2018年03月01日

春秋の筆法


恥ずかしながら,ちょっと勘違いをしていた。「春秋の筆法」を,単純に先達の物言いに倣って厳しいものの見方で書く程度の意味と思っていたが,どうも,いろいろ調べていくと多義的である。

まず,『広辞苑』。

「『春秋』のように批判の態度が中正で厳しいこと。また間接の原因を直接の原因であるかのようにいう論法」

「春秋」とは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%A7%8B

詳しいが,

「魯国の年次によって記録された、中国春秋時代に関する編年体の歴史書である。儒教では、孔子の手が加わった、もしくは孔子が作ったとされ、その聖典である経書(五経または六経)の一つとされている。」

とあり,「春秋をもって春夏秋冬の1年を意味したもの」として,

「その内容は王や諸侯の死亡記事、戦争や会盟といった外交記事、日食・地震・洪水・蝗害といった自然災害(伝統的には災異と呼ばれる)に関する記事などが主たるもので、年月日ごとに淡々と書かれた年表風の歴史書である。」

が,

「「春秋」は極めて簡潔な年表のような文体で書かれており、一見そこに特段の思想は入っていないかのように見える。
しかし後世、孔子の思想が本文の様々な所に隠されているとする見方が一般的になった(春秋の筆法)。例えば、『宋の子爵(襄公の事)が桓公の呼びかけに応じ会盟にやってきた。』というような文章がある。しかし実際は宋は公爵の国であった。これに対して後世の学者は『襄公は父の喪中にも拘らず会盟にやってきた。不孝であるので位を下げて書いたのだ。』と解釈している。
このような考え方によって、『春秋』から孔子の思想を読みとろうとする春秋学が起こった。」

とされる。ここに,「春秋の筆法」の謂れがある。だから,その解釈にも,微妙な陰影がある。だから,『大辞林』は,

孔子の筆になるという「春秋」のような厳しい批判の態度,
(「春秋」が些事をとりあげて,大局への関係を説く論法であることから)間接的な原因を直接的な原因として表現する論法。また,論理に飛躍があるように見えるが,一面の真理をついているような論法,

となる。つまり,

単に厳しい批判的,

というだけではなく,例として妥当かどうかわからないが,たとえば,

バタフライの羽根のひとふりが台風をもたらした,

といった飛躍した論法,でもあるらしい。しかし,それは,『デジタル大辞泉』では,

(「春秋」の文章には、孔子の正邪の判断が加えられているところから)事実を述べるのに、価値判断を入れて書く書き方。特に、間接的原因を結果に直接結びつけて厳しく批判する仕方,

となる。それに似ているのは,『とっさの日本語便利帳』の,

「孔子が『春秋』を修訂するにあたってとった歴史記述の手法。“春秋謹厳”といわれる記述の厳正さと共に、遠因であっても善悪・是非を暗に伝える記述をする、などの特色のこと。」

で,それは,価値表現で状況表現をする,というのに近い。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1167481121

は,

「元々は孔子が書いた『春秋』の記述スタイルから、
・厳しい批判の態度
・些事をとりあげて、大局への関係を説く論法
のような記述スタイルを「春秋の筆法」と呼ぶようになりました。また、曲筆(筆を曲げる-事実とは異なるとわかっていて書くこと)とは厳密には意味は違うのですが、曲筆と同じような意味で使われる事もあります。
春秋は孔子の信念に基づいた歴史批判の書とも言えるのですが、信念の方を優先させて事実と異なる事も書かれています。基本的にはあまりいい意味では使われませんね。」

と,自身の価値観で裁く(捌くではなく)ことの意味でもある。

「『春秋』の経文はわずか1800余条、一万数千字の簡略なものであるが、その制作にあたって孔子は、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)的な精神をもって、乱世をただす王法を『春秋』に託したとされている。司馬遷(しばせん)はこのことを『史記』に、「孔子、言の用いられず、道の行われざるを知り、二百四十二年の中を是非(ぜひ)し、以(もっ)て天下の儀表と為(な)す」(太史公自序)といっている。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

「勧善懲悪」とは,言い得て妙である。その例は,

https://ameblo.jp/yk1952yk/entry-11365919881.html

がよく伝えている。

「周室の式微(しきび)を嘆き、その光復を願って果たさなかった孔子は、晩年最後の力をふりしぼって「春秋」を著した。これは魯(ろ)の公式記録を整理し、隠公から哀公に至る十二代二百四十二年間の出来事について、理非曲直(りひきょくちょく)を明らかにしたもので、この書に対する孔子の態度は秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)、厳格
そのものであった。
たとえば、諸侯が王を称するのは不遜、不敬として呉王、楚王という代わりに呉子、楚子(いずれも子爵だった)と呼び、また権威を失った周の天子が諸侯に呼ばれて会盟に参加した事実に対しては、故意に筆を曲げて「天子が巡狩(じゅんしゅ)した」と書くなどして、周室の尊厳を取り繕(つくろ)った。 
このように是非当否を論じ、大義名分を明らかにし、仮借ない筆をふるったため、『孔子、春秋を作りて乱臣賊子懼(おそ)る』という言葉が生まれたし、後世、「春秋の筆法」という批判方法が行われるようになった。間接原因を直接原因のように言う次のような論法である。」

これだとまだ分かりにくいが,

http://fukushima-net.com/sites/meigen/1478

は,

「例えば、隱公元年の出来事として次の文章があります。
夏五月、鄭伯(テイハク:テイの君主)、段(ダン:人名)に鄢(エン:地名)に克(か)つ。
 鄭伯と段(共叔段:キョウシュクダン)は兄弟です。鄭伯が兄で段が弟です。
①共叔段は弟としての道を誤まったので、「弟の段」とは記さない。
②二國君の間で行なわれるような激しい戦いだったので、「克(か)つ」と記す。
③(兄と書かずに)「鄭伯」とするのは、弟を善導できなかったから。
という理由で、『鄭伯、段に鄢に克つ』。という短い文章でまとめられたそうです。
これが【春秋の筆法】による表現だそうです。」

この,一見「王や諸侯の死亡記事、戦争や会盟といった外交記事、日食・地震・洪水・蝗害といった自然災害(伝統的には災異と呼ばれる)に関する記事などが主たるもので、年月日ごとに淡々と書かれた年表風の歴史書」の表現の中に,既に価値表現が入っている。

「孔子の思想が本文の様々な所に隠されているとする見方」

をもって「春秋の筆法」というのだが,あるいは,贔屓の引き倒し,その見方自体が期待による深読みなのかもしれない。

「春秋」自体が孔子の筆になる,という前提で考えると,「春秋の筆法」となるが,そうでなければ,単なる深読み,勝手読みでしかない。上述の「春秋」項は,

「伝統儒学では『春秋』の成立に孔子が関わったとされる。ただし、歴史的にその解釈は一様ではない。
最初に孔子の『春秋』制作を唱えたのは孟子である。孟子は堯から現在に至るまでの治乱の歴史を述べ、周王朝の衰微による乱世を治めるために孔子が『春秋』を作り、その文は歴史であるけれども、そこに孔子の理想である義を示したという(ただし、この孟子の『作春秋』にもいろいろな解釈があり、『「春秋」を講説した』とする立場もある)。」

から始まって,諸説紛々として定論をみないらしい。孔子云々を別として,『春秋』筆者の周を是とする立場からの物言いは,維新を是とする,非とする歴史論など,いつもあることだ。というより,立場のない史観などないし,立場のない思想はない。そもそも人そのものが現象学的な視界をもつ等々,いわばきりのない話。

「春秋の筆法」つづめて「春秋筆法」は,

春秋筆削,

と評される。「公正で厳しく批評する春秋筆法を評する言葉」とか。さらに,

一字褒貶,

とも言う。「文章を書く際の一字の使い分けで、人を褒めたりけなしたりすること」。上記の「「鄭伯」という言い方に良く現れている。

この『春秋』から,

「孔子の意図するものを汲(く)み取るため、各種の解釈書がつくられた。『漢書(かんじょ)』の「芸文志(げいもんし)」によると、漢代には左(さ)氏、公羊(くよう)、穀梁(こくりょう)、鄒(すう)氏、夾(きょう)氏の五伝があったが、鄒氏はそれを伝える師がなく、夾氏は書物になっておらず、他の三伝だけがあったことを伝えている。この『左氏伝』(春秋左氏伝)、『公羊伝』、『穀梁伝』を「春秋三伝」といっている。伝とは解釈書という意味である。三伝のうちでは『公羊伝』の成立がもっとも早く、孔子の門人の子夏(しか)の弟子である公羊高(くようこう)がつくり、5世の孫の公羊壽(くようじゅ)が前漢景帝(けいてい)(在位前157~前141)のとき、門人胡母生(こむせい)らと問答して一書としたとされる。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

とか。しかし,それは,淡々とした「春秋」の文章の,単なる状態表現に,価値表現を見ようとして,「一字褒貶」「春秋筆削」と見立てた儒者側の筆法なのかもしれない。

「最初に孔子の『春秋』制作を唱えたのは孟子である」

というところに,孟子の意図を見るのは,穿ちすぎか。

孔子.png

(孔丘)


因みに,孔子とは,

「氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称である(子は先生という意味)」。

参考文献;
https://kotobank.jp/word/%E6%98%A5%E7%A7%8B-78611
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%A7%8B
http://yoji.jitenon.jp/yojii/4043.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

ラベル:春秋の筆法
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2018年03月02日

とむらう


「とむらう」は,

弔う,
訪う,

と当てる。もともとは,

「どふらう」の変化した語,

のようだ。『岩波古語辞典』には,

「トブラヒの子音交替形」

とあり,「とむらう」は「とぶらう(ふ)」の意味そのままであるが,当てた字で,意味を変える。「訪う」

案じて問い聞く,
おとずれる,見舞う,機嫌をうかがう
詮索する,訪ね求める,

「弔う」は,

人の死を悼んで,喪にある人をたずねて慰める,
亡き人の冥福をいのる,法要を営む,

といった意味になる。「訪」の字は,

「方は,両側に柄の張り出たすきを描いた象形文字。左と右に張り出すの意を含む。訪は『言+音符方』で,右に左にと歩いて,ことばでたずねまわること」

とある。「たずねる」「おとづれる」の意である。

「弔」の字は,

「棒に蔓が巻き付いて垂れたさまを描いたもので,上から下に垂れる意を含む。また,天の神が下界に恩恵を垂れることを言い,転じて他人に同情を垂れることを弔という」

とあり,「とむらう」「他人の不幸に対し,同情の言葉を述べる」「つるす」という意味がある。

『岩波古語辞典』の「とぶらひ」の項には,

「事こまかに問いつめてきく意。また,心を込めて相手を見舞い,慰める意。挨拶・手紙・贈物・供物などによってそれを行う。類義語トヒは疑問のことを相手に問いただして返事を求めるのが原義。オトヅレは,絶えず引き続いて声をかけ,手紙を出す意」

と,「とう」「おとず(づ)れる」との違いを説く。

『日本語源広辞典』は,

「トフ(問う)+ラヒ(行為)」

で,

「生死に関わらず宅や墓を訪れ,心を述べる」

意とする。となると,気になるのは,

とう,

である。「とう(ふ)」は,

問う,
訪う,

と当てる。『岩波古語辞典』は,「と(問)ひ」の項で,

「何・何故・如何に・何時・何処・誰などの疑問・不明の点について,相手に直接ただして答えを求める意。従って,道をきき,占いの結果をたずね,相手を見舞い,訪問する意の場合も,その基本には,どんな状態かと問い正す気持ちがある。類義語タヅネは物事や人を追い求めるのが原義。トブラヒは相手を慰めようと見舞い,物を贈る意。オトヅレは,つづけて便りをし,見舞う意」

と,「とむらう」「とう」「おとづれる」の違いを説く。で,意味は,

疑問の転を明示して,相手に直接の答を求める,問いただす,
占いの結果を聞く,
安否を尋ねる,
訪問する,
とむらう,

という意味になる。『岩波古語辞典』の説でいけば,

「とう」は,尋ねる意で,あくまで答えを求めている,

が,

「とむらう」は,相手への慰めの気持ちで見舞う意,

で,

「おとづれる」は,便りで見舞う意,

ということになる。「問」の字は,

「門は,二枚の扉を閉じて中を隠す姿を描いた象形文字。隠してわからない所を知るために出入りする入口などの意を含む。問は『口+音符門』で,わからないことを口で探り出す」

とあり,「たずねる」「といただす」「人をたずねる」「相手の夜臼を尋ねる手紙,また指示を書きだすこと」と,ほぼ「とう」と重なる。

『日本語源広辞典』は,「とう」の語原を,

「『ト(問)+フ』です。つまり,訪問した戸口に立って人の安否を尋ねる意」

とするが,これでは「問」の字を当てた後の説明にしかなっていない。『日本語源大辞典』は,「とう」の,

①質問する,
②訪問する,

という二つの意味の「と」は上代,

「①は甲類音(『万葉集』では乙類も)であるが,②は乙類音,本来同語であったものが意味分化したとする説もあるが,『質問する』意味の場合は甲類,『訪問する』意味の場合は乙類と,本来は意味により別語として区別されていたものが音と意義の類似から混用されるようになったものか」

としている。つまり,「質問する」意の「とう」は,

甲類tofi,

「訪問する」意の「とう」は,

乙類t öfi,

と区別していたのだとすると,あるいは,「問」「訪」の漢字を当て分けていたのかもしれない。「とう」の語源は定まらないが,『大言海』は,

「外(ト)言(イ)フの約かと云ふ」

とする他,その他,

トイフ(外言)の略か(和訓栞)
トヒイフ(戸言経)の義(日本語原学=林甕臣),
トイフ(戸言)の義(和句解・日本語原学=林甕臣),
戸歴の義(名言通),
戸口で問うところから(本朝辞源=宇田甘冥),
ト(音)を活用した語(日本語源=賀茂百樹),
聞き止めようとして尋ねるところから(国語本義・本朝辞源=宇田甘冥),
トフラフ(訪)の義から(言元梯・国語の語根とその分類=大島正健),
コトカフ(言精)の略か(和語私臆鈔),
トモハル(友晴),またトモフル(友触)の反(名語記),
質問する意のト(甲類)フの他に,音(オト)を立てる意のト(乙類)があり,これが訪問の意を持つに至る(続上代特殊仮名音義=森重敏),

等々とあり,「ト(音)を活用した語」に惹かれるが,甲類・乙類の区別に言及していない説は,取り上げにくい。ただ,「おとずれる」が,『岩波古語辞典』に,

「音連レの意。相手に声を絶やさずにかける,手紙を絶やさずに出す意が原義」

とあり,関連する「おとなう(ふ)」が,やはり,

「音を立てる動作をするのが原義。ナヒは,アキナヒ(商)・ツミナヒ(罪)・うべなひ(諾)などのナヒに同じ」

と,「音」に関わっているのが気になる。「と」は,

「オトのオが脱落した形」

だが,

t ö

と乙音だったらしい。この活用は,

訪う,

の意になる。「訪う」は,音に係るが,「問う」は,音に係らない,ということになるが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年03月03日

おとずれる


「おとずれる(おとづる)」は,

訪れる,

と当てる。『岩波古語辞典』には,

相手を訪ねる,
音信する,
声を掛ける,

という意味が並ぶが,『広辞苑』には,

音を立てる,
人を訪ねる,
(ある時期・状況などが)やってくる
手紙で安否を問う,

という意味が並ぶ。「音を立てる」という意味が,「おとずれる」という言葉の由来を何か示しているようだ。「とむらう」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/457294689.html?1519935277

で触れたように,『岩波古語辞典』の「おとづれ」の項に,

「音連レの意。相手に声を絶やさずにかける,手紙を絶やさずに出す意が原義」

とあり,関連する「おとなう(ふ)」が,やはり,

「音を立てる動作をするのが原義。ナヒは,アキナヒ(商)・ツミナヒ(罪)・うべなひ(諾)などのナヒに同じ」

とあり,「おとなひ」は,

音を立てる,
声を立てる,
(門口で咳払いをしたり扇子を鳴らしたりして音を立て,来訪を知らせるので)訪問する,
便りをする,

と,ほぼ「おとずれる」と意味が重なるが,より「音」の意味が強い。

『大言海』より両者の関係を強調している。「おとづる」の項で,

「音は,オトラフと同じく,ツルは,連るるなるべし」

とあり,「おとなふ」は二項立て,

響,

を当てた「おとなふ」は,

「ナフは,行ふ意。自動詞となる,寇(あた)なふ,幣(まひ)なふ(賄)」

とし,

音,發(た)つ。ひびく,

という意味を載せ,

訪問,

と当てた「おとなふ」は,

「響(おとな)ふに同じ。人家の門にモノマウの聲を發する意なるべし」

とし,

訪れる,

意とする。一層,「おと」由来らしく見えてくる。因みに,「ものまう」は,

「(物申すの略)他家を訪問するときに使う挨拶のことば」

で,いまふうに言うと,ごめんください,の意となる。

『日本語源広辞典』は,「おとずれる」は,

「音+づる(動詞化)の下一段化」

「おとなう」は,

「音+なふ(動詞化)」

で,「音を立てる」「声をかける」意で,「おとなう」と同源,とある。どうやら,「音」を立てることは,他家の前では,来訪を知らせるために必要な行為だったらしい,とうかがわせる。

『日本語源大辞典』は,「おとなう」について,

「名詞『音』に,ある現象を生じる意の接尾語『なふ』の付いてできた語で,音がする,聞えるというのが原義であろう」

とある。また,「おとづれる」は,

ツルはツ(連)ルルか(大言海),
音に連れそう義(和訓栞),
音連ルの意。相手に声を絶やさずかける,手紙を絶やさずに出す意が原義(岩波古語辞典),
オトヅレはアタツレ(当行)の転(柴門和語類集),音を立てる意から,戸を叩くことの印象が強くなり,訪問の意になる(国文学の発生=折口信夫),

と,やはり,「音」を立てることとつながる。手紙は後のこととして,人の家を訪ねたときに,特別の合図として,音を立てたのかもしれない。

「おと」は,「音」と当てるが,「音」の字は,

「言という字の口の部分の中に,・印を含ませたもの。言は,はっきりとけじめをつけたことばの発音を示す。
音は,その口に何かを含み,ウーと声を出すことを示す」

とある。『漢字源』には,

「朽ちを塞いで出す,ウーという含み声。生態を振るわせて出るおと」

とあり,

「舌や脣などの調整が加わった声を『言』といい,調整の加わらない声を『音』といった」

とある。どうやら擬音語らしい。

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9F%B3

には,

「『言』の『口』の部分に点を打ち、言葉を発するのに、いったん口に入れる意を表わす(藤堂)」
「『口』は神器であり、それに針を置き誓いを述べる意(白川)。」

という語源説も載る。和語「おと」も,『日本語源広辞典』によると,擬音語らしい。

音.png

(金文 西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9F%B3より)

音Ⅱ.png

(簡帛文字 戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9F%B3より)


参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9F%B3

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年03月04日

おと


「おと」は,「おとずれる」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/457380579.html?1520021375

で触れたが,

「音」の字は,

「言という字の口の部分の中に,・印を含ませたもの。言は,はっきりとけじめをつけたことばの発音を示す。
音は,その口に何かを含み,ウーと声を出すことを示す」

で,『漢字源』には,「音」は,

「朽ちを塞いで出す,ウーという含み声。生態を振るわせて出るおと」

とあり,

「舌や脣などの調整が加わった声を『言』といい,調整の加わらない声を『音』といった」

とある。「音」の字は,「言」という字から出たとされるが,「言」の字もまた,

「『辛(切れ目をつける刃物)+口』で,口を塞いでもぐもぐという音(オン)・諳(アン)といい,はっきりとかどめをつけて発音することを言という」

と,どうやら擬音語からきたらしい。しかし,擬音語とは言え,「言」には,

「辛は入れ墨に用いる針で,これを「サイ」という器にそえて神に誓約を行い,もし誓が真実でなく信じられない者の場合は,真実を受けるということを,言という文字は表している」

という意味があるとされ,

言の字.gif

(「取っ手のある刃物」の象形と「口」の象形から悪い事をした時は罪に服するという「ちかい・ことば」を意味する「言」という漢字が成り立ちました。https://okjiten.jp/kanji198.htmlより)


この下の器(サイ)の中に・または-が加えられたものが「音」の字とされる。だから,

「音は神への誓の言に感応して神の反応が訪れたことを示すものだとし,この暗示的な神の感応を推測すること」(白川静)

を意味するので,「言」に「・」「-」を加えたのが,「音」という字だということになる。

音Ⅲ.gif

(「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「言う」の意味)の「口」の部分に一点加えた形から「楽器や金・石・草・木から発するおと」を意味する「音」という漢字が成り立ちました。https://okjiten.jp/kanji196.htmlより)

.流伝の音.png

(流伝の古文字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9F%B3より )


では,万葉では,於等,於登,音等々,と当てられていた,和語「おと」はどこからきたか。

『岩波古語辞典』には,

「離れていてもはっきり聞こえてくる,物のひびきや人の声,転じて,噂や便り。類義語ネ(音)は,意味あるように聞く心に訴えてくる声や音」

とあり,「ね」と「おと」は,「音」の字を当てても意味が違う,とする。「ね」を見ると,

「なき(鳴・泣)のナの転。人・鳥・虫などの,聞く心に訴える音声。類義語オトは,人の発声器官による音をいうのが原義」

とあり,「おと」は「物音」,「ね」は,「人・鳥・虫などの音声」という区分けになるようだ。「ね」には,人側の思い入れ,感情移入があるので,単なる状態表現ではなく,価値表現になっている,といってもいい。

http://gogen-allguide.com/o/oto.html

「音の語源には、『お』が『発声』、『と』が『とく(疾)物に当たる音』とする説。『あた(当)』に通じるとする説や、『おとろ(驚)』からとする説。上から下へ落ちるに従い響き出ることから、『おとす(落とす)』を語源とする説。『トントン』『ドンドン』などの擬音からなど諸説あるが、決定的な説はなく未詳。『万葉集』や『古今集』などの歌集では、音を『水』『波』『風』などと合わせて用いた例が多くみられる。」

と,「おと」は,いわゆる「物音」に近い。『大言海』は,

「當(あた)と通ずるか。織衣(おりぎぬ),ありぎぬ。いたはし,いとほし」

としているが,『日本語源広辞典』は,擬音語とし,『日本語源大辞典』は,

トントン,ドンドンから出たものか(国語溯原=大矢徹),
オは発声,トはトク(疾)物に当たる音か(俚言集覧),
アタ(当)に通じるか(大言海),
オトロ(驚)から(言元梯),
上から下へ落ちるに従って響き出るものであるところから,オトス(落)からか(和句解),
アアト(阿迹)の転語(柴門和語類集),
オモトホル(重徹)の義(名言通),

と,諸説挙げるが,どうやら物音を指している気がする(「とんとん」は江戸期からみられると,『擬音語・擬態語辞典』にある)。なぜなら,「声」は,別に「ね」という言葉を持っていた。

「ね」は,『日本語源広辞典』も,『岩波古語辞典』と同様,

「ナ(泣・鳴)からネへの変化」

とし,『大言海』は,「ね」について,

音・聲,

と当てて,

「声の色あるもの,細く易しげ鳴る音」

と,

音・哭,

と当てて,

「泣く聲」

として,

声立てて泣くこと,

を区別しているが,等しく「声」とする。『日本語源大辞典』は,

ナ(鳴)の義(言元梯),
ナク(鳴・泣)のナの転(岩波古語辞典),
ナク(泣・鳴)のナと共通(小学館古語大辞典),
ナケ(鳴)の反(名語記),
ネル(練)の義か。音は声の軽重清濁の文あることをいうところから(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
夜の静かなときに,ネ(寝)てよく聞こえるところから(和句解),
心根から出るものであるところから(本朝辞源=宇田甘冥),
ナレの約(和訓集説),
デ(出)の義。ネとテは通音(日本釈名),

と挙げるが,「おと」と「ね」を区別していた以上,「ね」には,「おと」とは異なる,特別の意味があったはずである。日本人(敢えて言うとかつての日本人を指す。いまの日本人は,風鈴の音〔おと〕が喧しいと感ずるらしいので)には,虫の音(ね),風鈴の音(ね)が,「おと」ではなく「ね」であった。『日本人の脳』で。角田忠信氏が指摘した「日本人の耳」に通じることだと思う。

参考文献;
北村 音一「音の語源」(日本音響学会誌 50 巻 2 号)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
角田忠信『日本人の脳』(大修館書店)
https://okjiten.jp/kanji198.html
https://okjiten.jp/kanji196.html

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年03月05日

ポリフォニー


ミハイル・ミハイロヴィチ・バフチン『ドストエフスキーの詩学』を読む。

ドストエフスキーの詩学.jpg


著者は,ドストエフスキーの小説を,

ポリフォニー小説,

と名づけたことで知られている。ポリフォニー (polyphony) とは,音楽用語で,

「複数の独立した声部(パート)からなる音楽のこと。ただ一つの声部しかないモノフォニーの対義語として、多声音楽を意味する。(中略)ポリフォニーは独立した複数の声部からなる音楽であり、一つの旋律(声部)を複数の演奏単位(楽器や男声・女声のグループ別など)で奏する場合に生じる自然な「ずれ」による一時的な多声化はヘテロフォニーと呼んで区別する。」

で,それに準えて,

「それぞれ独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識,それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる」

ドストエフスキーの小説の多声性をそう名づけた。あるいは,同じことだが,

対位法,

にも準える。つまり,ポリフォニー音楽についての理論である「対位法」とは,

「ポリフォニー音楽においては、それぞれの声部が奏でる旋律は独立性を持っている。そのため、和声法によるホモフォニー音楽よりも各声部の旋律の流れに重きを置いている。和声法が主に、楽曲に使われている個々の和音の類別や、それらの和音をいかに経時的に連結するかを問題にするのに対し、対位法は主に『旋律をいかに同時的に堆積するか』という観点から論じられる。」

であり,ドストエフスキーの小説の構造である,

多声性,
多重性,
多元性,

と,リンクしている,という考え方である。そこには,従来の小説を,

モノローグ小説,

として,対比させるというところにも通じる。

ドストエフスキーの小説は,対話で成り立つ。

「実際ドストエフスキーの本質的な対話性は,けっして彼の主人公たちの外面的な,構成的に表現された対話に尽きるものではない。ポリフォニー小説は全体がまるこど対話的なのである。小説を構成するすべての要素間に対話的関係が存在する。すなわちすべてが対位法的に対置されているのである。そもそも対話的関係というものは,ある構成のもとに表現された対話における発言同士の関係よりももっとはるかに広い概念である。それはあらゆる人間の言葉,あらゆる関係,人間の生のあらゆる発露,すなわちおよそ意味と意義を持つすべてのものを貫く,ほとんど普遍的な現象なのである。」

そして,ドストエフスキーの

「小説においては,その外面と内面の部分や要素の関係すべてが対話的な性格を持っている。つまり小説全体を彼は《大きな対話》として構成したのである。この《大きな対話》の内部では,構成的に表現された主人公たちの対話が,《大きな対話》を照らし出すとともに,凝縮するような形で響いている。そしてついにはこの対話は作品の奥深く浸透してゆく。それは小説の一つ一つの言葉に浸透して,それを複声的なものとし,また主人公たちの個々の身振りや表情の物真似に浸透して,それがぶつぶつ切れた,ヒステリックなものとするのである。これこそがドストエフスキーの言葉のスタイルの特性を規定する《ミクロの対話》である。」

と要約してみせる。そこにあるのは,外的な人との対話だけではなく,内的に,その人の身振りや口ぶりをなぞっての,内的な対話(自己対話)での内なる他人との対話という,対話の多重性なのである。その時ドストエフスキーにとって関心を引くのは,主人公の持つ

「世界と自分自身に対する特別の視点であり,人間が自身と周囲の現実に対して物意味と価値の立場」

であり,さらに,ドストエフスキーにとって大切なのは,

「主人公が世界において何者であるかということではなく,…主人公にとって世界が何であるか,そして自分自身にとって彼が何者なのか」

なのである。そして,ドストエフスキーが,

「そこで解明し性格づけるべきものは,主人公という一定の存在,彼の確固たる形象ではなく,彼の意識および自意識の総決算,つまり自分自身と自分の世界に関する主人公の最終的な言葉なのである。
 したがって主人公像を形成する要素となっているのは,現実(主人公自身および彼の生活環境の現実)の諸特徴ではなく,それらの諸特徴が彼自身に対して,彼の自意識に対して持つ意味なのである。主人公の確固とした客観的な資質のすべて,すなわち彼の社会的地位,社会学的・性格論的に見た彼のタイプ,習性,気質,そしてついにはその外貌まで―つまり通常作者が《主人公は何者か?》という形でその確固普遍のイメージを形成する際に役に立つすべての事柄が,ドストエフスキーにおいては主人公自身の内省の対象となり,自意識の対象となる。いわば作者の観察と描写の対象とは,主人公の自意識の機能そのものなのである。通常の場合には,主人公の自意識は単に彼の現実の一要素,彼の全一的な形象の一要素に過ぎないのだが,ここでは反対に現実のすべてが主人公の自意識の一要素となるのだ。そこでは,…作者…はすべてを主人公自身の視野に導入し,その自意識の坩堝に投げ込む。そして主人公の純粋な自意識もそっくりそのまま,作者自身の視野の内に観察と描写の対象として残るのである。」

そのとき,「描写される人物に対する作者の位置関係が根本的に新しいもの」となる。

「主人公自身の現実のみではなく,彼を取り巻く外的世界や風俗も,この自意識のプロセスに導入され,作者の視野から主人公の視野の中へと移し換えられる。それらはすでに,作者の単一の世界の中で,主人公と同じ平面上に,彼と並んで,彼の外部に置かれているのではなく,したがって主人公を規定する因果律的・発生論的要因でもあり得ず,作品の中で説明的機能をを担うこともできない。具象世界のすべてを自らに取り込む主人公の自意識と同じ平面にあって,それと並んで存在し得るものは,別のもう一つの意識のみであり,彼の視野に対しては別のもう一つの視野が,彼の世界への視点対しては別のもう一つの視点が,それぞれ併置できるのみである。すべてを飲み込む主人公の意識に作者が対置し得るのは,ただ一つの客観世界,すなわち主人公と同等の権利を持った別の意識たちの世界のみである。」

このことを,ドストエフスキー自身は,

「人間の内なる人間を見出す」

とし,それを「完全なリアリズム」と呼んでいる。それに向き合う作者は,語り手をも,その意識たちと併置される位置におく対話の相手でもある。それは,

「ひたむきに実践され,とことん推し進められれた対話的立場であり,それが主人公の独立性,内的自由,未完結性と未決定性を保証しているのである。作者にとっての主人公とは《彼》でも《我》でもなく,一人の自立した《汝》つまり(《汝あり》という言葉で語られる)もう一人の完全な権利を持つ他者の《我》なのである。主人公は,きわめて真剣な,本当の対話的呼びかけの主体であって,修辞的に演じられる,あるいは文学的な約束事としての対話的呼びかけの主体ではない。そしてこの対話―小説の《大きな対話》の全体―は,過去に起こったことではなく,いま,すなわち創作過程の現在において起こっていることなのである。(中略)
ドストエフスキーの構想の中では,主人公とは自立した価値を持った言葉の担い手であって,作者の言葉のもの言わぬ客体ではない。そして主人公についての作者の言葉は,言葉についての言葉なのである。作者の言葉は,言葉を扱うのと同じように主人公を扱う。つまり彼に対して対話的に向けられるのである。作者はその小説の全構成をもって,主人公について語るのではなく,主人公と語り合う。」

多少,作家と書き手,書き手と語り手をごちゃごちゃにしている嫌いはある(ドストエフスキーは,書き手の位置も,語り手の位置も意識的であるし,いま進行しているように現在進行形で,そこにいる,という設定を意図している[作品は書き終わったところが「いま」であるのだから])が,この作品世界への向き合い方は,的確である。(作家ではなく)語り手は,

主人公について語るのではなく,主人公と語り合う,

は,ドストエフスキーの小説の語りについて的確な言い方である。

対話の歴史的系譜を,もうひとつの概念である「カーニバル文学」を説明するために,「ソクラテスの対話」「メニッポス風刺」と言ったギリシャ由来の経緯をたどって見せるたあと,本書の圧巻は,「第五章 ドストエフスキーの言葉」において,自意識の自己対話,自意識の中の他者との対話,他者そのものとの対話へと転換していく,語りの重層性と,そこでの語りの転位についての分析である。先ず自己対話について,

「主人公の自分自身に対する関係は,彼の他者に対する関係および他者の彼に対する関係と不可分に結びついている。自意識はいつも自分自身を,彼についての他者の意識を背景として知覚する,つまり,《自分にとっての私》は《他者にとっての私》を背景として知覚されるのである。したがって主人公の自分自身についての言葉は,彼についての他者の言葉の間断なき影響のもとで形成されるのである。」

その対話は,

「主人公の自意識の中に彼についての他者の意識が入り込み,主人公の自己言表の中に彼についての他者の言葉が投げ込まれる。次に他者の意識と他者の言葉が,一方では主人公の自意識の主題論的発展やその逸脱,逃げ道,反抗を規定し,他方ではアクセント上の中断,統辞論的逸脱,繰り返し,留保,冗長性を伴った主人公の発話を規定することになるような,独特の現象を引き起こす」

その場合,ポリフォニーとは,自己対話に入り込んだ他者の言葉だけではない。その口ぶりや口癖,喋り方,といった意味でも,多層的なのであり,

「対話は自分自身の声に他者の声による代替を可能」

にしてしまう。たとえば,『分身』のゴリャートキンについて,

「ここでの対話的展開は,(『貧しき人々』の)デーヴシキンの場合より複雑である。デーヴシキンの発話では《他者》と論争していたのは首尾一貫した一つの声であったが,ここで《他者》と論争しているのは二つの声,自信のある,過剰なほど自信たっぷりな声と,過剰なほどびくついた,何事においても譲歩し,全面降伏しようとする声という二つの声だからである。
 他者を代替するゴリャートキンの第二の声,それに,初めは他者の言葉から身を隠そうとするが,(『俺だってみんなと同じさ』『俺は何でもない』),後になってその他者の言葉に降伏してしまう(『俺がどうしたって,そういうことなら,俺にも覚悟はあるさ』)彼の第一の声,そして彼の中で絶えず鳴り響いている純然たる他者の声―この三つの声は,非常に複雑な相互関係にある」

とし,この三つの声,つまり,

「他者と他者の承認なしにはやってゆけない《私のための私》の声であり,虚構としての《他者のための私》(他者の中に投影された私)の声,つまり他者を代替しようとするゴリャートキンの第二の声であり,そしてゴリャートキンの存在を承認しようとしない他者の声」

に加えて,語り手自身が,

「ゴリャートキンの言葉と思想を,つまり彼の第二の声と言葉を借用し,それらの中に装填されている挑発的で嘲笑的な調子を強化しながら,その強化した調子でゴリャートキンの言動の一挙手一投足をえがいている」

のである。語り手の声が,第二の声と融合してしまうことで,

「叙述は,形式的には読者に向けられているにもかかわらず,あたかもゴリャートキン自身に対話的にむけられており,ゴリャートキン自身の耳の中で彼を挑発する他者の声として,彼の分身の声として響き渡っているかのような印象が生まれることになる」

まさに,そこでは,ただ語り手の言葉が主人公に向けられているのではなく,

「叙述の志向性そのものが,主人公に向けられているのである。」

こうした自己対話は,他者との対話として,客体化されたときも,複雑な多声性を醸し出す。たとえば,『カラマーゾフの兄弟』のイワン・カラマーゾフとアリョーシャを例に,

「二人の主人公がドストエフスキーによって導入されるときはいつでも,彼らは,お互いがお互いの声の直接的な化身になることはけっしてないとはいえ…,お互いに相手の内なる声と密かに親密の応答の急所を衝いたり,また部分的にはそれと重なり合ったりするのである。一方の主人公にとっての他者の言葉と,もう一方の主人公の内に秘めた言葉との間の深く本質的な関係あるいは部分的な一本化―それこそが,ドストエフスキーの本質的な対話すべてに不可欠の契機であり,基本的な対話はこの契機を土台として組み立てられている。」

と述べる。

この対話の関係性の中に現実があり,この対話の中にこそ自己がある,ということを,(社会構成主義という)時代に先駆けて,バフチンが,ドストエフスキーの中から探り出した,時代を切り開く視界,といってもいい。

「世界について語っているのではなく,世界を相手に語り合っている」

かのようなドストエフスキーの開いた世界は,いわゆる現実の世界ではない。

言葉のみで成り立っている対話の世界,

である。まさしく,バフチンが掘り起こしたのは,

会話が世界をつくる,

という時代の最先端である。

参考文献;
ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%8B%E3%83%BC

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年03月06日

やよい


「やよい」は,

弥生,

と当てるが,陰暦三月の異称で,ほかに,

花月(かげつ),嘉月(かげつ),花見月 (はなみづき),夢見月(ゆめみつき),桜月(さくらづき),暮春(ぼしゅん),季春(きしゅん),晩春(くれのはる・ばんしゅん),建辰月(けんしんづき),早花咲月(さはなさきつき),蚕月(さんげつ),宿月(しゅくげつ),桃月(とうげつ),春惜月(はるをしみつき),雛月(ひいなつき),

等々の別称があるらしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%88)。

『広辞苑』には,

「イヤオヒの転」

とあるが,「弥(彌)」(呉音ミ,漢音ビ)の字は,

「爾(ジ)は,柄のついた公用印の姿を描いた象形文字で,璽の原字。彌は『弓+音符爾』で,弭(ビ)(弓+耳)に代用したもの。弭は,弓のA端からB端に弦を張ってひっかける耳(かぎ型の金具)のこと。弭・彌は,末端まで届く意を含み,端までわたる,遠くに及ぶなどの意となった」

とあり,「端まで届く意から転じて,A点からB点までの時間や距離を経過する」「広く端まで行きたっている」「いよいよ」「遠く伸びていつまでも程度が衰えない意を表すことば,ますます」という意で,類義語「愈」との区別を,

愈は,まさると訓む。いやましと訳す,一段を上れば又一段といふ如く,さきへさきへとこゆる意なり,
弥は,わたると訓む。段々に満ちて,一杯になりたる意なり,

としており,「弥」を,「ますます」「いよいよ」の意に当てて,「弥生」と当てたようにも見える。つまり,「弥生」の字を前提の解釈の見えて仕方がない。しかし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ya/yayoi.html

も,

「『弥生(いやおい)』が変化したものとされる。『弥(いや)』は、『いよいよ』『ますます』などの意味。『生(おい)』は、『生い茂る』と使われるように草木が 芽吹くことを意味する。草木がだんだん芽吹く月であることから、弥生となった。」

とするし,『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E5%BC%A5%E7%94%9F

も,

「草木がいよいよ生い茂るようになるところから、『いやおい(弥生)』の意。『いや(弥)』は物事がはなはだしくなるさまの意。」

とし,

https://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%88

も,

「弥生の由来は、草木がいよいよ生い茂る月「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」が詰まって「やよひ」となったという説が有力で、これに対する異論は特にない。」

と,断定してはばからない。『大言海』にも,

「イヤオヒの約転。水に浸したる稲の實の,イヨイヨ生ひ延ぶる意」

としているし,『日本語源広辞典』も,

「『彌(イヤ)+生(オヒ)』です。iyaohiとは,草木がいよいよ生い茂る月の意です」

とあり,大勢はこの説で,これで決まりのように見える。

『日本語源大辞典』も,いくつか説を載せるが,

クサキイヤオヒツキ(草木弥生月)の略(語意考),
イヤオヒ(弥生)の義(奥義抄・和爾雅・日本釈名・類聚名物考・兎園小説外集・古今要覧稿・和訓栞・大言海),
草木がいよいよ花葉を生じる意(和句解),
ヤヤオヒ(漸々成長)の約(嚶々筆語),
ヤヤオヒヅキ(漸生月)の義(日本語原学=林甕臣),
桜梅の盛りであるところから,ヤウバイの反ヤヒの転か。また花咲き乱れて天が花に酔う心地するところから,ヤマイロヱヒ(山色酔)の反か,また,ヤナイトヒキ(柳糸引)の反,また,ヤマフキ(款冬)の反ヤヒの転か(名語記),

いずれも,開花の盛りや生い茂るにことよせて,いろいろ捻っているのには変わらない。

『日本語の語源』も,同じ系統で,

「草木がいよいよ生い茂ることをイヤオヒ(彌生)といったのが,ヤオヒ・ヤヨイ(陰暦三月の異称)になった」

としている。たしかに,

「木草(きくさ)弥(い)や生(お)ひ茂る月」

から,「弥生」となったというのは,もっともらしいが,しかし,僕には,繰り返しになるが,

弥(彌)生,

という漢字を当てはめた後の,その字に基づく後解釈に思えてならない。『大言海』の,

「イヤオヒの約転。水に浸したる稲の實の,イヨイヨ生ひ延ぶる意」

の,ただ草木ではなく,「稲の實」と,農事との連続性に着目した説に軍配を上げたい。それは,師走の,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455892480.html

睦月の,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455932349.html

如月の,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/456805354.html

各項で触れたように,『大言海』のみが一貫しているのである。月ごとに,謂れを変えるのは,どう考えても,後の世の視点に過ぎる。古代のひとにとっては,一貫して,農事と関わらせる視点があった,とみる。

DSC04501.JPG


参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%88
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

ラベル:やよい 弥生
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2018年03月07日

漢字


「漢字」は,なぜ,「漢字」と呼ぶのか。我が国に漢字が入ってきたのが,

前漢(紀元前206年 - 8年)
ないし,
後漢(25年 - 220年)

の頃に入ってきたせいではないか,と勝手に考えていたが,そうではなかったようである。たとえば,

古い文字が漢水の辺りで発見されたから,
漢民族の言葉であるから,
漢の時代につくられた世帯が基本になっているから,

等々の説があるようだ。『日本語源広辞典』は,

「漢(中国古代国名)+字」

としているが,どうもそうではないようである。

http://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0208/

によると,

「漢字の起源は紀元前1300年ごろまでさかのぼることができるとされています。漢王朝は、紀元前2世紀から紀元後2世紀までの約400年間、中国を支配した王朝ですから、漢字の歴史は漢王朝よりもずっとずっと古いのです。」

とあり,

「『漢字』の『漢』とは王朝の名前ではなく、民族の名前だと考えた方がよさそうです。現在の中華人民共和国の人口の大半を占めるのは、漢民族と呼ばれる民族です。私たちが普通に『中国人』としてイメージしているのは、この漢民族の人々です。ですから、彼らが日常使っている言語、つまりは私たち日本人が『中国語』と呼んでいる言語のことを、中国語では『漢語』と言います。それと同様に、漢民族が使っている文字という意味で、『漢字』という呼び方があるのだと思われます。」

とし,

「彼ら自身は、自分たちの使っている文字のことを単に「字」とでも呼べばよく、特別に『漢字』と呼ぶ必要はなかったはずです。しかし、10世紀ごろになると、漢民族の周辺にいた民族たちも、漢字にならって自分たち自身の文字を開発し始めます。おそらくこのころ、『漢字』ということばが誕生したのではないでしょうか。『大漢和辞典』では、『漢字』ということばが使われるようになったのは、モンゴル文字と対比してのことだと、説明しています。」

と,長く,文字のあったのは漢民族だけだったが,周辺が文字を創り始めたことで,自分を意識した,と言うのはなかなか面白い。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/441386581.html

で触れたように,文字を持たなかったわれわれは,漢字を改造して,

仮名,

あるいは,

仮字,

と呼んでいた。それが訛って,

「かりな」→「かんな」→「かな」

と転じた。だから,漢字を「真名」と呼んだ。『大言海』は,

「真名(漢字)の音,又は訓を取りて,国語の音を写すに,仮り用ゐる字の義なり。人を,比止と書き,瓶を加女など書くが如きを云ふ。…即ち仮借字にて,これを真名書きと云ふ,是れ仮名なり。奈良朝の頃までは,すべて真名書(万葉仮名)なりしに,其の字の画の多くして,書くに難渋なるの因りて,平安朝の初期に至り,婦人の用に,比止,加女などの草書の體を,甚だしく崩して,ひと,かめ,などと書き取ることとなりて,草仮名とと云ひ,女手(おんなで)とも云ひ,遂に,此草仮名を,専ら,単に,かな,かんな,と云うふやうになり(後にひらがなの称,起こる)」

としている。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ka/kanji.html

は,

「中国、漢民族の間で作られた 文字である。 漢民族が使っていた言葉を『漢語』といい、その漢語を表記するための文字なので『漢字』というようになった。 現存する最古の漢字は、殷墟から出土した紀元前15世紀頃の甲骨文字で、非常に長い歴史をもつ文字である。日本では、一世紀頃委奴国王の金印などに見られるものが最も古い。上記の通り、本来は漢語を表すための文字を指すものであるが、同様の形態や機能をもつ『和製漢字(国字)』も含めて言う。」

黄帝.jpg



とある。漢字は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%AD%97

には,

「伝承によると、中国における文字の発祥は、黄帝の代に倉頡が砂浜を歩いた鳥の足跡を参考に創った文字とされる。また『易経』には聖人が漢字を作ったと記されている。考古学的に現存する最古の漢字は、殷において占いの一種である卜(ぼく)の結果を書き込むための使用された文字である。これを現在甲骨文字(亀甲獣骨文)と呼ぶ。甲骨文以前にも文字らしきものは存在していたが、これは漢字と系統を同じくするものがあるか定かではない。当時の卜は亀の甲羅や牛の肩胛骨などの裏側に小さな窪みを穿(うが)ち、火に炙って熱した金属棒(青銅製と言われる)を差し込む。しばらく差し込んだままにすると熱せられた表側に亀裂が生じる。この亀裂の形で吉凶を見るのであるが、その卜をした甲骨に、卜の内容・結果を彫り込んだのである。」

とある。黄帝の代とは,紀元前2510年~紀元前2448年ということになる。殷は,(紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年とされ,現在存在する中での最古の漢字は,この殷墟から発掘される甲骨などに刻まれた甲骨文字とされているそうである。

馬-oracle.svg.png

(甲骨文字「馬」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%AD%97より)


文字として使用できる漢字が出来上がったのは約3300年前のこの頃とされ,この甲骨文字は物を見たままを描く象形文字であり,その他,

「ある種の事態を表現する動詞や形容詞の文字も存在した。例えば、『立』の原型である人が地面を表す横棒の上に書かれた字(指示文字)、女性が子供をあやす様から『好』や人が木の袂(たもと)にいる様から『休』などの字(会意文字)も既に含まれていた」

という。


参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%AD%97
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%B7
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

ラベル:漢字 真名
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2018年03月08日

やっと


「やっと」は,

実現や成立がむずかしい物事が,どうにかこうにかなりたつさま,かろうじて,ようやく,
(上方語)たくさん,多く,
(上方語)ずっと,はるかに,

とあり,さらに,感嘆語として,

掛け声や応答の声,

でもあると『広辞苑』には載る。

やっとな,
やっとまかせ,

とも言ったりする。

よいとこしょ(せ),
よいとこな,
よいやさ,

ともつながる。「よいとまけ」は,その掛け声ともつながるが。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/38yo/yoitomake.htm

は,

「ヨイトマケとはもともと重い物を滑車で上げ下げするときや、網を引き上げるときに言った『よいとまぁけ』という掛け声のことである。これが転じ、建築で重しの槌や柱を上げ下げし、地盤を突いて地固めをする労働のこと自体や、その労働をする人をヨイトマケというようになった。また、かけ声の違いから『えんやこらや』と言うエリアもある。ヨイトマケの多くは女性で、稼ぎの少ない夫を持った妻や、夫に先立たれた妻が家族を養うための仕事でもあった。このことから、ヨイトマケ=働く女性という意味合いで使われることも多い。」

としている。

閑話休題。

さて,「やっと」であるが,『広辞苑』は載せないが,『デジタル大辞泉』は,

漸と,

の字を当てている。「漸」の字が,

「斬(ザン)は『車+斤(おの)』の会意文字で,車におのの刃を食いこませて切ること。割れ目に食い込む意を含む。漸は『水+音符斬』で,水分がじわじわと裂け目にしみこむこと。訓の『やうやく』は『やや+く』の変化したもの」

とあり,この字から逆算すると(邪道だが),

ようやくと→ようやっと→やっと,

といった転訛が想像されるが,『日本語源広辞典』は,

「ヤット(ずっと,たくさん)の意の副詞です。転じて,やっとの思い,やっとの事で,を表すようになり,『かろうじて,ようやく』の意を表すようになったのです」

として,「たくさん」の意から,意味が広がったという説を採る。『大言海』は,

「曳(エイ)との轉。力を入るるより云ふ」

と,掛け声の「やっと」から,意味が抽象度を上げた,という説を採る。どちらかというと,これが,擬態語や擬音語の多い和語の実態に叶っているように思える。

曳(エイ)と,

から,

えんや,
えいや,
えんやらや,
えんやらやっと,

と広がった掛け声から「やっと」が出たとすると,「えんやらやっと」の転訛と見ることもできる。「えんやらやっと」は,

かろうじて,ようやくのことに,

という意味で,『デジタル大辞泉』には,

えんやらやっと持ち上げる,

という用例が載るが,これでいくと,「えんやらやっと」が,一方で,

えんやらやっと→やっと,

と,他方で,

えんやらやっと→えんやらや,

と,転じて行ったと見ることもできる。そのようやく成し遂げたという感じが,

辛うじて物事をするさま,

の意にも,

何とかかんとか,

の意にも,

ながらく,

の意にも,

たくさん,

の意にもつながる気がする。それは,

やっとこさっとこ,

という言葉にも通じる。やはり,擬態(音)語由来である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年03月09日

うづき


「うづき」は,

卯月,

と当てる。陰暦四月の異称である。陰暦四月には,この他,

陰月(いんげつ),植月(うえつき),卯花月(うのはなづき),乾月(けんげつ),建巳月(けんしげつ),木葉採月(このはとりづき),鎮月(ちんげつ),夏初月(なつはづき),麦秋(ばくしゅう),花残月(はなのこりづき),孟夏(もうか),

等々の異名があるらしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%88)。

『広辞苑』には,「うづき」の由来を,

「十二支の卯の月,また,ナウエヅキ(苗植月)の転とも」

と載せる。しかし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/u/uzuki.html

は,

「卯月は、卯の花が咲く季節なので、『卯の花月』の略とする説が有力とされ、卯月の『う』 は『初』『産』を意味する『う』で、一年の循環の最初を意味したとする説もある。 その他、 稲を植える月で『植月』が転じたとする説もあるが、皐月の語源と近く、似た意味から別の月名が付けられたとは考え難い。 また、十二支の四番目が『卯』であることから、干支を 月に当てはめ『卯月』になったとする説もあるが、他の月で干支を当てた例がないため不自然である。仮に、卯月だけに干支を当てられたとしても、月に当てられる干支は一月から順ではなく、陰暦の四月が『巳』,『卯』は陰暦の二月である。」

と,「干支の卯」説には批判的である。『デジタル大辞泉』も,

「卯の花月。卯の花の咲く月の意とも、稲の種を植える植月(うつき)の意ともいう。」

と,「卯の花月」を採る。

https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%88

は,

「卯月の由来は、卯の花が咲く月『卯の花月(うのはなづき)』を略したものというのが定説となっている。しかし、卯月の由来は別にあって、卯月に咲く花だから卯の花と呼ぶのだとする説もある。『卯の花月』以外の説には、十二支の4番目が卯であることから『卯月』とする説や、稲の苗を植える月であるから『種月(うづき)』『植月(うゑつき)』『田植苗月(たうなへづき)』『苗植月(なへうゑづき)』であるとする説などがある。他に『夏初月(なつはづき)』の別名もある。」

と,やはり「卯の花月」に傾く。さらに,『日本語の語源』もまた,

「幹が中空であるところからウツロギ(空木)といったのがウツギ(空木)になった。初夏,白い鐘の形の花がむらがり咲く。それをウツギノハナ(空木の花)と呼んだのが,ウノハナ(卯の花)と略称された。陰暦四月をウノハナヅキ(卯の花月)といったのがウヅキ(卯月)になった。」

とする。しかし,『日本語源広辞典』は,三説挙げ,

説1 「雨+月」。雨の多い月の意,
説2 「植+月」。苗を植える月の意,
説3 「卯の花月」。卯の花の咲く月の意,

その上で,

「説3が通説ですが,当てた漢字が付会かもしれません」

としている。つまり,「卯月」と当てた字を以って後解釈なのかもしれない,という意である。「卯(漢音ボウ,呉音ミョウ[メウ])は,

「指示文字。門をむりに開けて中に入り込むさまを示す」

とある。干支の「卯」であるが,卯の花の意味は,ここにはない。「卯の花」とは,

ウツギ,

のことである。

ウツギ.JPG

(ウツギ (学名:Deutzia crenata)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%84%E3%82%AEより)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%84%E3%82%AE

によると,

「ウツギ(空木、学名:Deutzia crenata)はアジサイ科ウツギ属の落葉低木。ウツギの名は『空木』の意味で、茎が中空であることからの命名であるとされる。 花は『うつぎ』の頭文字をとって『卯(う)の花』とも呼ばれ」

る,とある。因みに,「オカラ」を「卯の花」と呼ぶのは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%82%89

によると,

「『から』の語は空(から)に通じるとして忌避され、縁起を担いで様々な呼び名に言い換えされる。白いことから卯の花(うのはな、主に関東)、包丁で切らずに食べられるところから雪花菜(きらず、主に関西、東北)などと呼ばれる。『おから』自体も「雪花菜」の字をあてる。寄席芸人の世界でも『おから』が空の客席を連想させるとして嫌われ、炒り付けるように料理することから『おおいり』(大入り) と言い換えていた。」

おから.jpg


とある。『たべもの語源辞典』は,

「この花の色が白くておからに似ているところからの名である。おからのカラ(空)をきらって,ウ(得)の花としたという説もあるが,これは良くない。ウは『憂』に掛けたりすることが多い。」

としている。

しかし,どうも,「卯の花」説は,他の月の命名との一貫性が損なわれる気がする。

陰暦一月の 睦月(むつき)について,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455932349.html

で触れたように,『大言海』は,

「實月(むつき)の義。稲の實を,始めて水に浸す月なりと云ふ。十二箇月の名は,すべて稲禾生熟の次第を遂ひて,名づけしなり。一説に,相睦(あひむつ)び月の意と云ふは,いかが」

とし,

「三國志,魏志,東夷,倭人傳,注『魏略曰,其俗不知正歳四時,但記春耕秋収為年紀』

を引いて,「相睦(あひむつ)び月の意」に疑問を呈して,「實月」説を採っていたし,陰暦二月の如月 (きさらぎ)についても,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/456805354.html

で触れたように,

『大言海』は,

「萌揺月(きさゆらぎづき)の略ならむ(万葉集十五 三十一『於毛布恵爾(おもふえに)』(思ふ故に),ソヱニトテは,夫故(ソユヱ)ニトテなり。駿河(するが)は揺動(ゆする)河の上略,腹ガイルは,イユルなり,石動(いしゆるぎ)はイスルギ)。草木の萌(きざ)し出づる月の意。」

として,「むつき(正月)の語源を見よ」として,「むつき(睦月・正月)」との連続性を強調していた。当然陰暦十二月の師走(しわす)も,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455892480.html

で触れたように,『大言海』は,

「歳極(としはつ)の略転かと云ふ。或は,万事為果(しは)つ月の意。又農事終はる意か,ムツキを見よ。」

と,「睦月」との関連性を強調していた。陰暦三月の弥生(やよい)についても『大言海』は,

「イヤオヒの約転。水に浸したる稲の實の,イヨイヨ生ひ延ぶる意」

と,月名に農事との関わりを一貫して守り続けている。そして,「卯月」についても,

「植月(うつき)の義。稲種を植(う)うる月,ムツキ(睦月)の語源を見よ」

とし,睦月との一貫性を崩さない。突然四月になってウツギと関わらせるのは,どう考えても無理筋ではあるまいか。

『日本語源大辞典』には,『大言海』以外のものとして,農事と関わらせる説が,

すでに播いたものがみな芽を出すことから,ウミ月の略か(兎園小説外集),
ウは初,産などにつながる音で,一年の循環の境目を卯月とする古い考え方があって,その名残りか(海上の道=柳田國男),

がある。『日本大百科全書(ニッポニカ)』によると,「卯月」は,

「この月より季節は夏に入り、衣更(ころもがえ)をした。また、この月の8日を『卯月八日』といって、この日には近くの高い山に登り、花を摘んで仏前に供えたりする行事があった。この日はまた釈迦(しゃか)の誕生日でもあり、灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、花祭などといって、誕生仏を洗浴する儀式が行われ、甘茶などを仏像にかける風がある。参詣(さんけい)者はこの甘茶をもらって飲んだり、これで墨をすって、『千早振る卯月八日は吉日よかみさけ虫をせいばいぞする』と紙に書き、便所や台所に貼(は)って虫除(よ)けとする俗信があった。」

とある。それが「卯の花」とは到底思えない。翌「皐月」は,

「早苗月」

とも言うそうだから,なおさらである。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%84%E3%82%AE
https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%88
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%82%89
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2018年03月10日

サザンカ


「サザンカ」は,

山茶花,

と書く。『広辞苑』は,

「字音サンサクワの転」

とある。「サザンカ」とは,

学名: Camellia sasanqua),ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹,

である。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/sa/sazanka.html

は,

「サザンカは,中国語でツバキ科の木を『山茶』といい,その花を『山茶花』と称したことに由来する。『山茶』と呼ばれる由来は,端が茶のように飲料となることから,『山に生える茶の木』の意味である。日本では,中世に山茶花の名が現れるが,当時は『サンザクワ(サンサクワ)』と文字通りの発音であった。これが倒置現象によって,江戸中期頃から,『サザンクワ(ササンクワ)』となり,『サザンカ』となった。古く,『山茶花』は『椿』と同じ意味の漢語として扱われ,『日葡辞典』でも,『ツバキと呼ばれる木の花』と解説されていたが,江戸時代には入り,現在で言う『サザンカ』を指すようになった。」

DSC00687 - コピー.JPG

(サザンカの花)

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%82%AB

によると,

「漢字表記の山茶花は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来し、サザンカの名は山茶花の本来の読みである『サンサカ』が訛ったものといわれる。もとは『さんざか』と言ったが、音位転換した現在の読みが定着した。」

とある。しかし,

http://www.sato-tsubaki.co.jp/name.shtml

によると,

「万葉時代、奈良朝では隋、唐に遣随使、遣唐使を派遣して日本の特産樹、特産油である椿、椿油が中国に渡ったが、当時の中国文化の中心は北方にあって、そこは温暖な地域で育つ椿の分布圏ではない。したがって、その漢名などあろうはずもなく、日本人のつけた漢名である海石榴、海石榴油の文字が椿、椿油といっしょに導入れたのだ,とされます。(中略)椿は日本から中国へ舶載された数少ない特産物の一つでありました。
 現代では、中国においてカメリア科、カメリア属を指す語は『茶』でありますが(茶科、茶属)、葉や新芽を摘んで茶にするものも『茶』、種子から油を採るものは『油茶』、花を鑑賞するものを「茶花」と呼んでいます。」

とあるので,「山茶花」のもとの「山茶」は,日本から伝来した「ツバキ」に由来するらしい。この説によると,「ツバキ」として献上され,「山茶花」として戻ってきたことになる。しかし,山茶花と椿は,別である。

「ツバキ」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD#cite_note-2

に,

「ツバキ(椿、海柘榴)またはヤブツバキ(藪椿、学名: Camellia japonica)は、ツバキ科ツバキ属の常緑樹。照葉樹林の代表的な樹木。」

とあり,「サザンカ」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%82%AB

に,

「漢字表記の山茶花は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来」

とあり,中国へ伝播したときは,「ツバキ」だが,ツバキ類一般に概念が広がり,日本へ「山茶」として戻ってきたときは,「サザンカ」と限定された,ということになるのか。「ツバキ」については,別途触れるとして,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD#cite_note-2

に,サザンカとの見分け方として,

「・ツバキは花弁が個々に散るのではなく萼と雌しべだけを木に残して丸ごと落ちるが(花弁がばらばらに散る園芸品種もある)、サザンカは花びらが個々に散る。
・ツバキは雄しべの花糸が下半分くらいくっついているが、サザンカは花糸がくっつかない。
・ツバキは、花は完全には平開しない(カップ状のことも多い)。サザンカは、ほとんど完全に平開する。
・ツバキの子房には毛がないが(ワビスケには子房に毛があるものもある)、サザンカ(カンツバキ・ハルサザンカを含む)の子房には毛がある
・ツバキは葉柄に毛が生えない(ユキツバキの葉柄には毛がある)。サザンカは葉柄に毛が生える。」

と載る。ツバキ(狭義のツバキ。ヤブツバキ)とサザンカはよく似ているが,特に,原種は見分けやすくても,園芸品種は多様性に富むので見分けにくい,とある。

さて,「サザンカ」の語源は,したがって,

http://yain.jp/i/%E5%B1%B1%E8%8C%B6%E8%8A%B1

の,

「中国で、葉が茶に似ていることから『山茶』とよばれ、その花を『山茶花』とした。日本では中世のころは『さんざか』と呼んでいたが、音位転換して現在の『さざんか』と呼ばれるようになった。」(『由来・語源辞典』)

に尽きているのかもしれない。ただ,『日本語の語源』は,異説を挙げ,

「花のない冬,四国・九州の暖地に美しい花が咲き乱れているところからサキサカル(咲き盛る)花と呼んだ。『キ』の撥音便でサンサカ(山茶花)になり,転位してサザンカ(山茶花)という」

としている。もともと「ツバキ」と「サザンカ」は別種としてある。とすれば,「山茶」として逆輸入されたとき,元々あった名を当てたと考えられなくもない。なぜなら,

「山茶は,ツバキ」

と,『字源』にはある。「山茶」が入ったとき,「ツバキ」とは区別するために「サザンカ」に,「山茶」を当てた,とも考えられる。

「音位転換」(おんいてんかん、英語: metathesis)とは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E4%BD%8D%E8%BB%A2%E6%8F%9B

に,

「言語の、とりわけ語形の経時変化や発音・発語に関連した言葉で、語を構成する音素の並び順(以下、音の並び)が入れ替わってしまうこと。英語のまま『メタセシス』と呼ばれることもある。
かなとかなが入れ替わる形で(より正確にはモーラを単位として)起こることが比較的多いが、子音だけが入れ替わったり、複数のモーラがまとまって動くようなケースもなくはない。子どもがよく間違える。『タガモ(卵)』『すいせんかん(潜水艦)』『ふいんき(雰囲気)』など。アニメ映画『となりのトトロ』では妹のメイがトウモロコシをちゃんと言えずトウモコロシと言ったり、オタマジャクシをオジャマタクシと言ってしまったりする。北陸では「生菓子」を「ながまし」というように方言として定着する場合もある。」

とある。

http://studyenglish.at.webry.info/201310/article_3.html

には,「シミュレーション」を「シュミレーション」と言ってしまうのもその例としていたが,

「音位転換の中にはすっかり日本語として定着してしまって原形が忘れられているものもあります。(中略)「だらしない」はそもそも「しだらない」という言葉が変化したそうです。和語では濁音を文頭に置くと印象が強くなるためそうなったのではという説があります。」

として,音位転換の例を,

しだらない→だらしない
あらたし→あたらしい(新しい)
さんざか→さざんか
したつづみ→ したづつみ(舌鼓)
あきばはら→あきはばら

等々の例を挙げている。

参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年03月11日

主体幻想


ダニエル・C・デネット『スウィート・ドリームズ』を読む。

スウィート・ドリームズ.jpg


本書は,サブタイトルに,

Philosophical Obstacles to a Science of Consciousness

とあるように,『解明される意識』以後十年,著者がこれで解決したと考えていた意識問題が「哲学的」に議論され続けている状況が科学の進展を阻害するものとして批判・糾弾する内容になっている。タイトルの,

「スウィート・ドリームズ」

とは,クオリアをはじめとする意識の特徴が実体のないものであり,「甘い夢」に過ぎないことを揶揄する挑戦的なタイトルになっている。『解明される意識』については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455379804.html

で触れたように,そこで,著者は,

多草稿モデル(multi-draft model)

を提案していた。これはその後,

脳内の名声(あるいは「脳内の有名人」)モデル,

と改められ,さらに,

意識の「ファンタジー・エコー」理論,

と名づけられることになる。それは,

「意識はテレビではなく,名声に似たものである」

というもので,

「意識とは,内容を担う出来事が意識になるために『変換され』なければならない特別な『表現媒体』ではないのであり,むしろ,意識とは,脳の中の内容を担う出来事が名声を求める(あるいは,ともかくも,潜在的に名声を求める)他の出来事と競争して名声のようなものに到達することである。」

そして,脳内の小人(ホムンクルス)を出汁に,こう展開して行く。

「しかし,もちろん,意識は脳の中の名声ではありえない。なぜなら,名声があることは,多くの人々の意識を持つ心の中で共有される志向的対象であることだからである。そして,脳が無数の小人たちで構成されているものとして理解することは有用であるが,小人たちが一部の同胞を脳内有名人へ昇格させるために必要がある程度に,その小人たちを意識をもつものであると想像しようとするならば,私の意識の理論に明白な無限後退を組み込むことになってしまう問題が生じるだろう。この無限後退の可能性は,しばしばこのような前兆をうまく封じる方法,すなわち,基本的な考え方を放棄するのではなく,それを柔軟にすることによって止めることができる。そのような小人たちが,それが一部となって構成する知的媒体よりも愚かで無知である限り,小人の中の小人の埋め込みは有限で,機械に置き換えられる程度に,たいしたことのないエージェントの段階でそこを打つことがあり得る。
 したがって意識は,名声というよりは影響力,すなわちその時点において身体を制御する対立する諸過程における一種の相対的な政治力というようなものである。(中略)私たちの脳は民主的であり,実際は無政府状態ですらある。脳の中にはいかなる王も国営テレビ放送の公式視聴装置もデカルト劇場も存在しないが,内容が長期にわたって行使する政治力には,今もまだかなり際立った差異がある。意識の理論が説明しなければならないのは,比較的少数の内容がこの政治的力に高められ,その他のほとんどの内容が脳の中で展開するプロジェクトの中でささやかな役割を果たしたあと,雲散霧消し忘れ去られるのはなぜかということである。
 なぜこれが意識の理論の課題なのか? なぜなら,それこそが意識的なった出来事がなすことだからである。意識的な出来事が停滞し,『脚光を浴びて』時間を独占する。しかし,私たちはこの魅力的な比喩とその類縁である注意のサーチライトという考えを説明して消し去らなければならない。そのためには,注意を向ける単一の原点を前提にしないで,注意をつかむという機能的な力を説明しなければならない。」

ここにあるのは機能主義で,

「昨日主義とは,行いの立派な人が立派な人であるという古い諺にも奉られた考え方で背ある。つまり,物質は物質がなし得ることのみゆえに重要である。」

という立場であり,その意味では,どこかに中央集権的な主体というものがある,という古くはデカルト流の二元論を徹底的に批判する。しかし,たとえば,

「反省に関する反省状態であるメタ状態と,メタメタ状態に置かれるこれらすべての能力傾向とメタ能力けいこうといったもののすべてを…ある種のロボットに作り込むことは可能だろう。私は,この内部状態切り換えの軌跡は,私の意識の流れを説明する際の『一人称的』説明に驚くほど似ているようにみえると思う。しかし,ロボットのそういう状態には,実在する感触,現象的特質がいっさいふくまれていないだろう! 」

と,「クオリア」が抜けている,という批判はしつこくついて回る。それに,著者は,

「あなたがクオリアを,論理的にはあらゆる能力的性質と無関係に,すべての因果関係から切り離して考慮された経験の内容的性質として定義するなら,それらは,広義の機能主義のすべてを回避することが論理的に保証される。しかし,それは空しい勝利である。このような性質の存在を信じる理由がまったくないからである。」

と断言する。脳の機能の外に,それを置くことは,二元論の「われ」を無限後退させていくのと同じである。主体も,クオリアも,脳の機能として説明できる日が来るのではないか。著者は,

「意識状態には多くの性質があり,それらは今後の科学的調査の対象とすることが可能でもあり,また,対象とすべきである。そして,準備が整って私たちが説明を受けるならば,ただちにそれらの説明が,意識とは何であるかを説明するものとして満足すべきものとして判断してもおかしくないだろう。結局,これはかって生命とは何かに関する不可解性の場合に起きたことである。」

と締めくくる。生命と同じように,説明できる日がくる,ということである。

それにしても,この活発な議論は何だろう。議論の中から,真理が創り出される,を地でいくこの環境にただ羨望するのみである。問いと問いとのぶつかり合いのないところに,けっして真理は拓かれない,とつくづく思う。

参考文献;
ダニエル・C・デネット『スウィート・ドリームズ』(NTT出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年03月12日

ツバキ


「ツバキ」は,

椿,
海石榴,
山茶,

と当てる。「サザンカ」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/457793476.html?1520625823

で触れたように,中国では,「つばき」を「山茶」と書く。でそれが,「サザンカ」の「山茶花」に当てられたことは,書いた。

やまつばき.jpg



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD

によると,

「ツバキ(椿、海柘榴)またはヤブツバキ(藪椿、学名: Camellia japonica)は、ツバキ科ツバキ属の常緑樹。照葉樹林の代表的な樹木。日本内外で近縁のユキツバキから作り出された数々の園芸品種、ワビスケ、中国・ベトナム産の原種や園芸品種などを総称的に『椿』と呼ぶが、同じツバキ属であってもサザンカを椿と呼ぶことはあまりない。」

とある。「サザンカ」で触れたことと重なるが,「ツバキ」は,「サザンカ」と違い,

花弁が個々に散るのではなく萼と雌しべだけを木に残して丸ごと落ちる,
雄しべの花糸が下半分くらいくっついているが,サザンカは花糸がくっつかない。
花は完全には平開しない(カップ状のことも多い)が,サザンカはほとんど完全に平開する,
子房には毛がないが,サザンカ(カンツバキ・ハルサザンカを含む)の子房には毛がある,
葉柄に毛が生えないが,サザンカは葉柄に毛が生える,

という。さて,「ツバキ」の語源であるが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/tu/tsubaki.html

は,

「語源には、光沢のあるさまを表す古語『つば』に由来し、『つばの木』で『つばき』になったとする説。『艶葉木(つやはき)』や『光沢木(つやき)』の意味とする説。朝鮮語 の『ツンバク(Ton baik)』からきたとする説など諸説ある。漢字『椿』は、日本原産のユキツバキが早春に花を咲かせ春の訪れを知らせることから、日本で作られた国字と考えられている。一方中国では、『チン(チュン)』と読み、別種であるセンダン科の植物に使われたり、巨大な木や長寿の木に使われる漢字で、『荘子』の『大椿』の影響を受けたもので国字ではないとの見方もある。なお、ツバキの中国名は『山茶(サンチャ)』である。」

とある。『大言海』には,

「艶葉木(ツヤバキ)の義にて,葉に光沢あるを以て云ふか。椿は春木の合字なり,春,華あれば作る。或は云ふ,香椿(タマツバキ)より誤用すと。然れども,香椿は,ヒャンチンと,唐音にても云へば,後の渡来のものならむ。海石榴の如く,花木の海の字を冠するば,皆海外より来れるものなり」

とある。『日本語の語源』は,

「アツバキ(厚葉木)-ツバキ(椿)」

とし,『由来・語源辞典』

は,

http://yain.jp/i/%E6%A4%BF

「葉が厚いことから『厚葉木(あつはき)』、葉に光沢があることから『艶葉木(つやはき)』の意など、語源については諸説ある。『椿』と書くのは、春に花が咲く木の意で作られた国字。」

としている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD

は,

「和名の『つばき』は、厚葉樹(あつばき)、または艶葉樹(つやばき)が訛った物とされている。」

としており,葉の厚さか,艶かのいずれかというところになるが,『日本語源広辞典』は,三説載せる。

説1は,「ツバ(唇)+木」。赤い唇のような花の木の意,
説2は,「ツハル(芽ぐむ)+木」。春の始め内部からツハル木,
説3は,「ツ(艶)+葉+木」。年中艶のある葉をもつ木,

『日本語源大辞典』は,上記以外に,

ツキヨキ葉の木の義か(和句解),
テルハギ(光葉木)の義(言元梯),
冬柏の意の朝鮮語ツンバクからか(語理語源=寺尾五郎),
葉の変らないところから,ツバキ(寿葉木)の義(和語私臆鈔),
ツ(処)ニハ(庭)キ(木),もしくはツニハ(津庭)キ(杵=棒)で,聖なる木,神木の意(語源辞典=植物篇=吉田金彦),
朝鮮語(ton-baik)(冬柏)の転(植物和語語源新考=深津正),

等々がある。ま,しかし,葉の特徴とみて,艶か厚さの何れかというのが妥当なのだろうと思う。

問題は,当てた「椿」の字である。

『広辞苑』は,

「『椿』は国字。中国の椿(ちゆん)は別の高木」

とするし,多く,中国では,別の木とする。「椿」(チン,漢音・呉音チュン)の字は,

「『木+音符春(シュン・チン)(ずっしりとこもる)』で,幹の下方がずっしりと太い木」

を意味し,センダン科の落葉高木。という別の木を指す。我が国では,「ツバキ」に当てたし,「闖入(ちんにゅう)」の「闖」に当てた誤用から,「不意の出来事,変ったこと」の意に用い,「珍事」に「椿事」,「珍説」に「椿説」と当てたりする(『漢字源』『字源』)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD

によると,

「『椿』の字の音読みは『チン』で、椿山荘などの固有名詞に使われたりする。なお『椿』の原義はツバキとは無関係のセンダン科の植物チャンチン(香椿)であり、『つばき』は国訓、もしくは、偶然字形が一致した国字である。歴史的な背景として、日本では733年『出雲風土記』にすでに椿が用いられている。その他、多くの日本の古文献に出てくる。中国では隋の王朝の第2代皇帝煬帝の詩の中で椿が『海榴』もしくは『海石榴』として出てくる。海という言葉からもわかるように、海を越えてきたもの、日本からきたものを意味していると考えられる。榴の字は、ザクロを由来としている。しかしながら、海石榴と呼ばれた植物が本当に椿であったのかは国際的には認められていない。中国において、ツバキは主に『山茶』と書き表されている。『椿』の字は日本が独自にあてたものであり、中国においては椿といえば、『芳椿』という東北地方の春の野菜が該当する。」

とあり,

「『つばき』は国訓、もしくは、偶然字形が一致した国字」

というのが妥当だろう。しかし,これまでいろんな面で見てきた渡来人を含めた古代の人々の知識から見て,既存の「椿」の字があるのに,作字するとは思えない気がする。

http://www.sato-tsubaki.co.jp/name.shtml

には,

「一つの有力な仮説として『朝鮮語が転訛したものである』という説があります。これは、椿が中国の沿海諸島から朝鮮半島南海岸地方を経由して日本に伝播したとするもので、椿に当たる朝鮮語の冬柏(ton baik:トンベイ)が転訛して日本語の『椿(つばき)』になったという説です。また、当時『つばき』を海石榴と書いていたことも、この説を有力なものとしています(なお、海石榴は正しい漢名ではなく日本人の付けた名前だとされます)。
 すなわち、この説によれば、つばきは海外すなわち朝鮮から入った石榴(ざくろ)の意味だというのです。三韓時代にはすでに朝鮮南部において、つばきの利用法や椿油の製法が発達していたものと推定され、わが国の椿油の貢献国(産油地でもある)がいずれも朝鮮半島に近接した地方であることから、これらと同時に『つばき』の名前がわが国に渡来したのだ、という訳です。)」

とある。これによれば,日本からの献上品の「ツバキ」が海石榴とよばれ,それが逆輸入されたことになる。サザンカと似た現象だが,「椿」の字が強く残ったのは,「椿」の字をすでに当てていたからかもしれない。

この「椿」が国字ではなく,

「『荘子』の『大椿』の影響を受けたもの」

とあるのは,

http://www.sato-tsubaki.co.jp/name.shtml

のいう,

「日本では朝鮮から来た石榴に似た木では漢名としては不合理なため、中国の架空の植物名で、迎春の花、長寿の花木である『大椿』の漢字を借りて、『日本の椿』にふさわしい『椿』の字を当てたものと考えられます。」

と,僕も思う。「大椿」は,『荘子』の「逍遥遊」篇の,

小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず
奚(なに)を以て其の然(しか)るを知る
朝菌(チョウキン)は晦朔(カイサク)を知らず
蟪蛄(ケイコ)は春秋を知らず
此れ小年なり
楚の南に、冥霊(メイレイ)なる者あり
五百歳を以て春と為し、五百歳を秋となす
上古、大椿(タイチン)なる者あり、八千歳を以て春と為し、八千歳を秋と為す
而して彭祖(ホウソ)は乃(すなわ)ち今、久(ひさ)しきを以て特(ひと)り聞(きこ)ゆ
衆人これに匹(ひつ)せんとする、亦(ま)た悲しからずや
http://fukushima-net.com/sites/meigen/423より)

の,

上古、大椿(タイチン)なる者あり、八千歳を以て春と為し、八千歳を秋と為す,

から来ている。「大椿」は,だから,

中国古代の伝説上の大木の名。8000年を春とし、8000年を秋として、人間の3万2000年がその1年にあたるという。転じて、人の長寿を祝っていう語(『大辞林』『デジタル大辞泉』)。

という意味になる。ここから,人間の長寿を祝って言う,

大椿の寿,

という諺がある。これを知らなかった,とは思えないのである。

なお,ユキツバキは,

ユキツバキ.JPG



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD

によると,

「別名、オクツバキ、サルイワツバキ、ハイツバキ。主に日本の太平洋側に分布するヤブツバキが東北地方から北陸地方の日本海側の多雪地帯に適応したものと考えられ、変種、亜種とする見解もある。」

とある。ここから,数々の園芸種が生み出された。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD%E5%B1%9E
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD
http://fukushima-net.com/sites/meigen/423
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%

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2018年03月13日

イチジク


「イチジク」は,

無花果,
映日果,

と当てる。『広辞苑』には,

「中世ペルシャ語anjīrの中国での音訳語『映日果(インジークォ)』がさらに転音したもの」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B8%E3%82%AF

にも,

「『無花果』の字は、花を咲かせずに実をつけるように見えることに由来する中国で名付けられた漢語で、日本語ではこれに『イチジク』という熟字訓を与えている。中国で『映日果』は、無花果に対する別名とされた。
『映日果』(インリークオ)は、イチジクが13世紀頃にイラン(ペルシア)、インド地方から中国に伝わったときに、中世ペルシア語『アンジール』(anjīr)を当時の中国語で音写した『映日』に『果』を補足したもの。通説として、日本語名『イチジク』は、17世紀初めに日本に渡来したとき、映日果を唐音読みで『エイジツカ』とし、それが転訛したものされている。中国の古語では他に『阿駔』『阿驛』などとも音写され、『底珍樹』『天仙果』などの別名もある。
伝来当時の日本では『蓬莱柿(ほうらいし)』『南蛮柿(なんばんがき)』『唐柿(とうがき)』などと呼ばれた。いずれも“異国の果物”といった含みを当時の言葉で表現したものである。」

と,ペルシャ語由来,中国語経由説を採る。さらに,『日本語の語源』も,

「いちじくのルーツはイランで,かの地ではアンジーとかエンジーという。中国に渡来したとき,『映日』で表音してインジクォ(映日果。李時珍の『本草綱目』)といった。寛永年間にわが国に伝来したとき,発声を明確にするため,撥音をチに換えてイチジク(無花果)と唱えた(安藤正次『言語学概論』)。ペルシャ語が中国語を経由して日本語化したわけである。」

とし,『たべもの語源辞典』も同じ説を採る。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/i/ichijiku.html

は,

「いちじくの漢字『無花果』は,花嚢の内部に無数の雄花と雌花をつけるが,外からは見えないことから付けられた当て字である。 いちじくは,ペルシャ語の『Anjir』がヒンズー語で『Injir』になり,中国語で『映日(イェンジェイ)』と音写し,更に『果(クォ)』が加えられた。『映日果(イェンジェイクォ)』が日本に入り,『イチジク』と呼ばれるようになった。また,『イェンジェイクォ』から『イチジク』の変化は,単に日本人が聞き取ったのが『イチジク』であったとする説と,いちじくのすこしずつ熟してゆく過程『一熟(いちじゅく)』の意味として捉えたため,『イチジク』になったとする説がある。」

として,少し含みを持たせている。『大言海』は,

「和漢三才圖絵(正徳)八十八,無花果『俗云一熟云々,一月而熟,故名一熟』。和訓栞,後編,いちじく『一熟の義』。重修本草綱目啓蒙(享和)廿二『無花果,いちじく』。佐渡志(文化)五『無花果,いちじく』音韻假字用例に,熟(じゅく),塾(じゅく),じくは,中略和音なりとあり,イチジュク,ジュクセイ(塾生)などと發音するものは一人もなし。以下略」

と記するのみで,「一熟」説を批判するにとどめている。なお,

「大和本草(正徳)十,無花果『寛永年中,西南洋の種を得て,長崎に植ふ。今,諸国に有之云々』」

と載せて,寛永年中(1624-43)に伝来したものらしい。

『日本語源広辞典』は,

「語源は,『中世ペルシャ語anjiir アンジェール』です。中国音訳は,映日果インジークォ,意訳した語が『無花果』です。近世に渡来。日本で犬枇杷をイチジクと呼んでいましたが,これと似ていたので無花果をイチジクといいます。『イチ(美)+熟』で,『ウマク熟する実』です。イチゴ,イチビコのイチと同源です。ゆえに,直接のペルシャ語源と言えるかどうか疑問です。ちなみに,無花果と書きますが,果実そのものが,花で,花を食用としている果物なのです。」

いちぢく.jpg


としている。僕は,

映日果(インジークォ)を意訳した語が無花果,

であり,

日本の犬枇杷と似ていたので無花果をイチジクとした,

というのが妥当だと思う。因みに,「犬枇杷」とは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%83%93%E3%83%AF

には,

「イヌビワ(犬枇杷、学名: Ficus erecta)は、クワ科イチジク属の落葉小高木。別名イタビ、姫枇杷。果実(正確にはイチジク状果という偽果の1種)がビワに似ていて食べられるが、ビワに比べ不味であることから『イヌビワ』の名がある。」

いぬびわ.jpg


とあり,「びわ」より「イチジク」により似ている。そう命名したのがわかる気がする。

「映日果」の転音説,一熟説以外に,

イタメチチコボル(傷乳覆)の約転(名言通),

という説もある。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%83%93%E3%83%AF
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B8%E3%82%AF
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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2018年03月14日

つばき(唾)


「つばき」は,

つば,

とも言う。

唾,

と当てる。『広辞苑』は,「つば」の項で,

古くはツハ,

とし,『日葡辞典』の「ツワ」を載せる。「つばき」の項では,

「動詞ツハクの連用形から。古くはツハキ・ツワキ」

と載せる。『岩波古語辞典』も,

「古くはツハキと清音。室町時代にはツパキ・ツワキの形が現れた」

とあり,室町末期の『日葡辞典』に「ツワキ」とあるのが納得できる。『岩波古語辞典』に,

「古くは,ツだけで唾液を表したが,ツバ(唾)という用語もある。Tufaki」

とあり(『広辞苑』『岩波古語辞典』『大言海』ともに「つ」(唾)の項が載る),

「液,小児口所出汁也,豆波木(つはき)」(新撰字鏡),
「唌,ツハキ」(名義抄),
「唾,ツワキ」(文明本節用集),
「唾,ツバキ」(明応本節用集),

と変化の跡を載せている。で,「つ」(唾)から,唾を吐く意の,

「つはき(唾吐き)」,

唾液を飲み込む意の,

「つ(唾)を引く」

という言い方があった。『学研全訳古語辞典』には,「つはく(唾吐く)」(カ行四段活用)の項で,「つばを吐く」意と載る。『広辞苑』の「ツハク」は,この意である。で,『日本語源広辞典』は,「つばき」の語源を,

「『ツ(唾)+吐き』の変化です。古語ツは,唾。ツバキとも。動詞のツハク(ツ+吐く)から,ク音脱落より,唾となった」

とする。「つばき」の語形変化については,『日本語源大辞典』は,

「『十巻本和名抄』に『都波岐』,『新撰字鏡』に『豆浪支』とツハキの語形が見える。院政期加点と目される『高僧伝長寛元年点』に,『唾手(ツワキハイテ)』の語形がみえるところから,ツハキ→ツワキの変化が私的できる。ツバキと濁音化した例は,室町時代からみられ,『堯空本節用集』に『唾 ツバキ』と見えるほか,『日葡辞典』の見出し語にも見える。室町時代には,ツバキのほかに,ツハキ,ツワキ,ツ,ツハ,ツバ,ツワの語形が存する。このような状態は江戸時代まで続くが,次第にツバキがツバと共に優勢となる。なお,ツハキ→ツハケ,ツバキ→ツバケの変化も室町時代以降に生じたものの,一般化せず『日本語俗語辞典』の域にとどまっていた。」

と載せている。しかし,「つばき」は,

ツ(唾)吐く,

意の略であって,

ツ(唾)吐く→(ツハク→ツワキ→ツバキ)→ツバ(唾),

と,変化したことの意味は分かるが,「つ」がツバの語源の謂れは明らかではない。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/tu/tsuba.html

も,「つば」について,

「『つば』は『つばき』の『キ』が脱落した語。 古くは『ツハキ』と清音で 、『ツ』が『唾』、『ハキ』が『吐く』を意味し、唾を吐くという意味の動詞であった。 平安時代 頃より、『ツハキ』は『唾液』の意味で使われ始め、ハ行転呼音で『ツワキ』と、濁音化した『ツバキ』の形が見られるようになる。江戸時代に入ると、『キ』の脱落した形での使用が 増え、『つば』が一般的な呼称となった。」

とやはり,「つばき」の語形変化をたどるだけである。「唾吐き」以外の語源説は,

ツはイズ(出)の上略で,人体から出るものであるところから。ハキは吐の義(日本釈名),

のみである。後は,

ツバ気の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ツバは口・舌・脣の意。キは液汁をいう(国語の将来=柳田國男),

と,ちょと「つ(唾)」から外れていく気がする。「つ」が「イズ(出)」と言うのもいいが,和語が擬音語・擬態語が多いことから見ると,「つ」は擬態語なのかもしれない。臆説かもしれないが,擬態語に,

「つー」

というのがある。

「糸で引かれたように真直ぐに移動する様子」

を示すという。上記の『新撰字鏡』の,「液,小児口所出汁也,豆波木(つはき)」という「つば」の説明から考えると,これではないか,と独り合点するのだが。

因みに,「唾」の字は,

「垂は『作物の穂の垂れた形+土』の会意文字。唾は『口+音符垂』で,口からだらりと垂れさがるつば」

の意である。

https://99bako.com/2212.html

に,

「『つば』は漢字で『唾』と書き『つばき』がより正確な言葉です。(中略)『つば』は話し言葉です。書き言葉としてはふさわしくありませんので、かしこまった表現が求められる文書の中で『つば』を使うことはできません。」

とあるのは,如何なものか。語形変化からみたとき,こういう断定は,一方的に過ぎるし,ばかげている。今日の紺色一辺倒の終活服装と似た,頑迷固陋さを感じさせるだけである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

ラベル:つばき
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2018年03月15日

まゆ(眉)


「まゆ」は,

眉,

と当てる。

眉毛(まゆげ),

とも言うし,

まよ,
まよね,
まみえ,
かうのけ,
まゆね,
まよね,

とも言うと,『大言海』には載る。言うまでも無く,

目の上部に弓状に生える毛のこと,

である。『岩波古語辞典』には,

古形マヨの転,

とあり,「まよ」には,

マユの古形,

とある。

『大言海』は,「まゆ」の語源を,

「目上(まうへ)の約転かと云ふ」

とするが,「まよ」が「まゆ」の古形なら,この説は成り立たない。しかし,「まよ」の項で,『古事記』から,

「麻用(まよ)がき濃に,かき垂れ,逢はししをみな」(応神),

を引用しており,「まよ」が『古事記』で使われていることを記している。

『日本語源広辞典』は,「まゆげ」の語源を,

「マ(目)+ゆ・よ(そばにあるもの)+毛」

とする。「まよ」と関わらせている。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ma/mayuge.html

は,

「目の上にあることから、『マノウヘ(目の上)』『マウヘ(目上)』の意味と考えられる。 ただし、古くは『マヨ』と言い、音変化して『まゆ』となっているため、『マノウヘ』『マウヘ』が直接音変化したものではない。『マミ』とも読むことから、「眉」の 呉音『ミ』からとする説もある。 漢字は、目の上に毛があることを描いた象形文字である。」

と,『大言海』説では,「まよ」からの由来がはっきりしない。

Black_eyebrow.jpg

(目の上部にある眉毛 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%89%E6%AF%9Bより)


『日本語源大辞典』は,「マウヘ」説以外に,

メウヘ(目上)の約転(日本釈名・名言通),
マユ(目上)の義(柴門和語類集),
マユ(目従)の義(和語私臆鈔),
マウヘゲ(目上毛)の義(日本語原学=林甕臣),
メウヘゲ(眼上毛)の義(本朝辞源=宇田甘冥),
マウヘノケの略転か(風土と言葉=宮良当壮),
マユ(蚕)の義,またマヨケ(両横毛)の義(言元梯),
「眉」の字音から(外来語辞典=荒川惣兵衛),

とある。僕は,古形「まよ」から考えると,

マユ(蚕)の義,

というのは捨てがたい。「繭」の項で改めるが,「繭」も,

まよ,

と万葉集で言われていることもあり,「眉」と「繭」がつながる気がしてならない。ただの素人の語感,

眉という言葉の感覚,

繭という言葉の感覚,

の類似だけに依るのだが,『日本語の語源』は,「マユ(繭・眉)」として,こう述べている。

「『万葉集』に,マユ(繭・眉)をマヨという。マヨゴモリ(繭籠り)・ニヒクハマヨ(新桑繭)。マヨネ(眉根)・マヨガキ(眉書)・マヨヒキ(眉引き)など。雄略記のマユワ(眉輪)王が『古事記』にはマヨワ(目弱)王にかわっている。」

漢字を当てなければ,「繭」も「眉」も「まゆ(よ)」でしかない。同源の可能性は高い気がする。

因みに,「眉」(漢音ビ,呉音ミ)の字は,象形文字で,

「目の上のまゆがあるさまを描いたもので,細くて美しいまゆ毛のこと」

とある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

ラベル:まゆ 眉毛
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2018年03月16日

まゆ(繭)


「まゆ」は,

繭,

と当てる。この「繭」(音ケン)の字は,

「『両側に垂れるさま+糸+虫』で,虫の糸が垂れて出てくるまゆをあらわす」

とある。

https://okjiten.jp/kanji1861.html

は,

「会意文字です。『桑』の象形と『より糸』の象形と『頭が大きくグロテスクな蚕(かいこ)』の象形から、糸を吐いて蚕が身を覆う『まゆ』を意味する『繭』という漢字が成り立ちました。」

と,より具体的である。

k-1861.gif



「まゆ(繭)」も「まゆ(眉)」と同様,

古形はマヨ(mayo),

である(『岩波古語辞典』)。『大言海』は,

「又,マヨ,訛して,マイ」

ともある。「まゆ(眉)」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/457961706.html?1521057800

でも触れたように,『日本語の語源』は,「マユ(繭・眉)」として,

「『万葉集』に,マユ(繭・眉)をマヨという。マヨゴモリ(繭籠り)・ニヒクハマヨ(新桑繭)。マヨネ(眉根)・マヨガキ(眉書)・マヨヒキ(眉引き)など。雄略記のマユワ(眉輪)王が『古事記』にはマヨワ(目弱)王にかわっている。」

と述べている。漢字を当てなければ,「繭」も「眉」も「まゆ(よ)」でしかない。同源の可能性は高い気がする。『日本語源大辞典』は,

形が人の眉に似ているところから(名語記),
マユフ(眉生)の義(名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),

と,眉と関連させる説もあるが,大勢ではない。その他に,

マユウ(真木綿)の義(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
マは形の丸いことからか(国語の語根とその分類=大島正健),
マは接頭語,ユはイの転で蚕の尻から出す粘液質の糸状のものをいう(日本古語大辞典=松岡静雄・風土と言葉=宮良当壮),
さなぎで籠っている丸い空間でマヨ(曲節)(衣食住語源辞典=吉田金彦),
「マ(丸)+ヤ(家・屋・舎)」の音韻変化で,「丸い蚕の家」の意(日本語源広辞典),

等々があるが,「古形がマヨ」ということを考えると,「マユ」で語呂合わせをしているものは,省いていいのではないか,と思う。「まゆ(眉)」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/457961706.html?1521057800

でも触れたが,『日本語源広辞典』は,「まゆげ」(眉毛)の語源を,

「マ(目)+ゆ・よ(そばにあるもの)+毛」

とする。「まよ」と関わらせている。とすると,「まゆ(眉)」の「ま」は,

丸,

で,「まゆ(繭)」の「ま」は,

目(「め」の古形),

ということになる。しかし,「まよ」で,「繭」と「眉」を指していた以上,「ま」は,両者に共通する別の意味なのかもしれない,という気がする。『岩波古語辞典』には載らないが,『大言海』に,接頭語「ま」について,

「御(ミ)また,實(ミ)に通ず」

として,「まことの,偽ならぬ」という意味が載る。「美(ほ)むる意」の発語,

「真(ま)」

にも転じている。とすると,「ま」ではなく「よ」の方に意味があったのかもしれないが,該当するものが見つからなかった。なお,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%AD

に,

「日本では繭という言葉は、多くの場合にカイコのそれを意味する。その豊作を祈願して、繭を擬した白い玉をこの枝に飾ったものを繭玉と称し、神社等で縁起物として使用する例もある。」

とある。

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参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

ラベル:まゆ
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2018年03月17日

眉唾


「眉唾」は,

欺かれないように用心すること,

の意だが,よく唾を眉につける仕草で表現したりする。『広辞苑』には,

「眉に唾をつければ,狐狸にだまされないという俗信に基づく」

とある。『岩波古語辞典』には載らないが,『大言海』にも,

「眉に唾をつくれば,狐狸に魅せられずと云ふに出づ」

とある。

眉に唾をつける,
眉に唾をする,
眉毛を濡らす,
眉を湿す,
眉に唾を塗る,

等々とも言う。『江戸語大辞典』に,多くの言い方が載っているところから見ると,この時代発祥かと思われる。で,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ma/mayutsuba.html

は,

「眉唾とは、騙されないよう用心すること。眉唾物の略で、真偽の確かでないもの。信用できないもの。眉唾もの。 」

と,意味を載せる。この意味の方が分かりやすい。その由来を,

「眉に唾をつければ狐や狸に 化かされないという俗信から生まれた言葉である。江戸時代には『眉に唾をつける』や『眉に唾を塗る』などと言っていたものが、明治時代に入り、『眉唾物』や『眉唾』という 言い方になった。」

とある。『故事ことわざ辞典』は,『俚言集覧』から,

「眉につばをする 眉に唾を塗れば狐に魅せられぬといへり。因って人に欺かれぬ用心に云ふ詞なり。彼を狐狸に比していふなり」

を引いている。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1176353986

には,その謂れについて,

「狸や狐が人を化かすと信じられていた頃、眉につばをつけると化けているものの正体がわかるとされていた。よって、疑わしい物は眉につばをつけて見ると正体がわかることより、転じて疑わしい物を『眉唾もの』というようになった。 親から聞いたことですが、小さい頃から信じてます。
唾には、魔力を封じる力があると信じられていました。(平安時代、陰陽道が信じられていた時代です) (大ムカデ退治で、矢に唾を塗って射たら刺し貫けたというのもありますよね) そして、眉に唾を塗ると、魔術から開放されて、本当の姿が見えると信じられていたのです。ですから、「眉に唾を塗る」というのは「だまされている、たぶらかされているのではないかと疑って、その魔力から逃れようとする」という意味をもっているのです。そこから、眉唾ものというのは、信じられない(だまされている、たぶらかされている)もの という意味で使われるようになったのです。  
語源1・平安時代にいた豪傑が山で大ムカデに出会い、大ムカデの噴く炎で危うく自分の眉毛が焼けそうになった。そこで眉毛に自分のツバをつけてこれをしのぎ、さらに弓矢にもツバをつけて大ムカデを射殺したと言う話から、あまりに荒唐無稽な話を「まゆつば」と言う様になったと言う説。
語源2・ツバを眉毛に付ければ、キツネやタヌキに化かされないと言う説。
昔の子供は転んで傷をつくったとしても、指で舐めてツバを付け、それを傷口に擦り付けおまじないを言ってそれで終わりだった。このツバを付けるという行為は、古代の日本では、ツバは神聖なもので霊力があるとさえ言われていて、霊力のあるツバを眉毛に付ければ、キツネやタヌキに化かされないと言う言い伝えも有る。 キツネ等が人を化かす時、その人の眉毛の数を数えて化けると言われていたので、数えられないように眉毛にツバを塗った事から『まゆつば』と言う言葉が誕生した。この化かす化かさないから、騙す騙さないとか真偽の程が不明な事に対して『眉唾、眉唾物』などと表現されるようになったとする説が一般的な様子です。江戸後期の人情本『春の若草』に「眉毛へツバを付て聞かねへと」等の用例が見受けられます。 他の説では、古代中国並びに平安時代に『眉毛にツバを付ける』ことで災難を逃れる逸話があって、どちらも余りにも荒唐無稽な話なので、ここから半信半疑で真偽の程がわからない事・物に対して『まゆつば』と表現されるようになったと有ります。」

と詳しい。「狐に魅せられない」云々は,

http://www.wikiwand.com/ja/%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%8D

にあるように,「キツネは女に化けることが多い」からのようで,それは,

「キツネが陰陽五行思想において土行、特に八卦では『艮』に割り当てられることから陰気の獣であるとされ、後世になって『狐は女に化けて陽の存在である男に近づくものである』という認識が定着してしまったためと考えられる。関西・中国地方で有名なのは『おさん狐』である。このキツネは美女に化けて男女の仲を裂きにくる妖怪で、嫉妬深く男が手を焼くという話が多数残っている。キツネが化けた女はよく見ると、闇夜でも着物の柄がはっきり見えるといわれていた。」

とある。この他,

http://okiteweb.com/language/mayutsuba.html

には,「眉に唾つけると狐にだまされない」という俗信の由来について,二説挙げている。

「一つ目は、キツネは人の眉毛の数を数えて化けたり騙したりすると考えられていて、眉毛の数を数えられて化かされないように、眉毛に唾を塗ることで固めて、キツネに眉毛の数を数えさせないためという説です。
 二つ目は、平安時代の豪傑が、山の中で炎をふく大ムカデに出会い、炎に眉毛を焼かれそうになったので、眉毛に唾をつけてそれをしのいで大ムカデを倒したという話があり、そこから、そのような荒唐無稽な話のことを『眉唾物』「眉唾」というようになったという説です。」

さらに,

http://www.tisen.jp/tisenwiki/?%C8%FD%C2%C3

は,

「語源1  平安時代にいた豪傑・俵藤太・藤原秀郷が近江三上山で大ムカデ退治をしたと言う逸話が伝承されている。どうも八又の大蛇(やまたのおろち)などと同じ様な豪傑が山に住む魔物を退治したパターンの荒唐無稽な英雄活躍談の1つなのだが、この時、大ムカデの噴く炎で危うく秀郷の眉毛が焼けそうになった。そこで秀郷は眉毛に自分のツバをつけてこれをしのぎ、さらに弓矢にもツバをつけて大ムカデを射殺したと言う。ここから、あまりに荒唐無稽な話を『まゆつば』と言う様になったと言う説があります。
語源2  古代中国の伝説では、鬼に出くわした時は、自分の眉毛にツバを付ければ必ず鬼が逃げ出したと言われていた。何故なのか判らないが、これは日本で1970年代末に流行った都市伝説『口さけ女』がポマードと言われると逃げ出すと言う伝承に近い物なのかも知れない。しかし、やはり荒唐無稽な話なので『まゆつば』と言われるようになったと言う説があります。
語源3  昔の子供は、転んで傷を作ったとしても、指に舐めてツバを付け、それを傷口になすりつけ『チチンプイプイ』とおまじないを言ってそれで終わりだった。実はこのツバを付けるという行為は、動物も行う自然治癒の方法だったりする。その為か、古代の日本では、唾(ツバ)は神聖なもので、霊力があるとさえ言われていた。『古事記』に書かれている海幸山幸?の逸話の中では、器の中に珠を入れ、さらにそこへツバを吐いて約束の強固なことを確かめたりしている。霊力のあるツバを眉毛に付ければ、キツネやタヌキに化かされないと言う言い伝えもある。
これはキツネなどが人を化かす時、その人の眉毛の数を数えて化けると言われていた(何故かは判りませんが)ので、数えられないように眉毛にツバを塗った事から『まゆつば』と言う言葉が誕生したと言う説もあります。」

と詳細な語源説を挙げている。「つば」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/457938309.html

で触れたように,どちらかというと,古代,「つー」という唾の垂れる擬態語に近い。つまりさほどの霊力を示す謂れのある言葉には思えなかった。「唾」に霊力というのは,為にする説で,いささか「眉唾」な気がする。そもそも,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/433049053.html

で触れたように,「きつね」の化けた女性は,情が深いのである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

ラベル:眉唾
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2018年03月18日

イチゴ


「イチゴ」は,

苺,

と当てる。「苺・莓」の字は,「苺」は,

「艸+音符母(どんどん子株を産み出す)」

で(「母」の字は,「乳首をつけた女性を描いた象形文字で,子を産み育てる意味を含む), 「莓」の字は,

「艸+音符毎(子を産む。どんどんふえる)」

とある(「毎」の字は,「頭に髪をゆった姿+音符母」で,母と同系であるが,特に次々と子を産むことに重点をおいたことば。次々と生じる事物をひとつひとつ指す指示詞に転用された)。いずれも,いちごの意味だが,バラ科の一群の植物の総称とある。我が国では,オランダイチゴのことを指す,とある(『漢字源』)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4

に,

「漢字表記の場合は、現代の中国語では、オランダイチゴ属は『草莓 拼音: cǎoméi ツァオメイ』とされる。明治時代から広く日本国内各地で生産されるようになったオランダイチゴ属は、日本語では『苺』と表記される場合が多い。」

とある。なお,

https://okjiten.jp/kanji2331.html

に,「苺・莓」の字について,

苺の字.gif



「会意兼形声文字です(艸+母)。『並び生えた草』の象形(『草』の意味)と『両手をしなやかに重ねひざまずく女性の象形に二点加えた』文字(『おっぱいのある母』の意味[2点は両手で子を抱きかかえるさまとも、乳を子に与えるさまとも言われている])から、乳首のような形の実のなる『いちご』を意味する『苺』という漢字が成り立ちました。」

と,より精しい。なお,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4

に,

「漢字には『苺』と『莓』がある。これらは異字体で『苺』が本字である。辞典によっては『莓』が見出しになっていて『苺』は本字としていることがある。現代日本では『苺』、現代中国では『莓』を普通使う。」

とある。

我々の今日いう「イチゴ」は,

オランダイチゴ,

を指す。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4

に,

「古くは『本草和名』(918年頃)や『倭名類聚抄』(934年頃)に『以知古』とある。日本書紀には『伊致寐姑(いちびこ)』、新撰字鏡には『一比古(いちびこ)』とあり、これが古形であるらしい。『本草和名』では、蓬虆の和名を『以知古』、覆盆子の和名を「加宇布利以知古」としており、近代にオランダイチゴが舶来するまでは『いちご』は野いちご全般を指していた。」

とある。それまでの「イチゴ」は,野イチゴを指すらしい。

オランダイチゴ.JPG

(水耕栽培で育つオランダイチゴ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4より)


また,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4

には,

「狭義には、オランダイチゴ属の栽培種オランダイチゴ(学名、Fragaria ×ananassaDuchesne ex Rozier) を意味する。イチゴとして流通しているものは、ほぼ全てオランダイチゴ系である。(中略)最広義には、同じバラ亜科で似た実をつける、キイチゴ属 (Rubus) やヘビイチゴ属 (Duchesnea) を含める。これらを、ノイチゴ、と総称することもある。」

江戸時代にオランダ人によってもたらされ,一般市民に普及したのは1800年代という。本格的に栽培されたのは1872年(明治5年)からである,とか。

『広辞苑』は,「類聚名義抄」を引いて,

「覆盆子,イチゴ」

と載せる。『岩波古語辞典』には,「枕草子」の,

「見るにことなることなきものの,文字に書きてことごとしきもの。覆盆子」

を引用している。「覆盆子」は,

木苺(木イチゴ 御所苺),

を指す。なお漢方で「覆盆子」は,

http://www.kanpoyaku-nakaya.com/fukubonsi.html

によると,

「「第二類薬品」
覆盆子は名医別録の上品に収載されている。
果実の形が伏せた盆に似ているところから覆盆子の名があるといわれる。
「基源」
1)中国産;バラ科のゴショイチゴの未成熟果実(偽果)の乾燥品である。
2)韓国産:バラ科のクマイチゴおよびトックリイチゴの未成熟果実の乾燥品。」

とある。結構高価である。

覆盆子.jpg



さて,『大言海』は, 「いちご(苺)」の項で,

和名抄「覆盆子,以知古」
枕草子,あてなるもの「いみじううつくしき兒の,いちご食ひたる」
本朝食鑑(元禄)「苺,訓以知古」
合類節合集「覆盆子,苺」

等々を引いているが,

「語原,考へられず,但し此の語は,イチビコの中略なるべし(濁音,顛倒す,臍(ほぞ),戸ぼそ,継(つぎつ)ぐ,つづく)。相新嘗(あひにひなめ),あひなめ。洗染(あらひぞめ),あらぞめなどの如き,中略あり」

とし,「いちびこ(蓬蔂)」の項で,

「イチビの語源。詳ならず。但し,苺は,この語を中略したるなるべし。コは兒ならむ。物と云ふ意に添ふる例あり,大葉子,稲穂子,蒲穂子,の如し。」

とあり,『大言海』は,

いちびこ→いちび→いちご,

を採っている。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/i/ichigo.html

は,

「いちご は、『日本書紀』には「伊致寐姑(イチビコ)」、『新撰字鏡』には『一比古(イチビコ)』、『和 名抄』には『伊知古(イチゴ)』とあり、『イチビコ』が転じて『イチゴ』になったと考えられる。いちびこの語源は諸説あり、『い』が接頭語、『ち』が実の赤さから『血』、『びこ』は人名に用いられる『ひこ(彦)』を濁音化したもので植物の擬人化とする説。『いちび』は『一位樫(いちいがし)』のことで、『こ』は実を意味し、いちごの実が一位樫の実と似ていることから名付けられたとする説。『いち』は、程度の甚だしいことを意味する『いち(甚)』、『び』は深紅色を表す『緋』、『こ』は接尾語か実を表す『子』の意味で、『甚緋子(とても赤い実)』とする説がある。
 現在、一般的に『イチゴ』と呼ばれるものは、江戸時代の終わり頃にオランダから輸入された『オランダイチゴ』であるが、それ以前は『野イチゴ』を指していた。オランダイチゴも赤い色が特徴的だが、野イチゴは更に濃い赤色であるため、いちびこ(いちご)の語源は『い血彦』や『甚緋子』など、実の赤さに由来する説が妥当。
 民間語源には、1~5月に収穫されるから『いちご』などといった説もあるが、『イチビコ』の『ヒ』が何を意味したか、『5(ご)』を『コ』と言った理由など、基本的なことに一切触れておらず説得力に欠ける。
 漢字の『苺(莓)』は、『母』の漢字が『乳房』を表していることから『乳首のような実がなる草』と解釈するものもあるが、『苺』の『母』は『どんどん子株を産み出す』ことを表したものである。」

と詳しいが,『日本語源大辞典』に,

「『イチビコ』は,『書紀-雄略九年七月』に『蓬蔂,此をば伊致寐如(いちびこ)と云ふ』とある」

「イチゴ」の語源は,「いちびこ」から説き起こさなくてはなるまい。『日本語源広辞典』は,

「上代語の『イチ(美)+ビ(実)+コ(子)』です。『旨い実』が語源なのです。平安期にイチゴに変化しました。」

ヘビイチゴ.jpg



とする。『日本語源広辞典』は,「イチジク」の項で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/457909922.html?1520885030

「語源は,『中世ペルシャ語anjiir アンジェール』です。中国音訳は,映日果インジークォ,意訳した語が『無花果』です。近世に渡来。日本で犬枇杷をイチジクと呼んでいましたが,これと似ていたので無花果をイチジクといいます。『イチ(美)+熟』で,『ウマク熟する実』です。イチゴ,イチビコのイチと同源です。ゆえに,直接のペルシャ語源と言えるかどうか疑問です。ちなみに,無花果と書きますが,果実そのものが,花で,花を食用としている果物なのです。」

として,「イチ」の解釈は一貫している。『日本語源大辞典』は,

イチビコ(蓬蔂)の略(東雅・大言海),
イチビコはイチビ(赤檮・檪)の転。イチビはイツイヒ(厳粒)の約(日本古語大辞典=松岡静雄),
イチビコ(甚緋子)の意(語源辞典・植物編=吉田金彦),

という「イチビコ」系以外に,

イツ(魚)の血ある子の如しというところから(日本釈名・滑稽雑談所引和訓義解),
ヨキチコリ(好血凝)の義(名言通),
イはイシイ(美味)の上略。チはチ(乳)の味。コは如の意(和句解),

を載せているが,どうも,

緋色や血の色(赤)系,
か,
味(美味,旨い)系,

に大別されそうだ。気になるのは,

「『いちび』は『一位樫(いちいがし)』のことで、『こ』は実を意味し、いちごの実が一位樫の実と似ていることから名付けられたとする説。」

である。『語源由来辞典』は,「イチイ・一位(いちい)」の項で,

「昔、笏の材料にしたことから、 位階の『正一位』『従一位』に因んだ名というのが通説。一説には、イチイの材は他の木材に比べ非常に赤いことから、『イチ』は程度の甚だしいことを意味する『いち(甚)』、『ひ』は深紅色を表す『ひ・び(緋)』で、『いちひ(甚緋)』が語源とも言われている。旧かなは『イチヒ』なので、音変化の点で問題なく、ブナ科の『イチイガシ』も赤いという点で一致しており、『いちひ(甚緋)』の説も十分考えられる。」

とあり,

「種子や葉 にはアルカロイドを含むが、薬用にもされる。実は秋に赤く熟し、多肉質で甘い。」

としていることだ。赤系と味系が,ここに合致している。人は,命名するとき,知っているものと関連づける。「イチイ(ひ)」の実と「いちびき」の実が似ているとすれば,「いちひ」には意味があるはずである。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

ラベル: イチゴ
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2018年03月19日

脳の機能


マーヴィン・ミンスキー『心の社会』を読む。

心の社会.jpg


本書は,「人工知能の父」と呼ばれるマービン・ミンスキー(Marvin Minsky, 1927~ 2016)の,

「心がどうはたらくかを説明しよう」

と意図した本である。そして,冒頭,

「知能は,知能でないものからどのようにして現れてくるのだろうか。この問いに答えるために,この本では,心がたくさんの小さな部分を組み合わせて作れることを示そうと思う。ただし,それぞれの部分には心がないものとしようと思う。
 このような考え方,つまり,心がたくさんの小さなプロセスからできているという考え方を,《心の社会》と呼ぶことにする。また,心を構成する小さなプロセス一つひとつを,エージェントと呼ぶことにする。心のエージェントたちは,一つひとつとってみれば,心とか思考をまったく必要としないような簡単なことしかできない。それなのに,こうしたエージェントたちがある特別な方法でいろいろな社会を構成すると,本当の知能にまで到達することができるのである。」

と述べる。この背景には,著者が,

「コンピュータ科学者であり、認知科学者。専門は人工知能 (AI) であり、マサチューセッツ工科大学の人工知能研究所の創設者の1人。初期の人工知能研究を行い、AIや哲学に関する著書でも知られ、現在ダートマス会議として知られる、"The Dartmouth Summer Research Project on Artificial Intelligence (1956)" の発起人の一人」

であり,

「世界初のヘッドマウント型グラフィックディスプレイ(1963年)と共焦点顕微鏡(1961年、今日よく使われている共焦点レーザー顕微鏡の原点)がある。また、シーモア・パパートと共にLOGO言語を開発した。その他にも、1951年、ミンスキーは世界初のランダム結線型ニューラルネットワーク学習マシン SNARC を製作している」

という特許をも取得しているという,長年培ってきた人工知能研究がある。

「あとがき」で,著者は,

「心は果たして機械であろうか? この問いに対しては,私は一点の曇りもなくイエスと答えてきた。むしろ,私が問題としてきたのは,どういう種類の機械なのか,ということだけであった。」

で,

「思考を作り出す脳という機械の性質」

を,劈頭,

「心とは何かを説明するには,心でないものから心がどのようにして作られるかをしめさなければならない。」

と始め,

「今でも世の中の人の大部分は,機械が意識を持ったり,野心嫉妬やユーモアのようないろいろな気持ちを感じたりすることなど,できるわけがないと信じている。実際,私たちはまだ,人間に可能などんなことでもできるような機械が作れたわけではない。しかし,このことは単に,思考のはたらきについてもっとよい理論が必要だ,ということを言っているにすぎない。これからこの本で示すのは,どうすれば《心のエージェント》と呼ぶ小さな機械が,長い間私たちの求めてきた理論の《基本的な要素》になれるかということなのである。」

と言い,部品(エージェント)をどうつなぎ合わせることで,どう働きどう働いて心が機能するのかが示され,思考や感情を産み出すという,

「心はたくさんの小さなメカニズムからなる社会」

の形成プロセスを具体的に展開して行く。そして同時に,この本自体も,この本の主張と同じように,

「小さな考えをたくさん集めた社会の形になっている」

ところが,みそである。

当然冒頭の文章にあるように仮説の積み重ねで,本書は成り立っている。それについて,「あとがき」で,

「この本で示されている考え方を組み立てるのに,私は,文字通り何百もの仮説を立てなければならなかった。一部の科学者たちは,これに対して反論を唱えるかもしれない。彼らの反論の根拠は,物理学や化学のように科学として成功している分野は,必要不可欠なもの以外はすべて取り除いて,最小限の仮説を立てるのに必要な理論だけを展開させることで,より実り豊かな成果をあげてきた,という考え方にある。しかし,心理学に対して,もっと筋の通った骨組みをうちたてられるまでは,まだはっきりと否定されていない仮説を排除したり,ある理論が別の理論より良いことを示そうとしたりするのは,早すぎるといえよう。なぜなら,現在私たちが知っているいろいろな理論が,たとえ一つでも,これから長い間生き残るということは,いずれにしてもありえないように思えるからである。」

今日,この「心の社会」理論が,どのような位置づけにあるかは知らない。しかし,「《心の社会》理論はフレーム理論と神経回路網理論の限界を乗り越えようとして出てきた」(訳者(安西祐一郎)あとがき)である以上,この延長線上に,今日のいくつかの成果が表れていることは疑いあるまい。

本書の特徴は,

「やさしいことはむつかしい」

と,随所で指摘していることだ。

「ロボットを動かそうとしているときに私たちが発見したのは,日常的な問題の多くが,おとなの考えるパズルやゲームのような問題よりもずっと複雑だということである。」

たとえば,積み木の世界について,

「簡単そうな世界でも,ふだんより注意深く見ざるをえない立場に立ってみると,思わぬ複雑な世界が至るところに見いだされる。たとえば,塔を作るのに使ってしまった積み木は二度と使わないようにするという,一見ごく単純な問題を考えてみよう。人間にとっては,これは次のような簡単な常識の問題に過ぎない。〈以前の目標を達成するのに使ったものは,新しい目標を達成するためには使わないこと。〉人間の心にどうしてこんなことができるのか。正確なことは誰も知らない。ただ,私たちが,やっかいなことが起こりそうな状況であることがわかると経験から新たなことを学習できることは明らかである。しかしまた,私たちにとっては,何がうまくいくかは前もってわかりえないのだから,不確定なことで対応できるような方策を学習する必要もある。どんな方策を試してみるのが一番良いのか,また最悪の誤りを避けるにはどうすればよいか。私たちが予期し,イメージし,計画を立て,予測を行ない,誤りの起こるのを防ぐことができるためには,何千,いや何百万もの小さなプロセスが必要である。しかも,こうしたプロセスはまったく自動的に実行されるので,私たちは,〈ふつうの常識〉と呼んですませてしまうくらいである。しかし,もしも思考というものがそんなに複雑なものなら,なぜこうも一見単純に見えるのだろうか。」

だから,

「一般に私たちは,自分の心の一番得意なことが一番わからない」。

本書で,フロイトとピアジェが頻繁に顔を出す所以であるが,著者は,

「私たちが《意識》と呼んでいるものに関係した特別なエージェンシーたちは,主として,他の機能がうまくはたらかなくなりだしたときにはたらき始める。だから私たちは,余計なことをせずきちんと動く複雑なプロセスよりも,うまく動かない単純なプロセスの方に気がつくことが多い。」

と。だから,

「ジャン・ピアジェの理論とジークムント・フロイトの理論は,表面的には別々の科学の領域にあるように見える。つまり,ピアジェの仕事はほとんどが知能に関係しているのに対して,フロイトの仕事は感情のメカニズムについて研究したもののように見える。しかし,実際には,この二人の理論が本当に違ったものかどうかは明らかではない。なぜなら,感情による行動が意識下のメカニズムに依存していることは広く認められているけれども,日常的な〈知的な〉思考もまた同じように,内省のできない隠れたメカニズムに依存している,ということについては,あまり認識されているとはいえないからである。」

と。つまり,感情も,思考も,「よくある日常の目的を達成するための手段」ということになるからだということになる。

それにしても,すぐれた科学者は,問いの立て方が独特だが,本書の著者も,随所に,はっとする問いを立てる。たとえば,

「〈自己とは何か?〉と問う代わりに,〈自己について我々が考えていることは何なのか?〉と問うことができる。そして次には〈そうした考えは,どんな心理的機能を果たしているのか?〉と問うことができる。」

自己を前提に考えるのではなく,「自己」というものどう考えるかから迫ることで,

「《自己》についての私たちの考えには,自分自身が何であるかについて自分が信じていることが含まれている。」

ことが見え,自己についての考えが多様であることがわかってくる。あるいは,

機械は創造的にはなれない,

という前提に立てば,機械に創造的なプログラムは出来ないという仮定になる。しかし,どうすれば創造的な答えを出せるようにできるか,と考えると,

「どんな問題でも,解けたときに解けたことがわかるような方法さえあれば,解き方が前もってわからなくても,試行錯誤によってコンピュータに解かせるようにプログラムすることができる。」

となる。あるいは,知能を持った機械は感情をもてるかという問いではなく,

「ここで問うべきは,実は知能をもった機械が何らかの感情を持てるかということではなく,機械は感情を持たずに知能を持てるかということである。あらゆる種類のチェック機構やバランス感覚を与えてやらねばならなくなるだろう。」

から,それは不可能と,言外に言っている。

「目標がどんなに中立的で合理的に見えても,長いこと続くと,結局は他の目標と争いを起こすことになる。長期的な計画は,互いに競合する関心事に抗するための何らかの防衛機構がなくては,実行することができない。そして,この防衛機構が,急を要する目標たちの間の争いに対して,感情的反応と呼ばれるものを惹き起こすのである。」

と。

著者の,

「私は,『機械は意識を持てますか?』と聞かれると,『人間は意識を持てますか?』と問い返したくなる。私にとっては,もとの問いへのまじめな答えなのである。というのは,私たち人間には,自分を理解するための装置があまりにも欠けているからである。人間が自分の脳のはたらきを理解したいと思うようになるよりずっと前から,人間の脳の構造は,すでに,進化による制約を受けてしまっている。一方,新しい機械のほうは私たちの好きなように設計できる。とくに,その機械の活動自体を記録し,それを機械が自分で調べることができるように,良い方法を機械に組み込むこともできる。そしてこのことは,機械のほうが私たちよりもはるかに多く意識を持てる可能性がある,ということを意味しているのである。」

という記述は,象徴的である。

マービン・ミンスキーについては,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

に詳しい。

参考文献;
マーヴィン・ミンスキー『心の社会』(産業図書)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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2018年03月20日

よだれ


「よだれ」は,

古くは,「よだり」

と言ったそうだが,『岩波古語辞典』には,「よだり」の項に,

「平安時代にはヨタリと清音。タリは垂り」

とあり,

「涎 ヨタリ」(名義抄)
「涎 ヨダリ」(下学集)

を載せる。漢字は,

涎,

と当てる。「涎」(漢音セン,呉音ゼン)の字は,

「延は『止(あし)+廴』の会意文字に,引き延ばすことを表す記号ノを加えた会意文字。廴は足あとを長く引いた姿を示す。涎は『水+音符延』」

で,よだれ,もしくは,「長くのびるよだれ」「水が細長く流れるさま」の意である。『大言海』は,「よだり」の項で,

「よよむ口より垂りいづるしずくの意」

とあるので,漢字「涎」の意とほぼ重なる。「よよむ」とは,『大言海』には,

「(ヨヨは,明らかならぬ撥音に云ふ語)老人の歯の落ちたる口つきにて,脣動きて,舌出て,聲あやなし。」

とある。しかし,『岩波古語辞典』には,「よよみ」の項で,

「まがる,体が曲がる」

という意を載せ,「名義抄」の,

「斜,カタブク・ナナメナリ・ヨヨミ」

を載せる。いずれかの判断はつかないが,「よよ」について,『岩波古語辞典』は,

涙を流して激しく泣くさま,
よだれのしたたりおちるさま,
雫を垂らしながら,酒や汁をぐいぐい飲むさま,

とあり,どうやら擬態語らしい。『大言海』には,「よよ」について二項立て,

(涎(よだり)のヨ是なり)口にしまり悪しく,言葉,唾,涎などの洩れ出る状に云ふ語,
水の垂り落つるに云ふ語,

に続いて,別項は,

(前條の語の轉,泣けば,涙,涎,垂れば云ふと云ふ)泣く声,

と載る。どうやら,推測するに,「よよ」は,

よよと泣く,

というように,状態を示していた語が,そこで起こる,涙,華水,涎の垂れる状態へと転じ,その「よよ」と「垂れ」が結合して,

よよ+垂り,

となったようである。「垂れ」は,

「タリ(垂)より遅れて現れた形」

と『岩波古語辞典』にあるので,

よよ+た(垂)り→よたり→よだれ,

と転訛していったように思われる。あるいは,「よよ」の醜態は,老人のしまりのないさまに限定して指していたのが,一般化していったのかもしれない。いずれにしても,涎だけを指していたのではなく,涙,華水,果ては,飲んでいるものの滴り落ちるのも指したと思われる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/yo/yodare.html

は,

「よだれは、古くは『よだり』『よたり』と言い、平安時代以降『よだれ』に転じた。よだり(よ たり)の『たり』は、『垂れる』『垂らす』意味の動詞『垂る』の名詞形。 よだれの『よ』は、『緩む』『弱い』の意味など流れ出る箇所の状態を表しているとする説や、『よよ』と泣く時に 垂れるものの意味など、諸説あるが未詳である。『名義抄』では『鼻水』を表す『洟』や、『涙』を表す『涕』を『よたり』と読ませていることから、唾液だけではなく、鼻水や涙など垂れ流れるものを『よだれ』と呼んでいたようである。」

『日本語源広辞典』は,

「ヨ(複合語成分・穴・間)+垂れ」

トイウノハ,「ヨ」をそう解したということなのだろうか,少し意味が解らない。しかし,『日本語源大辞典』を見ると,諸説ある。

ヨヨム口から出り出づる滴(しずく)の意(山彦冊子),
ヨヨと泣く時垂れるものの意(箋注和名抄・日本語源=賀茂百樹),
よだれ(夜垂れ)の義(日本釈名・柴門和語類集),
ユルミウルホヒタレ(緩潤垂)の義(日本語原学=林甕臣),
ヨワタレ(弱垂)の義(名言通),
イヨタリ(弥垂)の約(隣女晤言),
ヨはヨロコブ(喜)の義。タレは垂の義(和句解),

結局,垂れている状態表現に変りはなく,恐らく,垂れるものすべてを指したと想像される。

垂涎( すいぜん・すいせん・すいえん)というと,

同じ垂らすのでも,物を欲しがっている状態表現になる。思わず,パブロフの犬を思い出すが,

http://kotowaza-allguide.com/su/suizennomato.html

によると,「垂涎(すいぜん・すいえん)の的」について,

「『賈誼新書』に『一国これを聞く者、これを見る者、涎を垂れて相告げん(国中でそれを聞いた者、見た者は、ごちそうを前にしたときのように涎を垂らして、互いに言い合うだろう)』」

とあるのに基づく,とある。こうなると,涎を流すのは,醜態であるという状態表現から価値表現へと転じている。さらに,

商いは牛の涎,

という諺もあるらしく,

http://kotowaza-allguide.com/a/akinaiwaushinoyodare.html

によると,

商いは牛の涎とは、商売をするには、せっかちであってはならず、気長に辛抱強く続けるべきである,

という意味だとか。涎より,四つの胃袋で徹底的に吸収する,牛の反芻の方が,諺になりそうな気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

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