2012年12月05日

死の体験について~俯瞰する視点




本当かウソかは知らないが,人が死ぬとき,身体から離脱して魂だけが,その部屋を俯瞰する位置にいて,死にかけている自分を眺め,その周りにいる家族や知人をながめるのだと,聞いたことがある。

まあ,そんな経験はしたことはないが,三度死にかけた。

一度はたぶん多治見で,幼稚園の時,自分の記憶では,友達とふざけながら,石段を下りてきて,振り向いてか,後ろ向きに降りたか,下のところでダンプに引きずり込まれた,と覚えていた。自分で記憶していたか,母からそういわれたかはともかく,長くそう信じていた。

ところが,母が亡くなった後,その幼稚園の園長さんから葉書が来て(ということは,母はずっと交信していたということだが),「タクシーにひかれた」とあった。たぶん,若いころ,園児が交通事故にあうという,結構ショッキングな事件で,はっきり記憶に残っておられたのだろう,母の死を知って,いただいた葉書にその件がかいてあった。記憶は,園長先生の記憶が正しいのか,母の記憶なのか,自分の記憶なのかは別にして,ダンプとタクシーではずいぶん違う。確かに,車の真下の,道路に横たわって,車の底を見上げていたという記憶もあるような気がする。しかしそこで見ていたのが,ダンプかタクシーかまでははっきりしない。

幸い,軽症で,というか脚はヒビが入った程度であったが,目じりと額には大きな傷跡がいまも残っている。そのせいでずいぶん頭が悪くなっている,本当はもっといい頭になるはずだったと勝手に思い込んでいる。

二度目は,確か,小学校の4年か5年か6年,そのあたり,たぶん4年生のころ。高山にいたのがそのころで,確か北山といったと思うが,その方向の谷川で,真夏になると泳ぎに行っていた。記憶ははっきりしていないが,誰かと一緒に行ったはずだ。で,そこで,まだ平泳ぎもまともにできない頃で,足が届いているところを,時々足先で,川底を確かめながら,立ち泳ぎのようにして,そろそろと泳いでいて,不意に足先から川底の感触が消え,それでばたばたとあわてたのか (でないと誰も気づかないし,気づかないと誰も助けてくれなかったはず) ,しかし泳げない悲しさ,どんどん流されて,気づいたら,川底に沈んでいくところだった。その時,幻か,幻想か,本当に見たのかわからないが,川の水を通して,真っ青な空が見え,白い雲が浮かんでいるのも見えた。丁度厚い牛乳瓶の底から見たような感じであった。それはほんの一瞬だった気がするのだが,ずいぶん長い間,川底に横たわって,青空を見上げていたように記憶している。

助けられた記憶ははっきりしていない。たぶん泳ぎの達者な上級生が助けてくれたのだろう。腕を抱えあげられて引き上げられたのだろうが,そこはおぼろにしか覚えていない。ただ,川岸の岩の上で,腹這いになって,冷えた腹を温めていた記憶が残っている。礼を言ったのか,何人が助けてくれたのかも覚えていない。仲間の上級生だったのかもしれない。その後,そのことが話題になったことも覚えていないので,仲間内では,日常茶飯だったのかもしれない。

しかし,よく「溺れかかるとうまくなる」と,言うように,その経験で確かに泳げるようになった。

三度目は,ちょっと恥ずかしいが,大学生の時,失恋して,ちょっと死にたくなった。本気で死ぬ気だったかどうかはわからないが,死のうとしたことだけは覚えている。しかしたいしたことにもならず(というかまだ死にたくなかったのだろう,あっちへは行かず,現へ戻ってきた),誰にも知られず,コトは未遂ということで終わった。トホホな経験だ。

この程度の死の体験だが,残念ながら,臨死体験はない。身体から離脱した経験もないし,自分を真上から見下ろしている経験もない。しかしこの視点を人工的に設える工夫を,神田橋條治先生が書いている。

「面接している自分は,今ここに居て,患者の話に聴き入り,うなずいたりしている。ところが,その意識の一部,主として観察する自己が,一種の離魂現象を起こして空中にまいあがり,面接室の天井近く,自分の斜め上方から見下ろしている」

こうイメージしろ,と言っている。そして,「馴れるにしたがって,長時間そのイメージを保つことができるようになり,ついで,空中の眼という意識が,次第に薄くなりながら広がってくる。そしてついには,面接している自分にまで届いて,両者が融合してしまうことがある。そのときおそらく,『関与しながらの面接』が成就した」という。

これは,清水博先生が,『生命知としての場の論理』で,宮本武蔵の『兵法三十五箇条』にある,真剣勝負に臨むときの心構えを例に出されているが,「相手を対象化して正確に捉える『見の目』と,場所の中に置いて超越的に捉える『観の目』をもって敵を見る」という,その感覚とよく似ている。

そしてこれは,CTIでいう,傾聴のレベルが,レベル1(自分の考えや意見,感情,身体感覚に意識が向く状態),レベル2(すべての注意がクライアントに向けられている状態),レベル3(一つコトに意識を向けるのではなく,自分の周りにあらゆる物事に対して意識の焦点を傾けている状態)にあるとするが,丁度レベル3と似ていると言えるだろう。

ところで,幽体離脱には脳に根拠があるらしいのだ。ブランケ博士は,右側頭頂葉の「角回」を刺激すると,被験者の意識は,2メートルほど舞い上がり,天井付近からベッドに寝ている自分が見える,のだという。幽体離脱は健康な人でも,30%ほどが経験する,と言われているそうだが,実は,これは日常生活でも,結構経験するそうだ。

たとえば,有能なサッカー選手には,プレイ中に上空からフィールドが見え,有効なパスのルートが読める,といわれている。こうした俯瞰力は,宮本武蔵の例と似ている。それは,自己を客観的に評価するために,自分を他者の視点で見る,ということが必要とされているが,そのための脳の回路は,備わっているのではないか,池谷裕二先生はそう言っている。神田橋先生が,トレーニングでそれができたというのは,その回路をオープンにし,仕えるように強化したということなのではないか。

では自分にもできるのか???

参考文献;
清水博『生命知としての場の論理』(中公新書)
神田橋條治『精神科診断面接のコツ』(岩崎学術出版社)
池谷裕二『脳には妙なクセがある』(扶桑社)


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




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posted by Toshi at 06:28| Comment(81) | コーチング | 更新情報をチェックする