2014年01月05日

素朴信念



高橋惠子『絆の構造』を読む。

われわれは,人との関係,家族との関係について,多くの常識というか,先入観を刷り込まれ,それに縛られて自縄自縛に陥っているところがある。本書は,それを改めて解きほぐしていこうとしている。

著者は言う。

本書では,それぞれの人が現在持っている「人間関係」,ひととの「絆」の「仕組み」を検討することを提案している。その「仕組み」が実は興味深い「構造」をなしていることを明らかにすることで,それぞれの人が自分の人間関係の内容を知り,ユニークなオーダーメイドの絆の再構築をするヒントになればうれしい

と述べる。それは,逆にいえば,多くの人が,オーダーメイドではなく,お仕着せの人間関係観,家族観に拘束されている,ということでもある。そして,

人は,誰とでも同じように,無差別につながれるわけではないのである。…一生涯にわたって,人は周りの人びとの自分にとっての意味,つまり,安心・安全をもたらす人,行動を共にしたい人,困っていたら助けてあげたい人などを区別しながら,自分にとって好きで有効な数人を選択しているのである。(中略)注目すべきは,表現された対人行動ではなく,各人が持っている頭の中のプログラムなのである。このプログラムは,複数の重要だと選択されたメンバーで構成されているが,彼らは雑然とそこに入れられているのではなく,各メンバーにはそれぞれ心的役割が振られ,整理されているとするのが妥当である。そして,あるメンバーの役割は別のメンバーの役割と関連し,ネットワークをなす構造を持つと考えるとよさそうなのである。

大事なことは,人間関係に,こうあるべきだ,こうでなければならないという価値や常識,イデオロギーにあるのではない,人は,自分が生きるために,人との関係を選択し,自分の関係を創っていくことができる。あるいは現にそうやってつくっている現実の関係を認めることだ。でなければ,強制でしかないし,拘束でしかない。

たとえば,「絆」はいいものだという神話について,

「絆はよいものだ」「人は絆を持つのが当たり前だ」とし,さらに,「もっと親密で,しかも,自然な絆は親子・家族間のものだ」「母子の絆が絆の原型だ」

という常識や思い込み(「素朴信念」と著者は言う)に苦しめられている人が多いのではないか,と著者は問う。マストになった瞬間,そうでない人を異常にする,あるいは異常ではないかと悩まされる。それでは,

オーダーメイドの人間関係をつくるうえでの障がいになるのはなにか。

まずは家族について。311の後,絆の大合唱が起こったが,朝日新聞の調査では,

危機に瀕して,実際に(家族との)関係が深まった,

というひとは三割に満たない。

家族が困ったときに助けてくれる愛ある共同体であるというのは根拠のない思い込み,つまり,神話なのだと思い知らされる,

と著者は言う。しかし,国のすべての制度は,「標準家族」というものをベースにしている,世界でも例がない仕組みを取り続けている。つまり,社会的なリスクを担う,最小単位のセーフティネットとされているのである。

それは,

夫が主たる稼ぎ手で,妻が専業主婦で家事・育児を受け持つ

という生別役割分担を前提とした「男性稼ぎ主型」で,それが,家族のあたりまえの生活,子どもの育児・教育,老人の介護などの生活・福祉をスムーズに実行する社会の単位とみなされている。だから,

すべての人は標準家族に属するという前提に立ち,市民ひとりひとりが社会の単位,

とはみなされていない。税制,健康保険,介護保険,企業の賃金体系まで様々な風習に至るまでが,それで貫徹されている。

しかし,標準家族は三割に満たず,一番多いのは,単身世帯で35%程度,夫婦のみの世帯が二割,一人親世帯が一割,二世帯は,微々たる数でしかない。しかも生涯結婚しない人も,増え続けている。

標準家族ではない人が,七割を占めているのに,家族主義を前提にして施策が進められ,多くが不利益だけではなく,

幼い子供は母親の手で育てるべきである,

という素朴信念が,逆に女性に生むことをためらわせ,自分の人生を諦めさせられたくない,

という事態を生み,少子化の遠因になっている,と著者は言う。では女性を拘束する,

幼児期にしっかり育てなれば取り返しがつかない,

乳幼児の経験が後の人生を決定する,

というのは,本当なのか。著者は言う。

人間の発達には柔軟性があり,取り返しがきき,その人がやる気になった時が,発達の適時なのである。親に虐待されて不幸な乳幼児期を贈らざるを得なかった子どもがその後に十分な養育・教育を受けて回復したという事例

が増えてきたという。つまり,

乳幼児期の発達から将来を予測することは難しいこともわかったきた

のである。どう考えていも,90年に及ぶ人生の中で,わずか三年間が決定する,というのは納得できない,という著者の言葉に賛成である。

では母子関係は特別なのか。その根拠に使われているのが,イギリスのジョン・ボウルビィの「愛着理論」である。ボウルビィは,

人類には生存を確保するために,強い他者に庇護を求めるというプログラムが遺伝子にくみこまれるようになった,

とした。愛着とは,

「無能で無力な人間」が「有能で賢明な他者」に生存,安全を確保するために擁護や援助を求めること,

と定義される。ボウビィルは,その「他者」に母親を重視した。しかし,著者は,最晩年ボウビィルが,「母親が働きに出るのは反対だ」と発言したことを例に,

家父長制イデオロギーがボウルビィルの科学者としての者を狭めた,

と言い切る。そして,サラ・ハーディの研究結果に基づいて,

人類を含め類人猿では母親になっても育児をするとはかぎらない。母性本能は疑わしい…。母親になることには学習が必要である,母親以外が養育する事例が類人猿に広く見られる…,そして類人猿の雌も幾次と生産活動を両立させている…。

と指摘する。そして,

母子関係は大切ではあるが偏重する必要はない。

とも。つまり,母性本能というのは,社会的文化的に刷り込まれた結果である,ということである。

著者が最後に紹介する,カーンとアントヌッチの,

コンボイ

という,サポートネットワークの測定法がなかなか面白い。

面接調査によって,

同心円に,中央が自分,その外に,最も大切な人,その人なしに人生が想像できない位親密に感じている人,その外に,親しさの程度は減るがなお重要なな人,一番外の円に,それほど親しくはないが重要な人を,挙げてもらう。

次に,それぞれの人を上げた理由,どう重要なのか,を聞く。

著者は,8歳から93歳までの1800人余りの面接調査を試みている。三つのうん平均で七~八人,そこに出るのは,

他者に助けられつつ,自分らしくあるという自立を手に入れるうまい仕組みだといえる。なぜなら,誰か一人に全面的に左右されずにすむ。つまり,誰かにすべて依存することはない。その上,誰がどのように有効なサポーターであるかがわかっていれば,あるサポートが必要になった時にあわてなくてすむ。

という自分で選んだネットワークなのである。重要なのは人数ではない。

自分が選んだ大切な役割・意味を持つ人々を構成メンバーとする人間関係の中で暮らしている,

ということなのだ。それを更新しながら生きている。大事なことは,母親が重要な存在ではあっても,子どもたちにとって,

重要な他者の一人であるというのが正しい,

ということなのだ。父親や祖母が愛着の一番手として挙がることものである。

気づくのは,日本の根強い素朴信念が,多くの呪縛や心の病をもたらすということだ。そのほとんどは,家族を主体とする政策やイデオロギーによる拘束でもある。そして,いま,その家父長制イデオロギーというか,家族主義が復権されようとしている。「おひとりさま」(上野千鶴子)が大勢なのに,である。

現実と政治家のイデオロギーのギャップの中で,子どもの貧困率は16%になろうとし,実に子供の,6~7人に一人が貧困状態にあるという,先進国の中でも政治の貧困が際立つ。それは標準家族という幻想(イデオロギー)の上に立つ政策が,そこからこぼれていく一人親家族の貧困を放置している(見捨てている)結果でもある。

アンシャン・レジュームというイデオロギーの妄想の中,いまも子供が貧困の中死んで行く,こんな「美しい国」が何處にあるのか。激しい怒りを感じつつ,ドストエフスキーがカラマーゾフの兄弟の中で子供の悲劇を指摘していたことを思い出す。あれは,19世紀の話なのだ。21世紀になってもこの体たらくなのだ。

そう思うとき,絆自体が,イデオロギーとして使われたのだと思い至る。



参考文献;
高橋惠子『絆の構造』(講談社現代新書)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




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posted by Toshi at 04:54| Comment(0) | 政治 | 更新情報をチェックする