2012年12月03日
虚実皮膜の隙間~花田清輝『鳥獣戯話』をめぐって
私のように武骨で,律儀だけが取り柄の男には,なかなか花田清輝のような,洒脱で,人を食ったようなアイロニー,あるいは意地の悪さといってもいいようなものにはついていけないところがある。ただ,記憶では,花田清輝が,自殺した田中英光のことを書いていた文章を読んだことがあり,その誠実さにひかれた覚えがある。
皮肉たっぷりの表現に,かつてすごく魅力を感じたものだ。たとえば,こうだ。
そもそもあの「風林火山」という甲州勢の軍旗にれいれいしくかかれていた孫子の言葉そのものが,孫子よりも,むしろ,猿のむれに暗示されて,採用されたのではなかろうかとわたしはおもう。「動かざること山のごとく,侵掠すること火のごとく,静かなること林のごとく,はやきことかぜのごとし。」-などというと,いかにも立派にきこえるが,つまるところ,それは,猿のむれのたたかいかたなのである。
猿知恵とは,猿のむれの知恵のことであって,むれからひきはなされた一匹もしくは数匹の猿たちのちえのことではない。檻のなかにいれられた猿たちを,いくら綿密に観察してみたところで,生きいきしたかれらの知恵にふれることのできないのは当然のことであり,観察者の知恵が猿知恵以下のばあいは,なおさらのことである。
なるほど,かれは,甲斐の国の統一にあたって,ほとんど連戦連勝の記録をのこしているが-しかし,それは,かれが勇敢だったからではなく,むしろ,卑怯だとみられることをおそれなかったからかもしれないのである。猿のむれの示すところによれば,戦場のかけひきとは,要するに,すすむべきときに,いっせいにすすみ,しりぞくべきときに,いっせいにしりぞくことを意味する。ところが,その当時の武士たちは,「ぬけがけの功名」が大好きであって,全体の作戦など眼中になく,ただ,もう,むれを離れて,おのれの勇敢さをひけらかす機会のみをうかがっている阿呆らしい連中ばかりだったから,ひとたまりもなく,すすむことともに,しりぞくことを知っていた信虎のために,ひとたまりもなく,一敗地にまみれ去ったのはあやしむにたりない。
武田の軍法を定めたが,わが子信玄によって追放され,京で足利義昭のお伽衆に加わり,無人斎道有として生きた,武田信虎を中心に設えながら,当時の信玄,信長を玩弄している。
たとえば,信長が,義昭のために二条城普請をするために,毎日石運びさせられているというので,こんな落書があった。「花より団子の京とぞなりけるに今日も石々あすもいしいし」。動員された近江の百姓の怨嗟の声を読み取り,婦人の面帕を上げて顔を見ようとして足軽を一刀のもとに首をはねた,というエピソードがある。それを桑田忠親氏が,「黙って首を刎ねるとは,凄い」と評したことに対して,「強すぎたる大将のふりをした,臆病なる大将のすがたをみるだけであって,すこしも凄いとはおもわない。」と言い切る。そして,こう付け加える。
もしも凄いという言葉が,非情ということを意味するなら,わたしには,それらの落書の作者であることを,ちゃんと承知していながら,平気で,無人斎道有を,おのれのお伽衆のなかへ加え,一緒になって信長の器量のちいささをせせら笑っていた将軍義昭のほうが,信長よりも,はるかに凄い性格の持ち主だったような気がしないこともない。
そして,こう皮肉るのである。
戦国時代をあつかう段になると,わたしには,歴史家ばかりではなく,作家まで,時代をみる眼が,不意に武士的になってしまうような気がするのであるが,まちがっているであろうか。時代の波にのった織田信長,豊臣秀吉,徳川家康といった武士たちよりも,時代の波にさからった-いや,さからうことさえできずに,波のまにまにただよいつづけた,三条西実隆,冷泉為和,山科言継といったような公家たちのほうが,もしかすると,はるかにわれわれに近い存在だったかもしれないのである。それとも延暦寺の焼き討ちを試み,一山の僧侶の首ことごとくはねてしまった信長のほうが,薬用のため庭でとらえて殺した一匹のむぐらもちをあわれみ,慙愧の念にたえないといって,わが身を責めている実隆によりも,われわれの共感をさそうものを,より多くもっているのであろうか。
この高角度で,細部までつぶさに焦点を当てた書き方を,野口武彦氏は,パンフォーカス(全焦点)というたとえをしているが,その時代のあらゆるところに焦点を当てて,信長どころか,信玄も,信虎をも,相対化していく書き方には,魅力を覚える。
しかも,うっかりその話法にのると,とんでもないことになる。
確かかどうか記憶が定かではないが,『甲陽軍鑑』『三河風土記』『犬筑波集』『弧猿随筆』『武田三代軍記』『甲斐国志』『言継卿記』『老人雑話』等々に交じって,『逍遥軒記』という偽書を混じりこませ,高名な評論家がころりとだまされた,というのをどこかで読んだ記憶があり,うかつに読むと,その術中にはまりかねない。しかしこういう高度なエンターテインメントこそが,知的な遊びに思えてしまう。これも術中にはまった結果か。
わたしは,信長が,徹底した合理主義者だったというような伝説をすこしも信じない。『醒睡笑』や『昨日は今日の物語』のなかに登場する信長は,たえず前兆のようなものを気にして,びくびくしている。
ただどうだろう。こういう相対化した話は,世には受けない。受けない話は伝搬せず,沈殿していく。それが惜しくて,ここにちょっと紹介してみた。へそ曲がりなので,世の中に受ける話には乗らない。今や時代遅れの(とは思わないからこそ),花田清輝をあえて紹介するのも,その性分から来ている。
昨今侍だの武士だのを吹聴する傾向がある。あえてへそ曲がり流にいうなら,侍はおのれを侍などとは言わない。なぜなら,そんなにことを言わなくても侍なのだから。わざわざおのれが侍だなどという必要はない。そう自らいわなければならないとしたら,侍ではないのだ。外目からも,生きざまからも。自分で侍などという手合いは,信じないことだ。ましてや,それをほめそやす輩からは,そっと離れるにしくはない。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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