2018年06月25日

ヒバリ


「ヒバリ」は,

雲雀,
告天子,

等々と当てる。『広辞苑』には,その鳴き声を,

「一升貸して二斗取る,利取る,利取る」

と聞きなした,とある。

「日本では留鳥・漂鳥として河原・畑などにすみ、春になると空高く舞い上がりながら、ピーチュク、チルルなど長くて複雑な節回しでさえずる。」(『デジタル大辞泉』)

とあるから,芭蕉の,

ひばりより空にやすらふ峠哉(『笈の小文』)

が生きてくるのだろう(『笈の小文』以外は「空に」は「上に」とあるらしい)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%90%E3%83%AA

には,「ヒバリ」の異称を,

告天子(こうてんし,こくてんし,ひばり),
叫天子(きょうてんし),
天雀(てんじゃく),
姫雛鳥(ひめひなどり),
噪天(そうてん),
日晴鳥(ひばり),

等々を上げている。

『大言海』は,「ヒバリ」の項で,

天鷚(てんりょう),

の異称も挙げて(「鷚」はヒバリの意),

「日晴(ひはる)の意。空晴るれば,飛鳴して雲の上に昇る,日晴鳥(ひはれどり)なり」

とある。さらに,

日本釈名「告天子,ヒバリは日のはれたる時,そらに高くのぼりてなく鳥なり,ヒハル也。雨天にはノボラズ」

を引く。『日本語源広辞典』も,

「日+晴れ+り(鳥)」

とし,空晴れ天高く飛び鳴く鳥の意,とする。確かに,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/hi/hibari.html

が,

「奈良時代から見られる名。語源は,晴れた日に空高くのぼり鳴くところから,『日晴(ひはる)』の意味が定説となっている。しかし,ヒバリの鳴き声を模した表現には『ピーチク』『ピーパル』『ピーピーカラカラ』,また『ピーチクパーチクひばりの子』と言うように,鳴き声の『ピパリ』とする説ある。漢字の『雲雀』は,雲に届くほど天高く飛翔する雀に似た鳥の意味から。」

とする通り,「日晴」が定説のようだが,個人的にはすっきりしない。鳥は基本雨の日はあまり飛ばず,雨が上がると,賑やかに囀り飛ぶという印象をもっているからだ。晴れている日に鳴くのも飛ぶのも,「ヒバリ」に限ったことではないのではあるまいか。

Skylark_2,_Lake_District,_England_-_June_2009.jpg



『日本語源大辞典』は,

ヒハル(日晴)の義。日が高く晴れたときのみ高く上り鳴くところから(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・和訓栞・大言海)
鳴き声がピパリからか(箋注和名抄・音幻論=幸田露伴),
ヒラハリ(翩張)の義(名言通),
高く上るところからヘヘ(隔々)リの義(言元梯),
ヒは日,ハはハルカ(遥)または羽,リはアガリサガリのリか。日のさすとき,はるばるとあがる鳥でるところから(和句解),

と挙げるが,髙く上がるというのがヒバリの特徴なら,晴れよりそこに語源をさぐるべきではないか。

『日本語の語源』は,

「空高くしきりにさえずるのでシバナキ(屡鳴き)鳥と呼んだ。『シ』の子交(子音交替)[∫c],『ナキ』の縮約[n(ak)i]でヒバニ転音し,さらに語尾の子交(子音交替)[nr]でヒバリ(雲雀)になった。」

とするが,これも如何であろうか。

万葉集で「ヒバリ」を歌う歌は,

うらうらに 照れる春日(はるひに)ひばり上がり 心悲(こころがな)しも ひとりし思へば(大伴家持)
ひばり上がる 春へとさやに なりぬれば 都も見えず 霞かすみたなびく(大伴家持)
朝な朝な 上がるひばりに なりてしか 都に行きて 早帰り来む(安部沙弥麻呂)

等々あるらしいが,いずれも「ひばり上がり」である。いずれも,「日晴れ」といった開放感のある感じではない。「日晴れ」説には疑問である。

春を告げる鳥,

とされる以上,

天髙く飛ぶ,
か,
鳴き声,

から採ったと見るべきではあるまいか。「ヒバリ」の囀りについて,

https://www.bioweather.net/column/ikimono/manyo/m0604_2.htm

は,

「ヒバリは上昇していくとき(『上がり』と呼ばれる)、空中で停飛しているとき(『空鳴き』、『舞鳴き』)、そして降りてくるときで(『降り』)、それぞれ鳴き方が異なります。
 上昇していくときは比較的単純な鳴き声の繰り返しですが、停空飛翔状態になると、多い個体では15種類以上もの声のパターンを組み合わせて、複雑なさえずりを長時間続けます。そして降りてくる時には、スズメや他の鳥の鳴き声も混ぜ、少し短めの声を組み合わせてさえずります。」

という鳴き声を摑まないわけがない。『語源由来辞典』の,

「ヒバリの鳴き声を模した表現には『ピーチク』『ピーパル』『ピーピーカラカラ』,また『ピーチクパーチクひばりの子』と言うように,鳴き声の『ピパリ』とする説ある。」

から,「ピパリ」説に(あまりスッキリしないので不承不承)軍配を上げておくことにしたい。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2018年06月24日

謀る


「謀る」は,

はかる,

とも訓むが,

たばかる,

とも訓ませる。「はかる」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/444151160.html

で触れたように,『大言海』は,

≪計・測・量≫「大指と中指とを張り限る意」

として,

「物事の程を知らむと試みる。つもる。はからふ。」

をまず挙げ,次に,

≪権・称≫「秤にて軽重を試みる。「枡にて多少を試みる。掛く。」
≪度≫「尺(ものさし)にて長短を試みる。差す。」
≪思量・謀≫「考へ分く。分別す。たくむ。」
≪詢・商議≫「語らひて論じ定む。相談す。」「欺く。だます。たばかる。たぶらかす。」

と分けている。『古語辞典』は,「はか(計・量)り」を,

「はか(量・捗)の動詞化」

としている。「はかどる」の「はか」で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/431282570.html

で,触れたことがあるが,「はか」について,『大言海』は,「計」を,

「稻を植え,又は刈り,或いは茅を刈るなどに,其地を分かつに云ふ語。田なれば,一面の田を,数区に分ち,一はか,二(ふた)はか,三(み)はかなどと立てて,男女打雑り,一はかより植え始め,又刈り始めて,二はか,三はか,と終はる。又稲を植えたる列と列との間をも云ふ。即ち,稲株と稲株との間を,一はか,二はかと称す。」

とし,「量」を,

「量(はかり)の略。田を割りて,一はか二はかと云ふ。農業の進むより一般の事に転ず。」

としていた。それを前提に,『古語辞典』は,

「仕上げようと予定した仕事の進捗状況がどんなかを,広さ・長さ・重さなどについて見当をつける意」

として,

予測する,
広さ・重さ・値段などを計量する,
よい機会かどうかなど見当をつけてえらぶ,
よいわるいのなどの見当をつけながら,論じる,
もくろむ,企てる,
だます,

と意味の幅を付ける。単なる予測から,価値判断が加わり,それか悪意へシフトすると,だますになっていく,という意味の外延の広がりのあることばである。「はかる」の「謀る」は,

見当をつけるとい意味から,目論み(企み)に転じ,そこから悪だくみへと,意味が転じて言ったものだ。その意味では,「はかる」には,心の中で練っていくという含意がある。

「たばかる」も,

思案する,思いめぐらす,
相談する,
謀り欺く,だます,

と,思案の末に,騙す,という意味で,ほぼ重なる。『広辞苑』には,

「タは接頭語」

とあり,『岩波古語辞典』には,

「タは接頭語。ハカリは未知の分量・重さなどを知ろうと計量するのが原義。転じて,物事の処理を工夫し計画する意。さらに,たくらんで人をだます意」

とあり,ほぼ「はかる」と重なる。

『大言海』は,

「タは發語。安斎随筆…は『たくみはかるの略語か』とあり」

としている。とすると,「はかる」よりは,「たくらむ」含意が強まる。「た」は,

「動詞・形容詞の上につく。意味は不明」

とあるが,

「語調を整え強める」(『広辞苑』)

というところなのだろう。

「たやすい」
「たなびく」

等々と並んで,「たばかる」も入る。「手」の古形に,

手枕,
手力,
手挟み(たばさみ),
たなごころ,
手折る(たおる)

等々「た」と訓ませる接頭語があり,これとつながるのではあるまいか。

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%9F

は,接頭語「た」について,

「『手の語根』と同語源とも考えられる。」

としている。あえて,「た」を付けるということは,そこに意図が強調されている,とみることができる。「はかる」より「たばかる」の方が,より意識的意図的の含意が出る。

『日本語源大辞典』は,接頭語「た」説以外にも,以下のように諸説載せる。

タクミハカルの略か(安斎随筆),
タ(他)ヲハカル意か(和句解),
昔,手で物の大小をはかったところから,テハカル(手量)の義(名言通),
タマハカル(魂計)の義(柴門和語類集),
タバカリはアタリハケリ(化術)の義(言元梯),

等々。「手」との関連がやはり注目される。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
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2018年06月23日

放下


「放下」は,

ほうげ,

と訓む。また,

ほうか,

とも訓む。「ほうげ」と訓むと,

投げ捨てること,
禅宗で,心身共に一切の執着を捨ていること,また,その禅僧,

を意味するが,「ほうか」と訓むと,投げ捨てる意味の他に,「放家」とも当てて,

中世・近世の芸能,

を指す。『広辞苑』には,

「手品や曲芸を演じ,小切子(こきりこ)を操り,小歌を歌い,八桴(やつばち)を打ちなどした。その演者を,放下師または単に放下ともいい,僧形のものが多かったので,放下僧とも呼んだ。僧形でも烏帽子を被ったり,笹を背負うなど,異形の姿だった。」

とある。

71UtaAwase_Houka.jpg

(『七十一番職人歌合』より「放下」。笹竹を背負い、烏帽子姿であるく放下師https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E4%B8%8Bより)


『岩波古語辞典』には,

「又,一種の国賊あり,放下の基と号して,三衣一鉢を捨てて,身に衣を着ずして,或,烏帽子を着,或は,狗・猫・兎・鹿(しし)の皮を着て,舞いを為し,歌を歌ひて,正法を謗し,人家の男女を誑譃(わうご)して世を渡る類あり」(塩山和泥合水集)

とある。

もともとは,

「手より物を投げ放ち捨つる」(『大言海』)

意味でしかないが,禅家で,特殊な意味を込めたのは,

『五家正宗賛(ごけしょうじゅうさん)』にある趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん 778~897年)の逸話に依るらしい。

Zhaozhou_Congshen-Fozu_zhengzong_daoying37.jpg

(趙州従諗 『仏祖正宗道影』木版画https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%99%E5%B7%9E%E5%BE%93%E3%82%B7%E3%83%B3より)


http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/060801.html

には,

放下著(ほうげじゃく),

というらしく,

厳陽尊者(げんようそんじゃ)という修行者が趙州和尚に問います。
「一物(いちもつ)不将来(ふしょうらい)の時、如何いかん」
趙州和尚が答えます。
「放下著」
更に問います。
「既に是れ一物(いちもつ)不将来(ふしょうらい)、箇(この)什麼(なに)をか放下せん」
するとこう答えた,と。
「放(ほう)不(ふ)不(ふ)ならば担取(たんしゅ)し去され」

これだけ棄てて無一物になった,という自我(自恃)をも「棄てろ」というのが,

放下著,

であるらしく,それがわからないようなら,そいつ(無一物)を担いでされ,とまで言われた,というわけである。

それが大道芸の放下に使われたについては,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E4%B8%8B

に,

「『放下』の語はもともと禅宗から出た言葉で、一切を放り投げて無我の境地に入ることを意味したが、『投げおろす』『捨てはなす』の原義から派生して鞠(まり)や刀などを放り投げたり、受けとめたりする芸能全般をあらわすようになったと考えられる。」

とあるが,それだけではなく,通常の世界から放下されたもの,という意が込められていたのではあるまいか。

その芸については,

「放下師(放下)がおこなった芸には、中国から渡来した鼓のようなかたちの空中独楽の中央のくびれ部分に紐を巻き付けて回転させたり、空中高く飛ばしたりして、自在に使い分ける輪鼓(りゅうご)や田楽芸の『高足』から転じた連飛(れんぴ)、また、鞠・短刀などを空中に投げ上げて自在にお手玉する品玉(しなだま)、八ツ玉、手鞠、弄丸(ろうがん)などがあり、従来の散楽や田楽から学び習った曲芸や奇術を専業化し、人びとが行き交う大道や市の立つ殷賑の地などでこれを演じて人気を博した。また、『こきりこ』(筑子)と称される、長さ30センチメートル・太さ1センチメートルほどの竹の棒2本を打ち合わせたり、拍子をとったりして物語歌をうたい歩き、あるいは辻に立って歌い、特に子女からの人気を集めた。」

と詳しい。

Houka_SumiyoshiOdori.jpg

(路上で皿回しをしている放下師。『人倫訓蒙図彙』(元禄3年(1690年)頃刊行))。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E4%B8%8Bより)


参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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ラベル:放下 放下著
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2018年06月22日

すっぽかす


「すっぽかす」は,

そのままにして捨て置く,
約束などをしておいて,それを履行しないで放っておく,

といった意味になる。最初は,

ほったらかす,

という状態表現であったものが,価値表現へと転じ,

約束を破る,

といった意味ににシフトしたと見える。『大言海』は,

素放,

と当てている。で,

物をそのままににす,
投げ遣りにす,

という意味しか載らない。『岩波古語辞典』には載らず,『江戸語大辞典』「すっぽかし」の項に,

素っぽかし,

と当てて,

「動詞『すっぽかす』の連用形名詞」

とあり,

うそ,
うそつき,
愚弄,

と意味が載る。ということは,現代の方がソフトな意味に転じていて,もともとは,

うそ,
ないし,
うそつき,

を直接指していた,ということだろうか。『日本語源広辞典』は,

「すっかり+ほったらかす」の簡約変化,

とするが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/su/suppokasu.html

の,

「すっぽかすの『すっ』は、『素っ裸(すっぱだか)』『すっ飛ばす』『素っ頓狂(すっとんきょう)などの『すっ(素っ)』と同じく、言葉の前についてその意味を強める語。すっぽかすの『ぽかす』は、捨てる意味の『ほかす(放す)』を破裂音化したもので、『素っ放かす』と漢字表記もする。」

という説明の方が納得できる。「す」は,

「後世『素』と当て字」

と,『岩波古語辞典』にあり,

ただそれだけの,また生地のままの意を表す(素顔,素肌),
なにも伴わないこと(素で踊る,すうどん,素手),
(他の語の上につけて)軽蔑の意をこめと,ただの,みすぼらしいなどの意(素寒貧,素町人),
程度の甚だしいことを示す(素早い,すばしこい),

といった使い分けになる。やはり,「ほかす」を強めた,というのが妥当だろう。「素」の字は,

「より糸にする前の元の繊維。繭から引き出した絹の原糸」

で,

しろ,

を意味する。うまい当て字ではある。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%99/%E3%81%99%E3%81%A3%E3%81%BD%E3%81%8B%E3%81%99%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,

「すっぽかすとは、程度が激しいことを意味する『す(素)』と、捨て去るという意味の『ほかす(放下す)』からなる慣用語で、すべきことをしないで放置する、約束を破るという意味あいで使用されるが、例えば『仕事をすっぽかす』とか『デートの約束をすっぽかす』のように、仕事をしなかったり、約束を破ったりすることにたいして理由もなく、理由を相手に説明して許しを得ようという気持ちもない場合、つまり『かったるくて仕事したくねえ』とか『あんたなんかとつきあうつもりないから』という気分のときに用いる。

とある。故意で約束を破る,という意味では,一種の意思表示ではある。約束したときは,断れなかった,弱気のつけでしかない,とも言える。

「ほかす」は,

放下す,

と当てる。

「ほうかの転」

である。『大言海』は,

「ほほかす」の転,

としているが,

放置,

の意であるが,「放下」とは,ただの放置ではなく,

投げ捨てる,

意である。禅宗でいう「放下」(ハウカ,ハウゲ)は,

「一切を放り投げて無我の境地に入ること」

を意味したようだから,一種,

すっぽかす,

も決断といってもいい。そこから派生して,

放下師,

という大道芸になるが,それはまた別の話。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
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コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2018年06月21日

あま


「あま」は,

海人,

と当てるが,

蜑,

とも当てる。『広辞苑』は,

あまびと(海人)の略,

とある。『岩波古語辞典』には,

白水郎,

とも当てるとし,

「白水は中国鄮県の地名。白水郎は海上交通の役を司った者,るいは白水の漁夫の意。鄮県の白水郎の名に親しんだ日本の留学生が,それをアマの表記に用いたものであろうという。」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E4%BA%BA

には,

「九州の一部などでは白水郎と記されている。このことから、中国・四国地方より東では潜水する海人を海人と呼び、九州地方では白水郎と呼んでいたことが伺える。」

とある。

800px-Ama.jpg



『大言海』は,

白水郎,
泉郎,

とも当てる。

「海人(あまびと)と云ふが成語なるべし。アマビトを下略して,アマとのみ云ふは,杣人(そまびと)ヲ,ソマとも云ふが如し。…アマウドは,アマビトの音便(旅人,たびうど,商人,あきうど)」

とあり,

字類抄「海人,漁人,アマビト」
庭訓往来(元弘)「水主(カコ),楫取(カンドリ),漁客(スナドリ),海人(アマウド)」,
箋注和名抄「泉郎,阿万」

等々を引く。ただ,『日本語の語源』は,

「漁夫のことをウミビト(海人)といったのがアマビト・アマ(海士。海女)になった。」

と,

ウミビト→アマビト→アマ,

と転じたとする。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E4%BA%BA

によると,

「男性の海人を『海士』、女性の海人を『海女』と区別して記されることがあるが、いずれも『あま』と呼ばれる。海士を一文字にした『塰』という和製漢字(合字)があり、鹿児島県種子島の塰泊(あまどまり)という地名に用いられている。
中国の水上生活者を意味する『蜑』(たん)、『蜑家』、『蜑女』という表記を用いて、『あま』と読む例が近世の文書に見られる。例えば、『南総里見八犬伝』に、『蜑家舟』と書いて『あまぶね』と読む語が登場する。
その他、『海人』と書いて、うみんちゅ(沖縄方言)、かいと(静岡県伊豆地方など)と読む場合もある。大韓民国では済州島などに『海女(ヘニョ)』と呼ばれる女性を中心とした海人がいる。」

とあり,『魏志倭人伝』には,

倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み、文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。

とある。海人である。

アマビト→アマ,

ウミビト→アマビト→アマ,

で決まりかと思うが,その他にも,

アヲミ(蒼海)の轉語アマ(海)から転じた(和訓栞),
アはアヲウミ(蒼海),マはスマヰ(住居)の略(日本釈名・関秘録),
ウナベ(海部)の約転か(雅言考),
アマヘ(蜑戸)の略(名言通),
アフギマネク(仰招)の意(和句解),

等々。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2018年06月20日

あまい


「あまい(あまし)」は,

甘い,

と当てる。「甘」(カン)の字は,

「『口+・印』で,口の中に・印で示した食物を含んで味わうことを示す。ながく口中で含味する。うまい(あまい)物の意となった。」

とある(『漢字源』)。これを見ると,漢字字体に,

味覚の甘さ,

と同時に,

うまい,おいしい,

とい意味が入っていることがわかる。ただ,日本語で言う,

脇が甘い,
天が甘い,
子供に甘い,

等々といった「厳しくない」という意にまで,メタファとして使うのは,我が国だけのようである。

『大言海』は,「あまし」に,

甘し,
甜し,

を当てる。「甜」(漢音テン,呉音デン)は,

「『甘(あまい)+舌』で,舌にへばりつくようなあまさ」

とある(『漢字源』)。「ねっとりとあまったるい」意なので,甘味が濃厚といことだろか。この字にも,「うまし」(美味)の意がある(『字源』)。

『大言海』は,「あまし」は,

「旨(うま)しと通ず」

とする。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/amai.html

も,

「甘い味は『美味』の意味で多く用いられることや、熟した果実の甘い味を『うまい』と表していたことから,『うまい(うまし)』が転じて『あまい(あまし)』になったと考えられる。また,『あじ(味)』の『あ』は『あまい』の『あ』に通じるため,『あ』の音に『味わい』の意味があり,『うまい』と合わさったとも考えられる。味覚を表す他の語と同じく『甘い』も時代が新しくなるにつれ,味覚以外に様々な表現に用いられるようになった。」

うまし→あまし,

とする。あるいは,大括りな「うまい」という表現から,味覚の甘さだけが分化して,

あまい,

と際立ったのかもしれない。実際,『岩波古語辞典』の「うまし」は,

甘し,
旨し,
美し,

を当てる。美味の旨いから味覚の甘いに焦点があわされ,それをメタファに,優れているという価値表現へと転じ(うまし國),巧み,さらに,(技倆が)優れている,上手(「巧い」「上手い」)の意味へと転じていく。旨い,甘い,が心持へ,更に技倆へと拡大された。

『日本語源広辞典』も,

「『ウマシとアマシ』は,語源が近いというのが大言海の説です。そうした『甘美な物を食べる口形から出た語』であろうというのが有力な語源説です。方言で,アマー,アミャー,ウミャーなどという言葉が生きています。アマエル,アマヤカスも同源の動詞です。」

とする。しかし,「うまい」については,三説挙げる。

説1は,「ウム(熟むの未然形)+シ(形容詞化)」。果実の熟した味の良さをいう形容詞で,後にアマイと混用した,
説2は,「倦む+シ」。飽きるほどの味の良さをいう,
説3は,「ウ(大)+マ(間)+シ」。たいそう立派な空間の意味(うまし國等々)。後に,良い,美味に転じた,

『日本語源大辞典』は,「うまい」の語源を,

ウマは,熟した果実の味をいうウム(熟)から。アマシと通じる語か(日本釈名・国語の語根とその分類=大島正健),
ウミシキ(熟知)の義(名言通),
アマシと同源(和句解),
クハシ(妙)の転(言元梯),
アマムカハシキ(甘向及)の約転(和訓集説),

と諸説挙げるが,常識的だが,

熟した果実の味をいうウム(熟)から,

が妥当に思える。「甘い」側も,

ウマシと通ず(日本釈名・大言海),

と,

あまし⇔うまし,

が互換的のようだが,

うまい→あまい,

と分化したと,見たい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2018年06月19日

あめ(飴)


「あめ」は,

飴,

と当てる「あめ」だが,古くは,

糖,
餳,

とも書いた,とある(『広辞苑』)。「飴」(シ)の字は,

「『食+音符台(人工を加えて調整する)』。穀物に人工を加て柔らかく甘くした食物」

である。

Mizuame_001.jpg



https://okjiten.jp/kanji2275.html

には,

k-2275.gif



「会意兼形声文字です(食+台)。『食器に食べ物を盛りそれに蓋をした』象形と『農具:すきの象形と口の象形』(『大地にすきを入れて柔らかくする、やわらか』の意味)から、やわらかな食品『あめ』を意味する『飴』という漢字が成り立ちました。」

と異なる由来が載る。『たべもの語源辞典』には,

「台には『よろこぶ』という意味があり,食べてよろこぶものが,飴である。」

とある。しかし,『漢字源』には,「台」は,

「もと『口+音符厶』。厶(イ)は,曲がった棒でつくった耜(シ すき)のこと。その音を借りて一人称代名詞にあてた。」

とある。「臺」(台)の方は,

「『土+高の略体+至』で,土を髙く積んで人の来るのを見る見晴らし台をあらわす。のち台で代用する。」

とあり,そんな意味はないのだが。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%B4

によると,

「文献上は、神武天皇が大和の国を平定した際に、『大和高尾』の地で『水無飴』を作ったという記載が、『日本書紀』の「神武紀」にある。
われ今まさに八十平瓮をもちて、水無しにして飴を造らむ
この『飴』は『たがね』と読む。『日本書紀』は神話であり、『神武天皇の時代』とされる紀元前7世紀については不明であるが、同書が編纂された720年(養老4年)には、既に飴が存在していたことになる。
正倉院に収蔵されている古文書に阿米(あめ)という記載があり、飴を意味していると考えられており、8世紀前半には日本で飴が作られていた事が分かる。この当時の飴はいわゆる水飴であったというのが研究者の一致した見解となっており、『阿米』という記載から伺えるように米を原料としていたと考えられている。」

とあり,さらに,『たべもの語源辞典』には,

「飴を『たがね』とよませたのは,米飴(たがね)すなわち『こめもやし』で飴をつくったからである。」

ともある。因みに,「もやし」とは,米を発芽させたもので,

「『米もやし』を使ってでんぷんを糖に変える」

のである(後年には麦芽が使われるようになる)。

既に,

「平安時代には西の京の市に飴市があった。この時代は米のもやしでドロドロの飴をつくった。鎌倉時代には,地黄煎(きおうせん)という飴があった。穀芽の粉末に薬草でもある地黄の汁を合わせて飴にしたものが起こりで,京稲荷前で製したものを,江戸では下り飴といった。職人尽の絵に地黄飴(あまいせんねん)とある。元禄(1684-1704)のころには『あまい』とも『せんねん』ともよんだ。細長い飴袋に『千歳飴』と書く名称の起こりはこれによる。糯米をよく煮て,麦麹の粉と冷湯とを合わせて甘酒のようにして濾過して練ったものを水飴または湿(しる)飴と称した。これをさらに練って固くしたものが堅飴で,膠飴(くろあめ)と称した。さらに練ると白色に変じ,それが白飴である。元和元年(1615)大阪の浪人平野甚左衛門重政が水飴を創製し,伏見に伝わり,後,重政は江戸に出て浅草寺でつくった。それが千歳飴である。」

と飴の歴史である。

main.jpg

(飴売渦松 一英斎芳艶画 文久元年(1861)http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no25.htmlより。江戸の飴売りに扮した市村羽左衛門。飴売りは、このように三味線をひいたり、鉦(かね)をたたいたり、また唐人飴売りは唐人風の服装で、チャルメラのような笛を吹いて飴を売り歩いたといいます。)

さて,「あめ(飴)」の由来である。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/ame_candy.html

は,

「 あまい(甘い)」の「あま」が交替した語。」

とあり,『たべもの語源辞典』も,

「マイのアマがアメになった」

としているが,『大言海』は,

「日本釈名(元禄)下,飲食,飴『アメは,アマ也。アマキ意。メと,マと通ず』。俗語考(橘守部)『アメ,アマメ「飴也」云々,田舎人の,アマメとも云ふことのあるを思へば,甘滑(あまなめ)の約れる言なるべし。云々,味噌豆より出る滑(なめ)を,直にナメと云ふ類也』。又,或は,甘水(あまみ)の約転か(雨も,天水(あまみ)の約転)。沖縄にては,アミと云ふ」

と,定めていない。

『日本語源大辞典』は,

「(あまいの)語根『あま』(甘)に,名詞を形成する接辞iが付き,転成したもの」

としつつ,諸説を載せている。

アマ(甘)の転(日本釈名・東雅・箋注和名抄・言元梯・言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本古語大辞典=松岡静雄),
アマナメ(甘滑)の約(俗語考),
アマケ(甘食)の転(名言通),
アは甘,メはなめて食べるからか(和句解),
アメ(雨)と同源。雨は万物を養うことからという(古語類音=堀秀成),
アマミチ(甘満)の反(名語記),

等々。やはり,「甘い」の「あま」からは抜け出せない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)


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2018年06月18日

ほうき


「ほうき」は,

箒,
帚,

と当てる。「帚」(ソウ,漢音シュウ,呉音ス)は,

「柄つきのほうきうを描いたもので,巾(ぬの)には関係がない。巾印は柄の部分が変形したもの。掃(ソウ はく)・婦(ほうきをもつ嫁)の字の右側に含まれる。」

とある。「箒」(ソウ,漢音シュウ,呉音ス)は,帚の異体字。

「ほうき」は,ほとんどの辞書が,

ハハキの転,

としている。『日本語源大辞典』は,

「語形としては『十巻本和名抄-四』『色葉字類抄』『観知院本名義抄』などには『ハハキ』とある。節用集や下學集の中には『ハハキ』『ハワキ』とするものがあるが,室町時代には『ハウキ』が優勢となっていた。『日葡辞典』では,『Foqi(ハウキ)』となっている一方,『fauaqigui(ハウキギ)』『tambauaqi』(タマバワキ)などハワキの形も見られる。」

と,語形変化を説く。

ハハキ→ハワキ→ハウキ・ハワキ→ホウキ,

といった変化であろうか。

「ははき」は,『岩波古語辞典』に,

「羽掃きあるいは葉掃きか」

とある。『日本語の語源』は,

「落葉を掃き寄せる道具をハハキ(葉掃き)といったのがホホキ・ホフキ・ホウキ(箒)になった」

としている。『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E7%AE%92

「もとは鳥の羽を用いたことから、『羽(は)+掃(は)き』と考えられる。」

とする。

800px-Shimogamo-Broom-M1625.jpg

(箒(下鴨神社・京都市左京区)https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%BB%E3%81%86%E3%81%8Dより)


羽掃き,

葉掃き,

かの断定は難しそうだ。ただ,

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%BB%E3%81%86%E3%81%8D

には,

「『ほうきで掃く』を意味する動詞『ははく(>はわく)』の連用形名詞化。」
「羽箒を用いた掃き掃除を意味する『ははき(羽掃き)』から転じた言葉とも。」

とあるので,あるいは,用途に応じて,素材を変えていたということも考えられる。たとえば,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%92

には,

座敷箒(ざしきぼうき)
土間箒(どまぼうき)
庭箒(にわぼうき)
荒神箒(こうじんぼうき)
茶道具の羽箒,

等々がある。

http://azumahouki.com/know/history/

には,

「古くは実用的なお掃除道具ということ以上に、神聖なものとして考えられており、箒神(ははきがみ)という産神(うぐがみ、出産に関係のある神様)が宿ると言われていました。日本最古の書物『古事記(712年 奈良時代)』には、『玉箒』や『帚持(ははきもち)』という言葉で表現されており、実用的な道具としてではなく、祭祀用の道具として登場しています。」

とあり,荒神箒は,その名残りかも知れない。『世界大百科事典 』には,

「正倉院には、養蚕儀礼用ではあるが、『子日目利箒(ねのひのめのとぎぼうき)』という奈良時代の箒が残っている。これはキク科のコウヤボウキの茎を束ねて根元を革紐(ひも)で結んだもので、ガラスの小玉の飾りがついており、柄はついていない。また、民俗的な伝承が多く、妊婦の腹を箒でなでたり、産室にこれを立てておくと安産になるといった出産に関する信仰が古くからある。これは古くは産室にカニをはわせる習慣があり、そのために箒を使ったことからきており、カニの脱殻作用を霊肉の更新と結び付けた古代人の信仰によるものといわれる。」

ともある。『日本語源大辞典』には,

「『古事記上』に,天若日子の死に際して鷺を『箒持(ははきもち)』としたことが述べられ,『古語拾遺』(嘉禄本訓)には豊玉姫命の出産に際して天忍人命が『箒(ははき)』で蟹を払ったことが記されている。後世箒を逆さに立てて長居の客を帰すまじないにもみられるように,『ほうき』は呪術的な意味を持つ道具であったことがわかる。」

とある。もともと「掃く」という行為は,浄めるという含意がある。「掃く」こと自体が,特別な動作だったのかもしれない。その道具「ほうき」も特別な物だったといっていい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2018年06月17日

天児


「天児」は,

あまがつ,

と訓む。

天倪,
尼児,

とも当てる。『広辞苑』には,

古く。祓(はらえ)に子供の傍に置き,形代(かたしろ)として凶事をうつし負せるために用いた人形。」

とある。『人形事典』には,

「平安時代からある。形代から進歩したもので、十文字形に作った棒の上部に、きれでくるんだ顔をつけた小児の祓いに用いられるもので、日本の人形の祖型の一つである。」

とある。

g-5.gif

(『人形事典』 https://www.weblio.jp/content/%E5%A4%A9%E5%85%90より)


『日本大百科全書(ニッポニカ)』には,

「幼児の守りとして身の近くに置き、凶事をこれに移し負わせるのに用いる信仰人形。幼児用の形代(かたしろ)として平安時代に貴族の家庭で行われた。『源氏物語』などの諸書には、幼児の御守りや太刀(たち)とともにその身を守るまじない人形の一種として登場する。1686年(貞享3)刊の『雍州府志(ようしゅうふし)』(黒川道祐(どうゆう))によると、30センチメートルほどの丸い竹1本を横にして人形の両手とし、2本を束ねて胴として丁字形のものをつくり、それに白絹(練り絹)でつくった丸い頭をのせる。頭には目鼻口と髪を描く。これに衣装を着せて幼児の枕元(まくらもと)に置き、幼児を襲う禍(わざわい)や穢(けがれ)をこれに負わせる。1830年(文政13)刊の『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』(喜多村信節(きたむらのぶよ))には子供が3歳になるまで用いたとある。天児を飾ることは室町時代に宮中、宮家などで続いてみられ、江戸時代には民間でも用いられるようになった。また天児と同じ時期に発生した同じような人形に縫いぐるみの這子(ほうこ)があり、江戸時代に入ると天児を男の子、這子を女の子に見立てて対(つい)にして雛壇(ひなだん)に飾り、嫁入りにはこれを持参する風習も生まれた。」

と詳しい。「這子(ほうこ)」は,

はいこ,

とも訓み,文字通り,

這っている人形,
幼児の這い歩く姿をかたどった人形,

である。

御伽(おとぎ)這子,

とも言った。『人形辞典』には,「這子・婢子」と当てて,

「平安時代(794~1192年)からある小児の遊び物。はじめは天児と同様、小児の祓いの人形だった。首と胴は綿詰めの白絹、頭髪は黒糸、這う子にかたどってあるので、こう名付けられた。別名をお伽婢子(ほうこ)ともいう。」

とある。将に,人形のはしりである。

g-6.gif


「天児」と「這子」は,『大辞林』には,

「古代,祓(はらえ)に際して幼児のかたわらに置き,形代(かたしろ)として凶事を移し負わせた人形」

であった「天児」が,

「後世は練絹(ねりぎぬ)で縫い綿を入れて,幼児のはうような形に作り,幼児の枕頭においてお守りとした這子(ほうこ)をいうようになった。」

とある。

「孺形(じゆぎよう)」

ともいうらしい。 「形代」とは,

「神霊が依り憑く(よりつく)依り代の一種。人間の霊を宿す場合は人形を用いるなど、神霊が依り憑き易いように形を整えた物を指す。」

元々は,神を祭る際に,神霊の代わりとして据えたもの,

を指すが,みそぎ・禊(はらえ)などに用いた人形(ヒトカタ)を指すようになる。で,

「人の身についた穢れや厄を託して,海や川に流すもの。神霊の依代 (よりしろ) の一種と考えられている。多くは紙の小さな人形 (ひとがた) であるが,ところによってはわら人形や,食物に託すこともある。鳥取県の流し雛も形代の一種で,川に流したり,氏神様の境内に納めたりする。疫病神や悪霊の依代とされて,毎年村境に送られるわら人形や,神聖なものとされている削り掛けや鏡,玉,臼,杵なども形代の一つである。しかし一般には,なで物といわれる,穢れを託して送ってしまうものをさす場合が多い。」(ブリタニカ国際大百科事典)

さて,では「天児」の語源は,何か。『大言海』は,

「春雨抄(寛永)に,天兒,源氏物語,河海抄に,尼兒と記せり。或は,天聞勝(あまかつ),天目勝(あまかつ)などともあり,語原詳ならず。先輩の明解も索め得ず,強いて言はば,天禍津靈(アママガツビ)の約略(河津蛙[かはずかへる],河蝦[カハズ]。秋津蟲,蜉蝣[あきつ])。禍津靈を負はする物の意か。牽強ならむか,再考に付す」

と,苦しげである。

『日本語源大辞典』には,

目勝(アマカツ,あるいはマナカツとよむか)の義,一説にアヅマワラハ(東豎子)を模すともいう(和訓栞),
アマガメ(天母形)の転(嬉遊笑覧),
アメガチコの約転(貞丈雑記),
アマガツ(天勝)の義(名言通),
オモガタ(母像)の転か(日本語源=賀茂百樹),

と諸説載るが,確かに苦しい。

天兒,

は当て字なので,ここから探るのは難しいのだろうか。

なお天児(あまがつ)と這子(ほうこ)については,

https://www.hinaningyou.jp/know02.html

に詳しい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2018年06月16日

あめ(天)


「あめ」は,

天,

と当てる。「天(てん)」の意である。「天」(テン)の字は,

「大の字に立った人間の頭の上部の高く平らかな部分を一印で示したもの。もと巓(テン いただき)と同じ。頭上高く広がっている大空もテンという。高く平らに広がる意を含む。」

とある。

300px-天-oracle.svg.png

(殷 甲骨文字 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A9より)


しかし,「あめ(天)」は,「天(てん)」とは少し異なる。「天(てん)」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163401.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163558.html

等々で触れたことがあるが,たとえば,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9

では,

「中国の思想では、全ての人には天(天帝)から、一生をかけて行うべき命令(天命)が与えられており、それを実行しようとする人は天から助けを受け、天命に逆らう者は必ず滅ぶと考えられている。天は全ての人のふるまいを見ており、善を行うものには天恵を、悪を行うものには天罰を与える。その時の朝廷が悪政を行えば天はこれを自然災害の形を取って知らせ、逆にこの世に聖天子(理想の政治を行う皇帝)が現れる前兆として、天は珍しい動物(麒麟など)を遣わしたり、珍しい出来事を起こして知らせる、と考えられた。特に皇帝、王朝の交代時には盛んに使われ、ある王朝を倒そうとする者は「(今まで前王朝に与えられていた)天の命が革(あらた)まって我々に新しい天命が授けられた。」と言う考え方をする。つまり革命である。」

とある。あるいは,『ブリタニカ国際大百科事典』には,

「殷代には,『天』は『大きい』という意味であり,天空を支配する最高神を『帝』と呼んでいたが,周代には,『天』と『帝』が同義語となり,地上の支配者である王は上帝の命により天下を統治するものと考えられるようになった。そこで,地上の『王』も『帝』と呼ばれるようになる。」

とある。中国から日本に伝えられたその,

「『天』(天上世界、宇宙の最高神、守護神などを意味する)の観念には、〔1〕道教系、〔2〕儒教系、〔3〕仏教系のものがあり、これらがそれ以前からあった〔4〕日神(ひのかみ)信仰(ここからのちに皇祖神天照大神(あまてらすおおみかみ)の観念が発生する)と合体して日本古代の天の思想を形成したようである。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

さて,ここでは,その古来の「あめ(天)」の語源である。「あめ(天)」の古形は,

あま,

であると,『岩波古語辞典』はする。そして,「あま(天)」の項で,『岩波古語辞典』には,

「『天つ』『天の』の形で他の語に冠する。アマは,何もないという意のソラ(空)とは異なり,奈良時代及びそれ以前には,天上にあるひとつの世界の意。天上で生活を営んでいると信じられた神々の住むところを指した。天皇家の祖先はアマから降下してきたと建国の神話にあり,万葉集などにも歌われている。それでアマは,天上・宮廷・天空に関する語につけて使う。」

とある。「あめ(天)」は,

「天つ神の住む天上の世界。古くは地上の『くに』の対。後にアメが天界の意から単なる空の意と解されるに至って『つち』の対」

とある。しかし,『大言海』は,「あめ」の項で,

「橘守部の説に,アメは,上邊(うはべ)の約,底國(そこのくに)を下邊(したべ)と云ふに対するという,いかがあるべき,凡そ,此の如き原始語の語原を説かむは,不可能の事なり,外に語原説,尚種々あれど,皆付会なり,此語アマとも云ふは,,熟語に冠したる時の音轉なり。爪(つめ),ツマ先。目(め),ま蓋などの例なり。雨(あめ)を,あま雲,あま水,あま夜など云ふも同じ。天津と云ふ,ツは(津は借字)古き辞(テニハ)にて,之(の)の義なり。和訓栞『天の字は,多くアメと訓めり。古事記に,アメと云ふにはち註せず,アマと唱ふべきには註あり。サレバ,アメは本語,アマは轉語なるべし』。アメノ,アマノは,万葉仮名にて書きたるあるは,区別に論なけれど,漢字にて,天(てん)とのみ書きてありて,何れともしらぬは,各書の旧旁訓に従へるもあり,…アマノとあるに,一切,アメノと改訓するは妄なりと思ふ。好古叢誌の巻二に,飯田武郷の,アマノ,アメノの区別説あり。天(アメ),天(アマ)又は,連体詞となりて,天(あめ)の,天(あま)の,天津,と云ふに種々異議あり」

と,「あま」「あめ」の音転であり,「あめ」を本来とする。

『大言海』が,付会と一蹴する諸説を,『日本語源大辞典』は,次のように載せる。

アオギミユ(仰見)の略訓(桑家漢語抄)
アミ(阿水)の意(柴門和語類集)
ウカミ(所浮)の義か。また,あまりの義か(雅言考),
アヲミル(蒼見)の反(名言通),
イカミエ(大見)の反(名語記),
天を仰ぎ見る時に自然に出る感嘆の声(言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本語源=賀茂百樹),
「奄」の音(am)の転音(日本語原学=与謝野寛),

確かに,付会というか語呂合わせといっていい。わからないものはわからない,というのも見識かもしれない。

『日本語源広辞典』は,

「ア(非常に大きい空間)+マ(空間)」

とし,

「日本語では,天と地と対立する概念のときはアメを使い,複合語のとき,アマとなることが多いようです。」

とする。それなら,

天を仰ぎ見る時に自然に出る感嘆の声,

に個人的には惹かれる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
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ラベル:あめ(天)
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2018年06月15日

あめ(雨)


「あめ」は,

雨,

と当てる。

320px-Hiroshige_Atake_sous_une_averse_soudaine.jpg

(歌川広重『名所江戸百景』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8より)

「雨」(ウ)の字は,

「天から雨の降るさまを描いたもので,上から地表を覆ってふる雨のこと」

とある(『漢字源』)が,

k-103.gif



https://okjiten.jp/kanji103.html

は,

「天の雲から水滴が滴(したた)り落ちる」

象形を描いてわかりやすい。『岩波古語辞典』は,

「アマ(天)と同根」

とする。『大言海』は,

「天水(アマミズ),アマミ,アメと約転したる語。東雅,雨『アメとは,天水也』。萬葉集に『妹が目(メ)を欲り』など云へるメは,目見(マミ)の約なり,…ツを略するば,出水(イズミズ),泉。水草,みくさの例あり。雨を,天津水(あまつみず)と云ひ,天水(てんすゐ)と云ふ。沖縄にて,アミ」

とある。

Starkregen.jpg

(移動する雨雲と雨筋 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8より)

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/ame.html

の言う通り,

「雨は、古くから草木を潤す水神として考えられており、雨乞いの行事なども古くから存在する。『天』には『天つ神のいるところ』といった意味もあるため、雨の語源は、 上記『天』『天水』のいずれかであると考えられる。」

雨の語源は、大別すると、

「天(あめ)」の同源説

「天水(あまみづ)」の約転とする説

にわかれる。しかし,

http://www.7key.jp/data/language/etymology/a/ame2.html

に,

「雨が多く、水田や山林など生活に雨が大きく関係している日本では、古くから雨のことを草木を潤す水神として考えられた。雨が少い場合は、雨乞いなどの儀式が行われ、雨が降ることを祈られた。『天』には『天つ神のいるところ』との意味があり、そのため雨の語源と考えられている。」

とあるように,「天」そのものと見るか,その降らせる水にするかの違いで,両者にそれほどの差はない。

『日本語源広辞典』は,

「語源は,天(アメ,アマ)と共通の語源であろうという説が有力です。大言海は『アメ(天)+ミ(水)』説です。アマ(非常に広大な空間)から落ちてくる水が,雨なのです」

とまとめる。

アマミズ(天水)の約転(名語記・東雅・言元梯・名言通・和訓栞・大言海・国語の語根とその分類=大島正健)。
アメ(天)と同語(和句解・日本釈名・日本古語大辞典=松岡静雄),

の二説が大勢だが,しかし,これ以外にも,

アム(浴)の転(嚶々筆語),

という説もある。

アマモレ(天降)の約(和訓集説),

は,天水と同じだろ。

因みに,「雨」が頭にくると,

「雨模様」 は,

「あまもよう」

と訓む。他にも,

「雨粒 (あまつぶ) 」 「雨脚 (あまあし) 」 「雨傘 (あまがさ) 」 「雨靴 (あまぐつ) 」 「雨垂れ (あまだれ) 」 「雨合羽 (あまがっぱ) 」 「雨蛙 (あまがえる) 」

等々。「あま」は,

あめ(雨),

の古形ではあるが,同時に,

アメ(天)の古形,

でもある。「あま(天)」の項で,『岩波古語辞典』には,

「『天つ』『天の』の形で他の語に冠する。アマは,何もないという意のソラ(空)とは異なり,奈良時代及びそれ以前には,天上にあるひとつの世界の意。天上で生活を営んでいると信じられた神々の住むところを指した。」

とある。とすると,

雨=天,

ではなく,やはり,

天水,

と考えるのが妥当のように思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)


ホームページ;
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コトバの辞典;
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2018年06月14日

はれる


「はれる」(はる)は,

晴れる,
霽れる,

と当てる。

雲や霧が消えて去ってなくなる,
雨や雪が降りやむ,

とい意味だが,それをメタファに,

心のわだかまりが解けさる,
疑いなどが解けて潔白になる,
視界が開ける,

といった意味にも使う。『岩波古語辞典』の「はれ」の項には,

「ハラ(原)と同根か。ふさがっていた障害となるものが無くなって広々となるさま」

とある。「はら(原)」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455267128.html

の項で触れたように,「腹」の語源の一つには,「ハラ(原)」があり,人体の中で広がって広いところ,の意,という説がある。『大言海』は,

「廣(ひろ)に通ず,原(はら),平(ひら)など,意同じと云ふ。又張りの意」

とし,「原」の項では,

「廣(ひろ),平(ひら)と通ず。或いは開くの意か。九州では原をハルと云ふ。」

とある。これは,『岩波古語辞典』の,

「ハラ(原)と同根か。ふさがっていた障害となるものが無くなって,広々となる意」

と通ずる。面白いのは,『大言海』は「はる」の項で,

墾,
治,

という字を当てるものは,

「開くの義,開墾の意,掘るに通ず」

とし,

晴,
霽,

の字を当てるものは,

「開くの義,履きとする意」

として,いずれも「開く」につながるのである。その意味は,

パッと視界が開く,

晴れ晴れ,

という感じと似ているが,それは,

開いた(開墾した),

という含意があることらしい。つまり,開く(開墾する)ことで,開けたという意味である。

『大言海』の「はる(晴る・霽る)」に,

「開(はる)くの義。はきとする意」

通ずる気がする。「はるく」

開く,

は,

晴れる,

意とある。『日本語源広辞典』に,「晴れ」について,

晴・墾・原と同源,

とし,

「空に障害物,雲,霧などがなく,ハレバレとした様」

とあるのも同旨である。

清里高原の青空_cloudless_blue_sky,_Kiyosato,_Japan.jpg

(雲一つない青空 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E7%A9%BAより)

『日本語源大辞典』には,

ハルカアル(遥有)の転か(名言通),
ハル(発)の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ハルク(開)の義(大言海),
ハアル(開生)の義(国語本義),
ハラフ(払)の義(言元梯),
払い除けられたように散る意から(国語の語根とその分類=大島正健),
ハル(墾)・ハラ(原)と同根か(岩波古語辞典),

とあるが,「開く」という感覚が,一番しっくりくる。『岩波古語辞典』が「晴れと同根」とする「はるか」を,『大言海』は,

開處(はるか)の義,

とするが,それも「開く」ところから来ているとみていい。

『日本語源広辞典』は,「はるか」について,

「ハル(ハルバルの意)+カ(接尾語)」

で,遠く離れた状態をあらわす,という。もとは,空間的な意味だが,時間的にも使う,とある(『岩波古語辞典』)。その,

人からの遥かに離れた感覚,

が,

広がり,

を感じさせ,

はるけき,
はるかす,

といった遠い感じだけでなく,視界が開く感じにも,意味はつながっていく。「はるか」に開いた「晴れ」だからこそ,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455267128.html

で触れたように,「ハレ(晴れ、霽れ)」は,普段の生活である「日常」(「ケ(褻)」)の軛から脱するとき開放感を表してしている。僕には,

はれ,
はるか,
はるばる,

は,そういう気分や状態を表す擬態語だったのではないか,という気がしてくる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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2018年06月13日

さえずる


「さえずる」は,

囀る,

と当てる。「囀」(テン)の字は,

「『口+音符轉(テン)』。轉(転)は,転がす意を含むが,囀はそれと同義」

で,

玉を転がすように続けて鳴く,

意らしい。

DSC04890.JPG

(囀るグイス)


ところで,鳥の鳴き方には,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E9%A1%9E%E7%94%A8%E8%AA%9E#%E3%81%95%E3%81%88%E3%81%9A%E3%82%8A

によると,「さえずり」と「地鳴き」がある。「さえずり(英:bird song)」は,

「主に縄張り宣言や雌を呼ぶために、繁殖期の雄が発する鳴き声。中でも鳴禽類は鳴管の筋肉がよく発達しており、高度なさえずりをする種がある。」

で,「地鳴き(じなき、英:bird call)」は,

「さえずり以外の鳴き声。主に繁殖期以外での鳴き声を言う。一例として、ウグイスのさえずりが「ホーホケキョ」、地鳴きが「チャッチャ、チャッチャ」。ほかには警戒や威嚇の際の鳴き声、雛を呼ぶときなどの鳴き声を言う。状況に応じ使い分ける。」

とある。「地鳴き」は比較的「さえずり」に比べると,僕には四十雀が象徴的だが,地味かもしれない。

さて,「さえずる」は,『広辞苑』には,

「サヒヅルの転」

とある。『岩波古語辞典』には,「さひづり」は。

「サヘヅリの古形」

とある。『大言海』は,

「サヘは,喧語(さへ)くの語根…,ツルは,あげつらふ(論),引(ひこ)つらふのツラフと通づ…。佐比豆留とある比は,閇(へ)の音に用ゐたるなり」

とあり,「喧語(さへ)くの語根」との関連で,「コトサヘク」の項で,

「コトは,言ナリ,サヘクは,四段活用の動詞ニテ(名詞形に,佐伯となる)囀る,喧(さばめく)と通ず。」

とあり,

「つらふのツラフと通づ」の項で,

「萬葉集『散釣相(サニツラフ)』『丹頬合(ニツラフ)』の釣合(ツラフ)にて,牽合(ツリア)フの約(関合[かかりあ]ふ,かからふ),縺合(もつれあ)ふの意なり」

として,

喧語(さへ)く+縺合(もつれあ)ふ,

とする。鳥が騒がしく喋りまくっている,という感じであろか。よく主意は伝わる。『日本語源広辞典』は,

「擬音さへ+ク(動詞語尾)」

が語源とし,

「さわがしく物を言う意で,これにズル(動詞化)をつけた再動詞」

とするのも,構造は同じである。これと類する説を,『日本語源大辞典』は,

サヘは擬声語か(時代別国語大辞典-上代編),
サヘは擬声語で,ヅルは音ヅルなどと同じか(小学館古語大辞典),
サヘはサヘク(喧語)の語根。ツルはアゲツラフ,ヒヨ(引)ツラフのツラフと通じる(大言海),

の諸説以外に,

障りて通じがたいところからサヘ(障)出るの義(和句解),
サヘツル(栄連)の義(言元梯),
サヘツレル(清連)の義(名言通),
曲節をつける意で,シハユリナクランの反(名語記),
弁舌をよくするものの意で,サヘツル(才出)の義か(和句解),

も載せるが,

さわがしい+連,

擬声語+連,

というところなのではないか。それなら,「囀」の字の意味と重なる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ラベル:さえずる
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2018年06月12日

逐電


逐電は,『広辞苑』に,「ちくてん」で載り,

「チクデンとも。稲妻を追いかける意」

とあり,『デジタル大辞泉』には,

「古くは『ちくてん』とも。」

とある。今日だと,

行方をくらます,

意で用いることが多いが,

極めて早く行動すること,

という意味も載る。『岩波古語辞典』には,「ちくてん」で,

「電光を逐(お)う」

とある。「逐電」の「逐」(漢音チク,呉音ジク)の字は,

「『豕(いのしし)+辶(すすむ)』で,いのししを追いつめることを表す。」

で,あとをつけて一歩一歩追いつめる,という意味である。

「電」(漢音デン,呉音テン)の字は,

「原字は申で,いなずまの姿をえがいた象形文字。のち『臼(両手)+|(のばす)』の会意文字。電は『雨+音符申(のびる)』で,さっと長くのびるいなづま」

を示し,稲妻,雷の光,を意味する。つまり,逐電は,

雷光を逐う,

という意であり,そこから,

極めて早く行動すること,

とつながったと思われる。『字源』は,「逐電」を,

電光を遂ふ如く極めて早し,

としている。これが原義と思われる。因みに,「逐う」の類語は,

追う,

だが,「追う」は,

逃げるものを追いかけ捕える義,

とあり,「逐う」は,

此の方より,物をおひ払う義。駆逐と連用す。逐臣とは,国外へ,逐ひ払ひたる臣を云ふ。また追と同じくものを追い回す義にも用ふ」

とある。「逐」には,「放逐」とか,追放の含意があることは,着目していい。

なお『大言海』には,こうある。

「相馬の語に起こる。劉勰,新論『九方諲之相馬也,雖未追風逐電,絶塵滅影,而迅足之勢固已見矣』。朱子題跋『天馬脱銜,追風逐電』」

「新論」は,北齊·劉晝「新論·知人」らしい。これを見る限り,

追風逐電,

と対句になってしいて,とかく迅速であることを言っているようだ。

追風逐電

が成語であるらしく,

https://tw.18dao.net/%E6%88%90%E8%AA%9E%E8%A9%9E%E5%85%B8/%E8%BF%BD%E9%A2%A8%E9%80%90%E9%9B%BB

形容速度極快,多指馬飛速賓士,

と釋義が載っている。

追風逐日,

とも言うらしい。この限りでは,迅速さを言うのみだから,

御使逐電帰参,

という用例が載る。「逐」の字の持つ,

追放,

の含意のせいだろうか,

http://railway.cocolog-nifty.com/hyogen/2010/03/post-ebf6.html

に,

「逐 は『追いかける』意なので、逐電 は『稲妻を追いかけるごとく素早く逃げる』語意になるのだが、これとて『逃げる』という意味はこの二文字のどこにもないわけで、実際もともとの中国の用法では『逃げる』の意は含まれない。だからこれは、日本での慣用によってたまたま定着した意味なのであろう。」

とあるように,日本では,

「未だ了(をは)らざるに成通卿逐電」

と,逃げる意に転じている。「逐」には元々「追う」意であり,せいぜい追い払われる意があっても,逃げるでは,180度変わっている。この転換は,視点が,

追われる,

という状態表現から,主体の,

逃げる,

という表現に転換しているところも,面白い。

なお,類義語「駆落ち」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/436373236.html

で触れた。この「駆落ち」も,本来,

戦いに負けて他所へ逃げ走ること,没落,

という意味なのに,逃げる意味が,

「恋し合う男女が連れだって密かに他の地へ逃亡すること」

へと転じている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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コトバの辞典;
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2018年06月11日

あおる


「あおる」は,

煽る,

と当てるが,

風や火の勢いで物を動かす,
物を前に進めようと手や足を動かす,
そそのかす,
鐙で泥障(あおり)を蹴って馬を急がせる,
写真撮影で低い位置からカメラを上向きにする,

等々の意味がある。『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E7%85%BD%E3%82%8B

は,「煽る」の語源を,

「もとは、乗馬で、鐙(あぶみ)で障泥(あおり)を蹴って馬を急がせることをいった。障泥は、馬の両脇腹を覆う革製の泥除けのこと。」

とする。『岩波古語辞典』も,「あふ(煽)り」の項で,

鐙で馬の原を蹴って進ませる,
風などが吹き動かす,

と意味を並べている。『日本語源大辞典』も,

「鐙で馬の泥障(あおり)を蹴って急がせる」

と載せる。「あおり」は,

障泥,
泥障,

と当てる。「泥障」は,

鞍の下に切付(きりつき)・肌付(はだつき)という韉(したぐら)を載せる。泥障は革製のものを言い,切付が小型化したため,鐙は重みで内屈して乗りにくくなるので,それを支えるために堅い革板を垂れたのが始まりであり,また鐙で馬に合図するのに,重い鐙で馬腹を傷つけるのを防ぐために付けた,

とされる。室町時代末期,つまり戦国期に流行した,という。しかし,『大言海』は,「あふる」について,

「あふる(翻る)」 あふぐ(扇ぐ)の自動詞。風に吹かれて動く,
「あふる(煽る・翻る)」 「あふ(翻)るの他動詞。吹き動かす。
「あふる(足触る)」乗馬して両の鐙にて馬の両脇を挟み打つ,

と,別項を立てる。「あふる(足触る)」は,

「足触(あしふ)るの略(足塞(なへ)ぐ,あなへぐ)。名詞形に足觸(アフリ,障泥と云ふ,四段活用の,触るなり。自動を他動に用ゐる…,アオルと発音するは,倒(たふ)る,たおる。扇(あふ)ぐ,あおぐの例なり)

とある。

105760.jpg



『日本語源大辞典』に,「あおる(煽る)」の語源は,

アシフル(足振)か(名語記),
アシフル(足觸)の略(大言海),

「あおり(泥障)」の語源は,

アオ(煽)ルの連用形から(広辞苑),
アフル(足触)の名詞形(名語記・東雅・大言海),
アブミスリの中略であろう(類聚名物考),
アハリ(足張),またはアヲリ(足折)の義(日本釈名),
馬に乗る時のに足を折りかがめる意のアヲリ(足折)からか(和句解)

等々あるが,普通に考えれば,

アフル(足触),

だろう。しかし,それと,

あおる(煽る),

という言葉の,

風や火の勢いで物を動かす,
物を前に進めようと手や足を動かす,
そそのかす,

という意味とはつながらない。腹を蹴って,馬に合図するのは,進めという意ではあっても,必ずしも「煽る」意ではない。「煽」(セン)字は,

「扇は,『戸+羽』の会意文字で,門に付けられた羽のような扉をあらわし,扉に似た形をしてぱちぱちと風をあおるうちわもあらわす。煽は『火+音符扇』で,火をあおること」

で,明らかに,

扇ぐ,

意である。それなら,

煽る,

に通じる。『日本語源広辞典』は,

「アフル(風を起こして物を動かす)です。」

とし,それが,

呷る,

にも通じるとする。これが正解だろう。因みに,「アオリイカ」の「アオリ」とは,

泥障,

の意である。「幅広いヒレ」が泥障(あおり)に似ているからとか。

萊氏擬烏賊.jpg



参考文献;
笠間良彦『図説日本甲冑武具事典』(柏書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
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コトバの辞典;
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2018年06月10日

やぶる


「やぶる」は,

破る,
敗る,

と当てる。「やぶる」は,『岩波古語辞典』に,

「固いもの,一つにまとまっているものなどの一部分を突いて傷つけ,その全体をこわす意。類義語ヤリ(破)は,布などの筋目を無視して引きちぎる意。サキ(割)は切れ目から全体を引き離す意」

とある。だから,まずは,物理的に,

(堅いものを)くだく,こわす,
(布・紙など平らなものを)裂く,

という状態表現から,それをメタファに,

人を傷つける,
ヒトの心に反するようなことをする,
妨げてダメにする,
守るべきものに反する,犯す,
(固め・備え・護りなどを)突破する,

さらに,意味の外縁を拡げて,

戦いや勝負ごとに相手を負かす,
相手を言い負かす,

といった意味になり,ここで「敗る」と当てる。「破」(ハ)字は,

「『石+音符皮』。皮(曲線をなしてかぶせるかわ)とは直接の関係はない。」

とあるが,これではよくわからない。

https://okjiten.jp/kanji847.html

には,

「形声文字です(石+皮)。『崖の下に落ちている石』の象形(『石』の意味)と『獣の皮を手ではぎとる』象形(『皮』の意味だが、ここでは『波』に通じ(『波』と同じ意味を持つようになって)、『波(なみ)』の意味)から、くだける波のように石が『くだける』を意味する『破』という漢字が成り立ちました。」

とする。「やぶる」「表面をやぶる」「こわす」という意味から見ると,後者の方がわかりやすい。

「敗」(漢音ハイ,呉音ヘ・ベ)は,

「貝(ハイ・バイ)は,二つに割れた貝を描いた象形文字。敗は『攴(動詞の記号)+音符貝』で,まとまったものを二つにわること。または二つにわれること。六朝時代は,割ることと割れることの撥音に区別があった。」

とある。

https://okjiten.jp/kanji671.html

には,

「形声文字です(貝+攵(攴))。『子安貝』の象形(貝の意味だが、ここでは『敝(へい)』に通じ(『敝』と同じ意味を持つようになって)、『やぶれる』の意味)と『ボクッという音を示す擬声語・右手の象形』(『手で打つ・たたく』の意味)から『やぶれる』を意味する『敗』という漢字が成り立ちました。」

とある。「破」も「敗」も,「やぶる」意であり,それが,「敗」は「敗る」意へとシフトしたものらしい。『字源』には,

破は,わる,われるなり。又,裂なり。破竹,破甕,破卵,傘破の類。
敗は,成または勝の反。物のつぶれる義。急に物をわりやぶるは,破なり。いつとはなしにつぶれやぶれるは,敗なり。…破軍は,急に打ち破るなり。敗軍は漸くに敗りたるなり。

と,両者の区別をしている。『大言海』は,「やぶる」に,

破,
敗,

の他に,

壊,
傷,
残,
敝,
裂,

の字を当てている。『字源』によると,

壊は,くずれ毀(そこな)われるなり。やぶるとも訓む。破壊,敗壊,崩壊などと用ふ。
傷は,きずつきやぶれるなり,
敝は,完の反。衣服の古びやぶれる義。敝衣,敝箒。
裂は,ひきさくなり,大小に通じて広く用ふ。
残は,そこなふとも訓む。あれのこる義,

さて,「やぶる」の語源であるが,『大言海』は,

破毀(やれこぼる)の義,

とする。他に,

イタハグラス(板剥)の反(名語記),
矢触の義か(和訓栞),
ヤベアル(矢方有)の義(名言通),
ヤフル(屋古流)の義(柴門和語類集),
ヤブル(屋古)の義か(和句解),
ヤブル(弥古)の義か(和語私臆鈔),
ヤブウル(得)の約で,ヤはイヤ(弥)の略,ブは広がり進む意(国語本義)

等々と諸説あるが,

「やる」で,

破る,

と当てる。「やる」と「やぶる」の何れが古いのかは,わからないが,『岩波古語辞典』は,他動詞「や(破)り」と自動詞「や(破)れ」を載せ,前者は,

「紙や布などの,漉きめ織り目を無視して引きちぎる」

意とあり,

「めでたき御紙づかひ,かたじけなき御言の葉を尽くさせ給へるを,斯くのみヤラせ給ふ,なさけなきこと」(源氏)

と用例を載せ,後者は,

「(紙や布地・垣根などが)裂け目ができてちぎれる」

意とし,

「衣こそばそれヤれぬれば,継ぎつつもまた合ふといへ」(万葉)

と用例を載せる。どうやら「やぶる」と「やる」は併存してきた。とすると,「やぶる」の語源の説明は,

や(破)る,

について,説明できなくてはならない。『日本語源広辞典』は,「やぶれる」の項で,『大言海』の「やりこぼつ」を,

「音韻変化上,疑問です。」

としながら,

「紙,布などを裂く,裂いてだめにするヤブルが,語源に近く,平滑な板状のものをこわすのをヤブル,戦いをしてヤブル(破る・敗る)も同源と考えます。」

とあるのは,説明になっていない。

「や(破)る」を考えたとき,「や」の動詞化,ということを思いつく。ここからは臆説である。で,「や」を「弥」と考えるか,「矢」と考えるか,といえば,「矢」であろう。「弓矢」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/450350603.html

で触れたが,「矢」の語源には,

ヤリ(遣)の義(名言通・大言海),
ヤル(遣)の義(日本釈名・日本声母伝・天朝墨談),
ヤ(破)の義(東雅),
ヤブル(破)の義(古今要覧稿・言葉の根しらべ),
ハヤ(早)の義(言元梯),
竹を並べたところが胡簶(やなぐい)に似ているところから,ヤナの反(名語記),
イヤル(射遣)の義(言葉の根しらべ),
イヤリ(射遣)の義(日本語原学),
イル(射る)の転,イラの約(和訓集説),
射る時の音からか,また,ハ(羽)の転か(和訓栞),
当たるか当たらぬかはさだめがたいところから,疑問詞のヤ(国語本義),

等々ある中で,

ヤ(破)の義(東雅),
ヤブル(破)の義(古今要覧稿・言葉の根しらべ),

の説が気になる。「やる」は,

矢,

の動詞化なのではないか,と思うのである。

矢る→や(破)る→やぶ(破)る,

と。臆説ではある。

Yoshitoshi_Fujiwara_no_Hidesato.jpg

(箙(えびら)を携え、矢を射ろうとしている藤原秀郷 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E7%9F%A2より)


参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:敗る 破る やぶる
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2018年06月09日

やぶれかぶれ


「やぶれかぶれ」は,『江戸語大辞典』は,

破れ被れ,

と当てている。

やけを起こし,自暴自棄であるさま,
望みを失いやけな振舞に出ること,

といった意味である。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/36ya/yaburekabure.htm

に,

江戸時代から,

とあるように,『江戸語大辞典』に,

「サア殺せ,やぶれかぶれの捨て鉢も」

と。文政時代の用例が載る。『日本語俗語辞典』には,

「やぶれかぶれとは自棄になることや自暴自棄なさまを表す言葉だが、破れかぶれと書く通り、単に自棄になるというより、何かに破れ(=敗れる)たり、失敗したり、思い通りにいかないなど、物事が悪い方向へ向いてしまったことによる際に使われる。警官に囲まれた犯人が凶器を無闇に振り回すさまなどがこれに当たる。また、時代劇で悪人に捕まった町人が『こうなったらやぶれかぶれだ。煮るなり焼くなり好きにしやがれ』といったセリフを言うことがある。このように『開き直り』、さらに『居直り』といった意を含んで使われることも多い。」

と説明されるが,語源が定かではない。「破れ」はいいとして,『江戸語大辞典』以外は,

被れ,

と当てる例はない。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10125350065

は,

「『やぶれ』の『破れる』は物事が成立しないことで『破綻』の意のほか、『負ける』の意の『敗れる』もあり、『かぶれ』は接尾語的に用いて、『その影響を強く受けて悪く感化されること』を表すので、負けたりして破綻した人がその影響を強く受けて、どうにでもなれという気持ちになることからでしょうか。」

とある。『岩波古語辞典』の「破る」には,

「破る」は,

「固いもの,一つにまとまっているものなどの一部分を突いて傷つけ,その全体をこわす意。類義語ヤリ(破)は,布などの筋目を無視して引きちぎる意。サキ(割)は切れ目から全体を引き離す意」

とあるが,その自動詞形「破れ」には,破綻の意味もあるが,

崩れ乱れる,

という意味がある。自動詞の用例に,

やぶれかぶれ,

が載る。その意味で,「破れ」は,

崩れ乱れる,

意味があるが,その背景には,

敗れ,
ダメになる,

といった意味の陰翳があるように思える。「被れ」の「被る」は,

カガフリ→カウブリ→カブリ,

と転訛している。「被る」にも,

頭の上に被う,

という意味だけではなく,

しくじる,失敗する(多く主人や親に対して),

という意味がある。ここから億説だが,

(戦に)敗れて(主人に対して)失敗した,

という状態表現が,価値表現へと転じ,そのことの絶望的な状況から,自暴自棄の表現へと転じた

(戦に)敗れて(主人に対して)失敗した→絶望的状態→自暴自棄,

という変化と見たが,どうであろうか。

「なげやり」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/454889115.html

で触れたように,類義語「投げやり」が,

投げ遣り,

で,

投げ捨てる,

という意味で,そこから,

投げ捨てておくこと→結果はどうなっても構わない→物事をいいかげんに行うこと→成り行き任せ→無責任,

といった意味の,状態表現から価値表現への変化とよく似ている。似た言葉の「捨て鉢」は,

http://yaoyolog.com/%E3%80%8C%E3%81%99%E3%81%A6%E3%81%B0%E3%81%A1%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%84%E3%81%86%E6%84%8F%E5%91%B3%EF%BC%9F%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%9D%E3%81%AE%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%81%A8/

に,

「ここでいう『鉢』とは、お坊さんが一般家庭を回って食べ物などを分けてもらう『托鉢(たくはつ)』に使う鉢の事を指しているのだそうです。中には托鉢に対して否定的な方もいらっしゃるようで、ひどい罵声を浴びせられることもあったのだとか。そのような事も含め、辛い修行を投げ出しドロップアウトする事を、『鉢を捨てる』と例えたところから、『捨て鉢(すてばち)』と言う様になったのだそうです。」

とあるが,

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%A6%E3%81%B0%E3%81%A1

に,

「修行僧が、唯一有することを認められる鉢を捨てて修行を投げ出すことから、との説があるが、有力な出典はなく、又、『鉢』の字を当てるのは明治以降であって、江戸期は『捨罪(「罰ばち」の誤りか?)』などの記法もあり、語源俗解の疑いがある。『すてっぱち』の例もあり、『やけっぱち』『やけのやんぱち』『うそっぱち』等にみられる『はつ(=はてる)』に由来する『はち、ぱち』を、『すてる』に付し、強調したものではないか。」

とあるので,鉢であるかどうかは疑わしいが,「投げ捨てる」ということにウエイトがある。となると,「なげやり」と含意は重なる。

さらに,類義語「やけくそ」は,『日本語源大辞典』が,

「火災などで焼損した貨幣を焼金(やけがね)・焼錢(やけぜに)といい,略して『焼け』と呼んだ。表面の文字が焼けただれて不分明となり,撰銭(えりせん)の対象として排斥されたことから,『焼けになる』の語と関係があるか。」

としている。『江戸語大辞典』の「焼け」の項には,「自暴自棄」の意味の他に,

焼金(やけがね)・焼錢(やけぜに)の略,

が載る。「棄てざるをえない銭」から来たというのが語源なのかもしれない。因みに,

焼けのやん八,
焼けの勘八,

という言い方は,『江戸語大辞典』によると,

「『やけ』の縁語で,『かんぱちこ』(カラカラに乾いたさま)と言い続け,それを人名に模した語」

とある。で,自棄(やけ)度は,

なげやり→すてばち→やけくそ→やぶれかぶれ,

と高まっていく,と見たがどうであろうか。

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2018年06月08日

やぶさか


「やぶさか」は,

吝か,

と当てる。「吝嗇」の「吝」の字である。今日,

やぶさかでない,

という言い回しで使う。

協力するに吝かではない,

といった場合,

…する努力を惜しまない,
喜んで…する,

と辞書には意味が載るが,本当にそうなら,まさに,「二つ返事」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/450632554.html

で触れたように,

ためらうことなく,すぐ承諾する,

と言うはずで,

吝かではない,

という言い方には,どこか物惜しみする含意がなくはない。『日本語源広辞典』には,

「やぶさか(物惜しみする)+で+ない」

で,「少しも惜しまない」いとする。しかし,それならそうとはっきり言ってもらった方がいい。どこか奥歯に物の挟まったような言い方である。やはり,「やぶさか」の意味,

物惜しみするさま,けちなこと,
未練なさま,思い切りのわるいさま,

が翳を落としていると思う。それに当てた「吝」(リン)の字は,

「『文+口』。文は修飾を意味する。口先を飾って言い訳し,金品を手放さない意を示す。憐(レン 思い切り悪く,心を悩ます)ときわめて近い」

とある。「やぶさか」に当てたのは正鵠を射ている。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%84/%E3%82%84%E3%81%B6%E3%81%95%E3%81%8B%E3%81%A7%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

が言うように,

「困っている人を援助するとき、『吝かでない』『微力ながら』『陰ながら』などと、あまり積極的に人助けをしたくないようなことを言う日本人のために弁護しておくと、これらは自慢げに人助けをするべきではないという『陰徳(隠れてする善行)』の美学を表した言い方だと解釈することもできる。つまり、「たいしたことはできない」と言いつつ精一杯力を尽くすのがカッコいいと、われわれは考えているのである。」

という解釈も成り立つが,それなら,

微力ながら,お手伝いさせていただきます,

というだろう。それと,

吝かではない,

を同列には置けない。やはり,

「努力を惜しまない、喜んでするという意味。けち、出し惜しみすること、ためらうことという意味の『吝か』を否定したもの。『御社の再建にあたって協力するに吝かでない』『あなたの努力を認めることに吝かでない』などと用いるが、ほんとうに喜んで協力したり、認めたりしたいなら、『全面的に協力します』『喜んで認めます』とズバリ言うべきで、出し惜しみするとかためらうという意味の『吝か』を持ち出すのは、『ほんとうは吝かだけれども、タテマエ上言ってみました』的なホンネをのぞかせた言い方であると言えよう。」(『笑える国語辞典』)

といっている通りである。文化庁が発表した,平成25年度「国語に関する世論調査」では,

「協力を求められればやぶさかでない」を、本来の意味とされる「喜んでする」で使う人が33.8パーセント、本来の意味ではない「仕方なくする」で使う人が43.7パーセントと、逆転した結果が出ている,

とあるが,「吝かでない」の本来の意を汲んでいるといっていい。やりたければ,「微力ながら」とは言っても,「やぶさかではない」などと持って回った言い方はしまい。『実用日本語表現辞典』

https://www.weblio.jp/content/%E5%90%9D%E3%81%8B%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84

には,

「形容動詞『吝か(である)』の否定形で、多くの場合『やりたい』というおおむね積極的な意思を示す表現。
『吝か』は、それ自体『気が進まない』『気乗りしない』『あまりやりたくない』といった後ろ向きな気持ちを示す。これを『吝かではない』と、否定形によって表すことで、『やりたくないわけではない』、『やってもよい』、あるいは、『どちらかと言えばやりたい』、『むしろ喜んでする』といった肯定的・積極的な姿勢を婉曲的に表す。
『吝かではない』のように否定的表現を否定する修辞法は『緩叙法』とも呼ばれる。例えば『嫌いではない』(わりと好きだ)、『悪くない』(けっこう良いと思う)などのような表現でも緩叙法が用いられている。」

とある。ここから読めるのは,せいぜい,

やりたくないわけではない,
やってもよい,

という消極的な意思に思える。

『岩波古語辞典』には,

「論語建武本や文明本節用集にはヤブサカとあるが,名義抄にはヤフサガルとあり,鎌倉時代以降,清濁が写ったらしい」

とある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ya/yabusaka.html

は,

「やぶさかは、平安時代の言葉で、物惜しみする 意味の動詞『やふさがる』,けちである意味の形容詞『やふさし』と同源と考えられている。鎌倉中期以降,『やふさがる』『やふさし』は用いられなくなり,『やふさ』に接尾語の『か』がついた『やふさか』『やっさか』という語が生まれたが,『やっさか』は消滅した。やがて『やふさか』の二音節が濁音化され,『やぶさか』となった。」

と,その経緯を詳説しているが,『日本語源大辞典』は,やはり,

「古く,『物惜しみする』『物語惜しい』の意味の動詞,形容詞形として,『やぶさがる『やふさし』があった。鎌倉中期以降,この両語があまり使われなくなって,かわって『やぶさか(なり)』という形容動詞形が発生した。
 文明本節用集には『吝 ヤツサカナル』『吝 ヤブサカナラバ』の二形が併記されているが,これは,『やふさし』『やふさがる』の語幹『やふさ』に接尾語『か』が付いて,『やふさか』が成立し,それが一方で『ふ』が促音化して『やっさか』,一方で『ふ』が有声音化して『やぶさか』となったもの。このうち,『やっさか』は消滅し,現在は『やぶさか』のみが残る。」

とする。やはり,「やぶさか」の意味が翳を落としている。

さて,「やぶさか」の語源は,『大言海』は,

「破れ離(さか)る意かと云ふ」

とある。しかし,この語源も一筋縄ではいかない。

物を惜しんで人に与えずその仲が遠ざかるところからヤブリサガル(傷離)の義(名言通),
ヤブレサカル(破離)の義か(和訓栞・大言海)
イヤフサガル(弥塞)の義(東牖子),
藪険の義か(俚言集覧),
ヤヒナサカ(弥鄙性)の義(言元梯)

等々,いずれもいま一つである。『岩波古語辞典』は,「やふさがり」に,

慳り,

「やふさし」に,

慳し,

と当てる。しかし「やふさし」の古形は,

やひさし,

で,それは,

吝し,

と当てている。「慳」(漢音カン,呉音ケン)は,

「心+音符堅(かたい)」

で,心が妙にひねくれて堅いこと,である。けちの意味もあるが,どちらかというと,頑なという意味である。そこで,『大言海』の

「破れ離(さか)る意かと云ふ」

が思い起こされる。「離(さか)る」は,「サケ(離・避)の自動詞形」で,

遠くに離れる,

意である。「破る」は,

「固いもの,一つにまとまっているものなどの一部分を突いて傷つけ,その全体をこわす意。類義語ヤリ(破)は,布などの筋目を無視して引きちぎる意。サキ(割)は切れ目から全体を引き離す意」

とある(以上『岩波古語辞典』)。ここからは,推測になるが,「やふさがり」「やふさし」に,「慳」を当てたのは,物惜しみだけではなく,非協力な頑なさを評していたのではあるまいか。それに価値表現が強まり,物惜しみにシフトしていった,と。ま,臆説ではあるが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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2018年06月07日

まこと


「まこと」は,

誠,
真,
実,
信,


等々と当てる。『広辞苑』『岩波古語辞典』『大言海』に,

「ま(真)こと(事・言)の意」

とある。かつて,「言」は「事」であったので,「こと(事・言)」としている,と見ていい。『岩波古語辞典』には,

「古代社会では口に出したコト(言)はそのままコト(事実・事柄)を意味したし,また,コト(出来事・行為)は,そのままコト(言)として表現されると信じられていた。それで,言と事は未分化で,両方ともコトという一つの単語で把握された。従って,奈良・平安時代のコトの中にも,言の意か事の意か,よく区別できないものがある。しかし。言と事が観念の中で次第に分離される奈良時代以後に至ると,コト(言)はコトバ・コトノハといわれることが多くなり,コト(事)と別になった。コト(事)は,人と人,人と物の関わり合いによって,時間的に展開・進行する出来事,事件などをいう。時間的に不変の存在をモノという。」

とある。

『日本語源広辞典』にも,

「『眞事,眞言,正事,正言』の文字通りです。正しい事実,正しい言葉,いずれもマコトである。うそごまかしのないこと。副詞のマコトニは同源です。日本人は,マコトの微妙な違いは,中国語源で区別しています。」

とある。この使い分けは,

信は,信実と熟す。間違いなき義。實より軽い,
眞は,ほんまにと訳し,偽の反と註す,うぶのままにてすこしもつくろわざる義,天真,性真などと熟す,
誠は,詐の反。眞と同用,眞誠と熟するにても知るべし,
實は,虚の反,充満して欠ける無きをに云ふ,
忠は,真心,心の中心,汚れなき心,

とある(『字源』)。

「信」(シン)の字は,

「言は,言明(はっきり言う)の意。信は『人+言』で一度言明したことは押し通す人間の行為を表す。途中で屈することなく,まっすぐのび進の意を含む。信義の信はその派生語」

「眞(真)」(シン)の字は,

「『匕(さじ)+鼎(かなえ)』で,匙(さじ)で容器に物を満たすさまを示す。充填の填(かけめなくいっぱいつめる)の原字。實(ジツ)はその語尾が入声(つまり音)に転じた言葉」

「誠」(漢音セイ,呉音ジョウ)の字は,

「成(セイ)は『戈(ほこ)+音符丁(とんとうつ)』からなり,道具でトントンと打ち固めて城壁をつくること。かけめなくまとまるの意を含む。誠は『言+音符成』で,かけめない言行。」

「實(実)」(ジツ,漢音シツ,呉音ジチ)の字は,

「『宀(やね)+周(いっぱい)+貝(たから)』で,家の中に財宝を一杯満たす意を示す。中身が一杯で,欠け目がないこと,また,真(中身がつまる)は,その語尾がnに転じた言葉」

「忠」(チュウ)の字は,

「中とは,なか・中身などの意。忠は『心+音符中』で,中身が充実して欠け目のない心」

とある(『漢字源』)。

漢字では,

實>信,
真⇔偽,
誠⇔詐,
實⇔虚,

と使い分けていることになるが,微妙に日本語とは違うかもしれない。日本語では,

事実の通りであること,嘘でないこと,
偽り飾らない情,

と『広辞苑』には意味が載る。

本来は,

マ(真)+コト(言・事),

と,言葉と事実は区別されないにしろ,

言ったこと,
と,
行ったこと,

とは重なった意味で,あくまで,状態表現であった。しかし,コトが,言と事と区分するようになると,マコトは,心の問題へとシフトしていく。

『学研全訳古語辞典』によると,「まこと」は,

「日本の文芸全般を通じての、根本的な美的理念。真実の姿・感情を尊重し理想とする精神で、感情と理性とが自然に一体となった境地のこと。特に『万葉集』を中心とする上代文学に見られ、文学用語としては『古今和歌集』の仮名序に現れるのが最初。平安時代の『もののあはれ』や、中世の『幽玄』などの美的理念の基調ともなった。江戸時代の俳論や歌論などにもしばしば説かれ、その根底になっている。」

としている。

「真実の姿・感情を尊重し理想とする精神で、感情と理性とが自然に一体となった境地のこと。」

とは,

「世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くはみな虚言(そらごと)なり」(徒然草)
「あづま人こそ、言ひつることは頼まるれ。都の人は、ことうけのみよくて、まことなし」(仝)

と,しかし,それ自体が,

虚実の境,

の絵空事(虚構)に思えるが

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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ラベル:まこと
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2018年06月06日

キジ


雉,
雉子,

と当てる。日本の国鳥である。古語では,

雉子(きぎす),

という。

きぎし,

ともいう。

800px-Phasianus_versicolor_in_field.JPG

(キジ(オス) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B8より)

『岩波古語辞典』には,「きぎし」の項で,

鳴き声による名か,

とある。『大言海』も,「きぎし」の項で,

「キギは鳴く聲。キキン,今はケンケンと云ふ。シはスと通ず。鳥に添ふる一種の音。…キギシのキギスと轉じ(夷(えみじ),エビス),今は約めてキジとなる」

とある。

キギシ→キギス→キジ,

という転訛である。『日本語源広辞典』も,

「キギ(金属的な鳴声)+ス(鳥の意味の接尾語)

とする。「ウグイス」の項で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/459382881.html

ウクイという鳴く聲,スは鳥の接尾語,「カラス」の項で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/459343657.html

鳴き声「ころ」「から」+ス,「ホトトギス」の項で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/459403506.html

「ホトホト」という鳴き声+「ス」というのと同系と見ることができる。

ただ『日本語の語源』は,鳴声説だが,別の音韻変化説を採る。

「〈雉子も鳴かずば討たれまい〉(狂・禁野)というが,その鳴き声をとってキキトリ(鳥)といった。トリ[t(or)i]の縮約でキキチ・キギシ(雉子)・キギスに転音した。〈春の野にあさるキギシ(雉)の妻恋に〉(万葉)。さらに,『キ』を落としてキジ(雉)になった。」

キキトリ→キキチ→キキシ・キギス→キジ,

という転訛を採った。

『日本語源大辞典』に,

「万葉東歌,記紀歌謡の仮名表記には『きぎし』とあり,古くは多く『きぎし』と呼ばれていたが,『古今六条』には『きじ』が六首,『きぎす』が二首見られる。後者は共に万葉の歌だが,『きぎし』から『きぎす』に移行した時期は不明」

とある。それでも,鳴き声以外の説を立てるのもあり,

低く飛ぶところから,ヒキシ(低)の上略(滑稽雑誌所引和訓義解),
子を思うあまり,野火にヤキシヌ(焼死)ところからか(和句解),

と,なかなか苦しい。

ケン・ケーン,

といまは聞くが,かつては,

キキン,
キンキン,

と聞えたということだろう。『擬音語・擬態語辞典』には,

江戸時代中頃から,キジの雄鶏の鳴き声を,

れんけん,

と写すようになった,とある。因みに,

「けんけんほろろ」

は,雉(雄)の鳴き声と羽音だが,「けんもほろろ」は,

「『けんけん』に『けんけんほろろ』が重ねあわされて誕生した」

とある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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ラベル:キジ 雉子
posted by Toshi at 06:59| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする