2017年08月01日

ぬけぬけ


「ぬけぬけ」は,

抜け抜け,

と当てるが,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/452281880.html?1501444442

で触れた「しゃあしゃあ」と似た意味で,

厚かましい,

意味だが,由来は少し違う。『広辞苑』には,

次第に列を離れてゆくさま,ひそかに逃れ出るさま,

という意味があり,その上で,

巧みに言い抜けをするさま,
知って知らないふうをする,
しらじらしいさま,
厚かましいことを平気でするさま,
愚鈍で,他に欺かれるさま,

とあるので,明らかに,

蛙の面に水,

と「しゃあしゃあ」という擬音語と繋がりそうな,「しゃあしゃあ」とはどこか違う含意がある。『大言海』には,

ぬけぬけと,

で載り,

鉄面皮なる状に云ふ語,

の前に,

他に謀(たばか)られて,智の足らぬ状に云ふ語,

とある。例を見ると,

「大将は,ヌケヌケトしなされ」(盛衰記),
「ヌケヌケト判官に相続きていく」(同),

が載り,相手に「ぬけぬけ」としてやられる,という状態を指す。『岩波古語辞典』を見るともっとはっきりする。

目立たないようにこっそりと抜け出す(「先駈けの兵(つわもの)ども,ぬけぬけに赤坂の城へ向かって討死する由」(太平記)),
いかにも抜けているさま(「虯(きゅう)ぬけぬけとして帰りぬ」(沙石集)),
あつかましいさま,しはらばっくれているさま(「噓ばかりぬけぬけと云ふて」(難波鉦)),

と意味が載る。この意味の転換を,想像するなら,最初は,どうやら,

集団からそっと抜けでる状態表現,

であったと推測される。その場合,逃亡とは限らない,抜け駆けのために抜け出る,という意味もある。つまり,そこにれ背是の価値判断はない。しかし次に,それをされた側の,

知らんふりをするというか,平然とする,

という状態表現へと転化し(その場合必ずしも厚かましいという悪い意味だけではない),やがて,その状態の,

平然とした状態,

の価値表現へと変り,その主体の状態が,

愚かしく,
愚鈍,

と見えるという価値表現を挟んで,それをする相手へ転嫁して,相手の,

図々しい,
厚かましい,

と価値表現いう意味にシフトしていく,という感じであろうか。あるいは,功名を焦るにしろ,逃げるにしろ,集団を密かに抜け出る態度が,集団の正否を無視した,

厚かましさ,

という意味になったのかもしれない。もしこういう流れなら,最初は,いわゆる,

抜駆け,

の状態の表現だったのではないか。「抜駆け」とは,

「主将・部将の命令によって行動することが戦(いくさ)の不文律であるが,功を焦った武士の中には往々自分の判断で奇襲攻撃をすることがある。これを抜駆という。味方に悪影響のないときは,暗に功名と認められるが,抜駆行為によってかえって味方が敗れたり,討死する例が多いので,原則としては禁じられていた。それでも抜駆は軍記物にもよく出てくるのである。『太平記』笠置軍条にも,『高橋又四郎抜駆して独り高名に備へんとや思けん。纔(わずか)に一族の勢三百余騎を率して笠置の麓へと寄りたりけり』とあるが,後世は抜駆して功を立てても認められず,逆に罰せられることもあった。」

というもので,「ぬけぬけ」の意味の変化には,抜駆けへの功罪の変化が反映しているのかもしれない。戦国後期からの戦法そのものの変化という背景が想像できる。

『擬音語・擬態語辞典』には,「ぬけぬけ」について,

「室町時代には,おもに『ぬけぬけ』の形で,『人が集団からひそかに一人一人抜け出ていく様子』を表していた。『兵衛佐の郎従どもをば兼ねて皆抜け抜けに鎌倉へ遣わしたり』(太平記)。『日葡辞書』では『ぬけぬけに参る』を,『徐々にこっそりやってきた』と解説している。また,『ぬけぬけと』の形で,『間の抜けた様子・愚かな様子』の意味も表した。『子細を問へば返事もせず。ぬけぬけとぞ見えける』(沙石集)。ともに『抜ける』から派生した語であった。現代と同じ意味になるのは江戸時代からで,愚かな人が他人を気遣わないで行動するところから派生したのだろう。」

とある。しかし,

「愚かな人が他人を気遣わないで行動するところから派生したのだろう。」

とは,如何であろうか。なお,江戸時代には,「ぬくぬく」で「ぬけぬけ」の意も表した,とするが,『江戸語大辞典』には,「ぬけぬけ」も載らない。

参考文献;
笹間良彦『図説 日本戦陣作法事典』(柏書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)


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2017年08月02日

裏切り


金子拓『織田信長-不器用すぎた天下人』を読む。

織田信長 不器用すぎた天下人.jpg


「はじめに」で,下克上の時代,この時代を代表する信長も,

「彼の一生が,家臣・惟任(明智)光秀の謀叛(本能寺の変)によって,劇的なかたちで幕を閉じるということを考えたとき,やはり信長は,この時代の風潮を体現していると考えてもゅ禰されるのではあるまいか。」

と書く。だから,信長だけが特異だったという訳ではない。斉藤道三は,息子義龍に背かれ,武田信玄は嫡男義信に背かれている。

「あとがき」で,キーワードを,

裏切られ信長,

だと書いていた。取り上げているのは,

浅井長政,
武田信玄,
上杉謙信,
毛利輝元,
松永久秀,
荒木村重,
明智光秀,

である。

松永久秀,荒木村重,明智光秀,百歩譲って,義理の弟になる,浅井長政,までは,「裏切り」という言葉が妥当かもしれないが,武田信玄,上杉謙信,毛利輝元は,あくまで外交上,誼を通じたにすぎず,外交上の友好関係がくずれたのをもって,「裏切り」とするのはどうであろうか。

また取り上げた人物の中に,弟・信勝が入っていないのはなぜだろう。信勝は,信長が家督相続後,最初の謀叛,弟信勝(信行)が林秀貞(通勝)・林通具・柴田勝家に擁立されて,挙兵。敗れた後許されても,なお信勝は,再度謀反を企て,謀殺されるに至っている。この信勝を取り上げていないのはなぜだろうか。

家臣の裏切りで,信長の特徴的な対応は,松永久秀,荒木村重ともに,言い分を聞こうとしていることだ。例えば,久秀の再度の裏切りに対しても,

「何篇(いずれへん)の子細候や,存分に申ウォーキング・近所そし上げ候わば,望みを仰せ付けよう」

伝者の松井友閑に伝えたし,荒木村重には,

「早々出頭もっともに候。待ち覚え候。そこもと様躰(ようてい)言語道断是非なくそうろう。誠天下の面目を失う事どもにそうろう。存分の通り両人に申し含め候・かしく。」

と,使者に申し開きさせようとするる姿勢は同じである。後世,大坂の陣で,片桐勝元が徳川に通じているといううわさがあったとき,下問された浅井一政の回顧録に,

「側近少々を召し連れて勝元のところへいらっしゃり,説得されるのがよろしいのでは」

と助言したとある。一政は,その際,

「昔信長様おとなむほんを仕る時,か様に成されたる由承り及び候」

と,信長を引き合いに出した,とある。著者は,その真偽は別として,

「ほぼ同時代に,家臣の謀叛に遭遇した信長の行動が,このように伝えられていることは注目してよいかもしれない。」

と書く。上記浅井一政は,近江・浅井氏の一族なのである。家臣に対するこういう行動は,外交関係については,難しい。状況が,生き残りをかけた戦国大名自身の意思決定に基づくからだ。やはり,家臣と,同列に論ずるのは無理があるのではないか。

いまひとつは,例の,本能寺の変での,信長の一言,

是非に及ばす,

である。この意味は,

是非を論じている場合ではない,

という意味に取られるが,村重への手紙でも,

是非なし,

という文言がある。著者は,

良い悪いの判断をしても仕方がない,

つまり,

「しかたがない,やむをえない」

の意味を取っている。まあ,ぶっちゃけ,

しゃあない,

という言葉だろう。外交関係の破綻では,そういう言い方はしないだろう。武田信玄の遠江侵攻に,是非なし,などとは言わないだろう。上杉,毛利との敵対化にも,そんなことは言うまい。お互い,利害での結びつきなのだから。

信長.jpg

紙本著色織田信長像(狩野元秀画、長興寺蔵)


僕は,この,

是非なし,

という言葉に,下克上を,尾張一国から初めて生き抜いてきた信長の,

性根,
心ばえ,

をみる。そういう時代に生きている,ということに覚悟があったのではないか。

参考文献;
金子拓『織田信長 不器用すぎた天下人』(河出書房新社)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7


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2017年08月03日

ぬくぬく


「ぬくぬく」は,

温温,

と当てる。

あたたかいさま,

という意味の他に,

不自由ないさま,
平気なさま,ずぶといさま,

という意味がある。『岩波古語辞典』には,

ずうずうしいさま,
できたてのさま,

の意味が載る。「できたてのさま」は,「あたたかい」状態を示している別の言い方である。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/452312302.html?1501533503

で触れたが,江戸時代,「ぬくぬく」で,

ぬけぬけ,

の意を表し,

「この孫右衛門をぬくぬくとだまし」(浄瑠璃・心中天の網島)

という用例がある(『擬音語・擬態語辞典』)。

温温,

を,

おんおん(をんをん),

と訓ませると,

人の性質がおだやかなさま,
ぬくぬくとしてあたたかそうなさま,

という意味だが,「温」を,

ぬく,

と訓むと,

遅鈍なものを罵って言う語,のろま,

という意味になる。たとえば,

「其処なぬくめ」(浄瑠璃・鑓の権三重帷子)

という使い方になる。

ぬく助,
ぬく太郎,

という言い方もする。

「ぬく(温)」は,

「形容詞ヌクシの語幹」

で,

ぬく(温)し(ぬくい),

は,『岩波古語辞典』には,

あたたかい,

意味しか載らないが,『広辞苑』には,

(近世上方方言)遅鈍である,おろかしい,

という意味が載る。逆に,『江戸語大辞典』には,「ぬく(温)」で,

お人よし,まぬけ,鈍物,

の意味しか載らない。『擬音語・擬態語辞典』には,

「室町時代に現れる語。『温柔家は,ぬくぬくやわやわとした処ぞ』(四河入海)。『ぬく』は『温』の意味があり,温まる意の『ぬくむ』『ぬるまる』,温かい意の『ぬくい』などと関係がある。『ぬく麦』は冷や麦に対する温かい麺類。『ぬく飯』は冷や飯に対する炊き立ての飯。」

とあるが,「ぬく」が,

のろま,

の意味になった謂れは分からない。ただ,「ぬくぬく」の意味の中に,

寒いときに布団に入ったり服を着たりして身が温かい様子,,
温かいところで大事に育てられたように,苦労しないで気楽に過ごしている様子,
他人を出し抜いて苦労しないで利益を得る様子,

と,「ぬくぬく」の含意を丁寧に説明する。これで,『日本語源広辞典』の言う,

温かい状態→不自由のないめぐまれた状態→平気で図々しい様子,

と転じていく流れが見える。キーになったのは,江戸時代の,「ぬく(温)」の,

のろま,
お人よし,

という罵り表現で,これを挟んでみると,

温かい状態→不自由のないめぐまれた状態→お人よし→のろま→平気で図々しい様子,

と,意味が,単なる状態表現から,それの価値表現へ展示。その価値が貶められていくという様子が想像できる気がする。

ところで,『甫庵信長記』に,信長の言葉で,浅井(長政)氏を指して,

「大ぬる者」

と評する文章がある。

「彼の大ぬる者の浅井が所存にては,両城(上洛の途次の観音寺城と箕作城を指す)何れもやはうけ候べし」

「大ぬる者」とは,「ぬるい」の「のろい」「機敏でない」「頼りない」の意味があり,当てにならないという含意である。「ぬる(微温)い」の含意は,「ぬく(温)」の意味と通ずるところがあるようである。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2017年08月04日

城攻め


渡邊大門編『地理と地形で読み解く 戦国の城攻め』を読む。

地理と地形で読み解く 戦国の城攻め.jpg


同じ城攻めをテーマにした伊東潤『城を攻める 城を守る』については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/397675168.html

で触れたことがある。今回は,戦国期(織豊期まで)の,籠城した城の攻防に焦点を当てて,25例載せている。そのために,それぞれの攻防両者の事情,経緯,背景にはあまり紙数を避けず,奥行がないのは,やむを得まい。

「はじめに」で,

「城攻めの成否を握るのが地理と地形である。いうまでもないが,城は場所を十分に考えて築城されている。(中略)必要である。イントであった。周囲に構築された,砦などとのネットワークも攻守に必要である。それゆえ,難攻不落の名城は多い。
 いわば,戦国時代の城郭とは,当時の人々の英知の結晶であるゆえ,それを攻め落とすことは並大抵ではなかった。本書は,単に城攻めの経過をたどるだけではなく,…城郭の築かれた場所(周辺地域も含めて)の地理的な条件や地形に留意して,検討を行ったものである。」

と述べ,城の特徴に合わせた攻め手の工夫が見物である。本書は,中央に偏り,

織田方武将の城攻めが,

高天神城,
観音寺城,
魚津城,
八上城,
有岡城,
信貴山城,
小谷城,

が,次いで,秀吉の城攻めが,

鳥取城,
備中高松城,
三木城,
紀伊太田城,
長水城,
忍城,

と多い。あとは,関ヶ原と関連した,

長谷堂城,
上田城,
大津城,
安濃津城,
岐阜城,

が続く。ほぼ日本の中央を制した織田・豊臣方の城攻めが多いのは,やむを得ないかもしれないが,それにしては,小田原城攻めがないし,数少ない,籠城からの起死回生の勝ちをえた佐嘉城攻めが抜けている。完全孤立した竜造寺隆信五千を包囲した大友宗麟六万が,竜造寺側の夜討ちという奇策に大敗するに至る戦いは,籠城戦には珍しい逆転勝ちなのだが。

城攻めは,守る側,つまり籠城から見ると,後詰の援軍がなければ,ほとんど勝ち目はない。大体,籠城側が寡兵,攻め手が大軍なのだから追いつめられての籠城と決まっている。松平容保の会津城,豊臣秀頼の大阪城,荒木村重の有岡城,浅井長政の小谷城,石田三成に水攻めされた忍城,毛利に追い詰められた尼子義久の月山富田城,信長を再度裏切り包囲された松永久秀の信貴山城,さらに島原一揆の原城も加えてもよい。そうならざるを得ない仕儀にて,孤城の籠城になる。追い詰められてか,やむを得ずかはともかく,籠城の瞬間,自らの手足を縛るに等しい。孤軍では勝負は決している。その前に,切所はある。寡兵での籠城を嫌った信長が,倍する今川義元の本陣を突いたのは,その意味で,まだ勝負を捨てていないという意味になる。そこに,将の器量の差が出る。

城攻めには,追い詰められた相手を更に追いつめるために,

城内への(内応を働きかける)調略,
水の手を断つ,
糧道を断つ,
坑道を掘る,

等々が常套手段だが,包囲した城の周囲に,

付城,

を構築して,包囲を固めていく。別所長治の三木城,荒木村重の有岡城なども,そうやって攻囲し,糧道を断った。糧道を断つために,糧食を高値で買い取って兵粮のたくわえを得にくくすることで,攻囲の効果を挙げ,結果として,「餓え殺し」といわれる鳥取城攻めは,三木城とともに,秀吉の得意の戦法である。秀吉の戦法で有名なのは,備中高松城,紀伊太田城,忍城の水攻めだろう。地形を利用し,川を堰きとめて城を水没させる。

しかし,多くの城は,境目(敵味方の境界)で,両軍のせめぎあいの中で,攻囲される。たとえば,高天神城が,徳川家康に包囲されたとき,勝頼は,後詰をせず,結果として,勝頼の威信は地に落ちた。逆に,柴田勝家に包囲された魚津城を,後背から織田勢に迫られて,上杉景勝は,後詰したくてもできず,結果として,魚津城兵二千は全滅するに至る。

他の戦線との兼ね合いで,籠城し,結果として開城した,京極高次は,籠城の間,西軍の立花宗茂らの一万五千を釘づけにすることで,主戦場の関ヶ原合戦から引き離し,結局開城した時点では,関ヶ原は開戦しており,これが東軍勝利に貢献した,という籠城戦もある。城の攻防という局地戦のみを観ていると,大局としての戦局を見失う,という例かもしれない。この一万五千が,関ヶ原に到着していれば,関ヶ原の勝敗の行方は,また変わったかもしれない。

徳川秀忠を足止めし,翻弄した真田昌幸の上田城籠城戦も,関ヶ原の戦局を直接左右した訳ではないが,徳川本隊である秀忠軍が合戦に間に合わないという大恥をかかせたのも,大津城とは立場が逆ながら,籠城が,他の戦線と連携していればこそ効果があるいるということを示す例と言えるかもしれない。

魚津城も,そうかもしれないが,籠城自体に,城兵に意味があるとすると,名を残す,という,一点かもしれない。景勝の救援は当てにできず,糧道も尽き,守る上杉方三千八百,攻める柴田勝家二万数千,劣勢の中,

「一人として寝返りなどの脱落者がいなかった」

という。

「籠城戦に付き物ともいえる調略による裏切りがなかったばかりか,『滅亡』を覚悟で戦い続けた戦いというのは,極めて珍しいケース」

という。最終的には,三月から六月三日まで持ちこたえ,残った二千余人が全員討たれた。しかし皮肉なことに,この前日織田信長は,本能寺で横死しているのである。

真田丸.png

(大坂冬の陣布陣図。投稿者Jmho 2006年10月26日 (木) 15:25 (UTC)が作成)


たぶん,こうした攻城戦のハイライトは,二十万対十万の大阪冬の陣の真田丸だろう。孤立した難攻不落の大阪城とはいえ,籠城の先に光明があるとは言えない。まさに局地戦中の局地戦である。その中で,ただおのれの才覚ひとつで,時間を延ばすだけの闘いに過ぎない。しかし,その局地だからこその極致,前田勢,井伊勢,松平勢を翻弄した真田丸での闘いは目立つ。しかし,それはあくまで,局地戦に過ぎない。

結局攻城も,他の戦線と連携していてこそ,意味がある。結果は裏目に出たが,武田勝頼は,長篠城を攻囲しつつ,織田・徳川連合軍を誘い出した。これは,信玄が二俣城を落とさず,家康を三方ヶ原におびき出したのと同様の,武田流の戦法だともいわれる。長篠城を囮にして信長と家康をおびき出し,「無二の一戦」に及ぼうとした,という。結果は,設楽ヶ原で惨敗することになるが,これは意味のある城攻めだ。しかし,数年後,今度は逆に,武田軍が籠城する高天神城が徳川軍に包囲されたとき,後詰をせず,落城させた。この落城は,勝頼の威信を失墜させる効果があった。

参考文献;
渡邊大門編『地理と地形で読み解く 戦国の城攻め』(光文社知恵の森文庫)
伊東潤『城を攻める 城を守る』(講談社現代新書)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E4%B8%B8%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84


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2017年08月05日

面接プロセス


H・S・サリヴァン『精神医学的面接』を読む。

サリヴァン.jpg


本書は,「精神医学的面接」のタイトルで行われた連続講義をもとにしている遺著である。そのせいか読みやすいが,それ以上に,

「実践家サリヴァンの面接に臨んでの具体的な処方が随所に顔を出している。…せっぱつまった時にはっと思い出すと有用な助言が多い。やろうとしてできない建て前的なことは一つも書かれていないと言ってよい。」

と訳者・中井久夫氏が指摘している通り,実に実践的である。例えば,同氏は,

「面接の場の基礎を『専門家(エクスパート)=依頼者(クライエント)関係』と定義し,場の目的を『依頼者の対人的相互作用の個人的パターンの明確化』とする。はっとするのは,のっけに精神医学的面接におけるコミュニケーションは何よりも音声的であって,言語的コミュニケーションではないという箇所であろう。サリヴァンは,本書では言っていないが,患者に,『きみのレーニングの声(建て前の声か)とデザイアの声(本音の声)とがあるのを,聞き分けるようにしなさい。今はどっちの声かな』と言っていたそうである。前者はうすっぺらいフラットな声,後者は倍音の多いディープな声である。ここではそれにかぎらず,音声の変化が発語の内容より多くを語る」

と指摘している。

サリヴァンは,本書の意図を,

「私の意図は一つである。ある人とある人が出会って真剣に議論をする場面を想定し,そこに望ましい最終目標に到達する確率が最大となる経路(コース)を考えて,その際に踏むべき段階を明確な文言をもって定式化したいということである。これから述べる事項は,患者を相手にしても有効である。患者とは,自分の特殊なところや奇妙なところ,あるいは他の人間におかしい扱いをされるためにわれわれに助けを求めてくる人のことである。求職者にも役に立つだろう。雇い主から,『どうしてうまく仕事ができないのか調べてもらってこい』といわれてやってきた人のためにもなるだろう。ある基準を満たす程度によく計算された面接であれば,,精神科医が用いるのと同じ技法を用いてよいのである。それは精神科医が,患者が求める専門的な内容(の問題)になんとか応える道を発見しようと苦心しているうちに使うようになった技法である。」

とし,「話の中心を医学の領域に限るというつもりは全然ない」と,強調する。そして,こう始まる。

「『精神医学という分野は対人関係の学である』という定義が下され,『精神医学とは科学的方法を適用する根拠を有する領域である』と見なされるようになって以来のことであるが,われわれは『精神医学のデータは関与的観察をとおしてのみ獲得できるものである』という結論に達した。」

そして,上記の「コミュニケーションの音声的性質」について,こう触れている。

「精神医学的面接についての私の定義はまず,『精神医学的面接とはすぐれて音声的(ヴォーカル)なコミュニケーションの場である』と述べる。『もっぱら言語的(ヴァーバル)なコミュニケーションの場だ』と述べていないのに注目してほしい。(中略)イントネーション,話す速さ,あることばにくるとつかえることなどには話し手(の意図)を裏切って,(そこのところの)秘密を明かすという面があるだろう? これに非常に注意していると得るところがあるはずだ。こういう因子は,…すぐわかる。話す単語の意味だけに注意していてもしかたがない。それよりも,今言ったことのほうが,サインとしては,つまり意味のリトマス試験紙としては,重要だ。」

そして,こう付け加える。

「実は,人間が心底からほんとうに言いたいことの手がかりはたいてい耳経由で届くものだ。声の『音調変化』(tonal variation)ということばがあるが,このことばの私の用法はとても広い。一切合財前部を含めていう。つまり音声言語(スピーチ,発話)を構成するにはいろいろ複雑なものがあって,それがまたグループをなしているが,そういうグループの全部を洩れなくひっくるめて,その変化のことをいうのだ。これは実に頼りがいのあるもので,コミュニケーションの場の変化の確実な手がかりはこれだ。」

そして,こういう例を挙げる。

「ある人が自分は電気技師で,電気技術者組合員だという話をしはじめるとしよう。話はあるところまで円滑に進む。ところが,それは,あることを話そうとして声が喉を出かかるまでなんだ。仕事に関することだが,組合にはっきりと不義理を働いた箇所さ。その箇所にさしかかると男の声の響きが変わる。まだ『組合員の電気技師はかくあるべし』とか『かくかくすべきだ』とかいうような話をつづけるかもしれないが,その話の音(サウンド)はすっかり別物になっているわけだ。
 精神医学的面接ですこしずつ積み重ねてきた経験を生かす手始めは,ここだ。つまり,音調の変化が起こりだした時点で,そうっと(マイルドに)関心があることを示してみせる。面接者はこんなことをいってみる。『あ,うん,えーと,きっかり2.5パーセント支払うのだね。収入の中からだね。傷病基金に。あたりまえの組合員ならまず忘れぬことだね』。こう言われると相手はどう答えるだろう? 音調は,その直前とまた変わった響きになる。『もちろん! 組合員たることの重要資格ですからな!』面接者が,この対人のばにおける感覚に自信がもてれば,こういってよいかもしれない。『なるほど,あなたがけっして反則を犯したことのない部分ですな!』こうなると相手の音調はぐっと変わる。たぶん怒りをかろうじて我慢しながら言うだろう。『むろな,してなんかいませんぞ』。面接者が事態の真相に十二分の確信がもてれば,『なるほど,むろん,君はわかってくれていると思うが,ぼくは君を疑っちゃいないよ。しかし,その箇所に触れた時の君のことばの調子は,ありゃあ変だったぜ。あの話が君の心をいためつけているのではないかな。どうもそう考えないではおれないのでね』。こう聞かされた男は,さらにまたちがった音調を出してこんな話をするかもしれない。『はあー,まあー,じつは―,正式に技師になったばかりの頃,ほんのちょっとポケットに入れてしまって…,ごくわずかなパーセントですが,…そいつがそれから私の良心の上に乗っかってしまって,その重いこと,ああー,重くて…』。」

この関わり方は,別のところで,

「患者の話を聴く際にはすべて『批判意識を伴う関心』(クリティカル・インタレスト)持つべきだと言いたいだけである。(中略)いつも心に『果たしてそうか』という単純な問い(『私はわかっていないことを即座に言わんとしているのではないか,私の受け取ったままで相手の言っていることがわかったとしてよいのか』)―を持ちつづけてほしい。」

という。別のところで,

「精神科医の持てるものは,せいぜいのところいくつかの『どれかわからないがその中のどれかであるだろうという確率的可能性』(alternative probabilities)を持つ仮説」

といっているのとも符合する。この場合,あくまで,初対面の時の第一印象のことを指しているのだが,姿勢としては同じである。そして,

「最低二つの可能性を仮説すること」

という。

「一つしか仮説を持っていない人はいわば信仰を実践しているのである。(中略)そういう連中の場合,一つだけの仮説は結局“確実性”なのだ。しかし,面接者の心中にあれかもしれないこれかもしれないという複数の可能性が存在しているならば,面接者は,さらに深く探求するように誘われていき,その結果,可能性の確率が増大するものや減少するものがあるようになる。面接者はこの単純なやり方で充分な確実性をめざして進むのがよい。」

こうしたサリヴァンは,面接中のメモについては否定的である。それは,精神医学的面接者の仕事と両立しない,という。精神医学的面接者の仕事とは,

第一に,「患者の言っていることにもとづいていわんとしていることが何かを考える人」であり,
第二に,「患者へとコミュニケートしたいことをいちばんうまく言い表す文句を自分で考えつく人」であり,
第三に,「目下コミュニケートしつつあること,あるいは話し合いつつあることの一般的パターンを観察している人」であり,

このこと以上に値打ちのあるノートをとることは,「たいていの人間の能力を超えている」とみる。音調を重視する以上,当然,逐語録には,それは反映されないのだから,今日のように,音も映像も記録できる時代とは違うので,サリヴァンの言わんとすることは重要だ。そのとき,その場,その瞬間に,目の前で起きていることに注目しなければ,面接という場は,創造できまい。

本書は,サリヴァンの面接過程についての,

第1段階 正式接遇(the formal inception)段階
第2段階 偵察段階(the reconnaissaance)段階
第3段階 詳細問診(the detailed inquiry)段階
第4段階 終結(the termination)段階

の仮説に基づいて,語られていく。その場は,両者で創造される場(状況 situation),と見なされる。だから,

「医師患者間の相互作用は,必ず二人の人間のする営みであるから,患者の言動は『この精神科医はどういう人か』という,患者の能力と手持ちの情報を尽くして推測したものに合わせたものになっている。だから,精神科医の感想や質問や合いの手や『あてこすり』の効果は,精神科医が自分にたいする患者の態度を意識し,患者の出自や経験を知り,患者がどういう種類の人かを知っている程度に応じて変わる。精神科医は,全力を尽くして,自分と相手との間で進行中の過程―自分と相手を巻き込んでいる過程というべきか―に注意を集中しなさい。」

だから,

「精神科医が,患者はほんとうは何を語っているのかを知ろうと努めると,結局患者も『自分が考えていること,伝達しようとしていること,隠蔽しようとしていることは何か』ということが少しずつはっきりしてくるようになり,人生の把握も少しはしっかりしてくる。自分の心の中で起こっていることを非常によく把握している人間で重症を抱えている人間などはいない。」

と。どうやら,常に面接一般についてのことがサリヴァンの頭にはあるらしく,面接をこう整理してみせる。

「『面接は一つの過程である』あるいは『過程のシステム』であるということではなかろうか。この過程(プロセス)ということばには変化という含意がある。(中略)一つは被面接者の態度の変化である。同じく対人の場で起こる別の変化(中略)は,面接の場において『面接者の態度の変化が被面接者によって照らし返されること』である。すなわち面接者は自問しなければならない―,『私の態度の何がいま被面接者から照らし返されているのか』『私の態度をどういうものとして経験しているように思えるか』『私が今していることを何と考えているのだろうか』『私が彼にどういう感じを向けていると彼は思っているのだろうか』である。こういうふうに面接者が考え始めると,面接というものを構成している複雑な諸過程を解くのに有用なカギがはじめてたくさん現れるようになる。面接者の熟練という物の一部は『面接者の態度についての被面接者の感じは確率的にどれが正しいか』ということをある程度自動的に観察できるようになることである。」

実践の場で培われてきたノウハウは,実は,細部にあることをうかがわせる記述は,尽きないが,

「精神医学的面接をやっている精神科医でもっとも頼りになる態度の人間は,どんな人間だと思う? 単純な話だ。『自分の日々の糧を自分で稼がなければならない』ことがわかっていて,そのために働いている人間だ。」

と言ってのけるサリヴァンという人に達人の域を感じさせる。中井久夫氏も挙げているが,神田橋條治氏の著作(「コツ」シリーズ)をつい思い浮かべてしまう。

参考文献;
H・S・サリヴァン『精神医学的面接』(みすず書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

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2017年08月06日

油断


「油断」というのは,

気を許して,注意を怠る,

という意味だが,『広辞苑』には,「涅槃経」が出典と載る。『デジタル大辞泉』には,具体的に,『北本涅槃経』二二として,

「王、一臣に勅す、一油鉢を持ち、由中を経て過ぎよ、傾覆することなかれ、もし一滴を棄せば、まさに汝の命を断つべし」

からという。しかし,

一説に「ゆた(寛)に」の音変化とも,

とも載る。この涅槃経説は根強く,

http://www.alc.co.jp/jpn/article/faq/04/150.html

にも,

「大般涅槃経という仏教の経典の漢訳本には、以下の一節があります。
 『王勅一臣、持一油鉢経由中過、莫令傾覆、若棄一滴、当断汝命』
 王が臣下に油を持たせて通りを歩かせ、一滴でもこぼしたら命を断つと命じる。という話です。この故事の「油をこぼしたら命を断つ」というところが『油断』の語源となっているという説があります。つまり『断つ』のは『油』ではなく命のほうなのです。
 また一方では古い表現の『寛(ゆた)に』が変じたものであるとする説もあります。『ゆたに』は、ゆっくりしている様子を表す語で、現代語では『ゆったり』に対応しています。また、四国地方の一部の方言では、まさに『ゆだんする』で『ゆったりする』という意味を表すところがあります。
 つまり『油断』という表記に関しては涅槃経を語源とする説に一理あり、『ゆだん』という音に関しては『寛に』を語源とする説に一理あるということで、そのどちらであるかは今のところ判然としていないようです。」

とある。あるいは,

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B2%B9%E6%96%AD

には,

「未詳。日本以外の漢字文化圏では通用しない漢熟語。以下所説を列挙するが確たるものはない。
『北本涅槃経‐二二』の油鉢をめぐる話より。(『松屋筆記‐八〇・三五』『和訓栞』等)
「寛ゆたに」の音便化。
比叡山延暦寺根本中堂に灯される法灯は、開祖最澄の頃から消さないよう油を足し続けており、この油が断たれること無いよう戒めたことに由来。」

ともうひとつ,延暦寺の法灯説まで加わる。しかし,絶え間ないという意味の法灯と油断とはつながらないし,「のんびり」と不注意を繋げるのも少々無理筋に過ぎる。「持一油鉢経由中過」からとする「油断」も,不注意とつなげるのはこじつけにすぎないのではないか。しかも,

日本以外の漢字文化圏では通用しない漢熟語,

というのは,出典自体からこじつけて引っ張ってきた,と見えなくもない。『日本語源広辞典』は,やはり,

「中国語で,『仏語,涅槃経,王臣が油を覆したら,罰として生命を断たれた』が語源です。注意を怠る意です。万葉語,由多爾,ユタニ(ゆったり,のんびり)と混淆したか,とおもわれます。」

とする。しかし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/yu/yudan.html

は,

「油断は、有力とされる語源が二説あり、ひとつは『北本涅槃経 二二』の『王が臣下に油を 持たせて、一滴でもこぼしたら命を断つと命じた』という話から、『油断』の語が生まれ たとする説。 もう一説は、『ゆったり』『のんびり』という意味の古語『寛に(ゆたに)』が音韻変化したとする説。
 『北本涅槃経 二二』説が正しければ、『ゆだん』の漢字表記は全て『油断』となるはずであるが、数々の漢字が用いられているため考え難い。『ゆたに』が音変化し,『ゆだん』となったとする説は、用例が見当たらないため確定は出来ないが、四国の一部地域では『ごゆっくりしてください』という意味で『ゆだんなされ』というところもあり、やや有力な説といえる。
 その他、行灯などの油の準備を怠ったために夜中に油が切れ、敵に襲われ命を落とすことから『油断』になったとする説もあるが、他の漢字が用いられたことが考慮されておらず、そのような文献も見られないため、漢字に当てはめて作られた後世の俗説と考えられる。」

と,「ゆたに」の音変化説を取る。『大言海』も「油断」の字を,当て字と断定する。

「當字(あてじ)なり,これは万葉集,十二,四『かくばかり,戀ひむものぞと,知らませば,その夜は由多爾(ユタニ)あらましものを』(早く起きて帰りしを悔む)この寛(ユタ)ニが,今もゆったりと云ひて,遺りてあり。ユダンは,即ち,このユタニの音便なり。今も土佐國にては,客来たり談じて,暇を告ぐれば,主,御ユダンナサイマセと云ふ(東京にて,御ユックリなり)。古言を存せり。ユックリがオコタリの意に移れるなり」

と,「ゆたに」説に軍配を上げる。そして,こう付記している。

「油断を當字にすること,古くよりの事にて,その語原も,涅槃経の油鉢に起これりとして,誰も疑いもせず。涅槃経,廿二『王敕一臣,持一油鉢經申中過、莫令傾覆、若棄一滴、當断汝命』とある油鉢の油(ゆう)と生命を断つの断とを拾ひ摘みて油断の語を捏造せるものなり。言語道断ならずや」

と手厳しい。『日本語源大辞典』も,「ゆだん」の表記が,

「古辞書に種々の漢字表記が見られること」

から,疑問を出し,さらに,万葉に例が見られる,「ゆたに」説も,

「上代,中古に用例が見当たらない」

として,疑問符をつけている。要は,「油断」という当て字からの後解釈だということだ。しかし他の当て字も使われているため,その説はちょっと立つ瀬がない。

つまりは,語源説の確定説はないということになる。金子拓氏は,「油断」について,戦国時代になって急に史料に多く登場するようになったとして,「北本涅槃経」説を否定して,こう述べている。

「『日本国語大辞典第二版』…に挙げられている用例は,延慶本平家物語に見える『ゆたむ』が最も古いものの,同時代の軍記物語に用例がなく,一般的ではなかったのではないかともされている。以下挙げられている用例は,『太平記』以降南北朝・室町時代以降のものばかりだ。
 たしかに,東京大学史料編纂所が公開している古文書のデータベースを調べてみても,現在使われているような意味での用例は,平安時代・鎌倉時代にはまったく見られない。室町時代以降,このことばを用いる文書が格段に増える。
 さらに戦国時代になると,ふだんやりとりされる書状のなかに,常套句とも言えるほど頻繁に登場するようになる。」(『織田信長 不器用すぎた天下人』)

油断あるべからず候,
油断あるまじく候,

等々。気のゆるみが命取りになる戦国時代ならではの用例なのかもしれない。つまり,室町前後から使われ出した言葉,ということになる。となると,万葉ゆらいの「ゆたに」も涅槃経説も消える。

『日本語の語源』は,例によって,音韻変化を独自に主張する。

「『一切の処置を人に任せる。一任する。委任する』という意味のユダヌ(委ぬ)は,その連用形のユダネ(委ね)がユダン(油断)に転音した。〈夜軍(いくさ)はよもあらじ。夜あけて後ぞ軍はあらんずらんとて,ユダンしたりける所に〉(平家)は,『気を許すこと。うっかりすること。不注意』の意である。さらに『怠ること。怠慢。なおざり』に転義した。〈前々のごとく奉公にユダンあるまいと言うて,少しも怠りなう仕へた〉(伊曾保)」

これに心情的には軍配を上げたくなる。

参考文献;
金子拓『織田信長 不器用すぎた天下人』(河出書房新社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
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ラベル:油断
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2017年08月07日

ナラティヴ・セラピー


シェリル・ワイト編『ナラティヴ・セラピーの実践』を読む。

ナラティヴ・セラピーの実践.jpg


本書のねらいについて,「序文」で,

「私たちは,トレーニングやワークショップ,それにカンファレンスに参加した人たちからいつも必ず,ナラティヴな考え方やナラティヴな仕事の仕方についての入門書として何がいいのだろうかと尋ねられてきた。これでようやく,その質問に答えることができるわけだ。つまり,この本を読めばいいのだから!」

とあり,本書は,マイケル・ホワイトの主宰するダルウィッチ・センターの季刊誌『Dulwich Centre Newsletter』に発表された,

「実践に基づいた論文」

が集められている。そして,

「ナラティヴ・セラピーをもっと理解したいと願う人々や仕事の仕方を探求し実験していくさまざまな方法について知りたいと願う人々にとって,この本は読みやすいながらも完全なイントロダクションとなるだろう。」

とある。しかし,正直,ナラティヴ・セラピー,あるいは,ナラティヴ・アプローチについてある程度承知したうえで読まないと,ここでの実践の位置づけがきちんとできないのではないか,というのが,読んだ感想である。実践報告ということは,現実のナラティヴ・アプローチによって,何をしているか,が中心なので,なぜ,ナラティヴは,こういう活動をするのかは,きちんと伝わりにくい,と感じた。

本書は,活動を,

個人との仕事,
グループとの仕事,
コミュニティとの仕事,

とにわけ,その他共同研究,マイケル・ホワイトの覚書などが付加されて,構成されている。その中身は,

幻聴や幻から人生を取り戻していく様を描く「パワー・トゥ・アワ・ジャーニー」の取り組み,
性的虐待やアノレキシア・ネルボーザ(摂食障害)の影響,
アフリカのマラウィ村での仕事,
自己虐待を繰り返している若者との対話,
糖尿病や悲しみについてのアボリジニとの仕事,
亡くなった人との再会の誘い,

等々。ここにあるのは,

「カウンセラーの役割というものを,…(相談者自身と)その人生についての問題のしみ込んだドミナント・ストーリーから離してやり,オルタナティヴ・ストーリーを共著できるよう援助する存在だと考えている」

という,ホワイトの言葉に象徴されるナラティヴの思想を実践しているということだ。

だから,ときに,

「セラピー文化がドミナントな文化をどの程度再生産しているかに気づくことで,これと完全には共犯しない治療的態度を求める私たちは援助される。」

として,たとえば,

a 特権化された知識とドミナントな文化に関わる力の実践が,諸個人の人生と人間関係にどのような現実的影響をもつのか探求するよう諸個人を援助すること
b そのようなドミナントな知識と力の実践の煽動に対する抵抗を賞讃し採用するよう諸個人を励ますこと
c オルタナティヴな知識とこの抵抗に関連する意味の枠組みを特権化すること
d セラピーの実践において現実に虐待したり,虐待の可能性のある力を露呈するようなアカウンタビリティの構造を確立すること
e サイコセラピー文化における知識のヒエラルキーを転覆させること
f 社会におけるその人の位置づけ(ジェンダー,人種,社会階級,エスニシティー,性的嗜好等々)を認め,その位置づけが暗示するさまざまなことがらを認めること
g その人自身の人生を形作る上での治療的相互作用の貢献を認めること
h セラピーに関する経験について,そして,私たちの動機やふるまいについて家族がどのように解釈するのかという点について,たえず家族をインタヴューすること
i 治療的文脈を完全に平等な文脈にすることは不可能であるという事実を認め,尊重すること。ただし,より平等な文脈となるよう努力すること

と,ホワイトが,したためた「力とセラピーについての覚え書き」に,その姿勢は象徴的に示されている。だから,

「引っかき傷が自己虐待になるとき」

という章で,自傷行為をする十代の若者たちとの対話において,こう書いている。

「私たちは,この過程が共同研究よりもむしろセラピーめいたものにならないよう全体的に気を配る必要があることを学んだ。前もって用意した質問を後から見直してみたら実際にいくつかの《セラピー》的な質問があったことに気づいたからである。しかしグループをしているあいだに,私たちはそれらの質問を自動的に《共同研究》的なものに変えていた。たとえば,《自己虐待をしている時,あなたたちに何がいるのですか?≫という質問を用意していたが,実際には《私たちが誰かのセラピーを担当しているとしましょう。その人たちが自己虐待を始めたとしたら,一体彼らに何がおこっている可能性があるのかしら?》と尋ねていたのである。それでもついセラピー・モードに戻ってしまったことが,確かに一度あった。私たちと全く同じ意見をスーザンがはっきり(自傷行為が友達ではなく敵)と発言しているのがわかったので,私たちは興奮して我を忘れ,つい彼女にもっと意見を言わせようとして《あなたはいつから(自己虐待が)友達ではなく,敵だと思うようになったのか?》というような質問をしてしまったのである。この個人的な質問によって即座に彼女の気持ちが萎えてしまったのは明らかで,私たちが間違いを犯したのは,はっきりしていた。」

こうした一連の姿勢と方向の中で,

「問題の外在化は,問題が人々の中にあるとか人間関係の中にあると考えることを拒否することが含まれている。人が問題ではなく,問題が問題なのである。『外在化する会話』とは,人々が自分たちの人生に影響している問題から自分たち自身を分離して考えることができる空間を創造する会話である。ある問題が,その人のアイデンティティないし,ある重要な人間関係のアイデンティティから分離されて見られるようになると,その人は,新しい行為に出る立場くる。彼/彼女は,問題に抗議,ないし抵抗する,そして/あるいは,問題との関係に何らかの方法でもう一度折り合いをつけ直す機会を得る。」

というホワイトの言葉は生きてくる。

参考文献;
シェリル・ワイト編『ナラティヴ・セラピーの実践』(金剛出版)


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2017年08月08日

おずおず


「おずおず」は,

怖ず怖ず,

と当てて,

怯えたり自信がなかったりしてためらうさま,
おそるおそる,

という意味である。

怖ず(動詞「おず」の終止形),

を重ねた,つまり,

恐怖の繰り返し(『『日本語源広辞典』)

である。『古語辞典』には,

おづおづ(怖づ怖づ),

で載る(現代仮名遣いと同じく,旧仮名の「オヂ」の終止形を重ねたもの)。この「おずおず」は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/452224251.html?1502049691

で触れたように,『擬音語・擬態語辞典』

「気後れする,怖れるという意味を持つ『怖(お)む』の連用形を重ねた語である。同義の『怖ず』から『おずおず』という語ができたのと同じ作り方で,『おめおめ』の方が後にできた語といわれる。」

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/o/omeome.html

は,「おめおめ」の項で,

「『怯む』『臆する』などを意味する動詞『怖む』の連用形『おめ』を重ねた語で、『怖づ怖づ( おずおず)』よりは新しい語とされる。 鎌倉時代の軍記物語『保元物語』では、相手の威力に恐れて気おくれする意味で、『景能おめおめとなりて』と使われている。この用法は、現在でも使われる『今さらおめおめと帰れない』と似ている。やがて、『臆することではあるけれども』といった意味合いから、『恥じるべきと解っていながら』の意味に転じた。『平家物語・志度合戦』では、恥ずかしげもなく平気に見えるさまの意味として、『おめおめと降人にそ参りけれ』と使われている。」

とあり,「おめおめ」の含意の最初の,

相手の威力に恐れて気おくれする,

という意味であったとされる意をそのまま受けていることになる。『擬音語・擬態語辞典』には,

「古語の『怖づ』(『恐れる』の意)という動詞を二つ重ねた語。同じ動詞を二つ重ねるとその動作が継続した状態を表す。平安時代から用例が見られる。」

とある。類義語の,

おどおど,

は,

「オヅオヅの転」(『広辞苑』),
「おづの変形オドを重ねた語(『擬音語・擬態語辞典』),

だが,転訛したことで,同時に意味が少しスライドする。『広辞苑』には,

不安や怖れで挙動が落ち着かないさま,
おじおじ,

と,「おずおず」が,

おびえや,ためらい,

の心情表現だとすると,「おどおど」は,どちらかというと,

落ち着かない,

という状態表現になっている。「おじおじ」は,

怖じ怖じ,

だから,

恐る恐る,

で,「おづおづ」の現代表記に近く,一回りして,

おづおづ→おじおじ→おずおず,

と,「おずおず」に意味が戻っている。つまり,

こわごわ(恐々),
とか,
恐る恐る,
とか,
おっかなびっくり,
とか,
びくびく,
とか,
ひやひや(ヒヤヒヤ)

という意味と重なってくる。

「おずおず」と「おどおど」の意味の差について,『擬音語・擬態語辞典』は,

「『おずおず』は,ためらいがちながらも行動に移す様子を表し,落ち着きがない様子は表さないのに対し,『おどおど』は怯えて落ち着きのない状態表現そのものを表す。また,『おずおず』は直接(または『おずおずと』という形で)動詞を修飾する語として用いられることが多いが,『おどおど』は多くは『おどおどする』というサ変動詞で用いられる。」

あるいは,

「『おずおず』はおびえてはいるが『おどおど』のような落ち着きのなさは感じられず,怖れをこらえて行動する様子を表す。
 それに対して,『おどおど』は,おびえるあまり何かを行うことができない様子を表すことも多い。」

と対比する。因みに,「恐る恐る」は,

「『恐れる』の古い形『恐る』を重ねた形で『おずおず』と同じ構造。意味も似るが,…『恐る恐る』の方が恐れる気持ちが強い。」

とある。恐れる気持ちからすると,それで次の行動が取れそうもない「おどおど」が一番強く,

おどおど→恐る恐る→おずおず ,

という順になろうか。ま,程度の問題だが。

参考文献;
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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2017年08月09日

瓦版


森田健司『江戸の瓦版-庶民を熱狂させたメディアの正体』を読む。

江戸の瓦版~庶民を熱狂させたメディアの正体.jpg


著者は,「はじめに」で,

「現在,『瓦版という情報媒体』は存在しない。しかし面白いことに,現代の日本に生きる人々の多くは,『瓦版という言葉』を知っている。新聞の『号外』に近い意味で,今も頻繁に使われているからである。…ところが,瓦版の実像が知られないまま,虚像のみが複製され,増幅されていっている。」

で,本書は,瓦版の実像を知ることができるように,

第一に,史料に残る瓦版に関する資料,
第二に,実際に残されている瓦版,

から,

瓦版とは何か,

とともに,

残された瓦版を読む,

という二部構成で,瓦版像を知ろうとするものである。

瓦版を辞書で引くと,例えば『広辞苑』には,

「粘土に文字・絵画などを彫刻して瓦のように焼いたものを原版として一枚摺りにした粗末な印刷物。江戸時代,事件の急報に用いた。実際は木版のものが多い。」

とあるが,著者は,

「粘土版によって摺られたと思わしき瓦版は,一枚も現存していない。」

という。しかし,黙阿弥の『歳市廓討人』で,瓦版を,

「読売―そりゃあいつもの敵討でござります。瓦版とは違います。今日版行が改まって知行高から姓名まで委しく記してござりますから,十六文ぢゃあお安うごさせります」

という台詞で,

「まるで瓦の原料である粘土で原版を作ったように劣悪な品質の摺物というニュアンス」で,言わせている。あくまでたとえだが,そこで,著者は,瓦版を,

「江戸時代に始まった印刷物体。天災の速報や娯楽性の高い情報を,一枚から数枚の紙に木版で摺って作られた。市中で読みながら売られ,明治に入ってからはもしばらくは,新聞と並行して存在した。」

と,瓦版の定義を提示している。

瓦版は,

読売,
一枚摺り,
絵双紙(草紙),

とも呼ばれたが,基本,

非合法な存在,

であった。印刷物を販売する場合,版元を明示することを,享保七年(1722)に義務付けた。つまり,

「内容を事前に届け出て許可がない限り,版行できなかった」

にもかかわらず,

「瓦版は,従来同様,版元も明記もせず,許可も取らず,版行が続けられた。」

しかし,

「瓦版は,法的には禁止されていた。これは間違いない。だが,幕府は本気ではなかった。役人たちも,全力で彼らを追ったりはしなかった。逃げれば多くの場合,それで黙認されていた。」

という。あくまで,

黙認,

である。だから,読売(瓦版の売り子)は,頬被り,編笠など,

「ほとんどは,顔を隠して活動していた」

という。しかし,

「読売は,ただ瓦版を抱えて立ち尽くしていたわけではない。彼らは自慢のダミ声で瓦版の一節を調子よく語り,客寄せをしていた。三味線の伴奏がつく場合もあり,よみうりは一種の芸人だったのである。瓦版は紙でありつつ,肉声を伴ったメディアであった。このあたりに,江戸の庶民を夢中にさせた秘密がありそうである。」

と。

瓦版を売る読売の姿.jpg

伊藤, 晴雨, 1882-1961 - 江戸と東京 風俗野史
(瓦版を売る読売の姿。なお、時代劇などでは左側の姿でしばしば登場するが、このように顔を露わにするのは明治維新直前まで無く、右のように編笠を被って顔がわからないように売った。瓦版を売る読売の姿。後に明治初年頃より新聞が売り出されるようになると淘汰されていった。)


それにしても,瓦版の隆盛の背景には,驚異的な識字率がある。だから,

「当時の日本において,文字の書かれた出版物が,『庶民の娯楽を提供するものだった』」

ということがありうる。

「日本人の識字率は,…『世界の他のどこの国』より高かった。武士階級はもちろん,それ以外の庶民もほとんどが文字を読み,書くことができたのである。」

さらに,

「江戸時代の彫師の技術は世界的にも注目されるほどのレベル」

で,江戸時代,版木彫師は,

「一時間に二十二字~二十三字を彫刻できた」

ので,瓦版制作には,一日程度といわれる。この技術的背景もまた,瓦版から見えてくる。さらに,幕末,仮名垣魯文は,安政江戸地震に際し,その翌日には,

「翌早朝一人の書肆来たり何ぞ地震の趣向にて一枚摺りの原稿を書いて貰ひたしと頼みければ魯文は露店にて立ちながら筆を取りて鯰の老といへる趣向を附け折よく来合わせたる画師狂斎に魯文下画の儘を描かせて売出せしに此の錦絵大評判となりて売れること数千枚,他の書肆よりも続いて種々の注文あり,魯文は五六日の間地震当込み錦絵の草稿書くこと二三十枚に及び皆売口よくして鯰の為めには思はぬ潤ひを得たりと云ふ」

とあり,この場合は鯰絵だが,瓦版の作られる速効性が伺える逸話である。

「瓦版は紙だけであっても十分鑑賞に耐え得るものが多い。それは,瓦版があくまで『商品』だったからだろう。瓦版屋たちは,日々『どうすれば売れるか』をたんきゅうしていたに違いない。そこから,様々な創意工夫が生まれたのである。デザインや絵図,摺り色の数まで,瓦版は時代と共に進化している。幕末になると瓦版は長大化するが,それね同業他社との競争に起因するものだろう。」

まるで今日の週刊誌,タブロイド紙,写真週刊誌を思わせる。かつての木版刷に比べて,圧倒的な技術革新を経ているのに,内容だけではなく,表現スてタイルに,どれだけの創意工夫があるのか,と気になる。サラリーマン化した大新聞に,もはやジャーナリズムも瓦版屋根性もないのなら,せめて他の媒体に頑張ってもらわねば,江戸時代の読売屋に嗤われるのではないか。

参考文献;
森田健司『江戸の瓦版~庶民を熱狂させたメディアの正体』(歴史新書y)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%A6%E7%89%88


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2017年08月10日

すごすご


「すごすご」は,辞書によっては(『デジタル大辞泉』『大言海』),

悄悄,

と当てるものがある。『広辞苑』は,この字を当てていないが,

「失望し,また,興ざめて立ち去るさま,がっかりして元気のないさま」

の意味が載る。『大言海』は,

「興,醒めて,草々に去る状,物気なく,逃げ帰る状などに云ふ語」

とある。

そこそこ,
こそこそ,
しおしお(しほしほ),

等々が類義語のようだ。『大辞林』には,

悄悄,

と当てて,「すごすご」以外に,

しょうしょう(せうせう),

と読ませて,

元気のないさま,
静かなさま,

の意を載せる。『大言海』は,「せうせうと」の項で,

「萎萎(しおしお)と,憂ふる状に云ふ語,悄然と」

と意味を載せる。どうやら漢字「悄」の字から来たものらしい。「悄」の字は,

「肖(しょう)は,小さく細く素材を削って似姿をつくることで,小と同系。悄は『心+音符肖』で,細く小さく,しょんぼりとした気持ちになること」

なので,「悄悄」は漢字由来と考えていい。

「すごすご」は,『擬音語・擬態語辞典』によると,

「それ以前には旺盛であったはずの元気や勢いをなくして,小さくなっていく様子。また,落胆してさびしげな感じをいう時にも用いる。」

とあり,

「何かに挑んだが,何ものかに阻まれて力及ばず,思い通りの結果が出せなないままに引き下がってくる時の意気消沈した感じに用いられる。」

とある。

「鎌倉時代から用例がある。現代と同じく落胆している様子のほか,一人でいる様子をも表した。室町末期の『日葡辞書』でも,『すごすごと』は,『物寂しくしているさま,または,ただひとり居るさま』と説明されている。」

とある。

「維行(これゆき)力及ばずしてただ一騎スゴスコとぞ控えたる」(保元物語)

の用例が,『岩波古語辞典』に載る。語源ははっきりしないが,擬態語の気配である。類義語,「しおしお(しほしほ・しをしを)」は,

萎萎,

と当てる例もあるが,

しとしとと濡れるさま,涙・雨などについていう,

とあり,どうやらその状態表現が転じて,というか,その状態をメタファに,

悲しくさびしそうなさま,悄然,

に意味を広げていったと見える。当然,

しおたれる(塩垂れる・潮垂れる),

という言葉が類推される。「塩垂れる」は,『広辞苑』には,

塩水に濡れて雫が垂れる,
転じて,涙で袖が濡れる,

さらに意味が転じて,

元気がない様子になる,

という意味になる。とあるが,『岩波古語辞典』には,

雫が垂れる,ぐっしょり濡れる,
涙にくれる,
みすぼらしい様子になる,貧相に元気のない様子になる,

の意味を載せる。「塩(潮)」は当て字ではないか。「しおたれる」に似た「しおれる」について,『日本語源広辞典』は,

「シホル(生気を失う)の下二段口語化」

とある。「しほる」は,

しをる,
しをれ,

であり,『岩波古語辞典』には,

「植物が雪や風に押されて,たわみ,うなだれる意」

とある。『大言海』は,

「撓ひ折る意か,或いは荒折(さびを)るるの約かと云ふ」

とある。つまり,

しおれた,

という状態表現なのである。このあたりが「しおしお」の由来と思われる。『擬音語・擬態語辞典』には,

「『源氏物語』の『しほしほと泣き給ふ』の『しほしほ』は,涙に濡れる様子を,江戸時代の女房詞『しほしほ』は涙の意を表した。室町末期の『日葡辞書』の『しをしを』には,『人が力をおとしたり,意気消沈したりして萎れるさま』とある。
 『しおしお』は,草木などが生気を失う意を表す『しをれる』の『しを』と関係がある。」

とし,「すごすご」「しょぼしょぼ」と「しおしお」を対比して,

「『しおしお』は元気なくしおれるような様子を表すのに対して,『しょぼしょぼ』は元気なく寂しそうで,しぼむような様子。『すごすご』は,目的が達成できず元気なくその場を立ち去る様子を表す。」

としている。「すごすご」には,その萎れた状態に至る背景がうかがえるだけ,「しおしお」よりはまし,ということか。ついでに,類義語「しょぼしょぼ」「しょんぼり」に触れておくと,「しょんぼり」は,

気落ちして沈んでいる様子,

だが,『日本語源広辞典』によると,

「しょぼしょぼ(擬態語)+り(副詞化)」

とあるし,『大言海』には,

「ションバは,ショボショボの,ショボの音便化」

ともある。つまりは,「しょんぼり」は,「しょぼしょぼ」から転化した語ということになる。今日も,

しょぼい,
しょぼくれる,

という言い回しの中に生きている。

で,「しょぼしょぼ」は,『擬音語・擬態語辞典』には,

雨が弱々しく陰気に降り続けること(古くは「そぼそぼ」と言った),
木や髪,髭がまばらに生えていて,みすぼらしい様子,
疲労・眠気・涙・まぶしさ・心労・老化などのために,目を見開いていられず,力なくまばたきをする様子,
体力や気力が衰えて,弱々しく哀れな様子,

と,この派生語の,

しょぼん,
しょんぼり,

と比較すると,

「『しょぼん』は,『しょぼしょぼ』よりも急に,勢いや元気をなくす様子,『しょんぼり』は『しょぼしょぼ』よりもはっきりと気持ちのおちこみが外側に現われている様子」

なのだという。「すごすご」も「しおしお」も「しょぼしょぼ」も「しょんぼり」も,言ってみれば,

悄然,

の一言で尽きる。しかし,擬態語の豊富さは,その状態を具体的に示すのに利はあるということがよく分かる。

参考文献;
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)


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2017年08月11日

ナラティヴ


ハーレーン・アンダーソン,ハロルド・グーリシャン『協働するナラティヴ』を読む。

協働するナラティヴ.jpg


本書は,グーリシャンとアンダーソンによる論文「言語システムとしてのヒューマンシステム」の訳書である。ハーレーン・アンダーソンは,「日本の読者のみなさま」で,

「私が日本に来た最初の頃,あるパネルに招待された時のことです。隣に座った精神科医が私に質問しました。『すぐれたセラピストとしての条件とは何ですか?』と。そのとき私は,『それはマナーのよさ』と答えました。それは彼には生意気に響いたかもしれません。でも,これは彼のまじめな質問に対する私のまじめな答えだったのです。それは今日でも変わりません。創造的な会話と発展性のある関係へと他者をいざなうために最も必要なことは『よいマナー』であることを私はいつも強調しています。」

と書いている。意外ではない。人との関わりの節度というか,自制というか,抑制というものが,当たり前のことだか,不可欠だということだ。それは,人と関わるときの基本と言ってもいい。この言葉がさりげなく出るところに,この著者の人柄が出ている気がする。

冒頭,自分たちの立ち位置を,

「人が関わってできる組織や制度(ヒューマンシステム)を,社会組織(役割や構造)によってできているとする立場から,言語的,コミュニケーション的な標識によってできあがっているとする立場への移行である。治療(セラピー)という場において,私たちが相手にするのは,問題について語る人々によって定義される言語システムという単位(ユニット)であって,社会組織として一般に認識されたもの(例えば家族とか裁判所)という社会的単位ではない。私たちはそのようなわけからセラピーにおけるシステムを,『問題によって編成され(集められ),問題を解決するより解消していくシステム』(a problem-organizing,problem-solving system)と呼ぶことにした。」

と宣言する。そして,

「この新たな方向に沿っていくと(あるいは会話のしかたをすると),人がかかわってできる(いわゆる機械ではない)システム,つまりヒューマンシステムは,意味という領域においてのみ,また相互に変化しあう言語リアリティとしてのみ,存在する。」

「私たちが言語と言った場合,それは言語によって仲介された文脈と関連した意味のことであって,言葉の交換とコミュニケーション的行為によって生み出された意味のことである。このような一定の社会的文脈の中で生成された意味は(それは理解と言ってもいいのだが)対話と会話というダイナミックな社交のプロセスをとおして進化していく。(中略)言葉の中で私たちは他者との触れ合いに意味をもち,言葉をとおして現実を分かち合う。『ことばの中にいる』,それはたんなる言語行為ではなく,ダイナミックな社会活動なのだ。」

と。この中心にあるのは,

「現実とは協働で制作されるものだ」
「言語でもって,言語をとおして,この世界を産出している」
「言葉は世界を映し出しているのではなく,言葉はそれぞれが知るべき世界を創り出している」

という考え方(社会構成主義)である。それは,

Here and now

いま・ここで取る「待ったなしの姿勢」(訳者=野村直樹氏)である。そこでは,セラピーとは,

「対話コミュニケーションの場づくりである。会話の空間を広げてゆくプロセスである。問題によって召集され,問題を解消するシステムのメンバーたちは,そのコミュニケーション空間において,意味と理解を新たにする作業に取り組むが,それは言い換えれば,『未だ語られていないこと』を探し当てていくことに他ならない。その意味では,セラピーは,これまでと違う会話をし,新しい言葉遣いを覚え,現実を違う角度から眺めてみるという,普段の私たちの行為とさほど変わらない。新たな経験に即して異なる意味をお互いが獲得していくことは,私たち人間としての資質にかなったことだからである。システムは私たちが取り組む対象ではあるが,それは言葉の中に存在するということをしっかり覚えておこう。」

と言うものである。「未だ語られていないこと」とは,通常,

リソース,

という言い方をする。これについて,マイケル・ホワイトは,

「ぼくらは個人が自己というものをもっているとか,リソースをうちにひめているとは考えない。自分もリソースもむしろ今ここで創り出していくもので,この場で発見し育て上げていくものだから」

という。それはこういうことだ。

「意味は一つだけ,なんてことはないということだ。すべての表現が,まだ表現されていない部分をもち,新たな解釈の可能性をもち,明確にされ言葉にされることを待っている。…すべてのコミュニケーション行為が無限の解釈と意味の余地を残しているということなのだ。だから対話においては,テーマもその内容も,意味をたえず変えながら進化していく。(中略)私たちがお互いを深く理解するというのは,相手を個人(という抽象物)として理解するのではない―表現されたものの総体として理解するのである。この過程に対話が変化を促していくからくりがある。
 そこで私たちは,この『語られずにある』部分を言葉に直し,その言葉を拡げていくことがセラピーだと考える。そこでは,対話を通して新しいテーマが現れ,新しい物語が展開されるが,そうした新しい語りはその人の“歴史”をいくぶんでも書き換えることになる。セラピーはクライエントの物語の中の『未だ語られていない』無限大の資源に期待をかけるのだ。そこで語られた新しい物語を組み入れることで,参与者たちはこれまでと異なる現実感を手にし,新しく人間関係を築いていく。これらは『表現されずにあった領域』に埋蔵された資源,リソースからでてきたものではあるが,その進展を促すためには,どうしてもコミュニケーションすること,対話すること,言葉にすることが必要となる。」

つまり,

「セラピーにおける変化とは,対話や会話から生じた意味の変化」

なのであり,だからこそ,

「問題は言葉と会話を通過することにより,新たな意味,解釈,理解を獲得していく。治療的会話とは解決を見つけるための会話ではないのだ。解決は見つかるのではない―問題が消失するのである。」

そして大事なことは,

「この過程を経てセラピストが変わるのである。私たちの治療倫理のエッセンスは,セラピスト自身が変化するリスクを承知でそれを覚悟するその姿勢にある。」

という点だ。セラピストもまた,対話の当事者であり,こうした,

インターサブジェクティヴな(双方向に思いが交差してできる)

を通して,セラピーの基本は,

「行き交う理解,互いへの敬意,耳を澄まし相手の言葉を聴こうとする意思である。病理から離れて,語られたことの『真正さ』へと重心を移すことができる偏見のなさと自由さである。これが治療的会話のエッセンスであろう。自分が誰でまた将来どのような人になっていくかは,対話がその基点にあるのだ。(中略)セラピストの専門性は何に根ざしているかと言えば,対話や会話への参加にあえて賭けていくという“能力”にである。また自分も変化するリスクを負うということに根ざしているのである。」

ということになる「マナー」という言葉が生きてくる。

ちなみに,こうした治療的会話の特徴を,次のように列挙している。

①セラピストは,検討する問題の範囲をクライエントが言った問題の範囲内にとどめる。
②セラピストは,多様な考え方や相矛盾する考え方を同時に受け入れる。
③非協力的ではなく協力的な言葉を選択する。
④セラピストはクライエントの言葉を学習する。
⑤セラピストは敬意をもって聴き,あまり急いで理解してしまわない(すぐさま理解してしまうことがたとえ可能であったとしても)。
⑥セラピストは質問を発し,クライエントはそれに応えるが,重要なのはクライエントの応えは,セラピストからさらに新たな質問を投げかけられるのを待っているということだ。
⑦セラピストには,会話のための環境をととのえるという責任がある。
⑧セラピストは,自分自身と対話しそれを維持していく。

そこで,「当面の課題や検討事項に対して新しい見方を可能にする方向に…いつも目をむける」

開いていく会話,

をしていくことになる。訳者は,

無知の姿勢(not-knowing)

会話への信頼(trust)

を,本書のキーワードとされた。僕は,

「未だ語られていないこと」を探し当てていくこと,

の方に着目したい。

参考文献;
ハーレーン・アンダーソン,ハロルド・グーリシャン『協働するナラティヴ』(遠見書房)


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2017年08月12日

リフレクティング


トム・アンデルセン『リフレクティング・プロセス―会話における会話と会話』を読む。

リフレクティング・プロセス.jpg


アンデルセンのリフレクティング・チームの特徴は,監訳者(鈴木浩二)が言うように,

「鏡の裏側にいるリフレクティング・チームメンバーが面接の途中,それぞれ熟考した面接場面に対する考えを面接者と家族のいるところで披露し,面接者と家族の思考の転換を促し,新たな物語を構成し,自らの解決方法を共働して産み出すところ」

にあるが,正確には,面接者と家族が,今度は逆に,リフレクティング・チームメンバーが話す場面を,鏡の後ろで聞く側になる。それを交替しつつ,話が深まっていく。

アンデルセンは,それを,

「明かりと音声の切り換えは,我々と家族を驚くほど自由にした。われわれはもはや責任をもつ側にあるだけではなく,2つの側面の片側に(すぎなく)なった。」

という言い方をしている。この考え方について,

「我々はこの言葉を英語ではなくフランス語の意味で考えた。それは我々の理解ではreplicationに近いものであった。フランス語のréflectionはノルウェー語の“refleksjon”と同じ意味をもつ。すなわち聞いたことを理解し,反応はする前に考えることを意味する。明かりと音声の切り換えもまた思考をより自由にしてくれたので,我々は我々が従っているさまざまな概念やルールがどのように我々に影響しているかを問い直すことになった。」

と述べている。それは,

「我々はリフレクティング・チームの代わりにリフレクティング・ポジションという用語を好んで用いている。」

ということにも表れている。家族と面接者,リフレクティング・チームメンバーとか,交互に聞く側に回り,その都度聞きながら考えたことを披歴し合うのには,ある意味で,自分の問題を,

メタ・ポジション,

で聞くという効果があるような気がするが,アンデルセンは,たとえば,

「参加者たちが一つあるいはそれ以上の問題について積極的に発言する立場と,同じ問題に関する他者の発言に耳を傾ける立場を相互に交換する機会を面接の中に作るという…ように,立場を変えることによって,外的(outer)対話と内的(inner)対話の間を行きつ戻りつすることができるようになる。これら二つの異なった種類の対話は,私たちが物事の新しい記述と理解の仕方を求めている時に,同じ事柄について二つの異なる展望を与えてくれ,さらに異なる二つの出発点を備えてくれる。(中略)ある場合にはチームを使い,ある場合には同僚1人だけの協力で,またある場合にはクライエントたち,すなわち家族メンバーだけしかいないところでも同じやり方をすることができるわけである。この最後の場合は,治療者が家族の1人と話している間に,それに聴き入っている他の家族メンバーはリフレクターとなり,のちには一つの“リフレクティング・チーム”となることもあろう。」

と,その効果を説明する。それは,治療者とクライエントとの間には,

「三つの並行する会話―2つの内的対話(inner talk)と1つの外的対話(outer talk)―が進行していると考える」

からである。同時に,聞く側の時,鏡の外から,見てもいる。

「聴いている人は話されたことすべてに耳を傾けているだけでなく,それがどのように発語されるかを見てもいるわけである。」

からでもある。その意味でも,

メタ・ポジション,

である。いわば,

メタ化,

の具現化,見える化である。

このリフレクティングに意味があるのは,

「私たちが対話を変化のための“方法”として用いているこの世界は,生きている人々と彼らの意味づけから成り立っている世界である。この世界には,彼らが自分とその周りの世界とをどのように理解できるかということと,その世界にどのように関与しうるかという意味づけとが含まれている。人々と,とりわけその意味づけは常に変化しており,その起こりは急速である。意味づけは多様であり,文脈の転換に伴って変更される」

ものだからである。自分の文脈に縛りづけた意味は,メタ化した視点から聞くことで,リフレーミングされる。なぜなら,

「人はそれぞれ,自分が『属している』状況を知覚している(我々はそれを構造化された知覚と呼んでいる)。この知覚はその人の『現実』である。同じ状況にある別の人もまた『現実』を知覚しているが,その『現実』はその人特有の『現実』である。『現実』は知覚する人の『現実』としてのみ存在するのである。同じ『外的』状況は多数の『現実』となる可能性がある。他よりよいといえる『現実』はない。それらは全て等しく『実在』するものである」

し,

「多角的理解は,ひとつの同じ現象,例えばある問題が幾通りにも記述され,理解されることがあることを意味している。人はいずれもある状況に関する自分なりの解釈を創り出すという構成主義的な考えは,行き詰まったシステムに遭遇したときに非常に役に立つものである。…どの解釈も正しいわけでも間違っているわけでもない。我々の課題は,さまざまな人がどのように自分の記述や説明を作り出しているかを理解するために,できる限り多く対話するよう心がけることである。それから,我々は彼らがいまだかつてみたことのない別の記述があるかどうか,まだ考えたこともない別の説明があるかどうかを論じる対話へと導く」

からである。この背景には,グリーシャンが,ヴィトゲンシュタインの,

「我々の言語の限界が我々の世界の限界を設定する」

に基づいて,

「我々の有するあらゆる理解,この世に関する我々のあらゆる記述,我々が社会組織を観察するその方法,問題を理解するための手段,我々が治療を行う際のモデルが我々の言語の使用法と語彙と物語の表現以上の何ものでもない,ということができるのでしょうか?我々の行動が意味を成就するのは,我々の意味体系のなせるわざなのでしょうか?もっと恐ろしいのは,我々が人生において理にかなった行動を自らを他者と協和させ,組織づける複雑な一連の操作であるところの我々人間の営為が,実は我々が相互に形成した叙述が行動へと変形した以上の何ものでもない,という意味が含まれていることです。」

という考え方がある。ぶっちゃけ,

人は持っている言葉によって見える世界が変わる,

とも言う。ならば,同じことを,言い換えてもいいと分かった瞬間,

意味も,
見える世界も,

変るかもしれない。それが,内的対話と外的対話の交替のもたらすものだ。このバックボーンは,ベイトソンの,

差異を作り出す差異(the difference that makes difference),

である。そこには,

空間的差異(区別),
時間的差異(変化),
いつもと異なる(例外),

の3つがある。文脈の中の,地と図の違い,時間経過が生む違い,いつもから浮きだす違い(例外),それは,文脈に埋もれ,視界が閉ざされている時には,別の見え方ができない。メタ・ポジションに立つ時,視界が変わり,違いが見えてくる。

なお,グリーシャンについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/452599306.html?1502395255

で触れた。

参考文献;
トム・アンデルセン『リフレクティング・プロセス―会話における会話と会話』(金剛出版)

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2017年08月13日

物語


マイケル・ホワイト&デビット・エプストン『物語としての家族』を読む。

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否応なく,われわれは,自分人生の舞台に立っている。問題は,自分の物語をどう演ずるか,である。

「はしがき」で,カール・トムは,ホワイトとエプストンの特徴を,

第一に,問題の外在化(externalizing the problem),
第二に,書き言葉を治療目的に多様な方法で使うこと,

と挙げている。「問題の外在化」とは,

「家族のメンバーの人生や人間関係に関する『問題のしみ込んだproblem‐saturated』描写から彼らを引き離すことを援助するための仕掛け」

であり,それは,

「私たちの個人的アイデンティティーは,私たちが自分たち自身について『知っているknow』ことや,私たちが自分たち自身を人間としてどのように描写するかによって構成されます。しかし,私たちが自分たち自身について知っていることは,その大部分が,私たちが組み込まれている文化的実践(描写することや,ラベルを付けること,分類すること,評価すること,隔離すること,それに排除することなど)によって定義されているのです。言葉を使う人間として,事実,私たちは,前提的言語実践と暗黙のうちの社会的文化的共働パターンの目に見えない社会的『コントロール』に服従しているのです。」(カール・トム)

という文脈に埋め込まれている。だから,

「人々が問題から離れることを学ぶと,彼らは,人々や人々の身体を『客体化objectification』あるいは『物化thingrification』する,文化にその起源をもつ他人の実践に挑戦するかもしれない。これらの実践の文脈には,人々は,客体として構成されており,人々は,自分自身や身体,そして他人に対しても,客体として適応するよう励まされている。これは,人々の固定化であり,公式化である。西洋社会においては,この客体化の実践が浸透している。
 問題の外在化の実践は,人々や人々の身体,そしてお互いの『脱客体化』に彼らを従事させる対抗実践と見なすことができる。これらの対抗実践は,常に人々に大きく訴えかける。人々は,これを情熱的に受け入れ,自分たちが救われる。」

まさに,訳者(小森康永)の言われる通り,

「外在化とは,ひとつの技法に留まらない。ひとつの認識論といわざるをえない。」

のである。文化的・社会的な文脈に埋め込まれ,おのれのストーリー(ドミナント・ストーリー)に苦しんできた者は,それを突き離すことで,自分自身の地に埋もれていた図(ユニークな結果)を拾い上げていく。

ベイトソンについての,

「ゴルジブスキーの格言である『地図は領土ではない』を参照にして,彼(ベイトソン)は,出来事に対する私たちの理解や私たちの出来事に対する意味は,出来事を受け取る文脈,すなわち,私たちの世界の地図を構成する前提や予測のネットワークによって決定され拘束されているのである,と提案した。彼は,地図のパターンにたとえて,全ての出来事の解釈は,どれくらいその解釈が出来事の知られているパターンに適合するかによって決まると主張し,それを『部分が全体のコードになるpart for whole ckding』と呼んだ(ベイトソン,1972)。彼は,出来事の解釈は,それを受け取る文脈によって決められると述べただけではなく,パターン化されえない出来事は,生き残りのために選択されないと主張した。つまり,そのような出来事は,私たちにとって事実としては存在しないのである。」

という考え方の紹介は,そのまま,問題の外在化→ユニークな結果→オルタナティブストーリー,へとつながる大きな思想のバックボーになっていることがわかる。なぜなら,

「人々が治療を求めてやってくるほどの問題を経験するのは,彼らが自分たちの経験を『ストーリング』している物語と/または他者によって『ストーリーされて』いる彼らの物語が,充分に彼らの生きられた経験を表していないときであり,そのような状況では,これらのドミナント(優勢な)・ストーリーと矛盾する彼らの生きられた経験の重要な側面が存在するであろう,というものである。」

「人々が治療を求めるような問題を抱えるのは,(a)彼らが自分の経験をストーリングしている物語/また他人によってストーリーされた彼らの経験についての物語が充分に彼らの生きられた経験を表しておらず,(b)そのような状況では,その優勢な物語と矛盾する,人々の生きられた経験の重要で生き生きとした側面が生まれてくるだろう」

ということで,

「人々が治療を求めてやってきたときの容認しうる結果とは,オルタナティブ(代わりの)ストーリーの同定と誕生ということになる」

のである。それには,

「パターン化されえない出来事は,生き残りのために選択されないと主張した。つまり,そのような出来事は,私たちにとって事実としては存在しない」

とされた経験を拾い集めなくてはならない。この,

「ドミナント・ストーリーの外側に汲み残された生きられた経験のこれらの側面のことを『ユニークな結果unique outcome』と呼ぶ」

そして,

「ユニークな結果が見つかれば,これらに関連した新しい意味の上演に従事するよう励ますことができる。ユニークな結果は人生におけるオルタナティブ・ストーリーとなるまで引き続きプロットされる必要がある。私は,このオルタナティブ・ストーリーを『ユニークな説明unique account』と呼び,ユニークな結果が『意味をなすmake sense』ようなオルタナティブ・ストーリーを位置づけ,生み出し,復活させるよう人々を励ます…。」

実は,本書の大半は,特徴の第二の,

書き言葉を治療目的に多様な方法で使うこと,

の実践例で占められている。

招待状,
予言の手紙,
対抗紹介状,
特別な機会のための手紙,
独立宣言,

等々,これらはある意味で,

オルタナティブ・ストーリー,

という新たな舞台の上で,自分の人生を意味づけ直す(という仮説)を強化するための手段と見なすことができる。オルタナティブ・ストーリーを生み出す以上に,それを引き続き生きていく方が,遥かに,難しいからだ。ここに,本書の大きな仕掛けがある。

それにしても,フロイトもそうだが,ロジャーズも含め,セラピー理論が,いかに認識の革新をはかろうとする結果の中から生まれてきている,ということを,つくづく思い知らされる。翻って,わが国のセラピーは,技法の真似は出来ても,こうした認識論の革命にまでいたっているのかどうか,ふと疑問を感ずる。いつまでたっても,所詮キャッチアップとうわべの模倣だけなのではないか。

参考文献;
マイケル・ホワイト&デビット・エプストン『物語としての家族』(金剛出版)

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2017年08月14日

横浜トリエンナーレ2017


横浜トリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」

http://www.yokohamatriennale.jp/2017/

に伺ってきた。三年前の,2014年のトリエンナーレについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/407311875.html

で触れた。今回は,前回のような,全体が一貫した物語になっていない。今回のコンセプトは,

「接続性」と「孤立」から世界を考える,

で,こうある。

「 世界は今、従来の枠組みを超えて様々なネットワークが拡大する一方で、紛争や難民・移民の問題、保護主義や排外主義、ポピュリズムの台頭といった課題に直面し、大きく揺れています。また人間の処理能力を大幅に超える量の情報が氾濫し、高度に複雑化する環境の中、SNSなどのコミュニケーションツールの急速な発達により、ネット上の小さなコミュニティやグループの中だけに身を置くような世界観の島宇宙化が進んでいるようにも見受けられます。さらには、これまでの大国や中央集権の論理に抗うかのような様々な小規模共同体の動きも活発化しています。
 このような従来の社会の枠組みや価値観が大きく揺らぎつつある今日、ヨコハマトリエンナーレ2017では、「島と星座とガラパゴス」というタイトルのもと、世界の「接続性」と「孤立」の状況について、アートを通じて様々な角度から考察します。そして、相反する概念や現象が複雑かつ流動的に絡み合う世界や、独自性・多様性の在り様について、さらには先行きの見えない時代に、人間の持つ勇気と想像・創造力が、未来に向けた新たなヴィジョンやグランド・デザインをどのように導き出し得るのか、思索を巡らせます。」

僕は,「島と星座とガラパゴス」を,

孤の深掘りが不変に通ず,

と読んだ。昔,誰だったか,

私を掘り続けることで世界(普遍)に通ず,

というような意味のことを言っておられた。「ガラパゴス」とは,そういう意味か,と。例えば,ほぼ世界から孤立していた江戸時代の,

浮世絵,

が,世界の最先端の印象派と通底したように。

展覧会場は,

横浜美術館,
横浜赤レンガ倉庫1号館,
横浜市開港記念会館,

とばらけ,世界各地からの約40組のアーティストたちの「多種多様なメディアの作品」が展示される,のだが,ひとつひとつは,どう見ても,連関してもいないし,リンクもしていない。言ってみると,

ひとりひとりが,おのれを掘り下げて,世界へと通じよう,

と表現している,と見た。入口にあるのは,アイ・ウェイウェイ「安全な通行」。横浜美術館の外壁と柱に、救命ボートと難民が実際に使用した救命胴衣を用いて、難民問題に関する大型インスタレーションである。

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(アイ・ウェイウェイ「安全な通行」)


会場には入ると,ジョコ・アヴィアントの,注連縄(しめなわ)から発想して2000本のインドネシアの竹を独自の手法で編み上げた巨大な造形。

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(ジョコ・アヴィアント)


その意味で象徴的だったのは,70歳になられる木下晋の巨大な鉛筆画だ。

「孤独を生きる人のことを知りたい」

として,

「孤独を受け入れながら尊厳を失わない人びとに見れせられてきた」

と案内バンフにある通りの,元ハンセン病患者の横顔,「視る人」(2011),「掌握」(2011),「起つ人」(2017)もいいが,

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(「視る人」2011 鉛筆,ケント紙)

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(「掌握」2011 鉛筆,ケント紙)

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(「起つ人」2017 鉛筆,ケント紙)


やはり,正面の壁いっぱいの「合掌・懺悔」(2015)が圧倒する。

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(「合掌・懺悔」2015 鉛筆,ケント紙)


言ってみれば,ただ糞リアリズムの極致のように,手や足を拡大して描いているだけだ。しかし,改めて,それを見る時,われわれが,肉体をいかにおろそかにし,詳らかにそれを視ることを怠ってきたかを思い知らされる。その手と足の皺の隅々に,生きてきて,使いこなしてきた証が,くっきりと鮮やかに刻印されている。顔を見れば,その人の人生が見える,というが,手足を見れば,その人の,

生きざま,

が,顕現している。やはり,

ガラパゴス精神,

恐るべしだろう。

マーク・フスティニアーニの,「別の場所」へといざなう「無限への一節」も興味深いが,既視感が伴う。自然の穴でよいのではないか,こんな仕掛けではなく,手近の庭の穴,山の洞穴で。「ジャックと豆の木」の豆の木が誘うように。

DSC09071.JPG

(マーク・フスティニアーニ)

DSC09072.JPG

(マーク・フスティニアーニ)


参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E6%99%8B
http://www.yokohamatriennale.jp/2017/highlight/index.html

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

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2017年08月15日

こそこそ


「こそこそ」は,『広辞苑』には,

知られては困ることを気づかれないように行うさま,
気づかないほど静かな音のするさま,
くすぐるさま,

の意味が載るが,『大言海』には,

狐鼠狐鼠,

と当ててこうある。

「擬態語なり」

静かに音のするに云ふ語,
忍びて,ひそひそ,こっそり,

と意味が載る。恐らくは,

静かに音のする,

という擬音語というか,そのさまを示す,擬態語という状態表現から,価値を含意する,「忍んでする」という価値表現へと転じた,というのが想定されるので,『大言海』の意味の並べ方が正確に思える。『日本語源広辞典』には,

「コソ(擬態語 かすかな)のくりかえし」

とある。確かに,『岩波古語辞典』には,「こそこそ」は載らないが,

こそつかし,

というサ変動詞が載る。これは,

「こそ」+「つかす(尽かす)」

と考えられる。意味は,

こそこそと音を立てる,

で,

松風にこそつかせたる紙子かな」(初蝉)

の用例が載る。「こそこそする」という意味の使い方は,

「にくみもするすぢのこそこそとうせぬる上は」(愚管抄)

にある。『岩波古語辞典』には,類語「ひそひそ」も,

ヒソを重ねた語,

とあるので,「ひそ」も,擬態語と想像される。同じく類語「こっそり」は,

「こそ」+り,

の促音化と想像できる。「り」をつけて様子を表す言い回しは,

「ひっそり」「ぼんやり」「のんびり」「うんざり」「うっとり」

等々がある。

『擬音語・擬態語辞典』は,「こそ」「こそっ」「こそり」「こっそり」を並べて,

「『こそ』『こそっ』は,『こそこそ』よりも行動がひそかで,かける時間も短い様子。『こそ』の方が『こそっ』より古い形。江戸時代,内密の株取引を『こそ株』,内密の部屋を『こそ部屋』といった。『こそり』『こっそり』は,全く目立たぬ様子。『こそり』の方が,『こっそり』より古い。さらに古い形は,『こそろ』。『背に刀さしながら,蛇はこそろと渡りて,むかひの谷に渡りぬ』(宇治拾遺物語)」

と意味を比較している。なお,江戸時代には,「こそこそ」のつくいろんな言い方があったらしく,

「男女の密通を『こそこそちぎり』,密会する宿を『こそこそ宿』,などというのが浄瑠璃にある」

とある。「コソ泥」の「こそ」も,「こそこそ」の「こそ」である。

「ひそひそ」と「こそこそ」について,やはり,『擬音語・擬態語辞典』は,

「『こそこそ』は他人に知られないように動作を行う様子。『ひそひそ』が話す様子に限られるのに対して,『こそこそ』は広く動作一般に用いる。『ひっそり』は,物音がせず静まり返っている様子。『こっそり』は『ひっそり』の類義語で,人目につかない静かな動作を行う様子。」

とある。「こそこそ」「こっそり」は,擬態語で,視覚的。「ひそひそ」「ひっそり」は,状態表現で,聴覚的と言っていい。

「ひそひそ」は,

ひそかに,

の「ひそ」で,

潜む,
潜める,

は,この擬態語から派生した。「ひそひそ話」「ひそひそ声」等々とも使う。これは,

「室町時代から見られる語」

という。「ひそひそ」は,

「かつては,『ひそびそ』」

とも言ったという。「ひそひそ」より,「ひそびそ」の方が,

しーん,

とした印象を受ける。

ひそめく,
ひそか,
ひそけく,

の「ひそ」も,擬態語から来ている。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)


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2017年08月16日

そわそわ


「そわそわ」とは,

気がかりなことがあって言動が落ち着かないさま,

の意で,明らかに,擬態語である。『擬音語・擬態語辞典』は,もう少し具体的に,

「気にかかることがあって落ち着かない気持ちでいる様子。…また,落ち着かない気持ちが動作に表れて,浮足立った動作をする様子。」

と説明する。かつては,「そわそわする」と似た意味で,

そわつく,
そわそわしい,

という言い方もしたようだが,江戸時代から見える語,という。

「此の比はそはそはと何も手に付かぬと見た」(『冥途の飛脚』)

室町末期の『日葡辞典』には,

ろりろり,

という語が,

「不安などで落ち着かなかったりうろたえたりする様子」

の意で載っている,という。億説かもしれないが,「そわそわ(旧仮名そはそは)」は,

さわ(騒)ぎ,

と関わるのではあるまいか。『日本語源広辞典』は,「騒ぐ」は,

「さわ(擬音)+ぐ」

とする。『擬音語・擬態語辞典』の「さわさわ」の項で,「さわさわ」は,

「軽いものが比較的穏やかに触れあう時の音。微風によって葉が揺れる時の音を示すのによく使われる。」

とあるが,

「古くは,騒々しい音を示す用法(現代語の『ざわざわ』にあたる)や,落ち着かない様子を示す用法(現代語の『そわそわ』にあたる)もあった。」

とあり,やはり,

「『さわさわ』の『さわ』は『騒ぐ』の『さわ』と同じもの」

であり,「そわそわ」と似た用法があった背景がある。現に,『岩波古語辞典』の「さわさわ」は,

騒々,

と当てて,

「サワキ(騒)のサワと同根」

として,

「騒がしく音をたてて動き回るさま」

の意である。その状態表現に,価値が加われば,それ自体があまり外見のいいものではないという価値表現へとシフトしたということは,当然あり得る。

Sawasawa→sowasowa,

の音韻変化とともに,より価値表現が強化された表現に転じたというふうに見られるのではないか。「そわそわ」に,「騒々」の,騒がしさや落ち着きなさ,をシフトさせることで,「さわさわ」が穏やかな風の音へと,意味を純化させた,ということではないか。

ところで,「そそっかしい」について,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/445558292.html

で触れたが,

「そそ(噪)き」

という語があり,『岩波古語辞典』には,

「ソソは擬態語。そわそわ・せがか・ざわざわなどの意。キは擬音語・擬態語を受けて動詞を作る接尾語。カガヤキ(輝)・ワナナキ(震)のキに同じ。」

とある。『日本語源広辞典』は,

「ソソク(事を急ぐ)の形容詞,ソソカシの変化」

とし,「そそくさい」も,

「ソソ(急ぐ)+クサイ」

で,同源とする。「そそくさ」という言葉があるが,これも,

「ソソ(そわそわ)+クサ(落ち着かぬさま)」

としている。「そそくさ」は,一見,擬態語に見えるが,

「せわしなくする意を表す古語の『そそく』『そそくる』と関連する」

と,『擬音語・擬態語辞典』には載る。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/so/sosokkashii.html

も,

「そそっかしいは、『そそかし(い)』を促音化し、強調した語である。『そそかシ』は、『取り急ぎ事をする』という意味の自動四段動詞『そそく』が形容詞化した語で、『そそく』は 、『慌てる』『そわそわする』という意味の自動四段動詞『いすすく』に由来する。 そそっかしいは落ち着きないさまが本来の意味であるが、そこから発展し、『不注意だ』『軽率だ』という意味も含まれるようになった。
 古くは、そそっかしいと同系列の形容詞『そそこし』『そそかはし』などがあった。」

とする。『大言海』は,「そそく」について,

「ソソクは,噪急(そそ)くの義。イススクの上略転」

としている。『岩波古語辞典』は,「そそき」に,

噪き,

を当て,

「ソソは擬態語。そわそわ・せかせか・ざわざわなどの意。キは擬音語・擬態語を受けて,動詞を作る接尾語。カカヤキ(輝)・ワナナキ(震)のキと同じ。ソソキ(注・灌)とは別音の別語。」

としている。どうやら,擬態語,

ソソ,

から,

ソソキ,

が生まれ,

そそっかしいとなったものらしい。この「そそ」の,状態表現から価値表現へのシフトと,「さわ」の状態表現から価値表現へのシフトは,どうやら相似的に重なるようである。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
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2017年08月17日

めぐむ


「めぐむ」は,

恵む,
恤む,

と当てる。当てている「恵(惠)」の字は,

「惠の上部は,まるい紡錘(糸巻きの輪)を,ぶらさげたさま。惠は,それと心を合わせた字で,まるく相手を抱き込む心をあらわす」

とある。まさに,「めぐむ」で,

温かくいつくしむ,
相手を温かく抱き込む思いやり,

という意味である。「恤」の字は,

「血は,全身くまなく巡る血のこと。恤は『心+音符恤』で,心をすみずみまで思いめぐらせること」

で,

気の毒な人に思いを巡らす,
情けを巡らす,

という意味になる。「めぐむ」に丸めれば同じだが,「恤」は,どちらかというと,「あわれむ」で,上から目線である。『広辞苑』の「めぐむ」は,

情けをかける,憐れむ,恩恵を与える,
あわれに思って物品を与える,施す,

という意味が載るが,

相手をあわれに思う→施す,

と,いずれも,「あわれむ」の含意で,単なる心情表現から,その心情を行動に表す意味へとシフトしている,と見える。しかし,『岩波古語辞典』を見ると,「めぐみ」の項で,

「メグシと同根。眺めるのに耐えない意から,憐憫を催す意。進んで,相手に恩恵を与える意。類義語ウツクシミは,肉親や小さいものへの愛情を感じる意。」

とあり,「めぐし」をみると,

愛し,
愍し,

と当て,

「メは目。グシは,ココログシのグシで,苦しい意」

とある。「めぐし」は,

見るも切ないほどかわいい,

の意から,

見るに堪えない,いたわしい,

と,「せつない」意味が,

かわいい→いたわしい,

へとシフトしている。そして,「めぐみ」は,

(神仏・天皇などが,人々のために)心を砕きいつくしむ,
憐れんで助ける,
物を施し与える,

と意味がシフトしている。どうやら,もともと,「めぐむ」には,

上から目線,

であり,本来は,

救恤,

といった言い方をする,「恤む」の当て字が,本来なのかもしれない。それが,目線が下がり,対等以下の相手へと移ることで,

あわれむ,

という意味へとシフトし,それが,

施す,

という行動へとひろがったという流れに見える。

さて,「めぐみ」の語源については,『語源由来辞典』,

http://gogen-allguide.com/me/megumi.html

は,

「めぐみは、『いとおしい』『かわいい』を意味する形容詞『めぐし(愛し)』が動詞化した『 めぐむ(恵む)』の名詞形。 『めぐし』の『め』は『目』、『ぐシ』は『心ぐし(心苦しい)』と同じく 、『痛々しい』『切ない』の意味。 『目に見て痛々しい』『気がかりである』というのが『めぐし』の本来の意味で、そこから『切ないほどかわいい』『いとおしい』の意味が派生した。『めぐみ(めぐむ)』も,派生する前の意味を含んだ語であるため、困っている人を哀れんで金品を与えることや、情けをかけることをいう。」

としている。たしかに,「めぐし」は,『日本語源大辞典』も言うように,

「『め』(目)と『心ぐし』の『ぐし』(苦しい)から成り,目にみて苦しい,気がかりであるが本義であり,ここから胸が痛むほどかわいい,いとしいの意も派生したと思われる。」

とあり,さらに,

「近世には,『めぐし』から転じた『めごい』があらわれ,ここから,メゴコイ・メンゴイ・メゲーの語形が派生した。『めんこい』は,このうちメゴコイ・メンゴイから変化した語形と見られる。」

とする。しかし「めぐし」に,

愛し,

だけでなく,

愍し,

の字を当てていた,ということは,「めぐし」には,ただ「気がかり」というだけでなく,「あわれむ」意もあったに違いない。「めぐし」から「めぐむ」が派生したことで,

めぐし→めごこい→めんこい,

と可愛い意が純化し,逆に,

めぐむ,

は,あわれむ意をより強化し,施す,という意を強化していったように見える。

https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/1793/meaning/m0u/

は,

「与える(あたえる)/授ける(さずける)/恵む(めぐむ)/施す(ほどこす)/やる/あげる/差し上げる(さしあげる)/くれる/くださる/賜る(たまわる) 」

を比較し,「めぐむ」は,

「困っている者を哀れんで、いくらかの金品をその者に移動し、所有させる意。『恵んでやる』『恵んでもらう』『恵まれる』などのように、授受の動詞をともなった形や受身の形で用いられることが多い。」

と,意味の純化が進んでいることを示している。

なお,「あわれむ」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/451236668.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/448793462.html

で触れたし,「いつくしむ」についても,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/451028421.html

で触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

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2017年08月18日

維新


森田健司『明治維新という幻想』を読む。

明治維新という幻想.jpg


「維新」という語は,『詩経』「大雅・文王篇」の一節である,

「周雖旧邦 其命維新(周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり)」

が出典とされる。「維新」は,

これあらた,

と訓む。しかし,英訳すると,

Restoration,

つまり,

復古,

である。後醍醐天皇の建武新政,とほぼ重なる。少なくとも,テロリストであった薩長の下級武士にとって,錦旗こそがおのれをオーソライズする必需品であった。だから,偽造説のうわさが絶えない。

本書は,

「この『明治政府』の真の姿を,幕末や戊辰戦争(1868~69年),それに対する庶民の反応,そして統辞を代表する人物たちの発言や行動を用いて,浮き彫りにしようとするものである。」

という。しかし,読み終って,結局周辺を撫でただけのような気がする。本質は,主体となった人たちを,真正面から見据えて,その人物,思想,行動を,結果からではなく,描きださなくては,明治=近代化という先入観は崩せまい。

本書の特徴は,著者が,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/452542427.html?1502221835

で書いたように,庶民の反応を,当時の錦絵を絵解きすることで,示している部分かもしれない。たとえば,

錦絵「浮世風呂-トロ文句」

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi05/chi05_04025/chi05_04025_0001/chi05_04025_0001.pdf

は,著者はこう絵解きする。

錦絵 浮世風呂-トロ文句.jpg

(浮世風呂一ト口文句 ウキヨ ブロ ヒトクチ モンク 早稲田大学図書館 )


「画面右の番台にいる女性は,おそらく和宮だろう。彼女の着物には,…『下がり藤』が描かれている。その横で床に座り,たらいから手拭いを垂らしている裸の男は,会津藩に違いない。会津若松の『若』の字が染め上げられているからである。そして,会津藩の背中を洗っている三助は,わかりにくいが『蛤』柄の手拭いを額にまいているに見えるので,桑名藩と考えられる。
 この会津藩と桑名藩のセリフが,なんとも興味深いのである。
 前者は,『年あけにおふわずらひ(大患い)をしたが今では大丈夫になったよモウどんなつよいやつがやつてきてもゆびでもささせやあしねへ(指でもささせやしねえ)』と語っている。
 鳥羽・伏見の戦いで最も勇猛果敢に戦い,多くの負傷者を出した会津藩の状況を説明したものである。『もう大丈夫,いかなる敵にも負けない』という言葉は,江戸庶民の期待が込められたものに違いない。
 そして,後者の桑名藩は,こう語っている。
 『だんな,あなたのせなかはまことにきれいでござります』
 この言葉も,庶民の気持ちを知る上で,重要である。『どれほど危うい状況にあっても,徳川家のために全力で戦った会津藩は,背中がきれいである』と記しているのだ。…『君臣の義』を庶民が大切に思っていたことが,よく理解できる。(中略)
 それでは,肝心の慶喜はこの錦絵のなかのどこにいるのだろうか。会津藩と桑名藩からは遠く離れて,画面の一番左,風呂の上がり淵に腰かけて,腕を組んでいる人物がそうである。彼を慶喜と判断する手がかりも,肩から垂らして手拭いの柄だ。いわゆる『欄干』模様であり,これが一橋徳川家の『橋』に掛けられているのである。
 ここでの慶喜は,何やら不思議なことを話している。
 『われこそハ中納言家持の嫡孫大友の黒主とハヲレカ事(俺のこと)だハ ヤイ』
 (中略)『家持』を『いえもち』と読むことによって,慶喜が第十四代将軍家茂(いえもち)の子や孫だと強がっているセリフだと理解できる…。」

こうした中に,江戸庶民の,旧幕府軍を応援する強い気持ちが込められている,と著者は見る。

それもこれも,鳥羽伏見前後の薩摩の仕掛けた仕打ちがある。慶喜の大政奉還という策に窮した西郷は,江戸で,相楽総三,満満休之助,伊牟田尚平らを使って,勤王の名の下に押借り,強盗を働き,庄内藩の三田薩摩藩邸焼き討ちを招き,思う壺の武力行使の口実を得た。
 鳥羽伏見を経て,江戸に入った新政府軍は,たとえば,『戊辰物語』に,

「官軍も詰まらないいいがかりをつけてよく町人を斬った。抜き身で二町も三町も追いかけられて余りこわいので知らない家へ飛び込むと,それなり玄関で絶命していたなどという話はざらにある。肩へ錦の布(きれ)をつけているので,『錦(きん)ぎれ』と呼び,いったいにひどく毛嫌いした。」

とある。だから,

この「錦ぎれ」を片っ端から剥ぎ取る「隼のような男」

に,江戸庶民は喝采した,という。

本書では,

庶民に嫌われた維新軍,
新政府軍に目を附けられた人々,
旧幕府軍から見た明治維新,
明治維新のイメージ戦略と「三傑」の実像,

と展開されるが,やはり,錦絵を素材に,戊辰戦争を見つめる庶民の眼が面白いが,いまひとつ,庄内藩の戦いぶりの紹介が,出色である。

「庄内藩に,新政府軍が勝っていた点は,兵の数だけである。庄内軍は,特に精神の面で,薩摩軍をはじめとする新政府軍を圧倒していた。」

という記述が目を引く。次々と列藩同盟が恭順に転じる中,一緒に戦い続けていた上山藩も,恭順に決し,撤兵を告げに来た時,

「我が藩のことは心配無用。ただ,貴藩が無事であることに,心を砕いてほしい。
 我が藩の方針は,まだ伝えられていない状況である。今後も同盟に残るとしても,脱退した他藩を傷つける意思はまったくない。ここまで死生を共にしてきた貴藩に至っては,もはや言うまでもないことだ。
 もし,貴藩が矛を逆さにして,我が藩に迫るようなことがあっても,怨むことなどありえない。」

という主旨のことを伝えたという。その精神性は,長岡藩にも,会津藩にも見られる。会津落城後,

「戦いが終わった後,城下には会津の人々の遺体が散乱していた。しかし新政府軍は,遺体の埋葬を強く禁じた。そのため,遺体は野犬に喰われ,烏に啄まれ,最低限の尊厳さえ奪われた上で朽ちていった。」

いわば,見せしめ,私怨である。それに反する精神性は,榎本武揚の檄文にも見える。

「王政日新は皇国の幸福,我輩も亦希望する所なり。然るに当今の政体,其名は公明正大なりと雖も,其実は然ず。王兵の東下するや,我が老寡君を誣ふる朝敵の汚名を以てす。其処置は既に甚だしきに,ついに其城地を没収し,其倉庫を領収し,祖先の墳墓を棄てて祭らしめず,旧臣の采邑は頓に官有と為し,ついに我藩主をして居宅をさへ保つ事能はざらしむ。又甚だしからずや。これ一に強藩の私欲に出で,真正の王政にあらず。」

贅言は,無用である。

参考文献;
森田健司『明治維新という幻想』(歴史新書y)


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2017年08月19日

たたかう


「たたかう」は,

戦う
闘う,

と当てる。漢字の違いを先に見ておくと,「戦(戰)」の字は,

「單(単)とは,平らな扇状をした,ちりたたきを描いた象形文字で,その平面でぱたぱたとたたく。戰(戦)は,『戈+音符單』で,武器でぱたぱたと敵をなぎ倒すこと。憚(タン はばかる)に通じて,心や皮膚がふるえる意に用いる。」

とある。ちなみに,「戈」は,「ほこ」の意で,

「とび口型の刃に縦に柄をつけた古代のほこを描いたもので,かぎ型にえぐれて。敵をひっかけるのに用いる武器のこと。後,古代の作り方と全く違った,ふたまたのやりをも戈と称する。」

という。「干戈」で,戦争の意となる。「鬥(トウ たたかう)」は,象形文字で,

「二人の人が手に武器をもち,立ち向かってたたかう姿を描いたもの」

で,「互いに譲らず,たたかう」という意になる。

「闘(鬪)」の字は,

「中の部分の尌(ジュ)は,たてる動作を示す。鬪は,それを音符とし,鬥(二人が武器をもってたち,たたかうさま)を加えた字で,たちはだかって切りあうこと。闘は,鬥を門にかえた俗字で,常用漢字に採用された。」

という。「鬪」と「戰」の使い分けには,

戰の字は,叩きあう義,
鬪の字は,勝をあらそふ義,
鬨の字は,ときの声をあげて戰ふ義,

という区別があるらしい。とすると,「たたかう」は,『広辞苑』によれば,

「タタ(叩)クに接尾語フのついた語」

とあるから,本来は,

戰,

の字を当てるべきなのかもしれない。「闘う」と「戦う」の区別は,今日,

「武力を用いて争う場合やスポーツなど,広く一般に『戦』を用い,利害の対立する者が争ったり,障害や困難に打ち勝とうと努めたりする場合は,多く『闘』の字を用いる。」

と,『広辞苑』にあるし,『大辞林 第三版』にも,

「『戦う』は“戦争する。勝ち負けを争う”の意。『敵国と戦う』『選挙で戦う』『優勝をかけて戦う』
 『闘う』は“困難などを克服しようとする”の意。『労使が闘う』「難病と闘う」『暑さと闘う』〔ともに『格闘する・争う』意で用法も似ているが、『戦う』の方をより広義に用い、『闘う』は『格闘する』意に限定して、比較的小さな争いに用いられることが多い。また、比喩的に、見えないものとの精神的な争いにも『闘う』を用いる〕

あるので,勝負事は,「戦」の字,自分に打ち勝つ,格闘・闘争の場合は,「闘」の字,という用例らしい。どちらかと言えば,「闘」の方が,個人の姿勢を示している印象がある。

なお,『岩波古語辞典』にも,

「タタキ(叩)に反復・継続の接尾語ヒのついた語。相手を繰り返し叩く意。類義語アラソヒは,互いに我を通そうと抵抗し合う意。イサカヒは,互いに相手を拒否抑制し合う意。」

とあり,接尾語「ひ」についても,

「四段活用の動詞を作り,反復・継続の意を表す。例えば,『散り』『呼び』と言えば普通一回だけ散り,呼ぶ意を表すが,『散らひ』『呼ばひ』といえば,何回も繰り返して散り,呼ぶ意をはっきりと表現する。元来は四段活用の動詞アヒ(合)で,これが動詞連用形の後に加わって成立したもの。その際の動詞語尾の母韻の変形に三種ある。①〔a〕ちなるもの。例えば,ワタリ(渡)がワタラヒとなる。watariafi→watarafi。②〔o〕となるもの。例えば,ウツリ(移)がウツロヒとなる。uturiafi→uturofi。③〔ö〕となるもの。例えば,モトホリ(廻)がホトホロヒとなる。m ö t ö f ö riafi→m ö t ö f ö r ö fi。これらの相違は語幹の部分の母韻,a,o, öが末尾の母音を同化する結果として生じた。」

と詳説を極めるので,決まりかと思いきや,そうはいかないらしい。まず,『大言海』は,

「楯交(たてか)ふの転。楯突く意と云ふ」

とある。『日本語源広辞典』は,

タタカ(叩くの未然形)+フ(継続反復),
タタ(盾)+交ふ,

の二説を挙げる。しかし,『日本語源大辞典』は,その他に,「叩く」系のバリエーションとして,

タタキアフ(叩合)(日本釈名・言元梯・和訓栞・国語の語幹とその分類・日本語原学・和訓考),
タタキカハス(叩交)(和句解・名言通),

等々がある。いずれにしても,「たたかう」には,漢字の,

戰,
鬪,

の両義があることが見えてくる。つまり,

叩き合う,
のと
干戈を交える,

のとの意味である。しかし,「かたな」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/450320366.html

で触れたが,

『日本語の語源』は,関連ある言葉の音韻変化を,次のように辿る。

「きっ先の尖った諸刃のヤイバ(焼き刃)をツラヌキ(貫き)といった。ラヌ[r(an)u]の縮約でツルギ(剣)になり,貫通・刺突に用いた。これに対して斬りつけるカタノハ(片の刃)は,ノハ[n(oh)a]の縮約でカタナ(刀)になった。上代,刀剣の総称はタチ(断ち,太刀)で,タチカフ(太刀交ふ)は,『チ』の母韻交替[ia]でタタカフ(戦ふ)になった。〈一つ松,人にありせばタチ佩けましを〉(記・歌謡)。平安時代以後は,儀礼用,または,戦争用の大きな刀をタチ(太刀)といった。
 ちなみに,人馬を薙ぎ払うナギガタナ(薙ぎ刀)は,『カ』を落としてナギタナになり,転位してナギナタ(薙刀・長刀)に転化した。」

つまり,

「『太刀を交えて斬りあう』ことをタチカフ(太刀交う)といったのが母韻交替(ia)でタタカフ(戰ふ)となった」

とする説が,

叩き合う,
のと
干戈を交える,

の意を含み,しかも音韻変化の文脈を背景にするだけに説得力があるように思うが,どうであろうか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
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2017年08月20日

半島から見る


高田貫太『海の向こうから見た倭国』を読む。

海の向こうから見た倭国.jpg


本書は,

「おおむね三世紀後半~六世紀前半の日朝関係を描くことを目的とする」

が,もちろん日朝関係と言っても,

日本列島と朝鮮半島に生活する人々の交流の歴史,

である。舞台は,

「むろん日本列島と朝鮮半島だ。けれども,この両区域の間にくっきりとした境界をひいてしまっては,いきいきとした描写は出来ない。それよりも半島と列島の間の海を,…人びとが往来した場ととらえて,日本列島と朝鮮半島を,対馬(大韓・朝鮮)海峡や日本(東)海,黄海,玄界灘,瀬戸内海,ひいては太平洋を媒介として人びとが活発に交流を重ねてきたひとつの地域,『環海地域』と認識してみたい。」

どある。本書は,

「最も根本的な問題として,これまでの研究では朝鮮半島からの視点が欠けている」

という問題意識に立つ。

「日本列島の古墳時代と同じころの朝鮮半島は,北に高句麗,東に新羅,西に百済というように三国が割拠した時代,三国時代だった。また,新羅と百済に挟まれた南部には,加耶と総称される,金官加那・大加耶・小加耶・阿羅加耶などのいくつかの社会が群立していた。さらに,西南部の栄山江流域にも,独自の文化を有する社会が位置している。」

という半島の状況の中で,

「おもに新羅,百済,伽那,栄山江流域など半島南部に位置した社会が,倭と盛んに交渉を重ねていたことが,これまでの研究でわかっている。けれども,これらの社会がどうしてさまざまな先進文化にかかわるモノ,人,情報を倭へ伝えたのか,その目的は何か,という問いに対して,倭の立場からだけで描かれた関係史では,あまり答えることができない。ここに研究の盲点がある。」

一方,中国や朝鮮半島から,

倭人,
倭,

と呼ばれた日本列島に住む人々やそこに成立した社会は,

古墳時代,

にある。

「十六万基という膨大な数の古墳が,日本列島の各地で築かれた。地域を代表する大首長から,それにしたがう中小の首長,集落や家族の長,時には一般の民衆にいたるまで,実にさまざまな人びとが古墳に葬られた。その中で,首長たちが葬られた大きな古墳の多くは前方後円墳で,岩手県から鹿児島県にかけて広がる。(中略)古墳の大小や,前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳などというその多様な形から,列島各地の地域社会の間で政治的な秩序が形成されていた,と考えられている。筑紫地域・吉備地域・出雲地域・毛野地域などが大首長を擁する有力な地域社会であり,その頂点に立つのが,多くの巨大古墳が集中する畿内地域に本拠地を置いて倭王を擁する社会だった。(中略)当時の倭は,列島各他のさまざまな地域社会と畿内の倭王権で構成されていた。」

倭の立場から見ただけでは,日朝関係は,所詮,倭の立場から(希望的に)描いたものにすぎない。

「倭に先進文化の受容という目的があるのと同じように,百済,新羅,伽那,栄山江流域それぞれにも,倭と交渉する目的があったはずだからである。その交渉の目的は何か,実際どのように交渉がおこなわれたのかについて,具体的に明らかにしていく必要がある。そして,それぞれの社会にとって倭とは一体どのような存在だったのか,についても考えなければならない。」

し,その交渉の担い手は,王権に一元化されていたわけではない。

「倭と新羅,百済,伽那,栄山江流域の間では,いうなれば王権による外交だけではなく,それぞれに属する地域社会も主体的に交渉を行っていた。そして実際の交渉にたずさわっている集団や個人が存在していた。」

交渉,

つまり,

「人。モノ,情報をめぐる交易や使節の派遣,時には武力の行使などを通して,社会や集団が何らかの利益を得るように,相手側に働きかけること」

は,半島側にもあった。

「半島のそれぞれの社会は,半島情勢をみずからが有利な方向へ動かしていく策のひとつとして,倭とつながろうとしたのであり,一方,倭のほうにも先進文化を安定的に受容するという目的があった。」

つまりは,半島と列島を囲む,広い社会の中での,

倭と新羅,百済,伽那,栄山江流域,

とのダイナミックな三百年の関係を描きだす。その象徴は,いわゆる,

磐井の乱,

と呼ばれる出来事にみることができる。それは,新羅の加耶侵攻に始まる。加耶は倭にとって重要な交渉相手であった。その流れは,

①524年に新羅は加耶への侵攻を本格化させる。この時におそらく加耶が倭王権への軍事的な支援を要請した。
②倭王権は要請を受け入れ,「近江毛野臣」を将軍として,対新羅戦のための派兵を計画する。
③倭王権は北九州の大首長だった磐井に,磐井が管理する玄界灘遠雅言考の港を倭王権の直属とすること,中北部九州への軍事動員をかけるみと,の要求をする,
④磐井は,それに応ずるかを迷っている中,新羅はひそかに「貨賄(まいない)」を贈り,倭王権の加耶派兵阻止を要請した。
⑤磐井は,倭と朝鮮半島を繋ぐ海路を遮断し,近江毛野臣軍の渡海阻止のために挙兵する。

結果として,磐井は鎮圧されるが,新羅の倭の派兵阻止のもくろみは成功したことになる。磐井の意図は何であっか?

「朝鮮半島とのつながりが成長の背景にあった磐井にとって,玄界灘の港を倭王権に接収されることは,みずからの地位や権益が大きく損なわれることだったろう。倭王権の…要求に応じるかそれとも反発するか迷いを重ねていた磐井に,新羅が派兵阻止を要請してきたのである。この時,磐井の中では,百済―加耶―倭王権に対峙する新羅―九州という展望が開けたのだろう。そして倭王権を見限り,戦争へと踏み切った。磐井自身にはそれなりの勝算があったのかもしれない。」

新羅が,列島の社会情勢に通じていた,ということができる。磐井は,

「(当時としては列島第四位の規模の)岩戸山古墳の位置する八女地域に本拠地を置いた地域首長であったことはむろんのことだが,大王墓に準じる古墳の規模や膨大な数の石製表飾の出土からみれば,九州各地の有力首長間の連携をリードした大首長だったと評価できる。」

という位置や,倭王権との微妙な関係にくさびを打ち込む新羅の政治的手腕もなかなかである。

半島と列島との,政治的な関係,繋がり,文化的な交流等々,この時代の日朝は,まさに,

一衣帯水,

というより,著者の言う,

環海地域,

と見ることが,正鵠を射ている,とつくづく思う。

「三世紀後半から六世紀前半の朝鮮半島には,高句麗,百済,新羅,加耶,栄山江流域などの社会が割拠し,遠交近攻のような関係でしのぎを削っていた。特に,高句麗が朝鮮半島中南部への進出をもくろむようになると,百済,新羅,加耶,栄山江流域などの社会は,国際情勢を有利に展開させていくために,さまざまな対外戦略を取る必要があった。
 その戦略のひとつに,海をへだてて位置する倭との通交があった。さまざまなモノ,人,情報を倭へ提供することで,みずからの側へ引き入れ,その関係を他の社会に誇示することで,情勢の安定に努めようとした。すなわち,百済,新羅,加耶,栄山江流域社会それぞれにとって倭は,戦略的に重視しなければならなず,友好関係の確立が必要な『遠くて近い』社会だったのだ。」

朝鮮側にとって,倭との結びつきが,重要な外交的な意味を持っていた。だからこそ,倭は,

先進文化を受け入れ,自らのものとすることができた,

ということができる。

参考文献;
高田貫太『海の向こうから見た倭国』(講談社現代新書)

ホームページ;
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今日のアイデア;
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