2018年01月01日

とし


「とし」は,

年,
歳,

と当てる。毎年,来る年も来る年も,という意味で,

年々歳々,

とも使う。

年年歳歳花相似にたり,
歳歳年年人同じからず(劉希夷「代悲白頭翁」),

が思い浮かぶ。「とし」は,『広辞苑』に,

「同じ季節のめぐるまでの間,年に一度の収穫を基準にしたとも」

とあり,『デジタル大辞泉』にも,

「元来穀物を意味し、1回の収穫に1年かかるので「年」を意味するようになったという」

とあり,『岩波古語辞典』にも,

「稲などのみのりの意。一回のみのりに一年かかるところから,後に,年の意。漢字『年』も原義は穀物の熟する意」

とある。で,「とし」の意味は,

時の単位,

を指すと同時に,

歳月,

に広がり,

年齢,
穀物の実り,
季節,

と意味の幅が広がる。「年」の字も,

「『禾(いね)+音符人』。人(ニン)は,ねっとりと,くっついて親しみある意を含む。年は,作物がねっとりと実って,人に収穫される期間を表す。穀物が熟してねばりを持つ状態になるまでの期間のこと。」

と収穫とつながるし,「歳」は,

「『戉(エツ 刃物)+歩(としのあゆみ)』で,手鎌の刃で作物の穂を刈り取るまでの時間の流れを示す。太古には種まきから収穫までの期間をあらわし,のち一年の意となった。穂(スイ 作物のほがみのる)と縁が近い。」

と,やはり収穫と関わる。

「とし」の項で,『大言海』は,

「爾雅,釋天篇,歳名『夏曰歳,商曰祀,周曰年,唐虞曰歳』。注『歳取歳星行一次,祀取四時一終,年取禾一熟,歳取物終更始』。疏『年者禾塾之名,毎年一熟,故以為歳名』。左傳襄公廿七年,註『穀一熟為一年』。トシは田寄(たよし)の義,神の御霊を以て田に成して,天皇に寄(おさ)し奉りたまふ故なり,タヨ,約まりて,ト,となる」

としている。他の説も,ほぼ穀物の収穫と関わる。たとえば,『日本語源広辞典』は,

「ト(富・豊)+シ(収穫物・食物)」説。一年に一度豊かな収穫がある意,
「疾シ,敏シ」説。早く行きすぎるものという意,

の二説挙げるし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/to/toshi.html

は,

「『穀物』や『稲』を意味した『とし』が語源。 古くは『穀物』、特に『稲』を『とし』といい、稲が実ることも『とし』といった。『名義抄』には『年、稔、季』に『トシ』とあり、『稔』には『ミノル』 と『トシ』の訓がある。時の単位『一年』を言うようになったのは、穀物の収穫サイクルを一年として考えたことによる。『稲』が『とし』と呼ばれるようになった由来は、『一年』を 表す時の単位と同じように、収穫までの期間は早く過ぎるものであるところから、『疾し』『敏し』からと考えられる。また、収穫ではなく『穀物(稲)』や『豊作』を中心に考えるならば,『と』が『富』、『し』が『食物』『収穫』の意味や、『稲』をあらわす『たよし(田寄)』からとも考えられる。和語の『とし』と漢字の『年』や『歳』は成り立ちが似ている。漢字の『年』は『禾(いね)』に音符『人』で、『人』には『くつついて親しみ合う』の意味が含まれており、穀物が熟してねばりを持つ状態になるまでの期間を表している。漢字『歳』は『戉(エツ:刃物の意味)』と『歩』からなる字で,『歩』は『としのあゆみ』,つまり『時の流れ』の意味があり,刃物で穂を刈り取るまでの時間の流れを表したのが『歳』である。」

と,

「『穀物』や『稲』を意味した『とし』が語源。 古くは『穀物』、特に『稲』を『とし』といい、稲が実ることも『とし』といった。『名義抄』には『年、稔、季』に『トシ』とあり、『稔』には『ミノル』 と『トシ』の訓がある。」

と,「稲」そのものを「とし」と訓んでいたとしている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4

も,

「日本語で『とし』とは、『稲』や穀物を語源とし、一年周期で稲作を行なっていたため『年』の意味で使われるようになったという。」

としている。

つまり,穀物や稲そのものが「とし」なのか,稲や穀物の実りの期間を「とし」としたのか,にわかれる。その実りが「疾し」説,「豊」「富」と豊かな実り説は,両者いずれかから派生したもののように見える。

穀物そのものとしているのは,

穀物を意味した語トシの転義。穀物のみのりは一年を周期としたところから(金太郎誕生譚=高崎正秀),
トは,トミ(富)・トヨ(豊)などの語幹,シは食物・収穫の原語(日本古語大辞典=松岡静雄),
稲をいう田実から(日本語源=賀茂百樹),
トヰシズク(百穀播収)の義(兎園小説外集),
稲をいうタヨシ(田寄)から。タヨシは,神の霊を田に成して天皇に寄せたところから(大言海・雅言考・菊池俗語考),
豊かである意の形容詞タシケシの語根タシにイが関わってトシとなる(続上代特殊仮名音義=森重敏),7

等々がある。

速く過ぎるものであるところから,トシ(疾・敏)の義(和句解・日本釈名・和語私臆鈔・名言通・和訓栞・槙のいた屋・柴門和語類集・言葉の根しらべの=鈴木潔子),

は,僕には,後世の付会に思えてならない。やはり,

稲そのもの,
か,
稲のみのり,

から,それが熟成する期間へと広がったと見るのが妥当に思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

ラベル:とし
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2018年01月02日

むつき


「むつき」は,

睦月,

と当てる。陰暦正月の異称,とある。

むつびのつき,
むつびづき,

とも。

https://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%88

には,「むつき」の異称を,

いわいづき・いはひづき(祝月)、かげつ(嘉月)、かすみそめづき(霞染月)、たんげつ(端月)、しょげつ(初月)、しょうがつ(正月)、けんいんづき(建寅月)、げんげつ(元月)、たいげつ(泰月)、たろうづき(太郎月)、さみどりづき(早緑月)、としはつき(年端月、年初月)、はつはる(初春)、むつき(睦月)

等々と挙げている。

「むつびつき」の「むつび」は,

睦び,

と当て,

慣れ親しんで心安くなる,
親しみ,親睦,

の意である。だからか,たとえば,『日本語源広辞典』の,

「『睦まじく行き来するする月』です。むつびの月,の意です」

とか,

http://xn--cbktd7evb4g747sv75e.com/2014/1109/mutukisiwasu/

「正月に親しい者が集まり睦み合うという事から『睦び月』より付けられました。」

とか,『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E7%9D%A6%E6%9C%88

「睦月という名前の由来には諸説ある。最も有力なのは、新年を迎え、親族一同集って宴をする「睦び月(むつびつき)」の意であるとするものである。他に、『元つ月(もとつつき)』『萌月(もゆつき)』『生月(うむつき)』などの説がある。」

とか,

http://book.geocities.jp/ukoku_leo/sub1/old_month_1.html

「親類知人が互いに往来し、仲睦まじくする月からとする説が有力とされる。その他、稲の実をはじめて水に浸す月で、『実月(むつき)』が転じたとする説。元になる月で、『もとつき』が『むつき』に転じたとする説がある。」

とか,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/mu/mutsuki.html

「睦月は、親類知人が互いに往来し、仲睦まじくする月からとする説が有力とされる。その他、稲の実をはじめて水に浸す月で、『実月(むつき)』が転じたとする説。 元になる月で、『もとつき』が『むつき』に転じたとする説がある。」

とか,

https://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%88

「睦月という名前の由来には諸説ある。最も有力なのは、親族一同集って宴をする『睦び月(むつびつき)』の意であるとするものである。他に、『元つ月(もとつつき)』『萌月(もゆつき)』『生月(うむつき)』などの説がある。」

等々,ほぼ「仲睦まじくする月からとする説が有力」としている。しかし,それは,

睦月,

と当てた漢字からの推測で,その字が当て字であるなら,何の意味もなさない解釈である。しかし,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455892480.html?1514665631

で触れたように,『大言海』は,「むつき(睦月・正月)」の項で(『日本語源広辞典』は,季節が合わないので疑問とするが),

「實月(むつき)の義。稲の實を,始めて水に浸す月なりと云ふ。十二箇月の名は,すべて稲禾生熟の次第を遂ひて,名づけしなり。一説に,相睦(あひむつ)び月の意と云ふは,いかが」

とし,

「三國志,魏志,東夷,倭人傳,注『魏略曰,其俗不知正歳四時,但記春耕秋収為年紀』

を引いて,「相睦(あひむつ)び月の意」に疑問を呈して,「實月」説を採っている。そもそも,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455913434.html?1514751938

で触れたように,「とし(年)」が,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4

に,

「日本語で『とし』とは、『稲』や穀物を語源とし、一年周期で稲作を行なっていたため『年』の意味で使われるようになったという。ちなみに、漢字の『年』は禾に粘りの意味を含む人の符を加え、穀物が成熟するまでの周期を表現した。」

とあるのだから,なおさら農事に関わると,僕は思う。『大言海』も,

「爾雅,釋天篇,歳名『夏曰歳,商曰祀,周曰年,唐虞曰歳』。注『歳取歳星行一次,祀取四時一終,年取禾一熟,歳取物終更始』。疏『年者禾塾之名,毎年一熟,故以為歳名』。左傳襄公廿七年,註『穀一熟為一年』。トシは田寄(たよし)の義,神の御霊を以て田に成して,天皇に寄(おさ)し奉りたまふ故なり,タヨ,約まりて,ト,となる」

としている。因みに,「年」の字も,

「『禾(いね)+音符人』。人(ニン)は,ねっとりと,くっついて親しみある意を含む。年は,作物がねっとりと実って,人に収穫される期間を表す。穀物が熟してねばりを持つ状態になるまでの期間のこと。」

とあり,「歳」の字も,

「『戉(エツ 刃物)+歩(としのあゆみ)』で,手鎌の刃で作物の穂を刈り取るまでの時間の流れを示す。太古には種まきから収穫までの期間をあらわし,のち一年の意となった。穂(スイ 作物のほがみのる)と縁が近い。」

と,同じである。「むつき」だけが,その一年の流れと無関係であるとは,ちょっと信じられない。しかし,『日本語源大辞典』も,『大言海』をのぞくと,

互いに往来してむつまじくするところからムスビツキ(睦月)の略(奥義抄・和邇雅・類聚名義抄・兎園小説外集・壺蘆圃漫筆・本朝辞源=宇田甘冥・日本語原学=林甕臣・ことばの事典=日置昌一・国語意識史の研究=永山勇),

が多く,他は,

観月の義(安斎雑考・和訓栞),
モトツツキの約(語意考),
モトツキ(本月)の略(菊池俗語考),
陽気が地中から蒸すところからムシツキの義(嚶々筆語),
モツキ(最月)の転か(俚言集覧),
モユツキ(萌月)の約という(古今要覧稿),
ウムツキ(生月)の義(和訓栞),
ムツキ(孟月)の義。ムは,「孟」の呉音(和語私臆鈔),

と並ぶ。しかし,一月に皆が集う,というのは,「暦」の考えが入ってからのはずである。「こよみ」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6

に,

「『こよみ』の語源は、江戸時代の谷川士清の『和訓栞』では『日読み』(かよみ)であるとされ、定説となっており、一日・二日...と正しく数えることを意味する。ほかに、本居宣長の『一日一日とつぎつぎと来歴(きふ)るを数へゆく由(よし)の名』、新井白石は『古語にコといひしには、詳細の義あり、ヨミとは数をかぞふる事をいひけり』などの定義がある。」

とあり,日を次々重ねるのを指す。他方「暦(『こよみ』と読ます)」は,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ko/koyomi.html

に,

「720年の『日本書紀』には、朝鮮半島から渡来した暦博士によって暦が初めて作られ、持統四年の勅令で暦法が公式に採用されたと記されている。」

とある。仮に,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6

の言うように,

「中国の暦が日本に伝えられたのがいつであるか定かではないが、『日本書紀』には欽明天皇14年(553年)に百済に対し暦博士の来朝を要請し、翌年2月に来たとの記事があり、遅くとも6世紀には伝来していたと考えられる。この頃の百済で施行されていた暦法は元嘉暦であるので、このときに伝来した暦も元嘉暦ではないかと推測される。」

だとして,この「暦」の考え方を前提にしてしか,「むつびづき(睦び月)」の解釈は生まれないように思う。しかし,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%9C

にあるように,

「考古学の進展から水田稲作の渡来時期が5世紀早まり、紀元前10世紀には渡来し、長い時間をかけて浸透していった可能性が高い事がわかったため、有力視されていた説が揺らぎ、朝鮮半島を経由する説の中にも下記のように時期や集団規模などに違いのある複数の説が登場している。
紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上した戦争遺民(池端宏2008年)
支石墓を伴った全羅南道の小さな集団が水田稲作を持ち込んだ(広瀬和雄2007年)
風張遺跡(八戸)から発見された2,800年前の米粒は食料ではなく貢物として遠くから贈られてきた。」

と稲作の渡来は,早ければ紀元前10世紀とされる。暦の渡来の二百年前である。そうした農作業している人間にとっては,一年は,穀物の実りと収穫と共にある。「むつき」が,それにともなう「こよみ」と無縁であるとは到底思えない。

「魏志倭人伝」〔3世紀末(280年(呉の滅亡)- 297年(陳寿の没年)の間)〕の裴松之注に,

魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀,
(その俗正歳四節を知らず.ただ春耕秋収をはかり年紀となす)

とある。まさに,

春に耕し、秋に収穫したことを数えて年紀としている,

である。これが我々祖先の「こよみ」である。「むつき」は,これに基づくのだと思う。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)


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2018年01月03日

こよみ


「こよみ」は,

暦,

と当てる。「暦」の字は,

「上部の字(音レキ)は,もと『禾を並べたさま+厂印(やね)』の会意文字で,順序よく次々と並べる意を含む。暦はそれを音符とし,日を加えた字で,日を着き継と順序よく配列すること。」

とある。『広辞苑』も,『デジタル大辞泉』も,『岩波古語辞典』も,

「日読み(かよみ)の転」

としており,『日本語の語源』も,同じである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6

にも,

「『こよみ』の語源は、江戸時代の谷川士清の『和訓栞』では『日読み』(かよみ)であるとされ、定説となっており、一日・二日...と正しく数えることを意味する。ほかに、本居宣長の『一日一日とつぎつぎと来歴(きふ)るを数へゆく由(よし)の名』、新井白石は『古語にコといひしには、詳細の義あり、ヨミとは数をかぞふる事をいひけり』などの定義がある。」

とし,『日本語源広辞典』も,

「コヨミは,『日+読み(数える)』が語源です。日をカと読み,カ+ヨミが,音韻変化により,コヨミになったものです。暦の訓みにコヨミをあてます。」

とし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ko/koyomi.html

も,

「暦は、『日読み(かよみ)』が転じた言葉である。『日』を『か』と読むのは、『二日(ふつか)』『三日(みっか)』などと同じ『ひ』の交替形。『読み』は『数える』を意味し、『日読み』で『日を追って数える』ことを意味する。『かよみ』から『こよみ』の転は、『よ』の母音が『か』の母音に影響を与えたことによる。720年の『日本書紀』には、朝鮮半島から渡来した暦博士によって暦が初めて作られ、持統四年の勅令で暦法が公式に採用されたと記されている。」

としている。ここでいう「コヨミ」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6

のいう,

「中国の暦が日本に伝えられたのがいつであるか定かではないが、『日本書紀』には欽明天皇14年(553年)に百済に対し暦博士の来朝を要請し、翌年2月に来たとの記事があり、遅くとも6世紀には伝来していたと考えられる。この頃の百済で施行されていた暦法は元嘉暦であるので、このときに伝来した暦も元嘉暦ではないかと推測される。」

を指しているのではない。これは「こよみ」と訓ませた「暦」である。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455932349.html?1514838628

で触れた,「魏志倭人伝」〔3世紀末(280年(呉の滅亡)- 297年(陳寿の没年)の間)〕の裴松之注にいある,

魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀,
(その俗正歳四節を知らず.ただ春耕秋収をはかり年紀となす)

の,

春に耕し、秋に収穫したことを数えて年紀としている,

でいう「年紀」のことである。

http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/111F0000004.pdf


に,

「『倭人は暦を知らず,ただ肌で感じる季節の移りかわりをもとに米作りをして年を数えている』というふうに解釈できそうだが,他方『倭人は中国式の太陰暦とは別の独自の暦を使っており,これに基づいて米作りをしている』というふうに読めなくもない」

とあるが,あるいは,本居宣長が,

「『真暦考』でいう『天地おのづからの暦』、いいかえれば自然現象に従う自然暦であったと考えられ、したがって確かな暦はなかったということである。」

ということであり,「暦」のある中国から見ると,

「春に耕し秋に収穫するのを一年と大ざっぱに考えている」

という程度ではあるが,季節と日々の巡りを,自然の流れの中で読んで(数えて)いたというふうに見られる。しかし,これは,「暦」ではなく,「こよみ」である。たとえば,

「こよみとは『和訓栞(わくんのしおり)』に『暦日をいふ、日読(かよみ)の義、二日三日とかぞへて其事(そのこと)を考へ見るものなれば名とせるなり』とあり、『また古語にコといひしは詳細の義あり、ヨミとは数をかぞふる事をいひけり、歳月日時を細かにかぞへしるせしものをいふに似たり』ともある。本居宣長(もとおりのりなが)はその著『真暦考』で『又日を数へていくかといふも、幾来(いくけ)経、暦をこよみとつけたるも、来経数(けよみ)にて、一日(ひとひ)一日とつぎつぎに来経(きふ)るを、数へゆく由の名なり』と述べている。日本語の『こよみ』は日を数える意である。長い時の流れを数える法が暦である。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

である。つまり,シーケンシャルに日を指折り数えていくだけである。これに対して,「暦(コヨミと訓ませる)」は,たとえば,

「これに対し漢字の『暦』が意味するのは、日月星辰(せいしん)の運行を測算して歳時、時令などを日を追って記した記録である。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

それは,「こよみ」が二次元なら,「暦(コヨミと訓ませる)は,三次元に準えることが出来る。

日本の「暦(コヨミと訓ませる)」は,

「『日本書紀』によると、欽明(きんめい)天皇14年(553)6月、『内臣(うちのおみ)を百済(くだら)に遣わし医・易・暦の博士を番によって相代って上下せしめ、また卜書(ぼくしょ)暦本種々の薬物を付送」するようにと詔(みことのり)され、翌年、暦博士固徳王保孫(おうほうそん)が来朝した。これが暦の伝来した初めであろうと考えられるが、まだ一般に暦が行われたのではない。602年(推古天皇10)に百済の僧観勒(かんろく)が暦本を献じた。このとき陽胡史祖玉陳(やこのふひとのおやたまふる)が暦法を学んだとあるが、どのような暦法であったかはわかっていない。
 正史に初めて暦が公に採用され施行されたのは690年(持統天皇4)のことで、同年11月初めて勅して元嘉(げんか)、儀鳳(ぎほう)の2暦(いずれも大陸移入の中国暦)を行うとある。」

である。以来,

日本は中国暦法をそのまま1000年にわたって用い、独自の法をもたなかった,

のである(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)。

さて,大勢は,「こよみ」の語源は,

「日読み(かよみ)の転」

であるが,『大言海』は,

「コは,ケ(来歴)の転,カとも轉ず(二日〔ふつか〕,幾日〔いくか〕。気〔け〕,香〔か〕。處〔か〕,處〔コ〕)。ヨミは読むにて,数ふること,酉(いう)の字を,日読(ひよみ)のトリと云ふも,鶏(とり)に別ちて,暦用のトリといふなり。和訓栞,コヨミ『日讀の義,二日,三日と數へて,其事を考へ見るものなれば,名とせるなり』。暦(れき)は,歴の義。説文に『歴,過也』とあり,年,月,日を歴(ふ)る意。経歴と別ちて,下を,日にしたるなり。我国上代には,暦はなかりき,欽明天皇の朝に,百済国より,その製作の學を傳へたり」

としている。「来た時間」か「行く時間」かは別に,「日を数える」のは同じである。ついでながら,「歴」の字は,

「上部の字(音レキ)は,もと『厂(やね)+禾(いね)二つ』の会意文字で,禾本(かほん)科の作物を,次々と並べてとりいれたさま。順序よく並ぶ意を含む。歴はそれを音符とし,止(あし)を加えた字で,順序よく次々と足で歩いて通ること」

で,「歴」は人,「暦」は星辰,と違いがみられるように思うが,

歴象,

は,

暦象,

とも当てられ。「歴」は「暦」に当てられることがある。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

ラベル:こよみ
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2018年01月04日

まぐれ


「まぐれ」は,

まぐれあたり,

の「まぐれ」である。「まぐれあたり」は,

紛れ当り,
紛れ中り,

とあてる。だから,

まぎれあたり,

とも言う。

偶然に当たること,
図らざるに中ること,

の意である。『大言海』には,「あぐれあたり」は,

まぎれあたりの訛,

とある。「まぐれ(紛れ)」は,

まぎれること,

の意である。『江戸語大辞典』には,

転じて,逸れること,

とあるが,『広辞苑』には,さらに転じて,

偶然,

となり,「まぐれ」だけでも,

まぐれ当たり,

の意となる。どうやら,

紛れる→逸れる→たまたま→まぐれあたり,

と,良い方の価値表現に転じて入ったものらしい。『日本語の語源』は,「まぐれ」について,

「『眼前に霧がかかる』という意のマギル(目霧る)は『区別しがたい』意のマギル(紛る)・マギレル(紛れる)・マギレ(紛れ)になったが,それぞれマグル・マグレル・マグレに転音した。マグレアタリ(紛れ当たり)」

としている。「まぎれる(紛れる)」は,今日,

物の中に入り混じって目立たないようになる,しのび隠れる,
弁別できなくなる,
あれこれと事が多くて忙しい,
筋道が分からなくなる,
他の物事に心が移る,

といった意味で使われるが,その語源は,『語源由来辞典』に,

マギル(目霧)の転か(大言海),
目霧の義か(和訓栞),
メガヒアルル(目交荒)の義(日本語原学=林甕臣),
ミキレル(見切)の義(名言通),
マキル(間切)の義(言元梯・国語の語幹とその分類=大島正健)
マは間,ギは限を極めない意,マギルはマギ入の約(国語本義),

と並んでいるが,いま一つはっきりしない。

「まぐれ」というと,つい「ゆうまぐれ(夕間暮れ)」という言い方を思いつくが,この「まぐれ」は,

「目暗れにて,目くれふたがりて,物の見えぬ頃なれば云ふか」(『大言海』),
あるいは,
「目昏れの意」(『岩波古語辞典』),

とあり,この「まぐれ」は,

眩れ,

と当て,

まぐるること,めくらむこと,眩暈(『大言海』)
目がくらむ,転じて,気を失う(『岩波古語辞典』)

という意味になるので別のように思える。しかし,『日本語源広辞典』は,「まぎれる(紛れる)」の語源について,

「『マ(目)+クル(暗る)』で,紛るの下一段活用がマギレルです。入りこんで区別のつかない意です。心が奪われてそのことを忘れてしまう意です。マギラス,マギラワス,マギラワシイは同源です。」

とあり,「まぐれ(眩れ)」の「まぎれ」と,「まぎれ(紛れ)」の「まぎれ」とほぼ同じ由来と見なしているようにみえる。

『日本語の語源』は,「まぐれ(眩れ)」について,

「『目を離さないでじっと見つめる』ことをメモル(目守る)といったのがマモル(守る)になった。『目くらむ,めまいを感じる』意のメクル(目眩る)はマクル(眩る)になった。」

とある。一方は,眩しくて,「まぐれ(眩る)」,他方は,物の形が定かならなくて,「まぐれ(紛れ)」,いずれも,定かに物の区別がつかない状態であることに変りはない。

ここからは億説だが,一方は,眩しさで,「まぐれ(眩れ)」,他方は,ぼんやりと「まぐれ(紛れ)」まったく区別をつけたのは,「眩」と「紛」の漢字ではなかったのか。光りが眩しくて弁別が付かないのか,影と陰の区別がつかずぼんやりとしていて弁別が付かないのかの区別はなく,いずれも,

まぐれ,

だったのではあるまいか。もともとは,

まぎれ,

だったのではないか,。「眩」と「紛」を当てはめることで,光の眩しさと,夕暮れの眩しさとが,区別された。「夕間暮れ」ににつて,

「『まぐれ』は目暗れの意」(『広辞苑』)
「マグレはマ(目)クレ(暗)の意」(『岩波古語辞典』)
「マグレは目暗(まぐ)れにて,目のくれふたがりて物の見えぬ比を云ふ」(『大言海』)

とあるのは,「眩れ」よりも「紛れ」の「まぐれ」に思えてならない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
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2018年01月05日


村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読む。

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何の間違いが,書棚の本を順次廃棄している中に,本書が出てきた。随分昔,『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』と,初期の作品を読んだ記憶があり,その軽快さと,反面のうすっぺらさが嫌で,以降読むのをやめたつもりだったが,調べると,本書は,その次の作品らしい。ずいぶん間を置いて,気まぐれに買ったものだと勘違いしていたが,三作読んで,その次というつもりで購入したまま,放り出していたものらしい。

かなり前なので,或は評価が確立しているのかもしれないが,今日どんな評価になっているのか,僕は村上をほとんど読まないので,全く知らない。知らない上で,自分なりの感想を勝手に述べて見る。

正直,くどいところもあるが,ストーリーはおもしろい。ときにハードボイルド,ときにSF,ときにファンタジー。しかし,それだけだ。やはり,うすっぺらな気がしてならない。蟹はおのれに似せて穴を掘る,というから,結局自分が薄っぺらだけなのかもしれないが,何か薄い,という印象をやはり拭えない。それと,どこかで見たような既視感がつきまとう。

基本的にファンではないので,斜に構えて読んだせいかもしれないが,あまりにも,

閉鎖的な,

そして,

自己完結した世界観,

に思える。要は,自分の中を,

メタメタメタ…化,

して見せた感じである。だから,

喩の上に(の中に)喩を載せ(あるいは容れ),さらにその上に(の中に)…,

という感じである。それは,ある意味,

ファンタジー,

であるし,

メルヘン,

である。書評家の大森望氏が,あるところで,

「現実的で論理的なのがミステリー、非現実的で論理的なのがSF、現実的で非論理的なのがホラー、非現実的で非論理的なのがファンタジー」

と整理されているとか,というのを目にしたが,その意味で,

夢,

と同じなのかもしれない。だから,筋自体は破綻していても構わない。構わないが,こう自分の中に,メタメタと入り込んで行ってしまうと,読者はおいてきぼりを食う。

この小説世界に浸れる人と,すっと身を引く人とに分かれるに違いない。僕は,後者だろう。僕には,誤解を恐れず,あえて言うなら,

何か高を括っている,

というふうに見えて仕方がない。社会とはこんなもの,人生とはこんなもの,自己とはこんなもの,心とはこんなもの等々,僕も多少高を括る癖があるので,偉そうには言えないが,何に対してかは分からないが,

見縊っている,

ように見える。それは傲慢というのではない,そういう感じは一切しない。それよりは,

自己完結,

させていることが,そう見えるのかもしれない。その外の世界について,

その喩,

で語り尽くせるはずはない。「喩」は,

メタファー,

である。世界を「喩え」で語っても,世界は語り尽くせない。しかし,それで完結させようとしている,というふうに見える。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163200.html

で触れたが,茂木健一郎氏は,村上春樹に言及して,

「双方向の行き来が盛んになるにつれて,翻訳可能なものだけが事実上の普遍性を帯びていくということは実際的な意味で不可避のダイナミクスだといってよい。村上春樹の作品が,最初から翻訳可能な文体で書かれていることは,意識されたものであるかどうかは別として高度に戦略的である。」

と言っていた。その真偽は知らない。また,その当否は,ここではどうでもいい。しかし,あの頻度の高い直喩は,たとえば,

「彼女の体には,まるで夜のあいだに大量の無音の雪が降ったみたいにたっぷりと肉がついていた。」
「進化途上にある魚のような気分で暗闇の中を上流へと向かった。」
「ひきちぎられた空の切れはしが長い時間をかけてその本来の記憶を失くしてしまったようなくすんだ靑だ」
「重機関銃で納屋をなぎ倒すような,すさまじい勢いの食欲だった。」
「彼女が一枚ずつ服を身にまとっていく様は,ほっそりした冬の鳥のように滑らかで無駄な動きがなく,しんとしたと静けさに充ちていた。」
「沈黙が銃口から出る煙のように受話器の口からたちのぼっていた。」
「インカの井戸クライアント深いため息をつき,」
「ウエイターがやってきて宮廷の専属接骨医が皇太子の脱臼をなおすときのような格好でうやうやしくワインの栓を抜き,」
「日曜日の朝の公園は飛行機が出払ってしまったあとの航空母艦の甲板みたいにがらんとして静かだった。」

等々,実に具象的なイメージが湧くように書かれている。それは,何語に置き換えても,クリアなはずだ。しかし,中には,その喩のイメージとその描写のシチュエーションがマッチしないものもある。あっても,たぶん気にならない。なぜなら,

喩の中の喩,

つまり,

現実からは切れた喩の中の喩,

でしかないからだ。それは,

現実の捨象の仕方,

と言ってもいい。

高を括る,

とは,この捨象の仕方を言っている。「計算士」「記号士」「組織(システム)」「工場(ファクトリー)」もすべて,喩である。その文脈の中では,「コンピュータ」も喩であり,「私」も「僕」も喩である。「博士」も「孫娘」も「図書館の女」も喩でしかない。何かについての喩えでしかない。しかし,喩えは,現実にフックがかかっていない限り,ただの抽象であり,肉体をそぎ落とした洗い晒した骨にすぎない。その意味で,

頭骨,

は象徴的である。しかし,そこに何かを深読みしても無駄である。すべては,洗い晒されているからだ。その意味でも自己完結している。それは,ある意味,

無国籍化した文体,

そのものが象徴している(この作品の文章を「文体」という言葉で表現するにはひどく抵抗あるが「文章」とは言えないので仕方ない)。

参考文献;
村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮社)
茂木健一郎『思考の補助線』(ちくま新書)

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2018年01月06日

たまさか


「たまさか」は,最近あまり使わないが,「たまたま」と同義で,

偶,
適,

と当てる(「に」を伴って副詞としても用いる)。

おもいがけないさま,
まれなこと,めったにないこと,
万一,

という意味だ。「滅多にない」から,「思いがけない」ことだし,「偶然」となるが,「ひょっとすれば」の意で,「万が一」となる。同じ意味の外延といっていい。『大言海』は,「たまさかに」で,

偶,
適,
邂逅,

と当て,

「サカには,ソカにの転。おろそかに,おごそかにの類」

とある。『岩波古語辞典』も,

偶,
邂逅,

と当て,

「偶然出会うさま。類義語マレは,存在・出現の度数が極めて少ない意。ユクリカ・ユクリナシは不意・唐突の意。」

とあり,

「ばったり会う」

というのが原意ではないか。「そか(に)」については,『大言海』は,

「物の状態(さま)を云ふ語。『おごソカニ』『あはソカニ』『おろソカニ』」

と載る。因みに,「あはそかに」とは,

「アハは淡,ソカは副詞を形作る接尾語」

とある。『岩波古語辞典』も,「あはそかに」の項で,

「アハは淡,ソカはオゴソカ・タケソカなどのソカ。状態を示す接尾語」

とある。

なお,「ゆくりなし」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/441967296.html

で触れたように,『岩波古語辞典』は,

「ユクは擬態語。ユクリカと同根(リカは状態を示す接尾語)。気兼ね遠慮なしに事をするさま。相手がそれを突然だと感じるような仕方。リは状態を示す接尾語。ナシは,甚だしい意」

とし,

事をするのに無遠慮である,
だしぬけである,

という意味を載せる。唐突感が強い,という意味合いなのだろう。因みに,「ゆくりか」は,

「ユクは擬態語。ユクリナシと同根。リカは状態を示す接尾語」

とあり,

無遠慮で気兼ねをしないさま,
思いがけず突然なさま,

という意味になる。しかし,「ゆくりか」のひとつ前の項に,「ゆくり」があり,

緩り,

と当てて,

ゆとりがある,ゆったりとしているさま,ゆっくり,

の意味なので,あるいは,素人判断に過ぎないが,「ゆくり」の状態を妨げるというニュアンスなのではないか,と想像する。だから,類語とは言え,かなりニュアンスが異なる。

さて,「たまさか」だが,『日本語源広辞典』は,

「タマ(たまたま)+さか(接尾語 ソカ)」

を取り,『大言海』と同じである。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ta/tamasaka.html

は,その辺りを,

「たまさかの『たま』は、滅多にないこと、希なことを意味する『たま』『たまたま』と同源。たまさかの『さか』は、『おろそか(疎か)』や『おごそか(厳か)』の『そか』と同系で、状態を表す接尾語と思われる。 接尾語『そか』は、その前の音が『O(母音)』なので接尾語も『O(そ)』になり、たまさかの『さか』は、前の音が『A(母音)』なので『A(さ)』になったのであろう。」

と説く。その変化を,『日本語の語源』は,こう説く。

「『ひじょうに希である』という意のイタマレニ(甚稀に)は,省略されてタマニ(偶に)に変じた。これを強めてタマタマ(偶々)という。
 イササカ(聊か)は『ついちょっと。ほんのすこし。わずかばかり』という意の形容動詞である。『めったに会いがたいものがついちょっとあう』という意を表現するとき,ふたつの形容動詞を重ねてタマニイササカ(偶に聊か)といった。語中の三音節を落として「タマサカ(偶)になった。〈わたつみの神のをとめにタマサカニ漕ぎ向かひ〉(万葉・永江浦島),〈タマサカニわが見し人をいかならむ縁(よし)をもちてかまた一目見む〉(万葉)」

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ラベル:たまさか 邂逅
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2018年01月07日

おあいそ


「おあいそ」は,

御愛想,

と当てる。「おあいそう」とも言うが,

「愛想(あいそ)」を丁寧に言う語,

であるが,同時に,

お勘定,

の意でも用いる。「お世辞」「愛想も小想も」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/414077255.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/420698200.html

で触れたことがあるが,「愛想」は,語源は,

「愛(愛らしい)+相(様子)」

とある。

「愛」という字の,「旡(カイ・キ)」は,象形文字で,腹が一杯になって胸をつくさま,で,「欠」(腹が減ってしぼむ)の反対。で,「つまる」「いっぱいになってつかえる」といった意味を持つ。「夂」は,下向きの足の形を描いたもの。「降」,「各」(足が使える),「逢」等々,足を示す印として用いられる。で,「足」や「行きなやんで足が遅れる」という意味を持つ。

「愛」は,

「心+夂(足を引きずる)+旡」

で,心が切なく詰まって,足もそぞろに進まないさま,

を表し,「いとおしむ」「めでる」「かわいがる気持ち」という意味を持つ。

「想」は,「相+心」だが,「相」は,「木+目」で,気を対象に目で見ること,AとBとが目で向き合う関係を表し,「ある対象に向き合って対する」意を含む。で,「互いに」「二者の間で」「みる」「たすける」といった意味をもつ。「心」は,心臓を描いたもの。「滲」「沁」「浸」等々と同系。血液を血管の隅々まで,沁み渡らせる心臓の働きに着目したもの。「心臓」「こころ」「真ん中」といった意味になる。

で,「想」は,ある対象に向かって,心で考えることを意味する。

「愛想」は,好意を持って,相手にひたすら向き合う,

という意味となるのだろうか。

好意の互恵性というのがあって,

「他者から好かれると,その人を好きにならずにはいられない」

という説がある。

第一には,好意的な自己概念を求める欲求がある,
第二には,自己評価と類似した意見の他者を好む傾向がある,

という仮説がふたつあることによるらしいが,お愛想,という言い方をすると,世辞に似たニュアンスがある。

「何のお愛想もできませんで,失礼しました」
とか
「どうも愛想なしで」

という言い方をする。

「御愛想尽かし」の意味の勘定をしてくれ,から,「おあいそ」となったという説がある。

別の説では,お店側が,「御愛想がなくて申し訳ありません」「愛想づかしなことではありますが」と断りながら,勘定書を示したというのもあるが,それがだんだん短くつまって「あいそ」,ちょっと丁寧に「おあいそ」となり,いつしか「おあいそ」だけで勘定の意味を持つようになり,客のほうも、自分からその言葉を使うようになった,という。

まあ,支払いを画期に,両者のもてなし,もてなされ関係が,一旦(双方で)「愛想」を切る,でもあるし,「愛想」=もてなしを切る,という意味にもなるのだろう。

「お勘定」の意味の,「おあいそ」には,

客側の「愛想尽かし」の意と,
店側の「御愛想がなくて申し訳ありません」の意と,

両説あるのである。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/o/oaiso.html

は,

「おあいそは、本来、お店側が『お愛想がなくて申し訳ありません』などと断りを言いながら、お客に勘定書を示していた言葉である。 語源のままであれば、お客が『おあいそして』と言うと、『こんな店には愛想が尽きたから清算してくれ』という意味になる。『お勘定』の意味で『お愛想』が使われ始めたのは、庶民の暮らしや流行などの情報を掲載した明治時代の雑誌『風俗画報』95号の中で、京都の流行として『勘定をあいそといふなど尤も面白く存じ候ふ』と紹介され、全国に広まったためと考えられている。」

と,店側説を採る。確かに『江戸語大辞典』の「おあいそう」の項には,「愛想の謙譲語,もてなし」「お世辞」の意味しか載らない。

http://www.kotobano.jp/archives/1238

も,

「『お愛想』という言葉は、会計時、お店側が『今日はわざわざお越しいただきましてありがとうございます。こちら、色々と不手際などございましたかもしれません。それなのに、会計のことを申し上げるなど愛想のないことで恐縮です。大変失礼いたしました。どうぞまた、これに懲りずにお越しくださいね』という意味で伝えるものです。」

と店側説である。

https://macaro-ni.jp/37528

も,「おあいそ」の正しい意味と語源で,

「『おあいそ』は、漢字で書くと『お愛想』となります。さらに、『お愛想』は『愛想尽かし』を省略した言葉なのです。『もう、彼には愛想が尽きたわ!』と、今でも使いますが、元々は遊郭で使われていた言葉なんです。お客がお気に入りだった女郎に対する愛情をなくして『もうお店に来たくない!』という状態を『愛想尽かし』と呼んでいました。(中略)
でも、どうして現在のようにカジュアルに使われるようになったのでしょうか?
日本には『ツケ』という文化がありました。行きつけのお店で飲み食いした分の代金をその場で支払わずに、お店の帳簿につけてもらってあとでまとめて支払うという仕組みです。(中略)お互いの信頼関係が築けていて初めて成立する、粋な文化ですね。ツケにせず、きれいに清算してしまうのは『もう来ないよ』という意味。その時に言う言葉が『ツケにしないのはお愛想尽かしだけど……』だったのです。
時は流れ、ツケ文化は弱まり、きっちり飲食代を支払うようになりました。お店側からお会計について切り出す際に『お愛想尽かしのようでございますが、お勘定はいくらで……』と使うようになったという説や、『お会計のことを申し上げるなんて愛想のないことですが……』と使われるようになったという説が濃厚です。
「あちらのお客様おあいそで!」と店員さん同士が使っていたのを聞いて『専門用語を使うなんてツウっぽい!』とお客さん側が使い始めた結果、現在のように広く浸透してしまったのです。」

と,やはり店側説を採る。どうやらこれが大勢である。しかし,『日本語源広辞典』は,

「一般にはもてなしの意で使うことが多いようです。例:何のオアイソもできませず,失礼いたしました。どうもオアイソなしで。転じて,料理屋などの勘定書(オ+愛想尽かし)に使います。これをみると愛想が尽きる意から」

とする。発祥が遊郭の客のセリフなのだとしたら,この説が妥当だ。もし店側が使うのなら,「愛想なしで」くらいまで略すのはあるが,「愛想のないことで申し訳ない」を「愛想」と略すとすれば,その店は,まさに愛想無い店,ということになるまいか。

「店員さん同士が使っていたのを聞いて『専門用語を使うなんてツウっぽい!』とお客さん側が使い始めた結果」

とあるのは,客側の反撃で,先祖がえりというべきものではないか。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

ラベル:御愛想 おあいそ
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2018年01月08日

ミイラ


この「ミイラ」は,

ミイラ取りがミイラになる,

という諺の「ミイラ」である。昔から不思議であった。「ミイラ」というのは,

mirra,

で,ポルトガル語らしい。

木乃伊,

と表記するが,これは漢訳語そのものらしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%A4%E3%83%A9

には,

「漢字表記の『木乃伊』は14世紀の『輟耕録』巻3に回回人の言葉として出現し、中国語では『蜜人』というとしているが、おそらくは同じ語にもとづく。日本語の漢字音で読む『モクダイイ』はあまりにも原音から遠い印象があるが、北京語でこれを読むと『ムーナイイー』(普通話: mùnǎiyī)のようになる。『輟耕録』ではミイラを回回人の習俗として記し、手足をけがした人がミイラを食べるとたちどころに直ると記述している。『本草綱目』でも『輟耕録』を引用しているが、本当に効果があるかどうかはわからないとしている。日本でもこの表記を中国語から借用し、『ミイラ』の語に充てるようになった。」

とある。日本でも,「即身仏」という,

「密教系の日本仏教の一部では、僧侶が土中の穴などに入って瞑想状態のまま絶命し、ミイラ化した物」

があるが,日本の風土ではなかなか難しいが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%A4%E3%83%A9

に,

現存する即身仏の一覧,

が載っている。

さて,「ミイラ取りがミイラになる」

とは,落語にも「木乃伊取り」があるように,

人を連れ戻しに出かけた者が,そのまま帰ってこなくなる,転じて,相手を説得するはずが,逆に相手に説得されてしまう,

という意味だが(『広辞苑』),どうして,「ミイラ取りがミイラになる」が生まれたのか,なかなか不思議である。なお,落語の「木乃伊取り」は,

http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2004/11/miiratori.html

にあるように,相手を連れ戻しに行って帰ってこなくなる,という噺である。しかし,どうしてそういう意味になったのか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%A4%E3%83%A9

に,

「日本語の『ミイラ』は16〜17世紀にポルトガル人から採り入れた言葉の一つで、ポルトガル語: mirra は元来『没薬』を意味するものであった。『ミイラ』への転義の詳しい経緯は未詳であるが、没薬がミイラの防腐剤として用いられた事実や洋の東西を問わず“ミイラ薬”(ミイラの粉末)が不老長寿の薬として珍重された事実があることから、一説に、“ミイラ薬”(の薬効)と没薬(の薬効)との混同があったという。只、薬に使用したため、体調を崩し、死者まで出た事から、後には燃料として、欧米中心に輸入されていたと早稲田大学名誉教授でエジプト考古学研究の権威吉村作治は述べている。」

とある。『広辞苑』には,「没薬(もつやく)」は,

ミルラに同じ,

とある。「ミルラ」を引くと,ラテン語で,myrrha,

「主に東部アフリカおよびアラビアなどに産するカンラン科の諸植物から採取したゴム樹脂。黄色,赤色または褐色。芳香と苦味とがあり,古来香料・医薬また死体の防腐剤などに用いた。」(『広辞苑』)

とあり,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A1%E8%96%AC

には,

「古くから香として焚いて使用されていた記録が残されている。 また殺菌作用を持つことが知られており、鎮静薬、鎮痛薬としても使用されていた。 古代エジプトにおいて日没の際に焚かれていた香であるキフィの調合には没薬が使用されていたと考えられている。 またミイラ作りに遺体の防腐処理のために使用されていた。 ミイラの語源はミルラから来ているという説がある。」

つまり,語源から見ても,ミイラづくりに使う薬剤から見ても,「ミイラ」と「ミルラ」は混同されやすい。『大言海』の「ミイラ」の項には,

「元来,防腐剤,香料を意味する語なりしが,防腐を施して固まりたる人,及,動物をも云ふに至れり」

とある。

http://kotowaza-allguide.com/mi/miiratorigamiira.html

には,

「『ミイラ』とは、防腐剤として用いられた油のことをさす。ミイラ(木乃伊)は、アラビアやエジプトなどで死体に塗る薬のことで、この薬を布で巻いて箱に入れ棺におさめると死体が腐るのを防げた。この薬を取りに行った者が、砂漠で倒れるなどして目的を果たせず、ついには自分がミイラになってしまったことが、このことわざの起源とされている。『ミイラ』はポルトガル語で「没薬」という意味。」

とある。似た解釈は,

https://kakuyasu-eigo.com/gooutforwool/

「“ミイラ”の元々の意味は、『没薬』を意味する防腐剤として用いられた油のことでした。これがいつの間にか、今の「ミイラ」じたいを指す言葉に転義したようです。そしてこの『ミイラ』が、16~17世紀ごろのヨーロッパにおいて、漢方のような薬として広まったことから、墳墓などにミイラを取りにいく商人が増えました。
さらに江戸時代に日本にも、ミイラという言葉とともに輸入され、”ミイラの粉末”が大名など有力者を中心に、薬として入ってきたようです。」

である。しかし,ミイラを造っている薬剤ミルラを取りに行かなくても,ミルラそのものを採取すればよいのに,そうしなかったのは,その製造方法が廃れたためなのだろうか。

モツヤクジュ.jpg

(モツヤクジュ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A1%E8%96%ACより)

「“ミイラ薬”(ミイラの粉末)が不老長寿の薬として珍重された」

という事実から,ただの盗掘にすぎない,

ミイラを取りに行って(行き倒れて)ミイラになった,

というのもあったかもしれないが,諸種薬草を集めてるうちに,

ミルラを取りに行って(行き倒れて)ミイラになった,

という方が,まだましなような気がする。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A1%E8%96%AC

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

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2018年01月09日

高を括る


「高を括る」とは,

「せいぜいそんな程度だろうと決めてかかる」

という意味で,

見縊る,
侮る,

と似た意味になる。

高で括る,

とも言うらしい(以上『広辞苑』)。

『日本語源広辞典』は,

「語源は,相手や仕事などに対して『タカ(数量・程度)をくくる(しめくくる)』です。」

とある。しかし,「締めくくる」が,どうして,

見縊る,

意になるのかが,分からない。この「高」が,土地生産力を示す,

石高,
貫高,
永高,

などの土地の生産力の単位であることは想像がつく。「貫高(かんだか)」は,

「鎌倉時代・室町時代には、田地の面積は、その田で収穫することのできる平均の米の量を通貨に換算し『貫』を単位として表された。これを貫高(かんだか)といい、それを税収の基準にする土地制度を貫高制と呼ぶ。同じ貫数でも土地の条件などによって実際の面積は異なることになる。これは、米で納めるべき年貢を銭で代納する『分銭』に由来するもので、武家の知行高も貫で表し、貫高に基づいて負担する軍役を定めた。
これに対して領主側も用途に応じた標準貫高を定めて把握に努めた典型的なケースとして相模国の後北条氏(伊勢氏)を挙げると、田には1段あたり500文、畑は1段あたり150-200文を標準として、永楽銭あるいは代納として米で納めさせた。同氏の制度では100文を米1斗2-4升に換算された。なお、永楽銭で納付させた貫高制を特に永高(えいだか)とも称した。特に戦国時代においては、自給自足体制の崩壊とともに支配階層の貨幣に対する需要が高まった事から普及する。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%AB%E9%AB%98%E5%88%B6

で,「永高(えいだか)」は,

「戦国時代以後に東国を中心として行われた貫高制における慣例で、田畑に課せられる年貢の基準となる高(貫高)を永楽銭にて見積・表示を行う方法。永積(えいづもり/えいづみ)・永盛(えいもり)・永別(えいべつ)などの別名がある。東国では永楽銭が精銭とみなされ、特に結城氏(弘治2年(1556年))や北条氏(永禄7年(1564年))の領国では永楽銭が領内の公式の貨幣とされ、年貢の上納も永楽銭による銭納を原則としたため、永楽銭による価値表示が土地を含めた富の基準とされていた。徳川氏でも小田原征伐以前に永高を採用していたことが知られている」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E9%AB%98

をいう。で,「石高(こくだか)」は,

「太閤検地以後江戸時代を通じて、田畑や屋敷などの土地の価値に至るまで、面積に石盛という一定の係数をかけて米の生産力に換算して石単位で表示するようになった。このような制度を石高制と言い、米以外の農作物や 海産物の生産量も、米の生産量に換算されて表された。大名をはじめとする武士の所領からの収入や俸禄を表す場合も石高を用いた。特に領民の場合には『百姓高所持(ひゃくしょうだかしょじ)』、武士(特に大名)の場合には『石高知行制(こくだかちぎょうせい)』と称されることがある。明治時代の地租改正まで続いた。
一石は大人一人が一年に食べる米の量に相当することから、これを兵士たちに与える報酬とみなせば、石高×年貢率と同じだけの兵士を養えることになる。つまり石高は戦国大名の財力だけではなく兵力をも意味していた。江戸時代の軍役令によると、大名は幕府の命に応じて表高1万石あたり概ね2百人程度の軍勢(非戦闘員を含む)を動員する義務を課せられていた。ただし石高は一般に玄米の体積を元に算出するのが常であり、実際には成人男性であれば1日玄米5合、年間玄米約1.8石が標準的な扶持米として支給されていた。」

とある。で,

「農民に対する年貢徴収は原則としては石高を元にしているものの、初期の検地が年貢の徴収よりも領主の領知高及びそれに基づく公儀への諸役負担を確定させることを目的としていたことや村請制のもとで重視されたのは村単位の石高(村高)であったことから、個々の農民に対する年貢徴収基準として石高が用いられるようになったのは17世紀後期以後とされている。実際に江戸時代の土地証文に石高の記載が登場するのは寛文・延宝年間が上限とされ、それ以前の農民生活において石高は身近な概念ではなかったとみられている。」

とある(以上,https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E9%AB%98)。

以上を前提にすると,『岩波古語辞典』の「高を括る」の項に,

「(近世,山間僻地の生産の乏しい村々は,実測で反別を改める作業を略して,検地役人の目測で村高を決定したことから)相手を一人前と見なさず,軽んじ侮る,見くびる」

とある意味が分かる。つまり,一丁前の生産高の村と見なさない,という意味から来ているらしい。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ta/takawokukuru.html

は,

「『たか(高)』は、『生産高』『残高』など 物の数量や金額を見積もった時の合計額のことで、数量の程度を表す。 『くくる(括る)』 は、『まとめる』『物事に区切りをつける』こと表す。 つまり、この程度(高)だろうとまとめる (括る)ことの意味から、安易に予測したり、大したことはないと侮ることを『たかをくくる』と言うようになった。また、大したことはないと侮る意味が含まれるようになったのは、戦いの際に勝敗の見込みを予測するため、相手の領地の『石高』を計算したことからともいわれる。」

とするが,やはり,山間僻地の目測による村高を「くくる」ところに,

まあこんなところか,

と,相手を安く見て,決めてかかる含意がよく出ている,と思う。

高が知れる,

というのも,この「高」で,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ta/takagashireru.html

には,

「『たか(高)』は、『残高』『生産高』など数量・金額・程度を表す。 その『高』が知れることは、『程度がわかっている』『どのくらいか知れたもの』という意味であるから、『大したことはない』という相手や対象を軽く見た言葉となった。『高をくくる』『たかが』『たかだか(古くは 、たかたか)』も、この『たか(高)』である。多いか少ないかを意味する『多寡』を用いて、『多寡が知れる』とするのは誤りである。」

とある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

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2018年01月10日

ことのほか


「ことのほか」は,

殊の外,

と当てる。

思いのほかのこと,意外,
格別のこと,とりわけ,

と,ちょっと幅のある意味である。「意外」と「格別」とは,イコールではない。『デジタル大辞泉』だと,

1 予想と、かなり違っているさま。思いのほか。案外。意外。「殊の外よい記録が出た」
2 程度が際立っているさま。格別。とりわけ。「今年は殊の外寒い」

とある。

予想と、かなり違っているさま→意外,
予想と、かなり違っているさま→格別,

という流れを考えれば,意味の外延がつながる。『大辞林』だと,

①予想に反して程度がはなはだしいさま。思いのほか。 「 -(に)手間取る」 「 -簡単だった」
②普通以上に程度がはなはだしいさま。格別。はなはだ。 「今夜は-(に)寒い」 「 -の御立腹」

と,「程度が甚だしい」という言葉を,「予想に反して」と「普通以上に」で区別している。この方が,意味の連続がよく見える。

『大言海』は,

「異(こと)の外の義」

とする。「異」を見ると,

「異所(けと)の転ならむか(心(こころ),けけれ。杮(こけら),けけら)」

とし,

常に変わること,別なること,
此語,多く接頭語の如く用ゐられて,あだし,異なる,別なる,常ならぬの意を成す,

とある。「ことに(殊に)」の「こと」ともつながり,『大言海』は,「ことに」に,

殊,
特,

と当て,「異に」の義,とする。『日本語源広辞典』は,「ことに」について,

「形容動詞『異なり』の連用形」

とし,「ことのほか」は,

「コト(思っていること)+ホカ(外)」

とする。この説は,『岩波古語辞典』が,「ことのほか」に,

事の外,

と当て,

並外れていること,考えられないほどのこと,平安時代には不快な事にしか使わない,
格別,特別,

という意味とするのとつながる。この意味からすれば,

「事の外」

と当てるのが,妥当に思える。なぜなら,「異(こと)の外」では,

異(常と変ること)の外,

となるから,ただの状態でしかなく,「格別」の意味にも,「並外れていること」の意味にもならない。

『学研全訳古語辞典』は,「ことのほかなり」で,

事の外なり,
殊の外なり,

と当て,形容動詞ナリ活用,

①予想外だ。意外だ。▽多く不快感を表す。「ことのほかなる御もてなしなりけるに、しひてえ詣(まう)で訪(とぶら)ひ給(たま)はずなりにけり」(源氏)
②格別だ。特別だ。「鳥の声などもことのほかに春めきて」(徒然)

と載せる。もともとは,

事の外,

と当てたのではないか。「こと(事)」は,『岩波古語辞典』に,

「古代社会では口に出したコト(言)は,そのままコト(事実・事柄)を意味したし,またコト(出来事・行為)は,そのままコト(言)として表現されると信じられていた。それで,言と事とは未分化で,両方とも,コトという一つの単語で把握された。従って奈良・平安時代のコトの中にも,言の意か事の意か,よく区別できないものがある。しかし,言と事とが観念の中で次第に分離される奈良時代以後に至ると,コト(言)はコトバ・コトノハと言われることが多くなり,コト(事)と別になった。コト(事)は,人と人,人と物とのかかわり合いによって,時間的に展開・進行する出来事・事件などをいう。時間的に不変の存在をモノという。後世モノとコトとは,形式的に使われるようになって混同する場合も生じてきた。」

とあり,『日本語源大辞典』は,

「『事』は『言』に表れたとき初めて知覚されるという古代人的発想に基づくもの」

とするが,それは何も古代人に限ったことではない。ヴィトゲンシュタインは,

人は持っている言葉によって見える世界が違う,

のであり,

「事は皆言に起こる」(和訓栞)

と,「言」によって,「事」が起こることには変わりがない。その意味では,「ことのほか」は,

言の外,

であり,

事の外,

なのである。しかし,それが,

異なること,

であることから,

異の外,

となり,

殊の外,

になったのではあるまいか。「殊」の字は,

「朱は,木を-印で切断するさまを示す指示文字で,切株のこと。殊は『歹(死ぬ)+音符朱』で,株を切るように切断して殺すこと。特別の極刑であることから,特殊の意となった」

で,「ことなる」意で,

特殊,
殊異,

という言い方で使う。「異」の字は,

「『おおきなざる,または頭+両手をだしたからだ』で,一本の手の他,もう一本の別の手をそえて物を持つさま。同一ではなく,別にもう一つとの意。」

で,やはり,「ことなる」意だが,

異様,
怪異,

と,「あやしい」ニュアンスがつきまとう。

『日本語源大辞典』は,「こと(異・殊)」で,

他と同じでないさま,

とし,

ケト(異所)の転か(大言海),
コト(異)はケト(奇所)の義。コト(殊)はコト(異)の義。コト(別)はコトゴトク(悉)の義(言元梯),
トは事物を意味する接尾語(日本古語大辞典=松岡静雄),
コト(事)の転義(国語本義・国語の語幹とその分類=大島正健),
形式名詞コトから転成したものであろう(時代別国語大辞典-上代編),
コト(事),あるいはコト(胡土)からか。胡土は唐土の北にあり,唐とは別であるところから(和句解),

と並べるが,「異」をあれこれ詮索するよりも,「コト(事)の転義」でいいのではないか。「異」と「殊」は同じであり,その「異」は,「言」によって生じた「事」という意味でもある,と。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2018年01月11日

しこな


「しこな」の,

四股名,

は当て字,本来,

醜名,

と当てる。『広辞苑』には,

自分の名の謙称。「行成がシコナ呼ぶべきにあらず」(大鏡)。類聚名義抄「諱,シコナ・イミナ」
渾名。「彦根の事をいうてしかり給ふゆゑ,後々には子どもも。シコナを彦根ばばといひし」(おあん物語)
(「四股名(しこな)」は当て字)相撲の力士の呼び名,

と意味が載る。「しこ」は,『広辞苑』は,

醜,
鬼,

の字を当て,

強く頑丈なこと,
頑迷なこと,醜悪なこと,

と載る。『岩波古語辞典』は,「しこ」について,

「ごつごつしていかついさま。転じて,醜悪・凶悪の意」

とある。『日本語源大辞典』は,醜悪なことの意と,さらに,

けがらわしい,いとわしい,

の意も載せ,

「多く,接頭語的,または『しこの』『しこつ』の形で,ののしったりへりくだったりする場合に用いられる。『醜い女(しこめ)』『醜草(しこぐさ)』『醜手(しこて)』『醜(しこ)ほととぎす』『醜(しこ)つ翁』など。」

と載る。この「しこ」の語源は,『大言海』には,

「又,シキとも云ふ」

とあるが,『岩波古語辞典』は,「しき(醜)」の項に,

「万葉集で『しこ(醜)』の万葉仮名『四忌』をシキと誤読してしまって生じたた語」

とある。『日本語源大辞典』は,「しこ」について,

シカミ(顰),シカル(叱)等のシカと同語か。あるいはカ(赫)からか(日本古語大辞典=松岡静雄),
シカル(叱)のもととなった動詞シクの転(続上代特殊仮名音義=森重敏),
シコフ(重瘣)の義(言元梯),
下子の義か(コクゴ),

と挙げた上で,

「『しこ』がツングース系ソロン語〔sĭkkwl~sĭrkwl〕(鬼の意)と対応するとする説(村上七郎)により,原義を『鬼』とする考えがある。」

としている。なお,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/si/shiko.html

は,

「漢字は当て字で、『醜(しこ)』を語源とする説が 有力である。 「醜」は醜く良くないことの意味もあるが、古くは強く恐ろしいことや頑丈な ことを意味したことから一連の動作を『醜足(しこあし)』といい、略されて『しこ』となったという。その他、『肉凝(しこる)』の意味からといった説もある。」

と,異説を載せている。

いずれにしても,「しこ(醜)」は,自らを謙遜し,他を貶めるという意味で,あまりいい意味をもっていない。『大言海』は,「しこな」について,

「讒(しこ)つる名の意か」

として,

戯れ謗りて,名づくる名。謔名。渾名,

としているが,どうも,『大言海』は,名義抄の,

「諱,シコナ,イミナ」

引用し,『広辞苑』は,

類聚名義抄「諱,シコナ・イミナ」

を引用していた,「諱(いみな)」との関係が気になる。「諱」は,

忌み名,

で,

死語に言う生前の実名,
後に,貴人の実名を敬っていう,
更には,死後に尊んでつけた称号,諡(おくりな),

という意味だが,通称と実名との違いは,たとえば,武田信玄は,

太郎が通称(仮名〔けみょう〕・字),
晴信が諱(真名),
信玄は法諱,

正式には,

源朝臣武田太郎晴信,

となる。「実名敬避俗(じつめいけいひぞく)」として,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1

に,

「漢字文化圏では、諱で呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人間が名で呼びかけることは極めて無礼であると考えられた。これはある人物の本名はその人物の霊的な人格と強く結びついたものであり、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられたためである。」

とある。とすると,当初は,

しこな,

は,諱(実名)を意味していたはずなのに,ついには,渾名となり,「四股名」となり,芸名へと堕した,ということになる。

相撲の「四股名」については,

220px-Kuniyoshi_Utagawa,_The_sumo_wrestler.jpg

(浮世絵に描かれた力士。猪名川政之助(最高位 関脇 1844年(天保15年))。歌川国芳。)


「力士の名のりのこと。古くは『しこ』を醜と書き、強いという意味が醜に共通し、自分を卑下して謙遜(けんそん)する場合にも使われて、『しこの御楯(みたて)』などともいった。平安朝の『大鏡』に、『行成(ゆきなり)が醜名(しこな)呼ぶべきにあらず』とあるように、自分の名を謙称していったことから始まり、強いという意味が含まれているところから、江戸時代に入って『名のり』『綽号(あだな)』といったことばにかわって、のちに力士専用にしこ名という名称が用いられるようになった。」(日本大百科全書(ニッポニカ))

とあり,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%82%A1%E5%90%8D

には,

「四股名の誕生は江戸時代、興行としての勧進相撲が始まった頃からと考えられている。例えば『信長公記』など戦国時代の歴史書にあらわれる相撲取りは、本名かそれに準ずる通り名などで相撲を取っていた。
職業として相撲を取る者が現れたことで、四股名が用いられる様になったが、当初は古典に登場する豪傑の名を取ったような、荒々しいものが多かった。
由井正雪の謀反事件の後、江戸幕府によって一時期四股名の使用が禁じられた。叛意を持った浪人が来歴を偽って相撲取りの巡業の中に潜伏するようなことを、取り締まるためだった。やがて幕政が安定するとこれも解禁され、谷風梶之助、小野川喜三郎らの活躍する寛政期になると、現在に通ずるような勇ましさだけでなく優雅さを強調した、「山」「川」「花」「海」といった文字を盛り込んだ四股名が使われ始めた。」

とある。なお,力士の「しこな」については,

http://www.geocities.jp/buffie7wolf/shikona.htm

に詳しい。

800px-Somagahana_Fuchiemon.jpg

(大小の刀を佩刀し武士と同じ待遇であった力士。歌川国貞画:大判錦絵:杣ヶ花渕右エ門(そまがはな・ふちえもん))


参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B%E5%A3%AB#/media/File:Kuniyoshi_Utagawa,_The_sumo_wrestler.jpg
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
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2018年01月12日

あだな


「あだな」は,

渾名,
綽名,

と当てるものと,

徒名,
仇名,

と当てるものとがあり,意味が異なる。通常,

ニックネーム,

で言うのは,「渾名・綽名」で,

「(アダは他・異の意)その人の特徴などによって実名の他に付ける名。あざけりの意味や愛称としてつける。」

と『広辞苑』にある。「異名(イミョウ・イメイ)」とも言う。「徒名・仇名」は,

男女関係についてのうわさ。色事の評判。艶聞(えんぶん)。浮名,
根拠のない,悪いうわさ。ぬれぎぬ,

と,二様の意味があるが,あまりいい「評判」ではないことに変りはない。で,一般には,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1115748771

等々が言うように,ニックネーム (nickname)の意の,「あだな(渾名・綽名)」と,「悪評、事実無根の評判、男女関係についての噂」の意の「あだな(徒名・仇名)」とは,別だとされる。しかし,『大言海』は「渾名・綽名」の「あだな」に,

渾名,
綽號,

と当て,

「アダは,他人(あだしびと)のアダにて,外より附けたる呼名の意ならむ。或は,毀(そし)る意にて,仇名なるかとも思はる。されば,本人の自称する字(あざな)とは,全く異なり,且,アダナは,後世出来たる語にて,古くは見えず」

とし,「綽名・渾名」と「仇名・徒名」とを区別せず,他称の呼名,としている。「あだな(徒名)」の別項で立てているが,「あだな(綽號・渾名)」の意味を,

「人の醜貌,悪癖,非行,失礼などにつきて,他より嘲りてつけたる呼名。即ち,醜名(しこな)なり。」

と,「あだな(徒名)」の項は,

空しく立ちたる世評〔うわさ〕,浮名,

としているので,「あだな(徒名)」の意味と「あだな(綽號・渾名)」の意味とが重なる。

『岩波古語辞典』は,「あだな」については,「徒名」しか載せず,

浮いた噂,
無実の噂,

の意を載せる。「あだな」の語源は,『日本語源広辞典』は,二説載せ,

説1は,「アダ(徒・意味のない,実を結ばない)+名」で,真実でない名の意,
説2は,「アダ(他・別)+名」で,別の名,

とする。「アダ(徒)名」か「アダ(別)名」の二説ということになる。『日本語源大辞典』は,

アダはアダシビト(他人)のアダで,外から付けた呼名の意(和訓栞・大言海),
毀(そし)る意で,アダナ(仇名)といったか(俗語考・大言海),
徒の意。後に別名の意となる(国語の語幹とその分類=大島正健),
アザナの転で,人の別名(俚言集覧・和訓栞),
色好みの評判のアダナ(徒名)とアザナ(字)が混同され,別名の意になった(暮らしのことば語源辞典),

とある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/adana.html

も,

「あだ名の『あだ』は、『他のものである』『異なっている』という意味の形容詞『あだシ』の『あだ』で、外から(他人 が)付けた別の呼び名とする説が通説となっている。しかし、『あだし』が『他の』といった意味で用いられていた時代は『あたし』と清音で、濁音化されてからは『不誠実』や『浮気っぽい』などの意味で用いられているため、あだ名と繋がりが見えない。その他の説では,中国で男子が元服の際につけて通用させた別名で、日本でも『別名』の意味で用いられた『あざな(字)』と、『男女関係のうわさ』や『浮名』を意味する『あだな(徒名・仇名)』の音が似ていることから混同され、あだ名が『別名』の意味を持つようになったとするものがある。」

と載せ,「アザナ(字)」と「あだな(綽名)」の混同は,『大言海』も,「あだな(綽號・渾名)」の項で,

「即ち,醜名(しこな)なり」

としていたので,「あだな」と「あざな」の重なりは確かに気になるが,「醜名」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/456125429.html?1515616973

で触れたように,「しこな」は,「諱(いみな)」から,いわゆる「四股名」という芸名へと堕していったものだ。「あざな(字)」は,通称である。大事なのは,「諱」も「字」も自ら名乗る名であって,他称ではない。その意味で,他称である「あだな」(「渾名・綽名」の「あだな」も「徒名・仇名」の「あだな」も)とは,使われ方が異なる。

確かに,

https://kotobank.jp/word/%E3%81%82%E3%81%A0%E5%90%8D-25794

の『とっさの日本語便利帳』の言うような,

「もともとは『婀娜(あだ)な名』、つまり好色という評判や浮き名の意。また別に、男性の成人後の通称『あざな(字)』が鎌倉時代頃には愛称・ニックネームの意味に変化し、音が近いことでこれと混同され、現代では『あだな』の方が用いられる。」

考え方もあり得るが,これだと,

諱(いみな)→しこな,
字(あざな)→あだな,

と変化したということで,一貫するように見えるが,「いみな→しこな」は,自称で一貫しているが,「あざな→あだな」は,自称から他称へと転換している。この差は大きすぎるのではないか。

とすると,「あだな」の「あだ」の考え方には,

「アダ(徒)名」

「アダ(別)名」

二説あったのが注目される。「他のもの」の意の,

あだし,

は,『岩波古語辞典』にも,

古くは,アタシと清音,

とある。「あた(仇)」は,

「びたりと向き合って敵対するものの意。江戸時代以降アダと濁音化した」

とあり,『日本語源大辞典』は,

「語源についてはいまだ確定的なものはない。『万葉集』の表記に始まって平安朝の古辞書における訓,中世のキリシタン資料の表記はすべてアタと清音になっており,江戸中期の文献あたりでは,いまだ清音表記が主流である。二葉亭四迷の『浮雲』を始め近代の作品ではアダと濁音化しているので,江戸後期から明治にかけて濁音化が進んだとみられる。」

としている。しかし『岩波古語辞典』は,「あだな(徒名)」の用例として,

「またもあだなは立ちぬべき御心のすさびなめり」(源氏物語),
「しのばば目でしめよ,言葉なかけそ,あだなの立つに」(閑吟集),
「あだな立つるは怖い鰐口」(俳諧三部抄),

を載せ,すでにそれ以前から,「あだな(徒名)」が使われている。『岩波古語辞典』が,

あだな(徒名),

しか載せないのには意味があるのではないか。「あだし(他し)」とは異なり,

あだし(徒し),

は,当初から濁っている。『岩波古語辞典』にはこうある。

「意味上はアダ(不実)の形容詞形と考えられるが,常に名詞と複合した形で使われる。アタシ(他)とアダ(不実)との意味と形の近似による混交の結果生じた語であろう。中世以降の例が多い」

と。そうすると,最初は,

あだな(徒名),

が始まりで,「あた(他)」「あた(仇)」が濁音化するとともに,交じりあい,

あだな(仇名),

と当てられ,さらに,いわゆる「浮名」以外の他称の意味の,

あだな(綽名・渾名),

の意味へと転じていった,ということではないか。『江戸語大辞典』の「あだな」は,

綽名,

で,

他人のつけた呼称,

と他称一般へと広がっている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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2018年01月13日

あだ


「あだ」には,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/456146353.html?1515701759

でも触れたように,

他・異,
仇・敵,
徒・空,

の三通りがある。

あだ(他・異),
あだ(仇・敵),

は,古くは「あた」と清音であった。

「あだ(他・異)」は,

あたし(他し),

から来ている。

他のものである,

という意味である(『岩波古語辞典』)。後世濁って,

あだし(他し),

となるが,『大言海』は,

他,
異,

を当て,

「徒(あだ)の,実なき意の,我ならぬ意に移りたる語にもあるか,アダシ國,アダシ心,など云ふ用法は,アダ(徒)の語源を見よ」

として,「あだ(徒・空)」と関連するという考え方を採る。「あだ(徒・空)」では,

「徒(あだ)を活用せしむ(眞〔まこと〕しき,大人(おとな)しき)。アダシ契,アダシ世,などと云ふは,終止形を,名詞に接続せしむる用法にて,厳(いか)し矛,空し車,同じ年などと同例なり」

と,「あだ(他・異)」と「あだ(徒・空)」とを関連づけている。

「あだ(仇・敵)」については,『大言海』は,「仇きに同じ」として,

「憎むに因りて濁らするか(浅〔あさ〕む,あざむ。淡〔あは〕む,あばむ)」

としているが,『岩波古語辞典』は,

「びたりと向き合って敵対するものの意」

とし,

敵,
自分に害をなすもの,
害,
うらみ,

と,敵という状態表現から,害そのもの,さらにうらみへと価値表現が転じている。

『日本語源大辞典』は,この「あだ(仇・敵)」について,

「語源についてはいまだ確定的なものはない。『万葉集』の表記に始まって平安朝の古辞書における訓,中世のキリシタン資料の表記はすべてアタと清音になっており,江戸中期の文献あたりでは,いまだ清音表記が主流である。二葉亭四迷の『浮雲』を始め近代の作品ではアダと濁音化しているので,江戸後期から明治にかけて濁音化が進んだとみられる。」

と,江戸末期以降の濁点化を指摘している。

『大言海』は,「あた(仇)」の項で,その由来を,

「當(あた)るの語根,名義抄,支那『敵,アタル,カタキ,アタ』日本釈名(元禄)中十四『アタは,當る也,我と相當る也,敵當の意なり』」

としている。『日本語源広辞典』は,「あだ(仇・寇)」を,やはり,

「『アタ(当たるの語幹)の変化』です。アタンスル(寇にする)が方言に残っています。アダと濁音になったのは憎む意の加わったものです」

とする。

「あだ(徒)し」については,『岩波古語辞典』は,

「意味上はアダ(不実)の形容詞形と考えられるが,常に名詞と複合した形で使われる。アダシ(他)とアダ(不実)との意味と形の近似による混交の結果生じた語であろう。中世以後の例が多い」

としている。「あだ(徒・空)」は,

花が実を結ばないこと,
実意・誠意がないこと,
いいかげんなこと,
無用,無駄,

という意味になる。ここからは,臆説だが,そもそもは,「あた」は,

異なる,他のもの,

と,自分とは別のものという状態表現にすぎなかったが,それが,そのこと自体に意味を持たせた価値表現へと転じ,敵対を意味する,「あた(仇)」となり,さらに,『大言海』の言う通り,空しい意味の「あだ(徒)」へとシフトしていったのではないか。

あたし→あだし,

と濁ることで,意味の変化と重なりが起きたということもあるのかもしれない。しかし漢字を当てない限り,

あた→あだ,

にすぎない。

『日本語源広辞典』が「あだ(徒)」について,

「アダ(徒・役に立たない・むだ)」

としているのは,「徒」の字を当てた「徒」の字の意味に引きずられている後解釈に思える。

因みに,「仇」の字は,

「『人+音符九』で,いっしょに集まっている仲間,同類の相手の意。かたきの意を生じたのは,好敵手の敵(相手)が,敵味方の敵の意を派生したのと同様である。」

「仇」の字もまた,ただの相手(他のもの)の意味にすぎない。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
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ラベル:あだ
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2018年01月14日

こんにゃく


「こんにゃく」は,

蒟蒻,
菎蒻,

と当てる。

Konnyaku.jpg


「サトイモ科の夏緑多年草植物で、学名はAmorphophallus konjac。英名はelephant footあるいはdevil's tongueとも言う。地下茎はコンニャクイモ(蒟蒻芋)と呼ばれる。原産地はインドまたはインドシナ半島(ベトナム付近)とされ、東南アジア大陸部に広く分布している。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%82%AF)。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ko/konnyaku.html

には,

「こんにゃくは、奈良時代に薬用として中国から伝来した植物で、漢語『蒟蒻』も一緒に伝わったようである。 蒟蒻の読みは、『本草和名』に『古爾也久(こにやく)』、『和名抄』に『古迩夜久(こにやく)』とあるように、古くは『コニャク』と読まれていた。『コニャク』が中世に音変化し、『コンニャク』になったとされる。また、『蒟蒻』を呉音で『クニャク』と言ったものが、日本で『コニャク』となり、『コンニャク』になったとする説もある。」

としている。『大言海』は,

「韻會『蒟,果羽切,音矩』コと云ふは呉音なり。コンニャクは,音便轉(牛蒡〔ごぼう〕,ごんぼう。古年童,こんねんどう)。左思,蜀都賦『其圃則有蒟蒻茱萸』劉達,注『蒟,蒟醤(きんま)也,蒻,草也,其根,名蒟蒻』。キンマと,コンニャクと,二物なるに,唐宋以来誤りて,蒻を,蒟蒻と呼ぶと云ふ(箋注倭名抄)」

とある。「きんま(蒟醤)」について,『大言海』は,

安南地方の常緑樹の名,

とあり,「わたたび(蒟醤)」の項で,

いまのフトウカヅラ(風藤蔓)なるべし。きんま(蒟醤)の一種,

と載る。『広辞苑』には,

「『本草啓蒙』『和訓栞』に蛮語とあり,タイ語またはビルマ語の転化」

として,

「マレーシア原産のコショウ科の常緑蔓性低木。」

で転じて,

蒟醤手(きんまて)の略,

として使われる。「蒟醤手」とは,

「キンマの葉を入れるのに用いる舶来の漆器」

を指す。

「黒漆地に朱漆または色漆で,塡漆の技法により文様を表した漆器。中国の沈金の影響をうけてタイでつくられたが,16世紀以降はミャンマーが主産地である。素地は竹で,編胎,捲胎とし,高級品は馬毛を用いた。加飾は黒漆地に両刃の刀で,下図なしに直接文様を彫りつけ,油の入った色漆を一面に塗り,乾燥を待って刻線以外の色漆を研ぎ落とす。最後に油混和の漆を薄く塗って光沢を出す。古くタイではビンロウ(檳榔)の実に石灰をまぶし,蔓草の一種であるキンマ(蒟醬(くしよう))の葉に包んでいっしょに嚙む習慣があり,これらの材料を地産の漆器に入れて客をもてなした。」(『世界大百科事典 第2版』)

で,

https://www.kagawashikki.org/kinma

には,「香川県漆器 蒟醤(きんま)について」として,

「香川漆芸の代表である蒟醤は、タイ国の植物の実の名称だといわれ、何回も塗り重ねた上にケンで文様を線彫りしてそのくぼみに色漆を象嵌する技法で、漆の面を彫るという点では、沈金と変わらないようですが、朱漆、黄漆の色ごとに彫りあげ充填させる作業を繰り返し、全部の充填が終わると表面を平らに研ぎ出すといった独特の技法です」

とあり,『大辞林』には,「蒟醤」について,

「タイやビルマから産する漆器で、漆を塗った面に文様を線彫りし、そこに朱漆などの彩漆などをうずめて研出したもの。素地は多くは籃胎です。また日本では高松市より産します。」

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とある。唐宋以来,蒟醤と蒟蒻を間違えていたというのは,実物ではなく,文字から来たことに違いあるまい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%9E

に,その辺りについて,

「日本に於いては、キンマとはビンロウジと石灰とキンマの葉を噛む習慣を考慮して、そのすべてをまとめてキンマと呼ぶことが多い(#嗜好品としてのキンマ)。日本語におけるキンマの語は、タイ語における『キン(食べる)+マーク(ビンロウジ)』(ビンロウジ(檳榔子)を食べる、の意)という語の訛である。ビンロウジとはビンロウ(檳榔、ヤシ科 Areca catechu、ビンロウジとの区別でビンロウジュ(檳榔樹)とも言う)の実のことを言う。マークという言葉の本来の意味は『実』であったが、タイに於いてはアユタヤ王朝時代から、貴賤問わず広く服用され日常性が高かったために、「実を食べる」という略語的用法がそのまま『キンマを用いる』という意味になっていった。
一方で日本においては江戸時代から本草学の研究などで知られるようになり、「蒟醤」と字を当てて書かれた。のちに日本では「キンマ」の言葉自体が、元々の「実(あるいはビンロウジ)を食べる」という本来の意味からはずれ、ビンロウジと一緒に口に入れる葉の名前として借用されることになった。…キンマはタイで広く愛好されたが、痰壺やキンマの道具入れなどの用具が発達し、上流階級では漆を塗ったりして、凝ったものを作るようになっていった。これは江戸時代の日本にも輸出され、蒟醤手という名で茶人の香入れとして愛用された。」

とある。キンマは,

「キンマ(蒟醤・学名Piper betle)はコショウ科コショウ属の蔓性の常緑多年草で、ハート型のつやのある葉をつけ、高さ1mほど。白い花をつけるが目立たない。薬効のあるのは葉である。本来の分布地はマレーシアであるが、インド、インドネシア、スリランカでも自生している。」

で,コンニャクは,

「サトイモ科コンニャク属の多年草で、学名は Amorphophallus rivieri。英名は Devil's tongue, Voodoo lily。東南アジアのベトナム南部からインド東部にかけて分布しています。わが国へは奈良時代に渡来しました。直径30センチもある大きな球茎から、高さ50~200センチの円柱状の葉柄を伸ばします。葉柄の先に鳥足状複葉をつけます。初夏に、暗紫色の仏炎苞に包まれた肉穂花序をだします。花序の基部に雌花、その上に雄花が密集します。球茎は『こんにゃく』の原料となります。」

である。

きんま.jpg

(キンマ)


konnya_1.jpg

(コンニャクはサトイモ科コンニャク属の多年草)


『たべもの語源辞典』には,

「中国から日本に渡来したのは奈良時代である。鎌倉時代の僧侶はコンニャクを味つけして煮たものを糟雞(そうけい)と称して食べていた。山河豚の刺身とか,こんさしといって,コンニャクを刺身にして食べた。コンニャクの田楽が現れるのは元禄(1688-1704)ころである。屋台の煮売物として愛好されたので,現今のおでんの先祖と言ってよかろう」

とあり,『日本語源大辞典』には,

「『京阪の諺に,坊主と菎蒻は田舎がよし,と云ことあり』(『守貞漫稿』)とあるように,地方産が美味とされた。『砂払(すなはらい)』の異名のとおり,こんにゃくを食べると体内の砂を排出できるという俗言があるが,病人には有害で多食してはならないとされた。」

とある。

なお,こんにゃくの歴史は,

http://kan-etsu.com/knowledge/rekishi/

にくわしい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
https://www.weblio.jp/content/%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%AB%E3%82%83%E3%81%8F
https://www.kagawashikki.org/kinma
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%9E
https://vietnam.vnanet.vn/japanese/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%81%A8%E3%83%92%E3%82%99%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96/43334.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%9E

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2018年01月15日

非‐知


ジョルジュ・バタイユ『非‐知―閉じざる思考』を読む。

非‐知.jpg


本書自体が,講演速記,草稿,等々からなる断片の寄せ集めのせいか,全体像を摑むのが実にむつかしい。「非‐知」について,バタイユは,こう述べる。

「この非‐知という言葉でわたしが言おうとしていることをもう少し厳密な言えば,ある命題の内容を根底まで掘り下げようとするとき,そしてそのことに何かひっかかりを感じるとき,こうしたすべての命題から結果するもののことを言っているのです。」

バタイユは,A=J・エアー,メルロ=ポンティらとの議論の中で,「人間が生存する以前に太陽はすでにあった」という命題を巡って,物理学者(アンブロジーノ)が「太陽は世界より先には存在しなかった」と言い,エアーが「人間が存在する以前に太陽はすでにあった」と言う,そういう発言に対して,

「どうしてそういうことが言えるのかわかりません。この命題は,道理に敵った命題が完全な無-意味を呈することがありうる,ということを示すものです。誰しもが共有しうる真理は,発せられている命題には原則として主題と対象とが潜在的にふくまれているという意味での,全体的意味を備えていなければなりません。ところがこの命題では,太陽はあったけれども人間はいない,つまり主題はあって対象がないわけです。」

ここでバタイユが言っている「ひっかかり」は,

「どこか精神的にひっかかり,不安定な気分にさせる。」

というものを指す。

このとき,バタイユがひっかかっているのは,訳者(西谷修氏)が,ヒロシマをめぐって(バタイユの『性の苦悩からヒロシマの不幸へ』を引きつつ)こう言っていることと照応する。

「核兵器についてもちうるさまざまな知識,それを生み出した知,その効能について,用途について,さらにその惨禍についての知と,実際には『ヒロシマ』を生きた人びとの置かれた『動物的な無知』(世界了解の構造が解体され,もはや,『人間的』反応を維持することさえ難しくなる)との暴力的な懸隔の前に茫然自失している。…ひとは何でも知的に理解することはできるが,それは極端な『無知』をともなって実現され,生きられるこの『無知』の闇の前には知は完璧に無力なのだ。
 非-知とはそういう事態であり,現代の知の,常に隠蔽される根本的な条件なのである。」

人のなかにある「ひっかかり」を無視すれば無視できる。しかし,その翳を,バタイユは徹底的に追い詰めようとしているように見える。

「わたしはかの問い,いうなればハイデガーの建てたあの問い(なぜ存在があって,無があるのではないのか?)の前に立たされるのです。わたしとしては,この問いは不十分だとずっと以前から考えていたので,もうひとつ違うかたちで問いを発してみようとしました。つまり,なぜわたしの知っていることがあるのか,という問いです。最終的にはこのことを完全なかたちで言葉にすることはできないと思っています。とはいえ根本的な問いは,いかなる定型表現も不可能となるそのときから,人が沈黙のうちに世界のうちに世界の不条理を聴きとるそのときからしか提起されえないものだと思います。
 わたしは何が認識可能かを知るためにあらゆる手立てを尽くしましたが,私が求めたのはわたしの奥深くある言い表わしえないものなのです。私は世界の中のわたしですが,その世界はわたしにとって気の遠くなるほど近づきがたいものだと認めています。というのも,わたしが世界と結ぼうとしたあらゆる絆の中に,何か克服できないものが残っており,そのことがわたしをある種の絶望にとり残すからです。」

それを,

「鍵をかけたトランクの中に何があるかを知らない,その鍵を開けることもできない者の立場」

になぞらえた。しかしサルトルは,

「何も知らないのなら,知らないと一度言えばそれでたくさんだ」

というだけだと,バタイユは,サルトルとの差を表現する。それは,

「何かを求めながらそれが手にはいにらないだけの絶望とは較べようのない完璧な絶望のうち」

と喩える。

「それはわれわれが通常味わう絶望,何かの企てが念頭にあってそれが実現できないとか,本質的には欲求の対象に執着するあまり欲求不満に苛まれるといったことに由来する通常の絶望より,遥かに深い絶望です。」

なぜなら,

「わたしが何も知らないと主張しうるのは,ただわたしがいっさいを知り尽くしたと仮定した場合だけであり,わたしが非‐知に辿り着いたと決定的に主張しうるのは,この言説的知(絶対知)をわたしが所有したときだけでしょう。事物を不正確にしか知らないうちは,いくら非‐知だと言い張っても,それは空疎な主張にすぎません。私が何も知らないのであれば,言うべきことは何もないわけです。わたしは口を閉ざすでしょう。」

であり,サルトルの言っている「知らない」とはこれを指す。これは,死,笑,戯れ等々に喩えられる。

「死を思い描いてみることはできます。思い描きながら同時にその表象が正確でないと意識することもできます。死に関しては,われわれが何を言おうとも何がしかの錯誤がついてまわります。とりわけ死に関する非‐知も,一般的な非‐知と同じ性質をもっているのです。」

「死にうるために生きる。歓ぶことを苦しみ,苦しむことを歓ぶ,もはや何も言わないために語る。『非』とは,知らないことの情熱的受苦を目的とする―ないしはみずからの目的の否定とする―ある認識の媒介項である。」
「大いなる戯れとは非‐知だということ―戯れは定義できない,思考の崩壊しえないものだ。」
「われわれが笑うのは,ただ情報や検討が不十分なためにわれわれが知るに到らないといった性質のもつ何らかの理由のためではなく,知らないものが笑いを惹き起こすからこそ笑うのです。」
「ただ少なくとも,笑うときにはいつでも,われわれは知っているもの,予測可能なものの領域から,知らないもの,予測不可能なものの領域に移行しているときだということを示すことはできるでしょう。」

等々,そしてバタイユは,

「まず笑いの体験から出発し,この特殊な体験からそれに隣接する聖なるものや詩的なものの体験に移るとき,笑の体験を手放さずにいることができるのです。そう言ってよければそれは,笑いという与件の中に,哲学の中心的与件,第一の,そしておそらくは最後の与件を見出す」

として,自分のやっているのが哲学とすれば,

笑の哲学,

だと言い切る。その背景にあるのは,

「知はわれわれを隷属させるもの」
「意識は限定された対象についての意識であり,したがって対象の限界が否定(あるいは破壊)されてしまえば対象意識はあり得ない。対象の限界,あるいは対象としての主体の限界が否定されてしまうと,そのときから意識は夜に入る。あるいはむしろ,意識は,対象の限界の否定(ないし破壊)を限界(定義)としてもつ対象意識となる。つまり,意識の作用が限界の不在を新たな限界に,対象の破壊の起こる場である対象を新たな一種の対象に,非‐意味を新たな意味に,取って代えるのだ」
「意識とは他でもない限界の意識だからだ。意識はまるまる規則の側にある。意識が欠落すれば,そのときはじめて哲学は端緒につくことができるだろう。」

だから,

「神,聖なるもの,エロティックなもの,笑いを惹き起こすもの,詩的なもの,等々未知のものと同一視することが,いっさいの哲学的困難を解く鍵である。」

とするのである。それにしても,

「わたしの言う非‐知の体験の中に宗教的体験が残っているとしても,それは将来への配慮からはまったく切り離されており,その体験が命ずるような起こりうる威嚇的な苦痛からもまったく切り離されており,それはもはや戯れでしかないのです。」

とあるのを読むと,次元は異なるかもしれないが,どこか最後,非‐知は,知を突き抜けた愚になっていくように見える。そのとき,良寛のことを思い出した。しかし,バタイユは,

「(照らされた)明るみと(照らす)光の地帯について語ること,それが知と非‐知とを乗り越えること」

というような,メタ哲学を手放してはいない。そして,良寛は知を閉じて完結させているとすれば,バタイユのそれは,けっして閉じない,あるいは諦めない知,ではあるけれど。

参考文献;
ジョルジュ・バタイユ『非‐知―閉じざる思考』(平凡社ライブラリー)

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2018年01月16日

すずなり


「すずなり」は,

鈴生り,

と当てる。

果実などが神楽鈴のように群がって房をなすこと,

で,

ふさなり(総生り),

とも言うらしい。その意味から派生して,

多くのものが房状に集まってぶら下がっていること。また,大勢の人が1か所にかたまっていること,

も言い,「鈴生りの観衆」と言ったりする。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/su/suzunari.html

は,

「鈴なりの『鈴』は、神楽鈴のこと。 神楽鈴は、12個または15個の小さい鈴を繋いで柄に 付けたもの。 果実が群がってなるさまが、神楽鈴の鈴の付き方と似ていることから『鈴なり』と呼ぶようになり、物や人が群がり集まることも意味するようになった。 鈴なりの『なり』は『生り』であるが、『なりふり』や『身なり』など形状を表す『なり(形)』と解釈して、『鈴形』と表記されることもある。」

とあるので尽きているのかもしれない。

神楽すず.gif

(神楽鈴〔http://www.ise-miyachu.co.jp/faq/?cat=42より〕)


「神楽鈴(かぐらすず)」は,神楽を舞うときに用いる鈴で,小さい鈴を12個または15個つないで柄をつけたもの,という。歌舞伎舞踊の三番叟(さんばそう)などにも用いる,とある(『デジタル大辞泉』)。

神楽鈴.jpg

(神楽鈴をもつ巫女〔https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4より〕)


「鈴」は,

すず,
とも,
れい,

とも呼ぶが,に,「すず(鈴)」と「れい(鈴)」は別で,

「すず(鈴)」は,

「中空の身の中に,丸(がん)を封じた楽器,鳴物。身は球形で一端に細い口(鈴口(すずくち))をあけるのが一般であるが,扁平なものや砲弾形,多角形のものもあり,また何ヵ所もの口をあける場合がある。比較的小型で,金属のほか土や木でもつくられ,吊り下げるための鈕(ちゆう)をもつ。〈がらがら〉などと同じように,乾燥した木の実などに,その原型を求める説もある。日本では古く〈須須(すず)〉と書かれ(《和名抄》),その語源は朝鮮語起源説(《東雅》),〈音の涼しきより名づくならむ〉(《和訓栞(わくんのしおり)》)などと諸説あるが,明らかではない。」(『世界大百科事典 第2版』)

「中空で割れ目のある器体に丸 (がん) を入れて振鳴らす振奏体鳴楽器。『すず』は大和言葉で,日本には古来木の実や土でつくった原始的な鈴があったとされるが,今日一般的な金属製のものは古墳時代に大陸より伝来したといわれる。リズム楽器としてのみでなく,呪術的な意味をもつ装身具としても用いられ,棒の先に複数の鈴を取付けた神楽鈴は,巫女舞や神聖視される能『三番叟』の舞踊などに使われてきた。そのほか,神社拝殿正面の大きな鈴,歌舞伎囃子に用いられる『駅路 (えきろ) 』などがある。なお,同じ字をあてるが鈴 (れい) や鈴 (りん) と読む場合は異なる楽器をさす。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

「れい(鈴)」の項は,

「〈鈴〉の字をレイと読む場合,日本では有柄有舌の体鳴楽器,すなわち把手をもち内部に舌(ぜつ)を吊るして,振ると舌が本体の内側を打って発音するものをいい,一般には密教法具の金剛鈴(こんごうれい)を指す。しかし中国で〈鈴〉とするものは,スズや日本のレイと異なり,有鈕有舌の鐘(かね),すなわち吊り手をもち,内部に舌を吊るすものをいい,日本ではこれを古くから鐸(たく)と呼んでいる。さらに中国ではレイにあたる有柄有舌のものに鐸の字を用いており,混乱を招きやすい。」(『世界大百科事典 第2版』)

「日本の体鳴楽器。『振鈴』『鈴鐸』『金鐸』などともいう。金属製の楽器で,円筒の中に金属の舌 (ぜつ) をつるし,それが周囲に当って音を出すものであるが,無舌のものもある。仏教儀式中,特に密教の修法に柄のついた手鈴が用いられ,金剛杵の一部に鈴をつけたようなものであることから,『金剛鈴』ともいわれ,『独鈷 (とっこ) 鈴』『三鈷鈴』『五鈷鈴』などの別がある。歌舞伎の下座音楽では,宮殿,寺院などの場で,雅楽の気分を出すために鉦鼓の代用として用いられる。いわゆる『すず』と『れい』を合せて「すず」と呼ばれることもある。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

とあるので,神楽鈴は,「すず」である。「鈴」は,別に,

りん(れい),

とも訓み,小さい鉢形をした仏具。響銅(さはり)で作る。読経の際に小さい棒でたたいて鳴らす,「お鈴」(おりん)ということもある。「錀」とも書くらしい。

300px-Singing_bowl.jpg

(鈴〔りん〕)


「すず」の語源は,『大言海』は,

「響くを名とす。或いは云ふ,音の清(すず)しき意かと」

とする。『日本語源広辞典』も,同じく,

説1は,「スーン,スーン・スーズー(擬音)による語」
説2は,「音のスズシサを表した語」

と,二説挙げる。『日本語源大辞典』も,

音がスズシイ(清・涼)ところから(和句解・日本釈名・百草露・名言通・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥。国語の語幹とその分類=大島正健・大言海),
響く音から(大言海),
スム(清)の義(言元梯),

と,ほぼ同じ二説になる。響く音の擬音と,その清んだ音からきたといえるのだろう。

ところで,「すずなり」と似た意味で,

せんなり(千成・千生),

という言葉がある。『岩波古語辞典』には,

千成瓢(せんなりひさご),

とあり,

瓢箪の一種,果実が二三寸の長さで,数多く群がりなるもの,

とあり,

千生柿,
千生酸漿,

とも言う。今日では,秀吉の,

千成瓢箪,

が有名だから,「千生り」というと,そのことが浮かぶ。因みに,

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秀吉の馬印は,千成瓢箪ではない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E5%8D%B0

に,豊臣秀吉の馬印は,

img094.jpg

(高橋賢一『旗指物』より)


小馬印 - 金の逆さ瓢箪に金の切裂
大馬印 - 金の軍配に朱の吹き流し
千成瓢箪は馬印としては用いられなかったが、船印に使用されていたという説もある,

とあるように,秀吉神話(自作自演の可能性もある)にすぎないようだ。

参考文献;
http://www.ise-miyachu.co.jp/faq/?cat=42
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4_(%E4%BB%8F%E5%85%B7)
高橋賢一『旗指物』(人物往来社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ラベル:すずなり 鈴生り
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2018年01月17日

すし


「すし」は,

鮨,
鮓,

と当て,

寿司,

とかくのは当て字とある(『広辞苑』)。『日本語源広辞典』は,「すし」は,

「酢+シ・酸+シ」

で,

鮨,

も当て字とする。「鮨」の字は

魚の鰭,
うおびしお,魚のしおから,

を意味し,我が国だけで,

酢につけた魚,
酢・塩をまぜ飯に,魚肉や野菜などをまぜたもの,寿司,

の意で使う。「酢」は,

塩・糟などにつけ,発酵させて酸味をつけた魚。たま,飯を発行させて酸っぱくなった中に魚をつけた込んだ保存食,

の意で,「華南・東南アジアに広く行われた」(『漢字源』)物を指す。これは,

なれずし(熟れ鮨・馴れ鮨),

と重なる。「酢」を「鮨」と同様の意味で使うのは,我が国だけである。『たべもの語源辞典』も,

「スシのスは酸であり,シは助辞である。すなわち『すし』とは『酸(ス)シ』の意である。古く延喜式の諸国の貢物のなかに多く『すし』が出てくる。これは『馴れずし』で魚介類を塩蔵して自然発酵させたものである。発酵を早めるために,飯を加えて漬けるようになったのは,慶長(1596‐1615)ころからと伝えられる。飯に酢を加えて漬けるようになったのは江戸時代になってからで,江戸末期に酢飯のほうが主材となって飯鮨とよばれるようになり,散らしや握り鮨が生まれる。スシはスシミ(酢染)の義とか,口に入れるとその味がスッとはするところからスウキ味からスシになったとかいい,また,石を錘においたから,スはオス(押す),シは石の義だというような説まである。」

としている。なお,『日本語源大辞典』には,

「表記については,『十巻本和名抄-四』に『鮨(略)和名須之 酢属也』とあり,『鮨』と『鮓』は同義に用いられていた可能性がある。ただし,飯の中に魚介類を入れて漬けるのが酢で,魚介類の中に飯を詰めて漬けるのが鮨であるとも言われている。『寿司』という表記は,演技をかついだあて字と考えられ,近代以降のものである。」

とある。「鮨」と「鮓」は使い分けがなされていた可能性が高い。

https://chigai-allguide.com/%E5%AF%BF%E5%8F%B8%E3%81%A8%E9%AE%A8%E3%81%A8%E9%AE%93/

にも,

「最も古い表記は『鮓』で、元々は塩や糟 などに漬けた魚や、発酵させた飯に魚を漬け込んだ保存食を意味した漢字であるため、発酵させて作るすしを指し、馴れずしが当てはまる。『鮓』の漢字は、鯖鮓や鮎鮓、鮒鮓 などで使われるため、関西系のすしに用いられる傾向にある。」

とある。

なお,「なれずし」については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%82%8C%E3%81%9A%E3%81%97

に,

「主に魚を塩と米飯で乳酸発酵させた食品である。現在の寿司は酢飯を用いるが、なれずしは乳酸発酵により酸味を生じさせるもので、これが本来の鮨(鮓)の形態である。現在でも各地でつくられている。現在の主流であるにぎり寿司を中心とした早ずし(江戸前寿司)とは、まったく違う鮨(鮓)である。」

とあるが,ただ,

「日本のなれずしは、弥生時代に稲作が渡来したのと同時期にもたらされたものとする見解があるが、これは飯に漬けて発酵させるという製法から米に結び付けて説明されており、明証があるわけではない。」

とし,こう付け加えている。

「平安時代中期に制定された延喜式には、西日本各地の調としてさまざまななれずしが記載されている。アユやフナ、アワビなどが多いが、イノシシ、シカといった獣肉のものも記述されている。従来の見解では、室町時代に発酵期間を数日に短縮し、『漬け床』の飯も食する『生成(ナマナレ)』が始まり、江戸時代になると酢が出回るようになり、発酵によらずに酢飯を使用した寿司が作られ、それが主流となるとされていた。
しかし、『生成(ナマナリ、ナマナレ)の鮨(鮓)』というのは、十分に完成していない鮨(鮓)という意味ではあるが、その種類はフナに限られており、ふなずしの食べ方を指す言葉であると考えられる。飯を共に食することはなく、発酵が不十分であることから、酢に浸けて食べるものである。さらに、室町時代以降に『なれずし』の発酵期間が短縮され、『漬け床』の飯も食用とされたということを史料で確認することもできない。」

なれずし.jpg

(鮒寿司)


さて,「すし」の語源であるが,『大言海』も,

酸シ,

とするなど,これが主流だが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/su/sushi.html

も,

「すしの語源は『すっぱい」を意味する形容詞『酸し(すし)』の終止形で、古くは魚介類を塩 に漬け込み自然発酵させた食品をいい、発祥は東南アジア山間部といわれる。『酢飯(すめし)』の『め』が抜け落ちて『すし』になったとする説もあるが、飯と一緒に食べる『生成 (なまなれ)』や、押し鮨の一種である『飯鮨(いいずし)』は、上記の食品が変化し生まれ たもので、時代的にもかなり後になるため、明らかな間違いである。
 すしの漢字には、『鮓』『鮨』『寿司(寿し)』があり、『鮓』は塩や糟などに漬けた魚や、発酵させた飯に魚を漬け込んだ保存食を意味したことから,すしを表す漢字として最も適切な字である。『鮨』の字は、中国で『魚の塩辛』を意味する文字であったが,『酢』の持つ意味と混同され用いられるようになったもので、『酢』と同じく古くからもちいられている。現代で多く使われる『寿司』は、江戸末期に作られた当て字で,『壽を司る』という縁起担ぎの意味のほか,賀寿の祝いの言葉を意味する『壽詞(じゅし・よごと)』に由来するとのみかたもある。」

と丁寧に説く。また,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8

も,

「『すし』の語源は江戸時代中期に編まれた『日本釈名』や『東雅』の、その味が酸っぱいから『酸し(すし)』であるとした説が有力である。」

としている。因みに,『日本語源大辞典』には,「酸し」以外の,語呂合わせ説の出典を上げている。

スシミ(酢染)の義(名言通),
スウキ味で,口に入れるとスッとするところから(本朝辞源=宇田甘冥),
石を重りにおくところから,スはヲス,シは石の義(和句解),

等々。

寿司.jpg


http://iroha-japan.net/iroha/B02_food/18_sushi.html

に,

「にぎり寿司として食べるようになったのは、江戸時代末期(19世紀初め頃)の事です。この当時江戸中で屋台が大流行し、その屋台から『にぎり寿司』が登場しました。このにぎり寿司は、東京湾すなわち江戸の前(江戸前)でとれる魚介・海苔を使うことから『江戸前寿司』と呼ばれるようになりました。この当時のにぎり寿司はテニスボール位の大きさであったと言われています。また「なれずし」とは違い、すぐに食べられる事から「はやずし」とも呼ばれ,江戸中で流行しました。」

とある。これが今日の寿司である。なお,「江戸前」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/435666701.html

で触れたように,三田村鳶魚は,『江戸ッ子』で,江戸前を,具体的に,

「両国から永代までの間,お城の前面」

と言い切り,文化・文政頃に,本所・深川まではいる,という言い方をしている。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%82%8C%E3%81%9A%E3%81%97
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

ラベル:すし 寿司
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2018年01月18日

もち


もち.jpg

(角餅(切り餅) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%85より)


「もち」は,

餅,

とあてるが,「餅」の字は,

「『食+音符并(ヘイ 表面を平らにならす)』で,表面が薄く平らである意を含む」

で,中国では,

小麦粉などをこねて焼いてつくった丸くて平たい食品,

「月餅」の「餅」である。「もち米などをむして,ついてつくった食品」に当てるのは,我が国だけである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%85

には,

「漢字における「餅」は、本来は小麦粉などで作った麺などの粉料理(麺餅(中国語版))を指し、焼餅・湯餅(饂飩・雲呑の原型)・蒸餅(焼売・饅頭の原型)・油餅などに分類されていた。中華文明圏などでは穀物の粉から作った『練り餅(ねりもち・日本においては、菓子に代表される餅)』が一般的で、(日本のような)臼と杵を使って作るつき餅は一部の地域に限られる。」

とある。因みに,「月餅」は,

「古代の月餅はお供え物として中秋節に食べられていた。しかし時の移り変わりとともに、月餅は中秋節の贈り物に用いられる食品へと変わっていった。中秋節に月餅を食べる習俗は唐代に出現した。」

ので,月餅は,月に見立てて丸く平たい。

200px-Mooncake1.jpg



「もち」は,『広辞苑』『岩波古語辞典』は,

モチヒの約,

『大言海』も,

モチイヒ,又はモチヒの約,

とするが,『日本語源大辞典』は,三説挙げている。

説1は,「モチャつく(粘る)のモチ」
説2は,「モチ(粘る)+イイ(飯)」
説3は,「モチ(保存)によい食べ物」

その他,モチイ,モチイヒ以外の説を,『日本語源大辞典』も,

モチ(望)の日に神に供するところからモチイヒ(望飯)の約(金太郎誕生譚=高崎正秀),
マロツキ(円月)の反。望月に似ているところから(名語記),
望月の語から。望は満の意(俚言集覧),
タモチ(保)の義(日本釈名),
持久の義(国語の語幹とその分類=大島正健),
モツ(持)の義(名言通),
保存に堪えるの意のモツや所持のモツから(村のスガタ=柳田國男),
ムシの義。糯米を蒸して製するところから(日本釈名),

と諸説挙げる。確かに,『日本語源広辞典』の擬態語から来ているという説は,和語の特徴から考えられなくもないが,『日本語源大辞典』は,

「①古くは『モチイヒ』の略で『モチヒ』とよばれていた。鎌倉時代に入ってもモチヒの形が見られるが,平安時代中期にはハ行転呼の現象により,既に『モチヰ』の形をとっていたと思われる。②鎌倉時代にはヰとイの混乱が生じており,『モチイ』は末尾の母音連続を約して『モチ』となった。③室町時代の辞書類を見ると,モチ・モチイ両方の形をのせているものが多い。『七十一番職人歌合』の『もちゐうり,あたたかなるもちまいれ』のように両方同時に用いた例も見られる。しかし『くさもち』『かいもち』のように複合語はほとんどモチの形になっている。④この変化はやがて単独での語形にも及び,江戸期に入るとミチのみをあげる辞書がほとんどとなり,『餅 モチヒ〈略〉俗にはモチといひ又カチヒといふ也』(東雅-十二)など,モチヒを古語扱いしたものもあるる」

とあり,「モチイヒ」「モチヒ」から語源を考えるべきなのだろう。因みに,『日本語源大辞典』は,「モチイ」「モチイヒ」の語源について,

モチ(糯)の語から(和句解),
モチイヒ(持飯・携飯)から(ことばの事典=日置昌一),

とある。しかし「糯」の字は,

「『米+需(柔らかい)』。軟は,その語尾が転じた同系語」

で,「もちごめ」の意で,『大言海』には,

「モチは粘るもの,黐(もち)に同じ」
「(粳〈うるち〉に対す)通じて,粟,黍などにも云ふ」

とあるので,これでは「もち(餅)」に戻る。『日本語源大辞典』は,この「モチ(糯)」の語源を,

モチ(黏)の義(言元梯),
モツ(持)の義(名言通),

として,『日本語源広辞典』の説に近づく。さらに,『大言海』は,「黐(もち)」の項で,

「粘るにより餅の義か」

と,「モチ(餅)」へ戻してしまう。しかも,『岩波古語辞典』は,「モチ(黐)」の項で,

「モチヒのモチと同じ」

とする。「黐」の字は,

「离は,まといつくへび。黐はそれを音符とし,黍を加えた字で,ねばってまといつくとりもち」

で,「とりもち」つまり,

鳥を捕えるのにもちいるもち,

の意。どうも,この「黐」が先のような気がする。『大言海』には,

「脂(やに)の如く極めて粘りあるもの。トリモチの木の皮を削り,搗き砕き,久しく水に浸して,湯に煮て製錬す」

とあるが,他の製法もあるかもしれないが,この「黐」の「モチ」から,「モチ(餅)」の粘りに当てはめたと考えるのが妥当に思える。その語源を,『日本語源大辞典』は,

餅のように粘る意か(東雅・大言海),
樹皮からとりもちをつくることができるから(牧野新日本植物図鑑),
モチ(持)の義(名言通・和訓栞),
モツ(物着)の義(言元梯),

と,どうやら,『日本語源広辞典』の,

「モチャつく(粘る)のモチ」
「モチ(粘る)+イイ(飯)」
か,
「もつ(持つ)」

に絞れそうだ。これか発端と考えた方がいいように思う。

「もち(餅)について,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/mo/mochi.html

は,

「餅飯(モチイヒ)」を略した『モチヒ』が更に略された語。 小鳥や昆虫を捕らえるため、竿の 先などに塗って用いる粘り気の強い『鳥黐(トリモチ)』や、その原材料となる『黐の木( モチノキ)』など、粘り気のあるものに『もち』が使われているため、古くから、粘り気の あるものを意味していたと考えられる。また、長期保存に適した食べ物であるため『長持ち』や、携帯できる飯として使われていたため『持ち歩く』とする説があるが、正確な語源は未詳。」

としている。その他,

http://www.mottie.co.jp/useful/knowledge/word_root/index.html


は,

「昔からおもちの名前の由来には、様々な説があります。
谷川士清が『倭訓の栞』で、契沖(江戸時代の国学者)の影響を受けたかどうかわかりませんが、『もちは望月の望である』と述べています。月の世界でウサギがおもちをついているというおとぎ話との関連とは別として、望月説の支持者は今に続いています。望月の『円』が円満の象徴であると説きます。我々の祖先は太陽や月を尊崇し、祭りなどのたびに太陽や月になぞられて、もちの形を円にするようになったのではないでしょうか。
『和漢三才図会』・『箋註倭名類聚妙』・『古今要覧校』・『成形図説』などは、『搗きたてのお餅は股坐膏薬よりよくくっつく。それで鳥黐・黐木のモチからきた』とする粘着説をとっています。新井白石の『東雅』は、『もちひは糯飯なり』といっていますが、おもちのもちと鳥黐のもちと糯米のもちのいづれが元のことばなのかは、前記の望月のもちと餅のもちと同様に、言葉と物の名称あるいは物の名付けのどちらが古いか(淵源であるか)は興味のある課題と言えます。
古川端昌氏は、昭和47年に『餅の博物誌』の中で台湾語がもちの語源になったという説を出しました。『台湾ではもちを(MOA-CHI)といいます。また、台湾には中国大陸の福建省から人の移動が多かったのですが、福建省では餅をMOA-CHI といい、中国の江南地方でもモアチイと発音しているので、江南地方から直接にもち米と一緒に伝来したか、台湾を通って伝わったか、どちらにしてもモアチイがもちに転化した』という説です。」

と詳説しているが,

「おもちのもちと鳥黐のもちと糯米のもちのいづれが元のことばなのか」

は,生態から考えるなら,

鳥黐,

の「もち」から来たと考えるのが自然な気がしてならない。『たべもの語源辞典』は,

「鳥黐や黐木のモチのように,搗きたての餅が粘着することからモチとなったという説もあるが,良くない。」

と否定しているが,「モチ」が擬態語からきていると考える方が,和語の特徴に叶っているように思えてならない。ただし,とっさに思い浮かぶ「もちもち」という擬態語は,

「近代から現れる語」

と,『擬音語・擬態語辞典』にはある。

丸もち.jpg



参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%85
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1114098441
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E9%A4%85
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

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2018年01月19日

みかん


「みかん」は,

蜜柑,

と当てる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%83%B3

によれば,「みかん」は,

ウンシュウミカン(温州蜜柑、学名:Citrus unshiu),

を指す。

「『冬ミカン』または単に『ミカン』と言う場合も、通常はウンシュウミカンを指す。」

とある。

「甘い柑橘ということから漢字では「蜜柑」と表記される。古くは『みっかん』と読まれたが、最初の音節が短くなった。『ウンシュウ』は、柑橘の名産地であった中国浙江省の温州のことで、名は温州から由来する。つまり、名産地にあやかって付けられたもので種(しゅ)として関係はないとされる。」

ただし,

「中国の温州にちなんでウンシュウミカンと命名されたが、温州原産ではなく日本の不知火海沿岸が原産と推定される。農学博士の田中長三郎は文献調査および現地調査から鹿児島県長島(現鹿児島県出水郡長島町)がウンシュウミカンの原生地との説を唱えた。鹿児島県長島は小ミカンが伝来した八代にも近く、戦国期以前は八代と同じく肥後国であったこと、1936年に当地で推定樹齢300年の古木(太平洋戦争中に枯死)が発見されたことから、この説で疑いないとされるようになった。発見された木は接ぎ木されており、最初の原木は400 - 500年前に発生したと推察される。中国から伝わった柑橘の中から突然変異して生まれたとされ、親は明らかではないが、近年のゲノム解析の結果クネンボと構造が似ているとの研究がある。」

というので,今日の「みかん」の原産地は,

鹿児島県長島(現鹿児島県出水郡長島町)

である。『日本語源広辞典』

http://gogen-allguide.com/u/unsyuumikan.html

は,「温州蜜柑(うんしゅうみかん)」について,

「室町 時代末期から『温州橘(うんじうきつ・うんじゅきつ)で見られ、江戸時代から『温州蜜柑』 や『唐蜜柑』と呼ばれている。『温州』は中国浙江省の地名で、みかんの中心的産地 として知られる。しかし、原産は鹿児島県出水郡長島町と考えられており、中国には同じ品種が存在しないことから、原産地に由来する名ではなく、遣唐使が温州から持ち帰った種(もしくは苗)から突然変異して生まれたため、この名が付いたと考えられている。
 新品種はDNA鑑定の結果からクネンボと考えられ、クネンボの伝来が室町時代で時代的にも合うため間違いないと思われるが、クネンボは沖縄を経て伝来しているため、遣唐使が温州から持ち帰ったために付いた名ではなく、みかんの原産地として有名であった『温州』にちなんだだけとも考えられる。
 アメリカでは『Mikant(ミカン)』の名称のほか、薩摩から渡ってきたため『Satsuma(さつま)』とも呼ばれる。また、ナイフで皮を剥くオレンジと違い、温州みかんはテレビを観ながらでも食べられることから、アメリカ・カナダ・オーストラリアなどでは『TVorange(テレビオレンジ)』の愛称がつけられている。」

と詳しい。

みかん.jpg

(日本産のウンシュウミカン )


因みに,「クネンボ」とは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%9C

に,

「クネンボ(九年母、学名:C. reticulata)は、柑橘類の一種。沖縄県ではクニブーと呼ばれる。
東南アジア原産の品種といわれ、日本には室町時代後半に琉球王国を経由しもたらされた。皮が厚く、独特の匂い(松脂臭、テレピン油臭)がある。果実の大きさから、江戸時代にキシュウミカンが広まるまでには日本の関東地方まで広まっていた。」

とあり,

「2016年12月には、農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)果樹茶業研究部門が、DNA型鑑定により、ウンシュウミカンの種子親はキシュウミカン、花粉親はクネンボであることが分かったと発表した。」

とある。また,

http://www.yaoyasan.info/hpgen/HPB/entries/42.html

には,「みかん」の

「『栽培』ということになると、最古の記述は紀元前22世紀頃、中国でのことです。…その頃には既に『柑橘系』の概念が生まれていたとのこと。様々な植物の栽培方法や種類などを記した栽培史のひとつである橘誌には、品種別けや特性なども詳細に表されていました。中国との国交が盛んであった日本においても、柑橘類は日本書紀や魏志倭人伝にその名が記されています。しかしまだまだその頃のみかんは現代のものとは違い、酸っぱさが優っていたものでした。」

ともある。

さて,「みかん」は,

ミカン科ミカン属,
原産地:日本(鹿児島),

ということになる。『日本語源広辞典』は,

「『ミ(蜜・甘い)+カン(柑子・コウジの木)』」

が語源とし,

「古く,コウジ,タチバナといいました。」

とある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/mi/mikan.html

は,

「みかんは、1603年の『日葡辞書』に「miccan」と表記されているように、古くは『ミッカン』と発音されていたが、促音の『ッ』が省略され『ミカン』となった語である。 室町時代に中国 から伝えられた品種が、それまであった柑橘類とは異なり甘かったことから、蜜のように 甘い「柑子(カンジ・コウジ)」の意味で『蜜柑』の語が生まれたと思われ、室町時代から『 蜜柑』の文字は見られる。」

『日本語源大辞典』は,

ユカン(柚柑)の訛りか(古事記伝),
その味からミツカン(蜜柑)の義(古今要覧稿),

と挙げた上で,こう述べている。

「①この類については,古く『柑子』が伝来し,『かうじ』という字音語でよばれ,中古・中世,『今昔物語』や『徒然草』に見られるように,おいしい果物として大切にされていた。後に『蜜』のように甘い果汁の新品種が伝えられ『蜜柑』と呼ばれたが,『看聞御記-応永二七年』によると,足利義持の好物である蜜柑を病気見舞のために手を尽くしたけれどもなかなか数をそろえられなかったといっている。②当時はミッカンと音読することが多く,時に促音を省いてミカンともよばれたのであるが,次第にミカンの形の方が一般化する。」

と。なお,『たべもの語源辞典』は,

「漢名は柑,また柑子・柑橘・金囊・水晶毬・金苞・洞庭子・瑞金奴などの異名がある。…古くは柑子・むかしぐさ・とこよもの・ときじくのかぐのこのみ。また禁中の女房ことばでクダモノとは蜜柑のことであった。」

とし,

「『日本書紀』には,垂仁天皇が田道間守(たじまもり)を常世の国に遣わして非時香果(ときじくのかぐのこのみ)を求めさせた。間守は往復一〇年を費やして帰ってくると霊果の種を御陵の傍に播き,七日七夜泣き暮らして遂に事切れた。時人がその誠忠に感じて,芽生えた樹に田道間守の名を冠し,タヂの花と称したのがタチバナとなったという。菓子職の人は橘を印とし,果祖として田道間守を祀った。昔は蜜柑の名はなく,橘と唱えられた。それがいつしか蜜柑と変り,現在では橘といえば原種に近い柑子に限られることになった。蜜柑の文字は鎌倉時代までの文献には見当たらない。永享から寛正五年まで(1429-64)につくられた『尺素往来』一条兼良著と伝えるものに,蜜柑と出るのが初めらしい。よみはミツカンである。ミカンのよび名は『文禄四年御成記』(1595)に出る。紀州の有田蜜柑は天正二年(1574)に肥後国八代から小木を持ってきたとある。紀州蜜柑が江戸に送られたのは寛永十一年(1634)で,滝が原村の藤兵衛という者が,蜜柑四〇〇籠ほどを廻船に積み合わせたところ,一籠半が金子一両の値で売れた。大利を得て帰国したという。紀州蜜柑には,明恵上人の伝記にからむ話がある。上人は,髙弁大僧正で栂尾に茶の実を蒔いて茶樹栽培を始めた名僧(1232年,60歳没)であるが紀州在田(有田)郷の生まれである。上人の両親は熱心な仏教信者であったが,不幸にして子がなかった。それで仏さまに子を授けてほしいと祈っていたが,ある代の夢に異人が柑子(ミカン)を授けるのを見て程なく上人を生んだという(『元享釈書』)。これから考えると鎌倉時代以前にミカンがあったことになる。…蜜柑のもとである柑子が中国から日本に渡来したのは『続日本紀』にある聖武天皇の神亀二年(725),播磨の直(あたい)兄弟が柑子を唐国から持ってきて中務少丞佐味虫麿がその種を植えて子を結んだのが初めである。ミカンの語源は,柑子の甘いものを蜜柑と称し,ミツカンと呼んだが,これがミカンとなる。ユカン(柚柑)の訛りかという説はよくない。」

としている。どうやら「蜜柑」の訓みの,

ミツカン→ミッカン→ミカン,

と転訛していったと見るのが妥当なのだろう。

参考文献;
https://www.kudamononavi.com/gallerys/view/id=7392
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%83%B3
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

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2018年01月20日

四方山話


「四方山話(よもやまばなし)」は,

世間話,

という意味だが,この「四方山」は,『広辞苑』には,

ヨモヤモの転,

とあり,『デジタル大辞泉』には,

「よもやも(四方八方)」の音変化か,

とある。『岩波古語辞典』は,「よもやも」に,

四面八面,

を当てている。つまり,

よもやも(四方八方・四面八面)→よもやま(四方山),

と転訛したということになる。

「四方山」は,

諸方,世間,天下,
四方にある山,
さまざま,雑多,

という意味で,「雑多」というのが,

四方山話,

の意味につながる。しかし,

四方(よも),

自体が,

東西南北,前後左右,
あちらこちら,諸方,

という意味だから,

四方(よも)→四方山(よもやま),

でいいのに,

四方→四方八方→四方山

とするのは,転訛が無理筋に見えてくる。『日本語の語源』は,

ヨオモ(四面)→ヨモ(四方),

を採る。『大言海』も,

四面(よおも)の約,

とする。これなら,

よおも→よも→よもやま(四方山),

と,自然な流れに見える。因みに,『大言海』は,

八方(やも),

の項で,

「八面(やおも)の約。よおも(四方)。よも」

と載せている。『岩波古語辞典』は,「よも」に,

四面,
四方,

を当て,

「(或る場所を中心にして)東西南北」

とする。「四方」は,

東西南北,

だとしても,「四方山」は,本来,『大言海』が意味の第一に挙げる,

四方の山々,

という意味だったのではないか。現に,『岩波古語辞典』にも,現在の『広辞苑』にも『デジタル大辞泉』にも,その意味が残っている。それなら,

四方山話,

が,

四方の山々を見ながら,雑多なお喋り,

をしている情景が見える気がする。『語源由来辞典』は,

http://gogen-allguide.com/yo/yomoyamabanashi.html

は,

「よもやま話の『よもやま(四方山)』は『四方にある山』の意味でも用いられるが、『山』と付くのは『やも』が『やま』に変化した後に当てられたもので、『よもやも(四方八方・四面八面)』の音変化と考えられる。よもやまは、『四方八方』から『あちこち』『さまざま』『いろいろ』『世間』といった意味になり、そのような話題の話を『よもやま話』というようになった。」

と,

よもやも→よもやま,

という変化を採る。『日本語源広辞典』も,「よもやま」は,

「四方八方,ヨモヤモの転じた語」

とするし,『日本語源大辞典』も,「よもやま」の語源を,

四方八維(日本書紀通証),
四表八方(塵袋,壒囊鈔),
四方八面(俗語考)
四方八方・四面八面(国語音韻論=金田一京助),

と,あくまで,「よもやも」の転とする説が大勢だが。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

ラベル:四方山話
posted by Toshi at 04:54| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする