2014年01月31日

手紙



考えれば,手紙というのは,そこにわずかでも,手書きの部分があれば,その人柄がしのばれる。宛名や差出人名すら,本文がワープロであっても,わずかな手書きの手筋で,その人の状態や心理が窺える気がする。

ちょっとネットで別のコトを調べていたら,長田弘「すべてきみに宛てた手紙」に,こんな文章があることを知った。

書くというのは,二人称をつくりだす試みです。書くことは,そこにいない人にむかって書くという行為です。文字をつかって書くことは,目の前にいない人を,じぶんにとって無くてはならぬ存在に変えてゆくことです,

と。しかし考えれば,書くという行為は,書いた瞬間に,自分にとっても情報として入ってくる。その時,暗黙のうちに,自分は読み手となり,無意識で読み手となっている誰かを想定しているところがある。

かつて,日記を何十年も書いていた時,頭の中で思っているだけと,それを文章にして紡ぎ出したものとは,微妙な齟齬があった。描いた瞬間に,書きながら,書き手自身がそれを読み,暗黙のうちに,前後の辻褄を合わせようとしている。それが虚実皮膜のはじまりである,と思ったものだ。

そのとき,ただきちんと書こうとしているというだけではない意識が働いていた気がしないでもない。

思い出すと,日記でも,メモでも,それが込み入ったことであればあるほど,その経緯がわかるように書こうとしているところがあった。もともと書くということは,思いや意識を整理しようという意志が働いているせいもあるが,なんとなく後から読んでもわかるように,という意識が働いている。

そのとき,無意識で,対象として,

誰か読者を想定している,

というのと,

いまひとつ,

自分自身を読み手として想定している,

というのがあるような気がする。

誰が,と特定できるわけではないが,いまでも覚えているが,自分が死後,誰かがそれを読んだとしたら,ということが,ちらりと頭をよぎった気がする。そう考えて,描写に抑制が働いたのと,きちんと書こうとする志向が働いたのを覚えている。

もうひとつは,書きながら,思い描いていたのは,後から自分が読むということだ。すごく極端な言い方をすると,その自分は,それを考えていたちょっと後の自分であるのではないか。それを目にする自分にとっては,すでに,過去の自分なのである。その過去と瞬間のいまの自分との対話,といってもいい。

考えてみたら,書いた瞬間,思っていた自分とはタイムラグがある。その前の想いと,書かれたものとの間の微妙な齟齬は,そこにもある。

そのキャッチボールが,文章を文章として独立させ,頭の中のもやもやしていた思いが,整理された面がある半面,少しずつずれていく,という感覚がある。

もちろん長田弘の言っているのは,上述の後段で,

いずれも,目の前にいない「きみ」に宛てた言葉として書かれました。手紙というかたちがそなえる親しみをもった言葉のあり方を,あらためて「きみ」とわたしのあいだにとりもどしたいというのがその動機でした。これらの言葉の宛て先である「きみ」が,あなたであればうれしいと思います。

と,本当の読者を想定しているのではあるが,書いているときに,暗黙に,誰かが想定されなければ,書き出しの動機にはならないのかもしれない。

とすると,手紙は,すでに,その相手に向かって,直線的に,暗黙のリンクをつなげようとする意志そのものといってもいい。

それがラブレターでも年賀状でも儀礼的な礼状でも,結果として,思いの多寡はあるにしても,その思いのワイヤー(レスも含め)をつなげることだ。

その意味で,メールよりもちろんだが,電話よりも,太い意思に思える。

なぜなら,ただ印刷されたものであっても,宛名が書かれた瞬間には,それがつながるのであり,ましてそこにわずか一行が手書きで書き加えられれば,それはもっと強い。

なんとなく,ふとそんなことを思っているうちに,

あゝおとうとよ,君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

という与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を思い出した。これもまた直接的なものだが,しかし,すべての作品は,手紙以上に読み手を意識しているはずだ。それが,特定の誰かであるほど,その作品の持つメッセージ性が強くはなるにはちがいないにしても。

上記の長田弘の文章がもうひとつ。

ひとの人生は,やめたこと,やめざるをえなかったこと,やめなければならなかったこと,わすれてしまったことでできています。わたしはついでに,やめたこと,わすれたことを後悔するということも,やめてしまいました。煙草は,二十五年喫みつづけて,やめた。結局,やめなかったことが,わたしの人生の仕事になりました。―読むこと。聴くこと。そして,書くこと。物事のはじまりは,いつでも瓦礫のなかにあります。やめたこと,やめざるえをえなかったこと,やめなければならなかったこと,わすれてしまっとことの,そのあとに,それでもそこに,なおのこるもののなかに。

これは,誰に向けたものなのか,僕には,自分自身に向けたメッセージに思えてならない。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




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posted by Toshi at 04:57| Comment(2) | 表現 | 更新情報をチェックする