2014年08月12日
光景
チケットが手に入ったので,国立新美術館の
http://www.nact.jp/exhibition_special/2014/orsay2014/
オルセー美術館展~『印象派の誕生 ―描くことの自由―』を観てきた。
案内には,
「テーマは『印象派の誕生』。1874年の第1回印象派展開催から140年 ― パリの美術界を騒然とさせた「新しい絵画」の誕生の衝撃が,選りすぐりの名画によって東京・六本木に鮮やかによみがえります。
マネに始まり,モネ,ルノワール,ドガ,セザンヌら印象派の立役者となった画家たちの作品はもちろんのこと,同時代のコローやミレー,クールベのレアリスムから,カバネル,ブグローらのアカデミスム絵画まで,まさに時代の,そしてオルセー美術館の「顔」ともいうべき名画が集結する本展に,どうぞご期待ください。」
とある。で,展覧会は,
1章「マネ:新しい絵画」
2章「レアリスムの諸相」
3章「歴史画」
4章「裸体」
5章「印象派の風景」 田園にて/水辺にて
6章「静物」
7章「肖像」
8章「近代生活」
9章「円熟期のマネ」
の構成になっていたが,別段絵の玄人でも,造詣があるわけでもないし,入場制限するほどの混雑ぶりで,それだけでも辟易し,人垣の後ろから,さっさと観て回っただけなので,偉そうなことを言える立場にはないが,ふいに,
そうか,風景を見つけたのか,
と,思わずつぶやいた。そう,画家が,風景を見つけたのだ,誰にとってもありきたりだった景色の中に,自分の描くべき風景,というか,書くべきテーマと言ってもいいものを見つけたのだ,と。
この,風景については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/398086771.html
で触れたことがある。それは,しかし,風景だけではない。
肖像として描くべき
人物
も,
家族
も
景色
も
情景
も
静物
も
すべてに当てはまる。そこに,自分のテーマを見つけたのだ,と。
展覧会に行ったときは,多く,気になった絵のポストカードを買う。今回買ったのは,
ルノアールの「イギリス種のナシの木」
と
マネの「ロシュフォールの逃亡」
である。特に,後者は,
http://orsay2014.jp/smartphone/highlight_works12.html
展示の掉尾に出会ったせいもあるが,人影の向こうで,目を引いた。
マネについて,深く知っているわけではないが,
こういう事件
をテーマとして描くことを,見つけたのだと思う。
総じていうと,
光景の発見である。
光景というのは,「ひかり・かがやき・めぐみ」が語源で,転じて景色らしいが,日本語では,
ありさま
情景
を意味する。画家が,見つけたものだ。現実のそれではないのだろう。ナポレオンに反旗を翻しブリュッセルへ亡命したという。しかし,それを,
小さな小船で荒海に漕ぎ出す
という光景の中に,物語を顕在化するという,テーマを見つけたのだといっていい。
昔から,
小説家は,時間を文字にとどめて描き出す
画家は,空間を二次元にとどめて描き出す
と思ってきたが,あるいは,違うかもしれない。時間と空間は一体である。
時空
という言葉が好きだが,
小説家は時間を通して空間を書き止め,
画家は空間を通して時間を描き止める,
のかもしれない。
その時,その場,
を現出することで,一つの視界を開いて見せる。
ロシュフォール
の名とともに,この光景が見えてくるだろう。
作家が見つけたものがすべてだ。その作家独自のパースペクティブに,見えたものが,観客(読者)にとっての新しい光景となるとき,その作家は,
時代の尖端に立っている。
絵画の専門家がどう見るかは知らないが,この
「ロシュフォールの逃亡」
に,作家が見つけた新しい光景を見た。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm