2012年12月02日
プロフェッショナル性について~異分野のプロフェッショナルから引き出す「気づき」と「学び」に参加して
自分は,どこまでもプロフェッショナルになりきれずにいる。それは,自分がやっていることを,迷わず邁進できる突進力のようなものに欠けているせいのように感じている。もちろん,はた目にはそう見えても,本人が悩み続けているだろうことは,宮本武蔵を見ていればわかる。天草の乱で,養子伊織のいる小笠原軍に陣借りして,原城の城の石垣を攀じ登り,落下する宮本武蔵は想像できない。しかし迷いの中にいた武蔵にとっては,この出陣は必然だったのだろう。
ずいぶん昔,プロフェッショナル性について,
世の中には,一流と二流がある。しかし,二流があれば,三流もある。三流があれば四流がある。しかし,それ以下はない。
と,書いたことがある(http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view03.htm)。そこで,こんな区分けをした。
① 「一流の人」とは,常に時代や社会の常識(当たり前とされていること)とは異なる発想で,先陣を切って新たな地平に飛び出し,自分なりの思い(問題意識)をテーマに徹底した追求をし,新しい分野やものを切り開き,カタチにしていく力のある人。しかも,自分のしているテーマ,仕事の(世の中的な)レベルと意味の重要性がわかっている。
② 「二流の人」とは,自らは新しいものを切り開く創造的力はないが,「新しいもの」を発見し,その新しさの意義を認める力は備えており,その新しさを現実化,具体化していくためのスキルには優れたものがある。したがって,二番手ながら,現実化のプロセスでは,一番手の問題点を改善していく創意工夫をもち,ある面では,創案者よりも現実化の難しさをよくわきまえている。だから,「二流の人」は,自分が二流であることを十分自覚した,謙虚さが,強みである。
③ 「三流の人」とは,それがもっている新しさを,「二流の人」の現実化の努力の後知り,それをまねて,使いこなしていく人である。「使いこなし」は,一種の習熟であるが,そのことを,単に「まね」(したこと)の自己化(換骨奪胎)にすぎないことを十分自覚できている人が「三流の人」である。その限りでは,自分の力量と才能のレベルを承知している人である。
④ 自分の仕事や成果がまねでしかないこと,しかもそれは既に誰かがどこかで試みた二番煎じ,三番煎じでしかないこと,しかもそのレベルは世の中的にはさほどのものではないことについての自覚がなく,あたかも,自分オリジナルであるかのごとく思い上がり,自惚れる人は,「四流以下の人」であり,世の中的には“夜郎自大”(自分の力量を知らず仲間内や小さな世界で大きな顔をしている)と呼ぶ。
せめて,自分は四流ではなく,三流程度ではいたいと,思っていたし,今もその思いに変わりはない。どうも自分のプロフェッショナルのキーワードは,オリジナリティ,マネや二番煎じを嫌う。それがプロフェッショナルとして最重要かどうかは,異論があるかもしれないが,そこに自分のプロとアマの境界をおいている。
先日の,「異分野のプロフェッショナルから引き出す「気づき」と「学び」 第1回-プロのバレエダンサーから学ぶもの-」(http://www.facebook.com/events/129979750486573/)に参加したのも,「プロ」という言葉に惹かれたからだった。
招待にはこうあった。
異分野からいかに「学び」を引き出すかというテーマで,ホスト役のわたし(=佐藤けんいち)が,「対話」をつうじて,ゲストの河合かや野さんから,みなさまの「気づき」と「学び」となるような話を引き出します。
河合かや野さんは,プロのダンサーとしてバレエの世界で長く活躍されてきた方です。現在は活動の中心を教育に置かれています。このキャリアをつうじて,「楽しみとしてのバレエ」,「プロのダンサーとしてのバレエ」,「教師としてのバレエ」という3つのフェーズをすべて体験されています。
ビジネスとは異なる専門分野であるバレエでキャリアを積まれてきた河合かや野さんから,「キャリア」や「プロフェッショナル」そして「目標設定と上達」といった観点から「対話」を行うことで,ビジネスとバレエとの共通点や相違点について明らかにしていきたいと思います。
プロらしい発想やモノの見方というのは,どこにあるか,ということに関心があって,それなりにメモをしたが,十分言っておられる意味がつかめないことも多かったのは,こちらの眼がプロではないからだろう。
僭越ながら,いくつかのキーワードから,プロフェッショナル性と関わると感じたことを拾ってみると,まずは,
① テクニック中心で,ミスを恐れる傾向が日本人には強い。というか,これは,江戸時代以降の国民性だろう。咎められる,批判される,ということにどうしても矢印が向き,「楽しむ」マインドが少ない。ただ,もっと突っ込むと,欧米的には,「正確である自分を楽しめる」性分らしいと感じた。
② 平田オリザの『わかりあえないことから』で触れたことと関係があるが,奥ゆかしい,遠慮がちであることと,自分自身をきちんと説明できることとは,別で,自分のポジション(立ち位置),自分のキャリアの流れと意味,自分のスキルについて,きちんと説明できる言葉をもっていることは結構重要だと思った。それをプレゼン力と呼ぶかアピール力と呼ぶかで,持っている価値の差を感じる。
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/2012-1124.html
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/2012-1125.html
③ ひとつのことを掘り下げて専門性を高めるというが,その専門性だけの単独井戸だと,貧弱になる気がする。これは佐藤けんいちさんの『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』とつながるのだろうが,底流のマグマとつながっていないと,井戸はやがて枯れる。マグマはその人自身のすべてなので,すぐれたプロを見ていると,凄く多様な自分を表現できている気がする。河合かや野さんの話で,象徴的なのは,「ロシアは軸足を変えない。ヨーロッパは軸足を変える」というのがあるが,実は両方できて,その上で,自分の得意を明確にするというのだろうが,自分もそうだが,最初から自分にやりやすいほうを選んでしまう。その瞬間,プロである自分の道を自分で閉ざすことになるよう気がする。
④ 自分のメンターというか自分の師匠を持ち続けていることが条件ではないか。セラピーでは自分のセラピーセッションをレビューしてくれるスーパーバイザーのいないセラピストはだめだというのを聞いたことがある。そこには,慢心ということもあるが,自分流の癖や偏りが,自分で気つげけることは少ない。その意味で,いつも自分立ち位置,立ち姿をレビューする機会と人があるかどうかが大きい。
⑤ いまひとつ重要と思ったのは,我を忘れて熱中した時期,フロー体験のようなものを持っているかどうかも,プロとして大事な自分のリソースの根源のような気がする。それが,ヒギナー時代なのか,表舞台デビューしたときなのか,プロとして自覚した時なのかは別にして,大事な体験のような気がする。それが「楽しみ」の源泉なのではないか。
⑥ プロは自分の,ヒトに語れる独自のノウハウをもっている気がする。野村監督しかり,羽生さんしかり。今回も,たとえば,独自のけがをしない練習法,あるいは,日本独特の,教室主体のバレリーナー育成システムで,すそ野を広げるために敷居を下げるよりも,ある程度集客を犠牲にしても,そこにモデルとなる,あるいは目指すべき目標となるトップランクの人が留まれるかどうかが大事だ,等々。
⑦ もう一つあえて付け足すと,どん底経験というのも必要かもしれない。しかしそんなものなくて,生まれてこの方成功体験しんないというひともいるので,これは負け惜しみなのかもしれないが。
こんなことをあらためて,いろいろ考えさせられた時間であった。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#プロフェッショナル
#河合かや野
#佐藤けんいち
2012年12月03日
虚実皮膜の隙間~花田清輝『鳥獣戯話』をめぐって
私のように武骨で,律儀だけが取り柄の男には,なかなか花田清輝のような,洒脱で,人を食ったようなアイロニー,あるいは意地の悪さといってもいいようなものにはついていけないところがある。ただ,記憶では,花田清輝が,自殺した田中英光のことを書いていた文章を読んだことがあり,その誠実さにひかれた覚えがある。
皮肉たっぷりの表現に,かつてすごく魅力を感じたものだ。たとえば,こうだ。
そもそもあの「風林火山」という甲州勢の軍旗にれいれいしくかかれていた孫子の言葉そのものが,孫子よりも,むしろ,猿のむれに暗示されて,採用されたのではなかろうかとわたしはおもう。「動かざること山のごとく,侵掠すること火のごとく,静かなること林のごとく,はやきことかぜのごとし。」-などというと,いかにも立派にきこえるが,つまるところ,それは,猿のむれのたたかいかたなのである。
猿知恵とは,猿のむれの知恵のことであって,むれからひきはなされた一匹もしくは数匹の猿たちのちえのことではない。檻のなかにいれられた猿たちを,いくら綿密に観察してみたところで,生きいきしたかれらの知恵にふれることのできないのは当然のことであり,観察者の知恵が猿知恵以下のばあいは,なおさらのことである。
なるほど,かれは,甲斐の国の統一にあたって,ほとんど連戦連勝の記録をのこしているが-しかし,それは,かれが勇敢だったからではなく,むしろ,卑怯だとみられることをおそれなかったからかもしれないのである。猿のむれの示すところによれば,戦場のかけひきとは,要するに,すすむべきときに,いっせいにすすみ,しりぞくべきときに,いっせいにしりぞくことを意味する。ところが,その当時の武士たちは,「ぬけがけの功名」が大好きであって,全体の作戦など眼中になく,ただ,もう,むれを離れて,おのれの勇敢さをひけらかす機会のみをうかがっている阿呆らしい連中ばかりだったから,ひとたまりもなく,すすむことともに,しりぞくことを知っていた信虎のために,ひとたまりもなく,一敗地にまみれ去ったのはあやしむにたりない。
武田の軍法を定めたが,わが子信玄によって追放され,京で足利義昭のお伽衆に加わり,無人斎道有として生きた,武田信虎を中心に設えながら,当時の信玄,信長を玩弄している。
たとえば,信長が,義昭のために二条城普請をするために,毎日石運びさせられているというので,こんな落書があった。「花より団子の京とぞなりけるに今日も石々あすもいしいし」。動員された近江の百姓の怨嗟の声を読み取り,婦人の面帕を上げて顔を見ようとして足軽を一刀のもとに首をはねた,というエピソードがある。それを桑田忠親氏が,「黙って首を刎ねるとは,凄い」と評したことに対して,「強すぎたる大将のふりをした,臆病なる大将のすがたをみるだけであって,すこしも凄いとはおもわない。」と言い切る。そして,こう付け加える。
もしも凄いという言葉が,非情ということを意味するなら,わたしには,それらの落書の作者であることを,ちゃんと承知していながら,平気で,無人斎道有を,おのれのお伽衆のなかへ加え,一緒になって信長の器量のちいささをせせら笑っていた将軍義昭のほうが,信長よりも,はるかに凄い性格の持ち主だったような気がしないこともない。
そして,こう皮肉るのである。
戦国時代をあつかう段になると,わたしには,歴史家ばかりではなく,作家まで,時代をみる眼が,不意に武士的になってしまうような気がするのであるが,まちがっているであろうか。時代の波にのった織田信長,豊臣秀吉,徳川家康といった武士たちよりも,時代の波にさからった-いや,さからうことさえできずに,波のまにまにただよいつづけた,三条西実隆,冷泉為和,山科言継といったような公家たちのほうが,もしかすると,はるかにわれわれに近い存在だったかもしれないのである。それとも延暦寺の焼き討ちを試み,一山の僧侶の首ことごとくはねてしまった信長のほうが,薬用のため庭でとらえて殺した一匹のむぐらもちをあわれみ,慙愧の念にたえないといって,わが身を責めている実隆によりも,われわれの共感をさそうものを,より多くもっているのであろうか。
この高角度で,細部までつぶさに焦点を当てた書き方を,野口武彦氏は,パンフォーカス(全焦点)というたとえをしているが,その時代のあらゆるところに焦点を当てて,信長どころか,信玄も,信虎をも,相対化していく書き方には,魅力を覚える。
しかも,うっかりその話法にのると,とんでもないことになる。
確かかどうか記憶が定かではないが,『甲陽軍鑑』『三河風土記』『犬筑波集』『弧猿随筆』『武田三代軍記』『甲斐国志』『言継卿記』『老人雑話』等々に交じって,『逍遥軒記』という偽書を混じりこませ,高名な評論家がころりとだまされた,というのをどこかで読んだ記憶があり,うかつに読むと,その術中にはまりかねない。しかしこういう高度なエンターテインメントこそが,知的な遊びに思えてしまう。これも術中にはまった結果か。
わたしは,信長が,徹底した合理主義者だったというような伝説をすこしも信じない。『醒睡笑』や『昨日は今日の物語』のなかに登場する信長は,たえず前兆のようなものを気にして,びくびくしている。
ただどうだろう。こういう相対化した話は,世には受けない。受けない話は伝搬せず,沈殿していく。それが惜しくて,ここにちょっと紹介してみた。へそ曲がりなので,世の中に受ける話には乗らない。今や時代遅れの(とは思わないからこそ),花田清輝をあえて紹介するのも,その性分から来ている。
昨今侍だの武士だのを吹聴する傾向がある。あえてへそ曲がり流にいうなら,侍はおのれを侍などとは言わない。なぜなら,そんなにことを言わなくても侍なのだから。わざわざおのれが侍だなどという必要はない。そう自らいわなければならないとしたら,侍ではないのだ。外目からも,生きざまからも。自分で侍などという手合いは,信じないことだ。ましてや,それをほめそやす輩からは,そっと離れるにしくはない。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#花田清輝
#信長
#信玄
#信虎
2012年12月04日
場ということについて~場が場になるとは
ただ相互にキャッチボールしているだけでは場が場として動き出さない。どんな瞬間なのか,と言われると,どうも場と一体になったり,場と距離を感じたりしながら,その場が目指しているものを,なんとなく感じ取って,それに沿っていく。あるいは場の方向を先取りしたり,導いたりする感覚のあることもある。
例えば,研修などで,あるいはワークショップという場で,そこにいる自分になじめない,その場になじめない自分から,やがてその場の中にいる自分を認め,その場にどうかかわるかを考え,さらに,その場を動かそう,あるいはその場の動きに寄与するようにかかわるようになり,やがて,一瞬だが,場の動きと一体になった感じがする。それを一人一人が体験していく中で,それぞれなりに,場の中での自分の居場所を見つけていく。
僕の中ではこんな感じです。自分がうまくかかわれなかったり,なんとなくはじき出された感じを持った時は,違和感が残ります。
清水博先生は,こんなことを言っていました。
「自己は二重構造をもっていることがわかります。一つは自己中心的に(自他分離的に)ものを見たり,決定をしたりしている自己(自己中心的自己),もう一つはその自己を場所の中に置いて,場所と自他分離しない状態で超越的に見ている自己(場所中心的自己)です。私はこの構造のことを,自己の二活動領域とか活動中心と呼んできました。即興劇では,場所中心的自己がドラマのシナリオをつくり,自己中心的自己がそのシナリオに沿った演技(自己表現)をしていくと考えられます。
わかりやすく言うと,自己中心的自己は場所の中に存在している個物(ストーリーの中で守護として表現されるさまざまな個物,名詞)を対象として,自他分離的に捉えたり,表現したりする働きをもつています。また場所中心的自己はその主語の場所の中における状況を述語するのです。その結果ドラマのシナリオの中では,自己の二活動領域が一緒に働いて,『個物的な主語について述語する』という形式が与えられるのです。」(『生命知としての場の論理』)
宮本武蔵の真剣勝負に臨むときの心構えが例に出されていますが,「相手を対象化して正確に捉える『見の目』と,場所の中に置いて超越的に捉える『観の目』をもって敵を見る」といいます。そこまでいかなくても,グループの中に入った時,似たようなことをしていることに気づきます。
それでまた思い出しましたが,C・オットー・シャーマー氏は,「グループが針の穴を抜ける」という言い方をしていました。その瞬間は,「いつでも時間の流れがゆるやかになり,周囲を取り巻く空間が開かれていくように思う。我々は自分たちの言葉やしぐさ,思考を通して微細な存在の力が輝くのを感じた。未来の存在が見守っていて,我々に注意を向けているようだった。」「グループや組織の関係者が,異なる場から見たり感じたりするようになるのは,この地点」なのだ,という。「未来の領域と直接つながり,その未来の領域が伝える(触発)するやり方で行動できるようになる。」これを,プレゼンシングという。未来の可能性からものを見,出現する未来から自己にかかわっていく動きのことだ,という。 (『U理論』)
そこでは,
まずグループのメンバー間に強いつながりが感じられる。
次に,人々の間に真の存在の力が感じられる。
このレベルのつながりを経験すると,いつまでも続く微細な深い絆ができる。
という。しかし,そのグループへ入るには,それなりの覚悟と手放す作業がいる。「そのたびに敷居を超える」感じだという。
「サークルへ入るときは,まるで死んでしまいそうな感じになります。だから,その感じに気づいたら受け入れることにしています。境界を超えるときは,死ぬときはこういう風に感じるに違いない,というような感覚です。」
「全員が境界を超えると,私たちの状態は変わり,集合的な存在を得ます。私たちは新しい存在,『サークルという生命体』の存在を得ます。私の経験では,境界を超えないことには『サークルという生命体』は経験できません。そのあと,その『サークルとしての生命体』は一個人としての私を超えます。もはや個人としての私はほとんど問題にならないのです。けれど,逆説的ですが,同時に個人としての私もはっきりしてくるのです。」
まさに,自己中心的自己と場所中心的自己が,その場で一体化している感じです。なかなかそういう機会をえられないのは,ひとつは,そこへ入る覚悟をする時に,自分が何か手放すことを拒んでいるためだし, その場でも,自分を場の中に立たせず,分離したままでいようとしていたせいではないか,と気づかせられます。
『場を保持する』ために,その場で必要なのは,場を保持するための,三つの聞く力だという。
第一は,無条件に立ち会うこと。
「立ち会うこと,つまりここで話している保持することの特質は,個人がサークルの源(ソース)と同一化することです。」
「一人ひとりの何かを見る目,感じる心,聴く耳が,もう個人のものではなくなるのです。ですから,予測を状況に重ねてみることはほとんどありません。生命がその瞬間に起こすことに対して自分たちを開くこと以外の意図はほとんどありません。ただ感受性があるだけで,何の企てやもくろみもありません。判断をせず,ありのままを祝福して受け入れる精神だけです。」
第二は,無条件の愛で水平に開くこと。
「部屋のエネルギーの焦点は頭から心臓のあたりに降りてきます。というのは,ふつうその入り口は誰かの心が本当に開いたときに,そしてもちろん領域の存在が感じとられたときに生じるからです。エネルギーの場は降りていくほかないのです。」
「個人的ではない愛には祝福があります。その愛は個人を超越しているということです。個人の人格は関係ありません。私たちは集団としてこの個人を超越した場のレベルを,ただ保持できているだけだと私は思っています。」
第三は,どこ注意を向けるか。
「私たちには真の自己を見るという合意があります。私たちの中の誰かがどんなことをしようと,ほかのひとはその人がしくじったとは考えません。そういう風には考えないと決めているのです。その行為の意図は本来の自己にあるのです。人のためにしてあげられるもっとも素晴らしいことの一つは,その人の本来の自己を見つめることです。私がそれを見ることを通して,その人はもっとも自分自身を生きられるようになる。」
そのとき,「私は大きな人物になったようなに感じます。私自身の存在が充実していく感じがします。」と。
これはあるいはコーチングという場の目指すもののような気がします。そういう場で,「たくさんのことが見えるようになり,もっと多くの自分を経験する」のであり,その場でなければ出会えない,何かがある,というような。
そういえば,そういった場の中の自己なしには,人間は存在しえない,社会的な存在であり,場所的状況を切り離して,自分を語るのは,「自己言及の病理」と清水先生は言っておられました。
僕はどんな場所も自分の居場所ではないという感じを持ち続けていますが,それは,自分が自己完結した自己中心的自己を手放せないせいなのかもしれない,と感じます。病理的かどうかは別として,そういう場に,まだ出会えていないのかもしれない,そう思うことにしています。しかし場は出会うもの,待つものではなく,つくるものであり,つくるのにかかわるものだということを,自分が置き去りにしている,ということにも気づかされています。
参考文献;
清水博『生命知としての場の論理』(中公新書)
C・オットー・シャーマー『U理論』(英知出版)
今日のアイデア;
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#清水博
#U理論
#C・オットー・シャーマー
#コーチング
#宮本武蔵
2012年12月05日
死の体験について~俯瞰する視点
本当かウソかは知らないが,人が死ぬとき,身体から離脱して魂だけが,その部屋を俯瞰する位置にいて,死にかけている自分を眺め,その周りにいる家族や知人をながめるのだと,聞いたことがある。
まあ,そんな経験はしたことはないが,三度死にかけた。
一度はたぶん多治見で,幼稚園の時,自分の記憶では,友達とふざけながら,石段を下りてきて,振り向いてか,後ろ向きに降りたか,下のところでダンプに引きずり込まれた,と覚えていた。自分で記憶していたか,母からそういわれたかはともかく,長くそう信じていた。
ところが,母が亡くなった後,その幼稚園の園長さんから葉書が来て(ということは,母はずっと交信していたということだが),「タクシーにひかれた」とあった。たぶん,若いころ,園児が交通事故にあうという,結構ショッキングな事件で,はっきり記憶に残っておられたのだろう,母の死を知って,いただいた葉書にその件がかいてあった。記憶は,園長先生の記憶が正しいのか,母の記憶なのか,自分の記憶なのかは別にして,ダンプとタクシーではずいぶん違う。確かに,車の真下の,道路に横たわって,車の底を見上げていたという記憶もあるような気がする。しかしそこで見ていたのが,ダンプかタクシーかまでははっきりしない。
幸い,軽症で,というか脚はヒビが入った程度であったが,目じりと額には大きな傷跡がいまも残っている。そのせいでずいぶん頭が悪くなっている,本当はもっといい頭になるはずだったと勝手に思い込んでいる。
二度目は,確か,小学校の4年か5年か6年,そのあたり,たぶん4年生のころ。高山にいたのがそのころで,確か北山といったと思うが,その方向の谷川で,真夏になると泳ぎに行っていた。記憶ははっきりしていないが,誰かと一緒に行ったはずだ。で,そこで,まだ平泳ぎもまともにできない頃で,足が届いているところを,時々足先で,川底を確かめながら,立ち泳ぎのようにして,そろそろと泳いでいて,不意に足先から川底の感触が消え,それでばたばたとあわてたのか (でないと誰も気づかないし,気づかないと誰も助けてくれなかったはず) ,しかし泳げない悲しさ,どんどん流されて,気づいたら,川底に沈んでいくところだった。その時,幻か,幻想か,本当に見たのかわからないが,川の水を通して,真っ青な空が見え,白い雲が浮かんでいるのも見えた。丁度厚い牛乳瓶の底から見たような感じであった。それはほんの一瞬だった気がするのだが,ずいぶん長い間,川底に横たわって,青空を見上げていたように記憶している。
助けられた記憶ははっきりしていない。たぶん泳ぎの達者な上級生が助けてくれたのだろう。腕を抱えあげられて引き上げられたのだろうが,そこはおぼろにしか覚えていない。ただ,川岸の岩の上で,腹這いになって,冷えた腹を温めていた記憶が残っている。礼を言ったのか,何人が助けてくれたのかも覚えていない。仲間の上級生だったのかもしれない。その後,そのことが話題になったことも覚えていないので,仲間内では,日常茶飯だったのかもしれない。
しかし,よく「溺れかかるとうまくなる」と,言うように,その経験で確かに泳げるようになった。
三度目は,ちょっと恥ずかしいが,大学生の時,失恋して,ちょっと死にたくなった。本気で死ぬ気だったかどうかはわからないが,死のうとしたことだけは覚えている。しかしたいしたことにもならず(というかまだ死にたくなかったのだろう,あっちへは行かず,現へ戻ってきた),誰にも知られず,コトは未遂ということで終わった。トホホな経験だ。
この程度の死の体験だが,残念ながら,臨死体験はない。身体から離脱した経験もないし,自分を真上から見下ろしている経験もない。しかしこの視点を人工的に設える工夫を,神田橋條治先生が書いている。
「面接している自分は,今ここに居て,患者の話に聴き入り,うなずいたりしている。ところが,その意識の一部,主として観察する自己が,一種の離魂現象を起こして空中にまいあがり,面接室の天井近く,自分の斜め上方から見下ろしている」
こうイメージしろ,と言っている。そして,「馴れるにしたがって,長時間そのイメージを保つことができるようになり,ついで,空中の眼という意識が,次第に薄くなりながら広がってくる。そしてついには,面接している自分にまで届いて,両者が融合してしまうことがある。そのときおそらく,『関与しながらの面接』が成就した」という。
これは,清水博先生が,『生命知としての場の論理』で,宮本武蔵の『兵法三十五箇条』にある,真剣勝負に臨むときの心構えを例に出されているが,「相手を対象化して正確に捉える『見の目』と,場所の中に置いて超越的に捉える『観の目』をもって敵を見る」という,その感覚とよく似ている。
そしてこれは,CTIでいう,傾聴のレベルが,レベル1(自分の考えや意見,感情,身体感覚に意識が向く状態),レベル2(すべての注意がクライアントに向けられている状態),レベル3(一つコトに意識を向けるのではなく,自分の周りにあらゆる物事に対して意識の焦点を傾けている状態)にあるとするが,丁度レベル3と似ていると言えるだろう。
ところで,幽体離脱には脳に根拠があるらしいのだ。ブランケ博士は,右側頭頂葉の「角回」を刺激すると,被験者の意識は,2メートルほど舞い上がり,天井付近からベッドに寝ている自分が見える,のだという。幽体離脱は健康な人でも,30%ほどが経験する,と言われているそうだが,実は,これは日常生活でも,結構経験するそうだ。
たとえば,有能なサッカー選手には,プレイ中に上空からフィールドが見え,有効なパスのルートが読める,といわれている。こうした俯瞰力は,宮本武蔵の例と似ている。それは,自己を客観的に評価するために,自分を他者の視点で見る,ということが必要とされているが,そのための脳の回路は,備わっているのではないか,池谷裕二先生はそう言っている。神田橋先生が,トレーニングでそれができたというのは,その回路をオープンにし,仕えるように強化したということなのではないか。
では自分にもできるのか???
参考文献;
清水博『生命知としての場の論理』(中公新書)
神田橋條治『精神科診断面接のコツ』(岩崎学術出版社)
池谷裕二『脳には妙なクセがある』(扶桑社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#清水博
#神田橋條治
#死の体験
#池谷裕二
#宮本武蔵
#幽体離脱
#見の目
#レベル3
2012年12月08日
仕事をするということについて~組織人としての仕事の仕方を振り返って思うこと
もう独立して20年以上になり,組織で働いた期間より,はるかに長くなった。長くなったことで,その当時気づけなかったことに気づけるようになった。
別に正しいとは思わないが,こういう自己認識を持っていれば,たぶん独立してもうまくいくような気がしている。わかっている人にとってはばかばかしい常識かもしれないし,できる人にはたわごとかもしれない。またこういう言い方は,聞きようでは,上から目線なのかもしれないが(それが一番嫌なので),率直にいま思っていることなので,さらりと読み流してもらえればうれしい。
第一は,抱え込まない。自己完結した仕事をしないということだ。多くの場合,気づかずに,おれが何とかしなくては,と抱え込んでいるケースが目立つ。当たり前のことだが,仕事はチームでする。チームのタッグを組んでいることを忘れるくらい,人はたこつぼに入って仕事をしている。この状態を抱え込みというが,抱え込んでいることの最大の問題は,それが本人が抱え込んではならない,あるいは抱え込んでもどうにもならないレベルの問題なのかもしれないのに,本人が抱え込んでいるために,周りに見えないことだ。
チームの原則は,言うまでもなく,目的の共有化,役割分担,コミュニケーションだが,お題目のようにそんなことを言っていればいいというわけではない。チームとして機能するには,では,具体的には,それはどうなっていることなのか。たとえば,
①目的を共有するという。では,どうなったら共有したことになるのか,ただお題目のように目的を復唱することではない。それぞれの日々の仕事ひとつひとつが,チームの仕事につながっていることを,そのチームの仕事が上位部署の仕事につながっていることを,ひとりひとりが,ひとつひとつの仕事で了解できていることだ。そのためのコミュニケーションをリーダーがしたのかどうか。
②役割分担とは,どうなったら役割分担していることになるのか。単に自分の担当に責任をもつことなのか,それだけではない。自分の担当業務を介して,自分が解決できない事案にぶつかったとき,それを自分でかかえず,上司やチームに投げかけられることだ。チームで仕事をし,そのための自分の役割がわかっているとは,自分の役割を超えた案件で,自分がやるべきことなのか,チームでやるべきことなのか,チームを超えた部署や組織でやるべきことなのかが見極められることでなくてはならない。そのためには,日々上司やチームメンバーとの間で,お互いの仕事について,率直にコミュニケーションをとれる土俵ができていなければ,「それはうちの仕事ではない」「どうせ言ったって仕方ない」「どうせどうにもなるまい」ですましてしまうことになる。
③コミュニケーションがとれているとは,どうなっていたらコミュニケーションがとれていることなのか。コミュニケーションが必要なのは,役割を割り振って,あとは蛸壺にはいってひとりひとりが背負い込んで黙々と仕事をする職場にしないためだ。そういう職場は,チームになっていない。仮にチームの目指すものをどう分担するかがわかっていたとしても,チームではない。チームで仕事をするとは,一人で仕事を抱え込まず,他人にも仕事をかかえこまさない仕事の仕方のことだ。そこではどんな仕事も,自分一人でやっているのではないという了解がとれている,些細な問題もチームに上げ,チームで解決すべきことはチームで解決しようとし,上位部署もまきこんで解決すべきことは上司を介してより上位にあげていく。そのときもし自分のやるべきことをチームにあげたとすれば,「それは君の仕事だ」と,本人につき返すことができるチームだ。そういうコミュニケーションがとれていてはじめて,チームの要件としてのコミュニケーションがとれているといえるのである。
第二は,いま現場で起きていることは,いま現場で,そのことに携わっている人間にしかわからない。しかし,現場の人間にも,そのおきている意味はつかめていないかもしれない。そのためにこそ,報連相がある。報連相は,問題状況を共有するためにする。それができていなければ,あるいはそれができない状況であれば,現場のことがつかめぬまま,指示することになる。あるいは抱え込むほかはなくなる。
第三は,何をするために自分がそこにいるのかの答えを自分なりに見つけておくこと。それを自分の仕事に旗を立てるという。それは自分の仕事の意味づけであり,自分の意味づけであり,チームの意味づけでもある。
それを簡便に分解してみたのは,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0653.htm
である。
旗をたてるとは,自分自身の意味づけ,自分の仕事の意味づけ,自分のチームの意味づけを考えることであり,それが,チームとの関わり,上司との関わり,他のチームとの関わり,組織全体とのかかわりを考え,自分の役割を主体的に考えることになる。それが,旗を立てることの効果になる。たとえば,目的や目標を共有化するということは,自分の立場,役割としてそれをどういう形で受け止めていくかを考えることになる。それが,自分の旗を上司の旗とリンクさせ,組織の旗とつなげていくことになる。
大事なことは,自分や自分のチームの目標ではなく,その目標を達成することで,自分や自分のチームの所属する上位チームの目標(自分の目標にとっては目的)にどういう形でリンクしているのかを意識することである。それが自分の目標の意味づけであり,仕事の意味づけとなる。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view80.htm
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view56.htm
そして組織成員全員が,自分の旗を持つということは,旗の連なりを見れば,組織の方向性と,そのためにそれぞれ果たしている意味が見えてくる,そんな夢のような妄想を,最近いつも描いている。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#やる気
#チームの要因
#自分の居場所
#メンバーシップ
#旗を立てる
#チームワーク
2012年12月09日
企と画の微妙な関係~企画する力について
企画の「企」の字は,「人」と「止」と分解されます。「止」は,踵を意味し,「企」は,「足をつま先立て,遠くを望む」の意味とされます。いわば「くわだて」です。「画」は,はかりごと,あるいは「うまくいくよう前もってたくらむ」の意味です。いってみれば,プランニングです。企画とは,「現状より少し先の完成状態」を実現するためのプランを立てることになります。この「現状より少し先の完成状態」が,いわば企画で実現したい理想やアイデアといわれるものに当たるでしょう。
ここから大事なことがふたつ言えます。
①アイデアだけでは企画にはならない,それをどうすれば実現できるかの具体策,つまり「画」を伴ってはじめて企画になる,ということです。
②現にいま起きている,何をすべきかが明確なことは,企画の対象ではなく,いますぐ対応のアクションをとるべき事柄だ,ということです。いま起きていることは,企画の対象ではないとは,こういうことです。たとえば,いま窓ガラスが割れたとします。すると,誰なら,いつまでに,いくらでやるか,とすぐに動き出します。割れたガラスを見ながら,このガラスを修繕するためにどういう企画をたてるかなどと考える人はいません。「何をすべきか」がわかっているとはこういうことです。しかし,このときの対応にはわかれるはずです。
第1は,その当該の問題を解決するだけで,「よかった,よかった」と終えてしまうタイプ。次にガラスが割れるまで,何も考えないでしょう。ここからは,発生する問題の処理に追われるだけで,企画は生まれません。
第2は,「何で,こう簡単に割れてしまったのか。確か2ヵ月前にも割れた」と考え,「割れにくいガラスにするにはどうしたらいいか」,「割れる前にその前兆をわかるようにするにはどうしたらいいか」「割れても罅ですむようなものにするにはどうしたらいいか」等々と考え始めるタイプ。このとき,企画の端緒にたっています。ただ,それが自分の裁量でできることなら,企画をたてるまでもなく,すぐに自分が着手すればいいことです。もし自分の裁量を超えているなら,相手が上司かお客さんかは別として,その人を動かすために,あるいは説得するために,企画が必要になります。時間もコストも,相手に権限があるからです。その人に動いてもいいと思わすためには,説得できるだけの意味と成果が示せなくてはなりません。これが,現実に企画というものを必要とする一瞬です。ここでいうのは企画書ではなく企画です。口頭で説明するだけでも,相手を動かせるからです。
そうすると,相手からみた場合,企画には,次の3点が不可欠となるはずです。
①何のためにそれを解決(実現)しようとしているのか。企画は目的ではない。何のためにそれをたてようとしているか,それを実現することにどんな意味があるのか。意味のないことに手を貸す人はいないのです。
②企画にどんな新しさがあるのか。わざわざ金と手間をかけてやる以上,いままでさんざんやったことではいみがない。何か新しいこと,何か新しい切り口が必要だ。それは,やることの意味にも通ずることでしょう。
③企画を実現するプランは具体化されているか。どんなリソースを使って,どういう手順で,いつまでに達成できるのか,実現するためのシナリオは明確か。「画」がなければ企画ではないのです。「画」は,「それは無理だ」への,企画するものの説得材料なのです。「画」がなければ,単なる思いつきにすぎないのです。
しかし企画力と企画を立てる力とはイコールでしょうか。確かに②と③は企画を立てる力といえるでしょう。解決プランニング力である。けれども「これを何とかすべきだ」「こういうことを実現したい」と感じなければ,そもそも企画はスタートしないのではないでしょうか。それが①の背景にあるものになるはずです。これを問題意識と呼ぶとしましょう。
このままでいいのか,何とかならないか,という思いである。この強さは,明確な目標(こうしたいという期待値)と目的(それをするのは何のためか)が明確であることと比例する。だからこそ,この思いを企画にする必要がある,企画にすべきだ,と感じる。これは,問う力といっていいはずです。これこそが多分企画力でしょう。
こう考えると,企画力は特別なスキルではないのではないかという気がします。仕事をするとき,常にいまのままでいいのか,どうしたらより新たなものにしていくか,を考えていく姿勢が求められています。その問題意識が自分の裁量内でできることなら,やるかやらないかが問題となります。しかしそれが裁量を超えたとき,その問題意識を実現するために企画が必要になる。周囲を巻き込まなくては実現できないからです。これは別の言葉で言うと,リーダーシップの問題でもあるはずです。リーダーシップとは,己の裁量を超えたとき,そのおのれの仕事への思いを実現しようとするために,周囲を,上位を巻き込もうとするスキルである。そのとき,企画は,おのれの思いを明示する旗となります。この旗がなくては,リーダーシップが自分のものになりません。これを実現するために,人を巻き込むのであって,旗なしのリーダーシップは,単なる役割行動に過ぎません。
企画の「企」は,「人」と「止」であり,人が爪先立って遠くを見ることだという意味は,企画力とは,仕事をするものにとって,その仕事にどれだけ未来を見ているかを測る基準でもあるということです。実は企画を立てる力は,それを実現するための手段スキルに過ぎないのです。
ところで,問う力は,近似の言葉に置き換えるとクリティカル・シンキングに該当します。問う力を考えるとき,『知覚と発見』(N・R・ハンソン,紀伊國屋書店)を挙げないわけにはいきません。新科学哲学派のクーンと並ぶハンソンの遺稿ですが,問う力とは何かを考えるための必読書であると信じて疑いません。とりわけ,上巻は,何が当たり前として見逃させるのか,どう先入観を崩すか,ものの見方を変えにくくさせるのは何か,等々が丹念に分析されているのです。
清水博さんは,「創造の始まりは自己が解くべき問題を自己が発見すること」と言っていますが,それは,「これまで(自分のいる場所で)その見方をすることに大きな意義があることに誰も気づいていなかったところに,初めて意義を発見すること」といっています。まさに,だから新しく,だからそれを解決することに意味があるのだということになるはずです。
参考文献;
N・R・ハンソン『知覚と発見』(紀伊國屋書店)
清水博『生命知としての場の論理』(中公新書)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#企画力
#企画
#問う力
#清水博
#N・R・ハンソン
#リーダーシップ
#旗
2012年12月10日
何でも見えるカタチに置き換える効果~高田天朗さんの「ドラマdeコーチング」に参加して
先日,JCAK神奈川チャプターで実施された,「ドラマdeコーチング~なりきりワーク編~」に参加させていただいた。高校一年のとき演劇クラブに参加して,初舞台でしくじって以来,ドラマや芝居にはちょっとしたトラウマがあるが,やはりどこか心惹かれるものがあり,高田さんのワークショップには,これまで二度チャンスを逃して,やっと参加することができた。
案内には,こうあった。
なりきりワークは,演技メソッド,コーチング,カウンセリングを駆使した人生のリハーサルです。
なりきる事で,自分の箱から脱出し,たくさんの視点とあらゆる可能性を手に入れることができます。
なりきりワークで手に入れられる5つのメリット。
・自分を解放する喜びが得られる
・自分を知る手がかりが手に入る
・自己肯定感の増強
・コーチとしての感性が磨かれる
・なりきる力が手に入り,人生にやる気が起きてくる
人生がドラマというよりは,人生という舞台そのもので自分が主役を演ずるということについては,ずいぶん前に,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/cat_376026-1.html
で触れた。その意味で,人は演ずるということに,てれはあっても,不慣れではないという気はあった。だからよけい関心があった。
ところで,もうひとつ,最近強く意識していることは,言葉にする,ということだ。口に出さないことは,伝わらない。これが自分の原則で,考えてみると,言語にしてみる,口に出してみる,ということは結構重要だと感じることが多い。
コーチングで言うオートクラインもそうだが,われわれの内面では,言語のスピードの20~30倍のスピードで思いや妄想や感情が流れているといわれている。それを言葉に置き換えて口に出そうとする。その瞬間の操作も重要だが,一旦口に出た言葉を,われわれは情報として聞く。そこで気づきや確認が起きるが,言語化する一つの意味は,そこにある。
もうひとつは,ヴィトゲンシュタインが,「人は持っている言葉によって,見えている世界が違う」といったと記憶している。われわれは言葉で発想し,言葉でものを見る。パワハラという言葉を知らなければ,上司が部下を叱っていても,ハラスメントとは思わなかったはずで,われわれは知っている言葉でものを見,ものを認識している。しかしその言語に置き換えてみて,初めて,自分の中で,そこに見える光景があるかもしれないし,それとは違うニュアンス,微妙な違いを意識して,別の表現に置き換えようとするかもしれない。その脳の活性化が起きるためには,ともかく言語化しなくてはならない。
こんなことを意識していた。ドラマについても,コトバ化のもたらす光景を強く意識していた。
実際にやった結果はちょっと違う印象を持った。ただ,いくつものワークをやり,一つ一つの狙いまではきちんと記憶していないので,覚えている範囲で,あるいは順序が違ったり,大事なものが抜けたりしているかもしれないが,自分なりに振り返って,自分の得たものを整理しておきたい。
まずひとつは,なりきりワーク。あるシチュエーションでの人物,例えばこのときは,借金をしようとする男と,貸してくれと頼まれている人物という設定でやった(これは,恋を告白している男とそれを聞いている人物等々いくらでも他のバリエーションが可能だ)。それになりきり,借金を頼む場面をやり取りし,一旦時間を止めて,その瞬間の頼まくれている人物と頼んでいる男の内心の声も,別の人がその背後で声に出して表現し,さらには,貸してくれと言っている男自身が,自分の座っていた空の椅子に向かって,本人が励ます,といったワークをやった。
ここの眼目は,誰が主役かどうかは別に,客観的な場面と同時に,内面の思いや気持ちを言語として,あるいは代役として人をそこに立たせて語らせる,しかしも自分自身も自分と対話する,というように,単純な二者関係を,心の会話,本人の対話と複線化することで,どこに自分を置いても,自分を客観的に,対象化できるというところにあるように思う。
もともとドラマ自体が,今の普通の生活を,少し強調したり,ピンポイントに焦点を合わせたりして,客観的に見させている部分がある。それを使っていると言えば言えるのかもしれないが,人の関係図,心の構図,裏面の心理関係図を,一つ一つ紐解くように,立体化することで,確かに見えてくるものがあるような気がする。
TA(交流分析)で,両者の対話を,それぞれのP(Parentな自我状態),A(Adultな自我状態),C(Childな自我状態)とどうかかわっているか,を相互交流,相補交流,交叉的交流,平行交流,裏面的交流等々で分析しているが,これも,人で,現実に体現させて,親的人,大人の人,子供な人で,具現化して,それぞれの言葉をしゃべらせてみたら,きっとその交流の面白さが出てくる気がした。
このワークで,両者の動きを止めて,どう動かしたいかを決めさせる場面があった。これと似た経験は,システムコーチングで,家族やチームの人的関係を,人を立たせて,自分との距離や向きをきめ,それをどう動かしたいかを考えさせ,実際にそれぞれの位置関係を動かすというワークに参加したことがある。その位置関係を変えただけで,その課題を提出した人には,大きな気づきがあった。ただ,今回は,自分の課題ではなく,つくったシチュエーションであったために,例えば,借り手役をやった人に内面の動きが起きたわけではないが,構図を具体的に動かすことで,事態が動き,解決したい方向が見える気がした。
続いて,タイトルは忘れたが,自分の中の障害を外在化する,というワーク(タイトルと狙いは違うかもしれないし,他のものと混同があるかもしれない)をやった。確か富山へ旅行したいと思っているが,その障害として,冬の天候,飛行機,宿,家族というものを,自分の前に並べ,その背後に,確かすでに現地へ行っている自分を置いていたと思う。面白いのは,心の中の障害を,人に体現させて,一つ一つ対話しながら,説得したりされたりするうちに,自分の中で何かが解けていく感じがあった。クリアした障害は,本人の後ろ盾となって,励ます役をやるが,まさにサポートするリソースという感じだし,将来の自分(ゴールイメージ)も,手を貸す。
この辺りは,CTPのコーチングフローを,具体像で展開しているのに近い。あるいはブリーフセラピーやナラティブセラピーで,問題の外在化と言って,問題に名づけして,たとえば,なまけ虫というように,名付けて,それを本人も含めた家族と一緒に何とかしようとする。病気を本人と一体化させず,症状や病気を外にある何か悪者にして,それと戦う。それを思い出させる。
ただ,頭の中のイメージで想定すると,その障害が等身大より大きくなったり,小さく錯覚したりする。これを,現実の障害の大きさに合わせて,大きな人,難しい人を使って具体的に体現させていく。実際には,途中でそれがどんどん変わっていくので,そのつどそれにあった人に変えていく。たとえば,小さくなったら小さな人に変ええていくということで,一瞬一瞬のクリアの変化に対応させられたら,ゲーム感覚で面白いかもしれない(とすれば,何も人でなくても,アニメでもCGでもできる?)。
さらにやったのは,自分が舞台に立とうとする迷いを,ひとりで歩いて考えている場面で実現しようとしたところ。ここは,いきなり,街をつくる,ということで,カップルだの他の通行人が設定され,その中を,本人役の人が歩いて考えている場面をつくる。それに,不安,恐れ,迷い等々といった心の中の思いや気持ちを,具体的に人で体現させ,自分役の人の周りに配置させる。
その上でさらに,「追加したいものは」と問われて,確か希望といったと思うが,それを,自分を前から手を引く形に配置した。さらに「いらないものは」と問われて,順次,恐れや不安を除いたところで,本人自身が,本人役に代わって,その立ち位置に立つことになった。その瞬間の,笑顔がいい。本人の振り返りの言葉,「いらない思いは取り除ける」とは,けだし名言。
これは,一人でもできるかもしれない。例えば,フィギュアを使ってもいいし,紙人形を使っても言い,自分を押しとどめる思いや不安を,すべて洗い出して,自分の周りに配置する。そして,いらないものを取り除き,自分にふさわしい思いに取り囲まれれば,それ自体元気になるに決まっている。
確か最後は,これだけタイトルを覚えているが,マジックショップだった。課題を持っている人が,ここでは,セミナーをやりたいということだったが,その講師育成セミナーでの場面を再現し,そこで審査員,参加者を配置し,本人に,冒頭のトークをし,審査員席と立ち位置を変えてみてもらって,気づいたことを言ってもらったが,ここはこれまでのなりきりと同じ。
このワークの目玉は,その人に一つだけ質問し(本人は答えない),その反応を見ながら,一つ商品を提供するというところ。たとえば,10分大声の出せる薬,持てばすべてが叶う夢の箱等々とか,売り手が質問したことから思いついた夢の商品を売り込む。本人がその中から一つ手に入れて(確かこのときは10分持つジョークの薬とかなんとかいうものだった),それを手にして,次に講師役をやると,別に何かが具体的に変わったとは見えないのに,どういうことなのか,その場で受けたジョーク(コメの新米と新人の新米を掛けたダジャレ)を交えて,前とはうって変ったトークをしていた。
その豹変も面白いが,「もらっただけではなく,大事なものを手放して,お返ししなくてはならない」ということで,今度は,自分が「鎧」を手放す,という話になったと思う。このあたり細かいやり取りと手順を忘れているのだが,質問をしてくださいというので,どなたかが「代わりに何を着ます」というような趣旨の質問をされたと思うが,その答えが,「熊のぬいぐるみ」であった。
そこから,(またちょっと記憶があいまいだが)それがなりたい自分とすると,鎧を着ているいまの自分から,そこまでを,代役の人を実際に並べて,クライアント役の人は,ゴールを見ながら,順次一人ずつにポーズを取らせていく。確か5人位が並んだと思うが,その中で,今の自分がちょっと胸をそらした格好から,次は脚を開いて,で真ん中あたりで,手を挙げる格好を取らせたところから,少し変化が始まり,最後は,両手を挙げる熊のぬいぐるみまでの,少しずつ変化していく流れを設定し,最後に,それぞれにセリフをつけて,各格好ごとに声を出させていった。
このプロセスで,自分の変化をわずかな時間に経験したクライアント役の人は,何か大きなヒントをつかんだ気がする。シンボル的ではあっても,少しずつ具体的に変化する姿を,一コマ漫画みたいに,目の当たりに作り出すことで,それは,確実に変われるステップが見えたのではないか,という気がしている。
人はメンタルモデルを頭の中で描き,ぐるぐる回して見せることもできる。視点を変えて実際にその位置に立って見えるものを想像することもできる。しかし,それは所詮頭の中だけのことだ。実際に,人を立たせ,それを外から俯瞰し,しかも,その身体表現や肉声を聞くことで,体感覚で受け止めるものが大きい。クライアント役の方が,「自分は体感覚なのだと気づいた」と言われたが,眠っていた,あるいは押し込まれていた体感覚が蘇ったというのが正しそうだ。
われわれは,本来立体のものを二次元に置き換えて頭に入れている。そこには無理があるのかもしれない。立体印刷もあり,3D,4Dも技術的に可能になった今,ひょっとすると,ドラマdeコーチングは,イマジネーションの世界ではなく,リアルにできるのかもしれない。
ただ,それを一人で自己完結させてやるのは,自分で制約をつけてしまうので,あまり意味はないような気がする。やはり,てれながら,汗をかきながら,人の眼を借り,人の手を借りてやっていくところに,自分への効果が出てくる気がする。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#ドラマ
#なりきりワーク
#高田天朗
2012年12月11日
脳の活性化と発想の活発化について~「脳の活性化とコーチングの可能性 」に参加して
先日,神奈川チャプターのビジネスコーチング部会で行われた,東田 ひとりさんの「脳の活性化とコーチングの可能性 -クライアンの可能性を信じる-」に参加しました。正直,記憶力には興味がなくて,無駄な労力はメモでカバーすれば十分と思っていたのだが,脳の活性化に惹かれて参加しました。
ひとりさん(と,すいません,勝手にこう呼ばせていただきます)の,案内のあいさつにこうあった。
今回のテーマは「脳の活性化とコーチングの可能性」です。私達コーチは「クライアントの中にある可能性を信じる」と言う事を大前提にしてコーチングをしていますが果たしてどこまで本気でとことん信じているでしょうか。
人の可能性を真に信じ切るためには、自分自身の可能性をとことん信じ切ることができること、これが必要だと思います。「自分には到底無理だ」と思っていた事ができた時、「あれ?自分にはまだまだ、ものすごい事ができる能力が残っているのでは?」と思えるようになります例えば20個~160個の単語がスラスラ覚えられる。
・何人もの人の名前と顔がサクサク頭に入る。
・大勢の人の前で、メモなしで言いたいことを漏らさず話す事ができる
・人の話の要点を頭に入れ
第三者に正確に伝えられる。などなど・・・
私がコーチングと並行して行っているセミナーに
「自分の脳を活性化し、記憶力を何倍にも拡大させる」というものがあります。通常2日間のプログラムとして行っているものを今回2時間でそのエッセンス、さわり、をお伝えしたいと思います。
私が関心があるのは,発想ないし発想力で,発想とは,選択肢を増やせること,できないことをできるようにすること,だと思っていますから,発想では,できない,無理は,禁句です。覚えられるかと言われれば,徒手空拳では,無理だが,どうしても覚える必要があれば,「どうすれば覚えるようにできるか」「今までやったことで使えることはないか」と考えることになります。だから,どう覚えるのか,という方法には興味がありました。
可能性を信ずるといったとき,本当に何でもできると信じているの? 他ならない自分自身について,という問いかけは結構多くの参加者が,ドキリとしたはずです。そこで,でひとりさんは,可能性には,二種類ある,ということで,一つの対応策を示しました。すなわち,
① いまできていないものが,努力によってできるようになる可能性
② 本当はすでにできるはずのものにフタをしていて,そのフタを開ける可能性
つまり,人は何でもできるというよりは,本当はできるはずなのを止めているものがある,という②の方が現実的だと受け止めた人が多いだろうし,私自身も,それなら信じられると思ったのですが,ただ,それは蓋然性というか,その人のもともと持っていたものを開花させる,という意味で受け止めれば,やれないはずはない,と思えるし,後半の話から,「②本当はすでにできるはずのものにフタをしていて,そのフタを開ける可能性」でいう,その持っているものとは,人の持っている脳の持つ可能性を使い切っていないというところに,振り返るとつながっていくことがわかります。
私は,それを聞いた瞬間思い出したのは,神田橋條治さんが,「ボクは,精神療法の目標は自己実現であり,自己実現とは遺伝子の開花である,と考えています。『鵜は鵜のように,烏は烏のように』がボクの治療方針のセントラル・ドグマです。」といっていた言葉だ。それは,鵜は烏にはなれない。鈍足がウサイン・ボルトの足になることはできない。必要なのは,自分の素材(脳もその中に入る)の素性をどれだけ知って,そのキャパを生かしているか,生かそうとしているか,ということなのだろうと感じた次第です。
脳の構の造上,生存のために,恐怖や怒り,不安といった情動に駆られると,扁桃体が,脳を瞬間的に支配する。新皮質の判断より前に,扁桃体がダイレクトに反射行動をとれるように,血流を早めたり,足の大腿部に血液を集めたり,武器を取ったり,殴ったりがすぐできるように,手にエネルギーを集中させたりする。そのことによって,確かに素早く逃げたりと,対処行動はとれる(エモーショナルは,エ-モーションという意味らしい)が,それが,次に前へ進ませるマインドの足を引っ張る傾向がある,ということでした。つまり,
人間の脳は,未知のもの,いままでとは異なったこと,さらには自分より少しでも強い相手に出くわすと,判断をする前に逃げるという選択を,瞬間的に行うようにできている。
ということなのだそうです。しかし,その同じ人類の多くは,アフリカの暖かい気候から,北上し,未知の世界へと冒険して,ついにはシベリアにまで到達しているのです。そういう冒険する,未知を切り開くマインドをも同時に持っているはずです。つまり,恐怖や不安に打ち勝つ部分を持っているともいえるのです。
扁桃体は脳全体にリミッターをかける。それを外せたら,ブレーキが外せ,可能性が広まるのではないか,というのがひとりさんが脳の構造を説明するイントロの位置づけであったようです。しかし同時に思ったのは,人は,好奇心が強く,興味があることには,恐怖を超えて突っ走る。だから,好奇心や関心,興味という側から,リミッターを解除する方向がありそうな気がしました。しかしこれは別の話。
ここで記憶が,脳の活性化の指標として登場することになります。ためしに,15個を瞬間に記憶するのをトライさせられましたが,私は半分で辞めました。あきらめたと言われればそうだが,無駄な努力をしない主義なので,これは意味がないと,放棄しました。ま,どうせ後から,覚える方法を教えてもらうんだし,と。歳をとるとずうずうしくなりますから。それでも,初めの二つと終わりの二つという,帳尻を合わせるあたりが,自分らしい。
で,記憶について,短期記憶と長期記憶があるとは一般に言われていますが,ひとりさんは,3つの段階にそれを分けて示しました。言ってみるとコンピュータのアナロジーを使ったものでしょう。すなわち,
① 記銘(書き込み)
② 保持(覚えておく時間)
③ 再生(取り出し)
で,問題は,覚えるには覚えても,必要な時にそれが取り出せなくなることだ,というわけです。聞いた話では,人は死ぬ一瞬に,全人生分の記憶を,映画フィルムのラッシュのように,目の前にさっとみる,という(誰が言ったんでしょう。死んだ人が言うはずはないし)。つまり,全記憶は保持されているが,アクセスしにくい状態になっていて,死の直前まで思い出せないことになるわけです。
ところで,あるところであるお母さんから聞いた話では,自分の子が,言葉をしゃべれるようになったころ,「私は,本当はあの場所から出たくなかったのに,急に明るくなって,お父さんとお母さんに引っ張り出された」といったそうです。帝王切開だったのですが,それをちゃんと覚えているのです。そして,その子は,「お母さんは,バス停でないところで,バスを止めたでしょう」といったそうです。その子を抱いて,確かにそんな経験をしたそうです。さらには,子供は産道を出るときの記憶がある,といったような,それに似た話を集めた本があるほどなのですが,残念ながら,その上に,記憶が積み重なって,アクセスできなくなります。催眠で,それが思い出せるという話もありますが,ともかく,脳の記憶容量は膨大で,柔軟であるのですが,別に棚割りをきちんとして,規則正しく貯蔵されているわけではないので,さっと引き出しにくくなります。あるいは歳とともに,ネットワークの一部が断線したりして,さらにそれに輪をかけます(因みに忘れた固有名詞は,絶対再現しておく方がいいようです。その努力でネットワークが復旧するので)。閑話休題。
再生という役割は,脳には,前野帯状回という部分があり,ここが,情報を取り出す機能を果たすのですが,その際,イメージ化されていたほうが,取り出しやすい性質をもっているらしい。つまり,情動に反応する扁桃体をコントロールするのは難しくても,イメージ化の工夫で,引き出しやすいように蓄積すれば再生力が上がり,いわゆる記憶力が高まる,というわけです。これが,脳の可能性を活性化させた,指標の一つになっているわけです。
で,さっそく,前述の15個を,今度は,イメージとそれをつなげて覚えることで,再現しやすくなることを体験した次第です。それは,
液晶テレビ,新幹線,大福,アポロ11号,ケネディ大統領,トマトジュース,おとうさん,満員電車,バンジージャンプ,アルカイダ,田原俊彦,カリフラワー,サソリ,あんこ,三輪明宏,
といまでも再生できたところで,記憶力向上は確かめられています。
これは,脳のもつ可能性を,その特徴を生かすことで,引き出すということの実践なのだと思います。
記憶ということで言うと,長期記憶,短期記憶といった区分けとは別に,
・意味記憶(知っている Knowには,Knowing ThatとKnowing Howがある)
・エピソード記憶(覚えている rememberは,いつ,どこでが記憶された個人的経験)
・手続き記憶(できる skillは,認知的なもの,感覚・運動的なもの,生活上の慣習等々の処理プロセスの記憶)
との3つに分ける考え方がある(この他,記憶には感覚記憶,無意識的記憶等々がある)。このなかでもその人の独自性を示すのは,エピソード記憶といわれています。これは自伝的記憶と多くが重なりますから,その人の生きてきた軌跡そのものといってもいいでしょう。アナロジーは,ほぼエピソード記憶に起因すると考えられています。
意味レベルでは同じでも,一つの言葉にまったく別の光景を見ている場合もあるのです。コミュニケーション・ギャップが生ずるのは,こういう場合が多いといわれていますが,この場合の記憶には,そのギャップは表面化しません。自分のイメージの連なりだけが重要だからです。でも,このときフルにそれぞれのエピソード記憶を引き出して,イメージ化していたに違いありません。
ちなみに,説明の中に,『脳にいいことだけをしなさい』からの引用で,一日六万個のことを考えていて,95%は昨日も一昨日も考えていて,その80%はネガティブだ」というのがありました。それは脳の扁桃体のもつ機能(生存するための)に起因していますが,そのための方法として,プラス思考と並んで愛情表現を忘れない,というのがあった(因みに,その他は,ネガティブ思考の排除,プラス思考でポジティブ回路,前進の細胞から元気になる,瞑想,目標をもつ,いい人と付き合う)。
人は人を好きになると優しくなるのではないか,と感じています。あるいはもっと踏み込むと前向きになる。ポジティブになる(だからストーカーは決してめげない)。「マインドセット」の在り方からいえば,人に○をつけること,できれば,その人を好きになることです。そうすれば,少なくとも,ネガティブにはなれない。そして,冒頭に戻れば,自分自身に○をつけ,好きになることだということになるのでしょう。そのためには,自分に興味や好奇心を持つというのは,いいかもしれない。どこまで自分の脳は可能性を秘めているのか。具体的には,どれだけ記憶力が増大するのか,もその一つとして考えると,面白い。
ところで,僭越ながら,ふたつ追加しておきたい気がします。
ひとつは,
① 記銘(書き込み)
③ 保持(覚えておく時間)
④ 再生(取り出し)
という記憶のステップに,組み合わせを④として追加したい気がします。
川喜多二郎さんは,創造性とは,ばらばらで異質なものを意味あるように結びつけることと言いましたが,組み合わせて,ははん,という意味を見つけることです。しかし,それは自己完結してはできません。ブレインストーミングのような,人とのキャッチボールが,自分の中で埋もれていた記憶や考え方を引き出してくれるのだと思います。これも脳の可能性の引き出し方につながる話なのだと思います。脳は,ひらめいた瞬間,0.1秒,いろんなところが活性化していると言います。それは,機能的固着していた脳が,他の部分とリンクしたということだと解釈しています。
もうひとつは,最近の研究で,何かしようと意思するのを意識するのは,実際に運動が生ずる150ミリ秒前と言われますが,脳はそれよりさらに400ミリ秒前に,運動神経系の活動電位が変化していると,実験でわかって来たそうです。
このことをひとりさんに確かめましたら,扁桃体が…と説明されました(懇親会だったのでよく覚えていませんが)。僭越ながら,違う解釈を得ました。確かに,一つの考えは,扁桃体は一本のニューロンでしか前頭葉とつながっていない,ということもあるのかもしれません。だから回り道する指示経路より素早い。しかしもう一つの解釈は,扁桃体も含め,脳が意思するのが先で,脳が意思したのを我々が追認するように意思するのではないか,ということです。さっきの例は,恐怖というような情動が動いているときではなく,コップをとろうとするという単純なアクションの例なのですから,主体は脳であって,ちょうどガンダムのコクピットのように,脳は自分が得ている情報で,いま水をほしがっている,ということを,意識するより早く,渇きを感知しているのではないか,ということです。
脳の可能性を生かそうとすると,脳を広いフィールドで活発に情報収集できるように,人とも,物とも,脳自身とも,接触し,刺激を与え続けることが不可欠なのではないか,記憶ということも,流すのではなく,脳に負荷かけるほどの課題を課すことも,刺激として重要ではないか,と感じた次第です。変にまとめない方がいいか?
ずいぶん長くなってしまいました。読んでいただいてありがとうございます。
参考文献;
神田橋條治『技を育む』(中山書店)
キャロル・S・ドゥエック『「やればできる!」の研究』(草思社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#大脳新皮質
#脳幹
#扁桃体(核)
#大脳辺縁系
#海馬
#前野帯状回
#嗅葉
#記憶力
#三乗(上)
#東田ひとり
2012年12月12日
収納と納骨のトホホな関係~東本願寺納骨失敗談
先日,東本願寺に母の遺骨の納骨をした。
東本願寺への納骨にあたって,確か父の時は,母と一緒にいったな,と記憶をたどり,菩提寺に連絡したら,「こちらで手続きしておきますから」ということで,三回忌が終わってからがいいといわれたこともあり,今年の初め,電話でお願いをした。
しばらく経ったら,東本願寺から,「肩衣」と一緒に「真宗本廟収骨證」が送られてきた。当日は,肩に肩衣を掛け,他の参拝者(400人位か)と供に,読経の後,東本願寺境内の御影堂の親鸞聖人の御真影の須弥壇下に桐の小箱収められて,無事納骨が終わったのだが,ふと疑問がわいた。
自分の記憶では,40年前父の遺骨の納骨の際は大谷廟へ行った覚えがあり,そこでは広い穴に収めたと覚えていた。その光景にちょっとしたショックを覚えた記憶があった。で,確かめたくなり,まず東本願寺の宗務所へ電話したら,いや大谷祖廟でもいまも納骨をしている,という。「???」クエスチョンマークが頭の中を駆け巡った。しかも,確か,東本願寺の御影堂内については「収骨」といい,大谷祖廟へでは「納骨」というらしい,ということが分かった。 まずその違いが判らない。
今度は,大谷祖廟へ電話してみた。「納骨」と「収骨」の違いは,御影堂の須弥壇下に「収納」する「収骨」というらしく,大谷祖廟は,親鸞聖人の墳墓近くに納骨するからだ,という。それは,どういう違いがあるのか,というより,その区別は何か。そう伺うと,「家族が選択する」のだという。大谷廟への申し込みは,直接。本願寺境内はお寺を通して,申し込むことになるのだ,という。
そういえば,と妻が言う。納骨は「直接やる方法もあり,どちらでもいいですよ」というニュアンスのことを,住職は言っておられた。そのとき,直接申し込んでも,住職を通してもいいですよ,という意味で受け取ったが,それは直接なら,大谷廟への納骨,住職を介せば境内への収骨という意味を含んでいた,ということを,結果として思い当ったことになる。だから,住職に,お願いしますよ,ということはそのまま「収骨」をお願いしてしまったことになる。迂闊といえば迂闊だが,こんなところで,コミュニケーションエラーを起こすとは,トホホだ。
最初の時点で,直接と間接の違いを,「何か違いがありますか」とお尋ねすべきであった。まずその時点で思い込みがあった。途中で,確か京都駅からタクシーに乗ったのに,という疑問というより,記憶が違ったのか,といったような朧な感覚があり,確かめるほど明確な疑問になっていなかった。
大谷祖廟というのは,宗祖親鸞聖人ご入滅後10年の1272(文永9)年,それまでの親鸞聖人の墳墓を改め,廟堂を建てて聖人の御影像を安置したのが起源で,その後,いくたびかの移転等の変遷を経て,本願寺の東西分派後の1670(寛文10)年,墳墓にほど近い現在地(京都市東山区円山町)に祖廟として造営された。元禄年間に御廟の改装,守堂の建立がなされ,1745(延享2)年には八代将軍・徳川吉宗から一万坪の土地を寄進されるなど拡充を続け,現在に至っている,とある。だから,大谷祖廟に納骨するということは,親鸞聖人のそばにいっしょに納骨される,というニュアンスがある。
他方,須弥壇に収骨する方は,その依頼をした瞬間,「相続講の精神である法義相続・本廟護持(親鸞聖人が明らかにされた本願念仏の教えを受け継ぎ,真宗本廟を崇敬・護持すること)の趣旨に賛同」した,「相続講員」として,東本願寺を護持するという立場を明確にしたことになる,らしい(因みに,西本願寺でも,趣旨は同じかどうかわからないが,やはり大谷本廟と西本願寺境内への納骨の制度があるようだ)。こちらは,戦後再建や修復支援の趣旨で始まったもののようだ。いまふうに言えば,東本願寺のサポーター登録をしたという感じだろうか。
どうやら,納骨と言ってしまったが,収め方で,違うのは,祖廟か御影堂の須弥壇かの違いだけではなく,一般門徒として納骨するのか,「法義相続(宗祖親鸞聖人の教えを受け継ぎ,後の人々に伝えること)・本廟護持に賛同して,単なる納骨費用ではなく,相続講への賛助を表明したことになる,ということのようなのだ。
さらに深読みすれば,檀家を失い成り立たないお寺も増える中,寺を通して,門徒とお寺,お寺と東本願寺のパイプの強化にもつながる。昨今を故里の墓を捨てたり,墓そのものを共同墓地のようなものに代えたり,少子化で家そのものの存続すら危うい中,寺どころか,本願寺そのものだって先細りしていく危機はある。そんな中で,ひょっとすると,ある種効果的な機能をするのかもしれない。一方は,墓地と菩提寺,菩提寺と東本願寺のパイプ,他方大谷祖廟は,個人が直接つながることで,墓そのものをなくした人,子孫のいない人は,丸ごとお骨を持ち込む(確かめてはいないが,原理的には可能)ことで,墓問題を解決できる。
我が家は,私の粗忽のために,結果として,意識せず,自分が一定の門徒としての役割を取ってしまったということになる。単なる真宗の手続きの,分骨・納骨のつもりであったが,そこに別の意味と意図が加わってしまった。ふと,思い出した。
善人なほもて往生をとぐ,いはんや悪人をや
と,いう親鸞のことばがあった。これは悪人のほうが近道だという意味とされている。阿弥陀仏の第十八願(阿弥陀如来が人々を救済するために誓った48願のうちの18番目の願。すべての方向にいる人が一生懸命浄土に生まれたいと願って,それで浄土へ行けないのなら,自分は悟りを得ない)は,もともと煩悩具足の凡夫のため,あるいは悪人成仏のためにある願なのだから,悪人のほうが往生に近い意味とされている。
つまり,もともとそういうものだということであって,善なる人は,何か善いことをしたい,善いことをしているということが無意識にも前に出る。それが,「善いことをしているんだから」より往生できるはずとなると,こちらからの「はからい」であり,思惑となる。それは,自力の要素が加わり,いわば絶対他力ではない。悪人は,善いことをしようとも思っていないし,人を押し分けても善いことをしたいとは思わない。この方が,計らいがない状態になりやすい,という意味だ。
他力本願については,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/10986129.html#comments
ですでに触れたので,これ以上は追いかけないが,自分のちょっとした勘違い,思い込みで,父と母の分骨先が違ってしまった。父は顰め面をし,母はけらけらと笑うかもしれない。今度,墓へ行ったら,詫びなくてはならない。
ま,しかしどっちにしろ,こっちだったらどう,あっちだったら,どうというのは,いわば生きている側の思惑,忖度,そのすべてをありのまま他力にゆだねる,というのが親鸞聖人の絶対他力の本意なのだから,とまあ言い聞かせている。
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#東本願寺
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2012年12月13日
嵯峨野の私的旅~常寂光寺から滝口寺へ
先日京都へ行く機会があり,嵯峨野まで脚を伸ばした。
その折の写真を以下にいくつか,ピックアップした。人の撮る者は取りたくないという臍曲りなので,どこがどこだかわかりにくいかもしれないが。
http://www.facebook.com/home.php#!/media/set/?set=a.386547221428573.92243.100002198940716&type=1¬if_t=like
まずJRで嵯峨嵐山駅まで行き,そこから常寂光寺へ向かう。竹林を抜けて直接向かっているはずが,あまりの人の多さに辟易して,ちょっと一本前の道を行ったらしく,細い道をくねって,何とか小倉池にたどり着き,そこで,再び原宿並みの人ごみに出会い。通常コースへ戻ったことに気づいた。
常寂光寺,山門が有名だが,小倉山からの眺望もなかなかいい。はるかに比叡山が見える。開山は,文禄四年(1595年),日禛上人が,秀吉の出仕に応ぜず,この地に隠棲した。関ヶ原の5年前ということになる。上人の
苔衣きて住みそめし小倉山松にぞ老いの身を知られける
何というか,素直というか芸もないというか,けれんみのない人柄と見受ける。この地を提供したのが,豪商角倉了以で,彼が,大堰川浚鑿工事に際して,上人は備前伊部の妙圀寺末檀家ある瀬戸内水軍の来住一族に書状を送り,舟夫を招き,了以の事業を支援した。これが保津川下りのはじまりという。
続いて,二尊院へ向かう。総門からの参道は,紅葉の馬場といわれるらしいが,よく時代劇の撮影で使われるらしく,突き当りの白壁の塀とともに,緩やかな階段は,どこかで見たような,デジャブ感いっぱいだ。苔に覆われているはずの庭は,落下した紅葉の葉で,華やかに彩られていた。
そこから,飛ばして,化野念仏寺へ向かう。境内の石仏・石塔は,あだしの一帯に葬られた人々のお墓が無縁仏となっていたのを,集めて,釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえて配置安祀されている,という。ローソクに灯を灯す千灯供養が,地蔵盆の夕刻より行われる。この地は,古来,葬送の地で,西行の歌に,
誰とても 留まるべきかはあだし野の 草の葉毎にすがる白露
とある。その意味ではやたら写真にとるべきではないのだろうが,お許しいただいて,わきから,そっと撮らせていただいた。
その帰りに,飛ばした,祇王寺によった。平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が,仏御前に心を移したころ,強いられて仏御前の前で舞を舞わされ,それを機に,母と妹祇女とともに剃髪,この地で仏門に入った。それを追って,明日は我が身と感じた仏御前も,剃髪,四人がここに籠ったという。しかし今の祇王寺は,祇王寺とは縁もゆかりもない明治維新の成り上がりものが別荘地としていたものを寄贈しただけの建物だ。
祇王寺を出ると,そこに並んで,滝口寺があるが,祇王寺ならぬ祇王寺に比して,滝口寺は人が少なく,たぶん百人に一人も入らない。それもあって,あえて入ったが,敵は本能寺。我々の目的は,妻の母方が新田義貞の直系の子孫なので,その首塚があると知って立ち寄ることにした。もし境内でなく,別にあったら,あえて立ち寄らなかったかもしれない。
滝口寺も,もとは往生院三宝寺といったが,祇王寺と同じく,明治になって再建され,佐々木信綱によって滝口寺と命名された。以前は知らず,いまは管理が悪く,道も整っていないし,堂もさびれている。しかし,滝口入道と横笛の悲恋のほうが,清盛の愛人がどうたらこうたらよりはよほどロマンがあると思うが,どうも今は人気がない。
へそ曲りの性分としては面白くない。判官びいきも手伝って,滝口寺応援のためらに,歌をひとつ。
滝口入道が,尼になった横笛に送った歌。
そるまでは恨みしかとも梓弓 まことの道に入るぞ嬉しき
横笛の返歌。
そるとても何か恨みむ梓弓 引きとどむべき心ならねば
滝口寺の山門正面に新田義貞の首塚がある。立派なもので,義父が,「戦前は羽振りが良かったが,今は落ちぶれて,玄関を開けると,すくそこにおじさんが寝そべっているくらいだ」と,妻が聞かされたものだ,といっていたのを再び聞かされた。ま,考えてみれば,鎌倉攻めは,言ってみれば時勢にのっただけで,新田義貞が大した人物とは思えない。だから,戦後,時代が大きく変わると,ほとんど見向きもされなくなさったのは,本人の不徳の致すところで,子孫は,それに翻弄されたことになる。
栄枯盛衰は世の習いだが,流れに乗っただけではだめなのだろう。流れを作り出す力がなければ,流れから振り落とされるということか。しかし私なんぞは,うまれてこの方,いまだかつて流れに乗ったことはないので,「落ちぶれた」というのはほめ言葉だ,と感じた。かつては繁栄していた,という意味なのだから。
JRの嵯峨嵐山駅まで戻って,そのまま渡月橋への道に出たところで,新宿か渋谷の繁華街並みの人出に出くわす。丁度午後2時過ぎ,しかも日曜日の午後だ。人,人,人の流れに乗って,天竜寺の境内に入らず,美空ひばり座の閑散とした入口を横目に,渡月橋まで出て,流れからおり,嵐電嵐山から四条大宮までのんびり出た。
嵐電で,向かいに座っていたのは,中国人旅行者で,姉妹か同じ年頃の友人か,ずっとふたりでぺちゃくちゃしゃべるか,嵐電の写真を撮ったりしていたが,下車の四条大宮の改札口で,あわてて切符を探しているのを横目に,外へ出た。
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posted by Toshi at 05:29| 旅日記
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2012年12月15日
漫然と決めても意思決定にはならない~『「朝敵」から見た戊辰戦争』を読んで
水谷憲二『「朝敵」から見た戊辰戦争』(歴史新書y)を読んで感じたことをまとめました。
決断とは,覚悟のことだ。覚悟とは,何かを捨てる覚悟だ。その意味で,何かを決断する時,選択肢が浮かんでいる。決定する以上,情勢に流されてとか,事態に追い詰められてということでは受け身だ。追い詰められても,自分にとっての意味を考えながら,主体的に考えていくものでなくてはならない。そこで思い出すのは,勝海舟です。
維新時,最大の危機の徳川宗家を残したのは,勝海舟の政治力です。
鳥羽伏見で敗走してきた慶喜をはじめとする幕閣の面々に,勝はこう言い放ちます。
慶喜公は,洋服で,刀を肩からコウかけて居られた。己はお辞儀もしない。頭から皆に左様言うた,アナタ方,何と云う事だ。此れだから私が言わない事じゃない,もう斯うなってからどうなさる積りだ,とひどく言った,上様の前だからと,人が注意したが,聞かぬ風をして十分言った。刀をコウ,ワキにかかえてたいそう罵った,己を切ってでも仕舞おうかと思ったら,誰も誰も,青菜の様で,少しも勇気はない,かく迄弱って居るかと,己は涙のこぼれるほど嘆息したよ。
松浦玲は,こう書いている。
「失意の将軍と,失意の回収との出会いである。その失意の内容は二人以外にはわからなかったろう。慶喜と海舟とは,お互いの考え方の一致点と相違点とを心得ている。そうしていま,その相違点・一致点を含めて,全部がだめになってしまっているのだ。海舟はここで,すべてを投げ出してしまってもよかった。慶喜の方は,すでになかばなげだしている。」
しかし海舟は投げ出さない。彼が幕府に登用されて以来の流れの中で,「自己の技術と思想をかため,それを人につたえ,そのことによって反幕勢力の中にも人的なつながりをつくってきた」。その中心に,「かつて海舟が,幕府の頼むべからざるゆえんを教えた西郷隆盛がたっている。極端にいえば,元治元年の時点で海舟が一度幕府を見はなし,そのことを西郷に伝えたからこそ,現在の状態が起こっているともいえるのだ。海舟は,この後始末をつけなければならない。」
どうしようとしたか,その嘆願書で,薩長の「私」を非難する。官軍が居留地で外国人と衝突し,諸外国が軍艦を呼び,居留地を兵で固めようとしている。そんな中で,一方で,徹底恭順を貫徹する体制を整え,すでに大政を奉還し,他の大名と横並びである徳川家をただつぶすためだけに兵を動かすのは,「私」だと,勝は非難する。
結果として,徳川家は残った。では,一桑会と呼ばれて,鳥羽伏見の責任を問われた,会津,桑名はどうしたのか。本書は,会津ではなく,桑名藩生き残りを中心に描いている。しかし,一人の勝もいない,一人の慶喜もいない気がする。むしろ行きがかりから,全面戦争に走った会津藩に眼が向きがちだ。
桑名の当主,松平定敬は,慶喜とともに海路江戸へ逃げ,一時恭順の意を示しながら,家臣とともに,仙台,函館と最後まで,反政府側にとどまり続けた。だが,他方,戦闘力のほとんどを出陣させた藩側は,朝敵とされ,地理的にも,真っ先に征討軍の矢面に立たされて,意思決定を迫られる。藩論は,三つに分かれる。
・開城東下論 跡継ぎ万之助(十二歳)を擁して江戸へ向かう
・恭順論 藩主定敬の実兄が藩主の尾張藩による周旋
・守戦論 籠城して末代まで名を残す
結局,藩論がまとまりきらず,というかまとめきれず,神饌で開城東下論と決めたが,それでも異論続出してまとまらず,最終的に恭順に決まったという。戦うと言ったところで,戦闘主力は藩主とともに藩外の大阪ないし江戸におり,籠城のしようも,開城東下論もないのだ。それをまとめきれない状態で,腰砕けになったに近い。
それは,西国諸藩においても同様で,慶応四年一月三日鳥羽伏見で開戦後,僅か三日で新政府の勝利が決定すると,七日には慶喜追討令,11日には諸藩に率兵出京を命じている。事態の急変についていけている藩などない。土佐の山内容堂ですら,鳥羽伏見の戦いを会桑と薩長の私闘と見ていたほどなのだ。わずか一か月で,個々に孤立した諸藩は,横並びに,新政府に服していく。
結局,征討軍への出兵か資金提供かを求められて,それに応ずる形で,西国各藩は,新政府に組み込まれていく。朝敵と名指された藩も,そうでない藩も,結果として雪崩をうって右へならえしていく。個々の気概等々吹き飛ばすほどの時代の奔流を前に,各藩が孤立して意思決定をせざるを得ない時代状況はよくわかる。その意味で,なおのこと,勝の卓越した時勢観,交渉術が目を見張る。
転々と転戦した松平定敬は,函館陥落前に投降し,罪一等が減じられ,津藩へ永預となる。桑名藩は四割位の減封ながら,藩を存続させた。ほぼ壊滅的な戦いをした会津藩とは好対照で,確かに生き残りをはかった留守部隊の責任者の酒井孫八郎の苦労はよくわかるが,言ってみれば,ただ恭順し,嘆願しただけだ。
他の藩が,かようにほとんどがなすすべを知らず,呆然としている中で,東北諸藩は,東日本政権樹立という夢とビジョンを持っていたとされる。ただ武名と意地のみで,東北諸藩の戦争があったのではないし,会津戦争があったのではない。そのあたりは,著者とは見解を異にする。ただ時勢に合わせて,周章狼狽するだけではなく,その中で,大義と名分を立て,大きなビジョンを持って会同した東北諸藩は,会津を中心に,単なる武辺ものの意地で戦ったのではない。そのあたりは,星亮一『奥羽越列藩同盟』に,詳しい。考えてみれば,薩長土肥熊といった西南諸藩を除けば,山川浩,雲井龍雄,河井継之助等々錚々たる顔ぶれなのだ。
では,どうしたらよかったかが,誰が,是非が言えるのだろうか。
会津藩,桑名藩の戊辰戦争の結末を,こういう数値を出している。
会津藩
死者数 約2500名
領地 会津23万石から斗南3万石へ転封
藩主の処罰 松平容保,鳥取藩へ永預
桑名藩
死者数 約100名
領地 桑名11万石から6万石へ減封
藩主の処罰 松平定敬,津藩へ永預
犠牲だけで是非は言えない。まして数だけでは,言えない。ただ,死者については,国内戦をしていない桑名は戦闘員である藩士だけだが,会津は,籠城前,多くの婦女子,老人が自害している人数も含まれている。結果から是非は言えないけれども,そこには大きな差がある。しかしいずれをとっても,いずれにも悔いはある。ただ,選択してか,選択を強いられてか,そこにそれぞれの価値観による判断があるだけだろう。
あえて言えば,強いられてでもなく,なすすべもなくでもなく,いやいやでもなく,横並びしただけでもなく,その場で最善の決断をためらわずになした,勝の決断を取る。
松浦玲はいう。
「むこうが兵を向けてくるかぎり,たとえ官軍の名前をもっていようと,薩長側が『私』だという論法は,海舟の胆の中にこうして確率された。この『公』『私』の論は,彼が十数年鍛えぬいてきたものだけに,きわめて強固な信念となっている。彼はこの論法で,西郷との会談をピークとする幕府瓦解始末を乗り切ろうとするのである。その論法が正当かどうかはここでは問うまい。ひとは状況にしたがって自分の真価をもっともよく発揮できる生き方を確立する権利をもっている。」
この瞬間に真価を発揮した勝海舟は,維新前後の中で,最も輝いている。
参考文献;
松浦玲『勝海舟』(中公新書)
松浦玲『徳川慶喜』(中公新書)
星亮一『奥羽越列藩同盟』(中公新書)
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2012年12月16日
DialogueU・ストーリーテリングから始まる対話のひととき~「 曺貴裁氏」に参加して
先日,U理論の提唱するUプロセスを実践支援する団体,社団法人プレゼンシングインスティテュートコミュニティジャパンが主催する,「Dialogue U~ストーリーテリングから始まる対話のひととき~ 曺貴裁氏・湘南ベルマーレ監督」に参加してきました。
ストーリーテリングについては,ほとんど知識がありません。招待の案内には,こうありました。
「Dialogue + Uは、様々な分野の第一線で活躍する方々のありのままの人生のドラマを聴くことを通じて、参加者全員でそれぞれの新しい物語(未来)を共に生み出していくワークショップです。
第一線で活躍し高い創造性を発揮しているゲストの方から、逆境を乗り越えた経験やターニングポイントとなった出来事やその時の感覚などを、インタビュアーの中土井僚が筋書きなしの対話の中から引き出していきます。
ただ単にノウハウやテクニック等を知識として学ぶのではなく、ゲストの方の等身大でありのままの姿とドラマに触れることによって、自分自身が知らないうちに蓋をしていた「本当の想い」や「可能性」が呼び起こされ、これまでの延長線上には無かったような様々な選択や決断が生まれるのがこのDialogue + Uの特徴の一つです。
参加者の方一人ひとりの状況やステージによって起きることは様々ですが、皆様より自分らしい道へと一歩近づくきっかけとされています。
マスストーリーテリングという手法に基づき語り手の話を聴くだけではなく、聴き手同士、語り手と聴き手との間でも感じたことについて対話・共有していくことも大きな特徴です。
ゲストの方のありのままのドラマを聴き、参加者の方と対話することによって生まれた気付きは、単なる知識ではなく、生きた智恵として結晶化し心に深く刻まれるため、人生における様々な場面で指針として甦ってくるという体験があります。」
したがって,
ゲストの語り→参加者同士のリストーリング→全体のシェア
を三回繰り返します。
僕自身は,このストーリーテリングについて,その来歴も知識も持ち合わせていませんので,その手法には言及せず,そこで語られた曺貴裁(チョウ・キジェ)さんの語る半生をうかがいながら,自分の中で沸き起こったこと,あるいは,三人の人と一緒に,三回したリストーリングの中から得たことを,整理しておきたい。ただし,曺貴裁さんの発言のすべては僕が聞き取ったものであり,僕自身の責任で書き取っているので,聞き取りミスもあるし,思い込みでの誤解も曲解もあることを,言わでものことながら,付言しておきたい。
曺貴裁(チョウ・キジェ)さんの略歴は,いたただいた資料にも,また招待の案内の中にも,次のようにあります。
現在。湘南ベルマーレ監督。
京都府立洛北高校→早稲田大学卒。日立製作所本社サッカー部およびその後身の柏レイソルを経て、浦和レッドダイヤモンズ、ヴィッセル神戸でプレー。
1997年限りで現役を引退し、引退後は川崎フロンターレのアシスタントコーチ、ジュニアユース監督、セレッソ大阪コーチ、湘南ベルマーレU-18監督を務め、2009年より湘南ベルマーレアシスタントコーチ。
2009年3月にJFA 公認S級コーチライセンス取得。2012年より湘南トップチームの監督に昇格、現在に至る。
そこで,細かく書けばきりがないので,語られたエピソードを,時系列に置き換えながら,そこでの曺貴裁さん自身の感想,思い,感情をセットにして,まずは整理をしてみたい。
【第1回ストーリーテリング】
●僕は在日韓国人三世,京都生まれ。10歳くらいまでの記憶があまりなく,よく覚えていない。小学校3~4年の頃,転校した。その大原小学校で,初めてサッカーと出会う。サッカー部しかなく,それをやるしか選択肢がなかった。
●一クラス(?)くらいしかない小学校で,いままでは学校から帰ったら,すぐ外へ遊びに行くような生活で,皆と協力し合うとか,という経験はなく,やってみようと思った。
●(へたくそでしたが)いきなり試合に出してもらって,その試合で点を取ったか,アシストしたか,忘れましたが,先生から,「おまえ,おもしろいな」と,生まれて初めてほめられ,こういうことをやるのも楽しいとおもった記憶がある。
●小人数の小学校で,幼稚園から小4までずっと一緒だった人たちで,お互いのことをよく知っているひとたちで,なじむのに時間がかかったが,サッカーがあったからなんとかなじめた。なんでなぐられたのかと,いま思うと,町から来て,目立ったからではないか。
●転校時,複数の人から,校舎裏などに呼び出されて, ぼこぼこに殴られたが(いじめられている意識はなく),殴られても,別に殴らせてやるよと思う。その人たちに媚びようとは思わず,今に見ていろと,そのことをエネルギーにしていた。
●4年から試合に出してもらって (それもあっていじめられた) ,5年,6年とだんだん自分の立ち位置が決まっていった。後に,中学に入って,ある先輩に,「あのときは,いじめてわるかった」と言われた。そのとき,ああ,この人はいじめてつらかったのではないか,と気づいた。自分の曺(チョウ)という名前もあって,本当の友情は生まれないと思っていた。
●父が韓国人学校の要職についていたので,僕もそこへ行くものと思っていた。曺(チョウ)という名前のまま行くのは珍しかったが,自分の道は自分で作っていく必要があり,自分も行くものと思っていた。ところが,サッカーが優勝して,(大原中学へは行かないということで,しかも韓国中学にはサッカー部がないということもあって),僕のために地元でクラブチームを作ってくれたりした。
●ところが,小6のとき,当時のサッカーの仲間が,自宅へ来て,「曺(チョウ)君と一緒にサッカーをするために,大原中学へ来てくれ」と,父に頼みに来たことがあった。父に,「大原中学へいきたいか」と聞かれて,ぼくは「どっちでもいい」と泣きながら,言ったらしい。それを見て,大原中学へいきたいんだな,と思ったらしく,大原中学へ行くことになった。妹二人も応援してくれ,私たちが行くから,兄にいかしてくれ,と頼んでくれたりしたが,父は要職についていることもあり,結構バッシングにあったのではないかと思う。
●もし韓国中学へ行っていたら,別の人生になっていた。その時,自分にとって,サッカーは,それほど大事なものではなかった。中学,高校(洛北高校)とサッカーをしていって,生活の中で,サッカーが大きくなっていった。しかし親からはサッカーをやめろ,やめろと言われ続けていた。まだプロリーグもないし,在日韓国人がサッカーやってどうなる,と。
●高3のとき,サッカーを辞めようと思った。高校は,そこそこサッカーが強いチームだったが,下馬評にもないところに,負けてしまった。PKで,僕が蹴ったが,今まで一度も外したことがないのに,外す気がして,まずい,まずい,と思って,いつもなら方向を決めるのに,きめられないまま蹴って,PKを外した。高校総体にも選ばれて出たが,チームが負けたので,腑抜けのようになって,それも負けた。こんな終わりか,と思った。
●大学入試の準備もできていず,家庭教師にも,一浪しろとまで言われていた。そんな中,たまたま早大の試合を見て,結構いい試合だったが,父も母も,あんた,ここなら行っていい,と言われた。
●そこから,11月末から2月まで,自分の中ではめちゃくちゃ勉強した。合格判定テストでは,判定不能なくらい低い。でも,ポジティブで,まだあそこは勉強していないから,などと思っていた。そんな状態で,何とか大学に受かった。大学に入れなかったら,サッカーをやっていない。
●大学でサッカーやるチャンスをもらい,仲間のサッカーをやる熱い意欲に影響を受けて,ちゃんとやらないといけない,と思った。
ここまででのストーリーに対して,リストーリーで出たのは,
○小4のときにほめられた効果が大きい
○おれがおれがというものがなく,自然体,流れに乗っている
○そんなに熱中していないといいつつ,結果としてサッカーを主体に流れに乗っている
といったことだったが,無理せず,自然にサッカーの才能を開花させる流れをつくっていると感じた。結果として,たぶん周囲から,そのサッカーの能力は群を抜いて,一目置かれていたのではないか。「一度も外したことがない」というのは,さりげないが,強い自負だ。そして,その自負を育てている背景,例えば練習とか努力については,ほとんど語っていない。しかし,それが,本人にとって,「図」として目立つことではなく,当たり前の日常の「地」になっている。小4のとき,いきなり先生が試合に出し,そこで結果が出せるほど,何か目立つものがあったに違いない。それは,「地」として,意識の背後に沈んでいる,という印象である。
覚えていない,そんなに熱ではない,辞めるつもりであった,というマイナスの言葉が出てくるが,それが意識の中で目立っていたから記憶にあるが,日常の,サッカー漬けの生活,試合で一度も失敗しないシュートという「地」が,曺(チョウ)さんの,当時の仲間や指導者に見えていたことなのではないか。だから,曺(チョウ)さんの「図」と「地」は,周囲の人と逆転していたのではないか,という気がする。周囲にとって,一度もシュートを外さない技が図であったのではないか,と。
【第2回のストーリーテリング】
●PKの外したシーンは,ボールを置いた場面から,蹴ったボールの軌跡まで全部覚えている。いままで失敗すると思って蹴ったことはなかったが,そのときはやばいと思っていた。
●大学4年の時,Jリーグができるという話がおきていた。でも,実業団へいって,そのままサラリーマンになる,というコースしか考えなかった。親からも,「プロにならんとき」と言われていたし。
●大学4年の時,副キャプテンをしていたが,やりたいものが全然なかった。せめてサッカーを利用して就職できたらいい,という程度で,日立製作所に入社した。丁度入社前,韓国籍を隠して入社した人の取り消し裁判があったころだった。午前中は,コピー取りとかといった,つかいっぱをやっていた。
●30くらいまでサッカーやって,その後仕事をしょうと思っていた。入社後宣伝部に配属され,なんでそこに配属になったの,と聞かれたほど人気の部署だったが,希望を出したら配属された。サッカーやめたら自分もここで,思っていたが…。
●3年後,プロフェッショナルに入りたくなった。Jリーグができた時,日立製作所は,最初の11チームには入れなかったので,浦和レッズに移籍した。周囲からは,絶対行くな,と止められた。上司たちには,生涯賃金を見せられたりして引き止められたが,いまでも,なんでプロフェッショナルになりたいと思ったのか,わからない。ただ,中途半端がいやで,サラリーマンをしようとする自分がいやで…。でも,一流にはなれなくて,30目前で引退した。
●なんだかんだいっても,自分で決めた。浦和レッズには50人くらいいて (Jリーグ発足当時のバブルのときで) ,自宅から1時間半くらいかけて車で通ったが,なんでプロに入ったのだろう,後戻りできない,と思っていた。
●27歳で結婚し,30目前で引退した。でも,大観衆の中で,これだけの大観衆が見ているという感じ,そういう喜びはサッカー以外ではえられないと思った。
●だからといって,引退する前に指導者の資格を取ろうともしなかったし,辞めるときまで,やりたいことが全くなかった。そして,逃げるようにドイツへ行った。
●ドイツ語を勉強して,やりたくなかったが,ライセンスを取ろうとしていた。しかしおもしろかったのは言葉の勉強で,朝の7時8時はまだ真っ暗でくそ寒いが,トルコの人やセルビアの人と一緒になって,勉強している間は,一瞬現実を忘れられた(妻もモチベーションないのに,一緒に勉強していて,一時神経症になりかけた。気づかず悪いことをしてしまった)。31歳のとき,約半年で,言葉がわかるようになり,言っていることはつかめるようになった。
●ドイツはサッカー熱がすごく,土日は店も休む。フリーな日を楽しむことをやっているんだということが分かった。そんな時,道端でサッカーをやっている子供たちに,一応プロなのでちょっと教えてやると,子供たちが食いついてきて,列をなした。その時,ひょっとすると,人におしえるのが面白いかも,と思った。
●ドイツでは,コーチングライセンスの講習会に行った。外国人は僕一人(日本でも外国人だが,それとは違って)ドイツ人ばっかり。しかしドイツ語は70~80%わかった。
●講習の中で,2週間子供たちを指導する。その最後に,誰が一番わくわくしたかを子供たちに問いかける機会がある。そのとき,子供たちは「俺のことを指差した」。子供たちと遊んで,ほめてやった。これは,大観衆の前で,喜んだ自分と同じ。自分はなんとなく直接的なコミュニケーションを大事にしてきた。これはその直接的なコミュニケーションで見つけたものだ。
●試験では,試験官も,こっちが言葉がわからないと思っているが,試験の最中仲間が,タッグを組んで,答えをしきりに教えてくれる。結果,準備もなしに行ったのに,指導者の資格を持って帰って来た。
●29,30では,未来が描けず,なんとなくドイツへいき,31歳で資格をとったものの,指導者としての未来を描けなかった。
ここまででのストーリーに対して,リストーリーで出たのは,
○なんとなくとか考えずにと言いながら,流されない軸がある。
○地の曺(チョウ)のサッカーをやりたい思い,それを楽しんだ感じ,大観衆の中にいた喜びが勝ったのではないか。
○サッカーが「地」だから,それ以外のものを探したところで,「図」は見つかるはずはない。しかし意識の中では,サッカーの面白さ,喜びは地になっているので,その楽しさ面白さはなかなか図に上がってこない。一見回り道の様で,ドイツへいって,最短でライセンスを取ったことになる。
○半年でドイツ語は70~80%わかったというのはすごいし,仲間が試験中に答えを教えてくれる,というその曺(チョウ)さんのもつキャラクターというか人間味は,いつも周囲が認めているものに違いない。そのことは,本人には意識がないが,周りに強い影響を与えているに違いない。
○不安,準備内といいつつ,結局やり遂げていく。しかも子供と一緒にサッカーを楽しむ喜びを与え,そして自分でも感じ取っている気がする。
○なにより,何か特別に目立つ「図」を持っているとしか言いようがない。「いいやつ」なのかもしれないし「好漢」なのかもしれないが,妙にサッカーに入れ込まず,思い入れせず,適度の距離を保ちながら,結局誰より最適な,サッカーの面白さを一緒に楽しめる指導者になっている。
【第3回のストーリーテリング】
●帰国後,川崎フロンターレで指導者としてスタートした。選手は,指導者の云う事は聞かない。誰が何と言おうと,自分で判断する力がなかったら,試合でやられてしまう,と思っている。
●13歳のゴールデンエージに一番気を使う。たとえば,フェアプレイでと言っていながら,ファウルしてでも止めろと言ったら,もう子供たちは言えコトを聞かなくなる。大人って駄目だなと思わせてはだめなので,この子たちをだめにしてはいけないと,同じことを言うようにしてきた。
●7年くらいジュニアを教えてきたが,日本の子供たちは『楽しかった』とは言わないので,子供たちが楽しそうにやっているかを見るようにしてきた。プロも同じ。本当にその子が何を考えてやっているかを読む。スタッフに対しても,同じ。J1昇格の記者会見でも言ったことだが,30歳選手も15歳の選手も言うことは同じ。15歳でほめられてうれしいことは,30歳でもうれしい。逆にだめなことも同じで,何歳だからとか子供だからとは言わない。
●指導者になったとき,いい指導者と言われたいとか,いい収入がほしいとは思わなかった。ここで不安に思うなら,最初からやらなければいいと思った。
●契約で,J2からJ3に落ちたら即くび,となっていた。いまも昇格したといっても,自信もない。しかし自分がかかわる人が,生きていてよかったな,とか,たのしいな,と思ってもらうことが,それが自分もうれしい。
●「助け合え」ということを,あえて言った。プロは,助け合ったところで,自分がためなら首じゃないか,と内心思っている。でも,承知の上で,あえて言った。
●「負けたのはお前のせい」とは決して言わない。しかし思ったことは本気で言う。「そんなことをしていては,プロとしてだめだ」という言い方をする。
●選手,こどもは弱い。監督がへぼでも,こうやれと言ったら,やらなくちゃいけない。この職業を失うのが不安なら,やらなければいい。だったら,思ったことは言わなくては。選手が試合中どうしたらいい,と聞いてきたら,「自分で考えろ」という。ムチャクチャです。
●監督にとって大事なのは,試合前のミーティングとハーフタイムのミーティングです。モチベーションの理論に反するかもしれないが,この子たちがいま何を考えているかを読んで,オレがどう動くかだけを話す。思ったことを言わないと,選手たちには伝わらない。だから,彼らがそう考えているということを信じないと,そうは言えない。
●相手を読むというのは,相手の状態を読む。聞く状態になっていなければ言ったって聞けない。例えば,ある選手を試合中交代させたとする。なぜ変えたかは,1週間くらいしてからいう。1週間前とそのときと同じミスをしたから,と伝える。よく言うけれども,「納得しなくてもいい。オレはそう思っているから」という。
●今シーズン,残り2試合で,鳥取との試合が全然ダメ。全然ダメということは,ハーフタイムで戻ってきた選手たちも思っている。それで,僕は何も言わず,グランドに出る瞬間,「昇格したいなら,やることわかってるだろ」とだけ言った。コーチとしては失格かもしれないが,やることを,こうしてやれ,ああやけ,というのは,選手を信じていないことだ。選手を信じるというのは,選手に信じられていると思わなければだめだ。言っていることと,行動が矛盾したら,周りの人はついてこない。そういった時,選手の顔を見て,「勝ったな」と,思った。
●でも結構スタッフの人には迷惑をかける。選手の顔を見て,これはやらない,と,準備したメニューを変える。スタッフを振り回している。ある意味,フィーリングで言う。チームワークに反している。
●指導する側,指導される側とわけない。みんなでやろう,とする。たとえば,選手が試合中,こうしないのですか,と言ってくる。これがうれしいんだけど,わかっている,10分待て,と言ったりする。
●チームが勝つときは何かある,と感ずる。最後の3試合は,ほとんど眠れなかった。暖かいコーヒーを飲む時,胸元過ぎるとき,熱いじゃないですか。でも,カフェオレだと,その熱さに丸みがある。その体中がぽかぽかする感覚がある時,動じない自分がいる。リーダーシップがそういう状態の時,チームは落ち着いている。サッカーを楽しむ,ゲームを楽しむ。
●最終試合は,昇格するとは予想していなかったから,万歳とかする余裕もなく,こけてしまった。選手がこんなに喜ぶんだ,とぐちゃぐちゃになってしまった。
●リーダーシップ論というのは全くない。こうしたら勝てるもない。選手を信じるというが,信じてやるということは,苦境になった時試される。人を信じるのは,自分がそう思っていなければやれない。昔は好き嫌いがあったが,今は嫌いな人はない。その人をまず,自分が信じていく。自分が思うことをいうが,選手からたくさんのことを学ばせてもらった。その人たちが幸せになってほしい。全部の人を試合で使えるわけではないけれど。
●自分は積み重ねてきたという意識はない。その時その時で受け入れてきた。
ここまででのストーリーに対して,リストーリーで出たのは,
○一貫した誠実さと誠意を感ずる。
○思ったことを言うためには,一貫した言動がなくてはならない。100%信ずるというのは,口で言うのはやさしいが,肝心なところで,相手に信じられていると思われなければだめだ。表裏ないというより,表裏内容に努力し続けていく意思を感じた。
○覚悟というものを感じる。「こんなところで不安を感じるくらいなら,引き受けなければいい」
リスボンシビリティというのは,有言実行だと訳した人がいたが,まさにそのものの姿勢を感じる。在日ということで,アイデンティティを自問自答する,ということをちらりと口にされたが,サッカーというグローバルな世界が,オルタナティブな生き方を地に沈め,サッカー人生というドメインなストーリーを図として強化し続けてきたという気がする。「在日の友人はほとんどいない」という最後の言葉はなかなか,深い。
ちょっと長くなった。ただ,人生を振り返るという視点には,「過去と他人は変えられない」というエリック・バーン(ではないという説もあるが)名言もある。あるいはミルトン・エリクソンの,「変えられるのは,過去に対する見方や解釈」だけという言葉もある。とかく過去からの因果を,フロイト以来考えすぎる。僕も,「過去に蓋をしている」」と言われたことがある。
しかし,それはおかしい。過去が自分を決めるのではない。いまの自分が過去の意味を変えるのだ。とすれば,過去からの積み重ねと言ったり,過去のつけと言ったりする,フロイト流(というのはフロイトに責任はなく真似している人の)解釈から脱皮したほうがいい。過去のつけではない。いまのつけで,過去がそう見えるだけだ。今どう生きているか,今自分をどう見ているかで,過去のパースペクティブが変わるだけだ。
「過去の積み重ねという感覚はない」という趣旨のことを言われていたが,曺貴裁さんは,過去にとらわれていない感じがする。というより,一瞬一瞬の今に生きている。その一瞬の意思決定に集中している。フィーリングを大事にしているという評は間違っていると感じている。研ぎ澄ました一瞬への集中力をそういっているだけの気がする。だから,過去を振り返らない。振り返るひまなどない。いまとの乖離があるから,過去を見る。いまの一瞬一瞬に全力を傾けている人間に,過去はいらないのだろう。
それは言葉を変えると,そこにいる,一瞬一瞬の自分に,そして一瞬一瞬のおのれの振る舞いに覚悟することなのだろう。そこからしか,たぶん何も始まらない。それは自分を信ずるとか,自然体に等々という浮ついた言葉ではつくせない一所懸命さなのだと感ずる。
だから本当の自分などというものは必要ない。いまそこにいる自分以外どこにもないからだ。玉ねぎの皮むきのように,剥いても,剥いても,何も出てきはしない。いまの自分からの逃避に,どこかにある本当の自分というものをだしにすることを,いい加減やめなくてはならない。曺貴裁さんのすごいところは,そういう因果や本当の自分論から自由なところだ。
いまの自分がすべてだ。だから自由に話している。だからオープンに話している。だから謙虚であり誠実であり,そして好漢なのだ。
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2012年12月17日
病んで枯野を~死のにほひをめぐって
芭蕉の最後の句に,
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
此の道や行人なしに秋の暮
がある。病んだり,落ち込んだりした時,ふと頭をよぎる。別に芭蕉の心境と重ねているわけではなく,勝手に,自分の凹んだ気持ちを思い入れているだけだ。とかく病むと気弱になる。
ずいぶん昔,あまり休んだことがなかった学校を休んだ夕方,友達がプリントを届けがてら見舞いによってくれたことを今でも思い出すことがある。あの時,気持ちとしては,休むほどでもないのに,休んだという感覚があり,友達の見舞いに面映ゆさを感じたのをよく覚えている。会社勤めの頃も,病気を口実に休んだことはあるが,あまり病欠をした記憶は多くはない。しかし,休んでひとり部屋で寝ているときの感覚は,奇妙なものだ。
人が元気でいる日常から,一人取り残されたような,一人だけ穴に落ち込んだような感覚で,同僚が立ち働いているオフィスの様子がイメージとして浮かんだりする。この感覚は自分だけのものなのかどうかはわからないが,狭いながら,自分のいる世界から,一瞬はじき出された感覚をもつ。
天命という言葉がある。天から与えられた寿命という意味もあるが,天によって定められた宿命という意味もある。それに対して反対は,非命。非命は,天命を全うしない,横死を意味する。
その一瞬には気づかないが,振り返ると,あのときがそうだったと思い当たる,歴史の転換点に,偶然立ち会うことが,ほんの限られた幸運な人間に訪れる。誰もが,おのれ一個の力のみを頼りに,それに立ち向かう。
そのとき,二種類の人間にわかれる。一人は,その流れを,おのがものとして,馬乗りに乗りこなす。いま一人は,その流れに翻弄され,押し流され,やがて力尽きて呑まれる。あるいは逃げ惑うか,ただ横切るので精一杯か,そもそも傍観者で終わるか,いずれにしても,多くは,その流れとの,束の間の交差を果たしながら,ついに足跡すら残せず,翻弄されたまま,一瞬の光芒として消えていく。その束の間の,ひとりひとりと歴史の奔流との交差点だけが,累々とつづいていく。それもまた,別の意味で,もうひとつの歴史なのかもしれない。
あるいは,束の間,歴史の馬を乗りこなしたつもりでも,結局振り落とされ,はかない一閃に終わるのかもしれない。織田信長も,明智光秀も,結局そうした光芒の一つでしかなかった。いま馬乗りにのっているものが,そうではないかどうかは,いまはまだわからない。
だとすると,非命が天命でもありうるし,横死というには当たらないのかもしれない。自分は野垂れ死にという言葉が似合っている,と思っているが,二度だろうか,そういう歴史の変わり目に,当事者の一員として加わったのは。一度は,大学で,二度目は羽田で。しかし,ただ驥尾に伏したまでで,見事に振り落とされた。
最近,維新という言葉が,いろんな意味でつかわれている。しかし,村上一郎はこんなことを書いていた。
影山(正治)は,革命者ないし改革者に対立するものとして,維新者という名称を用いている。維新者は,本質的に,涙もろい詩人なのである。維新者は,また本質的に浪人であり,廟堂に出仕して改革の青写真を引くよりは,人間が人間に成るというとき,そのような設計図は役に立たぬことを知っているのである。維新者は,若々しい情熱を政治にそそぐこと,人後に落ちなかった。が,とど時務・情勢論の非人間性を知る者でもあった。だから,岩倉具視や大久保利通のようにはあり得なかった。
そして,
文化・文政以来の明治維新の精神過程をたどると,それは永久革命というに近い変革のプロセスであると同時に,竹内好もいうように,革命であり反革命である。この矛盾は,けっして単純ではない。開国が革命的で攘夷が反革命でもなければ,その反対でもない。
と続けている。
たぶんあれかこれかの二分ではなく,四つも五つも交錯し,自身反革命の徒と思われようとなお信ずる志のもとに生死した。だから,維新者なのだという。まあ,いまふうにいうと,右も左も関係なく,突破していく力強さといった感じか。松浦玲さんは,坂本龍馬を,「突破力」と称したが,そういう感じか。
だから維新者には,どこか死者のにおいがする。昨今のためにする議論とはどうも違う。死を賭したというべきか。後ろの方の安全なところから,人をけしかけるのとは違う。自分が最前線に立つ気概がないところに,死のにおいはない。空元気のように,粋がることでもない。猪武者は武者ではないから,そう呼ばれる。暴虎憑河し死して悔いなき者は吾与にせざるなり,と孔子の言われる通りだ。
孔子つながりで言うと,村上一郎は,こう書いた。
「友あり遠方より来る,また楽しからずや」とは,友人が九州か東北からやって来た,さあ上がりたまえ,いっぱいやろうなぞというくだらぬことではなく,百年の後に知己あるを信ずる志だと,太宰治の小説にもいっているのである。
と,この連想で言うと,
温故知新
も,貝塚茂樹は,「煮詰めてとっておいたスープを,もう一度あたためて飲むように,過去の伝統を,もう一度考え直して新しい意味を知る」と解釈していた。知識ではなく,時代の中で読み直さなくては,実践知にはならない。
そういえば,石原吉郎は,あるあとがきで,こんなことを書いていた。
「もしもあなたが人間であるなら,私は人間ではない。/もし私が人間であるなら,あなたは人間ではない。」
これは,私の友人が強制収容所で取調べを受けたさいの,取調官に対する彼の最後の発言である。その後彼は死に,その言葉だけが重苦しく私のなかに残った。この言葉は兆発でも,抗議でもない。ありのままの事実の承認である。
ついでに言うと,神田橋條治さんは,「人事を尽くして天命を待つ」をこう言い換えた。「天命を信じて人事を尽くす」と。その方がしっくりくる。
参考文献;
村上一郎『非命の維新者』(角川新書)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
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2012年12月18日
冒険は異界を意識するところから始まる~『義経の冒険』をめぐって
金沢英之『義経の冒険』(講談社選書メチエ)を読んだ。
ここでいう,義経の冒険というのは,義経がジンギスカンだったという話ではなく,御伽草子『御曹子島渡』を指す。
義経は,奥州秀衡にかくまわれているが,そこでゑぞが島の「かねひら大王」のもつ「大日の法」という兵法書を手に入れるべく,とさの湊から海路漕ぎ出し,ころんが島,大手島,ねこ島,もろが島,ゆみ島,きかいが島等々を通り過ぎ,むま島,はだか島,女ごの島,ちいさご島に上陸し,やっとゑぞが島につく。そこから千島の都まで七十余日で。たどりついたかねひら大王の内裏は,八十丈の鉄の築地を張り巡らし,牛頭,馬頭,阿防羅刹といった鬼たちが門を守っていた。義経を餌食にしようとした鬼たちに取り囲まれたところで,この世の名残に笛を吹くと,鬼どもを魅了し,大王にも奏聞された。
大王は,五色の身の丈十六丈,八つの手足に,三十の角,百里の先まで届く大声の持ち主で,笛に上機嫌で,上陸した理由を聞く。義経は,大日法の兵法の伝授を賜りたいというと,それなら,わが身と師弟関係を結び,かんふう河で朝に三三三度,夕べに三三〇度垢離を取り,三年三月の精進をした後ようやくならうことができる。葦原国の大天狗太郎坊も,半ばの二十一巻で終わった。もし太郎坊よりならっているのなら,語ってみよ,その後大事を伝える,と言われ,義経は,鞍馬の山奥で習ったことをことごとく行ってみせる。大王は感心して師弟の約束を交わしたが,なかなか教えてもらえない。
大王の娘に「あさひ天女」がいるが,やがて両者は契りを交わし打ち解けあうようになり,義経は天女に,大日の兵法をひと目みたいと打ち明けた。初めは私の手におえないと拒んでいたが,懇願する義経に説かれて,覚悟を決めた天女は,父に勘当されるのを覚悟で,石の蔵を開け,義経は持ち帰った巻物を三日三晩書き写した。
天女は,父に知られる前に葦原国に帰るように訴え,一緒に行けないという天女から,追手に追われた時の「ゑんざん」「らむふうびらんふう」の法を教わり,無事日本へ着く。
わが身を案じる際は,「ぬれてのほう」を使い,茶碗の水に阿吽の文字を書けば,そこに血が浮かぶでしょう。そのときは,わが身は父の手にかかり最期を迎えたと察し,読経してこう背を弔ってほしいと言われたとおりにすると,水の上に一滴の血が浮かんだ…。かくして,義経は,兵法の威徳で日本を思いのまま従え,源氏の御代となった。
大体こんなストーリーである。ここへ結晶するまでに,『古事記』の根堅州国訪問奇譚,吉備真備入唐譚を経て,その間,陰陽道,鞍馬信仰,修験道,それに田村麻呂伝承,聖徳太子伝説等々,様々な日本の文化の地層をくぐりぬけていることを丁寧に追跡している。
しかし伝承・伝説にそんなに詳しくない読者に興味深いのは,鬼というものの意味の方だ。鬼の退治者として登場するのは,いろいろな説明の仕方がある。
ひとつは,神楽の鬼のように,来訪神のような存在。これは,里に対して,山の世界,里にとっての外部としての山の世界,つまり異界性を反映している。
いまひとつは,世界の周縁に存在し,向こう側から現れるものの存在によって,逆に,自分たちの立ち位置が中心であるとする認識を支える役割を果たす。地理的には,東北であったりする(その位置はどんどん北へ移動していく)が,もうひとつ,身近な洞穴であったり,木のほこらやを入り口とした,冥界であったり,竜宮城であったりという,異次元であったりする。
しかし『御曹子島渡』の伝本の新しいものになるにつれて,ゑぞの認識が変わって,鬼から人になっていくという。それはその当時の人々にとって,異界が異界ではなくなっていくことを意味する。異界としてまだ見ぬ世界があればこそ,それとの対比で自分たちを中心として支える物語が作れる。ある意味,異界を意識しながら,自己確認をしているのに近い。これは,何も御伽草子や伝承といった過去の話とは限らないのではあるまいか。
今日のように,世界がひとつにつながり,かつて内と外を隔てていた境界線がなくなり,公と私も,国内と国外も,リアルとバーチャルも境界線があいまいになっていき,一面均一の「いま」「ここ」だけがある,とこんな言い方をされる。別の言い方をすれば,グローバル化,インターネット化で世界は一つになった,と。
どうも,そういう単層の,均一の世界に,われわれは耐えられないのではないか,という気がする。科学一辺倒で,科学ですべてが解き明かされるかに見えて,他方で,かつて以上に,心霊現象やパワースポット,幽霊や祖霊が,かえって信じられるように,かつて鬼と呼ばれたものが,いまは別の名前になっただけではないのだろうか。鬼退治した桃太郎は,鬼が島にいったが,いまわれわれの中では,祈祷師や呪い師が,桃太郎なのだろうか。
御伽草子『御曹子島渡』は過去の世界の話とはいえない気がする。
ひょっとすると,SFの世界は,別の意味の,異界への冒険譚なのかもしれない。あるいはタイムマシンも,平行世界も,もうひとつの冒険譚なのではあるまいか。義経伝説が,異界へのわれわれの想像をかきたてたように,いまは宇宙が我々にとっての異界のひとつであり,SFはわれわれにとっての,現代の義経伝説なのだろう。
この宇宙での惑星外惑星を探すことに夢中になっているプラネットハンターの話は,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/2012-1120.html
で触れたが,かつて大航海時代,ジパング伝説に駆り立てられて,東へ,東へ向かったように,いま新たな鬼の住む異界を目指して探索しているといえるのかもしれない。そこには,鬼ではなく宇宙人が存在している。かつて鬼という存在を,奇天烈に描き出したように,われわれは「スターウォーズ」や「マーズアタック」,「アバター」で,宇宙人を奇天烈に,想像力豊かに描き出している。そうすることで,自分という存在を意識し,アイデンティティを確認しているところがある。であれば,われわれは,その世界に新たに乗り出していく,新たな義経伝説の話が,宇宙探検へのパイロットのように,これからも,別の形で,続々語られるに違いない。
今日のアイデア;
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#『義経の冒険』
2012年12月19日
問題と思えなければ問題は存在しない~吉川 悟先生「治療システムと介入の下地作り」に参加して
吉川悟先生の「治療システムと介入の下地作り」~ 基本の大切さ、システムズアプローチの実技指導~というワークショップに参加しました。いわゆるシステムズアプローチです。誰が原因で,なぜ起こったかという原因論ではなく,どういう状況で,何が起きたか,を基本スタンスにして,文脈を理解したうえで,相互作用によるパターンを見つけ,そのパターン(の一部)を変えてやることで,問題対処のパターンを変える,あるいはコンテキストを変えることで,行動の意味を変える等々,症状が変わらなくても行動の意味が変わることで,問題が消える。たとえば,何度も,ちゃりで家出する少年を競輪選手にさせれば,問題の意味が変わるというたとえ話がでましたが。
案内のメールに,吉川先生のメッセージとして,こうありました。
「システムズアプローチの実践において最も重要なことは、さまざまな技術的なこと以上に「治療システムの構築」です。治療システム構築のためのジョイニングを簡単に考えるのではなく、情報収集の仕方そのものについてもジョイニングの鉄則に則り、「クライエントや家族が話しやすいようにすること」「話の展開に負荷をかけないようにすること」などのための基本原則が様々に存在します。また、治療システムが有効に構築できたとしても、拙速な介入は怪我の元となります。
介入のためには、下地作りが必要で、働きかけようとしていることが「現在の治療システムにとって負荷が大きなものにならないか」「当然のこととして変化を了解してくれる可能性があるのか」「できることをお願いしようとしているのか」といった単純なレベルの日常確認でさえ、介入の下地といえます。
2日間のワークを通じて、これら2点の繋がりのある内容を重点的にチェックしていただき、その技量を上げていただくことが今回の目標となります。 」
要は,ジョイニングの基礎から,面談の仮説設定まで,初めはシナリオあり,次はシナリオなしで,ほとんどが実践的なワークでした。この中で得たものをまとめるのは,正直至難の業で,ワーク中,汗をかき,恥をかき,意欲をなえさせられ,混乱させられ続けたので,そこで得た考えをまとめることにしたいと思います。まあ,事象の経過報告にとどまらざるをえませんが。
システムズアプローチについては,詳しくないので,吉川先生が,著書で,こう書かれているところからスタートし,自分なりの整理をしたいと思います。
システムは実体として存在するものではありません。システム論が観察対象を概念化する指標である以上,観察者が任意の要素間の相互作用にある種の秩序を見出すことによって,その要素の集合体をシステムとして概念化するのですから,システムは観察者の中に存在するもので,実体としてのシステムの存在の有無は議論されないことになります。
つまり,セラピストが必要に応じて対象システムを切り分けていく,という風に受け止めて構わないと感じました。つまり,五人の家族がいても,セラピーの場所に,来る,来ないにかかわらず,母と子ども二人だけのシステムを対象として,それを変化の対象を任意のシステムとして,その中で起こっている問題のパターンを変えようとすることだ,と理解しました。その切り分けに,たぶんシステムズアプローチをするセラピーの力量が問われるだろう,と。
では,システムズアプローチの目的は何か。
ある立場の考え方では,客観的な事実としての問題を維持しているという状態であっても,その中でそれが「困ったこと」程度にあつかわれ,安定的な相互作用が維持できているという場合には,自分たちのコンテキストが変化すること(治療を受けること)を望まないと述べています。つまり,客観的には「困ったこと」であったとしても,それが「困った」ことという程度で維持できる状態では,その「困ったこと」は『問題』ではなく,安定的な相互作用を維持させる一つの要素になっていると考えるのです。そして,治療を求めるということは,そのシステムにとってこれまでのかかわり方が変化せざるをえないということの象徴であり,「困ったこと」が『問題』として扱われているためだと考えています(これは,そのシステムだけの要望ではなく,そのシステムの属しているより大きなシステムや,個人というより小さなシステムからの影響に対応するためかもしれません)。
さて,こうした『問題』ついての考え方の違いと同様に,『解決』についての考え方も『問題』に対応しています。客観的な立場や一定の規定にしたがって問題が解決したか否かではなく,全く問題自体が変化していなくても,治療を必要としていたシステムが『問題』を問題としなくなった段階がシステムズアプローチにおける『解決』だと考えるのです。
つまりは,IP(Identified Patient 患者とみなされたひと)中心の問題と考えてはいけない,そのシステムで起こっている相互作用と考えて,そのパターンを見つけなくては入れない。だから,問題は何か等々という窓枠はなく,切り取ったシステムでは,どういう文脈で,何が起きているか,というパースペクティブだけが必要なのだ,と理解しました。
そこで,システムズアプローチの,起こる出来事に対する基本的なスタンスは,
誰が,なぜ起こったか,
とは考えない。そうではなく,
どんな状況で,何が起こっているのか,
を重視することになります。
問題と感じているのは,来談者であり,セラピスト側は,問題と見る窓枠,あるいは問題に焦点を当てる見方を取らないのだと受け止めました。問題があると考えるから,問題に焦点が当たる。問題ではなく,何かが起きている,それは何かということに焦点を当てるのである,と。
「状況」とは,「出来事が行われている場面の設定の共通因子となるもの」「文脈を理解する」という意味であり,場面設定を変えると,何かが変わる,と考える。「何が」とは,「出来事から意味や価値を排除した出来事のつながり=パターン」を理解する。
そのパターンの一部を変えることで,何かが変わる,と考えるのです。その何かは,その家族の特有の文脈だから,そうなったとみなす,だから文脈が変われば,違う意味を持つかもしれないし,その何かは,家族同士の相互作用で,そのつながっている一連のパターンを少しいじるだけで,動くかもしれない。しかし,セラピストが変化を起こすのではない。家族の誰かが動いてくれればいい。そのためにセラピストは家族の誰かが動きやすくしてやればいい。そうやってパターンさえ変われば,人の問題行動は変わっていくのではないか……。
だから,どういう特有の状況で,何が起きているかをつかむ。情報には,コード化できるコード情報と文脈やニュアンスというコード化できないモード情報というのがある,とされます。ここでは,その文脈の中で,特有の出来事の連鎖をつかみ,そこに一定のパターンを抽出していこうということになります。その際,問題かどうかは,こちらの予断であり,先入観に過ぎません。そういうものを脇に置いて,ただ観察する。科学者の実験に似ています。特有の状況の,特質すべきパターンを抽出する。
われわれは場面に応じて行動を使い分けているので,兄弟や友人と話しているのと同じため口を聴けば,会社では問題になるかもしれない。会社でやっている指示命令口調を,家族にすればやはり問題かもしれない。しかし,ため口を問題にしない職場だってありうる(そこで,困ったことではあっても,問題というほどに考えなければ,治療の対象となることはない)。
システムズアプローチの治療構造は,
情報収集→仮説設定→働きかけ→情報収集→
と循環していきます。一瞬一瞬のやり取りが,そのまま働きかけになり,それに対応する相手の振る舞いが,情報収集となり,次の働きかけのための仮説,ではこういうことではないか,という仮説を立てて働きかけていく。これは,たとえば入って,挨拶したら,相手がどう返してきたかを見て,また仮説を立て,次の働きかけを考えていく,というふうに頻繁に一回転が回っていく。だから,当然一つの仮説にしがみつくなどということはありえない…。
さて,まずやって来たクライアント家族に話を聞かなくてはならない。
それを,吉川先生は,「家族『を』治療する」のではなく,「家族『と』治療する」といいます。そのために,家族と仲良くならなくてはならない。「家族に家族の一員として認知」してもらわなくてはならない。ちなみに,うまくいっているセラピーでは,家族が,自分たちの中の誰ですか,ときくと,ピタリと当ててくれるそうです(現実にいるいないにかかわらず,たとえば,叔父さんとか,お兄さんとか)。遠い親戚とか,おせっかいな近所のおばさんでは,よそいきのやり取りになる。「友達になったのではだめ」と吉川さんはいいます。
身内としてそこにいなっていなければ,家族の中で,日常「普通」に行われていることが,その場にでてこない。普段のやりとりが見えてこない。その中に,家族のやっているパターンがあるはずだからです。家族の一員として認められていくプロセスをジョイニングというようです。
ジョイニングプロセスには3つの方法があります。
① 来談者それぞれのふるまいに合わせる(マイム) 家族のしゃべり方,特有のテンポ,間合い,感情表現等々
② 来談者それぞれのかかわり方に合わせる(トラッキング) 家族それぞれの役割や行動に合わせること等々
③ 来談者それぞれの考え方・価値観に合わせる(アコモデーション) 主導権が父にあるのか,母にあるのか等々
こうすることで,家族の中にいて,違和感なく,自然な会話を聞き取れ,
・家族の自然なかかわり方があらわれやすくなる
・セラピストによそいきの態度を示すことが少ないこと
・セラピストへの抵抗感が減ること
で,そのパターンが見やすくなるわけです。
そこで,ジョイニングの実践練習です。
家族が座っている部屋へ,セラピストがノックして,入っていく,と設定した場面を,実際に何度もやりました。というより,やり直しました。
たとえば,頭を何度も下げる,無用に頷く,手を前で組む,腰を低くする,愛想笑いで小首を傾ける等々,それ自体が家族にあるメッセージを送ることになる。無用のメッセージを与えない,ニュートラルな動きというのが,なかなかむつかしい。もともとセラピストが上,家族が下という上下関係が社会的に前提になっているところで,こっちの意図を出さない,自然な流れが必要ということなのでしょう。
だから,家族と面談が始まっても,まず誰を見るかで,相手へのメッセージが決まる。例えば,誰かが話し始めても,その人は,あくまで窓口かもしれない。本当の主導権を握っているのは,別の誰かかもしれない。その人と話しながら,家族がその人をどう見ているのか,どういう反応をしているのか,を注意深く目配りしなくてはならない。家族相互の関係,家族同士の位置関係を見極めなくてはならないのです。
ジョイニングの留意点は,家族の相互作用,関わり方,価値観を理解するために,
① 家族の相互作用に合わせる。そのために,家族の相互作用が起きやすいようにふるまって,役割行動を引き出す。「どなたか御家族をご紹介ください」と振ることで,とりあえず,窓口役が明確になるが,その窓口役を優先しつつ,その紹介の仕方に,他の家族メンバーがどう対応するのか,同調的か,肯定的か,批判的かを見極めていく。
② 家族のかかわり方に合わせる。たとえば,家族の特徴的なかかわりが起きやすくする。たとえば,子供に聞くと,誰がフォローするのか,親に聞くと,誰がそれを引き取るのか。それに応じて,家族のかかわりを肯定的にリフレーミングする。「よくお子さんのことを見ていらっしゃいますね」等々。
③ 家族の価値観にあわせる。たとえば家族全体にコンセンサスがある場合は,それにあわせていく。家族それぞれに対立がある場合は,それぞれお子さんのためにいろいろお考えになっているんですね」「それぞれお子さんに何がいいかを考えていらっしゃるんですね」と,違いを肯定的に返すことで,包括的枠組みを提示する。あるいは,個々の価値観の必要性を共有するようにする。「心配するポイントは違っても,それぞれ考えていらっしゃるんですね」とポジショニングを示す等々,いずれもコンセンサスを作り出すように働きかけている。
この間に使っているのは,「見る」「聞く」のふたつの「頭」ですが,ここから,仮説を立てて,働きかけていく段階では,「情報を整理する」というもうひとつの「頭」が必要になり,最終的には,もっとたくさんの頭を働かせて,目まぐるしく働らかせるのだ,と吉川先生いいます。とても初心者ではそこまでいきません。3つの頭ですらもてあましています。
しかし考えてみると,(コーアクティブ)コーチングでいう,レベル1,2,3というのは,ある意味で相手の言葉と同時に,その場全体の雰囲気,相手の非言語的メッセージを聞くことを含めているので,それ自体は難しくはない。しかし,相手が,一対一ではなく,家族という複数になった瞬間,見るという行為そのものが,様々なメッセージとして,それぞれに伝わってしまうというリスクを抱え込んでしまうのです。これは未知の領域です。
なにはともあれ,こちらの些細な動き一つ,例えば,誰に顔を向けて話しているか,そのとき肯定的に頷いたのか,その時合わせて誰に目線を送ったのか,それだけですでに相手家族に,それぞれ別々のメッセージを送っていることになる,しゃべっていなくても,振る舞いで,すでにメッセージを出している,のです。このことは,一対一でも,十分注意を払うべきことのように思います。
さて,ともあれ,家族のいう「問題」の入り口に入ったら,
① 家族側が,自分なりに全体像を説明する。この時,相手の話を止めず,顔だけで反応しておく。同時に,目は話を聞いている家族それぞれの反応を追っておく。ここでも,さまざまに,やらなくてはならないことがある。耳は話を聞き,目は家族全員を見ておく。しかし頭は働かせておかなくてはならない。「一回した話の中身は二度と聞いてはいけない」という。二度目にいうときは,「先ほど,何々とおっしゃったことですが,もう少し詳しくお聞かせいただけますか」と補足するか,「それは一日中続いたのですか」というように,相互の働きかけを聞き出すように問う。
② メッセージ情報を聞き出す。その場合,いつの情報かが重要で,できるだけ最近の情報が必要。そこでは,いろんな構成メンバーがかかわって,問題につながるものでなくてはならない。そして,誰がエピソードをしゃべっているにしろ,首はその人に向けながら,目で,他のメンバーの反応を見ることで,相互の関係が見えてくる。
情報には,聴覚から入ってくる,記述的情報(こんなことがありました云々)と,観察による情報(家族の相互作用やセラピストとの相互作用)がある。必要なのは,システムの中で起きているパターンを摑むこと。で,そのためには,
① 順に出来事を聞いていく。「その後,どうなりましたか」「それから」
② 起こっている出来事をセラピストがまとめる。聞いた話を,○○の前に△△があり,××は○○後に,△△は,いろいろな経過後に,□□によって収束した,というように。
そうやって,いつもの出来事と,それがとうやって収まっていったかを聞く必要がある。そして,情報が集まり,家族特有の出来事が起きた時の対処方法のパターンがわかったところで,仮説を立てる。「こうやって働きかけよう」と。
吉川先生はこう書いていました。
必要な情報とは,現在問題を抱えているシステムが,「どのような交流の中で,ある一定の個人のどのような行動を問題としているか」「その問題に直接的にかかわる領域で,どのような相互交流をしているのか」また「これまでにどのような方法で,問題を解決しようとしてきたか」など,問題にかかわる相互交流がどのように成立しているかという点を中心に,現在家族が陥っているコンテキストを見つけることが必要なのです。
と。たとえば,子供がぐずぐず言って登校しない→父親が有無を言わさず叱る→母親が父親に文句を言う→夫婦で喧嘩になる→時間が来て父親は出勤する→母親が父親の文句を呟く→子供が母親の機嫌を取る→母親子供の意向を聞く→家族が収まる,というパターンが聞き取れたとして,しかし,どの部分を変えることが,全体のコンテキストを変えるために,最もたやすい部分かは,情報収集からだけではわからないと言われます。すると,例えば,このパターンを崩すために,何か立てた仮説を立て,それを試してみて,うまくいかなければまた修正をして,家族の反応を見ながら検証し,仮説を修正していくことになります。
ここで学んだのは,母親の対応がまずい,父親の叱り方がまずい,夫婦げんかがまずい等々という問題発見,問題設定の切り口で話を整理するのではなく,出来後の発生→出来事に特有の家族間のやり取り→何か特有のやり取りで出来事が収まっていく,という一連の流れを,家族それぞれのかかわり方(役割やポジション)を含めてつかまえ,どの部分を変えられるのか,どう変えるとどんな変化が起こるのか,を考えていくことになります。
しかし家族は,大きな変化を望みません。例えば,引きこもりの子供に,「働きかけを変えましょう」と,たとえば晩御飯を持っていく時間を30分ずらしましょうと提案しても,大した変化でなくても,受け入れてもらえない,という。きちんとご飯を食べさせなくてはいけない。変に変えると,何が起こるかわからない,と不安になる。で,1分遅れ,から始めていく。次は,2分遅らす。時計をにらみながら,行動する。すでに,その行動変化で,何かが起き始めているような気がします。このように同じことを繰り返している,そのパターンをずらすことで,システムを動かす一歩にしようとしている,そう理解しました。
しかし,この日は,とてもそこまではいけませんでした。
以上が2日間で学んだことの整理です。
仮説をどう立てるか,それをどう働きかけていくかまでは,あまり深入りできなかったのですが,ここまでのプロセスでも,単純に見えることでも,理論的なバックボーンがあるかもしれないという不安が残り,これで十分まとめられたのか,という危惧がありますし,表面をなぞった感があることは否めません。
ま,ともかく,浅学な自分に把握できたのは,こういうことだ,ということだということで,あきらめるしかありません。まだまだ勉強です。
参考文献;
吉川悟『セラピーをスリムにする!』(金剛出版)
吉川悟『家族療法―システムズアプローチの「ものの見方」』(ミネルヴァ書房)
吉川悟&東豊『システムズアプローチによる家族療法のすすめ方』(ミネルヴァ書房)
今日のアイデア;
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2012年12月20日
「覚悟」という言葉を口にするとき~死とどう向き合うか
友人三人で,万座温泉に旅行に行った。一人は癌で,いま一人は手術を控えていて,いま一人も成人病予備軍。
彼は,「もう効く薬がない」といわれたとき,「マーカーの数値が二桁上がった」とき,覚悟を決めたと語った。覚悟という言葉には,人にそれ以上深く追及させない壁がある。自分はもう決意したのだから,そのことについて,四の五の言うな,というように聞こえた。しかし聞きたくなる。“そうか,決めたのか,で何を決めたのだろう”いや“そもそも,決めたところでどうなるのだ”等々。
確かに死ぬと決まった時,あるいはまもなく死ぬと聞かされた時,何がよぎるのだろう。母が再入院と決まった日,家族には何も言わず,叔父(母の義弟)に,「もう少し生きたい。まだやりたいことがある」と,はがきに書いて出した。母は無念のまま,心をのこして死んだ。しかしどう考えようと,死はくる。それを延ばせても,止められない。
覚悟という言葉を聞いた時,一瞬,石田三成を思い出した。刑場へ連れて行かれる時に,刑吏が柿を出した。それをみて,身体に悪いと言って,三成は断ったという。それを刑吏は笑った。処刑される人間が,身体に悪いとは,と。しかし,その話を読んだ時,思い出した逸話がある。フランス革命時,ジャコバン党に処刑されることに決まった貴族が,刑場へ運ばれる馬車の中で,本を読み続け,処刑場につき,刑吏に,降りろと促されて馬車を出るとき,貴族は読みかけの辺のページの端を折ったという。それを人は笑うかもしれない。しかし,死の直前まで,それまでと同じ日常を,淡々と過ごしていくことこそ,覚悟というか,凄味があるのではないか。
彼は,マーカーの数値が上がると,我々二人に連絡を取って,「飲もう」という。あるいは,「夕日を見に行こう」などといって誘う。あるとき,彼は言った。「マーカーの数値があがって,いよいよかと思った時,君たちの顔が浮かんだ」という。これでもう二度と会えないかと思って,と。そういえば,久しぶりに電話をもらった気がする。そんなことを二三回,だから一緒に飲んだり,夕日を見に行ったり,そして先だって,旅の誘いがあった。いまは,聞く薬がないので,痛み止めを飲んでいる,という。つまりは,痛みがあちこちにある,ということらしい。しかし,帰路,痛みが薄らいだという。痛みの奥の芯のような痛みがなくなったきがする,と。ひょっとすると効能書きにある,酸性硫黄泉と高度1800mでの血流効果があったのか?効いたら,また来たい,と彼は言っていた。
泊まった宿(日進館)の効能書きにはこうあった。日本には4000以上温泉がある中で,標高1000m以上の高地温泉は40数か所,その中で酸性硫黄温泉は,万座温泉だけ。1800mの低い気圧が新陳代謝を向上させる,と。
硫化水素のにおいのする白濁の湯の中で,また飲みながら,淡々と昔の話をし,今の政治の話をし,日々の暮らしの話をし,かつ議論をし,かつ歎き,そして飲んだ。それはいままで,若いころから,40年にわたって繰り返してきたことを,また現在再現している。ただ彼は塾を経営し,いまひとりは公益法人の常務理事に収まり,私は,自営で20年以上やって来た。三人一緒に同僚でいたのは,ほんのわずかでしかない。だが,どういうわけか長い付き合いになっている。ひとりはいらちで,気短か。いまひとりは気長で粘り強い。いま一人は,三人の調整役。その彼から私まで一歳ずつ違って,同じ時代の空気を吸い,同じ怒りを怒り,同じ悲しみを悲しんできた,まあほぼ同世代。悲憤慷慨は共有しあうものがある。しかし,彼は,三人の中で,要の位置にいる。考えてみれば,彼がそこにいない時,彼が遠い存在であった時期も,残りの二人であっているときも,彼を意識していた気がする。
だからといって,いつも一緒に居たいとお互いに思っているわけではない。長い間合わなくても,別に苦にはならない。ただ,「死を思ったとき,君たちの顔を思い出した」といった彼と同じように,私も,彼らのことを思い出すだろうか。
コマーシャルで,井上揚水が,「あっという間でしたね」と言っているセリフがあった。本当に,この40年はあっという間のことだ。ガイアシンフォニー第三番(これしか見ていないのだが)の中には,いっぱい魅力的なセリフがあるが,最もお気に入りは,
人生とは,なにかを計画している時におこってしまう,別の出来事のことをいう。
結果が,最初の思惑通りにならなくても,最後に意味を持つのは,結果ではなく,過ごしてしまった,かけがえのないその時間である。
三人は,一瞬同じ夢を見たことがある。それは見事に潰えて,バラバラになった,その時間を「かけがえのない」と言えるかどうかはわからないが,苦闘と苦悩の日々だったことだけは確かだ。その一瞬一瞬は,一期一会だ。好きな石原吉郎の同名のタイトルの詩で言えば,
一期にして
ついに会わず
膝を置き
手を置き
目礼して ついに
会わざるもの(「一期」)
そこまでかっこよくはないが,潰えた後,ひとりとは十年,いま一人とは二十年,会わない時期があった。空白期,お互いに自分の人生を拓いていった。
ふと思う。これは新たな始まりなのかもしれない。「私はほとんどうかつであった」という石原の詩句が好きである。
重大なものが終わるとき
さらに重大なものが
はじまることに
私はほとんどうかつであった
生の終わりがそのままに
死のはじまりであることに
死もまた持続する
過程であることに
死もまた
未来をもつことに(「はじまる」)
死の直前,全生涯分の一瞬一瞬が,映画フィルムのラッシュのように,目前を走るという。本当かどうかは知らない。その時,お互いのラッシュのどれだけが一致するだろう。そんなかけがえのない時間をすごせたのか?
今日のアイデア;
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#死
#死に方
#石原吉郎
2012年12月21日
自分の思いを伝えるということ~どうしたら土俵を共有できるか
人を好きになったり,嫌いになったりは,恋は思案の外,という言葉があるくらい,理屈では分からない。だから,その思いを伝えようとすると,なかなか難しい。しかし,それは自分の視点からしか見ていないからかもしれない。
今昔物語に,有名な話がある。 (といっても,恋い焦がれた男が,相手を嫌いになるつもりで,便器を見たら,香木があったという,さんざんこけにされたという印象程度しかなかったので,ためしにグーグルで「うんこ 香木」で引くと,今昔物語の巻3 0とわかった。『宇治拾遺物語』第3巻には「平貞文本院侍従の事」にも似た話があり,谷崎純一郎の『少将滋幹の母』にも同じような場面が出てくるし,また芥川龍之介はこれをもとに『好色』を書いているようだ。以下にそれを要約してみた)。
兵衛佐の平定文が,通称は平中という人がいた。上品で,容姿は美しく,立ち居振る舞いや言葉もあか抜けしていて,当時,この平中にまさる色男は世の中にいなかった。だからもてる。プレイボーイである。その平中が,藤原時平に使える侍従の君と呼ばれる若い女性に夢中になる。
しかし歌を送っても,返事もくれず,せめて「見た」と二文字でいいから返事がほしい,と書き送ると,自分が書き送った手紙の<見た>の部分を破って,薄紙に貼りつけて返す。平中は,哀しさと情けなさで,ふさぎこんでしまった。
しかし長雨の続くある日,こんな夜に訪ねていったら,鬼のように非情な心の持主でも,哀れに思ってくれるのではないか,そう思って,暗い雨の夜,その家に仕える女性たちの住む部屋のあたりへ行き,以前より取り次ぎをしていた小娘を呼んで「思いつめた末にやってまいりました」と伝言させると,やがて小娘が帰ってきて,「今はまだ他の人も寝ていないので,御前を下がるわけにはいきません。しばらく待っていてください」との返事,散々雨の中待たされた末,人々が寝る気配があり,やがて内側に誰か来る音がして,引き戸の掛金をそっと外した。喜んで戸を引くとなんなく開く。もう夢心地で,心を静めて部屋に入ると,そこには香のかおりが満ちている。寝床とおぼしいところをさぐると,柔らかい衣ひとかさねを身につけて,女が横たわっている。頭から肩にかけてほっそりと,髪は凍っているように冷ややかである。嬉しさのあまり語りかける言葉も思いつかなかったところ,女が,「たいへんなことを忘れていました。障子の掛金を掛けていません。行って掛けてきますからね」といって,上にはおっていた衣を脱ぎおき,単衣と袴ばかりを着て行った。障子の掛金を掛ける音が聞こえ,もう来ると思ったのに,足音は奥の方に去っていき,戻ってくる音もしないまま長い時間がたった。おかしいと思って,起きて障子のところへ行って調べると,掛金が向こう側から掛けられているのがわかった。また,平中はコケにされた。
その後平中は,なんとか彼女の欠点を耳にして,嫌いになってしまおうと考えたのだが,まったく悪い噂がない。ふと,あんなにすばらしい女だけれど,便器にするものを見たら,百年の恋もさめるんじゃないかと思いついた。
そこで,便器を洗いに行くところを奪い取って,中身を見てやろうと,女の部屋のあたりをうろついていたところ,小娘が,香染の布に便器を包み,赤地に絵のある扇で隠しつつ部屋から出てくるのを見つけた。それをひったくって,中をみると,金漆を塗った便器であった。肝心の中身はともかくとして,包んでいた布といいその便器といい,ありきたりのものとはかけ離れたすばらしさ。おそるおそる蓋をとると,たちまち丁子のよい香りが匂う。その意外さに驚いて中を覗きこむと,薄黄色い液体が半分ばかりあって,親指くらいの大きさの黄黒い物体が三切れほど,丸まっている。香りがあまりにかぐわしいので,鼻にあてて嗅ぐと,黒方(くろぼう)という,数種の香を練り合わせた薫物のかおりであった。便器の液体は,丁子の香りが深くしみている。ちょっと嘗めてみたら,苦くて甘く,かぐわしいこと限りない。尿に見せかけた液体は,丁子を煮てその汁を入れたのであり,ウンコのようなのは,野老(トコロ)と黒方にあまづらを混ぜて捏ね,大きな筆の軸に入れて押し出して作ったのだとわかった。
それにつけても思うのは,こんな細工自体は,ほかにも思いつく者がいるかもしれない。しかし,便器を奪って覗くやつがいるかもしれないなどと,そもそも誰に予想できるだろうか。彼女は常人の心を超えているのだ。この人間界の人ではない。それからというもの,平中は,ただただ思い惑って,そのあげく病気になり,とうとう死んでしまったという。
平中は,今風に言えば,ストーカーなのだろう。しかし相手に完全に遊ばれている。逆に言うと,平中の思う土俵とは別のところで,侍従の君はゲームをしている,と言えなくもない。平中は,自分の土俵で相手にしてもらえない,と嘆き,落ち込むが,侍従の君の遊びの土俵の上で,相手の仕掛ける罠を,こちらも予想しながら,楽しんだら,別の土俵かもしれないが,何かを一緒にしていることになったのかもしれない。
ここまでコケにされてもなお,好きでありつづけるのはかまわない。しかし自分の土俵に相手が乗ってくれることを期待し続ければ,ストーカーになるしかない。しかし普通はありえないが,侍従の君のように,多少変態的に見えるが,相手をおちょくり,痛めつける遊び(?)の土俵に乗ってみるという,土俵の共有化もあるのかもしれない。
対人魅力の研究では,「好意の返報性」が指摘されている。自分を好きとか素晴らしいと思ってくれる人を,好ましいと思いやすい,という。しかし侍従の君にはそれは当てはまらない。ストーカーにも当てはまらない。
対人認知の類別というのがある。相手との相互作用の有無で親疎を分けている。相互作用というのは,自分(相手)の反応で,相手(自分)が懐く印象が変わったり,相手(自分)が示す振る舞いが変わったりする関係である。結果依存性という言い方もされる。それには一方的な影響を与える非対称性と相互に影響しあう対称性の二つがあるとされる。
①レベルゼロのひとたち たまたま,すれ違っただけ,行きあわせただで,再び会うことのない,将来のかかわり(相互関係)のない,人物として意味づけられることのない他者。
・注目するだけ その人の存在に気づいて,その人に注意を向ける。電車に乗っている時の向かい側の席の人。
・速射判断するだけ その人の外見や振る舞いを見て,その人がどんなタイプかを判断する。美人だな等々。
②レベル1 人物として認識されているが,相手との何らかのやりとり(相互作用)が行われていない他者。
・グループA タレントや有名人など,テレビに映る人たち。こちらが一方的に知っているだけの人たち。
・グループB 友人の友人で,その人と付き合うことには関心を持てない人たち。フェイスブックでつながっているだけというのも含まれるかもしれない。
・グループC 相互作用をしたいと思っているのではなく,お店の店員に声を掛けたり,バス待ちの人に声を掛けたりと,その場だけのかかわりとなるひとたち。
③レベル2 相手から一方的にコントロールされたり,支配されたりする関係。教祖との関係もこれに近い。この場合,結果依存性が,一方的な影響を与える側と,それを受ける側の二つがあることになる。
④レベル3 対等に相手に影響を与え合っている関係。共同作業をしている場合には,テニスの試合のような競争関係も含まれる。相手を正確に認知しようとし,評価に敏感に反応する傾向がある。
⑤レベル4 ここでは単なる関心ではなく,相手からの好意が気になる相手。その相手への思い,関心の高さは,他のレベルとは比較にならない。好意を示すものを好むという,好意の返報性と同時に,好ましさに目が向きがちというポジティブ・バイアスがあるとされる。
で,われわれは,相手から何らかの好意的反応を得ると,それが本当かどうかを,確証をえようとし,相手が自分をどう見ているか,自分を受け入れようとしているのか,自分をどのような人物だと判断しているかに,関心をよせる,と言われています。
遠くからあこがれているだけでは,「心の中の島」は,はるかに離れた「心の中だけの夢」にとどまる。鏡越しに垣間見るだけでは,現実の距離は縮まらない。そこへ近づくには,どんなに遠くても現実に第一歩を踏み出すことから始めるしかない。しかし,自分の思いと,相手の思いとは,同じスタートラインにはいない。そのスタートラインの違いを気づかなければ,ボタンのかけ違いが起こる。
どうも,平中は,レベル4を期待し,侍従の君は,レベル3の段階で,相手を試していたと見える。ここで,平中は,土俵から降りてしまった。諦めたというのは,自分の土俵に相手が乗ってくれないと,見極めたということだ。でも,侍従の君は,別の土俵にいる。もともと何の関係もない二人なら,ボタンが掛け違っているのは当たり前。それなら,どこかで,こちらが調整するしかない。調整は,相手はしてくれない。好意を示した側が,土俵をしつらえ直すほかはない。そう見える。
確かに,ちょっと男性から見ると,切ないが,しかし相手が自分に合わせてくれることを,一方的に期待し続けるのは身勝手というものだ。そこを踏み越えると,ストーカーに陥っていく。
たとえば「好きだ」と一方的に言うだけでは,相手から見れば,何も伝えていないに等しい。伝えているのは,ただ,自分の感情だ。情念だ。しかし,それを受け止める必要が相手になければ,その思いは,宙に舞うだけだ。まして,相手には,相手の事情がある。
かつて先輩に,「魚のいない池で釣糸を垂れている」と言われたことがあるが,それに近い。言ってみれば,空しい独り相撲に過ぎない。
たぶん,どこかの歌会で一緒にいられる場を見つけるとか,何かそういう迂遠でも,ともかく土俵を同じくするところから,スタートを揃え直すというのも一つの方法だが,思うに,仕掛けられたゲームという土俵で,すでに競争関係(レベル3)に入っている,それをまずは一緒に楽しむという余裕があったら,それで同じスタートラインに立てていたのではないか。むろんそれでは嫌なのかもしれないが,でも,遠くから眺めて憧れているだけよりはましではないか。そういう視点の切り替えが必要だったのだろう。
自分の土俵,つまり自分の求める相互関係だけにこだわるのは,コミュニケーションの扉を閉ざすことになるらしい。
参考文献;
山本眞理子・原奈津子『他者を知る』(サイエンス社)
今日のアイデア;
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2012年12月22日
人との距離を縮めてその場に入っていく~自己開示の効果
人との距離がうまく測れないというときはないだろうか。それは,たぶん家族との間でも,間々あるが,それはたぶんこちらの心の側に隔てを意識すること(ありていに言えば,後ろめたいことやこだわりのあること)であって,ここでの場合には当てはまらない(こともないか?)。
僕自身は,対一人に対しても,対グループや場にしても,いつも,どこかに隔てを感じている。どういうといいだろう。踏み込めない障壁を感じている。それは,相手にあるのではなく,たぶん自分にある。たとえば,好きな人と帰り道が一緒になったとする,確かにしめたと思うのだが,さしさわりのない話をしているうちに,だんだん気分が重くなって,そこから逃げ出したくなる。そこから先へ踏み込むのに,たぶん氷が解けるように,少し時間がかかる。そんな気持ちがあるせいか,分かれ道でサヨナラを言うと,ほっとする思いが半分くらいある。しかし後から,こういえばよかった,ああいえばよかった,と悔いがくる。
C・オットー・シャーマーが,意識の在り方と対話について,こんな整理をしていた。
①私の中の私([I-in-me]境界内部にある中心から行動する) 当たり障りのない会話
ここでの会話は, 過去のパターンや蓄積したデータをダウンロードするような会話で,既存の態度や考えのパターンを再生産している。相手の受け入れやすいことしか言わず,自分の考えていることを言わない自閉的なシステム。
②それの中の私([I-in-it]境界の内側の周辺から行動する) ディベート(討論)
ここでの会話で,自分の考えていることに基づいて話す。互いに異なる考え方を言い合う。あなたはあなたの考え,私は私の考えを言う。それぞれのシステムは閉鎖したままの,適応的システム。
③あなたの中の私([I-in-you]境界の周縁(向こう) から行動する) ダイアローグ(対話)
ここでの会話は,初めて習慣と決まりきったやり方の世界の内側から,その周辺部へ,境界で囲まれた領域の外周へとシフトしていく。ここでは内からの視点ではなく,全体(両者双方)の一部としての自分を観るところから話をする。互いの異なる考え方の中で,私には私の考えがあるが,と自分の考えを外から見て,内省することが始まる,自己内省システム。
④いまの中の私([I-in-now]開かれた境界を超えて出現している領域から行動する) 生成的な流れ
ここでの会話は,自分の内側の視点から,外を眺めていたものが,自分(の内側)から外(の領域)へ出て,外の領域
から物を見始める。自分と他者の境界を超えて,流れているものから話す。その時のその場,その文脈に立って,自分を観,相手を観る。これを,プレゼンシング(Presencing)と呼んでいる。Sensing(感じ取る)とPresence(存在)の混成語。最高の未来の可能性のリソースとつながり,それを今に持ち込むことという,生成的システム。
こうしてみる,結果として,自分自身が自分の境界をつくっていて,おずおずと声を出している。そこでは,相手も,おずおずと私か自分を開示しない。自分の意見を出すと,相手は,それに合わせてたぶん自分の意見を出す。自分の自己開示に合わせてしか,相手も自己開示しないとみえる。
確かに,社会的浸透理論(アルトマン&テイラー)によると,自己開示を通してお互いに相手のことを知ることにより,相互の信頼が増し,好意的な関係が形成される,という。さらに,開示が表面的か内面的かでは,明らかに,内面的な開示の方が,話し手への行為が高まるし,さらには,相手が開示したことが,自分への信頼によるものとみなせたことが,より満足度を与えることになるとされている。
で,開示について,
①関係の初期より,関係が継続するにしたがって,開示と好意の関係が大きくなる。
②女性同士の方が,開示と好意の関係が大きいが,男女間ではあまり見られない。
③特定の人だけに自己開示を行った方が,誰にでも開示するより,好意のとの関係が大きい。
④自己開示の幅と深さほど,好意度との関係が大きい。
とされている。だから,自己開示,それも,内面的な開示をする,そういう場や機会を自分でつくっていかなくてはならない。これは,慣れもある。ザイアンスの法則ではないが,単純接触効果というのがある。何回かあっているうちに,相手の好意度も増すし,こちらもそれによって慣れていく。
しかし,その先にあるのは,心理的障壁だ。ただ開示するのではなく,心と感情と知がオープンにならなくては難しい。ここで,思い浮かんだのは,ブレインストーミングだ。ここで大事なのは,すべてのアイデア(考え方,考えも)是非や可否ではなく,異質さとみなすということだ。良し悪しではなく,違いとみなす。情報とは差異であるとは,ベイトソンの言葉だが,そうみなした瞬間,すべてはイーブンに,どう組み合わせるか,どうそれをクリアしていく別のアイデア(考え,考え方も)に行くかを考える。アイデアについては,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11000208.html
で触れたが,それとたぶん同じなのだろう。その心理的効果については,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11001331.html
でも触れたが,共感性に通じるものがある。自分の枠を出て,自分の意見ではなく,そこにある意見そのものの海の中にいる。そのとき,その場にいて,その場の方向を考えている。かっこよく言うと,(アイデアのまとまった)未来から今を見ている。先の④の今の中の私になれる。
場については,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11007605.html
でも触れたが,そのとき,いまを作り出していくのは,たぶん,自分が,内面から自己開示できる程度にまで,自己の境界を超えて出て,心を開く,つまり,
・評価・判断の声(VOJ:Voice of Judgment)
・皮肉・諦めの声(VOC:Voice of Cynicism)
・恐れの声(VOF:Voice of Fear)
という心の中の抵抗(サボ)をかき分けていかなくてはならない。まずは,自分ができない理由(原因,たとえば自分の生い立ちや成長プロセスの外因(佐世保,富山,多治見,岡崎,高山,大垣,一宮と転々として,小学校を4回変わったから,その場所へ入るのに,様子見からはいる云々)に被けることを辞めるところから始めなくてはならない。
参考文献;
C・オットー・シャーマー『U理論』(英治出版)
奥田秀宇『人をひきつける心』(サイエンス社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#U理論
#C・オットー・シャーマー
#VOJ
#VOC
#VOF
#自己開示
2012年12月23日
文脈依存のコミュニケーションが失ったもの~「しあわせ」と「さようなら」をつないでいるもの
安田守宏さんからいただいた『しあわせる力』(玄侑宗久著 角川SSC選書)を読みながら,本書とは直接関係ないほうへ,どんどん妄想が膨らんでいってしまった。蟹は甲羅に似せて穴を掘る,と言います。所詮自分にわかる程度のことしか理解できない,ということのようです。安田さんごめんなさい,宿題としての書評にはならず,その妄想を何とかソフトランディングさせるので手いっぱいになってしまいました。
さて,玄侑宗久さんも,どうやらそうだったらしいのだが,僕自身も,正直に言うと,「幸せ」とか「幸福」という言葉が好きあまりではない。確かフランクルが言っていたと思うが,幸せは目的ではない。あくまで,何かをした結果としてえられるものではないか,と。僕も,それに同感で,幸せになりたいというのは,かまわないが,それを目指すのは何かが変だと思っていたし,いまも思っている。
むしろ,僕の関心は,生きる意味を考えることの方に,いまも,昔も向いていた。
フランクルは,こういっている。
「生きていることにもうなんにも期待がもてない」
こんな言葉にたいして,いったいどう応えたらいいのだろうか。
ここで必要なのは,生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きていることからなにを期待するかではなくて,むしろひたすら,生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ,ということを学び,絶望している人間に伝えねばならない。(中略)もういいかげん,生きることの意味を問うことをやめ,わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。
あるいは,収容所で「もう人生には何も期待できない」と自殺しかけた二人に,こう問いかけた。
たしかにあなたは,人生にもう何も期待できないと思っているかもしれません。人生の最後の日がいつか訪れるかもしれないのですから,無理もない話です。けれども,人生のほうはまだ,あなたに対する期待を決して捨ててはいないはずです。あなたを必要とする何か,あなたを必要としている誰かがかならずいるはずです。そして,その何かや誰かはあなたに発見されるのをまっているのです。
そういう意味を見出したものだけが,結果として収容所生活の厳しい生活を生き残った,とフランクルは言っている。そして,というか,だからこそ,というべきか,フランクルはこう言い切るのだ。
人はいつでも人生に,この不完全な自分の人生に,イエスといっているのです。「それにもかかわらず」,つまり人生が不完全であるにもかかわらず,人はいつでも人生にイエスと言っているのです。「それにもかかわらず」,つまり問われたことがなく,何も言わなかったにもかかわらず,また,自分で人生を選んだのではなく,現存在へ「投げ出された」にもかかわらず,そして自分がもっているあれこれの素質に同意しなかったにもかかわらず,またかりに実際に問われたとしても決して同意しなかったであろうにもかかわらず,人はイエスと言っているのです。こうした一切のことにもかかわらず,人は生き続けているのであります。それは,人が何らかの意味でやはりイエスと言っているということであり,またそれゆえに,何らかの意味で責任があるということでもあります。
「それにもかかわらず」人生にイエスと言っている,その言葉がいい。そう,「それゆえに」生きることに「何らかの意味で」責任がある,と言っている。そして,元へ戻ってくる気がする。
われわれが生きること自体,問われていることであり,われわれが生きていることは答えることにほかにならない。そしてその問いと答えは一回的なものであり,一般的な意味ではなく,今自分が,ここで問われている,ということなのだ。自分がそれをしなければ,だれがそれをするのか,と言い換えてもいい。自分の人生での答えを,自分が出すしかない。それは成功とか失敗といった尺度ではない。そこに,言いも悪いも,ない。人生とは,
結果が,最初の思惑通りにならなくても,最後に意味を持つのは,結果ではなく,過ごしてしまった,かけがえのないその時間である。
自分の大好きな,ガイアシンフォニー三番の中のセリフだ。そこに,もしあるのなら,幸せがある,そう感じている。だから,幸せは目指すべきものではなく,そのときか,あるいは何かをなした結果,あるいはその最中に感じるものだ。例えば,湯船につかって「幸せだなあ」という状態は,それを目指すのではない,そのひと時を過ごせるようになった結果からしか生まれない,と信じている。
ところで,玄侑宗久さんは,『しあわせる力』で,「しあわせ」について,語源的にこう説明している。
「しあわせ」という言葉は,「為合わせる」で,初めは天が私にどうするのか,それに対して私がどうするのか,が「為合わせる」のはじまり。それが「仕」に代わり,人と人との関係がうまくいくことを「仕合せ」と呼んだ。
「幸い」は,「さきわい」が変じた。これは,賑やかに花が咲き誇っている状態をいう。これも関係を指す。
だから,
日本人にとっては,咲き賑わい,相手の行動に合わせることが「さいわい」であり,「しあわせ」の原型
ということになる。だから,本来「人間」との意味は「世間」の意味なのに,日本語では一人の人を意味するように変えた。ことほど左様に,日本では,人と人との間で決まるという発想から来ている,と言っている。それはすごくわかる。
ただ(ここからは,違う方向へ妄想が広がっていった),違う言い方をすると,それは,文脈依存が強いと言えるのではないか,と。たとえば,「さようなら」という言葉は,多国語が,また会いましょうとか,神の祝福がありますように,とかいう意味があるのに,「さようならなくてはならないゆえ,おわかれします」といった意味で,「そういうわけですから」「そういうことなら」といった,「そういう」が前についていて,その場で,その人のいる文脈でしかわからない,というニュアンスがある。その瞬間,少し前に読んだ平田オリザが頭をよぎった。
その特徴を平田オリザは,「わかりあう文化」「察しあう文化」と呼んでいた。つまり,「さようなら」は,本来,その文脈を共有化しあえている,という前提があるからこそ,言える挨拶なのだと思う。
金子みすゞの「みんなちがって,みんないい」の解釈についても,玄侑宗久さんと平田オリザは真反対のようだ。平田オリザは,「みんなちがって,たいへんだ」と言っている。
かつてあった文脈がすべて壊れてしまっている。それは里山が保存しなければならない文化遺産になっているのを見ればわかる。かつての「普通」はもはやない。とすると,文脈依存のコミュニケーションになれたわれわれは,文脈のずれに対応する力が弱いともいえるではないか。そのずれやぶれは,国内でもそうだが,国外に出ればもっと大きくなる。その前で,手をつかねていていいはずはない。それが平田オリザの問題意識であり,危機意識であった。
いまの若者も一様ではない。近親者の死に出会えないまま医者になるものがいる,母親以外自分より年上の異性と会話をとしたことがない若者,親と教員以外の大人と会話したことのない若者,日本語を母国語としないものもいる。その危機感で,平田オリザは,若い人と向き合っている。
かように,日本人が多様化しているのに,かつて「察しあえた」「わかりあえる」文脈から切り離されて(あるいは共有した文脈が切れたから多様化したから),バラバラなのだ。「だから,みんなちがって,たいへんだ」になる。それについては,すでに触れたので,省く。
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/10995353.html
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/10996546.html
平田オリザは,こういっている。
もう日本人は心からわかりあえないのだ……と言ってしまうと身もふたもないので,たとえば高校生たちには,私は次のように伝えることにしている。
「心からわかりあえないんだよ,すぐには」
「心からわかりあえないんだよ,初めからは」
これが,いま日本人が直面しているコミュニケーション観の大きな転換の本質なのだ,という。つまり,かつてのように心からわかりあえることを前提にコミュニケーションというものを考えるのか,もはや文脈を異にして,人間はわかりあえない,わかりあえない同士が,どうにか共有できる部分を見つけ,広げていくということでコミュニケーションを考えるか。バラバラが前提の,国際化の中で生きていくこれからの若者にとってどちらが重要と考えるか,は言うまでもない気がする。
協調性が大事でないとは言わないが,より必要なのは社交性ではないか,平田オリザはいう。金子みすゞの「みんなちがって,みんないい」ではなく,「みんなちがって,たいへんだ」から,ではどうするかをかんがえなくてはならない,と。
もちろんグローバルがいいとも思わない。均一化がいいとも思わない。しかし,それを避けて通れないなら,それぞれ個々の文脈の中に閉じこもって生きていこうと覚悟を決めるのならともかく,日本が生き残っていくためには,何か他の手段が必要だ。だから,平田オリザは,悪戦苦闘の中から,こういっている。
日本の若者たちには,日本人の奥ゆかしく美しい(と私たちが感じる)コミュニケーションが,国際社会においては少数派だという認識は,どうしても必要だ。
だから,「多数派のコミュニケーションをマナーとして学べばいい」。別に「魂を売り渡すわけではない。相手に同化するわけでもない」。
「わかりあう文化」「察しあう文化」は,文脈に依存している。あいまいさも許容もその中で生きた。しかし,それが崩れた時,どう生きるのか,が問われている。平田オリザの対応は,その一つだ。
その対極で,玄侑宗久さんが言うように,無限の応化力,観音力で生きるのと,そんなに違っているとは思わない。相手に応じて,自分の在り方を変えていく(しあわせる力というのは,「どんな変化に際しても、自分を変化させて見事に応じること」だそうだから),というのも一つの考え方だろう。
もちろん,「~でなくてはならない」とは考えない。そう考えた瞬間,それは意見ではなく,信仰に変わる。そこでキャッチボールはできない。対話はできない。あくまですべての意見は仮説なのだ。仮説をぶつけ合って,キャッチボールをすることを通して,別の仮説ができる。正解は一つではないのだ。
もう少し踏み込んでいうと,フランクルではないが,すべての人は語りたい人生を持っている。いや,語るべき人生を持っている。すべての人生に,ひとつひとつの物語がある。それを聞く時,心が開く。知のレベルではなく,その人自身の人生の物語があってはじめて,こちらの心も開く。そういう,自分をだしにする分,平田オリザの語る問題意識には強く惹かれた。
まだ自分の,結んだ心は十分開いていないから,手を打っての全開とまではいかないかもしれないが。
参考文献;
V・E・フランクル『夜と霧』(みすず書房)
V・E・フランクル『制約されざる人間』 (春秋社)
平田オリザ『わかりあえないことから』(講談社新書)
玄侑宗久『しあわせる力』(角川SSC選書)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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2012年12月24日
死に向き合うとは孤独に向き合うことだ~石原吉郎の詩をめぐってⅠ
これから,少しずつ,何回かにわけて,石原吉郎のアンソロジーをまとめてみたいと思っている。別に専門家でもないし,詩にくわしいわけでもない。ただ,なぜ,石原吉郎の詩が好きなのか,自分なりに一度は整理してみたいと思った。言ってみると,まあ自分の好きな詩句のみを集めた感じか。専門家から見れば,噴飯ものなのかもしれないが,あえて,順次,チャレンジしてみたい。
石原の詩は,一言でいえば,言葉が,凛として立っている。それは,極限まで無駄を省き,ノイズのない言葉になっていると言っていい。
日本語の構造については,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0924.htm
で触れたように,辞と詞で成り立っている。辞が主観であり,詞が,客観表現になる。しかし辞をなくしてしまうと,詞だけが屹立する。それもちょっとそぎ取ったような片言隻句の,ちょっと奇異に聞こえるかもしれないが,辞のない(あるいは限りなく少ない),詞だけの詩句といっていい。一見客観的に見えて,それは,鋭く切り取ったアングルの写真と同じく,辞のパースペクティブ(視角)が隠れている。いや,そもそも,詞に見えて,辞だけで語られているのに等しいのかもしれない。ふと思い出したが,古井由吉が好きなのも,そのせいかもしれない。古井由吉については,
http://www31.ocn.ne.jp/~netbs/critique102.htm
で触れた。
さて,石原吉郎は,「詩へ駆り立てたもの」という文章の中で,こんなことを書いている。
「もしもあなたが人間であるなら,私は人間ではない。/もし私が人間であるなら,あなたは人間ではない。」
これは,私の友人が強制収容所で取調べを受けたさいの,取調官に対する彼の最後の発言である。その後彼は死に,その言葉だけが重苦しく私のなかに残った。この言葉は兆発でも,抗議でもない。ありのままの事実の承認である。そして私が詩を書くようになってからも,この言葉は私の中に生きつづけ,やがて「敵」という,不可解な発想を私に生んだ。私たちはおそらく,対峙が始まるや否や,その一方が自動的に人間でなくなるような,そしてその選別が全くの偶然であるような,そのような関係が不断に拡大再生産される一種の日常性ともいうべきものの中に今も生きている。そして私を唐突に詩へ駆り立てたものは,まさにこのような日常性であったということができる。
シベリア抑留の体験が,彼の詩の背景にある。そして,人との関わり,自分とのかかわりで,極限の中に立つイメージがいつも付きまとう。言葉は,そぎ落とされ,ほとんど骨のようにやせ細りながら,そこに,凛とした姿勢がいつも付きまとっている。
それは言葉の死,あるいはほとんど脈絡や背景や文脈をそぎ落とした,言葉そのものが屹立していることば。たとえば,
一期にして
ついに会わず
膝を置き
手を置き
目礼して ついに
会わざるもの(「一期」)
人と人の出会いと別れが,このように毅然としてかつ凛としていれば,どんなにいいか。あるいは,
花であることでしか
拮抗できい外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
ありえぬ日々をこえて
花でしかついにありえぬために
花の周辺は適確にめざめ
花の輪郭は
鋼鉄のようでなければならぬ(「花であること」)
花を「世界でたった一つの花」に置き換えてもいいし,花を他の何に置き換えてもいい。「ついに花でしかありえぬ」なら,花でいようではないか。
そして,もうひとつは,常に,石原吉郎の傍らに,死がある。だから,詩は,死を意味づけようとする衝迫がある。そこら中に,死が付きまとっている。
重大なものが終わるとき
さらに重大なものが
はじまることに
私はほとんどうかつであった
生の終わりがそのままに
死のはじまりであることに
死もまた持続する
過程であることに
死もまた
未来をもつことに(「はじまる」)
死んだ後に何かが始まる。人は二度死ぬといったのは,柳田國男だったか。その二度目の死が,持続する。その人のことを知っている人の中で,生きつづける。もし,それを誰かに引き継げば,永遠に生き続ける。「はじまる」とはそういう意味なのではないか。
その死の場所あるいは位置について,
かぎりなく
はこびつづけてきた
位置のようなものを
ふかい吐息のように
そこへおろした
石が 当然
置かれねばならぬ
空と花と
おしころす声で
だがやさしく
しずかに
といわれたまま
位置は そこへ
やすらぎつづけた(「墓」)
という詩がある。死を考えることは,どう死ぬかであり,それは,どう生きてきたか,どう生きるか,ということを考えることになる。少し前,この詩に触発されて,こんなものを書いたことがある。
自己とはひとつの関係,その関係それ自身に関係する関係である。あるいはその関係においてその関係がそれ自身に関係するということである。自己とは関係そのものではなく関係がそれ自身に関係すること,とキルケゴールが関係の関係といっていたのを朧に覚えていて,それを調べ直してみたら,単なるメタではなく,メタ関係のメタという意味だと気づいた。ややこしいのだ,自分とつきあうということは。だから,自分にどう関わっているかだけではなく,それとどう関わるかがないと自己は完成しない。しかも人は自己完結しては生きられない。他人の目を自分の関係をみる視点に取り込むからもっとややこしい。
最近、自分が猛烈な好奇心にかられて,いろいろなことに接触しようとしている(これについては,別途まとめてみたいと思っているが,「自分を開く」ということをあちこちで公言しているところから始まった)。その衝動は,自分というものの影を,ストップモーションのように連続して作り出していくことから,ずらそうとしていることからきているらしい。しかも,そのずらしていく,ずれ方そのものにも関心がある。ハイデガーが言った(と思うのだが,ちょっと調べたが見つからなかった)「ひとは死ぬまで可能性の中にある」の実践の心積もりである。
そして,生きることとは「位置」を定めること,と考えた。
生きるとは
位置を見つけることだ
あるいは
位置を踏み出すことだ
そして
位置をつくりだすことだ
位置は一生分だ
長い呻吟の果てに
たどりついた位置だ
その位置を
さらにずらすことは
生涯を賭すことだ
それでもなおその賭けに
釣り合う
未来はあるか
それに踏み切る
余力はあるか
まだ
石原の「墓」に触発されて,考えた。最後安らぐ位置を見つけるために,必死で生きる。だからと言って,別の世界に逃げてはいけない。神になってはならない。神的なものに帰依してもいけない。徹頭徹尾孤独でなくてはならない。孤独に耐えなくてはならない。「そうすれば,必ず道が拓ける」。そうでなく,相対的でしかない自分を,絶対的なものに帰依することで,あたかも自分自身が絶対的なものに転じたかのような自己欺瞞に陥ってはいけない,といったのは吉本隆明だった。
この言葉を肝に銘ずる。神の名を口にしたり,神のごとき口吻の人間には近寄らない。そこには欺瞞だけがある。さらに,本人自身がそのことに気づいていないのに,相手に気づきを促す欺瞞を見逃さないことにする。
しずかな肩には
声だけがならぶのではない
声よりも近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
そのひだりでもない
無防備の空がついに撓み
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それが
最もすぐれた姿勢である(「位置」)
そのおのれの位置を,ともかくいまは死守しよう。それに耐えていくうちに,自分の前に道が拓ける。確か,美空ひばりが干されていたとき,「焦らず,怒らず,諦めず」を肝に銘じていたという。それをもじると,「腐らず,おごらず,諦めず」になる。ともかく自分を諦めてはいけない。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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