2014年08月31日

コピペ


コピペということで,散々叩かれ,自殺者まで出した日本の研究者状況の貧困な精神風土には辟易する。

ただし,僕がうんざりしているのは,コピペ問題ではない。僕は,ひと様のコピペを言挙げ出来るほどオリジナリティに富んだ人間ではない。

素人の僕も言うのも,口幅ったいが,研究は(何も研究だけに限ったことではないが),

オリジナルな着想が命である,

と思う。しかし,その着想の是非の前に,コピペを言い立てて問題を本題から逸らし,そんな奴がろくな研究をするはずはない,というようにすりかえ,例によっての,よってたかってのバッシングのほうである。

大体,一体何人の研究者・学者が,人のコピペを嗤えるのか。

欧文をただ邦文にしただけの,タテヨコのコピペ,
翻訳しただけで,原著者と同じような顔をして,その説を吹聴して金を稼ぐ翻案コピペ,
ただ先達の墨跡をなぞっているだけのなぞりコピペ,
あちらの哲学を哲学する哲学コピペ(自分の哲学ではないから哲学者の哲学コピペ,政治コピペ,心理コピペ等々),
あちらの研究の喧伝者というアンプコピペ,
あちらの研究・学説・著作の金棒引きコピペ
あちらの研究・学説の解説コピペ
あれこれをつぎはぎしただけのパッチコピペ

等々,どれもこれも立派なコピペではないのか。おのれにコピペの自覚がないだけなお始末が悪い。

一体日本の,何人の学者,大学教授,研究者が,真実おのれの頭で考えたと言い切れるのか。(すべては先人の成果の肩に乗ってというのは当たり前だが)たとえば,自分の論文を欧米で堂々翻訳出版できるのか。翻訳したら,たぶん多くは失笑されるだろう。国内ならばれないが,現地へ行けば,厳然たるオリジナルが存在し,それをなぞっただけなのがバレバレだから。それは,他の分野も同じだ。

僕は研究のケの字も知らぬ素人だが,オリジナリティは,

着想にある。

あるいは,

ひらめきにある。

あるいは,

発想にある。そう思っている。その発想がないから,人の剽窃で平然としていられる。

それで,思い出すのは,ずいぶん前,読んだ研究者の話である。生態のわかっていない山岳地帯の蜂の研究をしたくて,捉えては,育てようとしたが,どうやっても育たない。さまざまに気温を変え,環境を設定したが死滅してしまう。あるとき,ふと思いつく。ひょっとすると,寒暖の差が必要なのではないか,と。このことである。ひらめきというのは。

ひらめきの起きたとき,0.1秒,脳の広範囲の部位が活性化する,

という。つまり,多角的な経験・知識のリンクである。それは,何かを突き詰めて考えたとき,トンネルを抜けるように,ぱっと視界が開けた状態といっていい。

例のコピペ騒動の時,研究者の一人として,あの着想がどうなのかに着目し,その着想の是非,検証に乗り出したうえで,批判した人が,一体何人いたのか。学問批判の,それが常識ではないのか。

すべての着想は仮説である。仮説は,検証・実証されるまで,

妄想

に過ぎない。妄想だと笑うものは,一度も,自分の頭で,徹頭徹尾ものを考えたことのないものだ。

そんなに簡単に仮説が検証されるはずもない。アインシュタインだって,検証されるまで妄想に過ぎなかったのだ。つい最近だって,光より早いものがある,アインシュタインの仮説が崩れた云々と大騒ぎになったばかりではないか。

そういう仮説の妄想を嗤うものばかりだから,コピペに話がずれていった。

こういうと顰蹙をかうかもしれないが,論文のコピペだろうと,卒論のコピペだろうと,何が問題か。そんなものは,手続きというか,関門を通るための手段に過ぎない。まあ,くりかえさないが,ウィキペディアをコピペするのと,外国の論文を(翻訳)コピペするのとは,

目くそ鼻くそ

である。そんなことより,オリジナルな着想をして,それを検証したら,勝ちではないのか。そこに着目できない,わが国の研究風土の貧弱さと貧困さには,目を蔽いたくなる。

曖昧さ,
くだらなさ,



前例打破

とはほとんど同義である(天才と狂人が紙一重なのと同じである)。コピペでバッシングしている学者の顔が,下劣で愚かしく見えたのは,一人として,オリジナルな着想の重要性に言及せず,ただ手続きの瑕疵だけを問題にしているように見えたことだ。

着想

だけが宝なのだ。アーサー・C・クラークが言っている。

権威ある科学者が可能というとき,それはほとんど正しい。しかし,何かが不可能というとき,それは多分間違っている,

と。誰も考えたこともないから,

オリジナル

なのだ。それは,現在の評価基準,常識には当てはまらない。だから,新しい。そこからしか出発しない。それが検証し,実証できなければ,

ただの妄想

だっただけのことだ。過去にある,累々たる仮説の屍の一つになっただけのことだ。しかし,それを嗤うものは,

研究の,

科学の,

あるいは,

オリジナルにものを考えることの,

何たるかがわかっていないだけのことだ。

先日やっと検証実験の中間報告がでた。

未だ,つくれず,

という。これがまっとうな批判というものだ。しかし,まだ結論ではない。そんなに簡単に白黒がつくわけはない。100m走をしているのではないのだ。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

posted by Toshi at 05:37| Comment(0) | 学問・研究 | 更新情報をチェックする