2017年11月01日

虎の尾


「虎の尾」とは,もちろん,オカトラノオのことではない。

DSC08323.JPG

(オカトラノオ〔丘虎の尾〕)


通常,

虎の尾を踏む,

という言い方で使われる。

極めて危険なことをするたとえ,

として使われる。因みに,「虎」の字は,

虎の全形を描いた象形文字,

とされている。さて,「虎の尾を踏む」は,『易経』「履卦」が出典とされる。その冒頭に,

「虎の尾を履(ふ)むも人を咥(くら)わず。亨(とお)る。
 彖(たん)に曰く,履(り)は,柔にして剛を履むなり。説(よろこ)びて乾に応ず。ここをもって虎の尾を履むも人を咥わず,亨るなり。剛中正にして,帝位を履みて疚しからず。光明あるなり。
 象に曰く,上,天にして下,沢なるは履なり。君子もって上下を弁(わか)ち,民の志を定む。」

とある。訳には,

「履は人の常に履むべき道,礼にあたる。剛強の人に対しても礼にかなった柔順和悦の態度で接すれば,危険はない。あたかも虎の尾を履みつけても虎からかみつかれる心配はないのと同じで,願いごとは亨であろう。
〔彖伝〕履は柔(兌)が剛(乾)を履む象であり,説(よろこ)んで(兌)乾に応ずるという意味になる。だから虎の尾を履むも虎は人を咥わず,亨るのである。剛(九五)が中正の位に在るのは,帝位を履んで内心にやましいところがなく,光り輝いて明るい徳をそなえたかたちである。
〔象伝〕上に天(乾)があり下に沢(兌)があり,上下卑高の秩序がはっきりしているのが履である。君子はこれにのっとって上下貴賤の階級を分かち民心を安定させることにつとめる。」

とある。よりはっきりするのは,「虎の尾を履んでもくらわれることはない」という卦ということだ。真意は,そこにはなく,

人の常に履むべき道,礼にあたる。剛強の人に対しても礼にかなった柔順和悦の態度で接すれば,危険はない,

というところにある。しかし,どうやら,

虎の尾を踏む,

だけが独り歩きを始め,危険なことの象徴として,

龍の鬚を撫で虎の尾を履む,

と,セットで言い回されるようになる。『平家物語』には,

「只今もめしや籠められずらんと思ふに,龍の鬚をなで,虎の尾をふむ心地せらにれけれども」

という用例が載る。どうも,このセットは,和製ではないか,という気がする。

龍の頷(顎 あぎと)の珠を取る,

という諺がある。

龍のあごのしたの宝玉を取る,

という意味である。

虎穴に入らずんば虎子を得ず,

と似た意味で,

ある目的のために気丈に危険を冒すたとえ,

である。『荘子』(列禦寇)の,

「夫れ千金の珠は必ず九重の淵と,驪竜(りりょう 黒い龍)の頷の下に在り」

が出典である,とされる。

驪竜頷下(リリョウガンカ)の珠,

とも言う。しかし,

「龍の鬚を撫でる」

の出典は分からなかった。「龍」の字は,

「もと,頭に冠をかぶり,胴をくねらせた大蛇の形を描いたもの。それにいろいろな模様をそえて龍のじになった。」

とある。

「龍の鬚」「虎の尾」と似た,危険なことの象徴に,

逆鱗,

があり,

逆鱗に嬰(ふ)れる,

という言葉がある。これについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/447506661.html

で触れた。

参考文献;
高田真治・後藤基巳訳『易経』(岩波文庫)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
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2017年11月02日

ひげ


「ひげ」は,

髭,
鬚,
髯,

と当て別ける。「髭」の字は,「口ひげ」を指し,

きざぎさしたくちひげ,
鼻の下のふぞろいひげ,

の意味になる。

「髟(かみの毛)+音符此(シ ぎざぎしたふぞろいな)」

で,「鬚」の字は,

やわらかいあごひげ,

の意で,

「須は『頁(あたま)+彡(たくさんのけ,模様)』からなる会意文字で,柔らかいひげを表す。鬚は『髟(かみのけ)+音符須』」

とある。「須」自体が,

ひげ,
柔らかいひげ,とくにあごひげ,

を意味し,「須」の字を見ると,

「もと,あごひげの垂れた老人を描いた象形文字。のち,『彡(ひげ)+頁(あたま)』で,しっとりとしたひげのこと。柔らかくしめって,きびきびと動かぬ意から,しぶる,じっとたってまつの意となり,他者を頼りにして期待する,必要としてまちうけるなどの意となった。需も同じ経過をたどって必需意となり,須と通用する。」

とある。「髯」は,

ほおひげ,

の意で,

「冉(ゼン)は,柔らかいひげが垂れた姿を描いた象形文字。髯は,『髟(かみの毛)+音符冉』。冉の元の意味を表す。」

とある。

髭(くちひげ)・鬚(あごひげ)・髯(ほおひげ)の区別は,漢字由来のもので,もともとは「ひげ」と一括りにしてきたことになる。

『岩波古語辞典』は,

「ヒは朝鮮語ip(口)と関係あるか。ケは毛で,口毛の意か」

としているが,『大言海』は,

「秀毛(ひげ)の意,或は鰭毛(ひれげ)の意と云ふ」

とある。『日本語源広辞典』も,

「ヒ(秀)+毛」

で,

「『よく伸びる毛』が語源のようです。本来少ない頬や顎に,目だって伸びる毛を表したものです。」

とする。『日本語源大辞典』によると,意味は,大別,

口の周りや頬にはえる毛,

動物の口のあたりにはえる長い毛や毛状突起の総称,

とあり,「ひげ」は,「猫のひげ」というように,動物にも,昆虫の触角にも使う。で,語源も,

ヒレゲ(鰭毛)の義(菊池俗語考・和訓栞・大言海),

ヒゲ(秀毛)の義(日本釈名・柴門和語類集・大言海),

と,場所に関わる説,

ホホゲ(頬毛)の義(言元梯),
ホホクチゲ(頬口毛)の義(日本語原学=林甕臣),
ヘリゲの義。ヘリの反はヒ(名語記),
ヘゲ(辺毛)の義(名言通),
口の周りにあるところから,ヒラク-ケ(毛)の義か(和句解),

等々,ひげのはえる場所に関わる。そのために,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/hi/hige.html

は,

「ひげの 語源には、『ホホゲ(頬毛)』が転じて『ヒゲ』になったとする説。 魚のヒレのように生えることから『ヒレゲ(鰭毛)』が転じて『ヒゲ』になったとする説。へりにある毛なので『ヘゲ(辺毛)』『ヘリゲ(辺毛)』の意味とする説。口の周りにあることから,『ヒラマケ(開毛)』の意味とする説。『ひ』は朝鮮語で口を表す『ヒ(ip)』に由来して『ヒ(口)』の毛で『ヒゲ』になったとするなど諸説あるが未詳。『頬毛』や『鰭毛』の説は,頬のヒゲのみを表しているため考え難いが,元々,ヒゲが頬に生える毛のみを表していたと特定できれば,このいずれかの説でよいであろう。あごや頬も含めたヒゲという点からすれば,口の周りに生える毛『ヒラクケ(開毛)』の説がよいが,『口』をあえて『開く』と表現するとは考えられない。口の周りに生える毛という意味では,『くちびる』の語源と通じることから,『ヘゲ(辺毛)』『ヘリゲ(辺毛)』の説が良い。」

としている。さらに,

「ヒは朝鮮語ip(口)と関係あるか。ケは毛で,口毛の意か」

も,場所説のひとつになる。「くちびる」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/454507440.html?1509567181

で触れたように,『岩波古語辞典』の「朝鮮南部方言kul(口)と同源」説から,

漢字の『口の入声kut+母音』→朝鮮南部方言kul(口)→和語,

の流れで,

kut→kutu→kuti,

と転じて来たと見ることができるし,さらに,

http://roz.my.coocan.jp/wissenshaft/AN_2/AN_JP_37_43.htm

のいう,

「『クチ』は、日本語と高句麗語にのみ存在が確認される言葉なのです。」

から,

漢字の入声→朝鮮半島北部→朝鮮半島南部→和語,

とつながる気がすると書いたことと関連させるなら,。

「ヒは朝鮮語ip(口)と関係あるか。ケは毛で,口毛の意か」

という説ともつながるきがするが,しかしこの場合も,「口」周辺の場所に特定するのは,無理筋の気がする。僕は,動物も人も魚も同列にする,「鰭」説に惹かれるが,「ひれ」の語源を観ると,『大言海』は,

「打ち振りヒラヒラする物の意」

であり,「領布」とあてる「ひら」と同源で,

「ヒラメク意」

とある。「ひれ」は,擬態語「ヒラヒラ」から来ていると見ていい。『日本語源広辞典』もその説を採るし,『日本語源大辞典』も,

ヒラヒラする物の意(筆の御霊・国語の語幹とその分類=大島正健・大言海),
ヒレ(領布)から(雅言考),
フリテ(振手)の義(日本語原学=林甕臣),
フリ(振)の義(名言通),

と,擬態語関連説が大勢を占める。とすると,「ひれ」は擬態語だとすると,「ひげ」は,どう見ても「ヒラヒラ」とする感じではない。『擬音語・擬態語辞典』の「ひらひら」には,

薄い物や小さい物が翻るように面を変えながら空中を漂う様子,
手のひらを何度も返すようにして手を振る様子,
炎や光が小刻みに揺れ動く様子,
布や紙などの薄い物が,面を返しながら,または面を波打たせるように,小刻みに揺れる様子,

等々の擬態で,毛の揺らぐ様子とは異なる。こうなると,

秀毛,

説が残ることになるが。どうもいまひとつしっくりしない。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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2017年11月03日

うてな


「うてな」は,

台,
萼,

とあてる。「台」は,

四方を観望できるようにつくった高い土壇・建物,高殿,
物を載せる台,

という意味だが,後者は,

(台(うてな)の意からという)花の蕚(がく),

の意とある(『広辞苑』)。「台(臺)」の字は,「台」と「臺」で由来が違う。「臺」の字は,

「『土+高の略字体+至』で,土を髙く積んで人の来るのを見る見晴らし台を表す。のちに台で代用する。」

とあり,「うてな」は,この字であり,

髙い土台や物をのせる台。また,見晴らしのきく高い台,

の意味となる。「台」の字は,

「口+音符厶」厶(イ)はまがった棒で作った耜(シ すき)のこと。その音を借りて一人称代名詞に当てた。あるいは,道具を持って工作する(自主的に行うその人)との意から一人称となったものか。」

とあり,

「三台星」とは,上台・中台・下台の三星からなる星座。三公の位に当てる。転じて,敬語となり,人の字(あざな)を尊んで「台甫」,相手を尊んで「貴台」「台前」という,

とある。「蕚(蕚)」の字は,

「『艸(くさ)+音符咢(かみあう)』。花びらや,しべの下端がかみあってはまりこんだ台座のこと」

とある。つまり,

花の一番外側にあって,花びら,めしべ,おしべを保護するもの,

の意で,

花萼,

である。

http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~algae/BotanyWEB/sepal.html

には,

「萼片 (sepal) は花の最外輪に位置しており、一般に花葉の中で葉の性質を最もよく残した花葉である。萼片のまとまりを萼 (calyx) とよぶ。(中略)ふつう萼は他の花葉の保護を担っているが、ガクアジサイ (アジサイ科) の装飾花のように目立つ色や形をし、花冠に代わって送粉者を誘引する役割を果たしているものもある。」

とある。

萼.jpg

(左:ミツバツチグリ (バラ科) の副萼は萼と同形でやや小さい. 右:ヘビイチゴ (バラ科) の副萼は大きく先端が三裂する.)


さて,では,「台」や「萼」を当てた,和語「うてな」は何に由来しているのか。『大言海』は,「臺」について,

「上棚(うわたな)の約転かと云ふ(轉〔うたて〕,うたた)。或は,大棚(おほたな)の約。字鏡四十四『榭,太奈』,倭名抄十二『棚閣,多奈』,桑家漢語抄五『臺,其製高遥四方於宇知奈雅無流之義也』」

とし,「萼」とあてる「うてな」は,

「臺の義か」

とする。『日本語源広辞典』も,

「ウ(上)+たな(棚)」の変化,

とする。『大言海』「う(大)」の項に,

「おほの約(つづま)れる語。」

とあるのとつながる。しかし,「棚」と「台」では別ではないのか。『大言海』の「たな(棚)」の項を見ると,

「板竝(いたなめ)の略か」

とあり,

「物に,板を平らに亘しかけて,物を載せ置く用とするもの」

という意味である。「台」とは,そういう意味ということである。「棚」の語源について,『日本語源広辞典』も,

「平面を表すタに,横に伸びる意味のナが加わった語です。タイラ,タワ,タウゲ,タキ,タニ,などの地形のタは,同根と思われます。」

としている。こう考えると,「台」と「棚」は,似ている。それと「萼」とをあわせてみると,「花びらを載せる」という意味で,つながっていく。あるいは,もともとは,

萼,

が「うてな」の始原なのかもしれない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)



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2017年11月04日

死者の思い


ハグハグ共和国という劇団の「青の鳥 レテの森」(作演出・久光真央)を観てきた。

img064.jpg


同じ劇団の「infinity」という芝居については,昨年,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/441793799.html

で触れた。

芝居の構造は,前作と同じだ。前作は,ホスピス病棟,今回は,架空の森,そこで,登場する何組かがドタバタする,というところは,ほぼ同じだ。

今回も,いきなり,森に迷い込んだ,母と兄妹,アイドルの追っかけ三人,ロケハンの三人,バス会社の四人という四組が,得体のしれない黒装束の一団に,無理やり「行けば何でも願いの叶う」という「其処」を目指すゲームに参加させられ,それぞれ,桃太郎(の猿,雉,犬),オズの魔法使い(のライオン,案山子。ブリキの木こり),不思議の国のアリス等々の登場人物に準えられて,「其処」を目指させられる,という結構になっている。

その間のドタバタの渦中では,劇中の四組が何が何だかわからない状態で,振り回されているのと同様,それを観ている観客の側も,わけのわからないまま,そのドタバタの悲喜劇に,引きずり回される。

どうやら,その途中で勝ち残るものが死者で,リタイア,あるいは,殺されたものが,うつつの世界へ戻らされるらしい,ということが分かりかけて,最後,登場人物が全員そろって出てくる時,それまで黒装束だった人たちが,昔の看護師(看護婦という方がいいかもしれない)の服装や,モンペ姿,軍袴姿などで,登場したとき,観ている側は,それまでの全てのモヤモヤが一気に霧消する思いがする。この種明かしの仕方は,僕には秀逸に思えた。瞬間,僕は,

死者と共にいる,

という言葉が浮かんで,胸に滲みるものがあった。そう言えば,前作も,死者と共にいることが通奏低音のように,全編に流れていたことを思い出した。

あるいは,常に,

死者は,見ている,

ということかもしれない。あるいは,

死者の思い,

ということかもしれない。そこには,生きているものの生きざまへの苛立ち,腹立ち,悲しみなどがあるかもしれない。が,それは,同時に,死者そのものの側の生きざまの反映でもある。生き残したことへの思いである。

死者が,全て,戦時中である,ということに,作者なりの意味づけがあるのかもしれないが,そこは,正直,僕には,無理筋に思えた。別に七十何年も遡る必要はないのではあるまいか。3.11でもいいし,日常の交通事故でもかまわない。が,しかし,そこは作者の思い入れ(こだわり),ということにしておくしかない。その意味が,全編に通底しているわけではない。

劇団の案内には,

「前回公演『Infinity』では終末医療の現場、“ホスピス”を舞台とし、
現実世界における命と医療について描きましたが今作の舞台となるのは神話からインスパイアされた世界。神話と童話、精神と現実のダークファンタジーを描きます。」

とある。題名の,「レテの森」の「レテ」とは,

「ギリシア神話の神格で、「忘却」を意味する。ヘシオドスによれば、争いの女神エリスの娘で、ポノス(労苦)、マケ(戦い)、リモス(飢え)、アテ(破滅)らの姉妹とされる。しかし、神としてはなんら活動することがない。レテは普通冥界(めいかい)にある野原、あるいは泉、川のことをさし、またスティクス川(日本の三途(さんず)の川にあたる)の支流ともされる。地下に降りた死者の魂は、レテの水を飲んで生前のことを忘れると信じられていた。」

とある(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)。

「レテの水を飲んで生前のことを忘れると信じられていた」

が,

「レテの河をワタルとすべてを忘れる」

とされている出典なのだろう。しかし,ラスト,

バス事故云々,

についての,切れ切れの音声は,余分ではないかと思えた。ファンタジーは,そこで完結していてかまわない,ここまでの絵解き(というかつじつま合わせ)はかえって興ざめな気がした。上述の通り,全員が,揃って出てきたところで,全ての種明かしは終わっているのではあるまいか。それ以上は蛇足である,と僕には思えた。

書評家の大森望氏が,あるところで,最近,

「現実的で論理的なのがミステリー、非現実的で論理的なのがSF、現実的で非論理的なのがホラー、非現実的で非論理的なのがファンタジー」

と整理されているとか。その通りである。

img068.jpg


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2017年11月05日

こも


「おこも(さん)」というのは,最近使われなくなった気がするが,

御薦,

と当てる。『広辞苑』には,

「こもかぶり」から,

とある。「こもかぶり」は,

薦被り,

と当て,

薦で包んだ四斗入りの酒樽,
(薦を被っていたから)こじきの異称,

と,『広辞苑』にはある。前者は,よく「薦被り」という酒樽のことだが,『大言海』には,後者について,

「俗に,乞食の異名。婦女子の詞ニ,オコモと云ふ。衣なくして酒樽の薦を被り居るより云ふ」

とあり,衣服の代わりに薦を被っていたということになる。

「こも」を引くと,

薦,
菰,

と当て,

マコモ,
あらく織ったむしろ。もとはマコモを材料としたが,今は藁を用いる,
(「虚無」とも書く)薦僧(こもそう)の略,

と意味が載る(『広辞苑』)『岩波古語辞典』には,

「薦,コモ・ムシロ」

と,『名義抄』が引用されている。「まこも(真菰)」については,『大辞林』に,

「イネ科の大形多年草。水辺に群生。稈(かん)の高さ約1.5メートル。葉は長さ約1メートルの線形。秋,円錐花序上半に雌花穂,下半に雄花穂を多数つける。葉で筵(むしろ)を編む。黒穂病菌に侵された幼苗は菰角(こもづの)といい,食用とし,また眉墨(まゆずみ)とした。カツミ。コモクサ。コモ。 [季] 夏。 《 舟に乗る人や-に隠れ去る /虚子 》 〔「真菰の花」は [季]秋〕」

とあり,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B3%E3%83%A2

に詳しい。

まこも.JPG

(まこも(真菰))

「こも」について,『大言海』は,

菰・蒋,

の字を当てる項と,

菰,

の字を当てる項と,

藺,

の字を当てるのと,

海蓴,

の字を当てるのを分けて載せている。「菰・蒋」の「こも」は,

「クミの轉か(拱(コマヌ)クもクミヌクの転なるべし。黄泉(よみ),よもつ)。組草などと云ふが,成語なるべく,葉を組み作る草の意。即ち,薦(こも)となる。菰(かつみ)の籠(かつま)に移れるが如きか(藺(ゐ)をコモクサと云ふも,組草,即ち,薦草(こもくさ)ならむ)。マコモと云ふやうになりしは,海蓴(コモ)と別ちて,真菰(まこも)と云ふにか。物類称呼(安永)三『菰,海藻にコモと云ふあり,因りて,マコモと云ふ』」

と注記がある。「薦」と当てる「こも」は,

「菰席(こもむしろ)の下略(祝詞(のりとごと),のりと。辛夷(こぶしはじかみ),こぶし)。菰の葉にて作れるが,元なり。神事に用ゐる清薦(すごも),即ち,菰席(こもむしろ)なり」

とある。「藺」の字を当てる「こも」は,

こもくさ,

を指し,

「薦に組み作る草の意。藺の一名,

とあり,「こもくさ」の下を略して,「こも」である。「海蓴」の字を当てる「こも」は,

「小藻か,籠藻か」

とあり,やはり,細く切って,羹(あつもの)にすべし,とあるので,食用だったと見なされる。「蓴」は,「ぬなわ」で,「じゅんさい(蓴菜)」である。

神事で,用いていたところを見ると,「薦」は,大切なものだったに違いない。しかし,稲作とともに,藁が潤沢となり,「菰席(こもむしろ)」は,蓆に堕ちた,という感じだろうか。「薦被り」も「おこもさん」まで,堕ちるということか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)


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2017年11月06日

虚無僧


「こも(薦)」の項で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/454666694.html?1509825463

「こも」は,

(「虚無」とも書く)薦僧(こもそう)の略,

との意味もあった。『岩波古語辞典』には,

こもそう(虚無僧・薦僧),

で載り,

「コモゾウ・コムソウとも」

とある。では,「虚無僧」とは何か。

虚無僧.jpg

(尺八を吹く虚無僧)


『広辞苑』には,

「(室町時代の普化宗(ふけしゅう)の僧朗庵が宗祖普化の風を学んで薦の上に座して尺八を吹いたから,薦僧(こもそう)と呼んだという。また一説に,楠正成の後胤正勝が僧となり虚無と号したからともいう)普化宗の有髪の僧。深編笠をかぶり,絹布の小袖に丸ぐけの帯をしめ,首に袈裟をかけ,刀を帯し,尺八を吹き,銭を乞うて諸国を行脚した。普化僧。こもそう。」

と載る。普化宗については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E5%8C%96%E5%AE%97

に詳しい。朗庵については,

http://myouan-doushukai.org/

に詳しい。他も大同小異だが,

「尺八を吹いて物ごいをする僧。薦 (こも) 僧,ぼろんじ,暮露 (ぼろ) ,ぼろぼろともいう。初めは薦をたずさえて流浪する者の称であったと思われる。鎌倉時代,中国普化 (ふけ) 宗の流れをくむ日本の天外明普が虚無宗を開き (永仁年間) ,京都白川で門弟を教導し,尺八吹奏による禅を鼓吹したのに始る。世は虚仮で実体がないと知り,心を虚しくすることからその名があるという。江戸では青梅の鈴江寺,下総小金の一月寺,京都では明暗寺に属し,天蓋 (編笠) をかぶり袈裟を着け尺八を吹いて托鉢して回った。仇討ちの浪人や密偵などが世を忍んで虚無僧となった者も多い。百姓,町人はなれないなどの規則もあったが,のち門付け芸人ともなった。江戸時代中期頃から,尺八を得意とする者で,派手な姿で伊達 (だて) 虚無僧となった者もある。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

「尺八を吹きながら家々を回り、托鉢(たくはつ)を受ける僧。薦(こも)僧、菰(こも)僧というのが本来の呼び名で、諸国を行脚(あんぎゃ)して遊行(ゆぎょう)の生活を送り、雨露をしのぐために菰を持ち歩いたからである。ぼろを身にまとって物乞(ものご)いしたので、暮露(ぼろ)とも梵論字(ぼろんじ)(梵論師)ともよばれた。普化(ふけ)僧ともいう。普化宗は禅宗の一派で、中国の唐代の普化和尚(おしょう)を始祖とし、法燈(ほっとう)国師覚心(かくしん)が宋(そう)から日本に伝来したという。覚心は紀伊国(和歌山県)に興国寺を開山し、宗旨も広まり多くの流派ができた。
 虚無僧寺としては、京都の明暗寺、下総(しもうさ)小金(こがね)(千葉県松戸市)の一月寺(いちがつじ)、武蔵(むさし)青梅(おうめ)(東京都青梅市)の鈴法寺(れいほうじ)などが著名であった。普化宗では、心を虚(むな)しくして尺八を吹き、虚無吹断を禅の至境とした。近世初期には武士以外の入宗(にっそう)を認めず、また幕府も自由の旅を許すなどの特典を与えたが、浪人や無頼の徒が身を隠す手段に利用し、乱暴をはたらくなどの弊害が続出した。普化宗は1871年(明治4)に廃宗となり、88年に京都に明暗教会が設立されたが、虚無僧は宗教から離れ、尺八修業の方便か物乞いの手段かになって影を潜めた。僧とはいいながら半僧半俗で、多くは有髪(うはつ)で、天蓋(てんがい)と称する深編笠(ふかあみがさ)をかぶり、着流しで、首から袈裟(けさ)と頭陀袋(ずだぶくろ)をかけた。手甲(てっこう)・脚絆(きゃはん)なども着けた。古くは草鞋(わらじ)を履いたが、江戸時代の中ごろから高下駄(たかげた)を履くようになった。出没自在、腕のたつこと、無頼性など、不思議な魅力をもつところから、時代劇では善玉としても悪玉としても、しばしば脇役(わきやく)として登場する。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E7%84%A1%E5%83%A7

には,詳しく,

「普化宗は中国(唐)の普化を祖とし、日本には臨済宗の僧心地覚心が中国に渡り、普化の法系の張参に竹管吹簫の奥義を受け、張参の弟子「宝伏」ら4人の居士を伴い、建長6年(1254年)に帰国し紀伊由良の興国寺に普化庵を設けて住まわせたことに始まる。古くは、『こもそう(薦僧)』ということが多く、もと坐臥用のこもを腰に巻いていたところからという。
虚無僧は『僧』と称していながら剃髪しない半僧半俗の存在である。尺八を吹き喜捨を請いながら諸国を行脚修行した有髪の僧[1]とされており、多く小袖に袈裟を掛け、深編笠をかぶり刀を帯した。はじめは普通の編笠をかぶり、白衣を着ていたが、江戸時代になると徳川幕府によって以下のように規定された。
托鉢の際には藍色または鼠色の無紋の服に、男帯を前に結び、腰に袋にいれた予備の尺八をつける。首には袋を、背中には袈裟を掛け、頭には『天蓋』と呼ばれる深編笠をかぶる。足には5枚重ねの草履を履き、手に尺八を持つ。
旅行時には藍色の綿服、脚袢、甲掛、わらじ履きとされた。なお、よく時代劇で用いられる『明暗』と書かれた偈箱(げばこ)は、明治末頃から見受けられるようになったもので、虚無僧の姿を真似た門付芸人が用いたものである(因みに「明暗」に宗教的な意味合いはなく、『私は明暗寺(みょうあんじ)の所属である』という程度の意味である)。江戸時代には、皇室の裏紋である円に五三の桐の紋が入っており、『明暗』などと書かれてはいなかった。江戸期においても偽の虚無僧が横行していたが、偽虚無僧も皇室の裏紋を用いていたようである。
慶長19年(1614年)に成立したという『慶長掟書』(けいちょうじょうしょ)には『武者修行の宗門と心得て全国を自由に往来することが徳川家康により許された』との記述があるが、原本は徳川幕府や普化宗本山である一月寺、鈴法寺にも存在しないため、偽書ではないかと疑問視されている。罪を犯した武士が普化宗の僧となれば、刑をまぬがれ保護されたことから、江戸時代中期以降には、遊蕩無頼の徒が虚無僧姿になって横行するようになり、幕府は虚無僧を規制するようになった。
明治4年(1871年)、明治政府は幕府との関係が深い普化宗を廃止する太政官布告を出し、虚無僧は僧侶の資格を失い、民籍に編入されたが、明治21年(1888年)に京都東福寺の塔頭の一つ善慧院を明暗寺として明暗教会が設立されて虚無僧行脚が復活した。」

とある。

「虚無僧」の謂れは,

「コモ(薦)+僧」

で,坐臥用の薦を腰に巻いていたところから来たようだが,『大言海』には,「こもそう(薦僧)」の項で,

「野宿の時など,坐臥の具とすべく,腰に,薦をつけて居る故の名なり(後に,宿無しの乞食を,コモカブリとも,コモとも云ひしも同趣なり),後に禅宗の普化宗の徒の称となりても,コモソウと呼べり。虚無僧など云ふは,薦を嫌ひて,禅めかして云ひし造語なるべし。閑田耕筆(寛政)二,薦僧『今は云々,文字も虚無と改めたるは,この徒,普化禅師を拠所となし,禅宗なれば,後世,荘(かざ)りて書くならむかし』」

として,最初に,

「乞食僧の類。有髪にして,刀を帯し,常に,薦を携へて,諸国を廻り,尺八を吹きて,米錢を乞ひ歩きしものなり。暮露(ぼろ)の変じたるものと云ふ」

と載せ,

「ぼろぼろの草子(明惠上人作と伝ふ)虚空坊と云ふボロ,云々,『その後に,コモソウと云ふ者,僧とも見えず,俗とも見えず,山伏とも見えず,刀をさし,尺八を吹き,背中に蓆を負ひ,道路をありき,人の門戸に寄りて,物を乞ひもらふ,是れ,ボロボロの流なりと言伝えたり』」

を引く。面白いことに,その後に,

「後に,普化宗の宗徒を,コモソウ,虚無僧,普化僧となどと云ひ,是も,尺八を吹きつつ,人の門戸に立ちて。米錢を乞へり。江戸時代,元禄の頃まで,其の服装は,白布の單(ひとえ)を上に着て,袈裟をかけ,散髪にして,浅く開きたる編笠をかぶりき。後には,衣服伊達になり,藍又は,鼠色の服を着て,丸ぐけの帯を,前にて結び,帯の背に,尺八の空嚢を挟み垂れ,別に,袋入りの尺八を,刀の如く腰にさし,黒漆の下駄をはき,頭に天蓋とて,長く深く,頤まで被ふ編笠をかぶり,人の取りて,面を合わするを禁じたり。明治に至り,普化宗,廃せられて止めり。」

と,普化僧の説明が続く。この説明でいくと,はじめに,

乞食僧,

があり,この場,編笠は必需品ではなく,乞食の様相である。後に,普化宗が,似た服装で,同じ門戸を訪うので,

虚無僧,

と重なった,と言うように見える。つまり,江戸時代,幕府の規定した

「托鉢の際には藍色または鼠色の無紋の服に、男帯を前に結び、腰に袋にいれた予備の尺八をつける。首には袋を、背中には袈裟を掛け、頭には『天蓋』と呼ばれる深編笠をかぶる。足には5枚重ねの草履を履き、手に尺八を持つ。
旅行時には藍色の綿服、脚袢、甲掛、わらじ履きとされた。」

以降が,

虚無僧,

で,その場合,はじめは浅い編笠,後に深い編笠をかぶっていた。それ以前は,やはり,乞食僧の,

薦僧,

で,厳密にいえば,虚無僧とは,別なのではあるまいか。『大言海』の見識を見せた項かもしれない。この,

薦僧,

こそが,いわゆる,

乞食行(こつじきぎょう),

と重なるのではあるまいか。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
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2017年11月07日

乞食


「乞食」は,

「コツジキの転」

と,『広辞苑』にある。「こつじき(乞食)」は,

僧が人家の門に立ち,食を乞い求めること,托鉢,

の意味である。それが転じて,

物もらい,こじき,

に転ずる。「こじき(乞食)」も,托鉢の意味はあるが,室町末期の『日葡辞典』でも,既に,「こじき」を,

ものもらい,

としている。『大言海』も,「こつじき」の項で,物もらいの意味しか載せない。『岩波古語辞典』は,「こつじき」の項で,

僧が在家を托鉢して回ること,頭陀,
転じて,物もらい,

とし,「こじき」の項で,「コツジキの転」として,

托鉢,
物もらい,

と載せる。「頭陀」は,「杜多」とも当て,

衣食住に対する貪欲を払いのける修行,十二種あり,十二頭陀行という,
僧が行く先々で食を乞い,露宿などして修行すること,

で,

「煩悩(ぼんのう)を除去すること。いっさいの欲望を捨てて仏道を修行することをいう。パーリ語のドゥタdhuta、サンスクリット語のドゥータdhtaの音写語。『洗い流すこと』『除き去ること』が原意。玄奘(げんじょう)は『杜多(ずだ)』と新訳。頭陀の修行徳目を『頭陀支(ずだし)』といい、パーリ系では13支、大乗系では12支をたてる。たとえば、〔1〕ぼろ布を綴(つづ)ってつくった衣(糞掃衣(ふんぞうえ))のみの着用、〔2〕托鉢(たくはつ)で得た食物でのみ食事をすること、〔3〕森林処に住むこと、などで、それらは仏道修行者の衣食住に関する最小限度の生活規定であった。頭陀の修行徳目を実践している僧を頭陀者といい、単に頭陀とも略す。また、行脚僧(あんぎゃそう)が首にかけている袋を頭陀袋という。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

とくある。「頭陀袋」は,その僧が,経文や食器などを入れて首にかける袋,である。「托鉢」にっいては,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%98%E9%89%A2

に詳しいが,

「托鉢(たくはつ、サンスクリット:pindapata)とは、仏教やジャイナ教を含む古代インド宗教の出家者の修行形態の1つで、信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞う(門付け)街を歩きながら(連行)又は街の辻に立つ(辻立ち)により、信者に功徳を積ませる修行。乞食行(こつじきぎょう)、頭陀行(ずだぎょう)、行乞(ぎょうこつ)とも。」

とある。

閑話休題。

で,「こつじき(乞食)」であるが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9E%E9%A3%9F

に,

「本来は仏教用語で『こつじき』と読む。比丘(僧侶)が自己の色身(物質的な身体)を維持するために人に乞うこと。行乞(ぎょうこつ)。また托鉢。十二頭陀行(じゅうにずだぎょう)の一つで、これを清浄の正命と定める。もし自ら種々の生業(なりわい)を作(な)して自活することは邪命であると定める。
上の意味が転じて、路上などで物乞いをする行為。具体的には他人の憐憫の情を利用して自己のために金銭や物品の施与を受けることをいう。」

とある。「十二頭陀行」とは,

http://digi-log.blogspot.jp/2007/06/blog-post_03.html

に,

1.糞掃衣…糞掃衣以外着ない
2.三衣…大衣、上衣、中着衣以外を所有しない
3.常乞食…常に托鉢乞食によってのみ生活する
4.次第乞食…托鉢する家は選り好みせず順に巡る
5.一坐食…一日に一回しか食べない
6.一鉢食…一鉢以上食べない
7.時後不食…午後には食べない
8.阿蘭若住…人里離れた所を生活の場とする
9.樹下住…木の下で暮らす
10.露地住…屋根や壁のない露地で暮らす
11.塚間住…墓地など死体の間で暮らす
12.随所住…たまたま入手した物や場所で満足する
13.常坐不臥…横にならない。座ったまま。

とあり,

http://blog.goo.ne.jp/0000cdw/e/f750d1129a61233cd2eb123b9540decf

に,多少順序が違うが,

[1] 人家を離れた静かな所に住する。
[2] 常に乞食(こつじき)を行ずる。施し物のみを食し、生産活動を一切なさない。
[3] 乞食するのに家の貧富を選ばず、人家が並んでいる順に回り、食を乞う。
[4] 一日に一食。乞食は午前のみ。
[5] 食べ過ぎない。
[6] 中食(ちゅうじき昼食)以降は、飲み物もとらない。
[7] ボロで作った衣を着る。
[8] ただ三衣(さんね)のみを個人所有する。
  三衣は別名・乞食衣(こつじきえ)。端切れを繋ぎ、縫い合わせたボロ衣。「三衣一鉢」ともいいます。三衣のほかに、食物の布施を受けるための鉢ひとつ、坐具,水濾し器をあわせた『六物』のみの所有が認められていた。
[9] 墓地、死体捨て場に住する。
[10] 樹下に止まる。
[11] 空地に坐す。
[12] 常に坐し、横臥しない。

を挙げる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9E%E9%A3%9F

に,

「古代インドのバラモン階級では、人の一生を学生期・家長期・林住期・遊行(遍歴)期という、四住期に分けて人生を送った。このうち最後の遊行期は、各所を遍歴して食物を乞い、ひたすら解脱を求める生活を送る期間である。またこの時代には、バラモン階級以外の自由な思想家・修行者たちもこの作法に則り、少欲知足を旨として修行していた。釈迦もまたこれに随い、本来の仏教では修行形態の大きな柱であった。
特に釈迦の筆頭弟子であったサーリプッタ(舎利弗)は、五比丘の一人であるアッサジ(阿説示)が乞食で各家を周っている姿を見て、その所作が端正で理に適っていることに感じ入り、これを契機に改宗して弟子入りしたことは有名な故事である。このように仏教では乞食・行乞することを頭陀行(ずだぎょう)といい、簡素で清貧な修行によって煩悩の損減を図るのが特徴である。
また、僧侶は比丘(びく)というが、これはサンスクリット語の音写訳で、「食を乞う者」という意味である。これが後々に中国で仏典を訳した際に乞食(こつじき)、また乞者(こっしゃ)などと翻訳されたことにはじまる。」

とあるのが詳しい。

乞食.JPG

乞食(『和漢三才図会』(正徳2年(1712年)成立)より)


http://www3.omn.ne.jp/~imanari/howahuse.html

に,こんな逸話が載っている。

「昔、インドで釈迦が説法を行っていた頃のこと。坊さんたちは、人間の生きる道を人々に説いて廻っていた。(中略)
ある日のこと。いつものように説法をして各家々を廻っていたときのこと。ある貧しい家で、「たいへんよいお話を聞き、生きる希望が湧いてきました。しかし、ご覧の通り、私の家は貧乏で、お坊様にあげる物は何一つありません。」
『差し上げられる物といえば、赤ん坊のおしめに使っているこの布ぐらいです。』
『このような物でもよければ・・・。』
 お坊さんは、ありがたくその糞に汚れて、洗ってはあるものの、黄色くなっている布をいただいた。お坊さんは、その布を寄せ集め、四角い布をつぎはぎして衣を作り着たのです。インドの服装分かりますか? サリーという肩に掛けて纏う着衣です。これが、お袈裟の起源です。袈裟って、よく見ると、小さな布をつぎはぎしてできているのですよ。今度、お坊さんが着ているのを見たら、よく見てみてください。首からかける絡子(らくす)もそうです。そして、基本の色は黄土色なのです。糞掃衣(ふんぞうえ)と言います。」

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)


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2017年11月08日

四次元


ルディ・ラッカー『四次元の冒険―幾何学・宇宙・想像力』を読む。

img052.jpg


通常四次元と言うと,三次元空間プラス時間軸の意味で受け取られる。しかし,しかし著者は,冒頭で,

「実在レベルや色や時間によって第四次元を表現しようとするのは見当違いである。ここで実際に必要なのは第四次元空間の概念なのである。」

と言う。確かに,今日の「超弦理論」では,十次元だの六次元だの二十六次元だのと,折り畳まれた次元の話が出てくる。そのとき,次元は,時間ではない。その辺りは,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/441553477.html

等々で触れたことがある。

しかし,そのような次元を「視覚化するのは難しい」ということで,著者は,

「その主要なアイデアはアナロジーによって推論することである。つまり三次元を二次元空間で表すのと同様に四次元を三次元空間で表せばよい。4D:3D::3D:2D。この独特のアナロジーは人類に知られた最も古い頭のトリックである。プラトンは,有名な洞窟の比喩でそれを表現した最初の人であった。」

と言い,二次元世界の『フラットランド』というビクトリア時代の二次元世界の話を例に説明に入る。

「フラットランドは平面で,そこに住む動物は平面を這い回っているのである。それを机上に置かれたコインのようなものだと考えてもらってもよい。あるいは,シャボン玉の膜の虹色の模様だとか,紙面上のインクのシミだと考えることもできる。」

しかし,二次元にいる限り,三次元は理解できない。

「君が超空間(ハイパースペース)に引き上げられたものと想定しよう。この有利な地点から私たちの世界を見るとどのように見えるだろうか? 始めに,0Dの点が1Dの線分を二分し,1D線は2D平面を二分し,二D面は三D面空間を二分すると同じように,3D空間は4D超空間を二分することに注目しよう。ちなみに,点のことを零次元=0次元と称している。全空間が一点にかぎられる所では,運動の自由度は存在しないからである。
 私たちの空間によって二つに確定された超空間の各領域を何と呼ぶことができるだろうか。チャールズ・H・ヒントンは,ほぼ上と下という言葉のように使うアナ(ana)とカタ(kata)という言葉を提案している。アナを私たちの空間の上にあるものとして天国とし,カタを下にあるものとして地獄とすると考えやすいかもしれない。」

この時,視点は,超空間にある。あるいは,

「高次元空間のアイデアをまじめに心に抱いた最初の哲学者は,例の大イマヌエル・カントであった。(中略)カントは,晩年になって第四次元の着想に関係した有名なパズル,つまり,人間の片方の腕のほかには全空間が空っぽのとき,この腕が右腕であると明言することは意味をなすかどうか,というパズルを提案した。はっきりしていることは,答えがないということである。左とか右という概念は空虚な空間では意味をなさないからである。
 なぜかを理解する糸口として,そこが手相見の店であることを示す大きなプレキシガラスの看板を想像していただきたい。…手のひらの輪郭とシワが透明なプレキシガラスに描かれている。そこでその看板を一方の側から見れば右手に見えるだろうし,反対側から見れば左手に見えるだろう。ところがこの看板の二次元平面を外から眺めることができることを一度了解してしまうと,手のひらが本当は右手の方だというのは意味をなさないということに気づくはずである。
 同様のことは三次元空間でも正しい。四次元のどちら側から見るかによって,右手に見えたり,左手に見えたりする。別の表現をすれば,右手を四次元空間に引き上げてそれをひっくり返せば左手に変えることができるのだ。」

その意味で,次元は,人の視点を示している。

「空間は位置からできているのだ。そして時空は事象からできているのだ。事象とは,与えられた時刻における与えられた位置といったようなものだと考えられる。個々の感覚の印象はささやかな事象なのである。僕らが経験する事象は,自然な四次元的序列,すなわち東西,南北,上下,遅速といった序列に並ぶ。自分の人生をふり返ってみるときは,実際には四次元的時空パターンを見ていることになるのである。だから,内部から時空を見ているかぎりは,それに不案内だとかいって混乱することはない。」

では,外から見たらどうなるのか,著者はこんな説を提起する。

「普通,誰も,世界は時間の推移とともに変化する三次元空間であると考えている。過去は去り,未来はまだ存在せず,現在だけが現実のものである。しかし世界を見るもう一つの方法がある。すなわち,世界をブロックになった宇宙と見なすことができる。世界を一つのブロック宇宙と考えると,時間と空間が一緒になったものすべてが一つの巨大な物象となる。ブロック空間は一つの時空(spacetime)からなる空間の三次元と時間の一次元を加えたものだ。外から時空を眺めるということは,歴史の外に立って,永遠の相の下で事物を見るということなのだ。(中略)
 つまるところ,僕の世界は僕の感覚の総体である。こういった感覚は,四次元時空におけるパターンとしてごく自然に並べてみることができるものだ。僕の人生は,ブロック宇宙に閉じ込められている一種の四次元の虫というわけだ。(中略)永遠は当然,時空の外にある。永遠とは当然“いまただち”のことである。」

それは,

「ブロック宇宙には客観的に存在する現在がないという点である」

ということだ。だから「感覚の総体」なのである。しかし,それを外からの視点に切り替えたとき,別の世界が見える。

「地上の2D表面は私たちの3D宇宙の部分である。3D宇宙は4D超球体の表面であるかもしれない。4D超球体は,湾曲した5D時空のパターンの断面である。湾曲した5D時空は,たぶん空間と時間が交互に堆積した山の一層にすぎない。6Dの山はそれ自身歪んで,7D空間に織り込まれているかもしれない。さまざまな山の型はともに8D空間の入子になっているかもしれない。たぶん8D空間全体は九次元超時間軸に展開されることができる等々。」

つまり,第四次元は時間とは限らない。

「常に広さと呼んでいる空間の中に,一つの決まった方向があるわけではないのと同様,常に時間と呼んでいる一つの決まった高次元かある必要はないのである。第四次元について語ってきたことすべては,多様な高次元,たとえば空間から跳び出すことができる方向とか,空間が湾曲している方向とか,別の宇宙に達するために通るとかについて考えることを可能にしてくれる。(中略)時間は第四次元だというよりは,時間は高次元の一つであるという方が図と自然である。」

こうしてある種ペダンティックな知的な次元旅行の末,著者は,こう結論づける。

「私たちはなぜ私たちがここにいるか知らない―私たちが何であるかさえ知らないのである。しかし私たちは存在し,世界はこれからも存在し続けていく。私たちの通常の空間と時間の概念はただ便利な虚構にすぎないのである。いたる所が高次元なのである照明をあてる必要もない。第四次元ほど密着した,ただいまここが証明しているのである。」

とは,あまりにも大山鳴動してネズミ一匹に過ぎまいか。冒頭の方にあった,

「類推によって考えれば,四次元生物はどのようにしっかり施錠されたかにはかかわりなく,私たちの部屋であれ密室であれ入り込めることがおわかりいただけるであろう。」

は,ついに腑には落ちなかった。

参考文献;
ルディ・ラッカー『四次元の冒険―幾何学・宇宙・想像力』(工作舎)


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今日のアイデア;
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2017年11月09日

こめ


「こめ」は,

米,

と当てる。「米」の字は,象形文字で,

「+印の四方に転々と小さなこめつぶの散った形を描いたもの。小さい意を含む」

とある。我が国の稲作は,

「稲作は日本においては、縄文時代中期から行われ始めた。これはプラント・オパールや、炭化した籾や米、縄文土器に残る痕跡などからわかる。大々的に水稲栽培が行われ始めたのは、縄文時代晩期から弥生時代早期にかけてで、各地に水田の遺構が存在する。」

というように,縄文時代までさかのぼるが,「こめ」という言葉は,「こめ」の伝播とともに入ってきたのだろうか。

http://www.okomehp.net/history/history003
も,
http://agrin.jp/hp/q_and_a/kome_yurai.htm
も,

「込める・籠める」説
「小さな実」説,

を取っているが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ko/kome.html

は,

「米の語源は,『こめる(籠める)』の連用形が名詞化したとする説が有力となっている。 古く,米は『ヨネ』の使用例が多く,『コメ』の語は使用例が少ない。『コメ』の語が多く用いられたのは改まった儀式の場であったことから,米には神聖なものや生命力のようなものが宿っており,『籠められたもの』の意味で『コメ』になったといった解釈もある。平安中期以降,『ヨネ』は古語として扱われ,『コメ』が多用されるようになった。
『こめる(籠める)』に次いで,米の語源で有力とされている説は,酒の醸造を意味する朝鮮語『コメン(コム)』の変形とする説である。酒の醸造法は朝鮮から伝来したといわれ,『醸す』も『カム』『コム』と繋がりがある。ベトナム語の『コム』やタミル語の『クンマイ』なども,米の語源と考えられており,アジアをひとつの国と考えれば当然の繋がりとも考えられるし,発音の似た言葉で確実に語源が異なる言葉も多くあるため,偶然の一致とも考えられる。
その他,『コミ(小実)』や『コメ(小目)』が転じたとする説もあるが,上代特殊仮名遣いにおいて『米』の『コ』と『小』の『コ』では仮名遣いが異なるため,有力とされていない。」

と,「小さな実」説を,否定している。確かに,『岩波古語辞典』は,「こめ」を,

kömë,

と表記して,現代の表記とは区別し,今日とは異なる仮名遣いであることを強調している。『日本語源大辞典』も,

「『コムル』『コム(籠)』が上代特殊仮名遣いの矛盾もなく,妥当性がある」

と,「コモル」説をとる。『日本語源広辞典』は,

説1 「コ(硬)+米(メ)」。もち米に対して粳の米をいいます。
説2 「コ(醸む)+メ(芽)」。醸造の芽,元がコメだという考え方です。
説3 「コム(籠む)の連用形,コメ」。籾の中にコモっているモノガ,コメだという意識です。

と,三説挙げているが,この「籠める」説は,神秘めかしていないのが,いいような気がする。『大言海』は,この説3と似た説を取っている。

「柔實(にこみ)の略転にて籾を脱したるに云ふか(荒糠,こぬか)。沖縄にて,クミと云ふ」

と言う説を立てる。

なお,『日本語源大辞典』は,「コメ」と「ヨネ」の関係については,『日本語源大辞典』が,

「契沖は,脱穀したものがコメ,更に精白したものがヨネではないかとしている(『随筆・円珠庵雑記』)。しかし,中古・中世の文献によると,漢文訓読および和文的な作品でヨネが多く,説話や故実書,キリシタン文献などでコメを用いている。これはヨネが雅語的・文章語的性格を有したのに対して,コメが実用語的・口頭語的な性格が強かったからではないかと解釈される。方言でヨネの類がほとんど見当たらないのも,話し言葉では早くからコメが用いられていたことを意味する。」

と説く。確かに,方言にある「クミ」「コミ」も,「コメ」の転訛と見なせる。

しかし,稻も米も,渡来したものである。恐らく人とともに渡ってきた。その時名が伴っていたはずである。その意味で,

「酒の醸造を意味する朝鮮語『コメン(コム)』の変形とする説である。酒の醸造法は朝鮮から伝来したといわれ,『醸す』も『カム』『コム』と繋がりがある」

とする説の方が,妥当なのではあるまいか。『日本語源大辞典』に載せる,

「酒の醸造を意味する朝鮮語コムの変形から」(衣食住語源辞典=吉田金彦)

も,その流れにある。

こめ.jpg

(短粒種の玄米)


なお,米については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3

に詳しい。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

ラベル:こめ
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2017年11月10日

いね


「いね」は,

稲(稻),
禾,

と当てる。「稲(稻)」の字は,

「舀(ヨウ・トウ)は臼の中をこねること。稻はそれを音符として,禾(いね)を加えた字。」

である。「いね」は,

稲禾(とうか),
禾稲(かとう),

ともいうらしい。「稲」については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8D

に詳しいが,

「日本国内に稲の祖先型野生種が存在した形跡はなく、揚子江中流地域において栽培作物として確立してから、栽培技術や食文化などと共に伝播したものと考えられている。日本列島への伝播については、幾つかの説があり、概ね以下のいずれかの経路によると考えられている。
江南地方(長江下流域)から九州北部への直接ルート、
江南地方(長江下流域)から朝鮮半島南西部を経由したルート、
南方の照葉樹林文化圏から黒潮にのってやってきた『海上の道』ルートである。」

とあり,「稲」作は人とともに,伝播した。言葉は,そのとき伝わったとみていい。

稻.jpg

成熟期のイネ(長粒種)


『岩波古語辞典』には,

「古形イナの転」

とある。稲わらとか稲垣,稲束,稲作,稲田,稲幹(いながら),稲子(蝗),稲扱(いなこぎ),稲荷等々,複合語の中にのみ生き残っている。

『大言海』は,

「飯根(いいね)の約。恆山(くさぎ)を鷺の以比禰と云ひ,白英(ひよどりじょうご)を鶫(つぐみ)の以比禰と云ふ」

としているが,ちょっと意味がくみ取れないが,「恆山(くさぎ)」は,

http://www2.mmc.atomi.ac.jp/web01/Flower%20Information%20by%20Vps/Flower%20Albumn/ch2-trees/kusaghi.htm

に,

「深江輔仁『本草和名』(ca.918)に、恒山は「和名久佐岐、一名宇久比須乃以比祢」と。源順『倭名類聚抄』(ca.934)に、恒山は「和名宇久比須乃以比禰、一云久佐木乃禰」と。」

あり,いわゆる「くさぎ」のことを言っており,「ひよどりじょうご(鵯上戸)」については,

くさぎ.jpg

(クサギ)


http://blog.goo.ne.jp/momono11/e/b7408ea9aa0296032a1d8add99cc78c2

に,

「赤い実を鵯が好んで食べることから、ヒヨドリジョウゴの名前がついたとされる。実は真っ赤で美味しそうではあるが、不快な匂いがし、鳥にとっても美味しいものとは思えない。最初『ツグミ』の名前を付けていたが、後に、雑食性でなんでも食べる、鵯の名前を借りたのかもしれない。日本の古書『本草和名(ほんぞうわみょう・918)』には、漢名に『白英(はくえい)』、和名に『保つ呂之(ホロシ)』、の名がある。その後『豆久美乃以比禰(つぐみのいいね)』ともよばれ、江戸時代に『ヒヨドリジョゴ』が定着した。」

とあり,「以比禰」が「飯根」と「いいね」かさなるが,「以比禰」をもって,「いね」の語源「飯根」の傍証とする根拠が,浅学の自分には見えなかった。なにより,「いね」の古形が「いな」とするなら,これは傍証にもなっていないことになるのだが,『大言海』は,「いな(稲)」を,

くさなぎじょうご.jpg

(ひよどりじょうご)


「いねの轉」

とし,

「ふね(船),ふな。かね(金),かななど同趣多し」

としているので,「いな」はあくまで,「いね」の転としているところから来ているのだろう。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/i/ine.html

は,

「稲の語源は以下の通り諸説あり,『食糧』『生命』『寝具』『原産地』のどれに重きを置くかによって見解が異なる。 稲は食糧として重要なものであることから,『いひね(飯根・飯米 )』の意味とする説。 稲は食糧のほか藁を加工して多くのものが作られ,日本人の生活と切っても切れない関係にあることから,『いのちね(命根)』『いきね(生根)』の約など,『生命』と結びつける説。稲の藁は布団や畳などに加工され,古代人は藁を敷いて寝ていたことや,正月の忌み詞として『寝ね(いね)』と掛けた『稲挙ぐ』『稲積む』という言葉があることから,『いね(寝ね)』の連用形が名詞化された説。稲は原産地の言葉に基づくもので,ジャワのスンダ語『binih』,セレベス島のバレエ語『wini』などと同源とする説。漢字の『稲』は,漢音で『ドウ・ダウ』。呉音で『ダオ』と発音し,音読みの『トウ・タウ』には繋がるが,『いね』の語源とは関係ない。」

と諸説を挙げる。また,

http://agrin.jp/hp/q_and_a/kome_yurai.htm

も,

▽イツクシイ(愛)ナエ(苗)、つまり大切な植物としてそだてたところからという説
▽イヒネ(飯寝)からという説
▽イノチノネ(命根)の略という説
▽イツクシナへ(美苗)という意味という説

諸説を挙げる。しかし,いずれも,後世の語呂合わせの感が強い。いずれも,稲作の伝播との関連が見えない。ジャワ島やセレベス島では,伝播経路とうまくつながらない。ただ,

http://riceterraces.net/oryza/rice/kotoba.html

に,「こめ」は,

「今は、『米(コメ)』というと、稲の実である、いわゆる、食べる部分を表しますが、昔は、全体を表していました。 『コメ』は『久米(クメ)』とも同じ言葉で、インドシナ東部、中国南部、琉球諸島および、日本に分布する言葉です。」

とあるのがヒントになるのではないか。なお,「いね」については,

「『イネ』の基本型は『ネ』だといわれています。これは、中国南部の『Nei』『Ni』、ベトナムの『Nep』と繋がる言葉です。」

とあるのが,説得力がある。ちなみに,「稲(トウ)」についても,

「中国で古来使用されていた『稌(ト いね)』と、その新字である『稲(タオ)』で、これは、安南語の『ガオ』、ミュオン語の『カウ』と関係があるとされています。この言葉の繋がりから、中国へは、インドシナから華南を通 って稲が華北へ伝えられたと考えられます。日本語の『稲(トウ)』、朝鮮語の『ト』、タイ語の『カオ』は、これと同系統の言葉とされています。」

としていて,納得できる。なお,「稌」の字は,『漢字源』には載らず,『字源』には,

もちいね,酒を醸すべし,

とのみ意味が載る。

なお,「こめ」の語源については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/454757401.html

で触れた。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8D
http://riceterraces.net/oryza/rice/kotoba.html
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2017年11月11日

おっかない


「おっかない」は,

おそろしい,

という意味で,そこから派生して,程度のひどさという,

はなはだしい,
おおげさだ,

という意味に広がったとみられる。『岩波古語辞典』も,

おっかなし,

で,同じ意味が載るので,少なくとも江戸期から使われていた,と見ることができる。

おっかなびっくり,
おっかながる,

といった使い方もする。『江戸語大辞典』をみると,
 
「奥処(おくか)無しの転といい,おほけなしのというも確かならず」

とある。『日本語源広辞典』も,同じく,

「オクカ(奥という処)+ナイ(はかり知れない)」

とし,関東方言が一般化したもの,としている。「おくか」とは,『岩波古語辞典』には,

「(カはスミカアリカのカと同じ,所の意)奥まったところ,はて。将来。」

といった意味になる。「おほけなし」は,

身の程知らずである,そらおそろしい,
(年など)似合わない,
果敢である,

と意味が載る。いずれにしても,この転,とするには意味が隔絶しすぎている気がする。『大言海』は,

「奥處(おくか)なしの音便と云ふ説あれど,餘りに古し,オホケナシ,オッケナシ,オッカナシ(あたたけし,あたたかし)と轉じ,オソレオホシの意の移りたるなるべし」

と,「奥処」説を否定する。で,「おほけなし」には,

「大氣甚(オホケナ)しの義。大膽なりの意。」

とある。つまり,

おそれ多い相手に対して,身の程知らずである,

分不相応である,

大胆である,

もったいない,

といった意味の幅になる。『語源由来辞典』,

http://gogen-allguide.com/o/okkanai.html

も,

「おっかないの語源は,『身の程知らずだ』『恐れ多い』という意味の形容詞『おおけなし(お ほけなし)』が、促音化して『おっけなし』となり,『おっかなし』になったとする説。 形容詞『こわい』に感動詞『おお』が付いた『おおこわ』に,形容詞の接尾語『ない』が付いて『おおこわない』になり,音変化を繰り返したとする説がある。この語の使われ始めた時代は,『恐れ多い』の意味で使われた例が多く,意味的に『おほけなし』が近いため前者が有力と思われるが,『おおけなし』が変化して『おっかない』が成立するまでに『おおこわ』が影響した可能性は考えられる。江戸中期の方言辞典『物類称呼』では『武蔵近国の言葉』としており,主に東日本で用いられた言葉のようである。」

とし,『日本語源大辞典』も,

「次の点から見て,オホケナシを語源とする変化形である蓋然性が最も高い。(イ)オッカナイの初期の例には意味的にオホケナシ(おそれ多い。分不相応)との連続性が認め得ること。(ロ)オホケナシから語形変化をして,東日本的方言(シラビーム的方言)を背景とした以下の例と同様の,促音化・単音節化による語形変化として説明可能であること(シハハユイ→ショッパイ,ウチヤル→ウッチャル,オチャヒキ→オチャッピイ)。ただし,そこに感嘆詞による『オオ,コワ(恐)』などの表現が影響していた可能性が皆無であるとはまだ言い難い。」

と,「おほけなし」説を取る。両者が影響ありとする,「おお,こわ」は,別系統な気はするが,確かに,語感は似ている。どちらかと言うと,どちらも,心底怖いというよりは,

揶揄,
というか,
皮肉,

の気味がある。

https://dictionary.goo.ne.jp/leaf/dialect/984/m0u/

には,

東京の方言,

とあるが,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1152398616

には,

「『おっかない』は東日本方言です。糸魚川~天竜川ライン以東のことばです。東北地方は『おっかねー』になります。
『おっかまい』『おっかにー』などもあり。近畿以西は、『こわい』の系統と、『おそろしい』『おとろしい』などの系統。『おっかない』の系統は使いません。九州地方では『こわか』『おそろしか』『おとろしか』の系統のほかに、『えずい』『えずか』『おぞい』『おぞか』などの系統があります。中京地方に『おそがい』『おそげー』の系統があります。」

とあり,広くは,東日本だが,「江戸中期の方言辞典『物類称呼』では『武蔵近国の言葉』」とする,「武蔵近国」というのが正確なのではあるまいか。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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2017年11月12日

軌跡


「オットー・ネーベル展」

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_nebel/

に伺ってきた。

オットー展.jpg


サブタイトルが,「シャガール,カンディンスキー,クレーの時代」である。オットー・ネーベルの時代ではなく,オットー・ネーベルは,その時代に生きた,ということなのだが,なかなか含蓄のあるタイトルになっている気がする。

https://www.enjoytokyo.jp/museum/event/1416899/

に,

「マルチな才能を持った芸術家オットー・ネーベルは、1920年代半ばにワイマールに滞在し、美術学校・バウハウスでカンディンスキーやクレーと出会い長きにわたる友情を育みました。その活動初期から晩年までのバリエーション豊かな作品を一挙展示。
建築、演劇、音楽、抽象、近東など彼が手がけた主要なテーマに沿って、クレーやカンディンスキー、シャガールなど同時代の画家たちの作品とあわせて紹介されます。若き日のバウハウス体験に始まり、素材や作品の肌合いを追求し続けた画家ネーベルの知られざる画業を楽しんでみては。」

とあるように,

展示が,ときどき,シャガール,カンディンスキー,クレーの作品を並べているために,ネーベルの作品と取り間違えるほどで,もちろん,異なるのだが,三者の影響を強調する意図の展示のために,かえって,ネーベルの存在感が薄らぐ気がした。こちらが,カンディンスキーも,クレーもよく知らないというせいかもしれないが。

それにしても,たとえば,「避難民」(1935年),

pic1.jpg


あるいは,「輝く黄色の出来事」(1937年),

pic12.jpg


あるいは,「聖母の月とともに」(1931年)

img079.jpg


等々,ちょっと気になった作品は,どこか既視感がつきまとう。こちらの先入観のせいだろうか。僕には,終生の付き合いとなった,カンディンスキーとクレーの大きな翳から必死で抜け出ようとしている,と見えた。特に,1936~51年の年譜には,

カンディンスキーがヒラ・フォン・レバイを通してニューヨークのグッゲンハイム財団にネーベルを推薦。1951年までグッゲンハイムはネーベルから絵画を購入することで大いに支援する,

と,財政的にも支援をもらっているカンディンスキーの影響は大きかったのではないか,という気がする。

そして漸く行き着いたのは,ルーン文字シリーズの「満月のもとのルーン文字」(1954年),

pic14.jpg


と,《中東シリーズ》の「ミコノス」,

img078.jpg


などで,独自の世界を見つけたように見える。しかし,正直,カンディンスキーやクレーの影響下の作品に比して,輝きが少ないと,感じた。僻目であろうか。

観終わって,僕が感じたのは,この人の成長,というか作品作りの軌跡そのものが,このオットー・ネーベルという人の作品世界なのだ,ということだ。そしてそれは,

シャガール,カンディンスキー,クレーの時代,

そのものなのだ,と。そして,人が画家になる,とはどういうことか,どういう軌跡を描くのか,ということを,シャガール,カンディンスキー,クレーという同時代の巨人との格闘を通して,そのオットー・ネーベルという人の画業の軌跡で示しているように思えた

参考文献;
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_nebel/about.html
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_nebel/nebel.html

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

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2017年11月13日

布施


お布施,

という言い方をする。しかし,昨今のお寺は,お布施を要求する。果ては,金額まで指定すると聞く。

「布施」は,辞書には,

梵語dānaの訳,檀那破音訳,

として,

人に物を施しめぐむこと,
僧に施しを与える金銭または品物,

とある。

お布施を包む,

という言い方をする。「袈裟」について,

http://www3.omn.ne.jp/~imanari/howahuse.html

に,

「ある日のこと。いつものように説法をして各家々を廻っていたときのこと。ある貧しい家で、『たいへんよいお話を聞き、生きる希望が湧いてきました。しかし、ご覧の通り、私の家は貧乏で、お坊様にあげる物は何一つありません。』『差し上げられる物といえば、赤ん坊のおしめに使っているこの布ぐらいです。』『このような物でもよければ・・・。』
 お坊さんは、ありがたくその糞に汚れて、洗ってはあるものの、黄色くなっている布をいただいた。お坊さんは、その布を寄せ集め、四角い布をつぎはぎして衣を作り着たのです。インドの服装分かりますか? サリーという肩に掛けて纏う着衣です。これが、お袈裟の起源です。袈裟って、よく見ると、小さな布をつぎはぎしてできているのですよ。今度、お坊さんが着ているのを見たら、よく見てみてください。首からかける絡子(らくす)もそうです。そして、基本の色は黄土色なのです。糞掃衣(ふんぞうえ)と言います。」

とあり,さらに,

「誠心誠意、心をこめて人のために施しをすることを布施と言います。だから、暑いときに扇いで風を送ってやることも、困っている人に救いの言葉をかけることも、優しい笑顔を与えることも、皆『布施』なのです。」

とある。別に,

「サンスクリットdānaの訳で,音訳は檀那である。両語を合わせて檀施ということがあり,布施する者を檀那,檀越(だんおつ),檀家ということもある。仏や僧や貧窮の者に衣食を施与することで,仏道修行では無欲無我の実践である。したがって正覚を開くための六波羅蜜の一つにかぞえられる。キリスト教の愛にあたるのが仏教では慈悲であるが,慈悲の実践は布施と不殺生である。日本仏教でも布施はよくおこなわれ,法要があればかならずその後で貧窮者への施しがなされた。」

ともあり,

「法要があればかならずその後で貧窮者への施しがなされた」

とあるように,本来は,修行の一つなのではないか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E6%96%BD

に,

「他人に財物などを施したり、相手の利益になるよう教えを説くことなど、『与えること』を指す。すべての仏教における主要な実践項目のひとつである。六波羅蜜のひとつでもある。」

とある。「波羅蜜」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C

に,

「あるいは、玄奘以降の新訳では波羅蜜多とは、仏教において迷いの世界から悟りの世界へ至ること、および、そのために菩薩が行う修行のこと。到彼岸(とうひがん)、度(ど)などとも訳す。六波羅蜜と十波羅蜜があり、大乗仏教では実践を六波羅蜜にまとめている。」

とあり,

「六波羅蜜」は,

「大乗仏教で説く悟りの彼岸に至るための6つの修行徳目。六度彼岸(ろくどひがん)や六度とも呼ばれる。
・布施波羅蜜 - 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること。dānaという単語は英語のdonation、givingに相当する。具体的には、財施(喜捨を行なう)・無畏施・法施(仏法について教える)などの布施である。檀と略す場合もある。
・持戒波羅蜜 - 尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること。在家の場合は五戒(もしくは八戒)を、出家の場合は律に規定された禁戒を守ることを指す。
・忍辱波羅蜜 - 羼提(せんだい、Kṣānti クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと。
・精進波羅蜜 - 毘梨耶(びりや、Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること。
・禅定波羅蜜 - 禅那(ぜんな、Dhyāna ディヤーナ)は、特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。
・般若波羅蜜 - 慧(え、Prajñā プラジュニャー)は、慧波羅蜜とも呼ばれ、十波羅蜜の智波羅蜜とは区別される。前五波羅蜜は、この般若波羅蜜を成就するための階梯であるとともに、般若波羅蜜を希求することによって調御、成就される。

と挙げられており,布施は,

完全な恵み,施し,

であり,持戒は,

戒律を守り,自己反省すること,

であり,忍辱(にんにく)は,

完全な忍耐,堪え忍ぶこと,

であり,精進(しょうじん)は,

努力の実践,

であり,禅定(ぜんじょう)は,

心作用の完全な統一,

であり,般若は,智慧(ちえ)といい,

仏教におけるいろいろの修行の結果として得られた「さとり」の智慧。

をいう。その意味で,「布施」は,

布施波羅蜜,

檀那(だんな、Dāna),

であり,修行として,分け与えること,である。いつの間にか,(僧が)受け取る意味だけになってしまっているのは,今日の仏僧のあり様を象徴している。

因みに,智慧としたが,

「厳密には中国に翻訳される場合、それは『慧』と訳され、『智』とは区別されていた。
道倫(どうりん)の『瑜伽師地論記』 に『梵にいう般若とは、これに名づけて慧となす。当に知るべし、第六度なり。梵にいう若那とは、これに名づけて智となす。当に知るべし、第十度な利」とあって、般若を慧、闍那(若那、jāna)を智と、それぞれ訳出して、その意味の区別を考えていたことがわかる。
この慧と智の区別について、慧遠は『大乗義章』の中で、『智』を照見、『慧』を解了とし、『智』は一般に世間で真理といわれるものを知ること、『慧』は出世間的な最も高く勝れた第一義の事実を照見し、それに体達するものであるとする。」

とあり,知ることと体得することを分けていたかに見える。あるいは,「慧」は,「智」のメタ・ポジションと見ることもできる。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E6%96%BD
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5

ホームページ;
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2017年11月14日

サンクチュアリ


ウィリアム・フォークナー『サンクチュアリ』を読む。

img080.jpg


表題である,

サンクチュアリ(sanctuary),

は,訳者(加島祥造)によると,

「『聖所』『聖域』『逃げ込み場所』などといった意味をもっているが,ここでは後者の『隠れ家』という意味が強い。」

とある。それは,

密造酒をつくっていたグッドウィン一家たちの住んでいた場所,

を指すとも言えるし,

17歳の女学生テンプルを連れ込んだ曖昧宿,

を指すともいえるし,

冤罪で収監されたグッドウィンのいた刑務所の監房,

を指すともいえるし,

無実のグッドウィルを裁判で救えずリンチで焼き殺されるのを手を拱いているしかなかった弁護士ホレスが逃げ込んだ(そこから逃げ出したはずの)家庭,

を指すともいえる。あるいは,

グッドウィンを陥れる偽証をして父とともに逃げたテンプルのいるパリ,

を指すともいえる。さらには,

自分がしたのではない殺人の罪で処刑されたポパイの死そのもの,

を指すとも言えるのかもしれない。客観的なものではなく,主観的なそれ,あるいは,本人自身は気づいていないが,結果としてのそれ,という意味も含む。

本書を読みながら,対比のように,何十年も前に読んで圧倒された,ドス・パソス(ジョン・ロデリーゴ・ドス・パソス(John Roderigo Dos Passos)の『U・S・A』3部作を思い出していた。『U・S・A』3部作は,

「新聞の切り抜き(『ニュース映画』)・作者の意識の流れ(『カメラの目』)・登場人物たちそれぞれのドラマで、20世紀初頭の『アメリカ合衆国』を、虚実織り交ぜて、実験的手法で、眺望したもの」

とされ,ちょうど,1930年代のアメリカを俯瞰したものになっている。その実験的な手法に魅了された記憶がある。

対するフォークナーは,

「フォークナーが創造したヨクナパトーファ郡(ミシシッピ州)を舞台にし、時代設定は禁酒法(1933年)時代の1929年5月と6月」

と,アメリカ南部の(架空の)小さな町での出来事を,虫瞰的に稠密に,描く。その状況描写は,緻密な西陣織のように微に入り,細を穿つ。しかし,それに比べて,登場人物は,ちょうど,細密画の背景の前でヒラヒラおどる紙人形のように,ペラペラである。そのギャップに,驚く。存在感のなさを描いたという強弁もあるかもしれないが,僕には,そうは見えなかった。主役は,その背景の時代と,密閉された南部の街の気質,雰囲気そのものなのではないか。だから,登場人物は,その状況の付けたし,添え物にすぎないのかもしれない。
img066.jpg


本書は,フォークナーの傑作には加えられない作品らしい。『怒りと響き』『八月の光』に比べると,作家自身も,

「私としてはこれは安っぽい思いつきの本だ。なぜならこれは金がほしいという考えから書いたものだからだ。」

と書いていたという。もっとも,

「初校の校正刷りを見て,これはひどい作品だと知り,(中略)書き直した。組み直し料を払わなければならなかったが,とにかく『響きと怒り』や『死者の床に横たわりて』をあまり辱めぬように努力し,その仕事はかなりうまくいったと思う」

と書いてはいる。しかし,筋の粗っぽさと,人物のぺらぺらさ(人物像だけではなくその行動の突飛さ),は救われていないと僕は見た。ただ,人物の空虚さ,存在感のなさが意識的なら,その意識的であることが文学空間に表現されているとは思えなかった。その証拠に,取ってつけたように,ラストでポパイの生い立ちの悲惨さを描きだす。それも唐突に,だ。


参考文献;
ウィリアム・フォークナー『サンクチュアリ』(新潮文庫)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B9
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC


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2017年11月15日

なげやり


「なげやり」は,

投げ槍,

ではなく,

投げ遣り,

で,

投げ捨てる,

という意味で,そこから,

投げ捨てておくこと→結果はどうなっても構わない→物事をいいかげんに行うこと→成り行き任せ→無責任,

といった意味の幅がある。

「なげやり」に似た言葉で,

捨て鉢,

というのがある。

のぞみを失ってもいいと思うこと,自暴自棄,

という意味だが,「なげやり」には,,

自暴自棄,

という含意はない。放り出して,後は野となれ山となれ,という感じであるが,そこには自暴自棄より,野太い厚かましさがあって,物事は投げ出しても,自分を投げ出すという気配はない。むしろ,

後は野となれ山となれ,

が近く,

http://kotowaza-allguide.com/a/atowanotonare.html

には,

「後のことは、野になるならなれ、山になるならなれ、という意から、当面のことさえ片付いてしまえばどうなってもかまわないということ。
自分はするだけのことはしたのだから、後のことは知ったことではないという開き直りの気持ちを込めて使う。
勝手にしろとばかりに居直るとも言えるし、場合によっては潔く見えることもある。」

とある。「なげやり」に近い。

「捨て鉢」は,
http://yaoyolog.com/%E3%80%8C%E3%81%99%E3%81%A6%E3%81%B0%E3%81%A1%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%84%E3%81%86%E6%84%8F%E5%91%B3%EF%BC%9F%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%9D%E3%81%AE%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%81%A8/

に,

「ここでいう『鉢』とは、お坊さんが一般家庭を回って食べ物などを分けてもらう『托鉢(たくはつ)』に使う鉢の事を指しているのだそうです。中には托鉢に対して否定的な方もいらっしゃるようで、ひどい罵声を浴びせられることもあったのだとか。そのような事も含め、辛い修行を投げ出しドロップアウトする事を、『鉢を捨てる』と例えたところから、『捨て鉢(すてばち)』と言う様になったのだそうです。」

とある。『日本語源広辞典』には,

「捨てるものを投げ入れる鉢(容れ物)」

という説のほかに,

「捨てて顧みない鉢」

という説もあるらしい。いずれも,「投げ捨てる」ということにウエイトがある。となると,「なげやり」と含意は重なる。『江戸語大辞典』には,すでに,

やけくそ,
やぶれかぶれ,

の意味しか載らない。「やけくそ」は,『広辞苑』に,「やけ」が,

自棄,

の字を当てているので,「くそ」をつけて,

やけを強めている,

ということになる。この「くそ」は,

糞,

の字を当てるが,

「他の語につけて,卑しめ,罵り,または強めて言うのに用いる語」(『広辞苑』)

として使われる。『岩波古語辞典』にも載るので,古くから使われたものらしいが,『大言海』に,いわゆる「糞」の意味から派生したものか,

かす,
くず,

という意味があり,これが,卑しめに使われる遠因と思われる。

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%84/%E3%82%84%E3%81%91%E3%81%8F%E3%81%9D%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

は,

「やけくそとは、切羽詰まってなげやりな行動をとってしまうような心の状態をいう。『やけ』は『自棄』と当てるが、もとは『焼け』。『くそ』は大便のことで、敵軍に城を囲まれ、自暴自棄になった殿様が自ら火をつけて自害するといったようなケースでは、たぶん『くそ』も『焼ける』だろうから、『やけくそ』は『焼けたうんこ』の意味としてもよさそうなものだが、そんなわけはなく、この場合の『くそ』は、『下手くそ』『胸くそが悪い』『くそおもしろくもない』などのように、前後の言葉を強調したり、強く卑しめたりする語だと普通は解釈される。『焼け』がなぜ『自棄(自分をかえりみず、大事にしないこと)』の意味になるのかについては諸説あるが、火事で焼けた銭を『焼け銭』『焼け』といい、悪貨として排斥されるのを『焼けになる』といったようなことが関係あるのではないかといわれる。火事にあったら、銭が使い物にならなくなるかいなかを問わず、誰でも自暴自棄になるだろうから、ことさら『焼け銭』にこだわらなくてもよいかと思われる。」

と書いている。「やけ」について,『日本語源広辞典』は,

「『焼け』です。自棄的な行動に使います。一度火を被って役に立たないのが,語源のもつ意味です。」

としているが,これでは,役に立たないことと自棄とはつながらない。『日本語源大辞典』は,

「火災などで焼損した貨幣を焼金(やけがね)・焼錢(やけぜに)といい,略して『焼け』と呼んだ。表面の文字が焼けただれて不分明となり,撰銭(えりせん)の対象として排斥されたことから,『焼けになる』の語と関係があるか。」

としている。確かに,『江戸語大辞典』の「焼け」の項には,「自暴自棄」の意味の他に,

焼金(やけがね)・焼錢(やけぜに)の略,

が載る。「棄てざるをえない銭」から来たというのが語源なのかもしれない。因みに,

焼けのやん八,
焼けの勘八,

という言い方は,『江戸語大辞典』によると,

「『やけ』の縁語で,『かんぱちこ』(カラカラに乾いたさま)と言い続け,それを人名に模した語」

とある。なお,「くそ」について,

http://zokugo-dict.com/08ku/kuso.htm

に,

「くそとは大便のことを荒く言った言葉で、戦国時代以前から使われている。江戸時代に入ると『あんなくそが言うことなど・・・』と他人を罵ったり、『くそっ、これしきのこと』といったように自分自身を戒めたり、奮起させる言葉としても使われるようになる。後に人を罵る意味では『くそガキ』『くそったれ』といったように接頭語としても使われる。また、『くそ面白くない』『くそ忙しい』など、人以外に付けられる場合、「とても・非常に」といった強調として使われる。この場合、後に続く内容は不快・不愉快といった否定的なものである(平成に入ると必ずしも否定的内容でない場合がある)」

とある。古くから使われている。なお,「やぶれかぶれ」は,

http://zokugo-dict.com/36ya/yaburekabure.htm

に,

「やぶれかぶれとは自棄になることや自暴自棄なさまを表す言葉だが、破れかぶれと書く通り、単に自棄になるというより、何かに破れ(=敗れる)たり、失敗したり、思い通りにいかないなど、物事が悪い方向へ向いてしまったことによる際に使われる。警官に囲まれた犯人が凶器を無闇に振り回すさまなどがこれに当たる。また、時代劇で悪人に捕まった町人が『こうなったらやぶれかぶれだ。煮るなり焼くなり好きにしやがれ』といったセリフを言うことがある。このように『開き直り』、さらに『居直り』といった意を含んで使われることも多い。」

とある。こうみると,自棄(やけ)度は,

なげやり→すてばち→やけくそ→やぶれかぶれ,

といったところか。やはり「なげやり」には,焼けの含意は薄い。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;
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2017年11月16日

信長像


日本史史料研究会監修・渡邊大門編『信長研究の最前線2』を読む。

信長研究の最前線2.jpg


本署の「はじめに」で,

「これまでの織田信長は中世を徹底的に破壊し,近世への道筋をつけた『革新者』と評価されてきた。しかし,信長が宗教を徹底的に弾圧した,嫌がる正親町天皇に譲位を迫った,信長の都市・流通政策(楽市楽座など)はオリジナルなものだった,などの見解に対して,今日,研究者の間でも否定的な意見が多数を占めている。信長は中世的かつ保守的であったとの理解が,主流となっているのではないだろうか。」

その意味で,刻々,信長像は,平凡化しつつあるが,それは,

「信長に関する諸説は,明確な史料的根拠や実証がないままに『雰囲気』として継承されてきたものもある。ところが,関係史料を丹念に読み解くことにより,誤りが判明したものも少なくない。あるいは,何の根拠もないのに独り歩きした説があることもわかった。」

前著『信長研究の最前線』は三年前,今回は,結構細部に踏み込んだものが目につく,例えば,

「信長の顔・姿は,どこまで本物に近いのか」

では,残された肖像画を比較する。最も有名なのは,愛知県豊田市・長興寺蔵の画像(長興寺本)。

「桃山時代を代表する絵師・狩野永徳(1543~90)の弟。宗秀(1551~1601)の作と推定されている(画像の裏に押された朱印による)。」

もので,画像の下に,識語が,

「天徳院殿一品前右相府 泰岩浄安大禅定門 天正十年壬午六月二日御他界 右信長御影 為御報恩相 當於一周忌之 辰描之三州 高橋長興寺 与語久三郎 正勝寄進之 天正十一年六月二日」

とある。信長家臣,余語正勝が,報恩のために,一周忌にあたり寄進したものである。

信長.jpg

(上,天徳院殿一品前右相府 泰岩浄安大禅定門 天正十年壬午六月二日御他界。 下,右信長御影 為御報恩相 當於一周忌之 辰描之三州 高橋長興寺 与語久三郎 正勝寄進之 天正十一年六月二日)


この像は,

「面長な顔,エラの張った顎,大きな鼻,はっきりした目,鼻の下とあごの髭,眉間の縦皺が目立つ。」

これ以外の大半の信長像は,束帯姿であるが,この像は,

「肩衣は,萌黄色で胸の前に白い桐紋が描かれている。袴は同色で上端(腹のところ)白く二本の横線が入っている。いわゆる二引両である。
 信長は,永禄十一年(1568)に足利義昭(1537~97)を奉じて上洛した功績に,義昭から『桐紋・引両筋』(『信長公記』),すなわち桐紋と引両紋を拝領している(『信長公記』)。」

神戸市立博物館蔵の信長像も,天正十一年六月二日の一周忌のために作られた。

「冠・束帯姿で,金の桐紋の目貫をつけた太刀をはき,右手に笏を持つ。容貌は鼻が大きく,目がはっきりしており,鼻下に髭をたくわえるなど,信長の特徴がよく現れているが,朝興寺本のような眉間の皺はなく,その分,穏やかな印象がある。」

と。

神戸市立博物館蔵 信長像.jpg

(神戸市立博物館蔵)


これに対して,大徳寺本の信長像は,「その出来のよさから狩野永徳の作とされている」もので,

「面長,鼻がおおきく,鼻下に髭があり,眉間には縦皺がある。月代を広くとっているのは,長興寺本のそれと同じだが,大徳寺のそれは薄くなった髪を写実的に描いている。
 服装は薄茶色の肩衣姿で同色の袴をはき,腰刀を差し,右手に扇を持つ。肩衣の胸には桐紋の下に木瓜紋を二つ並べた,特異な紋が描かれている。木瓜紋は織田家本来のもの,桐紋は…足利義昭から拝領したものである。(中略)信長も…義昭を追放したあとまで,桐紋を使い続けている。」

信長像大徳寺蔵.jpg

(大徳寺蔵)


でこの像は,

「肩衣の内側には,白い肌着と,薄い青地に白い桐紋を散りばめた小袖を着けている」

が,平成二十年から行われた解体修理で,発見されたことがある。ひとつは,

「表から見える小袖の部分に,裏彩色(絵絹の裏から彩色を施すこと)があることだ。の裏彩色は,小袖の向かって右側が萌黄色,左側が薄茶色で,片身変り(衣服の左右の色を変える)になっている。
 つまり,当初は片身変りの小袖が描かれていたが,のちに単色の小袖に変更されているのだ。これらの片身変りの部分にも,桐紋が散らばされている。
 つぎに刀剣の裏彩色について述べよう。現在は腰に細い刀を一本指しているのに対して,裏彩色では,太めの打刀と細い腰刀の二本差しになっている。(中略)
 表面から見られる顔の裏面に異なった顔が描かれていて,その顔の髭は端がはねあがっているのだ。信長の髭は,端がはねあがっている時と,そうでもない時があったらしい。」

この描き直しは,三回忌に当たって,秀吉の意向で,「おとなしめの姿」に書き換えられたものらしい。

どうやら,信長は,結構武威張った,という素顔が垣間見える。一周忌に,それを描いた位だから。

また,義昭との関係を,

室町幕府の「幕府」とは何か,

で,解き明かしながら,「幕府」を,広義の,

「相互に補完し合う,将軍と大名たちをあわせた全体をさす」

場合と,狭義の,

「将軍,およびこれに直属する中央機関而已をさす」

場合とにわけ,義昭追放後も,狭義の幕府機能は,備後国鞆へ移ったもので,追放を持って,幕府滅亡とは言えない,としている。あるいは,足利義政が切り取って以来,109年ぶりに蘭奢待を切り取った一件についての,

信長は,なぜ蘭奢待を切り取ったのか,

あるいは,フロイスのみが指摘していた,自己神格化についての,

信長「神格化」の真偽を検証してみる,

あるいは,多くは本能寺とともに消失したとされる「名物狩り」についての,

「名物狩り」と「御茶道御政道」の実像とは,

あるいは,復元で話題の安土城についての,

安土城「天主」の復元はどこまでかのうなのか,

あるいは,二度にわたる馬揃えをめぐっての,

信長の「馬揃え」は,朝廷への軍事的圧力だったのか,

等々,かなり細かなところを探りながら,信長象の実像に迫っている。細部を検証すればするほど,信長を祭り上げていた虚像とは異なる,生き生きした実像が見えてくる。かえって,その方が,親近感を覚えるのではあるまいか。

参考文献;
日本史史料研究会監修)・渡邊大門編集『信長研究の最前線2』(歴史新書y)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7

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2017年11月17日

さす


「さす」と当てる字は,

止す,
刺す,
挿す,
指す,
注す,
点す,
鎖す,
差す,
捺す,

等々とある(『広辞苑』。「令(為)す」という使役は別にして,『大言海』は,そのほか,「發す」「映す」「擎す(ささげる意)」を載せる)。文脈依存で,会話では「さす」で了解し合えても,文字になった時,意味が多重すぎる。で,漢字を借りて,使い分けた,とみえる。しかし,「さす」は,連用形「さし」で,

差し招く,
差し出す,
差し迫る,

と,動詞に冠して,語勢を強めたり語調を整えたりするのに使われるが,その「さし」は,使い分けている「さす」の意味の翳をまとっているように見える。

まず「さす」について,『岩波古語辞典』は,

「最も古くは,自然現象において活動力・生命力が直線的に発現し作用する意。ついで空間的・時間的な目標の一点の方向へ,直線的に運動・力・意向がはたらき,目標の内部に直入する意」

とある。で,「射す・差す」について,

「自然現象において活動力が一方に向かってはたらく」

として,光が射す,枝が伸びる,雲が立ち上る,色を帯びる等々といった意味を挙げる。次いで,「指す・差す」について,

「一定の方向に向かって,直線的に運動をする」

として,腕などを伸ばす,まっすぐに向かう,一点を示す,杯を出す,指定する,指摘する等々といった意味を挙げる。次いで,「刺す・挿す」について,

「先の鋭く尖ったもの,あるいは細く長いものを,真っ直ぐに一点に突き込む」

として,針などをつきさす,針で縫い付ける,棹や棒を水や土の中に突き込む,長いものをまっすぐに入れる,はさんでつける等々といった意味を挙げる。さらに,「鎖す・閉す」について,

「棒状のものをさしこむ意から,ものの隙間に何かをはさみこんで動かないようにする」

として,錠をおろす,ものをつっこみ閉じ込めるといった意味を載せる。さらに「注す・点す」について,

「異質なものをじかにそそぎ加えて変化を起こさせる」

として,注ぎ入れる,火を点ずる,塗りつけるといった意味を載せる。最後に,「止し」について,

「鎖す意から,動詞連用形を承けて」

として,途中まで~仕掛けてやめる,~しかける,という意味を載せる。

こう見ると,「さす」の意味が多様過ぎるように見えるが,

何かが働きかける,

という意味から,それが,対象にどんな形に関わるかで,

刺す,

挿す,

注す,

に代わり,ついには,その瞬間の経過そのものを,

~しかけている,

という意味にまで広げた,と見れば,意味の外延の広がりが見えなくもない。語源を見ると,『日本語源広辞典』は,

「刺す」

「指す・差す・射す・挿す・注す」

と,項を分けているが,結局,

刺す,

を原意としている。「刺す」に,

「表面を貫き,内部に異物が入る意です。または,その比喩的な意の刺す,螫す,挿す,注す,射す,差すが同語源です。」

とある。『日本語源大辞典』も,

「刺す・鎖す」

「差す・指す・射す」,

と項を別にしつつ,

「刺すと同源」

としている。では「刺す」の語源は何か。『日本語源大辞典』には,

サス(指)の義(言元梯・国語本義),
指して突く意(大言海),
間入の義。サは間の義を有する諸語の語根となる(国語の語幹とその分類=大島正健),
物をさしこみ,さしたてる際の音から(国語溯原=大矢徹),
進み出す義(日本語源=賀茂百樹),
サカス(裂)の義(名言通),
サはサキ(先)の義,スはスグ(直)の義(和句解),

等々と挙げている。擬音語・擬態語が多い和語のことから考えると,

物をさしこみ,さしたてる際の音から,

というのは捨てがたいが,まあ未詳ということになる。

http://xn--n8j9do164a.net/archives/4878.html

は,

「指す」のほうは基本的に、方向や方角などを指し示す場合に使われます。将棋は駒を指で動かすので、「指す」の字があてられるのですね。
「差す」は一般的に、細長い光などがすき間から入り込む様子を表します。もちろん、光だけではありません。「魔が差す」は、心のふとしたすき間からよこしまな考えが忍び込む、という意味ですね。
「挿す」は使い方が限定的で、おもに草花やかんざしなどに使われます。また、「挿し絵」のように何かの間にはさみこむ、さしいれるという意味があるようです。
「刺す」はわりと日常的に使われていますよね。言葉のニュアンスは「差す」よりも強く、細長くとがったもので何かを突き通す、という意味をもっています。「刺」のつくりはりっとうと言い、刃をもつ武器や道具を表す部首です。
このことからも、「刺す」は刃物を使って何かを突く、傷つけるという意味をもつこととがわかります。
「射す」は太陽の光や照明の明かりが入ってくること。
「注す」は水などの液体を容器に注ぐこと。
「点す」は目薬をつけることを表します。

と,意味の使い分けを整理しているが, 漢字は,

「刺」は,「朿(シ)の原字は,四方に鋭い刺の出た姿を描いた象形文字。『刺』は『刀+音符朿(とげ)』。刀で刺のようにさすこと。またちくりとさす針。朿は,束ではない。もともと名詞にはシ,動詞にはセキの音を用いたが,後に混用して多く,シの音を用いる」
「挿(插)」は,「臿(ソウ)は『臼(うす)+干(きね)』からなり,うすのなかにきねの棒をさしこむさまを示す。のち,手を添えてその原義をあらわす」
「指」は,「『手+音符旨』で,まっすぐに伸びて直線に物をさすゆびで,まっすぐに進む意を含む。旨(シ うまいごちそう)は,ここでは単なる音符にすぎない」
「差」は,「左はそばから左手で支える意を含み,交叉(コウサ)の叉(ささえる)と同系。差は『穂の形+音符左』。穂を交差して支えると,上端はⅩ型となり,そろわない,そのじくざぐした姿を示す」
「注」の字は,「水+音符主」。「主の字は,『ヽは,じっと燃え立つヽ灯火を描いた象形文字。主は,灯火が燭台の上でじっと燃えるさまを描いたもので,じっとひとところにとどまる意を含む』で,水が柱のように立って注ぐ意」
「点(點)」は,「占は『卜(うらなう)+口』の会意文字で,占って特定の箇所を撰び決めること。點は『黒(くろい)+音符占』で,特定の箇所を占有した黒いしるしのこと。のち略して点と書く」
「鎖」は,「右側の字(音サ)は,小さい意。鎖は素家を音符とし,金を加えた字で,小さい金輪を連ねたくさり。」

といった由来があり,多く漢字の意味に依存して,「さす」を使い分けたように見える。結局,どの字を使っても,

刺す,

に至るのだが,冒頭で述べたように,「さし」を接頭語にした語が多い。多くは,「差し」の字を当てる。『大言海』は,「差す」について,

「其職務を指して遣はす意ならむ。此語,ササレと,未然形に用ゐられてあれば,差の字音にはあらず,和漢,暗合なり。和訓栞,サス『使いをサシつかはす,人足をサスなど云ふは,差の字なり。匡謬正俗に,科發士馬,謂之為差と見ゆ,官府語也,日本紀に,差良家子為使者,軍防令に,凡差兵士と見えたる,是也』。陔餘叢考『官府遣役曰差』。品字箋『差遣,役使也』」

として,

充てて,遣る。つかわす,
押し遣る,また,行(や)る,行う,
前へ伸ばす,
突き張る,

といった意味を載せる。この「差」には,意図して,何かをする,何かをさせる,という含意が強い。だから,

「差し向かう」

という場合,単なる向き合っているのとは異なる含意になる。『日本語源広辞典』は,「さし」を,

接頭語,

としているが,

差し押さえる,
差し障る,
差し出す,
差し止める,
差し控える,
差し押さえる,
差し交わす,

等々,「差し」は単に強調以上の含意を引きずっているように見える。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2017年11月18日

いじける


「いじける」は,

恐ろしさのために縮こまりすくむ,
寒さのためにかじかむ,
ひねくれて臆病になる,のびやかでなくなる,

と意味の幅がある(『広辞苑』)。『デジタル大辞泉』は,もう少し丁寧に,

1 恐怖や寒さなどで、ちぢこまって元気がなくなる。「空腹でからだが―・ける」
2 ひねくれて、すなおでなくなる。すねたようすをする。「―・けた性格」「―・けた態度」
3 伸び伸びとした感じがしなくなる。「―・けた絵」

と,紹介する。これから推測するに,

おびえる→寒さで縮む→ひねくれる→のびのびしなくなる,

と意味が転化していったと見て取れる。『大言海』は,「いぢける」の項で,

「怖(おじ)けるの音轉なるべし(動く,おごく,いごく)。チヂムは,怖ぢたる状なり,イヂカリ股,エヂカリ股はイヂケ股の変転ならむ(かじかむ,かじける。蚊燻(かいぶし),カエブシ)。リは,添えたるもの(がたひし,がたりひしり。ちらと,ちらりと),イヂカリは関東にて,エヂカリは関西なるか。出典のエヂカリは京都人なり」

と,

おじける(odikeru)→いぢける(idikeru)→いじける(izikeru),

の転訛とする。『日本語源広辞典』も,

「オジケルの音韻変化」

とする。『日本語源大辞典』も,

オジケル(怖)の音轉,

とともに,

ヒシゲル(挫)の転,

を載せ,他の言葉の音韻変化とする。しかし,『岩波古語辞典』には,「いぢける」は載らないが,

いぢくさり(意地腐),
いぢくね(意地拗),

の語が載る。「いぢくさり」は,

心がねじけていて他人を苦しめる者,意地悪,

の意だが,「いぢくね」は,

こころがねじけていること,ひねくれた性格,

とあり,「くねり」(四段活用)をみると,

「クネは曲がったり戻ったりする意」

として,

まっすぐな対応をしない,
皮肉にとらえる,
ひねくれ恨む,すねる,

の意味が載り,ねじけている性格について,

くねくねし,

という言い方がある。

おじける→いじける,

変化に,納得できないわけではないが,

いぢくね(idikne)→いぢくねる(idikuneru)→いぢける(idikeru),

という変化も,捨てがたい気がする。「意地」そのものの「くねくね」を,最初から示している,と見た方が自然だからだ。

ところで,「いじける」の類語には,

ひがむ,
ひねくれる,
すねる,
ねじくれる,

等々がある。「ひがむ」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/427853899.html

で触れた通り,「僻目」つまり,

物事を素直に受け取らず,自分に不利であると歪めて考える,

という,ものの見方を指しており,「ひねくれる」は,

ひねる(捻る)+くる(繰る),

で,手でひねくり回す,という意味になるが,

ねじれまがる,形状がゆがむ,

という状態を指している。「ひねくれ」は,その結果,
 
ふるびる,すっかりひねている,

という状態表現になる。「すねる」は,

拗ねる,

と当てるが,「拗」は,

「幼(ヨウ)は『細い糸+力』からなり,糸のようにしなやかで細いこと。拗は『手+音符幼』で,しなやかに曲げること」

で,ねじる,しなやかに捻じ曲げる,という意味があり,語源は,

古語,拗ねる(まがる),

とある(『日本語源広辞典』)。やはり,ねじまがった状態表現である。その意味では,「おじる→いじける」なら,「いじける」は,珍しく,心の状態表現ではなく,身体の状態表現から,心の状態表現,更に価値表現へと転じたと見ることができる。「いぢくね→いぢくねる→いぢける」の転訛なら,他の類語とかさなるのではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ラベル:いじける
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2017年11月19日

やさぐれる


「やさぐれる」は,手元の辞書(『広辞苑』)には載らない。『デジタル大辞泉』には,「やさぐれ」の動詞化として,

1 家出する。宿無しの状態でふらふらする。
2 《「ぐれる」と混同したものか》すねる。ふくれる。また、無気力で投げやりになる。

の意味が載る。

http://www.weblio.jp/content/%E3%82%84%E3%81%95%E3%81%90%E3%82%8C%E3%82%8B

によると(出典:『Wiktionary』 (2010/10/28 08:41 UTC 版)),

「1.(俗語)投げやりになる。ぐれる。
 2. (俗語)家出する。
 名詞 やさぐれ の動詞化。初出は江戸時代。やさぐれが単純に動詞化したものとしては語義2が正しい。しかし、動詞ぐれると混同され、それによる誤用が広まったために語義1の用法が広く使われているとみられる。」

とある。「ぐれる」と混同とは,そう言うことらしい。初出,江戸時代説の根拠となったのは,『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/36ya/yasagureru.htm

で,ここに,

「やさぐれるとは家出や家出人を意味する『やさぐれ』に俗語によくある名詞を動詞化する接尾語『る』をつけたもので、当初は家出することを意味した。しかし、やさぐれるは『やさぐれ』と同じく『はまぐれ』から派生した『ぐれる』と取り違えられるようになり、『すねる』『自暴自棄になる』といった意味になった。」

と,「江戸時代」とある。

http://www.yuraimemo.com/2496/

にあるように,

「不良の間で使われていた隠語である『やさぐれ』が転じた言葉なのだそう。『やさぐれ』の『やさ』とは「鞘(さや)」の反転であり(逆さにしたと考える)その刀の刀身部分を入れる筒の意味から家を表し、そこにはずれることを意味する『ぐれ』が付くことで家出することや、家出人そのものを表すようになったそうです。」

ということらしい。「やさ」を調べると,「ヤサ」と表記して,

https://matome.naver.jp/odai/2141302420107090101/2141302674508705203

に,

「家、隠れ家  (刀の鞘(さや)が由来している)」

とある。実は,警察用語でも,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13116340078

で,「やさ」というらしいが,この場合,

「『家』を指す。『家探し』という言葉が語源らしい。」

とあり,「家探し」を簡略化したもので,「やさぐれ」の「やさ」とは,違う可能性がある。それにしても,なぜ,刀の「鞘」が,家の意味の,

やさ,

になったのかは,分からない。「さや」を逆さにした,というのはいかにもありそうだが,それなら「えい」か「や」でなくては辻褄があわない。しかし,

http://aslan-bun.com/?p=2097

でも,

「『やさ』は、刀の『鞘(さや)』を逆転して呼んだもの。そこから転じて、『やさ』は家を指しています。」

と載るし,極道用語を集めた,

http://www.usamimi.info/~kintuba/zingi/zingidic-ya.html

でも,

「家などの住居のこと。『鞘』の逆読みで、刀が鞘に収まるように人間もねぐらに戻ることから。」

とある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ya/yasagureru.html

は,「やさぐれる」で,それを整理して,

「やさぐれるは,不良の間で使われていた隠語『やさぐれ』が転じた語である。『やさぐれ』の『やさ』は『鞘(さや)』の反転で,刀の投身部分を入れる筒の意味から『家』,『やさぐれ』の『ぐれ』は外れること。つまり家出人することや家出人を『やさぐれ』といった。この『やさぐれ』が動詞化され『やさぐれる』となったが,『ぐれる』との混同や誤用により,現在の意味になった。」

つまり,

すねる,とか,ふてる,という意味になったというものだ。これでも「さや」→「やさ」の説明にはなっていない。

『大言海』は,唯一「やさ」を載せているが,

「鞘の倒語」

として,

「す(酢)の異名。刀の鞘を巣と云ふ。酢の看板に矢あり」

とある。「素」に矢で,「酢屋」という洒落であろうか。「鞘」の語源は種々あるようだが,『隠語大辞典』

https://www.weblio.jp/content/%E3%83%A4%E3%82%B5?dictCode=INGDJ

によると,「ヤサ」で,

「酢ノコトヲ云フ。但ヤサハサヤノ逆ノ語ニテヤサハ刀剣ノ巣ナレハ云フ。〔第三類 飲食物之部・福岡県〕」

とあり,さらに,「さや」の項には,

「鞘の転語で住家、屋内のことをいう。鞘は刀剣の納まる巣という考えから生じたものである。又、屋内に忍入るのを専門とした窃盗或いは盗人の自宅のことをいう。『やさをかえる』は移転すること。」

として,隠語として,

「ルンペン/大阪、不良青少年仲間、博徒、不良虞犯仲間、東京府、犯罪、犯罪者/露天商人、盗/犯罪、茨城県、露店商、香具師」

等々で,

1.家ノコトヲ云フ。〔第七類 家屋其他建造物之部・東京府〕
2.人ノ住居セル家ヲ云フ。〔第七類 家屋其他建造物之部・茨城県〕
3.普通住家-特ニ犯人潜伏ノ場所ニ限リ用ユル場合アリ。〔第五類 一般建物〕
4.人家、住居。
5.〔不〕人家のこと。住居のことを云ふ。
6.家店、人家、住居、内店。
7.家・世帯。
8.さや(鞘)の転倒にして住居、居宅を云ふ。
9.住居の意。
10.住家。屋内。木賃宿。鞘は刀剣の納まる巣といふ考へから生じたるもの。「さや」の転読。
11.家。若桜、甲府、佐原、大口、岩出山、秩父、名古屋、小松、江差、魚津、弘前、清水 博徒、不良虞犯仲間。
12.他人の家。富山。
13.住所。小笠原 不良青少年仲間。
14.家住所。若桜、甲府、佐原、魚津、弘前、大口、岩出山、秩父、清水、名古屋、小松、江差、小笠原 博徒、不良虞犯仲間。
15.家、住居。〔一般犯罪〕
16.家、住居、居宅。さや(鞘)の反転語で、さやに身を納めるところより生じたとの説あり。〔盗〕
17.住居。

といった意味で使われている,とする。どうやら,多くは,「家」に絡む。これは,「素」を意味した,「鞘」に絡んでいる。では,「鞘」の語源は,というと,『大言海』は,

「鋤屋(サヒヤ)の略転と云ふ(誣言(しひご)つ,讒(しこ)つ。肱木(かひなぎ),棓(かなぎ))。或は,サは,挿すの語根と云ふ。日本釈名(元禄)下,武具『鞘,指室(さすや)也,刀をさす室(や)也』。又,或は鏡奩(かがみのす),蜂房(はちのす)などの,スの転か(丈夫(まさりを),ますらを。進む,すさむ)。鏡奩(かがみのす)をカガミの家(いへ)とも云ふ,刀室(とうしつ)と同意」

とある。「さや」が「室」を指したというのが,「やさ」が「家」を指す遠因にも見えるが,『日本語源大辞典』は,こう言っているのが,結論に近いかもしれない。

「(鞘の)語源は諸説あるが,刀剣の名称は,植物の呼称にちなむものが多く,『さや(鞘)』も,石製刀子(とうす)を入れた革鞘の形状がエンドウマメなどの莢に類似しているところから名づけられたものと思われる。他にも,柄が頭に近づくにつれ太くなり先端に玉葱状のふくらみのある金具をつける『頭鎚(かぶつち)の太刀』は,蕪に見立てたもの,『蕨手刀(わらびでとう)』は,中子(なかご)が柄となり,先端にゆくにしたがって細くなり先が丸形に似ているところから名づけられた,といった類例が挙げられる。」

つまり,鞘自体が,「莢」から来ているのだから,「家」に見立ててもおかしくはない。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

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2017年11月20日

こし


「こし」は,

腰,

と当てるが,「腰」の字は,

「要は,両手で脊柱をしめているさま。のち,下部が女の字となった。腰は『肉+音符要』で,細くしめるウエスト」

である。「こし」の意味もある「要」の字を見ると,

「『臼(両手)+あたま,もしくは背骨のかたち+女』で,左右の手でボディをしめつけて細くするさま。女印は,女性のこしを細くしめることから添えた。」

とある。なお,「臼」は,舁や興の字に含まれるが,「臼」印は「両手の姿」であると,ある。

人体の「腰」の意味は,それに準えて,物の「腰」に相当する,「中ほどより少し下部」に広く当てはめて使われる。たとえば,

壁や建具の下部。腰の高い障子,
器具の下部。また器具を支える台や脚,
山の中腹より下の方。山の腰を巡る道,
兜 (かぶと) の鉢の下部につける帯状の金具,

等々。また「腰の力」の意で,

餅 (もち) ・粉などの粘り・弾力。
紙・布などのしなやかで破れにくい性質,

や,「けんか腰」「及び腰」「腰が引ける」「へっぴり腰」といった,

構え,姿勢,腰つき,

等々の意でも使う。さらには,

刀・袴など腰につけるものを数えるのに用いる。「刀ひと腰」「袴ひと腰」
矢を盛った箙 (えびら) を数えるのに用いる。「矢ひと腰」

と,助数詞としても使われる。いずれも,「腰」と関わっている。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ko/koshi.html

は,

「くびれているところであるため、『体の層(こし)』の意味とする説。 上半身と下半身との間にある要所であることから、『越(こし)』の意味とする説。 朝鮮語 の『Xori』と同源など、諸説あるが未詳である。」

としている。『大言海』は,

「體の層(こし)の義なるか,括(くび)れたる意」

と,「層」説を取る。『日本語源広辞典』は,三説挙げる。

説1 「コ(凝)+シ(接尾語,及・集)」で,力の凝り集まるところ,
説2 「コシ(層 くびれているところ)」,
説3 「コシ(越し 食べたものがこえるところ)」

で,説1を採る。

『日本語源大辞典』は,その他に,

上半身と下半身との間にある要所であるところから,コシ(越)の義(名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・本朝辞源=宇田甘冥・国語の語幹とその分類=大島正健),
体の中の強(こわ)い部分であるところから,コハシの中略(日本釈名),
コはカミシモの約,シはシキリの約(和訓考),
体内にコ(子)のある時,帯をシメル部分であるからか。または大小便が,上から前後へコス(越)みちであるところからか(和句解),
腰骨の意の「骻」入声kotがkosiに転化したもの(日本語原学=与謝野寛),
朝鮮語のxӧrit(腰)と同源(万葉集=日本古典文学大系),

等々の諸説を載せる。『語源由来辞典』の言うように,未詳,と言いたくなる。しかし,「腰」は,

胴のくびれている部分,

を指す。その意味では,

體の層(こし)説,

を採りたくなる。「層」は,重なる意味だが,「層」の字は,

「曾(曽)の字の上部の八印は湯気の姿,中部はせいろう,下部はこんろのかたちで,何段にもせいろをかかさねて米をふかすこしき。甑(ソウ こしき)の原字。層は『尸(屋の字の上部。たれ幕,屋根)+音符曾(ソウ)』で,何段も屋根を重ねた家」

を意味し,直接つながらない気がするが,『大言海』には,「こし(層)」の項を立て(『岩波古語辞典』には載らない),

「腰の義か,腰骨の状に擬して,名づけしなるべし。肘木なども,その状に因る名なり」

とあり,「體の層(こし)」説に与したくなる。『舒明紀』に,

「於百済川側,建九重(ここのこしの)塔」

とあるという。腰骨に準えた,というのは説得力がある。

それにしても,腰にまつわる,言い回しも,少なくない。たとえば,

腰が重い,腰が軽い,腰が高い,腰が強い,腰がある,腰が低い,腰が弱い,腰を折る,腰を割る,腰が入る,腰が浮く,腰を浮かす,腰が砕ける,腰が据わる,腰を据える,腰が抜ける,腰を抜かす,腰が引ける,腰を上げる,腰を入れる,腰を掛ける,腰を屈める,腰が立たない,腰を落ち着ける,

等々。肉の要,とは言い得て妙。

腰椎.jpg


参考文献;
https://yo-tsu.org/kouzou.html#2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%B0
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

ラベル: こし
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