2012年12月11日
脳の活性化と発想の活発化について~「脳の活性化とコーチングの可能性 」に参加して
先日,神奈川チャプターのビジネスコーチング部会で行われた,東田 ひとりさんの「脳の活性化とコーチングの可能性 -クライアンの可能性を信じる-」に参加しました。正直,記憶力には興味がなくて,無駄な労力はメモでカバーすれば十分と思っていたのだが,脳の活性化に惹かれて参加しました。
ひとりさん(と,すいません,勝手にこう呼ばせていただきます)の,案内のあいさつにこうあった。
今回のテーマは「脳の活性化とコーチングの可能性」です。私達コーチは「クライアントの中にある可能性を信じる」と言う事を大前提にしてコーチングをしていますが果たしてどこまで本気でとことん信じているでしょうか。
人の可能性を真に信じ切るためには、自分自身の可能性をとことん信じ切ることができること、これが必要だと思います。「自分には到底無理だ」と思っていた事ができた時、「あれ?自分にはまだまだ、ものすごい事ができる能力が残っているのでは?」と思えるようになります例えば20個~160個の単語がスラスラ覚えられる。
・何人もの人の名前と顔がサクサク頭に入る。
・大勢の人の前で、メモなしで言いたいことを漏らさず話す事ができる
・人の話の要点を頭に入れ
第三者に正確に伝えられる。などなど・・・
私がコーチングと並行して行っているセミナーに
「自分の脳を活性化し、記憶力を何倍にも拡大させる」というものがあります。通常2日間のプログラムとして行っているものを今回2時間でそのエッセンス、さわり、をお伝えしたいと思います。
私が関心があるのは,発想ないし発想力で,発想とは,選択肢を増やせること,できないことをできるようにすること,だと思っていますから,発想では,できない,無理は,禁句です。覚えられるかと言われれば,徒手空拳では,無理だが,どうしても覚える必要があれば,「どうすれば覚えるようにできるか」「今までやったことで使えることはないか」と考えることになります。だから,どう覚えるのか,という方法には興味がありました。
可能性を信ずるといったとき,本当に何でもできると信じているの? 他ならない自分自身について,という問いかけは結構多くの参加者が,ドキリとしたはずです。そこで,でひとりさんは,可能性には,二種類ある,ということで,一つの対応策を示しました。すなわち,
① いまできていないものが,努力によってできるようになる可能性
② 本当はすでにできるはずのものにフタをしていて,そのフタを開ける可能性
つまり,人は何でもできるというよりは,本当はできるはずなのを止めているものがある,という②の方が現実的だと受け止めた人が多いだろうし,私自身も,それなら信じられると思ったのですが,ただ,それは蓋然性というか,その人のもともと持っていたものを開花させる,という意味で受け止めれば,やれないはずはない,と思えるし,後半の話から,「②本当はすでにできるはずのものにフタをしていて,そのフタを開ける可能性」でいう,その持っているものとは,人の持っている脳の持つ可能性を使い切っていないというところに,振り返るとつながっていくことがわかります。
私は,それを聞いた瞬間思い出したのは,神田橋條治さんが,「ボクは,精神療法の目標は自己実現であり,自己実現とは遺伝子の開花である,と考えています。『鵜は鵜のように,烏は烏のように』がボクの治療方針のセントラル・ドグマです。」といっていた言葉だ。それは,鵜は烏にはなれない。鈍足がウサイン・ボルトの足になることはできない。必要なのは,自分の素材(脳もその中に入る)の素性をどれだけ知って,そのキャパを生かしているか,生かそうとしているか,ということなのだろうと感じた次第です。
脳の構の造上,生存のために,恐怖や怒り,不安といった情動に駆られると,扁桃体が,脳を瞬間的に支配する。新皮質の判断より前に,扁桃体がダイレクトに反射行動をとれるように,血流を早めたり,足の大腿部に血液を集めたり,武器を取ったり,殴ったりがすぐできるように,手にエネルギーを集中させたりする。そのことによって,確かに素早く逃げたりと,対処行動はとれる(エモーショナルは,エ-モーションという意味らしい)が,それが,次に前へ進ませるマインドの足を引っ張る傾向がある,ということでした。つまり,
人間の脳は,未知のもの,いままでとは異なったこと,さらには自分より少しでも強い相手に出くわすと,判断をする前に逃げるという選択を,瞬間的に行うようにできている。
ということなのだそうです。しかし,その同じ人類の多くは,アフリカの暖かい気候から,北上し,未知の世界へと冒険して,ついにはシベリアにまで到達しているのです。そういう冒険する,未知を切り開くマインドをも同時に持っているはずです。つまり,恐怖や不安に打ち勝つ部分を持っているともいえるのです。
扁桃体は脳全体にリミッターをかける。それを外せたら,ブレーキが外せ,可能性が広まるのではないか,というのがひとりさんが脳の構造を説明するイントロの位置づけであったようです。しかし同時に思ったのは,人は,好奇心が強く,興味があることには,恐怖を超えて突っ走る。だから,好奇心や関心,興味という側から,リミッターを解除する方向がありそうな気がしました。しかしこれは別の話。
ここで記憶が,脳の活性化の指標として登場することになります。ためしに,15個を瞬間に記憶するのをトライさせられましたが,私は半分で辞めました。あきらめたと言われればそうだが,無駄な努力をしない主義なので,これは意味がないと,放棄しました。ま,どうせ後から,覚える方法を教えてもらうんだし,と。歳をとるとずうずうしくなりますから。それでも,初めの二つと終わりの二つという,帳尻を合わせるあたりが,自分らしい。
で,記憶について,短期記憶と長期記憶があるとは一般に言われていますが,ひとりさんは,3つの段階にそれを分けて示しました。言ってみるとコンピュータのアナロジーを使ったものでしょう。すなわち,
① 記銘(書き込み)
② 保持(覚えておく時間)
③ 再生(取り出し)
で,問題は,覚えるには覚えても,必要な時にそれが取り出せなくなることだ,というわけです。聞いた話では,人は死ぬ一瞬に,全人生分の記憶を,映画フィルムのラッシュのように,目の前にさっとみる,という(誰が言ったんでしょう。死んだ人が言うはずはないし)。つまり,全記憶は保持されているが,アクセスしにくい状態になっていて,死の直前まで思い出せないことになるわけです。
ところで,あるところであるお母さんから聞いた話では,自分の子が,言葉をしゃべれるようになったころ,「私は,本当はあの場所から出たくなかったのに,急に明るくなって,お父さんとお母さんに引っ張り出された」といったそうです。帝王切開だったのですが,それをちゃんと覚えているのです。そして,その子は,「お母さんは,バス停でないところで,バスを止めたでしょう」といったそうです。その子を抱いて,確かにそんな経験をしたそうです。さらには,子供は産道を出るときの記憶がある,といったような,それに似た話を集めた本があるほどなのですが,残念ながら,その上に,記憶が積み重なって,アクセスできなくなります。催眠で,それが思い出せるという話もありますが,ともかく,脳の記憶容量は膨大で,柔軟であるのですが,別に棚割りをきちんとして,規則正しく貯蔵されているわけではないので,さっと引き出しにくくなります。あるいは歳とともに,ネットワークの一部が断線したりして,さらにそれに輪をかけます(因みに忘れた固有名詞は,絶対再現しておく方がいいようです。その努力でネットワークが復旧するので)。閑話休題。
再生という役割は,脳には,前野帯状回という部分があり,ここが,情報を取り出す機能を果たすのですが,その際,イメージ化されていたほうが,取り出しやすい性質をもっているらしい。つまり,情動に反応する扁桃体をコントロールするのは難しくても,イメージ化の工夫で,引き出しやすいように蓄積すれば再生力が上がり,いわゆる記憶力が高まる,というわけです。これが,脳の可能性を活性化させた,指標の一つになっているわけです。
で,さっそく,前述の15個を,今度は,イメージとそれをつなげて覚えることで,再現しやすくなることを体験した次第です。それは,
液晶テレビ,新幹線,大福,アポロ11号,ケネディ大統領,トマトジュース,おとうさん,満員電車,バンジージャンプ,アルカイダ,田原俊彦,カリフラワー,サソリ,あんこ,三輪明宏,
といまでも再生できたところで,記憶力向上は確かめられています。
これは,脳のもつ可能性を,その特徴を生かすことで,引き出すということの実践なのだと思います。
記憶ということで言うと,長期記憶,短期記憶といった区分けとは別に,
・意味記憶(知っている Knowには,Knowing ThatとKnowing Howがある)
・エピソード記憶(覚えている rememberは,いつ,どこでが記憶された個人的経験)
・手続き記憶(できる skillは,認知的なもの,感覚・運動的なもの,生活上の慣習等々の処理プロセスの記憶)
との3つに分ける考え方がある(この他,記憶には感覚記憶,無意識的記憶等々がある)。このなかでもその人の独自性を示すのは,エピソード記憶といわれています。これは自伝的記憶と多くが重なりますから,その人の生きてきた軌跡そのものといってもいいでしょう。アナロジーは,ほぼエピソード記憶に起因すると考えられています。
意味レベルでは同じでも,一つの言葉にまったく別の光景を見ている場合もあるのです。コミュニケーション・ギャップが生ずるのは,こういう場合が多いといわれていますが,この場合の記憶には,そのギャップは表面化しません。自分のイメージの連なりだけが重要だからです。でも,このときフルにそれぞれのエピソード記憶を引き出して,イメージ化していたに違いありません。
ちなみに,説明の中に,『脳にいいことだけをしなさい』からの引用で,一日六万個のことを考えていて,95%は昨日も一昨日も考えていて,その80%はネガティブだ」というのがありました。それは脳の扁桃体のもつ機能(生存するための)に起因していますが,そのための方法として,プラス思考と並んで愛情表現を忘れない,というのがあった(因みに,その他は,ネガティブ思考の排除,プラス思考でポジティブ回路,前進の細胞から元気になる,瞑想,目標をもつ,いい人と付き合う)。
人は人を好きになると優しくなるのではないか,と感じています。あるいはもっと踏み込むと前向きになる。ポジティブになる(だからストーカーは決してめげない)。「マインドセット」の在り方からいえば,人に○をつけること,できれば,その人を好きになることです。そうすれば,少なくとも,ネガティブにはなれない。そして,冒頭に戻れば,自分自身に○をつけ,好きになることだということになるのでしょう。そのためには,自分に興味や好奇心を持つというのは,いいかもしれない。どこまで自分の脳は可能性を秘めているのか。具体的には,どれだけ記憶力が増大するのか,もその一つとして考えると,面白い。
ところで,僭越ながら,ふたつ追加しておきたい気がします。
ひとつは,
① 記銘(書き込み)
③ 保持(覚えておく時間)
④ 再生(取り出し)
という記憶のステップに,組み合わせを④として追加したい気がします。
川喜多二郎さんは,創造性とは,ばらばらで異質なものを意味あるように結びつけることと言いましたが,組み合わせて,ははん,という意味を見つけることです。しかし,それは自己完結してはできません。ブレインストーミングのような,人とのキャッチボールが,自分の中で埋もれていた記憶や考え方を引き出してくれるのだと思います。これも脳の可能性の引き出し方につながる話なのだと思います。脳は,ひらめいた瞬間,0.1秒,いろんなところが活性化していると言います。それは,機能的固着していた脳が,他の部分とリンクしたということだと解釈しています。
もうひとつは,最近の研究で,何かしようと意思するのを意識するのは,実際に運動が生ずる150ミリ秒前と言われますが,脳はそれよりさらに400ミリ秒前に,運動神経系の活動電位が変化していると,実験でわかって来たそうです。
このことをひとりさんに確かめましたら,扁桃体が…と説明されました(懇親会だったのでよく覚えていませんが)。僭越ながら,違う解釈を得ました。確かに,一つの考えは,扁桃体は一本のニューロンでしか前頭葉とつながっていない,ということもあるのかもしれません。だから回り道する指示経路より素早い。しかしもう一つの解釈は,扁桃体も含め,脳が意思するのが先で,脳が意思したのを我々が追認するように意思するのではないか,ということです。さっきの例は,恐怖というような情動が動いているときではなく,コップをとろうとするという単純なアクションの例なのですから,主体は脳であって,ちょうどガンダムのコクピットのように,脳は自分が得ている情報で,いま水をほしがっている,ということを,意識するより早く,渇きを感知しているのではないか,ということです。
脳の可能性を生かそうとすると,脳を広いフィールドで活発に情報収集できるように,人とも,物とも,脳自身とも,接触し,刺激を与え続けることが不可欠なのではないか,記憶ということも,流すのではなく,脳に負荷かけるほどの課題を課すことも,刺激として重要ではないか,と感じた次第です。変にまとめない方がいいか?
ずいぶん長くなってしまいました。読んでいただいてありがとうございます。
参考文献;
神田橋條治『技を育む』(中山書店)
キャロル・S・ドゥエック『「やればできる!」の研究』(草思社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#大脳新皮質
#脳幹
#扁桃体(核)
#大脳辺縁系
#海馬
#前野帯状回
#嗅葉
#記憶力
#三乗(上)
#東田ひとり