2014年06月03日

死期


体力や気力の衰えと,死とは必ずしもつながらない。

衰えると,逆に,生に執着する分,死を遠ざける。

肉親の死もこたえるが,友人の死は,もっとこたえる。同年代だから,ということもあるが,同じ時代の空気を吸い,同じ時代と戦ってきたという思いがある。

いつも,僕のことを遠くから見守ってくれていた友人は,婚家先で,四十代直前自死した。僕のことを気遣ってくれていたという(と間接的に聞かされたきた)友人は,大台を見ずに死んだ。最近死んだ友人は,医者に打つ手がないと言われてから,二年ほど生きた。

いずれも,死後,知らされた。死を知るまでは,その間,僕は,同じように生きているつもりで,生きていた。そのギャップが,やりきれない。

僕は勘が鋭くもないし,基本鈍感(愚鈍とも言う)なので,母の死後,親戚の人が,深夜別れに訪ねてきてくれた,というような,スピリチュアルな体験はまったくない。

母のときも,父のときも,その一瞬を逃している,まあ迂闊な人間なので,そのこと自体は悔いもしないし,恥じもしない。ただ,眠っている状態のまま,ふと気づくと息をしていない,不思議にそれは,直感でわかった。思うに,人が死ぬときは,眠りに落ちるのとほとんど変わらない,というのを感じている。そのフェイドアウトの瞬間は,どこにあるのか…。

両親とも,迂闊なことに,眠っていいるなと見守っているうちに,そのまま,いつの間にか死んでいた,

のである。本人だって,眠っているつもりで,そのまま暗い淵に入り込んでしまったのに違いない。その意味で,仕合せな臨終だったのかもしれない。

で,思うのだ。死期を悟ることはある。あると思うが,

最後の最後まで,まだ生きられる,

と思っているのではあるまいか。

ずっと眠っていて,ふと目覚めて,看護するものとひとことふたこと言葉を交わして,また眠りにつく。そのまま眠りが深くなり,ついに目覚めなくても,眠りの延長線の上にいて,本人だって,どこからが,眠りから死へと跨いだのか,分からないのではないか,という気がする。

いや,そうあってほしい,

というだけのことかもしれない。痛みに苦しんでいたのに,だんだんそれを感じなくなり,脚の指先の方から,少しずつ,神経が,血流が,行き届かなくなり,冷たくなっていく。温めようとこするが,そのこすられている感覚さえ消えていく。なんだろう,指が指と感じられず,それが脚になり,二の腕になり,股になり,腹になり…,やがて全身からの感覚が消えて,自分の体が感じられず,感覚が,少しずつ狭まって縮み,か細くなっていく。

その麻痺と睡魔は,リンクしている。

その方が苦しくないのかもしれない。死の直前,自分を俯瞰するところから,部屋全体を見渡す,という説がある。しかし,僕は,自分の感覚を失うことと,それはセットなのではないか,という気がする。

そう,自分を自分として,この世につなぎとめておく体の感覚が失われていく。

眠りについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/archives/20140408-1.html

で触れたが,確か,レム睡眠時,身体の統覚が失せて,身体と切れて,脳が自己完結しているという,それに似ているのかもしれない。

だから,夢を見ている状態と,死んでいく状態とは,どこか重なる。

専門的なことは分からないので,勝手な妄想だが,それは,脳の自己防衛なのではないか,という気がしてならない。

最期の最後も,自分が眠っている感覚のまま,この世から浮き上がっていく。脳だけが,というか意識だけが,自己完結した状態で,宙に浮く。まさにレム睡眠時の状態そのものだ。それは,もはや外界に対する注意も感覚も必要としなくなった,脳のそういう判断の結果のような気がする。

最後,脳そのものからも,自分の意識が,というか,自己意識と言ったほういいのかどうかわからないが,蝋燭の火が消えていくように,ふっとすべての感覚が消えて,闇のただなかにいる。

それなら,最後の夢は,どんな夢なのだろう。



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 05:00| Comment(0) | 死に方 | 更新情報をチェックする