2018年03月21日

うやむや


「うやむや」は,

有耶無耶,

と当てるらしい。

あるかないかはっきりしないこと,転じていいかげんなこと,曖昧なこと,
胸がもやもやしているさま(主として明治期に用いた),

と意味が載る。後者は,明治期の特有の意味かも知れない。『江戸語大辞典』には,

あるかないかはっきりせぬこと,転じて,もやもや,むしゃくしゃ,悲しみや怒りで胸の乱れるさま,

とあり,

うやもや,

とも言うとある。これをみると,はっきりしないという状態表現から,そのこと自体と似た心の乱れ,もやもや感という価値表現へとシフトした,と見ることができる。『岩波古語辞典』には載らないが,『広辞苑』には,

有耶無耶の関,

という項が載り,

山形・宮城の県境にある笹谷(ささや)峠(大関山)辺りにあった古関,

むやむやの関,
もやもやの関,
有也無也の関,

とも言うらしいが,別に,

出羽象潟(きさかた)の南にも同名の関があった,

とある。『大言海』には載り,その項に,

あやふや,むにゃむにゃ,

として,こう付記してある。

「陸前,柴田郡より羽前に超ゆる笹谷峠,古名,大關山と云ふ關ありて,有耶無耶と云ひしと伝ふ。その説あれど,附會なり」

『江戸語大辞典』には,「うやむやのせき」の項で,

(うやむやの)「意を,奥州の有耶無耶の関にかけていう」
あるいは,
「有や無しやの意を,有耶無耶の関に掛けていう」

とあり,「有耶無耶の関」があって,それに「うやむや」の意を掛けて使ったらしい。前者だと,

「轟く胸は有耶無耶の関に人目を忍ぶ身は,包むとすれど顕はるる目色を」(天保佳話十年・貞操婦女八賢誌),

後者だと,

「後にはあふ瀬の有や無やの,関も人目もいとはねども」(天保四年・仇競今様櫛)

と,用例が載る。このことは後で触れるとして,「うやむや」であるが,『デジタル大辞泉』は,

有るか無いかの意から,

としているし,『日本語源広辞典』も,

「『有りや無しや。有ヤ無ヤ』で,あるかないかわからないような曖昧模糊とした状態。漢語らしく有耶無耶としたのが語源」

とする。しかし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/u/uyamuya.html

は,

「うやむやは、『もやもや』などと同系の和語と思われるが、はっきりしていない。『有りや無しや(ありやなしや)』を漢文調に書いた『有耶無耶』が、いつの間にか音読され『うやむや』になったとする説もある。しかし、『ありやなしや』を漢文調に書いたのではなく、元々『有耶無耶』は漢文で、その訓読が『ありやなしや』である。また、『うやむや』の当て字 として、意味的にもぴったりな『有耶無耶』が漢字表記として使われるようになったこと から、『有耶無耶』を語源とするのは間違いと考えられる。」

と,事態は逆で,「うやむや」という和語に,「有耶無耶」を当てた,とする。たぶんこれが正しいのだと僕も思う。「うやむや」が,

むにゃむにゃ,

と同義とされるのは,逆に言うと,

むにゃむにゃ→うやむや→有耶無耶,

と転訛したということも言えなくもない。擬態語の宝庫である和語ならではの言葉に違いない。

ところで,「うやむや」は,「有耶無耶の関」が語源とされる説があり,手長足長という妖怪と関わるとされる。たとえば,

http://jimoto-b.com/3545

は,

「秋田県象潟町の『有耶無耶の関』が語源という説があります。その昔、手長足長という人喰い鬼が住んでいました。『手足が異常に長い巨人』という点では日本各地と共通していますが、手足の長い一人の巨人、または夫が足が異常に長く妻が手が異様に長い夫婦の巨人とも言われ、この点は各地で異なります。その手長足長という人喰い鬼は、秋田県と山形県の県境にある「鳥海山」に住んでおり、山から山に届くほど長い手足を持ち、旅人をさらって食べたり、日本海を行く船を襲うなどの悪事を働いていました。鳥海山の神である大物忌神はこれを見かね、霊鳥である三本足の鴉(カラス)を遣わせ、手長足長が現れるときには『有や』現れないときには『無や』と鳴かせて人々に知らせるようにしました。国道7号線にある『三崎峠』が『有耶無耶の関』と呼ばれるのはこれが由来とされています。
それでも手長足長の悪行は続いたため、後にこの地を訪れた慈覚大師が吹浦(現・山形県 鳥海山大物忌神社)で百日間祈りを捧げた末、鳥海山の噴火で手長足長の鬼は吹き飛んで消え去ったと言われています。また消えたのではなく、大師の前に降参して人を食べなくなったともいわれ、大師がこの地を去るときに手長足長のために食糧としてタブノキの実を撒いたことから、現在でも三崎山にはタブノキが茂っているという一説もあります。」

Kyosai_Tenaga-Ashinaga-zu.jpg

(『手長足長図』河鍋暁斎・画 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E9%95%B7%E8%B6%B3%E9%95%B7より)


この,「手長足長(てながあしなが)」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E9%95%B7%E8%B6%B3%E9%95%B7

に詳しいが,

秋田県、山形県、福島県、長野県、福井県などに伝わる伝説・昔話に登場する巨人」

であり,

「その特徴は『手足が異常に長い巨人』で各地の伝説は共通しているが、手足の長い一人の巨人、または夫が足(脚)が異常に長く妻が手(腕)が異様に長い夫婦、または兄弟の巨人とも言われ、各地で細部は異なることもある。手の長いほうが『手長』足が長いほうが『足長』として表現される。」

各地の社伝,昔話に残っていて,秋田の伝説は,上記の通りだが,他に,

「福島の会津若松に出現したとされる手長足長は、病悩山(びょうのうざん、やもうさん、わずらわしやま。磐梯山の古名)の頂上に住み着き、会津の空を雲で被い、その地で作物ができない状態にする非道行為を行い、この状態を長期にわたり続けたという。その地を偶然訪れた旅の僧侶がことの事情を知り、病悩山山頂へ赴き、手長足長を病悩山の頂上に封印し、磐梯明神[1]として祀ったとされている。このことをきっかけに、病悩山は磐梯山と改められ、手長足長を封印した旅の僧侶こそ、各地を修行中の弘法大師だったと言われている。」

とここでは,慈覚大師が弘法大師に変っていたりする。しかし,この説話自体は,中国からの伝播だとされている。

「『大鏡』(11世紀末成立)第3巻『伊尹伝』には、硯箱(すずりばこ)に蓬莱山・手長・足長などを金蒔絵にして作らせたということが記されており、花山院(10世紀末)の頃には、空想上の人物たる手長・足長が認知されていたことがわかる。これは王圻『三才図会』などに収録されている中国に伝わる長臂人・長股人(足長手長)を神仙図のひとつとして描くことによって天皇の長寿を願ったと考えられる。天皇の御所である清涼殿にある『荒磯障子』に同画題は描かれており、清少納言の『枕草子』にもこの障子の絵についての記述が見られる。」

『日本伝奇伝説大辞典』によると,

「中国の外界(四界)に住むといわれる想像上の異常人。または神仙。『山海経(せんがいきょう)』巻六,海外南経に『長臂国在其東,捕魚水中,両手各操市魚』。郭璞注に,『旧説云,其人手下垂至地』とあり,すこぶる手が長い人間が住む国のことが記されている。次に,同書巻七,海外西経には,『長股之国,在雄常北』。郭璞注に,『長臂人身如中人而臂長二丈,以類推之,則此人脚過三丈矣』とあり,今度は足の長い国のことを記している。(中略)この長臂人・長股人を採り入れたのは,日本の内裏であった。ここで両人は手長・足長と名を改め,清涼殿の荒海の障子に二人の魚を捕る姿が描かれたのである。」

このことは,『枕草子』『大鏡』『古今著聞集』にも言及されていいる。これを描いたのは,

「手長・足長が不老長寿の神仙に比定された」

ものらしい。それが東北の果てに伝わったときは,民を悩ます厄介な巨人に堕したことになる。

手長足長(手長足長(秋田県、山形県、福島県、長野県、福井県などに伝わる伝説・昔話に登場する巨人)の昔話(福島県・猪苗代町,山形県)は,たとえば,

http://www.rg-youkai.com/tales/ja/07_fukusima/05_asinagatenaga.html
http://www.yamagata-info.com/story/tenagaasinaga/text.htm

に載る。

参考文献;
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

posted by Toshi at 04:28| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする