2014年05月06日

境目


盛本昌広『境界争いと戦国諜報戦』をよむ。

「戦国諜報戦」は,いささかオーバーというか,境界線での陣取り合戦には情報のやり取りも含まれるので,ここから想定される忍者と早合点すると,少し当てが外れる。

本書は,

信長や秀吉が現れる戦国時代の最終段階に,島津・長宗我部・伊達などの大名が複数の領国を支配するようになる前は,国衆が分立している国の方が多数であり,大きな戦国大名がいる国の方が少数だった,

その時代の,一国全体を統一する側ではなく,言ってみれば,地元での地場の人たちの戦いに,焦点を当てている。

(そうした)多数派を無視して,少数派を戦国時代の代表として記述する従来の戦国像,

への新たな像の提示を目指している。

その焦点を,

境目

におく。こう述べている。

戦国時代の合戦のほとんどは,隣り合う戦国大名間で起きたものである。力がある戦国大名は隣接する大名を攻撃して,所領の拡大を目指していた。一方,攻撃される大名は,侵入を阻止するために,境界を防衛する。そのために必然的に,戦国大名の支配領域の境界付近で合戦が起きる…,

こうした境界をめぐる争いを,研究者は,近年,「境目相論」と呼んでいる。本書は,まさに,それを描こうとしている。

戦国大名は,一般に,武田氏は甲斐,上杉氏は越後のように,一国または複数の国を支配しているものと,一郡または複数の郡を支配領域とする小さな戦国大名があるが,後者を国衆と呼ぶ。その境目が,国境になる。

その視点で見ると,有名な合戦も,

川中島の戦いは,北信濃支配をめぐって,南下する上杉と北上する武田の間の境目での合戦であり,
桶狭間の戦いは,鳴海・大高という,今川・織田の境目をめぐる攻防であり,
長篠の戦いは,武田勝頼の三河・信濃の境目への出撃に呼応した戦いであり,
山崎の戦いは,摂津の高山右近,茨木の中川清秀,伊丹の池田恒興による山城との境目の攻防であり,
賤ヶ岳の戦いは,近江と越前の境目,柳ヶ瀬での対決であり,
関ヶ原の戦いは,畿内と東国の境,不破の関という境目での攻防であり,

と,ある種の境界線で戦われたというふうに見ることができる。

この境目,多くは,地形・水系に由来する。

例えば,山。

一般的な境目になるのが山。山城と近江の国境は逢坂山。古来「逢坂の関」が設けられていた。峠は,多く,分水嶺を分ける。三国峠は,関東側が利根川水系,越後川が信濃水系。その水系が多く,一つの郡を形成する。

例えば川。

川はしばしば境目となる。大井川は駿河と遠江を分け,木曽川は尾張と美濃を分ける。

そうした境目の攻防で,橋頭堡として,城が築かれる。それを,

新地,

もしくは,

地利,

と呼ぶ。新しく得た領地と言った意味だが,そこに城が築かれる。付城とも呼ばれる。したがって,新地は,城のことをも指すようになる。

境目に作られた城は,境目の防衛を担うと同時に,敵方の城への攻撃拠点となる…,

その意味で,敵の城を攻撃するために,周囲に付城を築くが,攻撃拠点であると同時に,橋頭堡の意味も持つことになる。

この攻防の先兵になるのが,その国を追われた牢人衆ということになる。そこには,国を奪われた国衆も含まれる。

牢人については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/396273414.html

で触れた。本貫地を奪われたという意味では,本貫地を取り戻す戦いにもなる。

また,境目の地域は,危険が高いため,村内に散らばって住めず,城の近くに,すぐに城に逃げ込めるように住む,当然他国へ逃散するのを防ぐ意図もある。これを,

寄居,

という。。

また,この境目は,両者の情報戦の主人公は,

草,

と呼ばれる。時代劇で出る,「草」とは,少しニュアンスが違う。『政宗記』にこういうことが書かれている。

奥州の軍(いくさ)言葉に草調儀などがある。草調儀とは,自分の領地から他領に忍びに軍勢を派遣することをいう。その軍勢の多少により,一の草,二の草,三の草がある。一の草である歩兵を,敵城の近所に夜のうちに忍ばせることを「草を入れる」という。それから良い場所を見つけて,隠れていることを「草に臥す」という。夜が明けたら,往来に出る者を一の草で討ち取ることを「草を起こす」という。敵地の者が草の侵入を知り,一の草を討とうとして,逃げるところを追いかけたならば,二,三の草が立ち上がって戦う。また,自分の領地に草が入ったことを知ったならば,人数を遣わして,二,三の草がいるところを遮り,残った人数で一の草を捜して討ち取る。

当然駆け引きが行われる。その主人公は,身分的には,

足軽,

として,足軽衆に組み入れられているが,その実態は,

乱波

あるいは

透波(素波),

と呼ばれる。折口信夫は,こう書いている。

透波・乱波は諸国を遍歴した盗人で,一部は戦国大名や豪族の傭兵となり,腕貸しを行った。透波・乱波は団体的なもので,親分・子分の関係がある。一方,それから落伍して,単独となった者を,すりと呼んだ。山伏も法力によって,戦国大名などに仕えることもあった。山伏の中には逃亡者・落伍者・亡命者などが交じり,武力を持つ者もいて,この点でも,透波・乱波と近い存在である。

草の異称として,

かまり,
しのび,
あるいは
伏,

があるが,

一人前の武士がすることではない活動の象徴として,大久保彦左衛門の『三河物語』には挙げられており,まさに,境目的な,人たちだったということができる。

信長,秀吉,家康という人物を視点に戦国を描くのが鳥瞰的とするなら,ここで描いた地場での戦いは,虫瞰的といえるもので,確かに華々しさはないが,もう一つの戦国史といっていい。


盛本昌広『境界争いと戦国諜報戦』(洋泉社歴史新書y)




今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

posted by Toshi at 04:36| Comment(2) | 書評 | 更新情報をチェックする