2017年12月22日

すもう


「すもう」は,『広辞苑』は,

相撲,
角力,

と当て,

「動詞『すま(争)ふ』から。仮名遣スマウとも」

としているし,『大辞林』も,

「動詞『争(すま)ふ』の連用形から」

としているが,この「すまふ」について,

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/su/sumou.html

は,

「『争う』『負けまいと張り合う』を意味する動詞『すまふ(争ふ)』が名詞化して『すもう』になったか、『すまふ』の連用形『すまひ』がウ音便化されたと考えられる。 平安時代の辞書『和名抄』に『相撲 須末比』とあるように、古くは『すまひ』と呼ばれていたが、ウ音便化されたという確定的な文献がないため、『すまふ』と『すまひ』のどちらであるかは断定できない。」としており,

すまふ→(すまう)→すもう,
すまひ→(すまう)→すもう,

の転訛の二説があるとする。しかし,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%92%B2

は,

「『すもう』の呼び方は、古代の『スマヰ』から『すまひ』→『すまふ』→『すもう』に訛った。表記としては『角力』、『捔力』(『日本書紀』)、『角觝』(江戸時代において一部で使用)、など。これらの語はもともと『力くらべ』を指す言葉であり、それを『すもう』の漢字表記にあてたものである。19世紀から20世紀初頭までは『すもう』は『角力』と表記されることが多かった。古代には手乞(てごい)とも呼ばれていたと言う説も有る。(手乞とは、相撲の別名とされ、相手の手を掴む事の意、または、素手で勝負をする事を意味する。)」

と説いている。確かに,『大言海』は,「すまひ(相撲)」と「すまふ(相撲・角力)」の二項に分け,どうやら,

すまひ→すまふ→すまう→すもう,

を採っている感じがする。まず「すまひ(相撲)」について,

「(争〔あらそ〕ふの名詞形。争〔すま〕ひの義。戦場の組打の慣習〔ならはし〕なり。源平時代の武士の習ひしスマフも,それなり)二人,力を闘はする技,其,相當るを,取ると云ふ。其手,種々あり(スマフ〔相撲〕)の條,見合はすべし)。其闘ふ者を,相撲人(すまひびと)と云ひ,第一の人を,最手(ほて)と云ひ,第二の人を,最手脇(ほてわき)と云ふ。古へ,相撲の節とて,禁中,七月の公事たり。先づ,左右の近衛,方(かた)を分けて,國國へ部領使(ことりづかひ)を下して,相撲人(防人)を召す。廿六日に,仁壽殿にて,内取〔(うちどり)地取(ぢどり)〕とて,習禮あり。御覧あり,力士,犢鼻褌(たふさぎ)の上に,狩衣,烏帽子にて,取る。廿八日,南殿に出御,召仰(めしおほせ)あり,勝負を決す。其中を選(すぐ)りて,抜出(ぬきで)とて,翌日,復た,御覧あり。」

と説明する。「犢鼻褌(たふさぎ)」は,「褌」とも当てるように,『大辞林』に,

「〔古くは『たふさき』〕短い下袴。今のふんどし、またはさるまたのようなものという。とうさぎ。」

である。いまの「まわし」の先駆だろうか。しかし,狩衣。烏帽子姿というのは,さすがに御前だけのことはある。

で,「すまふ(相撲・角力)」の項では,

「(すまひ〔相撲〕の訛)すまひ(相撲)の技に同じ。武技の一。昔は,組討の技を練る目的にて,武芸とす。其取方は,勝掛(かちがかり 勝ちたる人に,その負くるまで,何人も,相撲ひかかること)と云ふ。此技,戦法,備わりて組討を好まずなりしより,下賤の業となる(即ち,常人の取る相撲(すまふ)なり)。」

とあり,どうやら,戦場の技であるが,そういう肉弾戦は下に見る傾向となり,今日の相撲になったものらしい。で,その次に,

「後に,一種,専業とする者起こる。力士,力者,相撲取,と称し,所在に,仮場を開きて,観客より錢を収めて,興行す。場の中央に,土俵を設け,力士を,東西に分ち,裸体にて,褌(まわし)のみを着け,素手にて取る。其の技に,反(そり),捻(ひねり),投(なげ),掛(かけ)の四手ありて,各十二に分かれて,四十八手など云へり。(中略)興行する者を,勧進元と云ふ,今は,これらの団体を,相撲協会と云ふ。勧進相撲,寄相撲などあり。勧進相撲は,京畿にては,古くよりありしが,江戸にては,寛永元年,四谷,鹽町にて興行せしを,始とす(相撲大全)。晴天,六日間なりき。然るに,寄相撲に,争亂(いさかひ)ありて,慶安元年,禁止となり,又,寛文元年,再禁止にて,中絶す。のち,正徳中,深川の三十三間堂(明和六年,暴風雨にて倒る)にて興行を許可せられしが,堂,破壊に及びたれば,同じ深川の八幡社内にて,興行することとはなれり。爾来,興行地に変遷ありて,文政十年,両国橋東,回向院境内にて,毎年,春と夏と(春場所,夏場所)の二期に,各,晴天十日づつ,興行することとなりたり」

とある。しかし,『日本語源大辞典』が,

「①『書紀-垂仁七年七月』に見られる『捔力(すまひ)』の例が,日本における相撲の始まりとされる。この『捔力』は,中国の『角力』に通じ,力比べを意味する。『新撰字鏡』にも『捔力』に『知加良久良夫(ちからくらぶ)』とある。②中古和文の仮名書き例は『すまひ』のみであるが,中世には『すまう』も使用されるようになる。『文明本節用集』『運歩色葉』『日葡辞典』などの辞書類においても『すまう』とあるところから,中世末には『すまひ』より『すまう』の方が,より日常的な語形となっていたと考えられる。」

とするところからみると,「すまひ」が,動詞『争(すま)ふ』の連用形からと見なすと,

すまふ(動詞)→すまひ(名詞化)→すまう→すもう,

と考えていいのではあるまいか。『日本語の語源』は,独自の音韻変化から,

すまふ→すまひ→すまい→すまう→すもう,

と見なしているようである。

「セメアフ(攻め合ふ)という語は,セの母音交替[eu],メア〔m(e)a〕の縮約の結果,スマフ(争ふ)に変化した。『あらそふ。負けまいと張り合う。抵抗する』意の動詞である。〈女も卑しければスマフ力なし〉(伊勢)。〈秋風に折れじとスマフ女郎花〉(後拾遺集)。
 スマフ(相撲ふ)に転義そして,二人が組み合い力を戦わせて勝負することをいう。その名詞形のスマヒ(相撲。角力)は力比べの競技のことをいう。〈当麻蹶速(たぎまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)とをスマヒとらしむ〉(垂仁紀)。両人は相撲道の始祖といわれている。
 平安時代には,宮中の年中行事としてスマヒノセチ(相撲の節)がおこなわれ,毎年七月に諸国から召集した力士に勝負をきそわせた。
 〈相撲の節は安元(高倉天皇ノ時代)以来耐えたること〉(著聞集)と見え,平安末期に滅びたが,民間の競技としては各地で盛んにおこなわれていた。〈スマヒの勝ちたるには,負くる方をば手をたたきて笑ふこと常の習ひなり〉(今昔物語)。
スマヒの転のスマイは,母韻交替をとげてスマウ・スモウに転音した。」

すもう.jpg

相撲絵(歌川国貞、1860年代)


ところで,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%92%B2

には,

「日本における相撲の記録の最古は、『古事記』の葦原中国平定の件で、建御雷神(タケミカヅチ)の派遣に対して、出雲の建御名方神(タケミナカタ)が、『然欲爲力競』と言った後タケミカヅチの腕を摑んで投げようとした描写がある。その際タケミカヅチが手を氷柱へ、また氷柱から剣(つるぎ)に変えたため掴めなかった。逆にタケミカヅチはタケミナカタの手を葦のように握り潰してしまい、勝負にならなかったとあり、これが相撲の起源とされている。」

とある。人間同士の相撲で最古のものとしては,

「垂仁天皇7年(紀元前23年)7月7日 (旧暦)にある野見宿禰と『當麻蹶速』(当麻蹴速)の『捔力』(「すまいとらしむ・スマヰ」または『すまい・スマヰ』と訓す)での戦いがある(これは柔道の起源ともされている)。」

という。「すまふ(ひ)」は,『岩波古語辞典』には,

拒ひ,

と当て,

「相手の働きかけを力で拒否する意」

とある。先の,『古事記』の,出雲の建御名方神(タケミナカタ)と建御雷神(タケミカヅチ)の「すまひ」は,建御名方神(タケミナカタ)の拒絶の意味が含まれている,とみるとなかなか意味深である。大国主神の次子「建御名方神」は,国譲りに反対し,武甕槌(たけみかづち)神と力比べをして争って敗れたのだから。

『日本語源広辞典』には,「すもう」について,語源は,

「スマヒ(争う・拒む)」

として,

「相手の力に負けまいとして抵抗すること,手向かうことの意です。」

としている。もともとは,

手向かう,

意であったようである。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%92%B2
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
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