2014年06月29日
切ない
切ない,などという心境は,加齢とともに,心臓が鈍磨し,感じなくなって久しい。なかなかナイーブな気持ちに思う。
意味的には,ともかく,語源的には,
切+ない(甚だしい)
で,心が切れるほどの思い,とある。
だから,語義的には,
①悲しさや恋しさで、胸がしめつけられるようである。やりきれない。やるせない。
②からだが苦しい。
③身動きがとれない。どうしようもない。
とある。まあ,
苦しい,
辛い,
やるせない,
たまらない,
やりきれない,
悩ましい,
憂い,
が類語にある。しかし,
苦しい,
辛い,
とはちょっと隔たり,
悩ましい,
たまらない
憂い,
ともちょっと違和感がある。ここからは,ちょっと勝手な妄想に近いが,どこか,嫉妬に似ている,と感じている。嫉妬は,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163434.html
で触れたことがあるが,嫉妬というのは,
その立場に成り代われなかった,そこに自分がいたらよかったというそのポジションに自分がいない,どうあがいてもそこにいられないということに対する悔しさといっていい。しかしそもそもそこには自分は立てないことは気づいている。気づいているから,なお悔しい。嫉妬は,その距離が微妙だ。その位置にいられそうな,一つ間違うとそこにいたかもしれない,そうなれたかもしれないのにそうなりそこなった,そんな間合いが,悔しさというか,身もだえするような生なまましい悔しさを感じさせる。
切なさは,それに似ている。というか,その悔しさとダブる。
だから,憧憬とは違う。憧れほど遠くはない。近いのだ,近いが,その同じところにいない,しかも到底届かない,と思い知っている歯がゆさがある。
ザ・フォーク・クルセダーズが,イムジン河が発売自粛にされたため,急遽つくられたといういわくつきの,「悲しくてやりきれない」は,サトーハチローの詩だ。
胸にしみる 空のかがやき
今日も遠く眺め 涙を流す
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
誰かに告げようか
白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このかぎりないむなしさの
すくいはないだろか
切なさとやるせなさとやりきれなさが,重なるところに,この詩がある。それは,ひょっとすると,若さではないのかもしれない。若いということは,また無限の(と思えるほどの)時間がある(ようにみえる)。だから,その切なさは,ひょっとすると,自己陶酔かもしれない。自己悲哀かもしれない。しかし,心のどこかに時間を頼んで,まだいけるという希望の影が兆す(気がする)。
しかし歳とともに,その距離は埋まらないことを,身に染みて悟るようになる。
四十五十にして聞こゆること無くんば,斯亦畏るるに足らざるのみ,
である。だから,切なさは,二重である。
距離は遥かに遠のき,
しかも,
おのれに残された時間がすり減っている,
まあ,切なさとは,この歯がゆさではないか。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm