2018年02月21日

まなぶ


「まなぶ」は,

学(學)ぶ,

と当てる。「学(學)」の字は,

「メ印は交差するさまを示す。先生が知恵を授け,弟子がそれを受け取って習うところに,伝授の交流が行われる。宀印は屋根のある家を示す。學は『両方の手+宀(やね)+子+音符爻(コウ)』で,もと伝授の行われる場所,つまりがっこうのこと」

で,「まなぶこと」「学問」「まなびや」「学問をする人」という意味の広がりを持つ。「まなぶ」は,

まねてする,ならって行う,
教えを受ける,
学問をする,

と,最初に,「まねる」が来るところが特異である。「学ぶ」と当てて,

まねぶ,

と訓ませる言葉があり,

「『真似(まね)る』と同源」

として,

まねてならう,
見聞して物事をそのまま人に語り告げる,
教えを受けて習う,習得する,

という意がある。「まね(真似)る」を見ると,

「『学(まね)ぶ』と同源」

とあり,

他に似せてする,まねをする,

という意味となる。このために,例えば『日本語源広辞典』のように,「まなぶ」を,

「語源は,『マナ(真似)+ぶ』です。文化の高い中国から,学の概念が入って,よく似た概念の真似に,動詞をつくる接続語ブを加えたものと思われます。」

とし,「まなぶ」は「まねる」だと,する意見が多い。『岩波古語辞典』では,「まなび」は,

「マネ(真似)と同根。主に漢文訓読体で使う語。教えられる通り真似て,習得する意。類義語ナラヒは,繰り返し練習することによって身に着ける意。マナビは平安初期には上二段,中期以後余談に活用した」

とあり,「まね」(下二段)は,

「マネビと同根」

とし,「まねび」は,

「マネ(真似)と同根。興味や関心の対象となるものを,そっくりそのまま,真似て再現する意」

とある。

「まなぶ」と「まね」と同根,
「まね」と「まねび」は同根,
「まねび」は「まね」と同根,

との関係は,『大言海』では,「まなぶ」は,

マネブの転,

とあり,「まねぶ」は,

真似を活用す,或は云ふ,ブは履行(ふむ)の約転と,

とあり,「まね」が中心にあることになる。つまり,

マネ→動詞化マネブ→マネル,

と。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ma/manabu.html

は,

「学ぶは、『まねぶ(学ぶ)』と同源で、『まねる(真似る)』とも同じ語源である。そのため、学ぶの語源は『真似ぶ(まねぶ)』とされることも多いが、『まなぶ』と『まねぶ』は同じ時代に見られる語で、その前後関係ははっきりしていない。『真に似せる』の意味から『まね』や『まねぶ』が生まれ、『まなぶ』という語が生じたか、『誠に習う』の意味から『まなぶ』が生まれ、名詞形『まね』と、その動詞形『まねぶ』の語が生まれた考えられる。『まなぶ』は、教えを受けたり学問をする意味で多く用いられ、『まねぶ』は『まなぶ』よりも学問する意味は薄く、模倣する意味で用いられることが多い。また、『まねぶ』は主に口語として用いられていたが、『真似る』が広く用いられるようになったため、『まなぶ』の雅語(雅言)として扱われるようになった。」

とし,「まなぶ」「まねぶ」の前後関係は不明のために,

マネ→マナブ・マネブ,

なのか,

マナブ→マネ→マネブ,

なのかは分からない,とする。『日本語源大辞典』もやはり,「「まねぶ」の項で,

「マナブと同源であるが,その前後は不明。マナブは漢文訓読文,マネブは和文にそれぞれ多く用いられており,性差・位相差も考えられるが,マネブの使用例の多くは口まねする,あるできごとをその通りに模倣するの意で,教えを受ける・学問するといった意味あいはマナブにくらべるとずっと少ない。そのため模倣を意味するマネルが広く用いられるようになると,マネブは口語からしりぞいてマナブの雅語のように意識されるに至る」

とある。億説だが,僕は,

マネ→マナブ・マネブ,

の変化だったような気がする。「まなぶ」という概念は,抽象度が高い。古代,

真似,

こそが,文字をもたないわれわれの祖先にとって,伝承の道だったはずで,口承・口伝である以上,そのまま真似て覚えるほかはない。「まなぶ」という概念は,『日本語源広辞典』の言うように,中国からの文化渡来以降に「学んだ」に違いない気がする。

「まなぶ」「まねぶ」「まね」の語源をそれぞれ拾っておくと,「まなぶ」は,

マネブの転(和訓栞・大言海)
マ(真)から出たマネブ(擬)の転(国語溯原=大矢徹),
マネベ(真似方)の義(名言通),
マネフ(真似生)の義(和語私臆鈔),
マネ(真似)から出た語(和句解),
マナビのナヒの反はニであるところから,マニ(真似)の義(俚言集覧),
マまマコト(誠),ナブはナラフの義(日本釈名),

「まね」は,

マネブの語根(大言海),
マネブの略(晤語),
マコト(真)を似せる意(日本釈名)。
讒言によって武内宿禰が殺されそうになったとき,宿禰に似ていることで身替りとなった真根子から(閑山耕筆),
マニセの略(晤語・俗語考),

「まねぶ」は,

マネ(真似)の活用(大言海),
マネ(真似)ブルの義(和訓栞),

となっている。

こうみてみると,「まね」「まねぶ」と「まなぶ」とはほとんど重なっている。「まなぶ」が「まねぶ」と重なったことが,ひょっとするとわれわれの「まなぶ」観をゆがめてしまったのかもしれない。祖述も大切だが,「まなぶ」とは,「学び方」を学ぶことであり,それは,ものの見方,質し方を学ぶことではないか,と僕は思うからである。

だから,「まね」て,なぞっている限り,まだ「まなぶ」の領域には入ってはいない。「まね」の領域をクリアして初めて,「まなぶ」とはどういうことなのか,を学び始める。「まなぶ」は,ここからしか始まらない。まだ「まなぶ」のとば口にいるだけだ。「まなぶ」とは「まねる」ことだなどと言っている限り,永久に,「まなぶ」とは何か,を手に入れることはない。「まなぶ」は,まず,問いから始まるからだ。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年02月22日

ならう


「ならう(ならふ)」

習う(ふ)
慣らう(ふ)
倣う(ふ)

と当てるが,『広辞苑』は,「習う」と「倣う・慣らう」を項を改めている。しかし,「習う」は,

慣らうと同源,

とあり,「倣う・慣らう」は,

習うと同源,

としている。別項なのは,漢字を当てて,意味を違えたということである。「習う」は,

繰り返し収めおこなう,稽古する,
教えられて自分の身につける,

という意であり,「倣う」「慣らう」は,

たびたび経験して馴れる,
習慣となる,
あることのままに従って行う,準ずる,
なれ親しむ,

の意となる。あえて,差を言い立てれば,「習う」はプロセスの方に重点があり,「倣う・慣らう」は,その毛った,それに従うところにウエイトがある,といえそうである。

先に,「ならう」に当てた各漢字に当たっておくと,「習」の字は,

「『派+白』で,羽を重ねること,また鳥が何度も羽を動かす動作を繰り返すことを示す。この白は,自の変形で,『しろ』ではなく,替のカブと同じく動詞のきごうである。」

とあり,「幾重にも重ねる」「何度も重ねて身につける」「何度も繰り返してなれしたしむ」という意味になる。「倣」の字は,

「方は,同じように左右に張り出たすきの柄のこと。『比方(左右に並べてくらべる)』の方の意と同じ。倣は『人+音符放(=方)』で,似たものを左右に並べて比べ合わせること」

で,「並べてみて,同じようにまねる」意である。因みに「放」の字は,

「方は,両側に柄の伸びたすきを描いた象形文字。放は『攴(動詞の記号)+音符方』で,両側に伸ばすこと。緊張や束縛を解いて,上下左右に伸ばすこと」

とあり,ついでに,「方」の字は,象形文字で,

「左右にはり出たすきを描いたもので,⇄のように左右に直線状に伸びる意を含み,東←→西,南←→北のような方向の意となる。また,方向や筋道のことから,方法の意を生じた」

とある。「慣」の字は,

「貫は,ひとつの線でつらぬいて変化しない意を含む。慣は『心+音符貫』で,一貫したやり方に沿ってた気持ちのこと」

とあり,「いつも同じことをして習熟するろ」「いつもおなじことをするならわし」の意となる。

この三字の使い分けは,

倣は,傚(コウ)と同義なり。俲也,依也,…想像也,遂行也と註す。放につくる,同じ,
傚は,效に同じ,先例にまなびならふなり,
習は,重也と註す。その事を幾度となく重ねてならひ熟するなり。論語「學而時習之」,
慣は,ならひ,なるるなり,大載禮「習慣如自然」

とある。なお,「傚」の字は,

「交は,足を交差させたさまを描いた象形文字。效は『攴(動詞の記号)+音符交』の会意兼形声文字。二人の間に知恵を与えたり受けたりする交流の生じることを學・教という。效(=効)・學・教は同系のことばで,知恵を与える側からは教といい,受ける側からは効・倣(ならう)・學といい,ひとつの交流の両面にすぎない。傚の字は,『人+效』で,人偏をそえて人の間の交流であることを強調した字」

とあり,「ならう」「まねる」という意となる。

『大言海』は,「ならふ」を,「習ふ」「倣(傚)ふ」「慣らふ」を別々に項を立て,「習ふ」は,「屡,學び為す」,「倣(傚)ふ」は,「(竝ぶ意かと云ふ)従ひてする」,「慣らふ」は,「なれる」としている。

『岩波古語辞典』は,「まなぶ」の項で,

「類義語ナラヒは,繰り返し練習することによって身に着ける意」

とあった。「ならふ(習ふ・倣ふ・慣らふ)」の項で,

「ナラは,ナラシ(平・馴)と同根。物事に繰り返しよく接する意」

とある。ここでは,接するプロセスも,接した結果も,区別せず「ならふ」である。

しかし,三者の区別は漢字が当たらなければ,ほぼ意味をなさない。『日本語源広辞典』は,「習う」は,

「『ナラ(慣ら)+フ(継続・反復)』です。繰り返して同じことを何度もすることによって習慣化して,最後に自分の能力にしてしまうというプロセス(過程)を重視した動詞です。」

とあり,「倣う」は,

「『ナラ(慣ら)+フ(継続・反復)』です。繰り返して何度もする意から,模倣をする意です」

とあり,「慣れる」が語源となる,としている。上述の『岩波古語辞典』は,

「ナラシ(平・馴)と同根」

としていた。「ならし(平し・均し・馴らし)」は,結局,

「ナレ(慣れ)・ならひ(習)と同根」

と,「ナレ(慣れ)」に戻ってくる。『日本語源大辞典』には,

ナレアフ(馴合)の義(日本語原学=林甕臣),
ナライはナレアヒ(馴合)の約(菊池俗語考),
ナラシフ(馴歴)の義(名言通),
ナラフ(並)の義(和訓栞),
ナラヒウル(並得)の義(柴門和語類集),
ナラフ(並羽)の転(和語私臆鈔),
ナラはナラス(平・馴)と同根で,物事に繰り返しよく接する意(岩波古語辞典)

と諸説並べているが,結局,習慣にしろ,しきたりにしろ,知識にしろ,ものの考え方にしろ,先例にしろ,先達の教えにしろ,そのことに慣れ親しんでしまうことで,

習慣如自然,

となっていくところがある。習うも,倣うことも,つまるところ,慣らう,につきるというのは,古人はよく分かっていたのかもしれない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年02月23日

メタ小説


森鷗外『澀江抽斎』を再読。

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以前読んだとき,恥ずかしながら,人の死が連ねられているという印象が強く残っていた。人との関わりのネットワークよりは,その終末に強く印象づけられていた。世の中では,この作品が,史伝の中にカテゴライズされているらしいことを,ほぼ疑わなかった。しかし,今回,ひどく面白く読んだ。前回とは全く印象が違う。これは,

書くことを書く,

というメタ・ポジションからのものだと,気づいたからだ。今日なら,おのれが書いているものについて,書くなどということは,奇異でも特異でもない。しかし鷗外が新聞連載(これが新聞連載されていたことに驚くが)当時はどうであったか。困り果てて,史伝とするしかなかったのではないか。

本巻の解説(小堀桂一郎)は,こう書いている。

「著者はこの伝記の稿に筆を下すに当たって,先ず如何にして自分がこの作品の主人公とめぐりあったか,どうしてその人に関心をいだき,伝記を立てる興味をおこしたか,そしてこの著述に如何にして着手し,史料は如何にして蒐め,また如何にして主人公に就いての知識を拡大して行ったか,その筋みちを詳しく説明してゐるのである。言ってみれば著者はここで伝記作者としての自分の舞台裏をなんのこだわりもなく最初から打ち明けて見せてゐるのであり,著述を進めてゆく途上に自分が突き当たった難渋も,未解決の疑問も,一方探索を押し進めてゆく際に経験した自分の発見や疑問解決の喜びをも,いささかもかくすことなく筆にしてゐる。これは澀江抽斎といふ人の伝記を叙述してゐると同時に,澀江氏の事蹟を探ってゆく著者の努力の経過をもまた,随筆のやうな構へを以て淡々と報告してゆく,さうした特異な叙述の方法にもとづいて書かれた伝記である。」

伝記という概念から脱せられないから,「特異」といい,「特異の研究方法」(永井荷風)ということになる。しかしこの解説者自身がすでに書いている,

「澀江抽斎といふ人の伝記を叙述してゐると同時に,澀江氏の事蹟を探ってゆく著者の努力の経過をもまた,随筆のやうな構へを以て淡々と報告してゆく,さうした特異な叙述の方法」

こそが,書くことのメタ化ではないか。つまり,

書くことを書く,

である。これが鷗外の発明かどうかは知らない。しかし,鷗外は,短編『追儺』,未完の『灰燼』で,既に,小説を書く(書こうとすること)を書く,ことを試みている。だから,石川淳は,

「作者はまず筆を取って,小説とはどうして書くものかと考え,そう考えたことを書くことからはじめている。ということは,頭脳を既成の小説概念から清潔に洗っていることである。(中略)前もってたくらんでいたらしいものはなに一つ持ちこまない。…味もそっけも無いようなはなしである。…しかし『追儺』は小説というものの,小説はどうして書くかということの,単純な見本である。これが鷗外四十八歳にして初めて書いた小説である。」

と書いている。石川淳が,これを処女作としたのは,いかに書くかをめざして初めて書いた小説からだ。小説という既成の概念を前提に,物語を語るのではなく,

書くとはどういうことかを書きながら,書いていった,

という意味で初めての小説だ,という意味だ。『追儺』で,

「小説といふものは何をどんなふうに書いても好いものだといふ断案を下す」

と。それは,鷗外が,初めて自分の書く世界を,『追儺』で手掛りをえた,と言い換えてもいい。その先の試みの『灰燼』は失敗した。しかし,その上に,『澀江抽斎』がくる。

『澀江抽斎』を読んで,何気なく見過ごしていけないのは,鷗外は,初めから,シーケンシャルに,抽斎について調べていくプロセスをそのまま書くことを通して,澀江抽斎という世界を描こうと意図していたということだ。この方法は,意図されている。調べ終わってから,抽斎について書くことを書く,などという書き方ではないのである。最初から,抽斎を書こうとする自分自身を書き,そこで調べている自分を書き,さらに,調べ上げた抽斎について書く,ということ意図して,第一行から書き始めている。でなくて,こういう世界を描くということは,ほぼできないのである。鷗外は,意識して,書くことを書くとしたのかどうか,その方法を意識していたかどうかはともかくとして,『追儺』の方法をなぞるようにして,「書くことを書く」(書くを書く)を始めるつもりで書き出しているのである。

書くを書くとは,小説を書く書き手を書きつつ,作品世界の語り手をも書く,ということだ。そこでは,作家は,小説世界を構築する書き手を対象化しつつ,その書き手をして,小説世界を語らせる,そこまでを書く。それは,中里介山が,『大菩薩峠』の作中で,自分の小説が世界一の長さだなどと,ポロリをおのれの自慢を書きつらねたこととは,天と地ほどに,根本的に違う,小説をいかに書くかという小説の方法そのものを書くことなのだ,と僕は思う。しかし,

「鷗外自身は前期のいわゆる小説作品よりもはるかに小説に近似したものだとは考えていなかったようである。たしかに従来の文学的努力とは性質のちがった努力がはじめられていたにも係らず,そういう自分の努力と小説との不可分な関係をなにげなく通り越して行ったらしい点に於て,鷗外の小説観の一端がうかがわれるであろう。それはまたこの偉大な功業を立てた文学者の論説中小説論の見るべきものがない所以であろう。」

石川淳が書くように,鷗外自身は,史伝を書いていたつもりかもしれない。しかし,少なくとも,

澀江抽斎を調べている自分をも描くことを通して,明らかになっていく澀江抽斎像を書いていく,

ということを,方法論としては意識化しないまま,無意識のうちに,ある閾を,

なにげなく通り越して行った,

らしいのである。

『澀江抽斎』の冒頭は,こうである。

「三十七年如一瞬。学医伝業薄才仲。栄枯窮達任天命。安楽換錢不患貧。これは澀江抽斎の述志の詩である。想ふに天保十二年の春に作つたものであろう。弘前の城主津軽順承の定府の医官で,当時近習詰になつてゐた。しかし隠居附にせられて,主に,柳島にあつた信順の館へ出仕することになつてゐた。父允成が致仕して,家督相続をしてきから十九年,母岩田氏縫を喪つてから十二年,乳を失つてから四年になつている。」

この時,この文の語り手は,鷗外の設定した書き手である「わたくし」の設定した語り手である。このとき,

(鷗外→)書き手→わたくし→語り手,

と,語りの構造(次元)は,厳密には,四層になっている。つまり,語られている中味から言うと,

語られている澀江抽斎←を語っている語り手←を語っている「わたくし」←を書いている書き手(←を書いている鷗外),

となる。鷗外は,自分の書こうとする世界を,

澀江抽斎の史伝的世界を語る「わたくし」と,その「わたくし」を語る書き手,

を,設定しているのである。書くということについて,そこまで自覚的であったかどうかは別にして,書く世界に向き合った時,作家と,大なり小なり,自分が向き合う「世界」をどう語るか,逆に言うと,「世界」とどう向き合って,その「世界」を独立した対象とするかを工夫する。鷗外は,この世界のあり方を,冒頭で,既に顕現しているのである。

石川淳は,こう評している。

「『抽斎』『蘭軒』『霞亭』はふつう史伝と見られている。そう見られるわけは単にこれらの作品を組み立てている材料が過去の実在人物の事蹟に係るというだけのことであろう。いかにも史伝ではある。だが,文章のうまい史伝なるがゆえに,ひとはこれに感動するのではない。作品の世界を自立させているところの一貫した努力がひとを打つのみである。」

「作品の世界を自立させている」仕掛けこそが,まさに,この語りの多次元化である。

他方,書き手が対象化した「わたくし」について書くとき,

「わたくしが抽斎を知ったのは奇縁である。わたくしは医者になって大学を出た。そして官吏になつた。然るに少い時から文を作ることを好んでゐたので,いつの間にやら文士の列に加えられることになつた。其文章の題材を,種々の周囲の状況のために,過去に求めるやうになつてから,わたくしは徳川時代の事蹟を捜つた。そこに武鑑を検する必要が生じた。」

となる。あくまで,過去を題材に小説を書こうとする流れの中で,鷗外は,『澀江抽斎』を書いた。しかし,鷗外は,『興津彌五右衛門』『阿部一族』等々とは異なり,いきなり「物語世界」を現在化させる語り口を取らなかった。このときは,

(鷗外→)語り手,

という物語でしかない。しかし,そうして語るには,語りようのないほど複雑で錯綜した関係そのものが面白いせいかもしれない。このとき,書き手は,作家鷗外に設定された書き手が語っている「わたくし」である。このとき,

(鷗外→)書き手→わたくし

と,書く次元(構造)は,三層になっている。書き手(鷗外自身ではない)は,「わたくし」として,自己を対象化している。「わたくし」について語るところが,一見,史伝の書き手自身の随筆のように見えるが,そうではない。鷗外自身が,自ら書いているには違いないが,この『澀江抽斎』という作品世界に向き合っているのは,鷗外が立てた書き手である。その書き手が,自らを対象化して,「わたくし」をして語らしめていく。

「わたくしは直に保さんの住所を訪ねることを外崎さんにな頼んだ。保と云ふ名は,わたくしは始めて聞いたのでは無い。是より先,弘前から来た書状の中に,かう云ふことを報じて来たのがあった。津軽家に仕へた澀江氏まったく当主は澀江保である。保は広島の師範学校の教員になつてゐると云ふのであつた。わたくしは職員録を検した。しかし澀江保の名は見えない。それから広島高等師範学校長幣原坦さんに書を遣つて問うた。」

「わたくし」は,あくまで作家が立てた「書き手」の立てた「語り手」にすぎない。あるいは,少し約めれば,作家が立てた語り手としてもよい。小説とは,

別の世界への視界を開くこと,

言い換えると,作家が拵えた世界を,目前に見ることである。本書のラストは,

「牛込の保さんの家と,其保さんを,父抽斎の後嗣たる故を以て,終始『兄いさん』と呼んでゐる本所の勝久さんの家との外に,現に東京には第三の澀江氏がある。即ち下渋谷の澀江氏である。
 下渋谷の家は侑の子終吉さんを当主としてゐる。終吉は図案家で,大正三年に津田靑楓さんの門人になつた。大正五年に二十八歳である。終吉には二人の弟がある。前年に明治薬学校の業を終へた忠三さんが二十一歳,末男さんが十五歳である。此二人の生母福島氏おさださんは静岡にいる。牛込のお松さんと同齢で,四十八歳である。」

これを語っているのが,全体の語り手である,書き手の立てた「わたくし」である。

なお本巻所収の他の作品,『寿阿弥の手紙』『細木香以』『小嶋宝素』は,『澀江抽斎』の作品世界の衛星群である。もちろん方法は,『澀江抽斎』と同じである。

参考文献;
森鷗外『澀江抽斎』(鷗外選集第六巻 岩波書店)
石川淳『森鷗外』(ちくま学芸文庫)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年02月24日

顰に倣う


「顰(嚬)み」は,

眉をひそめること,

で,「ひそめる」とは,

(不快な気持ちで)眉のあたりに皺をよせること,

である。「顰」の字が,それをよく表していて,

「頻(ヒン)は,間隔をつめてぎりぎり近寄ること。顰は『卑(低い,ひくめる)+音符頻』で,頭をひくめて,眉の間隔を近寄せることをあらわす」

とある。

顰に倣う,

は,

西施の顰に倣う,

とも言う。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/hi/hisomininarau.html

には,「顰に倣う」とは,

「善し悪しも考えずに、人のまねをする。また、他人と同じ 行動をする際、謙遜して言う言葉としても用いる。」

とあり,その由来は,

「『顰(ひそみ)』は動詞『ひそむ(顰む)』の連用形で、眉間にしわを寄せて顔を しかめることを表す。出典は、中国の『荘子』に見える次のような故事から。中国の春秋時代、越の国に西施(せいし)という美女がいた。西施が胸を病み、顔をしかめているのを見た醜女が、自分も眉間にしわを寄せれば美しく見えると思い、里に帰ってそれを真似た。それを見た人々は、あまりの醜さに気味悪がって.門を固く閉ざして出なくなったり、村から逃げ出してしまったという。そこから、善し悪しも考えずに他人の真似をすることや、他人と同じ行動をする際、見習う気持ちであることを表す謙遜の言葉として、『顰に倣う(西施の顰に倣う)』というようになった。」

と。

西施捧心(ほうしん),

とも言い,

「西施心(むね)を捧ささぐ」

と訓読する,とか。もとは,荘子であるらしい。

http://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-cc6c.html

に,『荘子』・天運篇の一節,

故西施病心而矉其里、其里之醜人見而美之、歸亦捧心而矉其里。
其里之富人見之、堅閉門而不出、貧人見之、挈妻子而去之走。
彼知矉美而不知矉之所以美。

が載る。

故に西施心(むね)を病んで其の里に矉(顰)せるに、其の里の醜人見てこれを美とし、歸(かえ)りて亦た心を捧げて其の里に矉す。
其の里の富人はこれを見、堅く門を閉して出でず、貧人はこれを見、妻子を挈(たずさ)えて去りて走る。
彼は矉を美とするを知るも、矉の美なる所以(ゆえん)を知らず。…

原文に当たっていないし,荘子自体をよく知らないが,これをみる限り,為にする議論に思えてならない。

「この話、『荘子』・天運篇では、孔子が衛の国に遊説に出かけた際、魯の楽師の師金が孔子の弟子の顔淵に、『孔子は周の国で行われたことを魯の国で行っているだけで、水の上を進むための船で陸を進んでいるようなものだ…』、などと批判した後に、上述の西施の例え話をするものである。」

とある。あまりいい例でもないし,喩えとしては筋が悪い。孔子がそういったとは思えないが,もしそうだとしたら,相当に下品である。だから,後世は,

他人に見倣ってすることを謙遜して言うのに使う,

ようになったに違いない。なお,

「『其里之醜人』乃ち『同じ村の醜女』を、『西施』と対照的な不特定人物『東施』とし、『東施倣顰』、『東施顰に倣う』、というようにも使われる。」

というが,更に品がない。

西施.jpg

(西施 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%96%BDより)

西施は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%96%BD

によると,

「本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施→西施と呼ばれるようになった。

越王勾践が、呉王夫差に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されたといわれている。策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。
また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。」

とある。范蠡とは,『太平記』の,児島高徳が,

「天勾践を空しゅうする莫れ 時に范蠡無きにしも非ず」

という句の,范蠡である。勾践は,

臥薪嘗胆,

の,当の人である。なお,国四大美人の一人と呼ばれる西施は,大根足であったとされ,常に裾の長い衣が欠かせなかったといわれている,とか。なお,中国四大美人とは,

西施(春秋時代),
王昭君(前漢),
貂蝉(後漢)(ちょうせん),
楊貴妃(唐),

で,貂蝉は,『三国志演義』に登場する架空の人物。このほかに卓文君(前漢)を加え,王昭君を除くこともあり,虞美人(秦末)を加え、貂蝉を除くこともある,という。西施は,沈魚美人とも言われるが,

「貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光(西施)は谷川で洗濯をしている姿を見出されて越国の王宮へ召しだされた。たとえ乱れ髪で粗末な格好をしていても美しいと評された西施の美貌に迷い、呉の王夫差は越の狙いどおり国を傾けてしまう。彼女が川で洗濯をする姿に見とれて魚達は泳ぐのを忘れてしまったと言われる。俗説では、大足が欠点であったという。なお、最初と呼ばれる沈魚美人は毛嬙。」

とある。四大美人については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9B%9B%E5%A4%A7%E7%BE%8E%E4%BA%BA#%E6%B2%88%E9%AD%9A%E7%BE%8E%E4%BA%BA

に詳しい。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9B%9B%E5%A4%A7%E7%BE%8E%E4%BA%BA#%E6%B2%88%E9%AD%9A%E7%BE%8E%E4%BA%BA
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%83%E8%A0%A1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%96%BD
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年02月25日

むべ


「むべ」は,

宜なるかな,

の「むべ」である。

「うべに同じ」

とある。「うべ」は,

宜,
諾,

とあて,

もっともであること,
なるほど,

の意であり,副詞として,

肯定する意に言う語,

で,

なるほど,
道理である,

という意味で使う。『広辞苑』には,

「宜宜(むべむべ)し」

も載り,

いかにももっともである,
格式ばっている,

という意味で,『岩波古語辞典』には,

「『うべうべし』を平安時代以後,普通にmbembesiと発音したので,それを仮名で書いたもの」

とある。「うべうべし」は,

おももち・声づかひ,うべうべしくもてなしつつ」(『源氏物語』)

という用例があり,さらに,

うべしこそ,

という言い回しもあったらしい。

「ウベに間投助詞シ,係助詞コソをつけて強めた表現」

で,

「これやこの天の羽衣うべしこそ君がみけしとたてまつりけれ」(『伊勢物語』)

という用例が載る。

『岩波古語辞典』には,「むべ」について,

「『うべ』を平安辞退以後,普通にmbeと発音したので,それを仮名で書いたもの」

とあり(「うべ」はubë),「うべ」の項では,

「ウは承諾の意のウに同じ。ベはアヘ(合)の転か。承知する意。事情を受け入れ,納得・肯定する意。類義語ゲニは,諸説の真実性を現実に照らして認める意。」

とある。しかし,『大言海』は,

「得可(うべ)の義。肯(うけ)得べき理(ことわり)の意。為可(すべ)と同趣」

とある。どちらも,意味は同じのようだが,是非を判断する材料はない。

「むべなるかな」の「むべ」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%99

のいう,

ムベの実.jpg



「ムベ(郁子、野木瓜、学名:Stauntonia hexaphylla)は、アケビ科ムベ属の常緑つる性木本植物。別名、トキワアケビ(常葉通草)。方言名はグベ(長崎県諫早地方)、フユビ(島根県隠岐郡)、ウンベ(鹿児島県)、イノチナガ、コッコなど。」

の「ムベ」でもある。この「ムべ」も,また,

ウベ,

とも言う。『大言海』は「和訓栞」を引いて,

「郁子『苞苴(おほにへ),おほんべ,うんべ,うべ』」

の転訛を取っているが,

http://blog.goo.ne.jp/33bamboo/e/34faaa5d7e4df49eb476d58d395eef16
https://rocketnews24.com/2015/11/25/669653/

等々に,

「天智天皇が8人の子供を持つ大変元気で健康的な老夫婦に出会い、『汝ら如何に斯く長寿ぞ』と長寿の秘訣を尋ねたところ、老夫婦は『この地で取れる無病長寿の霊果を毎年秋に食します』と言いながら果実を差し出した。天智天皇は一口食べ、『むべなるかな』と応えられた」

により,この果物が「ムベ」と呼ばれるようになったという,とある。俗説だが,もっともらしいのは,「ムベ」が「ウベ」とも言うところにある。

http://www.sankei.com/west/news/151110/wst1511100067-n2.html

によると,

琵琶湖南部の蒲生野(かもうの)(現滋賀県東近江市一帯)、奥島山(現近江八幡市北津田町)

であるとされ,

「以来、毎年秋になると同町の住民から皇室にムベが献上されるようになったとされる。平安時代に編纂された法令集『延喜式』31巻には、諸国からの供え物を紹介した『宮内省諸国例貢御贄(れいくみにえ)』の段に、近江国からフナ、マスなどの琵琶湖の魚とともに、ムベが献上されていたという記録が残っている。」

という。しかし,『日本語源広辞典』には,「ムベ」は,

「朝廷に献上したオオニエ(大贄)が語源です。オオニエ→オオムベ→ウムベ→ムベの変化です。」

とあり,『大言海』の引く「和訓栞」と一致するし,『日本語源大辞典』も,

オニヘ(御贄)の転(晴翁漫筆),
朝廷に献上したので(大贄)・オオムベと言い,ウムベ・ムベと転じた(牧野新日本植物図鑑),

と,「大贄」か「御贄」説を採る。これが妥当だろう。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%99

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
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2018年02月26日

げに


「げに」は,

実に,

とあてる。

まことに,いかにもそのように,
現実に,実際に,

という意味である。前者の意味なら,

実(じつ)に,

というのと同じだし,後者の意味なら,

現(げん)に,

というのと変わらない。『広辞苑』には載らないが,『デジタル大辞泉』は,

「『げん(現)に』の音変化という」

とする。その説明がわかりやすい。

1 ある事柄に対する自分の評価・判断を肯定して、さらに強調する気持ちを表す。本当に。実に。全く。
2 他人の評価・判断に接して、納得し、賛同する気持ちを表す。なるほど。いかにも。

「むべ」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/457150199.html?1519504865

で触れたように,『岩波古語辞典』は,「うべ」の項では,

「ウは承諾の意のウに同じ。ベはアヘ(合)の転か。承知する意。事情を受け入れ,納得・肯定する意。類義語ゲニは,諸説の真実性を現実に照らして認める意。」

とある。「むべ(うべ)」は,個人としての同意を表現しているのに対して,「げに」には,その現実性と,実際度を同意している,という含意の差ということになる。

http://manapedia.jp/text/4121

は,その意味を,

意味1 (他人の言葉や前述の内容をうけて) なるほど、いかにも。
[出典]:枕草子 清少納言
「あはれなることなど、人のいひ出で、うち泣きなどするに、げにいとあはれなりなど聞きながら、涙のつと出で来ぬ、いとはしたなし。」

意味2(ある事象を現実だと認めて) 本当に。
[出典]:発心集
「このこと、げにとおぼえず。」

意味3(文意を強調して) 実に、まったく。

[出典]:源氏物語 紫式部
「...いと恥づかしうなむ」とて、げにえ堪ふまじく泣いたまふ。 」

と,整理しているのが,わかりやすい。

さて,語源であるが,やはり,『岩波古語辞典』も『大言海』も,

「現にの転」
「現にの約」

としている。『大言海』は,さらに,

「見参(げんざん),げざん。菊の宴,きくのえ」

と,「ん」を約める用例を挙げる。『日本語源広辞典』も,

「『ゲン(現)に』から,nが脱落した語」

としている。『日本語源大辞典』も,

ゲン(現)ニの約(名語記・和句解・雅言集覧・大言海),
「顕」の字音からか(和訓栞),
ヨゲ(善気)ニ,アリゲ(有気)ニなどの上略のゲ(気)が独立した語か(国語の語根とその分類=大島正健),

と載せる。ゲ(気)説は,用例での「げに」とは意味が少し違いすぎる気がする。

で,「現に」が語源として,「現に」はどこから来たのか。「現に」は,

まのあたりに,実際に,

という意味だが,それなら,和語で言うなら「うつつ」のはずである。「げん」と訓むのは,漢字「現」から来ているということになる。『日本語源広辞典』は,「げん(現)」は,

「中国語の『王(玉)+見(あらわれる)』が語源」

とする。「現」は,『広辞苑』に,

あらわれること,姿・形・内容をあらわすこと,
(仏)現世または現在の略,
今この世にあること,まのあたりにしていること,実際にあること,

と意味が載る。「現」の字は,

「『玉+音符見』で,玉が見えることを示す。見は『みる』『みえる』を意味したが,特に『みえる』の意味を表すため,現の字がつくられた」

とある。

あらわれる,今まで見えなかったものがみえるようになる(古典では見で代用する),
(ゲンニ)副詞,実際に形をとって,目に見えて,
今の,現在の,
「現在」とは,そこに見えて存在することから,転じていまの意,

という意味は,上記『広辞苑』の「現」の意味と重なる。とすると,

げに,

は,中国由来の「現に」から来たのだとして,なぜ,「げに」に,

現に,

を当てず,

実に,

と当てたのだろうか。考えられるのは,

げんに→げに,

と転訛した後,その意味から「実」を当てはめたのではないか。「現に」は,

いま目の前に明らかになっている,

という意味なのに,「げに」は,必ずしも「現実」というよりは,主観的に「もっとも」と言っているに過ぎない意味に変化している。「實(実)」の字は,

「『宀(屋根)+周(一杯)+貝(たから)』で,家の中に財宝をいっぱい満たす意を示す。中身がいっぱいで,欠け目がないこと。また,真(眞)(中身が詰まる)は,その語尾がnに転じたことば」

で,

まことに,
ほんとうに,

の意味で使われる。「げんに→げに」と意味が主観的な返事へと変ったところでは,「実」は適切な当て字なのかもしれない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

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http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

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ラベル:げに 実に 現に
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2018年02月27日

対象化


第89回ブリーフ・セラピー研究会 定例研究会『家族療法―多世代理論を学ぶ』に参加してきた。実践とは程遠い立場で,頭だけの理解かもしれないが,僕なりに整理してみることにした。

今回は,システム論による家族療法シリーズの第一回目として,を取り上げているが,平木典子先生からのご案内には,

「家族療法は、関係性を重視するシステム理論を基礎にしながら、家族のどの側面からアプローチするかによって学派が分かれています。今回のシリーズ『家族療法』で私が担当する多世代理論の特徴は、家族関係を家族の発達とシステムの歴史的な側面から理解し、少なくとも3世代の関係性を中心に支援しようとするところです。世代の異なる家族メンバーの関係を個人の心理的成長の歴史も含めて理解しようとするところは、個人療法中心に臨床活動をしている臨床家にも世代間関係を重視する日本人にもなじみやすいと思われ、私の臨床実践の中核ともなってきました。個人療法の事例を家族関係の視点から理解するための入門としても参考になるでしょう。」

とあり,その代表として,

ボーエン(Bowen, M.)の自然システム理論の鍵概念と主要技法,
ナージ(Boszormenyi-Nagy, I.)の文脈療法の鍵概念と主要技法,

を取り上げた,という内容になる。

家族をシステムとして見る,

つまり,

家族を個々の成員が互いに影響を与えあうひとつのシステムとして考える,

という家族療法のアプローチでも,それをどういう切り口で見るか,によって派が分かれるようであるが,今回は,

家族を多世代にわたる歴史的集団の関わり,

として理解する,いわゆる,

多世代派,

を取り上げている。その特色は,平木先生のレジュメによると,

①家族の発達,歴史,時間の流れ,世代間の視点から(少なくとも三世代の拡大家族システムの中で),理解する,
②親の源(原)家族との関係を理解する(「親もかつて子どもであった」)
③過去や前の世代を問題の原因とは考えない,
④個人のライフサイクルと家族のライフサイクルの重なりを重視,

とあり,特に,③は,

「世代を経て誰もが受け継いでいる解消されていない痛み,苦しみ,頑張りなどをセラピストも家族も理解し,家族の相互影響過程を促進し,癒していく」

とある。まさに,

その人の背負っているもの(受け継いでいる解消されていない痛み,苦しみ,頑張り)を,肯定も否定も,承認もせず,受けとめる,

アクノリッジ(acknowledge)する,

ということに尽きる。ある意味,自分を,

家族という関係性の中に置いて眺める,

つまりメタ・ポジションから見るということを通して,自身も家族も,それぞれを確認する,ということなのかもしれない。ボーエンは,それを,

自己分化,

というキー概念で,ナージは,

公平さ,

というキー概念で,アプローチして行こうとする。自己分化は,

differentiation of self

であり,人間の活動も生物と同様,「自然過程に規制」されており,

情緒システムと知的システムの分化のプロセス,

として見ようとする。例えば,生まれたばかりの赤ん坊は,情緒システムオンリー(平木先生はそれを右脳と喩えられた)で,そこから知性システム(左脳)へとシフトしていく,という考え方で,分化度が低いほど,情緒システムに支配されやすい,ということになる。別の言葉で言うと,

自己対象化,

のレベル,ということになる。その意味では,家族を客体化することを通して,自分自身を対象化することを促す,ということなのではあるまいか。当然,そこに言い悪いはない。そういう家族システムの中で,自分が何を背負ってきたかを,

言語化する,

ということなのかもしれない。改めて,セラピーの場で,家族とセラピストとの関係性の中で,

言葉を結び合うことを学び直す,

そのこと自体が,自己対象化を促す。それが知性システムを活性化する。やはり,どこか強く,フロイトの系譜を継いでいることがわかる。分化程度を見ていくのに,関係性をメタ化する技法として,三角(者)関係を図解し,二者関係での問題を,三者関係化(巻き込まれる)で見て行こうとするものがある。

似た分化度のものがパートナーとなりやすい,
親の分化度が子に伝わる,
不安定な二者関係は,三者関係化することで安定する(それは自己分化の程度が低いため第三者で代替させる),
分化度が低いと,横の関係の代わりに他の人を介在させる,

等々,自分を対象化することを強いられて,結構身につまされてくる技法ではある。

ナージのキー概念は,

公平さ,

は,少しわかりにくかった。正確には,

関係の倫理としての公平さ,

という表現で,

相互作用しているメンバーが維持しようと努める努力(心理的遺産),

とある。

「教えられなくても不公平は感じる」

という。生きてきた過去を振り返りつつ,それを,

正当に評価する場としてのセラピー,

なのだ,という。そういう会話のシーンを通して,その人が背負ってきたものを認める,という機会とする,ということでもある。そういう背負っているものを考える概念に,

忠誠心,

という概念がある。ちょっと誤解されやすいが,

個人が対象に向ける積極的な信頼や態度,

とある。

子どもの問題行動は,無意識の(親への)忠誠心,
虐待されてきた人は,子どもとの関わり方を虐待しか知らないので,虐待してしまう,
離婚して母親に引き取られた父親への隠れた忠誠心,

等々。あるいは,「破壊的権利付与」という概念がある。

「あたかも破壊的権利をもってもいいということを授けられたように振る舞う」

という。その人は,他人からは,他者への感受性,関心が欠けているように見える。例えば,こんなケースを紹介された。

六歳で両親を失って,自分の力だけで自立し,今日家庭を築いた男性は,19歳の息子のことを訴えてきた。母親は,いろいろ心配し,あれこれ気を使うが,父親は,あまり関心を示すように見えない。父親は「だって19歳なんだから,自分で考えているだろう」という。で,その人の生い立ちを聞くと,六歳で両親と死別し,一人で何とか自立し,家庭を築いてきた。母親は,それを初めて耳にした。父親にとっては,苦労を苦労とも思わずひとりで生きて来て,情をかけてもらうという経験がないから情をかけるということを知らない。

ともすれば,そういう冷たいパーソナリティと見られてしまうものを,それが,

どうしてつくられてきたのか,どう一生懸命生きてきたか,どうしてそういう対応しかできないのか,

を,みんなの前で明らかにし,認め,表現する場としてセラピーを見なそうという考え方である。

「表現されることで葛藤が起きる」

ケースの夫婦は,「初めて,帰りに二人で喫茶店へ行った」という。他人の前でオープンにできないことを言語化することで,その人の背負っているものを認める。そのことで,関係性に影響が出る。

ボーエンとナージの切り口は,違うが,その人が背負っているものを,一人の中に(完結させれば単なるパーソナリティになってしまうものを)完結させず,世代を超えた関係の中に配置することで,自分を,

対象化,

することで,自分を,さらに,相手を,関係を見る視点が揺らぐ。場合によっては,

背負いきれないものを背負っている自分(相手),

に,気づいたり,

背負うべきことでないものを背負っている自分(相手),

に,気づく。人のものの見方は,見え方を変えなくては変わらない。見え方を変えるには,いつもと違うように見るしかないポジションに立たざるをえないようにするというのは,鉄則のようである。

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2018年02月28日

あんちょこ


「あんちょこ(アンチョコ)」は,

安易にちょこっと参照する,

といった意味の略語だと思っていたが,

「アンチョク(安直)の訛」

とか。『広辞苑』には,

「教科書で学習する要点が記されていて,自分で調べたり考えたりする必要のない参考書,虎の巻」

とあるが,「あんちょこ」と「虎の巻」とでは少しニュアンスが違う気がする。「虎の巻」は,『広辞苑』には,

「中国の兵法書『六韜(りくとう)』の虎韜巻から出た語」

とあり,

兵法の秘伝を記した書,
転じて,秘事・秘伝の書,
講義などの種本,
教科書の安直な学習書,

等々と,転じて転じて,とうとう「あんちょく」とほぼ重なったということか。『岩波古語辞典』を見ると,

「中世に流布した兵書四十二巻のうち,もっとも重要とされた一巻の名」

とある。これが,「虎韜巻」ということになる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/to/toranomaki.html

には,「虎の巻」について,

「虎の巻は、中国の兵法書『六韜(りくとう)』から出た言葉。 六韜は文・武・竜・虎・豹・犬の六巻からなり、そのうちの兵法の奥義が記された秘伝書『虎韜の巻(ことうのまき)』の名が略され、『虎の巻』となった。 虎の巻は本来の意味から、単に秘伝書の意味に転じ、教科書の解説本などの意味で使われるようになった。」

とある。「六韜」の「韜」の字は,

「右側の字(音 トウ)は,外枠の中へいれる,枠の中でこねること。韜はそれを音符とし,韋(なめしがわ)を加えた字。かわをそとにめぐらせてその中に包見込む意」

で,「弓や剣を入れておくふくろ」から,「包んで隠す」,「中に隠す」という意で,「韜」は秘伝の意(『日本語源広辞典』)らしい。「六韜」については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%9F%9C

に詳しいが,

「中国の代表的な兵法書で、武経七書の一つ。このうちの『三略』と併称される。『韜』は剣や弓などを入れる袋の意味である。一巻に『文韜』『武韜』、二巻に『龍韜』『虎韜』、三巻に『豹韜』『犬韜』の60編から成り、全編が太公望呂尚が周の文王・武王に兵学を指南する設定で構成されている。中でも『虎の巻(虎韜)』は、兵法の極意として慣用句にもなっている。」

とあり,

「平野部での戦略、武器の使用法についての記述」

があるとか。とうとう「あんちょこ」と同義まで落ちたが,「あんちょこ」は,『日本語源広辞典』に,

あんちょく,
チョク,
チャーク,
チョコ,
虎の巻,
トラ,

等々とも呼ばれるらしい。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/01a/ancyoko.htm

には,

「あんちょことは『安直(あんちょく)』が変化した言葉で、教科書を解説した参考書のことである。教科書を転写したものに語句や公式など要点を解説したり、教科書にある問題を解説したものが多い。自習参考書とも呼ばれるように、本来は予習・復習など自習のために作られたものだが、宿題として出された教科書の問題を手っ取り早く済ませるために購入する者も多い。あんちょこという呼び方は昭和初期から使われており、俗な呼び方の中では最も広く使われている。また、一般的には教科書ガイドと呼ばれている。」

とあり,昭和初期から使われていたようだ。

https://ameblo.jp/kujoyuiko/entry-11540502270.html

には,「安直」の意味を,

「1.値が安いこと。金がかからないこと。
 2.十分に考えたり、手間をかけたりしないこと。」

としているが,そうではない気がする。「虎の巻」同様,「あんちょこ」も,「安直に」作られたものは,所詮それだけのものではないのか。

「あんちょこ」に似たことばに,

カンペ,

というのがある。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/06ka/kanpe.htm

には,

「カンペとはカンニングペーパーの略で、試験の際、カンニングに利用するための公式や歴史の年号、英単熟語などが書かれた紙切れを意味した(ちなみにカンニングペーパーも和製英語です。英語では"crib sheet"や"cheat sheet"という)。ここからTV番組で司会者など出演者に台本内容や構成を掲示するための紙(主にスケッチブック)のこともカンペと呼ぶ(歌番組では歌詞が書かれたカンペを見て歌う歌手もいる)。このカンペは基本的にTV画面に映らないものだが、近年のバラエティー番組では、あえてカンペを持ったADを映すことで笑いをとるものもある。」

とあるが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%9A

には,

「テレビ番組などの収録で用いられる用語で、台詞や番組進行などをカメラに写らない位置に掲示し、演者に伝えるための大きな用紙・スケッチブックのこと。語源は『看板ペーパー』(紙で作られた看板)であるが、発音や音素から、カンニング・ペーパーの略語と誤解される場合も多い。看板ペーパーの『看板』は、『Kanban(英語版)』として、日本語に由来する英単語の一つとなっている。
(他方)暗記を評定する試験の際に、受験者が不正に用いる紙片やメモのこと(をいうカンペは),カンニング・ペーパーの略語であるが、舞台芸術の分野でいう『カンペ』とは、その意味も語源も異なるため、混同しないよう注意が必要である。」

と,

「看板ペーパー」(紙で作られた看板)

のカンペと,

カンニング・ペーパーの略語,

のカンペとは,語源が異なるらしい。カンニングという意味では似ている,

プロンプター,

という言葉がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%BF%E3%83%BC_(%E8%88%9E%E5%8F%B0%E8%8A%B8%E8%A1%93)

には,

「プロンプター(英: [名] prompter, [動] to prompt)とは、舞台演劇において、出演者が台詞や立ち位置、所作を失念した場合に合図を送る(プロンプトを行う)ことを役割とする舞台要員(スタッフ)のこと。」

として,

「プロンプターの必要性、すなわち舞台上で俳優が台詞等を失念する可能性は、演劇の誕生とともにあったと考えるのが自然である。ただし、古代ギリシャや古代ローマでの古典演劇では、誰がどのようにしてプロンプトを行っていたのかに関しての資料が乏しい。
現代の演劇公演においては、プロンプトは舞台監督の職責の一部と考えられている。舞台監督は通常上手(かみて)袖の部分に設けられた『プロンプト・コーナー』あるいは『プロンプト・デスク』と呼ばれる場所(劇場や演目の規模に応じて、文字通り単なる小机であることも、各種機材の設置されたブースであることもある)に位置し、照明・音響などの合図(キュー出し)を行うとともに、俳優が台詞や動作を失念した場合にはその「きっかけ」を与えて助ける。」

とある。こうなると,もうカンニングというより,システム化したカンペに近い。これをシステム化したものが,今日の,原稿表示用機器としての,

プロンプター,

で,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%BF%E3%83%BC_(%E9%9B%BB%E6%B0%97%E6%A9%9F%E5%99%A8)

に,

「プロンプター、テレプロンプターとは、放送・講演・演説・コンサートなどの際に、電子的に原稿や歌詞などを表示し、読み手や演者を補助するための装置・システムを指す。」

とあり,

「プロンプターと呼ばれるシステムには、大きく分けて3通りの種類がある。いずれの場合もパソコンからの原稿映像を離れた場所にある液晶モニタなどに映し出して使用する。ビデオカメラの場合はレンズの前に液晶ディスプレイとハーフミラーが組込まれており、演説などの場合はハーフミラーが演台の前にセットされる。またコンサートなどではステージと客席の間に大型のディスプレーを配置する。」

とか。ここまでくると,「あんちょこ」もばかにはならない。

プロンプター.jpg



参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

posted by Toshi at 05:13| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする