2018年02月01日

たすき


「たすき」は,

襷,
手繦,

と当てる。ただ,「襷」は国字のようである。『広辞苑』『岩波古語辞典』には,

「タはテ(手)の古形」

とある。「て」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/453160543.html

で触れた。「繦(呉音キョウ〔キャウ〕,漢音コウ〔カウ〕)」は,

「糸+音符強(丈夫な)」

で,「ひも」を意味し,繦褓(きょうほう),といった言い方がある。これも当て字と思われる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%99%E3%81%8D

に,

「たすき(襷、手繦)は、主に和服において、袖や袂が邪魔にならないようにたくし上げる為の紐や布地を指す。通常、肩から脇にかけて通し、斜め十字に交差させて使用するが、輪状にして片方の肩から腰にかけて斜めに垂らして用いる方法もある。交差させて使用した場合を綾襷(あやだすき)と言う。『襷』という漢字は国字である。」

とあり,さらに,

「古代は神事の装飾品であった。群馬県で出土した巫女の人物埴輪では、『意須比』と呼ばれる前合せの衣服に帯を締め、襷をかけている姿となっている。加えて、日本神話では天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩屋に隠れた際
『アメノウズメの命、天の香山(かぐやま)の天の日影を手次(たすき)にかけて 』(『古事記』)踊ったと記されており、これらの巫女が着用した例は襷を掛ける者の穢れを除く、物忌みの意味があったとされている。」

襷を掛けている巫女の人物埴輪。.JPG

〔襷を掛けている巫女の人物埴輪。表面から見ると脇横の紐しか見えないが、背面から見ると斜め十字に掛けてあり、襷であることが分かる。(埴輪「腰掛ける巫女」重要文化財 東京国立博物館蔵)〕


とある。さらに,平安時代でも,

「神社では神を祀る時には木綿襷(ゆうだすき・楮の樹皮を用いたもの)をかけ神事に臨み、聖なる行事の装飾品として用いた。」

とあるし,安土桃山時代の風俗潅風絵に,

「田植えをする女性が襷をかけている姿が描かれており、これらも古代と同様、田植えは本来聖なる行事であったことから、襷を身につけ穢れを除くためと考えられている。」

とある。そうしした名残であろうか,何か力んでしようとする時は,いまでも,襷掛けをするし,襷掛けすると,どこが心が引き締まる感じがする。

『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E8%A5%B7

「語源は『た(手)』+『すき』で、『すき』は小児を背負うための帯のこと。働くときに用いるようになったのは近世以降のこと。」

とあるのは,それこそ近世以降ではあるまいか。むしろ逆に,「繦」が紐の字を持っているので,当てたというべきではなかろうか。上記,ウィキペディアには,

「江戸時代になると町人、職人、階級や老若男女を問わず、襷は大いに定着する。日々の暮らしに密着した日用品へと主目的が移るに従い、行事ごとなどを除いて、襷をかけたまま神社・仏閣に参拝したり、客の応対に出ることは相手に失礼であるという意識を伴った。」

と逆転しているところを見ると,襷を掛けることが,生活レベルに堕したということなのだろう。しかし,『大言海』は,「たすき」を,

襷,
手繦,

と当てるものと,

襷,

を当てるものと二項別々に載せている。前者の「たすき」(襷・手繦)には,

「天治字鏡,四-三『繦,負兒帯也,須支』とあり,されば手に懸くる繦(すき)の義ならむと云ふ。襷は擧衣の和合字なり」

として,

「上代,神事の時,肩に懸くる紐の如きもの。背に打交へたるが如し。謹みて物奉るに,手の力を助(す)くるなりと云ふ(上代の衣は筒袖なり)。また膳部の供物などまかなふ時,袖に觸れむを恐れて束ぬるもの」

と意味が載る。やはり実用よりは神事の色合いが強い。『大言海』は,後者の「たすき」(襷)は,

「前條の語意の転」

とある。つまり,「たすき」が実用へと転換したということになる。その意味では,『日本語源広辞典』の,

「タ(手)+スキ(助)」

とする語源説も,後世の実用性から考えすぎている。「繦」の字を当てたのは,それがあくまで「ひも」の意だかだと思う。『大言海』の引く,

「天治字鏡,四-三『繦,負兒帯也,須支』」

が正しいと思う。『日本語源大辞典』は,

「記紀では『手繦』『手次』などと表記され,上代から神事などの際,袖が供物に触れるのを防ぐ手段として用いられた。」

としている。これも,『大言海』の,

「上代の衣は筒袖なり」

から考えると,後世からの解釈に思える。「たすき」を掛けること自体が,神事だったということなのではないか。その「紐」の材料は,

「様々で、日蔭蔓(ひかげかずら)・木綿(ゆう)・ガマ (蒲) など植物性の類から、勾玉や管玉などを通した『玉襷(たまだすき)』があった。玉襷は襷の美称の言葉でもあるが、玉類を利用した襷にも用いる言葉である。平安時代でも、神社では神を祀る時には木綿襷(ゆうだすき・楮の樹皮を用いたもの)をかけ神事に臨み、聖なる行事の装飾品として用いた。」

とある。あるいは,紐自体にも,神聖な意味があったのかもしれない。因みに,「玉襷」は,

「神霊の宿る襷。襷は一般に着物の袖をあげるために肩から脇にかけて結ぶひも。ただし、手に巻く場合もある。『玉』がつくと、神霊が宿る襷の意となる。」(『万葉神事語辞典』)

とあり,『日本語源大辞典』には,

「実際に勾玉・菅玉などの玉の付いた襷であるとする説と,玉に実質的な意味はなく単に襷の美称であるという説がある。しかし『たまくしげ』『たますだれ』などと同様,本来,実際に玉の付いたものをいう一方で,単に美称としての意識も強かったと考えられる。」

とあり,どちらの説にしろ,「襷」の重要性が,逆に際立ってくる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

ラベル:たすき 手繦
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2018年02月02日

たつ(竜)


「たつ」は,

竜,

と当てて,『広辞苑』には,

「タチ(古代語で神祇の意)からか」

とある。「りゅう(漢音はリョウ 龍)」と同じである。なお,「竜」と「龍」の字は,「竜」が古字であるようだ。「竜」の字は,象形文字で,

「頭に冠をかぶせ,胴をくねらせた大蛇の形を描いたもの。それに,いろいろな模様を添えて龍の字となった」

とある。

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BE%8D

には,

「もとは、冠をかぶった蛇の姿で、「竜」が原字に近い。揚子江近辺の鰐を象ったものとも言われる。さまざまな模様・装飾を加えられ、『龍』となった。」

とある。

300px-龍-oracle.svg (1).png

(殷・甲骨文字)

300px-龍-bronze.svg (1).png

(西周・金文)


「たつ」の語源について,『日本語源広辞典』は,

「『立つ』です。身を立てて,天に昇って行く動物の意」

とし,『大言海』は,

「起(た)つ義か」

とする。夕立の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/456384452.html?1516651376

で触れたように,『広辞苑』は,「夕立」の項で,

「一説に,天から降ることをタツといい,雷神が斎場に降臨することとする」

としているので,「立(起)つ」と「たつ(竜)」の関係は気になる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ta/tatsu_ryuu.html

も,

「竜(龍)は呉音で『りゅう』、漢音では『りょう』といい、『たつ』は日本での読み方である。竜(龍)を『たつ』というのは、身を立てて天に昇ることから『たつ(立・起)』また『たちのぼる(立ち昇る)』の意味とする説。『たかとぶ(高飛)』または『たかたる(高足)』の反で、『たつ』になったとする説。『はつ(発)』の意味から、『たつ』になったとする説がある。竜は蛇と体が似ており、日本では蛇と混同されていたこともあるため、蛇に対して竜を『身を立てて天に昇る蛇』と考え、『たつ(立・起)』また『立ち昇る』からという説が妥当であろう。」

としている。「た(立)つ」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/399481193.html?1516059244

で触れたことがあるが,

もともと坐っている状態が,常態だったのだから,

立つ,

ということはそれだけで目立つことだったのに違いない。そこに,

ただ立ち上がる,

という意味以上に,

隠れていたものが表面に出る,

むっくり持ち上がる,

と同時に,それが周りを驚かす,

変化をもたらす,

には違いがない。「立つ」の語源は,『日本語源広辞典』にある,

「タテにする,地上にタツ」

と見なすのが妥当で,それが中国由来の龍につながるのは自然に思える。

「日本語にない,立つ,起つ,建つ,発つの区別は,中国語源に従う」

ということだろう。

「龍」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/447506661.html

で触れた。

「九龍図巻」陳容画(南宋).jpg

(「九龍図巻」陳容画(南宋)、ボストン美術館蔵)


参考文献;
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BE%8D
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

ラベル:たつ(竜)
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2018年02月03日

江戸怪談


高田衛『日本怪談集〈江戸編〉』を読む。

img099.jpg


江戸の怪異譚の系譜については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/432575456.html

で,

堤邦彦『江戸の怪異譚―地下水脈の系譜』

を紹介したが,そこで,そのの特色を,

ひとつは,仏教唱導者の近世説教書(勧化(かんげ)本)のなかに類例の求められる,仏教的な因果譚としての側面,

として,

「檀家制度をはじめとする幕府の宗教統制のもとで,近世社会に草の根のような浸透を果たした当時の仏教唱導は,通俗平易なるがゆえに,前代にもまして,衆庶の心に教義に基づく生き方や倫理観などの社会通念を定着させていった。とりわけ人間の霊魂が引き起こす妖異については,説教僧の説く死生観,冥府観の強い影響がみてとれる。死者の魂の行方をめぐる宗教観念は,もはやそれと分からぬ程に民衆の心意にすりこまれ,なかば生活化した状態となっていたわけである。成仏できない怨霊の噂咄が,ごく自然なかたちで人々の間をへめぐったことは,仏教と近世社会の日常的な親縁性に起因するといってもよかろう。」

そうした神仏の霊験,利益,寺社の縁起由来,高僧俗伝などに関する宗教テーマが広く広まり,

仏教説話の俗伝化,

を強めて,宗教伝説が,拡散していった。

他方で,怪異譚は,結果として一族を滅ぼし,法力の霊験が効果がなかったことをも示しており,ある意味,宗教的因果譚の覊絆から離れていく傾向が,

「もはや中世風の高僧法力譚の定型におさまりきれなくなった江戸怪談の多様な表現を示す特色」

であり,説話の目的と興味が,

「高僧の聖なる験力や幽霊済度といった『仏教説話』の常套表現を脱却して,怨む相手の血筋を根絶やしにするまで繰り返される亡婦の復讐劇に転換するさま」

がみられ,それが怪異小説に脚色され,虚構文芸の表現形式を創り出すところへとつながっていくことになる。

本書は,その江戸怪談の中から,

『狗張子』『怪談登志男』『金玉ねじふくさ』『太平百物語』『御伽厚化粧』といった怪異小説集からの小品集,

と,いわゆる四谷怪談の種本となった,

『四谷雑談集』,

清玄・桜姫の怪談を清水寺子安観音の本地に結び付けて説いた勧化本の,

『勧善桜姫伝』,

いわゆゆる大南北の鶴屋南北の,

『怪談岩倉万之丞』,

初世林家正蔵の浄瑠璃『お半長右衛門』を取り入れた怪談咄,

『林乃河浪』,

そして上田秋成の『雨月物語』から,

「吉備津の釜」。

やはり,「吉備津の釜」の完成度が高いが,一番面白いのは,

『四谷雑談集』

である。この本は,作者不詳の実録小説とされたものだが,写本の奥付に,享保12年(1727年),元禄時代に起きた事件として記されている,という。これが鶴屋南北の『東海道四谷怪談』(初演 文政八年(1825))の原典とされた話でだそうだが,この話を下敷きにした作品としては、曲亭馬琴『勧善常世物語』(文化3年(1806年))や柳亭種彦『近世怪談霜夜星』(文化5年(1808年))があるという。

編者が言うように,内容は南北の芝居のようにおどろおどろしくはなく,もっと細かく江戸は御先手組組屋敷のあった四谷左門町を中心に,貧窮の与力・同心などの下級武士たちの生態を描いている。

話は,田宮伊右衛門だけではなく,御先手与力,伊東喜兵衛,同組秋山長右衛門の三家の絶滅までの因果話で,事は,
御先手同心田宮家の一人娘お岩の婿取り話から始まる。お岩は,疱瘡を患い,眼病も患ったため,

「かろうじて命はとりとめたものの,ひどいあとが残って,顔は渋紙のようにざらざらになり,髪は年(二十一歳)にも似ず白髪まじりに縮みあがって枯野の薄のようになり,声はなまって狼が友を呼ぶような音になり,腰は曲がって松屋叢考の枯れ木のようで,その上片目がつぶれて,たえず涙をながし,かわいそうだが,その見苦しさはたとえるものがないほどであった。」

とさんざんである。そのため,なかなか婿がきまらない。そこで伊右衛門という牢人を,半ば騙すようにして婿に仕立てる。伊右衛門は,三十一歳,

「すらりとした身体つきの,顔だちのよい男」

と,いわゆる四谷怪談とは筋立てが違う。伊右衛門は,伊東喜兵衛の妾の一人が懐妊したが,それを(その妾に惹かれている)伊右衛門におしつけるために,秋山,伊右衛門と語らい,お岩を自分から離縁を申し出るように仕組んで,まんまとお岩を追い出す。それを知ったお岩は,狂乱し失踪する,ということで,遺恨を返すという,件の怪談話になるが,しかし,お岩の幽霊も,亡霊もほとんど出ない。ただ,次々と病や不幸に見舞われ,結句,田宮,秋山,伊東三家は絶滅する。

葛飾北斎画『近世怪談霜夜星』.jpg

(葛飾北斎画『近世怪談霜夜星』(柳亭種彦))

しかし,四谷怪談の基本的なストーリー,

「貞女・岩が夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」

というものとはまったく異なる。むしろ,それなりに,伊右衛門は,若い妾に惚れ,伊東喜兵衛は懐妊した妾を厄介払いしたく,秋山長右衛門は金に目がくらんで加担するという,人間の欲からでた話として,むしろ通常の怪異譚よりは,何がしか身に覚えがあり,怖い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%B0%B7%E6%80%AA%E8%AB%87

によると,

「田宮家は現在まで続いており、田宮家に伝わる話としてはお岩は貞女で夫婦仲も睦まじかったとある。このことから、田宮家ゆかりの女性の失踪事件が、怪談として改変されたのではないかという考察がある(小池壮彦「お岩」『幽霊の本』学研、平成11年)。」

という説もあるので,あくまで,これも志怪小説にすぎないのかもしれない。『四谷雑談集』のラストは,

「そもそもお岩の怨念というのは,伊東土快(喜兵衛)が妾の容色に迷い,邪を企てたことから発し,伊東,田宮,秋山,三人の家を絶やすことになった。その上多くの人の命がお岩のためにとり殺されて,後世の語り草となったわけだが,あながちお岩の怨みばかりでなく,この三人の心がけが邪であったからこんな事になったのである。」

と締めくくる。

小品集の中では,

「藪を借りた老人の話」

という,老人,つまり京都の古狐の話が,ほっとする。初世林家正蔵の『林乃河浪』は策に溺れて冗長,つまらない駄作である,と見た。

お岩さん.jpg

(葛飾北斎「百物語―お岩さん」 東京国立博物館蔵)


参考文献;
高田衛『日本怪談集〈江戸編〉』(河出文庫)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%B0%B7%E6%80%AA%E8%AB%87

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年02月04日

たつき


「たつき」を引くと,『広辞苑』は,

方便,

と当て,「たずき」表記とあり「たずき」をみると,

「語源は『手付き』か。中世以降,タツキとも」

とあり,『大辞林』には,

「『手(た)付(つ)き』の意。古くは『たづき』。中世以降『たづき』『たつき』。現代では『たつき』が普通」

と解りやすい。『岩波古語辞典』にあるように,

「タはテ(手)の古形」

である。意味は,

(事をし始めたり,また何かを知るための)手がかり,
生活の手段,生計,

である。しかし,『大辞林』は,

たずき(づき)(方便・活計),
たつき(方便・活計),
たどき(方便),
ほうべん(はう)(方便),

と並べられている。

「たどき」は,「たづき」の転訛なので,

たづき→たどき,

の転訛と,

たづき→たずき,
たづき→たつき,

の転訛とが,並行している,のかもしれない。しかし,今日,

たつき,

ほうべん,

は,意味はともかく,かけ離れてしまっているように見える。

「たつき」について,『岩波古語辞典』は,

「タ(手)とツキ(付)との複合語。とりつく手がかりの意。古くは,『知らず』『なし』など否定の語を伴う例だけが残っている。中世,タツギ・タツキとも」

とあり,

たづき無し

という言い回しがあり,「生活手段がない」という意味とともに,

頼りない,頼みとするものが無い,

という意味で使われたようだ。『大言海』は,

「手着の義と云ふ」

としている。「つく」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/448009954.html

で触れたように,「つく」は,おおまかに,

「付く・附く・着く・就く・即く」系,

「突く・衝く・撞く(・搗く・舂く・築く)」系,

に分けてみることができる。しかも,語源を調べると,「突く・衝く・撞く」系の,「突く」も,

付く,

に行き着くようなので,「手付」も「手着」も同じと見ていい。『日本語源大辞典』を見ると,

手着の義(言元梯・和訓栞・大言海・日本語源=賀茂百樹),
手付の義(和訓栞),

にわかれるが,『日本語源広辞典』は,

「タ(手)+付」

を採る。しかし,この「手付き」は,

手を使って事をする時の,手の恰好や動かし方,

の意味で,「手つき・腰つき」のそれである。そこから,

技倆,

という意味が派生するが,「たつき」の意味とは少し離れている。ここからは億説だが,「手付き」つまり,手の動きは,生活の手段である。その意味で,技倆といっていい。そこから,

たつき(活計),

までは,遠くはないように思う。「て(手)」,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/453160543.html

で触れたように,「て」は,動作の,

取る,
執る,
捕る,

等々と関わる,とされる。まさに,生活の手立てである。

因みに,「方便(ほうべん)」は,

一般的には〈方法〉〈巧みなてだて〉ということ,

だが,由来は仏典で,

「仏教で方便を用いる場合は基本的に,すぐれた教化(きようけ)方法,サンスクリットのupāya‐kauśalya(善巧方便)ということであり,衆生を真実の教えに導くためにかりに設けた教えの意味である。経典・論釈のみならず,文学作品などに用いられる場合,微妙な意味の変化がみられるが,基本の意味をふまえることによって理解できよう。とくに《法華経》では方便を開いて真実をあらわすことが大きなテーマになっており,〈方便品〉では〈三乗(さんじよう)が一乗(いちじよう)の方便である〉という。」(『世界大百科事典 第2版』)

「サンスクリット語のウパーヤupya(近づく、到達する意)の訳。仏教の教えや実践がむずかしくて、一般の人々に理解しがたく実行しがたいのを、彼らを教え導いて、仏教に親しみ、仏教の本旨に到達させるために考案された巧みな手段をいう。とくに仏教が民衆化した大乗仏教において、さまざまな方便が語られ、大乗仏教経典は『方便品(ほん)』を設けている例が少なくない。とくに『法華経(ほけきょう)』のそれは名高い。方便が非常に重要視されて、六波羅蜜(ろっぱらみつ)に次いで方便波羅蜜(はらみつ)がたてられることもあり、密教は方便を究竟(くきょう)(最高)とする。また中国仏教では、方便のあり方を種々に分類する。のち俗語に転化し、『嘘(うそ)も方便』などと、目的に対して利用される便宜的な手段、過渡的な方法をいい、日本語ではかならずしもよい意味だけに用いられるとは限らない。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

とある。最初期の仏教においては,

「ウパーヤは衆生が仏や悟りに近づく方策のことを主に指していた。」

とあるらしいので,意味はここに出典がある。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E4%BE%BF
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年02月05日

わかる


「わかる」は,

分かる,
解る,
判る,
別る,

と当て分ける。『岩波古語辞典』は,「わけ」(下二段活用)について,

「一体であるものに筋目を入れて二つまたはそれ以上に離す意」

とある。だから,

分割する,
であり,
仕切を付ける,
意であり,
事の筋道がはっきりする,
であり,
判明する,
意に繋がり,名詞化すれば,「わけ」は,
区別,
となり,
分別,
となり,
物事の筋道や道理,
となり,
事情,訳,
へとなっていく。

しかし,根本は,

わかつ,

意である。「分」「解」「判」「別」の字を当てて,意味を区切ったが,区切ったことで,意味が截然としたと言える。だから,『日本語源広辞典』は,「わかる」の語源を,

「『分カル』です。二つのものが,はっきりと,はなればなれになることを,ワカルという。現在では,分かるの漢字を使い,理解する意で使います。分けることができるというのが語源です。」

とするし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/wa/wakaru.html

も,

「わかるは、『わける(分ける)』と同源。 混沌とした物事がきちんと 分け離されると、明確になることから。 似た意味をもつ言葉で、『分ける』の意味に通じる 語には、『理解』『区別』『判別』『分別』『ことわり・ことわる』『わきまえる』など多くある。」
としている。さらに,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1228751687

も,

「『分かる』とは、『分ける』と言うことである。『分かる』と『分ける』は同語源である。『理解する』とは『分ける』と言うことである。『理解する』ためには『分割』しなければならない。『理解する』ためには『分別』しなければならない。『分別』の『分かれる』と『別れる』も、日本語的に同じ語源である。」

とある。これが大勢の意見で,一応理屈は通る。しかし,『大言海』は,「わかる」を二項に分け,いずれも,別・分の字を当て,

「(分(わく)の自動,別けらるるの約転か)心に解(げ)し知る,会得す,合点す,了解/はかる,離る,別になる」



「(我離(わか)るの義)ひとつひとつになる,はなる,別になる/離散/離れて相見がたくなる/出て支(えだ)をなす」

と別々に載せる。『大言海』は,「離れる」意の「わかる」と「理解する」意の「わかる」は,語源が別,と言っているのである。この説に従えば,元来は,「わかる」は,

我離(わか)る,

と,はなればなれになる,という意味であったということになる。これが,「わかれる」意となる。他方,理解する意の「わかる」は,「わかつ」意の,

わかる(わく),

が,

(境界をしっかり見定め)区分する,弁別する,識別する,
(ものごとの理非を)わきまえる,

という意味だったということになる。たとえば,

http://s.webry.info/sp/mobility-8074.at.webry.info/201704/article_8.html

「『分かる』 は『分かれる・分ける』と同源のことばなのです。
まず『分かれる』『分ける』の語源は,『わかる (我離る) 』あるいは『わたりかる (渡り離る)』だとされています。古語辞典にの見出し語に『かる (離る)』があります。意味は,〈離れる〉〈遠ざかる〉〈間をおく〉というようなことです。『わかる (我離る)』 は 〈自分が (誰かから) あるいは (今いる場所から) 離れる〉ことですから,いわゆる『お別れ』などの意味の『別れる』でしょうか。『わたりかる (渡り離る)』 も,〈移動させて離ればなれにする〉ことですから,〈物や事柄を 2 つ以上に仕分けする〉という意味の 「分ける」 になります。
一般的には,物や事柄を〈 2 つ以上にグループ分けする〉ことを『分かれる』『分ける』と言いましたが,そのうち,特に〈人が離ればなれになる〉場合を『別れる』の漢字で使い分けるようになりました。」

と,説いている説もあるが,逆に言うと,もともと,「わける」と「わかる」は別々なのであり,しかも,「わかる」は,「分解する」意から「理解する」の「わかる」が出たのではなく,和語としては,「わかる」には,区分する意と,理解する意があった,ということになるのではあるまいか。

最後に,「わかる」の微妙な意味の区分を「分」「解」「判」「別」の字を当てて使い分けているが,その漢字を確かめておくと,「分」の字は,

「『八印(左右にわける)+刀』で,二つに切りわける意を示す。払(フツ 左右にほけてはらいのける)は,その入声(ニッショウ つまり音)に当たる。また,半・班(わける)・判(わける)・八(二分できる数)・別とも縁が近い。」

とあり,「わかる」の当て字としては,似た意味である(「分解」「分割」)。

「判」の字は,

「半は,『牛+八印(わける)』の会意文字で,牛のからだを両方にきりわける意を示す。判は『刀+音符半』で,半の後出の字。もと,刀で両分することを示すが,のち可否や黒白を区別し見わける意に用いる。」

とあり,「わける」というより,「わかつ」という意味で,「みわける」「区別する」という含意がある。「判決」「判断」と使われるわけである。

「別」の字は,

「骨の字の上部は,はまりこんだ上下の関節骨。別は,もと,それに刀を加えた字で,関節を刀でバラバラに分解するさまを示す」

とあり,「わかれる」「はなればなれになる」という意味である。

「解」の字は,

「『角+刀+牛』で,刀で牛のからだやつのをバラバラに分解することを意味する」

とある。「ばらばらにしてときほぐす」「とく」という意味である。

「分」「解」「判」「別」の字は,いずれも,「刂」「刀」と,刀に関わる字で,本来,物理的に分解することと関わっていたようである。「わかる」と同様「わかつ→わかる」と,つながる意味の広がりに見える。「分」「判」「別」「解」の使い分けは,

「分」は,合の反対,物を別々に分ける義,
「判」は,分に,断の意を兼ねぬ。判断。
「別」は,弁別と連用す,彼は彼,此は此と,区別して,混ぜざる義,
「解」は,判なり。刀をもって牛角を判(わか)つ。解剖。

となる。この漢字に依って,「わかる」に「わける」の陰翳が加わったように見える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
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2018年02月06日

魂魄


「魂魄」は,『広辞苑』には,

(死者の)たましい,精霊,霊魂,

と載る。しかし,

たましい,
精霊,
霊魂,

とは,三者微妙に意味が違いはしまいか。『大言海』は,

たましひ,

とし,さらに,中国では,

「霊魂を説くに,人の神気を,魂と云ひ,形骸を,魄と云ふ。死すれば,魂は,天に発散し,魄は,地に止まるとす」

として,

「禮記,郊特牲篇『魂氣歸于天,形魄歸于地』」

を引く。

東海道四谷怪談 「神谷伊右エ門 於岩のばうこん」(歌川国芳).jpg

(東海道四谷怪談 「神谷伊右エ門 於岩のばうこん」(歌川国芳))


四代目鶴屋南北の『東海道四谷怪談』の元になった『四谷雑談集』については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/456630771.html?1517604760

で触れたが,その『東海道四谷怪談』で、お岩さんが夫伊右衛門に殺される時,

「魂魄この世にとどまりて、怨み晴らさでおくべきか」

と言ったとされるが,上記の大言海の説では,止まるのは,「魄」のみとなる。しかし,『大言海』が引く「左傳」(昭公七年)では,

「匹夫匹婦強死,其魂魄猶能憑依於人」

とあるので,あながち間違いではないのかもしれない。それだけ恨みが強いということか。『世界大百科事典』によると,「こんぱく(魂魄 hún pò)」は,

「人間の精神的肉体的活動をつかさどる神霊,たましいをいう。古代中国では,人間を形成する陰陽二気の陽気の霊を魂といい,陰気の霊を魄という。魂は精神,魄は肉体をつかさどる神霊であるが,一般に精神をつかさどる魂によって人間の神霊を表す。人が死ぬと,魂は天上に昇って神となり,魄は地上に止まって鬼となるが,特に天寿を全うせずに横死したものの鬼は強いエネルギーをもち,人間にたたる悪鬼になるとして恐れられた。人の死後間もなく,屋上から死者の魂を呼びもどす招魂や鎮魂の習俗儀礼は,こうした観念から生まれたものである。」

とあり,さらに詳しく,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%82%E9%AD%84

では,

「中国の道教では魂と魄(はく)という二つの異なる存在があると考えられていた。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)とも言う。魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し(魂銷)、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。民間では、三魂七魄の数があるとされる。三魂は天魂(死後、天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)であり、七魄は喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、惡しみ、欲望からなる。また、殭屍(キョンシー)は、魂が天に帰り魄のみの存在とされる。(三魂は「胎光・爽霊・幽精」「主魂、覺魂、生魂」「元神、陽神、陰神」「天魂、識魂、人魂」、七魄は「尸狗、伏矢、雀阴(陰)、容贼(吝賊)、非毒、除秽(陰穢)、臭肺」とされる事もある。)」

とある。括ってしまえば,「たましい」ということになる。『日本語源広辞典』の言う,

「魂(精神を司るタマシイ)+魄(肉体を司るタマシイ)」

が明快である。

「魂は,天上にある善霊,魄は,地下にあるべき悪霊をいいます。日本語では。区別なくたましい,霊魂の意味で使っているようです。」

が,是非はともかくわかりやすい。この説は,朱子学的ではある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%82%E9%AD%84

では,

「張載(11世紀)の鬼神論を読んだ朱子の考察として、世界の物事の材料は気であり、この気が集まることで、『生』の状態が形成され、気が散じると『死』に至るとした上で、人間は気の内でも、精(すぐ)れた気、すなわち『精気』の集まった存在であり、気が散じて死ぬことで生じる、『魂は天へ昇り、魄は地へ帰る』といった現象は、気が散じてゆく姿であるとした。この時、魂は『神』に、魄は『鬼』と名を変える(三浦国雄『朱子集』朝日新聞社)。」

とある。

さて,「たましい」は,和語では,

たま(魂),

に同じとされ,「たま」は,『岩波古語辞典』には,

「タマ(玉)と同根。人間を見守り,助ける働きを持つ精霊の憑代となる,丸い石などの物体が原義」

とある。今日の「たましい」の意味は,たとえば,

「人の正命のもとになる,もやもやとして,決まった形のないもの。人が死ぬと,肉体から離れて天に上ると考えられていた」(『広辞苑』)

と,人のそれを指すが,「たま」は人を守る精霊を指す。「精霊」は,たとえば,

「草木・動物・人・無生物などにここに宿っているとされる超自然的な存在」(『広辞苑』)

だから,「魂魄」は,かつては,人も万物もひとしく,見守られていた「たま」の意味ではなく,「たましい」の意味なのだとすると,冒頭の『広辞苑』の説明は,拡大解釈しすぎかもしれない。

さて,まず,漢字の「魂」「魄」から確認しておく。「魂」の字は,

「鬼+音符云(雲。もやもや)」

「魄」の字は,

「『鬼+音符白(ほのじろい,外枠だけあって中味の色がない)』。人のからだを晒して残った肉体のわくのことから,形骸・形体の意となった」

で,『漢字源』には,重複するが,

「『魂』は陽,『魄』は陰で,『魂』は精神の働き,『魄』は肉体的生命を司る活力人が死ねば魂は遊離して天上にのぼるが,なおしばらくは魄は地上に残ると考えられていた」

と付記されている。ついでに,「靈(霊)」の字は,

「靈の上部の字(音レイ)は『雨+〇印三つ(水たま)』を合わせた会意文字で,連なった清らかな水たま。零と同じ。靈はそれを音符とし,巫(みこ)を加えた字で,神やたましいに接するきよらかなみこ。転じて,水たまのように冷たく清らかな神の力やたましいをいう。冷(レイ)とも縁が近い。霊はその略字。」

で,和語で言う「たま」を指す。

「人間を万物の霊長と言い,麒麟,鳳凰,亀,竜を動物の四霊という」

と,『漢字源』にある。ついでながら「鬼」の字は,和語「おに」とは別で,

「大きな丸い頭をして足元の定かでない亡霊を描いたもの」

で,『漢字源』には,

「中国では,魂がからだを離れてさまようと考え,三国・六朝以降には泰山の地下に鬼の世界(冥界)があると信じられた。」

とある。

「たましい」の語源は,『大言海』には,

「魂(たま)し霊(び)の義にて,タマは美称,シは氣息(いき),ビは奇(くしび)の意」

とする。『日本語源広辞典』は,

「タマ(霊・魂・玉)+シヒ(接尾語)」

とするが,如何であろうか。『岩波古語辞典』の「たま」の説明で尽きていると思うが,様々の異説がある。

タマは玉で貴重の義,シヒは霊の義(日本釈名),
タマチ(霊魂)の転か。ヒは延音(日本古語大辞典=松岡静雄),
タマは魂で,体内に魂の宿るところをいう。シは之ヒは霊(国語の語幹とその分類=大島正健),
玉火の義で,シは助詞(和訓栞),
タマシヒ(魂火)の義(雅言考),
タマシミ(霊神)の義(言元梯),
タマシボミ(霊萎)の義か(名言通),
玉にシヌイキル(死生)の語を添えたか。またシヰは眼のつぶれる意で,滅する玉の義(和句解),
天神の御霊がシッと粛(ちぢま)って我が主となったところをいう(本朝辞源=宇田甘冥),
マシヒは正しくはマスビで,ムスビと同語。タマとムスビを連結したもの(神代史の研究=白鳥庫吉)
タマシヒ(賜息)の義(柴門和語類集),
タマは,体に止まる意でトマの転。シヒはキ(気)に同じ(国語蟹心鈔),

等々。やれやれ。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%B0%B7%E6%80%AA%E8%AB%87
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)


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2018年02月07日

虎嵎を負う


「虎嵎を負う」(とらぐうをおう)という言い回しがある。見たのは,石川淳『森鷗外』である。

「自分のみじんまくはとうにどこかで附けておいて,外部にむき直ったひとのことばである。作者は檀上に立って咆哮する徒ではないが『北條霞亭』に至るまでの生涯の大事業が陰然とうしろに聳えている。あたかも嵎を負う虎である。」(「古い手帳から」)

因みに,「みじんまく」とは,東京方言(江戸方言かも知れない)という。

身慎莫,

とあてて,

身なりを整えること,とある。みじたく,

と『デジタル大辞泉』にあるが,『江戸語大辞典』にも載り,

身の始末,

の意である。単なる身づくろいではあるまい。「身の始末」という言い方が,この場合ふさわしい。

虎.jpg



「嵎を負う虎」は,一般には,

虎嵎を負う,

という諺として使われる。出典は『孟子』である。前に読んだときには,あまり引っかからず,流したらしい。

「嵎」の字は,

「『山+音符禺(グウ)』で,窪んだ山のくま」

で,隅(すみ),寓(隅に引っ込んだ仮住まい)と同系,とある。

くま,山のくぼんだすみ,

とある。「くま」は,

隈,

道や川などの湾曲して入り組んだ所,

という意味である。
奥まって隠れたところ

という意味だが,「隈」字は,

「禺(グウ)は,頭の大きい人まねざるを描いた象形文字で,似たものが他にもう一つある,の意を含む。隈は『阜(土盛り)+音符禺』で,土盛りをして□型や冂型にかこんだとき,一つ以上同じような角のできるかたすみ」

を指す。

「虎嵎を負う」は,『故事ことわざ辞典』には,

「(『嵎』は,山の折れ曲がった,山ふところのようなところ)虎が山ふところを背にして身構える。英雄が一方に割拠して威力を示すことのたとえ」

とある。

http://nekojiten.com/kotowaza/tora/toraguu.html

には,

「虎が山の一角を背にしてかまえる。転じて、勢力のある英雄が一地方にたてこもって勢いを振るうたとえ。また、非常に勇猛なさま。」

とある。この方がわかりやすい。いわば,ただ,

虎が山の一角を背にしてかまえる,

という状態表現に過ぎなかったものが,それを,転じて,

非常に勇猛なさま,

という価値表現に変えたということだろう。この「負う」は,

http://gaus.livedoor.biz/archives/24229536.html

によれば,

何かを背後にして頼みにする意味,

になる。

実は,『孟子』の原文は,「盡心章句下」23にあり,斉で飢饉があり,陳臻(ちんしん)が,前に先生がしてくださったように,王にすすめて米蔵を開いて,施米をして下さるだろうと頼みにしていますが,二度は出来ないことなのでしょうか,と尋ねたのに対して,孟子が答えた中に出てくる。

孟子曰く、是れ馮婦(ふうふ)を為(まね)するなり。晉人に馮婦といえる者あり,善く虎を搏(てうち)にせり。卒(のち)に善士と爲りて野に之(ゆ)けるとき,衆虎を逐(お)えるあり。虎嵎(ぐう)に負(ちたの)み,敢て攖(ちか)づくものなし。馮婦を望み見て,趨(はし)りて之を迎う。馮婦臂を攘(かか)げて車を下る。衆皆之を悦びしも,其の士たる者之を笑えり。

ここでは,馮婦の,

嵎を負う虎,

に素手で立ち向かう振る舞いを喩えに,二度もそんな振る舞いは出来ないと言ったにすぎない。しかし,この孟子が喩えで言わんとしたのは,

馮婦と同様に素手で虎に向かうようで,とうていできない,

という意味なのか,

馮婦と同様に素手では,虎に向かうことははできない,

という含意を込めたものなのか,『孟子』の訳注者(小林勝人)は,括弧つきで,

「(今更このわしが施米をすすめたとて,どうなろう。馮婦の二の舞は御免だ)」

と,訳に付け足している。しかし,もう少し含みのある喩えに思える。

ところで,馮婦の「嵎を負う虎」に向かう振る舞いに,孔子の,

暴虎馮河,

を思い出す。

暴虎馮河し,死して悔いなき者は,吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ,謀を好みて成さん者なり」

と。昨今の勇ましい暴虎馮河な連中に聞かせたいものだ。

参考文献;
小林勝人訳注『孟子』(岩波文庫)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9

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2018年02月08日

猪突猛進


「猪突猛進」という言葉がある。

むこうみずに,猛然と突き進むこと,

を意味する。確かに,猪にはそんなイメージがつきまとう。

猪武者,

というのは,

前後の考えもなく,無鉄砲に敵に向かって突進する武者,

である。こういうのは,蔑みの対象である。

匹夫之勇,

とも言う。

思慮分別がなく,ただ血気にはやる勇気,

を指す。

小勇,
小人之勇

とは言い得て妙である。『論語』(子罕篇)に,

「子曰く,三軍(さんぐん)も帥(すい)を奪うべきなり。匹夫も志を奪うべからざるなり。」

とある。しかし,『孟子』に,

「王曰く,…寡人(かじん) には疾(やまい)有り,寡人勇を好むと。対(こたえ)て曰いわく,王請う小勇を好むこと無(なか)れ。夫(か)の剣を撫(にぎ)り疾視(めをいから)して,彼悪(いずく)んぞ敢て我に当らんや曰(い)う(が如き)は,此匹夫の勇にして、一人に敵する者なり。王,請う之を大だいにせよ。」

と。勇を恃むを戒めているのは,「虎嵎を負う」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/456719697.html?1517947992

で触れた,

「孟子曰く、是れ馮婦(ふうふ)を為(まね)するなり。晉人に馮婦といえる者あり,善く虎を搏(てうち)にせり。卒(のち)に善士と爲りて野に之(ゆ)けるとき,衆虎を逐(お)えるあり。虎嵎(ぐう)に負(ちたの)み,敢て攖(ちか)づくものなし。馮婦を望み見て,趨(はし)りて之を迎う。馮婦臂を攘(かか)げて車を下る。衆皆之を悦びしも,其の士たる者之を笑えり。」

にある,「馮婦」の「嵎を負う虎」に素手で立ち向かう蛮勇と同じである。孔子は,それを,

暴虎馮河,

とした。『論語』(述而篇)で,

「暴虎馮河し,死して悔いなき者は,吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ,謀を好みて成さん者なり」

と,まさにそれを諷している。『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%A1/%E7%8C%AA%E7%AA%81%E7%8C%9B%E9%80%B2%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,「猪突猛進」について,

「猪突猛進とは、イノシシの名刺代わりのキャラクターであり、目的に向かって脇目もふらず突き進んでいく様子を例えた言葉。しかしその『突進』の背景には『計画性がない』『周囲の状況を無視』『後退できない』『融通が効かない』といった負の要素が満載で、結局のところ『猪突猛進』は、『おバカな突進』といった意味あいで用いられる場合が多く、誉められたところでせいぜい『がむしゃらに頑張ってるね』程度の含みがあるにすぎない。」

というのが,よく含意を伝えている。古い時代,戦さ場で,

抜駆(懸)け,

を嫌うのは,全体の計画を無視して,おのれの功のみを考える蛮勇故であろう。

http://www.minyu-net.com/serial/yoji-jyukugo/yoji0621.html

に,

「『猪突』の二字は『漢書(かんじょ)』(前漢時代の歴史)に漢王朝を一時乗っ取った王莽(おうもう)が囚人らで組織した軍隊の名に見える。また王莽は「豨勇(きゆう)」という名の軍隊も組織し、合わせて『猪突き勇』と称した。死をも恐れずつき進む勇猛な軍隊だったようだ。」

とある。この「豨勇」と関わるが,「猪突猛進」と似た言葉で,

猪突豨勇(きゆう),

という言葉がある。

豨勇,

とも言うらしい。「豨」は,

大きな猪,

を意味する,と『広辞苑』には載る。で,「猪突猛進」と同じく,

あとさきかまわず突進する,

意となる。しかし,『デジタル大辞泉』には,

「『漢書』食貨志から。『豨』はイノシシの子の意」

として,

「イノシシやイノシシの子のように、あとさきを考えずに突き進む勇気。また、そうした勇気のある人。猪勇。」

とある。「猪の子」というなら,

猪突猛進,

猪突豨勇,

とは少しニュアンスが変わる。子供なら笑って許されることも,大のおとながするとなると,冗談では済まされない。手元の漢和辞典では確認ができなかったが,無鉄砲でも,両者のニュアンスは異なるだろう。

類語に,

直情径行,

がある。少しニュアンスは違うが,感情のまま発信するところは同じである。

「直情にして径行する者有り,戎狄(じゅうてき)の道なり」(礼記)

とあるので,結果は同じである。

参考文献;
小林勝人訳注『孟子』(岩波文庫)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
田部井文雄編『四字熟語辞典』(大修館書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年02月09日

問うこと


マルティン・ハイデッガー『形而上学入門』を読む。

形而上学入門.jpg


本書は,1935年夏学期で,フランクフルト大学の『形而上学入門』と題する講義をした,

「この講義はそのテクスト周到な準備をしたうえで行われたのであるが,そのテクストを印刷に付した」

ものである。大学の講義の草稿がもとなのである。「序」で,著者は,

「この講義の表題の中で『形而上学』という名称がどんな意味で,またどんな理由で言われているのかということを正しく考えるためには,読者は何よりもまず,この講義の進行に従って,自分でともに考えながら,最後までついてこなければならない。」

と書く。いやはや,ついていくだけでも大変である。

ハイデッガーと言えば,『存在と時間』である。しかし,あの著書は,未完である。従って,生前出版された講義録,中でも,本署と『ニーチェ』講義が重要と,解説の木田元氏は言う。特に本書は,ナチスとの関わりが批判されるハイデッガーがそれに応えているシュピーゲル誌との対談『シュピーゲル対談』が併録されていることも,

「共にナチス加担についてのハイデッガー自身の後年の思いをうかがわせるという意味で,共通するところがある」

と,述べている。そして,本書を,

「存在概念を正面切って採りあげて論じている上,ソクラテス以前の思想家たちまで視野に収め,プラトン,アリストテレス以降の『西洋哲学』を相対化して見る作業を具体的に遂行してみせている点で,いわば彼の思索の根幹に属するもの」

と評している。僕は,本書の特徴は,「問い」にある,と思う。まず,冒頭,

「なぜ一体,存在者があるのか,そして,むしろ無があるのではないのか?」

という有名な問いから始められている。そして,さらに,

「この問いを問うこと,すなわちこの問いを成立させ,これを提出し,どうしてもこの問いを問わざるをえないような状態になるということを意味するのだとすれば,多くの人々は全くこの問いにつきあたらない。」

と言い切る。こう問えるには,問わざるを得ないような状態に居るということを意味する。

それにしても,ハイデッガーの問いは独特である。

「哲学するとは異‐常なことを問うことである。けれども…これを問うことは結局,自分自身へと跳ね返ってくることになるのだから,問われているものが異‐常であるだけでなく,問うことそのことが異‐常なのである」

なぜなら,

「哲学するとは異‐常なことを異‐常に問うことであるということができる。」

そこから,ギリシャ語,

Physis

を廻って,徹底的に問い詰められていく。そして,

「ギリシャ語では『何かを超える』,『超』のことをmetaという。存在者そのものを哲学的に問うことは,meta ta physikaである。つまりそれは存在者を超えて問う,形而上学(メタフュジク)である。(中略)
われわれがさきに等級から言って第一の問いだと言った,『なぜ一体,存在者があるのか,そして,むしろ無があるのではないのか?』という問いは,したがって形而上学的な根本の問いである。」

とつながっていく。

本書の途中で,ハイデッガーは,

「講義のとき私はときどき質問を受けるが,そのたびにいつも大抵の人は逆の方向で講義を聴いており。いつまでも個々の事柄に囚われているということがわかる。」

と書いている。そして,哲学は他の個別科学とは異なり「対象を与えられていないのみならず,哲学は全く対象を持たないのである。」

として,

「哲学とは,いつも新たに存在を(それに帰属しているそれの開明性において)成就しなければならないような一つの出来事である。この出来事が生起することにおいてのみ,哲学的真理は自己を開示する。だからここでは,この出来事の中の一歩一歩につき従って,それをたどり,それをともに成し遂げることが決定的に重要なのである。」

と書いている。その伝でいくと,「逆の方向」なのかもしれないが,

「『形而上学入門』とは,したがって根本の問いを問うことへと導き入れることである。だがしかし,問うということ,いわんや根本の問いを問うということともなれば,石や水のように簡単には現れない。(中略)だから根本の問いを問うことへと導き入れるということは,…この導きが初めて問うということを喚び起こし,作り出さねばならない。この導きは問いつつ先行すること,先んじて‐問うことである。」

「問うとは知ることを‐志すことである」

という言葉に従うなら,ハイデッガーの問いをたどってみることは,その問いに導き入れられることなのではあるまいか。

最初の問いは,

「存在はどうなっているのか?」

という先行する問いを問うことになる。それは,

存在(ザイン),
あるいは,
ある(ザイン),

という語そのものを問い詰めていく,

言語の本質についての問いの真っ只中へ入っていく,

ことへと至る。そして,

「『ある(ザイン)』についてわれわれの理解を一つのはっきりした限界線へと向かわせ。この限界線からしてわれわれの理解が実現される。『存在(ザイン)』の意味の限定は,現在性と現存性,性率と存続,滞在と到‐来の圏内にとどまっている。(中略)『ある(ザイン)』という語は,限界線に統一があり,限界線がはっきり決められていて,この語はそこからその意味を得ているし,この限界線がこの語についてのわれわれの理解を導いている」

つまり,「一つの全く限界づけられた意味」を持ち,「特定の仕方で理解されている」と。だから,そこから,

「われわれの探求は,その本来の姿,すなわちわれわれの隠された歴史の由来についての熟慮という姿をはっきりとることになる」

その「ある(ザイン)」を言う言い方を,その歴史的背景の中で,

存在と生成,
存在と仮象,
存在と思考,
存在と当為,

探っていくことになる。それは,

「われわれが『存在』と言うとき,ほとんど何かに強制でもされているように,どうしても,存在と…と言わざるをえなくなる。この『と』とは,何かそれ以外のことをついでにつけ足し,つけ加えるということを意味するだけのものではなく,存在がそれから自己を区別しているそのそれを言い足すのである。つまり存在であって…ではないというふうに。だが同時にわれわれは,このような定式のようになっている標題において,存在の他者としてではあるがしかし存在から区別されたものとしてやはりなんらかの仕方で特別に存在に属しているようなものをも,共に言い当てる。」

からである。ハイデッガーは言う,ここに至って,「問い」は,

「問うに‐価するという形でわれわれに対して見る見るうちにはっきりとあらわになった。いまやこの問いは,だんだんと,それがわれわれの歴史的現存在の隠された根拠であることを証示している。」

ところまで到達し,

「存在の問いを根源的に問うということは,いまや存在の本質の真理を展開するという使命を帯びるに至った」

と。そして,問いは,

人間とは誰であるか?

に辿り着く。大切なことは,

「次の三つのことである。
(一)人間の本質の規定は決して答ではない。本質的にそれは問いである。
(二)この問いを問うことと,それを決定することとは歴史的なことである。しかも単に一般的な意味において歴史的なことであると言うのではなく,このことこそ歴史の本質である。
(三)人間は誰であるかという問いはいつも,存在はどうなっているかという問いとの本質的な連関において問われなければならない。人間についての問いは,決して人間学的問いではなく,一つの歴史的にメタ‐フュジシュな問いである。」

だから,

「人間は歴史的な者として人間自身であるのだから,人間自身の存在についての問いは,『人間とは何か?』という形から『人間とは誰か?』という形に変えられなければならない。」

そしてこうまとめられる。

「人間の本質は,存在の問いの圏内で,元初の隠された指示に従って,居所として,すなわち存在が自己を開示するために強いて要求する居所として把握され根拠づけられねばならない。人間はみずからにおいて開けている所(ダー)である。この中へ存在者が入ってきて作品へと達する。だからわれわれは言う。人間の存在は,語の厳密な意味において『現‐存在(ダー・ザイン)』であると。」

掉尾の言葉が意味深い。

「問うことができるということは待つことができるということであり,しかも一生涯待つことができるということである。」

この思考の射程には,到底科学は及ぶまい。

「われわれはまだ技術の本質に対応するいかなる道も持っていない」

とシュピーゲルに応えるハイデッガーの言葉は,フクシマの予言ですらある。そして,哲学は,

サイバネティクス,

に引き継がれる,とハイデッガーが言い切っているのには瞠目させられる。

参考文献;
マルティン・ハイデッガー『形而上学入門』(平凡社ライブラリー)


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2018年02月10日

たけなわ


「たけなわ」は,

酣,
闌,

と当てる。

物事の一番の盛り,真っ最中,
少し盛りを過ぎたさま,

といった意味になる。「真っ最中」の意から,転じて「少し盛りを過ぎた」となったとみられる。下から上を見るのと,上から下を見るのと,視点の違いということか。

『時代別国語大辞典上代編』には,

「たけなは[酣]形状言。たけなわ。物事の(主に酒宴の)最中、あるいは盛りを過ぎた状態。『酒酣(たけなは)之後、吾則起歌』(神武前紀)『夜深酒酣(たけなはニシテ)、次第儛訖』(顕宗前紀)『酣タケナハニ・闌タケナハタリ』(名義抄)【考】『酣』は、酒を楽しむ・酒宴最中・盛んなの意。第三例名義抄にみえる『闌』は『言希也、謂、飲酒者、半罷半在、謂之闌』(漢書高帝紀顔師古注)とあるように、盛りを過ぎたさまを表わす。真最中から盛り過ぎという意味の幅は、このような語に自然なものかと思われる。タケナハのタケは日(ヒ)長(タ)クなどのタク(下二段)であろうが、その日長クにも、真昼(朝おそく)をさす場合から、日の傾く夕方を指す場合までがあるようで、タケナハもその例外ではあるまい。」

とあり,「たけなわ」の持つ,盛りと,盛りの陰りとの含意の説明はおもしろい。

「酣」の字は,

「『酉+音符甘(含み味わう,うまい)』。甘は,中に封じ込める意を含む。酒に封じ込められてうまさに酔った状態をいう」

とあり,まさに,

たけなわ,

と同義である。「闌」の字は,

「門+音符柬(カン・ラン ひきしめる,おさえとめる)」。出入りを抑える門の意から,てすり,遮るなどの意に転じ,欄干の欄と同じ」

とある。遮るという意味と同時に,「たけなわ」の意味もあり,古代人は,まさに熟知して,「たけなわ」にこの字に当てた。『大言海』は,

「タケは,長(た)る意,ナハは,オソナハルの類」

とある。「おそなはる」を見ると,

「ナハルは,延びゆく意と思はる,畳(たた)なはる,糾(ただ)なはるなどもあり」

とある。『岩波古語辞典』は,

「タケはタケ(丈・長・闌)・タケシのたけ。高まる意」

とある。『大言海』とほぼ同じである。「たけ」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/443380153.html

で触れたことがあるが,『日本語源広辞典』は,

「身の丈などのタケも,タカ(高・竹)と同じ語源」

とあり,

「長く(タク)は,高さがいっぱいになることの意で使います。時間的にいっぱいになる意のタケナワも,根元は同じではないかと思います。春がタケルも,同じです。わざ,技量などいっぱいになる意で,剣道にタケルなどともいいます。」

とある。『広辞苑』も,「たけ(長・丈)」は,

「動詞「たく(長く)」と同源」と載る。『大言海』には,

「高背(タカセ)の約。長(タケ)の義」

とあり,意味は,

上に長きこと,立てる高さ,
転じて,長さ,
十分の程,あるかぎり(あるたけ),

と意味の変化が載る。『大言海』は,「たく(長)」について,

「高(タカ)の活用,深(ふか)ノフクルの類」

とし,『岩波古語辞典』は,「たけ(長け・闌け)」

「たか(高)の動詞化,髙くなる意。フカ(深)・フケ(更)・アサ(浅)・アセ(褪)の類」

とする。『日本語源大辞典』も,「たけ」については,

タケ(長)の義,

タカキ(高)の義,

の二系統に分かれる。『日本語源広辞典』の言う,

「長く(タク)は,高さがいっぱいになることの意で使います。時間的にいっぱいになる意のタケナワも,根元は同じではないかと思います。」

というように,長さや高さという空間的な表現を時間に転用することは,十分考えられる。『日本語源大辞典』は,

「ある行為・催事・季節などがもっともさかんに行われている時。また、それらしくなっている状態。やや盛りを過ぎて、衰えかけているさまにもいう。最中(さいちゅう)。もなか。まっさかり。」

と長さと高まりとが重なり合うイメージになっていく。そう見て,「たけなわ」の諸説を見ると,

タケは、丈の長くなることをいうタケルから。ナハは遅ナハルなどのナハと同じ〈本朝辞源=宇田甘冥〉,
タケシ(長)の意から〈国語の語根とその分類=大島正健〉,
タケはタク(長・闌)・タケブ・タケルと同根〈小学館古語大辞典〉,
ウタゲナカバの約〈古事記伝〉,

長さとピークになっていく盛り上がりの頂点,という意味では,「たけなわ」には,

長さ,

髙み,

の二重の意味がダブっている。

なお堀井令以知編『語源大辞典』は,

「古事記伝の説、ウタゲナカバの略からとするのはいかがであろう。」

と疑問を呈しているとか。

参考文献;
http://tatage21.hatenadiary.jp/entry/2016/02/16/012653
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ラベル:たけ たけなわ
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2018年02月11日

きさらぎ


「きさらぎ」は,

如月,
更衣,
衣更月,
衣更着,

などと当てる。 『広辞苑』には,

「『生更ぎ』の意。草木の更生することをいう。着物を更に重ねる意とするのは誤り。」

とあり,

陰暦二月の異称である。この他に,

「殷春(いんしゅん)、梅見月(うめみづき)、建卯月(けんうづき)、仲春(ちゅうしゅん)、仲の春・中の春(なかのはる)、初花月(はつはなつき)、雪消月(ゆききえつき・ゆきげしづき)、麗月・令月(れいげつ)、小草生月(をぐさおひつき)、梅見月(むめみつき)、木目月(このめつき)、夾鐘(きょうしょう)」

等々と言うともある。「しわす」「むつき」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455892480.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/455932349.html

等々でも触れたように,「きさらぎ」も,自然の移り変わりや農事と関わると見るのが普通ではないか,と思う。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ki/kisaragi.html

は,

「如月は、寒さで着物を更に重ねて着ることから、『着更着(きさらぎ)』とする説が有力とされる。その他、気候が陽気になる季節で『気更来(きさらぎ)』『息更来(きさらぎ)』とする説。草木が生えはじめる月で『生更木(きさらぎ)』とする説。 草木の芽が張り出す月で『草木張り月(くさきはりづき)』が転じたとする説がある。」

と,諸説を並べただけだし,

https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%88

も,

「『如月』は中国での二月の異称をそのまま使ったもので、日本の『きさらぎ』という名称とは関係がない。『きさらぎ』という名前の由来には諸説ある。
旧暦二月でもまだ寒さが残っているので、衣(きぬ)を更に着る月であるから『衣更着(きさらぎ)』
草木の芽が張り出す月であるから『草木張月(くさきはりづき)』
前年の旧暦八月に雁が来て、更に燕が来る頃であるから『来更来(きさらぎ)』
陽気が更に来る月であるから『気更来(きさらぎ)』」

と併記にとどめているが,『大言海』は,

「萌揺月(きさゆらぎづき)の略ならむ(万葉集十五 三十一『於毛布恵爾(おもふえに)』(思ふ故に),ソヱニトテは,夫故(ソユヱ)ニトテなり。駿河(するが)は揺動(ゆする)河の上略,腹ガイルは,イユルなり,石動(いしゆるぎ)はイスルギ)。草木の萌(きざ)し出づる月の意。」

として,「むつき(正月)の語源を見よ」としているのは意味がある。『大言海』は,「むつき(睦月・正月)」の項で,

「實月(むつき)の義。稲の實を,始めて水に浸す月なりと云ふ。十二箇月の名は,すべて稲禾生熟の次第を遂ひて,名づけしなり。一説に,相睦(あひむつ)び月の意と云ふは,いかが」

とし,

「三國志,魏志,東夷,倭人傳,注『魏略曰,其俗不知正歳四時,但記春耕秋収為年紀』

を引いて,「相睦(あひむつ)び月の意」に疑問を呈して,「實月」説を採っている。この考え方の流れに,「如月」もあると,僕も思う。まして,陰暦三月の「やよい」も,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ya/yayoi.html

の言うように,

「弥生(いやおい)」が変化したものとされる。『弥(いや)』は、『いよいよ』『ますます』などの意味。『生(おい)』は、『生い茂る』と使われるように草木が芽吹くことを意味する。草木がだんだん芽吹く月であることから、弥生となった。」

であるなら,なおさら,二月だけかが,着物を重ねる,と意というのは,不自然ではあるまいか。

http://xn--cbktd7evb4g747sv75e.com/2015/1110/kisaragiimiyurai/

によると,

「『如月』という漢字は、中国最古の辞書といわれる『爾雅(じが)』の中にある、とある記述に由来しています。
『二月を如となす』という一文です。『如』とは、従うというような意味です。ここでは、何か一つが動き出すと、それに従い他のものも次々と動き出すという意味で使われています。
 つまり、春という季節は万物・自然・草木などが、次々に動き出す頃であることを表しています。」

とある。「如」の字は,

「『口+音符女』。もとしなやかにという,柔和に従うの意。ただし一般には,若とともに,近くもなく遠くもない物をさす指示詞に当てる。『A是B』とは,AはとりもなおさずBだの意で,近称の是を用い,『A如B(AはほぼBに同じ,似ている)』という不即不離の意を示すには中称の如を用いる。仮定の条件を指示する『如(もし)』も,現場にないものをさす働きの一用法である」

とある。やさしさの兆し,といった含意なのであろうか。

『日本大百科全書(ニッポニカ)』は,「きさらぎ」の項で,

「『衣更着』とも書くが、これは平安末期の歌人藤原清輔(きよすけ)がその歌論書『奥儀抄(おうぎしょう)』に、『正月のどかなりしを、此月さえかへりて、更にきぬを着れば、きぬさらぎといふをあやまれるなり。按(あん)ずるに、もとはきぬさらぎ也(なり)』というように、『更に衣を重ね着る』という意に解したことによると考えられる。江戸中期の賀茂真淵(かもまぶち)は、『木久佐波利都伎也(きくさはりつきなり)』と説き、草木が芽を張り出すという意からできたことばとするが、ほかに『気更に来る』の義とし、陽気の盛んになることをいうとする説もある。」

としているが,『日本語源大辞典』を見る限り,「更に重ね着」系と,「萌え出ず」系,に大別されるが,その他,異国語源説系,がある。「更に重ね着」系は,

寒さのために衣を重ねるところから,キサラギ・キヌサラギ(衣更着)の義(奥義抄・名語記・下学記・和爾雅・日本釈名・南留別志),
キサラギ(衣更衣)の義(古今要覧稿所引十二月訓),

やはり,この説は無理筋だろう。言葉の発祥を考えたとき,いにしえ,重ね着などということが仮にあったとしても,二月に始まるとは思えない。

「萌え出ず」系は,

陽気が発達する時期であるところから,キサラキ(気更来)の義(和訓栞),
イキサラキ(息更来)の義で,イキは陽気のこと。またスキサラギ(鋤凌)の義。この月には田を鋤き畑を打つところから(兎園小説外集),
正月に来た春が更に春めくところから,キサラギ(来更来)の義か。また,八月に雁が来て更にこの月にはつばめが来るところからキサラギ(来更来)の義か(類聚名物考),
去秋に黄落した草木が更に変わる月であるところから,キサラギ(葱更生)の義(和語私臆鈔),
草木更新の意でキサラツキ(木更月)の約濁(日本古語大辞典=松岡静雄),
キサユラギツキ(萌揺月)の略か(大言海),
キサカエツキ(木栄月)の略(菊池俗語考),
キサラオキ(城更置)の義。この月は苗代のために畦をつくり,更に田にも城を置くところから(嚶々筆語),
草木の芽が張り出す月であるところから。クサキハリツキ(草木張月)の義(語意考・百草露),
クミ(茅)サラ-ツキ(月)の義(古今要覧稿所引平田篤胤説),
春になって気持ちがさらりとなるところから,キ(気)サラ-キ(気)の義(本朝辞源=宇田甘冥),

等々,語呂合わせのものもあるが,この季節との関連,とりわけ農事との関連に注目したい気がする。

異国語源説系は,

梵語kisalayiからという高楠順次郎説は正しくなく,純然たる大和言葉から発生したものである(外来語の話=新村出),
「宜月」の別音kit-kiがkisa-kiとなり,Kisa-Ra-Giに転化。「宜」は古代中国の祭で, 穀物の豊作を地の神に祈る儀式(日本語原学=与謝野寛),

とあるが,「純然たる大和言葉から発生したもの」と見るべきではあるまいか。

「萌え出ず」系で,『日本語の語源』は,独自の説を立てている。

「〈春日野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり〉(古今集)。妻とともに若菜を摘みにきて,枯草に野火をつける農民に呼びかけた歌であるが,草焼きは初春の仕事であった。一月十五日におこなう奈良若草山の山焼きの行事はその遺風である。
 陰暦二月は草焼きの時節であったのでクサヤキ(草焼き)月といった。ヤが子音交替[jr]をとげてクサラキに転音し,語頭の母韻交替でキサラギ(如月)に変化した。用字は陰暦二月をさす漢語で,『如』は『万物がいっせいに燃え出す』意である。」

「如月」は,中国での二月の異称をそのまま「きさらぎ」当てたにしろ,その意味を熟知した上で用いたはずである。とすれば,「きさらぎ」の意味が,

いっせいに燃え出す,

ということと無縁だったはずはない。「萌え出ず」系のどれかとは特定できないが,草木の再生することを意味したに違いない,と思う。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%88
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
簡野道明『字源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

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2018年02月12日

かく(書く)


「かく」は,

書く,
描く,
画く,

等々と当てる。何れも漢字の意味を当てにした当て字である。「描く」「画く」で,

(筆などで)線を引く,絵や図をえがく,

と使い分け,「書く」で,

文字をしるす,
文につくる,

と使い分けているにすぎない(『広辞苑』)。

『広辞苑』『デジタル大辞泉』には,

「『掻く』と同源。先の尖った物で面を引っかく意が原義」

とある。とっさに,粘土板に掻いた楔形文字を連想した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%94%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%AD%97

に,

「楔形文字(くさびがたもじ、せっけいもじ)とは、世界四大文明の一つであるメソポタミア文明で使用されていた古代文字である。筆記には水で練った粘土板に、葦を削ったペンが使われた。最古の出土品は紀元前3400年にまで遡ることができる。文字としては人類史上最も古いものの一つであり、古さでは紀元前3200年前後から使われていた古代エジプトの象形文字に匹敵する。」

とある。

楔形文字.jpg

楔形文字(くさびがたもじ、せっけいもじ)


『大言海』は,

「筆尖にて紙上を掻く意ならむ」

としているが,ここは『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ka/kaku.html

の,

「書く・描く・画くは、全て『掻く(かく)』に由来する。かつては、土・木・石などを引っ掻き、痕をつけて記号を記したことから、『かく』が文字や絵などを記す意味となった。」

でいい。『日本語源大辞典』には,それ以外に,

カカグ(掲)の義(名言通),
カオク(皃置)の約(柴門和語類集),
カは日で色の源の意,クは付き止る意(国語本義),
「画」の入声音Kakから(日本語原学=与謝野寛),

と載せるが,ちょっと実態とはかかわりが見えない無理筋に見える。

「人類の起源はほぼ200万年前にさかのぼるといわれ、また言語の起源も少なくとも数十万年前にさかのぼると推定されるのに対し、人類が文字によって言語を記録し始めたのは、資料によって確かめられる限り、紀元前3000年前後のころ、すなわち、いまからせいぜい5000年前のことにすぎない。したがって、火の使用、道具の発明がごく早期の文化だとすれば、これは動物の家畜化、植物の栽培などと並ぶ、後期の文化ということができる。
 しかし一般に『書く』という行為は、体系的な文字の成立以前、あるいはそれが完全に成立することのなかった自然民族のもとでも、ある種の記号(サイン)を使用する際に、多かれ少なかれ生じたと考えられる。なぜならば『書く』という語は、各国語において『引っ掻(か)く、掻き削る、彫りつける、刻む』などを意味し、あるいはそれらを意味する語に発しており、『書く』ことの起源を暗示しているからである。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

「かく」は,人類共通の出自らしい。「書」の字は,しかし,

「『聿(ふで)+音符者』で,ひと所に定着させる意を含む。筆で字をかきつけて,紙や木簡に定着させる」

である。ついでに,「描」の字は,

「手+音符苗」

で,「苗」の字は,「艸+田」で,苗代に生えた細くて弱々しいなえのこと」。「描」の意は,

「こまかく手や筆を動かす」「ある物の形の駒かいところまで写しえがく」意である。「画(畫)」の字は,

「『聿(ふでを手に持ったさま)+田のまわりを線で区切ってかこんださま』で,ある面積を区切って筆で区画を記すことをあらわす。新字体は聿(ふで)の部分を略した形」

とある。「聿」の字は,

「筆の原字で,筆を手にもつさまをあらわす。のち,ふでの意の場合,竹印をそえて筆と書き,聿は,これ,ここに,などリズムを整える助詞に転用された。」

とある。「筆」は,

「毛の束をぐっと引き締めて,竹の柄をつけたふで」

だが,思うに,筆以前は,竹を削った先で「かいて」いたのではないか。

ところで,「かく」の語源「掻く」について,『岩波古語辞典』は,

「爪を立て物の表面に食い込ませてひっかいたり,絃に爪の先をひっかけて弾いたりする意。『懸き』と起源的に同一。動作の類似から,後に『書き』の意に用いる」

とあり,「懸き」について,

「物の端を対象の一点にくっつけ,そこに食い込ませて,その物の重みを委ねる意。『掻き』と起源的に同一。『掻き』との意味上の分岐に伴って,四段活用から下二段活用『懸け』に移った。既に奈良時代に,四段・下二段の併用がある。」

としている。漢字がなければ,

書く,
も,
掻く,
も,
懸く,

掛く,
も,
舁く,
も,

区別なく,「かく」であった。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%94%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%AD%97
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

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2018年02月13日

世界像


石川淳『森鷗外』を読む。

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本書では,

「人物を論じない。伝記にたらない。官人としての事績をさぐらない。時代に係合を附けない。文学史に触れない。衛生学の仕事に係らない。芝居の仕事を追わない。美術の仕事を述べない。翻訳の仕事を記さない。」

と著者は書く。書いたのは,「小説とは何か」である。それは鷗外を語りつつ自らのそれを語っているかの如くである。

冒頭は,有名な書き出しである。

「『抽斎』と『霞亭』といずれを取るかといえば,どうでもよい質問のごとくであろう。だが,わたしは無意味なことはいわないつもりである。この二編を措いて鷗外にはもっと傑作があるとおもっているようなひとびとを,私は信用しない。『雁』などは児戯に類する。『山椒大夫』に至っては俗臭芬芬たる駄作である。『百物語』の妙といえども,これを捨てて惜しまない。詩歌翻訳の評判ならば,別席の閑談にゆだねよう。
 『抽斎』と『霞亭』と,双方とも結構だとか,撰択は読者の趣味に依るとか,漫然とそう答えるかもしれぬひとびとを,わたしはまた信用しない。この二者撰一に於いて,撰ぶ人の文学上のプロフェッシオン・ド・フォアが現れるはずである。では,おまえはどうだときかれるであろう。ただちに答える。『抽斎』第一だと。そして附け加える。それはかならずしも『霞亭』を次位に貶すことではないと。」

これは,

「『澀江抽斎』に引きつづき『伊沢蘭軒』『北條霞亭』の三篇は一個の非凡の小説家の比類なき努力の上に立つ大業であって,とても傍観者などというなまぬるい規定をもって律しうるようなものではない。(中略)ひとが鴎外に期待したであろうとはちがったところに,努力が突き抜けて行った。したがって『澀江抽斎』以後の仕事に対して当時の世評は香しくない。青山胤通は『つまらぬものを書く』といったそうである。青山ばかりではなく,新聞社宛には悪罵の投書が殺到したという。肝腎の文壇批評家諸君は手のつけようを知らず,そっぽをむいていたかと見える。中には,あれは小説ではないといって,眼をつぶって安心していた小説家先生もあったかもしれない。おおかた自分の書くうすぎたない身上噺のほうがよほど斬新で深刻な芸術だとでも思っていたのであろう。」

等々という,ある意味鷗外の『澀江抽斎』以降の「世評は香しくない」鷗外観への挑戦状である,とも言える。それはまた,「小説とは何か」ということを問いかけてもいる。そして,言う。これは,

「小説概念に変更を強要するような新課題が提出」

されており,

「小説家鷗外が切りひらいたのは文学の血路である」

と。それは,

「鴎外の感動は怒号をもって外部に発散していく性質のものではない。それはひとに知れたとき云訣しなくてはならなかったほど,ひっそりと内部に沈潜する底のものであったが,そこからおこった精神の運動が展開して行ったさきは小宇宙を成就してしまった。なにか身にしみることがあってたちまち心あたたまり,からだがわれを忘れて乗り出して行き,用と無用とを問わず,横町をめぐり溝板をわたるように,はたへの気兼で汚されることのない清潔なペンがせっせとうごきはじめると,末はどんな大事件をおこすに至るか。仕合せにも『抽斎』一篇がここにある。出来上がったものは史伝でも物語でもなく,抽斎という人物がいる世界像で,初めにわくわくしたはずの当の作者の自意識など影も見えない。当時の批評がめんくらって,勝手がちがうと憤慨したのも無理はない。作品は校勘学の実演のようでもあり新講談のようでもあるが,さっぱりおもしろくもないしろもので,作者の料簡も同様にえたいが知れないと,世評が内内気にしながら匙を投げていたものが,じつは古今一流の大文章であったとは,文学の高尚なる論理である。」

鍵は,作品の「世界像」である。こう続けている。

「鴎外みずから『敬慕』『親愛』と称しているところの,抽斎という人間への愛情が作品においてどんなはたらきをしているか。鴎外はその愛情の中に自分をつかまえることによって書き出したのではあったが,またその中に自分を取り落すことに依って文章の世界を高次に築き上げている。(中略)
 抽斎への『親愛』が氾濫したけしきで,鷗外は抽斎の周囲をことごとく,凡庸な学者も,市井の通人も,俗物も,蕩児も,婦女子も,愛撫してきわまらなかった。『わたくし自身の判断』を支離滅裂の惨状におとしいれてしまうような,あぶない橋のうえに,おかげで書かれた人物が生動し,出来上がった世界が発光するという稀代の珍事が現出した。そして,このおなじ地盤のうえに,鷗外は文章を書く新方法を発明したはずである。」

しかし面白いことに,鷗外自身はその新地平について気づいていない。

「鷗外自身は前期のいわゆる小説作品よりもはるかに小説に近似したものだとは考えていなかったようである。たしかに従来の文学的努力とは性質のちがった努力がはじめられていたにも係らず,そういう自分の努力と小説との不可分な関係をなにげなく通り越して行ったらしい点に於て,鷗外の小説観の一端がうかがわれるであろう。それはまたこの偉大な功業を立てた文学者の論説中小説論の見るべきものがない所以であろう。」

著者は,こう評する。

「『抽斎』『蘭軒』『霞亭』はふつう史伝と見られている。そう見られるわけは単にこれらの作品を組み立てている材料が過去の実在人物の事蹟に係るというだけのことであろう。いかにも史伝ではある。だが,文章のうまい史伝なるがゆえに,ひとはこれに感動するのではない。作品の世界を自立させているところの一貫した努力がひとを打つのみである。」

その小説観の一端は,「追儺」という作品について,こう書くところに表れている。

「作者はまず筆を取って,小説とはどうして書くものかと考え,そう考えたことを書くことからはじめている。ということは,頭脳を既成の小説概念から清潔に洗っていることである。(中略)前もってたくらんでいたらしいものはなに一つ持ちこまない。…味もそっけも無いようなはなしである。…しかし『追儺』は小説というものの,小説はどうして書くかということの,単純な見本である。これが鷗外四十八歳にして初めて書いた小説である。文豪の処女作たるに恥じない。」

そして,鷗外の小説は,『追儺』から数える,という。そう考えて初めて,最後の作品『北條霞亭』について,こう評することと対になる。

「鷗外六十歳,一世を蓋う大家として,その文学的障害の最後に,『霞亭生涯の末一年』に至って初めて流血の文字を成した。作品の出来ばえ,稟質才能の詮議は別として,右は通常これから小説に乗り出そうというすべての二十代の青年が立つであろう地点である。」

それにしても,石川淳は,鷗外に対する敬愛なみなみならない。かつて,その愚作ぶりにあっけにとられた『大塩平八郎』についても,

「『大塩平八郎』は低級無力なる作品である。それにしても,不思議なことに,鷗外のような高い意識と強力な手腕とをそなえた傍観者の著実な仕事に俟たなければ,こう別誂えに低級無力には出来上らない。これは漫然と不思議だということにしておく。」

と評する。「低級無力」とは最大限の罵倒であるが,どこかでその底をみきわめたやさしさがある。かつて,

「むかし,荷風散人が妾宅に配置した孤独はまさにそこから運動をおこすべき性質のものであった。これを芸術家の孤独という。はるかに年をへて,とうに運動がおわったあとに,市川の僑居にのこった老人のひとりぐらしには,芸術的な意味はなにも無い。したがって,その最期にはなにも悲劇的な事件は無い。今日なおわたしの目中にあるのは,かつての妾宅,日和下駄,下谷叢話,葛飾土産なんぞにおける荷風散人の運動である。日はすでに落ちた。もはや太陽のエネルギーと縁が切れたところの,一箇の怠惰な老人の末路のごときは,わたしは一燈をささげるゆかりもない。」(「敗荷落日」)

と,痛罵したのと対比すれば,明らかである。著者は,リルケに準えて,

「鷗外もまた手の甲の強靭な,てのひらの柔軟な抒情詩人」

というのが,著者の鷗外像らしい。死の直前まで,おのれの血を流す羽目になりながら,「小説の血路」を開き続けた鷗外へのオマージュである,だけでなく,鷗外を出汁にして,石川淳自身の小説観そのものを再構築していくプロセスでもあるように見える。突飛なことを言うようだが,石川淳の『佳人』『普賢』は,どこやら,『澀江抽斎』のパロディにも見えなくもないのである。

参考文献;
石川淳『森鷗外』(ちくま学芸文庫)


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2018年02月14日

あこがれる


「あこがれる」は,

憧れる,
憬れる,

と当てる。面白いのは,意味が,

さまよい出る,
物事に心が奪われる,
気をもむ,
思い焦がれる,理想として思いを寄せる,

と,当初は,物理的にというか,肉体のさまよい出る,状態表現だったものが,心のさまよい出る状態表現へと転じ,その状態の価値表現へとシフトしていくところだ。

当てられた「憧」の字は,

「『心+音符童』で,心中がむなしく筒抜けであること」

とある。この場合,心が,遠くのものを恋い求め,さまよ出でている状態を示している。因みに,「童」は,

「東(トウ 心棒を突きぬいた袋,太陽が突き抜けて出る方角)はつきぬく意を含む。童の下部は『東+土』。重や動の左側の部分と同じで,土(地面)をつきぬくように↓型に動作や重みがかかること。童は『辛(鋭い刃物)+目+音符東+土』で,刃物で目をつき抜いて盲人にした男のこと」

とあり,もともとは,

刃物で目を突きぬいて盲人にした男のどれい。転じて男の召使い,

を指し,「僕童」(男の奴隷や召使)といった使い方をするが,それが転じて,

わらべ(十五歳で成人して冠者となる),

の意となる。「憬」の字は,

「景は,明るく大きい光。憬は『心+音符景』で,心の中が明るくなること。また,遠い理想を求める明るく大きい気持ち」

で,二つ合わせた「憧憬」(ショウケイ,ドウケイ)は,心中が空しくて,落ち着かないさま,という状態表現を意味する。そこからシフトして,遠くのものにひかれる心となったようだ。

さて,「あこがれる」は,

あくがる,

の転とされる。『大言海』は,「あくがる」に,

浮宕,
憧憬,

と当て,

「在處離(ありかか)るの略転と云ふ。アコガルルも同じ(假事〔かりごと〕,かごと。若子〔わかご〕,わくご。其處〔そこ〕,此處〔ここ〕)。宿離(か)レテ,アクガレヌベキ,など云ふは,重言なれど,アクガルの語原は忘れられて云ふなり。」

とし,

居る處を離れて,浮かれ出ず,
離る,隔たる,
心落ちつかずして,浮かる。魂,身にそわず,

と,ここには「あくがる」の原意をとどめているように見える。『岩波古語辞典』は,

「所または事を意味する古語アクとカレ(離)との複合語。心身が何かにひかれて,もともと居るべき所を離れてさまよう意。後には,対象にひかれる心持を強調するようになり,現在のアコガレに転じる」

とある。だから,ふらふらさまよ出でる→心がさまよ出でる,と意味が変じて,

上の空,

浮かれる,

という離魂状態の意味にもなる。

『日本語源広辞典』は,「あこがれる」の語源を四説載せている。

説1は,「アク(所)+カレ(離れる)」。心が自分のところから離れ,強く引き付けられる意,
説2は,「アク(勧角が空く)+カレ(離れる)」。距離が遠くなればなるほど強く惹かれる心情,
説3は,「アク(足・踵)+カレ(離れる)」。足が地から離れるほど引きつけられる心情,
説4は,「ア(接頭語)+焦がれる」(吉田金彦説),

しかし,いずれも,心が対象に引き寄せられるという,「あくがれ」の意味が心情表現に転じた後を前提にして,所説を立てている。いずれの説も,後知恵に過ぎないように見える。

『日本語源大辞典』も「あくがれる」について,(『岩波古語辞典』説,『大言海』説を含めて)四説挙げる。

①アクは事,所などの意の古語。カルは離れて遠く去るの意(日本語の年輪=大野晋),
②アは在,クは処,カルは離の意(槻の落葉信濃漫録・雅言考・比古婆衣・大言海),
③ウカルルと同意。ウの延アク(名言通・和訓栞・槙のいた屋),
④アクは空の義。これを語根として動詞のアクグル,アクガルが生まれた(国語の語根とその分類=大島正健)

しかし,結局,

アク+カル(離る),

で,「アク」については定まらない。『日本語源大辞典』は,こう付言する。

「アクとカルとの複合語で,カルが離れる意であることは確かなものの,アクの語源は諸説あり不明であるが,あるいは場所にかかわる語か。上代には用例は見えず,十世紀半ば以降に一般化した語で,人間の身や心,また魂が,本来あるべき場所から離れてさまよいあるくことをいう。中世になると,特定の対象に心をひかれるという意味合いが強くなり,アコガルという語形も生じる。」

もともとは,物理的な離れさまよういであったとすると,「アク」は

「(本来居る)所,または事の意をもつ古語。単独の用例はなく,アクガレ(憧)に含まれている。また,いわゆるク語法の曰ハク。恋フラクのク・ラクの語根。」

という『岩波古語辞典』の説明が気になる。因みに,「曰く」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/405702636.html

で触れたが,ク語法の用例については,「おもわく」「ていたらく」で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/439786326.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/439714068.html

でそれぞれ触れたように,

「用言の語尾に『く』を付けて『~(する)こと/ところ/もの』という意味の名詞を作る語法(一種の活用形)」

で,「ほとんどの場合、用言に形式名詞『コト』を付けた名詞句と同じ意味になる」とされる。とすると,『大言海』の,

アは在,クは処,カルは離,

がちょっと注目される気がするのだが。なお,ク語法については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E8%AA%9E%E6%B3%95

に詳しい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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2018年02月15日

かげ


「かげ」は,

影,
景,
陰,
蔭,
翳,

と当てる。意味の使い分けは,漢字の渡来以降で,「いろ」の概念がなかったように,「かげ」の意味の差は,なかったに違いない。こんにち「かげ」は,

日・月・灯火などの光,
光によって,その物のほかにできる,その物の姿(水や鏡に写る姿,光を遮ってできる物のかげ)
物の姿(形,おもかげ,肖像,まぼろし,霊魂,付きまとって離れないもの,不吉な兆候)
物の後ろの,暗い隠れた部分(背面,他の人に及ぶ恩恵,隠れた所,人目に隠れた暗い部分),

といった,光の部分と翳の部分の両方の意味がある。これは,たぶん漢字に依る。漢字を見てみると,「景」の字は,

「京とは,髙い丘に建てた家を描いた象形文字。高く大きい意を含む。景は『日+音符京』で,大きい意に用いた場合は,京と同系。日かげの意に用いるのは,境(けじめ)と同系で,明暗の境界を生じること」

で,「日光によって生じた明暗のけじめ」で,ひかりとひかげの意味をもつ。因みに,「京(亰)」の字は,

「上部は楼閣の姿(高の字の上部と同じ),下部は小高い土台を描いたもので,髙く明るく大きいの意を含む。上古の人々は洪水や湿気をさけて,髙く明るい丘の上に部落をつくり,やがてそれが中心都市となり,京(ミヤコ)の意を生じた。景(ケイ 明るい日影)・鯨(ゲイ おおきいくじら)に含まれる。」

とある。ちなみに,数の単位の京は,

一・十・百・千・万・億・兆・京で「京」は 10の7乗,

で,この上は,

垓 𥝱(秭) 穣 溝 澗 正 載 極 恒河沙 阿僧祇 那由他 不可思議 無量大数,

となり,一垓は10の64乗。

「影」の字は,

「景は『日(太陽)+音符京』からなり,日光に照らされて明暗のついた像のこと。影は『彡(模様)+音符景』で,光によって明暗の境界が付いたこと。特にその暗い部分。」

であり,「陰」の字は,

「右側は,『云(くも)+音符今(=含。とじこもる)』の会意兼形声文字。湿気がこもってうっとうしいこと。陰はそれを音符とし,阜を加えた字で,陽(日の当たる丘)の反対,つまり,日の当たらないかげ地のこと。中にとじこめてふさぐ意を含む。」

と,まさに,日陰を指し,暗いとか湿った,という含意豆ある。「蔭」の字は,

「艸(くさ)+音符陰(ひかげ,くらい,なかにこもる))」

で,草木のかげ,である。それを喩えて,おかげ,といった含意になる。「翳」の字は,

「上部の字(殹 エイ)は,矢を箱の中に隠すことを表す会意文字。翳はそれを音符とし,羽を添えた字」

で,「ものに覆われてできたかげ」を意味する。漢字影,景,陰,蔭,翳,には,微妙な意味の違いがある。「かげ」は,それを当て替えることで,意味の陰翳をもたせたにすぎない。

『岩波古語辞典』は「かげ」について,

「古形カガの転。カガヨヒ・カグツチのカガ・カグと同根。光によってできる像。明暗ともいう。」

とする。これでいくと,「景」の字が,最も近いのかもしれない。『大言海』は,「かげ」を,「影」「陰・蔭」「蔭」と分け,「影」については,

「景にて,写し出すものの意」

とし,「陰」については,

「影の当たるところの意」

とし,「蔭」については,

「他の陰にタヨル意。或は,景(かげ),即ち光の義。其恩光を受けたる意」

と,漢字を当てた使い分けをきれいに整理して見せている。では和語「かげ」の語源は何か。

『日本語源広辞典』は,

「日本語の『カゲ・カギは,光』を表す言葉です。転じて,漢字の影響で,光の当たらぬ部分も,カゲを使うようになりました。」

としている。『岩波古語辞典』も『広辞苑』も,意味の第一に,

「(日・月・燈火などの)光」

としているのは,この故である。『日本語源大辞典』は,

カガ(爀・耀・赤々)の転(俚言集覧・松屋筆記・大言海),
カガヤクの義から(日本古語大辞典=松岡静雄),
カケ(日気)の義(和語私臆鈔・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
カカゲ(炫 かがやく)の義(言元梯),
カは鏡,ケは気の義(和句解),

と挙げているが,どうやら,「炫(かがやく)」「爀・耀・赤々」等々,輝きや赤々という含意で,「かげ」は,

光,

を指していたようである。漢字を知らなければ,「陰」「影」「蔭」の使い分けは出来なかったに違いない。しかし,かつては「色」ではなく,明暗しか言語化しなかったとすると,「かげ」は,光というよりは,『岩波古語辞典』のいう,

「光によってできる像。明暗ともいう」

というのが妥当に思える。つまり,光と影の明暗を意味したのではなかろうか。なお,

http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/forum/text/fn134.html

は,「かげ」自体が,渡来人がもたらした,としている。

「『カゲ』の基本的語義は『限界』であり、その語根は『kjang-』のように思われる。
  日本語のこの『カゲ(光・陰)』は、非常に古い時代に、日本に渡来した(創られた)ことばと言えよう。卑見では、弥生時代か、遥かそれ以前に、日本列島に渡ってきた渡来人が身につけてきたことばであると思われる。」(辛容泰「KAGE (Light・Shade) in Japanese―Searching for the Roots of Japanese Culture―」)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ラベル:かげ
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2018年02月16日

あじ(味)


「あじ(ぢ)」は,

味,

と当てる。

「舌が食べ物や飲み物などに触れたときに起こる、甘い・辛い・しょっぱい・エグい・渋い・うまいなどの感覚。」

であり,それに準えて,

「ものごとの持つ深み。表面的には強く現れていないが、対象について知るにつれて分かってくる良さ。」

にまで,意味が広がる。

当てた「味」の字は,

「未は,細いこずえのところを強調した象形文字で,『微妙』の妙と同じく,細かい意を含む。味は『口+音符未』で,口で微妙に吟味すること」

とあり,

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%91%B3

には,

「微妙な違いを表す(藤堂[明保])。新芽の味わい(白川[静])とも。」

の意を持つとも,載せる。

「あじ(ぢ)」について,『大言海』は,

「假名遣いは,万葉集に,紫陽花を,『味狭藍(アヂサヰ)』『安治佐為(アヂサヰ)』。日本釈名(元禄)下五十三味『アヂは,甘き乳(チ)也。乳味は,食の始にて,甘き物也』。乳を元とする語とす,いかがあるべき」

と,疑問符を付けつつ紹介している。『岩波古語辞典』には,

「万葉集にアヂサヰを『味狭藍』と書いているから,古くからアヂという言葉はあったのだろうが,室町時代頃まで,字書類の訓にもアヂの例は見えない。アヂハヒはある」

とあり,「あぢはひ」を見ると

「アヂ(味)を活用させた語。サキ(幸)サキハヒの類」

とある。「味」の認識はなかったはずはないのだが,「あじわう」味覚体験は言語化できても,「味」という味覚自体を対象化できなかった,ということなのだろうか。しかし,それにしては,「あぢはひ」が「あぢ」の活用とあるのは,よく分からない。『日本語源広辞典』には,

「語源は,『アジ』(うまさ,あじわいの良さ,良い感じ,妙味)です。こういう日常生活に密着している言葉の語源は,これ以上分解できないようです。魚の鯵,鳥のアジなど,味のいい魚や。鳥の意にも使います。古語は,味ハヒで,中世以降は,アジ,味,が使われるようになりました。」

とあり,

アジ(ヂ)ハヒ→アジ(ヂ),

という経緯を想定する。「鯵」の語源として,

味がある魚の意,

という説もあるし,鴨の「アジ(シマアジ)」については,

「和名アジは味が良かったことに由来する」

とあるので,「味」との関係は深いのは確かであるが,『日本語源広辞典』によれば,「味」という概念ないまま,「あじわい」という味覚言語が先にあった,ということになる。

『日本語源大辞典』は,

アマチ(甘乳)の約(日本釈名),
アはアマ(甘)のア,チはトロ(蕩),トク(解)などのト(日本語源=賀茂百樹),
ウマタリ(可美垂)の義。ウマの反ア,ダリの反ヂ(和訓栞)。
アヘ(饗)と同源か(日本古語大辞典=松岡静雄),
アは賞(め)でる意味の感動詞,チはすぐれた感覚,何ともいえぬ作用をこめた霊(衣食住語源辞典=吉田金彦),

と挙げて,

「味覚についていう場合,『味はひ』が古くから用いられていた。『味』がとってかわるのは中世以降とされる。」

と述べる。どうやら,

あじ(ぢ)わひ,

という状態を言い表わす言葉が先で,「味」という抽象概念が,後に抽出された,という感じらしいのである。和語らしいと言えば言えるのかもしれない。

味覚(みかく)は、動物の五感の一つであり、食する物質に応じて認識される感覚である。生理学的には、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5つが基本味に位置づけられる。

ところで,五つの基本味は,

甘味,酸味,塩味,苦味,うま味,

であるが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%B3%E8%A6%9A

によると,

「1916年、ドイツの心理学者ヘニング(Hans Henning)は、この4つの味とその複合で全ての味覚を説明する4基本味説を提唱した。ヘニングの説によると、甘味、酸味、塩味、苦味の4基本味を正四面体に配し(味の四面体)、それぞれの複合味はその基本味の配合比率に応じて四面体の稜上あるいは面上に位置づけることができると考えた。
日本では1908年に池田菊苗がうま味物質グルタミン酸モノナトリウム塩を発見した。このうま味は4基本味では説明できないため、日本ではこれを基本味とする認識が定まった。しかし西洋では長らく4基本味説が支持され続け、うま味が認められたのは最近のことである。現在では味蕾(の)に受容体が存在するものとして定義されており、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5つが該当し、五基本味と位置づけられる。」

とある。

味覚分布.png

(味覚分布地図、1は苦みを2は酸味を3は塩を4は甘味を感じるとされる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%B3%E8%95%BEによる)


参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%B3%E8%95%BE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%B3%E8%A6%9A
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%91%B3
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ラベル:あじ あぢはひ
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2018年02月17日

アジ(鯵)


「アジ(ヂ)」は,

鯵(鰺),

を当てる,魚のアジのことである。「あじ(味)」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/456913388.html?1518725842

で触れたように,「アジ」は,語源として,

味がある魚の意,

という説もあるほど,「あじ(味)」と繋がりのある言葉のようである。ただ,当てられた「鯵(鰺)」の字は,

「魚+音符參(もとは操の右側の『喿』)だったのを書き誤ったもの」

とある。しかも,

なまぐさい,

という意味で,魚の「アジ」の意味に使うのは,我が国だけの用法である。

『大言海』には,

「和訓栞,アヂ『新撰字鏡ニ,鰺を訓ゼリ,萬葉集ニ,味と書けり,味ノ佳ナルヲ稱スルナルベシ』。いかがあるべき」

と,「味」から来た説に,いささか疑問を呈しているようである。『大言海』は,「字鏡」の,

「鰺,阿地」

「本草和名」の,

「鰺,阿知」(「和名抄」も同じ)

を引用しているのは,「鰺」は,「あぢ」ではなく「あち」と訓んでいたかもしれないからである。

マアジ(Trachurus japonicus).jpg

(マアジ(Trachurus japonicus) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8による)


因みに,「アジ」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8

に,

「体側の側線上に鋭い突起をもつ稜鱗(りょうりん: Scute)が発達することでアジ科の他の亜科と区別される。稜鱗は、日本では『ぜんご』『ぜいご』という俗称で呼ばれることが多く、学術的には楯状鱗と呼ばれることもある。種類によって稜鱗の並ぶ長さや幅は異なり、同定の手がかりになる」

とある。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/aji_sakana.html

は,しかし,

「アジの語源は『味』で、その味の良さをほめて名付けられた。 他にも味の良い魚はある が、『魚』の意味で『アジ』を用いる方言が各地で見られるように、イワシやサバなど とともに日本の代表的な食用魚で、漁獲量が多かったことも『アジ』という名前の由来に 関係している。漢字の『鯵(鰺)』は、元は魚偏に『操』だった右側の字を日本人が『参』と 書き間違えたもので、『参る』の意味に関係するものではない。」

と,「味」説を採る(ただ,魚偏に「喿」の字が手元の『字源』『漢字源』には見当たらないのだが)。

http://zatsuneta.com/archives/001721.html

は,「鯵」(あじ)の名前の由来について,やはり,

「『アジ』という名前は、単純に「味のよい魚」だからアジになったという。漢字の『鯵』は魚へんに『喿』の字の写し間違いであるとする説がある。つくりの『喿』は『生臭い』という意味。他にも、アジの一番おいしい季節が旧暦の3月なので、数字の『参』が使われたという説。『おいしくて参ってしまう』の意であるとする説。『参』には『多くのものが入り交じる』という意味があり、群集する魚であるから『鯵』になったという説がある。」

としている。しかし「参(參)」の字は,

「三つのかんざしをきらめかせた女性の姿を描いたもの。のち彡(三筋の模様)を加えて參の字になった。入り混じってちらちらする意を含む。」

で,「いつもいっしょに入り混じる」「ちらちらする」という意はあっても,「集まる」という意はない。

http://www.yuraimemo.com/1210/

は,「アジ」の由来について,

「『アジ』の由来は、旧暦の三月より旬となるので魚偏に参と書くという説があるようだがそれは誤りであって、鰺の字は生臭いという意味があるらしい。でもその漢字『鯵』についても、元は魚偏に『喿』だった右側を日本人が『参』と書き間違えたのだという説もあるから何を信じればいいのか。だから漢字の『参る』には何の意味もないと考える方がいいようである。…『アジ』の名前の由来を調べると、そのアジの美味しいところからきているという…。つまりアジは「味」とのことで、食べて美味しいから『アジ』ってことになる。『イワシ』とか『サバ』とか味のいい魚は他にもいくつかいるけど、なぜアジなのか?これらの魚も含めて、地方によっては方言で漁獲量の多い美味しい魚全般を『アジ』と呼ぶのだそう。その中でも一番とれたからこの魚が『アジ』と呼ばれるようになったと考えればいいらしい。」

http://diamond.jp/articles/-/19045

には,

「新井白石――江戸時代中期の政治家で儒学者――が享保2年(1717年)に書いた『東雅《とうが》』という語源辞典の中で、『或人の説く鰺とは味也、其の味の美をいふなりといへり』と書いているのです…。新井白石の功績とネームバリューからか、今日ではこの説が広く採用されていますが、他に、鯵が群れをなす習性から、群がり集まることを『あち』といい、これが『あぢ』に変わり、『あじ』になったという説があります。
実は、漢字の方の鯵にはさまざまな説あり、『魚』偏に『参』となったのは、鯵が参集する(群れる)魚だからという説が、有力候補の一つになっています。
 また、寛永20年(1643年)に刊行された、我が国最古の料理の専門書『料理物語』では、鯵は『魚』偏に『良』と書いて、『あち』と読ませています。」

とあるが,「喿」を「參」と書き間違えた後では,後解釈にすぎないだろう。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q118663351

は,ご丁寧に,対比しつつ,

「最初の方の説明ををA、次の方の説明をBとして、その点検のなかで説明をしていきたいと思います。
①Bの説明は『群れをなす』から『あつまる(参集する)』として、この漢字が作られたとしています。『千葉県水産総合科学研究センター』のサイトを根拠とされています。
②Aはそれを「間違い」とされています。その通り、間違いでしょう。Bのような説明がされることがあるのは事実です。しかし、『参』という字に『群れをなす』とか『あつまる』という意味はありません。むしろそれを言うなら『参』ではなくて『集』の方でしょう。
③中国語の『鯵』という字はどんな意味なのか。確かに『鯵』という字には『生臭い』という意味もあります。では、鯵とは『生臭い魚』という意味なのでしょうか?もちろん、魚は生臭い物です。しかし、鯵が特に生臭い魚の代表だとはとても思えません。むしろ、それは同じ大衆魚なら「生き腐れ」と言われる鯖(さば)の方が似つかわしいでしょう。」

「鯵」の偽字(『字源』は譌(なまる)字としている)をもとに解釈しても,語源には届かないだろう。結局,

アヂ(味)ある魚の意から(和語私臆鈔・俚言集覧・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥・東雅)

が大勢のようだが,『日本語源大辞典』には,

アラヂ(粗路)の義。その背の形から名づけられた(名言通),
イラモチ(苛持)の義(日本語原学=林甕臣),

の説も載るが,『大言海』が少し疑問を投げながら,否定できない「味」説になるのだろう。その場合,

「地方によっては方言で漁獲量の多い美味しい魚全般を『アジ』と呼ぶのだそう。その中でも一番とれたからこの魚が『アジ』と呼ばれるようになったと考えればいいらしい。」

という(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q118663351)ように,「アジ」の範疇を広くとらえていいのではないだろうか。ただ,『大言海』が引用していたように,

「鰺,阿地」(「字鏡」)
「鰺,阿知」(「本草和名」「和名抄」)

の,「アチ」という訓みの問題は残る。「味」は,『岩波古語辞典』の言うように,

「万葉集にアヂサヰを『味狭藍』と書いているから,古くからアヂという言葉はあった」

と,「アヂ」であり,「アチ」ではないのだから。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年02月18日

アジサイ


「アジサイ」は,

紫陽花,

と当てられるが,「味」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/456913388.html

の項で触れたように,

「假名遣いは,万葉集に,紫陽花を,『味狭藍(アヂサヰ)』『安治佐為(アヂサヰ)』」(『大言海』)。

とされていたほどに古い。『大言海』は,「あぢさゐ」の項で,

「集眞藍(あづさあゐ)の約轉(阿治(あぢ)の語原を見よ。眞靑〔サアヲ〕,サヲとなる)。」

としている。「あぢ(阿治)」の項には,

「集(あつ)の転(あづさゐ,あぢさゐ)。群集の意。播磨風土記,揖保郡香山(かこやま)里,阿豆村『人衆,集來談論,故名阿豆』(字鏡廿三『諵,阿豆萬利(あずまり)氏語事』)。アヂガモと云ふが,成語なるべし。臘觜鳥(アトリ)も集鳥(アツドリ)なり。あぢ群(むら)〔鶴群(タヅムラ)〕と云ふは,群がる意。アヂの群鳥(ムラドリ)とも云ふなり。和訓栞,後編,アヂムラ『今,アヂ鳧(ガモ)と云ふ,多く集まる鳥也』。」

とあり,「あぢがも」の項には,

阿治鴨,

と当てている。「アジサイ」という花は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%B5%E3%82%A4

にあるように,

「アジサイ(紫陽花、学名 Hydrangea macrophylla)は、アジサイ科アジサイ属の落葉低木の一種である。広義には『アジサイ』の名はアジサイ属植物の一部の総称でもある。狭義には品種の一つ H. macrophylla f. macrophylla の和名であり、他との区別のためこれがホンアジサイと呼ばれることもある。原種は日本に自生するガクアジサイ H. macrophylla f. normalis である。」

青色と紫色のあじさい.jpg



が,「アジサイ」の語源は,

「アジサイの語源ははっきりしないが、最古の和歌集『万葉集』では『味狭藍』『安治佐為』、平安時代の辞典『和名類聚抄』では『阿豆佐為』の字をあてて書かれている。もっとも有力とされているのは、『藍色が集まったもの』を意味する『あづさい(集真藍)』がなまったものとする説である。そのほか、『味』は評価を、『狭藍』は花の色を示すという谷川士清の説、『集まって咲くもの』とする山本章夫の説(『万葉古今動植物正名』)、『厚咲き』が転じたものであるという貝原益軒の説がある。」

と諸説紹介しているが,『語源由来辞典』

ガクアジサイ.jpg



http://gogen-allguide.com/a/ajisai.html

は,

「あじさいは,古く『あづさヰ(あじさヰ)』であった。『あづ(あぢ)』は集まるさまを意味し,特に小さいものが集まることを表す語。『さヰ』は『真藍(さあい)』の約。もしくは,接頭語の『さ』と『藍(あい)』の約で,靑い小花が集まって咲くことから,この名が付けられたとされる。ただしあじさいを漢字で『集真藍』と書いたとする説は誤りで,語源をさかのぼって漢字を当てはめるならば『集真藍』の字であろうというものである。漢字の『紫陽花』は中国の招賢寺にあった花の名前で,日本のあじさいとは異なるものであったといわれる。日本の古い文献では,『万葉集』で『紫陽花』の例が見られる。あじさいには『七変化』や『七色花』などの異名があることから,新潟県や佐賀県では皮膚の色が変わることに喩え,『七面鳥』といった呼び方もされる。」

また,『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E7%B4%AB%E9%99%BD%E8%8A%B1

も,

「あじさいの語源は、『藍色が集まったもの』を意味する『あづさい(集真藍)』が変化したものとされる。『あづ』は集まる様を意味し、特に小さいものが集まることを意味し、『さい』は『さあい』の約、接続詞の『さ』と『あい(藍)』の約で、青い小花が集まって咲くことから、この名がつけられたされる。また、『あぢさゐ(味狭藍)』の意で、『あぢ』はほめ言葉、『さゐ』は青い花とする説もある。」

とし,その解釈は異論があるが,「藍色が集まったもの」とするようだ。『日本語源広辞典』も,

「あぢ・あづ(集める)+さゐ(真藍)」

とする。『日本語源大辞典』も,

「『あじ(あぢ)』は『あつ』で集まること,『さい』は真藍(さあい)の約で,靑い花がかたまって咲く様子から名づけられたとする説が有力か」

としている。たしかに,微妙な差はあるが,

アヅサヰの約転。アヅはアツ(集),サヰはサアヰ(真藍)の略,

とする『大言海』説以外にも,

アダアヰの略(万葉考),
ウスアヰ(薄藍)約転(言元梯),
アツ(当・集)フサ(総)アヰ(藍)の転(語源辞典・植物編=吉田金彦),
アツサキ(厚咲)の訛り。またアツアヰ(厚藍)の転(日本釈名・滑稽雑談所引和訓義解),

と色にまつわるものがあるし,その他,

群れて咲くことから,アヂサハヰ(鴨多率)の約(名言通),

もあるが,もっと大事なのは,「味」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/456913388.html

で触れたように,万葉集に,「アジサイ」を「味狭藍(アヂサヰ)」と当てたことから,「あぢはひ」との関係も無視できない。味と関わらせる説には,

アヂサヰ(味狭藍)の義。アヂ(味)はほめることば,サヰ(狭藍)は青い花の色を言う(万葉代匠記・和字正濫鈔・万葉集類林・和訓栞・日本古語大辞典=松岡静雄),

がある。「味」の語源とも絡み,僕は,「味狭藍(アヂサヰ)」説に惹かれる。万葉集に,

「言問はぬ 木すら味狭藍(あぢさゐ) 諸弟(もろと)らが 練りの村戸(むらと)に あざむかえけり」(大伴家持)
「安治佐為(あぢさゐ)の 八重咲くごとく 八つ代にを いませ我が背子 見つつ偲ばむ」(橘諸兄)

を,花色の変化と華々しい八重咲きを,花の「あじはひ」と見たように思うのは,僻目であろうか。

ところで,「アジサイ」に,「紫陽花」と当てたのは,

「『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』で、著書の源順(みなもとのしたごう)が白居易(はくきょい)の詩に出てくる紫陽花をこの花と勘違いしたことによるとされる。漢名の紫陽花は別の花。」(『由来・語源辞典』)

であるが,『倭名類聚抄』には,「紫陽花」ついて,

「白氏文集律詩云 紫陽花 和名安豆佐爲」

とある。では,白楽天はどういっているのか。

320px-Bai_Juyi.jpg

(白楽天・『晩笑堂竹荘畫傳』より https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B1%85%E6%98%93より)

http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama/e/904352b2ae5e0bc1e663e73fad2668e8

によると,白居易は,杭州の長官だった頃,郊外にある招賢寺という山寺を訪れ,そこにひっそりと咲く見知らぬ花を「紫陽花」と名付けて,七言絶句一首を作った,という。

何年植向仙壇上   
早晩移栽到梵家   
雖在人間人不識   
与君名作紫陽花   

何れの年に植えて仙壇上に向かう
早晩移し栽えて梵家に到る
人間に在りと雖も人識らず
君に名を与えて紫陽花と作す

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%B5%E3%82%A4

によると,

「日本語で漢字表記に用いられる『紫陽花』は、唐の詩人白居易が別の花、おそらくライラックに付けた名で、平安時代の学者源順がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれている。草冠の下に「便」を置いた字が『新撰字鏡』にはみられ、『安知佐井』のほか『止毛久佐』の字があてられている。アジサイ研究家の山本武臣は、アジサイの葉が便所で使われる地域のあることから、止毛久佐は普通トモクサと読むが、シモクサとも読むことができると指摘している。また『言塵集』にはアジサイの別名として「またぶりぐさ」が挙げられている。」

と,何だか身もふたもない話になってしまう。アジサイは,「綉球花」あるいは「八仙花」と呼ばれるとか。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%B5%E3%82%A4
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama/e/904352b2ae5e0bc1e663e73fad2668e8

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2018年02月19日

くじら


「くじら」は,

鯨,

と当てる。「鯨」の字は,

「魚+音符京(大きい,強い)」

である。「京(亰)」の字は,

「上部は楼閣の姿(高の字の上部と同じ),下部は小高い土台を描いたもので,髙く明るく大きいの意を含む。上代の人々は洪水や湿気をさけて,髙く明るい丘の上に部落をつくり,やがてそれが中心都市となり,京(ミヤコ)の意を生じた。」

で,千,萬,億,兆,京(ケイ)の「京」でもある。

「くじら」の仮名遣いは,「くぢら」であったが,院政時代に「くじら」が見られたと,『広辞苑』にはあるが,『岩波古語辞典』の「くぢら」の項にはこうある。

「古くはクヂラ(kudira)と発音されていたらしいが,京都でも院政期ごろにはクヂラ・クジラ(kudira,kuzira)と両用された。一般に,ヂとジの混乱は京都では室町末期ごろに広まるが,これはその古い例」

と同時に,

「朝鮮語korariと同源」

ともある。『大言海』には,

「其口,大なれば,口廣(くちびろ)の約轉なりと云ふ(スベラギ,スメロギ。濁音の上下するば。イヅツシの語原を見よ。)字鏡に久地良,本草和名に久知良とあり(神武紀に久治良と見ゆるは鷹〔くち〕なり)。又,案ずるに,常陸風土記,久慈郡『有小丘體似鯨鯢,倭武天皇因名久慈』。塵袋(弘安)六『クヂラをば,或はクジラと云へる事もあり,云々,常陸國に,久慈理の岡と云ふ岡あり,其の岡の姿,鯨鯢に似たる故に斯云へりと,云々。俗語には,謂鯨為久慈理と云へり』。同國風土記に,常陸は,衣手漬(ころもでひたしの)國,那珂郡,大櫛岡は,大朽(おおくつ)の義に因るとあり。万葉集の廿に,天地(あめつち)を阿米都之(つし)と,母父(おもちち)を阿母志志(あもしし)とあり,東國の發音なるか。然れども,名義抄に『鯨,クヂラ,クジラ』とあり(ちぢむ,しじむ),土佐,薩摩の人は,今も,平常ニ,ヂと,ジとを別ちて發音し,鯨は,クジラなりなりと云ふ。熟考すべきなり。和訓栞,後編,クヂラ『典籍便覧に,海翁,音,屈支羅と見えたり』。」

とある。なお,「いづつし」の項には,「つつ」が「つづ」「づつ」と転倒することについて,

「(「いづつし」の)ツツは,約(つづ)しなり,発語の下に,連声(れんじょう)にて,清濁転倒するなり。テヅツ,むクチヅツと云ふ語も,手約(てつづ),口約(くちつづ)なり。屈(かが)む,かぐむ。被(かぶ)る,かがふるの,サも,カも発語なれば此の如し。ほぞ,(臍)とばそ(戸臍,樞)。偶違(すみちがい),すぢかひ(筋違)も同例なり」

としている。『日本語源大辞典』は,「くじら」「くぢら」について,

「『十巻本和名抄』や『新撰字鏡』はクヂラ,『観智院本名義抄』にクヂラ・クジラの両形,古本節用義類はおおむねクジラ,『日葡辞典』も『Cujira(クジラ)』というように,『クヂラ』から『クジラ』へという傾向がうかがわれる。仮名遣いの混乱には上代東国方言の関与も考えられる。」

院政期を画期としているのは,東国武士の台頭と関わるのだろう。

ザトウクジラ.jpg



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B8%E3%83%A9

には,

「貝原益軒著『日本釈名 中魚』(元禄13年、1700年)や新井白石著『東雅 十九鱗介』(享保4年、1719年)によれば、『ク』は古語で黒を表し『シラ』は白を表し『黒白』で『クシラ』であった。その後『し』は『チ』に転じて『クチラ』になり『チ』が『ヂ』に変り『クヂラ』になったと解説している。また、『日本古語大辞典』では『ク』は古韓語で『大』を意味し、『シシ』を『獣』、『ラ』を接尾語としている。その他、『大言海』では『クチビロ(口広)』が変化したものとし、『日本捕鯨語彙考』では『クジンラ(九尋羅)』が変化したものとしている。」

として,「クジラ」の表記の移り変わりを,

奈良時代(710 - 794年)
古事記 - 「区施羅」クヂラ。
日本書紀 - 「久治良」クヂラ。記紀共に今の鯨(クジラ)を指すかどうかは諸説ある。
平安時代(794年-1185年)
新撰字鏡 - オスは「鼇(本来は大亀の意味)」クチラ(久治良)。メスは「鯢」メクチラ(女久治良)。
類聚名義抄 - オスは「巨京(渠京を略した文字としている)」クヂラ、ヲクヂラ。メスは「鯢」クヂラ、メクヂラ。

としているが,『大言海』の「久慈」「久慈理」から,「久地良」「久知良」と当て字が変じていくところを見ると,

クシラ→クジラ→クヂラ→クジラ,

と,転訛が目まぐるしかったことを想像させる。

http://mobility-8074.at.webry.info/201707/article_27.html

や『日本語源広辞典』『たべもの語源辞典』等々,諸説が載っているが,他称の異同はあるが,『日本語源大辞典』によると,

クシシラ(大獣)の約,クは大を意味する古韓語。シシは獣,ラは接尾語(日本古語大辞典=松岡静雄),
クロシラ(黒白)の約,皮が黒く,内側の白いことから(和句解・日本釈名・東雅),
クシラ(奇)の義(たべもの語源抄=坂部甲次郎),
コジル義。捕まえても簡単におとなしくならないすことから(名言通),
クジラ(穿輩)の義,浮上して舟を穿つことから(桑家漢語抄),
ハクヒロ(百尋)の略転(言元梯),
口が大きいので,クチビロ(口広)の約転か(『大言海』)。
等々。その他,

朝鮮語korariと同源(岩波古語辞典)
潜るの古語,クギルが音韻変化してクヂルとなり,クヂラ,クジラとなった(『日本語源広辞典』)
「肉白(にくじろ)」が,「に」が脱落して「くじろ」,「くじら」 に転音,
常陸国久慈理 (くじり) の岡が,この生き物の背中に似ていたので「くじり」と呼ばれ,「くじら」に転音した,

等々。結局諸説あり,定まっていないということらしい。しかし,存外,常陸風土記の,

有小丘體似鯨鯢,倭武天皇因名久慈,
常陸國の久慈理の岡と云ふ岡,

の「久慈(理)」が,「くじ(ぢ)ら」が既に,人々に知られていた生き物で,そこから名づけられた「久慈理」から,一般化したということはあるのかもしれない。

宮本武蔵と大鯨と鯨涛.jpg

(歌川国芳:宮本武蔵と大鯨と鯨涛 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B8%E3%83%A9より)


なお, 万葉集に,

鯨魚取(いさな)り海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮干て山は枯れすれ,

と詠まれるなど,「くじら」のほかに,「いさな」という呼び方もしていた。

『日本語源大辞典』は,「いさな」の語源について,

イサナ(勇魚)の義(万葉代匠記・東雅・万葉集類林・和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健・日本語源=賀茂百樹),
イサナ(五十尺魚)の義(言元梯・たべもの語源抄=坂部甲次郎),
イサナ(不知魚)の義。水中の計り知れぬ所にいるから(槻の落葉信濃漫録)

等々と載り,この他にも,

「いそな(磯魚)とり」の音変化(デジタル大辞泉),
「いさなとり」の「いさな」を「勇魚」と解してできた語(書言字考節用集),

等々とあり,これも諸説定まらない。蕪村には,「いさな」を詠んだ,

菜の花やいさなも寄らず海暮れぬ,

と同時に,「くじら」を詠んだ,

弥陀佛鯨なる浦に立玉ふ

という句もあるそうで,語源はともかく,『たべもの語源辞典』の言うように,かつては,両方とも通用していた,ということだろう。

参考文献;
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kuniyoshi023/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B8%E3%83%A9
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

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ラベル:くじら
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2018年02月20日

おしえる


「おしえる(をしへる)」は,

教える,

と当てる。

注意を与えて,導く,さとす,戒める,
知っていることを告げ示す,
学問や技芸などを身につけるように導く,

といった意味がある。「教」(呉音キョウ[ケウ]・漢音コウ[カウ])の字は,

「『攴(ボク,ホク 動詞の記号)+音符爻(コウ,ギョウ まじえる)』で,さらに子を加えた字もある。子どもに対して,知識の受け渡し,つまり交流を行うこと」

で,「おしえる」意味だが,「先生と弟子の間に,知識を交流させること」「先生から弟子に,知識・経験・技術を受け渡して知らせる,また導く」意で,『論語』(為政篇)にある,

「善を挙げて,不能を教うれば」

は,その意味である。「おしえる」に該当する漢字は,「訓」(クン キン)の字があり,これは,

「川は,難所やしこりを貫通して流れるかわを描いた象形文字。貫(カン つかぬく)・穿(セン うがつ)と同系のことば。訓は『言+音符川』で,ことばで難題をほぐして通すこと。キナンは,唐宋音」

で,「おしえる」意味だが,「しこりや難問をときほぐして説く。転じて,物事の筋を通しておしえる」意で,「訓導」「教訓」等々。いまひとつ,「おしえる」にあたる漢字に,「誨」の字がある。これは,

「毎を含むことばは,悔(暗い気持ち)・晦(カイ 月が欠けて暗い)など,『くらい』という基本義をもつ。誨は『言+毎』で,相手の暗さをことばでとり除いて,さとそうと努力すること」

で,「おしえる」意だが,「物事をよく知らない者をおしえさとす」意となる。『論語』(述志篇)に,

「学まなびて厭わず,人ひとを誨(おし)えて倦まず」

とある。「教」「訓」「誨」の使い分けは,

教は,教は効也,訓也,令也,と註す。上より下に教ふるなり,
訓は,古より定めたる法則に従ひ,教ふるなり,
誨は,言を以て人を教導するなり,

とある(『字源』)。

さて,「おしえる(をしへる)」について,『広辞苑』は,

「形容詞ヲ(愛)シの動詞化」

とある。漢字の由来とは,まったく異なることになる。『大言海』の「をし(教)ふ」項には,

「愛(をし)む,と通ずと云ふ」

とある。「をしむ」とは,

愛(を)しと思ふ,深く愛す,愛(め)づ,いつくしむ,

等々の意である。「めづ」は,

めぐし,めぐむに通ず,

とある。「めぐむ」は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/452754933.html

でふれたように,

温かくいつくしむ,
相手を温かく抱き込む思いやり,

という意味である。「めぐ(愛)し」は,

「メは目,グシハココログシノグシで苦しい」

で,

見るも切ないほどかわいい,

という意である(『岩波古語辞典』)。「いつくしむ」は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/451028421.html

で触れたように,

愛づ,かはゆがる,

という意である。いずれにしても,和語「おしえる(をしへる)」には,

いつくしむ,

という含意が強くあるように思える。『日本語源広辞典』『日本語源大辞典』によると,少しずつ違うが,

愛惜する情から起こるものであるところから,ヲシム(愛)と通じる(嚶々筆語・和訓栞・大言海・国語の語根とその分類=大島正健),
人の悪いところをおさえ,良い事を知らせる意から,ヲシヘはオサヘの転。方言に,教えることをオサエル,オサユル,オセル等々がある(日本釈名・柴門和語類集),
オシフ(仕分ける)が語源。シワケル方法を伝えるのがオシエルの意(『日本語源広辞典』),
大物主神の故事から,ヲシヘ(麻知方)の義(言元梯),
親が子に食物の取り方を教える自然の習性が教訓の意に転じたところから,ヲシアヘ(食饗)の約(日本古語大辞典=松岡静雄),

等々の語源説がある。やはり,

ヲ(愛)シ,

を取りたいが,しかし,『論語』で,孔子が,

子曰,不曰如之何,如之何者,吾末如之何也已矣,

「如之何,如之何」と自ら尋ねない者には,師といえど,手の打ちようはない,と言ったように,教えることには,教わったことが何かを客体化し,自分の中で,腑に落ちぬところを見つけ出していくプロセスがなければ,ただ師の模倣品を作るだけだ。「ヲ(愛)シ」には,そのプロセスを見守ることも含まれている,と僕は思う。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)

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posted by Toshi at 05:18| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする