2014年08月14日
理不尽
生来,
理不尽なこと
が嫌いらしく,これは,ヤクザを投げ飛ばして,返り血を浴びて帰ってきた,
父遺伝
のものらしい。理不尽は,意味としては,
道理を尽くさないこと
道理に合わないこと,無理無体
となるが,
非合理(知性または理性ではとらえられないこと,論理的ではなく情緒的なもの,超自然てき,反理性的なこと)
とか
不合理(道理に合わないも筋の通らないこと)
とか
イラショナル(ラショナルでない)
という意味よりは,
不条理(背理,筋道・道理の通らないこと)
に近い。昔から,よく,
現実的に考える(考えろと言われるほうが多いか)
という言い方をされた。しかし,現実という言葉に,言っている本人も騙され(ているふりをし)ているだけだ。多く,
長いものに巻かれろ,
大勢は決した,いまさらじたばたするのは悪あがきだ,
利害得失を考えろ
といったニュアンスが含まれていて,現実的とは,
理にかなっている,
合理性がある,
等々と,言い訳的に言われるが,その実,
妥協
という意味よりは,
現状追認,
あるいは,
流れに竿さす
こととへの後ろめたさから言っているにすぎないことが多い。とりわけ,わが国で使われるのは,
大勢に順ずる
と言うほどの意味でしかないことが多い。つまり,本当にそれが現実的かどうかを,是非善悪,理非曲直を糺した結果ということはほとんどない,と言うことだ。
我国は,
大義
を掲げているときは,多く,錦の御旗程度の意味しかなく,自分たちの得心のためでしかない。だから,
八紘一宇
とか
五族共和
という類も,自分たちの行為の合理化ないし糊塗でしかない。今日,
積極的平和主義
も,その類といっていい。いまだかつて,本当の意味で,
大義
を掲げて,世界のために何かしたことは,ほとんどない。他国も同じではないか,と言うかもしれないが,少なくとも,主観的には,それが大義だと信じている。しかし,われわれは,多く,
お為ごかし
として使っている。詐欺と同然である。
それを理不尽という。
僕は思うのだが,その一瞬には気づかないが,振り返ると,あのときがそうだったと思い当たる,歴史の転換点に,偶然立ち会うことがある。 いま,そんな大きな分岐点にいることは確かだ。未来の人に対して,本当に,心の底から,それでよし,と言い切れる人が何人いるのか。
いままた,現実的に,
現状追認
するのだろうか。満州事変から,現状追認を続けて,十年の日中戦争に陥り,挙句の果てに太平洋戦争に突入した,十五年戦争と同じように。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm