〉イ音、義太夫節では壱越ニ音)、
二本(変ロ音または嬰ニ音)、
三本(ロ音またはホ音)、

という名称が使われている(仝上)とある。

西洋音楽の音律理論は古代ギリシアのピタゴラス音律に始まり、求め方は十二律と同じだが、12番目の音は厳密には基準音より、わずかに高く、その差を、

ピタゴラスのコンマ、

といい、この、

長3度、長6度の不協和問題、

となり、これを解決するために、3倍と2倍のみを使って作った音律である、

ピタゴラス律、

に対し、基準の音から簡単な整数倍で作る、

純正律、

純正律が考案されていくことになる(仝上)。

十二律.jpg

(十二律 日本大百科全書より)


十二調子.bmp

(十二調子 精選版日本国語大辞典)


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2023年01月20日

頼母子


大欲不道の男あり。隣郷に、頼母子(たのもし)といふ事をむすび置きて、或る時そこへ行きぬ(新御伽婢子)、

とある、

頼母子、

は、

無尽、

ともいい、

一定の期日に一定の掛け金を出し合い、全員に順々に一定の融通をする組合、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、正確には、「頼母子」は、

憑子、
憑支講、
頼子講、

とも当て、

一定の期日ごとに講の成員があらかじめ定めた額の掛金を出し、所定の金額の取得者を抽選や入れ札などで決め、全員が取得し終わるまで続けるもの。鎌倉時代に成立し、江戸時代に普及した。明治以降、農村を中心として広く行なわれた、

のを言い(精選版日本国語大辞典)、

頼母子講、

は、

頼母子の組合、

を指す(大言海)が、「頼母子」のみでも、

頼母子講、

の意味で使われる。「講」は、

もともと寺や寺院に集まって宗教教育を行っていた「講義」の意味、

とされ、時代とともに、次第に宗教色が薄れて、

単なる集まり、

を指すようになったhttps://www.nihon-jm.co.jp/mujin/history/index.htmlとある。

鎌倉時代の建治元年(1275年)12月の高野山文書に、高野山中のある寺院の風呂場の修繕資金を調達する為に、

憑支(たのもし)、

が組織されたとあり、この憑支(たのもし)の当て字が、

頼母子、

になる。

母と子のように相互に頼む(依存する)、

という相互扶助の意味となるhttps://www.nihon-jm.co.jp/mujin/history/index.htmlが、鎌倉時代には、

憑支・無尽銭、

の名称が文献に現れ、室町時代に下ると広く普及して民間一般に行われていた(日本大百科全書)とある。

色葉字類抄(平安末期)には、

頼、たのもし、

室町時代の意義分類体の辞書『下學集』には、

憑子(たのもし)、日本俗、出少錢取多錢、謂之憑子也、

節用集にも、

日本世俗、出少銭取多銭也、又云合力、

建武式目(延元元年/建武3年11月7日(1336年12月10日)、室町幕府の施政方針を示した式目)には、

無尽錢、田乃毛志、

とある。

頼母子講.bmp

(「たのもし」(武蔵国いるまの郡みよしのの里の人狩するとてはたのもしをして狩也「異本紫明抄(1252~67)」) 精選版日本国語大辞典より)

「頼母子」は、

貸稲(いらしいね・たいとう)の遺風なり、

とあり(大言海)、律令以前、

春に貸されて、秋に稲にて利息を納めしめられる、

もので、

出挙稲(すいことう)、

といい(仝上)、色葉字類抄(平安末期)に、

出挙、イラシ、

とあり仝上)、

処処の貸稲を罷(や)むべし(孝徳紀)

と載る。「無尽」は、

無尽錢、

ともいい、

質物を伴う貸し金で、「無尽銭土倉」という質屋もあり、おそらくは「無尽財」の名による寺院の貸付金に由来する、

とあり(日本大百科全書)、本来は由来を異にし、鎌倉時代の、

無利子の頼母子という互助法、

に対し、室町時代の、

土倉が担保をとり、利子をとったもの、

を無尽といったとの違いがあった(旺文社日本史事典)とされるが、室町時代以後は頼母子と同義に用いられるに至った(仝上)。だから、「頼母子」の由来は、

たのもしい(頼)(精選版日本国語大辞典)、
タノム、タノミの意(日本大百科全書)、
相救いてたのもしき意(大言海)、

等々と、互助の含意が由来になっている。

江戸時代以後は、明治・大正期にも及んで頼母子・無尽は多彩な発展を示し、根幹の仕組みは共通ながら種々の型が生じ、大別すると、

仲間の共済互助を本義とするか、
金融利殖を主目的とするか、

の両型に分けられ、明治期に入っては営業無尽とよばれる専門業者による形を分派させた(仝上)。

仲間の共済互助を本義とする頼母子・無尽には、

社寺建立その他公共的事業の資金調達を主目的とするもの、
と、
個人的融資救済を主旨とするもの、

があり、両者とも通例「親無尽(親頼母子)」の形をとり、

特定者への優先的給付を旨とした。それを親、講元、座元、施主などといい、趣旨に賛同しての加入者を子、講衆、講員などとよんだ。社寺寄進はもちろん個人融資でも、親は初回「掛金」の全額給付を受けるほか、初回を「掛捨(かけすて)」と称し「親」の掛金を免除するのがむしろ通例であった、

とある(日本大百科全書)。こうした特定者の救済互助の仕組みが頼母子・無尽の原型で、社寺への寄進行為とのかかわりも深かった。しかし2回目以後は講員相互の金融に移り、一定の講日に参集して所定の「掛金」を拠出しあい、特定者への給付が順次行われて満回に至る(仝上)とある。発起人を、

親、
講元、

称したが、別段特権はなく、むしろ信用度が仲間を集める要因であり、またそうでなければ頼母子講は発起できなかった(仝上)とある。

江戸時代には、主として関西では、

頼母子、

関東では、

無尽と称される傾向があり、その仕組みは、概略、

①発起人である講親(こおうや)が、仲間である講中(こうちゅう)を募集して一つの講を結成。
②講運営の円滑化のため、掟や定めを作成、
③月一回ないし年一回、会合を開き、一口あたり(一人一口と限らない)の掛け金を持ち寄る、
④初回は講親が、第二回以降後は、抽せん・くじ引きまたは入札によって、講中が各回の掛け金獲得。
⑤全口が掛け金を取得したときをもって満会と称し、講を解散する、

となりhttps://komonjyo.net/life/mujin.html、落札者は、

入札(いれふだ、にゅうさつ)やくじ引きに再び参加する権利を失いますが、掛け金を納める義務は負います。これは講に対する債務の弁済にあたるところから、落札した者に質物の差し入れ、また落札によって受ける金銭の利子支払いを求められ、

決め方は、

抽せん、
と、
入札、

とがあり、

抽せん・くじ引きは関東、入札は関西に多い、

とされ、入札の場合は、

資金を欲するものが低い入札価格をつければ落札者になりえる、

が、余り低い入札価格では結果的に高利資金となってしまい互助の意味がなくなる(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2023年01月19日

あなめ


小野小町が、秋風の吹くにつけても、あなめあなめなどと歌の上の句をつらねしためし、世をもつて伝へ知る所也(新御伽婢子)、

の、

あためあなめ、

とは、

小町の髑髏の目に薄が生え、夜になると、こういったという説話(袋草紙)から。あゝ、目が痛いの意。『通小町』にも「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ小野とは言はじ薄生ひけり」、

とあると注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

小野小町(狩野探幽『三十六歌仙額』).jpg

(小野小町(狩野探幽『三十六歌仙額』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%B0%8F%E7%94%BAより)

「あなめ」は、『江家次第』(大江匡房 平安時代後期の有職故実書)に、

小野小町の髑髏どくろの目から薄すすきが生えて「あなめあなめ」と言ったとある、

のが初見(広辞苑)で、

あな、目痛し、

あるいは、

あやにく、

の意という(仝上)とある。『江家次第』には、

(在五中将(「在五」は在原氏の五男の意。位が近衛中将であったところからいう、在原業平(ありわらのなりひら)のこと)、陸奥に到りて、小野小町の屍を求めしに)終夜有聲、曰、秋風之、吹仁付天毛(ふくにつけても)、阿那目、阿那目、後朝求之、髑髏目中有野蕨、在五中将、涕泣曰、小野止波不成(とはならじ)、薄生計理(すすきおひけり)、卽歛葬、

とあり、袖中抄(しゅうちゅうしょう 12世紀末)では、

あなめ、あなめとは、あなめいた、あなめいた、と云ふ也、

とあり、さらに、『和歌童蒙抄』(藤原範兼(のりかね) 平安末期の歌学書)には、

野中を行く人あり、風の音のやうにて、此歌を詠ずる聲聞ゆ、其薄を取捨てて、其頭を、清き處に置き歸る、其の夜の夢に、吾れは、小野小町と云はれし者なり、嬉しく、恩をかうぶりぬると云へり、

とあり、

此の小野を、玉造の小野と云ひし由、

とある(大言海)等々多少の異同がある。この「玉造」とは、『宝物集』(平康頼(やすより)説 鎌倉初期の仏教説話集)に、

玉造小町子壮衰書(たまつくりこまちこそうすいしょ 平安後期の漢詩文作品)、

が出典であるとして、

老後の衰えと貧窮、若年時の色好みと栄花、

が述べられているが、この、

玉造小町子、

と、

小野小町、

は新井白石が『牛馬問』で、問題視して初めて、混同が指摘されるまで、同一視されてきて、古く、『袋草紙』(藤原清輔 平安末期の歌学書)でも、小野は、

住所ノ名カ、

とし、「玉造」を、

その姓、

としている。そうした同一視の中で、『十訓抄』(じっきんしょう/じっくんしょう 鎌倉中期の教訓説話集)や『古今著聞集』(ここんちょもんじゅう 橘成季編の鎌倉時代の世俗説話集)に代表される、

若く、男性との交渉が盛んであった頃は比類のない驕りの生活で、衣食にも贅を尽くし、和歌を詠じての日々であった。多くの男たちを見下し、女御や后の位をのぞんだものの、両親、兄弟をつきつぎに失い、一人破れ屋に住む身となり、文屋康秀(ふんや の やすひで 平安時代前期の官人・歌人)の任国(三河)下向にも随行し、ついに山野を浪々することになった、

という(日本伝奇伝説大辞典)、

小町伝説、

が形成されていく。因みに、親密だった文屋康秀は、三河掾として同国に赴任する際に小野小町を誘った際、小町は、

わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ、

と返事したhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%B1%8B%E5%BA%B7%E7%A7%80。この逸話をもとにした話が、『古今著聞集』や『十訓抄』載せられるようになったようである。

小野小町(鈴木春信画).jpg

(小野小町(鈴木春信画) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%B0%8F%E7%94%BAより)


卒塔婆の月(月岡芳年『月百姿』)年老いた小野小町.jpg

(年老いた小野小町(「卒塔婆の月」(月岡芳年『月百姿』)) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%B0%8F%E7%94%BAより)

こうした伝説の中には、『奥義書』(藤原清輔(『袋草紙』の著者) 平安末期の歌学書)で、謡曲『通小町』を淵源とするらしい、

深草の四位の少将が、小町の「車の榻(しじ 牛車(ぎっしゃ)に付属する道具の名。牛を取り放した時、轅(ながえ)の軛(くびき)を支え、または乗り降りの踏台とするもの)に百夜通え」という言を実行し、思いの叶う百日目を目前の九十九日目に生命絶えた、

という説話が載るが、この女性の態度は、

平安朝の女性としてはこうした男性拒否の姿勢は一般的、

で、必ずしも「小町」と結びつけられていなかったのに、古今集や伊勢物語の古注釈で、

男を拒否する強い女としての小町、

として、この、

百夜通い説話、

が、小野小町と一体化されていくことになる(仝上)。

こうして出来上がった小町伝説が、謡曲の『卒塔婆小町』や浄瑠璃、歌舞伎などの「小町」物になっていくことになる。

柳田國男は、各地に伝わる小町伝説に、「神話上の隘路」で度触れたように、和歌を媒体とした、

霊験唱導者、

の存在を想定していた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)

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2023年01月18日

一跡


我が一跡を掠め取り、身の佇(たたず)み(置き所)もならず、所さへ追ひ失はれし(新御伽婢子)、

の、

一跡、

は、

財産のすべて、

あひかまへて、小分の(少額の)かけにし給ふな。身代一跡と定めらるべし(仝上)、

の、

身代一跡、

は、

全財産、

と、それぞれ注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

一跡、

の、

跡は、後裔(あと)の義、跡目と云ふ語も、これより出づ、

とある(大言海)ように、

其上大家の一跡、此の時断亡せん事勿体無く候(太平記)、

と、

家筋のつづき、
一系統、

という意味が本来の意で、転じて、

相摸入道の一跡(セキ)をば、内裏の供御料所に置かる(太平記)、

と、

後継ぎに譲る物のすべて、
遺産、

の意となり、転じて、

家一跡は申すに及ばず、女共の身のまはりまで、打ち込(ご)うでござるによって(狂言「子盗人」)、
博奕、傾城狂ひに一跡をほつきあげ(仮名草子「浮世物語(1665頃)」)、

などと、

全財産、
身代、

の意となった(仝上・精選版日本国語大辞典)。その意から、

ねぢぶくさ取出し、一跡(イッセキ)に八九匁あるこまがねの中へ銭壱弐文入れて(浮世草子「傾城色三味線(1701)」)、

と、

全体、
ありったけ、

の意(仝上)となり、視点が讓る側から、譲られる側に転じて、

身が一せきのせりふの裏を食はすしれ者(浄瑠璃「嫗山姥(1712頃)」)、

と、

自分だけが相伝した物、

さらに、

自分の占有、
特有、
独自、

の意に転じていく(仝上)。で、

一跡に、

と使うと、

一跡に一人ある子を、さんざん折檻して(浮世草子「石山寺入相鐘」)、

と、

ありったり、

の意で使う(岩波古語辞典)。

「跡」 漢字.gif


「跡」(漢音セキ、呉音シャク)は、

会意文字。亦は、胸幅の間をおいて、両脇にある下を指す指事文字。腋(エキ)の原字。跡は「足+亦」で、次々と間隔をおいて同じ形のつづく足あと、

とあり(漢字源)、「一跡」の意味に適う当て字になっている。別に、

会意兼形声文字です(足+亦)。「胴体の象形と立ち止まる足の象形」(「足」の意味)と「人の両わきに点を加えた文字」(「わき」の意味だが、ここでは、「積み重ねる、あと」の意味)から、「積み重ねられた足あと」を意味する「跡」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1232.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:一跡 身代一跡
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2023年01月17日

かねこと


女も遠くしたひ又の日をかねことし、あかで別るる横雲の空など、名残り惜しみ(新御伽婢子)、

の、

かねこと、

は、

約束、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

かねこと、

は、

兼ね言、
兼言、
予言、

などと当て(広辞苑・岩波古語辞典)、

ゆゆしきかねことなれど、尼君その程までながらへ給はむ(源氏物語)、

と、

前もって先を見越して言う言葉、予言、

の意で、その意味の外延として、

必ずこれをいひつけにもなど宣はせし御かねことどもいと忘れがたくて(栄花物語)、

と、

前もって言い置いた言葉、
豫(かね)て言ひ置ける言(ことば、)、
豫約の詞、

つまり、

約束、

の意でも使う(岩波古語辞典・大言海)。また、

昔せし我がかね事の悲しきは如何契りしなごりなるらん(「後撰和歌集(951~53)」)、

と、

かねごと、

とも訓ませる(大言海・精選版日本国語大辞典)。

兼ぬ、

は、

口語で、

兼ねる、

で、

現在のあり方を基点として、時間的・空間的に、一定の将来または一定の区域にわたる意、

とあり、

御子(みこ)の継(つ)ぎ継ぎ天(あめ)の下知らしまさむと八百万(やおよろず)千年(ちとせ)をかねて定めけむ奈良の都はかぎろひの春にしなれば(万葉集)、

と、

現在の時点で、今からすでに将来のことまで予定する、
見込む、

という意で使う(岩波古語辞典)。で、その延長線上で、

あらたまの年月(としつき)かねてぬばたまの夢(いめ)にし見えむ君が姿は(万葉集)、

と、

時間的に今から長期にわたる、

意で使い、それを空間的に使うと、

一町かねて辺りに人もかけられず(大鏡)、

と、

現在点を中心に一定の区域にわたる、

と、空間的か外延の広がりに使い、それを抽象化すれば、

一身に数芸をかねたれば(保元物語)、

と、

併せ持つ、

意となり、

大臣の大将をかねたりき(平治物語)、

と、

兼職、

の意となる(仝上)。それを心理的に援用すれば、

また人のこころをもかねむ給へかし(源平盛衰記)、

と、

(あちこちに)気を使う、
気をつかって人の気持ちをおしはかる、

意で使う。これの応用が、他の動詞の連用形に接続し複合動詞として用い、

納得しかねる、
何とも言いかねる、

と、

~しようとして、できない、~することがむずかしい、

意や、「~しかねない」などの形で、

悪口も言い出しかねない、

などと、

~するかもしれない。~しそうだ、

の意で使う(デジタル大辞泉)。

「兼」 漢字.gif

(「兼」 https://kakijun.jp/page/1088200.htmlより)


「兼」 金文・春秋時代.png

(「兼」 金文・春秋時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%BCより)

「兼」(ケン)は、

会意文字。「二本の禾(いね)+手」で、一書に併せ持つさまを示す、

とある(漢字源)。別に、

会意。秝(れき 二本のいね)と、又(ゆう 手)とから成り、二本のいねを手でつかむ、あわせもつ意を表す、

とも(角川新字源)、

会意文字です。「並んで植えられている稲の象形と手の象形」から、並んだ稲をあわせて手でつかむさまを表し、そこから、「かねる」を意味する「兼」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1327.html。趣旨は同じである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年01月16日

是生滅法


既に半夜(はんや まよなか、子(ね)の刻から丑(うし)の刻まで)の鐘、是生滅法(ぜしょうめつほう)の響きを告げ、世間静かなるに(新御伽婢子)、

とある、

是生滅法、

は、

万物はすべて変転し生滅する、不変のものは一つとしてないという、涅槃経の四句偈のひとつ、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。普通、

是生滅法、

は、

ぜしょうめっぽう、

と訓ませ、

諸行無常(しょぎょうむじょう)、
是生滅法(ぜしょうめっぽう)、
生滅滅已(しょうめつめつい)、
寂滅為楽(じゃくめついらく)、

の四句偈(げ)の一つで(諸行は無常なり 是れ生滅の法なり 生滅を滅し已(お)わりて 寂滅を楽となす)、涅槃経の、「雪山童子」の説話で、

釈尊は過去世に雪山で修行していたので雪山童子(せっせんどうじ 雪山大士)と呼ばれるが、雪山に住していたとき帝釈天が羅刹(ラークシャサ)の形をして現れてこの偈の前半を説いたとき、さらに後半を教えてもらうために身を捨てた、

という伝説があるので(自分の身命を施す菩薩行の代表例として引用されることが多い)、

雪山偈(せっせんげ)、

と呼び(「雪山」はヒマラヤを指すとされる)、

諸行無常偈、
無常偈、

ともいいhttp://www.joukyouji.com/houwa0604.htm、偈の全体の意味は、三法印(仏教の根本にある三つの概念)の、

諸行無常(あらゆる物事(現象)は変化している。変化しない、固定的な物事は存在しない)、
諸法無我(あらゆる存在(ダルマ 法)の中には我(アートマン)は無い)、
涅槃寂静(煩悩の炎の吹き消されたさとりの境地(ニルヴァーナ 涅槃)は心が安らかに落ちついた(至福の)状態である)、

に近いとされ、法然は、

かりそめの色のゆかりの恋にだにあふには身をも惜しみやはする、

と詠い、俗説に、

いろはにほへとちりぬるを(色は匂えど散りぬるを)、
わかよたれそつねならむ(我が世誰ぞ常ならむ)、
うゐのおくやまけふこえて(有為の奥山今日越えて)、
あさきゆめみしゑひもせす(浅き夢見じ酔ひもせず)、

の、

いろはうた、

がこれを訳したものと言われ(仝上)、「無上偈」は、

諸行无常、是生滅法と云ふ音(こゑ)風のかに聞こゆ(「観智院本三宝絵(984)」)、
とか、
初夜の鐘を撞く時は諸行無常と響くなり、後夜の鐘を撞く時は是生滅法と響くなり(光悦本謡曲「三井寺(1464頃)」)、
とか、
初夜の鐘を撞く時は諸行無常と響くなり、後夜の鐘を撞く時は是生滅法と響くなり、晨朝(しんちょう)の響きは生滅滅已、入相(いりあい)は寂滅為楽と響くなり(長唄「娘道成寺」)、

等々と使われる(仝上・精選版日本国語大辞典)、

因みに、「偈」(げ サンスクリット語ガーターgāthāの音写の省略形)は、漢語では、

頌(じゅ)、
あるいは、
讃(さん)、

とも翻訳される、

仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの、

をいい、

偈陀(げだ)、
伽陀(かだ)、

とも音写し、意訳して、

偈頌(げじゅ)、

ともいい、対して散文部分を、

長行、

という(精選版日本国語大辞典・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%88)とある。古来インド人は詩を好み、仏典においても、詩句でもって思想・感情を表現したものがすこぶる多い。漢語では、これを三言四言あるいは五言などの四句よりなる詩句で訳出される。たとえば、七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)で、

諸悪莫作(しょあくまくさ)、
諸善(しょぜん 衆善)奉行(ぶぎょう)、
自浄其意(じじょうごい)、
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)、

とか、法身偈(ほっしんげ)で、

諸法従縁生(しょほうじゅうえんしょう)、
如来説是因(にょらいせつぜいん)、
是法従縁滅(ぜほうじゅうえんめつ)、
是大沙門説(ぜだいしゃもんせつ)、

と共に、「雪山偈」も仏教の根本思想を簡潔に表現したもの(日本大百科全書)とされる。四句から成るものが多いため、単に、

四句、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

「偈」 漢字.gif

(「偈」 https://kakijun.jp/page/ge11200.htmlより)

「偈」(漢音ケイ・ケツ、呉音ゲ・ゲチ)は、

会意兼形声。「人+音符曷(カツ 声をからしてどなる)」、

とある(漢字源)。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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