がね

梅の花我(われ)は散らじあをによし奈良なる人の来つつ見るがね(万葉集) の、 がね、 は、 希望的推測の助詞、 とあり、 見るがね、 は、 見ることができるように、 と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 (梅の花 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A1より) がね、 …

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さきくさ

春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)(柿本人麻呂) の、 さきくさ、 は、 みつまた、か、 とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 上二句は二重の序、「まづ」までが「さきくさ」を起こし、上二句が「幸く」を起こす、 とする(仝上)。 幸(さき)く、 は、 まさきく、 行矣(さきくませ)…

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いや年のはに

春霞立つ春日野を行き返り我(わ)れは相見(あいみ)むいや年のはに(万葉集) の、 いや年のはに、 は、 来る年も来る年も毎年、 の意で、 来る年も来る年も、いついつまでも、 と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 いや年のはに、 は、 弥年のはに、 とあて(広辞苑)、その略が、 いやとし(彌年)、 とある(大言海)の…

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うはぎ

春日野に煙たつ見ゆ娘子(をとめ)らし春野のうはぎ摘みて煮らしも(万葉集) 妻もあらば採(つ)みて食(た)げまし沙弥(さみ)の山野(の)の上(ヘ)の宇波疑(ウハギ)過ぎにけらずや(仝上)、 の、 うはぎ は、 よめな。キク科の多年草、その若菜を食用にする、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 うはぎ、 は、 薺蒿、 菟芽子、 とあて、…

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くはし

青柳の糸のくはしさ春風に乱れぬい間に見せむ子もがも(万葉集) の、 糸のくはしさ、 の、 くはし、 は、 繊細なさま、 で、 糸のような枝の細やかな美しさよ、 と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 い間、 の、 い、 は、接頭語で、 向つ峰(を)の若桂(わかかつら)の木下枝(しづえ)取り花待つ伊間(イま)に嘆…

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みなぎらふ

山の際(ま)の雪は消(け)ずあるをみなぎらふ川の沿(そ)ひには萌えにけるかも(万葉集) の、 みなぎらふ川、 は、 水が溢れて流れる川、 と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 みなぎらふ、 は、上代語で、 漲らふ、 とあて、 動詞「みなぎる(漲)」の未然形に反復・継続を表わす助動詞「ふ」の付いたもの、 で(精選版日本国語大辞典…

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菊に綿を着せ

かずしらず君がよはひをのばへつつ名だたる宿の露とならなむ(伊勢) の詞書(ことばがき 和歌や俳句の前書き)に、 となりに住み侍りける時、九月八日、伊勢が家の菊に綿をきせにつかはしたりければ、又のあした折りてかへすとて、 とある、 菊に綿をきせ、 は、 菊の花の露を染み込ませるために、綿を被せることをいう。九月九日の重陽の節句には、この綿で顔を拭いて不老長寿…

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木末(こぬれ)

春されば妻を求むとうぐひすの木末(こぬれ)を伝ひ鳴きつつもとな(万葉集) の、 もとな、 は、 やたらに、 と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、 やたらに……してどうにもならない、 しきりに、 みだりに、 無性に、 の意で使われる(大言海・広辞苑・岩波古語辞典)。多く、 自分には制御のきかない事態をあきれて眺めているさまに用いられる…

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放(はな)り

葦屋(あしのや)の菟原娘子(うなゐをとめ)の八年子(やとせこ)の片生(かたお)ひの時ゆ小放(をばな)りに髪たくまでに並び居る家にも見えず(高橋虫麻呂) の、 八年子(やとせこ)、 は、 八歳ぐらいのまだ幼い時から、 片生ひ、 は、 半端な成長、 の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 小放(をばな)り、 の、 小、 は接頭語…

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共(むた)

箸向ふ弟(おと)の命(みこと)は朝露の消(け)やすき命(いのち)神の共(むた)争(あらそ)ひかねて葦原の瑞穂(みづほ)の国に家なみやまた帰り来ぬ(田辺福麻呂) の、 箸向(はしむか)ふ、 は、 「弟」の枕詞、 で、 箸のように仲良く向き合う意、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 神の共(むた)争(あらそ)ひかねて、 は、 人の寿…

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菟原娘子(うなひをとめ)

いにしへのますら壮士(をとこ)の相競(あひきほ)ひ妻どひしけむ葦屋(あしのや)の菟原娘子(うなひをとめ)の奥(おく)つ城(き)を我が立ち見れば長き世の語りにしつつ(万葉集) の、 奥つ城、 は、 奥深く眠っているところ、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 菟原娘子(うなひをとめ)、 は、 真間手児奈(ままのてこな/ままのてごな)、 で…

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まにまに

和栲(にきたへ)の衣(ころも)寒(さむ)らにぬばたまの髪は乱れて国問(と)へど国をも告(の)らず家問へど家をも言はずますらをの行きのまにまにここに臥(こ)やせる(万葉集) の、 臥(こ)やせる、 の、 臥(こ)ゆ、 は、 臥(こ)いまろぶ、 で触れたように、 い/い/ゆ/ゆる/ゆれ/いよ、 と、自動詞ヤ行上二段活用で、 寝ころぶ、 …

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世界の対象化

エルンスト・カッシーラー(生松敬三・木田元訳)『シンボル形式の哲学』を読む。 正直、読むのがきつい。 シンボル形式、 の意味が、最後までよくわからないだけでなく、枝葉が多く、論旨を追うのに、辟易させられる。僕なりに、全体像を整理すると、 認識とはもともとこの本質的な目標――特殊なものを一つの普遍的な法則と秩序にはめこむこと――にむけられている、 そして、…

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さね

たち変り月重(かさ)なりて逢はねどもさね忘らえず面影(おもかげ)にして(田辺福麻呂) の、 さね、 は、 打消と呼応する副詞、 で、 ちっとも、 の意とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。この、 さね、 は、もともと、 實、 核、 とあて、 真根(さね)の意(日本語源大辞典)、 サ(接頭語 真)+根(根本)、つまり「真…

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横言(よこごと)

垣(かき)ほなす人の横言(よこごと)繁(しげ)みかも逢はぬ日数多(まね)く月の経(へ)ぬらむ(田辺福麻呂) の、 垣(かき)ほなす、 は、 高く目につく隔ての垣のように、 と注記し、 横言(よこごと)、 は、 よこしまごと、 中傷、 の意とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 横言、 は、 讒言に同じ、 とあり(大…

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まねし

垣(かき)ほなす人の横言(よこごと)繁(しげ)みかも逢はぬ日数多(まね)く月の経(へ)ぬらむ(田辺福麻呂) の、 逢はぬ日数多(まね)く、 は、 逢えない日が何日も積るままに、 と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、この、 数多(まね)し、 は、 多(まね)し、 ともあて、 (く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、 …

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肝向(きもむか)ふ

肝向(きもむか)ふ心砕けて玉たすき懸けぬ時なくやまず我(あ)が恋ふる子を玉釧(たまくしろ)手に取り持ちてまそ鏡直目(ただめ)に見ねばしたひ山下行く水の上に出でず我が思ふ心安きそらかも(田辺福麻呂) の、 肝向(きもむか)ふ、 は、 心の枕詞、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 肝向ふ、 は、 古代、心は腹中で肝と向かい合っていると信じられて…

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したふ

肝向(きもむか)ふ心砕けて玉たすき懸けぬ時なくやまず我(あ)が恋ふる子を玉釧(たまくしろ)手に取り持ちてまそ鏡直目(ただめ)に見ねばしたひ山下行く水の上に出でず我が思ふ心安きそらかも(田辺福麻呂) の、 肝向(きもむか)ふ、 は、 心の枕詞、 玉たすき、 は、 懸く(心にかける)の枕詞、 口やまず、 は、 その名をいつも口にして、 …

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下延ふ

白玉の人のその名をなかなかに言(こと)を下延(したは)へ逢はぬ日の数多(まね)く過ぐれば恋ふる日の重(かさ)なり行けば思ひ遣るたどきを知らに(田辺福麻呂) の、 白玉の人のその名、 は、 白玉のように清らかなその人の名、 の意、 なかなかに、 は、 なまじっか、中途半端なさま、 とあり、 言を下延(したは)へ、 は、 言…

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羽ぐくむ

旅人の宿りせむ野に霜降らば我が子羽(は)ぐくめ天(あめ)の鶴群(たづむら)(万葉集) の、 宿りせむ、 は、 船旅でも陸に上って宿るのが習い、 とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 鶴群(たづむら)、 は、 鶴(つる)の群(むれ)、むらがりつどう鶴、 の意(精選版日本国語大辞典)、 羽(は)ぐくむ、 は、 羽で包む、 …

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