2018年01月03日

こよみ


「こよみ」は,

暦,

と当てる。「暦」の字は,

「上部の字(音レキ)は,もと『禾を並べたさま+厂印(やね)』の会意文字で,順序よく次々と並べる意を含む。暦はそれを音符とし,日を加えた字で,日を着き継と順序よく配列すること。」

とある。『広辞苑』も,『デジタル大辞泉』も,『岩波古語辞典』も,

「日読み(かよみ)の転」

としており,『日本語の語源』も,同じである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6

にも,

「『こよみ』の語源は、江戸時代の谷川士清の『和訓栞』では『日読み』(かよみ)であるとされ、定説となっており、一日・二日...と正しく数えることを意味する。ほかに、本居宣長の『一日一日とつぎつぎと来歴(きふ)るを数へゆく由(よし)の名』、新井白石は『古語にコといひしには、詳細の義あり、ヨミとは数をかぞふる事をいひけり』などの定義がある。」

とし,『日本語源広辞典』も,

「コヨミは,『日+読み(数える)』が語源です。日をカと読み,カ+ヨミが,音韻変化により,コヨミになったものです。暦の訓みにコヨミをあてます。」

とし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ko/koyomi.html

も,

「暦は、『日読み(かよみ)』が転じた言葉である。『日』を『か』と読むのは、『二日(ふつか)』『三日(みっか)』などと同じ『ひ』の交替形。『読み』は『数える』を意味し、『日読み』で『日を追って数える』ことを意味する。『かよみ』から『こよみ』の転は、『よ』の母音が『か』の母音に影響を与えたことによる。720年の『日本書紀』には、朝鮮半島から渡来した暦博士によって暦が初めて作られ、持統四年の勅令で暦法が公式に採用されたと記されている。」

としている。ここでいう「コヨミ」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6

のいう,

「中国の暦が日本に伝えられたのがいつであるか定かではないが、『日本書紀』には欽明天皇14年(553年)に百済に対し暦博士の来朝を要請し、翌年2月に来たとの記事があり、遅くとも6世紀には伝来していたと考えられる。この頃の百済で施行されていた暦法は元嘉暦であるので、このときに伝来した暦も元嘉暦ではないかと推測される。」

を指しているのではない。これは「こよみ」と訓ませた「暦」である。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455932349.html?1514838628

で触れた,「魏志倭人伝」〔3世紀末(280年(呉の滅亡)- 297年(陳寿の没年)の間)〕の裴松之注にいある,

魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀,
(その俗正歳四節を知らず.ただ春耕秋収をはかり年紀となす)

の,

春に耕し、秋に収穫したことを数えて年紀としている,

でいう「年紀」のことである。

http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/111F0000004.pdf


に,

「『倭人は暦を知らず,ただ肌で感じる季節の移りかわりをもとに米作りをして年を数えている』というふうに解釈できそうだが,他方『倭人は中国式の太陰暦とは別の独自の暦を使っており,これに基づいて米作りをしている』というふうに読めなくもない」

とあるが,あるいは,本居宣長が,

「『真暦考』でいう『天地おのづからの暦』、いいかえれば自然現象に従う自然暦であったと考えられ、したがって確かな暦はなかったということである。」

ということであり,「暦」のある中国から見ると,

「春に耕し秋に収穫するのを一年と大ざっぱに考えている」

という程度ではあるが,季節と日々の巡りを,自然の流れの中で読んで(数えて)いたというふうに見られる。しかし,これは,「暦」ではなく,「こよみ」である。たとえば,

「こよみとは『和訓栞(わくんのしおり)』に『暦日をいふ、日読(かよみ)の義、二日三日とかぞへて其事(そのこと)を考へ見るものなれば名とせるなり』とあり、『また古語にコといひしは詳細の義あり、ヨミとは数をかぞふる事をいひけり、歳月日時を細かにかぞへしるせしものをいふに似たり』ともある。本居宣長(もとおりのりなが)はその著『真暦考』で『又日を数へていくかといふも、幾来(いくけ)経、暦をこよみとつけたるも、来経数(けよみ)にて、一日(ひとひ)一日とつぎつぎに来経(きふ)るを、数へゆく由の名なり』と述べている。日本語の『こよみ』は日を数える意である。長い時の流れを数える法が暦である。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

である。つまり,シーケンシャルに日を指折り数えていくだけである。これに対して,「暦(コヨミと訓ませる)」は,たとえば,

「これに対し漢字の『暦』が意味するのは、日月星辰(せいしん)の運行を測算して歳時、時令などを日を追って記した記録である。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

それは,「こよみ」が二次元なら,「暦(コヨミと訓ませる)は,三次元に準えることが出来る。

日本の「暦(コヨミと訓ませる)」は,

「『日本書紀』によると、欽明(きんめい)天皇14年(553)6月、『内臣(うちのおみ)を百済(くだら)に遣わし医・易・暦の博士を番によって相代って上下せしめ、また卜書(ぼくしょ)暦本種々の薬物を付送」するようにと詔(みことのり)され、翌年、暦博士固徳王保孫(おうほうそん)が来朝した。これが暦の伝来した初めであろうと考えられるが、まだ一般に暦が行われたのではない。602年(推古天皇10)に百済の僧観勒(かんろく)が暦本を献じた。このとき陽胡史祖玉陳(やこのふひとのおやたまふる)が暦法を学んだとあるが、どのような暦法であったかはわかっていない。
 正史に初めて暦が公に採用され施行されたのは690年(持統天皇4)のことで、同年11月初めて勅して元嘉(げんか)、儀鳳(ぎほう)の2暦(いずれも大陸移入の中国暦)を行うとある。」

である。以来,

日本は中国暦法をそのまま1000年にわたって用い、独自の法をもたなかった,

のである(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)。

さて,大勢は,「こよみ」の語源は,

「日読み(かよみ)の転」

であるが,『大言海』は,

「コは,ケ(来歴)の転,カとも轉ず(二日〔ふつか〕,幾日〔いくか〕。気〔け〕,香〔か〕。處〔か〕,處〔コ〕)。ヨミは読むにて,数ふること,酉(いう)の字を,日読(ひよみ)のトリと云ふも,鶏(とり)に別ちて,暦用のトリといふなり。和訓栞,コヨミ『日讀の義,二日,三日と數へて,其事を考へ見るものなれば,名とせるなり』。暦(れき)は,歴の義。説文に『歴,過也』とあり,年,月,日を歴(ふ)る意。経歴と別ちて,下を,日にしたるなり。我国上代には,暦はなかりき,欽明天皇の朝に,百済国より,その製作の學を傳へたり」

としている。「来た時間」か「行く時間」かは別に,「日を数える」のは同じである。ついでながら,「歴」の字は,

「上部の字(音レキ)は,もと『厂(やね)+禾(いね)二つ』の会意文字で,禾本(かほん)科の作物を,次々と並べてとりいれたさま。順序よく並ぶ意を含む。歴はそれを音符とし,止(あし)を加えた字で,順序よく次々と足で歩いて通ること」

で,「歴」は人,「暦」は星辰,と違いがみられるように思うが,

歴象,

は,

暦象,

とも当てられ。「歴」は「暦」に当てられることがある。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
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posted by Toshi at 05:17| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする