2014年02月21日

台詞


先日,柳家さん生独演会「落語版・笑の大学」をうかがってきた。

正直に言うが,僕は,『笑の大学』の三谷幸喜氏が,嫌いである。彼の無器用なところが,誠に僭越ながら,自分を見るようで好きになれない。

古くて申し訳ないが,別役実の『にしむくさむらい』の発明家のもつブラックユーモア,つかこうへいの『熱海殺人事件』の冤罪取り調べのパロディ,同じく『いつも心に太陽を』のホモセクシュアルマインドのあっけらかんとしたユーモアに比べると,生意気を承知で言わせてもらうと,はっきり言って,いまテレビでやっているどたばたの笑いに似て,薄いギャグ(あけすけに言うと,軽薄そのもの),本人がまじになるほど,引いてしまうオヤジギャグ程度に思えてならなかった。特に,僕の中では,風間杜夫,平田満のコンビの『いつも心に太陽を』は,全編,劇場全体が笑いで揺れ続けたという記憶で,僕の中では,芝居の笑いというものの原点のような作品だ。ついそれと比較してしまう。

芝居の,『笑の大学』は,中で連発される「猿股失礼!」クラスのギャグのオンパレードに,誠に失礼ながら,最後にはあくびが出た。

さん生師匠には申し訳ないが,その「笑の大学」が,どんなものになるかという,覗き見趣味で伺ったというのが正直なところだ。。

ところが,である。僕個人としては,落語版によって,

「笑の大学」

はところを得た,感じなのだ。

考えてみれば,その役割を演じている,あの検閲官と脚本家のやり取りは,大家さんとはっさんのやり取りそのものなのだ。

舞台という三次元空間の中では,会話が軽すぎたのかもしれない。

終始,検閲官向坂と脚本家椿二人が対峙して,丁々発止と,脚本のダメ出しをし,それに抵抗しつつ書き換えていく,ということの繰り返しで構成され,最後は,両者の位置ががひっくり返る,というか,検閲官が脚本家のようになっていくというのが落ちなのだが,本来の緊張感が,会話の中身とギャップがあり(そこが笑いの根拠なのだが),あくまで僕の印象だが,役者が示す対峙の姿勢(というか芝居)と台詞の軽さ(軽妙さとはちょっと違う)とのギャップがあり,どういったらいいか,通りすがりに井戸端会議を聴いているくらいの感じなのである。

やり取りの軽さは,検閲箇所をギャグで返すということで,緊張感を軽くかわしていく,そういう会話になっている。そういう意図なのだと思うが,二人の存在の対立に見合う,台詞になっていない気がしてならない。

そのせいかどうか,両者の背負っている背景が,よく見えてこない。ただ,座付の作家と検閲の担当官という,ここでの両者の会話だけが,言葉の空中戦をしている感じなのである。だから,一人の向坂と,一人の椿ではなく,座付き作家と検閲官という,しつらえられた役割が,会話を交わしているようにしか見えない。だから,言葉の空中戦という言い方をした。

そこでは,椿という人間の重みも,向坂という検閲官の人間の重みも,感じられないまま,空中の言葉だけが,丁々発止とぶつかり合うだけなのだ。そこで,喋っている,向坂というの人間も,椿という人間も,他の誰でもいい,仮にその役割に名前がついているだけという感じなのだ。だから,役割が会話している,というのである。

もうひとつ別の視点で感じたのは,ここでは出来事は,

二人の存在の対峙と

二人の会話と,

二人の会話に出てくる出来事,

しかない。とすれば,台詞ひとつひとつが,なんというか,この芝居では,もうひとつの重要なポジションというか,役割,あえて言えば,登場人物でなくてはならない。しかし,空中戦の会話は,どちらかというと,ギャグの連発のように軽い。というかあえて軽くされているのかもしれない。

その意味で,芝居という三次元空間では,交わされる台詞が,漫才師のボケと突っ込みのように軽いジャブの応酬になっていた。

しかし,というか,だからというか,これが,落語に変わると,そのジャブの応酬が生きてくる。

台詞が対抗すべき役者が存在しないことによって,台詞そのものが,蘇ってくる。

そう,落語という舞台装置に,ぴったりだと,逆に感心した。構成の難は,難として,残るにしても,逆に,「猿股失礼」的なギャグが,中空にかろやかに浮きあがってくるのがおかしい。

噺家が顔の向きだけで,演じ分ける,それにちょうど釣り合う台詞の重さだった,という気がするのだ。落語版とされた慧眼に,逆に感心する

落語というのは,噺家一人が語り出す世界に,聴き手が勝手に,心の中に世界をイメージする。舞台ではそこに存在する役者に対抗できなかった台詞が,対抗者をなくすことで,台詞世界の独立性を得て,噺家の語りに載せて,ふんわりと自在に飛び交った。

くすぐりやオヤジギャグが,不思議に,伝わってくるのは,言葉遊びというか,言葉のずらしを基本にしたジョークだからだ。だから,大笑いというより,くすり,と笑う。そういう会話になっていることが,活きている,と感じた。

あえて言うと,あれがもっと狭い寄席的な空間だと,もっと笑いが凝縮された気がする。広すぎて,少し笑いが散発に,というか受信感度にタイムラグがあるために,笑いの発信にもあっちこっちと場所を飛ぶというタイムラグがある。お互いの距離が近いと,もっと反応が凝集するという気がした。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm


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2014年02月22日

現出


先日,【第3回 表現の世界で生き続けている人は日々,何を想っているのか(アート・漫画・演劇 クロストーク)】
に伺ってきた。

https://www.facebook.com/events/1392994380956040/

「表現の世界」で活躍される,

アートディレクターの竹山貴さん
女流漫画家の渡邊治四(ワタナベジョン)さん
元俳優で今は作家・エッセイストの飯塚和秀さん,

の,それぞれ10年以上のキャリアを誇る,三人のトークライブである。

今回,(三人の方々から出された)テーマは,

表現とメンタルの関係
アイデアを具現化する方法
やめたくなったことは

等々。三人の話を聴きながら,自分の中で,

表現の意味,
アイデア着想の仕組み,

ということに,いろいろ思いが駆け巡ったので,そのあたり,僕のうちで起きたことを書きとめておきたい。

表現というのは,内なる,

思いの,
イメージの,
感情の,
アイデアの,
物語の,
思考の,

現出化である。

もう少し踏み込むと,カタチにして,この世に出現させることである。そのためには,自分のうちにあるものを客観化しなければできない。因みに,労働とは,能力の現出化である。能力とは,知識(知っている)×技能(できる)×意欲(その気になる)×発想(何とかする),である。発想がなければ,単なる前例踏襲である。

例えば,怒ることと怒っている感情を表現することとは別である。とすれば,どういうカタチで現出させるにしても,自分の怒りそのものを対象化することが出来なければ, 表現はできない。つまり,怒りの瞬間に,

バカヤロー,

と怒鳴ることはできるが,

僕は(バカヤローと怒鳴りたいくらい)怒っている,

というカタチで言語表現できる人はそう多くない。それは,自分の感情そのものに距離を置かなくてはならないからだ。距離が置ければ,その感情が,

憤慨なのか,
激怒なのか,
憤激なのか,
憤懣なのか,
瞋恚なのか,

の区別がつかない。情報とは差異だから,区別がつかないことは,丸まってしか表現できない(脳はやっかいなことに丸めるのは得意技)。逆に言うと,具体化するとは,実は,選択肢を広げることなのだ。林檎というのと,デリシャス,シナノスィート,紅月,国光,白龍,アキタゴールド等々というのとでは,広がる世界が違う。具体化できれば出来るほど,選択肢が広がるのである。

メンタルコントロールが話題になっていたが,表現は,そもそもメンタルをも対象化するという意志がなければできない。悲しんでいる時も,その悲しみを表現しようとしてしまうだろう。

アイデアについては,前にも

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163403.html

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163041.html

等々で触れたことがあるが,何かひらめいた瞬間,

0.1秒,脳の広い範囲が活性化する,

と言われている。それは,自分のリソース,

意味記憶
エピソード記憶
手続き記憶,

の他,感覚記憶など,広い範囲のリンクがつながるということだ。つまり,アイデアがひらめくのは,いつもとは違う何かとつながることで,

そうか,

とアッハ体験が生まれる。とすれば,いろんな人に会う,いろんな場にいていろんな体験をする等々,いかに多様な刺激を脳に加えるか,ということに尽きる。それは,自己完結させない,ということが重要になるからだ。ブレインストーミングが有効なのは,自分の思考の癖と違うところ(人の発想)から刺激をもらうからだ。

だから,歩いていたり,人と会っていたり,何かを読んでいたり,と違うことをしている時に,ハット思い浮かぶのは,脳は,いったん問題意識,というか?を入力しておくと,勝手に考え続けるところがある。それが,外との刺激にか,脳内の別のものとにか,リンクがつながり,はっと気づくということになる。

アイデアの出し方には,それなり独自のやり方があり,

メモをKJ法並みに整理していく飯塚氏
問題意識(問い)を温めていく竹山氏,
違和感をシーズにする渡邊氏,

と三者三様だが, 川喜田二郎氏は,創造性をこう定義した。

本来ばらばらで異質なものを意味あるようにむすびつけ,秩序づける。

異質なものを組み合わせて,そこに意味を見つければいい。ハッとするというのは,つながる感覚である。つながった,と感じたのは,そこに一筋の意味が見えたということだ。

ただ,発想は,おのれの,

知識と経験の函数,

でしかない。自己完結する中には,アイデアの光明はない。

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm


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2014年02月23日

もっともらしさ


ベンジャミン・メイズというアメリカの教育者は言う。

人生の悲劇は,ゴールに到達しなかったことにあるのではない。
悲劇はゴールを持たないことにある。
理想を実現できないのは不幸ではない。
実現すべき理想がないことが不幸なのだ。

僕はへそ曲りだから,疑う。本当か。

悲劇というのは,本人が嘆いているのか,周りがそう言っているのか。
不幸というのは,本人が悲しんいるのか。周りがそう評価しているのか

悲劇というのは,何を基準に言うのか。喜劇ならいいのか,ハッピーエンドならいいのか。では,何を指してハッピーエンドというのか。

不幸というのは,何に対して言うのか。幸せとは何をいうのか,不幸と幸せを分ける基準なんてあるのか。

何をした人か知らないが,

上記の文章は続く。

星に到達できないのは恥ではない。
到達すべき星を持たないのが恥なのだ。
失敗ではなく,理想の低さが罪なのである。

人は結局自分を語っている。そう本人が,不幸と思い,悲劇と思っている,ということを語っているにすぎない。

基本的に,「~と僕は思う」という,主語(ベンジャミン・メイズ)が抜けている。こういうのを,(時枝誠記氏の言う)ゼロ記号という。僕は,ゼロ記号化された語りを基本信じない。

これについては,

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0924.htm

で,「言葉の構造と情報の構造」ということで語ったことがある。日本語が主語がないのではない。日本語が強く文脈に依存しているからにすぎない。必要としないだけだ。必要とするときに,言わなければ,信頼されないだろう。英語であっても事情は同じだ。(一般化ないし原則として語るような)意図を持った語りは,必ずゼロ記号化される。

そういうときは用心した方がいい。

僕は生来の怠け者らしく,昔,先輩から,

のんべんだらり,

としていると,結構厳しく叱責された記憶がある。なぜなのか,僕は,それを,

何となく無為に過ごす,

と受け止めて恥じたが,しかし考えたら,なぜ恥じなくてはならないのか,といまなら思う。

僕は不精ではあるが,のんべんだらりというだらしなさはないと,いまでも思っている。どちらかというと,自分では,

のほほんとしている,

という方が当たっている気がしている。のほほんは,無頓着だけれども,無為に生きているわけではない。

ゴールなどという大層なことは考えない,
まして,
理想などということを考えない。第一,ゴールは,あくまでゴールで,その先には別のゴールがある,ということは,それはゴールではなく,通過点でしかないではないか,という茶々入れないが,そう思うと,ゴールなんぞで,悲劇だの喜劇だのと言われたくはない。

人生自体には目的はないかもしれない。

生体としての人は,ただその天寿,あるいは遺伝子の持つ可能性を全うすることが目的と言えば言える。そこには,おのずと,その人生を生きる役割があるはずだ。その意味で,ゴールは,そういう役割の手段に過ぎない。そんなものの有無で,悲劇なんぞと言われてはかなわない。

理想だってそうだ,理想,どういう理想なのか,その中身は問わないにしても,理想の有無だけで,幸不幸を忖度されてはかなわない。それこそ大きなお世話というものだ。

何のための理想なのか,

こそが大事なので,理想の有無なんぞ,何の価値基準にもならない。

大体が,こういう格言だか名言だかを,人を測る物差しにされては,迷惑だ。

人は,人の数だけ尺度が違う,人は自分の人生と自分の天寿を持つ。それを,誰それの尺度なんぞで測ろうなんて,ふてえ料簡というものだ。

だから,タイプだの性格診断だのを信じない。人の数だけ人の特性があり,それをタイプに押しはめたら,かならず,そこからはみ出すものがある。それを見ない人は,たぶん,タイプの眼鏡でしか人が見られない人だ。人の個性とは,誰も,タイプからはみ出す。そのはみだしたところにこそ,その人の持つ大事な何かがある。

そういう信念のない人は,自分だけあてはめていればいいのである。人さまのことを推し量る資格のない人だ。僕はそう思っているし,僕は,そんなタイプにはまり込むほど,典型的な人間ではない(と信じたい)。

人は,人の数だけ尺度がある,そういう信念のない人間が援助職をしてはならない。


今日のアイデア;
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2014年02月24日

向き合う


柴山哲也『日本はなぜ世界で認められないのか』を読む。

答は,ここにある,と思った。

著者は冒頭で書く,

…世界企業ランクと大学ランクの低迷ぶりを比較するだけで,日本の「失われた20年」の内容がはっきり見えるようだ。
日本はもう世界に冠たる経済大国でも技術大国でもない。下手をすると衰亡するに任せた国家ということになってしまいかねない。これこそ日本人の多くが直面せざるを得ない淋しい現実だということを,深く認識すべきなのである。

未だにモノづくり大国という。世界のどこへ行っても家電製品は,棚の隅に追いやられ,シェアは微々たるものになっている。そういう現実をきちんと見るところからしか未来はない。しかし,いまやられているのは,公共事業へのじゃぶじゃぶの税金の投入であり,円安誘導による企業の業績支援であり,武器三原則を放棄しての武器輸出である。それは,裏を返すと,日本は,重厚長大の,そんな武器にしか輸出の活路はないのか,ということなのかと疑いたくなる。

どうしてこんな体たらくになったのか。

著者は,さまざまな現実に向き合わず,糊塗してきた結果だと言いたいらしいのである。

福島の原発事故(ドイツでは汚染水漏れは事故と呼ばず原発スキャンダルと呼んでいるらしい)二度被曝した日本は,安全神話にすがったというが,実はそれだけではない。

…敗戦で植民地を失ったイタリア,ドイツが脱原発が進行した最大の理由は廃棄する処理場がないことだった。

と著者が指摘するように,小泉元総理の言う最終処分場がないままでは,原発は限界が来る,という現実を,政治家も,ジャーナリズムも,国民も,見ないふりをしてきた。本来,すでに行き詰っている,にもかかわらず,再稼働,新設へと舵を切ろうとしている。

米国第三代大統領のジェファーソンは,「新聞の批判の前に立つことのできない政府は崩壊しても仕方がない」といった。

しかし,日本では,沖縄密約事件もそうだが,新聞自体が,政府の矢面に立たない(立ちかけた毎日は,週刊新潮と世論によって倒産の憂き目にあった)。まして,政府は批判など,馬の面にションベン,解釈改憲で,人を戦場へ赴かせ,人を殺し,殺されるという状況を,実現しようとしている。そして,その事実に多くの国民は,目をそらしている。

すでに,津波前に地震で原発が破損していたという情報が出始めているが,かつて東電内部で,津波と原発への影響を分析し,国際会議に英文レポートとして報告されていたと言われる。それも,東電も政府も握りつぶしてきた。

著者は言う。

日本も民主主義を標榜しているのだから,たとえ政府や東電が嘘をつき間違ったことをしていても,メディアがしっかり監視していれば,国民へのダメージは最小限度に食い止めることができる…,

と。しかし日本のメディアは,記者クラブの囲い込みを出ない。記者クラブは,戦時下の,国家総動員法に基づいて
国家統合されたときにできた戦時体制の持続だ。いわば,大本営発表をそのまま報道する,というのに近い。いま,その悪癖から脱しているとは到底言えない。

著者は,自分の体験で,米国人も,中国人も,韓国人も,

いくら金持ちになっても,過去の罪から逃げている日本人を心の底のどこかで軽蔑している,

と。たとえば,

そうしないと,広島,長崎の被爆の歴史も相手にはなかなか通じなくなる。原爆投下は自業自得ではなかったか,という反論に出会っても,沈黙せざるを得なくなることがある。

真珠湾奇襲は,アメリカ人にとって,パールハーバー・シンドロームとして,何かあると,湧き上がってくる。9.11では,「第二のパールハーバー」と,ニュースキャスターが叫んだ。ことほど左様に,

普段の米国人は日本人に対して,…敵愾心は持っていない。…しかし自動車摩擦や経済摩擦がこじれたときや日本製品がアメリカ市場を席巻して米国の労働者の雇用などにつながったりすると,,米国のパールハーバー・シンドロームは突如,再燃する。

しかしわれわれ日本人は,ほとんど奇襲やパールハーバーでの戦死者のことを思い出しもしない。ただの手違い程度だと思っている。

本当にそうか。誰も真摯にそのことを突き止めようとはしてきていない。真珠湾奇襲についてさえ,これである,他は推して知るべしだ。

本当にそれでいいのか。著者は問う。

それにしても日本はなぜ大東亜戦争を始め,なぜあのような無残な敗北を喫するに至るまで戦争をストップさせることができなかったのだろうか。その根本を問うことが,今こそ必要になってきた。
実は,日本の戦争責任は連合国による東京裁判で裁かれてはいるが,日本自身の手によって総括したことはない。このことは,日本が国際的に認められない最大の原因になっている。

と指摘する。最近ドイツでは,収容所の看守が逮捕された,というニュースが流れた。90歳を超えている。その姿勢である。かたや,日本では,A級戦犯が首相になっいる。この違いは大きい。

90年代の「失われた十年」は,二十一世紀にはいると,「失われた二十年」へと延長され,2010年代になると,「失われた三十年」が取りざたされるようになった。

しかし,政府も企業も,非正規雇用を増やし,人件費削減にただ走り,結果として,人材を枯渇させ,あらたな事業開発が鈍化し,さらなるリストラに走り…と,ただ貧困を増幅しただけだ。

海外諸国の目に対して鈍感で,海外からの批判にも耳を傾けず,自画自賛をくり返し,内部改革を拒否し続けた日本が,近隣の中国や韓国に追い抜かれるのは,当然の帰結だった。

著者の言は,耳に痛いが,今の現状を直視する王道以外,失われた何年を克服する手立てはない。しかし,いま政府がやっているのは,過去踏襲の公共事業による景気浮揚であり,お札の増刷によるデフレ脱却だ。

そうやって生き残るのは,もはや競争力のない古い体質の企業だけだ。本来体質改善すべきこの機に,先延ばさせているだけだ。企業の自己革新と体質改善を促すには,今のように,企業を甘やかす円安政策は,逆効果でしかない。

結局,明治維新以来,一度も自主的に自己変革したことのない体質は,今回もまた続くのではないか。しかし,それは,国の衰亡しか意味しない。


参考文献;
柴山哲也『日本はなぜ世界で認められないのか』(平凡社新書)


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2014年02月25日

考える


考えるというのは,自分で答えを出すことだ。自分だけの答えを出す。もちろん一人の頭で考えることだけを意味しないが,主体になって,答えを出そうとする。それが考えることだ,と僕は思う。

それは,問いから始まり,答えに至る。

如之何(いかん),如之何と曰わざる者は,吾如之何ともする未(な)きのみ。

と孔子の言う通,問答(自己問答だけではないが)が考えるの原点かと思う。

社会構成主義的に言うと,それは,関係性の反映,つまり,僕が人との関係の中で培ってきたものになるだろうが,個人的には,正解がどこかにあるかどうかは別に,場合によっては,現実に最適性あるいは妥当性を求め,場合によっては,自分にとって最も理にかなうことを,場合によっては,ぎりぎりの我慢できる限界を,それぞれ自分なりに求めていくプロセス,というふうに言えると思う。

時実利彦氏は,考えるとは,

受けとめた情報に対して,反射的・紋切り型に反応する,いわゆる短絡反応的な精神活動ではない。設定した問題の解決,たてた目標の実現や達成のために,過去のいろいろな経験や現在えた知識をいろいろ組みあわせながら,新しい心の内容にまとめあげてゆく精神活動である。すなわち,思いをめぐらし(連想,想像,推理),考え(思考,工夫),そして決断する(判断)ということである(『人間であること』)

と定義している。辞書的に言うと,

1知識や経験などに基づいて,筋道を立てて頭を働かせる。たとえば,判断する。結論を導き出す。予測する。予想する。想像する。意図する。決意する。
2 関係する事柄や事情について,あれこれと思いをめぐらす。
3 工夫する。工夫してつくり出す。
4 問いただして事実を明らかにする。取り調べて罰する。
5 占う。占いの結果を判断・解釈する。

となる。「考」という字の持つ意味は,

考える
調べる
試みる
永らえる
叩く
問う
正す
比べ測る,
究める
し遂げる

となるから,ほぼその範囲に入る。そういうプロセスを積み重ねることで,自分にとっての知識やノウハウになっていく。

野中郁次郎氏が,知識とは,

思いの客観化プロセス,

と言われたのが,僕には,ひどく気に入っている。「思い」を,「問い」と置き換えてもいい。なんなら,問題意識と置き換えれば,もっともらしくなる。そうやって自ら問い,その答えを考えた結果が,おのれの知識になっていく。

人間が考えるという,この思考活動の内面プロセス自体を明らかにしたのは,スイスの心理学者J.ピアジェであるが,

たとえば3,4歳の子供が遊んでいると,誰に話しかけるというのでもなく独り言をしゃべっている。
4歳女の子「この木にはね,おサルが上るのよ。おサルさんかわいいね,すうっと登ってすうっとおりるのよ」
4歳男の子「ハイウェーだぞ。メルセデスベンツが走るんだぞ,大きいんだぞ」
お互いに誰かと話し合っているわけでないし,人に聞かれているというつもりもない。ただ自分で自分が考えていることをどんどんことばにして,それを刺激にしてまたしゃべっている。これをピアジェは自己中心的言語と名付けた。

これは,思考プロセスそのものが外面化しているとみることができる。成長につれて,通常は独り言は少なくなって,
独り言が次第に聞き取れなくなっていく。それは,自分のためにしゃべっているのであって,別に文脈が整っている必要がないからであり,自分の内的会話と人とのコミュニケーション(社会的会話)とが分離していくということでもある。こうして言語が内面化されていく。すっかり内面化された言語を内語という。

これが考えるという内面的プロセスなら,考えるとは,自己対話と言い換えてもいい。

成人でも,非常に集中したとき,無意識でものを考えながら独り言をいって,自分で思考を方向づけたり,自分を励ましたりしいることがある。そして実はそれは言語だけでなく,たとえばそろばんが上手になると,そろばんをはじく仕草をしたり,頭にイメージを浮かべて暗算したりするように,動作や映像もまた内面化される。

こうした内面化した思考プロセスには,

①動作,行為およびそれらの内面化した過程
②知覚,経験およびその内面化したイメージ
③言語およびその内面化した象徴過程
④現実の因果関係の内面化した法則的論理

の4つがあるとされているが,これは成長のプロセスであると同時に,成人においては層をなしているとみなすことができる。だから,モノを考えるとき,われわれは,以上の4つのパターンを組み合わせているということができる。

動作,行為の感覚で考える,というのは,動作や行為の経験が内面化されている。いわば,動作や行為との対話と言い換えてもいい。必ずしも,自分のそれとは限らず,人の,プロのそれと対話するということもありうる。

動作を想像するとき,思わず躯を動かすということがあるのも,そのためである。ゴルフのスイングを想定するとき,肱の恰好や腰の据わり方を,思わず躯を動かしながら,あれこれ考えている。これは,自分の躯の動きが頭の中にしまわれている(内面化されている)というふうに考えられると同時に,しかし自分が頭で考えるほどに躯は動いてはくれないという事態も生ずる。

イメージで考えるというのは,知覚・経験の内面化したイメージがあり,これも,自分の記憶との対話だけではなく,見た映像や写真というものとの対話も含まれる。それで内側を見たり,裏面を想像したりする。それは映像化された知覚経験の蓄積といったもの,いわばビジュアルなものとのつきあわせである。こうした映像的な思考,あるいはパターン化した思考は,直観につながっているように思う。

言葉で考えるというのは,言葉,つまり意味や文脈で物事を考えたり,判断したりする。成人のわれわれはほとんど言葉,あるいは概念でモノを考えているといっていい。「知っている」というとき,大体「その意味を知っている」といわれるが,もっている言葉で現実を見る眼が変わる。違った意味に見える,ということである。同時に,ソシュールの言うように,言葉は(現実とは関わりなく,あるいは切れても)言葉だけとリンクしながら,そのつながりの流れ自体で意味を創り出すことがある。

理屈・論理で考えるというのは,現実を因果関係や法則で判断する。学んだ知識・経験によって,ものごとを推理したり,類推したり,演繹したりする(こうすれば,こうなる。こういうときは,こうなるはずだ)。これが知識の力といっていい。こうなるのが当たり前,というわけだ。ロジカル・シンキングのロジックツリーがどれだけ整合性があり,論理の筋が整っていても,現実にマッチしないことがあるように,言葉以上に,論理のみの筋道だけで,ロジックが出来上がっていく。

こういう思考のプロセスを積み重ねて,ものを考える枠組が形成される。それには,次の四つがある,とされる。

①自分はどういうときにどうするタイプの人間かという自己(の可能性,傾向の)についての自画像
②ある状況ではこういうことがおき,こういうふうになるであろうという,行動や出来事の連鎖についての経験知
③かくかくの状況・立場ではこういう役割や行動が期待されているという状況への認知イメージ
④人間はこういう性格と傾向があるといった経験知
⑤こうなればこうなるだろう,あるいはこうなればこういう結果になるだろうといった,因果関係の図式の認知

つまり,モノを考えるということは,こういう自分なりの思考の枠組みができているということにほかならない。これによって,その人なりのモノの見え方,見えるものが決まってくる。

しかしである。それは,

こうした思考の枠組が,

世界を安定し,扱いやすいものにし,
私たちに突然襲いがちな予想外の出来事の数を減らし,
生活に生ずる目新しい出来事を飼い慣らし,
新しいものを既知のものに結びつけようとする

ということにほかならない。そうなれば,通常よく知っているタイプの目印となる特徴に注目し,頭の中にいつも持っているステレオタイプによって残りを満たす。それは考えるとは言わない。

自己完結した思考回路は,堂々巡りをするか都合のいい解釈しかしなくなる。それを夜郎自大という。

例えば,フィリップ・ゴールドバーグ『直感術』におもしろい小話が出ている。

ある心理学者は,ノミに「跳べ」といったら跳べるように訓練した。
試みにノミの足を1本取ってみたが,まだノミは命令に従って跳べた。
2本とっても,3本取っても命令に従って,跳びつづけた。
やがて全部の足をとってしまったら,ノミは跳ばなくなった。
そこで,この学者は,次の結論を出した。
「足を全て失ったノミは聴覚をなくす」

ここに考えるということの自己完結さ,というか自己閉鎖した思考の滑稽さがあらわになっている。

僕は考えるというのは,独り言が出発点であったように,自己対話なのだと思う。しかし,本来,自己対話は,その人が生きている現実という文脈の上で成り立っている。ということは,自己完結した,閉鎖的な自己対話はほとんど病気である。生きているということは,人が現実と関わり,人と関わり,情報と関わり,メディアと関わり等々,その都度,さまざまなレベルで対話しつづけているということである。その対話があるからこそ,自己対話を豊かにする。

ミハイル・バフチンは,こんなことを言っている。

人びとは対話を通して,意味の中に生まれてくる

と,つまり,会話は,先行する発話によって意味の中に産み落とされる,それは二人の関係のなかでの会話で決まる。
言葉の意味は,新しい(関係という)コンテクストの中におかれるたびに微妙に変化し新しい言葉がつくり出される。

だから,考えるということは,生きるということが,現実との,人との,情報との,メディアとの,他国との対話である限り,その対話というか,その関係性を反映する限り,自己対話の対話相手(視点と呼び換えてもいい)は増え続け,多様化し,多声化して,成長し続けるはずである。しかし,自己完結した閉鎖的な自己対話は,妄想か空想に陥るしかない。

参考文献;
時実利彦『人間であること』(岩波新書)
相良守次編『学習と思考』(大日本図書)
フィリップ・ゴールドバーグ『直感術』(工作舎)
J.キャンベル『柔らかい頭』(青土社)


今日のアイデア;
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2014年02月26日

情報


情報を考えるとき,おおよその定義は,

①情報を量としてみようとするときの定義。シャノンやウィーナーに代表されるような,情報のコード化につながる定義である。
②生物に関わる情報の定義。たとえば,生命体の外界の刺激や視界に写っているものについて,生命体がどう受け止めるか。アフォーダンスとしてみるように,そこに有用か危険かの意味を見出すことになる。
③社会的なコミュニケーションに関わる情報の定義。この場合,データから言語情報まで含まれるので,コード化された情報から,状況に拘束されたモード情報まで,多様なものがある。

の三つに分けられる。しかし,個人的には,以下の三つを重視している。

●情報とは,「伝達された(る)何らかの意味」である。そのためには,3つの要件がある。情報の発信者と受信者がいること,伝えられるべき何らかの意味(内容)をもっていること,受け手に伝わるスタイル(様式・形態)で表現されていること。
コード化できる情報を「コード情報」と呼び,コードでは表しにくいもの,その雰囲気,やり方,流儀,身振り,態度,香り,調子,感じなど,より複雑に修飾された情報を「モード情報」と呼ぶ。(金子郁容『ネットワーキングへの招待』)

●情報とは,データに意味と目的を加えたものである。データを情報に転換するには,知識が必要である。(ピーター・F・ドラッカー『経営論』)

●情報の1ビットとは,(受け手にとって)一個の差異(ちがい)を生む差異である(のちの出来事に違いを生むあらゆる違い)。そうした差異が回路内を次々と変換しながら伝わっていくもの,それが観念(アイデア)の基本形である。
情報とは,(付け加えるなにかではなく)選択肢のあるものを排除するなにかである。(グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』)

そこから,情報の基本構造について,
・情報には,「コード情報」と「モード情報」がある。(金子郁容)
・情報とは,データに意味と目的を加えたものである。(ドラッカー)
をベースに考えるようにしている。その上で,「差異」に着眼する。人と同じところではなく,違っているところを見きわめる。。

では,情報の基本性格をどうとらえるか。

・自己完結している 抽象レベル(言語レベル)に丸められて,それの文脈・状況から分離されている
・言語化しないと情報にならない 情報は向き(意味づけ)を与えられている,というか向きが与えられなければ情報にはならない

そう考えると,情報は,ことば(数値も含めたコード情報)と状況・文脈(ニュアンスのあるモード情報)がセットになっている必要がある。言語化されるには,その人が受けとめた場面や出来事を意味に置き換えなくては言語化されない。しかしその言語を受けとめたものは,その人の記憶(リソース)に基づいて受けとめる。その意味の背後に,その人のエピソード記憶や手続き記憶に基づいてイメージを描く必要がある。ぶっちゃけ,情報を,

・時間的(いつ)
・空間的(どこ)
・主体的(誰)

に紐づけなくては,情報の自己完結した意味に引きずられる,ということになる。その情報を読むということは,,“そのとき”,“そこ”に限定し直すということなのである。本来情報は文脈依存だからである。

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0923.htm

でも触れたが,コード情報であれ,モード情報であれ,情報になるためには,発信者によって向きが与えられる。向きがなければ情報にならない。どんな場合も,出来事だけでは情報にはならない。その情報を発信してはじめて情報になる。そのとき,情報は,その人がどういう位置にいて,どんな経験と知識をもっているかによって,情報は,再構成される。つまり,“情報”は発信者のパースペクティブ(私的視点からのものの見方)をもっている。発信された「事実」は私的パースペクティブに包装されている(事実は判断という覆いの入子になっている)。逆に言えば,私的な向きがなければ,情報にはならない。

たとえば新聞記事情報を単純構造にして考えると,

・発信者(目撃者)による主観(発信者に理解された範囲で意味づけられた情報)
・報告者(伝聞者=記述者)による主観(記述者に理解された範囲で意味をまとめられた報告情報)
・受信者(読み手)による主観(読み手に理解された範囲で意味を読み込まれた情報)

となる。しかも,もう少し突っ込むと,その入れ子の構造自体が,

発信者
報告者
受信者

それぞれが,時間的,空間的に限定され,しかもそれぞれの主体の持つ知識・経験に限界づけられている。三重の,それぞれの発信者が,自覚しないで,それぞれのいる文脈に依存して,偏りを与えている,ということができる。

さて,ここからだが,情報自体の偏りが自覚できたとしても,自分自身の偏りは,なかなか自覚できない。

だから,情報は,二つの意味で,

自己完結してはならない,

と思う。

第一は,情報自体が完結しているのだから,単体で自己完結させない,

第二は,読み手である自分自身で自己完結させない,

ということだ。情報の読みは,ある意味で情報の編集である。編集,つまりアイデアを発想する原則は,

自己完結させない,

である。これは,情報にも当然当てはまる。




参考文献;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod05111.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm


posted by Toshi at 08:40| Comment(1) | 情報 | 更新情報をチェックする

2014年02月27日

謀略


鈴木眞哉・藤本正行『信長は謀略で殺されたのか』を読む。

鈴木眞哉,藤本正行両氏が,本能寺の変を巡る,百家争鳴ただならぬ中で,謀略説をまとめて撫で斬りにしている。まあ,気持ちいいくらい,一刀両断である。因みに,藤本正行は,桶狭間の奇襲説を,『信長公記』を読み込んで,正面突破と初めて主張した人だ。いまそれが定説になりつつある。

もともと戦前は,明智光秀の単独犯,

を,あまりにも自明の事実として,

ほとんど謀略説はなかった。そこへ,例えば,

足利義昭黒幕説
イエズス会黒幕説
朝廷黒幕説

を代表に,

明智光秀無罪説,羽柴秀吉黒幕説,徳川家康黒幕説,毛利輝元黒幕説,長宗我部元親黒幕説,本願寺黒幕説,高野山黒幕説,酒井証人黒幕説等々,

まあ後を絶たないというか,こんなに日本人は,謀略だの黒幕だのが好きなのかと思うほどだ。

そこで著者らは,

本能寺の変の実態を再検討する,

ことから始め,それを踏まえて,

個々の「謀略説」が成立するものかどうかをチェック

し,そのポイントに,

実証性があるかどうか,

をおいた。そして,

それぞれの説が論理的な整合性をもっているかどうかも重要だが,単に表面上,理屈があっているかどうかでは足りない。常識的にみて納得できるかどうかが問題あある,

とする。しごく当たり前で,オーソドックスなアプローチだといっていい。素材は,『信長公記』だけでなく,本能寺襲撃に加わった明智の下級武士の覚書,「本城惣右衛門覚書」,ルイス・フロイスの『日本史』等々。

そして,「謀略説に共通する五つの特徴」として,こうまとめる。

①事件を起こした動機には触れても,黒幕とされる人物や集団が,どのように光秀と接触したかの説明がない,
②実行時期の見通しと,機密漏えい防止策への説明がないこと,
③光秀が謀反に同意しても,重臣たちへの説得をどうしたのかの説明がないこと,
④黒幕たちが,事件の前も後も,光秀の謀反を具体的に支援していないことへの説明がないこと,
⑤決定的な裏付け資料がまったくないこと,

そして,こう問う。

この事件が,あの時点,あの場所,あの形でなぜ起きたのか,

と。そして,

結論を言えば,光秀の謀反が成功したのは,信長が少人数で本能寺に泊まったからだ。そういう機会はめったにない。また,光秀が疑われることなく大軍を集め,襲撃の場所まで動かせる機会もめったになかった。光秀にとってこれらの好条件が重なったとき,初めて本能寺の変は成功したのである。すなわち本能寺の変は,極めて特異な〈環境〉の下でしか発生しなかった事件なのである。

そのことを予想して謀略をめぐらすことはできない,と著者は言うのである。その絶好の条件は,

光秀自身が作ったものではないということ,

さらに,

彼以外の特定の誰かが作ったものでもない。光秀が中国出陣を命ぜられたのは,その直前に秀吉から信長への援助要請が届いたからだ。また,他の武将たちがすべて京都周辺から離れていたことも,織田家の内部事情によるものであり,光秀を含めて特定の誰かが工作した結果でもない。

つまりこの好機は,天正十年五月の後半に突然飛び込んできたものなのだ。当然謀反の準備はこの時から始まったと見なければならない。こうした事実は,謀反を計画した真犯人が別にいたとする謀略説に,決定的なダメージを与えるものである。

と述べ,むしろ,光秀という人物像を,改めるべきだと指摘する。ルイス・フロイスは,『日本史』で,

裏切りや密会を好み,刑を科するに残酷で,独裁的でもあったが,己を偽装するのに抜け目がなく,戦争においては謀略を得意とし,忍耐力に富み,計略と策略の達人であった。また築城のことに造詣が深く,優れた建築手腕の持ち主で,選び抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた,

と評している。光秀を,

古典的教養に富んではいるが,どこか線の細い常識家で,几帳面ではあるが,融通のきかない人物,

とするイメージを払拭すべきだと,主張する。フロイスの示す,

一筋縄ではいかない,したたかで有能な戦国武将,

というイメージで見るとき,光秀が,実質「近畿管領」(高柳光寿)というべき地位にあり,畿内の重要地域を任されていたという意味で,

光秀と信長は馬が合う人間だった,

とする高柳氏の指摘を注目すべきだ,指摘している。そして,こういう言葉には,説得力があるように思う。

光秀が絶対に失敗を許されない立場にいたことを忘れてはなるまい。フロイスの『日本史』に,光秀が重臣たちに謀反を打ち明けたあとの行動について,「明智はきわめて注意深く,聡明だったので,もし彼らの中の誰かが先手を打って信長に密告するようなことがあれば,自分の企てが失敗するばかりか,いかなる場合でも死を免れないことを承知していたので」直ちに陣容を整えて行動を開始したとある。

これこそ,常識的な見方といっていい。そして,朱子学的な順逆の価値観を捨ててみれば,光秀の決断は,下剋上の戦国時代において,別段特異な現象ではないことがわかるはずである。

目の前に天下(この場合,日本全国ではなく,中央部分,すなわち畿内を指す)を取れる機会があるのを,むざむざ見逃す手はない,ということなのではないか。


参考文献;
鈴木眞哉・藤本正行『信長は謀略で殺されたのか』(歴史y新書)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

posted by Toshi at 04:56| Comment(2) | 戦国時代 | 更新情報をチェックする

2014年02月28日

信長


池上裕子『織田信長』を読む。

戦国大名の研究家である著者の「信長」伝である。いわば,最新の信長研究の成果といっていい。

著者は,先ず,

「信長許すまじ」と,平成のいまも眉をつりあげ,言葉を激する人びとが少なくなかった。(中略)北陸,東海,近畿,中国地方など,殊にその傾向がつよかったように思う。
瀬戸内の島々の人びとのなかには,信長勢と戦う一向衆の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて,ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍をほんろうしたかを,きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた…。

と,五木寛之が新聞に寄せた文を引用し,こう言う。

私はこの文章に深く共鳴し安堵の思いをもった。近年は,平和が勝者=権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるようにみなして,平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると,信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。

それで思い出したのは,花田清輝が,

戦国時代をあつかう段になると,わたしには,歴史家ばかりではなく,作家まで,時代をみる眼が,不意に武士的になってしまうような気がするのであるが,まちがっているであろうか。時代の波にのった織田信長,豊臣秀吉,徳川家康といったような武士たちよりも,時代の波にさからった―いや,さからうことさえできずに,波のまにまにただよいつづけた,三条西実隆,冷泉為和,山科言継といったような公家たちのほうが,もしかすると,はるかにわれわれに近い存在だったのかもしれないのである。

そう皮肉っていたのを思い出す。

では信長は何をしたのか。

楽市楽座,

検地,

兵農分離

等々,信長が古い時代を打ち壊したというイメージが喧伝されるか,実は,楽市楽座も,検地も,北条氏を始め,他の戦国大名がすでに行っている。では,信長は何をしたのか。

信長の人物像を示すものとしては,ルイス・フロイスが『日本史』で言う,

きわめて戦を好み,軍事的修練にいそしみ,名誉心に富み,正義においては厳格であった。彼はみずからに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。…彼はわずかしか,またはほとんどまったく家臣の忠言に従わず,一堂からきわめて畏敬されていた。…彼は日本のすべての王侯を軽蔑し,下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。そして人々は彼に絶対君主に対するように服従した。

著者は,信長の言動に合致するところが多い,と評する。

では信長は何をしようとしたのか。

天下布武

が有名だが,この段階,つまり美濃攻略後,岐阜城に移った時点での,

天下

は,当時の用法にならって,京都・畿内支配,を指していた。しかし,本願寺との和睦がなった頃,

天下一統

を使い始めたときから,天下は,全国に拡大する。そこで目指していたのは,

分国,

つまり自分の領国の拡大戦である。それは,家臣構成を見るとわかる。

領国が拡大するにつれて,数郡・一国の領域支配を,家臣にゆだねていく。たとえば,秀吉には,

江北浅井跡一職進退

出来るようにゆだねる。こうして拡大した織田の分国の,分国を家臣にゆだねていく。しかし,その大半は,織田一門か譜代の尾張出身者が占めている。わずかに美濃出身者がいる程度だ。そして,領国支配をゆだねられた家臣のうち,

尾張・美濃出身者で信長に離反したものはいない。信長との強い絆が形成されていたからであろう。

そう著者は言う。離反者は,

松永久秀,荒木村重,明智光秀,

だけである。その理由を,

信長の戦争は現地の武士を利用し,彼らを家臣に組織しつつ進められたのではあるが,結局のところ,戦国大名はもちろん,有力な国人・武将の多くを討ち滅ぼしたり,追放したりして命脈を絶っていく戦争であった。領国支配者=大名に取り立てられたのはほとんどが譜代家臣であり,現地の中小武士はその給人に編成されることによってのみ生き残ることができた。

だから,こう言い切る。

その意味では信長は旧い秩序の破壊者であったかもしれない。(中略)しかし,もっとも大きな破壊は人的破壊だったのではないだろうか。容赦のない殺戮戦を展開し,その後の信長譜代の直臣を大名にすえる。信長の分国とは信長と譜代直臣の領域支配体制であった。

その意味では,家臣の官位叙任に当たって,

羽柴秀吉が,羽柴筑前守,
明智光秀が,惟任日向守,

等々としたのは,譜代をその地域の(この場合は九州の)大名とする布石と考えれば,納得がいく。

戦国大名らの地域権力は信長のもとで生き残ることはできないから必死の抵抗を試みる。荒木村重や光秀のように信長に取り立てられても,譜代重用のなかでいつまでその地位が保てるかわからない不安がつきまとう。かすかな勝算に賭けて謀反に走るしかなくなる。謀反と頑強な抵抗は,信長の戦争,分国支配のあり方が生みだしたものである。

したがって,明智光秀の謀反も,村重の謀反の延長線上で,著者は捉えている。

本能寺の変の背景や原因を考える時,光秀が村重と似たような立場にいたことに思い至る,

と。村重は,播磨攻略の中心にいて,黒田孝高の活躍も村重が信長に伝えていた。それを突如秀吉にとって替えられた。
光秀は,四国の長宗我部の取次として,強いパイプを保ってきた。然し突如として四国攻略戦略が,三男信孝のもとで遂行されることになっていくのである。

戦功を積み重ねても,謀反の心をもたなくても,信長の心一つでいつ失脚するか抹殺されるかわからない不安定な状態に,家臣たちは置かれていた。一門と譜代重視のもと,譜代でない家臣にはより強い不安感があった。独断専行で,合議の仕組みもなく,弁明,弁護の場も与えられず,家臣に連帯感がなく孤立的で,信長への絶対服従で成り立っている体制が,家臣の将来への不安感を強め,謀反を生むのである。

と,著者が言う通り,これほど家臣の裏切り,謀反の多い戦国大名は珍しい。

最後に,著者は言う。

光秀の謀反は,村重らのように城に立て籠もるのではなく,信長を直接襲撃するという手段に出て成功できた。単独で極秘に策を練り,機を逃さなかったことが成功へ導いた。だが,それゆえに連携がなく,次への確かな展望と策を持つことができなかった。

この一語で,世にかまびすしい謀略説のすべてを粉砕している。上質な研究者の確信といっていい。

あとがきで述べている言葉も,なかなか含蓄がある。

信長の発給文書をみて気づくことは,信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力なのではないかということである。郷村宛の禁制以外に村や百姓支配に関わって発給した文書はほとんどないのである。

あくまで,領主にのみ目が注がれ,そのために,

信長には農政・民政がない,

と。これもなかなか含蓄がある。家臣に丸投げしているのである。

基本的には命じられた本人が,戦術を練り,調略・攻撃を駆使して自己の責任で平定の成果をなるべく短期間であげることが求められた。そのために必要な兵力・兵粮・武器弾薬の調達は本人の責任である。

だから,築城,道路整備,,兵粮もふくめた百姓の陣夫,夫役は,家臣たちがしている,ということになる。信長は,

百姓らの負担がどれだけ過重かは関知しない。

その意味で,極めて危い土台の上に成り立っていることがよく分かる。

恵瓊の有名な予言,

信長の代五年・三年は持たるべく候,明年辺りは公家などに成らるべく候かと見及び候,左候て後,高ころびにあをのけにころばれ候ずると見え申し候,

とは,そんな信長体制の危うさを見抜いたものと言えそうだ。


参考文献;
池上裕子『織田信長』(吉川弘文館)
花田清輝『鳥獣戯話』(講談社文芸文庫)


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm



posted by Toshi at 06:19| Comment(0) | 戦国時代 | 更新情報をチェックする