2014年09月01日
どっち?
尾籠な例で恐縮だが,
目糞が鼻糞を笑う
と言うのがある。
目やにが鼻垢を笑う
とも言う。
猿の尻笑い
とも言うらしい。しかし,どっちもどっちと言ってしまっては実も蓋もない。どうでもいいようだが,
どっちが上
なのだろう。
言ったもん勝ちか,
それとも一笑して,相手にしないが勝ちか。
破れ鍋に綴じ蓋
と言うのでは,あまりにもいじましすぎる。そこまでおのれを貶めることはない。
ごまめの歯ぎしり
と言うではないか。
山椒は小粒でもピリリと辛い,
という気概が欲しい。だとしても,山椒同士が貶めあっても仕方がないが,どっちが,上だろう。
しかし,ものを言ったり書いたりしたとき,おのずと視点というものがある。
目糞が鼻糞を笑う,
は,自分の欠点に気づかないで他人の欠点を笑う,
の意味からすると,目くそ鼻くそレベルの御両人が,自分を卑下して言うというより,その御両人を,別のところから嗤いながら,皮肉っている,と言える。ありていに言うと,見下している,と言えなくもない。だから,どっちが上などと,言うこと自体が,皮肉られているその罠にはまることになるかもしれない。
破れ鍋に綴じ蓋にも,自嘲のニュアンスというよりは,その辺りで我慢したら,という,ここにも,ちょっと上から目線を感じる。
ゼロ戦設計者を主人公にしたアニメの作者が,永遠の0の作家の賛美を批判していた文章を見たが,失礼ながら,僕には,目くそ鼻くそに見えた。このとき,僕は,不遜ながら,両者を上から俯瞰してみている。
この立ち位置は,免責された位置にいると言い換えてもいい。つまり,局外に立ってものを言っている。こういう批判は,実はあり得ない。架空のポジションだ。所詮,人は,好むと好まざるとにかかわらず,具体的場面に立つ。ある状況に置かれざるを得ない。それが生きるということなのだから。それは,目糞か鼻糞のいずれか寄りにしか立てない。それに近いか遠いかの差はあっても。
しかし,である。
子曰く,約を以て失(あやま)つものは鮮(すく)なし
というように,自嘲はいただけないにしても,謙虚というか,謙遜というのは,大口をたたくのよりは,僕の性格にはあっている。「謙」は,
へりくだるという意味だ。「歉」(こころにくぼんだ穴があく)と類義。
兼は,禾(いね)を二つ並べて持つ姿
と,いくつも連続するというの意であるが,単に「ケン」という音を表し,
陥(カン。くぼんだ所におちる)
や
欠(けん。くぼむ)
と同系。で,「謙」は,
くぼんで退き,後ろに控える
意という。
「虚」は,やはり
くぼみ
を意味して,去(くぼんで退く),渠(くぼんだみぞ)と同系で,
むなしくする
という意味をもつ。虚己(おのれをむなしくする)のように。
「遜」の,「孫」は,
子+系
で,細く小さい子どもを表す。「遜」は,
細く小さくなって退く
ことで,損(小さくなる),巽(へりくだる),寸(小さい幅)と同系で,
一歩さがる
小さくなって後へ下がる
という意味になる。
いずれにしても,自分を小さく見せようとする。その場合,
自分をただ小さく控え目にする,
という意味もあるが,
相手に対して,(相手を敬っての意味と,相手に対する謙譲の意味とがあるが)自分を譲る,
というニュアンスがある。そのニュアンスで見ると,
破れ鍋と綴じ蓋
は,微妙な陰翳がある。この色合いは好きである。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
2014年09月02日
書く
何度も書いたかもしれないが,時枝誠記は,日本語では,
「『桜の花が咲か』ない」
「『桜の花が咲い』た」
における,
「た」
や
「ない」
は,
「表現される事柄に対する話手の立場の表現」
つまり話者の立場からの表現であることを示す「辞」とし,「桜の花が咲く」の部分を,
「表現される事物,事柄の客体的概念的表現」
である「詞」とした。
要は,辞において初めて,そこで語られていることと話者との関係が明示されることになる。即ち,
第一に,辞によって,話者の主体的表現が明示される。語られていることとどういう関係にあるのか,それにどういう感慨をもっているのか,賛成なのか,否定なのか等々。
第二に,辞によって,語っている場所が示される。目の前にしてなのか,想い出か,どこで語っているのか等々が示される。それによって,いつ語っているのかという,語っているもののときと同時に,語られているもののときも示すことになる。
さらに第三に重要なことは,辞のときにある話者は,詞を語るとき,一旦詞のときところに観念的に移動して,それを現前化させ,それを入子として辞によって包みこんでいる,という点である。
これを,三浦つとむは,的確な指摘によれば,
「われわれは,生活の必要から,直接与えられている対象を問題にするだけでなく,想像によって,直接与えられていない視野のかなたの世界をとりあげたり,過去の世界や未来の世界について考えたりしています。直接与えられている対象に対するわれわれの位置や置かれている立場と同じような状態が,やはりそれらの想像の世界にあっても存在するわけです。観念的に二重化し,あるいは二重化した世界がさらに二重化するといった入子型の世界の中を,われわれは観念的な自己分裂によって分裂した自分になり,現実の自分としては動かなくてもあちらこちらに行ったり帰ったりしているのです。昨日私が「雨がふる」という予測を立てたのに,今朝はふらなかつたとすれば,現在の私は
予想の否定 過去
雨がふら なくあっ た
というかたちで,予想が否定されたという過去の事実を回想します。言語に表現すれば簡単な,いくつかの語のつながりのうしろに,実は……三重の世界(昨日予想した雨のふっているときと今朝のそれを否定する天候を確認したときとそれを語っているいま=引用者)と,その世界の中へ観念的に行ったり帰ったりする分裂した自分の主体的な動きとがかくれています。」
という,アクロバチックな構造表現になる。
かつて,これを読んだときの興奮がいまも蘇る。ひとが,何かを語る時の,その構造の奥行を垣間見た気がするのだ。そして,それを書いていた,とすると,
昨日雨が降らなかった,
という一文に,
「昨日まだ雨が降らない」とき
に
「『(明日は)雨が降るだろう』と予想した雨のふっている(だろう明日の状態の想像の中にいる)」とき
と
「今朝のそれを否定する天候を確認した」とき
と
「それを語っている」とき
と
「それについて書いている」とき
とが多層に渡って埋め込まれている,ということができる。こういう日本語では,そのつど,語り手は,
「雨の降っていない」とき
と
「雨の降っている想像の未来」のとき
と
「雨が降っていない」翌日のとき
と
そう語っているとき
と
そう書いているとき
という多重の時間を,一瞬で飛んでいるのである。そのことを意識しないと,時制は使いこなせない。
ヴァインリヒは,語りの時制について次のように指摘している。
「われわれが語るときには,その発話の場から出て,別の世界,過去ないし虚構の世界へ移る。それが過去のことであれば,何時のことであるかを示すのが望ましく,そのため物語の時制と一緒に……正確な時の表示が見られる。」
と言う。日本語が論理的でないとかと言う人は,日本語をよく知らないのだ。我々はそれほど無意識で,時制を使いこなしている。つまり,
話者にとって,語っているいまからみた過去のときも,それを語っている瞬間には,そのときを現前化し,その上で,それを語っているいまに立ち戻っているということを意味している。
こうやって多層に入子になっているのは,語られている事態であると同時に,語っているときの中にある語られているときなのである。
僕は,かつてケースライティングを職務としていたことがある。そのとき,あくまでケースライティングの書き方だが,まとめたことがある。
因みに,ここでいう「ケース」と言うのは,職場のマネジメント課題を研修として利用するために,職場で起こるような問題事例を,物語風にまとめることを言う。
そのために,起こっている問題を構造化する。
「通常問題の構造化というと,『問題と原因の因果関係』といったことになります。しかし,それでは,問題が,自分の外のことにしかなりません。問題と感じるのも,それを問題にするのも自分である以上,主体側のパースペクティブ抜きに,問題の構造化はありえません。したがって,
①問題の空間化(ひろがり)
②問題の時間化(時系列)
③問題のパースペクティブ化(誰にとって,誰からの)
の3つなくして,構造化はありえません。」
と書いたとき,問題を構造化するのは,
問題を自分の問題とすること,
言い換えると,
その問題場面に,当事者として,登場することを想定して,問題を捉えること,
ということになる。わかりにくいが,時制と同様,自分がその問題の場面のときに,飛ばない限り,当事者として問題は捉えられないということを言っていたのである。だから,鍵になるのは,
パースペクティブ
となる。
物語の形で語られている以上,語り手が,かく語っているにすきない。つまり,
「その事実を描いている,あるいは目撃しているのが誰で,どこからそれを見ているのか,のパースペクティブが明確であることです。その位置に応じて,事実は違って見える(事実はひとつなどと子供のようなたわごとを言う人は,ケースライティングどころか,マネジメントの資格もありません)し,当然,問題も違って見えるのです。
語っている『私』が,その問題を見ていることなのか
語っている『私』が,その問題を目撃した人からの伝聞を語っているのか
語っている『私』が,その問題を目撃した人からの伝聞を語った人から聞いたことなのか
語っている『私』が,その問題の当事者なのか
語っている『私』が,その問題の当事者の同僚なのか
ひとつの問題でも,それぞれの立場によって,違ってきます。それは,意識しているかどうかは別にしても,その人にとって,見えている事実が異なっているからにほかなりません。」
これは,そのまま時制と場所
いつ,どこで
につながることになる。
起きた出来事の時と場所
それを見たときのときと場所
それを聞いたときのときと場所
それを語っているときと場所
等々,つまり,それに向き合う主体も,その時制を遡らなくては,全体は見えないということになる。
ケースも物語と同じなので,
既に終わったところで語られている
というか
語られ始めたところで止まっている。
その時間を遡ることが,その全体像を辿り直すことが,自分の問題として,語り直すことなのである。問題を主体化するとは,そこなのである。
時間軸を通すことで,初めて,未来像(どうなるか)が視界に見え,
どうしたらよかったのか
(どうしなかったらよかったのか)
そこからまた別の解決物語が始まることになる。
これは,歴史を語るのも同じである。多様な物語,つまり多様なパースペクティブを捨てたとき,歴史物語はシンプルになるが,豊かさは失われ,虚構度が高まる。そんな歴史物語は使い物にならない。
参考文献;
時枝誠記『日本文法口語篇』(岩波書店)
三浦つとむ『日本語とはどういう言語か』(講談社)
ハラルト・ヴァインリヒ『時制論』(紀伊國屋書店)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
2014年09月03日
立つ
グランディングに,ちょっと久しぶりに参加させていただいた。夏風邪をこじらしたり,旧友が死んだりと,何かと落ち着かないまま,日があいた。
地に立つ,
という意味では,「立つ」という意味に着目したい。
立つについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/archives/20140615-1.html
でも書いたが,立つの語源は,「タテにする」「地上にタツ」らしい。立つ,建つ,起つ,発つ,は中国語源に従うとある。そういう区別は,日本語にはないらしい。
「立」は,
大+-線(地面)
で,
人が両手両足を広げて地上に立つ形の象形
を意味する。立つは,人にとって特別の意味があるらしい。だから,
http://ppnetwork.seesaa.net/archives/20140615-1.html
でも上げたように,「立つ」には,目立つ,際立つニュアンスがある。しかし,立つことで,周りから,
はっきり姿が目立つ
という以上に,当事者にとって,視界が変わる,ということが大きい。ある意味で,立ったときから,ものを見る視界が変わったのは,何か,ただ視界が変っただけではないような気がしてならない。
言葉を覚えたころに,空中を飛ぶ夢を見る,とはユンギアンが書いた中で見たことだが,それは,ものをメタ・ポジションから見る,という意味でもある。立つこととそれは関係あるのではないか,とひそかに思う。
キルケゴールの,
人間は精神である。しかし,精神とは何であるか?精神とは自己である。しかし,自己とは何であるか?自己とは,ひとつの関係,その関係それ自身に関係する関係である。あるいは,その関係に関係すること,そのことである。自己とは関係そのものではなくして,関係がそれ自身に関係するということである。
という,自分に対するメタ・ポジションを取るのも,それとつながる。
右側の頭頂葉の「角回」という部位を刺激すると,被験者の意識は2メートルほど舞い上がり,天井付近から,「ベッドに寝ている自分」が見える,という実験が報告されている。
幽体離脱といわれる現象である。その部位がどうやれば刺激されるのかはわからないが,この実験を紹介していた池谷博士は,健康な人でも30%は幽体離脱を経験すると言い,
「有能なサッカー選手には,プレイ中に上空からフィールドが見え,有効なパスのコースが読めるというひとがいます。こうした俯瞰力」
も幽体離脱と似ている,と指摘しています。さらに,
「客観的に自己評価し,自分の振る舞いを省みる『反省』も,他者の視点で自分を眺める」
という能力も,いわば,幽体離脱の延長というふうに言えると指摘している。
「見る」自分でいる限り,自分の視点に気づかないが,「見る」自分を見ることで,つまり,「見る」自分を見る視点に立つ限り,自分の視点に気づけるし,視点を意識的に動かせる,ということは,僕もよく思っている。
ちょうど,コーチングでいう,
レベル1(自分に矢印)
レベル2(相手に矢印)
レベル3(両者に矢印)
と同じことだ。その意味で,
立つ
は,人の意識のありようを象徴している,という気がする。ただ,立っているだけではなく,すくっと,
屹立
している感じは,やはり,人ならではというか,人にしかできないふるまいなのだ。その意味では,それが持つ,
視界,
というか,そこから見上げたり,這いつくばった視野にいるだけではない視界を,意識することは,人として大事なのだろう,とつくづく思う。それと,
見下す,
見下ろす,
のとはまた別だ。それは,ただの勘違いでしかない。そんなポジションでもないのに,思い上がっているだけの錯覚でしかない。
そう言えば,真偽は知らないが,死ぬ直前,
ベッドの自分と周りの家族を見下ろす天井付近から見ている,
というのだか,最後の俯瞰なのだろうか。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
池谷裕二『脳には妙なクセがある』(扶桑社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
2014年09月04日
落とし前
落とし前をつける
というのは,どう考えても,一般人が使う言葉ではない。ヤクザ用語かと思ったが,
元来は香具師の間で使われていた隠語で,露店などで客と折り合いをつけるため,適当なところまで値段を落とすことを意味した
という。そこから転じて,
もめごとなどの仲に立って話をつける意味になり,
さらに転じて,
失敗や無礼などの後始末をする
という意味となった。
しかと
とか
ちくる
とか
ばっくれる
とか
しばく
とか
うざい
と同類らしい。起源はもっと古いが,
やばい
というのも,隠語らしい。その意味は,
危ない
悪事がみつかりそう
身の危険が迫っている
といった不都合な状況を意味する形容詞や感嘆詞として江戸時代から盗人や的屋の間で使われた言葉であるらしい。その後戦後のヤミ市などで一般にも広がったが,80年代に入ると若者の間で,
怪しい
格好悪い
といった意味でも使われるようになるが,これが,否定的な意味から転じて,90年代,
凄い
のめり込みそうなくらい魅力的
といった肯定的な意味に変わる。どういうのだろう,ヤクザが一般社会に,経済ヤクザとして浸透したせいか,一般人が,ヤクザ化したのか,一般人とヤクザの境界線があいまいになり,ほとんどまじりあっていく。
昔は,正統(?)なヤクザは看板を背負っていたが,いまは,それも難しくなった。入り混じり曖昧化し,一般人のほうがヤクザになってきたように見える。
素人と玄人
という言い方があるが,素人と玄人の区別があいまいになったからと言って,素人が玄人に成れるわけではない。
アマチュアとプロフェッショナル
という分け方とはちょっと違うかもしれないが,玄人は,日葡辞典はないらしいので,素人に対して,当てたのではないかと言われる。素人は,
シロ(何にもそまっていない状態)+人
で,
経験の少ない人
未熟な人
を意味する。こちらが先にあって,後に,それに対する当て字としてつくられた,という説がある。
どうも思うのだが,
玄人
は自分を玄人とは言わない気がする。しかし,
プロフェッショナル
は,自分をプロと言う傾向がある。というより,意識して,プロを強調する。その辺りの微妙な心理は,玄人の対象とする領域が,芸妓や娼妓を指す場合はともかく,
技芸
や
相場
の専門家で,とくに技芸は,
伎芸
の字をあてることが多い。そうなると,
歌舞音曲
である。
歌舞は,踊りと舞であるが,音曲(おんぎょく)は,
近代以前において音楽,あるいは音楽を用いた芸能のことを指した
という。「歌舞」「音曲」はは,ともに音楽を伴った芸能全般をさす。まあ,
猿楽,謡曲(謡),勧進能,浄瑠璃,歌舞伎,人形浄瑠璃,狂言,能,義太夫節
等々,伝統芸能を指しているとみていい。そこには,
矜持
が仄見える。いちいちプロなどといわなくても,おのが芸が語っている,と。
こういう寡黙な立ち居振る舞いが好きである。
今日のアイデア;
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2014年09月05日
戀
戀の字の,「心」の上の部分は,
絲+言(ことばでけじめをつける)
からなり,
もつれた糸にけじめをつけようとしても容易に分けられないこと
といい,亂・乱(もつれる)と同系統の言葉という。
亂の左側は,
糸を上と下から手でひっぱるさま,
らしい。それに右側は,
乙
印で抑える意。合わせて,もつれた糸を両手であしらうさま,だという。
戀
は,亂を音符として,心を加えた字
で,
心がさまざまに乱れて思い詫び,思い切りがつかない
の意となる。
巒(きりなく連なって続く山々)
とも同系統という。
別の出典では,
「糸+言(つなぐ)+糸」+心
とも言う。
心を言葉で糸のようにつなぐ,
意味という。しかし,少し作為に過ぎる気がする。そうではない。心を言葉の糸でつなげないから,乱れるのではないか。
恋路の闇
という。
お七こそこいぢの闇の暗がりに,
と浄瑠璃でうたわれる所以である。
なぜなら,恋は盲目ではなく,妄想だからだ。
妄想とは,
ということを真面目に考えるとややこしくなるが,中国語では,
妄(みだり)+想(空想)
で,事実でないことを空想して信じ込むこと,という。要は,
根拠のない主観的な想像
ということになるが,違う言い方をすると,
勝手な思い込み,思い入れ,
ということになる。それは,基本的に,一方的なものだ。だから,僕は,恋は,基本,
片思い
なのだと思う。
仮に,その妄想を相手が受け入れても,同じ妄想とは限らない。相手も相手の思い入れの妄想を描く。言葉ではつながらない。同じ言葉でも,その言葉の向こうに見ているものが違うのだから。
こういうとシニカルに聞こえるかもしれないが,永年連れ添ったからといって,
思いが重なる
とは限らない。重なっていると思い込むことはできる。むしろ,
重ならないズレ
をお互いが了解し合っている,というところに,年月の積み重なった智恵がある(のかもしれない)。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
2014年09月06日
読む
ウィキペディアによると,
江戸時代までは,主に四書五経など漢籍の音読が行われていたらしい。黙読が主となったのは,明治時代以降になる。
とある。本当か,と思ってしまう。
書見
という言葉がある。別に音読していたとは思わないのだが。
ヨム
は,語源は,
数える
で,
読む
と
数む
は語源が同じとされる。
「讀」
は,
文書をよむ
の他,
文書の意味を抜き出す
言葉を眼で見続ける
といった意味がある。
ただ,「よむ」を引くと,
讀む(よむ 書に対してよむ 一語一句ごとに短い休止を入れつつ文章をよむ )
詠む(よむ うたう 声を長くのばして詩歌をうたう 詩歌をつくる)
訓む(よむ 字義を解釈する 言葉で導き従わせる)
念む(よむ おもう 心中でふかくかみしめる 口を大きく動かさず低い声でよむ)
誦む(となえる そらんずる 声を出してよむ)
諷む(よむ ふしをつけてよむ)
などがある。だから,必ずしも,ただ黙読するのを読書と言ったとは限らないと思える。
『信長公記』は,信長旧臣の太田牛一の書いた信長一代記だが,面前で,牛一自身が,
誦した,
つまり,声に出して読んだという。その意味で,秀吉が,自身の事跡を,祐筆,大村由己に書かせた,
『天正記』中の,
『惟任退治記』
『柴田退治記』
なども,そうしていた感じがなくもない。
ま,ともあれ,声に出すか,黙って読むかは別として,
読む
というのはどういうことなのだろう。僕もいろいろな本を読んだが,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/392861791.html
やはり,ただ読んで,その意図を聞き取っただけでは,心に残っていかない気がする。
学の義如何,我が心上に就いて理解すべし。朱註に委細備われとも其の註によりて理解すればすなわち,朱子の奴隷にして,学の真意を知らず。後世学者と言えば,書を読み文を作る者を指していうようなれども,古えを考えれば,決して左様な義にてはなし。堯舜以来孔夫子の時にも何ぞ曾て当節のごとき幾多の書あらんや。且つまた古来の聖賢読書にのみ精を励みたまうことも曾て聞かず。すなわち古人の所謂学なるもの果たして如何と見れば,全く吾が方寸の修行なり。良心を拡充し,日用事物の上にて功を用いれば,総て学に非ざるはなし。父子兄弟夫婦の間より,君に事え友に交わり,賢に親づき衆を愛するなり。百工伎芸農商の者と話しあい,山河草木鳥獣に至るまで其の事に即して其の理を解し,其の上に書を読みて古人の事歴成法を考え,義理の究まりなきを知り,孜々として止まず,吾が心をして日々霊活ならしむる,是れ則ち学問にして修行なり。堯舜も一生修行したまいしなり。古来聖賢の学なるもの是れをすてて何にあらんや。後世の学者日用の上に学なくして唯書について理会す,是れ古人の学ぶところを学ぶに非らずして,所謂古人の奴隷という者なり。いま朱子を学ばんと思いなば,朱子の学ぶところ如何と思うべし。左なくして朱子の書につくときは全く朱子の奴隷なり。たとえば,詩を作るもの杜甫を学ばんと思いなば,杜甫の学ぶところ如何と考え,漢魏六朝までさかのぼって可なり。且つまた尋常の人にて一通り道理を聞きては合点すれども,唯一場の説話となり践履の実なきは口耳三寸の学とやいわん。学者の通患なり。故に学に志すものは至極の道理と思いなば,尺進あって寸退すべからず。是れ眞の修行なり。
こう言っていたのは,横井小楠だが,
学ぶとは,書物やわたしの講学の上で修行することではない。書物の上ばかりで物事を会得しょうとしていては,その奴隷になるだけだ。日用の事物の上で心を活用し,どう工夫すれば実現できるのかを考える,おのれの心の修行でなくてはならぬ。
というところだろう。もっというと,
舜何人か
という気概でぶつかる,ということのようだ。
読書は,先人との会話ではあるが,そのまま受け止めては,おのれが消える,我流では,所詮身にならない。いつも,その兼ね合いで,格闘している。
新たな知見を手に入れると,いままでとの接合が難ししい。辻褄を合わせようとすると,かえって破綻する。そのときは,そのままにしておく,おのずと,矛盾を統一する,まったく異なるパースペクティブが開ける。それは,次元が変わるというのに近い。そういう読みができたことは,後々になって気づく。
たとえば,
いろんなことにくわしく, 要点をまとめることができたとしても, 自分が入っていない場合があります。 そういう人の意見を聞いていると 実感がないから,どうしても不満が残ります。
と,吉本隆明が言うのは,まとめるについても,その人の視点(あるいはパースペクティブ)がある,ということだ。その視点を手に入れる,ということが,読むことの成果だ。それは,読んだ直後ではなく,寝かせられてしばらくたってから,はっと気づく。
読みを経て,そこで,
何が,
どこまで見えるか,
が,手に入れられる。和辻哲郎の言う,「視圏」といっていい。それは,正否,是非,可否とは全く関係ない。ものが見える,ということの本当の意味だ。だから,関係ない。
堯舜も一生修行したまいしなり
とはその謂いにほかならない。読むたびに視界が開く(といいのだが)。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
2014年09月07日
荒廃
國破れて 山河在り
城春にして 草木深し
という。本当にそうか。最近の広島の土石流は,ダムに頼って,間伐を怠った附けだと,ドイツから指摘されるありさまである。
不意に思い出す。鶴田浩二の「傷だらけの人生」(1970年)という歌を(ちょっと古い?)。
冒頭の科白の部分。。。。
「古い奴だとお思いでしょうが,古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます。どこに新しいものがございましょう。生まれた土地は荒れ放題,今の世の中,右も左も真暗闇じゃござんせんか。」
である。小沢一郎が,かつて,これを何気なく口ずさんでいたと聞いたことがある。ここにある,
生まれた土地は荒れ放題
なのである。この歌ができて45年近くたったが,それがいま正鵠を射ていることが恐ろしい。
道路をつくり,新幹線を通し,ダムをつくり,堤防をつくり,防波堤をつくって,さてはて,結局土建屋は一時的に儲かったかもしれないが,失対事業と同じで,あらたな価値を生み出したとは思えない。その結果として,ますます都市部へ人が流れ,地方は,シャッター街と朽ちかけた家が並ぶ。地方の在来線に乗ればわかる。もはや,山河すら,ほったらかされて,荒れ果てようとしている。象徴的なのは,
里山の崩壊
である。それは,田畑と自然の共生する地域社会の象徴でもある。その崩壊は,必然的に社(やしろ)を荒廃させる。
社稷は国の概念より大きい,
といわれる。社稷とは,
社者,土地之主
稷者,五穀之長
という。
社は,
示(祭壇)+土
土は,
地上に土をもった姿,またその土地の代表的な木を,土地のかたしろとして立てたさま,
という。で,社は,
土地の生産力をまつる土地神の祭り,地中に充実した物を外に吐き出す土地の生産力を崇めること
という。
稷は,
禾(穀物)+田+人+夂(あし)
で,人が畑を足で踏んで耕すことを示す,
という,つまり,
土地の神とそこから収穫される穀物の神,あわせて国の守り神
であり,まあ,社稷は,
土地とそこから収穫される作物が国家の基礎
のはずの,その土地が,山河が,風土が,人心が,荒れて荒んでいる。国破れて,山河もないのである。
社(やしろ)の荒廃は,人心の荒廃である。人心の荒廃は,地域の荒廃である。地域の荒廃は,社会の消滅である。それは,社稷そのものの衰滅である。社稷が崩壊して,国が成り立つわけはない。
コンクリートで固め,囲い,ほじくりかえした山河は,到底,自然には太刀打ちできず,いたずらに,無駄なお金が山河に吸い込まれていっただけだ。
思い過ごしだろうか。地方都市へ行かなくても,都心でも,駅前はシャッター通り,真昼間,閑散として人気がない。ちょっと郊外に出ると,限界集落ではない,消滅集落が一杯点在する。そして,鉄道からも,朽ちかけた家屋と,ほったらかされ(村ごとに土地の神と五穀の神を祀っていたはずの),荒廃した社が見える。杜(やしろ)の荒廃は,その土地の人々の生活の荒廃であり,心の荒廃である。つまり,地域社会の崩壊である。
いまもじゃぶじゃぶと,土木工事に膨大なお金を投入しつづけている。一見お金が動き景気がよくなっているように見える。しかし何も付加価値を生まず,税金(借金)を投入しているだけだ。次への展望も希望もない投資になっている。膨らむのは,借金と絶望だけである。地方の人すらいう,
もう道路と橋はいい,
と。それでもまだ続ける。
考えれば,この手で,戦後一貫して,自民党政権は,この国を荒廃させてきたのではなかったか。ダムをつくり(その耐震性が問題らしい),堤防をつくり,防波堤をつくり,山を開削し,トンネルを穿ち,道を蜿蜒作り続け,それに群がるようにしてきた蟻の群れがいる。
いまもそうに違いないが,政治家の,あるいはその私設,公設議員秘書のところに,有象無象が陸続と群がりきたって,何かいい儲け話はないかとたむろしているはずだ。しかし,その政治家も,蟻どもも,この国の未来のありようにも,この国の子供たちの未来にも,向き合おうとはしていない。現実に向き合わない輩に,この荒廃が,人の荒廃,社会の荒廃,家族の荒廃,社(やしろ)の荒廃が見えるはずはない。目をつむったものに,責任をとるなどという発想があるはずはない。
だから,一転,
戦後は間違っていた,
と,その政治体制を戦前へ回帰させようとしている。では,自分たちのやってきた69年はなんだったのか。ただ国土と人心を荒廃させたこの政治はなんだったのか。
そんなことはしっちゃあいない。だって,責任を取った政治家も,要人も,官僚も,(東京裁判を除いて)一人だに見たことはない。
しかし,もはや,肝心の山河は荒廃し,社も朽ち,家も潰え,人も果て,われわれの未来に,帰るべき場所はない。
大袈裟だろうか。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
2014年09月08日
終焉
服部茂幸『アベノミクスの終焉』を読む。
素人としての感想に過ぎないが,アベノミクスの印象は,じゃぶじゃぶの公共投資,でもって土建屋が活況で,人手不足。その余波で,いろんなところ(特に3K職場)が人手が足りない。一見好況のようだが,大企業が好調の割に,賃金は下がりっぱなし,非正規雇用のみ増え,円の価値は下がり,といって輸出が増えているわけではなく,貿易収支の赤字が続く,で,何番目の矢か知らないが,結局武器輸出頼みとカジノ誘致って,そんなのに日本の将来はあるのか,というものだ。
この数年のうちに,精神と文化も含めて,大事な日本の岩盤が壊されていくような不安がある。こちらは,どうせ老い先短いが,若い人の無関心が気になる……というところだ。
ほんとうはどうなのか。筆者は,
「アベノミクスが始まる前からその批判者であった。」
という。その意味で,経済学者の論拠を知りたいと思って,読み始めた。ただ,あとがきで,
「2013年10月,第三・四半期のGDP速報がでた。そこでは経済成長率が1%程度だったことが告げられた。14年四月には消費増税があり,第二・四半期には経済が落ち込むことはほぼ確実である。」
とあるように,それ以前に書かれていることを念頭に置かなくてはならない。
まえがきで,
「アベノミクスは異次元緩和という第一の矢,公共事業拡大による国土強靭化という第二の矢,成長戦略という第三の矢からなるとされる。(中略)アベノミクスの主役は第一の矢,脇役が第二の矢であり,第三の矢はまだ登場していない…。」
主役の矢については,
「安倍が無制限の金融緩和を訴えてから,株価上昇と円安が急速に進行した。(中略)しかし,黒田東彦が日銀総裁,岩田規久男が日銀副総裁に就任するのは13年三月であり,異次元緩和が始まるのは四月である。三月までの出来事はいわば『前史』である。
株価上昇も円安も異次元緩和が始まってしばらくするとストップした…。13年の上半期には高かった経済成長率も,下半期には低迷している。」
金融緩和の目的の一つは,円安による輸出拡大であった。しかし,
「12年末に円安が始まると,輸出は再び増加し始めた。円安効果を発揮していたようにみえた。ただし,増加したといっても,…12年のピークにも達しなかった。さらに円安が止まった時から少し遅れて,輸出も減少に転じた。円安が輸出を拡大させたとすれば,円安が止まれば,輸出増大が止まるのも当然であろう。他方,円安にもかかわらず,輸入の伸びは著しい。」
しかも,14年第一・四半期の経常収支は1兆4000億円の赤字である。
「日本の長期停滞の原因はデフレであり,そのデフレの原因は日銀が金融を緩和しないためだ」とする,いわゆるリフレ派の黒田,岩田両氏が日銀の総裁,副総裁に就任して始まった異次元緩和は,しかし,輸出拡大による経済復活に失敗し,
「輸出の拡大が,貿易収支,経常収支を悪化させるとともに,日本の経済回復を妨げている。」
つまり安倍とリフレ派の主張とは真反対のことが生じている。しかも,目論見に反して,
「賃金と可処分所得は名目においても低下が続いている。その結果,実質賃金と実質可処分所得は急減することとなった。」
実は,このいわゆる,失われた20年と言われている金融危機以降,日本の実質賃金も,実質可処分所得も低落傾向にあったが,
「11年以降では,実質賃金はせいぜい微減である。家計実質可処分所得は増加している時期さえみられた。ところが,異次元緩和導入以降,両者は大きく低下した。」
のである。その結果,消費が落ち込むことになる。実は,
「2013年第一・四半期の経済成長率は年率で5%近い。第二・四半期の経済成長率も高かった。このように,アベノミクスが始まってからの半年間の経済成長率はきわめて高かった。しかし,安倍政権が誕生したのは12年12月であり,異次元緩和が始まるのは,13年4月である。13年前半の高成長は異次元緩和の成果ではあり得ない。」
のである。そう,安倍政権に政権が代わって以降,
「皮肉にも,異次元緩和が始まると,経済成長率は低迷する」
のである。
「第三・四半期の経済成長率は年率で1%,第四・四半期にはほとんどゼロである。14年第一・四半期の成長率は6%と極めて高いが,消費増税前の駆け込み需要によるところが大きい。」
リフレ派の目標はデフレ脱却のはずである。現在日銀は,消費者物価上昇率を年率で2%へと引き上げ,それを安定化させることを目標としている。それはどうか。
「13年6月,消費者物価上昇率が前年同月比でプラスとなり,11月には1.6%にまで引き上げられた。13年10月以降,内閣府が調査した1年後の物価見通しの指標も3%を超えている。」
当然現在のインフレは,コストプッシュ型,つまり円安が原因である。
「12年には国内企業物価の低下は消費者物価よりも大きかった。それが13年後半には,国内企業物価の上昇率は2%を超え,消費者物価の上昇率を大きく超えるようになった。」
しかし輸入物価の上昇が止まれば,輸入インフレは止まる。
「13年5月から円安は止まっている。13年末から,輸入物価の上昇も止まった。それと期を同じくして,消費者物価も国内企業物価も上昇が止まっている。」
当然消費増税の影響は別とすると,
「これまでの消費者物価の上昇が輸入インフレの結果でないことが明らかになるまでは,本当にデフレから脱却できたかどうかの判断を行うことはできないはず…」
ということになる。この点でも,アベノミクスの成果は,まだ出ていない。
第二の矢については,
「耐久消費財と民間住宅投資は,経済の回復が始まった09年から急増している。この急増の一部分は,エコカー減税,エコ・ポイントなどの政策によるものであろう。アベノミクスが始まると,再び耐久消費財と民間住宅投資は急増する。この急増も14年4月の消費増税を無視しては考えられないであろう。政府支出の増加も大きい。」
という意味で,第二の矢の効果が上がっているといっていい。耐久消費財,民間住宅投資,政府支出でGDPの四割を占める。これが,アベノミクスの経済成長を支えた,と著者も認める。ただ,
「公共事業に代表される政府固定資本投資はGDPの5%を占めるにすぎない。建設業の就業者も全体の数%程度である。政府固定資本投資を現在のように年率二割で急増させても,それは日本のGDPを1%増加させるにすぎない。」
しかしそうして増加させることで,建設会社の設備能力と人手不足とで,需要には対応しきれない。震災復興事業も拡大している。民間の住宅,工場建設も増え,現実には,業界のキャパを超えており,自治体の公共事業への応札がない事態も起きている。バブルである。しかし,それは人手不足だけを波及させていくようにしか見えない。
さて,こうしたアベノミクスのバッボーンになっている,日本のリフレ派は,アメリカのバーナンキの,
「90年代以降の日本の長期停滞……の原因は日銀が金融を緩和させずに,デフレを放置していることにある」
という主張を受け継いでいる。その意味では,著者の,バーナンキ,グリーンスパンの
「アメリカの住宅バブルの最中に,家計はバブルの中で返済できない負債を蓄積させている」
という警告を知りながら,それに反論し,逆に,「低金利政策と金融の規制緩和によって,金融不安定性を拡大」させ,結果として,08年の危機を招来させた,経済学への手厳しい指摘は,翻って,それをまねて踏襲するアベノミクスへの批判と警告になっている。著者はこういう。
「08年の危機はバーナンキに代表される経済学が何重にも間違っていたことを示している…。」
と。それをクイギンにならって,ゾンビ経済学というが,しかし,「08年の危機はゾンビ経済学を死滅させたかにみえた」が,アベノミクスによってそれが復活した。その復活の理由を,四つ挙げる。
①危機が本当に明らかになるまで危機を否定した。
②経済現象は多面的であり,失敗の唯一の原因というものはおそらくないであろう。それを利用して,成果を自分の手柄とし,失敗の責任を他に押しつけた。
③多数派の力によつて,失敗を犯しても,自らの責任を免責している。
④政治的に有力な集団と結びつき,その利益を擁護した。
これは今,既に我々の目の前で起きつつある。
参考文献;
服部茂幸『アベノミクスの終焉』(岩波新書)
今日のアイデア;
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2014年09月09日
背
背を焼く
という言葉がある。
(苦しいほど多額の借金)背を焼くような借金
という意味で,梶井基次郎が使ったらしいが,僕には,
背を焼かれるような焦燥感,
焦り,
に見える。語感の問題だから,どうでもいいが。
せ
は,
セ(高く目立つもの)
が語源らしい。
物の後ろ側,
裏面
セイ
と言う。
背
の字は,
北(人が背中合わせに立った象形)+月(肉)
で,「セナカ」が原義と。
背は,
せ,せなか,
の意の他に,
物の高い部分のこと
を意味し,馬の背とか,橋の背と言う使い方をする。
その他に,
そむく,
背中を向ける,
背中を向けて離れる
(転じて)現世に背を向けて死去する
せおう
背を向けて暗誦する
といった意味があるが,「背」と言うと,「向背」「背信」と言う使い方にあるように,マイナスのイメージがある。背を向けるということからくるメタファーだろう。
「そむく」には,
叛(離反の意)
背(うらはら,になる意,向の反)
反(ひっくり返りて叛く。叛に通じ,謀反・謀叛と使う)
負(恩に背き,徳を忘れるを言う)
乖(そむいて離れる。そのさま。乖離,乖戻)
違(行き違いやくいちがい)
倍(ふたつに離れる)
北(背を向けてさむく,背を向けて逃げる)
と使い分けるが,いずれの場合も,「背」中が見える気がするのは,気のせいか。
別れる時も,離れる時も,反する時も,背中を向ける。
背中合わせ
背中同士
仲が悪いことを指すし,
背(中)を向ける
は,そのことに対して距離を置くことを指す。あるいは,逃げる,という意味も含まれる。しかし背は,
その人の意思表示
でもある。
動物なら,背を向けることで敗北を認めることだ。それに追い打ちをかける類のことはしない。
戦国時代には,そんな言い方をしないが,江戸時代になると,ネットには,
背中を切ることは卑怯とされ,また背中を切られることは敵に背を向けた,すなわち逃げようとしたことを意味するとして恥とされた。安藤信正は坂下門外の変において背中に傷を負い,一部の幕閣から「背中に傷を受けるというのは,武士の風上にも置けない」と非難されている,
というのがあった。しかし,僕には,
背を見せた方の卑怯と,背を見せたものを背後から斬ったものの卑怯とは,同罪に見える。
そもそも,背を見せることが卑怯未練と言うのは,平和ボケそのものに見える。武士道と言われるものを好まないのは,無用になりかけたおのれの存在理由を見つけようとしている程度の,平和な時代の頭でひねくり回した武道論に過ぎないからに違いない。
少なくとも,僕には,逃げることをよしとしない,と言うのは,机上の空論で,戦さの修羅場を知らぬ文官の暴虎馮河の類である,と感ずる。
戦国時代,戦いが常態ならば,そこで逃げなければ,リベンジはない。死ぬことをよしとするのは,死を自己目的化した平和の時代ないし, 戦ったことのないものの言辞に見える。たとえば,
背に腹は代えられない
ということわざがあるが,これは,
五臓六腑のおさまる腹は,背と交換できないの意で,腹を守るためには,背を犠牲にしてもやむを得ない,という意味。それが転じて,さし迫った苦痛を回避するためには,ほかのことを犠牲にしてもしかたないの意に広がった,
といわれる。
つまり,戦闘においては,腹部は大切な部分だから,進退極まった時でも,腹部を保護して背中を切らせよとの意味なのである。腹を切られれば致命傷になる。その点背中には背骨や肋骨があり,斬られても骨が内臓を庇って,致命傷にはなりにくいように背を向ける。
要は,背を向けるには,実践的な知恵もある。
大体戦闘時,殿軍(しんがりいくさ)ほど難しいものはない。秀吉が金ヶ崎で,袋の鼠の織田軍撤退の殿軍を自慢するのは当然のことだ。逆に,織田軍は,後に,撤兵する朝倉軍を,追いすがって一気に殲滅したくらい,
追い切り
という,逃げる敵の追撃戦ほどやさしい戦はない。それだけに,殿軍が重要になる。
戦時でなければ,背を向けるとは,戦意の喪失である。背を見せた人間を打ち負かせば,試合なら非難囂囂であろう。同じことだ,背を向けたものに刃を向けたものこそ,本当は,咎められるべきなのではないか。それこそ,両手を上げて投降した人間を,無視して殺戮するようなものである。
背は,人の意志であり,あるいは,背は,その人の(その一瞬までの)足跡を見せているのかもしれない。別に男の背中だけが,意味あるのではない。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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2014年09月10日
ひとごと
ひとごとは,
他人事
と書く。
昨今自分のことを,ひとごとのように語る印象がある。しかし,それは,自分を対象化して,客観的に語っているようには見えない。そうではなく,自分を,
自分
というように,おのれをちょっと脇に置いて語っている,という感じなのである。主体としてのおのれではなく,ラベルとしてのおのれ,のように見える。それを感じたのは,
「親」
という言い方だ。
おやじ
とか
おふくろ
という言い方には,関係性がある。そう言った瞬間,そこに,
自分との関係性
が表現される。「くそ」がついたり「ばか」がついたりすれば,そこに自分の思いが入っているのがはっきり見える。しかし,
「親」
というとき,自分は,家族の関係から出たところから見ている。穿ちすぎかもしれないが,少なくとも,そういう言い方をするようになったのは,いつからだろうか。それは,家族そのものが,
賄いつきの下宿屋
のようになったのを反映しているのではないか,と僕は勘ぐっている。そこにあるのは,家族関係について,
ひとごと
であるという印象である。
では,ひとごとの反対は何か。どうも,そういう言葉があるかどうか知らないが,
じぶんごと(自分事)
というしかない。最近社員教育の分野でそういう言い方をしているらしいので避けたいが,「わたくし事」だと,公けに対する私になる。で,
わがこと(我が事)
という言い方もある。ま,しかし,いま使われているのに倣うとして,では,
じぶんごと
は,当事者と同じか。どうやら,最近の使われ方は,「自分ごと化」というような言い方をしているところを見ると,当事者意識を指しているらしい。しかし,これははっきり言って間違っている。
当事者の反対は,
第三者
ないし
局外者
である。当事者というのは,関係性を示している。というか,社会的役割の中で言われている。つまり,社会的役割については,前にも触れた気がするが,
「社会的役割は,もっぱら他者の期待にもとづく意味でも,もっぱら自己の認定に基づく意味でもなく,両者の相互作用の結果として多かれ少なかれ共有される。」
したがって,
「主体は,他者との相互作用において,自己にとっての意味に応じて他者に役割を割り当て,その役割と相即的に対応する自己の役割を獲得する,つまり,相互作用は,すべて役割関係なのである。」
という。ぶっちゃけて言えば,
お互いが関係する中でしか役割は生まれない。つまり,当事者意識は,
お互いの作り出していた関係
を主体的に自覚する,ということだ。だから,そこから離脱ないし,離れることを,
第三者
ないし
局外者
ということになる。ということは,ひとごとに対するじぶんごとという使い方は,当事者意識とは無関係である。
ここでいう,
ひとごと
と
じぶんごと
というのは,他者との関係ではなく,自分自身のありようを,自分のこととして認識するということだ。これができて初めて,役割を担うに足り,その役割の当事者たることを求められる。それ以前に,
自分の人生の舞台
を,自分が主役として生きる,あるいはそれを覚悟する,ということが,じぶんごとにほかならない。それは,
自分のいのち,
自分の家族,
自分の生活,
自分の時間,
自分の未来,
等々を自分自身との関係として,内から捉えることを意味する。それができなければ,
自分の人生そのもの
いや
自分の命そのもの
すら,ひとごとで考えているのかもしれない。それは,地に足ついていない,というより,ふわふわと実感のない生き方というのがあっているのかもしれない。いや,ありていにいえば,
自分として生きていない,
ということにほかならない。自分として生きるとは,
自分の意思
と
自分の感情
と
自分の思い
と
自分の振る舞い
と
自分の考え
をもって日々生きるということだ。
実感がない,
リアリティ感がない,
ということを聞くが,それは,日々,この現実の中で,
問題にぶつかり,何とかそれをやり繰りし,
感情的な葛藤を逃げずに向き合い,
悪戦苦闘しながら生きているということをしていないということだ。それは,悩んだり,怒ったり,泣いたり,わめいたり,興奮したりする,という自分の時間と空間の中で,日々を過ごすということだ。
それがなければ,たとえば,何かあれば親にすがり,何かあればそれに背を向け,葛藤から逃げていれば,自分にすら実体感がないのではないか。ましてや,自分の人生というものが見えないのではないか。それは生きていない,ということだ。なにも,日々生き甲斐で生き生きしている人生を指していない。そんなものがあると思って,日々の坦々とした平凡な生活に背を向けて,自分という狭い世界に閉じこもっているから,感情も,思いも,あいまいで,ふやふやなのではないか。
そこで一番失われるのは,想像力である。その人が生きている中身に応じてしかイマジネーションを生き生き描けない。だから,他人の痛みも,哀しみも,ほとんどひとごとにしか感じられない。
明日は我が身
も
他山の石
も
所詮対岸の火事としか見なければ,
戦争
も
ホームレス
も
貧困
も
難民
も
被曝
も
いずれはおのが身に降りかかるとは,想像もできない。本人が想像しようとしまいと,リアル世界の中にいる以上,火の粉はふりかかる。そのときになってからでは遅い。
いやいや,ひとごとではない。おのれのことでもある。自戒を込めて。
参考文献;
栗岡幹英『役割行為の社会学』(世界思想社)
今日のアイデア;
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2014年09月11日
類推
たとえば,まったく未経験というわけではないが,必ずしも習熟しているわけでもないようなことを,引き受けることになったとき,たとえば,
いままでとはちょっと違う種類の仕事が舞い込んできたとき,
やれる,
という感覚があるのは,どういう根拠なのだろう。
できると思うのは,ただの錯覚かもしれない。しかし,その
できる感
が,錯覚ではなく,なにがしか根拠があるのと,錯覚(過信とも,思い上がりとも呼んでいいが)との差は何だろう。
まったく同じことなら,たとえ規模が大きくなろうが,単に運営上の問題に過ぎない。しかし,微妙にテーマや課題がずれている。にもかかわらず,その瞬間に,自分の中に,何か具体的なイメージのようなものがわく(ような気がする)。そのときは,
できる
気がする。逆に,明らかにずれているというか,ベン図ふうに言うと,自分の円と依頼の(想定する)円とか,かけ離れていれば,まず,やれるとは感じない。
無理
と思うのと,
できる
と思うのとの境界線は,そこだろう。しかし,別の言い方をすると,
できそう,
と
できるかも,
と
できる,
との差は,
できる
と
できると思う
の差といっていい。その差は,ベン図の円の重なり具合の差なのだろうか。
できる気がするとき,それは,根拠というような確かなものではない。自分の経験とスキルと知識を,過半はみだしたものなのに,何か,類推が効くところがある,と言ったらいいのか。
類推,
とは中国語で,
類比+推理
を言う。類似のものに基づいて,他を推し量る,という意味になる。
まったく同じではないが,似たような仕事をしたことがあり,その経験とノウハウを当てはめると,何とかやれる,
そんな感覚か。あるいは,小さなスケールで経験したことがあるが,その何十倍ものスケールということになると,そのまま当てはまらない隙間がある。それでも,その経験からなんとなくやり方とか構成が読める,というイメージか。しかし,
そのままやれるわけではないので,その隙間というか,その未知の部分が,不安をもたらす。
昔から,仕事というのは,
自分のやれるカタチに置き換える,
ということだと思ってきた。それを自責化と呼んできた。その意味では,未知で未経験なのは,
やれるカタチに置き換えのきかない部分が大きく残るときなのだと言い換えてもいい。
若い頃なら,怖いもの見たさで,まあ,失敗するのも経験と言えるが,ある程度のキャリアを積むと,なかなかそうはいかない。だから,逆に怖さはない。失ったところで影響は知れているからだ。
むしろ,自分の中の問題の方が大きい。
できると思うのだが,その根拠が見当たらないとき,結局,
できること
と
できそうなこと
との隙間を埋めるのは,ある種の経験でしかない。僕は,人の能力は,
知識(知っている)×技能(できる)×意欲(その気になる)×発想(何とかする)
だと思うが,問題は,
何とかした経験が,
何とかなる,
の背景に必要なのだろう。まあ,そのときの,
悪戦苦闘
の経験といっても言い。
知識には,
Knowing that(そのことについて知っている)
と
Knowing how(どうやるかを知っている)
とがいるが,Knowing howは,やった数で決まる。そして,未知の領域を埋めるのは,単なる過去の経験ではなく,過去の,未知と未経験を,
何とかした経験,
でしかない。それもまた,
Knowing how
なのかもしれない。
今日のアイデア;
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2014年09月12日
視野
菊池章太『阿修羅と大仏』を読む。
「インドで生まれた仏教は,広大なユーラシア大陸でさまざまな文化と混ざりあい,変質をかさねながら,東のはての島国にたどりついた。日本の仏教文化のはじまりとなった大和の地は,そうした長い道のりの終着駅でもあった。」
と前書きで書き,
「仏像や仏画にこめられた信仰の軌跡をユーラシア・スケールでたどってみたい。」
それをコンセプトに書く,と。それは,日本の仏教の来歴をたどる何千年もの旅でもある。たとえば,中宮寺の半跏思惟像は,著者によれば,三十年以上前には,「菩薩像」と表示され,その後十年して行くと,「弥勒像」と表示が変わり,現在は,中宮寺のホームページには,「如意輪観音像」と表示されている,という。
では,広隆寺の半跏思惟像は,「弥勒像」とされているが,それでいいのか。
ユーラシアからみると,半跏思惟像を,弥勒と呼ぶ例は,皆無という。多く,弥勒像は,X字に脚を交差させた交脚像である。雲崗石窟には,交脚の弥勒像が数多くつくられているが,その交脚像の左右に,
「片脚を膝の上にのせ,手を頬にあてて考え込んでいる人の像がしばしばみられる」
という。この半跏像は,
釈迦が考え込んでいるときの姿
をあらわすという。
「釈迦がまだ悉達多太子と呼ばれていたときの」「樹下で思惟する」
思いにふけっている姿を表す,と言う。なぜ太子思惟像が弥勒の脇にいるのかと言うと,両者には接点がある,という。
「弥勒はまだこの世にあらわれていない。世にあらわれていないから,当然まだ真理にめざめていない。つまり悟りを開いていない。その準備段階である。弥勒は兜率天人たちのもとにいてこの世にあらわれる日を待っている。それまで思惟をめぐらしている。
かたや悉達多太子もまだ真理にめざめていない。家にあってもやもやしている。考えごとの最中である。思惟のまっただなかにいる。つまり,どちらも真理にめざめるまえに考えにひたっているすがたということになる。」
半跏思惟像は,朝鮮半島にも伝わったが,弥勒と呼んだ例は見つかっていない。
「広隆寺の半跏思惟像…は,…(韓国の)徳寿宮旧蔵の半跏思惟像とほとんど瓜二つである。広隆寺の像は日本製ではないであろう。そして弥勒像でもない。」
では何の像か。
「推古天皇の十一年(603)十一月のことである。聖徳太子のもとにある仏像をまつる者を大夫らに求めた。そのとき秦造河勝が進み出てこれをたまわり,蜂岡寺を建てておさめたという。これは『日本書紀』にきされている。」
蜂岡寺,いまの広隆寺である。平安時代の寛平五年(893)までにまとめられた寺の財産目録によると,
「金色弥勒菩薩像一躯」とあり,割注に,「居高二尺八寸」「所謂太子本願御形」と記されている,という。さらに,中宮寺も,太子ゆかりの寺であり,
「中宮寺の半跏思惟像は太子思惟像と呼ばれるのがふさわしくないか。この場合悉達多太子に聖徳太子の姿がかさねられている。」
と推定する。
「ユーラシアにおける長い伝統のむなかでは太子思惟像が本来の呼び名だったのだから。」
と。そしてこう言う。
「私たちは広隆寺の半跏思惟像を弥勒と呼んできた習慣にひきずられすぎてはいないか。日本だけで考えるとそうなってしまう。しかしユーラシアに目を転じるとそれがはっきりする。そこでは,弥勒像は交脚像であり,あるいは巨大立像であった。かたや半跏思惟像は太子思惟像をあらわしている。これが仏教の伝統にほかならない。」
その半跏思惟像は,
「考えあぐねている若い悉達多太子のすがたである。…日本ではそれが聖徳太子にかさねあわされている。。さらに聖徳太子を観音の生まれ変わりとする信仰がシンクロナイズしている。」
と。広い視界の中でものを見ることの重要性を,改めて考えさせられる。特に,今日,自閉し,自画自賛の罠にはまっている潮流を見るとき,さらに広くユーラシアの端っこのわが国への重なり合わさった時間の軌跡が,そのまま古層のように堆積しているのに思い至るとき,それを広げて,辿る視点の重要性を考えさせられる。
例えば,六世紀の,北魏で始まった巨大な廬舎那仏づくりは,唐代までつづき,龍門に高さ17メートルの廬舎那仏がつくられた。ここから東アジアの大仏ブームが始まる。奈良の大仏は,その東漸の結果なのだと見るとき,まったく違った様相が見えてくる。
「廬舎那仏は大宇宙に君臨し,世界のすべてのブッダを統括する存在である。唐王朝の皇帝もまた世界の中心である中国に君臨し,周辺世界の国々を統括する存在と意識されている。こうして廬舎那仏の宗教的意味に政治的意味がオーバーラップしてくる。」
「聖武天皇が全国に国分寺を建立させ,その諸国国分寺を統括する総国分寺としたのが東大寺」である。その開眼法会は, 「聖武太上天皇と光明皇太后と孝謙天皇が臨席した。百官百寮が参列し,内外から一万人あまりの僧侶が招かれた」空前絶後の大法会であったという。
「開眼の導師はボディセナである。南天竺国つまりインドから日本へ帰化した人で,漢字をあてて菩提僊那とよばれた。」
「開眼供養では舞楽が奉納されている。…倭舞とならんで,唐古楽や高麗楽や林邑楽も披露された」が,中国,朝鮮,ベトナムと,「まさしくユーラシア・スケールの祭典だった。八世紀の日本はすでにインターナショナルだった」という,そういうスケールの中に奈良の大仏をおいて見ると,政治的意味と宗教的意味を重ねあわせる思想まで,唐にまねたという流れが見えてくる。
ユーラシアの果てだからこそ,時間軸が,層として堆積している。それを自己完結して考えているだけでは,決して視界は開けない。
興福寺の阿修羅像についても,
「フェスタのためにつくられた。」
と結論づける。「フェスタにつかうために造像された。それがユーラシアにおける長い伝統であった」と。フェスタは,日本で言う花会式である。
「ユーラシアではもっと盛大な祭りだった。誕生釈迦像を山車に載せて町中を練り歩く。これを行像と呼んでいる。」これに随行したのが十大弟子と阿修羅を含めた八部衆の像である。
そう考えたとき,興福寺の像が乾漆でつくられている理由が見えてくる。
乾漆像は,粘度の上に麻布をかぶせ,漆を塗り,それに麻布をかぶせて漆を塗るを繰り返し,漆が乾いたところで中の粘土をかきだす。だから,
「木の心棒のほかに中味ははいっていない。張り子の虎とおなじである。この技法は中国で行像のために考案された。それが中央アジアや日本に伝わったのである。」
度々火災にあった興福寺の仏像がそのたびに運び出されたのは,乾漆像で軽量であったのが幸いした。
確かに,帯にあったように,本書を読むと,「仏像の見方が変わ」る気がした。
参考文献;
菊池章太『阿修羅と大仏』(幻冬舎ルネッサンス新書)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
2014年09月13日
描く
自分の描きたいことを書いているのでは,プロではない,
という言い方をする。読者は何を求めているのか,読者をあっと驚かすにはどう書いたらいいのか,と言うところに,物書きの真骨頂があるのだ,と。
もっともだと思うが,その説を僕はとらない。というか,僕はそれほど器用ではないので,そういうことができない。むしろ,
自分の描きたいことを書かなくて,何を書くのか,
という思いがある。せっかく,好きな物書きをするなら,おのれの好きでもないことを書いてどうするのか,と思ってしまう。まあ,だから,素人にとどまるのだろうが,しかし,思う。
売れるとか,売れないとか,を初めに考えて,面白いアイデア,画期的な商品が出ることは,ほとんどない,と僕は思っている。世に出て初めて,
こういうものが欲しかった
とか
こういうのを待っていた
という声が出るのは,市場調査をいくらやってもつかめっこない。だって,いまだかって,世に出ていないものなのだから。そのカギは,甘いと言われるかもしれないが,あのウォークマンがそうであったように,
自分が心底ほしいもの
あるといいと思っているもの
でなくてはならない。それは,自分の中にしかない。だから,
自分が面白いと思わないようなものを描いて何が面白いのか,
と思う。
だから素人なのだ,という突っ込みの声が飛んできそうだが,世の中の流れや動きを見極めて出てくる商品にろくなものはない。そうではないのだ,自分が心底欲しいものを創りだすことで,世の中が動く。だから,
考えることも,
書くことも,
面白いのではないか。それは,別の言い方をするなら,
見たこともない視界を広げる新しいパースペクティブ
なのだと思う。そういう世界があるのか,というような。
それには,顰蹙を買うのを承知で,口幅ったいことを言わせてもらうなら,
おのれを掘り下げる
以外に,新しい視界が開けることはない気がしている。結局一生かけても,掘り下げきれないで終わるにしても,だ。別の言い方をすると,
おのれ以外には,決して見えないパースペクティブを見つけること,
といっていい。それは,大袈裟だが,
新しい世界の見え方
と,いっていい。それを見つけるために,他の人の好みやニーズはどうでもいいことになる。読んでほしい読者に見えるものでは,いまある世界の延長戦上でしかない。
どれだけニーズ調査をしても,欲しがっているものを見つけられないのは,いまないものは答えようはないのだ。
確かに,
イノベーションを起こすものはセレンディピティだ。恐らく例外はない。セレンディピティとは「偶然の幸運」。予め計画されたイノベーションなんて大したイノベーションじゃない。
と脳科学者の茂木健一郎博士が言う通りなのかもしれないが,それは,ただ居眠りしているという意味ではないはずだ。本当におのれの見たいものを捜す,ということ以外にはない。
因みに,書くの語源は,
掻く,ひっかく
だと言われる。その意味では,
絵を描く
も
文字を書く
も
文章を書く
も同根ということになる。漢字では,
聿(ふで)+曰(いわく)
とか。しかし,はじめは筆ではなかったのではないか。竹簡や木簡に竹で描いていたのではないか。
ついでに,画(畫)くは,また別で,
聿(ふでを手に持つさま)+田の周りを線で区切ってかこんださま
という。
ある面積を区切って筆で区画を記すことをあらわす,新字体「画」の字は,「聿」の部分を略したもの。
まあ,いずれにしても,「書」も「画」も,「聿(ふで)」からは逃げられないようだ。
僕は,書くは,
えがく(描く,画く)
なのだと思う。錯覚かもしれないが,
自分だけに見える世界
をかくのである。その世界は,自分の中からしか見えてこない。方法や技法は,世界を描くのに使うのであって,その前に,
自分にしか見えない世界
を見つけなくてはならない。それは,一生分に値する。ついに見つけられないことも当然ある。
今日のアイデア;
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2014年09月14日
受け取る
人の好意や厚意を受け取るのが苦手である。元来,人から好感をもたれる質ではないので,言われ慣れないということもある。しかし,それ以上に,そんなものに値するとは,どこかで信じていないせいかもしれない。
これについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163544.html
で,別の切り口で書いたことがある。僕だって,
評価
や
褒賞
とは無縁で生きてきたわけではないから,評価されれば嬉しいし,それが報奨につながれは,なお嬉しい。
確か精神科医の神田橋條治さんが,正確ではないかもしれないが,
ほめることは的にぴったり当たらなければなめられる。
然ることは三分的を外さねば逆らう。傷口に直接触れられるのは痛いものまである。その痛さから新しい気力がおこるものであるから,傷口の深さまで見極めねばならないが,的中必ずしも心を開かない,
と,あるところで言っておられた。あるいは,どこかで,評価が的中していない,と思っているせいかもしれない。
「ほめる」は,
ホ(秀)+む
で,秀でているのをほめたたえる,という意味である。ひとくちに,
ほめる(ほむ)
といっても,
褒(貶の反対。善をほめすすめる。褒美すること)
誉(毀の反対。みんなでもてはやす,ほめそやす意。)
賛(脇から励まして力を添える。脇からほめる)
讃(ことばをそろえて,脇からほめあげる)
賞(罰の反対。褒美すること。功労に相当する褒美をあてがう意)
美(刺〈そしる〉の反対。善いことがあるのを,よしとほめる)
称(たたえる。わいわいとおおっぴらに持ち上げる)
頌(容に通ずる。人の徳を詩歌などにつくり形容してほめる)
等々とある。
何を称揚し,何を賞賛し,賞美し,礼賛し,賛美するにしても,過褒,過賞,溢美は,こそばゆい。
人は,自分の判断基準をもって,凄い,素晴らしい,と言う。しかし,それは,その人の基準に過ぎない。褒められた側は,おのれの基準があって,いっとき称揚感があっても,レベルが低いと思うと,まだまだとおのれを奮い立たせようとする。そこで,誉められれば,その賞賛は,受け取れないのではないか。
毀誉は,評価である。評価とは,
品物の価格を定めること
善悪・美醜・優劣の価値を判じ定めること
とある。結局人は人を自分の秤でしか評することはできない。「三軍を率いて指揮するとしたら,誰とともにしたいか」と,子路に問われて,
暴虎馮河し,死して悔いなき者は,吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ,謀を好みて成さん者なり,
と孔子は答えた。そこには,問いかけた子路の一本気で勇猛を恃むことへのたしなめがある。この文章の前半は,顔回に対して,
これを用うれば則ち行い,これを舎(す)つれば,則ち蔵(かく)る。唯我と爾とこれ有るかな。
という言葉がある。それに反発しての子路の問いである。そこには,何を是とし,何を非とするか,についての孔子の明確な基準が示されている。
考えれば,『論語』は,孔子の評価基準そのものを示している。そのとき目の前にいる弟子に言っている言葉だ。たぶん,ぴたりと当てはまっていたに違いない。だからこそ,弟子はそれを記憶に残し,記録に残した。その言葉自体が学びになっていたからである。
だから,評価は,毀誉とともに,ピタリと当てはまらなければ,聴いた側は,ギャップの方に目がいく。
それは違う
ここが違う,
と,素直には受け取れまい。しかし,まあ,たぶん,あいまいに笑って流すしかない。受け取れない理由を説明するには,その乖離をいちいち説かねばならない。で,そう説明しても,その差がどこまで埋まるか…,辿れば,生き方の違いに行き着いてしまう。
勝海舟の福沢諭吉への返事,
行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。我に与らず我に関せずと存候
が,好きなのは,そこまで自恃高く突っぱねられないせいなのかもしれない。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
2014年09月15日
茶事
片岡宗橘さんのお誘いを受けて,「初めてのお茶事」,
https://www.facebook.com/events/299572350223694/?ref_dashboard_filter=upcoming
に参加させていただいた。同じ片岡さんのお誘いで,香道やら,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/393251223.html
についても,また,茶道についても,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/396593854.html
も,それぞれふれたことがある。茶事は,
「『三時の茶』といわれ,三つの時刻に大別される。朝茶事=朝食をかね,夏季の早朝6時頃に案内を出す。正午の茶事=昼食をかね,最も格調高く正式な茶事」
とされるそうだが,今回は,
「正式な茶懐石に,3畳の小間のお茶室のでお茶事」
と,本格的なものの片鱗に触れさせていただいたことになる。感想は,と聞かれると,
自分のお行儀の悪さ,
を思い知らされたが,それ以上に,濃密な空気というか,密室性を感じた。前にも書いたが,『名将言行録』に,あまり真偽は問わぬが花とは思うが,
秀吉に茶室に招待された黒田官兵衛(は茶道に関心がなかった)は,そこで一向に茶を点てず,小田原攻めの話に終始した,そして,秀吉は,
これこそが茶の湯の一徳というものである。もし茶室以外の場所で密談すれば,人から嫌疑を懸けられるが,茶室であれば,その心配がない,
と言った,というのである。ま,しかし,茶室という,(今回食事は別間であったが)狭く閉ざされたところで,濃密な時間が流れる。これは,独特である。つくづく,(今回男の人ばかりであったせいもあるが)男の世界だと感じた。
こういう茶事がいつから始まったかは知らないが,たぶん,当初は,というか,秀吉の時代は,もっと簡単な食事だったのではないか。茶事は,
「茶の湯の食事であり,正式の茶事において,『薄茶』『濃茶』を喫する前に提供される料理のことで,天正年間には堺の町衆を中心としてわび茶が形成されており,その食事の形式として一汁三菜(あるいは一汁二菜)が定着した」
とされる。何を気にしているかというと,こんなに長々やっていたとすると,意図なくしてはやらないのではないか,ということだ。
たとえば,仲間内の関係を深める,関係を深めたい相手を仲間内にする,あるいは,対手を仲間と錯覚させる等々,この時間を共有することで,仲間に入れた,入っている,入りたい,と言った感覚が醸成される。
僕はへそ曲りなので,江戸時代はともかく,室町,織豊期は,この濃密な関係づくりそのものに意味があったはずだと思うのである。つまり,
おもてなし
は単なる心の問題ではなく,もっと生臭い意味があるのではないか。今回は,僕自身が最近不調法になったので,酒の部分は,よく見ていなかったが,
千鳥(の盃)
というのがあり,調べると,「八寸を持ちお詰までお酌と海の物,山の物を向こう付けに取ってもらい一巡したら,千鳥の杯にはいります」
とあり,(長くて申し訳ないがそのまま引用すると)こんな説明を見かけた(流派によって違うかもしれないが)。
「亭主は正客に,『どうぞお流れを』行のお辞儀
正客は,『別杯のお持ち出しを』
亭主は,『お持ち合せがございませんので』
亭主は燗鍋を次客の膳右横に置く。
正客は自分の杯を懐紙で清め,杯台にのせ亭主に手渡す。
次客が,亭主に,お酌
正客は,亭主に,『海,山の物』を懐紙によそい差し出す。
亭主は,杯を清め右手を畳に添えて草のお辞儀をして正客に『暫時拝借いたします。』
正客は「どうぞ!」
亭主はいざって次客にお酌,燗鍋はお詰の膳の右に置く。
亭主は,次客に,『お流れを』行のお辞儀
次客は杯を清めて回して亭主へ渡す。
お詰が,亭主にお酌
お詰は亭主に『お流れを』行のお辞儀
亭主は杯を清め回してお詰に手渡す。
お詰にお酌した後燗鍋はお詰の膳の左に置く。
亭主はお詰に『お流れを』行のお辞儀
亭主に,お酌をした後燗鍋はお詰の膳の右に置く。
亭主は杯を清め盃台にのせ、燗鍋を持って正客の座へ進み、正客に『長々とありがとうございました。』と返しながら、お酌する。
正客いただく。杯を清め回して亭主に渡してお酌をする。
正客『十分にちょうだいいたしましたのでどうぞご納杯を』
このように・・・
亭主が千鳥が舞うように杯を回しつぎをすることから千鳥の杯と申します! いつまでも」(「茶懐石を楽しむ会」のホームページから)
という具合である。
要は,いつまでも呑みつづけていく(特に正客は大変らしい),というわけだ。これって,茶事というより,お茶(け)事,つまり宴会である。しかも真っ昼間の。
江戸時代ならなおさらだが,誰もかれもが招いたり招かれたりされるものでも,そうできるものでもない。こういう場に出ること自体が,一種ステータスなのに違いない。とすると,参加させてもらったことで,あるいはその場に入れてもらったことで,仲間内の濃密な雰囲気に加わった気分になり,一層濃密感は,高まる。
前にも感じたが,茶というのは,
場
そのものをつくる,という感じである。そこにいること,入れてもらうことが,すでにステータスなのである。言ってみれば,社交界デビューみたいなものである。その意味では,もてなす側は,どんなお客様を招き,そういう場(茶会)を設けられること自体が,そもそもステータスのはずである。
記憶で書くが,確か,秀吉が,ある時期に信長から,茶会を開くことを許された。たぶん,信長は限られた家臣にしかそれを許さなかったはずである。秀吉が,信長から,天下の名物・乙御前釜を播磨平定の褒美としてもらったのは,茶会を開くことを既に許している,或いは今後許したという証である。
その後,江戸時代に入っても,なおのこと,茶会を開けること,そこに招かれること自体が,ステータスであったのではないか,という気がする。
つまり,お客,しかも名だたる人を客として招き,茶会を主催するということ自体が,あるいは,そういう席に招かれること自体が,つまり,おもてなしをする側も,それを受ける側も,それ自体が,実に誇らしいことであったに違いないのである。
いま,誰でもが参加できるからといって,ますます作法が,所作が微に入り,細を穿つようになったのは,逆に,それがステータス性を失ったからのような気がする。なぜなら,求められる所作や作法そのものが,そのステータスにいる人にとっては,当たり前の日常的な振る舞いでしかなかったから,そのままの立ち居振る舞いが自然でしかない,そういう雰囲気の場であったのだ。たぶん,そういうことも含めて,自分たちのステータスの確認の場であったのかもしれない。
何はともあれ,お茶事は,お茶(け)事でもあるらしく,そこにも,色濃く,かつての時代の軌跡を,残しているように思う。ただ,宴会のように崩れるのを抑制しているのが,上記のような作法というか所作というか,それ自体がおのれの出自をあらわすという矜持が全体の品位を下げないものになっていたのではあるまいか。そして,それは,今日も,その決まりごとを外さないことで,なし崩しにぐずぐずになるのを押しとどめている仕掛けに見えてくる。それが,品を保つ下支えになっているように見える。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
2014年09月16日
思い
人生初体験のお茶事の後,時間があるので,Fad Fairに参加されている,
https://www.facebook.com/events/329174273927366/?ref_dashboard_filter=upcoming
報美社の古石紫織さんの個展に伺った。
まず目についたのは一点,案内はがきに載っていた「森を抜けて」が正面にあって,目に飛び込んできたが,左手に,シリーズの,#4(だったか)だ。前者よりは,後者に,新しい何かを見つけそうな気がした(ちょっと影絵のデジャブ感はあったが)。
その花を少しデフォルメした絵を前に,作家に,話を伺っているうちに,
内的葛藤
をストレートに出した,とおっしゃった。思いというか,意味にこだわる方のようだ。聞き間違いかもしれないが,
デッサン(写生)に思いを載せて(初めて)絵になる,
というような言い方をされた。モノを描いた(写生した)だけではなく(それはまだ絵ではない),そこにおのれの思いが載せられて,初めて自分の絵になる,あるいは,
自分の思いを投影出来るモノに出会って,初めて絵になる,
ということでもある。それは,
おのれの思いを載せるに足るモノを発見した,あるいは創り出した,
ということなのかもしれない。ぼくは,
自分にしか見えないものを描き出す,
のが作家(文学者も含めて)なのだと思っている。
意味にこだわることは,僕は嫌いではない。意味づけは,目的の明確化につながり,おのれの大事にしている何か,価値につながるのだから。ただそれは,あくまで作家の内面の問題でしかない。
その意味で言えば,僕は,作家の思いではなく,作家が,思いを乗せて,描いたものにしか関心はない。どんなに思いが強烈でも,その思いが,表現のレベルとして,観る側に何かが見えなければ,その思いはなかったのも同然なのだから。
それで思い出したが,吉本隆明は,言語についてだが,
自己表出
と
指示表出
という使い分けをしていたが,それは,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0924.htm
で書いたように,時枝誠記の言う辞(主体的表現)と詞(客体的表現)につながる(時枝誠記は,日本語の構造は,客体的表現を主体的表現で包むという風呂敷型だと主張した),
自己表出は内的主観の表出
と
指示表出は外的な対象の指示
という意味であり,両者がなくては,表現自体が成り立たない。で,気になって吉本隆明の本を取り出して,ぱらぱらめくっていたら,
「言語の表現は,作家がある場面を対象としてえらびとったということからはじまっている。」
という文章に出くわした。そのとき,その場面が,自分の表出しようとする何かと重なったということなのかもしれない。しかし,もっと言うなら,まずは自分の思いを言葉に載せる,その言葉を選び取った瞬間から始まるのかもしれない。しかも,その言葉が,必然的に次の言葉を導き出し,それにつられて文脈を引き連れてくる。
そのあたりの機微はよくわからない。というのは,
思いが言葉になる,
のか,
言葉が思いを引き出す,
のか,
は,ちょっと微妙に思えるからだ。だから,場面を選び出す前に,表現する対象を求める思いがある,と言ってもいいのかもしれない。
ただ,しつこいが,そのプロセスは,観る側にとってはどうでもいい。見せてくれたものが,
観たこともないパースペクティブを開いてくれるものであるかどうか,
だけなのだ。別に作家と同じものが見える必要はない。そこに,初めてみる,
光景を見るか,
心象を見るか,
感情を見るか,
風景を見るか,
おのが思いを見るか,
は観る側の問題で,開いてくれた視界が,観たこともない何かを眺望させてくれるかどうかなのだ。あるいは,そこにおのれの思いを託すに足るかどうかなのだ。
その意味で,思いをどう描くかは,すべての作家の原点のようなものなのだろう。横道に入るようだが,
思う
は,「オモ(面)+フ(継続・反復・動詞化)
で,相手のオモ(面・顔)を心に描き続けるという説があり,顔に現れる心の内の作用を表す,とする。
もう一つは,
「重+フ」
と,ものを思う気分は重い気分という説がある。ま,これは,ちょっと作為的かもしれない。
思いとは,思うに,自己対話である。いつも引いて恐縮だが,キルケゴールの,
「人間は精神である。しかし,精神とは何であるか?精神とは自己である。しかし,自己とは何であるか?自己とは,ひとつの関係,その関係それ自身に関係する関係である。あるいは,その関係に関係すること,そのことである。自己とは関係そのものではなくして,関係がそれ自身に関係するということである。」
である。しかし,自己対話自体は自己ではない。
自己対話との関係
つまり,自己対話そのものとの対話,
自己対話へのメタ・ポジション
である。だから,自己の葛藤が表出できる。そのとき,それを外へ表出しようとする,それが,愚痴であれ,怒りであれ,号泣であれ,暴力であれ,それはそれで,表出である。しかし,その表出は,
自己完結している。どこまで行っても,自己の自己の自己の自己…の,ちょうど鏡の中の自分の目の中の自分の目の中の自分の目の中の自分…を見ているだけだ。
それでもいいという人は,表現には向かわない。それを何らかのカタチで外在化させ,表現しようとするには,するだけの矜持というか自信というものがいる,
ここで見得ているものは,自分にしか見えないものだ,それを他の人にも見せたい,
というような。
確か,吉本隆明はどこかで言っていた。
文句なしにいい作品というのは,そこに表現されている心の動きや人間関係というのが,俺だけにしか分からない,と読者に思わせる作品です,この人の書く,こういうことは俺だけにしかわからない,と思わせたら,それは第一級の作家だと思います。
読者や観る側が,
そこにおのれのみの(おのれにしか見えないはずの)思いを見させる,
と言い換えてもいい。
それには,逆に言うと,作家自身に,自分にだけ見えた何かがあり,その見えた世界を,伝えようとする思いがあるからこそにほかならない,という気がする。
もちろん,ここでは,表現手段や方法の是非,可否はちょっと棚に上げている。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
吉本隆明『言語にとって美とはなにか』(勁草書房)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
2014年09月17日
小三治
広瀬和生『なぜ「小三治」の落語は面白いのか?』を読む。
小三治
と呼び捨てにしていいのかどうかわからないが,その方が師匠というよりは,親近感がある。
著者は柳家小三治の追っかけである。
「1970年代から落語を聴き始めて,僕は随分と小三治の高座を老い掛けてきた。古今亭志ん朝や立川談志も追いかけたが,単純に『ナマで聴いた回数』だけで言えば小三治が一番おおいだろう。」
本書は,小三治のインタヴューを採録した第一章と,小三治の主要演目九十席を紹介する第二章によって構成されている。
この本の出版自体,難航したらしい。
「一冊まるごと小三治読本」的な単行本
というアイデア自体に,小三治が難色を示した,というのだ。小三治はこう言ったそうだ。
「あなたの文章は好きですよ。(中略)ただねぇ,……私は談志さんじゃないから,自分のことを本にされたりするのはどうもねぇ……うーん……」
と考え込み,あらぬ話をし続けて,二時間後,
「まあ……あなたがこう思う,こういうところが好き,みたいなことを書くのはいいでしょう。誉められても喜ばないけどね。」
と,やっと出版にOKが出た,構想からやっと三年半を経て,上梓の運びになった,という。
九十席の方はともかく,二つのインタビューは出色である。
小三治が,
市馬に,
「お前の噺は押し付けがましい」「噺は,高座の上で起こっていることを,人が覗きに来て,クスッとわらうようなものじゃなきゃいけない」
(柳家)花緑に,
「ウケリゃいいとおもっているのか」
(桃月庵)白酒に,
「お前,この噺,いつもやってるだろ」
と若手に一言言ったことが,結構効いている,と言われた反応がおもしろい。
「ぶふっ(吹き出す)。そうかなあ。だとしても,それは会長(落語協会)になったから若い人たちがそう思うんであって,その前だって,言う時は言いましたよ。だって,他に私,言うことないから。今あなたが挙げた,私が彼らに言ったという内容は,私の,自分自身への戒めであったり,人を見る時の目であったりするわけです。高座の上から演説みたいに発表する形の芸っていうものは,私自身が面白くない。夢中になれない。笑わしてやろう,みたいな,何かを高座の上から放り投げてくる,台詞か何かをぶつけてくる…そういうものには全然,感じない。それは落語だけじゃない,他の芸もそうですね。コメディアンにしろ,漫才にしろ何にしろ,舞台の上で何かを埋めつくしてくれて,聴いているお客さんが自分の存在すら忘れてその舞台の中に溶け込んでいけるってことに,妙味を感じるタチなんだな。(中略)さっき名前が出たような噺家は,落語の何たるかをやろうとしている人たちなんだな,ってことは感じるわけですね。」
それは,ご自分が師匠の五代目柳家小さんに,
『長短』を聴いて,「お前の噺は面白くねぇな」と言われたり,
『あくび指南』について,「あの噺はあんなに笑わせる噺じゃねぇんだ」「ダメだよあれじゃあ。それじゃ(古今亭)志ん朝さんとおんなじだ」と言われたり,
『道灌』について,「お前の隠居さんと八っあんは,仲が良くねぇ」と言われたり,
「その了見になれ」と言われたり,
等々したことを,後輩に伝えている,と見えなくもない。
その会話の端々に,小三治の落語観というか,落語の世界観のようなものが見える。それだけを,拾ってみると,こんな感じである。
「私が辿り着いたのは,『どうだ,こんなすごい噺があるんだぞ』ということじゃなくて,たとえどんなすごい噺でも,そこから,自分の生活の中の,実体験の何かを思わせる,それによる共感っていうものが大事なんだ,」
(『長屋の花見』について)とにかくやれば,まあこう言っちゃ申し訳ないけど,仲間の誰よりもウケるな,ってことは知ってるんです。でもね。誰よりもウケるからやる,っていうのはね,自分の満足ではない。ウケなくてもいいから,自分が,,うん,これはいいな,と。自分で心を見たすことが出来れば満足なんですけど。ウケるからやってるっていうのは,なにかね,自分で自分をバカにしているように思える。」
(二ツ目の噺を聴いて)「世間で面白いって言われている人でも,あんまり面白くないっていう人が多かった。それより,面白くないけど,この人の噺って聴いてると,その中に引き込まれるな,っていうのがあるんですね。うんうん,で,その次どうなるの,それからどうなるの,って思えるんですよ。どうもね,最近の若い人は,ウケないといけないと思っているらしい……まあ私もそうだったかな。でも,ウケなくっていいんです。そこが志ん朝さんとちがう。」
(小さん師匠の「ご隠居さん八っつあんが仲が良くない」について)「『その了見になれ』。了見になれってのは,その人になり切れってことですけど,その人になり切ると,ウチの師匠が言うには,その背景が見えてくるっていうんですよ。だから背景が見えてこないうちは,なり切っていないんだな。」
「俺がやりたいのは,本を素読みにしても面白くないのを,噺家がやると,こんなに面白くなるのかい,って噺にしたいわけ。」
(小三治の『千早振る』を聴いた入船亭扇橋が「落語って哀しいね」と言ったことについて)「それはね,ホントにね,落語って面白くて楽しいんだけどね,哀しいんですよ,どっか。それはね,あいつから改めて突きつけられた。そう言われると,落語はみんな哀しい。『長屋の花見』にしたって哀しい噺だよ。」
「通りすがりの人がたまたまそこに咲いている花に目がとまって,ああ,いいな,と思うような感じで自分の落語を聴いてもらうのが一番いい。それをめがけてわざわざ見に来る,というのは好きじゃない。」
(扇橋について)「高座で,私の理想は扇橋です,つて言ったこともあります。でも若い時はあいつが理想じゃなかった。…歳取ってからの扇橋のどこが理想かっていうと,自分の世界を持っているっていうことですかね。ここでこうやってギャフンと言わせてやろうとか,そんなのは何もない。ヒョイヒョイヒョイ,ヒョイヒョイヒョイって感じ。四代目小さんっていう人の残した音源を聴いてみると,あんな感じだった。(中略)ずっと聴いていると,スーッと世界が広がっていくんですよね。」
「この頃,笑わせ過ぎだよ,みんな。何とか笑わせようと思ってクスグリ入れたりね。あんなことしてちゃ,ダメなんじゃない?自然に面白くって思わずわらってしまう,っていうのが落語なのに,どうしてあんなにクスグリ入れるんですか?それまでとってもいい出来だった人が,そのクスグリ入れた瞬間に,今までのこと全部ご破算になっちゃうんですよ。もったいないねぇ~!」
(上野鈴本の『山崎屋』について,扇橋が「またやってよ」と言ったことについて)「あの『山崎屋』はよかった。……なんて言ったってね,自分で良かったと思っても,そんなものは評価にはならないかもしれないけど,でも自分のためにやってる芸ですから,自分がいいと思えばいい。でも,なかなか自分でいいと思えないですよねぇ。あれは良かった。ただ,それを扇橋が聴いてたってこと,それをあいつが忘れないってことにビックリした。あいつ,芸がわかるじゃねぇか,と思っちゃったりなんかしてね(笑い)」
最後に,ライバルを聞かれて,そんなものはいない,と答えて,
「誰がライバルかっていうと,自分だった。今日は昨日の自分を追い越せたか,っていうのを,自分に課してきた。これはね,とてもつらいことになってきますね,だんだん。でもそれはもう,自分自身のトラウマみたいになっているから,癖として,変えることは出来ない。だから,これでいい,ってことは,多分ないでしょうねぇ。」
と答え,こう言うのが印象深い。
(いままでいちばんよかったということではないが)「自分がそこからスーッと抜け出て,何か違う世界出やっていたな俺は,みたいなものが,滅多にありませんけど,何回かあった。」
それは,著者の言う,2008年三月の三鷹での独演会の『千早ふる』なのにちがいない。自身も,「このまんま死んでもいいと思うくらい」の出来だったという。その場が「一つになっていた」と著者は振り返る。
随所に謦咳が聞こえてくるような錯覚を覚える。これだけで,もう十分小三治ワールドである。
参考文献;
広瀬和生『なぜ「小三治」の落語は面白いのか?』(講談社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
ラベル:小三治
2014年09月18日
プロデュース
久しぶりに,第14回 アートプロデューサー竹山貴の「月例 あなたの知らない世界」
https://www.facebook.com/events/1518801601669591/?ref_dashboard_filter=upcoming
に参加させていただいた。いろいろ掘り下げた話が出されたが,そのままここで出すわけにはいかないので,僕なりの解釈で,まとめてみたい。
まずは,全体を聴いて,
Produce
ということの意味を思った。
Produce
を辞書で引くと,
前に(pro)導き(duce)出す
とあった。だから,意味的には,
生ずる,産する,創作する,描く,というアウトプットする系
と
引き起こす,将来するという招き寄せる系
と
提示する,提出する,取り出すといったささげる系
と
世に出す,上演するといったパフォーマンス系
等々があるが,どちらにしても,外へ出す,ということである。しかし,日本語では,
映画・演劇・テレビ番組などを企画・製作する
という意味に特化してしまう。だから,
プロデューサーは,
映像作品,広告作品,音楽作品,ゲームなど,制作活動の予算調達や管理,スタッフの人事などをつかさどり,制作全体を統括する職務
となり,プロデュースは,
「様々な方法を用いて目的物の価値をあげること」
ということになるらしい。それは,製作全般を統括するという言い方ではなく,元のproduceの意味のように,
前に導き出す
という意味に近い気がする。まあ,舞台を設えて送り出す,という感じか。しかし「前」へ,「舞台」へ,出すにしても,プロデューサー自身が,それを推せないものは出せまい。だから,僕は,プロデュースの鍵は,
目利きすること
ではないか,という気がした。それは,
メタ・ポジション
に立つ,といってもいい。作家も顧客も,あるいは歴史も,業界も,俯瞰するメタ・ポジションをとれること,それがすべてであるような気がする。で,その眼力を証明するためにも,作家を,どうエンカレッジし,育て,製作物をどうプロモートしていくかの仕事が,その意味として出てこざるを得ない。
この場合で言えば,作家という存在の目利きである。いまのそれから,どれだけの「のびしろ」があるかを,見極めなくてはならない。それは,こう言うことらしい,
本人の努力と精進で補えるものがどれくらいあるか,
というふうに言い換えてもいい,と。逆に言うと,
どんなに努力と精進をしてもどうしてもカバーしきれないもの
つまり伸び白の限られているもの,いわば素質を,見きわめることだ。
誰もが,どんなに努力しても(それができること自体が才能ではあるが)イチローにはなれない。才能という言葉は使いたくないが,もって生まれた素質というか素材の可能性を見極めるということらしい。
前にも書いたが,
能力=知識(知っている)×技能(できる)×意欲(その気になる)×発想(何とかする)
という公式は,実は素材の良し悪しを抜きにしている。教育のレベルではそう言うしかない。しかし,実は,どんなに努力しても超えられない壁がある。それは身をもって体験してきた。
アートの世界は,画いたもので,歴然と差がつく。
どんなデッサンが優れ,鋭い観察力を具えていても,それだけでは超えられないものがある。それは,原石に過ぎない。しかし,磨いて光る石か,磨いても光らぬ石かの,その素質が,備わっていなければ,努力だけでは超えられない壁がある。
しかし,目利きは,おのれの目利き力すらも,
メタ・ポジション
から見極めなくてはならないもののような気がする。
その目利き力は,想像するに,あるステージに上った時,はじめて,見える世界の違いに気づく,そういう類のものかもしれない。目利きする作家とは,多分二人三脚であるはずである。目利き力が挙がれば,それにかなう作家が,近づいてくる。そのポジションからの風景もまた変わるはずである。
自分がいいと思えないものをプロデュースできないはずである。
当然見える風景が変われば,目利きの基準もまた上がっているはずである。最近,竹山氏のプロデュース作家の絵が変わってきたような気がするのは,錯覚であろうか。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
2014年09月19日
嘲る
嘲るというか,
せせら笑う
というか。国会答弁で,為政者が,質問者を嘲笑い,
もう何べんも,何べんも,何べんもお答えしました,
とおちょくるような言い方をする。これが,そのままネトウヨで見られる。
放射脳
といって嘲る。多分,両者の心性は,地続きなのだろう。ぼくも,ブログで恫喝というか脅迫された。その経緯は,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/403646192.html
で書いた。
たぶん,相手には,嘲る根拠はない。ないが,嘲ることで,相手を見下ろしたことになる。事実としてではなく,そういう境地になれるらしい。
嘲るは,
「アザケ(毒々しい様子)+ル」
で,馬鹿にして悪く言ったり,嗤ったりする意という。
アザムク
アザワラウ
と同根の動詞らしい。
相手をあざける,とは,
相手を見下ろす
ことが出来て初めて可能だ。それは,相手自身の言動か,相手自身のありようか,相手自身の出自か,何はともあれ,おのれより下に見る要素があれば,相手を見下す。
追従も似ているのかもしれない。ちょうど裏返しの心性か。追従は,
相手を実際より持ち上げてその気にさせる,その分自分をダウンさせながら,実際には,相手を支配し,勘違いしている相手を見下す,
ということだ。それもまた,嘲りの対象になる。いずれも,等身大で,きちんと向き合おうとしないところでは同じだ。しかし,それにしても,
何のために?
それは,おのれをその分アップできるからだ。だから,逆に言うと,相手を見下す材料を見つけさえすれば,
それが言葉尻でも,事実の誤認でも,知識不足でも,誤字でも脱字でも,識字でも,顔でも,出自でも,服装でも,振る舞いでも,勘違いでも,言い間違いでも,
何でも構わない。
放射脳
ということで,放射能を真摯に問題にしている人を嘲笑う。あるいは,最近は,
反日
が嘲笑の言葉らしい(反戦も,反原発も,反秘密保護法も,反人種差別も,反基地も,皆反日でくくられる。恐ろしいのは,そのうち,そういう批判そのものが反日となっていく風潮だ)。
それが事実かどうかではない。そういう心理状態に立つことが必要なのだろう,と憶測するしか,僕には理解不能の心性だ。蔓延する,嫌韓,嫌中もその伝だ。
例えば,一国のトップが,国会での質問に立った議員に対して,
(もうそのことは)何回も,何回も,何回も,申し上げました
ということで,それを理解しない相手をあざける材料とする。しかし,国会とは,それがたとえ同じ質問であったとしても,それについて,真摯に答えて,国民に明らかにするために,有給で,開かれているなどという正論は,この際脇に置く。
だとしても,まずいくつかの噓がある。
何回も,何回も,何回も,
と繰り返すほど説明したとは思えない。仮に説明しても,相手に伝わらなければ,伝えた側の責任である。ま,しかし,この程度の人間に責任などと言っても仕方がない。大事なのは,
何回も,何回も,何回も,
と繰り返すことで,自分にもそう思い込ませ,そう思い込むことで,相手を下に見る根拠を自分で造りだしている,自己欺瞞というか,自己催眠なのではないか。
そして,「言った」というのも,
言ったところで,伝わらなければ,あるいは,相手が理解しなければ,言ったことにはならない,
等々という,コミュニケーションや議論の当たり前が全く通用せず,本人が,
言った,
と思い込むことで,それを理解できない,あるいは,すでに言ったのに,またぞろ繰り返す相手を貶める材料にしている。
まるで子供である。
言ったじゃないか,
聞いていない,
という水掛け論が上司部下でも,上位者下位者でも,起きたときは,
言ったとする上位者のコミュニケーションミスである,
というのが原則である。コミュニケーションとは,
伝わったことが伝えたことである,
つまり,言ったと言い張っても,聞いていないと言われたら,言っていないのと同じなのである。まして大事な国会論戦である。
しかし,言ったと言い張って,説明しようとしない。
ガキと同じである,でなければ,病気である。
どうも,見ていると,
丁寧に説明する
説明不足
というだけで,で説明した気分になっているらしいのである。でなければ,被爆者との懇談で,説明する絶好の機会に,ただ同じことを繰り返し,納得しないという反応に,
見解の相違
という切り捨てる言い方はしない。見解の相違もなにも,相違を詳らかに議論をしたとは思えないのである。
どうやら,一回何か言うことが,
説明した
という意味と見なしていると捉えなければ,理解不能である。
そう考えると,見下す根拠がないのに,見下せるのは,
一回言ったのに(自分的には何度も説明したという意味),理解しないで,反対する奴は,
と見なているとしか言いようはない。
とんでもない人間がトップになっている。果たして,外遊して何を話しているのだか,はなはだ心もとない。お金を背負ていくので,それだけで見下しているのかもしれない。
今日のアイデア;
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2014年09月20日
いわく
いわくは,いわゆる,
曰く
からきている。
わけ
とか
仔細
とか
事情
という意味である。
いわくつき
とか
いわく因縁
とか
いわく言い難し
という用例になる。
浩然の気を問われて,孟子が
いわく言い難し
と答えたという。言葉では何とも説明しがたい,という意味だが,
曰く
つまり,「言う」から来ているのを思うと,なかなか面白い。しかし,
いわく
は日本語である。語源は,
イハ(言ふの未然形)+ク(名詞化の接尾語)
で,言うことには,の意。それが転じて,理由,事情となった。
(未だ)言わんとした状態のまま,
と考えると,いわく言い難しはよくわかる。言外の意味と言うか,口に出せないという意味から,わけあり,となるのも分からなくはない。
僕の記憶が間違いでなければ,かつては,
子曰く
を,子のたまわく,と訓ませていた。
のたまわく
とは,
ノタマハ(のたまふの未然形)+ク(名詞化)
だという。ちょっと納得しがたい。で,もう少し見ると,
のたもう(宣う)
とある。
ノリ(宣るの連用形)+給ふ
の約まったもの,とある。言う,告げるの尊敬語ということになる。
つまり,もともとは,
曰(エツ)
には,言うの意味しかないのに,日本語で訓むとき,勝手に「のたまわく」と言っていたことになる。
曰
は,口をあけてものを言う,という意味。
口+乚印で,口の中から,言葉が出てくることを示す,
と言う。因みに,
謂う
は,口を丸く開けてものを言う
で,特に,人に対して言うのを指す。あるいは,その人を評するのにも使う。で,何かをめぐってものを言う時に使う。
言う
は,「辛(きれめをつける刃物)+口」で,はっきりと角目を付けて言うことを指す。
云う
は,口ごもって声を出す意。
道う
は,言うと同じのようだが,「言うは実用にして重く,道うは,虚ようにして軽い」と説明にある。ちょっと意味が分からないが,たとえば,
孟子性善を道う。言えば必ず堯・舜を稱す。
と使い分けている。
よく似たのに,
いわれ(謂われ・言われ)
がある。
由来として言われていること,来歴,理由
の意味で,
謂われ因縁(物事の起こった由来)
という使い方もある。語源は,
言は+る(受身)の名詞化
だという。これは,延々と「言われ」てきたこと→由来と考えれば,そのままだ。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
今日のアイデア;
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