2013年01月01日
われわれは二次元スクリーン上に存在している?~『重力とは何か』を読んでⅢ
前回,前々回に引き続いて,大栗博司『重力とは何か』(幻冬舎新書)を読んだ感想を続ける。
三次元空間のある領域で起きる重力現象は,すべてその空間の果てに設置されたスクリーンに投影されて,スクリーンの上の二次元世界の現象として理解することができる…。
これを,重力のホログラフィー原理と名付けられている,という奇妙な説について,ブライアン・グリーンは,『宇宙を織りなすもの』で,それをこうショッキングに表現している。
ひょっとすると私たちは,今このときも,3ブレーン(ブレーンとは膜braneのこと)の内部に生きているのではないだろうか?高次の宇宙(三次元のドライブイン・シアター)の内部に置かれている二次元スクリーン(2ブレーン)の中で暮らす白雪姫のように,私たちの知るものすべては,ひも/M理論(5つのひも理論を統合するマスター理論の意味)の言う高次元宇宙の内部にある三次元スクリーン(3ブレーン)の中に存在しているのではなかろうか?ニュートン,ライプニッツ,マッハ,アインシュタインが三次元空間と呼んだものは,実は,ひも/M理論における三次元の実体なのではないだろうか?相対論的に言えば,ミンコフスキーとアインシュタインが開発した四次元時空は,実は,時間とともに展開していく3ブレーンの軌跡である可能性はないのだろうか?つまり,私たちの知るこの宇宙は,一枚のブレーンなのではないだろうか?
著者も,「重力は幻想である」といったのは,「わたしたちが暮らしているこの空間そのものが,ある種の『幻想』」だと言えるからだ」と言っている。
私たちは縦・横・高さという三つの情報で位置の決まる三次元空間を現実のものだと感じていますが,ホログラフィー原理の立場から見れば,それはホログラムを「立体」だと感じるのと同じことに過ぎません。空間の果てにある二次元の平面上で起きていることを,三次元空間で起きているように幻想しているのです。
重力に押しつぶされて,二次元空間のようなところにいる小惑星の生命体が,地球からの知識を急速に吸収して,高度な文明へと発展を遂げていくSF小説を読んだ記憶があるが,タイトルを忘れた。
それは,ともかく,ホログラフィー原理によって,重力を含まない量子力学に翻訳できるだけではなく,量子力学だけでは解決困難な問題を,重力理論に翻訳して,アインシュタインの幾何学的な方法で解くことができるようになった。しかし,超弦理論が目指しているのは,究極の統一理論,宇宙の玉ねぎの「芯」を説明する,最終的な基本法則である。しかしまだ,道は,途上にある。
そのとき,残された大きな問題がある。
その基本法則には,理論的な必然があるのか,偶然なのか。
もし偶然だとすると,宇宙は一つだけではなく無数にあって,超弦理論で可能な選択肢は全てどこかの宇宙で実現しているのではないか。ブライアン・グリーンは,『エレガントな宇宙』でこう言っている。
インフレーション的膨張の条件は宇宙全体に散らばった孤立した領域でくり返し現れるかもしれない。そうなると,インフレーション的膨張が起こり,そうした領域は新たな個別の宇宙に発展する。こうした宇宙のそれぞれでこのプロセスがつづき,古い宇宙の遠く離れた領域で新たな宇宙が生まれ,膨張する宇宙の広がりの網が果てしなく成長する。……この大きく広がった宇宙の概念を多宇宙,その構成部分のそれぞれを宇宙と呼ぼう。……私たちが知っていることすべてが,この宇宙全体を通じて一貫した一様な物理が成り立っている…と述べた。しかし,他のもろもろの宇宙がこの宇宙から切り離されているか,あるいは,少なくともあちらのひかりがこちらに届くだけの時間がこれまでになかったほど遠く離れているのであれば,このことは他のもろもろの宇宙の物理特性には何の関係もないかもしれない。そうであれば,物理は宇宙ごとに異なると想像できる。
しかし,逆に,私たちの世界をつくっている素粒子模型は,いくつかある選択肢の中から,どうして選ばれたのか。それを「人間原理」と呼ぶようだが,
自然界の基本法則には,宇宙に人間=知的生命体がうまれるよう絶妙に調節されているように見えるものが少なくありません。
その極端なのが,ガイア理論の,ジェームズ・ラブロックの考えだが,不思議な調節は,たとえば,
太陽と地球とのちょうどいい距離。太陽から,150億メートル離れている。
陽子は正の電荷をもつので,陽子同士は反発しあう。しかし電磁気力がいまより2パーセント弱かったら,陽子同士が直接結合し,太陽は爆発的に燃え尽きる。
陽子は電子の約2000倍の重さだが,この質量比が大きすぎるとDNAのような構造をつくれない。
暗黒エネルギーは10の120乗分の一という値だが,これより大きければ,宇宙の膨張速度が速くなりすぎて,銀河は生成できない。逆に負の値だと宇宙は潰れてしまう。
空間は三次元だが,仮に四次元だと,ニュートンの法則の逆二乗ではなく,逆三乗になり,太陽系は不安定になり,惑星は太陽に落ち込んでしまう。
等々,こう基本法則を並べると,あまりにも人間に都合がよすぎる。これを神様に頼らず説明しようとするのが,人間原理だと,著者は言う。
私たちが太陽に近すぎる水星や遠すぎる海王星ではなく,知的生命体への進化に適した地球の上にいるように,私たちのこの宇宙が,たまたま私たちにとって「ちょうどよい基本法則」を持っていた…。
こう考える「人間原理」は,科学にとって最終兵器だと,著者は警鐘を鳴らす。
説得力のある仮説なのは確かですし,実際そうである可能性はありますが,安易にこの考えに頼るべきではない。最初から人間原理で考えていると,実は理論から演繹できる現象を見逃して「偶然」で片づけてしまうおそれがあるからです。
物理学の歴史においては,偶然に決まっていると思われていたことの多くが,より基本的な法則が発見されることで,理論の必然として説明できるようになりました。
そしてこういう例を挙げている。
私たちの宇宙は,三次元方向にはほとんど平坦であることがわかっています。これは宇宙の膨張のエネルギーと物質のエネルギーが絶妙につりあっているからです。もしもビックバンの一秒後に,このふたつのエネルギーがわずか100兆分の一でもズレていたら,宇宙の膨張がそのズレを増幅するので,宇宙はすぐに収縮して潰れてしまうか,急激に膨張して冷え切ってしまっていたでしょう。
この絶妙なつりあいは,人間原理でなくても,説明できる。著者は,言う。
インフレーション理論によると初期宇宙は加速的膨張によって宇宙がアイロンをかけられたように真っ平になるので,100兆分の一の精度の微調節も自然におきます。
と。そして,こう締めくくります。
科学とは,自然を理解するたる目に新しい理論を構築していく作業です。実証的検証がその重要なステップであることは言うまでもありませんが,科学の進歩とは,…ある分野から生まれた新しいアイデアが科学者のコミュニティの中でどのように受け入れられていくか,それがどれだけ新しい研究を触発しているかということも,その分野の進歩を測る重要な目安だと思います。
いま物理の最前線は,その意味で沸騰していると言っていいのかもしれない。ガイア理論のジェームズ・ラブロックがガイアシンフォニーの第4番で,こういっていた。
答えは直観的にわかり,自分を納得させるのに2年かかり,仲間をわからせるのに3年かかる。
ひとつの斬新なアイデアがパラダイムを崩し,新しいパースペクティブを開く。その醍醐味を十分知らしめる本になっている。
僕などは,宇宙が膨張している,と初めて聞いた時,その外はどうなっている?という疑問を持ったものだ。本書はそれに,間接的だがひとつの答えを出してくれていた。それが僕には拾いものであった。
ビッグバン=大爆発というと,空間の一点から,爆発物が外向きに広がっていく様子をイメージするかもしれません。そうすると,爆発物がまだ届いていないところはどうなっているのか疑問になります。しかし,宇宙のビッグバンでは,空間自身が膨張するのです。空間の膨張とは「二点間の距離が広がる」ことですから,必ずしもその空間の「外側」は必要ありません。箱が外側に向かって拡張しなくても,箱の内部の縮尺が変化すれば,二点間の距離は広がったり狭まったりします。(中略)
例えば,あなたの目の前に左から右に無限に伸びているゴムひもがあると思ってください。無限なので両端はありませんが,それでも,ゴムが伸びれば,二点間の距離は広がるし,縮めば二点間の距離は狭まります。つまり,無限の空間でも,膨張や収縮はできます。
きっとよくある質問なのでしょう。手慣れた答えです。そして思ったのは,たぶん大きさのイメージが理解を超えているのだろう。宇宙誌膨張しているという時,ゴム風船をイメージする。どうもそうではない。しかも距離に比例する速さで遠ざかっている。
距離が遠いほど遠ざかるのなら,あるところから先の銀河が地球から遠ざかる速度は,光速を超えてしまうでしょう。拘束を宇宙の制限速度としたアインシュタイン理論に反すると思うでしょうが,あの理論は宇宙の中での移動速度に関するものですから,宇宙そのものが超光速で膨張することまでは禁止していません。
では,超光速で遠ざかっている銀河は,地球から観測できるでしょうか。答えはノーです。膨張が続いている限り,その光は地球に届きません。実際,最新の観測結果によると,宇宙の膨張は止まるどころか,100億年ごとに二点間の距離が倍になる勢いで加速しています。
46億年の地球の歴史よりはるかに遠い昔が,仮に光が届いたとしても,今地球に届くのだと考えると,途方もない感覚にとらわれてくる。とても人間の間尺では測りきれないのはやむを得ないだろう。
参考文献;
ブライアン・グリーン『宇宙を織りなすもの』(草思社)
ブライアン・グリーン『エレガントな宇宙』(草思社)
今日のアイデア;
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#アインシュタイン
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2013年01月02日
微細な変化を見逃さない眼~石原吉郎の詩をめぐってⅢ
こんな詩があった。
膝を組み代えるだけで
ただそれだけで
一変する思考がある
世界が変わるとは言わぬにしても
すくなくともそれに
近いことが起こる(「膝」)
世界が変わる,その世界は四畳半の中だけかもしれない。フラクタルで,バタフライのひと羽ばたきが,台風に変ずるそれかもしれない。しかし,それは小さなことに着目しなくては気づかない。昔稲垣足穂が,蝸牛の渦巻きと星雲の渦巻きのフラクタル(とは言っていなかったかもしれないが)について書いていたと記憶しているが,小さなものの中に,巨大な真実が隠されている,という発想は,結構面白い(神は細部に宿るって,アインシュタインだっけ?)。
それも訂正が
要る
まさに訂正が
問いつめたことの責任を
責任のまま
追いつめるために
訂正のあとへ
のこされるものを
いちどはしたたかに
負いなおすために。
それだけのことだ
責任とは だが
それだけが どれだけ
重いか きみに(「訂正」)
あるいは,この責任という意味は,さらに,こうつながっていく。
重大な責任をとった
というときに
重大でない部分は
各自の責任に
移される
そこからかろうじて一歩を
踏み出さねばならぬ(「黄金分割」)
通常いう責任という言葉に比べて,呵責のように覆いかぶさってくる。つけという言い方の方が正しい。リスボンシビリティとは,有言実行と訳すべきことだと言ったのは誰だったか。責任についての,視角がちょっと違う。
かりにそうでもと
いうひとところで
ふみちがえた
おわりのひと研ぎで
その刃は思案をこえた
その刃を当てなおすために
その膝がわずかに
ずれるだろう
ずらせたそのはばへ
斬撃のおもいは
のこるだろう
正統を恋うとは
そのことなのだ(「正統」)
ここにあるのは,すごくよくわかるが,ちょっとした違和感で,それをしない,それを断る,その口実のように,言い訳のように,「そうはいっても」という。その口吻に似ている。その結果,仲間から,本流からそれていってしまう。そんなわずかな行きがかりから,結果として異端になったことに,かすかな悔いがある。だから,正統を恋うのだ。正統に,ということはまっとうにと言い換えてもいい,その中から一度も踏み外したことのないものには,たぶんわからない心情なのだろう。しかし,そこにかすかな自負があるのを見逃してはならない。
埒外,ボーダーライン,境界例,非正規,バイト,パート,契約,やくざ,無宿人,ホームレス等々,何かからはみ出した瞬間,そこから普通の日常世界が遠くになっていく。その一瞬の後悔の念からのみ,
そのひとところだけ
ふみ消しておけ
そういう
ゆるしかたもある
そういうゆるしかたも
ある ということを
はるかにとおく
思いしらすために
踏むには値せぬ
ひとところを
やわらかな踵で
ふみ消してから
谺となって立去るがいい
うなだれた記憶がゆっくりと
蒼白な面を起こすのは
立去っていく その
うしろからだ(「残り火」)
という詩のかすかな寂しさが感じられる。何か,許容というか,許しというか。癒しなどという甘ったれたものではない。癒しなどという,あってもなくてもどうでもいいものが,はるかに見えるような遠い世界のことだ。その背中が寂しげだ。そういえば,「背なで泣いてる唐獅子牡丹」というのがあった。それをもじった池田満寿夫のイラストが流行ったっけ(歳がばれる)。
おれにむかってしずかなとき
しずかな中間へ
何が立ちあがるのだ
おれにむかってしずかなとき
しずかな出口を
だれがふりむくのだ
おれにむかってしずかなとき
しずかな背後は
だれがふせぐのだ(「しずかな敵」)
いつも孤立した自恃というか,孤立した影だけが屹立する。世界と拮抗するだけの自負と矜持がいい。強がりでも,見栄と意地をなくしては,軟体動物になる。
非礼であると承知のまま
地に直立した
一本の幹だ
てらす満月が非礼であれば
それも覚悟のうえだ
その非礼にあって
満月が
幹とかわした会話は
一条の影によって
すっくと書きのこすがいい(「非礼」)
すっと屹立する。凛と立つなどと甘ったれたものではない。孤峰のように,峻「立」する,というのに近い。僕にとって,仰望に近いが。
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2013年01月03日
「恋」・「愛」・「好」について
自分の知っている範囲なので,あるいはとんでもない間違いをしているかもしれないが,恋には対立語がない。たとえば愛なら愛憎,好なら好悪がある。その意味では,「恋」に憎しみや悪意は似合わない。
辞書的に言うと,日本語には,本来「愛」はない。漢語からきた。だからか,本来の意味とは別に抽象度が高い印象を受ける。古語辞典では(といっても自分の持っている岩波版の古いタイプだが),「恋う(ふ)」には,「思い慕う」か,「異性を思い慕って悩む」という意味しかない。
「愛す」は,①大切に扱う,大事にする,②手心を加える,遠慮して扱う,③あやす,機嫌を取る,の意味しかない。恋とか恋愛はない。
「好む」には,①好く,愛する,②選ぶ,という意味だが,この場合の①の意味は,例で,「いまめかしき事をこのみたるわたりにて…」とあり,「恋」のニュアンスはない。
このあたりからは,憶測と独断になるが,まずは,「恋」・「愛」・「好」の矢印の方向性を考えると,「恋」は,水面に映る自分に恋をしたナルキッソスの話があるにはあるが,「愛」に自己愛があり,「好」にも自己を好むという言い方があるのに,自己恋や「自分を恋う」というのはあまり聞かない。しかも,矢印は,誰でもいいというわけではなく,基本は,一点にピンポイントで向かう。恋のキューピッドの矢が,意味があるのは,そのためだ。「恋」の漢和辞典での意味も,「こふ」に一点張り。ただ,恋々という言葉あるように,「恋」には軟弱さが付きまとう。だから,恋着とか恋泣になってしまうようだ。
「好」は,嗜好とか愛好とか愛玩いう言葉があるので,本来の「愛」の「めでる」「いつくしむ」ということとつながって,かなり狭い範囲に限定された矢印のような気がする。人とも物とも時とも相性のいい言葉らしい。漢和辞典的(といっても角川の『字源』だが)には,「よし(善)」か「うつくし」のニュアンスがあり,もちろん好色の「好」でもあるが,好意の「好」であり,好漢の「好」であり,好事者の「好」であり,好人物の「好」であり,好都合の「好」であり,好評の「好」であり,好機の「好」でもある。
「愛」は,漢和辞典的には,「いつくしむ」「親しむ」「めでる」「したう」とあり,幅が広い。仁愛の「愛」でもあり,愛育の「愛」でもあり,愛児の「愛」でもあり,愛詠(好んで歌う歌)の「愛」であり,愛惜の「愛」でもあり,愛着の「愛」でもあり,愛嬌の「愛」でもあり,愛妾の「愛」でもある。さらに,自愛の「愛」もある。
現代は,「愛」ですべてが代替できるくらい幅広いが,漢字としての「愛」も元来そんな感じになっている。矢印は全方向と言っていい。
恋と愛の違いにはいろいろ説もあるようだが,三島由紀夫が,ことを書いていたそうだ(ネットで知ったので保証はしない)。
思うに、「好く」というのは、個人資質的な扇形した感情移入を云うのであろう。対極は「嫌い」であり、人はそれぞれ多少なりともその嗜好性向が異なっているので塩梅良くなっているように思われる。「恋」というのは、「好く」の扇形をかなり狭めた極力一対一のかなり濃度の高い「好く」感情移入なのではなかろうか。
それに対して、「愛」というのは、一対一の「恋」の扇形を開く方向への感情転移なのではなかろうか。「愛」は広がれば広がるほど良いが、いずれ「止まり」がやってくる。なぜなら、「愛」は強めれば強めるほど逆に「憎」を呼び込むからである。こうなると、それまでの「愛」を「第一次愛」と呼び、「憎」と絡みながら織り成していく「愛」感情を「第二次愛」として区別すべきであろう。その上で、「第二次愛」も又広げていけば行くほど良い。
三島らしい屁理屈だが,どうもしっくりこない。僕はベン図で関係性を考えてみた。例の円を重ねたり,つなげたりする,ジョン・ベンの考案した,複数の集合の関係や、集合の範囲を視覚的に図式化したものである。
「恋」は,どちらかというと二つの円が離れている。だから知恵の輪のように接点だけで絡みつく。
「愛」は,二つの円が一部重なっているか,全体が重なっているかだろうが,しかし思うに,重なっている場合は,どちらかの円の方がはるかに大きくて,自分側が大きい方なのか相手側が大きい方なのかは別として,大きな円の中に包み込まれているのではないか。
「好」は,ほんのわずか,相手の円が接している。その接している部分,ないし重なり合っている部分が大きくなるほど,マニアックになるというか,執着が強まる。この場合円の大小は「好」には影響しない。
ただ,「恋」の円は,円ではなく,輪。知恵の輪が絡みつくように,別々のまま。言い様を変えると,まあ一方通行。絡んではいるが,重なることはない。だから,「恋」。だから,「恋」が「愛」になることはない。慈愛という言葉があるが,その時,「恋」ではない。なぜなら,目線がもう「恋」の一方通行の目線ではないからだ。それは「恋」の終焉の果てに,ひょっとしたらありうる境地だ。「愛」の場合も,確かに,特に大きいほうが小さいほうを飲み込んでいる場合,やはり一方通行に違いないのだが,一方通行で自足する傾向がある。自足というかそこで充足している。「恋」は終始,一方通行にじれている。しかし,「恋」には「憎」も「悪」もない。「恨」もないと思う(ここらは異論があるかもしれない)。
「恋」からの連想で,ちょっと古いが,与謝野鉄幹の「人を恋うる歌」を思い出した。ネットで歌詞を調べてみたが,どうも人を「恋ふ」という感じではない。壮士の勇ましげな空元気っぽくて,好きではない。この中で,有名なのは,一番だが,
妻をめとらば 才たけて
みめ美わしく 情けある
友を選ばば 書を読みて
六分の侠気 四分の熱
二番は,
恋の命を たずぬれば
名を惜しむかな 男(おのこ)ゆえ
友の情けを たずぬれば
義のあるところ 火をも踏む
恋とは言っているが,単なるだしに使われているだけだ。とてもいただけない。与謝野鉄幹という人間の程度の悪さを想像させてしまう(正直のところよく知らないし,こんな歌ではよく知りたくもない)。
全歌詞は,ネットでみるといろいろあるので見てほしいが,あえて好意的に受け止めれば,よく読むと,一方通行で,人への憧憬に満ちている。その意味で,人を「恋うる」というのはあたっていなくもない。
どのみち,自分には無縁で,他にないものかと,いろいろあたってみたが,短歌ならたくさんあるのだろうが,結局この詩に落ち着いた。
他人を励ますことはできても
自分を励ますことは難しい
だから-というべきか
しかし-というべきか
自分がまだひらく花田と
思える間はそう思うがいい
すこしの気恥ずかしさに耐え
すこしの無理をしてでも
淡い賑やかさのなかに
自分を遊ばせておくがいい(吉野弘「自分自身に」)
僕は,まあ,愛とか恋とかには縁のない人間なので,つまるところ,「好」に落ち着いてしまったようだ。こういう含羞の気色が「好」みのようだ。
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2013年01月04日
記憶をさかのぼる~物語を語るⅠ
自伝的記憶をさかのぼると,産道から出てくるところまでたどり着ける人もいるらしい。
前にも書いたが,あるところであるお母さんから聞いた話では,自分の子が,言葉をしゃべれるようになったころ,「私は,本当はあの場所から出たくなかったのに,急に明るくなって,お父さんとお母さんに引っ張り出された」といったそうです。帝王切開だったのですが,それをちゃんと覚えているのです。そして,その子は,「お母さんは,バス停でないところで,バスを止めたでしょう」といったそうです。その子を抱いて,確かにそんな経験をしたそうです。
しかし僕の場合,一番古いのは,褞袍をきたオヤジの懐に入れられていたという話だが,これは後年富山時代のこととして,母から聞いたことのように思う。それ以外は,浮かばないのだが,スイカ畑で,例のスイカの緑に墨色の並みの模様が,いっぱいあるのを,デジャブのように時々,見る。ひょっとしたら,富山で見ていた可能性はある。富山でいっぱいスイカをもらったという話を聞いたせいかもしれないが。
それ以前は,佐世保にいたらしいのだが,今にも死にそうなくらい痩せこけていた,ということを後に聞かされた程度で,少なくとも,思い出せない。死ぬ前に,一瞬フィルムのラッシュのように,一生分が目の前を流れるというから,今すら楽しみにしている(ていうか,死んだ奴は語れないので,誰が言ったの?)。
富山の後というと,多治見時代で,幼稚園に行くのに,誰かが呼びに来て,一緒に行ったらしいという記憶が,朧にある。いまひとつ多治見時代のことで鮮明に覚えているのは,矢作川の堤防から見た,今にもあふれそうな川の光景だ。確か,台風が来た翌日位で,土手を上って見に行ったのだと思う。堤防の頭あたりを舐めるように波頭が洗い,茶色く濁った川が激しく波立って流れていたのを覚えている。
幼稚園の学芸会か何かで,終わった後にみんなで撮った写真が残っているが,いいものの星の王子(金色の星を頭にかぶせっている)と悪いものの星の王子(黒い星の絵を頭にかぶせっている)がいた記憶はある。で,僕は主役ではない,悪いものの方をやったらしいのだが,覚えていない。ただ,誰だか知らないが,好きな子がいたらしくて,その時のかすかな心のざわめきだけが,写真から伝わってくる。
多治見の官舎は,矢作川沿いにあり,一階は堤防より下にあたる,いつもジメジメしけったところで,そこに野良犬を拾ってきて飼っていたという記憶はあるのだが,病気にやられた。と,そこまでは覚えているが,その後,犬がどうなったかは覚えていない。
(父は検事をしていたので)大体,2~3年毎に転勤していたので,犬を飼うということ自体が無理な話で,今思うと,よく野良犬を飼うことを,父が許したものだと思う。それにしても,昔の官舎はボロ屋ばかりで,転勤した家は,どれも,狭く古ぼけていた。今の官吏は贅沢だとつくづく思う。閑話休題。
そこから飛んで岡崎になり,城址脇の,小さな官舎に住んでいた。そこで覚えているのは,感謝のすぐ目の前にあった小学校で,泳ぎを覚えた,と言っても,浮かんでいられないので,潜水だけだが。それと,弟が死んだ記憶だ。どうも,その後の高山と混同していたが,確か,生まれたての弟をよく負ぶって,歩いていた。記憶に間違いなければ,夕方遅く,お城の堀のあたりを歩いていて,屋台のオヤジに感心だと,ほめられ,いい気になって毎日その近くを,弟を負ぶって連れまわした記憶がある。そのせいではないが,はしかで,あっけなく弟は死んだ。誤診,と聞かされたが,後年,もう死の床にあった母が,しきりに悔やんでいたのを,思い出す。
もう一つ鮮明に覚えているのは,城址脇の河原の花火大会で,花火より蚊に刺されてかゆくてたまらなかったことの方がよく覚えている。
その後の高山というのは,小学校3年から6年の二学期までいたが,僕の中で,なんとなく故郷というイメージ(あくまでイメージで,知己も知り合いもいない)に近い。これはこれで別に書く必要がある。
ナラティヴ・セラピーで,問題を支持・維持するストーリーをドミナント・ストーリーと言い,それに対抗する別のオルタナティブ・ストーリーを見つけることで,自分を見直すということをするのだが,僕には,それの是非を云々する資格はないが,ひとは「現在」から過去を見る。いまの自分のありようで,過去が違って見える。
人は,因果でストーリーを描く傾向がある。今が幸せなら,それは過去からの必然に見える。そのような自分のストーリーのみを紡ぎだす。今が不幸せなら,それも過去からの必然に見える。だからいまここがあるというようなストーリーを描き出す。
だが,エリック・バーンが(言ったのではないという説もあるが),「過去と他人は変えられない」と言い,ミルトン・エリクソンが,「変えられるのは,過去に対する見方や解釈だけ」といったのも,今(の生き方)次第で,過去が変わって見えるということでしかない。
確かにそう思うのだが,人生は計画通りにはいかない。いったとしても,それは人生と呼ぶに値しない,業務遂行みたいなものだ。人生に,するめのような味わいがあるかどうかは,それはいまこの瞬間を生きているかどうかだ。
また同じ引用で申し訳ないが,ガイアシンフォニー3番の,
人生とは,何かを計画している時に起こってしまう「別の出来事」のことをいう。
結果が思惑通りにならなくても,最後に意味を持つのは,結果ではなく,過ごしてしまった,かけがえのないその時間である。
それがかけがいのない時間になっているか,どうか。いまの,一瞬一瞬に,問われている。僕は,計画を悪いとは思わないが,計画に費やす時間は,かけがえのない時間なのかどうか。それによって,自分の過去が,ひとつのストーリーとして見えるかどうかは問題ではない。自分の今が,過去をそう見せているだけだ。
確か,フランクルが言っていたと記憶しているが,誰もが人生の物語を持っており,人はそれを語りたがっている,と。もしコーチングに意味があるとするなら,その人の物語を聞いてあげることだ。そして,次の新しい物語を,一緒に作っていくことだ。
今日のアイデア;
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2013年01月05日
「場」を主役にして考える~Tグループ体験を振り返る
「場」については,一度考えてみたことがあったが,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11007605.html
もう少し,別の切り口で考えてみたい。いつも「場」を考えるときは,自分側から,どう「場」に入るか,あるいは「場」の中で,どう一体化するか,あるいは,「場」にどう主体的にかかわるか,という視点からのみ考える。しかし,主役は「場」ではないのか。
たとえば,有名なK・レヴィンは,人間の行動(B:Behavior)は,人間(P:Person)と環境(E:Environment)の関数,B=f(P, E)であるとした。それを生活空間(life space)といった。
レヴィンの生活空間は『場の理論(field theory)』(トポロジー理論)とも呼ばれる。主体的な人間の認知・判断だけでは人間の行動が決まらず,目標とする対象や相手が持つ「正・負の誘発性」によって人間の行動は大きな影響を受けるという双方向性を説明している点に意味がある,とされる。つまり,人間の行動が『生理的な欲求・本能的な願望』という動機だけで決まるわけではなく,「環境の変化・他者の反応」といった環境要因との相互作用によって規定されることを説明した。
たとえば,人間が特定の対象や相手に対して欲望(目的)を抱く時には,その欲望(目的)が簡単には達成できず,その実現を妨げる障害があることが少なからずある。そして,そういった状況下では,緊張感や欲求不満を伴う葛藤が高まりやすくなるが,人間は「欲望の充足・目標の達成=接近」か「欲望の断念・目標の引き下げ=回避」によって葛藤を解消して安定した平衡状態を回復しようとする,というのである。
以上,受け売りのレヴィンの考えは,あくまで,主体は人にある。相手や状況は地になっている。この図と地を逆転して考えるべきではないか,というのが,ここでの問題意識である。
僕の中のイメージは,20代の前半,会社の指示で,参加したTグループ(感受性訓練)での体験だ。いまでいうとエンカウンターグループの源流の一つのようだが,僕の参加したそれは,立教大学の早坂泰次郎さんが主宰していたものだと記憶している。その頃いわゆるST(感受性訓練)が大流行であった。
資料はすでに処分しているので,正確な系譜や背景はわからない。記憶のなかにあるイメージだけだが,最終日(連休中に二泊三日か三泊四日の長いワークショップだった)あるいはその前日位には,自分の皮膚が溶けて,その10人前後のグループという「場」に一体になっていた気がしている。その時の感覚は,朧だがよく覚えている。その一体は,(後でいろいろ聞き合わせてみた限りでは)そのグループが特に先鋭だったのかもしれないが,お互いが,何を感じているのかが分かった。
たとえばの話だが,僕はある女性が好きだと思っていて,その女性も僕のことを好きだと思っている,そして周囲の人間にもそれがよくわかっている,言葉はないが,お互いが,皮膚という境界が溶けたように,感情がつながっている感覚であった。もちろん錯覚に違いない。しかしそういう錯覚を共有しあえる「場」が,そこにできていた。
その時,僕であるとか,何某であるとかがそこにいるのではなく,そういう「場」に,僕であり,何某がいる。しかしその「場」をつくっているのは,僕であり,何某だから,何某の代わりに,○○でもいいかというと,そうはいかない。
見も知らぬ何人かが,トレーナーの「でははじめましょう」の一言で始まるが,別に何かを言うわけではない。沈黙が続くと,その時間を無駄と思う人も出てくる。何の指示もしないトレーナーに文句を言う人も出てくる。その中から,互いに,そこにいる自分を受け入れ,そこにいるお互いを受け入れ,そこにいる時間を受け入れ, その「場」を受け入れて,なんとなく和解的,緩和的な雰囲気の中で,何を話すというのでもない日向ぼっこのような瞬間が来る。その時,しゃべりたかったら何をしゃべってもいいし,聞きたくなかったら,聞き流してもいい,話さなくても,黙っていても,お互いを気にせず,その空気の中で浸っていられる時間が,ゆっくりと流れていく。
これが,たぶんロジャースのいう「基本的出会い(encounter)」ではないのかと思う。
その「場」を離れて,その後同じメンバーで何度か同窓会をしたが,やがて日々の中で相互の存在も忘れていった。でもこう思うのだ。その時の「場」が,その時お互いの作り出した「場」が,お互いの関係を深めたのであって,その「場」が崩れてしまえば,その関係は,水をなくした藻のように,枯れていく。そのTグループというワークショップの枠組みの中で,疑似的につくられた共感的空間だという言い方もできるかもしれないが,そうではなく,そういう「場」をつくる仕掛けさえあれば,日常的にも,それは可能なのではないか。主題は,「場」なのではないか。
Tグループとは,「参加者相互の自由な(非指示的な)コミュニケーションによって,人間としての人格形成をもたらそうというグループアプローチ」(『カウンセリング大事典)とある。
ネットで調べると,Tグループといった場合に,狭義にはTグループ(未知のメンバーで構成され,何を話せばいいとか,誰かがどのようにすすめるかなど一切決まっていないグループ)もしくは,そのセッションをさし,“今ここ”での人間関係に気づき,自分のことやグループのことを学ぶセッションであり,一般に,90分前後で1セッションが構成される。広義には,Tグループセッションも含め,実習を使ったセッションや小講義などからなる何日かの一連のプログラムからなるトレーニングをTグループと呼ぶこともある
いずれにしても,これもレヴィンのアイデアによるようだ。権威的な運営グループより,民主的なグループ運営の方が,課題達成成果が上がったというようなことが背景にあるらしい。もうひとつ,ネットで拾ったのは,次の文章。
Tグループは,個人が学習者として参加する,比較的構造化されていない(unstructured)集団である。その学習のための資料は,学習者の外側に存在するのではなく,Tグループ内での学習者の直接経験とかかわりをもっている。つまりその資料とは,成員間の相互作用そのものであり,集団内での自分たちの行為そのものである。すなわち,成員たちが,生産的で,活力のある1つの体制,すなわち1つの小さな社会を創造しようとして奮闘しているとき,その社会内でのお互いの学習を刺激しあい,支持しあうときの相互作用そのものであり,集団内での自分たちの行為そのものである。経験を含むということは,学習のための十分な条件ではないが,必要条件である。成員たちは,Tグループにおいて,自分自身の行動に関する資料を収集し,同時にその行動を生起させるにいたった経験を分析するという探求方式を確立しなければならない。このようにして獲得された学習結果は,引き続きそれを利用することによって,さらに検証され,一般化されていくのである。かくして,各人は,他者に対処する場合の自分の動機,感情,態度などについて学習するであろう。あるいはまた,他者と相互作用の場をもつとき,自分の行為が他者にどのような反応を呼びおこすかについても学習するであろう。人は,自分の意図とその結果が矛盾するとき,他者との人間関係において,自由闊達にふるまうことができなくなるような垣根をつくってしまう。このことによって人は,自分自身の潜在力について[今までと違った]新しいイメージをつくりだし,その潜在力を現実化するために,他者からの助けを求めるのである。(L.P.プラットフォード&J.Rギップ&K.Dベネ『感受性訓練:Tグループの理論と方法』(日本生産性本部))
上記の,「成員たちが,生産的で,活力のある1つの体制,すなわち1つの小さな社会を創造しようとして奮闘しているとき,その社会内でのお互いの学習を刺激しあい,支持しあうときの相互作用そのものであり,集団内での自分たちの行為そのものである」というところを,別に読み替えると,「場」という時,次の3つを考えてみる必要があるのではないか。
ひとつは,その場の構成員相互の関係性と言い換えてもいい。別の人とだったらそうはならなかったかもしれない。
ふたつは,その場の構成員相互の行動・反応である。ある行動(非言語も含め)にどうリアクションがあるのか等々。
みっつは,その時の状況(文脈)である。明るい日だったのか,寒い日だったのか,うるさい環境だったのか等々。
その他,その時の全体の醸し出す雰囲気である。前項と関係があるが,フィーリングと言った感じのものでもある。
これが「場」の構成要素だとすると,B=f(P, E)は,場(field)=Fを中心に,
F=f(P, E,B)
となるのではないか。数学的に正しいかどうかはわからないが,ほとんどシミュレーション不能なのではないか。つまり,その時,その場の体験でしか味わえないのではないか。
ただ,稀有だが,それが意識的に作り出せないものでもない。その「場」を最初に,それがどういう「場」なのか,そこで一人一人が何をするのかを,最初に共有化すれば,「場」の中で,おのずと役割を認識し,「場」として動き出し,その「場」に機能するように各自が関わる,そういう体験を,4人でだが,したことがある。
たとえ,見も知らぬ者同士でも,その「場」を共有して何かをしようとすることが共通認識としてあれば,「場」は作り出しやすいのではないか。
それを自律的な「場」としてスタートさせるには,各自が,自分のポジショニングをきちんと決める,最初の第一歩を間違えないことと,そのために,「場」の意味と各自のゴールを共有することと,その「場」に非協力的でなく,その「場」で何かを達成したいと思っている人(後ろ向きでさえなければいい)が構成員で,そのために他のメンバーとも,協力関係をつくろうとすることがあることが,大事な前提のような気がする。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#K・レヴィン
#Tグループ
#感受性訓練
#ST
#「場」の理論
#早坂泰次郎
#エンカウンター
#ロジャース
2013年01月06日
「はじまりは国芳―江戸スピリットのゆくえ」を観て思うこと
横浜美術館で,「はじまりは国芳―江戸スピリットのゆくえ」
http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2012/kuniyoshi/topics.html
をみた。国芳については
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E5%9B%BD%E8%8A%B3
を見てもらうこととして,展覧会の案内には,こうある。
この展覧会は,浮世絵師・歌川国芳(1797 寛政9~1861 文久元)をはじまりとして,国芳の近代感覚にあふれた斬新な造形性が,その一門や系統にどのように受け継がれ,さらに新たな展開を見せていったかを,江戸末期から昭和期の日本画,油彩画,水彩画,版画,刊本などの作品,資料を通して探ろうとするものです。
歌川国芳は,初代歌川豊国門下の浮世絵師で,同門の兄弟子・歌川国貞(三代豊国)と並び,江戸末期の浮世絵界を牽引しました。雄壮奇抜な武者絵をはじめとして,美人画,役者絵,機知とユーモアに富む戯画や風刺画,洋風の表現を取り入れた風景表現など,その幅広い作画領域と画風によって,近年,評価がますます高まっています。
国芳門下の第1世代からは,歌川芳員,落合芳幾,歌川芳虎などの浮世絵師のほか,月岡芳年,河鍋暁斎,そして洋風表現で一派をなした五姓田芳柳などの異才が輩出しました。とりわけ,月岡芳年の門下には,歴史画の水野年方,物語絵・風俗画の鏑木清方,さらに清方の弟子の伊東深水や寺島紫明などが連なり,日本画の一大画系を形成しています。また,清方門下には,版元・渡邊庄三郎率いる新版画運動に参加した川瀬巴水,笠松紫浪らがおり,大正期から昭和にかけて,木版画の新たな可能性を拓きました。
要は,国芳からの系譜を作品で見ていこうというもののようだ。国芳や暁斎には個人的関心があるが,弟子の系譜をたどることにはあまり関心もないし,企画として,多少疑問もあります。別に国芳に連なったことで,その画業が開いたわけではなく,むしろそれを言うなら,国芳の幅の広い絵を全体像として見せてくれた方が,その絵の持つ幅と弟子のすそ野との因果が,もう少し説得力があったように思える。
たとえば,国芳の作品数は,二千数百点に及び,役者絵,武者絵,美人画,名所絵(風景画),戯画,春画まで多岐にわたるそうだが,歴史・伝説・物語などに題材を採った,大判3枚つづりの大画面に巨大な鯨や骸骨,化け物などが跳梁するダイナミックな作品が真骨頂。そのあたりの幅と多様さは,十分アピールされているとは思えない。僕自身,それほど国芳に詳しくないので,改めて調べなければ,こんなことさえ,見終わっても伝わってこない(自分が十分観察眼を持たなかったことは棚に上げている)。
むろん,系譜を伝えるのが主眼なのだろうが,鏑木清方,伊東深水といった絵には大した意味も感動もを見いだせなかったものにとっては,系譜や流れというようなものより,弟子との間,国芳と暁斎,国芳と芳年,国芳と芳員等々,第一世代に,何が引き継がれ,何がどう変わったのかに,具体的に焦点を当てて展示してもらった方が,ずっと図としての国芳が引き立ったのではないか。これでは,結果として,地としての国芳も図としての国芳も,はっきり位置づけられないまま終わった印象がしてならない。
そのために,展示の仕方を工夫して,同じ絵(のコピー)を並べてもいいし,元へ戻らせて確認させる順序の指示の仕方を変えるなど,通り一遍で,人の後からついて流れていくだけの展示から少し脱皮してもいいのではないか,とつい余計なことを考えてしまう。
まあしかし専門家が苦労して並べた企画に,素人がああだこうだ言ってみても仕方がない。ただ,企画した以上,その企画の「企」の部分,どういう夢,どういう新しい世界をここで展開しようとしたのかはもっと明確にしていい気がする。それが目的のはずだから。だから,国芳の偉大さを示そうとするなら,系譜や弟子の数ではなく,国芳の作品そのものの多様性と幅と画期をなす何かが示されなくては意味がないのではないか,と思うまでだ。
ところで,関係ないことだが,浮世絵というものが,同時代性をもち,過去の名画を見るように観てはいけないのだ,とつくづく思った。言ってみると,かつてあった写真週刊誌のように,良くも悪くもその時代の精神と雰囲気を,描き出している。その意味では,本来使い捨てのものなのではないか,と思う。かつて輸出品に緩衝材として,いまで言うと,新聞紙の変わりのように包まれていたものなのだから。だからヨーロッパ人は驚いたのだ。緩衝材として使われている浮世絵の先に,そんなものをごみのように使い捨てる国の文化の高さに。
浮世絵には,歌舞伎,古典文学,和歌,風俗,地域の伝説と奇談,肖像,静物,風景,文明開化,皇室,宗教など多彩な題材がある。「浮世」という言葉には「現代風」という意味もあり,当代の風俗を描く風俗画である,とされるが,例えば歌舞伎なら,何代目何某とあって,それを見る人にとっては周知の人であり,周知の演目であり,その一瞬の所作を切り取っても,その背後の物語が,当然のように周知されていることが前提になっている。説話でも,伝承でも,その主人公のある場面を,一瞬写し出したように描いてある絵柄は,周知のことであり,その動作や古増野一瞬の意味を,そしてその背後の物語を知っている。
逆に言うと周知の物語や舞台,役者や武者,あるいは周知の人物の,どういう場面で,何をしようとしているかを,どう風に切り取って,一枚の中に描き出すのか,ほほう,そういう切り取り方があるのか,と感嘆させる一瞬の描き出し方を競っていた部分もあるような気がする。誰もが知っている物語があるから,大胆な構図を描き出せば出すほど,その驚きが高まる。
ということは,今われわれは,その物語やリアルの役者やリアルの風景を知らない眼で見ているから,その絵にわれわれに見えているものと,その物語や役者を承知の上でその絵を見ている,江戸庶民に見えているものとは絶対に違うのではないか。その驚きも,その歓声も,たぶん質が違う。
もちろん,その時代でも,物を知っているものが見る光景と,物を知らぬものが見る光景は,一枚の浮世絵でも,まったく違っていたに違いない,というのはあるだろうが。
そうはいっても,こんなものが使い捨てで,もちろんコレクションしていた人がいたとは思うが,一般庶民にとっては,瓦版みたいな廉価なものなのだろうから,,そうやって制作され,享受されていた江戸時代の文化度の高さと,庶民のレベルの高さに驚くばかりだ。さしあたり,現代の漫画週刊誌に匹敵するのかもしれない。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#歌川国芳
#河鍋暁斎
#鏑木清方
#伊東深水
#浮世絵
#横浜美術館
#はじまりは国芳
2013年01月07日
リーダーシップ再考~リーダーシップとリーダーを分ける
リーダーシップについては,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/10964345.html
で触れたことがある。ただ,いつも思っていることは,リーダーシップをリーダーとは切り分けて考える必要があるということだ。そのあたりを,実感的に(論理的ではないが)整理しておきたい。
まず,Leadershipの意味だが,語源的に正しいかどうかはわからないけれども,辞書を見る限り,
Leadership のshipは,Friendshipのような状態を示す意味
と,
Leadershipのようなスキルを示す意味
をもっているのではないか,と推測している。そこから,少しばかり飛躍するようだが,勝手に,Leadershipとは,リーダーである(状態を保つ)ためのスキル(技量)と考えている。自ら何を(達成)するためにリーダーであるのかに答えを出し,それを実現していく力量である。
もちろんLeadershipは,保有能力ではない。
環境変化,組織の内部変化に対応して,何のために何をなすべきかの旗幟(目的)を明確に立て,そのためにメンバーを組織し実現していく実行能力である。当然,リーダーシップもそれ自体をもったり,発揮することが目的ではない。リーダーだからといって,やたらとリーダーシップを振り回されてはかなわない。メンバーに徹底できない(徹底しきれない)まま目的や方針を振りかざし,報告がない情報が上がってこないと嘆いても,それはおのがリーダーシップのつけでしかない。
しかし,リーダーとリーダーシップは分けて考えるべきではないかと思っている。
あえて区別すれば,リーダーは,役割行動であり,リーダーシップはポジションに関係なく,その問題やタスクを解決するために必要と考えたら,自らが買って出る,あるいは誰かの委託を受けて,その解決に必要な周囲の人々を巻き込み,引っ張っていくこと(つまり,リーダー的役割をしょっていくこと)である。その意味では,トップにはトップの,平には平のリーダーシップが求められるはずなのである。
つまり,リーダーシップはその人の役割遂行に応じて,必要な手段なのではないか。職位が上のほうに行けばいくほど,リーダーシップがないことが目立ち,下へ行くほど,リーダーシップがあることが目立つ。上に行けばいくほど,リーダーシップを発揮しやすい条件と裁量を与えられているから,それがあるのが当たり前だから,ないことが目立つのである。そのことは,またあとで触れる。
では,まず,リーダーであるとはどういうことなのか。
「リーダーである」とは,組織(大は国,小は企業組織やその構成チームまで幅広く組織という形態を取っているものすべてを指す。集団はここでは外しておく)の目的を達成するための指導者(指揮官)であり,目的達成の責任者として存在する。自薦他薦で「リーダーになる」ことは可能だが,メンバーにリーダーと認知されない限りリーダーではありえない。リーダーと認められなければ,仮に旗を掲げても,振りかえると誰もいないという体たらくになりかねない。
またいま現在リーダーであるからといって,いつまでもリーダーでありつづけられるわけでもない。常にメンバーから問われるのは,(あなたは)「何のために(何を実現するために)リーダーとして存在しているのか」である。その答は,リーダーである限り,自分で出さなくてはならない。その答が出せなくなったとき,リーダー失格になるのでである。
もちろん「リーダーである」ことは目的ではない。あくまで組織やチームの目的を達成することが目的である。それにはたえず「組織(チーム)の目的は何か」を明確にさせなくてはならないだろう。目的にかなわない「何か」を,自分もしくはメンバーがしたとすれば,第一義的にリーダーの責任である。もちろん,時代の変化とスピードの中で,組織(やチーム)の目的は変わる。変わらざるをえない。だから,常にメンバーと共に“目指すに足る目的”を掲げ直さなくてはならない。それが今日「リーダーである」ことの最も重要な使命かもしれない。
リーダーは,一方では,
自分は「何のために(何を達成するために),リーダーとしているのか」
「(目的を達成するために)リーダーとして,何をしなくてはならないのか」
「(目標を達成するために)リーダーとして,どういうやり方をすべきなのか」
等々と絶えず自問しつづけなくてはならない。しかしそれだけに自己完結させれば組織維持そのものが目的化してしまうだろう。だから他方では,
果してこの組織(やチーム)は存在する理由を,この世の中に,かつて持っていたようにいまもまだ持ちつづけているのかどうか,
組織の使命,組織の存在理由,そのものへの問い直しもまたリーダーにしかできないことである。
そのとき,リーダーシップとは,リーダーである(状態を保つ)ためのスキルであり,
組織は何のために存在するのか,
その目的からみて目標・手段は適切か,
あるいはその目的はいまも重要か,
もっと別の目的を創れないか,
等々と,問いを続ける姿勢である。その答えがビジョンであり,旗幟である。旗幟を鮮明に掲げ続けられるかどうかは,リーダーが組織の目的とどれだけ格闘したかの結果であり,そこにこそリーダーシップが必要なのである。戦術・戦略を語るのはその後である。
誰がその立場に立っても与えられた役割しか果たさないなら,誰がリーダーになっても同じである。一人一人が,自分に与えられた役割と格闘し,目的達成のために,何をすべきか,何にウエイトを置くべきかを主体的に考えようとしなければ,組織(やチーム)は硬直化する。
リーダーは,リーダーとしての立場と役割とは何かを自問しながら,何を目指すことが組織(やチーム)の未来を決することになるのかと,組織(やチーム)の目的と格闘し,その方向と行く末を描き出していく。
下位者(や構成メンバー)一人一人もまた順次,それを実現するために何をしたらいいか,それぞれの役割の目的と格闘しながら,主体的に考えていく。そういう組織(やチーム)が硬直化するはずはない。
こうした各層,各レベルで自問する組織(やチーム)なっているかどうかの責は,ひとえにリーダーの硬直化そのものにある。ビジョンを掲げぬリーダーには説明責任どころか結果責任も果たせないだろう。リーダーに弁解はない。掲げたビジョンそのものがすべてを語るからだ。そのビジョンは,それを実現するために何をすべきかを,メンバー一人一人に考えさせ値打ちのあるものなのかどうか。リーダーはその是非で,おのれにリーダーシップを問われるだろう。
だが,リーダーシップは組織やチームのリーダーのものと考えるのを前提にしていいものなのか。
たとえば,リーダーシップにこんな常識はないか。
①リーダーシップはトップのものである,
②リーダーシップはパーソナリティである,
③リーダーシップは対人影響力である,
これを点検してみる必要があるのではないか。
僕は,リーダーシップとは,トップに限らず組織成員すべてが,いま自分が何かをしなければならないと思ったとき(これを覚悟という),みずからの旗を掲げ,周囲に働きかけていく。その旗が上位者を含めた組織成員に共有化され,組織全体を動かしたとき,その旗は組織の旗になる。リーダーシップにふさわしいパーソナリティがあるのではない。何とかしなくてはならないという思いがひとり自分だけのものではないと確信し,それが組織成員のものとなりさえすれば,リーダーシップなのである。
そこに必要なのは,自分自身への確信である。それが自分を動かすものだ。それが人を動かす。リーダーシップは他人への影響力である前に,自分への影響力である。「お前がやらなくて誰がやるのか」「自分がやるしかない」と,みずからを当事者として動かせるものが,自分の中になければ,人は動かない。それが旗の意味であり,旗の実現効果であり,そこに共に夢を見られることだ。
だから,リーダーシップには,新たな常識が必要となる。
①周囲を巻き込める夢の旗を掲げられること,
②夢の実現プランニングを設計できること,
③現実と夢とを秤にかけるクリティカルさがあること,
である。
「こうすべきだ」だけでは人は乗らない。それが単なる夢物語でも人は乗らない。夢と現実味をかね合わせて,絶えず点検していける精神こそが,求められるリーダーシップである。それは,パーソナリティでも地位でもパワーでもなく,スキルであることを意味している。
それは,実は仕事の仕方そのもののことであるのではないか。それについては,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/pages/user/search/?keyword=%BB%C5%BB%F6%A4%CE%BB%C5%CA%FD
で触れた。要は,一人で抱え込まず,いかに人を使うか,人のサポートをつかむかが必要とて言ったが,それは言ってみれば,リーダーシップの端緒を意味している。つまり,こうだ。
その人が自分の役割を責任持って達成しようとするとき,自分の裁量内でやっている限り,その仕事は完結しない。ときに自分の裁量を超えて,人に働きかけ,巻き込んででも,それを達成しなくてはならないときがくる。それがリーダーシップを自分が必要になるときである。
必要なのは,自分は何をするためにそこにいるのか,そのために何をしなくてはならないのかを,自分の頭で考えられるかどうかだ。それを仕事の旗と呼ぶ。それは平のときから自ら考え続けていなくては,リーダーシップがあって当然という立場になったとき,リーダーシップがないことが目立つだけなのである。
で,最後に,リーダーシップが自分に必要となるシチュエーションをまとめてみると,次のようになるだろう。
①自分の仕事を自己完結しないで,その完成を目指すとき,より上位(上司という意味で限定していない)を巻きこんでいかざるを得ない
必要なのは,その仕事を真に完結するのはどういうことか,その目的達成にはなにをしなければならないか,を考えていることだ。自分の裁量を超えても完結を目指すとき,上位者や周囲を巻き込まざるを得ない。そのとき,明確な旗が不可欠となる。それは上位者の指示を正そうとすることも含まれる。
②かかえている問題が大きく深いとき,より上位者を巻き込まざるを得ない
その解決すべき問題が,自分を超え,部署をまたぎ,広がるほど,より幅広く巻きこんでいかざるを得ない。
③自分の仕事にリーダーシップを発揮しようとしないものに,リーダーシップは担えない
組織の中で,自分のしたいことを実現しようとかするなら,上位者を動かさざるを得ないはずである。
④組織やチーム内に,自分以外にチームをまとめていけるものが見当たらないとき,その役を引き受けざるを得ない
別に勝手に「しょっている」のとは違う。自分が経験と知識,キャリアから見て,リーダー役を買わなくてはならないと自覚し,チームをまとめて,チームの目標達成のために何をしたらいいかをチームメンバーと一緒になって考えていこうとするとき,そのとき,役割としてのリーダーを担い,チームをリーダーとなってまとめ,引っ張っていこうとしていることになる。この場合,メンバーがそれを受け入れ,それを支えようとしてくれている限り,独りよがりではなく,チームメンバーは彼(女)にリーダーシップがあるというだろう。
⑤だからといってすべてをひとりでしょいこむことではない
メンバーをその共通の土俵に乗ってもらえば,協働してやっていくことになる。その時自分は触媒役である。
だから,要するに,リーダーシップとは,リーダーシップは,自分(ひとり)では(裁量を超えていて)解決できないこと,あるいは解決してはいけないことを解決するために,解決できる(権限のある,スキルのある)人を動かして,一緒に,その解決をはかっていこうとすることである。
とくに,リーダーシップの真価が問われるのは,自分のポジションより上や横を動かそうとするときだ。そのとき必要になるのは,
●「何のために」「何を目指して」という,意味づけ(組織全体にとっての,その仕事にとっての,各自にとっての,その問題にとっての等々)が明示でき,
●必要な人々に,その意味をきちんと伝えていく力があり,
●めざすことを一緒にやっていくための土俵(協働関係)をつくれ,
●協力してくれた相手,サポートしてくれた人への感謝と承認を怠らないこと,
ではないか,と考えている。まさにどこまで自分が考えて,考えて,考え詰めているかが問われている。自問自答し,自分で答えを出す力が問われている。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#リーダー
#リーダーシップ
#旗
2013年01月08日
チェックリストをつくる~考えられる4つのパターン
チェックリストには,いろんなタイプがある。学問的なものでないという前提だが,いいままで,いろいろ試しに作ってみたのが,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod063.htm
ここにある。この程度のものは,そんなにつくることは難しくない。というか,こういうものをコツコツ作り上げていくのが大好きなのだ。管見によればだが,チェックリストは,おおよそ4つのタイプに分かれるように思う。
第一は,いわゆる,チェックして総数を数えて,全体の傾向や,自分の特徴をつかんでいくタイプ。これが一番多いし,バリエーションが出しやすい。
例えば,コミュニケーション力では,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod06394.htm
リーダーシップでは,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0630.htm
アイデア力では,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0639.htm
というようなものが作れる。要は,気になる項目をリストアップしていけばいい。思いつくままでもいいし,そういうたぐいの本を取り出して,必要なチェック項目になりそうなものをリストアップしていけばいい。
例えば,良寛に,「戒語」というのがある。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod065.htm
これは,何種類もある戒語を集めて,整理しただけだ。それでも,人との付き合いでの嫌なコトリストになっている。これなどは,良寛が,ただ無作為に,思いつくまま嫌われるリスト(嫌いな振る舞いリスト)を列挙しただけのものだ。これも,全体の過不足を見ながら,洗練すれば,きちんとした「人に嫌われない付き合い方リスト」にできる。
第二は,傾向や必要項目をリストアップするもの。
コミュニケーションタブーをリストアップするか,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod064.htm
前に挙げたが,コミュニケーション力として必要なものを,俯瞰して,聞く力,伝える力,自己開示力,感情コントロール力,人と関わる力,モニタリング力といったように整理してみると,もっともらしくなる。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod06394.htm
あるいは,オズボーンのチェックリストに代表される,いわゆる発想チェックリストもこれにはいる。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0831.htm
この場合は,ただリストを上げただけではなく,発想に寄与する項目をリストしなくてはならないので,何でもいいというわけにはいかないが,5W1Hのように通常使われているものなども,経験則から絞られたとみることができる。
第三は,専門の心理テストほどにトライや結果を厳選していないが,ある程度の傾向値が出せるもの。エゴグラムも,正式なものではないが,つくろうと思えば作れる。ただし,学問的ではないので,目安程度のものだ。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod06422.htm
第四は,マネジメント力とか管理能力のような,もう少し全体像を見ようとするもの。
例えば,管理能力全体を行動レベルに落として,チェックリスト化したものとしては,
管理者の行動分析例を取れば,「チーム方針策定」「メンバーの目標統合」「仕事の進捗管理」「リーダーシップ強化」「活力ある職場づくりのマネジメント」「業務を通しての部下指導」と,管理場面に応じて作っていくことになる。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0622.htm
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod06220.htm
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod06221.htm
あるいは,管理者の部下指導力に特化してチェックリスト化しようとすると,管理者の日常行動,マネジメントスタイルそのものが,部下への仕事の価値観,業務遂行で何を重視するかを教えていくことになる。その面から,管理行動をチェックしてみると,あらゆる機会が部下指導につながるはずである,という仮説のものとに,チェックリスト化を試みている。管理者の行動分析例の部下育成側面だけにピンポイント化したいると言える。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view56.htm
こういうと,口幅ったいが,どんなものでも,とりあえずチェックリストはできるが,
① まずは,目的を限定すること。たとえば,コーチングスキルというように。
② 次は,それに必要なアクション,あるいはマインド,あるいは姿勢,身構え等々をブレークダウンする。この場合,たとえば,何か目安になるものがあると,漏れを見つけやすい。5W1H,ヒトモノカネ,あるいはPDCA等々。
③ 最後は,それを整理して必要なものにし,仕えるかどうかは,試してみる期間がいるだろう。
以下は,発想力アップのためのマイ・チェックリストづくりの手順を書いたものだが,これは他にも応用できるはずである。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view40.htm
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view41.htm
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view42.htm
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view43.htm
本当は,目的によって違うが,発想という観点なら,2つか3つが使いやすいチェックリストだと思う。そのあたりも,目的から最小限のものをつくることがベストだ。
自分は,対,ということと,目的対比を念頭に置く。どつぼにはまっているときは,選択肢を失っている。その時の救いの「藁しべ」のつもりだ。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#ブレインストーミング
#チェックリスト
#良寛
#良寛戒語
2013年01月09日
追い詰められたユーモア~石原吉郎の詩をめぐってⅣ
どこか生真面目で,一本木だが,言い換えると辛気臭い石原の詩に,ユーモアを探すと,どこかブラックユーモアの気配がある。
じゃがいもが二ひきで
かたまって
ああでもないこうでも
ないとかんがえたが
けっきょくひとまわり
でこぼこが大きく
なっただけだった(「じゃがいものそうだん)
これなどは,結局事態を悪くしたともとれるが,しかしお互いに凹んだ分だけ,親しくなったとも,憎み合ったともいえる。濃厚な関係でもある。夫婦喧嘩のアナロジーともとれるし,兄弟喧嘩のアナロジーともとれる。とりよう次第で,見える風景が違うだろう。
石原の詩に,これをみつけたとき,思わずにやりとした。それに続いて,こんなのもあった。
動物園なぞ
さびしいよな
たぬきのおりなぞ
さびしいよな
そのたぬきが見た
けしきがまた
さびしいよな
みつめられている
だけでもさびしいよな
たぬきはそれで
もんくをいわないのか(「動物園)
でも,これには皮肉だけではなく,ちょっとさびしさが付きまとう。たぬき,というのが,きいている。これがきつねでも,アライグマでも,ニホンザルでも,ウサギでもこうはならない。ユーモアの感覚がなくてはならない。どこかとぼけた,たぬきにはそれがある。そして寂しさが,だから,じわっと滲んでくる。
これはどうだろう。
世界がほろびる日に
風邪をひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ(「世界がほろびる日に」)
最期の最期だからこそ,日常の何気ない継続を意地でも続ける。どうも意地という言葉が好きだ。意地を張るから,ぴんとしていられる。意気地なしになっては,さまにならない。
好きなエピソードで,ギロチンに向かう途上も本を読み続け,促されて,読みさしの頁を折った貴族の話があるが,そこに何とも言えぬ凄味がある。巧んでしているのではないから。凄い。しかも,その凄味は極限でユーモアに転ずる。チャプリンにそれを感じたことがある。
ここで言うのは,平常心のことではない。
平常心というのは,平常でいられない時に,平常でいようとする,いってみるといやらしさがある。どういうのか,これ見よがしの「いいかっこしい」を感じてしまう。しかしここにある,しぶとく,日常を続けるという凄味に比べたら,平常心の宮本武蔵も,形なしだ。彼は,島原の乱で,養子伊織の主家,小笠原家に陣借りして,先駆け,原城の石垣に取り付いて,上から落とされる石に打たれ,石垣から転げ落ち,けがをしたという。日常の延長のまま,しぶとく,泥臭く,かっこつけずに戦う百姓衆に負けたと言っていい。どんな手を使っても生き残らなくてはならない。それが日常の連続だ。
互いに勝負する,という同じ土俵に乗ってこそ,平常心は意味があるが,絶え間なく平常のつづく毎日に,平常心などという言葉は,矛盾でしかない。その平常そのものが断たれたその瞬間には,いわゆる平常心もへったくれもない。その瞬間も,しかしそのまましぶとく,日常的に生き続ける。どんな手を使っても,生き残ろうとする。その凄味の前には,平常心などという軟な言葉は,剃刀の凄味に過ぎない。こっちは鉈だの鍬だの鋤だの,日常の道具だ。百姓一揆に,サムライ衆はついに勝てていない。西南戦争も含めて。いや,勝ってはいけないのだ,自分たちの食い扶持なのだから。
これはどうか。木の側から考える。
ある日 木があいさつした
といっても
おじぎしたのでは
ありません
ある日 木が立っていた
というのが
木のあいさつです
そして 木がついに
いっぽんの木であるとき
木はあいさつ
そのものです
ですから 木が
とっくに死んで
枯れてしまっても
木は
あいさつしている
ことになるのです(「木のあいさつ」)
弁慶の立往生ではないが,生死もわからず立ち枯れる,これが理想だ。
孤独死という言葉は,死んだ者の側が言っているのではない。みすみす死んだのを見逃してしまった,担当役人の言い訳に聞こえる。誰も望んではいないかもしれないのだ,死ぬ側は。一人でひっそり死にたいかもしれないではないか。周りで,届がどうの,財産がどうの,年金の打ち切りがどうの,手続き満載,そんなこと知っちゃいねえ。死ぬときは,周りにいっぱいいようと,いまいと,たった一人で,三途の河を渡るしかないのだ。
僕は,こういう死に方が理想だ。「へえ,あいつ死んだんだってねえ」「そうか」で終わる程度なのだから。立ったまま挨拶だけはしたい。
しかし,どういう立ち方をするか,どういう挨拶の仕方をするか,せめてそのくらいは考えるか。
その生涯の含みを果てた
いわばしずかな
もののごとく
その両袖のごとき位置へ
箸にそろえて
置かれるであろう
すなわちしずかな
もののごとく(「しずかなもの」)
こんな感じが,いい。後ろ足で砂を掛けないというか,誰にも知られず,こっそり挨拶だけしていく。
そういえば,昔の知り合いが,神隠しにあった。小さな印刷会社を経営していたが,ある日突然消えた。部屋は,普通の夕食をしかけたまま,残されていた。後を妹さんが処理に来たそうだが,消息は不明。女のことで,やくざ者ともめていた,暴力団に消されたのだ,等々の噂だけが残った。この噂は余分だ。閑話休題。
そういう背景を思うと,この詩もブラックユーモアに見える。
最期に,彼のユーモアの感覚にある,ブラックというより,悲しみと寂寥の彩られた詩を。
うそではない
ほんとうにしりもちを
ついたのだ
それがいいたくて
ここへ来たのだ
妙な羽ばたきがするだけの
とほうもない吊り棚の下で
どしんと音がして
しりもちをついたのだ
しりもちをついた場所が
聞きたいか
あそこだ あの
もののかなしみと
もの影のかなしみが
二枚のまないたのように
かさなりあって
いるところだ
あそこから やがて
もういちどゆっくりと
もういちどなにかが
はじまるのだ(「しりもち」)
本人にとっての哀しみは,赤の他人にはユーモラスに見えることがある。本人は必至なのに,悠々としているように見えることもある。そのギャップに,悲哀が滲む。
今日のアイデア;
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#石原吉郎
#詩
#死に方
#生き方
2013年01月10日
故郷体験というものについて~物語を語るⅡ
好きな場所ということで,高山のことは一度触れた。
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/2012-1105.html
小学校の3年から,6年の二学期までいた。なんだか,老人の思い出話のようだが,自分の物語を語りたがるのは,フランクルに言われなくても,人の習性なのではないか,という気がしてくる。
高山で一番印象深いのは,小学校の修学旅行が名古屋・伊勢・志摩だったのだが(父の実家も母の実家も名古屋で,僕にはこの旅行先は行ったことのあるところだったのだが),汽車(まだ高山線は汽車であった)に乗った瞬間,何人かが酔ってしまったのをよく覚えている。それだけ田舎だったのだが,豪華絢爛たる山車で有名な高山祭でわかるように,田舎だから貧しいというわけではない。天領高山は,結構豊かなのだ。
あそこでは,故郷というところで体験するだろう,すべてを,わずか三年半ほどで味わったという気がしている。典型的な転勤族で,佐世保,富山,多治見,岡崎,高山,大垣,一宮と,父の転勤に合わせて転居し続け,途中で,祖父の死を機に,実家のあった,名古屋城下の小さな屋敷跡も,父が売ってしまったので,官舎暮らしの,全くの浮草であった。
それだけに,いま振り返ると,高山の生活が,一番故郷らしい記憶として残っているのだろうという気がする。そこで,子ども時代に経験するすべてがあった気がするのだ。
まずは,缶けりを中心とした遊び,まあ学校で注意されるほど,本町4丁目の連中は夕方遅くまで遊びほうけていた。梁塵秘抄の「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ」そのままである。
高山祭にも参加したが,宮川の東側は,新しい町ということもあるし,火災にあったせいもあって,子供みこししか,当時はなかった(と記憶している)。祭で,一緒になってみこしを担ぐのは初体験だった。当時は,カメラが当たり前にあるわけではなく,母がヤシカの二眼レフをもっていたが,その写真には写っていなくて,子供用のおもちゃのようなミニカメラ(これも当時はやっていた)で撮ったのが残っている。
毎夏,本町の宮川沿いの広場に,本格的な土俵が作られて,子供相撲大会が開催された。やせこけていて,「弱いなあ」と見届けていた叔父に,からかわれたのを覚えている。夕方になると,たしかその木工所のおがくず置き場のそばに,紙芝居が毎日来た記憶があるが,それよりは,そのおがくずの中はカブトムシの幼虫の宝庫で,掻き出すと,いっぱいとれたのを覚えている。
祭には,当時ヒヨコが夜店で売られていて,何匹かを庭で放し飼いにして,成鳥にしたのだが,どう考えてもオスで,しかも子供がいい加減に飼っているので,痩せこけていて,とうとう持て余してしまった。見かねたオヤジの一声で,かしわやに売った(というより頼み込んで引き取ってもらった)。代わりに鶏肉が来て,なんだか複雑な気持ちになった。食べる気がしなかった。
でも,あの当時は,(お客さんがあると)家で鶏をつぶすのは当たり前で,僕は友人の家で,首を刎ねられた鶏が,それでも,庭を逃げ回っていたのを覚えている。あるいは,狩りで捕まえたウサギの皮を,どういうやり方なのか,見事にくるりとひん剥いて,ピンクの地肌になってしまったのに目を剥いた。さすがの悪童も歓声を上げ,調子に乗ったそのおっさんは,何回も,ウサギの皮むきを実演して見せたものだ。
こう書くと,残酷という言い方をする人がいる。しかしそういう人は,うまそうに食べている牛がどう屠殺されるのか,そしてどう解体されるのかを見てきた方がいい。いまは,きれいなことばかりを見て,その裏でやっていることがブラックボックスになっている。マグロの解体がショーになって,豚や牛の屠殺と解体がショーにならないのは,ご都合主義としか言い様はない。閑話休題。
西小学校には,当時プールがなくて,川向うの何たらという小学校(北小だと思う)に,木枠にビニールを貼ったプールができ,そこへ行ったのだが,何かと面白くなかったのか,北山の裏の川に泳ぎに行く方が多かった。そこでおぼれかけたんだが,そのことは,すでに触れた。
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/2012-1205.html
宮川は,今もきれいなのかどうかは知らないが,遊び場のひとつで,友達がやつめうなぎを捕まえたのを聞いて,自分も市販の,尿瓶のできそこないのような仕掛けを買ってもらって,川に仕掛けたが,さっぱりだった。でも川魚(名前を忘れた)を何尾かとらえたのか,もらったのか,宮川に向かった庭に,小さな穴を掘って,促成の池を作ったのだが,その夜だったか翌々日だったか,大雨が降り,見事に魚は川へ消えていった。
宮川の少し上流に,いまでいうと代官所跡前あたりのところに,深い淵があって,そこでも遊んでいたが,雷が鳴ってきて,「水に潜ると安心」とか言い出し,いま考えると危険なのだろうが,平気で潜っていたのを思い出す。
記憶に強く残っているものからいえば,スケートだ。確か長靴に,エッジを直接括り付けるタイプで,積雪が車で固められて堅くなったところが,夜中に零下まで気温が下がって,夜が明けると,道路が臨時のリンクになっていた。学校では厳しく禁止されていたが,トラックの荷台の後ろにつかまって滑るのが流行っていた。これが一番面白い。信号か何かで,止まっている荷台につかまって,行けるところまでついて行って,手を放すと,結構惰性で滑っていく。
スキー(これも,スケート同様,長靴に直接括り付けた)も初体験だった。そんなに雪が多いわけではないが,学校で,確か原山スキー場というところに連れて行かれ,かろうじて転ばないで滑れる程度にはなった。小4か5だったと思うが,友達と二人で,バスに乗って,何度かスキー場へいったこともある。そのとき,弁当に,焼き餅にしょうゆをつけて海苔で巻いたものを持っていたのだが,腹が減って,往きのバスの中で食べてしまったものだ。半ば固い餅と張り付いてしまった湿った海苔の,でも何とも言えぬおいしさはよく覚えている。
一度だけ何十年ぶり家の大雪というまで,官舎の中庭が雪で埋まり,屋根から降ろした雪と一緒に固めて,かまくらを作ったことがあった。これも初体験だが,冷たくて寒いだけで,ちっとも楽しくはないはずなのだが,ただ中に入っているだけで,何がおかしいのか笑い転げていたような気がする。それだけで十分異界な感じだったのかもしれない。
冬の流れで言うと,毎冬,凧揚げをしていたが,新聞を細く切ってしっぽをつけ,宮川の橋の上から揚げたものだ。しかし一番面白かったのは,竹ひごでつくる紙飛行機で,ゴムでプロペラを回して飛ばす。それが流行っていて,何機も作ったことをよく覚えている。竹ひごを注意深く火に当てて,ゆっくり曲げる。ニュームの細い管でつないで,翼を作った。プラモデルとは違って,作り手の腕によって,飛び方が全く違う。歩いて5分くらいの西小の校庭で飛ばしたので,微調整程度では飛ばない失敗作を作った時は,恥ずかしくて跳んで帰ったものだ。
そのほか,高山で遊びのほとんどを覚えた。めんこ,ビー玉,城山と北山ヘの探検の山登り,蜂の子巣とりと蜂の子の味,そうそう,営林署の知り合いにジープで連れてもらって,乗鞍に2度ほど上った。一気に行くので,軽い高山病も,初体験した。
等々ありとあらゆる,子供の時の体験が,三年半に凝縮して味わえたという意味では,充実した時期だったのかもしれない。いまも,故郷は?と聞かれると,「ない」といいながら,心には高山が浮かんでいる(今の高山ではない。いまは新興宗教の伽藍が風景を遮っていて,とても2度と行きたいとは思えない)。
おまけに高山というのは面白いところで,(いまはどうかしらないが)小学校では,必ず楽器を選択しなくてはならず,トランペットとバイオリンのうち,父の反対で,いやいやバイオリンをやらされた。確か,ついこの間まで,子供用のバイオリンが転勤を一緒にして,東京まで運ばれてきていた。おまけに,塾も初体験で,それ以降は一度も行ったことはない。何のかのと言いながら,当時の高山は,独立したエリアながら,独自の文化圏と独自の豊かさがあったように思う。
わずかな年月だが,父は検察官として大きな事件にあったらしいのだが(記憶違いか,それとも何十年も前なので消えたのかは知らないが,ネットで見る限り,別の地域での事件の判決文は見つかった),どっちにしろ小学生の自分にとっての大事件は,高山で生まれた末妹の行方不明事件だ。遊んで帰ったら,家の前が騒然としていて,母親があわてていた(らしい)。結局3歳の子供が,勝手に歩いて,東の北山の向こうで,うろうろしているのを,農家の人が見つけてくれて,事なきを得たが,子供の歩く範囲は,捜索していた範囲をはるかに超えて,かなり遠くまで行ってしまったらしい。
後年母曰く,「ぼろぼろの普段着のちゃんちゃんこを着たまま,街中を歩いていたかと思うと,恥ずかしくて目から火が出る」と。昔は皆同じように貧しかったから,どのみちろくな格好はしていなかったが,親としては,ボロ着のまま外を歩かれたのが恥ずかしかったのだろう。
確かに今に比べると,皆貧しかったが,同じ貧しさにも差があって,妹は,友人の家に,何人かでお呼ばれした時,雑煮だかしるこだかをごちそうになったそうだか,そのひとりが,それをポケットに入れて持ち帰ろうとしたというのを聞いた。妹か弟かにたべさせる,という。小学校一年生が,だ。貧しさに,いま昔も,差がある。知り合いの田舎は,群馬の山の中だが,クマよけの鈴を鳴らしながら,学校へ通っていた一家が,夜逃げをしたという。その本人と,後年東京であったというから,また奇遇というのはある。閑話休題。
どの年の夏だったか,高山別院が火事になったことがある。二階から見ると,ちょうど目の前の感じで,火が燃え上がり,屋根を炎が舐め,棟が崩れるのを眺めていた。子供心にも,一大イベントだったのだろう。結構興奮していたのを覚えている。
なんだかんだと遊びまわったせいか,痩せこけた少年も,それなりに脚力がついたのか,6年の三学期に大垣の東小へ移り,その年か,翌年の東中学校(東小の隣にある)かの学年マラソンで,二位に入った。いかに田舎暮らしで体力を養ったか,大垣といえども,岐阜県では都会なのだと思い知った記憶がある。当然,それ以降は,マラソンは完走すら出来になくなっている。
僕にとって,「故郷」のイメージは,有名な,室生犀星の,
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや(「小景異情」)
という,いじいじした,アンビバレントな感情の対象でもないし,憧れでもない,帰りたい対象でもない。その意味では,遊び暮らした桃源郷に近いかもしれない。いまや,知り人もいないし,縁者もいないのだから,当然と言えば当然なのだが,母の死後,母が,当時の担任の先生と賀状のやり取りを続けていたことを知り,今,僕がそれを引き継いでいる。今年も来た。すでに八十を超えてご健在で,「若いころの西小時代が懐かしい」とあった。あのころ,先生も若かったのだ。
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#室生犀星
#飛騨高山
#故郷
#物語
2013年01月11日
クライアント体験~コーチングを受けて
クライアントになった瞬間,その人がコーチであれカウンセラーであれ,大学者であれただの人であれ,コーチの前でクライアントになった瞬間,クライアントでしかない。でなければ,そこでクライアントになる意味がない。
そこで向きあっているのは,自分自身であり,属性も経歴も関係ない。そこに一人の人として,いる。
にもかかわらず,時にコーチは,おのれの仮説を,あるいは自分の直感をぶつけてくる。
「あなたは過去に蓋をしている」
「あなたは自分を偽っている」
「軸がない」
「自分に気づこうとしていない」
「抱えた問題でバランスを取っている」
「目指すものがはっきりしていない」
「問いをそらす」
「目を合わさない」
「幸福感がない」
「自分に向き合っていない」
わずか30分のコーチングで,これだけ指摘されて,よほどのマゾか,自分自身に悩んでいる人でなければ,コーチングを嫌いになるだろう。これに似た言い方は,ほかにもある。
「本当の自分を知らない」(今ここに居る自分以外に自分はいない。こういう言い方は,ここに居る自分を貶めている)
「箱に入っている」(それはあんたの眼だろう。自分がそうとしか見えない認知の歪みだ)
「自分を偽っている」(だから入信しろといいそうだ!)
等々。まったく,ここまで貶められて喜ぶ自己卑下の持ち合わせは,少なくとも,自分にはない。仮に,直観でそう感じるのは,コーチの自由だ。そう感じさせる何かがあったのだろう。しかし,その直観を捨てずに,強化し,それを合理化するように持っていくコーチングとは,一体何か!こう書いて,自分がはっきり,怒っていることに気づいている。それはなまじいのものではない。憤怒に近い。人をそこまでコケにして,フォローもせず,最後まで,「気の毒に,自分に気づけていないとは」という口吻を続けられたら,ほんと,マジに落ち込まない方がおかしい。まして,相手は,結構著名なコーチなのだ。一瞬,オレッテ,そうなのか?考え込まされてしまう。事実,まだ落ち込んでいる余波が続いている(から,こんなことを書いている)。
コーチングとは何か,について改めて言いたくはないが,たとえば,コーチとは,
クライアントをゴールに運ぶ人
クライアントの鏡
クライアントと一緒にクライアントの真っ白なキャンバスに向かう人
だとしよう。そのためにコーチングがある。そのために,ここまで言われたら,まずは,そのコーチとは一緒に語りたくないのが心情だろう。しかし,だからこそ,冒頭の言葉が効いてくる。コーチングのクライアントになった瞬間,クライアントの立場として,コーチを上に見る傾向はある。そういうポジショニングにある。このことを,最近のブリーフ・セラピー系では,強く意識することを求める。入院したら,患者になり,コーチングの場なると,クライアントになる。
だから,ここまでだめだしされたらどうしたらいいのか,ますますダウンしていくに決まっている。それを意図していたのだとしたら,このコーチは,コーチというよりは,新興宗教の勧誘者に似ている。
あなたには××がついている(悪霊だったり,方位だったり,何でもいい。いまの不幸の原因らしいものを言う)
あなたはしあわせになりたいですか?
だったらまず引っ越しなさい。
もっとしあわせになりたいですか?
だったら,この○○(花瓶であったり,仏像であったりする)を買いなさい!
もっとしあわせになりたいですか?
では,これに入信なさい…
まあ,これと似たり寄ったりだ。もはや,コーチというよりは,悪霊払いに似ている。
コーチの資格がないとは言わないが(そんな資格は僕にはない),明らかに何かに憑りつかれている。偏見なのか,固定観念なのか,知識なのか,直観という悪意なのか,自分を相手に対して,そういうポジションを取らなくては,いいコーチングができないと思い込んでいる。
だから,客観的に見れば,それは,あなたがそう見たのであって,それはあなたの仮説にすぎない。それを自覚せず,その眼鏡が真実という前提でセッションを進めていくと,クライアント像は,ますます歪んでいくだろう。
ミルトン・エリクソンの原則は生きている。
①相手について仮定しない。
②緩やかな変化
③相手の枠組みであること
④みずからの考えを変える力があることを,相手自身が気づけるような状況をつくりだす
⑤そのために使えるリソースとなるものを相手の中に見つけだし利用する
まずは,ダメ出しの連発の前に,自分が気づいていないリソースを見つけさせてくれ,と言いたくなる。そのコーチングが,自分にとっていいかどうかの目安は,僕の私見では,
●コーチングを受ければ受けるほど苦しくなるかどうか
●自分のマイナス,欠点,問題,患部,瑕だけが暴かれていないかどうか
●コーチが自分を遠くから(上から)見ているような感覚にならないかどうか
つまり,コーチが自分の味方なのか,敵なのかだ。それでなくても,まっとうな人なら,ひとつやふたつ,自分を責める材料は持っている。それを誠実な人という。だから,自分を責めている,その自分をけしかけ,煽って,その傷口に塩を塗りたくるようなのは,そもそも金をとってコーチングすべきではない。
その逆でなくてはならない。
●一緒の土俵,あるいは自分の枠組みを尊重してくれているかどうか
●同じ方向を見てくれているかどうか
●どんなことがあっても,自分を承認し,認知してくれているかどうか
同じ土俵で,同じものを見ることについては,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod06432.htm
で触れた。もし,土俵ができていて,一緒に同じ方向を見てくれていることが分かったなら,前述のダメだしすべては,コーチからの提案と受け取ったかもしれない。しかし,自分について,自分の存在について一切の承認なしの,ダメ出しを人は聞く耳を持っているのだろうか。これって,セールスの基本中の基本なのではないか?
承認については,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod06431.htm
で触れている。
いまは,コーチングを受けていて,コーチングのプロセスを楽しんでいる。今までで一番楽しいコーチングかもしれない。すぐこういう声が聞こえそうだ。クライアントが楽しいということは,大事な問題から目をそらしているからだ,と。そういうやり方をするコーチングもあるかもしれない。コーチングについての解釈はいっぱいあるし,実践家によって,いろんなことを言うだろう。しかし,これも人生の一コマなのだ。楽しい人生であっていけないはずはない。
ただ僕はコーチングで人生が変わる,と思ったことはない。しかし自分を変えていくことはできる。変えることで,また別の人生を味わうことができる。もちろん,一人でも,自分を変えることはできるだろう(し,変えたからこそ生きてこられた)が,それがもっと早く,もっと楽にできるはずだ,とまあ信じられるようにはなった。
この程度で人生が変わるほど,自分はもう若くもないし,ナイーブでもないが,しかし新しい自分を作り出す面白さを一緒に楽しんでくれている,いまのコーチに,感謝している。
今日のアイデア;
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#コーチ
#コーチング
#ミルトン・エリクソン
#ブリーフ・セラピー
2013年01月12日
「おじさんと呼ばれる年齢になって」について
何年か前,岡山を旅行中に,市内の郷土文学館で,見つけた,
おじさんと
人に呼ばれる齢になっても
じっきに
かっとなる癖はやまぬ
思慮分別もたらぬ
金も力もないが
名誉も地位もほしくない(吉塚勤治「自己紹介」)
という詩が気にいっている。「自己紹介」という題なのも,いい。もう,おじさんどころか,爺だが。
歳をとると,視野が狭くなる。行動範囲も限られてくる。必然的に,いつもの場所で,いつもの人と,いつもの会話しかしなくなる。
認知症にならない3条件というのを,ずいぶん昔,「ためしてがってん」でやっていたと記憶している。それは,
①メタボにならないこと
②有酸素運動をすること
③コミュニケーション
③のコミュニケーションというのが,みそだ。コミュニケーションというのは,家族やいつもの知り合いと,あいさつしたり,「風呂,めし」というのとは違う。ましてや,テレビを観て,ぶつぶつと文句を言うことではない。それは,一般に独り言という。しかし,上記の近親者との会話も,自己完結している。自己完結している,ということは,脳をとりたてて酷使しなくても,なんとなく流れていく,そういう状態を機能的固着という。
何がひらめいた時,0.1秒,脳の広範囲が活性化するという。それは,いつもの使い慣れた部分ではなく,自分の脳に蓄えたリソースと,広範囲にネットワークがつながる,ということだ。これがなくては,脳は,どんどんしぼんでいく。
その意味で,脳を酷使しなくてはならない。そのために,
①まずは,ウォーキング
②いろんな人と出会う機会を逃さない
③積極的に自己表現する
を心掛ける。人と出会えば,人は自分とは違う。違う人と会話するためには,いつもと違うところを使わざるを得ない。そのことによって,今までアクセスせず,断線していた脳のネットワークが再接続するかもしれない,新たな,接点をつくりだすかもしれない。そのことが,まずは脳にとって刺激だ。
自己表現とは,自分を語ることでもいい。新しい機会,新しい場所,新しい時間,新しい人と出会うこと自体が,すでに,自分に何らかの表現を強いるはずだ。
そして,
④広範囲の読書
少なくとも,若い時と同じスピードで本を買うと,どんどん積読になっていく。読書スピードはどんどん落ちていく。
だからといって,速読をしようとは思わない。読書のスピードはその人の思考のスピードなので,無理に速度を上げても,思考が研ぎ澄まされ,シャープになるとは思えない。速読者で,ノーベル賞,芥川賞,仁科賞等々をもらったという話を寡聞にして聞かない(いたらごめんなさい。話の都合上いないことにします)。ここで言いたいのは,頭がいいかどうかではない,人真似ではない,独自のものを考えている人を見たことがない,という意味だ。まして,速読を宣伝している人は,自分オリジナルの技術でも考え方でもない人がほとんどだ。
人の真似をしたり,人のお先棒を担ぐ人は,好きになれない。たとえ,ピンでなくても,キリであっても,自分で必死に考え,必死につかんだ結論でなくては,意味がない。そういう人でなければ,権力者の周りにうろつく手合いと同じ人種だと思っている(かつて選挙を手伝ったとき,蜜に群がる蟻のような手合いをいっぱい見た。こういうのを泥棒という)。自分で,血を流して,考えろよ,安易に,人の正解をもらうな!が自分のせめてもの意地だ。それも,おじさん予防対策の一つだ。言ってみると,意地というか,虚仮の一念,意地をなくしたら人間おしまいだ。
読書は読むことに主眼があるのではなく,ましてやいかに早くたくさんの本を読むかではない。一行ずつ,書き手と対話することのほうが大事だ。
それに,いかに速読が瞬間は,脳の酷使でも,速読に馴れれば,脳にとっては何の刺激にもならず,速読という機能的固着を一つ増やすだけだろう。閑話休題。
だから,まだ前へ進もうとしている。いくつになっても,前へ進む。新しい何かをする。
生きるとは
位置を見つけることだ
あるいは
位置を踏み出すことだ
そして
位置をつくりだすことだ
位置は一生分だ
長い呻吟の果てに
たどりついた位置だ
その位置を
さらにずらすことは
生涯を賭すことだ
それでもなおその賭けに
釣り合う
未来はあるか
それに踏み切る
余力はあるか
まだ
死んだ後,おのれの位置が定まる。棺を蓋いて事定まる,という。しかし,人は生き方通りの死に方をする,ともいう。出処進退を過たず,の気概でいこう。
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#生き方
#死に方
#出処進退
#おじさん
2013年01月13日
「ラブレター」の関係について
ラブレターという言葉自体が,ちょっと古風な気がする。メールでも,電話でも,チャットでも,告白にはなるが,ラブレターではない。
正直のところ,異性に出す手紙という意味では,ないこともないが,自分はラブレターを書いたことはないので,ラブレターとは何かについて,体験的に書くことはできない。
ただ,そこに意味があるとすると,どんな意味があるのかを,どうでもいいことにこだわる性分なので,ちょっとはっきりさせてみたいと思ったまでだ。
古典や資料にあるのかもしれないが,ここは,自力で,自分なりに絵解きをしてみたい。
まずは,見ず知らずの人にいきなり出す,ということは,なくはないだろうが,もらった方も,気味が悪いだけで,それを読む気にはならないだろう。とすると,ある程度知っているが,例えば,あいさつ程度でもお互いに相手を認知している程度以上でないと,書いたものを読んでもらうという前提が崩れるのではないか。
日常的に接触している,その頻度と認識度は違っても,ある程度相手と顔を見知っている。しかしある時,その相手が,不意に,知り合いという「地」から,際立って,「図」として自分に見え始めてくる。それを,好き,というのか,意識する,というのかはわからない。ある意味で,ただの顔見知りでは,自分にとってはなくなってくる。それがまあ,スタートラインなのではないか。
そこで起こっていることを,心理的に分析する力はないが,図になったからといって,すべての人がラブレターを書くとは限らない。書こうと思うには,もう一つ,何かがいるような気がする。まあ,いまふうに言えば,メールのアドレスを聞き出すとか,携帯電話の電話番号を聞きだすのとは違うが,といって,ストレートに告白するのとも,ナンパするのとも,何かを口実に誘い出すのとも,また違う。
わざわざ,文章を書いて,相手に投函するというのは(しかも,その前に相手の住所を知るとか,様々な手続き上の煩瑣な準備をして),書く作業,それを封函し,投函するというプロセスから,相手が返事する(無視する,突っ返す,返事を書く等々)までの,その間のタイムラグに意味があるのか,直接アプローチをためらわせる性格的なものか,いずれにしたって,間遠な感じなのだ。
だが,だ。そこまで手間暇かけても,何はともあれ,読んでもらわなくてはならない。しかも,差出人の名前だけで読んでもらわなくてはならない。とすると,必然的に,手紙を出しても,読んでもらえる,何だろう,と怪訝に思いつつも(ついでに顔が浮かぶくらいならまず読んでもらえる),封を切ってもらえなくてはならない。
ここからいえることは,わざわざ手紙を出すというプロセスを経ても,読んでもらえる相手として,相手に認知してもらえていなければ,ラブレターは,ただのレターとしても,機能しないのではないか。
ラブレターの中身はともかく,相手に手紙を受け取り,それを開封させるだけの関係があってはじめて,ラブレターとしての意味がスタートする,と言っていいのかもしれない。
で,問題はその文章だ。
自分の側から見て,その人との距離の遠さに目覚めたとしても,そんなことは,相手にとっては関係ない。だから,どんなに切々と訴えたとしても,それは届くことはない。いや,ただの顔見知りではないとしても,そういう関係を予期していない相手からもらった場合,驚愕よりは,恐怖を覚える可能性だってある。自分は,相手にそう勘違いさせる振る舞いをしてしまったのではないか等々。返って,距離を置かれる可能性だってある。
ここでも,文章以前に,ラブレターとして機能する関係性が必要になってくる。では,どういう関係なら,ラブレターの思いを,読んでもらえるのか。
自分は,ずいぶん昔一度だけラブレターをもらったことがあるが,自分はその人を仲間とは思っていたが,そういう相手とは感じていなかったし,自分はそれどころではない心理状態にもあって(別にすきな相手がいて,片思い状態だったので),たぶん,ろくな返事もしなかったと思う。
仮に,ラブレター(別に封筒に,ラブレター在中と朱書きされているわけではないので)もらったところで,相手に,それを,わくわくしなくてもいいが,何だろうと,心躍らせて開封するくらいでなくては,ラブレターとしては機能しない。
ということは,何だろう,矛盾することを言っているようだが,そもそもラブレターとして,相手が受け止め,そのつもりで開封してくれる関係でないところでは,ラブレターは機能しないのではないか,ということなのだ。
なんだかつまらぬ結論になってしまった。
せめて,お互いが,相手を,仲間の一人という「地」から,一人抜き出た「図」として,まあなんとなく意識するようになっていて,始めて,ラブレターを出すことで,関係に変化をもたせたいという,ラブレターを書く動機に意味が出てくる。
常識では,ラブレターで愛を告白するということになるようだが,残念ながら,そうはならないようだ。どんな立派な文章でも,相手にそれを読む心積りがなければ,それはただ意味のない文字面にしかならない。場合によっては,唾棄されるかもしれない。手紙と一緒にかすかな関係そのものも。
では,ラブレターは,何を訴えるのか。訴えなくてもいいのではないか。すでにお互いを「地」から際立つ「図」と認識しあっているのだから,ただ,そういう相互認識の確認でしかない。だからこそ,わざわざ文章を書き,封函し,投函する作業プロセスにも,意味がある。自分にとってはもちろん,相手にとっても,そういう作業をすること自体が,相互確認になっている。どんな駄文も,そういう気持ちで見れば,すべて心に響く佳文に見える。その文章の向こうに,二人の世界が見えると, (勝手に)思い描くという感覚なのかもしれない。
もっとも僕のような老人には,これは無縁の世界だが。
ネットで,「3行ラブレター」というのを見つけたが,たとえば,
「がんばれ!」と背中を押したのも
「がんばらなくていい」と抱きしめてくれたのも
あなたでした。
メールがきた、今何してんの?って
ぼーっとしてるって返した
君のメール待ってたなんて送れへんよ
おみくじは凶だったけど
こんな彼女と初詣している俺は
限りなく大吉だろ、神様。
帰り道
雪の中に残る君の足跡に
僕の足をそっとかさねてみる
大好きで大好きで
やっと言えたの
「ありがとう。そしてよろしく」
もうやめよ。
あほ臭くなってきた。つまりは,前提として,お互いが一定の深い関係を認識しあっているからこそ,そのラブレターには意味がある。それを勘違いして,「恋文」などと思い違いして,告白するツールとして使うと,下手すれば,友人関係らからすら,追放される「酷薄」な「告発」をされかねない。くわばら,くわばら。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#ラブレター
2013年01月14日
コミュニケーションのちょっとした流儀~齟齬を減らす工夫はある
コミュニケーションで言えば,良寛には,「戒語」といわれる戒めがいくつかあるが,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod065.htm
これは,いわばしゃべり方や振る舞いを言う。つまりコミュニケーション・タブー集だ。ここでは,それよりは,コミュニケーション齟齬をなくすためにどうしたらいいか,そのためのちょっとした工夫に触れたい。言ってみれば,できている人にとっては,ありきたりで,当たり前のことなのかもしれないが。
例えば,職場やチームで,コミュニケーションがとれているとは,どうなっていたらコミュニケーションがとれていることなのだろうか。
コミュニケーションが必要なのは,役割を割り振って,あとは蛸壺にはいってひとりひとりが背負い込んで黙々と仕事をする職場にしないためだろう。そういう職場は,チームにはなっていない。単なる個人商店の集まりにすぎない。あるいは組織として仕事をしていない。
仮に組織やチームの目指すものをどう分担するかがわかっていたとしても,チームではないのではないか。チームで仕事をするとは,一人で仕事を抱え込まず,他人にも仕事をかかえこまさない仕事の仕方のことだと考えている。そこではどんな仕事も,自分一人でやっているのではないという了解がとれている,些細な問題もチームに上げ,チームで解決すべきことはチームで解決しようとし,上位部署もまきこんで解決すべきことは上司を介してより上位にあげていく。そのときもし自分のやるべきことをチームにあげたとすれば,「それは君の仕事だ」と,本人につき返すことができるのが,チームなのではないか。そういうコミュニケーションがとれていてはじめて,チームの要件としてのコミュニケーションがとれているといえるのではないか。と,まあ考えている。
いきなりそこまでは無理として,とりあえず,ぎくしゃくしたコミュニケーションではない,あるいはせめてコミュニケーションの齟齬がない,言った・聞いてない,頼んだ,頼まれてない,という消耗なやり取りを減らすにはどうしたらいいのか。
まず,第一は,コミュニケーションの開始に手続きがいるのではないか。あるいは手続きがわかれば,せめて歩留りはよくなるのではないか。
コミュニケーションは自分の話したことではなく,相手に伝わったことが,自分の話したことである,と言われる。仮に自分が10話したとしても,相手に2しか届いていなければ,私の話したことは,2だということだ。そうなれば,相手にできるだけ届くようにする必要がある。
そのために,まずは,相手に聞く姿勢になってもらう必要がある。何かをしながら,聞くのではなく,こちらを向いて,自分の話を聞く身構えになってもらわなくてはならない。
そのためには準備作業がいるはずである。話し手と聞き手の両者が,共通の何かについて話す・聞く関係をとっているという,仮にそれを土俵と呼ぶとすると,同じ土俵に立っていることを意識してもらわなくてはならない。同じ,話す・聞く関係性を意識して初めて,聞くのが始まると考えなくてはならない。
たとえば,一対一の対話なら,
「いまちょっといい?」
「いま,5分いい?」
「ちょっと話がしたいのだが,いい?」
「いま手が離せる?」
等々と,聞くところからはじまるだろう。
相手が都合が悪いと言えば,
「何分後ならいい?」
「後でまた声かけてみるから,その時よろしくお願いします」
等々とやり取りするかもしれない。ミーティングなら,事前の日程調整からはじまるだろう。
なぜこんなことにこだわるかというと,人は仕事しながら,聞いているときは,こちらが話している途中から,意識しだすかもしれない。あるいはうわの空で聞き流すかもしれない。だって,何かしているときは,そちらに意識が向いている,聞こえる声に意識が向くまでは,タイムラグがある。
仮に,いいと言っても,こちらに向き直ってくれるまでは,意識は,途中の作業の方に向いているかもしれないのだ。
そこで第二に,共通の土俵にのっていなければ,歩留りは悪いはずである。口頭のメッセージの歩留まりは25%という説がある。ましてや,何かをしながらでは,もっと歩留りが悪いはずだ。
どのレベルのコミュニケーションでも,相互の間で,お互いに「どういうテーマ(話題)」を話しているかについて共通認識ができていなければ,すれ違いざまの挨拶にすぎない。共通に何について話しているという土俵がないところでは,コミュニケーションは成立しないとかんがえるべきだろう。仮にコミュニケーションしても,「言った,言わない」が必ず起きる。あるいは頼みごとなら,とんでもないことが実行されたりする。
一対一なら,「ちょっといい」といい,相手が向き直ったら,「何々について話したい」のだが,いいかと,確認することになるし。ミーティングなら,アジェンダの周知になるだろう。ミーティングでやることが,一対一のコミュニケーションでもひつようなのだろう。
そこで,少なくとも,何かについて,一緒に話している認識はできる。しかしそれでOKかというと,そうでもない。人は,聞きながら,勝手な解釈をする癖がある。例えば,前にもふれたが,記憶には,
・意味記憶(知っている Knowには,Knowing ThatとKnowing Howがある)
・エピソード記憶(覚えている rememberは,いつ,どこでが,記憶された個人的経験,自伝的記憶と重なる)
・手続き記憶(できる skillは,認知的なもの,感覚・運動的なもの,生活上の慣習等々の処理プロセスの記憶)
がある。意味は同じでも,まったく違うイメージを各自が自分のエピソード記憶から当てはめているかもしれない。
そのために,伝え方にも工夫がいるかもしれない。たとえば,
・一時にたくさんのことを伝えない,
・簡潔に,言いたいことは三つ,1つは何々,2つは何々,3つは何々,と明確にする,
・簡潔な刷り物(メモ)を一緒にする。そうすると,歩留りが50%を超えるという説がある,
・大事なことを繰り返す,
・できるだけ,誤解を生まないような具体的な表現で,具体例を添える,
等々が考えられる。
第三は,伝わったことが話したことなのだから,相手に何が伝わったかの確認がなくては会話は終了していない。
相手にどう受けとめられたかを確認するためにも,相手からのフィードバックなくては,会話は終わらない。どう受け止めたか,復唱,再現,リピート,感想,意見等々,相手に応じたフィードバックをもらうことで,伝わったことが確認できる。
第四は,指示や依頼についても,終わった後のフィードバックがいる。
「終わったら,声をかけてね」
「終わったら,連絡ください」
「終わったら,どうなったか知りたいので,面倒でしょうが,一報ください」
ということを一言加える。あるいは,これをルールや慣習にしてしまえれば,楽になるのだが。
当たり前のことなのだが,日々のやり取りでは結構手順を飛ばす。家族や親しい間だと,余計そうなる。日々の気遣いは,当たり前のことを当たり前にきちんとできることなのだろう。それが,両者のパイプを太くし,信頼を深める。近い人間にすら信頼が得られないようでは……。自戒。
今日のアイデア;
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#コミュニケーション
#意味記憶
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#指示
#土俵
2013年01月15日
パースペクティブを広くとることで見えてくるもの~宮地正人『幕末維新変革史』を読んで
上下二冊の,宮地正人『幕末維新変革史』(岩波書店)を読んだ。
本書の中で,福沢諭吉が『西洋事情』を上梓する際,「天下にこんなものを読む人が有るか無いか夫れも分からず,仮令読んだからとて,之を日本の実際に試みるなんて固より思いも寄らぬことで,一口に申せば西洋の小説,夢物語の戯作くらいに自ら認めて居た」という,諭吉の述懐に,珍しくこういう私論を持ち込んでいる。
本物の著述というものは,人に読ませる以上に,なによりもまず自らの思考を筋道だたせるもの,自己の身体に内在化させるものなのである。(宮地正人『幕末維新変革史下』)
これが,そのまま,本書への著者の覚悟といったもののように受け止めた。
はっきり言って,こういう通史を読んだことはない。あえて言えば,大佛次郎の『天皇の世紀』が匹敵するか。でもあれは,人物中心の縦だけに視点が当たっていた。
本書の特色は,いろいろあるが,3つに整理できる。
第一は,世界史の中に突然投げ込まれる当時の日本の背景となる,欧米列強の東アジア進出から,「前史」として,書き始められる。
冒頭は,こう始まる。
マゼランが1519年,世界一周航海を行おうとした当時は,緯度だけが計測できた。
航海術の開発史は,そのまま世界へ欧米列強が進出する前提になる。つまり,日本史は,世界史レベルの中において位置づけなおされる。日本から見てわからないことが,世界史から見ると,よく見える。あの当時の日本のおかれているジレンマ,個人の有能無能,日本の有能無能だけでは測れない。自分ではコントロールできない時代の圧力といったものの中でしか見えないものがある。
第二は,この本の終りは,田中正造と幕末維新で,こう締めくくられる。
幕末期から明治初年にかけての政治体験から正造が導き出した政治原則は,反封建・反専制であり,法によって保障され,しかもその規模と大小によって決して区別されることのない私有権の擁護であった。彼はこの原則を堅持し貫徹していく中で,労働と生存権の思想にその後の闘いの中で接近していくのである。
すでにこの中に,明治の中期後期の芽がある,という考え方は,この直前の章,福沢諭吉と幕末維新の最後で,こう書くのとつながっている。
諭吉の「丁丑公論」での西郷擁護に触れて,
そのベクトルは大きく異なっていたにしろ,一貫して社会から国家を照射し,社会のレヴェルから国家のあり方を構想しようとする立場において,福沢と西郷は立場を共有していた。それだからこそ,西郷自刃の直後,公表を全く目的とせずひそかに福沢が草した「丁丑公論」こそが,最もすぐれた西郷追悼の言葉になったのである。
として,その引用の後,こう締めくくるのである。
福沢諭吉は国家に対峙する抵抗の精神を西郷に見出す。国家以前に社会があり,社会のためにこそ国家があるとの彼の思想が,自由民権運動の思想と行動にいかに多大な影響を与えたのか,その後の歴史が証明するだろう。
と。この著述全体は,地租改正と西南戦争で終わるが,そのパースペクティブは,もっと広く,自由民権運動にまで及んでいる。その締めくくりで,こう書く。
士族反乱に訴えることが不可能となった状況のもと,幕府の私政と秕政に対する新政府の正統性を保証するものとしての明治元年の五箇条の御誓文と新政府のスローガン「公議輿論の尊重」を前面に押し出し,自由民権運動によって国政参加を要求することになるのは極めて自然な流であった。しかも,新政府が掲げ,条約改正交渉出会えなくも失敗した「万国対峙」と国家主権の回復の実現,即ち不平等条約の廃棄を,自由平等運動の結果創設される国会に国民の総力を結集することによってかちとることを主要目的に構えるのである。士族運動は明治初年代の歴史動向の中から,そしてそこに根差して発展していくのである。
このことが国権拡張につながる芽も,僕はここにあると考えている。すなわち,条約改正が失敗するのは,不平等条約締結が単なる徳川政権の失政ではなく,世界側つまり欧米列強から見ると全く違うということだ。
欧米キリスト教諸国が日本に押し付けている治外法権と低率協定関税は,日本に対してだけのものでは全くなく,不平等条約体制という国際的法秩序そのものだ,という苦い真実を使節団は米欧回覧の中で初めて理解した。
そのなかから,
国家的能動性を誇示して国威・国権を回復するコースには,条約改正の早期実現による主権国家としての日本の確立という道とともに,日本を19世紀後半の世界資本主義体制に安定的に編入するため,東アジア外交関係の形成,国境画定という国際的課題で国家的能動性を顕在化させる道が存在していた。
その道が,民権・国権と対峙しながら,統一されていくのも,世界史レベルで見た日本の生き残りの,ひとつの途だったということが見えてくる。
本書の特徴の第三は,通史としての,一本道を,縦だけではなく,断面を層として膨らませていく手法がとられていることだ。
その中に,おなじみの吉田松陰,勝海舟,西郷隆盛,福沢諭吉等々とは別に,幕末期の漂流民(ジョン万次郎を含めて)のもたらす世界知識,蝦夷地に通じた松浦武四郎,町医師から奥医師となった坪井信良, さらに,個人とは別に,幕末維新期に影響を与えた,平田国学,風説留という各地の豪農,儒者,医師が書き取った手記,手紙での同時代の意見や感想,『夜明け前』のモデルとなった信州の豪農たち,蘭学者たち,国学者たち,豪農・豪商,農民が,その時代どう考えていたのか,手紙,日記を駆使して,時代の横断面から,分厚い歴史の地層を描出している。
たとえば,平田国学について,
自然科学書は当時の知識人の必読文献であり,篤胤とその門弟たちは人を批判するのに,「コペルニクスも知らないで」と嘲笑している。
と,国学者レベルの持つ幅広い知識を紹介しているし,風説留では,
(ペリー)来航情報が瞬時にして全国に伝搬し,人々がそれを記録し,そして江戸の事態を深い憂慮をもって凝視するという社会が出現していた。
という。だから,ある意味で世論があった。「幕府を守ろうとする」私権で動いていることが,幕府・幕閣を除く有意の人々には見えてくる。幕府は,見限られるべくして,見限られていく。
著書は,前書きで,こう書く。
本書の基本的視角は,幕末維新期を,非合理主義的・排外主義的攘夷主義から開明的開国主義への転向過程とする,多くの幕末維新通史にみられる歴史理論への正面からの批判である。
たとえば,攘夷について,
狭義の奉勅攘夷期を,無謀で非合理主義的な排外運動と見るのが,明治20年代から今日までの日本の普通の理解だが,著者はそうは見ていない。
民族運動の中でも,その地域に伝統的国家が長期にわたって存続し続けていた場合には,必ず国家性の回復という性格がそこにはまとわりついてくる。特に日本の場合には古代以来の王権が武家の組織する幕府と合体して,日本人にとっての伝統的国家観念を形成していた。当時の日本人の全員が感じた危機感とは,この国家解体の危機感,このままいってしまっては日本国家そのものが消滅してしまうのではないかとの得体の知れない恐怖感なのである。幕府が外圧に押されて後退するたびに,この感覚は増幅され,それへの対抗運動と凝縮行動がとられていく。(中略)
吉田松陰は刑死の直前,「天下将に乱麻,此事不忍見,故に死ぬると,此の明らめ,大いに吾と相違なり,天下乱麻とならば,大いに吾力を竭すべき所なり,豈死すべけんや,唯今の勢いは和漢古今歴史にて見及ばぬ悪兆にて,治世から乱世なしに直ちに亡国になるべし」「何卒乱世となれかし,乱世となる勢い御見据候か,治世から直に亡国にはならぬか,此所,僕大いに惑う」と述べている。この乱世を起こす能力もない日本「亡国」化の危機感が彼をあのように刑死にまで突き動かした根源なのである。
と説明している。こういう言い方もしている。
攘夷主義としてレッテルを貼られている政治思想は,少なくとも日本の場合,外国嫌いだから,あるいは世界の事情に通じていない無知蒙昧だから形成されたのではない。国家権力が外圧に対して主体的に対応不可能に陥った時,国家と社会の解体と崩壊の危機意識から必然的に発生する。その条件が消滅すれば,当然存在しなくなるものである。すべてを世界史を前提とした政治過程として理解すべきだ,と著者は思っている。
そして,この通史全体を,こう概括する。
この世界資本主義への力づくの包摂過程に対し,日本は世界史の中でも例外的といえるほどの激しい抵抗と対外戦争を経,その中で初めて,ヨーロッパは17世紀なかば,絶対主義国際体制のもとで確立された主権国家というもの(著者はこれを天皇制国家の原基形態と考えている)を,19世紀70年代,欧米列強により不平等条約体制を押し付けられた東アジア地域世界に創りあげた。そしてこの主権国家がようやく獲得した自信をもって,上から日本社会を権力的につかみ直そうとするその瞬間,幕末維新変革過程でぶ厚く形成されてきた日本社会そのものが,自由民権運動という一大国民運動をもって,自己の論理,社会の論理を国家に貫徹させようとする。この極めてダイナミックな歴史過程こそが幕末維新変革の政治過程ではないだろうか。
その意図は,おおよそ達成されている。もちろん好みを言えば,勝のウエイトより福沢が重視されている,横井小楠が軽視されすぎている等々という個人的な憾みはあるが,初めて,幕末維新史が,イデオロギーではなく,内発する人々の動機とエネルギーに焦点を当てた感じがする。
本書読むうちに,いまの時代と重なる。幕末時代,外圧に対抗することで,自らのアイデンティティを確立していった。敗戦後もそうだ。しかし,いま日本は1000兆もの借金まみれの中,また政府は新たな借金を増やそうとしている。頼みの1500兆の個人金融資産も,個人債務,株式・出資金等々を除くと,ほぼ借金と重なりつつある,危険水域に達している。その危機に,政治家も,経営者も,自治体トップも,もちろん国民も,本気で臨むものはほとんどいない。何か,まだ国に頼めば何とかなる,とぼんやり期待している。土建屋はまた公共事業に蟻のように集まっている。地方自治体は国に頼めば何とかなると思っている,企業も国の補助金をあてにし,ちょっと具合が悪いと,働かなくても,年金より多い生活保護にすがる。惰性と,無気力というか奇妙な能天気で,この先に巨大な大瀑布があるとわかっているのに,流され続けている。あの時,幕府が,世界史のテンポに比べて緩慢であったように,いまわれわれも,世界史のテンポに比して,あまりにも緩慢で,のんびりしている。
今日のアイデア;
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#攘夷
#勝海舟
#福沢諭吉
#田中正造
#幕末維新変革史
#宮地正人
2013年01月16日
人形劇体験について~物語を物語るⅢ
フランクルは,人は誰もが人生の物語をもっていて,それを語りたがっている,というようなことを書いていた記憶がある。しかしそれは,語りだしてはじめて,芋づるのように,エピソード記憶が手繰り寄せられる。
少し個人的なことを続けたいが,いきなり,学生時代へ飛ばす。
そのほとんどの時間を費やしていた,人形劇のことを語ってみたい。
人形劇といっても,プロとして本格的にやっていたわけではなく,学生時代,児研(児童文化研究会)というのに二年生から所属して,創作劇を作っていたにすぎない。多くの児研は,いわゆるセツルメントなど,子供会や地域活動に力を入れていたはずだか,僕の所属した大学の児研は,政治の季節を通過した直後でもあって,もう少し突っ込んだ活動をしていた。
といっても,政治活動ではなく,どう自分たちの思想を劇化して表現するか,ということが主要課題であった。僕たちは,それを,「自分自身がいかに生きるか,より生きるためにどうしたらいいかを考え実践していないものに,よりよく生きるにはどうしたらいいかなど,伝えられるわけがないし,伝わらない」などと,生意気なことを言っていたものだ。
大学先輩に児童文学者(山中恒)がいたりして,その影響かもしれない。先輩に宮沢賢治大好きの人がいて,影響されたりもしたが,どこかに文学青年のにおいをさせた先輩がいっぱいいたせいで,その影響を強く受け,アピール性の強い人形劇の脚本を何本か(すべて廃棄したので正確にはわからない)書いた。春と夏に,巡回と称して,へき地の村に出かけていて,確か岩手県,三宅島,山梨県が三大ルートで,それぞれグループを組んで新作をもって行った記憶がある(同時には二地域だったと記憶している)。僕は春夏ずっと山梨県の南巨摩郡の,もう静岡と接する奈良田まで入っていった。いまは静岡へ抜ける道が通ったらしく,全く昔とは違うと,聞かされたことがあるが,以来行ったことはないのでわからない。
巡回は,正確に覚えていないが,一週間前後,巡回中は,全部自炊なので,ひとり三升かそこらを背負って,行った記憶がある。まるで登山をするような大きなリュクに,米と,大道具(といっても幕でできているものだが)と人形を担いで,山道を登った。おかげで,米を飯盒で炊くことも,料理をすることも,失敗しながら覚えた。下手なものを作ると,それでメンバー5,6人が大迷惑を蒙る。
劇良し悪しのレベルはわからない。しかし,自分たちに大きな問題意識がある限り,すさまじい勢いで新作が作れた,そしてそれにあわせて,立ち膝で操作する人形を手作りする。粘土でかたどり,ガーゼとボンドで何枚にも重ねたものを,乾かせて最後は粘土を抜く。すると,口を開けたり閉じたりの操作をする心棒を除くと,軽いものだが,立ち膝でやるので,結構しんどい。しかしその創作プロセスは結構楽しかった思い出はあるが,苦労したという記憶はない。むしろ体力がいるというので,学館(旧学館,今のは知らない)の屋上でうさぎ跳びをやらされたり,発声練習をさせられたのが,きつくて嫌だった。
脚本を書くのは一人だが,その登場人物を造形していくプロセスは,イメージを共有し,同じグループのメンバーでこしらえていく。そのわいわい言い合いながら作っていくプロセスそのものが楽しかったのではないかという気がする。
秋には,学園祭があり,そのたびにいろんな出し物を出した。放送劇も何作か作った(これも破棄したので正確には覚えていない)が,本人は意欲作のつもりでも,先輩からこっぴどくやられて,言い返したりした記憶がある。結構熱くなりやすかったのだ。友人曰く,「結構人の心にひっかき傷をつけた」と。
放送劇を,オープンリールのテープレコーダーでリールテープを編集するため,テープをカットしたりつないだりと,微妙なことを結構やっていた(まだ売っているのをネットで見たし,NHKの公開番組において、歌手が唄う際カラオケ用の音源として,現在もオープンリールが使用されているケースがあると聞いたことがある。動作が見えてわかりやすいのでスタートの確認がしやすいためらしい)。そこは一人の作業で,そういう集中する仕事がつくづく好きなのだと,思っていたものだ。
一種の祭の後のような,芭蕉の句ではないが,「面白うて やがて悲しき 鵜飼かな」といった寂しさを,巡回の後も,学園祭の後も,感じたし,卒業した後も,そんな感じであった。なんとなく,後ろに,大事なものを残したまま来てしまったような,後ろ髪をひかれるさみしさであった。
そのせいか,その面白い集団活動をつづけたくて,プロの人形劇団に入ったのが,知っている限りで後輩一人,プロの劇団に入ったのが,先輩が一人いた。後は有名になったのは作詞家になった後輩にいるくらいで,残りほとんどは教師か普通のサラリーマンになった。その時どんな心境だったのかは聞いたことはない。
あの集団での活動に匹敵する場に参加してみたことがないので,その意味を相対的に位置づけなおすことができないが,あえて言うと,少し話が飛ぶが,卒業後3年目くらいの時,15人位の小さな会社で,7~8人位で労働組合をつくり,ささやかな要求を粘り強くつづけた,ちっぽけな組合活動をしていた時の,何というか内へ縮まるような凝集感に近いのかもしれない(小枝を切るのに大鉈を使うような感じもなくもないが)。その時相談に乗ってもらった上部団体の人があきれるくらい,自由気ままに,のんびりと,しかし粘りに粘って,ついになにがしかを達成してしまった。あのときの,全くの孤立無援さの中での,仲間同士の凝集度と指向性を考えたら, そういう仲間と一緒なら,何でもできる,という気が,いまさらながら,する。
あのとき,ひとりふたりと脱落者は出たが(某有名映画会社の労働争議でも同じことをしたらしいが,情報を意図して漏らしていた人と警察官僚の奥さんだけであった),あのときつくづく女性は強いと思った。女性の方が,なまなかな妥協を許さない。結局僕は背中を押されて,押し出されたようなものだ。女性が中心にいると,妙な打算と世間知というものがない分,(そういう状態のときは)純粋に突っ走って,怖じず,怯まず,ためらわず,まして後悔しない。これはまたいつか別に書きたいと思っている。
つくづくメンバーの良し悪しがリーダーシップの良し悪しを決める,と実感する。リーダーというものも,リーダーシップというものも,それを支える仲間やメンバーがあってこそのものだ。よきメンバーがよきリーダーを育て,そのよきリーダーシップがすぐれたメンバーシップを育てていく。しかし,最終責任は,リーダーしか取れないし,とってはならない。
よくリーダーは言い訳に反対勢力を口実に使うことがある。唯々諾々と自分に従うものしか相手にしていないから,強く反対するものと真っ向から対峙して,解決しようとすることに,逃げ腰になる。そんなわけで,昨今労働組合は格好の標的にされやすく,既得権益を守ろうとする代表のように言われる。そういう面がなくはないが,組合員たちが,営々と(大袈裟ではなく)血と汗と涙で獲得してきたものだ(誰が収益を削るような出費を喜んでするものか)。利権団体のように,官僚や政治家に密に群がる蟻のようにつかんだものとは違う(昔,ある政治家の選挙運動を協力し,私設秘書というものの実態も,政治家に群がる蟻の生態もつぶさに見て知っているが。これもいつか書く。選挙用に,うん千万円を紙袋に入れて運んだものだ。いまも実態は変わらぬのではないか?)。
本来,労働組合は,一人ひとり孤立する労働者が,団体で,権利の保護と向上を図ろうとするのだから(だからいま,孤立した人が,使い捨てのように,ポイ捨てで首を切られて,どれほど悲惨な目にあっていることか),経営者と利害が一致するはずはない。唯々諾々と経営者に従うような労働組合は,組合という存在目的に反している。それ自体言語矛盾である以上に,存在矛盾だ。
過去の権利が,いま既得権益になって経営の足枷になっているなら,正々堂々と,どこかの市長のように,陰湿な不当労働行為による組合いじめではなく,真正面から同じテーブルに乗って,粘り強く対峙し,解決していくしかない。それがそもそも,民主国家のリーダーとしての覚悟ではないのか。いじましい陰湿な追い落としを陰でやるようなものが,この国のリーダーになれるはずがない。
その解決は,是非,可否という二者択一ではない。対立軸と,真っ向向きあって,二者択一ではない答えを見つける,そういう必死の土俵に乗ってこそ,解決はやってくる。そういう土俵で真正面から相手と向き合ったことのないものが,必ず誰それが悪いと,対抗勢力だの反対勢力だのと,相手のせいにする。経営者も自治体,国のトップも,すべての責任が自分にある,という覚悟で,真正面から向き合おうとしていない。後になって,妥協させられた,いやいや首肯した,等々というようなことは,もってのほかだ。させられたも,させられないもない。それを決めたのは自分だ,そんな程度にしか覚悟と責任が取れない決断をしたということを,恥ずべきではないか。そして,それだけのリーダーでしかないと,証しているのでしかない。
いやいやとんでもないところへ話が移った。このくらいにしておこうかな…。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
#人形劇
#宮沢賢治
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#芭蕉
#リーダーシップ
#リーダー
#物語
2013年01月17日
この人生で成し遂げたいことは何ですか~『U理論入門セミナー』に参加して
もともと,「自分を開く」というテーマを,自分の課題とした経緯については,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11031543.html
で書いたように,『U理論』を読んだのがきっかけであった。勝手な早合点かもしれないが,「開くこと」の重要性に改めて目を開かれた思いがしたのだ。特に,内面の「評価・判断の声(VOJ)」「皮肉・諦めの声(VOC)」「恐れの声(VOF)」という,自分の足枷との戦い,というのに結構惹かれたのだ。
もうひとつ,時分の源泉とつながるのに役立つ習慣として,
①朝早く起きて,自分にとって一番効果のある,静かな場所へ行き,内なる叡智を出現させる
②自分なりの習慣となっている方法で自分を自分の源につなげる。瞑想でもいいし祈りでもいい。
③人生の中で,今自分がいる場所へ自分を連れてきたものが何であるかを思い出す。すなわち,真正の自己とは何か,自分のなすべき真の仕事は何か,何のために自分はここにいるのかと問うことを忘れない。
④自分が奉仕したいものに対してコミットする。自分が仕えたい目的に集中する。
⑤今はじめようとしている今日という日に達成したいことに集中する。
⑥今ある人生を生きる機会を与えられたことに感謝する。自分が今いる場に自分を導いてくれたような機会を持ったことのないすべての人の気持ちになってみる。自分に与えられた機会に伴う責任を認識する。
⑦道に迷わないように,あるいは道をそれないように,助けを求める。自分が進むべき道は自分だけが発見できる旅だ。その旅の本質は,自分,自分のプレゼンス,最高の未来の自己を通してのみ世の中にもたらされる贈り物だ。しかし,それは一人ではできない。
というのをメモしていたりした。その意味で,自分のアクションへとつなげた影響という面からみると,『U理論』は,数少ない著作に違いはない。通読してからも,何度か,部分を読み直しては,意味の確認や,再理解をしている部分もある。
しかし,自分の読みは,自分の偏頗な受け止めで,かなり歪んではいるのだろう。中土井さんの話を別に聴く機会は何回かあったが,初めて,自分の中で整理できたこともあり,もう一度まとめてみたい。
冒頭,「この人生で成し遂げたいことは何ですか」と問いがあった。
コーチングを学んでいると,何度かこれに類するものは問われたことがあるし,「未来から自分をみる」ということなのかな,と思いつつ,自分の中から出てくるものに,注意を払うと,ちょっとした気恥ずかしさとともに,「ああ,そういうことを真剣に考えている奴にはかなわないな」という思いが湧いた。と同時に,口には出さなかったが,いつもぱっと出てくる,ひとつの自分の夢がある。その努力は続けているつもりだが,たぶん叶わぬだろうな,という悲哀があった。そう思いつつ,「でも,死んだ時,やり残したことより,やりたいことの中でやれたことの方が過半をしめているといいな」という淡い期待があったのも事実だ。もっとはっきり言うと,今やりかけていることや,やりたいこと,やり残したこと,を指折り数えて,仮に5つあるとしたら,3つ以上はやりげていたい,それは口に出した。
たぶん,そこから今の自分を見た時,自分のなすべきこと,いま優先すべきことがはっきりしてくるのだろう。そのコアがあるかないかで,その人のいまの時間の流れ方が違うのだろう。
すぐれた人をモデルとして生きる時,「何」を「どうやるか」だけでは,またそれをコンピテンシーのように,スキルとして,アイテムとして抽出しただけでは,そのようにはならない。その人の目に見えない部分,「どういう源(ソース)から生じているか」という,彼らの「『内面状況』と表現されている行動の起点となっているもの,すなわちあらゆる行動が生まれ出る源」がわからなければ,ならない。その源について,シャーマーは,
…得られた最も重要な洞察は,人には二つの異なる源による学習があるということだ。それは「過去」の経験からの学習と,出現する「未来」からの学習だ。
という。冒頭の「この人生で成し遂げたいことは何ですか」という問いは,それに関わっている,といっていい。それを,「何を」「どうやるか」ではなく,「どこからやるのか」がパフォーマンスに影響をあたえる,と中土井さんはまとめる。「実現する未来」からの学習,と。「出現する」と「実現する」と微妙に違っている気がする。そこに,主体的に創り出す,という意味が,「出現」よりは色濃い,そう受け止めた。
Uの谷を,下るところが,今回のセミナーの流れになっていたが,レベル1~レベル4までの意識の矢印と,それぞれの関門になっている,レベル1の関門「評価・判断の声(VOJ)」を超えることで,開かれた思考が観察を可能にし,「皮肉・諦めの声(VOC)」の関門を超えることで,開かれた心が感じ取る共感に通じ,「恐れの声(VOF)」の関門を超えることで,開かれた意志が,様々な自分のこだわり,執着を手放すことを可能にする。
しかしそれば頭でわかっても,実際には頭は働かない,心は動かない,意志は動かない。以前,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11027122.html
と,人との距離感の問題で,このレベルの問題をとらえたが,むしろ,自分自身を,自分に対してどう意識を向けるかという視点で見たほうが,自分にとってインパクトが大きい気がした。
例えば,レベル1はいつも自分の枠組みというか,機能的固着したものの見方だけに安住し,それを疑わない。それだと,「評価・判断の声(VOJ)」は,正当化されるばかりで,自分に批判の矢は向かない。自分がダウンローディングに陥っていることは,ここでは気づけない。
レベル2は,観察,観察,観察。自分の中で起こる,「評価・判断の声(VOJ)」を,一旦脇に置いて,自分の選択肢を自由に,パースペクティブを広くとることで,自分自身の評価・判断も脇に置く。その中で,自分の機能的固着の反証が見つかれは,ショック療法になる。ブレストでアイデアを出す時,実は批判するのを脇にのける。ここまでは,割とやっている部分かもしれない。
レベル3は,他者批判の批判軸を自分に向けられるかどうか,そのために開かれた心がいる。「皮肉・諦めの声(VOC)」を超えなくてはならない。相手を指差すときの,親指と人差し指以外の三本は,自分を向いている。しかし,相手の立場で考えると言っても,結果としては,自分の視点から見ている相手でしかない。「自分の靴を脱いで他人の靴を履いている状態」は,体験しないと難しい,という。
「相手の問題と思っていたことを自分の問題と受け止めるときはじめて見えるものがある」相手や周囲ではなく,自分が変わることで,問題が動くことに気づく。TAでいう,「過去と他人は変えられない」という真意はここにあると感ずる。この段階で,過半が終わる,とは,実感はないが,例示された具体例で感じさせるものはあった。
視点を相手に移して,というとき,自分の枠組みを広げて,その枠の中での自己対話だと,自己完結したものに過ぎない。自分を脇に置いて,(相手はどう考えたのか)というのは,ロジャースの言う,「あたかも」相手自身になったように,相手(の枠組みで見るなら)になら,こう見える,こう考える,と想定する。そう思えたら,自分こそが相手の障害物になっている,相手にとって自分こそが問題,と見えてくるかもしれないし,相手自身の気持ちや思いが察せられるかもしれない。
ただ,ここはすごく難しいので,「もし自分の側に問題がるとしたら」「もし自分が障害物としたら」と,仮説を設定して考えてみるという思考実験の方が,やりやすいかもしれない。これは,自分からの観点以外の,別の観点を設定するという選択肢を広げる方法と考える,と頑固な頭も納得するような気がする。
レベル4は,自分が消え場と一体になる。「恐れの声(VOF)」を超えて,初めてここに至る。それは,何かを手放すこと,覚悟という言葉はこのためにある,といわれたが,正直のところ実感はない。
場に関連しては,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11007605.html
でも触れたが,Tグループ体験が,強いて言うと,自分が消えた経験だが,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11044109.html
それと重なる部分もある。自分をさらけ出すことへの恐れを捨ててしまうと,その場でも,人との間でも,いろんなものが受け入れやすくなる気はしている。
こういうプロセスは,大なり小なり,日常的に繰り返している気がする。何かをしようとするとき,恐れを突破しないと決められない。その瞬間,何かを手放しているには違いない。
と,まあいま時点での自分の受け止めを整理してみた。まだまだ…だな。しかし,
いまはとりあえず,最低限,自分を批判する矢印を恐れず,その時の自分の立場や役割をかなぐり捨てられるかどうかが,まず,は自分の心を開く第一歩と自戒する処からスタートしたい,と思っている。
参考文献;
オットー・シャーマー『U理論』(英治出版)
今日のアイデア;
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#皮肉・諦めの声(VOC)
#恐れの声(VOF)
#評価・判断の声(VOJ)
#オットー・シャーマー
#U理論
#中土井僚
2013年01月18日
どこかに貴種へのあこがれがある~『戦国武将 敗者の子孫たち』を読んで
高澤等『戦国武将 敗者の子孫たち』(歴史新書y)を読んだ。
ここでは,武田勝頼,真田信繁,明智光秀,石田三成,豊臣秀勝,松平信康,今川氏真,
が取り上げられている。真田信繁は,いわゆる幸村のこと。秀勝は秀次の弟,松平信康は信長の娘と結婚し,若くして自死に追い込まれた,家康の長子,今川氏真は,義元の長子。
言ってみると,負け組戦国武将の子孫が,どういう血脈を残したかを,延々描いていくので,それ自体は,退屈なものだが,所々で,著者は,自分の読みを披歴する。
たとえば,明智光秀には,「ツマキ」という妹だか,側室の妹だかが,信長の側に仕えていたが,本能寺の前年,死んでいる。「多聞院日記」に,「惟任(光秀)ノ妹ノ御ツマキ死量,信長一段ノキヨシ也,向州(光秀)無比類力落也」とあるらしい。これが,光秀の織田家中での立場を弱体化させた,とある。
あるいは秀吉については,百姓出の武将というイメージが定着しているが,それを覆す。
母親仲は,中田憲信編の『諸系譜』によれば美濃関鍛冶の系譜を引き,父は関弥五郎兼員と称していたとされる。『祖父物語』では青木一矩は秀吉の従弟としており,引用元の不明だが『若越小誌』は「青木一矩は秀吉の従弟」としている。
一矩の父は青木重矩,母は関兼定の娘であり,青木氏が美濃安八郡青木を本拠地としていた地縁を考えれば,隣接する美濃赤坂の刀工であったという関氏の女を母としたことも自然なことであろう。(中略)家康の側室にお梅の方という女性がいる。(中略)このお梅の方の父は青木一矩であり,(中略)江戸時代の竹尾善筑が編纂した『幕府祚胤伝』には,……青木一矩の娘お梅の方は家康の外祖母華陽院の姪であると明記されているのである。(中略)
つまり秀吉が生まれる以前の話,秀吉の母仲の姉妹が青木氏に嫁いでおり,その青木氏は家康の祖母華陽院と血縁であったことを徳川の史料が認めていることになるのである。
秀吉の葬儀では,青木一矩が福嶋正則と供に秀頼の名代をつとめている,というのも,ここから推測すると,意味深に見える。さらに,『百家系図稿』によると,秀吉の養父となった竹阿弥という人物について,水野氏の支流である水野藤次郎為春の子であるとし,
その真偽を補完する一次資料はないが,ただ秀吉が織田家の一部将であった頃用いた家紋は沢瀉紋であり水野家の家紋と一致する。
沢瀉紋はその後,形を変えて秀吉と姻戚関係にある浅野家,福嶋家,木下家も用い,羽柴秀次も旗印としており,…さらに秀吉が作らせた世界最大の金貨とも言われる慶長大判にも沢瀉紋が刻まれている。それだけ沢瀉紋は秀吉にとって特別な家紋であったことは確かである。(中略)
そして「藤吉郎」というような,「藤」の文字を通称に用いるのは藤原氏系に多くみられ,この通称は,水野家でよく用いる藤四郎,藤七郎,藤九郎,藤次郎,藤太郎などにも符合するものである。
秀吉来歴の幅を再確認するだけで,通常のイメージが変わっていく。こうした箇所がいくつかあるのが,本書のもうひとつの面白さかもしれない。
こうした血縁のつながりは,敗者の血のつながりが,たとえば,石田三成の血脈が,「尾張徳川家に入り,さらに四代徳川吉通を通して公家の九条家にも渡っていった」ということを考えると,同じ家格の家同士が婚姻でつながっていく,特に戦国時代,生き残りの重要な結合手段であったことを考えると,そんなに不思議ではない。
また明智光秀の血脈は皇室に入っているが,その系譜は,
一本は細川ガラシャ→多羅→稲葉信通→知通→恒通→勧修寺顕道室→経逸→婧子→仁孝天皇となり,もう一本は細川ガラシャ→細川忠隆→徳→西園寺公満→久我通名室→広幡豊忠→正親町実連室→正親町公明→正親町実光→正親町雅子→孝明天皇という流れである。
光秀ですらこれである。同じ家格同士が縁組するとすれば,420あるといわれる大名諸侯の間を血が行ったり来たりし,それが皇室・公家にまで行くのは,江戸時代という閉鎖された社会では十分ありうる。
比較的確実な系譜をたどってもこれである,女系で先があいまいになった場合を含めれば,すそ野は広がる一方だろう。我が家のようにどこの馬の骨かわからないものにとっては,うらやましい限りだが,それでも,細君の母方は,新田義貞の直系らしいので,どんな馬の骨にも,血脈は流れている,らしい。当たり前のことだが,全人類は,アフリカのたった一人の女性へと辿れるのだから,負け惜しみかもしれないが,血脈の貴種を競うことに意味があるとは思えない。
確かに貴種へのあこがれはわからないでもないが,江戸末期,徳川家定の後継を巡る継嗣問題が,一橋慶喜と紀州徳川慶福で争われているとき,肥後の横井小楠は,
人君なんすれぞ天職なる
天に代わりて百姓を治ればなり
天徳の人に非らざるよりは
何を以って天命に愜(かなわ)ん
堯の舜を巽(えら)ぶ所以
是れ真に大聖たり
迂儒此の理に暗く
之を以って聖人病めりとなす
嗟乎血統論
是れ豈天理に順ならんや
と呼んだ。今日でも,こうはっきり言い切ったら,右翼に狙われるかもしれない。小楠は,明治初年,新政府に召しだされた直後,京都でテロに殺られた。はっきりものをいうことは,今も昔も,結構覚悟がいる。
今日のアイデア;
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#高澤等
#戦国武将 敗者の子孫たち
#横井小楠
#血脈
2013年01月19日
掛け合うことで奥行きが増す~トークライブに参加して
先日,第1回 高田稔×飯塚和秀 月例トークライブ「ビジネスセンスを磨く為に今、実践すべきこと」に参加した。お二人の話を聞く機会は,前にもあったが,今回は,掛け合いのトークによって,別の面白さを発見したので,そのことから書き始めてみたい。
通常,講師が話をする場合,テーマに即して講師が用意したストーリーを,話の巧拙,面白さの良し悪しは別として,一本の筋で話していく。もちろんふんだんに,聞き手と対話していく場合,質疑の中で膨らませられる場合もあるが,対話式のトークライブの場合,講師が自分の問題意識で話し出したことを受けて,相手役が自分の関心で,さらに突っ込みたいところや,例示や例えを変えると,講師側も,それに引き出された関心領域や問題意識を示しながら,少し,最初の話からずれながら,話が進んでいく。
こういうキャッチボールの面白さは,二人の人が同じテーマ,同じ例題を話しながら,それによって自分の中から引き出されるものが微妙に違うし,見ている視点も少し異なる,あるいは同じ例示を示しながら,見えている光景は違っているかもしれない。そのライブ感覚が,フリーセッションに似て,増幅される感じになると,面白くなる。
その意味では,どちらかに正解があるというよりは,その微妙にずれたり,噛み合ったりするものと,聴講側も,頭の中でキャッチボールしながら,考えていく。公開の対談に似ているようだが,どちらかというと,対論に近い,噛み合いながら,テーマをそれぞれ側の関心と問題意識で支え合って,(聞き手から見ると)そこで別の結論が見えたりするのが面白い。ここで結論を出そうとはしているわけではないけれども。
さて,これに参加した直接のきっかけは,「ビジネスセンス」という言葉だ。
センスは,その良し悪しは,たとえば仕事の仕方ひとつとっても,日々の徒ごとのこなし方,ちょっとした提案の仕方,アイデアの出し方,物の言い方,上司との接し方等々,すぐに感じさせるものがある。それは日常の場面でも同じで,人との付き合い方,料理の選び方,着ているものそのものと着こなし方,しゃべり方,何気ないしぐさ・ふるまい等々,何をやっていても,いろんな場面で,センスのいい人というのはいる。
それは,努力でカバーできるのか,例えば,勉強したり体験したり,情報に接する機会をたくさん作る,といったことで,ある程度研ぐことはできるのか,そう問いを立ててみると,どこかに天性の部分もあるかもしれない,と少し諦めたくなる類のものだ。自分はそういうものがないほうだと諦めているので,それがどこから来るか,いつも気にはなっていた。
辞書的には,「センスがある」と言えば「判断力が優れている」「物の微妙な見極めができる。」「感覚が優れている」「細部の違いまで理解できる」のような意味で使われるらしい。
似た言葉に,筋がいい,という言葉がある。辞書的には,可能性,潜在能力,将来性を指す。確立として,あるレベルに達するということを,「(まだ)荒削りだが‥‥」,という言い方をする。別に将来が保証されているわけではないが,呑み込みがいいとか,覚えが早いとかといったニュアンスだ。ここも,要領がいいというのとはちょっと違う,「センス」に関わるところのような気がする。
もう一つ,勘,という言い方がある。直観,直覚とも言い換えられるが,これは,経験と知識から,事態をパターンでとらえる,というのが近い気がする。勘がいいというのは,同じ経験をしていても,微妙に抑えどころが違っている場合があることを指している。不思議と勘所を外さない人というのはいる。ここにもセンスによる差がある気がする。
たとえば,どんなことも,経験しただけでは,ノウハウやスキルにはならない,という。その意味はどうそれをメタ化するかにかかっている,ということらしい。しかし,同じ経験をしていても,何をそこでつかむかは,その人のセンスにかかっているところがある。コツというかツボというか,抑え所を外さない人が必ずいる。
だから,ある面では,天性のものがある気がする。
しかし,美術や陶芸,あるいは骨董もそうだが,よく一級品を観ること,というのは言われているので,全くの天性というよりは,経験を積み重ねていることで,筋が見える,少なくとも眼力は,ピンキリはあるにしても,ついてくるもののようにも思う。だが,誰もが努力すれば,イチローのようになれるわけではないし,優秀な目利きになれるわけでもない。
それは,「ビジネスセンス」といった場合にもある程度当てはまる。基本の一歩は,ビジネスの原理原則の修得と,ビジネス環境を見る目がいる。ある程度,知識とともに,経験,とりわけ時代状況とその変化をつかむための情報集収集がいる。いまの時代で勝ち残っている企業の商品やサービスをよく見ることで,目を肥やす,この場合だと多くの情報をつかんでみることはできるかもしれない。
しかし,それは勉強であって,直接センスにはつながらないのではないか,という危惧がある。
その場合鍵になるのは,本ではないし,新聞のような二次情報でもない,ましてネットでもない気がする。肝心なのは,なにより,人のような気がする。マイケル・クライトンが大事にするのは人から聴く話だそうだが,直接間接を問わず,いろんな人に接してみること,まずは,当代の売れっ子をウォッチしてみることだ。そこで,どういう判断をしているか,自分なりに筋をつかむ。そうやって,筋を外れない,勘違いのないエリアにとどまれるようにするにはどうすればいいかをフォローする。もちろん真似でいい,徹底的に,○○流を会得してしまうのが悪くない。ただ,守破離の,「離」が出来なければ,第二の○○でとどまる。亜流ではだめだろう。たとえキリでも,自分のものにしなくては。
定石という言葉があるが,ビジネスの定石というと,少しセンスには届かない。「定石を覚えて二目弱くなり」という言葉があり,真似であれ,覚えたものであれ,会得したものであっても,知識や経験は,それを金科玉条にしてしまうと,機能的固着に陥る。いわゆる固定観念になる。時代の動き,時代感覚,現場感覚で,「おかしい」「そうではない」と感ずるかどうか,このあたりにセンスの意味がありそうだ。
「定石は覚えて忘れよ」という言い方もするのは,碁盤上は千変万化,その現場での感覚を重視しなくてはならない,という意味なのだろう。定石を,状況の変化で変わっている,どこが変わっているのか,という問題意識で,それを変えていけたら,ピンのセンスというところなのだろう。
たとえば,この日学んだ例でいえば,
【AIDAM】
Attention
Interest
Desire
Memory
Action
↓
【AISAS】
Attention
Interest
Search
Action
Share
↓
【AMTUL】
Attention
Memory
Trial
Utility
Loyalty
こういうマーケティングの基本の流れを学んだとして,そのままではたぶん頭の片隅に入るだけだ。知識を学んでも,センスにはなっていかない。
大体が,センスは,30代40代でないと,時代そのものについていけなくなっている,という。というより,50代60代では,時代の中心にはいないのだから,当たり前だろう。どうしても過去の価値や経験を覆す経験やモノの見方を身に着けることが難しくなっている。というよりも,仮に時代についていけても,どうせ付け焼刃,今までの考え方を変える視点や発想は取りにくい。変化に心底から驚くのではなく,それに抵抗したり,反発する方が強くなっている。
無理を承知で,それでもなお,出来上がった自分のものの見方を,変身・脱皮していくには,ものすごいエネルギーを必要とする。それができる60代は,相当なものだが少数派だろう。自分の成功体験を手放して,再度ゼロからチャレンジし直すつもりでないと,新しいものの見方を自分のものにするのは難しい。
そこで,現代に使えるビジネスセンス磨きの基礎編を,自分(60代)向けにまとめてみるなら,次の五項目になる。
①モデルを選んで,その眼を借りる
この場合,知識や学説のものの見方の他に,人のものの見方もある。
たとえば,AMTULが最新モデルとすれば,その知識の眼を借りて,いま,
Attentionは何か,
Memoryは何か,
Trial は何か,
Utilityは何か,
Loyaltyは何か,
のそれぞれを指針にして,売り方やサービス,商品をみてみる。
当然,○○という人をモデルに,その人ならどう見るか,その人の見識・眼力に仮託して,ものをみてみるというのもある。
②まずは,ウォッチング,トライアル
なぜ,あのやり方は成功しているのか,あの店は繁盛しているのか,成功例をできるだけ,身体で体験してみる。行ってみる,食べてみる,使ってみる等々。さらには,それに関する情報を拾ってみること,そういう人が話したり,しゃべったりする機会があれば聞き逃さないというのも含まれる。
③問題意識をもつ
疑問と言い換えてもいい。なぜ,お試し期間」があるのか,何でポイントカードがこんない何種類もあるのか,何でもいいが,ちょっと疑問に思ったら,その意味を考えながら,自分なりの答えを出す。性急に正否を出すのではなく,自分の答えとして,とっておく。それはどこかで,現実にそれをどう考えているかを聴く機会はある。それまでどんどん貯めておく。答えを急がない。たとえば,マックの競争相手は誰か,立ち食いソバの競争相手は誰か,コンビニの競争相手は誰か等々もいい。
④人とキャッチボールをする
自分だけで自己完結させていても,発展はない。自分の疑問,問題意識,観察は,機会を見ていろんな場で,質問したり,キャッチボールしたりしてみる。それ自体が情報交換であり,情報収集であり,周囲の人のネットワークになり,センスをまねたり,学ぶ場にもなる。
⑤仮説を現実に当てはめる
たとえば,自分の強みと相手のニーズがベン図の重なりになっているのが,自分のビジネスモデルの基本だとしたら,自分が今から商売を始めるとして,自分の強みはそもそも何なのか,そのレベルはとうか,それがいまの時代の人の誰に使えるのか,正しいかどうかは別として,それを仮説として,現実にそんなユーザーがいるのか,その眼でいまの時代を観る。5W2H(why,what,when,Where,How,How much)であてはめてもいい。「誰」を想定してみるのもいいし,どんな場面,どんな機会,どんなとき,と思考実験してみるのもいい。現実に確かめる機会はここでも有効だろう。
しかし,これをやったらセンスが身に付くとまでは言い難い。同じことをやってもツボを外さないセンスのいい人はいる。しかし,まあ,いまの時代とビジネスを観る視角は得られるだろう。まずはそこからだ。が,若いからこそできることかもしれない。脳のキャパがあると言っても,老人にはこれは相当きついかも……。
今日のアイデア;
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#筋
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#AISAS
#AIDAM
2013年01月20日
「場」が育てていく学習~「場」についてもう一度考える
前に,Tグループ体験をきっかけにして,「場」について考えてみた。
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11044109.html
今回は,「場」について続いて考えてみるが,別の切り口からアプローチしてみたい。
場が主役といった場合,その場をどう枠づけるかがカギになるのだろうか。もう一度前回のまとめを繰り返すと,
場という時,次の3つを考えてみる必要があるのではないか。
ひとつは,その場の構成員相互の関係性と言い換えてもいい。別の人とだったらそうはならなかったかもしれない。
ふたつは,その場の構成員相互の行動・反応である。ある行動(非言語も含め)にどうリアクションがあるのか等々。
みっつは,その時の状況(文脈)である。明るい日だったのか,寒い日だったのか,うるさい環境だったのか等々。
その時の全体の雰囲気である。前項と関係があるが,フィーリングと言ったものである。
これが場の構成要素だとすると,B=f(P, E)は,場(field)=Fを中心に,
F=f(P, E,B)
となるのではないか,ということであった。数学的に正しい表現なのかどうかわからない。しかし場があるからこそ,相互の関係も,その場の雰囲気も変わっていく。その意味で場を地ではなく,図として考えてみる。
これについて思いつくのは,金井壽宏と中原淳の対談(『リフレクティブ・マネジャー』)で中原がこういっていることだ。
ジーン・レイヴとエティエンヌ・ウェンガーは,人材育成と組織行動の関係を理解するのに役立つ革新的な枠組みを提唱した。「正統的周辺参加」(Legitimate Peripheral Participation)と呼ばれるそのモデルは,「個人としての学習効果をいかに組織としての仕事に結び付けるか」という問題提起を否定し,この問題の前提にあった「学習-仕事」「個人-組織」といった二項対立的な認識に変更を迫った。
といい,そのモデル「リベリアの仕立屋」をこう説明する。
西アフリカのリベリアの仕立屋では,徒弟は衣服製造の仕上げ,つまりボタンをつけたりする工程から仕事をおぼえ,それができるようになると,生地を縫うこと,さらに生地の裁断というふうに,製造ステップとはちょうど逆の順番で学習していく。これにより,最初に徒弟は衣服の全体像を把握でき,前工程がどのように次の工程に役だっているかを理解しやすくなる。その上,店としては失敗がない。服を作るうえで,一番難しいのは裁断であり,次が縫製で,一番ミスが許されるのはボタン付けだからだ。
こうした正統的周辺参加モデルにおいては,新人(学習者)にとって学習は,仕事の中の日常的行為に埋め込まれたものであり,「学習-仕事」という対立概念は存在しない。(中略)共同体の実践活動に参加するときに,学習者が意識しているのは,知識やスキルの習得などシステマティックに細分化された目的ではなく,トータルな意味での実践活動における行為の熟練だ。傍目には「新人が知識を身に着けた」とか「新人が重要な問題点に気づいた」というふうに見えても,学習する本人は「いい仕事をしよう」と思っているだけで,「今,自分は学習している」とは考えていない。
そんなのは職人の世界やブルーカラーのだけだと言われるかもしれない。しかし,中原はこう言っている。
正統的周辺参加モデルはホワイトカラーの職場にも見られる。人がよく育つと言われる職場では,一人の課長がぐいぐい引っ張るというよりは,メンバーそれぞれの成長度合いに合うように仕事をうまく配列されていて,相互に助け合いの関係がある。そういう職場や職場内の関係をつくることも,「教育者」としてのマネジャーのお役割ではないかと私は思う。
ここから,二つのことを連想する。
ひとつは,職場長は,その職場の風土そのものだ,ということだ。風土が変わると職場が変わる。
ふたつは,かつて,ある百貨店の,全新人の10年後をフォローした調査で,入社3年間についた上司で,その新人の成長度(伸び白)というか,出世が決まる,と言われたことがあった。その職場の上司が,新人に何を教えたかだ。
ジーン・レイヴ,エティエンヌ・ウェンガーは,言う。
学習を正統的周辺参加と見ることは,学習がたんに成員性の条件であるだけでなく,それ自体,成員性の発展的形態であることを意味する。私たちはアイデンティティというものを,人間と,実践共同体における場所およびそれへの参加との,長期にわたる関係であると考える。
そこで得られる知識も大切だが,「共同体と学習者にとっての参加の価値のもっと深い意味は,共同体の一部になるということにある」のだ。
訳者の佐伯胖さん,全ての学習がいわば「何者かになっていく」という,自分づくりなのであ」る,と言っている。とすると,「場」が,そういう人を作り出していくのでなくてはならない。
そういう機会はいっぱいある。たとえば,すぐれたコーチやカウンセラーを見ていると,自分の勉強会を自分がやっていたのが,そこで学んだ人が,今度は自分が代わってその場を運営したり,外へ新たな会を横展開させたりしている。それも,「リベリアの仕立屋」バージョンといっていい。
自分はいま,本当に学びたいことがいっぱいある。しかし,しなくてはならないと感じていることも一杯あってなかなか全てには出つくせないが,そういう「場」を見つけることだけでなく,(いまさらめくが)そういう「場」づくりを手伝うことにも,目を向けてみたいし,それをやってみたいと思っている。それがまた自分の成長につながる,という気がしている。
参考文献;
ジーン・レイヴ&エティエンヌ・ウェンガー『状況に埋め込まれた学習』(産業図書)
中原淳・金井壽宏『リフレクティブ・マネジャー』(光文社新書)
今日のアイデア;
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