2022年08月10日

夫子


慕虎馮河して死すとも悔ゆる事なき者は与せじ、と夫子(ふうし)の戒めしもひとりこの人の爲にや(宿直草)、

にある、

夫子、

は、

孔子、

を指す(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。ちなみに、「慕虎馮河」は、ただしくは、

暴虎馮河、死而無悔者、吾不与也(論語・述而篇)、

である(仝上)。

「夫子」は、

孤實貪以禍夫子、夫子何罪(左伝)、

と、

先生、長者の尊称、

として使ったり、

夫子温良恭謙譲(論語)、

と、

師を尊び称す、単に子と云ふに同じ、

意に使ったり、

勖哉夫子(書・秦誓)、

と、

将士を指して云ふ、

意に使ったり、

信乎夫子不言不笑不取乎(論語)、

と、

大夫の位に在る者を呼ぶ敬称、

の意や、

必敬必戒、無違夫子(孟子)、

と、

妻、その夫を指す、

意など、意味の幅がある(字源)。我が国でもそれに準じた使い方になるが、

夫子自身、

という言い方で、

僕の事を丸行灯(まるあんどん)だといつたが、夫子自身は偉大な暗闇(クラヤミ)だ(夏目漱石・三四郎)、

と、

あなた・あの方などの意で、その当人をさす語、

としても使う。しかし、

夫(フウ)子とよめば孔子にまぎれてわるいぞ(「土井本周易抄(1477)」)、

とあるように、冒頭に上げた例もそうだが、

孔子の敬称、

として使われることが多い。

ところで「夫子」を、我が国では、

せこ、

とも訓ませ、

兄子、
背子、

とも当てる(広辞苑)。

コは親愛の情を表す接尾語、

とある(岩波古語辞典)。「せ」は、

兄、
夫、
背、

等々と当て(仝上)、

いも(妹)の対、

で(仝上)、

兄(エ)の転か、朝鮮語にもセと云ふ(大言海・和訓栞)、
セ(背)の高いところから(名言通)、
セ(兄)はエ(甲)の義、セ(夫)はテ(手)の義(言元梯)、

など、諸説あるが、「背」だとすれば、「背」の語源は、

ソ(背)の転(岩波古語辞典)、
反(ソレ)の約、背(ソ)と通ず(大言海)、

とあり、

本来「せ」は外側、工法を意味する「そ」の転じたもので、身長とは結びつかなかった。ところが、今昔物語に、「身の勢、極て大き也」とあるように、身体つき・体格を意味する「勢(せい)」が存在するところから、音韻上の近似によって、「せ(背)」と「せい(勢)」とが混同するようになった、

とある(日本語源大辞典)のが注目される。「せこ」に、

吾が勢(セコ)を大和へ遣るとさ夜深けて暁露に吾が立ち濡れし(万葉集)
我が勢故(セコ)が来べき宵なり(書紀)、

と、

女性が夫、兄弟、恋人など広く男性を親しんでいう語、

として使うとき、

勢、

を当てている(日本国語大辞典・精選版日本国語大辞典)。「せ」は、この、

身体つき・体格、

を意味する、

勢(せい)、

由来なのではないか、という気がする。勿論憶説だが。このいみの「せこ」は、

せな、
せなな、
せのきみ、
せろ、

等々という言い方もする。ただ、対の、

いも、

が、中古以降、

いもうと、

に変化したのに対応して、

せうと、

に変化し、

せ、

単独では使われなくなった(日本語源大辞典)、とある。「せこ」は、

沖つ波辺波立つともわが世故(セコ)が御船(みふね)の泊り波立ためやも(万葉集)、

と、

男性が他の親しい男性に対して用いる語、

としても使う(仝上)。

背子(はいし).jpg

(「背子(はいし)」 デジタル大辞泉より)

ちなみに「背子」を、

はいし、

と訓ませると、

奈良時代から平安時代初期に着用された女子朝服の内衣で、冬期に袍(ほう 朝服の上衣)の下、衣(きぬ)の上に着た袖(そで)なしの短衣。しかし袍はほとんど用いられなかったため、背子が最上衣として使われた、

とある(日本大百科全書)。

唐衣.jpg

(「唐衣」 デジタル大辞泉より)

唐衣(からぎぬ)の前身、

であるため、

唐衣の異称、

の意もある(デジタル大辞泉)。「唐衣」は、背子(はいし)が変化し、

十二単(じゅうにひとえ)の最も外側に裳(も)とともに着用した袖(そで)幅の狭い短衣、

で、

袖が大きく、丈が長くて、上前・下前を深く合わせて着る、

とある(仝上)。

「夫」 漢字.gif

(「夫」 https://kakijun.jp/page/0442200.htmlより)


「夫」 甲骨文字・殷.png

(「夫」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%ABより)

「夫」(漢音呉音フ、慣用フウ)は、

象形。大の字に立った人の頭に、まげ、または冠のしるしをつけた姿を描いたもので、成年に達した男をあらわす、

とある(漢字源)。別に、

象形。髷に簪を挿した人の姿https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%AB

象形。頭部にかんざしをさして、正面を向いて立った人の形にかたどる。一人まえの男の意を表す。借りて、助字に用いる(角川新字源)、

とあるが、

指事文字です。「成人を表す象形に冠のかんざしを表す「一」を付けて、「成人の男子、おっと」を意味する「夫」という漢字が成り立ちました、

とあるので、意味が分かるhttps://okjiten.jp/kanji41.html

「子」 漢字.gif

(「子」 https://kakijun.jp/page/0323200.htmlより)


「子」 甲骨文字・殷.png

(「子」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AD%90より)


「子」 金文・西周.png

(「子」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AD%90より)

「子」(漢音・呉音シ、唐音ス)は、

象形。子の原字に二つあり、一つは、小さい子どもを描いたもの、もう一つは子どもの頭髪がどんどん伸びるさまを示し、おもに十二支の子(シ)の場合に用いた。後この二つは混同して子と書かれる、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:夫子 ふうし
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2022年08月09日

円居


某(なにがし)の沙門、ただかりそめに座を立ちて帰らず。円居の僧不審して、寺へ戻りしかと人やりて見するに居ず(宿直草)、

にある、

円居、

は、

まどい、

と訓ませるが、

同席の、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

団居、

とも当て(広辞苑)、

連聲(レンジヤウ)に。まどゐ、

とあり(大言海)、

近世初期ごろまで「まとい」、

と清音であった(日本国語大辞典)。

円(マト)居(ヰ)の意、

とある(大辞林・岩波古語辞典)が、

纏居(まとゐる)にて、纏わり居(を)る意、

ともある(大言海)。

思ふどちまどゐせる夜は唐錦たたまく惜しき物にぞありける(古今集)、

と、

輪になって座ること、
くるまざ、
団欒、

の意であり、また、

この院にかかるまどゐあるべしと聞き伝へて(源氏物語)、

と、

(楽しみの)会合、
ひと所に集まり会すること、特に、親しい者同士の楽しい集まり、

の意でも使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。これを動詞化して、

まどゐる、

は、

円居る、
団居る、

と当て、

氏人のまどゐる今日は春日野の松にも藤の花ぞ咲くらし(宇津保物語)、
春ながら年はくれつつよろづ世を君とまどゐば物も思はじ(仝上)、

などと、

集まり居る、
車座になる、
団欒する、
親密な者同士が集まり居る、

などの意で使う(精選版日本国語大辞典・大言海・日本国語大辞典)。これも、

まとゐる、

と清音で、

連聲(レンジヤウ)に、まどゐる、

とある(大言海)。

円居、
団居、

は和製漢語で、漢語で、

まどゐ、

の意は、

大盆盛酒、圓坐相酌(晉書・阮籍(げんせき)傳)、

と、

圓坐(エンザ)、

と表記し、

車座に坐す、

意である(字源)。

「圓」 漢字.gif

(「圓」 https://kakijun.jp/page/en13200.htmlより)


「円」 漢字.gif

(「円」 https://kakijun.jp/page/0422200.htmlより)

「圓」(エン)の字は、「まる(円・丸)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/461823271.htmlで触れたように、

会意兼形声。員(イン・ウン)は、「○印+鼎(かなえ)」の会意文字で、まるい形の容器を示す。圓は「囗(囲い)+音符員」で、まるいかこい、

とあり(漢字源)、「まる」の意であり、そこから欠けたところがない全き様の意で使う。我が国では、金銭の単位の他、「一円」と、その地域一帯の意で使う。別に、

会意兼形声文字です(囗+員)。「丸い口の象形と古代中国製の器(鼎-かなえ)の象形」(「口の丸い鼎」の意味)と「周
意味)から、「まるい」を意味する「円」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji194.html

「円」は、「圓」の略体。明治初期は、中の「員」を「|」で表したものを手書きしていた。時代が下るにつれ、下の横棒が上に上がっていき、新字体採用時の終戦直後頃には字体の中ほどまで上がっていた、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%86%86

「居」  漢字.gif

(「居」 https://kakijun.jp/page/0871200.htmlより)


「居」 金文・春秋時代.png

(「居」 金文・春秋時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B1%85より)

「居」(漢音キョ、呉音コ)は、

会意兼形声。「尸(しり)+音符古(=固。固定させる、すえる)」で、台上にしりを乗せて、腰を落ち着けること。踞(キョ しりをおろして構える)の原字、

とある(漢字源)。

「團」  漢字.gif


「団」 漢字.gif

(「団」 https://kakijun.jp/page/0655200.htmlより)

「團(団)」(漢音タン、呉音ダン、唐音トン)は、

会意兼形声。專(セン=専)の原字は、円形の石をひもでつるした紡錘の重りを描いた象形文字で、甎(セン)や磚
(セン 円形の石や瓦)の原字。團は「囗(かこむ)+音符專」で、円形に囲んだ物の意を示す、

とある(漢字源)が、丸めたもの、ひいて「かたまり」の意を表す(角川新字源)ともある。別に、

会意兼形声文字です(囗+寸(專))。「周辺を取り巻く線」(「めぐる」の意味)と「糸巻きと右手の象形」(「糸を糸巻きに巻きつける」の意味)から、まるくなるようにころがす、すなわち、「まるい」、「集まり」を意味する「団」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji866.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年08月08日

慮外


某(それがし)は御身上おぼつかなく、慮外にも御馬に乗り参り候と云ふ(宿直草)、

とある、

慮外、

は、

異常な、
一風変わった、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「慮外」は、漢語である。文字通り、「意外」、「考慮の外」あるいは「思慮の外」と訓めば、

事乖慮外(事、慮外に乖(そむ)く(暗殺された))(晉書・毛璩傳)

と、

意外、
思いがけぬ、

の意味になる(字通・字源)。日本でも、

慮外の事により、遠国にまかり向ふ(小右記)、

と、

思いのほか、
思いがけない、

の意でも使い、その意味の外延で、

「身共がついで遣らふ」「是は慮外に御座るが、其儀成らば一つつがせられて被下い」(虎寛本狂言「素袍落(すおうおとし)」)、

と、

(思いがけないありがたいことの意から)主に、話しことばに用いて、ありがたい、かたじけない、恐縮だなど、感謝の意を表す、

意でも使う(日本国語大辞典・精選版日本国語大辞典)が、ほとんど、

一年(ひととせ)の慮外馬咎め射殺し候ひし男の子の小さき男こそ殿に候ふなれ(今昔物語)、
仏法興隆のところに、度々りょぐゎいして罪作るこそ心得ね(義経記)、

などと、

思いもよらない不法・不当な態度や行為について、

いい、

もってのほか、
不心得なこと、
不躾、
無礼、
不埒なこと、

などの意で使う(岩波古語辞典・大言海・字源・広辞苑)。

慮外な振舞い、
慮外千万(せんばん)、
慮外者、

等々という使い方をし、さらに、その意味の延長線上で、

慮外ながらこしをかけまらする(虎明本狂言・鎧)、
慮外ながら申し上げます、

などと、

(「ながら」「なれど」を伴って)無礼をわびる、

意を表し、

失礼ですが、
おそれいりますが、

の意で、

不躾ながら、
卒爾ながら、

と同義で使う(仝上)。これは、漢語にはない意味である(「卒爾」http://ppnetwork.seesaa.net/article/444309990.htmlについては触れた)。

思いがけない→思いがけなくありがたい→おもいもよらぬこと→不躾、無礼、

といった意味の変化と見られ、意味の筋を辿れなくもないが、本来の、

慮外、

の、

思いがけない、
意外、

の意を大きく外していった。

「慮」 漢字.gif

(「慮」 https://kakijun.jp/page/1533200.htmlより)

「慮」(漢音リョ、呉音ロ)は、

形声、「心+音符盧の略体」で、次々と関連したことをつらねて考えること、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です。「虎(とら)の頭の象形と小児の脳の象形」(「考えをめぐらす」の意味)と「心臓」の象形から、「心をめぐらせる」、「深く考える」を意味する「慮」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1171.html

「外」 漢字.gif

(「外」 https://kakijun.jp/page/0549200.htmlより)

「外」(漢音ガイ、呉音ゲ、唐音ウイ)は、「象外(しょうがい)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/487489631.htmlで触れたように、

会意、「夕」(肉)+「卜」(占)で、亀甲占で、カメの甲羅が体の外にあることから、

とする「龜甲」占い由来とする説と、

「卜」+音符「夕」で、占で、月の欠け残った部分を指した会意形声とも(藤堂明保)、

とする「月」占い説とがあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%96

会意兼形声。月(ゲツ)は、缺(ケツ 欠ける)の意を含む。外は「卜(うらなう)+音符月」で、月の欠け方を見て占うことを示す。月が欠けて残った部分、つまり外側の部分のこと。龜卜(キボク)に用いた骨の外側だという解説もあるが従えない、

とか(漢字源)、

会意。夕(ゆうべ)と、卜(ぼく うらない)とから成る。通常は昼間に行ううらないを夜にすることから、「そと」「ほか」「よそ」、また、「はずれる」意を表す、

とか(角川新字源)は、「月」占い説、

形声文字です(夕(月)+卜)。「月の変形」(「刖(ゲツ)に通じ、「かいて取る」の意味)と「占いの為に亀の甲羅や牛の骨を焼いて得られた割れ目の象形」から、占いの為に亀の甲羅の中の肉をかいて取る様子を表し、そこから、「はずす」を意味する「外」という漢字が成り立ちました、

あるhttps://okjiten.jp/kanji235.htmlのは、「龜甲」占い説になる。ただ、甲骨文字と金文(青銅器に刻まれた文字)とでは、かたちが異なり、途中で変じたのかもしれない。

「外」 甲骨文字・殷.png

(「外」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%96より)

「外」 金文・西周.png

(「外」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%96より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ラベル:慮外
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2022年08月07日

殊勝


如何様(いかさま)にも闍維(しゃゆい)の規式(荼毘の作法)にて来たる。殊勝(すしょう)に覚えしに、さはなくて堂内に来たり(宿直草)、

とある、

殊勝、

は、

おごさかなさま、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。普通は、

しゅしょう、

と訓ます。

「殊勝」は、漢語であり、

「殊」は「とくに」、「勝」は「すぐれる」、

という意味になりhttps://imikaisetu.goldencelebration168.com/archives/6421

天然殊勝、不關風露冰雪(朱熹・梅花詞)、

と、

とりわけすぐれる、

意で(字源)、仏教語として、文字通り、

殊に勝れていること、

として使い、仏の威徳を、

殊勝にして希有なり(無量寿経)、

と表現し、阿弥陀仏がかつて菩薩の時に立てた一切衆生を救う誓願を、

無上殊勝の願を超発せり、

と称讃している。また、仏の教法を、

殊勝の法をききまいらせ候ことのありがたさ(蓮如『御文(おふみ)』)といい、仏のすぐれた智慧を、

殊勝智、

と呼んで讃嘆(さんたん)する、とある(https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000rvf.html・大言海)。そこから、場の雰囲気が甚だ厳粛なことを、

殊勝の気、

と表現したりする(仝上)。日葡辞書(1603~04)では「殊勝」を、

Cotoni sugururu(殊に勝るる)、

とし、

すぐれたことをほめるのに用いる語、

として、イエズス会の宣教師は、

説教や、神聖なこと、信心に関することに用いる、

と説明している(仝上)。

まずは、したがって、

その後の法厳、法花の功徳殊勝なる事をしりて(今昔物語)、

と、

特にすぐれていること、
ひじょうに立派なこと、
格別、

の意で使い、その派生で、

いつ参てもしんしんと致いた殊勝な御前で御ざる(虎寛本狂言・因幡堂)、

と、

神々しいこと、
おごそかであること、
心うたれること、

の意で使い、客体から主体に転じて、

今お取越とて、殊勝にお文をいただき(浮・西鶴諸国はなし)、

と、

心がけがしっかりしていること、
けなげなさま、
神妙なようす、
感心、

の心情表現に転じ、

殊勝な心がけ、

といったふうに使い、さらには、

いかな九文きなかでも勘忍ばしめさるなと真顔にいひしもしゅせうなり(浄・五十年忌歌念仏)、

と、

もっともらしいさま、
とってつけたようなようす、

の意でも使う(日本国語大辞典)。

殊勝顔(殊勝らしい顔つき)、
殊勝ごかし(殊勝なふりをして相手をだますこと)、

等々という言い方もする。

「殊」  漢字.gif


「殊」(漢音シュ、呉音ズ・ジュ)は、

会意兼形声。朱は、木を-印で切断するさまを示す指事文字(形で表すことが難しい物事を点画の組み合わせによって表して作られた文字)で、切り株のこと。殊は「歹(死ぬ)+音符朱」で、株を切るように切断して殺すこと。特別の極刑であることから、特殊の意となった。誅(チュウ 胴切りにして殺す)と同系、

とある(漢字源)が、この解釈は、

甲骨文字や金文などの資料と一致していない記述が含まれていたり根拠のない憶測に基づいていたりするためコンセンサスを得られていない、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AE%8A。別に、

形声。「歹」(「死」の略体)+音符「朱 /*TO/」。「死ぬ」を意味する漢語{殊 /*do/}を表す字、

とする説もある(仝上)。

「勝」 漢字.gif

(「勝」 https://kakijun.jp/page/1211200.htmlより)

「勝」(ショウ)は、

会意文字。朕(チン)は「舟+両手で持ち上げる姿」の会意文字で、舟を水上に持ち上げる浮力。上に上げる意を含む。勝は「力+朕(持ち上げる)」で、力を入れて重さに耐え、物を持ち上げること。「たえる」意と「上に出る」意とを含む。たえ抜いて他のものの上に出るのがかつことである、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(朕+力)。「渡し舟の象形と上に向かって物を押し上げる象形」(「上に向かって上げる」の意味)と「力強い腕の象形」(「力」の意味)から、「力を入れて上げ、持ち堪(こた)える」を意味する「勝」という漢字が成り立ちました。転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「かつ、まさる」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji207.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:殊勝 しゅしょう
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2022年08月06日

一殺多生


さりながら興隆仏法のため、一殺多生の善とはこれらをや申すべき。退治し給へ申さん(宿直草)、

とある、

一殺多生、

は、

仏教で一人を殺すことによって多くの人を助けること、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「一殺多生」は、

いっせつたしょう、

あるいは、

いっさつたしょう、

と訓ませる(日本国語大辞典)。元は大乗仏教経典の一つ、

瑜伽師地論、

の漢訳文に記された四字熟語であった。

瑜伽師地論(ゆがしじろん)、

は、

ヨーガ行者の階梯についての論、

の意で、

唐・玄奘漢訳(全100巻)、

は、

瑜伽行(ゆがぎょう)派(唯識(ゆいしき)学派)の主要文献の一つ、

とされ、

瑜伽行者の境(きょう)・行(ぎょう)・果(か)を17地に分けて説明する本地分(ほんじぶん 漢訳1~50巻)、
その要義を解明する摂決択分(しょうけっちゃくぶん 同51~80巻)、

など五部に分かれ、阿頼耶識(あらやしき)、三性説(さんしょうせつ)、その他あらゆる問題を詳細に論究している、

いわば、

大乗仏教の百科全書、

とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E5%B8%AB%E5%9C%B0%E8%AB%96・日本大百科全書)。

謡曲『鵜飼(うかい)』に、

ある夜忍び上って鵜を使ふ。狙ふ人々ばっと寄り、一殺多生の理にまかせ、かれを殺せと言ひあへり、

とあるのは、

一人を殺して多くの鮎を助くる意、

とある(大言海)。本来、仏教において殺生(せっしょう)は罪悪であるが、出典では、

菩薩が大盗賊を殺す事例、

をあげて功徳を説いている(新明解四字熟語辞典)。しかし、日本では戦前の右翼団体「血盟団」の指導者である井上日召が、

一人一殺、

を説き、「一殺多生の大慈大慈の心に通ずる」と、テロ正当化に使ったために、ひどくイメージが悪い。

危険思想につながりかねないので現代では疑問視される、

とある(世界宗教用語大事典)。

「一」 漢字.gif


「一」(漢音イツ、呉音イチ)は、「一業所感」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485653172.htmlで触れたように、

指事。一本の横線で、一つを示す意のほか、全部をひとまとめにする、一杯に詰めるなどの意を含む。壱(イチ)の原字壹は、壺に一杯詰めて口をくびったたま、

とある(漢字源)。

「殺」  「殺」の旧字.gif



「殺」  漢字.gif



「殺」 甲骨文字.gif

(「殺」甲骨文字 https://asia-allinone.blogspot.com/2021/05/p152.htmlより)

「殺」(漢音サツ・サイ、呉音セツ・セチ・セイ、慣用サツ)は、

会意文字。「乂(刃物で刈り取る)+朮(もちあわ)+殳(動詞の記号 行為)」で、もちあわの穂を刈り取り、その実を殺ぎ取ることを示す、

とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AE%BA・角川新字源)。別に、

会意文字です。「猪(いのしし)などの獣」の象形と「手に木の杖を持つ」象形から「ころす・いけにえ」を意味する「殺」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji201.html

会意 㣇(たたり)をなす獣の形と殳(しゅ)とを組み合わせた形。殳は杖(つえ)のように長い戈(ほこ)。㣇をひきおこす獣を戈で殴(う)って殺す形で、これによって祟(たたり)を殺(そ)ぎ(へらし)、無効とする行為を殺といい、減殺(げんさい・へらすこと)がもとの意味である。「殺」の左偏の小点は㣇をなす獣の耳の形。甲骨文字と金文はその獣の形だけをかき、のちの蔡(さい・ころす)の字にあたる用法である。殺は「ころす」の意味に用いた、

ともhttps://jyouyoukanji.stars.ne.jp/j/4/4-075-satsu-korosu.htmlあり、

甲骨文の当時は、単に木の枝をとってくるだけのものであったが、次第に祭祀を伴う殺戮を示すようになりそれと共に字形も複雑さを増すようになったが、現代中国の漢字の簡体化で「杀」となり、甲骨文字の字形に接近してきました、

とあるhttps://asia-allinone.blogspot.com/2021/05/p152.html

「多」 漢字.gif

(「多」 https://kakijun.jp/page/0660200.htmlより)


「多」 甲骨文字・殷.png

(「多」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%9Aより)

「多」(タ)は、

会意文字。夕、または肉を重ねて、たっぷりと存在することを示す、

とある(漢字源)。つまり、

会意文字。夕の字を二つ重ねて、日数が積もり重なる、ひいて「おおい」意を表す、

説(https://okjiten.jp/kanji156.htmlhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%9A・角川新字源)と、

象形で、二切れの肉を並べた形にかたどり、物が多くある意を表す、

説とがある(角川新字源・https://okjiten.jp/kanji156.html)。

「生」  漢字.gif

(「生」 https://kakijun.jp/page/0589200.htmlより)

「生」(漢音セイ、呉音ショウ)は、「なま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484932208.htmlで触れたように、

会意。「若芽の形+土」で、地上に若芽の生えたさまを示す。生き生きとして新しい意を含む、

とある(漢字源)。

ただ、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、

土の上に生え出た草木に象る、

とあり、現代の漢語多功能字庫(香港中文大學・2016年)には、

屮(草の象形)+一(地面の象形)で、草のはえ出る形、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9Fため、

象形説。草のはえ出る形(白川静説)、
会意説。草のはえ出る形+土(藤堂明保説)、

と別れるが、

象形。地上にめばえる草木のさまにかたどり、「うまれる」「いきる」「いのち」などの意を表す(角川新字源)、
象形。「草・木が地上に生じてきた」象形から「はえる」、「いきる」を意味する「生」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji33.html

とする説が目についた。甲骨文字を見る限り、どちらとも取れる。

「生」 甲骨文字・殷.png

(「生」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9Fより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年08月05日

晡時


晡時になりて、油、灯心、抹香を携へ、仏前形(かた)ばかり飾り、看経(かんきん 経文の黙読)やうやう時移れば(宿直草)、

とある、

哺時(ほじ)、

は、

通常、

晡時、

と当てる。

申(さる)の刻、午後四時頃の日暮れ時、

の意である(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。転じて、

日暮時、
夕方、

の意でも使う。

「晡時」は、

餔時、

とも当てる(日本国語大辞典)。

「餔」 漢字.gif

(「餔」 https://kakijun.jp/page/E94F200.htmlより)

「餔」(漢音ホ、呉音フ・ブ)は、

会意兼形声。「食+音符甫(平らにのばしてあてがう)」。敷(平らにのばす)と同系で、粉を薄くのばして焼いただんご。また、補(あてがう)と同系で、ひもじさをおさえるおやつ、

とある(漢字源)。

餔其糟(屈原・漁夫)、

とあり、

くらう、

意であるが、

又一に、哺に作る、

とあり(字源)、

古、哺と通ず、

とある(仝上)。また、

ゆうげ、

の意味もあり、

申の刻(午後四時頃)の食事、

の意味もある(仝上)。

餔時、

は、上記から、

餔(ゆうめし)の時、七ッ時、即ち午後四時(淮南子)、

とある(仝上)。

「哺」  漢字.gif

(「哺」 https://kakijun.jp/page/ho10200.htmlより)

「哺」(漢音ホ、呉音フ)は、

形声。「口+音符甫」で、口中にぱくりととらえて、ほほやくちびるでおさえること、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(口+甫)。「口」の象形と「草の芽の象形と耕地(田畑)の象形」(「広い、しき広げる」の意味)から、「口中に食物を広げる、含む、食う」を意味する「哺」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2147.htmlが、いずれにしても、「口に含む」意で、音から「晡」「餔」と通字となったものかと推測される。

「晡」 漢字.gif


「晡」(ホ)は、

餔に通ず、

とあるが、解字は何処にも載らないので、勝手な解釈だが、

日+音符甫、

だが、「甫」(漢尾ホ、呉音フ)は、

会意。「屮(芽ばえ)+田」で、苗を育てる畑。つまり苗代(ナワシロ)のこと、平らに広がる意を含む、

とあり(漢字源)、陽が、

広く平らに広がる、

傾いた頃を指している会意文字ではないか、と憶測する。

晡、

自体で、

申の刻、今の午後四時、

の意で、さらに、

朝晡頒餅餌、寒暑賜衣装(白居易)、

と、

ゆうべ、
暮方、

の意もある。で、

晡下(ほか)、

で、

七つ下がり、午後四時過ぎ、

を意味し、

晡時(ほじ)、

で、

日至於悲谷、是謂晡時(淮南子)、

と、

午後四時、

を指し、

晡夕(ほせき)、

で、

晡夕之後、精神恍惚、若有所喜(宋玉・神女賦)、

と、

薄暮、

を意味する(字源)。つまり、

哺時、

は、

餔時、

に通じ、

晡時、

と同義ということになる。で、「晡」を、

ゆうがた、

と訓ませるとするものもあるhttps://kanji.club/k/%E6%99%A1

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:晡時 哺時 ほじ 餔時
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2022年08月04日

しわぶ


男、しわびて、我身は、さは観音にこそありけれ、ここは法師になりなんと思ひて(宇治拾遺物語)、
いみじくほうけて、物もおぼえぬやうにてありければ、しわびて法師になりてけり(仝上)、

とある、

しわぶ、

は、

当惑して、
途方に暮れて、

などの意とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。

「しわぶ」は、

為侘ぶ、

と当て、

どうしてよいか始末に苦しむ、
途方に暮れる、
しあぐむ、

の意とある(広辞苑)。

「しわぶ」は、

為(す)+わぶ(侘)、

「わぶ」(上二段活用、口語「わびる」は、上一段活用)は、

失意・失望・困惑の情を動作・態度にあらわす意、

とあり(岩波古語辞典)、

うらわぶ(心侘)の略、

とある(大言海)。「わぶ」は、

ちりひぢ(塵泥)の数にもあらぬ我ゆゑに思ひわぶらむ妹がかなしさ(万葉集)、

と、

気落ちした様子を外に示す、
がっくりする、

意や、

国の司、民つかれ国滅びぬべしとなむわぶると聞し召して(大和物語)、

と、

困りきる、
迷惑がる、

意や、

男五条わたりなりける女を得ずなりにけることとわびたりける人の返りごとに(伊勢物語)、

と、

恨みかこつ、
悲観して嘆く、

意や、

さ夜中に友呼ぶ千鳥物思ふとわび居る時に鳴きつつもとな(万葉集)、

と、

気力を失って沈みこむ、
淋しく心細い思いをする、

意や、

古は奢れりしかどわびぬれば舎人が衣も今は着つべし(拾遺和歌集物名)、

と、

失意の境遇にいる、
零落している、

意や、

その御薬、まづ一度の芸、一つ勤むるほどたまはりてよ…としきりにわぶる(福富長者物語)、

と、

(助けてくれるよう)嘆願する、

意や、

我幼少より少しの業をしたこともない、偏へに御免を蒙れ、とわぶれども各々憤り深うして(天草本伊曾保物語)、

と、

(「詫びる」と書く)(困惑のさまを示して)過失の許しを求める、
あやまる、
謝罪する、

意や、

此の須磨の浦に心あらん人は、わざともわびてこそ住むべけれ(謡曲・松風)、

と、

閑静な地で生活する、
俗事から遠ざかる、

意などで使うが、他に、

里遠み恋ひわびにけりまそ鏡面影さらず夢(いめ)に見えこそ(万葉集)、

と、

(動詞連用形に付いて)その動作や行為をなかなかしきれないで困る、

の意を表し、

…する気力を失う、
…しかねて困惑する、
…しあぐむ、

意で使う。日葡辞書(1603~04)に、

ヒトヲタヅネワブル、
マチワブル、

とあるが、

待ち侘びる、
恋ひわぶる、

などと使う。「しわぶ」(しわびる)の、

す(為)の連用形+わぶ、

の、「す」(口語する)は、

「ある」が存在性を叙述するのに対して、「する」は最も基本的に作用性・活動性を叙述すると見られる、

とあり(精選版日本国語大辞典)、活用は、

未然形-(口語)し、せ、さ(文語)せ
連用形-(口語・文語共に)し
終止形-(口語)する、(文語)す
連体形-(口語・文語共に)する
仮定形-(口語・文語共に)すれ
命令形-(口語)しろ、せよ(文語)せよ

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%82%BA

・口語の未然形には、打消の「ず」「ぬ」が付くときの形「せ」のほか、打消の「ない」が付くときの形「し」がある。また、使役や受身が付くとき、多く「させる」「される」となるが、その「さ」も未然形として扱うことが多い。
・打消の「ず」が付くとき、「せ」でなく「し」となる場合もある(の「軽躁な者は軽躁な事を為まいと思ったとて、なかなか為(シ)ずにはをられまい」(二葉亭四迷「浮雲」)、
・命令形は、古くから「せよ」が使われて今日に至っているが、室町時代ごろから「せい」が、江戸時代以降は「しろ」が使われるようになる。また、これらの命令形は、放任の意にも用いられることがある。→せよ・しろ、
・過去の助動詞「き」へ続ける場合は変則で、終止形「き」には連用形の「し」から、連体形「し」および已然形「しか」には未然形の「せ」から続く。すなわち、「しき」「せし」「せしか」となる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

なお、「わび・さび」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471270345.htmlについては触れた。

「爲」 漢字.gif



「為」 漢字.gif



「為」 甲骨文字・殷.png

(「為」 甲骨文字・殷 https://kakijun.jp/page/ta08200.htmlより)


「為」 金文・西周.png

(「為」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%82%BAより)

「為」(イ)は、

会意文字。爲の原字ば「手+象」で、象に手を加えて手なずけ、調教するさま。人手を加えて、うまく仕上げるの意。転じて、作為を加える→するの意となる。また原形をかえて何かになる意を生じた、

とある(漢字源)。

「侘」  漢字.gif

(「侘」 https://kakijun.jp/page/ta08200.htmlより)

「侘」(漢音タ、呉音チャ)は、

会意兼形声。「人+音符宅(タク じっとどまる)」、

で、

たちどまる、
がっかりして立ち尽くす、

意である(漢字源)。我が国では、

わぶ、

と訓ませ、

俗事からとおざかり、静寂な風情をたのしむ、
その目的がなかなか達せられず、迷っている(「待ち侘びる」など)、
わび(「わび」「さび」のわび)、

の意で使い、しかも、「佗」(漢音タ、呉音ダ)を、「侘」の訓を誤ってこちらに当てたため、「佗」も、「侘」と同じ意味で使う(仝上)。

「佗」  漢字.gif

(「佗」 https://kakijun.jp/page/ta07200.htmlより)

「侘」(漢音タ、呉音ダ)は、

会意兼形声。它(タ)は、蛇を描いた象形文字。蛇の害を受けるような変事の意から、変わった、見慣れないなどの意となり、六朝時代から後、よその人、他人、彼の意となる。侘は「人+音符它(タ)」。它で代用することが多い、

とある(漢字源)。「他」は「侘」の俗字である。別に、

会意兼形声文字です(人+也・它)。「横から見た人」の象形と「へび」の象形(「蛇(へび)、人類でない変わったもの」の意味)から、「見知らない人、たにん」を意味する「他」という漢字が成り立ちました。(「佗」は俗字です。)、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji248.html。「他」は、

古くは「佗」、(他の)「也」は蠍の象形であり、しばしば「它」と混用されたため「侘」を「他」と書くようになった、

とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%96・漢字源)。「侘」で触れたように、我が国では、「侘」の訓を誤って当てたため、「侘住居(わびずまい)」などと、「わび」の意で用いている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:しわぶ 為侘ぶ
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2022年08月03日

注連縄


さらば此御祭の御きよめするなりとて、四目(しめ)引きめぐらして、いかにもいかにも人なよせ給ひそ(宇治拾遺物語)、

にある

四目、

は、

注連(しめ)、

の当て字、

注連縄、

の意で、

聖場の標とするためにひきめぐらす縄、

とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。

「注連」は、

標、

とも当て、

動詞「占む」の連用形の名詞化、

で、

物の所有や土地への立ち入り禁止が、社会的に承認されるように、物に何かを結いつけたり、木の枝をその土地に刺したりする意、

とあり(岩波古語辞典)、

大伴の遠(とお)つ神祖(かむおや)の於久都奇(奥津城 おくつき=墓所)はしるく之米(標 シメ)立て人の知るべく(万葉集)、

と、

神の居る地域、また、特定の人間の領有する土地であるため、立入りを禁ずることを示すしるし、

とあり、

木を立てたり、縄を張ったり、草を結んだりする、

が、

双葉(ふたば)よりわが標(し)めゆひし撫子の花のさかりを人に折らすな(後撰集)、

と、

恋の相手を独占する気持や、恋の相手が手のとどかないところにいることなどを、比喩的に表現するのにも用いる、

とある(日本国語大辞典)。で、「しめ(標)」は、

標刺(さ)す 所有しているしるしをたてる。目じるしをつける、
標の内(うち)  神あるいは特定の人間が領有するため立入りを禁じている地域の内。神社の境内、宮中など、
標の内人(うちびと) 神社、または、神事に奉仕する人。宮中に仕える人、
標の外(ほか) 神あるいは特定の人間が領有する地域の外。神社の境内、内裏などの外。転じて、比喩的な意味で男女の間が隔たっていること、相手が手のとどかないところにいることなどにも用いる、
標結(ゆ)う 占有、道標のしるしとして草などを結ぶ。縄などを張って立入りを禁ずる。また、反対に、出て行くのを止める意にも用いる、

などと使う(仝上)。この「しめ」は、

シメ(閉)の義(大言海)、
シメ(締)の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
自分が占めたことを標す義(国語溯原=大矢徹)、
これを張って出入りをイマシメるところから(和句解・柴門和語類集・日本釈名)、

等々の説があるが、

シメクリナハの約であるシメナハの略(東雅・大言海)、

とし、

元、縄を結び付けて、標(しるし)せし故に(即ち、しめなは)、結ふと云ふ、

と、

しめなわ(注連縄)の略、

としても使う(大言海・日本国語大辞典・広辞苑)。

注連縄(広辞苑).jpg

(注連縄 広辞苑より)


注連縄(『学研全訳古語辞典』).jpg

(注連縄 学研全訳古語辞典より)

「しめくりなは」は、

注連縄、
尻久米縄、
端出縄、

などと当て、

「しめなは」の古語、

で(広辞苑)、

布刀玉(ふとだま)の命、尻久米(クメ 此の二字は音を以ゐよ)縄を其の御後方(みしりえ)に控(ひ)き度(わた)して白言(まを)ししく(古事記)、

と、

端(しり)を切りそろえず、組みっぱなしにした縄、

の意である(仝上)。『日本書紀』七段本書に、

端出之縄、

とあり、注記に、

縄、亦云く、左縄(ひたりなは)の端出(はしいたす)といふ。此には斯梨俱梅儺波(しりくめなは)と云ふ、

と記す(精選版日本国語大辞典)。「くめ」は、多く、

「組む」の意、

と取る(評釈その他)が、

「籠」の意と取る説(次田新講)、
「出す意の下二段他動詞クムの連用形」と取る説(新編全集)、
「籠(こめ)」で、わらのしりを切り捨てないでそのままこめ置いたなわの意(日本国語大辞典)、

もあるhttp://kojiki.kokugakuin.ac.jp/kojiki/%E5%A4%A9%E3%81%AE%E7%9F%B3%E5%B1%8B%E2%91%A2/。確かに、「籠(こめ)」よりは、「組む」の、

藁の端を出したままにした縄を組む、

の方が実態に叶う気はする。やはり、

上代、縄を引き渡して、内側にはいることを禁じ、清浄な地を区画する標としたもの、

どあり、

後、神前に引き、また、新年の時などの飾り、

とした、

しめなわ、

である。

注連縄.jpg

(注連縄 デジタル大辞泉より)

「しめなは(わ)」は、

標縄、
注連縄、
七五三縄、
〆縄、

などと当て、

祝部(はふり)らが斎(いは)ふ社の黄葉(もみぢば)もしめなは越えて散るといふものを(万葉集)

と、

神前または神事の場に不浄なものの侵入を禁ずる印として張る縄、

の意だが、一般には、新年に門戸に、また、神棚に張り、

左捻よりを定式とし、三筋・五筋・七筋と、順次に藁の茎を捻り放して垂れ、その間々に紙垂(かみしで)を下げる。輪じめ(輪飾り)は、これを結んだ形である、

とある(広辞苑・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A8%E9%80%A3%E7%B8%84)。ただし、出雲大社では、本殿内の客座五神の位置などから左方を上位とする習わしがあり、右綯いの縄(左方が綯い始めになっている縄)が用いられている(仝上)。

しめ(標)、
章断(しとだち)、

ともいう。

出雲大社の注連縄.JPG

(出雲大社の注連縄は一般的な注連縄とは逆に左から綯い始めている https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A8%E9%80%A3%E7%B8%84より)

古神道においては、神域はすなわち常世(とこよ)であり、俗世は現実社会を意味する現世(うつしよ)であり、注連縄はこの二つの世界の端境や結界を表し、場所によっては禁足地の印にもなる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A8%E9%80%A3%E7%B8%84。また、

御霊代(みたましろ)、
依り代(よりしろ)、

として神がここに宿る印ともされ、巨石、巨樹、滝などにも注連縄は張られる。また日本の正月に、家々の門や、玄関や、出入り口、また、車や自転車などにする注連飾りも、注連縄の一形態であり、厄や禍を祓う結界の意味を持つ、とある(仝上)。この起源は、古事記で、

天照大神が天岩戸から出た際に二度と天岩戸に入れないよう岩戸に注連縄を張った、

とされる(仝上)のによる。

天岩戸神話の天照大御神(春斎年昌).jpg

(天岩戸神話の天照大御神(春斎年昌) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%B2%A9%E6%88%B8より)

なお、「ぬさ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488951898.htmlで触れたが、「しで」は、祓具として、

玉串、
祓串、
御幣、

につける他に、注連縄に垂らして神域・祭場に用いる場合は、

聖域、

を表すhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99%E5%9E%82。もともと、串に挿む紙垂は、

四角形の紙、

を用いたが、のちに、その下方両側に、紙を裁って折った紙垂を付すようになり、さらに後世には紙垂を直接串に挿むようになった(日本大百科全書)が、その断ち方・折り方にはいくつかの流派・形式があり、主なものに吉田流・白川流・伊勢流がある、とされる(仝上)。この形の由来については、

無限大の神威説(白い紙を交互に切り割くことによって、無限大を表わす)、

雷説(雷(稲妻)を表わしている)、

があるとされる(仝上)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年08月02日

むかばき


こんのあを(襖)きたるが、夏毛のむかばきをはきて、葦毛の馬に乗りてなむ來(く)べき(宇治拾遺物語)、

にある、

むかばき、

は、

行縢、
行騰、

と当て(広辞苑)、

鹿・熊・虎・豹等の毛皮を用ゐ、長さ三尺六寸、一片に製して、腰に着け、両の股脚、袴の前面に垂れ被うふもの、

で(大言海)、

奈良時代には短甲に付属し、平安初期には鷹飼が用い、平安末期から武士が狩猟・旅行に当たって騎馬の際に着用した、

とある(広辞苑)。現在も、

流鏑馬(ヤブサメ)、

の装束に用いている(大辞林)。

むかばき.jpg

(「むかばき」 広辞苑より)

袴をはいていても、乗馬していばらの道を通れば足を痛めることが多いので、武士はこれをはくことによって、その災いから逃がれることができた、

とある(日本大百科全書)。「夏毛」は、

特に鹿の夏の毛、

をいい、

夏の半ば以後、暗褐色から黄色に変わり、白斑が鮮やかに出る。その毛は、筆、毛皮は行縢によいとされた、

とある(岩波古語辞典)。

因みに、「短甲」は、

平安初期頃まで行われた甲よろいの代表的な形式。鉄板を革紐や鉄鋲でとじつけて作り、胴部をおおう短いもの、

の意である(仝上)。

短甲.bmp

(短甲 大辞林より)

「したうづ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488529163.htmlで触れたように、

隋・唐の制を参考に、大宝(たいほう)の衣服令(りょう)で、朝服に加えて礼服を制定し、養老(ようろう)の衣服令によって改修され(有職故実図典)、

即位、大嘗祭(だいじょうさい)、元日朝賀等の重要な儀式に着用した、

礼服(らいふく)、

の、武官の礼服は、

礼冠、緌(老懸 おいかけ)、位襖(いおう 「襖」は、わきを縫い合わせない上衣)、裲襠(うちかけ・りょうとう 長方形の錦(にしき)の中央にある穴に頭を入れ、胸部と背部に当てて着る貫頭衣)、白袴、行縢(むかばき 袴(はかま)の上から着装)、大刀(たち)、腰帯、靴(かのくつ)、

と規定されていた(広辞苑・有職故実図典・精選版日本国語大辞典他)。

むかばき.bmp

(「むかばき」 精選版日本国語大辞典より)

「むかばき」は、

向脛(むかはぎ)にはく意(広辞苑)、
ムカ(向)ハク(穿)の意(岩波古語辞典・小学館古語大辞典)、
向脛巾(ムカハバキ)の約、向着の義、向は、向股の如し(大言海)、
両股に着くので、ハハキはハキハキ(脛着)の義(東雅)、
向股佩の義(類聚名物考)、
股佩の義(古今要覧稿)、

等々ある。多少の違いはあるが、多く、

脛(はぎ)、

に関わらせた説である。

向脛(むかはぎ)、

というのは、

脛の前面、

つまり、

むこうづね、

を指し(広辞苑)、

向は、両脛相向かふなり、向股(むかもも)の如し、

とある(大言海)。字鏡(平安後期頃)に、

骹(コウ、脛)、脛骨也、脛也、疾也、牟加波支、

とある。

はばき.bmp

(はばき 大辞林より)


はばき 現物.jpg

(「はばき」 広辞苑より)

「脛巾(はばき)」は、

行纏、
脛衣、

とも当て、

古く、旅行・外出のときなどに、すねに巻きつけ、紐で結んで、動きやすくしたもの。藁や布で作られ、後世の脚絆(きゃはん)にあたる、

とある(広辞苑・大辞林)。「はばき」も、

ハギハキ(脛穿・脛佩)の義(大言海・箋注和名抄・和句解)、
脛巾裳(はばきも)の略(日本国語大辞典)、
ハキマキ(脛巻)の義(言元梯)、

などとされる。位置から見ると、

膝より下の、足首から上、

を指す、

脛(はぎ)、

ではなく、

膝から上、股までの部分、

である、

股(もも 腿)、

ではないかという気がするが、諸説から見ると、

向脛巾(ムカハバキ)の約、

あるいは、

向脛(むかはぎ)にはく、

というのが実態に叶う気がする。

「縢」 漢字.gif


「縢」(漢音トウ、呉音ドウ)は、

形声。糸をのぞいた部分が音をあらわす、

とある(漢字源)。

なわ、ひも、おび、

など、

互い違いによじりあわせたひも、

の意で、
縢(かが)る、

と訓ませ、

糸などでからげて縫い合わせる、
糸を組んで編み合わせる、

意で使う(精選版日本国語大辞典)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年08月01日

現象学的分析


エドムント・フッサール(立松弘孝訳)『内的時間意識の現象学』を読む。

内的時間意識の現象学 (2).jpg


本書は、二部に分かれる。

「第一部は『現象学および認識論の主要部』と題して1904、05年の冬学期にゲッチンゲンで行われた週四時間講義の最後の部分を収録している。(中略)この講義では《もっとも根底的な知的作用、すなわち、知覚、想像、心象意識、記憶、時間直観》が研究されることになっていた。第二部は講義の補遺と1910年までになされた新しい補足的研究から成り立っている。」(編者・序)

本書ではじめて、

時間を主観的に、

つまり、

主観的な時間意識や内在的な意識体験の時間性、

について、

現象学的に、

つまり、

直接与えられた意識(知覚直観、純粋経験・意識)を整理することなく、できるだけ言葉に置き換えて記述していく、

ことで、

意識内部の時間意識、

の道筋を明らかにしようとしているのは。確かだとしても、しかし、それにしても、本書は難解である。

「一般に難解な彼の著作の中でも最も難解を嘆ぜしめるもの」

といわれる(訳者あとがき 高橋里美「フッセルにおける時間と意識流」)。論旨の難解さももちろんあるが、次々と説明抜きで繰り出される「概念」が、とても追尾不能のせいもある。たとえば、

「勿論われわれの誰もが時間とは何であるかを知っている。時間はもっともよく知られたものである。しかしいったんわれわれが自分自身に時間意識について論明し、客観的時間と主観的時間とを正当な相互関係に置いて、そしてどのようにして時間的客観性が、つまり個体的客観性一般が主観的時間意識の内部で構成されるかを意識しようと試みるならば、それどころか、純粋に主観的な時間意識、すなわち時間体験の現象学的内実を分析しようと試みるだけでも、忽ちわれわれは稀有の困難、矛盾、混乱にまきこまれてしまう。」

とある(「序論」)だけでも、「時間」だけで、

時間性格、
客観的時間、
主観的時間、
時間的客観性、
個体的時間性、
主観的時間意識、
時間体験、

等々と繰り出される。文脈で理解できるものもあるが、微妙な含意差は、推測していくほかはない。

たとえば、メロディを聞いている時、

「内在的・時間的客観が恒常的な流れの中でどのように《現出》し、どのように与えられているか」

という、

内的時間意識の現出様式、

を、次のように記述する。

「音が鳴り始め鳴り終わる全過程の統一は、それが鳴り終わったあと次第に遠い過去へ《後退する》。このような沈退の中で私はなおもその音を《把持》し、それを《過去把持》のうちに所持している。そして過去把持が存続する限り、その音はそれ自身の時間性を保持し、同じ音でありつづけるのであり、その持続も変わることがない。私はその音の所与存在の様式に注意を向けることができる。その音とその音が充たしている持続は《諸様式》の連続する中で、《恒常的な流れ》の中で意識されているのである。そしてこの流れの一位相をなす一点が《鳴り始めた音の意識》と言われ、そこでは音の持続の最初の時点が今という様式で意識されている。その音は所与であり、いまとして意識されている。しかしそれがいまとして意識されるのは、その音の諸位相のどれか一つがいまとして意識されている《限り》でのことである。しかし(音の持続の一時点に対応する)時間位相のどれかが顕在的な今であるとすれば(ただし出発点の位相は例外である)、一連の位相は《以前》として意識され、また出発点から今の時点までの時間的持続の広がり全体は経過した持続として意識される。……」

と、明らかに自分の個人的体験とは齟齬のある部分はあるが、フッサール自身が、

「このような記述を行う場合われわれはすでに多少の観念的虚構を用いて操作している。」

と言っているし、

「音が絶対に変わることなく持続するというのは一つの虚構である。」

といっているので、免責されるようだが、そうだろうか。音の持続を前提に立てている構造そのものが、疑わしくなってくるのではないのか。

正直「現象学」による分析の価値を云々する力はないか、少し齧った認知心理学からいうなら、本書が追求する、

知覚、
記憶、
想像、
想起、
心象、

等々は、正に認知心理学の領域であり、たとえば、「記憶」を、「記憶」一言で片づけるのは、いささか問題があり、たとえば、記憶は、

「意味記憶」(知っている Knowには、Knowing ThatとKnowing Howがある)、
「エピソード記憶」(覚えている rememberは、いつ、どこでが記憶された個人的経験)、
「手続き記憶」(できる skillは、認知的なもの、感覚・運動的なもの、生活上の慣習等々の処理プロセスの記憶)、

があるとされるが、「メロディ」の記憶を、

意味記憶、

でみるか、

エピソード記憶、

で見るかでは、その主観的時間意識には差があるはずで、主観的な意識記述は、今日、認知心理学の知見と照合さるべきなのではないか。いかに主観とはいえ、「虚構」の記述に意味があるとは思えない。

参考文献;
エドムント・フッサール(立松弘孝訳)『内的時間意識の現象学』(みすず書房)
J・R・アンダーソン『認知心理学概論』(誠信書房)

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2022年07月31日

神さびる


砌(みぎり 軒下の敷石)に苔むしたり。かみさびたる事かぎりなし(宇治拾遺物語)、

にある、

かみさびたる、

は、

神々しい、

意とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。なお、「砌」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485070263.htmlについては触れたことがある。

「神(かみ)さびる」は、

かんさびる、

とも訓まし、文語で、

神さぶ、

は、

かみさぶ、
かんさぶ、
かむさぶ、
かみしむ、

とも訓む(明解古語辞典)が、「かみさぶ」は、

カムサブの転(岩波古語辞典)、
かんさぶ、古くは「かむさぶ」と表記(精選版日本国語大辞典)、

とされ、

「万葉集」では「かむさぶ」がふつうで、「かみさぶ」は挙例が唯一の例である。「かみ(神)」の「み」に「美」が用いられるのは上代特殊仮名遣としても異例。防人の歌でもあり、東国語形とも考えられる、

とある(精選版日本国語大辞典)。「カミ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/436635355.htmlでも触れたように、上代特殊仮名遣によると、

「神」はミが乙類(kamï)
「上」はミが甲類(kami)

で、

「神」のミは「微」の乙類の音、
「上(カミ)」のミは「美」の甲類の音、

であるが、

「神(kamï)」と「上(kami)」音の類似は確かであり、何らかの母音変化が起こった、

とする説もある。

で、「神さぶ」は、

難波門(なにはと)を榜ぎ出て見れば神かみさぶる(可美佐夫流)生駒高嶺(たかね)に雲そたなびく(万葉集)

と、

神々(こうごう)しい様子を呈する、
古色を帯びて神秘的な様子である、
古めかしくおごそかである、

といった意味である(広辞苑)が、

ひさかたの天つ御門(みかど)をかしこくも定めたまひて神佐扶(かむさぶ)と磐隠(いはがく)りますやすみししわが大君の(万葉集)、

と、

神らしく行動する、
神にふさわしい振舞いをする、

意でも使った。普通に考えると、神々しいという言葉の派生として、それに似た振舞い、という意味の流れになるのかと思う。転じて、

いそのかみふりにし恋のかみさびてたたるに我は寝(い)ぞ寝かねつる(古今集)、

と、

古風な趣がある、
古めかしくなる、
年を経ている、

意となり、さらに、

あけの玉墻(たまがき)かみさびて、しめなはのみや残るらん(平家物語)、

と、

荒れてさびしい有様になる、

意に転じ、あるいは、

かみさびたる翁にて見ゆれば、女一(にょいち)の御子の面伏(おもてぶせ)なり(宇津保物語)、

と、単に、

老いる、

意でも使う。だんだん神秘性が薄れ、ただの古ぼけたものになっていく感じである。

「神さぶ」の「さぶ」については、

然、

と当て、

上二段の自動詞、

で、

然帯(さお)ぶの約なるべし(稲置(イナオキ)、いなぎ。馬置(うまおき)、うまき)、都(みや)び、鄙(ひな)ぶも、都帯(みやお)び、鄙帯(ひなお)ぶの約なりと思ふ。翁さぶ、少女(おとめ)さぶは、翁然(おきなぜん)、少女然(しょうじょぜん)(学者然、君子然)の意、

とし、

他語の下に熟語となりて、其気色ありの意を成す語、めくと云ふに同じ、神さぶ、翁さぶ、貴人(うまびと)さぶ、少女(おとめ)さぶなど、皆、神めく、翁めくなどの意なり、

とする説もある(大言海)が、

「さぶ」は接尾語、

とするのが大勢で(日本国語大辞典・精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、

名詞に付いて、そのものらしくふるまう、そのものらしくなる意を表す。上接する名詞は、人や神、または、これに準ずる語であることが多い。「乙女さぶ」「うま人さぶ」「翁さぶ」など、

とあり(日本国語大辞典)、

サは漠然と方向や様子を示す語、ブは行為を人に示す意、カナシブ(悲しぶ・哀しぶ)、ウレシブ(嬉しぶ)のブと同じ(岩波古語辞典)、
状態・方向を表す「さ」に、接尾語「ぶ」の付いたもので、そのような状態になる、ある方向に進むの意(日本国語大辞典)、

あるいは、

「さびる(寂)」「さぶ(窈窕)」の、古びる、古びてしっとりとした味わいを持つなどの意から、そのものの属性を発揮すべくしっとりとふるまうの意を表すように変化したもの(日本国語大辞典)、

ともあり、どちらともいえないが、

体言について、上二段活用の動詞をつくり、そのものにふさわしい、そのものらしい行為・様子をし、またそういう状態にあることを示す、

とある(仝上)。

「めく」は、

見來(みえく)を約して四段活用、

ともある(大言海)が、

名詞・形容詞語幹・副詞について四段活用の動詞をつくり、

雨(あま)そそぎもなほ秋のしぐれめきてうちそそげば(源氏物語)、

と、

本当に……らしい様子を示す、
……の本当の姿を尤もよく示す、

意と、

親めく、
なまめく、

など、

一見……らしく見える姿を示す、

という使い方をする。「さぶ」の然るべく見える意と重なる所は多い気がするが、

神さぶ、

神めく、

では、「めく」ただそう見えるのに対して、「さぶ」は、然る可く見えるので、ただそう見えるとは少し含意が異なる気がする。

なお、「神」については、「神道」http://ppnetwork.seesaa.net/article/430465963.htmlでも触れた。

「神」 漢字.gif



「神」 漢字.gif



「神」 金文・西周.png

(「神」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A5%9Eより)

「神」(漢音シン、呉音ジン)は、

会意兼形声。申は、稲妻の伸びる姿を描いた象形文字。神は「示(祭壇)+音符申」で、稲妻のように不可知な自然の力のこと、のち、不思議な力や、目に見えぬ心のはたらきをもいう、

とある(漢字源)。日・月・風・雨・雷など自然界の不思議な力をもつもの、

天のかみ、

で、

祇(ギ 地の神)、鬼(人の魂)に対することば、

とある(仝上)。「申」(シン)は、

会意文字。稲妻(電光)を描いた象形文字で、電(=雷)の原字、のち、「臼(両手)+丨印(まっすぐ)」のかたちとなり、手でまっすぐのばすこと、伸(のばす)の原字、

とある(仝上)。

「申」 金文・殷.png

(「申」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%B3より)

「神」の字は、別に、

会意兼形声文字です(ネ(示)+申)。「神にいにしえを捧げる台の象形」と「かみなりの象形」から、天の「かみ」を意味する「神」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji426.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
金田一京助・春彦監修『明解古語辞典』(三省堂)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:神さびる 神さぶ
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2022年07月30日

甘露


心みにこの花を一房とりて食たりければ、天の甘露もかくやあらんとおぼえて(宇治拾遺物語)、

にある、

天の甘露、

とは、

中国で仁政の感応である祥瑞として、天から降る甘い露、

の意とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。もともとは、

天地相ひ合し、以て甘露をす(老子)、

と、

中華世界古代の伝承で、天地陰陽の気が調和すると天から降る甘い液体、

を指し、後世、

則ち風に随ひて松林と葦原とに飄(ひひ)る。時の人、曰はく、甘露(カムロ)なりといふ(日本書紀)、

と、

王者が高徳であると、これに応じて天から降るともされ、また神話上の異界民たる沃民はこれを飲んでいる、

とされているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E9%9C%B2。ちなみに、「沃民(ようみん、よくみん)」は、

中国に伝わる伝説上の人種、

で、『山海経(せんがいきょう)』によると、

沃民国は白民国の南、女子国の北にあり、沃民人は人間の姿をしているが鳳凰(ほうおう)の卵や甘露をつねに飲食しており、欲しいと思う食物は住んでいる土地で思うままに入手することが出来た、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%83%E6%B0%91、とある。

さらに、後に、インドから仏教が伝来すると、

インド神話の伝承で不死の霊薬とされたアムリタ(梵語amṛta)を、阿蜜㗚多と音訳、不死、神酒などとも訳すが、漢訳仏典では中国の伝承の甘露と同一視し、甘露、あるいは醍醐と訳した、

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E9%9C%B2・精選版日本国語大辞典)。「amṛta」は、

不死・天酒、

の意で、

ソーマの汁、

を指し、

天上の神々の飲む、忉利天(とうりてん 須弥山の頂上)にある甘い霊液。不死を得る、

といい、これを飲むと、

苦悩を去り、長寿になり、死者をもよみがえらせる、

といい(精選版日本国語大辞典)、転じて、

我、甘露(かんろ)の法門を開て彼(かの)阿羅邏仙(あららせん)を先づ度せむ(今昔物語集)、

と、

仏の教え、
仏の悟り、

にたとえ(広辞苑)、

涅槃(ねはん)、

をもいう(日本大百科全書)、とある。ソーマ(soma)は、

ヴェーダなどのインド神話に登場する神々の飲料、ゾロアスター教の神酒ハオマと同起源、

とあり、

飲み物のソーマは、ヴェーダの祭祀で用いられる一種の興奮飲料であり、原料の植物を指すこともある。ゾロアスター教でも同じ飲料(ハオマ)を用いることから、起源は古い、

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%9E・広辞苑)。

こうした「甘露」の意味から、転じて、

於甘露(カンロ)之乳水醍醐之上味、難及料棟(れうけん)候(新撰類聚往来)、

などと美味の意で用いる(広辞苑)。いまでも、

ああ甘露、甘露、

などと使う。この意味の転用で、

喫梵天(梵天瓜)甘露(蔭凉軒日録・文明一九年(1487)六月二八日)、

と、

瓜の異称、

や、

甘露酒、
甘露水、
甘露煮、

等々にも使い、また、

夏、カエデ・エノキ・カシなどの樹葉から甘味のある液汁が垂れて樹下を潤すもの。その木につくアブラムシが植物内の養分を吸収して排泄する、ブドウ糖に富む汁、

の意でもあり、その排出する甘露をアリ類が好み、アブラムシを保護するところから、「アリの牧場」とみて、

アリマキ、

と称す(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。なお、

甘露が降ろかとて口開いてもいられず、

と、

幸運を待って何もしないわけにはいかない、

意のことわざもある(故事ことわざの辞典)。

「甘」 漢字.gif

(「甘」 https://kakijun.jp/page/0598200.htmlより)


「甘」 甲骨文字・殷.png

(「甘」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%98より)

「甘」 金文・西周.png

(「甘」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%98より)

「甘」(カン)は、

会意文字。「口+・印」で、口の中に・印で示した食物を含んで味わうことを示す。長く口中で含味する、うまい(あまい)物の意となった、

とある(漢字源)が、

口に物を入れ長く味わう、

という説(藤堂明保)以外に、

首枷(鉗)などの象形文字で、「あまい」の意は、同音の植物名「苷」より、

とする説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%98。別に、

指事文字です。「口中に横線を引いた文字」から、食物を口にはさむさまを表し、そこから、「あまい」、「うまい」を意味する「甘」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1100.html

「露」 漢字.gif

(「露」 https://kakijun.jp/page/2103200.htmlより)


「露」 説文解字・漢.png

(「露」 説文解字・漢(小篆) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9C%B2より)

「露」(漢音ロ、呉音ル、慣用ロウ)は、

形声。「雨+音符路(ロ)」で、透明の意を含む。転じて、透明にすけて見えること、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(雨+路)。「雲から水滴が滴(したた)り落ちる」象形と「胴体の象形と立ち止まる足の象形と上から下へ向かう足の象形と口の象形」(人が歩き至る時の「みち」の意味だが、ここでは、「落」に通じ、「おちる」の意味から、落ちてきた雨を意味し、そこから、「つゆ(晴れた朝に草の上などに見られる水滴)」を意味する「露」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji340.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:甘露 天の甘露
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2022年07月29日

白毫


さまざまの花をふらし、白毫の光、聖の身をてらす(宇治拾遺物語)、

とある、

白毫(びゃくがう)、

は、

仏三十二相の一で、眉間の白毫(白い毛)は右旋して光明を発するという、

とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。

仏像.jpg

(仏像 広辞苑より)

眉間白毫相(みけんびゃくごうそう)、

と呼ぶ(広辞苑)が、「白毫」は、

世閒眉閒有白毫相、右旋柔軟、如覩羅綿(兜羅綿)、鮮白光浄踰珂雪等(大般若経)、

と、

眉間にある右旋りの白い毛のかたまり、

であって、

眉間の白毫は、右に旋(めぐ)りて婉転して五須弥山の如し(眉間白毫、右旋婉転、如五須弥山)、

とあり(観無量寿経 https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000reb.html)、

普段は巻き毛であり、伸ばすと1丈5尺(約4.5メートル)ある、

とされhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BD%E6%AF%AB

釈迦牟尼佛、放大人相肉髻(にっけい)光明、及放眉間白毫相光、徧照東方八萬億那由他(なゆた)恆河沙(ごうがしゃ)等諸佛世界(法華経)、

と、

説法の前などに、仏はそこから一条の光を放ち、あまねく世界を照らす、

というhttps://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000reb.html。また、

白毫者、表理顕明称白、教無繊隠為毫(嘉祥法華義疏)、

と、仏の眉間にある白い毛は、仏の教化を視覚的に表象したものとされ、

仏像では水晶などをはめてこれを表す、

とある(広辞苑)。初期の仏陀像にすでに、

小さい円形が眉間に浮彫りされている、

とある(日本大百科全書)。

東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏).jpg

(東大寺盧舎那仏像 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%AF%ABより)

三十二相、

は、

「三十二相」http://ppnetwork.seesaa.net/article/425075772.htmlで触れたように、

如来変化之身、具此三十二相、以表法身衆徳圓極、人天中尊、衆聖之王也(「大蔵法數(だいぞうほっす)」)、

と、

仏がそなえているという32のすぐれた姿・形、

すなわち、

手過膝(手が膝より長い)、
身金色
眉間白豪(はくごう)
頂髻(ちょうけい)相(頭頂に隆起がある)

という意味であるが、転じて、

三十二相足らひたる、いつきしき姫にてありける(御伽草子「文正草子」)、

と、

女性の容貌・風姿の一切の美相、

の意味になる(広辞苑)。

釈迦如来の身体に具したる、異常なる表象(しるし)

は、

三十二大人(だいにん)相、
三十二大丈夫(だいじょうふ)相、
三十二大士(だいじ)相、
大人相、
四八(しはち)相、

等々ともいう(日本大百科全書)。また、

三十二相八十随形好(ずいぎょうこう)

あるいは、

三十二相八十種好(はちじっしゅごう)、

あるいは、

八十随形好(はちじゅうずいぎょうこう)、

とも言い、仏の身体に備わっている特徴として、

見てすぐに分かる三十二相と、微細な特徴である八十種好を併せたもの、

で、両者をあわせて、

相好(そうごう)

という(仝上)。「相好」は、

相好を崩す、

と、

顔つき、顔かたち、

の意で、

仏以外にも用いる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

「白」  漢字.gif

(「白」 https://kakijun.jp/page/0595200.htmlより)

「白」(漢音ハク、呉音ビャク)は、「白波」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485227350.htmlで触れたように、

象形。どんぐり状の実を描いたもので、下の部分は実の台座。上半は、その実。柏科の木の実のしろい中身を示す。柏(ハク このてがしわ)の原字、

とある(漢字源)が、

象形。白骨化した頭骨の形にかたどる。もと、されこうべの意を表した。転じて「しろい」、借りて、あきらか、「もうす」意に用いる、

ともあり(角川新字源)、象形説でも、

親指の爪。親指の形象(加藤道理)、
柏類の樹木のどんぐり状の木の実の形で、白の顔料をとるのに用いた(藤堂明保)、
頭蓋骨の象形(白川静)、

とわかれ、さらに、

陰を表わす「入」と陽を表わす「二」の組み合わせ、

とする会意説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BD。で、

象形文字です。「頭の白い骨とも、日光とも、どんぐりの実」とも言われる象形から、「しろい」を意味する「白」という漢字が成り立ちました。どんぐりの色は「茶色」になる前は「白っぽい色」をしてます、

と並べるものもあるhttps://okjiten.jp/kanji140.html

「毫」 漢字.gif


「毫」(漢音コウ、呉音ゴウ)は、

会意兼形声。高は、高台にある建物を描いた象形文字。毫は「毛+音符高の略体」で、丈の高い毛のこと、

とある(漢字源)が、

ほそげ、
細い毛、

ともあるhttps://www.kanjipedia.jp/kanji/0002351100

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年07月28日

説話の原点


景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』を読む。

日本霊異記 (東洋文庫 ).jpg


本書『日本霊異記(にほんりょういき・にほんれいいき)』は、正確には、

日本国現報善悪霊異記(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)、

で、平安時代初期編纂の、最古の説話集である。

上巻35話、
中巻42話、
下巻39話、

で、

計116話、撰者は、薬師寺の僧、

景戒(きょうかい)、

であり、各巻に序文を記し、唐に、

冥報記(めいほうき)や般若験記(金剛般若集験(こんごうはんにゃしゅうげん)記)、

といった霊験記があり、他国の話ばかりではなく、自国の「不思議な出来事を信じないことがあろうか」と、本書をまとめたと記している。

全文は漢文体で、ほぼ時代順に記述されている。上巻は、

雄略天皇の時代(五世紀後半)から聖武天皇の神龜四年(727)まで、

中巻は、

聖武天皇の天平元年(729)から淳仁天皇の天平宝字七年(763)まで、

下巻は、

称徳天皇の時代(764~770)から嵯峨天皇の時代(809~822)まで、

と、所収の話の背景は、

奈良時代及びそれ以前、

と、

現存する日本最初の説話集であるとともに、奈良時代の説話を集大成したもの、

となり(本書解説)、後の、

法華験記(ほっけげんき)、
三宝絵詞(さんぼうえことば)、
今昔(こんじゃく)物語集、

等々に多大な影響を与えた、とされる(仝上)。

現報善悪霊異記、

とある如く、

善悪の応報を説く因果譚、

が過半を占め、

三毒(さんどく 貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の煩悩)、

やら、

四重五逆(殺生・偸盗・邪淫・妄語の四重、殺父・殺母・殺阿羅漢(悟りを開いた聖者)、破和合僧(教団破壊)、出仏身血(仏身を傷つけること)の五逆)、

やら、

五戒(不殺生戒、不偸盗戒、不邪婬戒、不妄語戒、不飲酒戒)を破る、

やら、

十悪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語(きご 真実に反して言葉を飾りたてる)・悪口(あっく)・両舌(りょうぜつ 二枚舌を使う)・貪欲・瞋恚・邪見)、

やら、仏教での戒めやら、罪の応報を、これでもかこれでもか、と読まされると、ふと我が身を振り返って見ざるを得なくなる。仏教説話集の効能の一端を、我が身で味わう羽目になった。

しかし、後の説話がそうであるように、また昔話や伝説、神話に生きているように、

狐や牛、亀、鳥などの動物、あるいは雷、鬼を人間と同じように扱い、
動物や雷、鬼が人間と同じように話し、考え、行動している、

という特色が見え、たとえば、「野干」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485021299.htmlでも触れた、

女、……成野干……随夫語而來寐、故名為也(上巻第二話)、

とあるように、女となって男と結婚し、子供を産んだが、小犬に吠えられて、狐の正体がばれたときに夫から、

「おまえとわたしの間には子供が生まれたのだからわたしは忘れない。いつでもきてそこにとまりなさい」

と言われ、そのとおりまたきてとまった。そこで、

岐都禰(来つ寝)、

と名づけたとあり、その子にも、

岐都禰(きつね)、

と名づけ、姓を、

狐直(きつねのあたえ)、

とつけた、と「キツネ」の由来を伝えているなど、なかなか興味深い説話も多い。

参考文献;
景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』(東洋文庫)

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2022年07月27日

むづがる


「憤る」は、

いきどおる、

と訓ませるが、

守殿(かうのとの)、など人々まゐり物はおそきとて、むづかる(宇治拾遺物語)、

と、

むづかる(むずかる)、

と訓ませ、

近世末までは、むつかる、

と清音とあり(大辞林)、

叱る、

意とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)が、

心知れる人々は、あな憎、例の御癖ぞ、と見たてまつりむつかるめり(源氏物語)、

などと、

不機嫌で小言や文句を言う、
機嫌をわるくする、
ぶつぶつ文句を言う、

の意とあり(岩波古語辞典・広辞苑)、さらに、

鬱悶(むつか)しく思ひて憤(いきどお)る、
心の中にいきどほる、
むかつく、

とある(大言海)のが正確なのではあるまいか。また、

若君の泣き給へば例はかくもむつからぬに、いかなればかからん(大鏡)、

と、

子どもがただをこねる、
子供がじれて泣く、
すねてさからう、

意でも使う。これは、現代でも、

むずかる赤ん坊、
赤ん坊がむずかる、

等々と使い、

京阪では現在まで「むつかる」だが、東京では「むずかる」、

とある(日本国語大辞典)。また、

渋面をつくる、
にがむ、

意でも使う(大言海)ともある。

「むづかる」は、色葉字類抄(1177~81)に、

憤、ムツカシ、ムツカル、

とあるように、

ムツク、ムツカシと同根、

である(岩波古語辞典・大辞泉)。

「むつく」(口語では「むつ(憤)ける」)は、

憤く、

と当て、

俗にむづく、

とあり(大言海)、

明神、御気色まことにすさまじげにむつけたる体におはしければ(雑談集)、

と、

不満に思う、
気にくわないと思う、

意と、

醒き風吹かよひ、人の身にあたるといなや、むつける程に草臥つきて(武家義理物語)、

と、

健康を損ねる、
気分がすぐれず衰弱する、

意でも使う(日葡辞書「ムツクル」)。


「むつかし」(「むづかし」、口語は「むつかしい」「むずかしい」)は、

難し、

と当て、

大方いとむつかしき御気色にて(源氏物語)、

と、

不機嫌である、

意や、

女君は、暑くむつかしとて、御髪(みぐし)すまして(仝上)、

と、

うっとおしい、

意や、

手にきり付きて、いとむつかしきものぞかし(堤中納言物語)

と、

気味が悪い、
いやな感じだ、
見苦しい、

意や、

暮ゆくに客人(まらうど)は帰り給はず、姫君いとむつかしとおぼす(源氏物語)、

と、

厄介だ、
うるさくて応対が面倒、

の意や、さらに、

山伏という前句(は、付句わするのが)むつかし(俳句・昼網)、

と、

困難である、

という意でも使うが、これは、上記の用例から、転じて、

煩わしく入りまざりて解き得難し、
成就しがたし、

の意になったもの(大言海)と見られる。その意味で、

(後白河)法皇夜前より又むつかしくおはします(明月記)、

と、

重態である、

意も、そうした意味の転化の一環と思われる。だから、「むつかし」は、

憤(むづか)るより転じた(大言海・瓦礫雜考・和訓栞・上方語源辞典=前田勇・日本語の年輪=大野晋)、

と見る見方は、類聚名義抄(11~12世紀)に、

憤懣、むつかし、

とあることからも妥当に思える。しかし、「むづかる」の語源を、

ムヅムヅと気に障って憤る意(国語の語根とその分類=大島正健)、

と、擬態語とみる説がある。ただ、表記が、

むずむず、

で、「むづむづ」でないことや、

かぶと引き寄せうち着て、緒をむずむずと結ひ(平治物語)、

と、

ぐいぐいと力をいれるさま、

の意や、

堀河の板にて桟敷を外よりむずむずと打ちつけてけり(愚管抄)、

と、

遠慮会釈ないさま、

の意で使い(岩波古語辞典)、現代の、

あっと言わせてやりたくて、むずむず身悶えしていた(太宰治「清貧譚」)、

と、

今すぐやりたいことがあるのに、それが出来なくてもどかしく思う、

意や、

汗でむずむずするのと蚤が這ってむずむずするのは(夏目漱石「吾輩は猫である」)、

と、

虫などが這いまわるような刺激を感じる、

意のような、

不快感、

の意はない(擬音語・擬態語辞典)のが難点。

「憤」  漢字.gif

(「憤」 https://kakijun.jp/page/1535200.htmlより)

「憤」 説文解字・漢.png

(「憤」 説文解字・漢(小篆) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%86%A4より)

「憤」(漢音フン、呉音ブン)は、

会意兼形声。奔(ホン)は「人+止(あし)三つ」の会意文字で、人がぱっと足で走り出すさま。賁(フン)は「貝(かい)+音符奔(ひらく、ふくれる)の略体」の会意兼形声文字で、中身の詰まった太い貝のこと。憤は「心+音符賁」で、胸いっぱいに詰まった感情が、ぱっとはけ口を開いて吹き出すこと、

とある(漢字源)。「憤慨」「発憤」等々と使う。

会意兼形声文字です(忄(心)+賁)。「心臓」の象形と「人の足跡が3つ並んだ象形と子安貝(貨幣)の象形」(「貝殻の模様がさかんに走る」の意味)から、心の中を何かが走り回る事を意味し、そこから、「いきどおる」を意味する「憤」という漢字が成り立ちました、

も同趣旨であるhttps://okjiten.jp/kanji2021.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年07月26日

こころばせ


こころばせある人だにも、物につまづき倒るることは、常の事也(宇治拾遺物語)、

とある、

こころばせ、

は、

思慮ある人、

とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。「こころばせ」は、

心馳(せ)、

と当て、

「心馳せ」の意、活動的な気持ちを、さっと外にはしらせること。また、その走らせ方によって、感じとられる、その人の気立て(岩波古語辞典)、
心馳の義、心の動く状を云ふ、こころざしに同じ。類推して、顔様(かほばせ)、腰支(こしばせ)など云ふ語あり、かほつき、こしつきにて、こころばせも、こころつきなり(大言海)、

などとあり、色葉字類抄(1177~81)にも、

志操、ココロバセ、

ともある。「はせ」の「はす」は、

馳す、

と当て、

ハシル(走)と同根、

とある。たしかに、「かほ(顔)ばせ」は、

ハセはココロバセ・コシバセのハセに同じ、

で、

顔の印象、顔つき、

であり(岩波古語辞典)、和名類聚抄(平安中期)には、

顔面、面子、加保渡世(かほばせ)、加保都岐、

とあり、「こし(腰)ばせ」も、

ハセはココロバセ・コシバセのハセに同じ、さっと示す動きによって感じられる印象、

で、

腰つき、

の意となり(仝上)、和名類聚抄(平安中期)に、

遊仙窟(中国唐代の伝奇小説)……細細腰支、古之波勢(こしはせ)、

とあり、これは遊仙窟(醍醐寺本・鎌倉期点)に、

細細腰支(こしはせ)、とあり、古今集註に、

舞のこしはせは柳の糸の如くたをやかであるべし、

とあるのと重なる。字典(康熙字典)に、

支、與肢通、

ともある。

「こころばせ」は、

心の動く状態、

をいうのだから、

乳母のいとさし過ぐしたるこころばせの余り、おいらかに渡さむを、便なし、などは言はで、心にまかせ、率(ゐ)てはふらかしつるなめり(源氏物語)、

と、

気をきかせること、
機転、

の意や、

色におはしますなれば、こころばせあらむ(仝上)、

と、

気持の素早い動き、
よく気がつくこと、

の意や、

こころばせまことにゆゑありと見えぬべく、うち読み、走り書き、掻いひく爪音、手つき口つき皆たどたどしからず(仝上)、

と、

さっと気持ちの働くような教養、素養、

の意と、

さまかたちなどのめでたかりしこと、こころばせのなだらかに目やすく憎みがたかりしことなど(仝上)、

と、

気立て、

の意と、あきらかに目に見える心の動きを指している、と思われる。「こころばせ」と似た言葉に、

こころばえ、

がある。「心ばえ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163582.html)は、

心延(へ)、

と当て、

「ばえ」は心の働きを外部に及ぼすことの意(デジタル大辞泉)、
「はえ」は、動詞「はえる(延)」の名詞化で、くりのべることの意。心の働きを外部におし及ぼすことをいう(日本国語大辞典)、
「心延へ」の意、辺りにただよわせて、何かの形で現わしている様子から察せられる気持ち、本性、または趣向、心構えなど(岩波古語辞典)、

などとあり、

外に伸ばすこと。つまり、心のはたらきを外におしおよぼしていくこと、

なのだが、その、

心の働き延ぶる意、

を、万葉集の、

さ百合花後(ゆり)も逢はむと下延(は)ふる心しなくは今日(けふ)も経(へ)めやも(大伴家持)

の、

下延(したは)ふる、

の、

心の中でひそかに思う。

含意とする(大言海)。「こころばせ」が、

現に働いている心の動き、

とするなら、「こころばえ」は、その、

心の中の構え、

を指していると思われる。

心の状態が、外へ広がっている、写し出されている、

というニュアンスで、そこから、

ある対象を気づかう「思いやり」

や、

性格が外に表れた「気立て」

の意となる。

なお、「こころ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/454373563.htmlについては触れた。

「心」 漢字.gif

(「心」 https://kakijun.jp/page/0451200.htmlより)


「心」 金文・殷.png

(「心」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BF%83より)

「心」(シン)は、

象形、心臓を描いたもの。それをシンというのは、沁(シン しみわたる)・滲(シン しみわたる)・浸(シン しみわたる)などと同系で、血液を細い血管のすみずみまで、しみわたらせる心臓の働きに着目したもの、

とある(漢字源)。別に、

象形。心臓の形にかたどる。古代人は、人間の知・情・意、また、一部の行いなどは、身体の深所にあって細かに鼓動する心臓の作用だと考えた、

ともある(角川新字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年07月25日

おこたる


李直(すゑなほ)少将といふ人ありけり。病みつきてのち、すこしおこたりて、内(うち 内裏)にまゐりたり(宇治拾遺物語)、

とある

おこたる、

は、

病勢が衰えて、

の意とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。「おこたる」は、

怠る、
惰る、
慢る、

などと当てるほか、

堕、
嬾、
懈、
懶、

等々かなりの数の漢字に当てるhttps://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=1836。類聚名義抄(11~12世紀)には、

為すべき業を為(せ)ず、怠ける、

の意の、

怠、惰、慢、懈、オコタル、

があり、さらに、

油断して過つ、

意、

でも、

過、オコタル、

とある(大言海)。「おこたる」は、

オコはオコナフ(行)のオコと同根。儀式や勤行(ごんぎやう)など、同じ形式や調子で進行する行為。タルは垂る、中途で低下する意。オコタルは同じ調子で進む、その調子が落ちる意、

とあり(岩波古語辞典)、故に、

休む、なまける、が基本の意だが、これはある状態で進行していたものがとまることで、そこから病気がよくなる、の意も生まれてくる、

とあり(全文全訳古語辞典)、大きく二つの用法があるようである。ひとつは、

他動詞ラ行四段、

で、

をかしき物は、日毎におこたらず君達に、まめなるものは北の方にと夜中暁にも運び奉り給へば(落窪物語)、

と、

しなくてはならない事をしないで、なまける、
精を出さないでいる、

意と、

今よりは疎からず、あなたなどにも物し給て、をこたらんことは、おどろかしなども物し給はんなん、嬉しかるべき(源氏物語)、

と、

油断する、
注意を払わないでいる、

意と、

身づからおこたると思ひ給ふる事侍らねど、さるべき身の罪にてかくあさましきめを見侍れば(栄花物語)、

と、

いい加減にして、過失をおかす、
あやまりをおかす、

意であり、いまひとつは、

自動詞ラ行四段、

で、

御迎への人々まゐりて、をこたり給へるよろこび聞こえ、内裏(うち)よりも御とぶらひあり(源氏物語)、
日ごろ、月ごろ、しるき事ありて悩みわたるが怠りぬるもうれし(枕草子)、

などと、

病気がよくなる、
病気や苦しみがなおる、

意と、

夕には深山に向って宝号を唱ふるに、感応おこたる事なし(平家物語)、

と、

事態がもとにもどる、
事態がおさまる、

意で使う(日本国語大辞典)。ただ、自動詞の用法は、

他動詞の転義で、現代にはない用法、

とあり、他動詞は、

…をおこたる、

の形をもとるが、自動詞にはその用法がない。自動詞、他動詞を通じ、「おこたる」べき内容、対象が明示されない場合が多い、とある(仝上)。

「おこたる」の由来は、

オコタル(起垂)義で、たゆむ意か(和訓栞・大言海・日本語源広辞典)、
興垂の義か。タルはタユと、興は行と義通う(俚言集覧)、
オコナヒタユル(行絶)の義(名言通)、
ヲコ(自来)タエルの略(紫門和語類集)、
オコナル(行撓)の転(言元梯)、
オクルル(後)に通う(国語の語根とその分類=大島正健)、
ヲコはヲカコトの反。タルは為ス義(名語記)、
オソナル(遅成)の転か〔和語私臆鈔〕
寝入ってオクル(起)事、たるむ故からか(和句解)、

等々諸説あるが、上述の、

オコはオコナフ(行)のオコと同根。儀式や勤行(ごんぎやう)など、同じ形式や調子で進行する行為。タルは垂る、中途で低下する意。オコタルは同じ調子で進む、その調子が落ちる、

とする説(岩波古語辞典)に説得力がある気がする。因みに、「おこなふ(行)」は、

オコはオコタル(怠)のオコと同根。儀式や勤行(ごんぎやう)など、同じ形式や調子で進行する行為。ナフは、アキナフ(商)、ツミナフ(罪)などのナフに同じ、

とある(岩波古語辞典)。「ナフ」は、名詞を承けて四段活用の動詞をつくり、

行う意の接尾語、ウラナフ・トモナフ・ウベナフ・トキナフのナフの類、

とあり、「たる(垂)」は、

自分で自分を支える力をなくして、下方へだらりと伸びている、またその先が切れて下に落ちる、

とある(仝上)。意味として、

行くのをやめる、

という語意になろうか。だから、

したたる、
垂れ下がる、

意の他に、

歩び極(ごう)じてただたりにたりゐたるを(今昔物語)、

と、

力を落としてぐったりする、
つかれる、

意でも使う。

ところで「おこたる」には、同訓異字が多い。その差を、漢字では、

怠(タイ)は、心のたるむこと、心にしまりがなくだらけ、なすべきことをせずなまける義。「怠慢」と連用す、敬の反なり、「怠業」「怠惰」「怠慢」「倦怠」など、
解(カイ)は、勤の反、精をださぬなり、又じだらくなり、夙夜匪(非)解、以事一人(詩経)、
懈(ケ・カイ)は、解に同じ、緊張が解けておこたる、心がたるむ、
惰(ダ)は、懈に同じ、心がゆるんでやる気がおこらない、意欲がわかずなるがままにすごす義、臨祭不精(曲禮)、「惰気」「惰眠」「怠惰」など、
慢(マン)は、心ゆるみてなまける、心が散っておろそかにする義、偸慢懈怠多暇日(説苑)、「怠慢」など、
嬾(ラン)は、仕事をそのままほうっておく、ものぐさをする、「嬾婦」など、
懶(ラン)は、気持が集中しない、ものうい、やる気がおこらない。「懶惰」「懶婦」「老懶」など、
堕(ダ)は、心がゆるんで何もしない。だらしなくすごす。「堕落」「怠堕」など、

等々とある(日本国語大辞典・字源)。

「怠」 漢字.gif

(「怠」 https://kakijun.jp/page/0982200.htmlより)

「怠」(漢音タイ、呉音ダイ)は、

会意兼形声。台(タイ)は、人工を加えて、和らげる意を含む。怠は「心+音符台」で、人が緊張を和らげ、心をたるませること。怡(イ 心を和らげで喜ぶ)も「心+音符台(イ)」からなるが、怠とは異なる、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(台+心)。「農具:すきの象形と口の象形」(「大地にすきを入れてやわらかくする」意味だが、ここでは「止」に通じ(「止」と同じ意味を持つようになって)、「とどまる」の意味)と「心臓」の象形から、心がとどまる事を意味し、そこから、「おこたる」、「なまける(怠惰)」、「あなどる」を意味する「怠」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1578.html

「惰」 漢字.gif

(「惰」 https://kakijun.jp/page/1282200.htmlより)

「惰」(漢音ダ、呉音タ)は、

会意兼形声。墮(堕ダ 落ちる)の原字は、「左印二つ(不整合なこと)+阜(おか)」からなり、丘が崩れ落ちることを示す。惰は、「心+音符墮の略体」で、緊張を抜いてだらりと落ちるような気持ちを示す、

とある(漢字源)が、別に、

会意形声。心と、隋(ダ くずれる)とから成り、かろんじる、あなどる、ひいて、なまけおこたる意を表す。常用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、

会意兼形声文字です(忄(心)+隋の省略形)。「心臓」の象形と「左手の象形と工具の象形と切った肉の象形」(「緊張がとけてくずれる」の意味)から、心の緊張が解けて慎みがない事を意味し、そこから「おこたる」、「なまける」を意味する「惰」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1705.html

等々ともある。

「慢」  漢字.gif

(「慢」 https://kakijun.jp/page/1435200.htmlより)

「慢」(慣用マン、漢音バン、呉音メン)は、

会意兼形声。曼(マン)とは、目を覆い隠すさま。長々とかぶさって広がる意を含む。慢は「心+音符曼」で、ずるずるとだらけて延びる心のこと、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。「心」+音符「曼」。『曼』は「冒」+「又(=手)」で、だらりとした長い布で顔を覆う様。心がだらりとして緊張しておらず、動きが「おそい」ことhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%85%A2

形声。心と、音符曼(バン、マン)とから成る。「あなどる」意を表す(角川新字源)、

会意兼形声文字です(忄(心)+曼)。「心臓」の象形と「帽子の象形と目の象形と両手の象形」(目の上下に手をあてて目を切れ長にみせるような化粧のさまから、擬態語として「とおい・長い」の意味)から、心がのびたるんで「おこたる」を意味する「慢」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1265.html

等々ともある。

「嬾」 漢字.gif


「嬾」(ラン)は、

会意兼形声。頼(ライ)は、きっぱりと自分で処理せずにずるずると引き延ばすこと。また、他人に頼ること。嬾は「女+音符頼」で、女性がだらだらと物事を延引するさま、きっぱりとしまりをつけないこと、

とある(漢字源)。「嬾惰(らんだ)」と使う。

「懈」  漢字.gif


「懈」(漢音カイ、呉音ケ、慣用ゲ)は、

会意兼形声。解(カイ)は、ばらばらに解き放すこと。懈は「心+音符解」で、心の緊張がとけてだらけること、

とある(漢字源)。「懈怠(カイタイ)」「怠懈(タイカイ)」などと使う。

「懶」 漢字.gif


「懶」(ラン・ライ)は、

会意兼形声。頼の本字は「人+貝+音符剌(ラツ もとる)からなり、ずるずると負債を押し付けること。懶(ラン)は「心+音符頼」で、他人任せの、物憂い気持ちのこと、

とある(漢字源)。「放懶(ホウラン)」「老懶(ロウラン)」と使う。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年07月24日

慳貪


つゆ計りも人に物をあたふる事をせず、慳貪に罪深くみえければ(宇治拾遺物語)、
慳貪の心深くして…物を悋しむこと限り無し(今昔物語集)、

とある、

慳貪(けんどん)、

は、

正韻(洪武正韻 1375年)「慳、音堅」、廣韻((1008年))「悋(ヲシム)也」、

とあり(大言海)、

己が物を慳(ヲシ)み、他の物を貪ること(仝上)、

つまり、

物を惜しみむさぼること、けちで欲ばりなこと、

の意である(広辞苑)。

慳貪愚痴にして、家内の者に情(つれ)なくあたりけるが(善悪報ばなし)、

と使う、

慳貪愚痴、

は、仏教語で、

貪欲で無慈悲冷酷で物の道理を知らぬこと、

の意とあり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、あるいは、

文覚が持つ所の刀は、人を切らんとにはあらず、放逸邪見の鬼神を切り、慳貪無道の魔縁を払はんとなるべし(源平盛衰記)、

と、

慳貪無道、

等々とも使う(精選版日本国語大辞典)。で、転じて、

慳貪邪心にして、先祖の弔ひをだにもなさず(仝上)、

と、

慳貪邪心、

と使い、

苛(かじ)きこと、
情愛なきこと、
じゃけん

の意となる(大言海・日本国語大辞典)。江戸時代には、

おいらんがわたくしをアノよふにけんどんになさいますから(廻覧奇談深淵情)、

と、

つっけんどん(突慳貪)、

の意で使う(江戸語大辞典)。

「慳貪」は、「二八蕎麦」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479200852.htmlで触れたように、

倹飩、

とも当てて、

江戸時代、蕎麦、饂飩、飯、酒などを売るとき、一杯盛り切りにしたもの、

を言い(広辞苑)、

けんどん饂飩、
けんどん蕎麦切(略して、けんどん蕎麦)、

等々と使ったが、

汁にて煮たる饂飩を、塗箱に、一杯盛切(もりきり)にて賣るもの、蕎麦切にも云ふ。初は下民の食なりき、後には、歴々も食ひ、大名けんどんなど云へり。これを賣る家をけんどん屋と云ふ。移りては、一杯盛切にて賣る物の称ともなれり、

とあり(大言海)、

けんどん酒、
けんどん奈良茶飯、

などあり、

けんどん屋、

も、

慳貪の名前に云如く強ひざるの意を表し始め蕎麦に号け次に飯に移り又酒に移り(「守貞謾稿(1837~53)」)、

と、

うどん、そば、酒、飯などを売る時、一杯ずつの盛りきりで、代わりを出さない、

ものを総称するようになる(精選版日本国語大辞典・江戸語大辞典)。

或書云寛文四年慳貪蕎麦切始て製之。下賤の食とす(守貞謾稿)、

とあるのは、「昔昔昔昔物語(1732)」に、

寛文辰年(1664)、けんどん蕎麦切と云ふ物出来て、下下買喰ふ、貴人には喰ふものなかりしが、近年、歴歴の衆も喰ふ、結構なる座敷へ上るとて、大名けんどんと云ひて、拵へ出す、

とあるのを指し、嬉遊笑覧(1830)には、

大名けんどんと云ふは、一代男に、川口屋の帆かけ舟の重箱、……帆かけ舟は、諸大名の舟を、五色の漆にて絵にかきたるなり、西国の大名、難波にて艤して出立つ故、其船どもの相印を見習へり、大名けんどんの名、ここに起こる、

とある。「けんどん」の由来については、

倹約饂飩の略にて一人前一杯にて、かはりもなき意と云ふ、和訓栞「旅店の麺類を云ふは、倹飩也と云へり」、多くは當字に、慳貪と書く(大言海)、
給仕も入らず、挨拶するものもあらねば、そのさま慳貪なる心、又、無造作にして、倹約にかなひたりとて、倹飩と書くと云ふ(「近代世事談(1734)」)、
盛りきりで出すという吝嗇なところから、ケンドン(慳貪)の義(守貞謾稿・嬉遊笑覧)、
盛りきりのうどんは、オントウ(穏当)でなくケンドン(慳貪)であるという洒落から、オントウ(穏当)は昔の音の近いウンドン(饂飩)の意をかけた(善庵随筆)、
ケントン(見頓)の義。頓は食の意で見る間にできる食事の義(けんどん争ひ所収山崎美成説)、
箱に入れてところどころに持ち出せるものの意で、けんどん(巻飩)の義。書籍に似たその容器を書巻に擬しての古称(けんどん争ひ滝沢馬琴説)、

等々があるが、「慳貪」の意味に、出発点の、

倹約饂飩、

をかけたとする説が一番すっきりする。考え落ちは過ぎると語呂合わせになる。

ただ、「けんどん」には、

外に持運ぶに膳を入る箱はけんどん箱なるをやがてけんとんとばかりいひ(嬉遊笑覧)、

と、

けんどんばこ(慳貪箱)」の略、

としても使うが、「けんどん箱」とは、

上下左右に溝があって、蓋または戸(扉)のはめはずしができるようにしたもの、

の意で(江戸語大辞典)、

此箱、口は横にありて、上下に、一本溝あり、板の蓋を、先づ、上の溝にはめて、後に下の溝におとすやうにして、はめはづしす、これを、けんどん蓋と云ひ、略して、けんどんとのみも云ひ、移しては、小さき袋戸棚、又は、本箱などの戸の、同じ製なるものにも云ふ、

とある(大言海)。つまり、出前用の岡持ちのふたが、

けんどん、

になっていることから「けんどん箱」とも呼ぶようである。蕎麦屋・うどん屋のことを「けんどん屋」と呼ぶのは、この「けんどん」に由来するとする説もあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%B9%E9%A3%A9。上記「けんどん」の語源説で、

けんどん争ひ、

とあるのは、

山崎美成・曲亭馬琴らが関わっていた好事家の集まり「耽奇会」に出品された「大名けんどん」(装飾を施した豪華なけんどん箱)という道具の「けんどん(箱)」の名称の由来をめぐっての美成と馬琴の論争、

を指す(仝上)。美成は、

かつて「けんどん屋」と呼ばれる接客の簡易な(「つっけんどん」な)形態の外食店が存在し(論争時点では名称が廃れていた)、そこから盛り切り蕎麦を「けんどんそば」と呼ぶようになり、「けんどんそば」を運搬する箱を「けんどん箱」と呼ぶようになった、

と主張し、馬琴は、

箱のほうを「けんどん」と称したのが先である、

と主張した(仝上)。「けんどん」が、

盛り切りうどん、

を指したのだとすれば、普通に考えれば、食い物から出たと考えられるが、「岡持ち」の箱の構造を「けんどん」というにいたった説明にまでは届かないのではないか。「けんどん蓋」も、

蝶番などの金具を使わず簡易に開閉できる構造、

からきたhttps://wp1.fuchu.jp/~kagu/search/regist_ys.cgi?mode=enter&id=204とされる。いずれも、

慳貪、

という言葉からきている。個人的には、それぞれ、別由来のような気がしてならない。

「慳」 漢字.gif


「慳」(漢音カン、呉音ケン)は、
会意兼形声。「心+音符堅(かたい)」で、心が妙にひめくれて堅いこと、

とあり(漢字源)、「慳吝」と、けちけちする意、あるいはいこじな意味はあるが、

邪慳、

というような、いじわる、の意はこの字にはない。

「貪」  漢字.gif


「貪」 説文解字・漢.png

(「貪」 説文解字・漢(小篆) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B2%AAより)

「貪」(漢音タン、呉音トン、慣用ドン)は、

会意文字。今は「ふたで囲んで押さえたしるし+-印」の会意文字で、物を封じ込めるさまを示す。貪は「貝+今」で、財貨を奥深くため込むことをあらわす、

とある(漢字源)。財貨を欲ばる意(角川新字源)ともある。別に、

会意文字です(今+貝)。「ある物をすっぽり覆い含む」象形(「含」の一部で、「含む」の意味)と「子安貝(貨幣)」の象形から「金品を含み込む」、「むさぼる」、「欲張る」、「欲張り」を意味する「貪」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2202.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年07月23日

ののめく


「ののめく」は、

喧く、
呼く、

等々と当て(大言海)、

見る人皆ののめき感じ、あるひは泣きけり(宇治拾遺物語)、
将軍こそ御船に被召て落ちさせ給へと、ののめき立って、取る物も取り不敢(太平記)、

などと、

声高に呼び騒ぐ、
ののしり騒ぐ、
わいわい言う、
声高に呼ぶ、
わめく、
ののしる、

等々の意味になる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

「めく」は接尾語、

で、名詞・形容詞語幹・副詞について四段活用の動詞をつくり、

春めく、
今めく、
しぐれめく
なまめく、

というように、

本当に……らしい様子を示す、
本当の姿を最もよく示す、
そういう感じがはっきりする、

といった意味や、

親めく、
なまめく、
罪人めく、
わざとめく、

というように、

一見……らしく見える姿を示す、

意や、

擬音語・擬態語について、

そよめく、
ざわめく、
きらめく、
ひしめく、

というように、

……の音を立てる、
……という動作をする、
そのような状態になる、

という意味を表す(岩波古語辞典)。

「ののめく」は、

ののしる、

と同根とある(仝上)。

「訇る」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485476446.htmlで触れたように、「ののしる」は、

ノノは大音・大声を立てる意。シルは思うままにする意。類義語サワグは、音・声と動きが一所に起こる意、

とある(岩波古語辞典)。平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、

聒、喧語也、左和久、又乃乃志留、

(「聒」(カツ)は、「やかましい」意であり、「喧」(ケン)は、「喧嘩」「喧噪」の「喧」であり、「やかましい」「さわがしい」意である)、色葉字類抄(1177~81)には、

訇、ノノシル、𨋽訇、ノノシル、大声也、

とあり、「ののしる」は、

ノノ(騒がしい音を立てる)+シル(占有する)(日本語源広辞典)、
ノノは大音・大声を立てる意。シルは思うままにする意(岩波古語辞典)、

と、「のの」は

擬声(音)語、

である。ただ、

罵(の)る、

という言葉があり、これは、

宣(の)る、
告(の)る、

の転化したものとされる(大言海)。この、

のる、

の、

の、

は、「のる」が、

神や天皇が、その神聖犯すべからざる意向を、人民に対して正式に表明するのが原義。転じて、容易に窺い知ることを許さない、みだりに口にすべきでない事柄(占いの結果や自分の名など)を、神や他人に対して明かし言う義。進んでは、相手に対して悪意を大声で言う義(岩波古語辞典)、

本来、単に口に出して言う意ではなく、呪力をもった発言、ふつうは言ってはならないことを口にする意。ノロフ(呪)の語もこの語から派生したもの(日本語源大辞典)、

などという意であったことから考えると、単なる、

騒音、

ではなく、

聖なる声(音)、

だったのかもしれない。それが、

聖→俗→邪(穢)、

と転化したのかもしれない。

「喧」 漢字.gif


「喧」(漢音ケン、呉音コン)は、

形声。「口+音符宣(セン・ケン)」。口々にしゃべる意。歡(歓 口々に喜ぶ)とも縁が近い、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(口+宣)。「口」の象形と「屋根・家屋の象形と、物が旋回する象形(「めぐりわたる」の意味)」(部屋で、天子が家来に自分の意思をのべ、ゆきわたらせる事から、「のべる」、「広める」の意味)から、「大声で述べる・広める」事を意味し、そこから、「やかましい、うるさい」を意味する「喧」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2396.html

「呼」 漢字.gif

(「呼」 https://kakijun.jp/page/0841200.htmlより)

「呼」(漢音コ、呉音ク)は、

会意兼形声。乎は、息が下から上へ伸びて、八型に分散するさま。呼は「口+音符乎」。乎・呼は同系だが、乎が文末の語気詞に専用されたため、呼の字で、その原義を示すようになった、

とある(漢字源)。別に、

息をはく意を表す。借りて、大声で「よぶ」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意形声。「口」+音符「乎」、「乎」は気が上がってきて、のどで支えその上で散じることを象る。「乎」が感嘆の助詞等に用いられるようになったため、「口」をつけ原義を意味した、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%91%BC

会意兼形声文字です(口+乎)。「口」の象形と「舌の象形と人を呼ぶ合図に吹く小さな笛の象形」(「よぶ」の意味)から、「よぶ」を意味する「呼」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji976.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年07月22日

けやけし


太刀をもえ差しあへず、腋にはさみてにぐるを、けやけきやつかなといひて、走(はしり)かかりてくるもの、はじめのよりは走のとくおぼえければ(宇治拾遺物語)、

とある、

けやけし、

は、

殊勝な奴、
生意気な奴、

と矛盾した意味が載る(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。「けやけし」は、

尤(けや)けし、
異(けや)けし、

などと当てる(大言海)。漢語に、

治行尤異なるを以て、中二千石に秩す(漢書・宣帝紀)、

とあり、

尤異(ユウイ)、

は、

特にすぐれる、
また、
特に珍奇なもの、

の意とある(字源・字通)。この字を「けやけし」に当てた理由かと思われる。

「けやけし」は、

ケ(異)に接尾語ヤカがついたケヤカの形容詞形。アキラカ・アキラケシの類。変わっているさまである、特別だ、すぐれているの意(岩波古語辞典)、
ケヤカを転じて(赤(アケ)、あか。宅(やけ)、やか)活用せしめし語。静やか、しずやけしもあり(大言海)、

とあり、色葉字類抄(1177~81)に、

尤、けやけし、尤物(ゆうぶつ)、

とある。「尤物(ゆうぶつ)」は、

夫有尤物足以移人(左伝)

尤は異なり、人の最も優れたる者、後世には美女の義とす、

とある(字源)。

変わっている→際立っている→特別だ→すぐれている、

といった意味の外延は、

奇(く)し、異(け)しの語根、

である、

ケ(異)、

の意味の幅の、

妹が手を取石(とろし)の池の波の間ゆ鳥が音けに鳴く秋過ぎぬらし(万葉集)、

と、

普通と異なるさま、
いつもと変わっているさま、

の意や、

ありしよりけに恋しくのみおぼえければ(伊勢物語)、

と、

ある基準となるものと比べて、程度がはなはだしいさま。きわだっているさま、格別なさま、

の意で、

多く、連用形「けに」の形で、特に、一段と、とりわけ、

などの意で用いられるし、

御かたちのいみじうにほひやかに、うつくしげなるさまは、からなでしこの咲ける盛りを見んよりもけなるに(夜の寝覚)、

と、

能力、心ばえ、様子などが特にすぐれているさま、ほめるべきさま、興の惹かれるさま、

の意(日本国語大辞典・岩波古語辞典)を色濃く反映しており、

末代には、けやけきいのちもちて侍る翁なりかし(大鏡)、

と、

特別だ、希有だ、

という意から、

めざましかるべき際(きは)はけやけうなども覚えけれ(源氏物語)、

と、

風変わりだ、異様だ、変わっている、

意や、

貫之召し出でて歌つかうまつらしめ給へり。…それをだにけやけきことに思ひ給へしに(大鏡)、

と、

きわだってすぐれている、すばらしい、

意でも使う。ちょっと解釈がぶれているのが、上述の、

太刀をもえ差しあへず、腋にはさみてにぐるを、けやけきやつかなといひて、走(はしり)かかりてくるもの、はじめのよりは走のとくおぼえければ(宇治拾遺物語)、

の「けやけき」の意味で、前述注記(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)では、

殊勝な奴、生意気な奴、

の意とされたが、

はなはだ優れている、すごい、

の意の例とされている説(岩波古語辞典)もあり、逆に、同趣旨の、

生意気である、しゃくにさわる。

とするものもあるhttps://manapedia.jp/text/5612。価値の両面なので、

すぐれている⇔しゃくにさわる、
きわだってすぐれている⇔生意気だ、

と背反する意味と見ていいのかもしれない。さらに、

人の言ふほどのことけやけく否びがたくて、万(よろづ)え言ひ放たず(徒然草)、

と、

非常にはっきりしているさま、

つまり、

きっぱりと、

の意でも使う(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)。「けやけし」は、江戸時代には、

近曾(ちかごろ)身上やけやけくなるかと見えしに、いく短く程もなく凋落(おちぶれ)て(新累解脱物語)、
いとけやけき僧の香染(かうぞめ)の浄衣(ころも)を穿き(古乃花双紙)、

などと、

高貴である、

意で使われている(江戸語大辞典)。

(「けやけし」は)平安中期以前に見られる「……けし」という語は、「けく・けし・けき」の三形式にしか活用しない。後に「……かに」「……かなり」に取ってかわられ……歌ことばとして残っているに過ぎない、

とある(日本語源大辞典)のは、如何なものだろうか。

因みに、「けやけし」は、ク活用で、

未然形 けやけく  けやけから
連用形 けやけく  けやけかり
終止形 けやけし  ◯
連体形 けやけき  けやけかる
已然形 けやけけれ ◯
命令形 ◯   けやけかれ

と変化するhttps://manapedia.jp/text/5612。ク活用は、文語形容詞の活用の型の一つで、

「よし」「高し」などのように、語尾が終止形の「し」にあたる部分で「く・き・けれ」のように変化する、

もので、この活用に属する形容詞の多くは、客観的な性質や状態的な属性概念を表わす。「赤し・おもしろし・清し・けだかし・少なし・高し・強し・遠し・のどけし・はかなし・広し・めでたし」などがあり、現代語では、終止形・連体形とも活用語尾は「い」となる(精選版日本国語大辞典)、とある。

「尤」 漢字.gif


「尤」(漢音ユウ、呉音ウ)は、

会意文字。「手のひじ+-印」で、手のある部分に、いぼやおできなど、思わぬ事故の生じたことを示す。災いや失敗が起こること。肬(ユウ こぶ)・疣(ユウ いぼ)の原字。特異の意から転じて、とりわけ目立つ意となる、

とあり(漢字源)、「尤(とが)める」意であるが、目立つ意から、「尤者(ユウシャ ユウナルモノ)」「尤物(ユウブツ すぐれたもの)」と使う。我が国で、「君の言うことは尤もだ」という意の「もっとも」で使うのは、「尤」の字義からは出てこない。むしろ「けやけし」に「尤けし」と当てた使い方の方が、字義に叶っている。別に、

象形。手の指にいぼができている形にかたどる。いぼの意を表す。「肬(イウ)」の原字。ひいて、突出している意に用いる(角川新字源)、

指事文字です。「手の先端に一線を付けてた文字」から、「異変(異常な現象)としてとがめる」を意味する「尤」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2423.html

という解釈もある。

「異」 漢字.gif


「異」 甲骨文字・殷.png

(「異」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%95%B0より)

「異」(イ)は、

会意文字。「大きなざる、または頭+両手を出したからだ」で、一本の手のほか、もう一本の別の手をそえて物を持つさま。同一ではなく、別にもう一つとの意、

とある(漢字源)が、別に、

象形文字。鬼の面をかぶって両手を挙げた形https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%95%B0

象形。人が大きな仮面をかぶって立っているさまにかたどる。神に扮する人、ひいて、常人と「ことなる」、また、「あやしい」意を表す(角川新字源)、

象形文字です。「人が鬼を追い払う際にかぶる面をつけて両手をあげている」象形で、それをかぶると恐ろしい別人になる事から、「ことなる」、「普通でない」を意味する「異」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji972.html

等々異説が多い。「異類」「異端」と、同じではない意、「異邦」「異日」と、別の意、「異様」と、異なる、あやしい意、「変異」「天変地異」と、常、正の対、普通とは異なる意などで使う。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:22| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする