2017年12月29日

真っ赤な噓


「真っ赤な噓」は,

真っ赤なうそ,
真っ赤なウソ,

等々とも表記するが,

まるっきりの嘘であるさま,
すこしも真実でない様子,

という意味である。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ma/makkanauso.html

には,

「この語が『赤色』である理由は、『赤』は『明らか』と同源で『全く』『すっかり』などの意味があるためで、『赤の他人』などの『赤』も同様である。『真っ赤』は、『赤(明らかであること)』を強調した表現となっている。『大きい』『多い』といった意味を持ち、漢訳されて『摩訶不思議』の『摩訶』にもなっているサンスクリット語 の『マハー(maha)』を語源とする説もある。この説は、『大きな噓』の意味で『マハーな噓』と言っていたのが『摩訶な噓』となり、『真っ赤な噓』になったとするものだが,雑学の世界で作られた俗説である。」

とある。こねくり廻した語呂合わせを説を除けば,『日本語源広辞典』に,

「『真っ赤(明白な)+噓』です。まぎれもない,はっきりしたうそ,の意」

とあるので尽きる。和語の「あか(赤)」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/429360431.html

で触れたが,「あか」とは,『広辞苑』によると,

「一説に,『くろ(暗)』の対で,原義は明の意と言う」

とある。『大言海』は,

「赤(アケ)の転(竹(たけ),タカ。酒(さけ),サカ)」

と,転じた例を挙げている。『語源由来辞典』によると,

「赤(アカ)は,『明』が語源で,暗・黒(クラ・クロ)が,これに対する語です。したがって,狭い,色相としての,アカを示す言葉ではなく,広く,血の色,顔色,明け方の空の色,紅葉,朱色,ピンクに近い紅梅の色など,ずいぶん広い色合いを指した言葉」

とある。ある意味,暗さに対する明るさ,という二分の中に納まる,という意味で,幅広く,色ではなく,明るさを指していた。で,「くろ(黒)」は,

「『くら(暗)』と同源か。またくり(涅)と同源とも」(『広辞苑』)

で,「涅」とは,水底に沈んだ黒い土,涅色を指す。ここでも,明暗である。和語には,

「古代日本では,固有の色名としては,アカ,クロ,シロ,アオがあるのみで,それは,明・暗・顕・漠を原義とするという。」

という意味で,明確な色の識別を,言葉として持っていなかったのである。だから,「真っ赤」とは,色ではなく,

明々白々,

という意味である。

噓に絡んでは,「嘘八百」という言い回しがある。

やたらに述べ立てる沢山の噓,

という意味だが,この「八百」は,

物事の多いこと,

の意味で使われる。たとえば,

八百八町,

というように。「八百八」も,

ものの数が多きことに云ふ,

と『大言海』にあり,

八百八島,
八百八後家,
八百八禰宜,

と使われる。「八百」と「八百八」は同じ意味のようだが,「八百」は語尾に,「八百八」は語頭ないし単独で使われるようだ。『江戸語大辞典』は,それを区別して,

多数の意を表す(「御きげんの八百も取って」(明和七年・蕩子荃枉解)),
《接尾》多いこと,或は甚だしいことを表す(嘘八百,気儘八百,頭痛八百),

と載せている。これが正確なのだろう。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/u/usohappyaku.html

は,

「『多くの嘘』の意味から、何もかもが嘘だらけであることを表すようになった語。 嘘八百の『八百』は、江戸市中に町数が多いことをいった『八百八丁』や、大坂市中に橋が多いこと をいった『八百八橋』などの『八百』と同じく、数が多いことを意味する。『八百八丁』と 掛けて、『嘘よりも八丁多い江戸の町』といった古川柳もある。『八百』が『数多く』を表すのは、元々、『8』という数字が『数多く』を表すことによる。『8』が『数多く』を表すのは、仏教の考えから来たものと思われる。仏教語には、『莫大な数の地獄』を表す『八万地獄』や『八万奈落』、数が非常に多いことを表す代表的な表現に『八万四千』がある。』

とある。ちなみに,「八百」と「八万」では違いすぎる。比較するなら,「八百万(やおよろず)」の「八百」ではあるまいか。類似の語に八十神(やそがみ),八十万神(やそよろずのかみ),千万神(ちよろずのかみ)等々があり,仏教ではなく,和語の中に由来がありそうである。「や(八)」は,『岩波古語辞典』に,

「ヨ(四)と母音交替による倍数関係をなす語。ヤ(彌)・イヤ(彌)と同根」

とあり,「八」という数の意の他に,

無限の数量・程度を表す語(「八雲立つ出雲八重垣」),

で,

「もと,『大八洲(おほやしま)』『八岐大蛇(やまたのおろち)』などと使い,日本民族の神聖数であった」

とするし,『大言海』も,

「此語彌(いや)の約と云ふ人あれど,十の七八と云ふ意にて,『七重の膝を八重に折る』『七浦』『七瀬』『五百代小田』など,皆數おはようございます。多きを云ふ。八が彌ならば,是等の七,五百は,何の略とかせむ」

と,「彌」説には反対しつつも,「八」の意が,数多いことを表してきたことを強調している。この流れの中で,八百を考えるべきだろう。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/03u/uso800.htm

は,

「嘘八百の『八百』とはたくさんという意味で使われる数である(正確には『八』がたくさんという意味の数字)。例えば、八百屋の場合、800種の物を売る見せというわけでなく、たくさんの物を売る店。八百八丁は江戸に町がたくさんあることを意味する(ちなみに延享年間(1744~1748年)には1678町と808の倍以上の町が存在した)。つまり、嘘八百とは嘘がたくさんということから、やたら述べ立てるたくさんの嘘、または嘘だらけという意味になる。」

というのが正確ないい方だろう。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)


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posted by Toshi at 05:11| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする