2018年02月23日

メタ小説


森鷗外『澀江抽斎』を再読。

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以前読んだとき,恥ずかしながら,人の死が連ねられているという印象が強く残っていた。人との関わりのネットワークよりは,その終末に強く印象づけられていた。世の中では,この作品が,史伝の中にカテゴライズされているらしいことを,ほぼ疑わなかった。しかし,今回,ひどく面白く読んだ。前回とは全く印象が違う。これは,

書くことを書く,

というメタ・ポジションからのものだと,気づいたからだ。今日なら,おのれが書いているものについて,書くなどということは,奇異でも特異でもない。しかし鷗外が新聞連載(これが新聞連載されていたことに驚くが)当時はどうであったか。困り果てて,史伝とするしかなかったのではないか。

本巻の解説(小堀桂一郎)は,こう書いている。

「著者はこの伝記の稿に筆を下すに当たって,先ず如何にして自分がこの作品の主人公とめぐりあったか,どうしてその人に関心をいだき,伝記を立てる興味をおこしたか,そしてこの著述に如何にして着手し,史料は如何にして蒐め,また如何にして主人公に就いての知識を拡大して行ったか,その筋みちを詳しく説明してゐるのである。言ってみれば著者はここで伝記作者としての自分の舞台裏をなんのこだわりもなく最初から打ち明けて見せてゐるのであり,著述を進めてゆく途上に自分が突き当たった難渋も,未解決の疑問も,一方探索を押し進めてゆく際に経験した自分の発見や疑問解決の喜びをも,いささかもかくすことなく筆にしてゐる。これは澀江抽斎といふ人の伝記を叙述してゐると同時に,澀江氏の事蹟を探ってゆく著者の努力の経過をもまた,随筆のやうな構へを以て淡々と報告してゆく,さうした特異な叙述の方法にもとづいて書かれた伝記である。」

伝記という概念から脱せられないから,「特異」といい,「特異の研究方法」(永井荷風)ということになる。しかしこの解説者自身がすでに書いている,

「澀江抽斎といふ人の伝記を叙述してゐると同時に,澀江氏の事蹟を探ってゆく著者の努力の経過をもまた,随筆のやうな構へを以て淡々と報告してゆく,さうした特異な叙述の方法」

こそが,書くことのメタ化ではないか。つまり,

書くことを書く,

である。これが鷗外の発明かどうかは知らない。しかし,鷗外は,短編『追儺』,未完の『灰燼』で,既に,小説を書く(書こうとすること)を書く,ことを試みている。だから,石川淳は,

「作者はまず筆を取って,小説とはどうして書くものかと考え,そう考えたことを書くことからはじめている。ということは,頭脳を既成の小説概念から清潔に洗っていることである。(中略)前もってたくらんでいたらしいものはなに一つ持ちこまない。…味もそっけも無いようなはなしである。…しかし『追儺』は小説というものの,小説はどうして書くかということの,単純な見本である。これが鷗外四十八歳にして初めて書いた小説である。」

と書いている。石川淳が,これを処女作としたのは,いかに書くかをめざして初めて書いた小説からだ。小説という既成の概念を前提に,物語を語るのではなく,

書くとはどういうことかを書きながら,書いていった,

という意味で初めての小説だ,という意味だ。『追儺』で,

「小説といふものは何をどんなふうに書いても好いものだといふ断案を下す」

と。それは,鷗外が,初めて自分の書く世界を,『追儺』で手掛りをえた,と言い換えてもいい。その先の試みの『灰燼』は失敗した。しかし,その上に,『澀江抽斎』がくる。

『澀江抽斎』を読んで,何気なく見過ごしていけないのは,鷗外は,初めから,シーケンシャルに,抽斎について調べていくプロセスをそのまま書くことを通して,澀江抽斎という世界を描こうと意図していたということだ。この方法は,意図されている。調べ終わってから,抽斎について書くことを書く,などという書き方ではないのである。最初から,抽斎を書こうとする自分自身を書き,そこで調べている自分を書き,さらに,調べ上げた抽斎について書く,ということ意図して,第一行から書き始めている。でなくて,こういう世界を描くということは,ほぼできないのである。鷗外は,意識して,書くことを書くとしたのかどうか,その方法を意識していたかどうかはともかくとして,『追儺』の方法をなぞるようにして,「書くことを書く」(書くを書く)を始めるつもりで書き出しているのである。

書くを書くとは,小説を書く書き手を書きつつ,作品世界の語り手をも書く,ということだ。そこでは,作家は,小説世界を構築する書き手を対象化しつつ,その書き手をして,小説世界を語らせる,そこまでを書く。それは,中里介山が,『大菩薩峠』の作中で,自分の小説が世界一の長さだなどと,ポロリをおのれの自慢を書きつらねたこととは,天と地ほどに,根本的に違う,小説をいかに書くかという小説の方法そのものを書くことなのだ,と僕は思う。しかし,

「鷗外自身は前期のいわゆる小説作品よりもはるかに小説に近似したものだとは考えていなかったようである。たしかに従来の文学的努力とは性質のちがった努力がはじめられていたにも係らず,そういう自分の努力と小説との不可分な関係をなにげなく通り越して行ったらしい点に於て,鷗外の小説観の一端がうかがわれるであろう。それはまたこの偉大な功業を立てた文学者の論説中小説論の見るべきものがない所以であろう。」

石川淳が書くように,鷗外自身は,史伝を書いていたつもりかもしれない。しかし,少なくとも,

澀江抽斎を調べている自分をも描くことを通して,明らかになっていく澀江抽斎像を書いていく,

ということを,方法論としては意識化しないまま,無意識のうちに,ある閾を,

なにげなく通り越して行った,

らしいのである。

『澀江抽斎』の冒頭は,こうである。

「三十七年如一瞬。学医伝業薄才仲。栄枯窮達任天命。安楽換錢不患貧。これは澀江抽斎の述志の詩である。想ふに天保十二年の春に作つたものであろう。弘前の城主津軽順承の定府の医官で,当時近習詰になつてゐた。しかし隠居附にせられて,主に,柳島にあつた信順の館へ出仕することになつてゐた。父允成が致仕して,家督相続をしてきから十九年,母岩田氏縫を喪つてから十二年,乳を失つてから四年になつている。」

この時,この文の語り手は,鷗外の設定した書き手である「わたくし」の設定した語り手である。このとき,

(鷗外→)書き手→わたくし→語り手,

と,語りの構造(次元)は,厳密には,四層になっている。つまり,語られている中味から言うと,

語られている澀江抽斎←を語っている語り手←を語っている「わたくし」←を書いている書き手(←を書いている鷗外),

となる。鷗外は,自分の書こうとする世界を,

澀江抽斎の史伝的世界を語る「わたくし」と,その「わたくし」を語る書き手,

を,設定しているのである。書くということについて,そこまで自覚的であったかどうかは別にして,書く世界に向き合った時,作家と,大なり小なり,自分が向き合う「世界」をどう語るか,逆に言うと,「世界」とどう向き合って,その「世界」を独立した対象とするかを工夫する。鷗外は,この世界のあり方を,冒頭で,既に顕現しているのである。

石川淳は,こう評している。

「『抽斎』『蘭軒』『霞亭』はふつう史伝と見られている。そう見られるわけは単にこれらの作品を組み立てている材料が過去の実在人物の事蹟に係るというだけのことであろう。いかにも史伝ではある。だが,文章のうまい史伝なるがゆえに,ひとはこれに感動するのではない。作品の世界を自立させているところの一貫した努力がひとを打つのみである。」

「作品の世界を自立させている」仕掛けこそが,まさに,この語りの多次元化である。

他方,書き手が対象化した「わたくし」について書くとき,

「わたくしが抽斎を知ったのは奇縁である。わたくしは医者になって大学を出た。そして官吏になつた。然るに少い時から文を作ることを好んでゐたので,いつの間にやら文士の列に加えられることになつた。其文章の題材を,種々の周囲の状況のために,過去に求めるやうになつてから,わたくしは徳川時代の事蹟を捜つた。そこに武鑑を検する必要が生じた。」

となる。あくまで,過去を題材に小説を書こうとする流れの中で,鷗外は,『澀江抽斎』を書いた。しかし,鷗外は,『興津彌五右衛門』『阿部一族』等々とは異なり,いきなり「物語世界」を現在化させる語り口を取らなかった。このときは,

(鷗外→)語り手,

という物語でしかない。しかし,そうして語るには,語りようのないほど複雑で錯綜した関係そのものが面白いせいかもしれない。このとき,書き手は,作家鷗外に設定された書き手が語っている「わたくし」である。このとき,

(鷗外→)書き手→わたくし

と,書く次元(構造)は,三層になっている。書き手(鷗外自身ではない)は,「わたくし」として,自己を対象化している。「わたくし」について語るところが,一見,史伝の書き手自身の随筆のように見えるが,そうではない。鷗外自身が,自ら書いているには違いないが,この『澀江抽斎』という作品世界に向き合っているのは,鷗外が立てた書き手である。その書き手が,自らを対象化して,「わたくし」をして語らしめていく。

「わたくしは直に保さんの住所を訪ねることを外崎さんにな頼んだ。保と云ふ名は,わたくしは始めて聞いたのでは無い。是より先,弘前から来た書状の中に,かう云ふことを報じて来たのがあった。津軽家に仕へた澀江氏まったく当主は澀江保である。保は広島の師範学校の教員になつてゐると云ふのであつた。わたくしは職員録を検した。しかし澀江保の名は見えない。それから広島高等師範学校長幣原坦さんに書を遣つて問うた。」

「わたくし」は,あくまで作家が立てた「書き手」の立てた「語り手」にすぎない。あるいは,少し約めれば,作家が立てた語り手としてもよい。小説とは,

別の世界への視界を開くこと,

言い換えると,作家が拵えた世界を,目前に見ることである。本書のラストは,

「牛込の保さんの家と,其保さんを,父抽斎の後嗣たる故を以て,終始『兄いさん』と呼んでゐる本所の勝久さんの家との外に,現に東京には第三の澀江氏がある。即ち下渋谷の澀江氏である。
 下渋谷の家は侑の子終吉さんを当主としてゐる。終吉は図案家で,大正三年に津田靑楓さんの門人になつた。大正五年に二十八歳である。終吉には二人の弟がある。前年に明治薬学校の業を終へた忠三さんが二十一歳,末男さんが十五歳である。此二人の生母福島氏おさださんは静岡にいる。牛込のお松さんと同齢で,四十八歳である。」

これを語っているのが,全体の語り手である,書き手の立てた「わたくし」である。

なお本巻所収の他の作品,『寿阿弥の手紙』『細木香以』『小嶋宝素』は,『澀江抽斎』の作品世界の衛星群である。もちろん方法は,『澀江抽斎』と同じである。

参考文献;
森鷗外『澀江抽斎』(鷗外選集第六巻 岩波書店)
石川淳『森鷗外』(ちくま学芸文庫)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

posted by Toshi at 05:25| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする