2014年02月14日
クライアント
クライアントになるとは,どういうことなのか。特に,コーチングにおいて,クライアントになるとはどういうことなのか。
当たり前のように,クライアントの問題や目標やテーマを聴きながら,
なぜ,この人は,自分の前でそれを語りたいのだろう,
という疑問を感じないだろうか。「僕」に力点があるのではなく,コーチというものの前に,ということだ。
一般的には,
自分のパフォーマンを上げたい,
自分の問題を解決したい,
自分の課題を克服したい,
自分を変えたい,
自分の前のハードルや壁を乗り越えたい,
成功したい,
仕合せになりたい,
夢を実現したい,
等々,まあ,自分が何とかしたいことを抱えている,あるいは自分自身を含めて,克服したい何かをもっとている,実現したい何かをもっている,ということになる。
いや,それがあるのは当たり前とは言わない。が,そんなことはどうでもいいという人は,そうはいない。まあ,ほとんど諦めるか,まあ仕方ないと思っているか,でも,コーチングというものがあって,そこでは夢を実現するサポートをしてくれる,と感じて,コーチの前に立つのだろうか。
正直,僕にはそこがわからない。皮肉ではなく,
先ず何でも一人でとことんやって来た人間,
逆にとことん自分でやったことのない人間,
どん詰まりになるまでとことん悩み続けた人間,
逆にどん詰まりになるまで悩みに悩んだことのない人間,
は人に頼ろうとしない気がしている。僕がコーチングに出会ったのが,晩年のせいもあるが,それまで,頼ろうにも頼れず,頼りたいとも思わず,自分なりに解決してきた(つもりだ)。その意味では,自分にとって一番大きな問題は,生死にかかわる問題だが,それが解決して,ここまで生きてきた。
どう自分を売り込むかをわからないまま98の時代にホームページを自分で作り,それを日々更新して(いまはそれほど熱心ではないが),それだけで顧客を得てきた。いい時は,テーマ別には,グーグルのトップページの巻頭に居座り続けていたこともある。スキルがあってそうしたのではないから,どうしてそれができたかはわかっていない。たまたまそうなっていた。いまは,各社がしのぎを削っているので,1ページ目に残れるか残れないか,瀬戸際にいる。
しかし,その方法も自分で会得した。こうすればいいと語るほどのことはないが,こういうことをコーチングで語りたいとは思わない。
僕は,その時間も惜しんで,走り出していたろう。走らなければ,歩き出さなくては,生きていけないからだ。だからわからない。生死にかかわることを,人に語る,ということが。
僕がいまコーチングでの主要テーマにしているのは,生涯伴走してきた自分の夢のことだ。しかし,それが叶わないからといって,自分がダメになるとか,自分が自分でないとかは思わない。
それは所詮夢に過ぎない。
夢を仕事にしようと思ったことはない。どうしても,金稼ぎに指向せざを得ない。僕にとっては,それは仕事なのだ。仕事と夢は違う。
仕事について,人に教えを乞うことがあるかもしれない。しかし,仕事は,学びではない。学んだところで一人前にはならない。仕事は仕事の修羅場で,おのれ自身を投企して,そこに自分を反映させ,そこに自分を形づくる。それは,どんな仕事にでもある。
それができない人間を,僕は何処かで軽蔑しているかもしれない。
事に仕える。そこで自分を投げ出し,そこに自分の引っ掻き傷を残す。違う言い方をすると,自分でなければできないことをし遂げる。それこそが,自分の仕事いうものを,ほんのひっかき傷かもしれないし,かすり傷かもしれないが,そこに遺す。そのために努力をし,命を削る。それが仕事の誇りというものではないか。
そこでは,仲間との,同僚との,部下との対話は,仕事だそのものだ。それ自体が創造的な仕事だ。そこに,コーチングの入る余地はない。なぜなら,人との対話,キャッチボール自体が,次の仕事を生む仕事だからだ。自分はこうしたい,相手はこうしたい,その会話の中から,アイデアが生まれ,企図が芽生え,企画となっていく。無駄なおしゃべりはない。
僕はそう思うし,そう信じている。
言い過ぎかもしれないが,まあこれが,二十年何年,一人で曲がりなりにも仕事をしてきた人間の,へそ曲りの仕事観だ。だから,僕は,部下とキャッチボールしないで,コーチとキャッチボールしているトップを信用しない。そのおのれの想いは,部下と,同僚と語るべきことだ。部下や同僚こそが,その思いを受け止めるべき相手だ。そういう相手を持てなかったということは,仕事を一人で抱え込んできたということだ。
ひとりで仕事を抱え込んできたものは,チームリーダーになっても,部門長になっても,トップになっても,そこだけで自己完結しようとする。当然孤独だ。トップが孤独だなどと言っている人は,トップとしての器量と技量を疑う。
そこで,疑問は残る。コーチングとは何か。
自分の中では,まだ答えがでず,出ないまま,コーチをし,コーチングを受けている。それが仕事なら,その修羅場で,自分のスタイルを形づくっていくほかはない。
答は,自分の中にある,
のではなく,
答は,自分が創っていく,
そういうものだと思っている。だから,まだ,答えを出し続けているのかもしれない。答えが見つかれば,それで終わりだからだ。
だから,問いも出し続ける。
問いがあるからこそ,未来が開く。まだ問いはある。
いまの一つの答えは,自己対話ということだ。それは考える,ということとイコールだ。それをコーチ-クライアント関係の場で外在化する。しかし,また疑問がわく…!
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm