2012年12月10日
何でも見えるカタチに置き換える効果~高田天朗さんの「ドラマdeコーチング」に参加して
先日,JCAK神奈川チャプターで実施された,「ドラマdeコーチング~なりきりワーク編~」に参加させていただいた。高校一年のとき演劇クラブに参加して,初舞台でしくじって以来,ドラマや芝居にはちょっとしたトラウマがあるが,やはりどこか心惹かれるものがあり,高田さんのワークショップには,これまで二度チャンスを逃して,やっと参加することができた。
案内には,こうあった。
なりきりワークは,演技メソッド,コーチング,カウンセリングを駆使した人生のリハーサルです。
なりきる事で,自分の箱から脱出し,たくさんの視点とあらゆる可能性を手に入れることができます。
なりきりワークで手に入れられる5つのメリット。
・自分を解放する喜びが得られる
・自分を知る手がかりが手に入る
・自己肯定感の増強
・コーチとしての感性が磨かれる
・なりきる力が手に入り,人生にやる気が起きてくる
人生がドラマというよりは,人生という舞台そのもので自分が主役を演ずるということについては,ずいぶん前に,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/cat_376026-1.html
で触れた。その意味で,人は演ずるということに,てれはあっても,不慣れではないという気はあった。だからよけい関心があった。
ところで,もうひとつ,最近強く意識していることは,言葉にする,ということだ。口に出さないことは,伝わらない。これが自分の原則で,考えてみると,言語にしてみる,口に出してみる,ということは結構重要だと感じることが多い。
コーチングで言うオートクラインもそうだが,われわれの内面では,言語のスピードの20~30倍のスピードで思いや妄想や感情が流れているといわれている。それを言葉に置き換えて口に出そうとする。その瞬間の操作も重要だが,一旦口に出た言葉を,われわれは情報として聞く。そこで気づきや確認が起きるが,言語化する一つの意味は,そこにある。
もうひとつは,ヴィトゲンシュタインが,「人は持っている言葉によって,見えている世界が違う」といったと記憶している。われわれは言葉で発想し,言葉でものを見る。パワハラという言葉を知らなければ,上司が部下を叱っていても,ハラスメントとは思わなかったはずで,われわれは知っている言葉でものを見,ものを認識している。しかしその言語に置き換えてみて,初めて,自分の中で,そこに見える光景があるかもしれないし,それとは違うニュアンス,微妙な違いを意識して,別の表現に置き換えようとするかもしれない。その脳の活性化が起きるためには,ともかく言語化しなくてはならない。
こんなことを意識していた。ドラマについても,コトバ化のもたらす光景を強く意識していた。
実際にやった結果はちょっと違う印象を持った。ただ,いくつものワークをやり,一つ一つの狙いまではきちんと記憶していないので,覚えている範囲で,あるいは順序が違ったり,大事なものが抜けたりしているかもしれないが,自分なりに振り返って,自分の得たものを整理しておきたい。
まずひとつは,なりきりワーク。あるシチュエーションでの人物,例えばこのときは,借金をしようとする男と,貸してくれと頼まれている人物という設定でやった(これは,恋を告白している男とそれを聞いている人物等々いくらでも他のバリエーションが可能だ)。それになりきり,借金を頼む場面をやり取りし,一旦時間を止めて,その瞬間の頼まくれている人物と頼んでいる男の内心の声も,別の人がその背後で声に出して表現し,さらには,貸してくれと言っている男自身が,自分の座っていた空の椅子に向かって,本人が励ます,といったワークをやった。
ここの眼目は,誰が主役かどうかは別に,客観的な場面と同時に,内面の思いや気持ちを言語として,あるいは代役として人をそこに立たせて語らせる,しかしも自分自身も自分と対話する,というように,単純な二者関係を,心の会話,本人の対話と複線化することで,どこに自分を置いても,自分を客観的に,対象化できるというところにあるように思う。
もともとドラマ自体が,今の普通の生活を,少し強調したり,ピンポイントに焦点を合わせたりして,客観的に見させている部分がある。それを使っていると言えば言えるのかもしれないが,人の関係図,心の構図,裏面の心理関係図を,一つ一つ紐解くように,立体化することで,確かに見えてくるものがあるような気がする。
TA(交流分析)で,両者の対話を,それぞれのP(Parentな自我状態),A(Adultな自我状態),C(Childな自我状態)とどうかかわっているか,を相互交流,相補交流,交叉的交流,平行交流,裏面的交流等々で分析しているが,これも,人で,現実に体現させて,親的人,大人の人,子供な人で,具現化して,それぞれの言葉をしゃべらせてみたら,きっとその交流の面白さが出てくる気がした。
このワークで,両者の動きを止めて,どう動かしたいかを決めさせる場面があった。これと似た経験は,システムコーチングで,家族やチームの人的関係を,人を立たせて,自分との距離や向きをきめ,それをどう動かしたいかを考えさせ,実際にそれぞれの位置関係を動かすというワークに参加したことがある。その位置関係を変えただけで,その課題を提出した人には,大きな気づきがあった。ただ,今回は,自分の課題ではなく,つくったシチュエーションであったために,例えば,借り手役をやった人に内面の動きが起きたわけではないが,構図を具体的に動かすことで,事態が動き,解決したい方向が見える気がした。
続いて,タイトルは忘れたが,自分の中の障害を外在化する,というワーク(タイトルと狙いは違うかもしれないし,他のものと混同があるかもしれない)をやった。確か富山へ旅行したいと思っているが,その障害として,冬の天候,飛行機,宿,家族というものを,自分の前に並べ,その背後に,確かすでに現地へ行っている自分を置いていたと思う。面白いのは,心の中の障害を,人に体現させて,一つ一つ対話しながら,説得したりされたりするうちに,自分の中で何かが解けていく感じがあった。クリアした障害は,本人の後ろ盾となって,励ます役をやるが,まさにサポートするリソースという感じだし,将来の自分(ゴールイメージ)も,手を貸す。
この辺りは,CTPのコーチングフローを,具体像で展開しているのに近い。あるいはブリーフセラピーやナラティブセラピーで,問題の外在化と言って,問題に名づけして,たとえば,なまけ虫というように,名付けて,それを本人も含めた家族と一緒に何とかしようとする。病気を本人と一体化させず,症状や病気を外にある何か悪者にして,それと戦う。それを思い出させる。
ただ,頭の中のイメージで想定すると,その障害が等身大より大きくなったり,小さく錯覚したりする。これを,現実の障害の大きさに合わせて,大きな人,難しい人を使って具体的に体現させていく。実際には,途中でそれがどんどん変わっていくので,そのつどそれにあった人に変えていく。たとえば,小さくなったら小さな人に変ええていくということで,一瞬一瞬のクリアの変化に対応させられたら,ゲーム感覚で面白いかもしれない(とすれば,何も人でなくても,アニメでもCGでもできる?)。
さらにやったのは,自分が舞台に立とうとする迷いを,ひとりで歩いて考えている場面で実現しようとしたところ。ここは,いきなり,街をつくる,ということで,カップルだの他の通行人が設定され,その中を,本人役の人が歩いて考えている場面をつくる。それに,不安,恐れ,迷い等々といった心の中の思いや気持ちを,具体的に人で体現させ,自分役の人の周りに配置させる。
その上でさらに,「追加したいものは」と問われて,確か希望といったと思うが,それを,自分を前から手を引く形に配置した。さらに「いらないものは」と問われて,順次,恐れや不安を除いたところで,本人自身が,本人役に代わって,その立ち位置に立つことになった。その瞬間の,笑顔がいい。本人の振り返りの言葉,「いらない思いは取り除ける」とは,けだし名言。
これは,一人でもできるかもしれない。例えば,フィギュアを使ってもいいし,紙人形を使っても言い,自分を押しとどめる思いや不安を,すべて洗い出して,自分の周りに配置する。そして,いらないものを取り除き,自分にふさわしい思いに取り囲まれれば,それ自体元気になるに決まっている。
確か最後は,これだけタイトルを覚えているが,マジックショップだった。課題を持っている人が,ここでは,セミナーをやりたいということだったが,その講師育成セミナーでの場面を再現し,そこで審査員,参加者を配置し,本人に,冒頭のトークをし,審査員席と立ち位置を変えてみてもらって,気づいたことを言ってもらったが,ここはこれまでのなりきりと同じ。
このワークの目玉は,その人に一つだけ質問し(本人は答えない),その反応を見ながら,一つ商品を提供するというところ。たとえば,10分大声の出せる薬,持てばすべてが叶う夢の箱等々とか,売り手が質問したことから思いついた夢の商品を売り込む。本人がその中から一つ手に入れて(確かこのときは10分持つジョークの薬とかなんとかいうものだった),それを手にして,次に講師役をやると,別に何かが具体的に変わったとは見えないのに,どういうことなのか,その場で受けたジョーク(コメの新米と新人の新米を掛けたダジャレ)を交えて,前とはうって変ったトークをしていた。
その豹変も面白いが,「もらっただけではなく,大事なものを手放して,お返ししなくてはならない」ということで,今度は,自分が「鎧」を手放す,という話になったと思う。このあたり細かいやり取りと手順を忘れているのだが,質問をしてくださいというので,どなたかが「代わりに何を着ます」というような趣旨の質問をされたと思うが,その答えが,「熊のぬいぐるみ」であった。
そこから,(またちょっと記憶があいまいだが)それがなりたい自分とすると,鎧を着ているいまの自分から,そこまでを,代役の人を実際に並べて,クライアント役の人は,ゴールを見ながら,順次一人ずつにポーズを取らせていく。確か5人位が並んだと思うが,その中で,今の自分がちょっと胸をそらした格好から,次は脚を開いて,で真ん中あたりで,手を挙げる格好を取らせたところから,少し変化が始まり,最後は,両手を挙げる熊のぬいぐるみまでの,少しずつ変化していく流れを設定し,最後に,それぞれにセリフをつけて,各格好ごとに声を出させていった。
このプロセスで,自分の変化をわずかな時間に経験したクライアント役の人は,何か大きなヒントをつかんだ気がする。シンボル的ではあっても,少しずつ具体的に変化する姿を,一コマ漫画みたいに,目の当たりに作り出すことで,それは,確実に変われるステップが見えたのではないか,という気がしている。
人はメンタルモデルを頭の中で描き,ぐるぐる回して見せることもできる。視点を変えて実際にその位置に立って見えるものを想像することもできる。しかし,それは所詮頭の中だけのことだ。実際に,人を立たせ,それを外から俯瞰し,しかも,その身体表現や肉声を聞くことで,体感覚で受け止めるものが大きい。クライアント役の方が,「自分は体感覚なのだと気づいた」と言われたが,眠っていた,あるいは押し込まれていた体感覚が蘇ったというのが正しそうだ。
われわれは,本来立体のものを二次元に置き換えて頭に入れている。そこには無理があるのかもしれない。立体印刷もあり,3D,4Dも技術的に可能になった今,ひょっとすると,ドラマdeコーチングは,イマジネーションの世界ではなく,リアルにできるのかもしれない。
ただ,それを一人で自己完結させてやるのは,自分で制約をつけてしまうので,あまり意味はないような気がする。やはり,てれながら,汗をかきながら,人の眼を借り,人の手を借りてやっていくところに,自分への効果が出てくる気がする。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#ドラマ
#なりきりワーク
#高田天朗