2018年02月27日

対象化


第89回ブリーフ・セラピー研究会 定例研究会『家族療法―多世代理論を学ぶ』に参加してきた。実践とは程遠い立場で,頭だけの理解かもしれないが,僕なりに整理してみることにした。

今回は,システム論による家族療法シリーズの第一回目として,を取り上げているが,平木典子先生からのご案内には,

「家族療法は、関係性を重視するシステム理論を基礎にしながら、家族のどの側面からアプローチするかによって学派が分かれています。今回のシリーズ『家族療法』で私が担当する多世代理論の特徴は、家族関係を家族の発達とシステムの歴史的な側面から理解し、少なくとも3世代の関係性を中心に支援しようとするところです。世代の異なる家族メンバーの関係を個人の心理的成長の歴史も含めて理解しようとするところは、個人療法中心に臨床活動をしている臨床家にも世代間関係を重視する日本人にもなじみやすいと思われ、私の臨床実践の中核ともなってきました。個人療法の事例を家族関係の視点から理解するための入門としても参考になるでしょう。」

とあり,その代表として,

ボーエン(Bowen, M.)の自然システム理論の鍵概念と主要技法,
ナージ(Boszormenyi-Nagy, I.)の文脈療法の鍵概念と主要技法,

を取り上げた,という内容になる。

家族をシステムとして見る,

つまり,

家族を個々の成員が互いに影響を与えあうひとつのシステムとして考える,

という家族療法のアプローチでも,それをどういう切り口で見るか,によって派が分かれるようであるが,今回は,

家族を多世代にわたる歴史的集団の関わり,

として理解する,いわゆる,

多世代派,

を取り上げている。その特色は,平木先生のレジュメによると,

①家族の発達,歴史,時間の流れ,世代間の視点から(少なくとも三世代の拡大家族システムの中で),理解する,
②親の源(原)家族との関係を理解する(「親もかつて子どもであった」)
③過去や前の世代を問題の原因とは考えない,
④個人のライフサイクルと家族のライフサイクルの重なりを重視,

とあり,特に,③は,

「世代を経て誰もが受け継いでいる解消されていない痛み,苦しみ,頑張りなどをセラピストも家族も理解し,家族の相互影響過程を促進し,癒していく」

とある。まさに,

その人の背負っているもの(受け継いでいる解消されていない痛み,苦しみ,頑張り)を,肯定も否定も,承認もせず,受けとめる,

アクノリッジ(acknowledge)する,

ということに尽きる。ある意味,自分を,

家族という関係性の中に置いて眺める,

つまりメタ・ポジションから見るということを通して,自身も家族も,それぞれを確認する,ということなのかもしれない。ボーエンは,それを,

自己分化,

というキー概念で,ナージは,

公平さ,

というキー概念で,アプローチして行こうとする。自己分化は,

differentiation of self

であり,人間の活動も生物と同様,「自然過程に規制」されており,

情緒システムと知的システムの分化のプロセス,

として見ようとする。例えば,生まれたばかりの赤ん坊は,情緒システムオンリー(平木先生はそれを右脳と喩えられた)で,そこから知性システム(左脳)へとシフトしていく,という考え方で,分化度が低いほど,情緒システムに支配されやすい,ということになる。別の言葉で言うと,

自己対象化,

のレベル,ということになる。その意味では,家族を客体化することを通して,自分自身を対象化することを促す,ということなのではあるまいか。当然,そこに言い悪いはない。そういう家族システムの中で,自分が何を背負ってきたかを,

言語化する,

ということなのかもしれない。改めて,セラピーの場で,家族とセラピストとの関係性の中で,

言葉を結び合うことを学び直す,

そのこと自体が,自己対象化を促す。それが知性システムを活性化する。やはり,どこか強く,フロイトの系譜を継いでいることがわかる。分化程度を見ていくのに,関係性をメタ化する技法として,三角(者)関係を図解し,二者関係での問題を,三者関係化(巻き込まれる)で見て行こうとするものがある。

似た分化度のものがパートナーとなりやすい,
親の分化度が子に伝わる,
不安定な二者関係は,三者関係化することで安定する(それは自己分化の程度が低いため第三者で代替させる),
分化度が低いと,横の関係の代わりに他の人を介在させる,

等々,自分を対象化することを強いられて,結構身につまされてくる技法ではある。

ナージのキー概念は,

公平さ,

は,少しわかりにくかった。正確には,

関係の倫理としての公平さ,

という表現で,

相互作用しているメンバーが維持しようと努める努力(心理的遺産),

とある。

「教えられなくても不公平は感じる」

という。生きてきた過去を振り返りつつ,それを,

正当に評価する場としてのセラピー,

なのだ,という。そういう会話のシーンを通して,その人が背負ってきたものを認める,という機会とする,ということでもある。そういう背負っているものを考える概念に,

忠誠心,

という概念がある。ちょっと誤解されやすいが,

個人が対象に向ける積極的な信頼や態度,

とある。

子どもの問題行動は,無意識の(親への)忠誠心,
虐待されてきた人は,子どもとの関わり方を虐待しか知らないので,虐待してしまう,
離婚して母親に引き取られた父親への隠れた忠誠心,

等々。あるいは,「破壊的権利付与」という概念がある。

「あたかも破壊的権利をもってもいいということを授けられたように振る舞う」

という。その人は,他人からは,他者への感受性,関心が欠けているように見える。例えば,こんなケースを紹介された。

六歳で両親を失って,自分の力だけで自立し,今日家庭を築いた男性は,19歳の息子のことを訴えてきた。母親は,いろいろ心配し,あれこれ気を使うが,父親は,あまり関心を示すように見えない。父親は「だって19歳なんだから,自分で考えているだろう」という。で,その人の生い立ちを聞くと,六歳で両親と死別し,一人で何とか自立し,家庭を築いてきた。母親は,それを初めて耳にした。父親にとっては,苦労を苦労とも思わずひとりで生きて来て,情をかけてもらうという経験がないから情をかけるということを知らない。

ともすれば,そういう冷たいパーソナリティと見られてしまうものを,それが,

どうしてつくられてきたのか,どう一生懸命生きてきたか,どうしてそういう対応しかできないのか,

を,みんなの前で明らかにし,認め,表現する場としてセラピーを見なそうという考え方である。

「表現されることで葛藤が起きる」

ケースの夫婦は,「初めて,帰りに二人で喫茶店へ行った」という。他人の前でオープンにできないことを言語化することで,その人の背負っているものを認める。そのことで,関係性に影響が出る。

ボーエンとナージの切り口は,違うが,その人が背負っているものを,一人の中に(完結させれば単なるパーソナリティになってしまうものを)完結させず,世代を超えた関係の中に配置することで,自分を,

対象化,

することで,自分を,さらに,相手を,関係を見る視点が揺らぐ。場合によっては,

背負いきれないものを背負っている自分(相手),

に,気づいたり,

背負うべきことでないものを背負っている自分(相手),

に,気づく。人のものの見方は,見え方を変えなくては変わらない。見え方を変えるには,いつもと違うように見るしかないポジションに立たざるをえないようにするというのは,鉄則のようである。

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

posted by Toshi at 05:09| Comment(0) | カウンセリング | 更新情報をチェックする