2014年05月10日
趣き
趣きは,辞書は,
①心の動く方向,心の動き
②事柄の大事な内容
③物事のなりゆき,ありさま
④しみじみとした味わい
⑤言おうとしていること。趣旨。~ということ,由
⑥やり方,方法
等々とあるが,「趣き」という言葉をあえて使うというところに,
しっとりとした味わい,
のニュアンスを伝えたい意志の反映であり,ただの「ありさま」を指しているにしても,
それを表現した主体のそれへの好意が伝わる,
という含意がある。
語源的には,
面+向き
で,心をそちらへ向ける意であり,転じて面白み,であり,背向(そむ)くの反対語とある。
まさに,そちらへ向けようとする意味がにじみ出る。僕は,趣きの味わいとは,
陰影
なのだと思う。残る隈なく,煌々と照らされて,のっぺりとした中に,味わいはない。
なぜこんなことから始めたのか,というと,根津美術館で,
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html
特別展「燕子花図と藤花図 光琳、応挙 美を競う」を観てきたことから,
趣きがない,
と感じたせいだ。もちろん,美術には素人の朴念仁の言うことだから,大した意味はないが,帰り道,そう感じたことに気づいたのだ。
展覧会の趣旨では,
国宝「燕子花図屏風」の季節が,今年もやってきます。このたびは,尾形光琳の筆になる「燕子花図屏風」を,それからおよそ70年後,同じ京都で円山応挙が描いた「藤花図屏風」とともに展示し,美を競わせる趣向です。衣裳文様にも通じるデザインを,上質な絵具をふんだんに用いてあらわした「燕子花図屏風」と,対象の細やかな観察と高度で斬新な技法が融合した「藤花図屏風」。対照的な美を誇る2点の作品を中心に,琳派の金屏風の数々,さらには応挙にはじまる円山四条派の作品を加えて,近世絵画の魅力をご堪能いただきます。
とあり,
尾形光琳筆「燕子花図屏風」
と
円山応挙筆「藤花図屛風」
を対比すると,いまでも通ずるデザイン風と写生の対比が狙いなのだろうが,それって意味があるのか?と感じた。別にガラス越しに見ることに不平があるのでもないが,屏風が,
絵
として展示されても,その意味は見えてこない。せめて,畳を敷いたうえで,家屋としての背景を考えるとかしてみないと,本当にこの屏風の趣きは,滲んでこない。
(真偽は知らないが)伊藤若冲のプライス・コレクションが来日した展覧会では,先方の要望で,行燈とか蝋燭だとかの,揺れる灯りの中で,いくつかを展示したとかという話を聞いたことがある。そういう展示をしなければ,その絵の持つ意味が見えないと,コレクターは感じ取ったことがあるのではないか。
とりわけ,屏風も襖絵も,
その場,
とセットになっている。そこで見るから意味がある,それを場から切り離したのでは,群れで生きる野生動物を,折の中に入れて鑑賞するのに似ていなくもない。
花田清輝が,
猿知恵とは,猿のむれの知恵のことであって,むれからひきはなされた一匹もしくは数匹の猿たちのちえのことではない。檻のなかにいれられた猿たちを,いくら綿密に観察してみたところで,生きいきしたかれらの知恵にふれることのできないのは当然のことであり,観察者の知恵が猿知恵以下のばあいは,なおさらのことである。
と,皮肉たっぷりに言っていたのを不意に思い出す。
鑑賞者がトウシロウの場合は,なおのこと,そこに,技術が読めるわけでもなく,ただ感心して通り過ぎるだけだ。それなら,時代の「場」のただなかにおいて見たら,時代の中で,それがどのような,
味わい,
を醸し出していたのか,少なくとも,雰囲気として実感できた,そんな,ないものねだりをしてみたくなった。
味わいとは,
陰影
なのだ,とつくづく思う。陰影とは,
奥行き
でもある。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
中村明『語感の辞典』(岩波書店)
花田清輝『鳥獣戯話』(講談社文芸文庫)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm