2018年01月09日

高を括る


「高を括る」とは,

「せいぜいそんな程度だろうと決めてかかる」

という意味で,

見縊る,
侮る,

と似た意味になる。

高で括る,

とも言うらしい(以上『広辞苑』)。

『日本語源広辞典』は,

「語源は,相手や仕事などに対して『タカ(数量・程度)をくくる(しめくくる)』です。」

とある。しかし,「締めくくる」が,どうして,

見縊る,

意になるのかが,分からない。この「高」が,土地生産力を示す,

石高,
貫高,
永高,

などの土地の生産力の単位であることは想像がつく。「貫高(かんだか)」は,

「鎌倉時代・室町時代には、田地の面積は、その田で収穫することのできる平均の米の量を通貨に換算し『貫』を単位として表された。これを貫高(かんだか)といい、それを税収の基準にする土地制度を貫高制と呼ぶ。同じ貫数でも土地の条件などによって実際の面積は異なることになる。これは、米で納めるべき年貢を銭で代納する『分銭』に由来するもので、武家の知行高も貫で表し、貫高に基づいて負担する軍役を定めた。
これに対して領主側も用途に応じた標準貫高を定めて把握に努めた典型的なケースとして相模国の後北条氏(伊勢氏)を挙げると、田には1段あたり500文、畑は1段あたり150-200文を標準として、永楽銭あるいは代納として米で納めさせた。同氏の制度では100文を米1斗2-4升に換算された。なお、永楽銭で納付させた貫高制を特に永高(えいだか)とも称した。特に戦国時代においては、自給自足体制の崩壊とともに支配階層の貨幣に対する需要が高まった事から普及する。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%AB%E9%AB%98%E5%88%B6

で,「永高(えいだか)」は,

「戦国時代以後に東国を中心として行われた貫高制における慣例で、田畑に課せられる年貢の基準となる高(貫高)を永楽銭にて見積・表示を行う方法。永積(えいづもり/えいづみ)・永盛(えいもり)・永別(えいべつ)などの別名がある。東国では永楽銭が精銭とみなされ、特に結城氏(弘治2年(1556年))や北条氏(永禄7年(1564年))の領国では永楽銭が領内の公式の貨幣とされ、年貢の上納も永楽銭による銭納を原則としたため、永楽銭による価値表示が土地を含めた富の基準とされていた。徳川氏でも小田原征伐以前に永高を採用していたことが知られている」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E9%AB%98

をいう。で,「石高(こくだか)」は,

「太閤検地以後江戸時代を通じて、田畑や屋敷などの土地の価値に至るまで、面積に石盛という一定の係数をかけて米の生産力に換算して石単位で表示するようになった。このような制度を石高制と言い、米以外の農作物や 海産物の生産量も、米の生産量に換算されて表された。大名をはじめとする武士の所領からの収入や俸禄を表す場合も石高を用いた。特に領民の場合には『百姓高所持(ひゃくしょうだかしょじ)』、武士(特に大名)の場合には『石高知行制(こくだかちぎょうせい)』と称されることがある。明治時代の地租改正まで続いた。
一石は大人一人が一年に食べる米の量に相当することから、これを兵士たちに与える報酬とみなせば、石高×年貢率と同じだけの兵士を養えることになる。つまり石高は戦国大名の財力だけではなく兵力をも意味していた。江戸時代の軍役令によると、大名は幕府の命に応じて表高1万石あたり概ね2百人程度の軍勢(非戦闘員を含む)を動員する義務を課せられていた。ただし石高は一般に玄米の体積を元に算出するのが常であり、実際には成人男性であれば1日玄米5合、年間玄米約1.8石が標準的な扶持米として支給されていた。」

とある。で,

「農民に対する年貢徴収は原則としては石高を元にしているものの、初期の検地が年貢の徴収よりも領主の領知高及びそれに基づく公儀への諸役負担を確定させることを目的としていたことや村請制のもとで重視されたのは村単位の石高(村高)であったことから、個々の農民に対する年貢徴収基準として石高が用いられるようになったのは17世紀後期以後とされている。実際に江戸時代の土地証文に石高の記載が登場するのは寛文・延宝年間が上限とされ、それ以前の農民生活において石高は身近な概念ではなかったとみられている。」

とある(以上,https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E9%AB%98)。

以上を前提にすると,『岩波古語辞典』の「高を括る」の項に,

「(近世,山間僻地の生産の乏しい村々は,実測で反別を改める作業を略して,検地役人の目測で村高を決定したことから)相手を一人前と見なさず,軽んじ侮る,見くびる」

とある意味が分かる。つまり,一丁前の生産高の村と見なさない,という意味から来ているらしい。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ta/takawokukuru.html

は,

「『たか(高)』は、『生産高』『残高』など 物の数量や金額を見積もった時の合計額のことで、数量の程度を表す。 『くくる(括る)』 は、『まとめる』『物事に区切りをつける』こと表す。 つまり、この程度(高)だろうとまとめる (括る)ことの意味から、安易に予測したり、大したことはないと侮ることを『たかをくくる』と言うようになった。また、大したことはないと侮る意味が含まれるようになったのは、戦いの際に勝敗の見込みを予測するため、相手の領地の『石高』を計算したことからともいわれる。」

とするが,やはり,山間僻地の目測による村高を「くくる」ところに,

まあこんなところか,

と,相手を安く見て,決めてかかる含意がよく出ている,と思う。

高が知れる,

というのも,この「高」で,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ta/takagashireru.html

には,

「『たか(高)』は、『残高』『生産高』など数量・金額・程度を表す。 その『高』が知れることは、『程度がわかっている』『どのくらいか知れたもの』という意味であるから、『大したことはない』という相手や対象を軽く見た言葉となった。『高をくくる』『たかが』『たかだか(古くは 、たかたか)』も、この『たか(高)』である。多いか少ないかを意味する『多寡』を用いて、『多寡が知れる』とするのは誤りである。」

とある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
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posted by Toshi at 05:19| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする