2012年11月11日

『希望のつくり方』について~希望と夢の間をゆく


玄田有史『希望のつくり方』(岩波新書)という本は,タイトルが「ちょっと」と感じさせるもので,面映ゆくて,外でカバーを付けたまま読むのがためらわれて,積読の憂き目にあっていた。それが,ふと昨日目に留まり,読み終えた。久しぶりに,頭の中が活性化し,脳内の広範囲が点滅しているのがわかる,どういうか,読みながら,いろいろなことを考えさせてくれた本だ。読んでみていただくしか,この興奮は伝えにくい。

村上龍は「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが,希望だけがない。」と小説の中で語らせている。データ的には,将来への希望を持っている人(20歳以上)は,78.3%,そのうち実現できると思っている人は,80.7%。つまり,63,2%の人が実現見通しのある希望をもっている,三人に一人が実現可能な希望を持てない社会,ということになる。

本書では,夢と希望の違い,幸福と夢の違い,安心と希望の違いを,しながら,希望をクローズアップしようとしている。その中で気になったのは,夢との違いだ。本書では,

夢は無意識に見るものであり,あるいは現状に満足しない,飽き足らない気持ちから次々生まれる。
希望は,意識的に見たり,苦しい状況だからこそ,あえて持とうとする。

こう区別している。しかし,キング牧師の有名な,「I have a dream」 というセリフがある。希望が,将来に実現したい「まだない存在」(エルンスト・ブロッホ)だとすれば,夢と希望の差は何なのか。本書には,上記しかないが,僕は仰角(高所にある対象物を見る観察者の視線と水平面のなす角度)の差だと感じた。遠くの何かを見ている時,それが水平線に近いか,大空の上か,夢は,仰角が大きい。中天にあれば,夢は憧れに近い。「夢をもったまま死んでいくのが,夢」。しかし仰角が水平面に近づけば近づくほど,現実性が高まる。希望と夢はある面重なっている。公民権運動の中にいたキング牧師には,叶う夢として,dreamという言葉を使ったのではないか。

著者は,希望の四本柱を次のように言っている。
ひとつは,ウイッシュ(wish),思い,願い。
二つ目は,何か,Something,将来こうなりたい,こうありたいという具体的な何か。
三つ目は,Come True,実現。
つまり,

Hope is a Wish for Something to Come True.

しかし,変化は変わるのを待つのではなく,変えるアクションなくては希望は中空の星にとどまる。で,

Hope is a Wish for Something to Come True by Action.

となる。しかし希望は個人の中だけにとどめるものなのか,共有できないものなのか。社会の未来への希望という視点から見た時,

Social Hope is a Wish for Something to Come True by Action with Others.

あるいは,

Social Hope is a Wish for Something to Come True by Action with Each Other.

となる。他の誰かと,共有する何かを一緒に行動して実現しようとする。「個人の希望は,『誰と一緒にやるか(with Others)』という要素を加えることによって,社会の希望となります。このとき他者(others)として,お互い(Each Other)に顔が見えて,一人ひとりの言葉を直接聞きあえる関係を築けるのが,地域の希望の特徴です。」

この本が労働経済学者が書いたという一番のポイントは,希望を共有するところまで視界を広げているところだろう。凡百の夢実現本の軽薄さとの違いがはっきり出ている。

「何が自分に本当は向いているかなど,すぐにわかるものではありません。それこそ,様々な希望や失望を繰り返しながら,一生をかけてみつけていくものです。」
ただ問題は,希望を単なる心の持ちようにしてはいけない,そういう問題意識が著者にはある。その人の置かれた社会や環境によって,希望の有無が左右されているとし,希望の有無を左右する背景を3つ挙げている。

第一は,可能性。選ぶことのできる範囲,もしくは実現できる確率。選択範囲が広かったり,実現確率が高い時,自分の可能性が大きいと感ずる。そういう人ほど,希望を持ちやすい。具体的には,年齢,収入,健康。

第二は,関係性。「希望は個人の内面だけに閉じた問題ではなく,その人を取り巻く社会のありようと深くかかわってい」て,希望があるかどうかも,社会における他者との関係による影響をまぬがれない。これが重要である背景には,「日本に急速に広まっている社会の孤独化現象」だという。その背景から,「人間関係を大事にしよう」「もっとコミュニケーションをうまくしましょう」という最近の風潮にちょっと批判的だ。「日々のコミュニケーションに疲れた人々をもっと追い込む」ことにつながる。「もっとうまく人と交わらなくてはいけないんだ。それができない自分には希望はないんだというプレッシャーがさらに強まる」と。賛成だ。コミュニケーションは大事だが,人生の中ではもっと大事なことがある。

第三は,物語,あるいはストーリー。「最初は希望がないと思い込んでいた人も,丹念に時間をかけて考えていくと,奥底から自分自身の希望に出会うことも多い」「希望を見つけるその過程で」出会うのが,物語だという。そこで思い出すのが,V.E.フランクルが言った,どんな人にも語りたい物語がある,だ。

希望の物語性についての第一の発見は,「希望の多くは失望に変わる。しかし希望の修正を重ねることで,やりがいにであえる」。「希望の多くは短観に実現しません。大事なのは,失望した後に,つらかった経験を踏まえて,次の新しい希望へと,柔軟に修正させていくことです。」統計にも,無やりがい経験の高さは,当初の希望を別の希望にへ得た人だったとう。
希望の物語性についての第二の発見は,「過去の挫折の意味を自分の言葉で語れるひとほど,未来の希望を語ることができる。」統計でも,挫折を経験し,何とか潜り抜けてきたひとほど,希望を持っている。
希望の物語性についての第三の発見は,「無駄」。「希望は,実現することも大切だけど,それ以上に,探し,出会うことにこそ,意味がある。」「希望とは探し続けるものであり,模索のプロセスそのものです。そしてみつけたはずの希望も,多くは失望に終わり,また新しい希望を求めた旅がはじまる。」
つまり「希望は,不安な未来へ立ち向かうため必要な物語です。希望のあるところには,なにがしかの物語が存在します。物語の主役は,必ず紆余曲折を経験します。挫折や失敗の一切ない物語は」ないのだ。「挫折を乗り越えるという体験があって,初めて未来を語る言葉に彩りは増します。」自分の中に自分を動かしていく,物語を持てるかどうか。もちろん未来はわからないが,「人生に無駄なものなどひとつもない。」その通りだ。悪戦苦闘して自分の希望を彫琢していく生き方でいいのだ。それこそが人生ではないか。きれいに語るものの側ではなく,汗みどろの側に物語がある。

希望だけを真正面から,学問として語るだけで,これだけの奥行きがある,つまりは人の生き方を語ることは,社会的人間としての人のつながり,社会のありようまで,視界を広げなくては語れない,その重層的な追及らまずは脱帽。久しぶりに,脳の広範囲が活性化する,読書の楽しみを味わった。

ちなみに,この本が出たのは,2010年なのに全然古さを感じない。釜石の例が出るが,新日鉄釜石の廃炉後の復興が,ちょうど震災からの復興ともダブり,いま読むことにも意味を感じた。



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm



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posted by Toshi at 10:30| Comment(316) | 書評 | 更新情報をチェックする