2012年11月01日
大丈夫?という声掛けの危うさ
「大丈夫?」というと,苦しそうに急き込んでいた母が,「大丈夫じゃない!」と苦しそうに返してきたのを初めて聞いたときは,びっくりした。そういうこと言う人ではなかったからだ。あわててナースコールを押すと,ちょっと見ただけで,医師を呼びに走った。それからは,何回か,同じ問いかけし,同じ応えが返ってくる,それもそのうち出来なくなった。そんな思い出が蘇る。
正直,見かねて,だれもが,ついつい「大丈夫?」と声を掛けがちである。
これが,親しい仲なら,ただの気遣いですむが,これが上下関係,上位者と下位者だと,そうはいかない。内心は,困っていて,悩んでいても,「大丈夫?」と上司に声掛けられて,「ハイ,困ってます,実は…」と返事できるには,それこそ,両者に信頼関係がないと難しい。たとえば,ジョハリの窓でいう,「パブリック」ができているのなら,こころ安く打ち明けられるが,そうでなければ,「ハイ,大丈夫です」といいがちである。いや,そういわなくてはならないような,暗黙のプレッシャーを上司のその言葉に受け取りがちである。意識しているかいないかは別に,その言い方には上から目線を感じてしまい,「大丈夫」としか答えようがないのかもしれない。
だから,分担しているパートを担っている,各部下に,「うまくいっている? 」「大丈夫?」と声を掛けて,部下から,「大丈夫です」と返事がきたからといって,安心してはならない。ここは,大丈夫といっておくしかない。困っていることがある,といいそびれてしまったから,いまさら聞けない,そんなことをしたら,なんでもっと早くいわない,と叱られるのがおちだ,等々。その結果,蓋を開けたら,その部分が遅れており,全体の足を引っ張ることになる,なんてことになる。
ではどういう声掛けをしたらいいのか。ベストの答えは,個々ばらばらだろうが,せめて「ちょっと心配そうに見えたが,困ったことがあったら,いつでも声をかけてね」とか「サポートがいるなら,遠慮しないで言ってね」というように,具体的な声掛けでないと,実はとは言いづらいのかもしれない。
「大丈夫?」という言い方には,念のため声をかけるが,たぶん大丈夫だという返事が来ると,どこかで期待してるというニュアンスが,みえみえで,とても何が打ち明けたり,相談できる雰囲気感じさせないのに,違いない。本来,日頃から,そういう気安い関係がつくれればいいが,それが難しければ,せめて,声掛けの言葉に,こちらの思いや心が開かれているのでなくてはならない。そこに,声を掛ける側の心が開いている状態が,相手にみえなくてはならないのだろう。
「アドバイスしていい? 」という声掛けでは,多く相手に優位性を感じ取り,体が固まるのだという。そこには,暗に「俺の言うことを聞け」というニュアンスを嗅ぎとるからだ,といわれている。親切心も,気遣いも,自分の立ち位置を意識して,相手にどう受けとられるかを考える必要があることが多い。なかなか人の心理は難しい。
●ジョハリの窓
ジョハリの窓については,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0652.htm
のコミュニケーション・チャンネルを確立できる~常にパブリックをつくる
をご覧ください。
“ジョハリの窓”は,ジョセフ・ラフトとハリー・インガムのファーストネームからつけられた。自己理解の仕方として,
・自分にわかっている自分/自分にわかっていない自分
・他人にわかっている部分/他人にわかっていない部分
の4つの窓に分けてみようとするものである。
共通のコミュニケーションの土俵づくりという面で“ジョハリの窓”を考えたとき,重要なのがパブリックづくりである。自分(上司)が知っている自分を,自分が果たしている役割,自分のしている仕事の仕方,進め方,何を重視し,何に価値をおいているか,を他人(部下ひとりひとり)が,理解してくれている部分とすると,パブリックのできている部分だけで,部下ひとりひとりとのコミュニケーションの土俵ができていることになる。これを相手との間で形成するのが,コミュニケーションの土俵づくりをする意味である。
パブリックを広げる方法はふたつである。
第一に,自分が何を考え,どう思っているかを語ることである。自分が何を目指し,何をしようとしているかを明確にすることによって,プライベイトな部分を小さくできる。
第二は,相手からのフィードバックを聞くことである。自分の行動がメンバーからどう受け止められているかをフィードバックしてもらい,自分の知らない部分,気づいていない部分を受けいれることによって,ブラインドの部分を減らせるのである。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#
コミュニケーション
#大丈夫
#気遣い
#アドバイス
#声掛け
2012年11月02日
欠点をリソースとみなす
器用でもない,気もきかない,やることなすことうまくいかない,仮にそうだとしよう。
それをどう受け止めるのだろう。まずは,そのことを率直に語った真率さを,まずはポジティブにとらえるだろう。相手が問題といったことは,単なる言いかえではなく,真のリフレーミングにするには,それを心底プラスと受け止めなければ,単なるおためごかしに過ぎない。その率直さに,自分を何とかしたいと真実思っている姿勢と,だからこそ,あえて自分のマイナスを強調した,とみなせば,それは自分の負の部分と向き合える勇気なのかもしれない,あるいはいまの自分を何とかしたいという前向きの姿勢なのかもしれない。さらにその口ぶりの中に,不器用だけれども,粘り強さがあることをかすかに誇りに思っているにおいが感じられるかもしれない。あるいは気が利かない自分のなかに,頑固で,梃子でも動かない,軸があるのかもしれない。そして,やることなすこと,と総括しているなかに,実はもれてしまった,小さな成功が隠れているのかもしれない。
言葉で語っているのは,本人がいま意識しているネガティブ光線に照らし出されている部分だけなのだ。ではそこからもれた,別の機会,別の場所では,何があったのか,それは別のポジティブ光線で意識的に照らし出して見なければ,浮き上がっては来ないだろう。そこが,リソースをみつけるためのポイントなのではないか。
人はみな可能性がある,という。神田橋條治先生は,生来付与されている遺伝子の可能性を開花させる,という言い方をされていたが,それこそがポジティブ光線というものだ。
器用でないことで,得したことがあるかもしれない。その視点で見ていくと,器用でないことで,努力する必要があり,結果として,別のものが開花しているかもしれない。しかし本人は器用・不器用で振り分けているから,そのことは視野に入ってこないだろう。
われわれは(いや,ぼくはというべきだろう),一つの視点をとると,それから,なかなか離れられなくなる傾向がある。それを固定観念ともいうが,正確には機能的固着,つまり脳の働きが固まっている,あるいは脳のいつもの場所しか使っていないということである。それを習熟,という習性と呼んでもいい。
ネガティブになずむと,それによって,すべての過去が一色に染まる。ナラティブセラピー風にいえば,それが自分の観念を支配するドミナントストーリーとなる。それと異なる視点で見れば,ひょっとすると,数多のオルタナティブストーリーがあるはずなのだ。
神田橋條治先生は,それを能力と名づけた。悲観的というのは,悲観できる能力。極楽トンボよりはいい。怒りっぽいというのは,何についてもアグレッシブになれる能力等々。先ずは相手のネガティブに○をつければ,それはリソースなのだから。
エリクソンは,有名な,すきっ歯に悩む女性に,すきっ歯から水を飛ばす練習させた。あるいは人前でおならをして引きこもってしまった女性に,大鍋一杯の豆料理(海軍では口笛豆というそうだ)を作って食べさせ,大きいおなら,小さいおなら,うるさいおなら,やさしいおならの練習をすることを課題として出した等々。オハンロンによると,エリクソンは,患者の行動や体験のパターンを無批判に受け入れるだけでなく,パターンを積極的に発見し,変化を起こすために利用した,という。
N.R.ハンソンにならえば,なぜ,同じ空を見ていて,ケプラーは,地球が回っていると見て,ティコ・ブラーエは,太陽が回っていると見るのか。あるいは,同じく木から林檎が落ちるのを見て,ニュートンは万有引力を見,他人にはそうは見えないのか,ということになる。ハンソンは,それを「~として見る」と呼んだ。結局,われわれは対象に自分の知識・経験を見る。ゲーテは,「われわれは知っているものだけをみる」と言った。その延長線上で考えればいい。行動理論風にいえば,そういう見方を学習したのだ。ネガティブでおのれを見たほうが,生きやすいか,自己弁護しやすいか,防衛しやすいか等々。
能力に置き換えるのも,リフレームするのも,別の視点,別のものの見方,つまりオルタナティブなポジティブ光線で,照らし出すことで,別の自分が見えてくる,ということなのだ,と思う。
参考文献;ノーウッド・R・ハンソン『知覚と発見』(紀伊国屋書店)
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view04.htm
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#リフレーム
#エリクソン
#ノーウッド・R・ハンソン
#リソース
#オハンロン
#神田橋條治
#ドミナントストーリー
#オルタナティブストーリー
#ナラティブセラピー
#機能的固着
2012年11月03日
表現ということについて~自分の表現史
面倒な理論はともかく,表現というのは,かつて吉本隆明が『言語にとって美とは何か』で,自己表出と指示表出と概念化した考え方に強く影響されている。しかし実際に小説を論じようとしたとき,その理論は使わなかった。というより,自分にとって,表出の構造よりは,強く文体に関心があったせいかもしれない。
恥ずかしながら,かつて文学青年であったなれの果てで,古井由吉の「木曜日に」の文体に衝撃を受け,芥川賞を受賞した『杳子』を,何度も書き写した記憶がある。その無数に視点を変え,よく読みこまないと,その視点が,杳子と私の両者の息遣いのように,ただ自然に流れていく。しかし,そこには,入れ子の入れ子の入れ子のような語りの畳み込みがある。こんな文章を書く作家には,出会ったことがなかった。いまもまだない。
『杳子』の書き出しは,
杳子は深い谷底に一人で坐っていた。 十月もなかば近く、峰には明日にでも雪の来ようという時 期だった。
彼は、午後の一時頃、K岳の頂上から西の空に黒雲のひろがりを認めて、追い立てられるような気 持で尾根を下り、尾根の途中から谷に入ってきた。道はまずO沢にむかってまっすぐに下り、それか ら沢にそって陰気な潅木の間を下るともなく続き、一時間半ほどしてようやく谷底に降り着いた。ち ょうどN沢の出会いが近くて、谷は沢音に重く轟いていた。 谷底から見上げる空はすでに雲に低く 覆われ、両側に迫る斜面に密生した潅木が、黒く枯れはじめた葉の中から、ところどころ燃え残った 紅を、薄暗く閉ざされた谷の空間にむかってぼおっと滲ませていた。河原には岩屑が流れにそって 累々と横たわって静まりかえり、重くのしかかる暗さの底に、灰色の明るさを漂わせていた。その明 るさの中で、杳子は平たい岩の上に躯を小さくこごめて坐り、すぐ目の前の、誰かが戯れに積んでい った低いケルンを見つめていた。
一見,語り手が両者を語っているようだが,このすべては,「彼」が思い出しているのを語っている。その「彼」の語りの中に,「杳子」から見えた「彼」が語られ,それを「彼」が入れ子にして語っている。畳み込みというのは,そういう意味だ。
いまでも,古井由吉は,日本の作家の中で,日本語表現の極北をいっている,と信じている。その一語一語のもつ感覚と生理は,他の追随を許さない。ドイツ語の専門家として,『特性のない男』のムジール研究から得たのに違いないが,ちょっと深いブラックボックスを感じる。そのためにか,彼の文体は容易に翻訳になじまない。それは『杳子』の出だしを一読すれば,ただ表面的に訳しただけでは,その複雑に入り組んだ心理の綾を訳しきれまい。それを作家評価の基軸にすれば,柳田國男も折口信夫もなじまない。別にそれをよしとしているのではないが,日本語の生理を生き物のように駆使する文体を,ただ意味だけ移植してもほとんど通用しない。『ユリシーズ』を翻訳で読んでも,実は何もわかったことにならないのに,事情は似ている。
若い頃,といつたも三十代から四十代にかけて,ちょうど会社と喧嘩別れした,どん底の中で,自分なりに古井の文体と悪戦苦闘して,やっと古井由吉をつかまえたと錯覚したのは,『語りのパースペクティブ』と題した古井論だ。
http://www31.ocn.ne.jp/~netbs/critique102.htm
しかし,結局これでは,古井の持つ語りの構造はつかまえた(つもり)だが,肝心の文体の生理をつかまえることはできなかった(ある文学賞の最終選考までたどりつくのがやっとだったのは,そのせいだろうと思う)。それで,古井文体の極北,『眉雨』に果敢にチャレンジして,『眉雨』の文体を解きほぐしてみた。
たとえば,こんな文章だ。雨が降り出す一瞬を拡大鏡に掛けたように描いている,とも見える。
何者か、雲のうねりに、うつ伏せに乗っている。身は雲につつまれて幾塊りにもわたり、雲と沸き 返り地へ傾き傾きかかり、目は流れない。いや、むしろ眉だ。目はひたすら内へ澄んで、眉にほのか な、表情がある。何事か、忌まわしい行為を待っている。憎みながら促している。女人の眉だ。その さらにおもむろな翳りのすすみにつれて、太い雲が苦しんで、襞の奥から熱いものを滲ませる。その うちに天頂は紫に飽和して、風に吹かれる草の穂先も、見あげる者の手の甲も夕闇の中で照り、顔は 白く、また沈黙があり、地の遠く、薄明のまだ差すあたりから、長く叫びがあがり、眉がそむけぎみ に、ひそめられ、目が雲中に失せて、雨が落ちはじめる。
しかしときほぐしていけばいくほど,結局また語りの構造しかつかまえきれない。その遠い先に,文体があるような感じなのである。ちょうど原子からどんどん追い詰めて,クォークまでたどりつく,そんなイメージだ。
http://www31.ocn.ne.jp/~netbs/critique103.htm
どういうのだろう。そこには,無限の入れ子のように,剥けばむくほど,するりと逃げていく感じなのである。そして,結局文学そのものが,自分から背を向けていった感じである。
ただ,こういうのもなんだが,その代わり,日本語の構造を手がかりに,情報というものを構造化してみることができた。是非はともかく,副産物なのである。こんなことを誰も言っていない,言っていないからいいというものではないが,そこにわずかに自恃のよりどころがある。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0924.htm
参考文献;
時枝誠記『国語学原論』(岩波書店)
三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#古井由吉
#時枝誠記
#三浦つとむ
#杳子
2012年11月04日
怒りを表現する
昔から怒りっぽく,怒りで散々な目にあっていたとしよう。
そのとき,どう怒りをコントロールするかという話になるのだろうか。たとえば,論理療法でいうように,イラショナルビリーフがあるからだと。たしかにそれもあるかもしれない。だが,怒りがその人の価値にかかわることだとしたら,それをコントロールすることは,その人の何かを矯めることになる。
確かに激昂した状態で,冷静な判断は下せないし、瞬間のさらにその一瞬の一瞬に集約されたような尖がった状態になっていて,すさまじい視野狭窄に陥っている。トンネルビジョンの状態になっているときの,そこからの抜け出し方は,一瞬立ち止まれるかどうかにかかっている。その瞬間,選択肢が生れる。このまま行くか,立ち止まり続けるか,戻るか,選択肢が絶えず3つ以上生まれるとき,すでに発想に余裕が出る。
頭の中の,意識の流れは言語化のスピードの20倍から30倍なのだという。さまざまな思いや妄想が次々と流れそれを言語にしようとするとき,その思いに適合する言葉を瞬時に探し当てて,コトバにして口から出す。ところが,怒りの瞬間は,感情が最優先で流れるので,言葉も短絡化する。しかし,思い出すと,言葉を口に出す寸前,必ず,コンマ何秒かの間がある。ほんの一瞬どうするかを迷う束の間がある。その間が,たぶん,立ち止まる最後の機会になる。
何度も怒りで失敗してきたので,この間合いはよくわかる。長く,自分の怒りを恥じてきた。あるいは,そのたびに悔いる自分を蔑んできた。
怒りを前にして,相手の反応は3つに分かれる。同じ土俵で,怒りの度合いを張り合う。この場合,よく野生のオス同士が負けじと張り合うのに似ている。いまひとつは,すさまじい鎧を着飾って,それで対抗する。手段は,いろいろあるが,まあ馬耳東風と流されるのが、ますます怒りを煽る。最後は,土俵を下りて去る。とりあえずは頭を下げても,心の中で舌を出しているのが、よく見える。
最近はめったに怒らなくなった。怒るには相当のエネルギーがいるからだ。叔父の口癖は,怒ったら負け,というのだ。成らぬ堪忍するが堪忍,とはよく言ったものだ。
ただ,このごろ必ずしも怒りを悪いこととは思わなくなった。怒りを抑えることも大事だが,怒るべきときに怒らないことのほうが,人間的ではない,と感ずる。そのときに怒らなくてどうすると思うことも多い。自分にしろ,誰か身近な人にしろ,あるいは赤の他人でも,理不尽なことに出会ったとき,それに屈することなく,怒りを挙げることは必要ではないか。怒っている,ということは大事なのだ。
ただし,怒ることと怒っていることを伝えることは別だ。なんと成長したものだ。そう思えるようになっている。ではどう伝えるのか、もちろん,アサーティブなアプローチも悪くない。ただ,せっかちな自分の性には合わない。
で考えた。怒っているとしよう。その時,「俺は怒っている」と伝えても,その怒りの大きさは,伝わらないだろう。その瞬間の冷静さが相手に伝わるだけだから,多少日頃の人間関係を意識させることにはなるかもしれないが,怒っているインパクトと,その怒りの大きさは伝わらない。で,
「おれは,いま,
馬鹿野郎!(ここは,怒りの大きさに合わせて大声を出してもいい)
と,言いたい気分なんだ」
と言ってみる。相手の瞬間の驚愕の表情と,そのあとのほっとした表情の落差をひそかに楽しむ。これなら、まだコミュニケーションの土俵に乗っている。
今日のアイデア;
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#怒り
#感情表現
#コミュニケーション
#土俵
2012年11月05日
「自分の好きな場所」から見えたこと~幻の場について
昨日,ある勉強会で,フォーカシングのワークをする機会があった。ずいぶん前にフォーカシング基礎コースというのを受けたことがあるが,そのとき,自分が遠い山道をひとり,ただずんずん歩いているイメージを得た記憶はあるが,あとはほとんど忘れてしまっていることに気づいた。そのため,初心者と同じ心境で,ワークに取り組んだが,その中で,自分にフィットしたのは,
自分の好きな場所をイメージして感じてみよう
というものであった。その文字を見た瞬間,思いもかけず,もう何十年も前,三度目の小学校に転校した,飛騨高山の父の官舎のあった,本町の路地であった。家の真ん前が,宮川で,その当時はヤツメウナギがとれるほどの清流であった。
その高山に住んでいたのは,三年弱で,すぐ四度目の転校をしたのだが,その路地では夕暮れまで遊びまくっていた。近くに西小学校があり,そこへみな通っていたのだが,校内で,「本町の生徒は夜遅くまで遊びすぎ」と名指しで注意されるほど,暗くなるまで,路地を駆け回っていた。父にもいつまで遊んでいる,と叱られたものだ。昔の官吏は帰宅が早かった。いや,父だけかもしれない。5時半には毎日7帰宅していた。
そして,同時に思い出したのは,その路地のことを,その後何度も夢に見たということであった。夢に出てきた,いつまでも続いていた塀が,路地から本町通りへ出る出口だったり,その塀の長さを,ずいぶん広く長く感じていたものだった。そして,多くの夢で,その路地を抜けようとして,なかなか出られない,迷路の路地,そんな夢であった。
何年か前,センチメンタルジャーニーで,高山へ行った時,路地も官舎もほぼそのままで,意外なほど狭く短い路地であった。確か,路地の中ほど,川へ下りる階段のあるあたりが,小さな広場になっていて,毎夏土俵が作られて,相撲大会をやっていたはずなのだが,その面影は残っていなかった。
ここは思い出をする場ではない。その場をイメージした時,そこで味わったものは何か,を書かなくてはならない。私には,それは,
手放しのあそび
手放しに遊びほうける
手放しに面白がる
そういう心だと感じた。忖度も屈託も思惑もなく,ただその一瞬に没頭して遊びほうける。遊びをせんとや生まれけむ,という梁塵秘抄の一節があるが,まさにそんな感じだ。
ただ熱中する,無我夢中になる,いわゆるフロー体験はなくはない。しかしただ時間を忘れ,手放しで遊びに夢中になっていた,その遊びほうけには,成果も目標も,制約もない。そのエネルギーは無償であり,ただ心ゆくまで遊びほうけるだけ。そこから何が生まれるだの,それで何になるだの,そんなことにとらわれることなく,ただその一瞬一瞬がかけがえのないひとときだった。
そのひとときと夢の中の苦渋に満ちた迷路感との落差はいったい何なのだろう,と思う。そこにあるのは,心と感情と思いの,いまとの差なのだろう。自分の好きな場所とは,私の生き生きした一瞬,その原点のように思う。
しかしだから,いまの自分は遊ぶ自由がないだの,心行くまでの自由がないだのという振り返りをしたいとは思わない。
自分の好きな場所をイメージして感じてみよう
という問いには意味がある,少なくともそこに何かを感じた自分には,ただそのときの自分の心の持ちようやありようが,いまはあの時とは違う,いまはそうなっていないということではなかったのだ。
つまり,あの「自分の好きな場所」というと問いに意味があるのは,『場』なのではないか。あのと
きの手放しの自由は,その場所,つまり路地という場所と,そこで一緒にほうけていた仲間がいて,そこに溶け込んだ自分がいた。気づいたのはそこだ。
つまりこういうことだ。自分あっての場,場あっての自分,自分を手放しの自由に放り投げる場所,そしてそこに浸りきれる自分が,いまはない。そこにいまとの落差を感じた意味を受け取った。
それは単なるいまと自分のギャップだけではなく,いまの自分の心といまいる自分の場の落差,場の持つダイナミズムを感じ,そこに浸りきれる場と自分がいない,またそういう場がない,という感じなのだろう。
つまり,そういう場所,そういう関係性がない,あるいはそういう場の中にいる自分の体験がない(ないというとウソになるが日常的にない),ということからくる迷いだったのではないか,という気づきだ。だから夢の中では路地は迷路になっていた。
そしてこの問いが私には,いまの自分を確かめる問いになっていたと思う。
そこまで,帰りの電車の中で,ぼんやり考え,メモを取っているうちにふいに,清水博さんを思い出して,帰宅後著書を取り出した。
清水博さんは,
「創造の始まりは自己が解くべき問題を自己が発見することであ」り,「自己が解くべき問題の発見」とは,「これまで(自分のいる場所で)その見方をすることに大きな意義があることに誰も気づいていなかったところに,初めて意義を発見する」といっています。少なくとも,自分には新しい意味だと感ずる。
ぱらぱらめくっていたら清水博さんは,こんなことをいっていた。
自己は二重構造をもっていることがわかります。一つは自己中心的に(自他分離的に)ものを見たり,決定をしたりしている自己(自己中心的自己),もう一つはその自己を場所の中に置いて,場所と自他分離しない状態で超越的に見ている自己(場所中心的自己)です。私はこの構造のことを,自己の二重活動領域とか活動中心と呼んできました。(中略)わかりやすく言うと,自己中心的自己は場所の中に存在している個物を対象として,自他分離的に捉えたり,表現したりする働きを持っています。また場所中心的自己はその主語の場所の中における状況を述語するのです。
言ってみると,場と自分のギャップ,場あっての自分,自分あっての場という相互作用に悩んでいたのだ,ということに,好きな場所を自分の中に分け入っていくことで気づかされた,そう意味づけてみたくなった次第だ。そして,それはどうも足かけ二十年勤めた会社を辞めて二十年余,その裂け目に夢が噴出したきた,という感じもした。最近はそういう夢は見なくなっている。
参考文献;
清水博『生命知としての場の論理』(中公新書)
今日のアイデア;
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#フォーカシング
#清水博
#場
#フロー体験
2012年11月06日
PC移設の理不尽~PC体験史
ホームページをFront pageで作成してきたが,2003の後マイクロソフトが提供をやめてしまい,それがXPを買い替えるのをためらわせてきた大きな理由であった。ところが,ついにWindows8がでるというのであわてた。問い合わすと,7では対応する,という。そこであわてて7を購入した。しかしわたしのような,パソコンに詳しくない人間にとっては,買い替えをためらわせる理由が,もうひとつある。それはパソコンのデータの移設だ。
遠い昔,FM7という,いま考えるとおもちゃのようなパソコンを買ったのが始まりだが,そのプリンターの精度に不満で,ワープロ専用機の買い替え,その書院を4~5世代買い替えて(最後の書院,たぶん商品としても,はまだ持っている),98が出発点だ。仕事先がIT企業で,では連絡はメールで,と言われてあわてて,シャープのメビウスを買った。それがまたよくフリーズする。何十ページも書き上げた瞬間フリーズし,パーにしたことは何度もあった。ついに腹を立てて,壊れたテレビをたたく要領でやったら,本当にデッドしてしまい。あわててソニーのVAIOを買わざるを得なくなった。仕事のデータもホームページのデータもすべてが消えてなくなり,仕事のは,ワープロから移設して,何とかカバー。ホームページはゼロから作り直した。そこでデータを外部保存することを学んだ。それが5~6年。いま考えれば,なんということもない。それをXPに移設する時が地獄だった。いろいろ試みて,メールはゼロからになったが,後は外部へ移して,XPに取り込むことで何とかカバーした。その間の無駄な悪戦苦闘が,買い替えをためらわせた。まったく無駄そのものの時間なのだ。
いってみれば,素人だからだが,パソコンは素人に売っているのではないのか。95,98,2000,XP,VISTSA,7と,買い替えを前提に発売し続けたのではないのか。にもかかわらず,7でも,移設についてはほとんど,素人のサポートを,そもそも設計思想として組み込んでいない。つまり,前に使っていたパソコンとパソコン環境を移設することを前提に考えているとは思えないということだ。そうすると,新製品開発の足を引っ張る,発想が制約される,等々の声が聞こえる。それが製品を出した人間の責任だ,などといっても一笑されるだけなのかもしれない。所詮素人だ,と。
しかし「素人だ」「素人にわかるか」というのは,一般市場に商品を出す人間が,絶対口にしてはいけない禁句のはずだ。だって,素人相手に商品を出しているのだから。それかあらぬか,どうも最近のWindowsは,多機能化,別名ガラパゴス化に陥りつつある気がする。サービスを機能追加でフォローし始めたら,発想の行きづまりだからだ。機能を追加しないで,同じ機能をどう働かせるか,を考えるのが発想だからだ。機能追加は発想ではない。ワードもメールもどんどん使い勝手が悪くなっている。別の言い方をすると,自由度がなくなっている。客か自由に使える環境を設定するのが,基本ではないか。アップルのiシリーズはその典型だ。
いやいや,話がそれた。で,ともかく7を購入し,店員に相談して,引っ越しソフト(データ引っ越し9+という)も購入した。そして,まずネットをつなぎ,Front page2003ではなく,もっているのがバージョンアップ版なので,その前の2000を入れて,それから2003をインストールした。そこまでは完璧。ところが,肝心の引っ越しソフトをつなぎ,作業しようとすると,まず,セキュリティソフトを終了させろ,動いているソフトを止めろという。しかし何がバックで動いているか素人がわかるか,とまず腹を立てた。しかもセキュリティソフトの無効化を,指示通りにしようとすると,暗証番号を問いかけてくる。何年も継続ダウンロードできているので,そんなものわからない。えいやっと思い切り,勝手に移設作業を始めることにした(ここが,素人なのか?)。付属のケーブルをつなぎ,作業を開始する。
途中までは順調。新しいパソコンとインストールプログラムをUSBメモリーで保存し,古いパソコンにインストールする。そして終わったら,タスクトレイでUSBメモリーを無効化してください,とある。これがわからない。そのままだとUSBメモリーが「パソコンデータ引っ越し云々」のタイトルになっている。で,わからないので,やみくも設定を変更するをいじっていたら,わけもわからず,元へ戻った。
ところが肝心の移設は,新しいパソコンへ移動させる段階で,待てど暮らせど応答がない。「数分かかる場合があります」どころか数十分たってもそのまま。で,もう一度やり直したが同じ。せっかちのせいで,何時間も待てばよかったのか,とも思うが,待機時間も出ないので,止まってしまった,セキュリティをとめなかったせいか,と諦めて移設ソフトによる引っ越しを放棄した。ところが,そのソフトをアンインストールしても,内蔵ハードディスクの(D)に,例の「パソコンデータ引っ越し云々」のタイトルがついたまま,今度は設定変更をいじっても,タイトルを変えても,元へもどらない。USBメモリーのようにはいかなかった。使用上は支障がないので,そのままにすることにした。
結局個別に,ホームページのデータは外部のバックアップから,メールのアドレス帳も,メッセージもともかく全部ではないが,移した。結局移設ソフトでやりたかったのは,個別の手間暇をかけたくなかったからだが,かえって,時間を食ってしまった。
メールバックアップでは,あのライブドアの,「PRO-G E-mail Backup」というのが超がつく簡単さで,まさに素人に使えるものだったが,いまはどこにもない。XP対応だけかしいのだが,移設がうまくいかないとわかって,このソフトを探した。結局なかったので,インポート,エクスポートでやったのだが,これが,まったく手探り,えいや,でやったら,そのままにするつもりのメッセージをエクスポートしてしまい,大慌て,四苦八苦して,新しいパソコンにインポートしたが,まったく違う様相なので,ただ移設したにとどまる。
結論は,結局移設ソフトは,自分には使えなかった。徹頭徹尾説明書通りに手順を踏めば,あるいはできたかもしれない。多くの人はできるのだろう。しかし素人には地雷が多すぎ,耐えきれない。自動でファイアウォールを止めたり,セキュリティソフトを止めていくのでなければ,耐えきれないだろうというのが結論だ。本来は,Windowsそのものが,そういう移設を想定した設計思想に立っていなくてはならないのだ。それがおざなりにしか考えられていない。
最後に,新しいパソコンで起きた不思議。ホームページをアップしたのに,一向新しいホームページにならない。古いパソコンで見ると,きちんと変わっている。で,ためしにグーグルを呼び出して,そこからアクセスすると,変わっている。ヤフーやMSN(強制的ではないだろうが,このパソコンではグーグルに設定しようとしたら拒絶された。いつのまにか,MSNが初期画面にされている。)からでは,アップ結果が反映されない。これも不思議。いままではずっとVAIOだったのを,立ち上がりが早いというので,NECにした。気づいたら,メモリーカードがSDしか使えず,デジカメのメモリースティックが使えない。VAIOなら,両方あるのに。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#パソコン
#データ移設
#マイクロソフト
#フロントページ
#Windows
#VAIO
2012年11月07日
会話のずれ
発話の意味は,受け手の反応によって明らかになる,という。
それは,自分が喋ったことがどう受け取られたかという意味でもあるが,そうシャツチョコばらなくても,その受け取られ方で,話し始められた会話の意味が変わっていく,と考えてもいい。それが,実は会話の楽しみなのかもしれない。受け手は,話し手の会話の中から,自分が刺激を受けた部分に焦点を当てるから,当然少しずつ話の焦点がずれるが,極端な場合は,受け手の体験や記憶の中の話に移行してしまうかもしれない。
伝達という意味で言えば,口頭のメッセージは歩留り25%という説があるくらいで,基本的には,全部を聞くようにはできていないのだろう。だからもともと会話では,意識しないと,自然と自分に引き寄せてしか,相手の話を聞けない。というより,それが聞くことの常態なのだろう。だから,あえて,傾聴といわないと,丸ごと相手の話が入ってこないのだろう。
脳は活発に働き続けている。会話してもしなくても,関係なく想念は走り回っている。そこにちょっとした刺激が,外部から入ると,一瞬でひらめくが,それは,その前に,意識的無意識的に考え続けていた結果に過ぎない。その意味で,人は自分で話しながら,自分で発見したり気づいたりする。よくコーチングではオートクラインなどというが,発話する時,発話の2~30倍のスピードの想念から,言葉にして,口から言語として語りだす。それまでのプロセスは,自分の思いをどう言葉にするかの方に注意が向いている。しかし発話した瞬間,こんどは自分の喋った言葉を耳から,情報として聞く。それが,外からの人の言葉と同様に,脳への刺激となり,気づきをもたらす。ブレインストーミングが効果があるのは,相手の発言の意味内容全体よりは,そこから受け止めた刺激としての情報に,たぶん意味がある。その門前で,批判してしまったら,ゲートを入る情報が少なくなる,そんな意味だ。
会話の微妙なずれ,ということで井上光晴を思い出して,探してみたが,うまく例題になるものが見つからない。
適当に拾い出してみた。
「酔ったな」彼はいった。
「酔ってなんかいないわ。事実をいっているだけよ」
「何が事実だ。森次のことを,いつおれが一枚看板にした。森次のことを,いつおれが売り物にした。森次のことをいうのは,あいつが可哀そうだからだ。いつ,おれが自分の性根をうしなった」
「森次さんが可哀そうなのは,いまはじまったことじゃないじゃないの,はじめからだ」
「ごまかすなよ」
「私が何をごまかしてるの」
「ごまかしてるよ。君は自分のことは何もいわないじゃないか」
「変ないいがかりはよしてよ。私が何をいわないっていうの,何を隠しているっていうの」
「君は隠しているよ」
「ほら,それがあなたの得意の論法よ。自分が危くなると,逆に相手に短刀をつきつけるんだから」
「短刀をつきつけられるようなことがあるのか」
「なにをいってるの。言葉だけのりくつはやめてよ」(『地の群れ』)
ただ単純にページからランダムに引き出しただけだが,普通の会話のずれと微妙な乖離が見事に出ている。会話の名手という気がしている。人は,自分のことを考えている,だから自分の引っかかったところに食いつく。そしてそこで会話が変わっていく,ということが如実にわかる。
この会話のずれは,お互いの思いのずれになり,思いのずれは,少しずつ行き違い,隔絶を広げていく。こんな時,話せば話すほど,ずれは大きくなる。
相手のずれに気づければ,その人の関心か,あるいはその人としての注意の向きがみえる,かもしれない。たぶん受け止めるということが必要なのは,そのことを拾い上げることなのではないか,という気がしてくる。そこに,意識していないかもしれない,関心や価値があるはずだから。
今日のアイデア;
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#コミュニケーション
#会話
#井上光晴
#ずれ
#行き違い
2012年11月08日
質問を効果的に使う~土俵の効果
質問については,コーチング的な意味と位置づけについては,例えば,次のようなことが言えるし,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod06432.htm
またコーチング的対応とそうでないやり取りとの違いは,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod064301.htm
とまとめることができる。
でも,もう少し先を考えてみたい。
たとえば,「コーチングのスキルは,注意を向けることに尽きる」(ジョセフ・オコナー&アンドレア・ラゲス『NLPでコーチング』)という言い方もあるし,「注意を向けるだけで,心はつながる。それが欠けていては,共感は生まれようがない」(ダニエル・ゴールマン『SQ 生きかたの知能指数』)ともいう。
ゴールマンは,注意を向けるということについて,さらに,
「相手に注意力を集中するほど,相手の内面を鋭敏に感じ取ることができる。より迅速に,より微妙な信号まで,より曖昧な状況においても,感じ取ることができる。逆に,ストレスが大きければ,それだけ相手に対する共感力は落ちる」
「このような特別の結びつきにはつねに3つの要素が伴うことを,ローゼンタール(ハーバード大学教授)は発見した。お互いに対する心の傾注,肯定的な感情の共有,そして非言語的動作の同調性,である。この三要素がそろったとき,ラポールが生まれる。お互いに対する心の傾注は,第一の重要な要素だ。2人の人間が互いに相手の言動にきちんと注意を向けるとき,そこには互いに対する関心が生まれ,2人の集中力がひとつになって知覚が結びつく。お互いが注意を向け合う状態になると,感情を共有しやすくなる」
ともいう。それを,私は,共通の土俵という言い方をする。土俵というと,「戦う場」のイメージが強いので,共通の場でも,フィールドでも,舞台でも構わないが,ともかく,一緒の地平に立っているということが大事なのだ。
「流行のハウツー本に書かれている内容とは反対で,意図的に腕の組み方や姿勢を真似て相手に調子を合わせても,それ自体でラポールが高まるわけではないのだ」という。これは,その通りだと思う。この背後には,
「ドイツ語の『Einfühlung』は,1909年に初めて英語に訳され,「empathy(共感)」という新造語として伝わったが,このドイツ語を文字通りに訳すならば,『~の中へ感じる』であって,他者の感情を内的に模倣することを示している。『empathy』という訳語を作ったセオドア・リップスは,『サーカスで綱渡りをする芸人を見ているとき,私は自分が彼の内側に入ったような気持ちになる』と述べている。他者の感情を自分自身の身体で経験するような感覚だ。そして,そういうことは確かに起こる。神経科学者たちは,ミラーニューロンの働きが活発な人ほど共感も強い,と指摘している。」
なのだと,例のミラーニューロンまで挙げている。しかし,こんなことよりなにより,土俵にのるようにすればいい。一番いいのは,相手の土俵にのることだ。
たとえば,部下に,「バカヤロー」と,その失策やミスを頭ごなしに叱るのは,正解を自分が持っているところから,自分の土俵で言っている。これを,
「自分で振り返って,俺はなんて馬鹿なことをやってるんだって,思うことない?」
と問いかければ,部下は自分自身の中で,答えを見つけなくてはならないだろう。質問は,質問されたものが,自分の中に答えを見つけようとすることなら,問う側から,相こ手に考えてほしいことを,命ずることなく,探させることになる。
「お前は,あほか!」
というよりは,
「お前さんは,自分で振り返って,おれはあほか,と思うことない?」
と問いかけたほうがいい。ただし,その問いに答えられないようなタイプもいる。正真正銘の考えないタイプの場合は,噛んで含めるように,小さなステップを,ひとつひとつ,叱りながら導くしかない。しかしその場合でも,相手に,なぜ自分が相手を叱っているか,の思いをきちんと伝えなくてはいけない。基本的に,
口に出さないことは伝わらない。
と私は思っているので,たとえば,「今ここで,これをきちんと覚えておかないと,ここで働く戦力とはみなされないぞ。」というように。
で,このことは,単に,叱るとか指導といったことだけではなく,アイデアや発想のおいても,必要だと思っている。これについては,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view51.htm
でもふれたが,一緒につくりあげていく,というのは,一緒の土俵に乗らない限りできないことなのだ。
【注】ミラーニューロンは,相手の動作を見ただけで活性化する。ミラーニューロンの多くは,運動前野にある。実際の会話や動作,運動を起こそうとする意図まで含めて,運動にかかわる神経を支配する部分のそばにあることで,他人の動作を見ただけで,自分の脳内で同じ動作を起こす部分が即座に活性化する。人間のミラーニューロンには,物まね以外にも,意図を読み取る,相手の行動から社会的願意を推論する,感情を読み取るなどの働きがあり,共感性の神経科学的な根拠となっている。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#質問
#コミュニケーション
#部下指導
#叱る
#ミラーニューロン
#土俵
2012年11月09日
お酉さん由来記~ちょっと整理してみました
毎年酉の市に行っているわりには,よくその由来を知らない。ただ商売繁盛の神頼みと思っていっていたが,そもそもは,18歳で上京した年,同じ下宿の先輩につれられて,出かけたのが出発点。その時は夜遅かったにもかかわらず,すごい人だったことが記憶にある。その後二十年くらいして,いまは疎遠になった先輩とたまたま浅草で飲んでいて,酉の市に出くわし,再訪した。そこで熊手を買ったため,爾来お返しするという名目で,延々通って二十年になる。
そこで,改めて,由来を,調べてみた。
由来には,
江戸時代後期から,最も著名な酉の市は,浅草の鷲在山長国寺境内の鷲大明神社(東京都台東区千束)で行われた酉の市である。当時浅草の鷲大明神は妙見大菩薩とも呼ばれて,鷲に乗った妙見菩薩の姿として描かれ,長国寺境内の番神堂(鷲大明神社)に安置された。11月の酉の日には鷲妙見大菩薩が開帳され,酉の市が盛大に行われるようになる。長国寺は「酉の寺」とも呼ばれた。明治初年には神仏分離令により,長国寺と鷲神社とに引き分けられた。現在の鷲神社の祭神は,天日鷲命と日本武尊。
とある。行くとわかるが,お寺と神社が並んでいる。たぶん分離令で引き離されたが,同じ敷地内で,形ばかりの別居,いわば家庭内離婚の状態になったみたいなものだ。これは,多くの他の神社・寺で見かける光景だが。
お寺側の由来は,
当山は江戸時代初期,寛永七年(1630年)に石田三成の遺子といわれる, 大本山-長國山鷲山寺第13世・日乾上人によって,浅草寺町に 開山されました。山号を鷲在山寺号を長國寺と称します。寛文九年(1669年)には坂本伝衛門氏の後ろだてにより,新吉原の西隣にあたる現在の地(台東区千束)に移転し,江戸時代から続く代表的な年中行事である,浅草酉の市の発祥の寺として,今日に至っています。
とあり,神社側は,
社伝によると天照大御神が天之岩戸にお隠れになり,天宇受売命が,岩戸の前で舞われた折,弦という楽器を司った神様がおられ,天手力男命が天之岩戸をお開きになった時,その弦の先に鷲がとまったので,神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びになり,以後,この神様は鷲の一字を入れて鷲大明神,天日鷲命と称される様になりました。天日鷲命は,諸国の土地を開き,開運,,殖産,商賣繁昌に御神徳の高い神様としてこの地にお祀りされました。
後に日本武尊が東夷征討の際,社に立ち寄られ戦勝を祈願し,志を遂げての帰途,社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い,お礼参りをされました。その日が十一月酉の日であったので,この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭,「酉の市」です。この故事により日本武尊が併せ祭られ,御祭神の一柱となりました。江戸時代から鷲神社は,「鳥の社(とりのやしろ)」,また「御鳥(おとり)」といわれており,現在も鷲神社は「おとりさま」と一般に親しまれ崇敬を集めています。十一月の例祭も現在は「酉の市」と広く知られていますが,正しくは「酉の祭(トリノマチ)」と呼ばれた神祭の日です。
ウキペディア風にまとめると,
神道の解説では,大酉祭の日に立った市を,酉の市の起源とする。大鳥神社(鷲神社)の祭神である日本武尊が,東征の戦勝祈願を鷲宮神社で行い,祝勝を花畑の大鷲神社の地で行った。これにちなみ,日本武尊が亡くなった日とされる11月の酉の日(鷲宮神社では12月の初酉の日)には大酉祭が行われる。また,浅草・鷲神社の社伝では,日本武尊が鷲神社に戦勝のお礼参りをしたのが11月の酉の日であり,その際,社前の松に武具の熊手を立て掛けたことから,大酉祭を行い,熊手を縁起物とするとしている。
仏教(浅草酉の寺・長国寺)の解説では,鷲妙見大菩薩の開帳日に立った市を酉の市の起源とする。1265年(文永2年)11月の酉の日,日蓮宗の宗祖・日蓮上人が,上総国鷲巣(現・千葉県茂原市)の小早川家(現・大本山鷲山寺)に滞在の折,国家平穏を祈ったところ,明星(金星)が明るく輝きだし,鷲妙見大菩薩が現れ出た。これにちなみ,浅草の長国寺では,創建以来,11月の酉の日に鷲山寺から鷲妙見大菩薩の出開帳が行われた。その後1771年(明和8年)長国寺に鷲妙見大菩薩が勧請され,11月の酉の日に開帳されるようになった。
実際の祭りは,花又の鷲大明神の近在農民による収穫祭が発端といわれる。鷲大明神は鶏大明神とも呼ばれ当時氏子は鶏肉を食べる事を忌み,社家は鶏卵さえ食べない。近郷農民は生きた鶏を奉納し祭が終わると浅草寺観音堂前に放ったのである。このように鶏を神とも祀った社は,綾瀬川に面しているため水運による人,物の集合に好適であった。そのため酉の日に立つ市には江戸市中からの参詣者も次第に多くなり,そこでは社前で辻賭博が盛大に開帳されたが安永年間に出された禁止令により賑わいは衰微する。かわって、酉の市の盛況ぶりは浅草長国寺に安置された鷲ノ巣の妙見菩薩へと移り、最も賑わう酉の市として現在に至るのである。また浅草鷲大明神の東隣に新吉原が控えていたことも浅草酉の市が盛況を誇る大きな要因であった。
神仏分離令によって,本来の神仏混交のありようを,崩されて,それぞれが,おのれが何によって立っているかを告げなくてはならなくなった,という意味では,いまはかつての両者渾然一体状態が当たり前とみれば,いまの状態は何か不自然で,江戸時代そのままではなくなっているのかもしれない。ま,しかし建前は別々ながら,一緒に並んで市を立てているというのが,いかにも日本的だ。
まああくまで主役は,熊手を買う市民で,それは江戸庶民も変わるまい。ささやかな商売繁盛を願い,訪れる。それを受けるのは,おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店。また,市を開催する寺社は小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与され,福を「掃き込む,かきこむ」との洒落にことよせ「かっこめ」と呼ばれている。
熊手は露店の主と,まけた(負けた),かった(勝った)と,気風のいいやり取りを楽しんで買うものとされ,商談が成立すると威勢よく手締めが打たれる。商品額をまけさせて,その差し引いた分を店側に「ご祝儀」として渡すことを「粋な買い方」とする考え方があり,手締めはこの「ご祝儀」を店側が受け取った場合に行われる。昨今は普通の夜店と同じ買い方をする人が多くなった。値切ることは値切るが,そのままというように,「いくらでも心付けで」と一応,店側も遠慮がちだ。かつての江戸っ子相手の商売とはいかず,まあ,単なる神社詣でのついでのような人も増えてきた。
こちらは,田舎者で,何十年住もうと,通人をまねようと,ついつい,値引きしておいて,その値引き分を祝儀として払うというのが,いきといわれると,そうしたくなる。実際そうやって決めたが,そのほうが,まあどちらも気持ちがいいからだろう。
其角の句に,
春を待つ ことのはじめや 酉の市
とホームページに出ていたが,そのほかに,
人並に押されてくるや酉の市 虚子
雑閙や熊手押あふ酉の市 子規
も載っており,混雑ぶりが,よく出ている。
久しぶりに,今年の一の酉は,大混雑であった。露店の主人は,「今年は二の酉までしかなく,いい天気だから」といったが,不景気を敏感に反映しているように感じた。押し合いへし合いしながら,やっとたどり着いた賽銭箱を前に,じっくり祈る間もなく,押し出される。
今日は,ちょっとネットで集めたねたでごまかしたような感じになってしまったかな。
参考にしたのは,
http://www.otorisama.or.jp/
http://otorisama.jp/
http://matsuri.enjoytokyo.jp/torinoichi/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%89%E3%81%AE%E5%B8%82
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#酉の市
#鷲神社
#酉の寺
#長国寺
2012年11月10日
死について~あるいは生き方について
友人が,前立腺癌を宣告されて6年。本人は,痛みも苦しみもなく,普通にすごしてこられたことに感謝している,と淡々と言う。本来は免疫力の強い体質という結果が出たとかで,発見が遅れなければ,完治したのではないか,という感想を言っていた。すでに「癌は外へ出ていて」(という言い方をした)転移している。その中で,苦しみなく過ごせてきたことを言っているらしい。
検査数値が高くなると,これが見納めか,と僕ともう一人の友人Aに連絡を入れてきて,一緒に飲むことになる。かつての会社で,一緒の部署にいたことはないが,偶然組合の三役になり,それ以来気があって,一緒にちょっとした事業にも手を出したり,会社を離れても,一時疎遠になったこともあったが,つかず離れず,付き合ってきた。ただ,これが見納めか,という対象に自分がなっているということには,ちょっと複雑な感情が入る。
今回は,検査数値4がレベルとすると,1700くらいまで数値が上がり,医者も,薬がもう効かないといっていたという。そんなこともあって,再会したわけだが,どうやら,本人は覚悟を決めているらしく,冒頭の発言はそこから出た。年末3人で温泉に行く約束をした。ひょっとしてそれが最後になるかも知れないが,「以前にも何度も上がって,下がった」という言葉を,かすかなよりどころにして,まだあきらめていない。
かつていろいろ世話になった先輩は,肝炎の入院先で,高見順の『死の淵より』を読んでいる,と言ってにやりと笑ってみせた。本人なりの意地と意気なのかもしれない。確か石田三成は,刑場へ行くとき,「柿」を勧められて,それは体に悪いとか言って,刑吏の笑いを誘ったというが,その話で思い出すのは,フランス革命で処刑される貴族の誰それが,刑場へ行く馬車の中でも本を読み続け,下りろと促されて,読みかけのページに折り目を付けたのを,刑吏に見とがめられたそうだが,その心理もよく似ている。それは刑吏にはわからなかったのだろう。その死にざまが頭にこびりついている。
しかしその最後まで自分の生き方を,それもいつも通り淡々と続けていく身の処し方は,僕には美学というより,その人の倫理に見える。その人の生き方のコアにあたる何かなのだ。
そういう死とか生き方で必ず出てくる,侍とか武士道という言い方が嫌いだ(これでもれっきとした尾張藩士の子孫だが)。そもそも武士という存在は,世の中の上に被さった寄生虫に過ぎないと思っている。だからこそ,生き方をシビアにし,その自己規制を厳しくせざるを得なかっただけだ。だから,武士道とか侍などということを軽々に口にする人間を信じない。侍は,もともと侍などと言わなくても侍なのだ。だから,どう侍なのかを,自分の生き方の中で体現していなくてはならない。でなくては,侍である資格がない。世に寄生しているもののそれが倫理というものだ。
やくざの親分がこんなことを言っている気がする(もちろん妄想)。
「お武家様なんぞは、あっしら博徒同様、この世には必要のない、無職渡世ではないかと思いやすね、百姓衆にとっても、職人にとっても、ましてや商人にとっては、お武家さまなんぞは無用のものですよ、何かを生み出すわけではなし、ただ何の因果か上にたって威張ってお指図される。でも、その無用の方々がいなかったら、どれだけお百姓衆の肩の荷が軽くなることか」
「お侍方は、仁とか義とか、仰ってますが、それは上に乗っかっておられる言い訳に聞こえます。理をこねくっておられる。いい迷惑です。いっそ、そこをのいてくれっていいたいですよ。あっしらにも、あるんですよ、仲間内の仁義ってやつが、杯かわした親分への忠、お互いの島への義ってやつですよ。でも、こんなのは、住んでいる人を無視して、勝手にあっしらが囲っただけですよ、これも似てるでしょ、お武家様のやり口に、まあ、真似たんでしょうがね。無職渡世は無職渡世なりに理屈がいるんですよ」
何が言いたいのか,というと,結局侍とは身分でも,スタイルでもなく,外見でもない。生き方そのものなのだと感じるのだ。友人の,Nとしておくが,Nのそのさりげない決意に,外面のかっこよさとは無縁の,凛とした立ち姿を見たのだ。それは侍かどうかとは関係ない,人としての生き方なのだと思う。
なにもどこかの元知事のように,大袈裟に,腕振り上げてやっつけろ,と勇ましい言辞を弄するのだけが侍ではない。それを猪武者といって嫌うのは,やっぱりどう見ても,無様でかっこ悪いからだ。むしろ臆病者こそがする振る舞いなのだろう。彼を指して,右翼がコメントしていた。「安全なところから,ひとをけしかけているだけだ,政治家としていまやるべきことは現地へ単身乗り込んで決着をつけることではないか」と。本当にそうだ。孔子も言っている。暴虎憑河し、死して悔いなき者は、吾与にせざるなり,と。
Nは小さな塾をやっている。さりげなくこんなことを言っていた。「オール1の中学三年生が入塾してきた。本当は断るのだが,その姉が昨年までいたので,断りにくかった」。いまはどうなったと,興味本位で聞くと,「2と3になった」という。本人もさることながら,教える側も大変だったに違いない。「殴って,殴ってでも,とことん叱る」という。そうしないと,絶対彼らはやらない。それは長年「できのわるいものを教えてきた」確信だ。
しかし,ぽつんと一言付け加えた。「でも,できたら,ほめなきゃいけない」。
教師と生徒の格闘が続いているらしい。そのエネルギーに感心する。そこにもコアとしての倫理が見えた。そこから,自分の決断もついた。覚悟の後押しをもらった感じだ。
今日のアイデア;
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# 死
# 死に方
# 身の処し方
# 生き様
2012年11月11日
『希望のつくり方』について~希望と夢の間をゆく
玄田有史『希望のつくり方』(岩波新書)という本は,タイトルが「ちょっと」と感じさせるもので,面映ゆくて,外でカバーを付けたまま読むのがためらわれて,積読の憂き目にあっていた。それが,ふと昨日目に留まり,読み終えた。久しぶりに,頭の中が活性化し,脳内の広範囲が点滅しているのがわかる,どういうか,読みながら,いろいろなことを考えさせてくれた本だ。読んでみていただくしか,この興奮は伝えにくい。
村上龍は「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが,希望だけがない。」と小説の中で語らせている。データ的には,将来への希望を持っている人(20歳以上)は,78.3%,そのうち実現できると思っている人は,80.7%。つまり,63,2%の人が実現見通しのある希望をもっている,三人に一人が実現可能な希望を持てない社会,ということになる。
本書では,夢と希望の違い,幸福と夢の違い,安心と希望の違いを,しながら,希望をクローズアップしようとしている。その中で気になったのは,夢との違いだ。本書では,
夢は無意識に見るものであり,あるいは現状に満足しない,飽き足らない気持ちから次々生まれる。
希望は,意識的に見たり,苦しい状況だからこそ,あえて持とうとする。
こう区別している。しかし,キング牧師の有名な,「I have a dream」 というセリフがある。希望が,将来に実現したい「まだない存在」(エルンスト・ブロッホ)だとすれば,夢と希望の差は何なのか。本書には,上記しかないが,僕は仰角(高所にある対象物を見る観察者の視線と水平面のなす角度)の差だと感じた。遠くの何かを見ている時,それが水平線に近いか,大空の上か,夢は,仰角が大きい。中天にあれば,夢は憧れに近い。「夢をもったまま死んでいくのが,夢」。しかし仰角が水平面に近づけば近づくほど,現実性が高まる。希望と夢はある面重なっている。公民権運動の中にいたキング牧師には,叶う夢として,dreamという言葉を使ったのではないか。
著者は,希望の四本柱を次のように言っている。
ひとつは,ウイッシュ(wish),思い,願い。
二つ目は,何か,Something,将来こうなりたい,こうありたいという具体的な何か。
三つ目は,Come True,実現。
つまり,
Hope is a Wish for Something to Come True.
しかし,変化は変わるのを待つのではなく,変えるアクションなくては希望は中空の星にとどまる。で,
Hope is a Wish for Something to Come True by Action.
となる。しかし希望は個人の中だけにとどめるものなのか,共有できないものなのか。社会の未来への希望という視点から見た時,
Social Hope is a Wish for Something to Come True by Action with Others.
あるいは,
Social Hope is a Wish for Something to Come True by Action with Each Other.
となる。他の誰かと,共有する何かを一緒に行動して実現しようとする。「個人の希望は,『誰と一緒にやるか(with Others)』という要素を加えることによって,社会の希望となります。このとき他者(others)として,お互い(Each Other)に顔が見えて,一人ひとりの言葉を直接聞きあえる関係を築けるのが,地域の希望の特徴です。」
この本が労働経済学者が書いたという一番のポイントは,希望を共有するところまで視界を広げているところだろう。凡百の夢実現本の軽薄さとの違いがはっきり出ている。
「何が自分に本当は向いているかなど,すぐにわかるものではありません。それこそ,様々な希望や失望を繰り返しながら,一生をかけてみつけていくものです。」
ただ問題は,希望を単なる心の持ちようにしてはいけない,そういう問題意識が著者にはある。その人の置かれた社会や環境によって,希望の有無が左右されているとし,希望の有無を左右する背景を3つ挙げている。
第一は,可能性。選ぶことのできる範囲,もしくは実現できる確率。選択範囲が広かったり,実現確率が高い時,自分の可能性が大きいと感ずる。そういう人ほど,希望を持ちやすい。具体的には,年齢,収入,健康。
第二は,関係性。「希望は個人の内面だけに閉じた問題ではなく,その人を取り巻く社会のありようと深くかかわってい」て,希望があるかどうかも,社会における他者との関係による影響をまぬがれない。これが重要である背景には,「日本に急速に広まっている社会の孤独化現象」だという。その背景から,「人間関係を大事にしよう」「もっとコミュニケーションをうまくしましょう」という最近の風潮にちょっと批判的だ。「日々のコミュニケーションに疲れた人々をもっと追い込む」ことにつながる。「もっとうまく人と交わらなくてはいけないんだ。それができない自分には希望はないんだというプレッシャーがさらに強まる」と。賛成だ。コミュニケーションは大事だが,人生の中ではもっと大事なことがある。
第三は,物語,あるいはストーリー。「最初は希望がないと思い込んでいた人も,丹念に時間をかけて考えていくと,奥底から自分自身の希望に出会うことも多い」「希望を見つけるその過程で」出会うのが,物語だという。そこで思い出すのが,V.E.フランクルが言った,どんな人にも語りたい物語がある,だ。
希望の物語性についての第一の発見は,「希望の多くは失望に変わる。しかし希望の修正を重ねることで,やりがいにであえる」。「希望の多くは短観に実現しません。大事なのは,失望した後に,つらかった経験を踏まえて,次の新しい希望へと,柔軟に修正させていくことです。」統計にも,無やりがい経験の高さは,当初の希望を別の希望にへ得た人だったとう。
希望の物語性についての第二の発見は,「過去の挫折の意味を自分の言葉で語れるひとほど,未来の希望を語ることができる。」統計でも,挫折を経験し,何とか潜り抜けてきたひとほど,希望を持っている。
希望の物語性についての第三の発見は,「無駄」。「希望は,実現することも大切だけど,それ以上に,探し,出会うことにこそ,意味がある。」「希望とは探し続けるものであり,模索のプロセスそのものです。そしてみつけたはずの希望も,多くは失望に終わり,また新しい希望を求めた旅がはじまる。」
つまり「希望は,不安な未来へ立ち向かうため必要な物語です。希望のあるところには,なにがしかの物語が存在します。物語の主役は,必ず紆余曲折を経験します。挫折や失敗の一切ない物語は」ないのだ。「挫折を乗り越えるという体験があって,初めて未来を語る言葉に彩りは増します。」自分の中に自分を動かしていく,物語を持てるかどうか。もちろん未来はわからないが,「人生に無駄なものなどひとつもない。」その通りだ。悪戦苦闘して自分の希望を彫琢していく生き方でいいのだ。それこそが人生ではないか。きれいに語るものの側ではなく,汗みどろの側に物語がある。
希望だけを真正面から,学問として語るだけで,これだけの奥行きがある,つまりは人の生き方を語ることは,社会的人間としての人のつながり,社会のありようまで,視界を広げなくては語れない,その重層的な追及らまずは脱帽。久しぶりに,脳の広範囲が活性化する,読書の楽しみを味わった。
ちなみに,この本が出たのは,2010年なのに全然古さを感じない。釜石の例が出るが,新日鉄釜石の廃炉後の復興が,ちょうど震災からの復興ともダブり,いま読むことにも意味を感じた。
今日のアイデア;
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#希望
#夢
#生きがい
#若者
#働きがい
#コミュニケーション
#幸福
2012年11月12日
笑顔の効果~ユーモアのある光景
「絶望の反対は,なにか?」
普通に考えると,希望ということになる。だが,ある女性歌手は,
「絶望の反対は,ユーモアではないか。」
と答えたという。辞書では,
「上品なオシャレや諧謔」
「社会生活における不要な緊迫を和らげるのに役立つ,婉曲表現によるおかしみ。」
とあるそうだ。(『希望のつくり方』)
コトバ的には「希望」が妥当なのだろうが,その伝でいくと,絶望の底から,ふっと引き上げられる,その瞬間の感情に焦点を当てると,滲むような笑顔が浮かぶきっかけになるもの,と受け止めてもいいのだろう。望みのなくなった時,ふと笑いを誘われて,そこから立ち上がるきっかけをつかむ。そんな藁しべなのかもしれない。それを,表情側に焦点を当てれば,ユーモアに誘われて引き出された笑顔ということになるのではないか。
箸を横にして口にくわえると,そこに浮かぶ表情筋の使い方は笑顔に似ているそうだ。そして笑顔に似た表情をつくると,ドーパミン系の神経活動が変化するといわれている,という。ドーパミンは脳の快楽に関係した神経伝達物質で,楽しいから笑顔を作るというより,笑顔をつくると,楽しくなる機能を脳はもっているらしい。しかも,実験では,笑顔になると,楽しいものを見つける能力が高まるのだという。つまりは,悲しみやネガティブではなく,面白さや楽しさに目が向く。
逆に恐怖や嫌悪の表情の実験では,恐怖の表情をつくると,それだけで視野が広がり,眼球の動きが早まり,遠くの標的をとらえられるようになり,嫌悪の表情をつくると,逆に視野が狭くなり,知覚が低下したという。つまり,この実験で,恐怖への準備は恐怖の感情ではなく,恐怖の表情をつくることで,スイッチがはいるらしい。これを顔面のフィードバック効果というそうだが,笑い顔をつくるだけで,プラスのフィードバック効果が心にあるというのは頷けよう。
そう考えると,ユーモアが,絶望の反対,あるいは絶望を抜け出すきっかけになる,というのもまんざら嘘とは言えない。というか,確かにいいセンスだ。ひょっとしたら,本当に絶望した経験のある人なのかもしれない。
たとえば,われわれは,相手のしぐさをまねる性向があり,相手の笑顔をみたら,自分もその表情を真似るらしい。すると笑顔の効果で自分の感情が楽しくなる。ということは,笑いの場,笑いを生み出す場にいるのがいいのではないか。
例えば,寄席。ただし吉本喜劇はだめだと思う。あのわざとらしい,あざとい笑いの強制は,自然に生み出す笑いとは似ても似つかない。あそこからは,絶望感が深まるものしか生まれない気がする。なんというのだろう,思わずつられてにこりとしてしまう,そういう笑いを引き出すものでなくてはいけないのではないか。例えば,古いかもしれないが,ひげダンス。欽ちゃん走り。あるいはパントマイム。寄席ならそんなのがいっぱいありそうだ。吉本新喜劇よりは松竹新喜劇(ちょっと古すぎか!)。
なぜそう思うかというと,こういう例がある。
脳卒中によって左半球の運動皮質が破壊され,顔の右半分がマヒしている患者の場合,患者の口元は正常に動いている側に引っ張られてしまう傾向がある。患者に口を開け,歯を見せるように言うと,その傾向は一層際立つ。
ところが,患者が滑稽な話に反応して自発的に微笑んだり高笑いすると,まったく違ったことが起きる。笑いは正常で,顔の両側がまっとうに動き,表情は自然で,その人間がマヒにかかる前に見せていた笑いと変わらない。これは情動と関係する一連の動きをコントロールしているものが,随意的な動きをコントロールしているものと同じではないことからきているらしい。
もし笑いが,心に楽しさの灯をともすのなら,わざとらしく笑うよりは,自然な笑い,湧き上がる笑いによる効果のほうがいい,まあ個人的にはそう思うのだ。
これをもう少し敷衍するなら,いつも笑いのある場は,楽しさいっぱいだろう。そして,そういう場には発想が豊かに違いない。なぜなら,発想力とは選択肢がいっぱいあることであり,それにはユーモアが重要なキーワードなのだ。しかめ面した顔からは,トンネルビジョンに入り込んだどん底の苦しさしかない。そこには選択肢は少ない。
参考文献;
池谷裕二『脳には妙なクセがある』(扶桑社)
アントニオ・R・ダマシオ『生存する脳』(講談社)
今日のアイデア;
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#笑い
#ユーモア
#絶望
#おかしみ
#フィードバック効果
#笑顔
2012年11月13日
老化とともに幸福感が強まる?~『脳には妙なクセがある』から
池谷祐二『脳には奇妙なクセがある』について
正直いって,本書は,『進化しすぎた脳』『単純な脳、複雑な私』やアントニオ・R・ダマシオ『生存する脳』に比べると,焦点が一点に収斂していないせいで,読むほどに脳が沸騰するという体験はしなかったが,反面連載したものをまとめたという性格もあり,多様な脳に関する最新研究情報をもらったという印象が強い。一回ではもったいない気がするので,何回かに分けて,受け止めたものをまとめてみたい。
全体の印象として最も興味を惹かれたのは,最新の脳研究の最前線での結論もさることながら,仮説を検証するための様々な実験の工夫だ。仮説か問題意識かを確かめるために,研究者が知恵を絞っていろんな実験を工夫をしている様子が,なかなか興味深い。それは,たぶん成功した例しか出ていないので,死屍累々,様々な失敗の累積の上に,この成果があるのだろうと想像してみると面白い。いかに問題意識が最先鋭でも,それを現実に着地させて,どういう実験をすればそれが確かめられるかの発想がなければ役に立たないというのは,われわれの世界でも,どんな理屈も問題意識も,現実に検証しなくては何の価値もない。その意味ではまったく同じことが言えるのかもしれない。
今回は老化を巡ってそんなことで,自分の関心を惹いたものから拾ってみたい。
運動と学力の相関について,反復シャトル走と科目別の相関を調べた例がある。その運動能力の成績と算数が最も相関し,48%,国語読解力についても,40%もの一致率を示したという。読書の内容を理解するときは,脳の前頭前野や帯状野が活性化し,計算に際しては,頭頂間溝が活性化する。この領域は有酸素運動の時活動する部位なのだという。つまり,脳の老化は,体の老化に付随しているのではないか,というわけである。それはよくわかる。集中力や思考を持続するには猛烈な体力を必要とするのだから,そして,そもそも脳も肉体なのであり,日頃の鍛錬が必要なのは,足腰だけではないのかもしれない。
ところで,加齢はあまりいいイメージはないが,アメリカの調査では,人生に対する幸福感が,U字曲線を描く。4,50代が底で,そこから上昇する,という。そのことは脳の活動パターンからも,20歳前後と55歳以上の対比で,若者がマイナスに強く反応するネガティブバイアスを持つのに対して,年配者は年とともに,ネガティブバイアスが減って,プラス面に強く反応する,という。それも,伴侶を失ったり,重病を患ったりした経験のある人ほど,ネガティブバイアスは弱い,という。
穏やかでにこにこしている年寄りが多いというのは,いいことかもしれない。またいい社会なのかもしれないが,反面歳と共に悪い感情が減っていくということは,リスク管理に難があるということを意味する。振り込め詐欺が,これだけ周囲で厳しい制約を設けても,一向減らないのは,ある意味で,そこにいい面しか見ない,という老人特有の心理傾向が反映しているのかもしれない。とするといま取り組んでいるような社会的な対応では,老人の幸福感を動かす力がない,ということになる。後からもちろん後悔するかもしれないが,その相手にさほどの悪感情をもたないのかもしれない。本当か?
夢を描くことで夢は実現するということをいうが,それは未来を想像するときに活性化する前運動野があり,それは体の運動をプログラミングする部位でもある。体の動きが未来のイメージと関係がある,という。さらに未来をいきいき想像するには,海馬が活動する。だから,海馬が老化すると,生き生き未来を描けなくなる,というわけである。脳がふけると,夢が持てなくなる,のか?
高齢者のうつ病が増えている。うつ病の四割が60歳以上なのだという。確かに年齢とともに,寝ていても,昔ほど夢も見ない。幸せ感かどうか現状に安らげば,未来(そんなに先は長くないが)を夢見る必要性もない。心穏やで安定していれば,脳への刺激が減って,痴呆はともかく,うつというのはイメージしにくい。そのせいか,老人性うつは,薬で治る率が高い。で,池谷さんはこういう。
「心境の変化というよりも,むしろ生物学的変化が引き金になっている可能性が高いのだと思います。神経伝達物質の減少という器質的な変化です。」
さて,そこで,だ。では運動すれば,その伝達物質の減少が止められるのか,だ。アメリカ保険福祉省は,一日30分の運動を勧めている。しかし74%はそれを満たしていないそうだ。
もうひとつは,我々が選択行動をとるとき,損得比較をする眼窩前頭皮質であり,他にどんな可能性があるかを調べようとするのは前頭極皮質。いわば「情報利用」と「情報収集」のバランスを取って選択するように,脳の機能上なっている。しかし老化とともに,収集型であることをやめ,身近な人との会話だけで一日が終わってしまう傾向が強い。その意味で,様々な情報にアクセスするために,人とモノとコトとかかわることで,前頭極皮質を活性化する,ということが必要のようだ。
それは老人に限った話ではない。痴ほう症にならない三条件というのがある。①有酸素運動,②メタボにならない,③コミュニケーション,という。コミュニケーションというのは通信,交流,会話という意味も含める。いつもの人ではなく,いろんな人との会話が,脳を刺激するようだ。やはり,体力が肝心だ。
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#脳
#加齢
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2012年11月14日
コミュニケーションにかかわる脳の機能~『脳には奇妙なクセがある』からⅡ
引き続き,池谷祐二『脳には奇妙なクセがある』について
かつてコミュニケーションを拒絶されたと受け止めると,脳にとっての衝撃は,実際に殴られたのと同じだといわれていると,読んだことがあるが,例えばこんな実験がある。
三人でバレーボールの練習をしている。初めは三人でボールを回しているが,そのうち被験者にボールが回らなくなる。自分以外は目の前で楽しく遊んでいるのをながめている,そんなのけ者状態にされた,心の痛んだ状態のとき,脳はどう反応するのか。仲間外れにされたその時,大脳皮質の一部である,前帯状皮質が活動する。前帯状皮質の活動が強い人ほど,強い孤立感を味わったという。
この部位は身体の痛みの嫌悪感に関係する。手足の痛むときに活動する部位が,心が痛むときにも活動する。このことについて,池谷さんは,こう書いている。
ヒトは社会的動物です。社会から孤立してしまっては,生きていくのがむずかしいでしょう。ですから,自分が除け者にされているかどうかを,敏感にモニターする必要があります。そのための社会監視システムとして,痛みの神経回路を使いまわすとは,見事な発明であったと言ってよいでしょう。
そこからこんなことを仮説として出している。
一見抽象的にも思えるヒトの高度な思考は,体の運動から派生している。
進化をさかのぼれば,動物は身体運動を行い,そのために筋肉と神経系を発明し,高速の電気信号を用いて,素早く運動を行おうとし,この神経系をさらに効率的に発達させた集積回路が脳,だというわけです。しかし,脳はさらに進化して,身体を省略することをする。
脳の構造で言えば,脳幹や小脳,基底核は進化的に古く,身体と深い関係がある。そうした旧脳の上に,大脳新皮質がある。大脳新皮質は,当初は,旧脳を円滑に動かす促進器であったのが,脳が大きくなるにつれて,大脳新皮質が大多数を占めるようになると,機能の逆転が起き,「ヒトの脳では,この臨界点を超え,大脳新皮質による下剋上がおきている」と池谷さんは推測する。
だから,大脳新皮質が主導権をもつヒトの脳では,身体を省略したがる。つまり,身体運動や身体感覚が内面化されることによって,脳は,「身体から感覚を仕入れて,身体へ運動として返す。身体の運動は,ふたたび,身体感覚として脳に返って」くる,そのループを,身体を省略して,「脳内だけで情報ループを済ませる」ようになる。この「演算行為こそが,いわゆる『考える』ということ」だと,推測する。その結果の,上記の心の痛みと体の痛みの共用ということが起きる。
そういうところが,言葉を使う面でもあらわれる。例えば,ひとに対して,「お前は何々だ」とラべリングするのも,相手の身体運動や行動癖を言葉によってラべリングすることで,感覚や身体運動を,脳内だけで完結していることだというのです。「時間にルーズだから遅刻する」というラベルは,よく遅刻する身体運動の頻度から,脳内でラベルづけしただけだ,という。脳内で自己完結して,理解したつもりになる,ということらしい。かつて「あなたは過去に蓋をしている」と言われたことがあるが,それは僕が,相手には何かを隠しているような不思議な印象を持ち,その理解をラベルづけでわかった気になろうとした,いわば脳の自己防衛反応だったと考えれば,なんとなく相手の気持ちもわかる。もっとも「蓋をしている自分」に気づかないだけだと言われれば,仕方がないが…。
言葉というのは,脳が誕生して5億年を1年の暦に置き換えると,大晦日の夜10時以降,というほど最近なのだが,
言語が逆に,我々の感覚を左右している。こんな例を挙げている。
青と緑の中間色を見た時,言葉でどう表現しようかと苦心する。メキシコ北部のタマフマラ語では,これに対応する言語がある。ロシア語圏でも,「明るい青」と「暗い青」に相当する単語を別々に持っていて,両者を素早く区別する。つまり,語彙の有無が認識力を左右している。さらに推し進めて,「自分や他人の感情に気づくことができるのも,言語を持っているから」だと研究結果が出ている。
このことから,敷衍すると,例のウィトゲンシュタインの言う,人は持っている言語によって,見える世界が違うというのは,脳的にもあたっていることになるらしいのだ。
ここで実感を書くと,実は老化とともに,身体が衰える。衰えることで,脳内で自己完結した思考は,貧弱になっていく気がする。なんたって健康な身体があるからこそ,脳内だけでの代用が可能だったからだ。で,ある年齢になると,身体を思い出す。必ずしも,健康管理のためだけではなく,脳の自己防衛のために,だ。何せ,意志する何十ミリ秒前には,意志させるよう脳が働き出しているのだから,意識は健康のためと思っているが,実は脳は自分の自己完結を強化しようとしているだけなのかもしれない。
そのせいか,最近身体や身体の感覚に妙に惹かれる。これも脳の自己防衛と考えるれば,それに従わないと,ぼけてしまうかもしれない。やばい!
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2012年11月15日
ひらめきと発想の脳機能~『脳には奇妙なクセがある』からⅢ
引き続き,池谷祐二『脳には奇妙なクセがある』について
直感とひらめきの違いについて,池谷さんはこんなことを言っている。
ひらめきは思いついた後に,その答えの理由を言語化できる。直感は,本人にも理由がわからない確信。ただなんとなくとしか言いようがないあいまいな感覚。根拠は明確ではないが,その答えの正しさが漠然と確信できる。しかし「直感は意外と正しい」という。ヤマ勘や思い付きではない。そして,ひらめきを,知的な推論,直感を動物的な勘,ひらめきは,陳述的,直感は,非陳述的,と説明する。
直感は,線条体や小脳が関与するが,ひらめきには,脳の働きとして,理詰めで正答が導ける場合と,相手の出方を推測しながら,判断しなければならない場合があり,同じひらめき型では,まったく脳の使い方が異なるようだ。ただ,ひらめいた瞬間,脳の広範囲が活性化すると言われている。それについては,ここでは触れられていないが,直感の時とは,少し違う気がする。直感は,パターンで感じ取る,という気がする。将棋や囲碁のプロが,蓄積した経験の中から,直感する場合,なぜかは説明できないが,それが結論として動かないことに変わりはない。
ではアイデアがひらめくときはどうなのか。
グレアム・ウォーラスによれば,着想の王道は,
① 課題に直面する
② 課題を放置することを決断する
③ 休止期間を置く
④ 解決策をふと思いつく
だそうだが,特に③の熟成期間が重要らしい。ある実験では,課題を長い時間起きて考えていた人より,睡眠をとった人のほうが,成績が良いという結果が出ているらしい。特にREM睡眠と呼ばれる,浅い眠りの多い人ほど好成績だったという。
こうしたステップでは,ジェームズ・ヤングの『アイデアのつくり方』が最近では有名だが,そこでは,
第一段階 資料集め
第二段階 集めた資料の加工 【ここまでが準備】
第三段階 孵化段階 【孵化(あたため)】
第四段階 アイデアの誕生 【啓示(ひらめき)】
第五段階 アイデアの具体化 【検証】
とある。たぶん,②と③が孵化プロセスにあたる。
ヴァン・ファンジェの定義以来,創造性とは既存の要素の新しい組み合わせとされており(川喜多二郎氏は,これを,「本来ばらばらで異質なものを結びつけ,秩序付ける」といった),その組み合わせを見つけた時,脳内の各所とのリンクというかたちで出現するのではないか,とひそかに考えている。そのための準備期間がいる。今まで考えられていたものごとのつながりを崩して,新しいつながりを見つけるには,ある種の視点転換がいるのだから。
これで思い出したのだが,数学者の岡潔さんが,タテヨコナナメ十文字,考えに考えて考えつめて,それでだめなら寝てしまえ,といっていたのと符合するのではないか。ただ,この眼目は,ただ熟成すればいいのではなく,その前の段階で,脳をフルに使いこんで,考えつめたプロセスがあってこそ,寝てしまうことで,その間,トンネルビジョンに陥っていた着想を,違う視点から考えるきっかけになる,というところではないかと思う。
そこで,睡眠ということが,かぎになる。
睡眠中の脳の活動については,まだ決定的な答えは出ていないようだが,睡眠の役割の一つは,「記憶の整序と固定化」にあるといわれる。実際,レミニセンス現象と呼ばれる睡眠効果が実験で確かめられている。たとえば,ある訓練をして,12時間後,やってみると,平均50%に低下するのだが,その後7時間睡眠をとると,前日の訓練直後の成績に戻る,という。
睡眠でも,浅い眠りの時は,海馬がシータ波という脳波を出し,情報の脳内再生を行っている。逆に深い眠りの時は,大脳皮質がデルタ波を出し,記憶として保存する作業を行っている,とされる。ということは,深い眠りの時に,効果的にデルタ波をだせば物覚えが良くなるということが実験で確かめられている。
ここで問題は海馬である。記憶の再生ということは,その前につめに詰めたことを,もう一度違う形で再生していることを意味する。自分の経験では,すごく緊張する,新しい場,たとえばワークショップに初参加したような夜,すさまじく刺激的な夢を見た,という経験をしたことがある。夢は記憶の再整理ともいわれるが,このプロセスで,意識的に眺めていたものを,俯瞰したり,別の文脈(夢は多くそんな,まったく別のシチュエーションで展開されるケースが多いように感じる)に置かれることで,着想につながることがあるのではないか,という気がする。
自分の体験では,脳内の着想や問題意識は,無意識の中で,ずっと続いていく気がしている。そして,ふと,何か関係ないものの中で,たとえば人との会話や読んでいる本の中から,刺激を受けて,ふいに着想することがある。これは,メモをとりつづけていると,同じ傾向の発想が断続的に思いついていく,そしてそれが少しずつ発展しているのに気づく。その意味では,休止とは,そこにのめりこむことから,一旦離れる,ということも含んでいるのかもしれない。
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2012年11月16日
神秘体験の脳的根拠~『脳には奇妙なクセがある』からⅣ
引き続き,池谷祐二『脳には奇妙なクセがある』について
自分は神仏の加護は信じたいので,我が家には,荒神様もあるし,神棚もあるし,お札も結構貼ってあるし,小さいながら仏壇もある。年の初めには初詣もする。その程度の習慣に従っているだけだ。ご利益以上のものを得たいとも思わないし,神を近くに感じたこともない。その代り金縛りにもあわず,神秘な体験もまったくない,スノッブそのものの小市民だ。それを不幸と見る人もいるかもしれないが,どうせ死んでしまえば,ハイそれまでなのだから(そうではないと言われたこともあるが,わからないことはわからない),いまの自分には関係ない,という考えの持ち主だから,冒涜と言われればその通りだろう。
ところで,人があるところにほぼ宗教があるということは,ヒトが神なるものに親和性を本能的に持っている,つまり神を感じる脳回路をもっているのではないか,そう考える科学者の問題意識は面白い。
その実験のひとつに,「こめかみよりも少し上,脳で言えば側頭葉に相当する部分を磁気刺激すると,存在しないはずのモノをありありと感じる」のだそうだ。実験すると,40%の人が何らかの知覚体験をしたという結果が出ている。「奇しくも英語でこめかみはtemple,つまり『聖なる殿堂』という意味」だ,と。
この側頭葉が原因で起こすてんかん発作では,1.3%が神秘体験をするといわれている。かつての上司が,その発作を起こしたのを目撃したことがあるが,それで思い出したのは,ドストエフスキーだ。彼も,その病をもち,その体験を語っていたし,小説にもした。
ただ個人的には,宗教ということと神秘体験をすることと結びつけるのはあまり好きではない。アメリカのエプライ博士は,「宗教心が強い人は自己中心的だ」と主張しているという。「神の思し召し」というのは,神の意図なのではなく,無自覚な本人の個人的願望が反映されている,という。
それでふと思い出したのは,「はからい」という親鸞の言葉だ。「はからい」は如来の本願のほうにあり,人間の側にはない。だから絶対他力だ,「最後の親鸞を訪れた幻は,知を放棄し,称名念仏の結果に対する計い(はからい)と成仏への期待を放棄」する。と。これを知ったのは,吉本隆明の『最後の親鸞』だ。そこで,彼は,こんなことを書いていた。
<わたし>たちが宗教を信じないのは,宗教的なもののなかに,相対的な存在にすぎないじぶんに眼をつぶったまま絶対へ跳び超してゆく自己欺瞞をみてしまうからである。
僕はこの言葉に吸い寄せられた記憶がある。いまの自分にとことん付き合うしかない,そういっていると僕は読んだ。自殺を意識したどん底の頃だったと記憶している。何かにすがろうとするおのれの頭を殴られた感じだった。強い意志をそこに感じ取り,かなわないとも感じた。
歎異鈔の中で,唯円が,尋ねる。自分は,念仏をとなえても,湧き上がるような歓喜の心がわかない。いちずに浄土へ行きたいという心が起きない。どうしてなのか,と。親鸞は,自分もそうだという。そして,こう答える。喜べないのは,凡夫のしるしだ。だからこそますますきっと往生できるとおもわなくてはいけない。喜ばせないのは,煩悩に満ちた凡夫ゆうだ。仏はとうにご存じで,他力仏の悲願はそういう凡夫を必ず浄土へ行かせようと結願されたのだ,と説く。
ただ信心が足りないからと,どこかの新興宗教のように何かを買えなどとは,親鸞は説かない。「久遠劫より今まで流転せる苦悩の旧里は棄て難く未だ生まれざる安養の浄土は恋しからず」と受け止める。その言い方は,まず相手に〇をつけて,しかし念仏を唱えれば浄土へ行ける,という考えを否定し,こう言っている。「ひたすら知にたよらない他力の往生心を発起し,方便や計らいの名残を残した門を出て,弥陀の選択された本願に絶対的に帰依する広い海に転入」する,と。
だから最後は,念仏を信ずるも念仏を棄てるも「面々の御計らいなり」となる。
ここには,すべての計らいをすてて絶対的に帰依できるかどうかが,最後に問われている。それで浄土に行けるのか,本当に救われるのか,と考えるのは,人の側の思惑に過ぎない。しかし,たぶん,これはもういわゆる宗教であることを突き抜けている。こういう思想家,宗教家が,日本にいたことを,いまの(徳川時代のキリシタン対策としてつくられた)檀家制度の果てにある,真宗からはなかなかうかがえない。
ちょっと話を矮小化するようだが,わからんことはわからん,と言えるのはすごいことだ。ましてや宗教の教祖が。それだけでも,器の大きさに圧倒される。そこから思い出したが,神田橋條治氏が,
すぐれた人は,わからないという言葉で勝負する,と。要はわからないことはわからない,知らないことはしらない,という。という趣旨のことを言っていた気がする。
管理職だったころ,知ったかぶりするのも嫌だが,知らない,というのにも抵抗があった。しかしフランクに「俺それよく知らない,教えてくれない」と言えばよかったのだ。しかしそうやって開示しながら,どこかで,相手が語ることから,相手の力量を測ろうとするのだろうな,きっと。ああ,器が小さい。
参考文献;
吉本隆明『最後の親鸞』(春秋社)
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2012年11月17日
行動化の脳機能~『脳には奇妙なクセがある』からⅤ
引き続き,池谷祐二『脳には奇妙なクセがある』について
人は学んだとことの1/2から1/3を,8時間後には忘れている,という。成りたい自分をイメージすれば,夢はかなう,という人がいる。そして現実にそうなったという人も一杯いる。だが,たぶん,ただ夢見ただけでも,強く思っただけでも,ないはずで,そのことを実現できた人は意識していない,そんな気がしたいた。
脳は出力することで記憶する。それは経験的にそう思ってきた。使わなければ,脳のニューロン・ネットワークは強化されず,強化されなければ,忘れていく,と。池谷さんは,こう書く。
脳に記憶される情報は,どれだけ頻繁に脳にその情報が入ってきたかではなく,どれほどその情報が必要とされる状況に至ったか,つまりその情報をどれほど使ったかを基準にして選択されます。
前に笑顔をつくるだけで,楽しくなる,という例を挙げた(http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/10981807.html)が,笑顔という表情の出力を通して,その行動結果に見合った心理状態を脳は生み出したと言えるようだ。たとえば,身体を眠くなる状態にしておくから,眠くなる。身体が先で,眠気は後,会議や授業中の睡魔も,「静かに座っている姿勢が休息の姿勢でもあるから」だということになる。
やる気も同じで,やる気が出たからやるというより,やりだしたことで気が乗り始める。「何事も,始めた時点で,もう半分終わったようなもの」ということらしいなのだ。たとえば,掃除の例を挙げている。始める前は億劫で,その気にならないが,えいやっと,動き出すと,とことんきれいにしたくなる,ということがあるように。
デューク大学のクルパ博士は,ネズミのひげがモノに触れた時(受動,入力)と,ネズミがひげを動かしてモノに触れた時(行動,出力)では,大脳皮質の反応が,まったく違い,「身体運動を伴うと,ニューロンが10倍ほど強く活動する。つまり,うだうだ言っているよりは,まずは動き出してしまうと,その結果勝手にニューロンが活性化し,どんどん自分を前へ押し出してくれる,ということのようだ。
だから夢を見た人は,意識的か無意識的かは別にして,すでに何か動き出してしまっている,そのことが,夢を手元に近づけている,と言えるのかもしれない。
ところで,英語には頑張れ元気を出せという気合いにかかわる言葉はないそうだ。「あきらめるな」とか「ベストを尽くせ」といったより具体的な表現しかないらしい。頑張れは,あえて訳せば,「Chip up」「Cheer up」であり,顎を上げろとかうつむくな,という具体的な指示になる。顎を上げる,うつ向かない,という行動が心に影響を与えるというのは,笑顔の例と同じだ。身体の構え,恰好を取るから,がんばるマインドを引き出していく…。
同じことは姿勢にも言える。ブリニョール博士らは,学生たちに,「将来仕事をするために,自分のいいところと悪いところを書き出す」というアンケートを,一方は背筋を伸ばして座った姿勢,他方は,猫のように背中を丸めて座った姿勢で,書いてもらった。すると,背筋を伸ばした姿勢で書いた内容のほうが,丸めて書いた姿勢よりも,各進度が高かったそうだ。自分の書いたことについて確かにそう思うとより強く信じたということだ。
ここでも,形や行動,姿勢が,強くマインドを左右する結果が出ている。よく,柔道や剣道,その他の技にかかわる世界,「形」をまねるところから入るのは,守破離の「守」の部分,形から入って形からでる,といわれるのにも似ているだろう。
「形」の模倣とは,各世界における「型」に含まれる要素的な活動(「型」を要素に分解できるわけではないが)の学習といってよい。(『「わざ」から知る』)
ただしここで「形」と「型」を区別しているところに注目しておかなくてはならない。型とは,「技法と集合的個人的な実践理性」という。何のことかわからないが,先代勘三郎が,こういっている。
「先代の源之助のおじさんがお辰をやったとき,いつも後見を勤めてて……,あの焼ゴテに赤く火が見えるのは,丁度いい間合いを計って後見が仕掛けてあるモグサに線香で火をつけるんです。そうやって毎日しているうちに,お辰の呼吸(いき)とか段取りとかが,自然に身につくんですね。
というように,形を習得しただけではなく,学ぶものがその「形」の意味を,模倣を通して自分なりに解釈し,その芝居全体の意味は何か,歌舞伎全体での意味は何か,と文脈全体を取り込むという,より大きな目標に注目を移していくことで,「形」を自然な「型」にしていく。「形」の習得は技の習得の入り口に過ぎない,その意味の「守」ということなのだろう。
そこにも,姿勢や形,恰好から入っていく入り口が見える。
このことは,例のライルのいう「Knowing that」(知識の所有)と「Knowing how」(遂行的知識)が思い出され,知っていることとできることの違いにも思いがいく。
自分は怠け者で,いつも,「形」のところから引き返してきた気がしてならない。何かを極めたものは,たぶんすべてののが見える見え方が違うのだろう,という気がする。今更遅いが,死ぬまで,型の手前まで,行きたいものだ。
参考文献;
生田久美子『「わざ」から知る』(東京大学出版会)
今日のアイデア;
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2012年11月18日
防衛的悲観と防衛的楽観~第四回ポジティブ心理学コーチング勉強会に参加して
一昨日,福島規久夫コーチの主催される,
第四回ポジティブ心理学コーチング勉強会 (http://www.facebook.com/home.php#!/events/366695360085500/)
に,前回に続いて,参加しました。
招待いただいた,案内には,こうあります。
「 今回の勉強会では、楽観主義と悲観主義に加え、その中庸的なタイプの人に関して考察し、どうコーチングに活かすことができるかについて対話をしていきます。
コップに半分入った水を見て、「まだ半分ある(^^)」「もう半分しかない(*_*)」ということで楽観的と悲観的の2極に分類して考えることがありますが、実際には「水が半分入っている」と中庸的な見方をする人たちもいます。
楽観主義であることによって心身の健康に良い影響があることなどについてはすでに研究されてきていますが、「以前はうまくいった。でも次はわからない。だから、リスクはしっかりと考えて 対処していこう」と考えて成果を上げていく人も存在します。」
楽観主義と悲観主義の中間に位置する「防衛的悲観」というタイプがあるという考え方なのですが,たとえば,「防衛的悲観主義質問票」というのがあります。僕は50点だったのですが,満点で84で,一点減点という方がいました。その方は,「その状況にのぞむ前に,起こりえることは全てしっかり考える。」の「全て」に引っかかり,「とてもよくあてはまる」ではなく,「だいたいあてはまる」にしたと言います。
このタイプの方は,必ず考えられる手だてを考えつくすのだと言います。「こういうどうする,こうなったらどうする」と。だから,「これから迎える状況について,最悪の事態を予期」し,代替案を想定していくタイプなのだそうです。だからと言って,悲観的なのではなく,「ありうる事態を心配し手順することがポジティブなパワーになっている」というのです。
だから防衛的悲観の人は,将来を能天気に楽観するのではなく,起こりうる事態を想定し,それに対案を考えておかなくてはいられない人です。こういう人がサポートとしていれば,アイデア一杯で,懐の甘いトップにとっては素晴らしい補佐役です。ひょっとすると本田宗一郎と藤沢武夫の関係はそういうものだったのかもしれません。
ところで,自分はというと,まず走り出します。例えば,98が出たころ,客先から「これからはメールで」と言われて,あわててパソコンを購入し,マニュアルも見ずに,見よう見まねでメールを打てるようになった,というような具合です。もちろん落ち込みます。自殺したくなるくらい,落ち込むのですが,結局立ち直っていきます。どこかに,勝手に可能性を見つけてしまうのです。あるいは,「できない」「無理」「やれっこない」と口で言いつつ,頭の中で,どうせ受けざるを得ない,と考えて,できるかどうか,過去の経験を引っ張り出して考えます。もちろん見込み違いも,大失策も一杯ありますが,何とか,というより,意外と立ち直りが早い。感情に左右され,気分で振幅しても,方向は,たぶん楽天的なのだと思います。
それを勝手に防衛的楽観と名付けてしまいました。
防衛的悲観主義の特徴を,こうレジュメにはありました。
①説明スタイルは中庸的(楽観的でも悲観的でもない)
・失敗しても,落ち込んだり,失望したり,「自分は無価値だ」とは思わない
・問題の原因は「自分にもある」と考える
・しかし努力することで問題を自分でコントロールすることができると信じている
②将来の不安を受容することができる
・自分の過ちを正確・具体的に表現できる
・悲観主義者は過ちを回避し,大まかであいまいにしか表現できない
③問題解決能力に優れている
・課題,弱点,ワーストケースを想定(メンタル・リハーサル)
・失敗やリスクを予期し,代替案を想定
・効果的なプランを策定
では,防衛的楽観をそれに当てはめてみるとどうなるか。
①説明スタイルは情熱的(楽観にシフトしている)
・失敗したとみなすと,見切りが早く,ひどく落ち込み,一瞬「自分は無価値だ」との思いにさいなまれる
・自分の過ちを自分の準備不足として,受け止める
・しかし努力することで問題をコントロールすることができるはずと信じている
②将来の不安を受容することができる
・不安への対応策として,準備を終えることでカバーしようと,前のめりになる
・早め早めにことを進め,あらゆることを前倒しで準備しようとする
③問題提起能力に優れている
・課題,弱点,ワーストケースを素早く提起する
・失敗やリスクではなく,そこに思い入れし,過大に意味づける
・前倒しで,提起した時は準備が終わっている
ご覧の通り,似て非なるもので,悲観によって,リスクに備える防衛的悲観に対して,楽観によって,未来へ投影する防衛的楽観は,ある意味では現実逃避の一種ではないか,と感じました。丁度真反対だが,防衛的悲観がバックアップ作用を果たすとすると,防衛的楽観は,前のめりにこける恐れがあり,つっかい棒がないと,独り相撲に終わる恐れがあります。しかし,そんなに前へ出るタイプでは,本来なく,いってみると,単に仕事の早い事務屋といった程度なのだと思われます。やれやれ。
今日のアイデア;
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#福島規久夫
#ポジティブ心理学
#防衛的悲観主義
#セリグマン
#本田宗一郎
#藤沢武夫
2012年11月19日
ボディサイコセラピーと身体のトレーニング~身体の意識と無意識
JCAK主催の「カッコよく・ラクに歩ける・実践的な歩き方第二弾」に参加し,プロフェッショナル・ランニング・コーチの小田英男さんに,ウォーキングとランニングの指導を受けたが,それと前後して,贄川治樹さんのボディサイコセラピーにも,「ボディサイコセラピー入門」の第三回と第四回,産業カウンセラー協会東京支部での「ノンバーバル・コミュニケーションをカウンセリングに活かす方法」と計三回参加したので,無理やりこじつけることになるが,両者から学んだことをまとめてみたい。
歩くということは,赤ん坊の時立ち上がってから,何十年もの間に出来上がった癖があり,その癖が楽だと思っていたが,足の運びではなく,上半身を,極端に言うと前に引っ張りだすことで,片足がで,そこに重みをかけることで,次の足が,すっと前へ流れる。うまく説明できないが,イメージは,急斜面をスキーで滑降する時,腰を引いたら滑れない。思い切って谷側へ頭を飛び込ませるようにすると,うまくはないが,なんとなく滑れた感覚があり,それと似た感じを持った。それは,足で歩くというのではなく,足を運ばせるという感覚なのだろうか。上半身をうまく使うことで,歩きのイメージが変わった。少なくとも,猫背や前のめりの格好ではなく,胸を張り,腰を軸に歩く感じになる。
これが,先日のウォーキングの場で学んだことだ。その前に,いくつか全身をほぐしたり,身体のゆがみの確認をしたが,それは,ある意味で,自分の中の凝りを確認することでもある。使っていない部分があるのはよくわかっていたが,同じことを,先日口の動かしを,ボディサイコセラピーの中でやった時,「口は唯一,自分でコントロールできる」箇所にもかかわらず,口の周りの筋肉は,使っていないところが,いっぱいあり,口の表情を極端に作っているうちに,口の周りが疲れてきた。唯一自分でコントロールできるにもかかわらず,自分のリソースに気づいてもいないし,使ってもいない,ということなのだ,というのはいまさらながらの気づきだ。口は言葉を吐くが,同時に,表情の要の気がする。
ボディサイコセラピーでは,身体のエネルギー(フロイト流のリビドー)の流れと滞りを大事にする,と受け止めたが,それは,身体の脈動であり,拡大と収縮によってエネルギーが流れるという感じだ。だからリズムということにつながる,というのを納得した。人には,人の微妙なリズム,例えば,歩き方,しゃべり方,感情の起伏,気分の振幅,脈拍もそうだし,呼気排気もそうだ。屈曲と伸展,開と閉,吸引と排出,押し出すと引っ込む,動と静等々。だから,アクセル(交感神経)とブレーキ(副交感神経)が偏れば,自律神経に凝りが出るのだろう。先般のトレーニングで,いくつかのウォーミングアップをしたが,多くは,屈伸であり,伸縮で,コリとは,使っていないという意味だが,逆に言うと,エネルギーが滞っている,ということだ。そこに,意味がある気がする。
ライヒは,無意識は身体の中にある,と言ったそうだが,心の中の抵抗は身体に出る。だから,言葉のメッセージと身体のメッセージの齟齬,ということはカウンセリングで再三言われた。大丈夫と言いながら,両手のこぶしが握りしめられている等々というのは,わかりやすい。
先日の「ノンバーバル・コミュニケーションをカウンセリングに活かす方法」では,自分がしゃべっているときの身体の動き,手ぶり,身振りを,いくつかフィードバックするというワークをやったが,組んだお互い,初めてそこで指摘されて気づいたことだらけであった。例えば,自分は,何かを強調する時,あるいは,話頭を転ずるきっかけに,首を左に振るらしい。「実はね」「それでね」等々。首を振った時,その瞬間に,「何が起きてるんですか?」と問われれば, その一瞬の心や感情に立ち止まれるかもしれない。特に繰り返す動作には,本人の無意識の反応がある。どうしても言葉に注目するが,河合先生もそんな趣旨のことを言っておられた記憶があるが,僕の師匠の80歳のカウンセラーは,相手の話をぼんやり聞き流し,その流れの中の微妙な変化や語尾にふと立ち止まって,返してくる。丁度水面に小さな気泡が上がったように。なんだろう,たとえが悪いが,レム睡眠のさなか,起されていま見ていた夢を確認される感じだ。
ボディサイコセラピーでは,「眼は魂の窓である」といい,眼はコンタクトの器官とも言って,「目が合うと身体の物理的接触の感覚が生ずる」と,アイコンタクトの重要性を学んだが,小田コーチのトレーニングでも,アイスブレークで,ボール投げの三種類,自分の名前を言って相手に投げる,相手の名前を言って相手に投げる,次の投げる人の名前を言って相手に投げる,を同時にやって,混乱し,笑い転げたが,この鍵は,アイコンタクトにある,と感じた。そういえ思い出したが,ボイストレーニングを受けた時,インストラクターは,腹式呼吸とかを教えず,相手の目を見て,その人に声を届けるようにと思って声を出す,ということを教わったことがある。アイコンタクトは,結構強力なのではないか。
ちょっと取り留めなくなってしまったが,「ノンバーバル・コミュニケーションをカウンセリングに活かす方法」の中で,意外に面白かったのは,無意味語会話だ。ただ,相手が,「むしむろへへのみみ」としゃべったら,相手の動作や表情を見ながら,こちらも,「ぎろぎろ,ははのげ,やまり」と返す。この時,両者の間で,起きているのは,言葉ではなく,気持ちや感情の交流だ。もし相手とのアイコンタクトがなく,互いの表情の交差がなければ,独り言を言い合っているだけだ。しかしそこで,表情と感情のシンクロが起きた。相手が大袈裟に身振りをすると,こちらの声のトーンも上がり,相手は,それに合わせて表情豊かに無意味語を返す。二人は,たぶん,心情的には同じ土俵にいて,同じ気分を共有できていたはずだ。
究極のセラピーで重要なのは,相手の中に起きていること,起きるはずなのに起きないことが,会話ではなく,身体から発せられているものから感じ取ることなのだろう。その先にはいろいろのアプローチがあるが,ブリーフセラピーでも,その見立ての部分は変わらないはずだ,という気がした。
最近身体を壊してから,以前に増して身体からの異常信号が増えてきた。「身体をもたなければ自分の本質は存在できない」という言葉が,身に染みる。
今日のアイデア;
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posted by Toshi at 10:49| トレーニング
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2012年11月20日
宇宙の中の第二の地球を探す~『もう一つの地球が見つかる日』について
タイトルにつられて,レイ・ジャヤワルダナの『もう一つの地球が見つかる日』を読み始めた。映画『アバター』をはじめ,SFでは地球外生命体,エイリアンや異星人の住む惑星は,定番になっている。しかし,本書は,プラネットハンターたちの栄光と悪戦苦闘を,描いている。著者は,「アースツイン(地球の双子)の発見もそう遠いことではない」という。すでに,太陽系外惑星の数は,750を超え,2012年中には1000の大台を超える,と言われている。
もちろん,「太陽系外に地球サイズの惑星を発見したり,あるいはその存在を単に想像するのと,生命の存在を発見するのとでは全く次元の異なる話」であるし,かりにバイオマーカー(生命の存在を示す兆候)を発見しても,「単純な細菌によるものなのか高等な宇宙生物によるものなのかは区別がつかない」にしても,「銀河系内で技術文明をもつのはわれわれ人間だけだと考えるのは,思い上がりではないにしても,ばかげているように思われる。銀河系内には2000億個もの恒星があり,惑星もいたるところに存在しているようだし,宇宙には,生命のもととなる物質が豊富にあるから」だ,と著者は言う。だが,「地球外生命体が存在する可能性を考えるのと,その証拠を摑むのは全く別の問題」だ」とも言う。
そのための営々とつづくプラネットハンターの探索の歴史があるからだろう。この探索は,「この世界は一つだけなのか」という問いから始まり,最初に,カントが,「惑星は若い太陽を取り巻いている希薄な粒子雲が合体して生まれた」と提唱し,太陽系の内側にある惑星が高密度なのは,,重い粒子が太陽のそばに集まったためだし,外側にある惑星が巨大になったのは,はるかに大量の物質を集めることができたからだと,論じた。その後さまざまな曲折をへて,「現在考えられている惑星誕生の過程の大筋は,初期のカントの考えに似ている」という。つまり,惑星はありふれた存在だということになる。
だとして,数ある惑星の中で,生命に適した惑星の条件は何なのか。
まずは適度な大きさ。誕生したときの質量の大きさが地球の10倍を超える惑星は,周囲に残っている円盤ガス(恒星の周囲のという意味)を大量に集めて,木星や土星のような巨大ガス惑星になる。その表面に,陸地に相当する個体部分がない。逆に,惑星の質量が小さすぎると,待機を保持できず,水があっても,蒸発してしまう。また気候の安定に必要なプレートの相互運動があることで,大気,海,地殻の間で二酸化炭素などの物質が循環する。プレート運動が生じるには,最低でも,地球の1/3の質量が必要で,火星はそれを下回っている。
第二は軌道がほぼ円形になっていること。円形軌道なら惑星は一年を通じて均一の熱を中心星(恒星,地球にとっての太陽)から受け取ることができる。細長い軌道では,極端な場合,寒暖の差が激しすぎる。
第三は,惑星がどこに位置しているか。「ふさわしい」恒星の近くに位置していることが不可欠の条件になる。どのような恒星が,ふさわしいのか。ひとつは,生命が誕生して進化するのに十分な期間にわたって存続できるように,恒星の寿命が長いこと。大質量だと数億年で燃焼してしまう。質量の小さい赤色矮星は数千億年と長い。太陽は,100億年なので,寿命としては,その中間にある。また惑星の属している恒星の近くにどんな天体があるかも,重要だ。近くに恒星が密集していれば,生命には危険になる。太陽は,銀河系の外縁にあるのが幸いしている。
第四は,水の存在。その意味では恒星に近すぎても遠すぎてもいけない。液体の水が存在するのに適した温度になっている範囲を,「ハビタブル・ゾーン」という。地球は,太陽のハビタブル・ゾーン内に位置しているが,金星は,ハビタブル・ゾーンよりも太陽に近いところにあり,火星は,かろうじてハビタブル・ゾーンにとどまっている。
第四は,二酸化炭素とメタンの存在。初期の地球では,太陽はいまの70%しか明るくなかった。したがって地表は0℃以下であったとされる。そこで水が存在したのは,二酸化炭素とメタンの温室効果による。それは,プレート運動によって,大気中の二酸化炭素と海洋と地殻中の炭酸塩との間での循環によって温室効果が機能してきた。
第五は,酸素とメタンの共存。酸素とメタンは互いに相手を分解してしまうので,化学的には共存できない。したがって共存している場合は,地表の生物によって,絶えず生み出されていることを示している。
こう見ると,惑星の数は無数としいうほどあるかもしれないが,意外と,地球という存在の条件は厳しいのかもしれない。いや踏み込むと,惑星が何千というオーダーであることはあるだろうが,その中で地球になれる条件は隘路なのではないか。素人考えだが,そんな気がする。別に地球の特殊性を強調する気はないが。たとえばねハビタブル・ゾーンにあっても,ちょっと条件が違えば,火星のように,地球になりそこなう。
かつて,宇宙は膨張している,ということを読んだ時,その膨張し続ける宇宙の外は何があるのか,この宇宙を支えている世界とは何なのか,と瞬間に疑問に思ったものだ。ビックバンからこの宇宙が始まったとする。では,その前は何なのか。それは時間と空間について,問いを出していることになる。時間は非可逆であるとされるが,膨張した後,再び収縮するとするなら,その後,またビックバンを繰り返すのか,素人ながら,宇宙を考えていると,わくわくする。これをスピリチュアルに考えようとする向きがあるが,それは宇宙という膨大な広がりを,矮小化しているとしか思えない。人間の不遜さの現れに,僕には見える。いまあるこの人の尺度で測れない世界を,そのまま受け止めるとすると,少なくとも,他の生命体が住む惑星が発見された時,その認識の突破口になるのではないか。
著者はこう断言する。
「どんな形にせよ,地球外生命-たとえそれが原始的な生命であっても-科学の世界を震撼させる劇的な出来事になるはずである。その影響の大きさに匹敵するものと言えば,地球を宇宙の中心から追い出したコペルニクスの太陽中心説,人間も含め,地球上すべての種は共通の祖先の末裔であるとしたダーウィンの進化論くらいしかないだろう。もし生命が二つの惑星でそれぞれ独自に誕生できるなら,地球外の1000,さらには100万の惑星でも誕生するとしていけない理由がどこにあると言うのだろう。地球だけが生命の生息する惑星ではないことがはっきりすれば,その影響は計り知れないほど大きく,科学におけるパラダイム・シフトの引き金になるだけでなく,宗教から芸術にいたる人間のさまざまな営みに大きな変革をもたらすことになるはずだ。そんな劇的な瞬間の訪れは,もはや遠い将来にやってくるかもしれない出来事ではない。今後10年以内とはいかなくても,われわれが生きているうちに『その時』を迎えることになるだろう。」
我々の生きているうちにその日が来る。それを楽しみにしたい。その時何が起きるのかが,目撃できるのだ。わくわくするではないか。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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