2017年09月01日

会話


ルイーザ・ギルダー『宇宙は「もつれ」でできている-「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか』を読む。

宇宙はもつれでできている.jpg


本書は,著者が,「読者のみなさんへ」で,ハイゼンベルクの,

「科学は実験に基づく」が、「科学は対話に根差している」

という言葉を引いているが, その通りに,

「量子力学の完成は必然的に、 彼ら当時の物理学者たちが互いにコミュニケーションを取り合わないかぎり、ありえなかった。アインシュタインやボーア、ハイゼンベルク、シュレーディンガー、パウリ、ボーム、ディラックら、錚々たる物理学者たちが直接会って会話をしたり、手紙のやり取り(当時は電子メールなどあろうはずがない!)をしたりすることで侃々諤々の議論が闘わされ、20世紀の初頭から約30年の歳月をかけて、1930年代に量子力学が完成 したのである。」(監訳者(山田克哉))

との,「侃々諤々の議論」を,まるで見てきたように,再現して見せる。著者は,

「長年にわたって彼らが交わしたさまざまな形によるコミュニケーションを、あたかも彼女自身が直接、見聞したかのような鮮やかな〝口調〟で語っている。本書の執筆にあたり、ギルダーは8年半もの歳月をかけて、先人たちが執筆した論文や書簡、公の場での発言や討論の記録などを渉猟したという。史実に裏打ちされた再現ドラマは実にヴィヴィッドに描かれて」

いる。著者自身,

「本書は『会話』から成り立っている。会話によって、我々が日々暮らし、体験する世界がさりげなく、あるいは劇的に変わることがあるように、物理学者たちの活発な会話によって、いかに量子力学の発展の方向性が繰り返し変わってきたかについて語った本 である。本書で描かれる会話会話はすべて何らかの形で、本文に明記された日付に交わされたものであり、その一つひとつの要旨を完全に記録したものである」

と述べ,1923年夏にコペンハーゲンの市電で量子論の創始者の二人、アルベルト・アインシュタインおよびニールス・ボーアと、量子論の偉大な教師であっ たアルノルト・ゾンマーフェルトとの 間で交わされた会話が,実際の手紙ややり取りを繋ぎ合わせたものであることを明かしている。

本書の,「量子論最大の難問」とは,監訳者(山田克哉)は,「まえがき」で,こう説明する。

「『量子』とは、ときに〝 波〟のごとくふるまったり、ときに〝 粒子〟のごとくふるまったりする物理的な『実体』 で、光子や電子が典型的な量子である。一般に、量子は内部構造をもたないが、エネルギーや運動量、スピン(自転)などの 物理量を有している。
 二つの量子のあいだでいったん相互作用が生じると、その二つの量子は『相関』をもつと言われる。相関をもった二つの量子がどんなに離れていっても─たとえ互いに100兆㎞ 離れても─ 、その相関性は完全に保たれる。二つ のうち、一方の量子の物理状態(たとえばスピン)だけを実際に測定器を使って測定し、その値をはっきりと確定してしまうと、その瞬間(同時に、すなわちゼロ秒間で!)、100兆㎞のはるか彼方にあるもう一方の量子の物理状態が、いっさい測定することなく自動的に決定してしまうのである。このような意味で、二つの量子の間の相関性は『量子のもつれ』とよばれるよう になった(名付け親はシュレーディンガー)。」

因果を破るこの考えに,強く反対したのは,アインシュタインである。「神はサイコロを振らない」と言って,量子力学が「不完全な理論」であると主張した。対して,徹頭徹尾, 量子力学を支持 したのは,ニールス・ボーアである。量子力学が完成を見たとされる1930 年から5年後の1935年,

「EPR論文(アインシュタイン(Einstein)・ポドルスキー(Podolsky)・ローゼン(Rosen)の共同執筆)」

が出る。

「EPR パラドックス」

とも呼ばれるこの論文から端を発した,長い論争が続くのである。

「二つの電子を選ぶ。電子にもまた内部構造がなく、粒子としてふるまうときは点のごとくふるまうのだが、スピンしている。電子は2回転して初めて元の状態に戻るような量子であるため、1回転では『半分』まで戻るという意味で『スピン』とよばれている。…スピンの電子の『自転軸』には『上向き』と『下向き』の 二つの方向がある(前者 を『スピン・アップ』、後者を『スピン・ダウン』とよぶことにする)。実際に、相関をもって いて100兆㎞離れた電子Aと電子Bとからなる系に測定器をかけて、それぞれの電子の状態を測定してみるとどうなるだろうか。たとえば、測定器を電子Aに向けた結果、電子Aのスピンがアップであると測定されたとする。電子Aがスピン・アップと観測されたその瞬間(そう、まさにその瞬間、ゼロ秒間で!)、100 兆㎞離れた場所にある電子Bのスピンは自動的に(観測することなしに!)スピン・ダウ に決定する。相関をもつ( つまり、もつれた)二つの電子の合計スピンは、必ずゼロにならなければならないからだ。」

EPR論文が提起したのは,100兆㎞も離れた二つの量子の相関関係は崩れることなく完全に保たれることに対して の疑問である。アインシュタインは,因果律を破るこの現象を,

幽霊による遠隔作用,

と呼び,この問題の解決に(つまり因果律をまもるために)持ち出したのが,後に,ボームが固執することになる,

「隠れた変数」理論,

であった。これをもって,古典物理学の決定論へと回帰させようとするのである。この最終決定は,デヴィッド・ボームを経て,1964年,ジョン・ベルの,

ベルの不等式,

によって理論的に決着がつく。

「二つの相関している電子が100兆㎞も離れているのに、一方の電子の測定結果が瞬時にもう一方の電子の状態に影響を及ぼすということは、二つの電子の相関関係は局所的ではなく、『分離不可能』な一つの系(そう、全体で一つ!) を成していて、その系の中で起こることは部分から部分へと伝わるのではなく、系全体に瞬時に影響を及ぼすと考えたのだ。すなわち、すべては系内の全範囲にわたって『非局所 的』に起こる。」

ベルの不等式が成り立てば「隠れた変数」の必要性が生じ、『非局所性』や『 分離不可能性』は現われない。「その場合には、系の部分部分を考えねばならず(局所的)、すべては決定論に従うこととなって、量子力学は不完全な理論」となる。それが実証されるのは,1980年代,

ベルの不等式が成立しない( 破れる),

ことが実験で確認される。この長い道のりを,本書は,会話と対話で追っていく。とくに,ボームが,孤立無援で

「隠れた変数」理論,

を固執するところから,ベルの思考実験までは,推理小説を見るように,ハラハラさせられる。

アインシュタインとボーア,
シュレーディンガー,ハイゼンベルク,パウリ,
フォン・ノイマン,
ボーム,
ベル,

とそれぞれがかみ合いながら,あるいはすれ違う会話は,読み応えがある。

本書は,最後に,若き物理学者ルドルフを登場させ,

シュレーディンガー

の孫だという落ちをつけている。

参考文献;
ルイーザ・ギルダー『宇宙は「もつれ」でできている 「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか』(ブルーバックス)


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2017年09月02日


「て」は,

手,

と当てるが,体の部位ながら,それをメタファに,

突き出ているもの(取っ手,柄),
手のように動くもの(人手,部下),
手ですること(持つ,文字,腕前,手傷),
指すもの(方向,風采),
自分の手(手前,手製)
代金,

等々多様な意味を持つ。「手」の字は,

「五本の指のある手首を描いた」

象形文字である。「掌」の字もあるが,

手のひら,

の意で,「たなごころ」と訓むが,これは,中国語の,

「手心(てのひら)」

の意約,という(『漢字源』)。「掌」の字は,

「尚は『向(まど)+八印(発散する)』からなり,空気抜きの窓から空気が上へ広がるさま。上(うえ,たかい)と同系。また平らに広がる,の意を含み,敞(ひろい),廠(広間)と同系の言葉。掌は『手+音符尚』で,平らに広げた手のひら」

である。「て」の語源について,『日本語源大辞典』は,

トリ(取・執)の約転(古事記伝・和訓集説・菊池俗語考・日本語源=賀茂百樹),
イデ(出)の義(和句解・日本釈名・言元梯・名言通・和訓栞),
トエ(十枝)の反,十指の義(名語記),
エ(枝)の義,肢枝の意(玄同放言),
タベエ(食得)の義,またトラヱ(捕)の義(日本語原学=林甕臣),
体の足しになって用をするところからタシ(足)義(国語蟹心鈔),
処の義(国語の語幹とその分類=大島正健),
ツエ(杖)の反(言元梯),
タレ(垂)またはトル(取)の約(和訓集説),
ハテ(果)の上略か,また手をうつ音からか(和句解),
古形(タ)の転(『岩波古語辞典』),

等々諸説を挙げる。文脈依存の和語から見れば,動作の,

取る,
執る,
捕る,

等々に関わる,と想像できる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/te/te.html

は,

「語源には,『とり(取・執)』の約転,『いで(出)』の意味,『たべえ(食得)』の意味,『とらえ(捕)』の 意味,『はて(果て)』の上略など,諸説ある。『手』の字音は,漢音が『シュウ』,呉音が『シュ』で,物を『取・執(しゅ)する』。つまり,『とる』意味や,『守(とられぬように持つ)』『受(しっかり持つ)』といった意味から来ている。『て(古形「た」)』が,必ずしも漢字の由来と同じではないが,『とり(取・執)』の約転とするせつがよいであろう。」

とするが,『大言海』も,

「取(と)りの約と云ふ」

と同じ語源説をとる。しかし,『岩波古語辞典』にも言うように,「て」は,

古形タ(手)の転,

とある以上,「た」の説明になっていなくてはならない。『日本語源広辞典』は,

「『手』本来の一音節です。取ると関連ある語。複合語の成分になるとき『タ』となりやすい。」

とする。ひょっとすると逆なのかもしれない。「テ」があり,それで摑むのを,

とる,

といったというように。

「たなごころ」は,『漢字源』は,中国語の,

「手心(てのひら)」

の意約,としているが,必ずしも中国語由来とは取らない説もある。『岩波古語辞典』は,

「『手(た)な心』の意。タはテの古形。ナは連体助詞」

とし,『日本語源大辞典』は,

手の中心の意で,タナココロ(手之心)の義(和名抄・名語記・日本釈名・和訓栞・大言海),
タノココロ(手の裏)の義(言元梯),
手の含み所すなわちテノフトコロ(手之懐)の義。また手握りどころの義(日本語原学=林甕臣),

等々。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ta/tanagokoro.html

は,

「たなごころの『た』は『て(手)』の交替形で、『手』を『た』という言葉には『たむけ(手向け)』や『たおる(手折る)』などがある。『な』は『の』にあたる連体助詞で、『たな』は『手の』を 意味し、たなごころは『手の心』を意味する。『こころ(心)』には『中心』の意味、『うら(心)』の同源である『裏の意味』、中国語の『掌(手心)』の意訳の三通りの解釈がある。」

と整理するだけで,選択していない。僕は,

中国語「手心(てのひら)」→手の心→たのこころ→たなごころ,

と和語化していったのではないかと思う。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2017年09月03日

あし


「あし」は,

足,
脚,
肢,

と当てる。「足」の字は,

「ひざから足先までを描いたもので,関節がぐっと縮んで弾力をうみ出すあし」

で,

ももから先,
足首から先,

の意味がある。「お足」というお金の意味や,一足二足と靴を数える単位に使うのは,わが国だけのようである。「脚」の字は,

「去(キョ)は,蓋付きのくぼんだ容器を描いた象形文字。却(キャク)は『人+音符去』の会意兼形声文字で,人が後ろにくぼみさがること。脚は『肉+音符却』で,膝のところで曲がって,後にくぼむ足の部分」

で,

足の下半分,

を指す。足の上半分は,

腿(たい),

という。因みに「疋」も

あし,

の意味だが,

左右二本が相対する足,

を意味し,

「あしの形を描いたもので,足の字と逆になった形で,左右あい対したあしのこと。また,左右一対で組をなすので,匹(ヒツ ふたつで一組)に当ててヒツという音を表し,日本ではヒキと誤読した。また正と混同して,正雅の雅を表す略字として転用された。」

とある。「肢」の字は,

「支は『竹の枝+又(手)』の会意文字で,竹の枝一本を手に持ったさま。短い直線状の枝のこと。枝(シ)の原字。肢は『肉+音符支』で,胴体に生じた枝にあたる手と足」

で,

手と足,

を意味する。

「手足はからだの枝(シ)に当たるので肢といい,肝臓はからだの幹(カン)に当たるので肝という」

とある。本来の漢字で言うなら,「あし」全体に当たる字はないことになる。

さて,「あし」もまた,「て」と同様,幅広い意味を持つ。『広辞苑』は,

動物の下肢の部分,
形・位置などが,動物の足ににているもの,
動物の足のように,移動に使う,または移動するもの,また,その移動,

と整理している。お金の意味の「お足」は,

「足のように動くから」

というアナロジーということになる。しかし,『大言海』には,「足」とは別に「あし(銭)」の項を立て,

「晉書,隠逸傳,魯褒錢神論に,無翼而飛,無足而走,と云ひしより起これる語なり。白玉蟾詩『腰下有銭三百足』料足,要脚,などとも云ふ。仁徳紀,四十三年九月の條に,鷹の足緒に,緡(アシヲ)と記せり,緡は,正字通りに,錢之貫者,為緡錢とありて,錢緡(ぜにさし)なり。平安町頃の訓點なるが,當時も,錢を,アシと云ひたるかとて思はるると云ふ」

とある。「お足」の原点は,中国にあるのかもしれない。

で,「あし」の語源であるが,『日本語源広辞典』は,

「ア(相)+シ(及+及)」

で,相互にかわるがわる進ませる肉体部分,という。しかし,これは,少しいかがわしい。

『日本語源大辞典』は,例によって諸説を載せる。

アシ(悪)の意で,身体の悪しく汚い部分を言う。またはハシ(端)の転(日本釈名),
アはイヤの反。イヤシの転(名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
タチ(立)の転(玄同放言),
用を足す意のタシの転(国語蟹心鈔),
アカシ(赤)の中略(和句解),
アユミハシリ(歩走)の義(日本語原学=林甕臣),
アシ(動下)の義(日本語源=賀茂百樹),
日本語のはしを意味するビルマ語のアッセ,クメル語のアシが訛ったものか(ことばの事典=日置昌一),
両脚の間の意の「跨」の別音Aと,足の先の意のシ(趾)との合成語で,脚部の総称。単にアというのは右の跨である(日本語原学=与謝野寛),

等々。僕は,語呂合わせよりも,文脈依存の和語は,「たつ」「あゆむ」「あるく」「はしる」当たりの動作から来ていると,見るのが妥当と思う。その意味では,

タチ(立)の転,

が最もいいところをついていると思う。しかも,「立つ」は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/399481193.html?1501986945

で触れたように,

「タテにする」

という意味である。それを「あし」とつなげるのは,自然に思えるが,どうだろう。

「歩く」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/450998494.html

で触れたが,『大言海』は,「あゆむ」は,

「足數(アヨ)ムの轉なるべし。されば,アヨムとも云ふなり(眉(まゆ),まよ。足結(あゆひ),あよい。歩(あゆ)ぶ,あよぶ。揺(あゆ)ぐ,あよぐ)」

とあり(「數(よ)む」とは。数える意),「ありく」は,

「足(アシ)繰(クリ)行クの約略なるべし(身まくほし,見まほし。少なき,すなき。かくばかり,かばかり)。…或は,足(アシ)揺(ユリ)行クの約略とも見らる。アユムとも云ふナリ。アルクと云ふは,普通なり。(栗栖(くりす),くるす,白膠木(ぬりで),ぬるで)。アリク,アルクの二語,同時に,並び行われたるやうなれど,本居宣長は,アリクは後なりと云へり。尚,考ふべし」

と,書く。「あるく」「あゆむ」は,「あし」を前提にしている。なおのこと,まず「たつ」から始まる。たとえば,

tatu→tasi→asi

といった転訛をしたとは考えられまいか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2017年09月04日

義侠


井波律子『中国侠客列伝』を読む。

中国侠客列伝.jpg


本書は,

実の部 歴史上の侠
虚の部 物語世界の侠

に分かれている。正直言って,『水滸伝』や元曲『桃花扇』の話をなぞることに何の意味があるのか分からない。それが,時代の精神を何程反映しているのかも分析しないまま,虚構の侠を列挙しても,「実」には対抗し得ない。「虚の部」は不要だと感じた。それくらいなら,「結びにかえて」で取り上げた,清末の,

康有為,
譚嗣同,
秋瑾,

をきちんと紹介しない,その意図がまるで分らない。しかも「実の部」は,東晉で終わっているのである。

「とりわけ転換期には,侠の精神を体現した人びとが登場し活躍することが多い」

というのなら,なおさらなのではないか。宋があり,隋があり,唐があり,元があり,明があり,と各時代末期に必ず「侠」はいたのではないのか,いささかこの本の構成には疑問である。しかも,「実の部」といいつつ,『史記』や『三国志』に依拠しているだけで,何の新しさも感じられない。正直,期待外れである。

義については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/411864896.html

で触れた。そこで取り上げた,冨谷至氏は,

節義,

という言葉を使っていた(『中国義士伝』)。

義については,『孟子』の,

「人皆人に忍びざるの心有り。(中略)人皆人に忍びざるの心有りと謂ふ所以の者は、今,人乍(にわか)に孺子(こじゅし)の将に井(いど)に入(お)ちんとするを見れば、皆怵惕(じゅつてき)惻隠の心有り,交(まじわり)を孺子の父母に内(むす)ばんとする所以にも非(あら)ず。 誉れを郷党朋友に要(もと)むる所以にも非(あら)ず, 其の声を悪(にく)みて然するにも非ざるなり。 是に由(よ)りて之を観(み)れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり。 羞悪(しゅうお)の心無きは、人に非ざるなり。 辞譲の心無きは、人に非ざるなり。 是非の心無きは、人に非ざるなり。 惻隠の心は、仁の端なり。 羞悪の心は、義の端なり。 辞譲の心は、礼の端なり。 是非の心は、智の端なり。 人の是の四端有る、猶(な)ほ其の四體有るがごときなり。是の四端有りて、自ら(善を為す)能ずと謂者は、自ら賊(そこな)う者なり。 其の君能はずと謂う者は、其の君を賊う者なり。 凡そ我れに四端有る者の、皆拡(おしひろめ)て之を充(だい)にすることを知らば、(則ち)火の始めて然(も)え、泉の始めて達するが若くならん。 苟(いやしく)も能く之を充にせば、以て四海を保すんずるに足らんも、苟も之を充にせざれれば、以て父母に事(つこ)うにも足らじ。」(公孫丑章句上篇)

にある,

「羞悪の心は、義の端なり。」

とある。つまり,

「惡を憎み羞じる心」

を指す。『論語』の,

「義を見てせざるは勇なきなり」

につながる。しかし,

義侠

節義

忠義

義理

は違う。「義理」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/441727637.html

で触れた。節義は,

節操を守り,正道を踏み行うこと,

と意味は載る。しかし,この場合,何が正道かが問題である。『孟子』にある,

「我善く浩然の気を養う。敢えて問う,何をか浩然の気と謂う。曰く,言い難し。その気たるや,至大至剛にして直く,養いて害うことなければ,則ち天地の間に塞(み)つ。その気たるや,義と道とに配す。是れなければ餒(う)うるなり。是れ義に集(あ)いて生ずる所の者にして,襲いて取れるに非ざるなり。行心に慊(こころよ)からざることあれば,則ち餒う也。」

とある。つまり,

「義と道によって涵養され,義が結集して生み出され,自身が確信し満足する」

という気概である。それは,「士」の心映えを示すものである。その例が,文天祥の,

天地に正気あり,
雑然として流形を賦す
下は則ち河嶽と為り
上は則ち日星と為る
人に於いては浩然と為る
沛乎として滄溟に塞つ
皇路清く夷(たい)らかに当たりて
和を含みて明庭に吐く
時窮まれば節乃ち見(あら)われ
一一丹青に垂る

という「正気の歌」につながる。それは,「公」であり,「私」の義侠とは違う。義侠とは,

強くをくじき弱きを助けること,

とあり,

おとこだて,

の意である。著者は,

「『忠』と『侠』のもっとも根本的な差異は,侠者がなんらかの『義』にもとづく行為に踏み切るにさいして,まず個人の自由意思によって,何をなすべきかを選択するところにある」

と書くが,この著者が「義」も「侠」も「忠」もわかっていないことが露呈するところだ。どんな選択も,個人の意思で選ぶ。一見しがらみに縛られているように見えても,そこで選択するのは,個人の意思だ。宋が滅んでもなお,宋に殉じ,元に降伏せず,死を求めた文天祥は,「忠」にこだわっているように見えて,おのれの節義を曲げなかったのだ。それは選択だ。また,秦王政(始皇帝)の暗殺をねらった荊軻の,有名な,

風蕭々とふきて易水寒(つめ)く
壮士一たび去(ゆ)かば復(ふたた)び還(かえ)らず

と歌う心ばえは,「私的」である。ただ,依頼を貫徹しようとする義侠である。そこには,「正道」はない。ないが,負った依頼は,死を賭して貫徹する,というのが,



である。『史記列伝』

http://ppnetwork.seesaa.net/article/447234854.html

で触れたが,秦王暗殺の場面は詳細を究める。そのことについて,司馬遷は,「太史公曰く」として,

「世間では,荊軻といえば,太子丹の運のこと,つまり『天が穀物を雨とふらせた,馬に角がはえた』などの話をひきあいに出す。それは度がすぎる。また『荊軻は秦王に負傷させた』とも言う。すべて正しくない。ずっと以前公孫季功(こうそんきこう)と董生(とうせい)は,夏無且(かぶしょ 御典医。その場に居合わせて薬箱を荊軻に投げつけ,秦王を助けようとした)とつきあったことがあり,彼の事件をくわしく聞き知っていた。わたくしのために話してくれたのが,以上の如くなのである。」

荊 軻.png

(秦王政(左)に襲い掛かる荊軻(右)。画面中央上には秦舞陽、中央下には箱に入った樊於期の首が見える。)


と書く。秦から前漢へと,秦滅亡後,高祖,恵帝,文帝,景帝を経て,武帝の世となっても,見聞の実話が残っている,そういうリアリティがある。そういう気概が,

侠,

を語る本書の著者にはない。あったら,「物語」の侠を,実在の侠と並べたりはしない。著者が称揚する,「侠」の証とする,

言は必ず信,行は必ず果,

という基準は,孔子の中では低い,その前にはこうある。

「子貢問いて曰わく,何如なるをか斯れこれを士(し)と謂うべき。子曰わく,己を行うに恥あり,四方に使いして君命を辱めざる,士と謂うべし。曰わく,敢えて其の次を問う。曰わく、宗族は孝を称し、郷党は弟を称す。曰わく,敢えて其の次を問う。曰わく,言は必ず信、行は必ず果、硜硜然(こうこうぜん)たる小人なるかな。抑々亦以て次ぎと為すべし。曰わく,今の政(まつりごと)に従う者は如何。子曰わく、噫、斗筲(としょう)の人、何んぞ算(かぞ)うるに足らん。」

と,つまり,

小人であるが,その次には置けない,

と。だから,約束を守って,刺客を全うした荊軻は,

侠の人,

ではあるが,

義の人,

ではない,ということだ。「侠」をきちんと位置づけず,称揚するのは,如何なものか。

参考文献;
井波律子『中国侠客列伝』(講談社)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
小林勝人訳注『孟子』(岩波文庫)
冨谷至『中国義士伝』(中公新書)

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2017年09月05日

慚愧


「ざんき」と訓むものには,

恥じて心におそれおののくこと,

の意味の

慙悸(ざんき),

と,

慙愧,
慚愧,

と当てて,

「古くはざんぎ」

とし,

恥じ入ること,
悪口を言うこと,そしること,

の意味のものがある。『デジタル大辞泉』『大辞林』は,

慙愧,
慚愧,

を,

自分の見苦しさや過ちを反省して,心に深く恥じること,
自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと,

と意味が載る。『大辞林』には,

「『ざんぎ』とも。元来は仏教語で,『慚』は自己に対して恥じること,『愧』は外部に対してその気持ちを示すことと解釈された。「慚」「慙」は同字。」

とある。

慙悸

慙愧(慚愧)

は,別なのである。

慙愧に堪えない,
とか,
慙愧の念に堪えない,

という言い回しは,「慙愧」である。

『大言海』は,「慙愧」の項で(「ざんぎ」と訓ませる),

心に恥じ入ること,

のほかに,

「仏経の用語にて,自,他,心,身,に別ちて云ふ,自ら恥ずるを慚とし,人に向かいて之を発露するを,愧(ぎ)とす。懺悔慚愧と,熟語としても用ゐらる」

として,『涅槃経』を引く。

「慚者,自不作罪,愧者,不教他作慚者,内自羞恥,愧者,発露向人,慚者羞天,愧者羞人,是名慚愧」

とする。

慚者羞天,
愧者羞人,

とは言い得て妙。天命,天寿,天理の「天」である。

『字源』は,「慙悸」を,

恥じて心動く,

とする。「悸」の字は,

「季は,作物の実る末の時期,転じて,兄弟のうち小さい末の子の意。小さい意を含む。悸は『心+音符季』で,心臓が小刻みに打つこと」

で,「動悸」のことである。だから,恥じてドキドキする,といった心臓の状態表現になる。「慙愧」は,

恥じている,

という心情そのものを指す。『漢書』に,

「終亡以報厚徳,日夜慚愧而已」

と用例があるらしい。「慚(慙)」の字は,

「斬(ざん)は,ざくざくと切り込むこと。慙は『心+音符斬』で,心に切れ目を入れられたような感じのこと。惨(さん つらい)と近い」

とあり,「愧」の字は,

「鬼(き)は,丸い頭を持つ亡霊のこと。丸い意を含む。愧は『心+音符鬼』で,心が縮んで丸く固まってしまうこと。恥ずかしくて気がひけた状態である。」

とある。

実は,「慚(慙)愧」に関心があった。よく,

罪悪感,

という言葉を使う。しかし,この言葉は,新しい。『岩波古語辞典』にも,『江戸語大辞典』にも載らない。『大言海』にも,「罪悪」で,

つみとが,
悪業,

という意味が載るのみである。億説かもしれないが,西洋思想,はっきり言って,キリスト教の影響下の言葉ではないか,と思う。罪悪感というのは,

どこかに善悪の基準があって,それと対比して,おのれを責める,

というニュアンスがある。『広辞苑』には,

道徳や宗教の教えなどに背く行い,

とある。だから,「罪悪感」は,

自分が犯罪を犯したと思う気持ち,

である。そこには,恥じ入る気持ちよりは,罪を犯したおのれを苛む気持ちが強い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BD%AA%E6%82%AA%E6%84%9F

には,

「自身の行動・指向・在り様などに関して、罪がある、あるいは悪いことをした、している、と感じる気持ち・感情のことである。自身の何らかの行いについて、内在する規範意識(正しいと認識されるルール)に反していると感じる所から罪悪感は生まれる。
一般に罪悪感と言う場合は、道徳や宗教的な戒律にそむいた場合などに生まれる感情として位置付けられる。
宗教的な戒律に反した場合、その結果とる行動には様々なものがあるが、例えばキリスト教などではひとつには懺悔(贖い)がある。」

とある。あるいは,

https://ameblo.jp/cky-se/entry-10660613376.html

は,罪悪感とは,

「1.行動が自分で決めた道徳的基準から外れ、やるべきでないことをやってしまった。(もしくは、しなければならないことをやり損なってしまった)
2.この「悪い行ない」は、自分が悪い人間であることを意味している。
この、『自分が悪いのだ』という概念が罪悪感の中心になります。
良心の呵責は、自分で決めた倫理の基準に違反して自分や他人を傷つけてしまった時、素直にそれを気がつくように起こってくるものです。
良心の呵責は、罪悪感とは違います。」

とある。「良心の呵責」もそうだが,「罪悪感」も,どこか,日本的ではない気がする。日本的なマインドの言葉ではないのである。

「罪」の字は,

「始皇帝のとき,この字が皇の字に似ているので,罪の字に改められた。罪は,『网(方の網)+非(悪いこと)』で,悪事のため法網にかかった人」

とある。「罪」の古字は,

「辠(ざい)」

の字で,確かに,「皇」の字に似ている。他に,

「辜(こ)」

の字も,「罪」の意である。「惡(あく)」の字は,

「亞(あ 亜)は,角型に掘り下げた土台を描いた象形文字。家の下積みとなるくぼみ。惡は『心+音符亞』で,下に押し下げられてくぼんだ気持ち,下積みでむかむかする感じや欲求不満」

とあるので,「惡」自体で,「むかむかする気持ち」が含まれる。

罪悪感,

は,漢字のニュアンスとは異なる造語に見える。

罪悪感の類語はないが,「罪悪感がある」となると,

後ろめたい,
後ろ暗い,
疚しい,

になる。「罪悪感」という言葉は,僕は好かない。どこか,

他律的,

で,他から,押しつけられた罪を背負わされている感じがつきまとう。それなら,

慚愧の念,

がいい。みずからの心の倫理(いかにいくべきか)に則って,おのれを恥じる。

漢字には,「はじる」意のものが,かなりある。

「恥」は,はぢ,はづると訓む。心に恥ずかしく思う義。重き字なり,論語「行己有恥」(己を行うに恥あり),
「辱」は,はずかしめなり,栄の反,外聞悪しきを言う。転じて賓客応酬の辞となり,かたじけなしと訓む,
「忝」は,辱にちかし,
「愧」は,見苦しきを人に対してはづるなり,醜の字の気味もあり,媿に作る,
「慙」は,慙愧と連用す,愧と同じ,はづると訓む。はぢとは訓まず。
「羞」は,はじてまばゆく,顔のあわせがたきなり,
「忸」「怩」は,共に羞づる顔,

とある。罪悪感は,

明らかに罪を犯したと感じて自らを苛んでいる,

という意味で,もしその罪の意識が正当なら,自業自得である。しかし,「慚愧」は,客観的な「罪」ではなく,

おのれを愧じている

のである。それはおのれの生き方(倫理)として愧じている。その意味で,

罪悪感,

は,当然そう感じるべきものであり,天に慚じる,

慚愧の念,

の方がいい。少なくとも,(天を意識して)おのれに対して羞じている心ばえがある。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
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2017年09月06日

たて


「たて」は,

縦,
竪,
経,

と,『広辞苑』は当てる。『大言海』は,「縦」「竪」の字を当てて,

立つ義,

とする。「横」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/422323173.html

で触れたように,

よこしま,
横槍,
横紙,

という言い方だけでなく,

横様
あるいは
横方

で,単に,

横の方向,
とか
横向き,

という意味ただけでなく,

当然でないこと,
道理に背くこと,
よこしまなこと,

という意味を持たせる。あるいは,

横言,
横訛り,
横飛び,
横恋慕,
横流し,
横取り,

と,「横」のつく言葉は,横向きという以外は,ほとんど悪意か,不正か,当たり前でない,ことを示すことが多い。「よこしま」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/439853010.html

で触れたように,「よこしま」は,

「邪」

と当てるが,「よこ」には,漢字の「横」にはない,

正しくない,

という含意がある。『日本語源広辞典』には,「よこしま」について,

「『横+様』,yokosamaの音韻変化,yokosimaです。縦を正,横を不正と見た日本人の言語意識があります。」

とある。『古語辞典』に,

「縦しまの対」

とあるのは,その意味なのだろう。『大言海』は,

「横状(よこさま)の転,さかさま,さかしまの類」

とある。さらに,「よこさま」と別項に,

横方,

と当てて,

正しからざること,

と意味を載せる。つまり,「よこ」には,

正しからざる,

意が,ついて回る。しかし,「たて」には,どの辞書を見ても,

タテ(上下の方向,前後の方向),
か,
縦糸(経),
時間の流れ,

の意しか載らない。語源は,

「タチ,タツ(立つこと)」

の意が載る。

立てた時の上下の方向,
距離,

の意である。他には,

タテ(竪)は,タケ(丈)の意(言元梯),
タチテ(立手)の義(名言通),

と,いずれも,「立つ」と絡んでいる。「立つ」は,『岩波古語辞典』に,

「自然界の現象や静止していめ事物の,上方・前方に向かう動きが,はっきりと目に見える意。転じて,物が確実に位置を占めて存在する意」

とある。この含意は,

立役者,

の「立」に含意を残している気がする。因みに,漢字の「縦」は,

「从(ジュウ)は,Aの人のあとにBの人が従うさまを示す会意文字。それら止(足)と彳印を加えたのが從(従)の字。縦は『糸+音符従(ジュウ)』で,糸がつぎつぎと連なって,細長くのびること。たてに長く縦隊をつくるから,たての意となり,縦隊はどこまでものびるので,伸び放題のいとなる」

で,「竪」の字は,

「上部は『臣(伏せた目)+又(動詞記号)』での会意文字で,召使が目をふせ,からだをかたくしたさま。竪はそれと立を合わせた字で主人のそばに召使が直立した侍るさまを示す。豎(ジュ そばに直立してはべる召使)と全く同じ」

で,「經(経)」の字は,

「巠(ケイ)は,上のわくから下の台へたていとをまっすぐに張り通したさまを描いた象形文字。經は,それを音符とし,糸へんをそえて,たていとの意を明示した字」

とある。「縦」「経」も,糸に絡むようだ。

なお,「横紙」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/440054730.html

「横槍」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/440387740.html

「立つ」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/399481193.html?1501986945

で,それぞれ触れた。


参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ラベル:よこ たて
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2017年09月07日

秀吉像


堀新・ 井上泰至編『秀吉の虚像と実像』を読む。

秀吉の虚像と実像.jpg


本書は,

実像,

虚像,

を対比しながら,

秀吉の生まれと容貌,
秀吉の青年時代,
浅井攻め,
秀吉の出世,
高松水攻めと中国大返し,
清州会議と天下簒奪,
秀吉と女性,
秀吉と天皇,
秀吉はなぜ関白になったのか,
文禄・慶長の役/壬辰戦争の原因,
秀次事件の真相,
豊臣政権の政務体制,
関ヶ原の戦いから大坂の陣へ,
秀吉の神格化,

という14のテーマについて,対比的に掘り下げている。今までなかった試みといっていい。「実像」は,第一次史料,つまり,

書状,
知行宛行状,
武将や公家の日記,
検地帳,
分国法,
宣教師の記録,
李朝実録等の外国史料,

等々の古文書,古記録をもとに分析する。従来,多用されてきた,

小瀬甫庵『太閤記』,
『川角太閤記』

等の軍記物は二次史料として,余り重んじない。しかし,他でも触れたことがあるが,小瀬甫庵は,ほぼ同時代人であり,

寛永11(1634)~14年,

という刊行時期は,まだ存命の人もいたり,直接見聞した人もいたりで,そうそう軽んずべきではないところがある。『川角太閤記』(1621~23)も似た事情である。

『虚像』が,成り立つのは,秀吉ほど,物語化された人物はいないからだ。上記『太閤記』以外にも,江戸時代は太閤ブームというほど本の刊行,歌舞伎化,浄瑠璃化が続いた。竹中半兵衛の子息,竹中重門『豊鑑』,土屋知貞『太閤素性記』,白栄堂『太閤真顕記』,武内確齊『絵本太閤記』,栗原信充『真書太閤記』等々。

羽柴秀吉.jpg

豊臣秀吉像(光福寺蔵)


実は,厄介なのは,『信長公記』のように,部下の太田牛一のような人物が記録として残したのではなく,秀吉の祐筆である大村由己が,ほぼ同時期に,

『天正記』

という記録を残していることだ。つまり,秀吉自身が,演出・主演の物語を書かせている,ということだ。秀吉は,類稀な,

自己演出家,

でもあった。『天正記』は,

「天正8年(1580年)の三木合戦から天正18年(1590年)の小田原征伐まで、天正年間の秀吉の活躍を記録する軍記物。別名を『秀吉事記』とも。」

であり,具体的には,

『播磨別所記』(三木合戦の様相を記述する)
『惟任退治記』(惟任謀反記)
『柴田退治記』(柴田合戦記)
『紀州御発向記』(紀伊攻めの記録)
『関白任官記』(秀吉の関白就任の正当性を主張する)
『四国御発向並北国御動座記』(長宗我部元親ら(四国征伐)、および越中国の佐々成政らとの戦いの記録)
『聚楽行幸記』(後陽成天皇の聚楽第への行幸の有様を記録した)
『小田原御陣』

等々で(賤ヶ岳七本槍と喧伝したのは秀吉自身である),しかも,『播磨別所記』については,

「貝塚で蟄居中の本願寺顕如・教如親子の前で由己本人が朗読した」

と伝わっているなど,どうやら,この記録は,軍記物のように朗読された気配がある。『信長公記』も太田牛一自身が朗読したと言われているので,それにならったのかも知れない。

この『天正記』自体が,小瀬甫庵『太閤記』など、後の秀吉主役の軍記物語に大きな影響を与えている,と言われているのだから,虚像は,まず秀吉自身が演出した,といってもいい。

羽柴秀吉画像.jpg

「羽柴秀吉画像」(名古屋市秀吉清正記念館蔵)


その意味では,『太閤記』類が,虚説ではない,という一例が,秀吉糟糠の妻の名前である。

かつては,『太閤記』などによって,

ねね,

とされたが,桑田忠親氏が,

「北政所宛秀吉消息の宛名は『おね』であり,北政所自筆書状には『ね』と署名されているから…『お』は敬称であるから『ね』が北政所の実名」

と主張し,近年は,

おね,

とされるようになっていた。しかし,

「女性が署名する際に,名前の頭文字一時たけ記すのは通例である。そのうえ,室町~安土桃山時代に『ね』という一字の女性は,北政所を除けば,一人もいない。そして『ねね』という女性名は一般的だったので,やはり『ねね』が正しい」

と角田文衛氏が反論したようである。ただ直接的根拠がなかった。(甥にあたる)木下家の「系図」は,

高台院.jpg

『絹本着色高台院像』(高台寺所蔵)


子為(ねい),

(実家の)『平性杉原氏御系図附言』には,

於祢居(おねい),

(実兄の)『足守木下家譜』には,

寧子,

とあり,定まらない。しかし,

「『ねい』が複数あることは無視できない重みがあろう。」

ということで,近年は,

ねい,
あるいは,
寧,

と当てることが多くなっていた。だが,天正十三年十一月二十一日付「掟」が残されている,という。これは,

豊臣秀吉像.jpg

豊臣秀吉像(狩野光信筆 高台寺蔵)


「秀吉と北政所の間の取り決めを記した三ヶ条であるが,その最終条に『ひでよしおねゝニくちこたへ候ハゝ,いちにち(一日)・一や(夜)しばり(縛)可申事』とある。北政所に口答えすれば一昼夜縛り付ける」

という内容で,そこに,

おねゝ,

と秀吉自筆であるのである。とすると,軽んじられてきた,『太閤素性記』が「祢ゝ(ねね)」と記していたことが正しかった,ということになる。

秀吉,自己演出の影響は端倪すべからず,というべき案件かもしれない。

参考文献;
堀新・ 井上泰至編『秀吉の虚像と実像』(笠間書院)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E5%90%89
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E7%94%B1%E5%B7%B1


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2017年09月08日

莫耶


『キングダム』26巻「281話『莫耶刀』」で,魏・燕・韓・趙5ヶ国合従軍との函谷関での攻防戦で,楚の千人将項翼が,「莫耶刀」と,自慢気に振りかざしているシーンがあるが,その莫耶刀を調べてみた。

通常,

干将莫耶(かんしょうばくや),

とセットで言われる。『広辞苑』には,

「古代中国の二名剣。呉の刀工干将は呉王の嘱により剣を作るとき,妻莫耶の髪を炉に入れて初めて作り得た名剣二口に,陽を『干将』,陰を『莫耶』と名づけた。」

とあり,それが転じて,

広く,名剣の意,

でも使われる,とある。

『呉越春秋』闔閭内伝,

の故事から来ているらしい。上記の『莫耶刀』は,単なる名剣の意かもしれない。さて,

干将が陽剣(雄剣),
莫耶が陰剣(雌剣),

であるとされる。また,

干将は亀裂模様(龜文),
莫耶は水波模様(漫理),

が剣に浮かんでいたとされる。『呉越春秋』『捜神記』『拾遺記』などに由来するが,

「大きく分けると、この名剣誕生の経緯と、その後日談にあたる復讐譚に分かれている。ただし『呉越春秋』には(現在伝わっている限り)復讐譚にあたる後日談は無い。また、『呉越春秋』では製作を命じたのは呉王闔閭となっているが、『捜神記』においては、これは楚王となっている。なお、製作の過程については、昆吾山にすむ、金属を食らう兎の内臓より作られたとする話を載せるものも存在する(『拾遺記』)。また、後世の作品、特に日本の物については、中国の物とはかなりの差異が生じている。」

『呉越春秋』は,

「後漢初期の趙曄(ちょうよう)によって著された、春秋時代の呉と越の興亡に関する歴史書。」

『捜神記』は,

「4世紀に中国の東晋の干宝が著した志怪小説集。」

『拾遺記』は,

「中国の後秦の王嘉が撰した志怪小説集。」

であり,後者二つは,「志怪小説」である。ただし,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/434978812.html

で触れたように,

「市中の出来事や話題を記録したもの。稗史(はいし)」
「昔、中国で稗官(はいかん)が民間から集めて記録した小説風の歴史書。また、正史に対して、民間の歴史書。転じて、作り物語。転じて,広く,小説。」

である。さて,「干将莫耶」伝は,次のようになっている(莫耶、莫邪の表記については、『呉越春秋』が莫耶、『捜神記』が莫邪となっている)。

『呉越春秋』版では,

「闔閭が越(呉の宿敵として知られ、後に呉を滅ぼした国)から送られた三振りの宝剣を見て、干将に二振りの剣を作るように命じた。干将は、最高の材料を集め(來五山之鐵精、六合之金英。五山とは泰山など五つの山のことで後世の寺とは別、六合とは天地四方のこと。來は「とる」)、剣作りに最高の条件(候天伺地、陰陽同光、百神臨觀、天氣下降)を整え炉を開いた。しかし、急に温度が低くなり鉄が流れ出なかった。そして三月たってもいっこうにはかどらなかった。そのような現象が起こったとき、かつて彼らの師は夫婦で炉中に身を投げて鉄を溶かしたことがある。そこで妻の莫耶が自身の爪と髪を入れ、さらに童子三百人にふいごを吹かせたところようやく溶けた。そして、完成した名剣のうち、干将は隠して手元に置き、莫耶を闔閭に献上した。ある日、魯の使者である季孫が呉を訪れたとき、闔閭は彼に莫耶を見せ、与えようとした。季孫が鞘から抜くと、刃こぼれがあった。これを見た季孫は、呉は覇者となるであろうが、欠点があれば滅亡すると予測し、ついに莫耶を受け取らなかった。」

と,主にその製作経緯、過程が語られる。魯の使者がこの剣を見て、呉の将来を予想し、物語は終わる。

『捜神記』版では,

「楚国の王は、名工・干将に二振りの剣を作るよう命じる。 しかし、剣の鋳造をは遅れに遅れて3年掛かってしまった。 この失態に干将は自分の死を予見し、自分の子を身籠っていた妻・莫耶に『私が殺され、お前のお腹の子が男の子だったならば、出戶 望南山 松生石上 劍在其背(戸を出て、南に山を望み、松の生える石の上、その背に剣あり)と伝えよ』と言い残し、王に雌剣を献上すると命を守らなかった罰として処刑されてしまった。
その後、莫耶が男の子を生んでその子・赤(せき)が成人すると、赤は父の所在を母に尋ねる。父が王によって殺されたことと父からの遺言を知り、赤は復讐を誓う。遺言に従って雄剣を手に入れた赤だったが、王はその事を知って赤に懸賞金を掛けて山へと追い詰める。悔し涙にくれる赤だったが、彼の前に旅人があらわれ、赤は自分の首を土産にして王に近づき殺してほしいと旅人に懇願した。 旅人がそれを了承すると赤は雄剣を旅人に託し、剣で自分の首を刎ねさせた。
赤の首を手土産に王に近づいた旅人は、喜ぶ王に向かって「これは勇士の首ゆえ、釜で煮溶かさなければならない」と進言し、王はこれに従った。しかし、三日経っても首は煮溶けず王をにらむばかりであったので、旅人は王に鎌の中をもっとよく覗くように進言する。そして王が釜の真上に顔を持っていった瞬間に、託された剣で王の首を刎ねて殺し、そして自分の首も刎ねて自害した。 三者の首はこれによって煮溶けて分からなくなり、共に埋葬されてその墓は「三王墓」とよばれるようになったという。」

と,『呉越春秋』よりも後世の逸話で,呉王闔閭ではなく楚王となっているほか,主に後日談が語られる。

その他,『拾遺記』では,製作の過程で,昆吾山にすむ金属を食らう兎の内臓より作られたとする話を載せる。日本にも,『今昔物語集』巻第九第四十四に,

「震旦莫耶、造釼獻王被殺子眉間尺語(震旦(シナスタン=中国)の莫耶)、剣を造り王に献じ子の眉間尺を殺される話)」

が載るし,『太平記』巻第十三には,

「兵部卿宮薨御事付干将莫耶事(兵部卿宮死去のことと干将莫耶のこと)」

が載る。結構知られた逸話で,『おくの細道』でも,芭蕉が,月山に登った折,

「谷の傍に鍛冶小屋といふあり。この国の鍛冶霊水を撰びて、ここに潔斎して剣を打つ。終に月山と銘を切つて世に賞せらる。彼の龍泉に剣を淬ぐとかや。干将莫耶の昔をしたふ、道に堪能の執あさからぬ事しられたり。」

と記していた。

ところで,この「干将莫耶」,どうやら,

鋳剣(鋳造によって作成された剣)

であるらしいのだが,これは銅剣であろうか,鉄剣であろうか。兵馬俑坑には,

クロムメッキされた青銅剣,

があり,武器の大半は,青銅器ではなかったか,と想定される。しかし,『史記』などには,

「名鍛冶屋といえるような人物の記録もありますが、彼らは青銅製の剣も作れば、鉄製の剣も作っていました。
つまり、1本2本というレベルならば、鉄製の名剣もあったわけですが、大量生産できるレベルではなかったということです。」

とか,

http://kkomori.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_b3f7.html

「秦は中国史上最初に天下を統一した王朝で、他民族封建国家である。紀元前221年に斉・魏・趙・韓・燕・楚の六国を滅ぼし、長期にわたった、群雄割拠の状態を終結させた。秦でも製鉄技術の発達は著しかったが、生産に用いる工具は多く見られるようになったものの、鉄製の武器は極めて少なかった。真の軍の主力は依然として青銅製であり、青銅器の製造技術および品質は、最高水準に達していた。」

とか,

http://kkomori.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2971.html

等々にあるように,

「遅くとも紀元前6世紀、春秋末期には、製鉄技術をおぼえ、鉄器を鋳造すること、鍛えることなどの技術が同時に現われ、その中での最先端が鉄剣であった。戦国時代には鋼鉄の生産はかなりの高水準に達して」

いたようだから,当然,「干将莫耶」は,鉄剣,と目される。だが,鍛冶製法によって作られた日本刀とは,また別の切れ味なのだろう。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B2%E5%B0%86%E3%83%BB%E8%8E%AB%E8%80%B6
https://dic.pixiv.net/a/%E5%B9%B2%E5%B0%86%E3%83%BB%E8%8E%AB%E8%80%B6
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11135821001
松尾芭蕉『奥の細道』(Kindle 版)

ホームページ;
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2017年09月09日

一杯


「一杯」は,『岩波古語辞典』は,

一盃,

の字も当てている。この字の通り,

一杯の酒,

というように,

器に満たした分量,

を指すが,『大言海』は,

杯に,酒を注ぎ満たしたること,

と直接的である。で,

満酌,

と載せる。それをアナロジーに,

一杯やろう,

というように,「酒を飲みかわす」喩えに使われるが,『大言海』は,

一献,
一酌,

とも載せる。「一献どう?」というのは「一杯やる」のと同義だ。さらに,杯に満々の意を拡げて,

広場一杯の人,

というように,

人や物が満ち溢れているさま,

の意になり,その意を拡げて,

ある限度いっぱい,

というように,

ありったけ,

の意図にも使われる。室町末期の『日葡辞典』にも,

ユミヲイッパイヒイテハナツ,

という使われ方をしている。その量の限度の延長線で,

思う存分,したいだけ,

と,質の限度へと転じて使われる。

盃一杯→盃に満々→限度ぎりぎり(目一杯)→思う存分(精一杯),

といった意味の拡大だろうか。「目一杯」は,文字通り,

「はかりの目盛一杯までの意から転じて,精一杯努力しての意」

になる。

一杯くわす,
一杯くう,

というのは,

だます,
だまされる,

意だが,『岩波古語辞典』には,「一杯喰わす」として,

一杯さす,
一杯させる,
一杯参る,

という言い回しも載る。億説かもしれないが,

一杯酌み交わす,

のは,親しさの端緒であり,その象徴でもある。この使い方からすると,

一杯飲まされて,うかうかと油断し騙された,
一杯飲まして,うかうかと油断させて騙した,

ということなのだろうか。『日本語源広辞典』には,語源は,

「一杯+食う,一杯+食わす」

で,

「企んで,相手に飲食物を一杯食わせるから,イッパイクワセルという加害者側の話があります。それで,それを食う,被害者の立場の語が,イッパイクウです。」

とある。この場合,「一杯」は,象徴ではなく,「沢山」の意の「一杯」なのかもしれない。『大言海』は,

「一杯喰わすとは,酒を飲ます,飴をねぶらす,同義」

とある。「飴をなめさせる」と同じ意味で「饗応」の意で,

一杯喰わす,

と言っている。これは文字通り,「食わせた」という状態表現を,「欺く」という価値表現へと転じた使い方ともいえるし,「饗応」の意の,「一杯喰わす」を,象徴として使っている,とも言える。

なお,『大言海』は,副詞の「いっぱい」には,

満,

の字を当てている。慧眼というべきだろう。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
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ラベル:一盃 一杯
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2017年09月10日

カウンセリングと心理療法


カール・R.・ロジャーズ『カウンセリングと心理療法(ロジャーズ主要著作集1)』を読む。

ロジャーズ1.jpg


本書は,カール・ロジャーズの初期の代表作,counseling and psuchotherpy(1943)の全訳である。本書のタイトル自体が,象徴的である。「訳者あとがき」で,

「アメリカにおけるガイダンス(その後のカウンセリング)とヨーロッパにおける精神分析(あるいはそれを中心とした心理療法)…の創造的な合流のあり様を示したのがロジャーズであった」

と書く。そして,「今となっては一見平凡な印象しか懐かせない『カウンセリングと心理療法』」というタイトルには,

「深い意味が込められている」

と。フロイトの亡くなったのが1939年,その三年後に,本書が刊行されている。

本書の中で,三,四回しか,

クライアント中心の心理療法,

という言葉を使っていないが,「序文」で,ロジャーズは,満々たる自信を吐露している。

「この本において筆者にはゆるぎない信念があることをお伝えしようと思う。それは,カウンセリングとは明確に理解することができるものであり,またどのように進むのかを予測できるものでもあり,またカウンセリングとは,学習され,検証され,より洗練されうる過程であるはずだ,という信念である。」

ロジャーズのめざすカウンセリングの全体像が,余すところなく,本書には詰まっている。そして,これが,今日のセラピーの底流にあることを感じさせるものでもある。ロジャーズは,本書の目的を,

「この本では,カウンセリングについての検証され考察されうるような仮説を,理解できるかたちで明確に提示する。それを検証し,それをさらに吟味することができるように示すのである。学生のためには,カウンセリングの実際の手順についての具体例をあげながら,一貫した考察のための枠組みを提供することをめざす。また,研究者のためには,どうすれば心理療法がうまくいくのか,その仮説を筋の通ったかたちで示すことをめざすことを目的とする。実験的検証によって,こうした仮説はそのとおりだったと分かるかもしれないし,まちがいだったと分かるかもしれない。そして本書は,臨床家のためには,既存のものに代わりうるより正確な仮説を臨床家自らが創出するという課題を提供することになろう。」

と書く。そして,

「本書は心理療法のあらゆる見解をすべて提示しようとはしない。相容れないさまざまな見解の混沌を示して混乱を増幅してしまうよりも,一つの見解をあますところなく論じることで,カウンセリングの分野をよりすっきりと整理する方が賢明であろう。したがって,本書は,カウンセリングに関する一つの方法と理論を提示するものである。」

とし,その基本的な仮説を,

「カウンセリングが効果的に成立するために必要なのは,ある明確に形作られた許容的な関係であり,その関係のなかで,クライアントは自分自身に気づくようになり,新たな方向をめざして,人生を前向きに進んでいけるようになる。この仮説に従えば,カウンセリングの技術とはおのずと,自由で許容的な関係の醸成,クライアントの自己理解の深まり,そしてその前向きで自己主導的な生き方の促進のためにこそ用いられるものであるといえる。」

として,本書全体は,

この仮説を説明したり,
定義づけたり,
拡充したり,
明確化したり,

するためにある,と。で,本書の構成は,

カウンセリングの初期,
カウンセリングの過程,
カウンセリングの終結,

をつぶさに辿り,

実践上に生じる問題,

では,たとえば,

面接時間はどれくらいがいいのか,
カウンセラーは面接中にノートを取るべきか,
クライアントが面接中に虚偽のはつげんをしたらどうするのか,
カウンセラーの資質とは,
料金はカウンセリングに影響するか,

等々といった微に入り,細を穿つような細部を具体的に解説して,最後に,第四部では,たぶん(セラピー史上)初めて,

ハーバート・ブライアンのケース,

として,カウンセリングの第一回面接から終結までの全逐語記録を載せている。そして,各回ごとに,

全般的なコメント,
具体的なコメント,

をつけて,そのやりとりの意図と意味を解説しつつ,自分のカウンセリングの全体像を披露している。ある意味,本書は,ロジャーズのカウンセリングとはどういうものかを,丁寧に,詳細に展開する,いわば,ロジャーズの,

カウンセリング宣言,

とも言うべきものだ。その意味で,今日,改めて,原点に立ち返ることで,今日常識になっていることが,ロジャースの汗と努力で,明確化されたことを知るよすがになり,この原点の仮説の論拠を見直すことで,セラピスト,カウンセラー自身のカウンセリングを点検することにもなるのではあるまいか。

従来の心理療法と対比して,ロジャーズは,この心理療法は,

「もしカウンセラーが問題解決の手助けをするならば,これこれの結果が生じるだろうと期待するよりもむしろ,人間がより大きな自立と統合へと向かう方向を直接的にめざすもの」

であり,

第一に,「人間の成長や健康,適応へと向かう動因にっいて,きわめて大きな信頼をよせている。」
第二に,「知的な側面よりも,情緒的な要素や状況に対する感情的な側面に,より大きな強調点をおいている。」
第三に,「人間の過去よりも,今ここでの状況により大きな強調点をおいている。」
最後に,「心理療法的接触それ自体が成長の経験である。個人はここで,自分自身を理解し,重要な自律的選択を行い,より成熟したやり方で他者とかかわることなどを学ぶのである。」

とその特徴を強調している。そして,「心理療法的接触」によって,

何が進行しているのか,
カウンセラーは何をしているのか,
クライアントは?

と,そのプロセスの概略を次のように整理する。

①「個人が援助を求めて来談する。このことは当然ながら,心理療法のもっとも重要な段階の一つである。ここで個人は,いわば自分に働きかけ,最初の重要な行動を責任をもってとったといえる。彼は,これが自立した行為であるということはまだ認めたくないかもしれない。しかし,こうしたことが育まれるならば,それはそのまま治療へと向かっていくものになりうるのである。」

②「通常,援助場面は明確に設定される。クライアントは来談当初から,カウンセラーが解答をもっているのではなく,カウンセリング場面とは,クライアントが援助によって問題に対する自分なりの解決を見いだすところである,という事実に気づかされる。」

③「カウンセラーは問題に関する感情を自由に表現するように促進する。このことはある程度まで,カウンセラーの親しみをこめた,相手に関心を寄せる受容的な態度によってもたらされる。…もし私たちが,その時間が本当にクライアントのものであり,その人の望むように使うことのできる時間であることをクライアントに実感させることができるならば,こうした感情は自由に流れ出てくるのである。」

④「カウンセラーは,否定的な感情を受容し,理解し,明確化する。…カウンセラーがこうした感情を受容しようとするならば,相手が話していることの知的な内容ではなく,その底にある感情に応答する構えがなくてはならない。ときとしてその感情は,とても両価的なものであったり,憎悪の勘定であったり,不全感であったりする。しかしその感情がどのようなものであっても,カウンセラーは言葉や行為によって,ある雰囲気をつくり出すよう努力する。」

⑤「その人の否定的な感情がまったく十分に表現されたとき,それに続いて,かすかに,またためらいながらではあるが,成長へと向かう肯定的な衝動が表現される。…この肯定的な表現は,心理療法全体の過程においてもっとも確実に生じる,予測可能な局面の一つである。否定的な表現が激しく,深いものであればあるほど(それが受容され理解されるならば),愛情,社会的交流への衝動,根本的な自己尊重,成熟したいという欲求などの肯定的表現が,より確かなものとして生じてくる。」

⑥「カウンセラーは否定的な感情を受容し理解したのと同じように,肯定的な感情の表現を受容し理解する。こうした肯定的な感情は,賛同や賞讃によってカウンセラーに受け入れられるのではない。道徳的な価値判断は,この種の心理療法のなかには入ってこない。肯定的な感情は,否定的な感情とまったく同じように,その人の人格の一部としてそのまま受容される。…その人は,自分の否定的感情について防衛的になる必要がない。また,自分の肯定的感情を過大評価する機会を与えられるわけでもない。しかもこうした場面では,自己洞察と自己理解が自発的に湧き出てくるのである。」

⑦「この自己洞察,利己理解,自己受容は,心理療法の過程全体のなかで二番目に重要な局面である。それは,人が新たな統合の段階へと前進する基礎を与えるものである。」

⑧「この自己洞察の過程と混ざり合って,可能性のある選択や行為の方向を明確化していく過程が生じる(ここでもう一度,これまで記述してきた各段階は互いに排他的なものではなく,また番号通りの順番で進行していくものでもないということを強調しておきたい)。このとき,いくぶん失望したような態度がみられることも多い。本質的には,その人はこのようにいっているのだ。『これが私自身です。そのことがとてもはっきり分かりました。でもどうすれば,私はこれまでと違うふうに自分自身を作りかえることができるんでしょうね』と。ここでのカウンセラーの役割は,いろいろな選択の可能性が明確になるように援助し,その人が経験している恐れの感情や,前進する勇気の欠如などについて理解できるように助けることである。」

⑨「引き続誣いて,かすかにではあるがとても意味のある肯定的な行為がはじまるという,心理療法の魅力的な局面の一つが起こってくる。」

⑩「その人がひとたびかなりの自己洞察を達成し,おそるおそる,ためらいながら肯定的な行為を試みるようになると,そこに残された局面は,もっと成長していくという要素だけである。何よりまず,そこには自己洞察のいっそうの発展がみられる。すなわち,個人が自分の行為をより深く見つめる勇気を獲得するにつれて,より完全で正確な自己理解が発展する。」

⑪「クライアント側の肯定的な行為はますます統合されたものになる。選択することについての恐れが減少し,自分が決めた行為への信頼が増大する。カウンセラーとクライアントは,今や新しい意味で協働しているのである。二人の人間的な関係はもっとも強いものになる。」

⑫「援助を求める気持ちが減少し,その関係が終らなければならないことをクライアントが認識する。」

このプロセスについて,ロジャーズは,

「ケースはどれも違うものだ」

という一般的な見解を,「日和見的な見解」と,一蹴する。

「ここで述べた心理療法は,秩序的な一貫した過程であり,その主な道筋においては予測可能なかていである。」

と。

かつて,すぐれたカウンセリングの逐語を読むと,カウンセラーはほとんどしゃべっていない,ということを言われたことがある。ロジャースは,非指示的な特徴は,

クライアントの発言だけを読んで,その面接の全体像が把握できる,

と指摘している。ここに淵源があったらしい。

参考文献;
カール・R.・ロジャーズ『カウンセリングと心理療法(ロジャーズ主要著作集1)』(岩崎学術出版社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

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2017年09月11日

クライアント中心療法


カール・R.・ロジャーズ『クライアント中心療法(ロジャーズ主要著作集2)』を読む。

ロジャーズ2.jpg


本書は,“Client‐Centered Therapy:Its Current Practice,Implication,and theory”のうち,ロジャーズ自身の執筆論文の全訳である。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/453353253.html?1504987804

で取り上げた,『カウンセリングと心理療法』では,クライアント中心療法の宣言という部分が強かったが,本書は,実践でどれだけ効果があるか,というクライアント中心療法の検証も含めた,クライエント中心療法をより深化させた応用編という色合いがある。ロジャーズは,「はしがき」で,

「本書は,カウンセリングルームに充満した苦しみや希望,不安や喜びについて書かれています。それぞれのカウンセラーがそれぞれのクライアントと織りなす唯一無二の関係についてであり,同時にこうした関係すべてに見られる共通な要素についてであります。私たち一人ひとりが体験するきわめて個人的な体験について書かれているのです。」

とあり,「第一章 クライアント中心療法の現在」の冒頭で,「本書の目的」を,

「固定し硬直した考え方を示すことではなく,発達途上の心理療法分野の理論と実際を含めた現時点での断面図を示すことにある。はっきりしている変遷と動向を示し,以前の定式化と比較し,限られた範囲であるが他のオリエンテーションの見解との比較を行う。
 その際,クライアント中心療法に従事する者の臨床上の考え方をまとめることが一つのねらいとなる。(中略)
 さらなるねらいは,心理療法における明確な仮説,あるいは暗黙の了解となっている仮説に関して,既に収集されつつある研究証拠を再検討することである。心理療法の各方面での客観的証拠は少しずつ蓄積されているので,こうした研究努力の成果を分析・検討したい。」

随処で出てくるこの時点での心理療法の効果の検証が,今日見てどうなのかはわからないが,ある面,クライエント中心療法が,心理療法の確実な地歩を固めつつある自信のようなものが,うかがえる記述がしばしばみられる。

本書の中で,最も興味深かったのは,

第三章 クライアントにより体験される心理療法の関係

で,

「個々のケースの心理療法が進展する可能性は,カウンセラーの人格に依存するものではない。させにカウンセラーの態度に依存する者でさえない。これらの要素すべてがその関係の中でクライアントがどのように体験されるかにかかっているのである。面接中にクライアントの認知を中心に据えれば,そのことが自ずと認識される。葛藤,再編成,成長,統合―に対する解決をみるか否かの決め手となるのは,クライエントがどのように感じるかである。クライアントがある関係を心理療法の関係として体験することはなにを意味するのか? いかにしてある関係を心理療法の関係として体験できるように援助すればいいのか? もしこれらの質問に対する答えがわかれば,心理療法についてのわれわれの理解は格段に進歩するだろう。」

と書き,例として,あるカウンセリングで,クライアント自身が自分のカウンセリング体験を,セッションごとに手記を残した例を取り上げている。そして,八回のセッションが終った三カ月後の手記の末尾に,

「ほとんどのクライアントに共通する特徴がここにいくつか明かされている。まず第一に,行動の変化があまりに自然発生に起こり,現行の態度の編成からあまりに自然に脱却するために,なにか外的な事情により注意が向けられるまでそれに気づかないということである。もうひとつは,人格変化は,不慣れで,たよりない,『生まれたて』の感覚がつきものであることだ。そして最後に,特徴として興味深いのだが,クライアント中心療法は,心理療法の扱う自己に神経を張りつめて集中し,最終的には,自意識を強めるのではなく,自意識を弱めるという結果をもたらすことである。…別の言葉で表現すれば,自己が内省の対象になるのではなく,体験の中で円滑に機能するということである。あるいは,あるクライアントが心理療法終結後一年経ってから行われたフォローアップ面接で述べたように,『かつてのように自意識が強いということはなくなりました……。自分自身らしくいるということに集中することはありません。ただ,我は我なりなのです』ということである。」

しかし,大事なことは,「典型的体験として」伝えているのではなく,著者は,

「クライアントにとって,すべての心理療法は完全に唯一無二の体験であり,この事実をより完全に感じ取れれば感じ取れるほど他のクライアントがこうした唯一無二の体験をする援助が可能になるであろうということだ。」

と付け加えている点にある。少なくとも,クライアントが何を感じ,何を体験したかが,クライアント自身によって語られていることを紹介した,この章は,今も昔も,さほど例は多くはない。ロジャースは,クライアントの体験とそれをカウンセリングしたカウンセラーの体験とをセットで対比することを,将来への期待として述べている。

さて,もうひとつ,

第四章 心理療法の過程

の,「価値を認める過程における特徴的な心の動き」の節で,

「心理療法面接の録音を聞くにつけ,文字化された資料を研究するにつけ,『良い』あるいは『悪い』,『正しい』あるいは『間違っている』,『満足』あるいは『不満足』と認識されるものと心理療法との間には密接な関係があることがいよいよはっきりする。心理療法はどういうわけか個人の価値体系を巻き込み,その体系に巻き込まれて変化する。」

として,まず,

「心理療法の初期において,クライアントは他人や個人的な文化環境から植えつけられた価値観を人生の指針としていると言ってよいだろう。」

「心理療法が進むにつれ,クライアントは,自分が他人の考えていることに従って行動しようとしており,真の自己になっていないことに気づくようになり,こうした状況にますます不満を抱くようになる。」

「もしクライアントがこのような他人から植えつけられた価値感を棄てるとしたら,その代りになるものはなんであろう? 後に続くのは,価値感に対する混乱と疑いの過程であり,正誤や善悪の判断の基準を失ったことによる必然的な不安感である。」

「クライアントが価値判断を下す際に基礎となる拠り所が,自分自身の感覚や自分自身の体験によって与えられるということを徐々に理解することにより,この混乱は次第におさまる。」

「人間は,体験に基づいた証拠事実を検証し,長期にわたって自分自身を向上させるもの…を決定する能力を,自分自身の内に備えていることに気づく。」

「他人や個人的な文化環境から植えつけられた価値観を人生の指針としている」とは,今日のナラティヴ・アプローチの「ドミナントストーリー」そのものと言ってもいい。しかし,クライアント中心療法は,別のアプローチをとる。」

「心理療法の初期段階には,評価の位置はクライアントの外側にある傾向がある。これは,両親,文化,友達,…(中略)クライアント中心療法では,評価の位置をクライアントの側に保ち続けることがカウンセラーの行動の一つであると説明している。これはカウンセラーの応答方法からも明らかである。『あなたは―に腹を立てているのですね』,『あなたは―のせいで混乱しているのですね』,『―であるとあなたは思われるのですね』,『あなたは―であると感じているのですね』,『あなたは自分が―だから自分が悪いと思うのですね』。それぞれの応答に見られる言いまわしはもちろんのこと,その態度に示されていることは,受け入れられているのは状況に対するクライアントの下した評価だということである。自分自身の中にある評価の位置を受け入れることは,単に可能であるばかりではなく,満足できる健全なものであることにクライアントは徐々に気づき出す。」

等々。これは,明らかに認識の変化である。

「クライアントは一枚の地図を指針として生きていると言えるかもしれない。心理療法を受けている間,クライアントがまず第一に気づくのは,その地図がそのものを表しているわけではないということである―体験に基づいた領域はまったく異なり,ずっと複雑である。さらに,自分の地図は,地図であるにもかかわらず,重大な誤りを含んでいることに気づく。」

ロジャーズの例は,しかしあくまで個人の認識上の「地図」である。同じことを,マイケル・ホワイト&デビット・エプストン『物語としての家族』では,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/452653318.html?1502568827

で触れたように,

「ゴルジブスキーの格言である『地図は領土ではない』を参照にして,彼(ベイトソン)は,出来事に対する私たちの理解や私たちの出来事に対する意味は,出来事を受け取る文脈,すなわち,私たちの世界の地図を構成する前提や予測のネットワークによって決定され拘束されているのである,と提案した。彼は,地図のパターンにたとえて,全ての出来事の解釈は,どれくらいその解釈が出来事の知られているパターンに適合するかによって決まると主張し,それを『部分が全体のコードになるpart for whole ckding』と呼んだ(ベイトソン,1972)。彼は,出来事の解釈は,それを受け取る文脈によって決められると述べただけではなく,パターン化されえない出来事は,生き残りのために選択されないと主張した。つまり,そのような出来事は,私たちにとって事実としては存在しないのである。」

われわれの社会全体の認識がわれわれの認識を拘束している,という視点からアプローチする。時代の差が,如実に表れていて興味深い。

参考文献;
カール・R.・ロジャーズ『クライアント中心療法(ロジャーズ主要著作集2)』(岩崎学術出版社)

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2017年09月12日

自分になる


カール・R.・ロジャーズ『自己実現の道(ロジャーズ主要著作集3)』を読む。

ロジャーズ3.jpg


本書は,ロジャーズの著作の中でもっとも読まれたものとされるが,日本では,部分が紹介されることはあっても,全体として一冊として訳出されたのは,初めてらしい(二章,九章以外はすでに紹介されている)。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/450874048.html

で取り上げた,H・カーシェンバウム&V・L・ランド ヘンダーソン編『ロジャーズ選集』にもかなりかなり重なるものがある。

本書の原題は,

On Becoming a Person,

である。訳者(諸冨祥彦氏)は,

「本書でロジャーズが読者に伝えようとしているメッセージは,原題のOn Becoming a Personに,おおよそ示されています。うまい日本語が思い浮かびませんが,あえて意訳するとすれば,『人が,“ひと”になるということ』となるでしょうか。その意味するところは,『ひとが自分自身になっていくこと』―言ってみれば,『自分が自分になるということ』です。(中略)
 原題のOn Becoming a Personにぴったりの日本語訳が見あたらなかったことから困惑しました。あえて直訳すると『人間になること』となってしまいます。…先に述べたようなニュアンスが含まれていることから,悩みに悩んだ末にタイトルは『自己実現の道』としました。そして,それがマズローやユングの言う自己実現とは異なるロジャーズ固有の考えであることを示すためにあえて,『ロジャーズが語る』と付したのです。」

と語り,On Becoming a Personの含意を強く強調している。確かに,本書は,

On Becoming a Person

を通奏低音のように,響かせ,繰り返し,語られている。しかし,ここで言う,

自分になる,

とは,何か固定したものになる,という意味ではない。ロジャーズは,

第六章「人が“ひと”になるとはどういうことか」

で,

仮面に気づき,
感情を体験し,
体験の中に自分を発見し,
自分自身になる,

というプロセスを描き出しながら,

「自分自身を発見し,自分自身になろうとしている人間の最後の特徴…とは,その人が一つの結果であるよりも,一つのプロセスとなることに,より大きな満足を感じるようになるということである。」

と述べている。そして,

「人間は,一定量の特性などではなく,絶えず変化し続ける可能性の布置(constellation)である。」

とも。Constellationは,星座とか,一群,配列といった意味である。ここには,一点に収斂するのではない自分という含意がある。ふと,ハイデッガーの,

人は死ぬまで可能性の中にある,

という言葉を思い出す。ロジャーズには,実存主義の翳がある。これが,本書の結論であると言ってもいい。

もっとも個人的なものが,最も普遍的なものである,

という言葉をロジャーズは記しているが,そのように,本書は,

自分を語る,

の第一部第一章は,

これが私です,

から始まる。そして,「私が学んできた大切な教訓」を挙げていく。たとえば,

「他者との関係において,私があたかも私自身でないかのように振る舞っても,それは結局援助にはなりえない」
「自分が自分自身に受容的に耳を傾けることができるとき,そして,自分自身になることができるとき,私はより効果的でありうる」
「私が自分自身に他者を理解することを許すことができるならば,そのことはとても大切な価値を持つ」
「他者を受け容れることができれば,多くのものが得られる」
「私は,自分や他者のうちなるリアリティに開かれていればいるほど,急いで物事を処理しようとしなくなるようである」

等々。ここでも,

「人生は,その最善の状態においては,流れゆき,変化していくプロセスである。そこでは固定されたものは何一つない」

を結論としている。

つとに紹介される,第七章「心理療法の過程概念」にある,

心理療法の過程の七段階,

は,何度読み直しても,発見があるほど,凝縮されたエッセンスである。しかし,そのプロセスで「援助関係を作り出す」ためには,前提となることがある。

「クライアントが,自分は十分受け容れられていると体験していると仮定しておこう。つまり,たとえクライアントの感情が恐怖,絶望,不安,怒りなど,どんなものであろうとも,また彼の表現の仕方が沈黙,身振り,涙,言葉など,どんなものであろうとも,あるいはこの瞬間に彼が自分自身をどんなふうに見せていようとも,クライアントが自分がまさにあるがままにセラピストから心理的に受け容れられていると感じていると仮定しておこう。この言葉には,共感的に理解されているという考えや,受容(acceptance)という考えが暗に含まれている。この条件が最適かどうかを決めるものは,単にセラピストにこの条件が存在しているということではなく,クライアントがこの条件を体験しているということである」

と。ロジャーズは,

私はいかにして援助的関係をつくり出すことができるか?

とこういう問いを投げかけている。

①私は他者から信頼に値すると受け取られるようなり深い意味で,頼りになるとか矛盾なく一貫していると受け取られるようなあり方でいることができるだろうか?
②私は,自分がこのような人間であることが相手に明らかに伝わるように,自分を十分に表現できるだろうか?
③私は目の前にいるこの他者に対して,温かさ,配慮,好意,関心,尊重といったポジティブな態度を経験することができるだろうか?
④私は一人の人間として,他者からまったく別個に存在できるほど強くいることができるだろうか? 他者の感情や要求を尊重するのと同じように,自分自身の感情や要求をしっかりと尊重することができるだろうか?
⑤私は,相手が私とは別の存在であることを許せるほど,自分の中が十分安定しているだろうか? 私は,相手が正直だろうが噓をついていようが,子どもであろうが大人であろうが,絶望していようが自信過剰であろうが,その人自身であることを許容できるだろうか? 私は相手があるがままである自由を提供することができるだろうか?
⑥私は,相手の感情や個人的意味の世界の中に十分入っていくことができ,そして相手が見ているがままにその世界を見ることができるだろうか? 私は,自分が相手の私的な世界を評価しようとか判断しょうとまったく思わなくなるほど,その中に完全に入ることができるだろうか?
⑦相手が私に表すさまざまな側面のどのようなものに対しても受容的であることができるだろうか? 私は,相手の人そのものを受けとめることができるだろうか? そうした態度を相手に伝えることができるだろうか? それとも相手の感情のある側面だけを受容し,それ以外の面については暗に,あるいは公然と認めないような条件つきの受容しかできないだろうか?
⑧私は,関係の中で相手に脅威を感じさせないような十分な感受性をもって行動することができるだろうか?
⑨私は,外的な評価の脅威からクライアントを解放することができるだろうか?
⑩私は,この他者が生成しつつある過程にある人だということを前提にして,その人と出会うことができるだろうか? それとも私は,その人の過去や私自身の過去に束縛されてしまうだろうか?

問いこそが創造的な答えを産み出す,という。この問いあって,

セラピストの備えておくべき条件,

として,

①一致
「セラピストがその関係の中でひとつにまとまった,統合された,もしくは一致した人であることが必要である。私が言いたいのは,その関係の中でセラピストが,仮面や役割や見せかけなどから離れて,まさしくありのままの自分であるということである。私は,体験と意識とが正確に合致しているという意味で『一致(congruence)』という用語を使っている。セラピストが完全に一致しているのは,その関係におけるこの瞬間に,自分が体験していることを十分にそして正確に意識している時である。」
②無条件の肯定的配慮 
「セラピストがクライアントに対して温かい配慮の体験をするということである。その配慮は,相手を支配するようなものでもなければ,個人的な満足を求めようとするものでもない。それは,『もしもあなたが~といった行動をするなら,私はあなたに関心を寄せます』というあり方ではなく,『私はあなたに関心を寄せています』ということを真に表すような雰囲気のことである。」
③共感的理解
「セラピストはクライアントが自分の世界を内側から見ているとおりにその世界について正確で共感的な理解を体験している,ということである。クライエントの私的な世界をあたかも自分自身のものであるかのように,しかもこの『あたかも』という質を決して失うことなく感じることである。」

へと集約される。大事なことは,

「共感的に理解されているという考えや,受容(acceptance)という……条件が最適かどうかを決めるものは,単にセラピストにこの条件が存在しているということではなく,クライアントがこの条件を体験しているということである」

からこそ,

「セラピストの一致と受容と共感を,クライアントがある程度体験もしくは知覚する,ということである。これまで述べてきた条件がセラピストの中に存在するだけでは十分ではない。これらの条件はクライアントに対してある程度十分に伝えられなければならない。」

なぜなら,その相互の関係は,

「私がある種の関係を提供できるならば,相手は自分が成長するためにその関係を用いる力が自分の中にあることを見出すであろうし,そこで変化と人間的な成長が生じる」

ものだからだ。それは,ミルトン・エリクソンが,

「自らを変える力があることを相手自身が気づけるような状況をつくること」

といった,その状況づくりそのものでもある。

参考文献;
カール・R.・ロジャーズ『自己実現の道(ロジャーズ主要著作集3)』(岩崎学術出版社)

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2017年09月13日

てんぱる


「てんぱる」は,という言葉は,手元の辞書には一切載らない。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/19te/tenparu.htm

には,「テンパる」という表記で,

「テンパるとは、焦る、いっぱいいっぱいになる(余裕がない状態になる)こと。」

と載り,平成になってから一般に使われ出したようである。そして,

「テンパるとは麻雀用語で『あと一枚で上がれる状態』を意味する『聴牌(てんぱい)』に俗語でよくある動詞化する接尾語『る』をつけたもので、もともとは『聴牌になる』という意味の麻雀用語だった(この場合、受動態の「テンパった(聴牌になった)」か過去形で使用されることが多い)。ここからテンパるは『準備万全の状態になる』や『目一杯の状態になる』という意味を持つようになる。更に2000年頃から後者の『目一杯の状態になる』が『余裕がなくなる』という悪い意味を持ち、『あわてて動揺する』『焦る』『のぼせる』『薬物で混乱する』など様々な余裕のない場面で使われるようになる。」

と解説する。どうやら,当初の「上がる直前」の状態表現の,

準備万全の状態になる→目一杯の状態になる,

から,その状態を評価する価値表現へと転じ,いまでは,価値が転倒し,

一杯一杯,

の状態,つまり,

ぎりぎりの極限状態,

を示す,いわば,

頭が真っ白な状態,
極度の緊張状態,
思考停止状態,

等々を示す,価値表現になっている。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/te/tenparu.html

も,

「テンパるは、元は麻雀用語。 麻雀で、あと一つの牌が入れば上がれる状態になることを 『テンパイ(聴牌)』といい、『テンパイ』に動詞化する接尾語『る』が付いた語が『テンパる』 である。 一般にも、準備が整った状態、余裕を持って対応できる状態を『テンパる』というようになり、物事が成就する直前であることを表すようになった。『直前の状態』『ぎりぎりの状態』という部分的な意味から,テンパるは『切羽詰る』『余裕がなくなる』といった悪い意味に転じて使われるようになった。」

としている。さらに,

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%A6/%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

では,

「テンパるとは、緊張感やストレスが高まって余裕がなくなっている状態をいう。語源は麻雀用語の聴牌(テンパイ)。聴牌とは、麻雀のゲームにおいてあと一枚牌が揃えば上がり(勝ち)という状況を意味し、すべて準備が整ってあとは上がるのを待つだけなので、期待感が高まってワクワクすると同時に、緊張によりのどがかわいたり、顔がひきつったりするストレス症状が表れる。現実社会でこの『テンパる』という言葉を使う場合は、重要だけれどもいやな大仕事が直前に迫って準備に追われていたり、締め切り間近で上司からどなりまくられているというような、『もう少しで最高の結果が待っている』という期待は抜け落ち、ストレス症状だけがクローズアップされている状況で用いられることが多いようだ。」

と,より具体的だ。

「『もう少しで最高の結果が待っている』という期待は抜け落ち、ストレス症状だけがクローズアップされている状況」

という説明はわかりやすい。いい意味でも悪い意味でも,極限の心理状態をピンポイントで,トリミングした言い回しというのが正しいのかもしれない。

「テンパる」の同義語は,

頭の中が真っ白になる,
思考停止する,
一杯一杯,

になるので,

予想だにできない出来事に遭遇して,一時的に何も考えられなくなってしまう,
まるで心に余裕がないさま,

を指すが,「いっぱいいっぱい(一杯一杯)」は,「いっぱい」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/453330532.html

で触れたが,

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%84/%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

にあるように,

「いっぱいいっぱいとは、容器などにものが限界まで満たされている状態を意味する『一杯(いっぱい)』を重ねた言葉で、今風にいえば『超いっぱい』といったような意味であり、自分の処理能力を超えた量の仕事を押しつけられたり、アクシデントが次々と起こったりして、精神的にまったく余裕のない状態を表現している。つまり、本日中に仕上げなければならない集計データを作成している最中にクレームの電話に出てしまい、そのクレームの原因となった商品説明書を探しまわっていると上司が『出したところにちゃんとしまっておかないからあわてることになるのだ』などととんちんかんな説教をしはじめるという、そんなばか上司に対して『おまえが電話に出ろ』と今にも叫んでしまいそうな切羽詰まった精神状態が『いっぱいいっぱい』である。」

と,まさに,「テンパる」状態そのものである。「パニックになる」状態を表現する,

パニクる,

も似ているが,どちらかというと,心理状態よりは,

周章狼狽する,
落ち着きをなくす,
大混乱になる,
バタバタする,
ドタバタする,
てんやわんや,

といった行動,振る舞いといった外部に顕れた混乱状態を表現している,と見ることができる。

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2017年09月14日

秀次の切腹


矢部健太郎『関白秀次の切腹』を読む。

関白秀次の切腹.jpg


秀次については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/440783746.html

で,藤田恒春『豊臣秀次』を取り上げた。そこでも秀次が自裁なのか賜死なのかが問題になっていたが,本書は,「秀次の切腹」そのものに迫る。

「『秀次事件』の全体は一ヶ月に及んでおり,少なくとも三つの大事件,具体的には,『秀次失脚事件』『秀次切腹事件』『妻子惨殺事件』が連続して発生している。」

これまでは,この連続性は,

「秀吉の怒りが増幅した結果」

として処理されてきた。この流れは,本書で,史料に基づき,次のように整理されている。

七月三日 石田三成ら四名,秀次謀反について尋問(『大かうさまくんきのうち』)
  八日 秀次出奔(『御湯殿上日記』『言経卿記』)
  十日 秀次高野山到着(『島津家文書』『吉川家文書』)
 十二日 「秀次高野山住山」令が発給される(『佐竹家旧記』)
 十三日 「秀次切腹命令」が発給される(『甫庵太閤記』)
 十四日 三使(福島正則,福原正堯,池田秀雄),高野山到着(『甫庵太閤記』)
 十五日 聚楽第の秀次妻女居所の取り壊しが発令(『賀茂別雷神社』)
     木村常陸介,秀吉の命により切腹(『言経卿記』『兼見卿記』)
     同巳刻,秀次切腹
 二十日 諸大名血判起請文作成,秀次遺領配分に関する朱印状作成(『木下家文書』『佐竹記旧記』)
 二十五日 三成書状発給「今度関白殿御逆意顕形ニ付而,御腹被召」(『伊達家文書』)
 八月二日 秀次妻子ら三十余名,三条河原にて処刑(『御湯殿上日記』『言経卿記』『兼見卿記』『大かうさまくんきのうち』『甫庵太閤記』)

実は,『甫庵太閤記』の切腹命令には,一次史料はなく,信頼できる一次史料は,秀次切腹の3日前の秀吉の文禄四年七月十二日付朱印状,

「秀次高野山住山」令

のみである。それは,

高野山側に秀次の住山(高野山で生活する)について命じた法令

で,

秀次高野山住山之儀ニ付被仰出条々,

として,口語訳で,次のような指示がなされていた。

一、召し使うことのできる者は、侍十人〔この内に〔坊主・台所人(料理人)を含む〕、下人・小者・下男五人を加え、十五人とする。この他に小者を召し仕うことは一切禁止する。ただし、出家の身となり袈裟を着ている以上は、身分の上下にかかわらず、刀・脇差を携帯してはならない。加えて、奉公する者の親類を召し置いてはならない。)
一、高野山全山として、番人を昼夜問わず堅く申し付けるように。もし下山させるようなことがあれば、高野山全山に成敗を加える。
一、高野山の出入口ごとに番人を置き、秀次を見舞う者は固く停止させること。

史料で,明確なのは,秀次切腹の日時である。

七月十五日巳刻(『兼見卿記』)
十五日よつ時(『御湯殿上日記』)

つまり,十五日午前十時頃,である。それを基点に,一連の時系列を,検証した結果,筆者は,

「十三日付『切腹命令』は実在し,十四日夜に高野山に届けられたという『甫庵太閤記』の描写はフィクションであって史実ではないと結論づけられる。『五奉行』による『秀次切腹命令』は,文禄四年七月十三日の時点では存在しておらず,甫庵が江戸期に創作した『偽文書』として判断してよいだろう。」

と結論を下す。その上で,上記,「秀次高野山住山」令にあるのは,

「文禄四年七月十二日時点での秀吉の『真意』を朱印状として成文化したもの」

であり,

「それを持参した『三使』が高野山に到着した時点で秀次に命じられたのは『高野山住山』=『禁固刑』だったといってよい。逆にいえば,秀吉は秀次に『切腹』=『死刑』を命じたわけではなかったのである。」

筆者は,秀次が切腹した,

清巌寺,

は,秀吉が大政所の菩提弔うために建立した寺である。

「秀次がこの清巌寺の一室・柳の間で切腹したこと自体に不可解さを感じていた」

と書くが,当時の人にとって,高野山へ追放された人が,切腹させられること自体にも衝撃を受けたらしいのである。

「当時の人々の感覚として,高野山への『入山』とは『世俗社会からの死』と同義であった。それゆえ,高野山に入山した人物が切腹したことは,かつてない衝撃」

だった。『御湯殿上日記』には,

「くわんはくとのきのふ十五日のよつ時に御はらきらせられ候よし申,むしちゆ(無実)ゆへかくの事候のよし申なり」

とある。

秀吉の命令で,

秀次失脚→秀次切腹→妻子惨殺

が進んだとする視点で,この流れを視るのと,切腹自体が,秀次の意思という視点で,見るのとでは,一連の意味のつながりがまったく変わる。そもそも,

秀次失脚,

は,

関白殿御遁世,高野へ御発可有之好有之(『言経卿記』)
くわんはくとのかうやへ御のほりのよし(『御湯殿上日記』)
もとゆいきり御はしり候ふんにて(『大外記中原師生母記』)

等々,どうやら「追放」ではなく,共通するのは,

「彼自身の意志に基づく『出奔』とする認識」

であり,だからこそ,これで,

「まつしつまり候まま,めでたく候」(『大外記中原師生母記』)

というように,一件落着したという雰囲気だっのである。それを一変させたのが,

秀次自裁,

である。

「秀次の切腹は秀吉や三成らの意志に反する出来事であり,関白職を世襲する『豊臣摂関家』に大きなダメージを与えた。」

その衝撃の大きさが,その報が伝わって以降,二週間後,

「文禄二年八月二日,混乱を極めた『秀次事件』の幕を引くために政権側がなした行為は,いつまでも語り継がれる凄惨な悲劇となった。」

そして,それは豊臣政権のたそがれの始まりでもある。筆者は,最後に,

「結局のところ,この事件には『二つの冤罪』があった。
 一つは,『秀吉が秀次を切腹させた』という認識,そしてこの事件が秀吉個人による暴走行為であったという評価である。そしていま一つは,秀次には切腹に相当する罪があったという評価である。」

と締めくくる。しかし,どんなにダメージがあろうと,

秀次妻子三十余人の惨殺,

は,理解を超える。その政権防衛の意思決定プロセスは,まだ藪の中である。

参考文献;
矢部健太郎『関白秀次の切腹』(KADOKAWA)
藤田恒春『豊臣秀次』(吉川弘文館)
http://koueorihotaru.hatenadiary.com/entry/2017/01/22/151052

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2017年09月15日

ねこばば


「ねこばば」は,

猫糞,

と当てる。『広辞苑』には,

「猫が脱糞後,脚で土砂をかけて糞を隠すからという」

とある。

知らん顔をすること,
落し物などを拾ってそのまま自分の物語にしてしまうこと,

といった意味である。他の辞書(『デジタル大辞泉』『大辞林』『大言海』)も,

猫が、糞 (ふん) をしたあとを、砂をかけて隠すところから,

という語源説を説く。『岩波古語辞典』には載らないので,どうやら,

江戸時代以降,

それも,

明治に近い幕末期からのものとみられる。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/24ne/nekobaba.htm

も,
 
「ねこばばとは動物の『猫』と大便(糞)の幼児語『ばば』から成る言葉で、人様のものを隠し、自分のものとすることを意味する。例えば、道で拾った財布をそのまま懐に隠し、自分のものにして使ってしまうなどがこれにあたる。また、悪行を隠し、そ知らぬ顔をすることもねこばばという。これは猫が糞をした際、後ろ足で砂をかけて隠してしまうことからきている。」

としている。確かに,

「ばば(糞)しい」の転じたもの,

とされる,汚いという意味の,

ばばっちい,

という幼児語があり,さらに転じて,

ばっちい,

とも言う。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/26ha/bacchii.htm

には,江戸時代以降の擁護として,

「ばっちいとは汚いという意味の幼稚語『ばばっちい(地域によっては『ばばしい』とも言う)」の略で、同様に汚いというの幼稚語だが、成人で使用する人も多い。ちなみに『ばばっちい(ばばしい)』の『ばば』とは糞や汚いものを意味する幼稚語である。』

とあるので,「猫糞」説もなくはないが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ne/nekobaba.html

は,

「ねこばばは,猫が糞をした後に砂をかけて隠すことから喩えたもの。『糞(ばば)』は、大便など汚いものをさす幼児語である。江戸時代後期頃から用いられた語と思われ,それ以前に用例は見られない。一説には,猫好きの老婆が借金をなかなか返さなかったことから,猫好きの老婆が語源で『猫婆』を本来の形とする説もある。」

と「猫婆」説を取り上げている。他にも,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1216030902

は,

「<1>糞説
「ばば」とは糞のこと。猫は糞をしたあと、かならず足で砂をかけて隠す習性があります。このことから、知らん顔をして他人のものを
自分の懐に入れて隠すことをいうようになりました。
 <2>老婆説
人から借りたものをなかなか返そうとしなかったという、江戸時代に実在した『猫好き婆さん』に由来します。」

を挙げているし,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012719255

も,

「ねこばばは、猫が糞をした後に砂をかけて隠すことから喩えたもの。「糞(ばば)」は大便など汚いものをさす幼児語である。一説には、猫好きの老婆が借金をなかなか返さなかったことから、猫好きの老婆が語源で「猫婆」を本来の形ともする説もあるみたいです。」

と「猫婆」説を挙げる。『日本語源大辞典』も,

ネコバハ(猫糞)の義(すらんぐ=暉峻康隆・猫も杓子も=楳垣実・おしゃれ語源抄=坂部甲次郎),
猫婆の義。徳川中期,本所に住んでいた猫好きの老婆がよくばりであったところから(話の大辞典=日置昌一),

と,二説挙げる。

ただ,『日本語源広辞典』は,二説をこう説明する。

「説1は,『広辞苑』説です。『ネコが,ババ(糞)しても,足で土をかけて素知らぬ顔をしている』意とあります。説2は,警視庁刑事部編警察隠語集にある説です。江戸中期,日本橋に住むネコ好きのおばあさんが,よく他人のものをくすねるので,近所の人が「ネコババ」と言い出したとあります。クスネル意からは,説2が自然です。」

と,「猫婆」説に軍配を上げる。しかし,『江戸語大辞典』をみると,

ねこばば,

は,

猫屎,

とあて,

本来,

ねこがばばをふむ,

を略したもの,とある。

ねこがばばをふむ,

は,

猫が屎(ばば)を踏む,

とあて,

「猫がその屎を隠すことから,よからぬ事をしておきながら,知らぬ顔で隠しているたとえ,

とあり,

にやあが屎(ばば),
にゃあばば,
猫ばば,

とも言う,とある。用例に,弘化四年(1847)の『魂胆夢輔譚』の,

「知らぬ顔の半兵衛で,猫の糞(ばば)を踏んで居るも,其気は付きても錢なきゆえなり」

を挙げる。「ねこばば(猫屎)」の用例も,安永四年(1775)と,中期まで遡り,『寸南破良意』の,

「大方五つ明の客を取て居ゃァがって猫ばばの面で来て」

を挙げる。幼児語かどうかは,措くとして,

猫糞,

から来ていることだけは,はっきりしている。「猫婆」は,後付けの牽強付会説に思える。因みに,「屎」と「糞」の使い分けは,「屎(シ)」の字は,

「尸(シ)は,棒状にかたく伸びた死体のこと。屎は『米+音符尸』。大便は棒状でかたいのでシといい,食べた米のかすなので米をそえた。米印を矢の字で代用することもある。」

と明らかに人の糞であるが,屎尿の「屎」である。「糞」の字は,

「畑にばらまくさま+両手」

の会意文字で,

動物のフン,

の意もあるが,

肥料をまいて土地を肥やす,

という意味である。だから,正確には,

猫糞,

ではなく,

猫屎,

でなくてはならないのだろう。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)


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2017年09月16日

おくればせ


「おくればせ」は,

後れ馳せ,
遅れ馳せ,

と当てる。

おくればせながら御礼申し上げます,

等々という使い方をする。

「遅れてその場に駆けつける」

というのが直接の意味だが,それをメタファにして,

時機に遅れたこと,

という意味に使われる。『実用日本語表現辞典』

http://www.weblio.jp/content/%E9%81%85%E3%82%8C%E3%81%B0%E3%81%9B%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89

は,表記の仕方を,

遅れ馳せながら,
遅れ馳せ乍ら,
後ればせながら,
後れ馳せながら,
後れ馳せ乍ら,

と並べ,

「最適な時期や機会が過ぎてから行う事柄について、『遅くなったが』あるいは『今更ではあるが』といった意味で前置きする言い回し。祝辞や弔辞のように、それにふさわしい機会があり、その機会を逃しても行っておくべきと判断されるような事柄について用いられやすい。『後れ馳せ』は、人に後れて馳せ参じること、後れてやって来ること、好機を逃すこと、などの意味の語。『ながら』は『ではあるが』と同様、相反する内容を含む前後の文を接続する表現。」

と説明する。

「おくれ」自体が,

後れ,
遅れ,

と当てる。『岩波古語辞典』は,

「オクリ(送・贈)と同根。自然の結果として,後からついていくようになるのが原義。転じて,後に残される意。また,つとめても力及ばず間に合わない意」

とある。

他のものより後になる→先をこされる→遅れる→残される→及ばない

といった意味の広がりになる。

贈る・送ると同根,

というのは,『大言海』を見ると分かる。「おくる」には,

送る 彼方へやる
贈る 送り与ふる
後る 後に残さる

と意味のつながりが見える。『日本語源広辞典』も,

「人を送った後に残るところから,送るのオクと,後る,遅ると,語根は同じと考えます。『後』と『遅』の使い分け意味は,…行程,時間が後になる。時間が間に合わない,進行から取り残される,死者を送って残る,時計が遅れる。」

とする。『大言海』は,「後る」を,

「措クの受身の措カルの,つづまりて,一つの自動詞となれるもの。撃たるの,壓(う)っとなる例なり」

と説くが,『日本語源広辞典』は,

「おくる(後になる,遅くなる)の下一段口語化」

とする。『日本語源大辞典』は,

何かを放ちやるの義のおくる(送・贈)と同根か(時代別国語大辞典)
事を措くの義のオク(置)より時の観念に移った(国語の語幹とその分類=大島正健),
オソクル(遅来)の義(名言通),
オソククルカラ(和句解),
奥の活用語(東雅),

と載せるが,やはり,

送る・贈る・後る・遅る,

を一連と考える方が妥当だろう。

「はせ(馳せ)」は,「はしる」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/450844131.html

で取り上げたが,『岩波古語辞典』には,

ハセ(馳)とハシリ(走)は同根,

とある。「走る」と同じ意なのだが,

馳せ参ず,

という言い方のように,

「馬などを駆けさせる,転じて,心の働きなどをある方向に向けて進める」(『日本語源大辞典』)

のように,気の急く感じが強い気がする。だから,

遅ればせながら,

の類語,

遅まきながら,

と比較すると,遅れたけれども,急いで間に合わせようとした,という気持ちの前のめりがある気がする。『実用日本語表現辞典』

http://www.weblio.jp/content/%E9%81%85%E3%81%BE%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89

は,「遅まきながら」を,

「今さらではあるが。『遅まき』とは、遅い時期に播種を行うこと。」

と,時機を逸した感がまさるようである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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2017年09月17日

一張羅


「一張羅(いっちょうら)」は,

一丁羅,
一帳羅,

とも当てるが,

持っている着物の中で,一番上等のもの,唯一枚の晴れ着,
一枚しか持っていない着物,一枚看板,

という意味である(『広辞苑』)。『広辞苑』には,

「一本の蝋燭の意の『一挺蝋』の転とも,ただ一枚の羅(うすぎぬ)の意ともいう」

と二説を並列に挙げる。『大言海』は,

「俚言集覧『一挺蝋といふ事にて,たしなきといふ意也。それを訛てかくいへり』とあり,嬉遊笑覧『今,部屋方のものの,一チャウラと云ふことは,衣服ももたぬものの,只一つあるやうのことに云ふことは,訛りたるなり』とあるを思へば,はじめはタシナキの意なりしを,後に,一つある衣服といふに転じて,かけがへなきものとして,美服,又は晴着となりしなるべし」

は,「一挺蝋」の転説を取る。『岩波古語辞典』には,

一挺蝋,

しか載らず,

たった一本で,ともし替えのない蝋燭,

の意とし,

一挺蝋燭とも言う,

と載る。他も,ほぼ,「一挺蝋」の転訛説を取る。たとえば,『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E4%B8%80%E5%BC%B5%E7%BE%85

は,

「由来は、『一挺蝋燭(いっちょうろうそく)』から来たとする説が有力。『挺』は蝋燭や銃、刀剣など、細長い物を数える時に使う単位。かつて蝋燭は貴重品で、『一挺蝋燭』とは客のために用意した、たった1本の蝋燭という意味。その『いっちょうろうそく』が『いっちょうろう』と略され、さらに『いっちょうら』と音変化して、たった一枚の晴れ着を意味するようになった。意味の変化に応じて『一張羅』と当てて書くようになり、『張』は衣服や幕、弓などを数える単位で、『羅』は薄い絹布、薄絹のこと。」

としているし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/i/ittyoura.html

も,

「一挺蝋(いっちゃうらう、現代仮名で『いっちょうろう』)」が訛った語。 一挺蝋とは、予備のない一本だけのロウソクをいった言葉で、ロウソクが高価なものであったことから生まれ た言葉である。 現代でも『一張羅』を『一丁蝋燭(いっちょうろうそく)』という地方がある。江戸末期には『たった一枚の羅(うすぎぬ)』という意味でもちいられるようになった。」

とする。しかし,

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%84/%E4%B8%80%E5%BC%B5%E7%BE%85-%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%86%E3%82%89%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

も言うように,

「語源は、一本しかなくて替えのきかない貴重なロウソクをいう『一挺蝋燭(いっちょうろうそく)』が訛った『一挺蝋(いっちょうら)』からとも、漢字の意味そのままの一枚の羅(うすぎぬ)からともいわれる。後者のほうが自然な語源のように感じられるが、『一挺蝋』という言葉もちゃんと古語辞典に載っているので、語源として採用してあげたい気もわからないではない。」

とあるように,「蝋燭」と「羅」では違いすぎる。たしかに,「蝋」の字は,「ロウ」と訓むが,呉音漢音で,「lá」とも訓むことは訓むにしても,そんなに大事な物の意の「一挺蝋燭」は,語を変えず,「一挺蝋」のまま,大切な物の意として使っていいはずではないか。現に,その言葉が,「一張羅」の意味で使われているのだし。

『江戸語大辞典』には,「一挺蝋」は載らず,「一張羅」のみが載る。

「たった一枚きりの大切な着物。晴着であるとは限らない」

とある。「羅」の字は,

「网(あみ)+維(ひも,つなぐ)」

で,網の意である。しかしわが国では,

「透けるように薄い絹織物」

を指す。『日本語源広辞典』は,「一張羅」は,

「一帳(一枚の)+羅(うすもの,上等の着物)」

とし,別に,「一挺蝋」の項で,こう書く。

「語源は,『イッチョウロウ(一挺蝋・灯し替えのできない蝋燭)』です。最高級の貴重な工藝美術的蝋燭をいいます。これが服装の一張羅の語源だとするのは疑問です。ただし,イッチョウロウが,工芸品のような高級大蝋燭なので,一挺の値が高給の和服の価格に匹敵するほどの高値であったといわれているのが,語源に混乱を生じた真相です。」

しかし,「一挺蝋燭」が,

差し替えのない一本しかない蝋燭,

という意味であって,それが高価品であるとは,『日本語源広辞典』のみが言っている。

ただ,「一張羅」には,

一枚看板,

の意味もある。「一枚看板」とは,『江戸語大辞典』には,

元来は上方語であった,江戸語では,大名題(おうなだい)という。転じて,この看板の上部に絵組に描かれる大立者の役者。さらに一般用語になって,その家またはその社会の中心人物。最も傑出している人物,

とある。つまり,連記されず,一枚の看板に名を書かれる,という意味だ。これは,

一挺蝋,

の,代替のない意味と重なる。単位としての,

一丁,
一帳
一挺

の差は,『大言海』『デジタル大辞泉』等々によると,「一丁」は,

豆腐,鼓,剃刀,籠,鋤などの一箇の称,

「一帳」は,

弓,琴,幕,袈裟,毛皮等々を数える称,

「一挺」は,

墨,蝋燭,鉄炮,鑓,三味線,輿 ,駕籠 ,人力車,酒・醤油などの樽などを数える称,

となる。ただ,

挺,梃,丁,

は交換されることがあるようだ。

漢字を調べてみると,「張」の字は,

「長は,長く頭髪をなびかせた老人の姿。張は『弓+音符長』で,弓に弦を長く伸ばしてはること。ピンと長く平らに伸びる意を含む」

で,紙や平らにはり伸ばす物や,琴など弦を張ったものを数える単位。

「帳」の字は,

「長は,頭の上に長い髪の毛がなびく老人の姿を描いた象形文字。帳は『巾(ぬの)+音符長』で,長いたれた布のこと。のち長い布や幕を数える単位となった」

で,幕やとばりなどを数える単位。「丁」の字は,

「甲骨・金文は特定の点,またはその一点にうちこむ釘の頭を描いたもの。篆文はT字型に書き,平面の一点に直角にくぎをあてたさま。丁は釘(テイ くぎ)の原字」

で,単位で使うのは,我が国だけのようである。「挺」の字は,

「廷の右側の部分は,直立した人のすねが伸びたことを示す指示文字。壬(ジン)とは別字。廷(テイ)は,まっすぐに進む,まっすぐにならした庭などの意。挺は『手+音符廷』で,まっすぐに前進して列の前に抜け出ること」

で,飛び抜けているという意味。他のように単位を指しているわけではない。「廷」の字のもつ,

他に抜きん出ている,

という含意が,

一挺蝋燭,

にあり,それが,「帳」や「張」や「丁」に代わっても,余韻のように響いているとすると,羅と蝋燭が,入れ替わることは少し信じがたいが,「一張羅」「一挺蝋」の両者に,陰翳としてまとわりついているとするなら,

一挺蝋燭→一挺蝋→一張羅,

も,信じていいような気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
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2017年09月18日

一点張り


「一点張り(いってんばり)」というのは,

賭博で,同じところにばかり賭けること,
他を顧みず,思い込んだことを頑固に押し通すこと,

という意味になる。
知らぬ存ぜぬの一点張り,
分からないの一点張り,

という使い方をする。通常,前者の賭博という特定分野での用例が,一般化したと見るのが常識かもしれない。『広辞苑』『デジタル大辞泉』『大辞林』も同様に説明する。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/i/ittenbari.html

も,

「近世後期の博打用語。 さいころ博打や花札などで、同じところばかり賭け続けることを『一点張り』と言った。 そこから、他の事をかえりみず、ひとつの事だけを押し通すことを 言うようになった。『仕事一点張り』と言えば『仕事ばかりしてつまらない人』といった意味。『仕事一筋』と言う場合は『ひたむきに仕事をする人』といった意味で使われるように、普通、『一点張り』にはマイナスの要素が含まれ、『一筋』にはプラスの要素が含まれている。」

とするし,『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E4%B8%80%E7%82%B9%E5%BC%B5%E3%82%8A

も,

「もとは、花札やサイコロなどの賭け事で、同じところばかりに賭けることを『一点張り』と言った。そこから、他の事をかえりみず、ひとつの事だけを押し通すことを言うようになった。一点張りはあまり賢い賭け方とはいえず、この言葉は良い意味ではあまり用いられない。」

とする。『江戸語大辞典』も,

「一事物にのみ心を注ぐこと。また,強情なこと。また,賭博用語で,同じ所にばかり賭けること。」

とし,『日本語源広辞典』も,

「『一点(一つの所)+張り(賭け札を張る)』です。丁か半かどちらか,一方ばかりに賭ける意です。」

とする。この語は,『岩波古語辞典』『大言海』には載らない。

しかし,丁半賭博なら,

一つのことにこだわって,反か丁を頑固に押し通す,

のが,まったく理にかなっていないわけではない気がする。一般には,たとえば,コイン投げで,

「100 回コイントスして表が最大 5 回連続して出る確率は 26% ・ 100 回コイントスすると、表が最大 6 回ぐらい連続して出る(逆に 6 回連続して表を出すには 100 回コイントスすればよい ) ・ 100 回コイントスすると、表または裏が最大 7 回ぐらい連続して出る」

と言われる。もちろん,プロは,自在に賽の目を操れるらしいけれども。

ある意味,「一点張り」の類語を見ると,

一本槍(一途,ひたすら,一向,一辺倒,真一文字,一筋),

といった,そのことだけしか眼中にないという,状態表現があり,

終始一貫(頑固,粘り強い,性懲りもない,不退転,首っ引き,ワンパターン,心を奪われる),

といった,そのマインドのある面では強さと,頑なさを示す,価値表現となり,さらに,

相手の言うことを素直に聞かないさま(意見を聞かない,聞き分けのない,分からず屋,片意地な,意固地な),

と,相手から見たときの手に余る拒絶感といった,価値表現へとなり,さらには,

頑として撥ねつける硬直さ(非妥協的な,不退転,不服従,容赦のない,強腰)

といった,壁のように立ちはだかるといった,価値表現をも含む。

これは,「一点」というピンポイントを,絶対に譲らないということの,良い悪いは別とした,姿勢への周囲の評価といっていい。

「張る」は,『岩波古語辞典』には,

「糸・綱・布・網などで作られたものを,ぴんとたるみなく引きわたし拡げるのが原義」

とある。『日本語源広辞典』は,

「本来の二音節語『ハル(張)』です。伸ばし,広げる,ふくれる意です。糸をハル,テントをハル,根がハル,腹がハル,氷がハル,勢力をハル,のハルです。また,障子をハル,のハル(貼)などのハルも同源です。広げのばし,糊などで貼り付けることをいいます。漢語の貼付の意です。」

とある。漢字の「張」は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/453524007.html?1505592049

で触れたように,

「長は,長く頭髪をなびかせた老人の姿。張は『弓+音符長』で,弓に弦を長く伸ばしてはること。ピンと長く平らに伸びる意を含む」

で,

ぴんと伸ばす,

という含意は同じである。『大言海』は,「はる(張)」を,三項に分けて載せる。

広く開く(開帳,凍結等々),
広く開き延ぶる(広げる,引き延べ渡す等々),
張りて付ける(貼る等々),

と区別している。しかし,どうやら,「一点張り」の,多義性は,

張る,

という言葉のもつ,

ぴんと張る,
たるみなく伸ばす,
ふくらます,
一面に満ちふさがる,
緊張させる,
突き出る,

等々の含意をまとわせていることがよく分かる。

参考文献;
https://matome.naver.jp/odai/2134715343486868701

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今日のアイデア;
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2017年09月19日

ダブル・リスニング


第86回ブリーフ・セラピー研究会 定例研究会「カウンセリングのコツ」(平木典子先生)に参加してきた。

事前アンケートがあり,カウンセリングをするためのコツとして,以下の6点のどれを重視するか,との問いがあり,以下のような結果となった。

1.主訴や語りの中に潜む希望に向けた支援(人々の二重の語りを聴きとり、語られなかった自己を発見する):48票
2.人は違っているから助けることができる(適切な違いがなければ変化は生まれない):12票
3.とらわれの中に自己開放の芽(とらわれは転機の信号):37票
4.ひとは生物的、心理的、社会的存在だけでなく、スピリチュアルで倫理的な存在であることを支援する(アイデンティティや人生観があるひとの支援):19票
5.カウンセリングはクライエントが個性を保ちつつ社会のメンバーになることを目指す15票
6.カウンセリングとはクライエントの構成した人生を聞き、脱構成し、共に新たな語りを共構成していくこと31票

この結果,上位に上がった,

主訴や語りの中に潜む希望に向けた支援(人々の二重の語りを聴きとり、語られなかった自己を発見する)
とらわれの中に自己開放の芽(とらわれは転機の信号)
カウンセリングとはクライエントの構成した人生を聞き、脱構成し、共に新たな語りを共構成していくこと

三点は,今日のナラティヴ・アプローチの主要な観点と一致する,とのことであった。つまり,今日的なカウンセリングのテーマなのである。

共通するのは,

ダブル・リスニング,

と表現された,カウンセラーの(聴く)姿勢であるように思う。たとえば,

語られていることとは裏腹に,クライアントの思いや感情を見極めていく,

というのは,基本姿勢だが,それは,

リフレーミング,

が,クライアントの思いや事柄を,プラスに意味を置き換えていく,のと同じく,ただ,クライアントの,

語っているそのこと,
語っている事態そのもの,

というピンポイントでしかない。ここでのダブル,つまり二重に聴き取っていくのは,

同時進行している二つの物語,

を聴くことである。それは,

生きた物語,

生きられなかった物語,

である。「生きられなかった物語」とは,

やりたいと思ってやれなかったこと,
どこかに置き残してきた自分,

ということでもある。

「(カウンセラーとクライアントの)二人が話していて,それが見つけられなかったら,クライアントが話したことは意味がない。」

のでもある。だから,逆にいえば,カウンセリングとは,

「自分の物語を語ることで,その人らしく生きるのを助けること」
あるいは,
「隠れているクライアントの生きる意味を伴った物語とテーマの再発見」

でもある。これは,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/452653318.html

で触れたように,

ドミナント・ストーリー,
の代わりに,
オルタナティブ・ストーリー,

を見つけ出すことと言ってもいい。

「人々が治療を求めてやってくるほどの問題を経験するのは,彼らが自分たちの経験を『ストーリング』している物語と/または他者によって『ストーリーされて』いる彼らの物語が,充分に彼らの生きられた経験を表していないときであり,そのような状況では,これらのドミナント(優勢な)・ストーリーと矛盾する彼らの生きられた経験の重要な側面が存在するであろう,というものである。」

「人々が治療を求めるような問題を抱えるのは,(a)彼らが自分の経験をストーリングしている物語/また他人によってストーリーされた彼らの経験についての物語が充分に彼らの生きられた経験を表しておらず,(b)そのような状況では,その優勢な物語と矛盾する,人々の生きられた経験の重要で生き生きとした側面が生まれてくるだろう」

ということで,そのために,ソリューション・フォーカスト・アプローチなら,

例外探し,

ナラティヴ・アプローチなら,

「ドミナント・ストーリーの外側に汲み残された生きられた経験のこれらの側面のことを『unique outcome』と呼ぶ」

ユニークな結果,

を探し出し, 生きることのできなかった物語を復元していかなくてはならない。あるいは,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/452599306.html

で触れたように,「未だ語られていないこと」とは,通常,

リソース,

という言い方をする。これについて,マイケル・ホワイトは,

「ぼくらは個人が自己というものをもっているとか,リソースをうちにひめているとは考えない。自分もリソースもむしろ今ここで創り出していくもので,この場で発見し育て上げていくものだから」

という。それはこういうことだ。

「意味は一つだけ,なんてことはないということだ。すべての表現が,まだ表現されていない部分をもち,新たな解釈の可能性をもち,明確にされ言葉にされることを待っている。…すべてのコミュニケーション行為が無限の解釈と意味の余地を残しているということなのだ。だから対話においては,テーマもその内容も,意味をたえず変えながら進化していく。(中略)私たちがお互いを深く理解するというのは,相手を個人(という抽象物)として理解するのではない―表現されたものの総体として理解するのである。この過程に対話が変化を促していくからくりがある。
 そこで私たちは,この『語られずにある』部分を言葉に直し,その言葉を拡げていくことがセラピーだと考える。そこでは,対話を通して新しいテーマが現れ,新しい物語が展開されるが,そうした新しい語りはその人の“歴史”をいくぶんでも書き換えることになる。セラピーはクライエントの物語の中の『未だ語られていない』無限大の資源に期待をかけるのだ。そこで語られた新しい物語を組み入れることで,参与者たちはこれまでと異なる現実感を手にし,新しく人間関係を築いていく。これらは『表現されずにあった領域』に埋蔵された資源,リソースからでてきたものではあるが,その進展を促すためには,どうしてもコミュニケーションすること,対話すること,言葉にすることが必要となる。」

その鍵となるのは,「分かったつもりにならない」

無知の姿勢,

による,細部にわたるカウンセラーの質問する力ということになる。

参考文献;
マイケル・ホワイト&デビット・エプストン『物語としての家族』(金剛出版)
ハーレーン・アンダーソン,ハロルド・グーリシャン『協働するナラティヴ』(遠見書房)

ホームページ;
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2017年09月20日

ひたむき


「ひたむき」は,

直向き,

と当てる。

物事に熱中するさま,一途なさま,

という意味である。しかし,この語,『岩波古語辞典』にも『大言海』にも載らない。語源は,『日本語源広辞典』によると,

「ヒタ(いちず)+ムキ(向き)」

とある。類語で言うと,

ひたすら,

という言葉がある。この「ひた」と関わるのではないか。「ひたすら」は,

頓,
一向,
只管,

と当てる。『広辞苑』には,

「一説には,ヒチはヒト(一)と同源」

とある。とすると,「ひたむき」に,

直向き,

と当てるのは,当て字ということになる。「ひたすら」の意味は,

ただそればかり,いちず,切に,
程度が完全なさま,すっかり,まったく,

となるが,後者は,意味の外延を拡げた結果と思われる。

只管,

は,

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8F%AA%E7%AE%A1

によると,宋代の中国語で,

只管 (ピンイン:zhǐguǎn),

で,

かまわず~する,遠慮せず~する。
ひたすら~する,~ばかりする。

という意味らしい。明治以後戦前まで,使われたという。道元が,修行の後,

只管打坐(只管打座 シカンタザ),

という言い回しを『正法眼蔵随聞記』で用いたために広まったのではないか。「只管」は,

いちずに一つのことに専念すること,

で,「打坐(座)」(たざ)は,

座禅すること,

である。

道元.jpg


で,「ひたすら」に,「只管」を当てたということになる。では,「ひたすら」の語源は,というと,『岩波古語辞典』の「ひたすら」の項には,

「ヒタはヒト(一)の母音交替形。古くは,去る,なくなる,離れるなど,すっかり失せる意を表す動詞を形容する。後に一般化して用い,一途にの意。類語ヒタブルは,あたりかまわず積極的にの意から転じて,もっぱら,一途にの意となり,ヒタスラと接近した。」

こうある。しかし,『大言海』は,

「直向(ヒタスク)の意かと云ふ」

とし,『日本語源広辞典』も,

「ヒタ(直)+スラ(つらぬく・筋)」

とする。なお,「只管」と当てたについて,『日本語源広辞典』は,

「平安時代の留学生が日本語のヒタスラに当てた語」

という。宋時代の言葉ゆえだろう。『日本語源大辞典』は,

ヒタスラ(直向)の義(大言海),
ヒタスラ(直尚)の義(言元梯・日本古語大辞典),
ヒタはヒト(一)に同じ。スラはツル(弦)と同源一すじの意(日本語の年輪=大野晋),
ヒタは直,スはサ変動詞終止形,ラは動詞終止形について情態語を作る接尾辞(古代日本文法の研究=山口佳紀),
ヒタは直または混の義か(名語記),
ヒタスラ(常尚)の義(和訓栞),
コタチサラ(日立更)の義(名言通),

と並べる,「ヒタ」を,

ヒト(一),

ヒタ(直),
か,

というところだが,『日本語源大辞典』は,「ひた」の項で,

「一(ヒタ)の交替形であろうとする説が有力である。」

と述べている。

この「ヒタ(一)」の音韻変化を整理しているのが,『日本語の語源』である。

「一列に並びつづくことをヒトツラネ(一連ね・一列ね)といった。語尾を落としたヒトツラ(一連・一列)は,トの母韻交替(oa),ツの子音交替(ts)でヒタスラ(只管・一向)に転音した。
 『もっぱら。ただもう。いちずに。ひとすじに。ひたむきに。専心』など,一つに集中するさまをいう。〈ヒチスラ,世を貪る心のみ深く〉(徒然草)。また,『全然。全く。残りなく。すっかり』など,程度が完全なさまをいう。〈あるはヒタスラに亡くなり給ひ,あるはかひなくて,はかなき世にさすらへ給ふ〉(源・朝顔)
 省略形のヒタ(直)は,接頭語になって多くの複合語を造った。『ひたむき。ひたすら。むやみ。いちず。まっすぐ』の意を添えて,次のような詞が成立した。
 ヒタぶる(一向)。ヒタ走り。ヒタ押し。ヒタ登り。ヒタ打ち。ヒタ切り。ヒチ落し。ヒタ向き。ヒタ隠し。ヒタ逃げ。ヒタ攻め。ヒタ退き。ヒタ降り。ヒタ騒ぎ。ヒタ濡れ。ヒタ照り。ヒタ心。ヒタ路。ヒタ裸。ヒタ土(地面に直接ついていること)。(中略)
 『ヒタスラ謝り』は,語中のタスを落として『ヒラ謝り』になった。」

と。

ヒト(一)→ヒタ(直),

へと転じたことで,当て字が変わったということか。

なお,『デジタル大辞泉』は,「ひたすら」「いちず」「ひたむき」について,

「『ひたすら』は、もっぱらそのことだけを行う意で用いることが多い。『ひたすらおわびいたします』『ひたすらお願いするしかなかった』。『いちず』は気持ちのあり方に重点があり、他を顧りみず、一つの事柄だけに打ち込む意で用いることが多い。『いちずに思い込む』『勉学いちずの毎日』。「ひたむき」。脇目もふらず一つの事に熱中する意で、『いちず』に近い。『ひたむきな態度』『ひたむきに生きる』。」

しかし,「ひと(一)」と「ひた(直)」は同じと考えると,用例から区別した差異にすぎないと見える。

参考文献;
田部井文雄編『四字熟語辞典』(大修館書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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