2014年06月21日

自己完結


最近芝居を観る機会があった。

なんとなく,鬱々として楽しまなかった。自分の個人的事情が大きいが,それだけではない気がしている。芝居のことは何たるかが,まったく分からない素人なので,まあ勘弁してもらうが,芝居は,それ自体は面白いと言えば言えるが,予定通りと言えば予定通り,

予定調和

というのとはちょっと違うが,

自己完結

した感じがしてならなかった。

芝居は,ひとつの舞台に自己完結しているものなのではないか,と突っ込みが入りそうだが,観客と相互作用がないとか,観客が面白がっていないとか,舞台と観客席が隔たっているとか,といった類いのことが言いたいのではない。

芝居が,その舞台の中だけで完結している,というのは,いまの時代とも,いま生きている我々の文脈とも何の交差もないという意味だ。

昔,清水邦夫『真情あふるる軽薄さ』(初演1969年)を蜷川幸雄が,何十年ぶりかで再演したのを観たことがある。以前に書いたかもしれないが,無残なものだったと思う。とりわけ強烈なメッセージがある作品だから,時代背景を抜いてしまうと,何の不条理劇にもならない,笑いが滑るのと同じく,観客と全く文脈を異にしていることが露呈した。舞台のホリゾントを抜いて,いきなり現実の渋谷とバックがつながったが,そういう奇抜なアイデアも,僕には空回りにしか見えなかった。

それは,同じ清水の『タンゴ・冬の終わりに』の再演でも感じた。この作品が,僕の大好きな,ベストワンに指を折る思い入れのある作品のせいばかりでもない。僕が最初に見たのは,平幹二郎と松本典子(この人の声は,FM東京でおなじみだったの)だが,二人の朗々と響きわたる声に魅了されたものだ。再演は,堤真一と秋山菜津子だったが,僕には無残としか見えなかった。役者の資質の重さが全く違うというだけではなく,時代の差が大きい。

前者は,外へ向かって,声を高らかに掲げる,そういう時代の語りだ。それは,初演時の時代背景と合っている。後者は,内向きの語りだ。それも再演の時代背景にはあっている。しかし,この脚本自体は,あるいは清水は,そのときの時代と格闘している。その時代の文脈を負った作品なのだ。再演時,二人の役者も,蜷川も,時代との格闘を忘れている,としか言いようがなかった。だから,無残なのである。

以来,蜷川は見ない…と言いながら,やはり清水の『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』の再演を観てしまった。これも,また堤。まったく無残の上塗りであった。あの内にこもる声は,清水の旧作のもつ外向きのエネルギーとはまったく合わない。堤が下手かどうかを見極める力は僕にはないが,時代と格闘していない人間であることは間違いない。あるいは,そういう劇だという認識に欠けている。それは蜷川の責任である。正直,こういう作品での彼は,二度と見たくないと感じた。テレビ向きなのではないか(失礼!)。

それは,作品が時代と格闘しているのに,演出家も演者も,まったく自己の内面でも格闘せず,自己完結した世界の中で,上っ面をなぞって,空回りするエネルギーに,むなしさを感じた。精神は,高らかに何事かを語ろうとしているのに,肉体は,その意を対しきれず,ただの芝居をしている。

自己完結してはいけない,

とりわけ,舞台がその時代の生きている精神と格闘していたものの場合,それを見ている観客の精神をも相手にしていたはずである。それは,時代精神として,観客とも共有化されていた。しかし時代の文脈を客が共有化しないとき,芝居は,舞台で,自己完結せざるを得ない。そのときの空隙に,ギャップに,どれほど敏感なのだろうか。特に,再演時には,それに過敏でなくてはならない。

だからと言って,露骨に時代と格闘する(ふりをする)芝居を観たいというのではない。いかにも,という作品は,それはそれで予定調和で,面白いものではない。ただ,作り手が今の時代の時代感覚をどこまで意識しているかは,舞台に出る,と感じている。

矛盾するようだが,逆の言い方をすると,時代がどうあろうと,時代に屹立して,自己完結させる,という世界はありうるかもしれない。今日まで残っているシェイクスピアの劇のように,それだけで,自立した,

自己完結した劇的世界

にまで凝集する,というのはあるのかもしれない。

しかし,それは,時代ではなく,人間,あるいは人間社会の本質と対峙した何かでなくてはならないのだろう。

だとしても,いま大きな時代の曲がり角にある。戦後の破綻が,これほど露骨に露呈している時代はない。笑い転げているその足元に,死と恐怖が忍び寄っている。そういう時代に,少なくとも,僕は,

予定調和,



自己完結

もない。それどころではない,という危機感がある。だから,破調こそが,基本トーンなのだと思う。日常の底のうすら寒さや,平安の底の淵や,そういう微妙な日常感覚からすると,

まとめてしまう,

あるいは

丸めてしまう

というのは,しっくりこない。

棒を呑まされたような,

腹の底にずしりの残る

異和感,

のようなものが,あっていい。つくづくそう思った。




今日のアイデア;
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2014年06月22日

視圏


持っている言葉によって,見える世界が違う。

と,ヴィトゲンシュタインが言ったと思い込んでいるが,見当たらない。あるいは,

私の言語の限界が私の世界の限界を意味する

をそう読み替えたのかもしれない。いずれにしても,持っている言葉が,

その人の世界

を限る。

確か,僕の理解では,敗戦に対する思想的な決着として,和辻哲郎は『鎖国』を書いた。鎖国とは,

鎖された国の状態

を指すのではなく,

国を鎖す行動

を意味すると,わざわざ断っていた。その中で,象徴的に,

視圏

という言葉を使っていたように思う。視線の射程を指す。見える視界の違い,である。われわれはいま,その深刻な反省を忘れて,同じく,

国を鎖す行動

をとろうとする為政者に引っ張られて,いつか来た道を歩かされようとしている気がしてならない。相変わらず,

視圏

が,狭く,短く,自己完結している。むしろ,閉鎖的で,自己肥大ですらある。夜郎自大のことである。その言葉で,見てほしい視界があった,といってもいい。

ところで,ランボーの詩(「母音」)に,

Aは黒,Eは白,Iは赤,Uは緑,Oは青,

というフレーズがある。さらに,『地獄の季節』には,

俺は母音の色を発明した。――Aは黒、Eは白、Iは赤、Oは青、Uは緑。――俺は子音それぞれの形態と運動とを整調した、しかも、本然の律動によって、幾時かはあらゆる感覚に通ずる詩的言辞も発明しようとひそかに希うところがあったのだ。俺は翻訳を保留した。(「錯亂Ⅱ」)

とある。たまに,文字に色が見える人があるようだから,ランボーもそうなのかもしれない。「青」「緑」という,そのとき彼の見ていた色がどういう緑色,青色だったかまでは,確かめようはない。

直前の青と
直後のみどりは
衝撃のようにうつくしい
不幸の巨きさへ
そのはげしさで
つりあうように(石原吉郎「不幸」)

あおは,

蒼,青,藍,碧,

とある。「あお」は,

アオカ(明らか)

が語源であろうとされている。だから,藍から藍,緑までを,「あお」と呼んだ。

みどりは,

緑,碧,翠,

とあてる。「みどり」は,

「水+トオル(通・透)」

を語源とする説があり,「緑」をあてる。ミズミズしさ,をミドリと言ったとする。だから,ミドリの黒髪,みずみずしいミドリゴ,若葉の透き通るようなミドリ等々と使われる。

いまひとつ,「カワセミの古語,ソニドリ,ソミドリ」から来たという説もある。

古代日本には,アオ,クロ,シロ,アオしか色名がなかったとされるので,「アオ」の中に,含まれてしまう。「みどり」という語が登場するのは平安時代になってからである,といわれる。

海は断念において青く
空は応答において青い
いかなる放棄を経て
たどりついた青さにせよ
いわれなき寛容において
えらばれた色彩は
すでに不用意である
むしろ色彩へは耳を
紺青のよどみとなる
ふかい安堵へは
耳を(「耳を」)

このとき,青であって,蒼でも,藍でも,碧でもない。そのことに意味がある。とすれば,使う文字によって,見てほしい視界がある,といっていい。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163545.html

でも書いたが,吉本隆明が,違和ではなく,

異和

と表現するには,その言葉の向こうに,見てほしい世界があるからなのではないか。

言葉を選べは,藍と蒼と青と碧では,見える色が違う。

しかし,為政者は,ひとつの言葉で,丸めて言う。例えば,戦後,自衛という言葉を弄びつづけて,とうとう閾値をこえるところまで来た。かつて,防衛線という言葉を弄んで,中国に侵略し続け,ついに対米戦に踏み出したのを思い出す。気をつけないと,見ている世界が違う。



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2014年06月23日

ヒマ


暇だな,と思ったとき,では暇ってなんだ,と疑問がわいた。

ひまは,

暇,
閑,
隙,

の字を当てる。「すき」との差はあまりない。同じ字を当てる。語源的には,

ヒ(すいたところ)+マ(すきま)

とあり,空間的なヒマから時間的なヒマへと変化した,という。ただ,中国語では,



は,隠れた価値をもつ時間という意味で,

日+瑕(未加工の玉)

という。国語辞典的には,

①物と物とのあいだの透いたところ
②継続する時間や状態の途切れた間
③仲の悪いこと
④仕事のない間,手すき
⑤都合の良い時機,機会
⑥何かをするのにかかる時間,手間
⑦雇用,主従,夫婦などの関係を絶つこと
⑧一時的に休むこと,休暇
⑨(多く「おいとまする」の形で用いる)別れて去ること。また、そのあいさつ。辞去。
⑩喪に服すること。またそのために出仕しない期間
⑪ある物事をするのに空けることのできる時間

等々がある。隙間については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/392660201.html

で触れたが,

空いた時間というのは,ある意味ニュートラルなのだが,そこに,隙間としての意味を加えると,

切り離す,

別れる,

喪,

と言った意味にもなるし,

好機,

手間,

余裕,

にもなる。本来ニュートラルなのだから,

ヒマが明こうが,
ヒマを潰そうが,
ヒマを出そうが,
ヒマを欠こうが,
ヒマを取ろうが,
ヒマを盗もうが,
ヒマに飽かそうが,
ヒマをやろうが,

それ自体に是非も可否もないはずだか,その隙間に,こっちから,あるいは,相手から,意味つげされると,その隙間自体が意味を持ってくる。

ヒマを見て,
ヒマな折に,

ヒマを弄んでもいいはずなのである。しかし,「マ」,つまり,

間(ま)

ととらえると,プラスのというか,積極的な意味になる。これについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/395727101.html?1398628507

で触れたし,これを,

間合い,

と更に意味づけすると,もっとその「ヒ+マ」の意味が変わる。これについても,

http://ppnetwork.seesaa.net/archives/20130908-1.html

で触れた。隙間の距離を,

隔てととるか,

距離ととるか,

間ととるか,

で,こちら側の見る位置が違う気がする。間の中に即自的にいるか,対自的にいるか,間を対象化するか…。

自分との間

人との間

自分の振る舞いとの間
か,あるいは,
自分の人生との間
か…,

こんな文章を見かけた。

「生きがい」をもとめるという動機の観点から注目すべきは,人とは生き甲斐や意味を求めるいきものだという人生観は人が空洞や空虚であることを前提としており,どれほど独創的で価値の高い自己実現であろうとも,生きがいや自己充実とは空虚のひとつの防衛手段であり,生きるための意味を求めるのは無意味の防衛であり,人生の目標も目標喪失の自己防衛だというわけなのです。

こういう言い方もある。本来,たかだか百年足らずという人生の,一瞬の光芒を,闇と闇の隙間,と呼んでもいい。

しかし,その当事者としては,意味のない時間とは思いたくないから,一生かけて,意味を見つけようとする。

それも,本来ニュートラルなヒマのひとつに過ぎない。

といっても,自分とっては,

日+瑕

なヒマではある。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
北山修『意味としての心』(みすず書房)





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2014年06月24日

革命


藤田達生『天下統一』を読む。

サブタイトルに,「信長と秀吉が成し遂げた『革命』」とある。何が革命なのか。

著者は冒頭でこう言う。

私たちは,戦国大名領国制の深化,すなわち分権化の延長線上に天下人による統一,即ち集権化があることを,何の矛盾もなく当然のように考えてきたのではないか。近年においても,天下人信長と秀吉や光秀らの数ヵ国を預かる国主級重臣との関係を,戦国大名と支城主の関係と同質ととらえ,戦国大名領国制の延長と見る研究が発表されている。

例えば,『戦国大名』では,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/395650739.html

のように,延長と見ている。その中間にあるのは,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/390004444.html?1393535997

の信長論かもしれない。

本書では,

天下統一戦とは,極端に言えば,織田信長以外の武将は誰も考えなかった「非常識」な戦争だった。

集権化とは,戦国時代末期になってはじめて信長が意識的に推進した政策だったことが重要なのだ。天下統一とは,天下人率いる武士団の精神構造も含めた価値観の転換があってなしえたもので,信長や秀吉の改革については奇跡的とさえ言えるのではないか。

という問題意識で展開されている。その意味で,真正面から,

天下統一,

というもののもたらしたものを洗い出している,と言えそうである。

集権化を支えた信長の軍事力の秘密を解く鍵は,実は戦闘者集団である武士と生産者集団である百姓との身分と居住区の截然たる分離,即ち兵農分離にある。これに関連して信長と他の戦国大名との際だった違いとして本拠地移転に着目した。
尾張統一以後,清州(愛知県清須市)→小牧山(愛知県小牧市)→岐阜(岐阜市)→安土(滋賀県近江八幡市)へと本城を移動させるたびに,信長は家臣団に引っ越しを強制させた。長年住み慣れた本領を捨てて,主君と運命を共有する軍団を目指したのである。

こういう兵農分離は,信長の直属軍に,その端緒がある。

近習と足軽隊に重きを置く戦術は,尾張時代の信長の特徴だった。千人に満たない規模の直属軍が,軍事カリスマ信長の意志にもっとも忠実に従う軍団の中核を形成した…,

とされる。その例証で,

信長の軍団の兵農分離は,直属軍からはじまった。

とする。たとえば,有名な,斎藤道三との会談の時,「三間中柄の朱やり五百本」ときされているように,主力の長槍隊は三間柄,あるいは三間半柄を揃えさせていた,というのは,

信長が長さばかりか色も含めて同じ規格の者を大量に準備し,足軽たちに装備したものである。これは,もはや従来のような自前の武装ではなくなっていたことを物語っている。

長槍は長いほど重くしなることから統一的な操作が難しく,日常的に足軽たちに軍事訓練を課さねば,大規模な槍衾を組織的に編成することはできなかった。

そしてさらにこう断言する。

長槍隊に属した足軽たちはサラリーマン的にリクルートされていたことになる。そうすると,信長の軍事的成功は莫大な銭貨蓄積に支えられていたとの見通しが立つ。

事実,信長家臣の中には,商人的家臣の存在があり,津島,熱田,清州という領内拠点都市の有力者を家臣として従え,その商業的特権を保護し,必要な物資や莫大な銭貨を獲得した。それが,

軍団の兵農分離を促進した,

と,著者は見る。

その信長の新たな秩序作りの嚆矢を,天正八年,信長から大和・摂津・河内における一国全域規模の城割(城館の破却)を命ぜられたことに見る。

大和おいては,郡山城を除いて,国中すべてが破却され,これには一国の人夫が動員され,監督のための上使も派遣され,かなり徹底的になされた。この意味は,

城主だった国人・土豪層で在村を選択したものはやがて帰農したのである。要するに,城割によって兵農の地域的分離が進展する

ことになる。さらに,信長は,

重臣と与力大名が協力して領国支配をおこなうよう指導し,城割や築城そして検地に関わる最終決定もおこなっていることが判明する。光秀は,与力大名の細川氏や一色氏に対する軍事指揮権は預けられているが,最終的なそれは,信長が握っている。

そして,戦国大名の延長線上にあるのではない信長像を,こう言う。

織田領の全知行権は信長に属し,勝家クラスの重臣だったとしても,あくまでもそれを預かっている代官に過ぎないと,その本質を理解すべきである。たとえば重臣層は,正面きって信長からの転封命令を拒めたのだろうか。

いまや,信長の一声で,

縁もゆかりもない他国へと,転封によって占領支配をおこなう時代,つまり鉢植大名の時代になったのである。

それが可能になったのは,

中世武士の所領は交換不可能であったが,検地による所領の石高表示…により,それが初めて可能になったことは革命的といってよい。

つまり,城割,検地はセットであり,それが鉢植大名化をもたらすと同時に,軍役に大きな変化をもたらす。

石高制による領主所領の把握は,彼らに対する軍事奉公即ち軍役の賦課基準の確定

をも目的としたものであり,例えば,現存する明智軍法では,百石が最低単位で,

主人が六人の家来を引き連れることを規定している。そして百石以上の所領をもつ家臣については,動員すべき侍・軍馬・旗指物持・槍持・幟持・鉄砲衆の具体的数が示されている…。

この信長の到達したのは,

家臣団に本領を安堵したり新恩を給与したりする伝統的な主従関係のありかたを否定し,大名クラスの家臣個人の実力を査定し,能力に応じて領地・領民・城郭を預ける預治思想

だった,と著者は主張する。それは,

父祖伝来の領地すなわち本領を守り抜く中世武士の価値観が,将軍を頂点とする伝統的な権威構造を再生産し,戦国動乱を長期化し泥沼化させた原因であると判断した。(中略)信長とその後継者秀吉による天下統一戦は,全国の領主から本主権を奪って収公し,あらためて有能な人物を国主大名以下の領主として任命し,領土・領民・城郭を預ける「革命」だった。

当然,この延長戦の上に,秀吉が来る。この分岐点を小牧・長久手の戦いと,著者は見る。これは,

織田体制を継承しようとする信雄と,独自の政権構想を掲げて天下人をめざす秀吉との,「天下分け目の戦い」といっていい,

と。この直後,全国規模の国替を強制し,

それまで同輩的な関係にあった諸大名を命令ひとつで転封可能な鉢植大名にして,彼らに対する絶対的な主従関係を確立した。

最終的には,

天下統一戦を通じて家康をはじめ伊達政宗・上杉景勝などの大大名まで転封させたことである。旧主で織田氏家督であり秀吉に次ぐ正二位内大臣という高位高官にあった織田信雄でさえ,転封命令に服さねば改易に処され…

るところまでの権力を掌握したのである。

信長や秀吉の新領地に対する統治を「仕置」とよび,秀吉の段階で城割・検地・刀狩などの統一策が占領マニュアルとして盛り込まれ(仕置令),一大名によって一国単位で強制された。…これらを性急に強行しようとした国々では,牢人衆―かつての大名家臣だった国人や土豪たち―をリーダーとする激烈な仕置反対一揆が頻発した。
天下人たちは,それを公儀に対する反逆と位置づけて,麾下の大名に命じて徹底的に虐殺した。

その結果,

天下統一戦を通じて,秀吉は麾下の大名領主に対して本領を収公し他所への知行替を強行して鉢植化し,民衆からは武装蜂起すなわち一揆の自由と居留の自由を刀狩令と土地緊縛策によって奪った。秀吉は天下統一によって,中世における領主と民衆の根本的な権利を剥奪したといえよう。

この先に江戸時代の幕藩体制が来るが,このとき,大名は,

将軍から「大事な御国を預」かっている

という認識に変わる。もはや,自らの武力で領国を切り取る戦国大名の面影も消えている。その時代になって初めて,武士道という作法が,逆に,必要になってくるということなのだろう。

参考文献;
藤田達生『天下統一』(中公新書)




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2014年06月25日

姿勢


成瀬悟策『姿勢のふしぎ』を読む。

脳性マヒで動かないはずの腕が,催眠中に挙がったという事実に直面したのがことの始まりで,それ以来三十数年を経て今なお,人の「動作」というものの面白さに取り付かれっぱなしの状態,

という著者の,

肢体不自由者の「動作訓練」と並んで,動作による心理療法を「動作療法」とし,両者を合わせて「臨床動作法」と呼ぶ,

独自の治療効果のある療法の臨床実験の報告になっている。脳性まひから始まった対象は,いまや,脳卒中のリハビリ,四重肩,五十肩,自閉症,筋ジスからスポーツまで,幅広く応用範囲が広がっている。

その基本は,脳性マヒでの実証が背景になっている。

催眠暗示でリラックスできてもそれだけなら醒めれば元に戻りやすいということもあって,催眠に頼らずに同様の効果がえられないか…,

という課題から出発し,ジェイコブソンの「漸進弛緩法」を手掛かりに,

筋緊張のみられる肩や腕,腰や膝,足首などの関節をまず他動的に抑えて緊張させてから,押さえている力を弱めて筋弛緩をはかりながら,緊張感から弛緩感への体験変化を感じ取らせることで,リラックスしていこう,

というやり方に辿り着き,その効果に気づく。(ジェイコブソンについては,著者の別の本『リラクセーション』でも触れた。)

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163475.html

その効果は,

脳性マヒの子の手足が動くか動かないかというとき,ただ単に「動く」というだけでなく「動きすぎるほど動く」…,それこそ本当の話なのです。例えば手足を動かしたりしゃべつたり,からだで何かをしようとするとき,きまって腕や脚が突っ張ったり,その腕が後ろへ跳ね上がるように動いたり,肘を強く屈げて胸へ抱え込む,頸が緊張して頭が俯いたり前後に動く,そっぽをむく,などの動きや緊張はごくふつうにみられることです。

それを,

こうして動きすぎるほどよく動くにもかかわらず,そのからだは本人の気持ちや意思とは関係なく勝手に動いてしまい,どう努力しても自分の思うようには自分のからだを動かせないというのがこの子たちの本当の特徴なのです。

ととらえ,それまでの

動かない,動かせないなどととして捉え,「動かない」ことを基礎にしてこの子たちの特徴,

として考えた,いままでの理論や訓練への明確な反論となっている。そして,こう捉える。

脳の病変で肢体を不自由にしているのは,その病変が脳・神経系や,筋・骨格系のような生理的な機能に影響するというよりも,そのからだの持ち主である主体の自分のからだを動かすためのキーの押し方に影響して,それを未熟,不適切または不全にし,あるいは誤らせたりするため,主体の思うようには動かせなくなると考えるのが最も事実に合っているように思われます。すなわち,肢不自由をもたらした脳の病変は,生理的な過程に直接影響するというよりも,主体が自体を動かす心理的な活動を歪めるのが原因なので,たとえ脳の動きに関わる部分から,脳・神経系,筋・骨格系への生理的,物理的過程に異常がなくても,結果として不自由になるということになるわけです。

つまり,

この子たちのからだは病理学的に動かないのではなく,生理的には動く自分のからだを,その主体者が自分の思うようには動かせないだけ,

なのだから,

適切に動かせば動くようになるものなのです。

ということになる。もちろん,

何もこの子たちを健常者に近づけようなどとしているわけではけっしてありません。その子がもって生まれた体の機能,心の可能性を無駄なく,無理なく,なるべく充分に伸ばし,できるだけ生きがいのある豊かな人生を送れるように援助しようとしている…,

のである。では具体的にどうするのか。

動作のための努力は,まず「動かそう」として自分のからだへ働きかけることから始まります。例えば,握手を意としてそれを実現しようとするとき,まず握手するために必要な力を入れて腕を伸ばし,手を出し,握ろうとします。そうなるように主体は自分のからだに働きかけます。それは……腕に力を入れる感じ,伸ばしていく腕の感じ,手を出す感じ,相手の手を握るために入れる力の感じなどの実感を確かめながら,自分が実際にからだへ働きかけの努力をしていることをからだで実感することです。
動かそうと努力した結果,自分のからだのどこが,どのように動いているのか,現実のからだの動きを冷静かつ客観的に把握し確認するという努力は,動作において欠かすことができません。例えば,握手のとき,腕に力が入っている,腕は適切に伸びている,相手に向かってちょうどいいところまで手は出ている,手は相手の手を確かに握っている,相手の握り返す手を確かに感じている,などというような確かめる努力をしなければなりません。しかもそれは,……握手という動きの進行につれて,一コマ一コマにそのつど意図通り,ないし働きかけ通りに動いているか否かを現在進行形で確かめながら,動きの過程を進めることになります。

このプロセスは,ひょっとすると,スキーを覚えたり,自転車に乗ったりと何か新しいことを身体で覚えていく時と,変わらないのかもしれない。思い出すのは,このプロセスを細密にたどって,ポリオで動けない自分のからだを動けるように再学習したミルトン・エリクソンのエピソードであったが,

このように,自分の主体的な努力によって自分の意図通りの動きを実現した時,それをめざして活動している自分自身の努力活動の状況を自らのものとして実感することを「主動感」と呼んでいます。意図通りの動きが出来れば成功したと満足し,うまくいかなければ失敗したと反省するにせよ,いずれもそれは自分自身の責任によるものとして捉えるのは,それが自分がやったものという「主動感」の裏付けがあるからほかなりません。

この普通の人にとって意識もしない動作を,意識してたどっていく「動作体験」について,こんなことを書いています。

最近は脳性マヒも重度になり,しかも,ほかの傷害が重複して寝たきりの子が(対象として)増えてきました。こんな子たちの教育や訓練には,言葉が役立たないので動作が最も主要な手段になります。それまで寝たきりだった子が,独りでお坐り(あぐら坐り)できたときの独特の動作はまことに感動的です。補助の手を放したとき,全身にグッと緊張がはしって倒れずに坐位で踏ん張れた瞬間,眼がパッチリと見開き,右から左へ,さらに左から右へとゆっくり顔を動かして見回すのです。しかも,その直後からその子が大変化をします。それまで稚く弱弱しかった表情や仕草がしっかりと生き生きしたものに変わってくるのです。その後の心身の成長もまた驚くほど急速になっていくものです。

これを,

タテ系動作訓練法

と名付けていますが,ヨコからタテになることが人にとっていかに大事なのか,という視点から,立つ,について,

人が自分で立てるためには,重力にそって大地の上へ自体をタテにまっすぐ立てられるように彼自身が適切な力を全身に入れなければならないことが分かります。その力は,全身の筋群すべてを統合してからだに基軸をつくり,それをタテ直に立てようとするものですから,これを体軸ないし身体軸として捉えることができます。

として,次のような効果を挙げている。

この体軸は,……自分のからだの全筋群を統合して,初めて形成される彼自身の努力の結晶です。

また,「タテ直一本に通る心棒」として,

自分のからだをタテに立てられるようになると,表情や市靴などの自分自身に対する主体の対応が大変化するだけでなく,身体軸を外界の環境を受け容れて認知し,理解するための手掛かりにしようとします。

そして,

体軸が立てられるようになって外界の認知と対応がしっかりしてくるのは,彼がそれを原点として前後,上下,左右という三次元の座標軸において外界空間を捉え,自分の体軸を基準にして,その枠組みの中にそれを位置づけられるようになったことを意味します。

さらに,

時間の経過に伴って,この体軸が自分自身のよりどころとしての自体軸となって,外界が自分の中でそれぞれのものとして位置づけられてくるにしたがい,彼の心の中で,自分の置かれている外界全体が四次元世界として構成されてきます。その世界を自分と関係づけて認知し,対応し,あるいは活きかけ,活きかけられる基軸が考えられます。それは自分のからだという単なる身体軸にとどまらない主体的活動の中軸ですから,それを「自己軸」と呼ぶことができるでしょう。

こう見ると,ただの姿勢というより,立つ,ということの人間にとっての重要性が際立つ。著者は,よい姿勢とは,と,こうまとめる。

まず頸から肩,および背中から腰までの軀幹部が屈にも反にもならすぜ,自体軸がしっかり直に立てられていること,そしてお尻が引けず,股関節と膝が反らず屈がらず,まっすぐであること…。それらの節の部位がカタチの上でタテ直になっていればよいというのではなく,その形で全体重がかかとにかかるように,体軸にそってしっかり踏み締めができており,全体重が足の裏で確実に支えられるように,自体軸がやや前傾して重心が踵よりもすこし前,土踏まずのあたりにあり,足指のつけ根あたりに踏みつけの力が適切に入っていること。そのため,自体軸のどの部位にも主体によって柔軟ながら強くて確実な力の入っている状態が,もっともよい姿勢と言ってよいでしょう。

と。姿勢とは,構えであり,

物理的および社会的な外界の環境での事象やできごとに対応する仕方ないし態度…,

とするなら,こういう自体軸,あるいは自己軸を意識することで,眼の見え方が変わってくるということなのだろう。確かに,ヨコになっていたり,くつろいでいては,パースペクティブは開かない。姿勢は,そのまま,この世界への対処の仕方,もっと言えば,

対峙の仕方,

なのだから。

参考文献;
成瀬悟策『姿勢のふしぎ』(講談社ブルーバックス)




今日のアイデア;
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2014年06月26日

マインドサイト


ダニエル・J・シーゲル『脳をみる心・心をみる脳』を読む。

キーワードは,マインドサイトである。

マインドサイトについて,こう書く。

マインドサイトとは,自分の心と脳の働きを意識することができる注意集中の形である。マインドサイトをもつことで,心のなかの暗く激しい渦に巻き込まれるのではなく,「いま自分はどんな気持ちでどんな状態にあるか,これからどうなりそうか」に気づくことができます。すると,これまでの決まりきったパターンから抜け出します。いつもと同じような気持ちになり,感情に押し流されていつもと同じ行動をとるという悪循環から抜け出すことができるのです。マインドサイトによって,自分のそのときの感情に「名前をつけて,手なづける」ことができるようになります。

マインドサイトそのものの語義的な定義がないので,憶測になるが,

心を見る眼

という意味と,

心を見るポイント

という意味と,

心のさまざまな側面

というような意味がある,と僕は受け止めた。ただ対自やメタ・ポジションというだけではなく,見方の意味が含まれているように思う。

マインドサイトは特別なレンズのようなものです。

という言い方もあるし,

気づきの車輪,

といって,自転車の車輪のイメージで,中心軸からスポークが外輪へ向かって伸び,外輪の思考,感情,知覚,身体感覚に注意を向けている,その中心軸で気づきを感じる,その中心軸を前頭前野と考えていい,という言い方もしており,マインドサイトの持つ意味の多重性がある。

さらに,手法として,

フォーカシング(自分の心の状態に注意を向ける)

マインドフルネス(瞑想)

が紹介されているので,更に

注意を向ける向け方

という側面でもある。

そして心の表象を,著者は,

自分の心のイメージをつくる「私マップ(me-maps)」

他者の心についてイメージする「あなたマップ(you-maps)」

私とあなたの関係性をあらわす「私たちマップ(we-maps)」

があるとし,

これらがなければ,自分自身の気持ちや他者の気持ちを感じ取ることはできません。

という。この前提としてあるのは,

自分の心をよく知らなければ,他者の心を知ることはできません。自己理解するための力が高まることによって,相手の気持ちを理解して受け入れることができるようになります。脳のミラーニューロンが「わたしたち」という視点を獲得することにより,自己感覚もまた新たな視点を獲得します。心と身体の状態に気づき共感すること,自己を強化して他者とつながり合うこと,個でありながら集団としていられること―これこそが,社会的脳の共鳴回路がつくり出すハーモニーの源なのです。

という考え方なのである。

背景には,最新の脳科学の成果があるが,脳をイメージする時の,

脳ハンドモデル

は出色である。

手の親指を他の指と手のひらのなかに包み込むようにすると,「手ごろ」な脳のモデルができます…。握りこぶしの手のひら側のほうが人間の顔にあたり,手の甲が後頭部にあたります。手首は背骨から脳の根元まで伸びた脊髄と考えてください。親指をピンと立て,他の指をまっすぐに伸ばすと,ちょうど手のひらが脳の内部にある脳幹にあたります。親指を手のひらに折り曲げると,そこが大脳辺縁系のだいたいの位置を示します(両手を同じようにしてもらえば,右脳と左脳の対照的な様子を右手と左手で造ることができます)。その後人差し指から小指をくるっとまるめて元に戻すと,それが大脳皮質となります。

前述の車輪モデルで言う,中心軸,つまり前頭前野の持つ機能が,マインドサイトの機能と重なることに気づく。それには,9つある。

①身体機能の調節 心拍,呼吸,将かなどの私立神経の調節。交感神経というアクセルと副交感神経というブレーキのバランス調節である。
②情動調律 自分の心の状態を変化させて,相手の心の状態に共鳴するよう波長を合わせる。だからこそ相手に思われている,と感じられる。
③感情のバランス調整 感情のバランスを保つ
④柔軟に反応する力 入力と行動の間に「間」を置く力をもち,それが柔軟な反応をつくりだす。
⑤恐怖を和らげる力 前頭前野には大脳辺縁系と直接つながる線維連絡があり,恐怖をつくり出す扁桃体の発火を抑制し,調整する
⑥共感 あなたマップを作る能力。相手の心の状態に波長を合わせるだけでなく,心の中でどんなことが起こっているかを感じ取る力がある
⑦洞察 私マップをつくり,自分の心を知覚する。過去と現在をつなげて,この先何が起こるかを予測する,タイムトラベル装置
⑧倫理観 何が社会のためにいいか,そのためにどんな行動をすべきか,の概念をもつ。ここが破壊されると道徳観念が喪失する
⑨直感 体の知恵へのアクセス。心臓や腸などの内臓を含むからだ内部の隅々から情報を受け取り,「こうしろといっている」「これがただしいとわかる」という直感をつくり出す

要は,マインドサイトとは,脳の,とりわけ前頭前野のもつ能力をどう生かすか,ということだと言い換えてもいい。そのために,

①オープンさ 見聞きした者や心に浮かんだものすべてをありのままに受け容れる
②観察力 経験の中にあってなお自分を観察する力。自己観察によって,自分の生きている瞬間を全体としての文脈からみることができる
③客観性 思考,感情,記憶,信念,意図などの,ある瞬間心にあるものが一時的なものにすぎず,それが自分の全人格をあらわすものではなく,ほんの一面に過ぎないと気づかせてくれるのが,客観性

が,マインドサイトによる心のコントロールのための三要素としている。だから,

心とは関係性のプロセスであり,身体とつながり合うプロセスである。それによってエネルギーと情報の流れを調節するものである,

という定義は,心を実体化しないという意味で,キルケゴールの有名な一節が,瞬時に浮かぶ。

人間は精神である。しかし,精神とは何であるか?精神とは自己である。しかし,自己とは何であるか?自己とは,ひとつの関係,その関係それ自身に関係する関係である。あるいは,その関係に関係すること,そのことである。自己とは関係そのものではなくして,関係がそれ自身に関係するということである。

だから,マインドサイトは,

エネルギーと情報の流れをチェックし,整える,

ためのものと言い換えてもいい。そこで得るのは,

一つ目は,心臓の動きを感じ,お腹の具合に耳を傾け,呼吸のリズムに心を合わせる…身体の状態に耳を澄ますことによって,たくさんの大切なことが伝わってくるということ…。

二つ目は,関係性と心の世界は一枚の布の経糸と横糸だということです。私たちは他者との相互作用を通じて,自分の心をみています。

ということになる。最終的には,マインドサイトで,8つの統合を目指す,とする。

①意識の統合 注意集中する気づきの中心軸をつくりだす
②水平統合 全体思考の右脳と論理,言語の左脳の統合
③垂直統合 あたまのてっぺんからつま先まで,個々の部位の機能を統合し,一つのシステムとして機能させる
④記憶の統合 潜在意識に光を当て意識化する
⑤ナラティブの統合 左脳の論理的物語と右脳の自伝的記憶の統合による,「私の人生はこうだ」と理解する
⑥自己状態の統合 異なった基本的欲求と衝動を抱えた自己を,健全で多層な自己の一面として受け入れる
⑦対人関係の統合 私たちとしての健やかな幸せの状態。共鳴回路によって相手の心の世界を感じ,ともにいる,心の中にいる感覚
⑧時間的統合 未来が読めない,不確かな世界のなかでも,つながりを感じ,心穏やかに生きられる

それぞれが,臨床事例を通して,どう実践的に身に着けていくかが,具体的に紹介されている。いってみると,偏ったり,喪った自分を取り戻し,自分の再生の実践報告である。もちろん読んだだけで,マインドサイトが身に付くわけではないが,自分のボスとしての自分というものを取り戻すとはどういうことなのかが,よく伝わる物語になっている。

自分を取り戻すとは,

自分の一貫したライフストーリーが語れる,

ということなのだということがよくわかるのである。

ただ,最後に,ちょっと気になったことがある。

著者は,自分の核について,

すべての自己の状態の根底には,なんでもありのまま受け容れる核たる無垢の自己(receptive self)があるのではないかと私は考えている。研究者のなかにはこれを,itselfを意味するラテン語の単語ipseにちなんでipseityとよぶ人もいます。Ipseityとは,複数の自己の状態の根底に共通して流れる「自分らしさ」である。

なんとなく,心の中に,

純粋の自分がいる
まっさらな自分がある

という言い方をすることで,世俗的な「自分探し」の「自分」と同じように,自己を実体化してしまったのではないか。あくまで,関係性の中での自分であるからこそ生きる,

マインドマップ

ではないのか。関係性の統合とは,あくまで,メタないしメタ・ポジションを指すのであって,実体ではないはずではなかったか。

もしマインドマップを喩えではなく,実体としてのレンズであったり,実体としての中心軸の自分,としてしまったのでは,それまでのせっかくの議論が胡散臭くなる。自己を関係性の中に徹底して納めなければ,

脳の中の小人,

ホムンクルス(Homunculus)

と同じことだ。自分の中の自分の中の自分の中の自分……。

どこまでもキリはない。

それはともかく,本書が,ナラティヴ・アプローチの参考図書として,セミナーのレジュメに記載されていた意味がよくわかる。それは,ポジショニング次第で,どんな物語を語ることもできる,という意味でもある。自分という世界の多様性と豊かさ,と言ってもいい。

良くも悪くも,本書もまた,著者自身の,

物語

であるのだろう。

参考文献;
ダニエル・J・シーゲル『脳をみる心・心をみる脳』(星和書店)



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2014年06月27日

見切る


ことの重大さも弁えず,なんとなく勢いで言ってしまって,周囲を震動させる,ということが,若いときにはある。

思い当ることが三つある。ひとつは,かつて勤め人時代,

人事に対する批判を公言した,

たぶん,直感的に理不尽だと思ったからだ。詳細はともかく,大阪へ責任者として行ったものが,半年足らずで更迭された。そのことを言ったのであるが,それがトップの虎の尾だったらしい。つけは,自分に何倍にもなって返ってきた。

それが若気の至り,というものなのかもしれない。僕は,勢いをわるいとは思わない。それを受け止めきれぬ度量のなさの方を,いまなら嘲笑う。わずかのことにビビる,器量の小さいのが,多い。

いまひとつは,まあ,色恋沙汰だから,口にするほどのことはないが,思ったことを口にすればいいというものではない。それで,周囲が巻き込まれ,大騒動になる,ということもある。

目の前のことしか見えていないから,そのことの及ぶ影響などまつたく視野に入っていない。

いまひとつは,父の死後,二十六の時,母たちを呼び寄せたとき,他の選択肢があったわけではないが,そのことの重みと,その結果について,ほとんど何も考えなかった。是非を言っても仕方がないが,モノが見えないという意味では,典型的だ。

本当は逆で,

事に敏にして,言に謹む,

でなくてはならないが,若さというより,性癖で,まず走り出す。しかし走り出すだけでなく,口も走る。それが勢いなのは,ある年齢までかもしれない。

歳とともに,分別臭くなって,もっともらしい口吻で,紛らすようになった。要は臆病になっただけだ。

弁えるは,

ワキ(分・別)+マフ(行う)

で,物事を弁別,どうすべきか心得る,という意味になる。それに,

つぐなう,弁償する,

の意味がついてくるところが面白い。まあ,思うに,そのことの代償の大きさを見極める目利きという意味を含んでいる,と考えていい。

見切る,

というのは,

最後まで見る,
見定める,
見きわめる,

という意味があるが,視界の広さと言いうより,

射程,

の長さといっていい。迂闊なことに,粗忽者には,

眼前,

しか見えない。それが単なる目くらましかもしれなくても,それに翻弄されてしまう。よく言えば,

直情,

だが,悪く言えば,

軽忽,

である。

人にして遠き慮りなければ,必ず近き憂いあり,

である。だから,見切るの意味が,

最後まで見届けて見きわめる,

ではなく,軽忽に,

見限る,

あるいは,

見切りをつけてしまう,

に近くなる。それは,

目を切る,

に近い。それは,見たつもり,なのである。

射程が,はなはだしく,短い。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)



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2014年06月28日

物語


武光誠『一冊でわかる古事記』を読む。

『古事記』の世界全体が,新書の解説本でわかるわけでもないが,

分かりやすい形で,読者に『古事記』の世界を紹介する,

意図で,著者の眼鏡を通した古事記世界像である。その意味で,かつて読んだきり読み直していない『古事記』を,他人の解説という目を通すと,どう見えてくるのかが,僕にとってのひとつの面白さだ。

古事記も物語であり(日本書紀が官製の物語なのに比し),太安万呂がまとめた,

全体で一つの流れをもつ物語である。

しかも,『古事記』は,

「帝記」「旧辞」と呼ばれる文献をもとにしてつくられた『古事記』の作製のときに,「帝記」にも「旧辞」にも,異なる内容を期したいくつもの異本があった。

それを一本にまとめるにあたって,

「旧辞」にもとづく物語の部分と,「帝記」を写した王家の系譜を帰す部分とを組み合わせてつくられている。

こう著者は解説する。もちろん,これも,著者の説に過ぎない。

物語というのは,一貫した世界を描く。そのために,その物語にそぐわない素材は,カットされる。歴史もまた物語とされるのは,著者が取捨選択して,世界を描き出すためだ。でなければ,ただ事実をつなげても,世界は見えてこない。

そこでは一貫した視界を造るために,外されるものがある,ということだ。と同時に推測されることは,一貫するために,不足を足す,ということがある。極端なことを言えば,その時代でないものを別の次代の事実から持ってきて,自分の描くジグソーパズルの全体像のためのピースにしてしまうということもある。

いまひとつ,物語は,書くということに伴い,言葉自体の連続性に拘束される,つまり,言葉にした瞬間,事実とは別に文章という文脈の拘束力に規制される。たとえば,同じ日の出でも,
朝日,
と書くのと,
日の出,
と書くのでは,次につなぐ言葉の規制力が異なる。つまり,言葉は,言葉によって,文脈を強制される。従って,否応なく,事実からは隔てられる。

そう思って,古事記を見ると,結構面白いところが多々ある。

たとえば,著者はこう言う。

古代人は「言葉には物事を動かす力がある」とする,言霊信仰をもっていた。そのために,個々の神の名はそれぞれの役割を示す重要な名称と考えられていた。天之御中主神の名前をもつ神さまは,世界の中心で万事をとりしきる能力をもつ。高御産巣日神と神産巣日神は,人間や動物が楽しい生活を送れるように見守り,かれらを繁殖させる力をもつ。

しかし,逆の言い方もできる。世界の万物をとりしきる神がいるとして,それに名をつけた瞬間,世界は,その神の御業に見えてくる,それは今日もそうである。われわれは,言葉を持つ(あるいは名づける)瞬間,そのように世界が見える。それを言霊と呼ぶなら,いまも言霊はある。

あるいは,建御名方神が建御雷之男神に打ち負かされ,諏訪湖まで逃げて降伏したという逸話について,

建御名方神の名前は,『古事記』の大国主神関連系譜にはみえない。諏訪側にも,大国主神を建御名方神の父神として重んじた様子はない。
こういったことからみて,建御名方神の話は後に加えられた可能性が高い。

と言う。その背景にあるのは,

六,七世紀に朝廷は,神話の整備や祭祀の統制に力を入れた。これによって,全国の神々を皇祖天照大御神を頂点とした秩序のなかに組み込もうとした…。

という政治的事情である。これまた物語に丸める動機になる。

あるいは,五世紀,南朝の宋朝に,倭の五王,讃,珍,済,興,武が使者を派遣したと,史書にある。それに合わせて,武が,

雄略天皇の実名,「ワカタケ」の「タケ」を漢字にしたもの,

として,雄略天皇に比定されるところから,残りを,

興を,安康天皇,
済を,允恭天皇,
珍を,反正天皇,
讃を,履中天皇もしくは仁徳天皇

にあてようとする。しかし,安康天皇,反正天皇は,中国史書にあわせて,後に系譜に加えられたのではないか,と見られる,と著者は言う。

つまり,中国側にある事実に合わせて,空白を補ったのである。たとえば,讃を,仁徳天皇とする説は,

仁徳天皇の実名の「オオササギ」の「ササ」を「讃」と表記したとする,

のである。もうここまで行くと,歴史も,確かに(創作)物語でしかない。

さらに,著者は,

五世紀はじめに本拠地を河内に遷した王家は,六世紀後半の570年代に最盛期をむかえたと考えられる。この時期に,日本最大の古墳である仁徳天皇陵古墳が築かれた…。
古墳の年代から見て,仁徳天皇陵古墳が五世紀はじめの仁徳天皇を葬ったものでないことは明らかである。(中略)仁徳天皇陵古墳は,有力な大王であった雄略天皇のためにつくられたものとみても誤りではあるまい。仁徳天皇陵ができたあとの河内の古墳は,次第に縮小していった。

さらに,こう付け加える

朝廷で漢字が用いられなかった時代には,「正確な系図を伝える」という発想は見られなかった。(中略)渡来人の知識層が朝廷での活躍が始まる五世紀なかばにようやく,王家の系図づくりがはじめられた。その頃の系図は,次のようなものではなかったかと思われる。

(いわれびこ)……みまきいりひこ(崇神天皇)―― いくめいりひこ(垂仁天皇)――ほむたわけ(いささわけ,応神天皇)――大王の祖父――大王の父――大王
このなかのほむたわけ(いささわけ)は,「七支刀銘文」にみえる倭王旨(ささ)に対応する実在が確実な大王である。……次の三人が五世紀実在した大王である可能性が高い。
おおさざき(仁徳天皇)――わくご(允恭天皇)――わかたけ(雄略天皇)
これに名前が不明な大王を二人加えたものが,倭の五王であ。「おしは」が,倭の五王の一人であった可能性もある。

不足をつないで,一貫性を保たなければ,ひとつの自己完結した世界はまとまらない。歴史も,また,「史記」を含めて,物語であるのだろう。

参考文献;
武光誠『一冊でわかる古事記』(平凡社新書)



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2014年06月29日

切ない


切ない,などという心境は,加齢とともに,心臓が鈍磨し,感じなくなって久しい。なかなかナイーブな気持ちに思う。

意味的には,ともかく,語源的には,

切+ない(甚だしい)

で,心が切れるほどの思い,とある。

だから,語義的には,

①悲しさや恋しさで、胸がしめつけられるようである。やりきれない。やるせない。
②からだが苦しい。
③身動きがとれない。どうしようもない。

とある。まあ,

苦しい,
辛い,
やるせない,
たまらない,
やりきれない,
悩ましい,
憂い,

が類語にある。しかし,

苦しい,
辛い,

とはちょっと隔たり,

悩ましい,
たまらない
憂い,

ともちょっと違和感がある。ここからは,ちょっと勝手な妄想に近いが,どこか,嫉妬に似ている,と感じている。嫉妬は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163434.html

で触れたことがあるが,嫉妬というのは,

その立場に成り代われなかった,そこに自分がいたらよかったというそのポジションに自分がいない,どうあがいてもそこにいられないということに対する悔しさといっていい。しかしそもそもそこには自分は立てないことは気づいている。気づいているから,なお悔しい。嫉妬は,その距離が微妙だ。その位置にいられそうな,一つ間違うとそこにいたかもしれない,そうなれたかもしれないのにそうなりそこなった,そんな間合いが,悔しさというか,身もだえするような生なまましい悔しさを感じさせる。

切なさは,それに似ている。というか,その悔しさとダブる。

だから,憧憬とは違う。憧れほど遠くはない。近いのだ,近いが,その同じところにいない,しかも到底届かない,と思い知っている歯がゆさがある。

ザ・フォーク・クルセダーズが,イムジン河が発売自粛にされたため,急遽つくられたといういわくつきの,「悲しくてやりきれない」は,サトーハチローの詩だ。

胸にしみる 空のかがやき
今日も遠く眺め 涙を流す
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
誰かに告げようか

白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このかぎりないむなしさの
すくいはないだろか

切なさとやるせなさとやりきれなさが,重なるところに,この詩がある。それは,ひょっとすると,若さではないのかもしれない。若いということは,また無限の(と思えるほどの)時間がある(ようにみえる)。だから,その切なさは,ひょっとすると,自己陶酔かもしれない。自己悲哀かもしれない。しかし,心のどこかに時間を頼んで,まだいけるという希望の影が兆す(気がする)。

しかし歳とともに,その距離は埋まらないことを,身に染みて悟るようになる。

四十五十にして聞こゆること無くんば,斯亦畏るるに足らざるのみ,

である。だから,切なさは,二重である。

距離は遥かに遠のき,

しかも,

おのれに残された時間がすり減っている,

まあ,切なさとは,この歯がゆさではないか。



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2014年06月30日


場を読む

というのが苦手なのだが,もっと苦手なのは,

場に合わせる

ことだ。しかし,場とは,そもそも何を指すのか。語源的には,

マ(間・土間・庭)

の音韻変化によるという。

間については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/395727101.html

で触れた。時間的,空間的な意味を持つといっていい。

場は,辞書的には,

①物事が起こったり行われたりしている広いところ。「机を置く場」「場を取る」「場をふさぐ」
②物事の行われる時機,局面。場合。「場数」「場馴れ」
③物事を行うために設けた場所。また,機会。「改まった場」「公の場」「場を踏む」「場を外す」
④物事が行われている時の,その時々の状況や雰囲気。「場を取り繕う」「場がしらける」「場の雰囲気」「場を弁える」
⑤(「その場で」の形で)すぐその時。その席上。即座。 「その場で答える」「その場で捕らえる」
⑥芝居・映画などの場面。シーン。 「殿中刃傷の場」 「二幕三場」
⑦花札・トランプなどで,札を積み重ねたり捨てたりしてゲームが行われる場所。 「場の札」
⑧取引所で,売買取引を行う場所。立会場。「 場が立つ」
⑨〔field〕 空間,または時空の各点上で与えられた量のこと。数学的には空間,または時空間の関数のこと。電磁気学での電場,磁場は身近な例。
⑩各部分が相互につながりをもった全体構造として動物や人間に作用し,その知覚や行動の仕方・様式などを規定している力として考えられた状況。

等々,多様である。ただ,推測するに,どうやら,場ということを言ったとき,ただ意味のない場所やニュートラルな場所を意味していないらしいのに気づく。

「場」が,

神を祭るために掃き清めたる場,

という意味を本来持っていて,



と同義ということから見ると,自分にとって大事な場所,場面,局面,時機を指しているに違いない。

どこでもいい場,
ありきたりの場,

ではなく,ほかならぬ,

その場,

でなくてはならない。それは,人によって意味が違うかもしれないが,

正念場であったり,
見せ場であったり,
修羅場であったり,

するのは,その場の意味を,自分が分かっているからに他ならない。だから,

場を弁える,

というのは,たとえば,場の側から,あるいは周囲から,

場違い,

と言われるような意味ではなく,おのれにとっての意味こそが大事なのだ。その大事さを自分が承知しているかどうかだ。同じように,

場を読む

というのも,空気を読むというような,同調圧力や雰囲気を壊さない,という意味ではなく,自分にとっての,

その場,

がもつ意味でなくてはならない。

だから,

立場,
足場,
持ち場,
職場,
仕事場,

の場の意味が生きる。あくまで,自分にとって,かけがえのない,

その場,

であるということだ。それが示しているのは,

ピンポイント

のこともあるが,

エリアやフィールド

を指すこともあり,もっと広く,

時代状況

を指すこともある。それは,自分にとっての,あるいは自分が生きる上での,

そのとき,その場,

の持つ意味と重なってくる。だから,

場数,
場馴れ,

は,単なる経験数を指すのではない。必要不可欠な「場」を踏んでいる,ということを指す。

果たして,その意味で,場を踏んだと言えるのかどうか,いささか心もとなくなった。



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