2012年12月16日
DialogueU・ストーリーテリングから始まる対話のひととき~「 曺貴裁氏」に参加して
先日,U理論の提唱するUプロセスを実践支援する団体,社団法人プレゼンシングインスティテュートコミュニティジャパンが主催する,「Dialogue U~ストーリーテリングから始まる対話のひととき~ 曺貴裁氏・湘南ベルマーレ監督」に参加してきました。
ストーリーテリングについては,ほとんど知識がありません。招待の案内には,こうありました。
「Dialogue + Uは、様々な分野の第一線で活躍する方々のありのままの人生のドラマを聴くことを通じて、参加者全員でそれぞれの新しい物語(未来)を共に生み出していくワークショップです。
第一線で活躍し高い創造性を発揮しているゲストの方から、逆境を乗り越えた経験やターニングポイントとなった出来事やその時の感覚などを、インタビュアーの中土井僚が筋書きなしの対話の中から引き出していきます。
ただ単にノウハウやテクニック等を知識として学ぶのではなく、ゲストの方の等身大でありのままの姿とドラマに触れることによって、自分自身が知らないうちに蓋をしていた「本当の想い」や「可能性」が呼び起こされ、これまでの延長線上には無かったような様々な選択や決断が生まれるのがこのDialogue + Uの特徴の一つです。
参加者の方一人ひとりの状況やステージによって起きることは様々ですが、皆様より自分らしい道へと一歩近づくきっかけとされています。
マスストーリーテリングという手法に基づき語り手の話を聴くだけではなく、聴き手同士、語り手と聴き手との間でも感じたことについて対話・共有していくことも大きな特徴です。
ゲストの方のありのままのドラマを聴き、参加者の方と対話することによって生まれた気付きは、単なる知識ではなく、生きた智恵として結晶化し心に深く刻まれるため、人生における様々な場面で指針として甦ってくるという体験があります。」
したがって,
ゲストの語り→参加者同士のリストーリング→全体のシェア
を三回繰り返します。
僕自身は,このストーリーテリングについて,その来歴も知識も持ち合わせていませんので,その手法には言及せず,そこで語られた曺貴裁(チョウ・キジェ)さんの語る半生をうかがいながら,自分の中で沸き起こったこと,あるいは,三人の人と一緒に,三回したリストーリングの中から得たことを,整理しておきたい。ただし,曺貴裁さんの発言のすべては僕が聞き取ったものであり,僕自身の責任で書き取っているので,聞き取りミスもあるし,思い込みでの誤解も曲解もあることを,言わでものことながら,付言しておきたい。
曺貴裁(チョウ・キジェ)さんの略歴は,いたただいた資料にも,また招待の案内の中にも,次のようにあります。
現在。湘南ベルマーレ監督。
京都府立洛北高校→早稲田大学卒。日立製作所本社サッカー部およびその後身の柏レイソルを経て、浦和レッドダイヤモンズ、ヴィッセル神戸でプレー。
1997年限りで現役を引退し、引退後は川崎フロンターレのアシスタントコーチ、ジュニアユース監督、セレッソ大阪コーチ、湘南ベルマーレU-18監督を務め、2009年より湘南ベルマーレアシスタントコーチ。
2009年3月にJFA 公認S級コーチライセンス取得。2012年より湘南トップチームの監督に昇格、現在に至る。
そこで,細かく書けばきりがないので,語られたエピソードを,時系列に置き換えながら,そこでの曺貴裁さん自身の感想,思い,感情をセットにして,まずは整理をしてみたい。
【第1回ストーリーテリング】
●僕は在日韓国人三世,京都生まれ。10歳くらいまでの記憶があまりなく,よく覚えていない。小学校3~4年の頃,転校した。その大原小学校で,初めてサッカーと出会う。サッカー部しかなく,それをやるしか選択肢がなかった。
●一クラス(?)くらいしかない小学校で,いままでは学校から帰ったら,すぐ外へ遊びに行くような生活で,皆と協力し合うとか,という経験はなく,やってみようと思った。
●(へたくそでしたが)いきなり試合に出してもらって,その試合で点を取ったか,アシストしたか,忘れましたが,先生から,「おまえ,おもしろいな」と,生まれて初めてほめられ,こういうことをやるのも楽しいとおもった記憶がある。
●小人数の小学校で,幼稚園から小4までずっと一緒だった人たちで,お互いのことをよく知っているひとたちで,なじむのに時間がかかったが,サッカーがあったからなんとかなじめた。なんでなぐられたのかと,いま思うと,町から来て,目立ったからではないか。
●転校時,複数の人から,校舎裏などに呼び出されて, ぼこぼこに殴られたが(いじめられている意識はなく),殴られても,別に殴らせてやるよと思う。その人たちに媚びようとは思わず,今に見ていろと,そのことをエネルギーにしていた。
●4年から試合に出してもらって (それもあっていじめられた) ,5年,6年とだんだん自分の立ち位置が決まっていった。後に,中学に入って,ある先輩に,「あのときは,いじめてわるかった」と言われた。そのとき,ああ,この人はいじめてつらかったのではないか,と気づいた。自分の曺(チョウ)という名前もあって,本当の友情は生まれないと思っていた。
●父が韓国人学校の要職についていたので,僕もそこへ行くものと思っていた。曺(チョウ)という名前のまま行くのは珍しかったが,自分の道は自分で作っていく必要があり,自分も行くものと思っていた。ところが,サッカーが優勝して,(大原中学へは行かないということで,しかも韓国中学にはサッカー部がないということもあって),僕のために地元でクラブチームを作ってくれたりした。
●ところが,小6のとき,当時のサッカーの仲間が,自宅へ来て,「曺(チョウ)君と一緒にサッカーをするために,大原中学へ来てくれ」と,父に頼みに来たことがあった。父に,「大原中学へいきたいか」と聞かれて,ぼくは「どっちでもいい」と泣きながら,言ったらしい。それを見て,大原中学へいきたいんだな,と思ったらしく,大原中学へ行くことになった。妹二人も応援してくれ,私たちが行くから,兄にいかしてくれ,と頼んでくれたりしたが,父は要職についていることもあり,結構バッシングにあったのではないかと思う。
●もし韓国中学へ行っていたら,別の人生になっていた。その時,自分にとって,サッカーは,それほど大事なものではなかった。中学,高校(洛北高校)とサッカーをしていって,生活の中で,サッカーが大きくなっていった。しかし親からはサッカーをやめろ,やめろと言われ続けていた。まだプロリーグもないし,在日韓国人がサッカーやってどうなる,と。
●高3のとき,サッカーを辞めようと思った。高校は,そこそこサッカーが強いチームだったが,下馬評にもないところに,負けてしまった。PKで,僕が蹴ったが,今まで一度も外したことがないのに,外す気がして,まずい,まずい,と思って,いつもなら方向を決めるのに,きめられないまま蹴って,PKを外した。高校総体にも選ばれて出たが,チームが負けたので,腑抜けのようになって,それも負けた。こんな終わりか,と思った。
●大学入試の準備もできていず,家庭教師にも,一浪しろとまで言われていた。そんな中,たまたま早大の試合を見て,結構いい試合だったが,父も母も,あんた,ここなら行っていい,と言われた。
●そこから,11月末から2月まで,自分の中ではめちゃくちゃ勉強した。合格判定テストでは,判定不能なくらい低い。でも,ポジティブで,まだあそこは勉強していないから,などと思っていた。そんな状態で,何とか大学に受かった。大学に入れなかったら,サッカーをやっていない。
●大学でサッカーやるチャンスをもらい,仲間のサッカーをやる熱い意欲に影響を受けて,ちゃんとやらないといけない,と思った。
ここまででのストーリーに対して,リストーリーで出たのは,
○小4のときにほめられた効果が大きい
○おれがおれがというものがなく,自然体,流れに乗っている
○そんなに熱中していないといいつつ,結果としてサッカーを主体に流れに乗っている
といったことだったが,無理せず,自然にサッカーの才能を開花させる流れをつくっていると感じた。結果として,たぶん周囲から,そのサッカーの能力は群を抜いて,一目置かれていたのではないか。「一度も外したことがない」というのは,さりげないが,強い自負だ。そして,その自負を育てている背景,例えば練習とか努力については,ほとんど語っていない。しかし,それが,本人にとって,「図」として目立つことではなく,当たり前の日常の「地」になっている。小4のとき,いきなり先生が試合に出し,そこで結果が出せるほど,何か目立つものがあったに違いない。それは,「地」として,意識の背後に沈んでいる,という印象である。
覚えていない,そんなに熱ではない,辞めるつもりであった,というマイナスの言葉が出てくるが,それが意識の中で目立っていたから記憶にあるが,日常の,サッカー漬けの生活,試合で一度も失敗しないシュートという「地」が,曺(チョウ)さんの,当時の仲間や指導者に見えていたことなのではないか。だから,曺(チョウ)さんの「図」と「地」は,周囲の人と逆転していたのではないか,という気がする。周囲にとって,一度もシュートを外さない技が図であったのではないか,と。
【第2回のストーリーテリング】
●PKの外したシーンは,ボールを置いた場面から,蹴ったボールの軌跡まで全部覚えている。いままで失敗すると思って蹴ったことはなかったが,そのときはやばいと思っていた。
●大学4年の時,Jリーグができるという話がおきていた。でも,実業団へいって,そのままサラリーマンになる,というコースしか考えなかった。親からも,「プロにならんとき」と言われていたし。
●大学4年の時,副キャプテンをしていたが,やりたいものが全然なかった。せめてサッカーを利用して就職できたらいい,という程度で,日立製作所に入社した。丁度入社前,韓国籍を隠して入社した人の取り消し裁判があったころだった。午前中は,コピー取りとかといった,つかいっぱをやっていた。
●30くらいまでサッカーやって,その後仕事をしょうと思っていた。入社後宣伝部に配属され,なんでそこに配属になったの,と聞かれたほど人気の部署だったが,希望を出したら配属された。サッカーやめたら自分もここで,思っていたが…。
●3年後,プロフェッショナルに入りたくなった。Jリーグができた時,日立製作所は,最初の11チームには入れなかったので,浦和レッズに移籍した。周囲からは,絶対行くな,と止められた。上司たちには,生涯賃金を見せられたりして引き止められたが,いまでも,なんでプロフェッショナルになりたいと思ったのか,わからない。ただ,中途半端がいやで,サラリーマンをしようとする自分がいやで…。でも,一流にはなれなくて,30目前で引退した。
●なんだかんだいっても,自分で決めた。浦和レッズには50人くらいいて (Jリーグ発足当時のバブルのときで) ,自宅から1時間半くらいかけて車で通ったが,なんでプロに入ったのだろう,後戻りできない,と思っていた。
●27歳で結婚し,30目前で引退した。でも,大観衆の中で,これだけの大観衆が見ているという感じ,そういう喜びはサッカー以外ではえられないと思った。
●だからといって,引退する前に指導者の資格を取ろうともしなかったし,辞めるときまで,やりたいことが全くなかった。そして,逃げるようにドイツへ行った。
●ドイツ語を勉強して,やりたくなかったが,ライセンスを取ろうとしていた。しかしおもしろかったのは言葉の勉強で,朝の7時8時はまだ真っ暗でくそ寒いが,トルコの人やセルビアの人と一緒になって,勉強している間は,一瞬現実を忘れられた(妻もモチベーションないのに,一緒に勉強していて,一時神経症になりかけた。気づかず悪いことをしてしまった)。31歳のとき,約半年で,言葉がわかるようになり,言っていることはつかめるようになった。
●ドイツはサッカー熱がすごく,土日は店も休む。フリーな日を楽しむことをやっているんだということが分かった。そんな時,道端でサッカーをやっている子供たちに,一応プロなのでちょっと教えてやると,子供たちが食いついてきて,列をなした。その時,ひょっとすると,人におしえるのが面白いかも,と思った。
●ドイツでは,コーチングライセンスの講習会に行った。外国人は僕一人(日本でも外国人だが,それとは違って)ドイツ人ばっかり。しかしドイツ語は70~80%わかった。
●講習の中で,2週間子供たちを指導する。その最後に,誰が一番わくわくしたかを子供たちに問いかける機会がある。そのとき,子供たちは「俺のことを指差した」。子供たちと遊んで,ほめてやった。これは,大観衆の前で,喜んだ自分と同じ。自分はなんとなく直接的なコミュニケーションを大事にしてきた。これはその直接的なコミュニケーションで見つけたものだ。
●試験では,試験官も,こっちが言葉がわからないと思っているが,試験の最中仲間が,タッグを組んで,答えをしきりに教えてくれる。結果,準備もなしに行ったのに,指導者の資格を持って帰って来た。
●29,30では,未来が描けず,なんとなくドイツへいき,31歳で資格をとったものの,指導者としての未来を描けなかった。
ここまででのストーリーに対して,リストーリーで出たのは,
○なんとなくとか考えずにと言いながら,流されない軸がある。
○地の曺(チョウ)のサッカーをやりたい思い,それを楽しんだ感じ,大観衆の中にいた喜びが勝ったのではないか。
○サッカーが「地」だから,それ以外のものを探したところで,「図」は見つかるはずはない。しかし意識の中では,サッカーの面白さ,喜びは地になっているので,その楽しさ面白さはなかなか図に上がってこない。一見回り道の様で,ドイツへいって,最短でライセンスを取ったことになる。
○半年でドイツ語は70~80%わかったというのはすごいし,仲間が試験中に答えを教えてくれる,というその曺(チョウ)さんのもつキャラクターというか人間味は,いつも周囲が認めているものに違いない。そのことは,本人には意識がないが,周りに強い影響を与えているに違いない。
○不安,準備内といいつつ,結局やり遂げていく。しかも子供と一緒にサッカーを楽しむ喜びを与え,そして自分でも感じ取っている気がする。
○なにより,何か特別に目立つ「図」を持っているとしか言いようがない。「いいやつ」なのかもしれないし「好漢」なのかもしれないが,妙にサッカーに入れ込まず,思い入れせず,適度の距離を保ちながら,結局誰より最適な,サッカーの面白さを一緒に楽しめる指導者になっている。
【第3回のストーリーテリング】
●帰国後,川崎フロンターレで指導者としてスタートした。選手は,指導者の云う事は聞かない。誰が何と言おうと,自分で判断する力がなかったら,試合でやられてしまう,と思っている。
●13歳のゴールデンエージに一番気を使う。たとえば,フェアプレイでと言っていながら,ファウルしてでも止めろと言ったら,もう子供たちは言えコトを聞かなくなる。大人って駄目だなと思わせてはだめなので,この子たちをだめにしてはいけないと,同じことを言うようにしてきた。
●7年くらいジュニアを教えてきたが,日本の子供たちは『楽しかった』とは言わないので,子供たちが楽しそうにやっているかを見るようにしてきた。プロも同じ。本当にその子が何を考えてやっているかを読む。スタッフに対しても,同じ。J1昇格の記者会見でも言ったことだが,30歳選手も15歳の選手も言うことは同じ。15歳でほめられてうれしいことは,30歳でもうれしい。逆にだめなことも同じで,何歳だからとか子供だからとは言わない。
●指導者になったとき,いい指導者と言われたいとか,いい収入がほしいとは思わなかった。ここで不安に思うなら,最初からやらなければいいと思った。
●契約で,J2からJ3に落ちたら即くび,となっていた。いまも昇格したといっても,自信もない。しかし自分がかかわる人が,生きていてよかったな,とか,たのしいな,と思ってもらうことが,それが自分もうれしい。
●「助け合え」ということを,あえて言った。プロは,助け合ったところで,自分がためなら首じゃないか,と内心思っている。でも,承知の上で,あえて言った。
●「負けたのはお前のせい」とは決して言わない。しかし思ったことは本気で言う。「そんなことをしていては,プロとしてだめだ」という言い方をする。
●選手,こどもは弱い。監督がへぼでも,こうやれと言ったら,やらなくちゃいけない。この職業を失うのが不安なら,やらなければいい。だったら,思ったことは言わなくては。選手が試合中どうしたらいい,と聞いてきたら,「自分で考えろ」という。ムチャクチャです。
●監督にとって大事なのは,試合前のミーティングとハーフタイムのミーティングです。モチベーションの理論に反するかもしれないが,この子たちがいま何を考えているかを読んで,オレがどう動くかだけを話す。思ったことを言わないと,選手たちには伝わらない。だから,彼らがそう考えているということを信じないと,そうは言えない。
●相手を読むというのは,相手の状態を読む。聞く状態になっていなければ言ったって聞けない。例えば,ある選手を試合中交代させたとする。なぜ変えたかは,1週間くらいしてからいう。1週間前とそのときと同じミスをしたから,と伝える。よく言うけれども,「納得しなくてもいい。オレはそう思っているから」という。
●今シーズン,残り2試合で,鳥取との試合が全然ダメ。全然ダメということは,ハーフタイムで戻ってきた選手たちも思っている。それで,僕は何も言わず,グランドに出る瞬間,「昇格したいなら,やることわかってるだろ」とだけ言った。コーチとしては失格かもしれないが,やることを,こうしてやれ,ああやけ,というのは,選手を信じていないことだ。選手を信じるというのは,選手に信じられていると思わなければだめだ。言っていることと,行動が矛盾したら,周りの人はついてこない。そういった時,選手の顔を見て,「勝ったな」と,思った。
●でも結構スタッフの人には迷惑をかける。選手の顔を見て,これはやらない,と,準備したメニューを変える。スタッフを振り回している。ある意味,フィーリングで言う。チームワークに反している。
●指導する側,指導される側とわけない。みんなでやろう,とする。たとえば,選手が試合中,こうしないのですか,と言ってくる。これがうれしいんだけど,わかっている,10分待て,と言ったりする。
●チームが勝つときは何かある,と感ずる。最後の3試合は,ほとんど眠れなかった。暖かいコーヒーを飲む時,胸元過ぎるとき,熱いじゃないですか。でも,カフェオレだと,その熱さに丸みがある。その体中がぽかぽかする感覚がある時,動じない自分がいる。リーダーシップがそういう状態の時,チームは落ち着いている。サッカーを楽しむ,ゲームを楽しむ。
●最終試合は,昇格するとは予想していなかったから,万歳とかする余裕もなく,こけてしまった。選手がこんなに喜ぶんだ,とぐちゃぐちゃになってしまった。
●リーダーシップ論というのは全くない。こうしたら勝てるもない。選手を信じるというが,信じてやるということは,苦境になった時試される。人を信じるのは,自分がそう思っていなければやれない。昔は好き嫌いがあったが,今は嫌いな人はない。その人をまず,自分が信じていく。自分が思うことをいうが,選手からたくさんのことを学ばせてもらった。その人たちが幸せになってほしい。全部の人を試合で使えるわけではないけれど。
●自分は積み重ねてきたという意識はない。その時その時で受け入れてきた。
ここまででのストーリーに対して,リストーリーで出たのは,
○一貫した誠実さと誠意を感ずる。
○思ったことを言うためには,一貫した言動がなくてはならない。100%信ずるというのは,口で言うのはやさしいが,肝心なところで,相手に信じられていると思われなければだめだ。表裏ないというより,表裏内容に努力し続けていく意思を感じた。
○覚悟というものを感じる。「こんなところで不安を感じるくらいなら,引き受けなければいい」
リスボンシビリティというのは,有言実行だと訳した人がいたが,まさにそのものの姿勢を感じる。在日ということで,アイデンティティを自問自答する,ということをちらりと口にされたが,サッカーというグローバルな世界が,オルタナティブな生き方を地に沈め,サッカー人生というドメインなストーリーを図として強化し続けてきたという気がする。「在日の友人はほとんどいない」という最後の言葉はなかなか,深い。
ちょっと長くなった。ただ,人生を振り返るという視点には,「過去と他人は変えられない」というエリック・バーン(ではないという説もあるが)名言もある。あるいはミルトン・エリクソンの,「変えられるのは,過去に対する見方や解釈」だけという言葉もある。とかく過去からの因果を,フロイト以来考えすぎる。僕も,「過去に蓋をしている」」と言われたことがある。
しかし,それはおかしい。過去が自分を決めるのではない。いまの自分が過去の意味を変えるのだ。とすれば,過去からの積み重ねと言ったり,過去のつけと言ったりする,フロイト流(というのはフロイトに責任はなく真似している人の)解釈から脱皮したほうがいい。過去のつけではない。いまのつけで,過去がそう見えるだけだ。今どう生きているか,今自分をどう見ているかで,過去のパースペクティブが変わるだけだ。
「過去の積み重ねという感覚はない」という趣旨のことを言われていたが,曺貴裁さんは,過去にとらわれていない感じがする。というより,一瞬一瞬の今に生きている。その一瞬の意思決定に集中している。フィーリングを大事にしているという評は間違っていると感じている。研ぎ澄ました一瞬への集中力をそういっているだけの気がする。だから,過去を振り返らない。振り返るひまなどない。いまとの乖離があるから,過去を見る。いまの一瞬一瞬に全力を傾けている人間に,過去はいらないのだろう。
それは言葉を変えると,そこにいる,一瞬一瞬の自分に,そして一瞬一瞬のおのれの振る舞いに覚悟することなのだろう。そこからしか,たぶん何も始まらない。それは自分を信ずるとか,自然体に等々という浮ついた言葉ではつくせない一所懸命さなのだと感ずる。
だから本当の自分などというものは必要ない。いまそこにいる自分以外どこにもないからだ。玉ねぎの皮むきのように,剥いても,剥いても,何も出てきはしない。いまの自分からの逃避に,どこかにある本当の自分というものをだしにすることを,いい加減やめなくてはならない。曺貴裁さんのすごいところは,そういう因果や本当の自分論から自由なところだ。
いまの自分がすべてだ。だから自由に話している。だからオープンに話している。だから謙虚であり誠実であり,そして好漢なのだ。
今日のアイデア;
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