2018年05月01日

はだ


「はだ」は,

肌,
膚,

と当てる。「肌」(キ)の字は,

「几(キ)は四角い机の姿を描いた象形文字。肌は,『肉+音符几』で,机とは関係ない」

とある(『漢字源』)が,

https://okjiten.jp/kanji1865.html

に,

「形声文字です(月(肉)+几)。『切った肉』の象形と『脚が伸び、しかも安定している机』の象形(『机』の意味だが、ここでは、「緊」に通じ(『緊』と同じ意味を持つようになって)、『ひきしまる』の意味)から、生きた肉体を覆う引き締まった『はだ』を意味する『肌』という漢字が成り立ちました。」

とあり,意味の外延がよくわかる。「膚」(フ)の字は,

「『肉+盧(つぼ)の略体』」・つぼの外側のように肉体を外から覆う皮」

とある(『漢字源』)。「盧」(ロ)の字は,

「『いれもの+皿+音符虎(コ)の略体』で,丸い壺型をした飯器のこと。昔は盧一字で壺盧にあたる音を表し,のちに二字に分けて壺盧と書くようになった。うつろな壺の中がくらい(くろい)ことから,くらい意もあらわす。」

とある。

https://okjiten.jp/kanji294.html

は,

「会意兼形声文字です。『グルッと一回りする事を意味する擬態語(事物の状態や身ぶりなどの感じをいかにもそれらしく象形文字で表したもの)』と『切った肉』の象形から、肉体を包む『はだ』を意味する『膚』という漢字が成り立ちました。」

と,ちょっと違う解釈をしている。

さて,和語「はだ」だが,「はだ」は,

はだへ,

とも言う。『大言海』は,「はだ」の項を二つ立て,

皮,
肌,

を当てる「はだ」は,

「端の義と云ふ」

とし,

肌,

を当てる「はだ」は,

「はだへの略」

とする。『岩波古語辞典』は,「はだへ」は,

「ハダ(膚)へ(上)が原義か。後世はハダと同じに使われた。」

とする。ただ,『大言海』の後者の「はだ」(「はだへの略」)は,しかし,

膚(はだへ)を以て気象を代表するに云ふ語,風采(ふり),
其の身に應じたる気性の品別に云ふ語,気質,

と,明らかに,「はだ(はだへ)」は,肌そのものではなく,その人自身のメタファとして使っているようである。今日の,

学者肌,

という言い回しにそれが残っている。あるいは,

木肌,

と言うように,物の表面を言う言い回しも含めて,「肌」の我が国だけで使う意味のようである。更に,

地肌,

というのも,大地の表面から,「はだへ」の意味に近い,人の生地のような意味に使われている。

で,「はだへ」とも言われた「はだ」の語源だが,『大言海』の「端」以外,

ハシタ(端絶)の義(名言通),
ハタ(端)の義(和訓栞),
ハタ(樸)の義(玄同放言),
ハテベ(東方)の義(名言通),
カハト(皮所)の義(言元梯),

と,「端」説に靡きそうになる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ha/hada.html

は,語源は未詳としつつ,

「体の内から端にあることから『はた(端)』や『はて(果)』からであろう。『皮』も体の表面を覆っているものであるが、肌は表面上見える内側までを指すことが多く、それを覆う薄いものを『皮』と言うことが多い。これは、『肌』が体の内から外に向かって端にあるもので、『皮』が外から見て内を覆うものと考えられたためではないであろうか。『姉御肌』など『気質』や『気性』といった『中身』を表すのに対し、『皮』は『化けの皮』など『剥がれるもの』『覆っているもの』として表現されるのも、内から外に向かって生まれた言葉と、外側から見て生まれた言葉の違いが関係しているように思われる。また、『肌』は『はだへ』とも言い、『へ(え)』は『辺』『方』の意味で、『はだへ』は『端辺(果辺)』『端方(果方)』と考えられるため、はだの語源は『端』や『果』からと考えてよいであろう。」

とする。「はた(端)」は,『岩波古語辞典』には,

「内側に物・水などを入れてたくわえているものの外縁・側面。ハ(端)・ハシ(端・末)と同根」

とあり,『大言海』は,

へたの転,

とする。やはり,

「内側に物・水などを入れてたくわえているものの外縁・側面」

である「はた」が,「はだ」の語源と見ていいようである。『日本語源広辞典』の説明が的確である。

「語源は,『ハダは,本来二音節語』です。ハダ+エ(接尾語)も同源です。傍証として,バダ+アカ(赤・明)が,音韻変化でハダカとなり,同じように,ハダアカシの略のハダ+足が,ハダシとなった」

と。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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ラベル: はだ
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2018年05月02日

はだか


「はだか」は,

裸,

と当てるが,「裸」(ラ)の字は,

「『衣+音符果(カ・ラ 丸い実,中身)』。衣服を脱いで,丸い肩や乳などの,まるまるしたからだのなかみを外へあらわすこと。」

とある(『漢字源』)。異体字に,

躶,
臝,

がある(いずれも「ラ」と訓む)。「果」が入っているのが特徴である。

https://okjiten.jp/kanji1785.html

には,

「会意兼形声文字です(衤(衣)+果)。『衣服のえりもと』の象形(『衣服』の意味)と『木に実のなる』象形(「外の皮をむいた木の実」の意味)から、『はだか』、『はだかにする」を意味する『裸』という漢字が成り立ちました。』

と,意味の形成は,こちらの方がわかりやすい。

『大言海』は,「はだか」を,

「膚明(ハダアカ)の約」とする。『日本語源広辞典』も,

「肌+アカ(明・赤)」

で,

「皮膚が現れて明るい状態」

を意味する,とする。「あか」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/429360431.html

等々で触れたように,

「赤(アカ)は,『明』が語源で,暗・黒(クラ・クロ)が,これに対する語」

であり,さらに,「真っ赤な噓」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455851358.html

で触れたように,「あか」には,


「『明らか』と同源で『全く』『すっかり』などの意味がある」

つまり,「明るい」というニュアンスと,「すっかり」という含意がある。『日本語源大辞典』には,

「アカ(赤)もアカ(明)も語源上はつながりがある。なお古くは名詞の用法が乏しい」

とあり,「はだか」が何かの形状を形容する意味で使われていたものらしい。『岩波古語辞典』には,

「相撲(すまひ)なども,清涼殿にて中宮は御覧ず。はだかなる姿どもの並み立ちたるぞ,うとましける」(栄花根合)

を引き,「新撰字鏡」の,

「躶,波太加奈利(はだかなり)」

を載せる。その意味で,語源は,

ハダアカ(肌赤)の義(和句解・日本釈名・類聚名物考・俚言集覧・名言通・国語学=折口信夫・猫も杓子も=楳垣実),
ハダアカ(膚赤)の義(和訓集説・俗語考・和訓栞・大言海),
古くは形容動詞の用法のみ。ハダに形容動詞語幹を作るカが付いたものか(小学館古語大辞典),
カは,オロカ(愚)・ハルカ(遥)などのカで,オロク・ハルクのように動詞語尾へも転通しうる接尾語(続上代特殊仮名音義=森重敏),

の何れか,ということになるのだろう。

肌赤,

膚赤,

という気がするのだが,『日本語の語源』は,

「着物を脱いで裸になることをハダアケ(肌開け)と言った。その縮約形のハダケがハダカになった。履物を脱いだハダアカシ(裸足)はハダシ(跣)に転音した。」

とある。「開く」という意味の,

はだけ(開),
はだ(開)かる,

とつなげるのは面白いが,

立ち開かる,

と言うように,「はだく」は,開く意味で,脱ぐ意味ではない。少し難がある気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
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ラベル:はだか
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2018年05月03日

はだし


「はだし」は,

裸足,
跣,

と当てる。「跣」(セン)の字は,

「先の地の上部は,足先の部分,下の儿印は人体の足の部分,足の指がわかれ出た足先をあらわす。跣は『足+音符先』。先が,広く物の先端をあらわすようになったので,跣の字でその原義を示すようになった。」

とある。「素足」の意味である。「先」の字が,「足+人の形」で,跣の原字,しかし「先」の字の意味が広がったため,さらに「足」偏をつけた形になる。

跣足,

とも書くから,屋上屋の屋,という感じ(漢字)になる。

「はだし」は,

『日本語源広辞典』の説明が的確である。

「語源は,『ハダは,本来二音節語』です。ハダ+エ(接尾語)も同源です。傍証として,バダ+アカ(赤・明)が,音韻変化でハダカとなり,同じように,ハダアカシの略のハダ+足が,ハダシとなった」

『大言海』は,

膚足(はだあし)の約,

とし,

名義抄(平安末期)「徒跿,ハダシ,スアシ」
字鏡(平安後期)「跣,波太志」
易林節用集(慶長)「徒跿,裸足,ハダシ」

を載せる。他方,『日本語の語源』は,

「履物を脱いだハダアカシ(裸足)はハダシ(跣)に転音した。」

とする。

膚(肌)足,
か,
裸足,

とにわかれるらしい。

『日本語源広辞典』は,

「ハダカ+アシ」

とし,

ハダカアシ→ハダアシ→ハダシ,

と音韻脱落により変化した,とする。他方,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ha/hadashi.html

は,

「はだしは漢字で『裸足』と表記するため、『はだかあし(裸足)』の 変化した語と思われがちだが、『はだあし(肌足)』の略である。 現代では足に履物を履か ない『素足』と同様の意味でも用いられるが、本来は素足のまま歩くことに関して用い られた。」

と,「裸足」を否定し,「肌足」説を採る。

『日本語源大辞典』は,

「平安時代初期から,訓点資料で『跿』『徒跿』『践』『蹤』などの訓として現れるが,『徒跿』は,徒の字義の誤解から,鎌倉時代に『かちはだし』の語が生み出された。語源説を反映する『裸足』(『易林本節用集』など),『膚足』(『文明本節用集』など)といった表記は室町時代以前には見られない。」

とする。で,『日本語源大辞典』は,

ハダアシ(肌足・膚足)の義(俚言集覧・言元梯・松屋筆記・語簏・和訓栞(増補)・日本語原学=林甕臣・大言海・日本語源=賀茂百樹・猫も杓子も=楳垣実),
ハダカアシ(裸足)の約(海録・柳亭記・名言通・和訓栞),
タダアシ(徒足)の義(言元梯),

を挙げる。「裸足」は,漢字が入ってからの解釈ではあるまいか。「裸の足」という言い方をするとは思えない。「肌の足」の言い方の方が自然なのではあるまいか。やはり,ここは,

はだ(のままの)足,

という言い方でいいように思える。しかし,「裸足であること」を意識するのは,履き物を履くことを知ってからのはずで,卑弥呼の時代,

倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣

とある。裸足なのである。だから,裸足が普通なので,そのことを特に意識しない。漢字を知ってから,それを意識したに違いない。ちょうど,中国で,漢字を,

字,

としかよばなかったのに,他国がそれを真似するようになって,

漢字,

と,漢民族の字を意識したようなものだ。とすると, あるいは,

裸の足,

を意識したのかもしれない。とすると,

はだかあし→はだあし→はだし,

というのは捨てがたいのかもしれない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:はだし 裸足
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2018年05月04日

みなづき


「みなづき」

は,

水無月,

と当てる。異称には,

https://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%88

に,

弥涼暮月(いすずくれづき),炎陽(えんよう),風待月(かぜまちづき),建未月(けんびづき),水月(すいげつ),涼暮月(すずくれづき),蝉羽月(せみのはつき),田無月(たなしづき),旦月(たんげつ),常夏月(とこなつづき),鳴神月(なるかみづき),晩月(ばんげつ),伏月(ふくげつ),松風月(まつかぜづき),陽氷(ようひょう),

等々,丁度新暦の七月の感覚がよくわかる異称である。

さて,「みなづき」の語源であるが,『日本語の語源』の言うように,

ミヅノツキ(水の月)→ミノツキ→ミナヅキ(水無月),

と転じたと,されることが多い。『岩波古語辞典も,

「ミは水,ナは連体助詞,多に水を湛える月の意か」

とする。『日本語源広辞典』も,「水+の+月」で,

「農民にとって,耕地に水の最も欲しい,水が重要な月の意です。水無月は当て字です。」

としている。睦月(むつき)以来,旧暦の語源は,ほぼ農事と関わってきた。そのことは,一月から五月まで,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455932349.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/456805354.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/457607450.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/457762501.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/458763376.html

で触れた通り,一貫している。六月もまた同様,農事と関わるとみてよい。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/mi/minazuki.html

も,

「水の無い月と書くが、水が無いわけではない。水無月の『無』は、神無月の『な』と同じく『の』にあたる連体助詞『な』で、『水の月』という意味である。 陰暦六月は田に水を引く月であることから、水無月と言われるようになった。旧暦の六月は梅雨が明けた時期になるため、新暦に当てはめて解釈するのは間違いで、水無月は『水の無い月』とするものもある。 しかし、『水の月』説は新暦以前から伝えられており、新暦に合わせたものではない。また,『水の無い月』の説は梅雨を基準にされているが、梅雨の時期である旧暦五月『皐月』が梅雨に関係していないため不自然で考え難い。」

と,「水の月」説を採る。『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E6%B0%B4%E7%84%A1%E6%9C%88

も,

「水無月の由来には諸説ある。文字通り、梅雨が明けて水が涸れてなくなる月であると解釈されることが多いが、逆に田植が終わって田んぼに水を張る必要のある月『水張月(みづはりづき)』『水月(みなづき)』であるとする説も有力である。」

としている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%88

も,

「水無月の由来には諸説あるが、水無月の『無』は『の』という意味の連体助詞『な』であり『水の月』であるとする説が有力である。神無月の『無』が『の』であり、『神の月』であるということと同じである。田植が終わって田んぼに水を張る必要のある月『水張月(みづはりづき)』『水月(みなづき)』であるとする説もある。」

と,同様である。

『大言海』は,

「田水之月(たみのつき)の轉。田に水を湛ふる月の意と」

とし,「むつき」との関連を強調している。「むつき」,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455932349.html

で触れたように,『大言海』は,「むつき」の項で,

「實月(むつき)の義。稲の實を,始めて水に浸す月なりと云ふ。十二箇月の名は,すべて稲禾生熟の次第を遂ひて,名づけしなり。一説に,相睦(あひむつ)び月の意と云ふは,いかが」

とし,

「三國志,魏志,東夷,倭人傳,注『魏略曰,其俗不知正歳四時,但記春耕秋収為年紀』

を引いて,多数派の「相睦(あひむつ)び月の意」に疑問を呈して,「實月」説を採っていた。『大言海』は,一貫して農事とのつながりを主張している。「ことば」の言い回しはともかく,趣旨は「水の月」説である。

それでも,異説はあり,例えば,『日本語源大辞典』には,

暑さで水が涸れるところからミズナシヅキ(水無月)の義(奥義抄・和歌色葉・和邇雅・日本釈名・日本語源=賀茂百樹)・滑稽雑誌・東雅・ことばの事典=日置昌一),
ミズナヤミヅキ(水悩月)の義(日本語原学=林甕臣),
農事を皆し尽きる月の義(奥義抄・和歌色葉・日本釈名・古今要覧稿・ことばの事典=日置昌一),
カミナリヅキ(雷月・神鳴月)の略(語彙考・類聚名物考・黄昏随筆・百草露・菊池俗語考・和訓栞),
真夏月の義か。ミとマと通ず(類聚名物考),
巳の月の義(南留別志),
コエミナツキ(声皆月)の義。郭公の鳴きやむ意(名語記),
ミナツヅキ(看懐月)の義(嚶々筆語),

等々。その他,

田植という大仕事を仕終えた月「皆仕尽(みなしつき)」

というのもある。何やら苦心の程にパッとしない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:水無月 みなづき
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2018年05月05日

ふづき


「ふづき」は,

文月,

と当てる。

ふみづき,
ふつき,
ふんづき,

とも言う。陰暦七月を指す。「七」は「なな」とも呼称するが、歴史的には「しち」の方が古い,という。他に,

女郎花月(おみなえしづき・をみなえしづき),建申月(けんしんげつ),親月(しんげつ),七夕月(たなばたづき),桐月(とうげつ),七夜月(ななよづき),はつあき(初秋),文披月(ふみひろげづき),愛逢月(めであいづき),蘭月(らんげつ),涼月(りょうげつ),相月(そうげつ),申の月(さるのつき),親月(おやづき),

等々とも言うらしい。陰暦七月からは,秋なのである。


https://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%88

によると,

「文月の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっている。しかし、七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので、元々日本にはないものである。そこで、稲の穂が含む月であることから『含み月』『穂含み月』の意であるとする説もある。また、『秋初月(あきはづき)』、『七夜月(ななよづき)』の別名もある。」

とある。「ふづき(ふみづき)」は,古くからあったはずで,それに音と意味が重なる「文月」の文字を当てたのはないか,と思う。となると,「みなづき」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/459166730.html?1525373973

でも触れたように,一貫して,「むつき(一月)」以来一貫して,農事に関わってきた名づけである以上,「ふ(み)づき」もまた,そうだと考えるのが妥当であろう。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/hu/fumizuki.html

は,

「短冊に歌や字を書き、書道の上達を祈った七夕の 行事に因み、『文披月(ふみひらきづき)』が転じたとする説が有力とされる。その他、陰暦七月が稲穂が膨らむ月であるため、『穂含月(ほふみづき)』『含月(ふくみづき)』からの転とする説。 稲穂の膨らみを見る月であるため、『穂見月(ほみづき)』からの転と する説もある。」

は,「文月」という文字と一緒に「七夕」が入って以降の後解釈でしかない。その前から,我々の祖先は,月々を名づけていたということが,念頭に浮かばないのであろうか。

『大言海』は,

「稲の穂の含月(ふふみづき)の義。一説に,七月七日,牽牛,織姫の二星に,詩歌の文を供へて祭るより起こる名と云ふ」

とする。その上で,

八雲語抄「七月,ふみづき,本は,フム月なり」
語意考「七月を布美月と云ふは,保布布美(ほふふみ)の上下を略きて云ふ也。稲は七月に穂を含めり云々」
下學集「文月,此月,七夕,諸人以詩歌之文献於二星,或晒書篇以供星,故云文月也」
古今要覧稿「フミヅキの名は,フクミ月の義にとるかたしかるべし,此月,稲穂を含めり,八月穂を張り,九月かりとるなり」

等々を引く。「七夕」の風習が中国より入る前から「ふみづき」という呼び名があったとすると,「含む」月というのは,至極自然に見える。

『日本語源広辞典』は,

「「フフミ(含み)+月」

とし,

「稲の穂の膨らむ月です。フフミは,平安中期まで存在した語です。文月は当て字です。七夕伝説が中国から伝来し,星に詩歌(ふみ)を祭るところからの貴族の趣味による用字とおもわれます。」

とする。「ふふ(含)む」は,『岩波古語辞典』によると,

ふくむ,

意で,

花や葉がまだ開き切らない,

状態を指す。『日本語源大辞典』に,その語源を,

物を口内にふくむ形声から(国語溯原=大矢徹)。
ホホエミ(頬笑)の義(言元梯),

とある。なるほど,咲(わら)いが開花する前の蕾を「ほほえみ」とはよく言った,という感じである。

『日本語の語源』は,

(籾が実を)フフミヅキ→フミヅキ(文月)→ふづき(文月),

と端的である。それでも,

七夕に詩歌のフミ(文)を供えるところから(壒嚢鈔),
フミヒロゲ月の義(名語記),
七月に書物の虫干しをするところから(和邇雅),
七夕に書物を供える意からフミヒラキヅキの誤り(奥義抄),
秋風の立つ月の意でフミ(風微)月の義(和語私臆鈔)
墓参の習慣のある月という意からフヅキ(親月)の義(壒嚢鈔),

等々の説はあるが,ふふむ(含む)だけではないが,稲穂に絡むとする説が大勢である。

稲の穂のフフミヅキ(含月)の義(語意考・類聚名物考・古事記伝・黄昏随筆・兎園小説外集・百草露・菊池俗語考・日本語原学=林甕臣・大言海),
ホミヅキ(穂見月)の義(古今要覧稿・嚶々筆語・和訓栞),

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2018年05月06日

ナス


「ナス」は,

茄子,

と当てるが,『広辞苑』には,

「なすび」とも,

とある。しかし,『大言海』は,「なす」は,

茄,

と当て,

「なすび(茄子)の略」

とある。

倭名抄「茄子,奈須比」
本草和名「茄子,奈須比」

を見ると,「ナスビ」が元なのかもしれない。『たべもの語源辞典』は,

「茄もナスと読む。古くはナスビ,近くはナスと呼ばれる。茄子・七斑・紫瓜・落酥・草鼈甲,いずれもナスのことである。」

とある。『日本語源大辞典』には,

「古くはナスビといったが,その語末のビは,アケビ(木通),キビ(黍)などの植物名に通じるものか。後に,『御湯殿上日記』などにみられる女房詞の『ナス』が全国的に広まり,近代以降はナスが主流となる。ただ現在でも西日本ではナスビ,東日本ではナスの形を用いる傾向がみられる。」

とあり,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B9

に,

「元は貴重な野菜であったが、江戸時代頃より広く栽培されるようになり、以降日本人にとってなじみのある庶民的な野菜となった。」

とある。

「茄」(漢音カ,呉音ケ)の字は,

「艸+音符加(上にのせる)」

とある。で,

はちす,上に花の座をのせるはちすのくき,
なす,

の意がある。

k-2229.gif



これだと分かりにくいが,

https://okjiten.jp/kanji2229.html

には,

「『力強い腕の象形と口の象形』(『力と祝詞(のりと)で、ある作用を加える』の意味)から、草に力が加わってできる『なす、なすび』、『はすのくき』、『はす』を意味する「茄」という漢字が成り立ちました。」

とある。

Aubergine.jpg



「インド原産といわれ,…中国から八世紀ころ日本に渡った。正倉院の古文書に出ている。」(『たべもの語源辞典』)

というが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B9

には,

「平城京の長屋王邸宅跡から出土した木簡に『進物 加須津毛瓜 加須津韓奈須比』との記述があり、高位の者への進物にナスの粕漬けが使われていたことが判明した。また、正倉院文書には『天平六年(734年)茄子十一斛、直一貫三百五十六文』をはじめとして多数の『茄子』の記述がみられる。これらのことから、日本では奈良時代すでにナスの栽培が行われていたことがわかる。」

とあるので,既に租庸調として納めていたことから見ると,栽培していたというのが正しいようだ。

『大言海』は,

「中酸(ナカス)實の約略かと云ふ」

とする。

http://gogen-allguide.com/na/nasu.html

も,

「実の味から『中酸実』(なかすみ)が語源とされる。」

とするが,『日本語源広辞典』は,三説載る。

説1,「ナス(夏)+実」。夏の実,
説2,「生ス・成ス+実」。よく成る実,
説3,梨と茄子は同源,

「夏に採れる野菜『なつのみ』から『なす』に転訛した」というのが有力らしい。『たべもの語源辞典』も,

「夏とれる野菜,ナツミ(夏の実)からナスミとなり,ナスビとなった」

とするし,『日本語の語源』も,

「夏の野菜・果物をナツミ(夏実)といったのがナスミ・ナスビ(関西)・ナス(茄子)・ナシ(梨)になった。」

とする。区別せず,「夏の実」と言ったのが,「茄子」と「梨」に分化した,というのは,文脈依存の和語らしく,僕には説得力がある,と思える。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ナス 茄子 なすび
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2018年05月07日

フーテン


「フーテン」というと,映画『男はつらいよ』シリーズの,

「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天 で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。」

寅さんということになるのだろうが,僕にとっては,永島慎二の

「フーテン」

である。

ダウンロード.jpg


「フーテン」は,もともと,

瘋癲,

と当てる。谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』の「瘋癲」である。『大言海』は,

風癲,

とも当てている。

「韻會學要『風,狂疾也』韻會『癲,囘顚,狂也』」

を引くので,

狂気,

を意味する。「風」事態に,「瘋」の意味がある。

『広辞苑』には,

精神状態が正常でないこと,またそういう人,癲狂,
定まった仕事を持たず,ブラブラしている人,

と意味が載る。今日の「フーテン」は,後者の意味である。「風」(呉音フウ・フ,漢音ホウ)の字は,

「大鳥の姿,鳳の字は大鳥が羽ばたいて揺れ動くさまを示す。鳳(おおとり)と風の原字はまったく同じ。中国ではおおとりを風の使い(風師)と考えた。風はのち『虫(動物の代表)+音符凡(ハン・ボン)』。凡は広く張った帆の象形。はためきゆれる帆のように揺れ動いて,動物に刺激を与えるかぜをあらわす。」

とある。「瘋」は,風に疒(やまいだれ)をつけた字。「狂気」の意味である。「癲」は,「疒+音符顚(テン 仆れるさかさになる)」である。「顚」の字は,「頂」の意味であり,「顛倒(転倒)」の「顚」でもある「顚」(テン)の字は,

「眞(真)は『匕(さじ)+鼎』の会意文字。鼎(かなえ)の中にさじで物を満たすことを表す。また,のち『人+首の逆形』の会意文字となり,人が首を逆さにして,頭の頂を地につけ,倒れることを示す。顛は『頁(あたま)+音符眞(さかさにしてみたす,たおれる)』で,真の本来の意味を表す」

とある。

さて,「フーテン」であるが,辞書には,『広辞苑』以上には載らないが,『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%B5/%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

には,

「フーテンとは、定まった仕事や住所を持たない人のこと。もとは『瘋癲(ふうてん)』で、精神の均衡を失っていること、またはそういう人をいうが、『風来坊(ふうらいぼう)』や『プータロー(風太郎)』などの連想からか、1960年台に新宿に集ったヒッピー風の若者たちを『フーテン族』と呼ぶようになった。この『フーテン』には、『頭のイカれたヤツ』という本来の意味あいが十分に含まれていたように思われる。しかし、1968年にテレビドラマとしてスタートし、その後国民的映画シリーズとなった『男はつらいよ』の主人公車寅次郎の愛称『フーテンの寅さん』の登場で、『イカれたヤツ』のイメージは薄れ、旅から旅への自由気ままな暮らしを送っている心持ちの優しい『フーテン』のイメージが定着した。精神の均衡を失っているという意味の「瘋癲」は、マゾなじいさんの性欲を描いた谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』などに、そのおもかげをとどめるのみである。」

と説く。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/28hu/huuten.htm

も,

「フーテンとはもともと瘋癲と書き、精神状態が異常なこと及び、そういった人をさした。ここから1967年の夏、新宿東口に集まる長髪にラッパズボン、(妙なデザインの)サングラスといった格好をし、定職にも就かず、ブラブラしている無気力な若者集団をフーテン族と呼ぶようになる。瘋癲がカタカナ表記されたフーテンはこうしてアメリカのヒッピーに近いイメージで使われた。」

と同趣のことを書く。しかし,「フーテンの寅さん」を演じた渥美清は,かつて闇市で働いていた時,自分を「フーテン」と呼んでいたと語っていたことがある。この「フーテンの寅さん」の命名自体に関わっていたかもしれない渥美清の発言を信ずるなら,「フーテン」は,もっと古く,アウトローの世界の俗語として使われていた可能性がある。それが,1960年代に一般化したのではあるまいか。

因みに,プータローは,

http://homepage-nifty.com/osiete/s528.htm

によると,

「『風来坊』だそうです。意味は『失業者』『定職を持たずフラフラと暮らしている人』『アルバイト生活者』など。」

とか。

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2018年05月08日

垢ぬける


「垢ぬける」は,

(垢が抜けてさっぱりとしている意から)気がきいている,素人くさくない,洒脱である,

と,意味が転じる。要は,

洗練されること,

を意味する。『江戸語大辞典』を見ると,

垢が抜ける,

で,

垢がとれて清潔になる意,転じて,容貌・技芸などが,洗練される俗っぽいところがなくなる,,洒脱になる,

とある。どうやら,清潔になる,という状態表現に,綺麗になるという価値表現へ転じ,さらにそれをメタファに,

洗練される,
とか,
素人さがなくなる,

といった意味に広がったものと見える。『日本語源大辞典』には,

「技芸の拙劣未熟な状態を『垢』にたとえる記述は『風姿花伝』に見える。のち,芸能以外にも,容姿,態度,趣味などの洗練された状態を『垢の抜けた』という句で表現したことが,既に『日葡辞典』に載せられている。『垢ぬけ』という一語の表現は近世になってからである。」

とあり,室町末期以前に遡ることがわかる。

その「あか」に,

垢,

を当てたが,「垢」(漢音コウ,呉音ク)の字は,

「后(コウ)は『人のしりを開いた姿+口(あな)』の会意文字で,人体の後ろ,低いところにあってよごれた肛門を示す。垢は『土+音符后』で土砂が低いところにたまってよごれたものの后こと。厚(土が低くたまる→分厚い)と縁が近い。」

で,「あか」だけではなく「土埃や塵のたまったもの」を意味し,そのメタファで,「けがれ」「はじ」といった意味もある。

『大言海』は,

「和訓栞,アカ『垢を訓むは,汗氣(あせか)の義なるべし』。又或は明(あか)の義,穢を忌みて反対に云ひし語ならむか,鯔(いな)を名吉,梨(なし)をアリノミと云ふ類」

と,確信なげである。『日本語源広辞典』は,

説1は,「梵語アカ(煩悩・けがれ・よごれ)」説,
説2は,「ア(浮)+カ(汚水)」説,

と,二説挙げるが,どうもこじつけに見える。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/aka_yogore.html

は,

「語源は諸説あり未詳で あるが、『アセカ(汗気)』の意味、『アカ(悪所)』の意味、『アクタ(芥)』の略などの説が 妥当であろう。『水垢』や『湯垢』など、水中の含有物が付着したものをいう『垢』の語源 には、仏に供える水やその容器を意味する『閼伽(あか)』と関連付けた説がある。しかし、『水垢』や『湯垢』は、皮膚の垢から派生した語であることや、汚れと仏の水には接点がないため考え難い。」

と,『大言海』の「アセカ(汗気)」を採る。

『日本語源大辞典』には,「汗氣(あせか)」説以外に,

アは接頭語,カはケ(藝)の転(日本古語大辞典=松岡静雄),
アカキ(赤)の転,
ケガレ(汚)の反語アカ(清)(古語類韻=堀秀成・日本語源=賀茂百樹),
アカ(悪所)の義(言元梯),
アクタ(芥)の約か(万葉考),

等々載せる。少なくとも,「赤」はない。色としての赤ではなく,明るいの「アカ」しか和語は持たなかったのだから,「垢」に明るいはない。

こうみてみると,「アセカ(汗気)」説に与したくなるが,気になるのは,

垢,

を「ふけ」とも訓んでいたことだ。普通は,

頭垢,

と当てるのだが。「ふけ」は別途触れるとして,「垢」にかかわる説話がある。

垢太郎(あかたろう),

という。

こんび(垢)太郎,
力太郎(ちからたろう)

とも言うらしいが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B%E5%A4%AA%E9%83%8E

によると,長い間入浴していなかった翁と老婆の垢をかき集め、それを粘土のように固めて人形を作るとそれが超人的能力を持つ人間となる,という物語である。そして,

「老夫婦に百貫目…の金棒を買ってもらい、旅の途中に御堂コ太郎と石コ太郎と出会い、…家来にしながら最終的に長者の娘を生贄につれていこうとした鬼(ただの化け物とする説もあり)を退治するというものである。」

という。

「垢から生まれたこんび太郎、婆のすねから生まれた脛こたんぱこ、竈から生まれた火太郎などさまざまな名を有しているがそれらは一様に力持ちであり、道中家来になるものたちも御堂こ太郎、石こ太郎、岩こ太郎など大力を表す名が多い。」

という。この話の分布はそのほとんどが東北地方に限られており,グリム童話集の「六人組世界歩き」「六人の家来」と同型であり世界的には広く分布する類型,という。これ自体面白いが,

http://suwa3.web.fc2.com/enkan/minwa/momo/00_2.html

に譲る。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2018年05月09日

ふけ


「ふけ」は,『広辞苑』によると,

雲脂,
頭垢,

と当てるらしいが,「垢」だけで,「ふけ」とルビを振っているのもあって,どうせ当て字ではあるが,和語らしい。

「垢」(漢音コウ,呉音ク)の字は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/459242476.html?1525719864

で触れたように,

「后(コウ)は『人のしりを開いた姿+口(あな)』の会意文字で,人体の後ろ,低いところにあってよごれた肛門を示す。垢は『土+音符后』で土砂が低いところにたまってよごれたものの后こと。厚(土が低くたまる→分厚い)と縁が近い。」

で「あか」だけではなく「土埃や塵のたまったもの」を意味し,そのメタファで,「けがれ」「はじ」といった意味もある。ついでながら,「脂」(シ)の字は,

「旨は『人+口(または甘)』の会意文字で,人の口にうまい,こってりした味のこと。脂は『肉+音符旨』で,こってりときめ細かい充実したあぶら肉のこと。」

で,ついでながら,「肪」(漢音ボウ,呉音ホウ)は,

「『肉+音符方(張り出る)』で,からだが肥えてパンパンに張ること」

とある。「脂」と「肪」の違いは,中身と見かけ,ということらしい。

さて,『大言海』は,

雲脂,

と当て,

陳化(フケ)の義か,

とする。少し語意をこじつけた気味がある。なお,

「箋注和名抄…『雲脂,頭垢謂之雲脂,加之良之阿加,一云,以路古』注箋『今俗呼不計』」
「書言字考節用集『雲脂,頭垢,フケ』

を引いている。

『日本語源大辞典』は,「陳化」説以外に,

フケ(浮垢)の義(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
フルアカムケ(古垢剥)の義(日本語原学=林甕臣),
フコ(鮒甲)の義(言元梯),
コケ(苔)の転(少年と国語=柳田國男),

を載せる。『日本語源広辞典』は,

「フは浮の音,ケは垢」

とし,

「頭の皮膚に浮いてくるコケを,植物のコケと区別してフケという」

とするが,解釈的だが,「垢」と同じと見ているところは,まだましに思える。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/hu/fuke.html

は,

「『ふけ(陳化)』や『ふるあかむけ(古垢剥)』の意味、『ふけ(浮垢)』の意味や『こけ(苔)』の 転など諸説ある。 垢に似たもので剥がれて浮き上がってくることから、この中では『浮垢』の意味が有力と思われる。ただし、『垢』は『あ』の音が強いため、ふけの『け』は『垢剥』の意味で『古垢剥』か『浮垢剥』が良いかもしれない。また、体から出るものではないが、印象的に『苔』も近いものがあり、『浮苔』で『ふけ』になったとも考えられる。漢字の『雲 脂』は白く雲のようであるところからの当て字で、『頭垢』は意味からの当字である。」

と,「ふけ(浮垢)」説に肩入れする。「ふけ」という言葉があったものに,字を当てて解釈しているような気がしてならない。ただ,

垢,

に「ふけ」と訓ませたところが気になる。「頭垢」と言っているのは,理屈であって,頭であれ,体であれ,同じ,

垢,

と見たということだ。しかし,「ふけ」と名づけた由来は,見えてこない。強いて言うと,

浮垢(フコウ)→フケ,

だろうか。

ところで,「フケ」という言葉には,競馬好きの人にはよく御存じの,

雌馬の発情,

の意味もある。

http://www.equinst.go.jp/JP/arakaruto/yuusyun/yu200804.pdf

によると,この語源は,東北地方の方言で,「ふける」が,

鳥が交尾期にさえずる,
鳥獣が発情する,

意味で使われ,これが馬産地経由で,厩舎用語となった,とある。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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ラベル:ふけ 雲脂 頭垢
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2018年05月10日

ふける


「ふける」というと,自動詞なら,

逃げる,

という意味だが,他動詞だと,

みせびらかす,

という意味らしく,古く日葡辞典に,

「チャワン(茶碗)をフケル」

と載る。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/28hu/hukeru.htm

は,「ふける」について,

「ふけるとは逃げる、行方をくらます、駆け落ちするといった意味で江戸時代から使われた言葉である。逃げる、行方をくらますという意味では主に盗人の間で使われたが、1970年代末から1980年代のツッパリブーム時になると、その派生として授業を途中抜けしてサボるという意味で不良を中心に若者の間で普及。この場合、フケるという表記が好んで用いられた。」

とある。『江戸語大辞典』をみると,「ふける」には,「逃げる」意の他に,

逸れる,
退屈する,
漁師用語。舟が出せる,漁に出られる,

等々が載る。どうも由来がわからないが,「ふける」という言葉は,

更(深)ける
耽る,
蒸ける,

と当て分けて,意味を使い分けている。「更ける」「深ける」は,

夜中に近くなる,
季節が深まる,
齢が長ける,歳をとる,

意であり,「老ける」は,

年を取る,意である。「老ける」は,「更ける」「深ける」から意味が分化したということがわかる。「蒸ける」

蒸されて熱が通り,柔らかくなる,

意であり,「耽ける」は,

心を注ぐ,没頭する,
心を奪われ,自制心をなくす,おぼれる,
囀る,特に鶉(うずら)が鳴く,

という意である(以上『広辞苑』)。面白いことに,この「ふける」には,東北地方の方言で,

鳥が交尾期にさえずる

という意もある(この「ふける」が厩舎用語の「フケ」とつながる)。「耽る」の字を当てると,何だか意味深である。『大辞林』は,「耽る」を当てた「ふける」の意味に,

逃げる,姿をくらます,

の意を載せている。結局「ふける」は,『大言海』が,「耽る」で,

「深(ふ)け入るの義」

に,絞られていくように見える。古語で言うと,「ふく」になるが,「ふく」を,『大言海』は,

深く,
化く,

を当て分けているが,「深く」は,

「深(ふか)の活用」

とし,

深くなる,たけなわになる,
専ら,夜に言う,
専ら,齢に言う,

とし,「化く」は,「深く」の語意と同じ,としながら,

蒸れ古びて形を変ふ,陳化,
空気に晒されて解けて粉となる,風化,

の意を載せる。「深(ふか)」は,他の語について,

深情け,
深緑,
深入り,
深手,
深酒,
深間,
深読み,

等々,単なる深浅の意味から,それをメタファに深みにはまる意味まで広い。その「深」の活用とするなら,

更(深)ける
耽る,
蒸ける,

のすべては,「深」から来ているとみていい。逃げる意の「ふける」も「化く」つまり,「化ける」と当ててみると,その含意が深まる。

http://mobility-8074.at.webry.info/201508/article_63.html

が,「更ける」「老ける」「耽る」「蒸ける」を,

「これらの語のもとは『深ける』です。この場合の『深ける』 は〈時間的に深くなる〉,つまり〈時間が進行する〉というような意味です。」

としているのは妥当だろう。

「更ける」は,

フカ(深)から,

「耽る」は,

フカ(深)入り,

と考えると,「蒸ける」も,時間を掛ける意に繋がっていく。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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ラベル:ふける
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2018年05月11日

勝手


「勝手」というのは,「使い勝手」「勝手が悪い」というような,

便利,
都合の良い,

という意味もあれば,「自分勝手」「勝手な奴」と言うように,

わがまま,

という意味がある。この意味の幅は,単に便利さという状態表現の振幅が,それに是非を入れた価値表現に転じたという意味で,ある程度了解できる。さらに,「勝手が違う」「勝手がわからない」というような,

模様,具合,事情,

という意味もある。更に「お勝手」というような,

台所,

の意味と,「勝手向き」というような,

家計,

という意味になると,ちょっと語源が違う感じである。

さらに,「引手」の意味で,

勝手,

とも使う。つまり,「弓を射るとき,弦を引っ張る方の手」で,つまり右手の意味である。この意味は,「便利」「都合」の意味の外縁とつながらなくもない気がする。

「勝手」は,

便利,都合,

といった意味の流れと,

事情,模様,

という意味と,

台所,家計,

の意味の流れがあり,恐らく,同じ「勝手」を当ててはいるが,由来を異にすると想定できる。

『岩波古語辞典』は,一項目でしか載せないが,『大言海』は,二項に分けて載せる。一つは,台所の意だが,この「勝手」は,

「粮所(かってどころ)などの略,竈の名に移り,更に厨(くりや)に移れる語。字類抄『竈,カマ,カマド,カッテ』」

とある。「粮所(かってどころ)」の「かって(粮)」は,

「乾飯代(カレヒテ)の約なる,糧(かりて)の音便(更に略して粮(かて))」

とある。『岩波古語辞典』にも,「かて(糧)」の項で,

カリテの略,

とある。本来,「かて」と訓んでいる「糧・粮」は,

かりて,

と呼んでいたものらしい。つまり,食糧を指す。その意味で,この「勝手」の系譜は,家計や生活の意味をもつようになるのは当然である。

『大言海』は,しかしもうひとつの「勝手」については,由来を何も触れていない。

『日本語源広辞典』は,「勝手」を一つの語源で解釈しようとして,三説を立てている。

説1は,「弓を引く手」が語源。右手のことです。そのことから,勝手(都合・便利)がよいことを表します。さらに,暮らし向き,生活の意から,台所の意へ転じた,
説2は,「カテ(食糧)+所」が語源。台所を指す,
説3は,「カテ(釜・竈)+所」が語源。

説1は,『日本語源大辞典』でも,

弓を引く手を「勝手」といい,右手が都合がよいことから,都合がよい,気ままの意になり,内情をよく知っていて都合がよいということから,暮らし向き,様子となり,また生計の意から台所の意に変った(小学館古語大辞典),

を載せるが,引手が都合がいいというのは如何であろうか。矢を番え,弓をもって標的に向ける弓手(左手)の方が主で,弦を引っ張る引手は,それに合わせるという意味で従,ではあるまいか。さらに,

生計→台所,

という抽象→具体という意味の変化は如何であろうか。

台所→家計,

という意味の変化の方が自然ではあるまいか。字類抄「竈,カマ,カマド,カッテ」と言っており,『大言海』の言う通り,

かりて(粮)→かって(粮)

の変化と見れば,「かって」というのが,食糧を指していたことを考えれば,説2説3は,ほぼ同じことを言っているにすぎない。「弓手」を「勝手」といったのは,すでに人口に膾炙する「勝手」の意味があって名づけたと見る方がいい。つまり,「弓手」は「勝手」の語源ではないように思う。

「勝手」の語源は,意味毎に系列を異にするのだと思う。その点で,「『日本語の語源』は,説得力がある。

「『勝手な振舞』『勝手がわからぬ』『お勝手(台所)』は明らかに語源・語義を異にする同音異義語である」

とした上で,三者の語源をこう説く。まず,「きまま」「わがまま」の意の「勝手」については,

「他人のことはかまわず,自分の都合のよいことだけをおこなう自己本位の行動をワガミカタヨリ(我身片寄り)といった。下部を省略したワガミカタは,タの母交(母韻交替)[ae]でワガミカテになり,促音を添加してワガミカッテ(我身勝手)になった。
 その省略形として,ワガカッテ(我が勝手)・ミガッテ(身勝手)に両分された。〈ひとといふものはワガカッテによい事はしたがるものでござる〉(狂・布施無縁)。〈郡役を勤める身でミガッテなことを申すも如何〉(菅原伝授手習鑑)。
ミガッテ(身勝手)は語尾を落とすとともに促音を直音に変えてミガツ・ミガチ(身勝ち)に転音した。〈そなたがミガチな,そちへばかり水を取るものか〉(狂・水掛聟)。〈時景もとよりミガチ者〉(天鼓・近松)。〈ミガチに見えて見苦しく〉(浮・新可笑記)。
『身』を落としたカッテ(勝手)は形容動詞化して『勝手な振舞』『勝手に決める』といい,『わがまま。きまま。心のままに振舞うさま』をいう。
ひどくほがままなことをイトカッテ(甚勝手)といったのが,母交(母韻交替)をとげてエテカッテ(得手勝手)になった。
さらに,『都合のよいこと。有利なこと』の意味を派生した。〈私はそなたの広い屋敷より,こなたの狭い屋敷が勝手でござる〉(狂・武悪)。
カタヨリ(片寄り。偏り)のカタ(片)の部分がカテ・カッテ(勝手)に変化したわけである。」

とし,「勝手がわからない」の「模様」「事情」の意の「勝手」については,

「『ものの形状。姿。かたち。模様』の意のカタ(形・象)もカテ・カッテ(勝手)になり,『様子。もよう。ぐあい』の意の名詞になった。〈只今これへ参ったことでござれば,諸事カッテも存ぜず〉(狂・賽目)。〈されども,カッテあしく,所にて商売なりがたく〉(織留・西鶴)。」

とし,「台所」の意の「勝手」は,

「旅の食糧をいうカリテ(糧)はカテ(糧・食糧)になった。食糧を貯蔵し炊事する台所をカテドコロ(糧所)といったのがカッテドコロ(勝手所)・カッテ(勝手)になった。
 台所が生活の中心であるところから,勝手は『生計・家計・暮らしむき』の意になった。」

この説の是非はともかく,意味の違いを一緒くたにしたのでは,語源は縺れるだけである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:勝手
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2018年05月12日

買って出る


「買って出る」は,「買う」の意味の中にある,

進んで身に引き受ける,

の意味であるが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ka/kattederu.html

によると,

「買って出るは、単に『買う』でも自ら進んで引き受ける意味があるので、特に語源が無いように思える言葉だが、花札から出た言葉である。花札は三人で勝負するため、参加者が四人以上いる場合は、親から数えて四人目以降の下座の者は外される。どうしても下座の者が勝負に参加したい場合は、代償として上座の者から役札を買い上げること から、自ら進んで引き受けることを『買って出る』と言うようになった。」

とある。これは,『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E8%B2%B7%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%87%BA%E3%82%8B

にも,

「もとは花札で、定員三人に対して、参加者がそれ以上いた場合、四人目以降の下座の人は外れることになるが、どうしてもやりたければ上座の人から役札を買い上げて参加できることから、たとえていうようになったもの」

とあるので,出自は賭博用語らしい。

「かう」というのは,

買,

と当てるが,『広辞苑』には,

「『替ふ』と同源」

とある。そして,その「替ふ」は,

替,
換,
代,
変,

と当て替える。一応,

替,換,代,

は,事物を互いに入れ違わせる意であり,

変,

は,事物の状態・質をそれまでと異なったものにする意となる(『広辞苑』)。『大言海』を見ると,前者には,

易,

の字も当てる。さらに,

渫,

の字を当てた「かふ」は,

「易の義」

で,さらう(浚う)意である。どうやら,「変」以外のすべては,

交,

に行きつくようである。『岩波古語辞典』は,「かふ」は,

交,替,買,

の字を当て,

「甲乙二つの別のものが互いに入れ違う」

とする。当然語源は,

交ふ,

となる。『日本語源広辞典』は,

「物々交換時代には,交・替・換・代,共通で一語の意味でした。古代には交換することをカフといっていました。後に,代金という概念が出てきて,購入するにもカフを用い,『買う』という字を使うようになったものです。」

とある。漢字は,

変は,移り変わる意,
易は,一物体の変ずるにも他物の振り替わるにも用いる,
替は,彼と此れとなり代わる,
代は,同じようになるものがなり代わる,
換は,彼と此れを交換する,
買は,かひてあきなひする,

の使い分けがあるが,われわれは,漢字の意味の陰翳を承けて,使い分けをしているようである。。

「買」(漢音バイ,呉音メ)の字は,

「网(あみ)+貝(貨幣)」

であり,初めから売買をイメージしている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:買って出る
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2018年05月13日

カラス


「カラス」は,

烏,
鴉,

と当てる。他に,

鵶,
雅,

とも当てる。

Kolkrabe.jpg



「烏」(ウ)の字は,

「からすをえがいたもの。アと鳴く声をまねた擬声語」

である。「鴉」(漢音ア,呉音エ)の字は,「みやまがらす」「はしぶとがらす」(『字源』)「こくるまがらす」『漢字源』と,特定種の名が上がる。

「『鳥+音符牙』アアと鳴く声をまねた擬声語」

とあり,「鵶(ア)」の字も,「亞+鳥」なので,同じと考えてよい。『漢字源』には,

「烏(ウ)も古くはアと発音した。烏・鴉は全て鳴声をあらわす擬声語」」

とあるが,「雅」(漢音ガ,呉音ゲ)の字も,「カラス」の意味があるが,「アア」と鳴くかららしい。「雅」の字は,

「牙(ガ)は,交互にかみ合うさまで,交差してすれあう意を含む。雅は『隹(とり)+音符雅』で,もと,ガアガア・アアと鳴くカラスのこと。ただし,おもに牙の派生義である『かみあってかどがとれる』の意に用いられ,転じてもまれてならされる意味となる。」

とある。

トマッテルカラス.jpg



「カラス」は,古来八咫烏や熊野権現の牛王の神符に図案化されるなど,神的,霊的存在と見られてきたようだが,『日本語源大辞典』には,

「『萬葉集東歌』で『おほをそどり(をそ=軽率の意,おおあわてもののとり)』と呼ばれたり,『枕草子』に『にくきもの』として挙げられたりする」

ということを指摘している。

当然和語も擬声語が想定されるが,必ずしもそうではなく,擬声語と羽色(黒色)の二説に大別されるようである。まずは,「鳴き声由来」説は,

その鳴き声から(雅語音声考・擁書漫筆・箋注和名抄・名言通・国語溯原=大矢徹・音幻論=幸田露伴),
鳴声のカラにスを付したもの(円珠庵雑記・甲子夜話・大言海),
コクロと表現される鳴声から(能改斎漫録・松屋筆記),
カラスノカラと鳴声のコロクのコロとが形の上で関係のあるものとみることもできるが,鳴き声の擬声語化したカラに接尾語スが付いたものか(時代別国語大辞典=上代編)。

その他『日本語源広辞典』も,

「擬声語kara,kura+接尾語」

とし,接尾語「ス」は,

「カケス,キギス,ウグイス」

等々鳥の名を表す,とする。『大言海』は,鳴き声は,「カ」で,

「ラは添えたる語」

とし,『枕草子』の,

「鴉のいと近く,カラと鳴くに」

を引く。「ス」は,『日本語源広辞典』と同じく,鳥に添える語とし,

「禽蟲の名の下に添ふる語(萩(はぎ),荻(おぎ),薄(すすき)の,キの如し)」

として,

「『うぐいス』『ほととぎス』『きぎス』『からス』『きりぎりス』『ぎズ』『もズ』『みみズ』。又『めス』『をス』『かけス』も此の類なるべし。」

と付説する。また「ら」についても,

「語の末に付けて,云ふ助詞。普通意味なきものあり,親愛の意あるもあり」
として,

ましラ(猿)

等々を挙げる。鳴声の言語化の流れは,『日本語源大辞典』に,

「鳴声は古く『コロク』と聞きなされたこともあるが,『枕草子・あさましきもの』には『かかと鳴く』とあり,又,中世には,『コカコカ』(虎明本狂言・花子)などの形もある。現代一般的な『カアカア』は,『新ばん浮世絵尽』(18世紀前)に『かあかあすこし水をくれぬ』とあり,江戸時代からみられるものである。」

とある。『擬音語・擬態語辞典』は,もう少し詳しく,

「奈良時代には烏の声は普通『ころ』『から』と聞いていたと考えられる。」

さらに,

「平安時代には,烏の鳴声は,『かか』。『枕草子』に『暁がたにうち忘れ寝入りにけるに,烏のいと近かかと鳴くに』とある。鎌倉・室町時代から江戸時代にかけて烏の声は『こかこか』,『こかあこかあ』。」

で,江戸中期,『カアカア』となる。

『擬音語・擬態語辞典』は,したがって,「『からす』の『から』は。鳴き声である。『す』は鳥であることを示す接尾語」

と,鳴声説を採る。

「羽色(黒色)」由来説は,

クロシ(黒)と相通ず(和句解・日本釈名・東雅・柴門和語類集),
カラス(黒羽)の義(和語私臆鈔),
カラはクロ(黒)の転,スはシと通音で鳥の意(国語学通論=金沢庄三郎)

等々あり,『日本語の語源』も,

「クロトリ(黒鳥)は,トリ[t(or)i]の縮約で,クロチ・クロスを経て,カラス(烏)になった」

とする。色の黒い鳥は,烏(う)を初め他にもいる。

ここは,

「から+す」

説に与したい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
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コトバの辞典;
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ラベル:カラス
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2018年05月14日


「う」は,鳥の,

鵜,
烏,

の意である。「烏」(呉音ウ,漢音オ)の字は,

カラス,

の意であり,「鵜」(漢音テイ,呉音ダイ)の字は,

がらんちょう,

つまり,

ペリカン,

を指す。それを「う」に当てるのは,我が国だけである。この字は,

「『鳥+音符弟(テイ 低,背が低い)』。足が短くて背の低い鳥。」

の意である。「烏」の字を当てたのは,「ウ」という音が重なるからと推測できるが,「鵜」の字は,

800px-Phalacrocorax_carbo_ja01.jpg



「水鳥の一種,口ばしが長く,あごの下が大きく膨らんでいる」

というこの鳥を「う」と読み違えたとしか思えない。『大言海』も,

「鵜鶘(テイコ)は,ガランテウなり。亦能く鳥を捕ふるに因りて,字を誤用せらる」

といっている。

「漢字の『鵜』(テイ)は元々中国ではペリカンを意味し、『う』は国訓である。ウを意味する本来の漢字は『鸕』(ロ)である。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E7%A7%91

らしい。しかし,「う」は,

ペリカン目ウ科,

なので,当たらずと雖も遠からず,というところだろうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E7%A7%91

には,

「鵜飼い」で知られる漁法は,日本では少なくとも5世紀以降、ヨーロッパでは17世紀以降には行われていた,という。中国はカワウを使うが,我が国ではウミウを使うらしい。

800px-Yūhi_Cormorants_catching_Fish.jpg

(熊代熊斐『鸕鷀捉魚図』(絹本着色 宝暦5年(1755年)徳川美術館蔵)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E7%A7%91より)


さて,「う」の語源であるが,『日本語源広辞典』は,

「ウ・ウカ(うかがう)」で,「うかがう鳥」の意味です。」

とある。この意味は,鵜の目鷹の目,の「う」という含意を前提にしているように思える。「鵜の目鷹の目」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455510705.html

で触れた。『日本語源大辞典』は,

ウク(浮)の義か(滑稽雑誌所引和訓義解・東雅),
ウム(産)の義(名言通・和訓栞・釣書ふきよせ・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ウヲ(魚)を好むためか(和句解),
ウヲカヅク(魚潜)の約(和訓集説),
ウ(魚)ヲ-ノ(呑)ミの下略(日本語原学=林甕臣),
ウット丸呑みにするから(本朝辞源=宇田甘冥),
クロ(黒)の義(言元梯),
ウは自然に発せられる安らかな音であるため,物をたやすく呑む鳥の意(俗語考),

と諸説挙げるが,どうもいま一つである。確かに,『日本語源大辞典』の言うように,

「一拍語であるため,諸説の判定は難しい」

のは確かだが,音だけの語呂合わせではなく,別のアプローチもあるのではないか。かつて,

「鵜の羽で産屋の屋根をふく風習もあった」(『岩波古語辞典』)

という。それで思い出すのは,

ウガヤフキアエズ(日子波限建鵜草葺不合命・彦波瀲武盧茲草葺不合尊),

の名である。神武天皇の父である。

彦火火出見尊(山幸彦)と、海神の娘である豊玉姫の子,

であり,『古事記』では天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、『日本書紀』では彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と表記される,という。

この場合,鵜の羽の屋根を葺き終わる前に産まれたので,

「鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」

と名がついた。

http://nihonsinwa.com/page/1050.html

に,

「鵜は大きな口を開けて、食べた魚を吐き出すことから、「安産」の霊力があると考えられている。鵜の羽で「産屋」を葺いたのはそのためかと。」

とある。「鵜」と「安産」と関係があるということは,稲作の豊作祈願とも関わるのではないか。とするなら,「う」は,

産む,

とつなげてみたい気がする。根拠は薄いが,「鵜飼」という漁法が,稲作とともに,中国から伝わったともされるだけに,何となく縁を感じる。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2018年05月15日

ウグイス


「ウグイス」は,

鶯,

と当てるが,「鶯」(漢音オウ,呉音ヨウ)の字は,

コウライウグイス,
チョウセンウグイス,

を指す。スズメ目コウライウグイス科に分類される。「ウグイス」は,スズメ目ウグイス科である。

Oriolus_chinensis.jpg



で,この字は,

「鶯の上部は(音エイ・ケイ)は,ぐるりととりまくさま。鶯はそれを音符とし,鳥を加えた字で,輪状の羽模様が,首のまわりをとりまいた鳥のこと」

で,「からだは黄色で,尾は黒が混じる」鳥を指す。

「両者とも美声を愛でられる鳥だが、声も外見も非常に異なり分類的な類縁はない。」

とのこと。コウライウグイスの別名は,

黄鳥(コウチョウ),金衣公子(キンイコウシ),

等で,後述の「ウグイス」の別名とは大きな違いががあり,「ウグイス」とは別物である。

さて,「ウグイス」は,

春鳥(ハルドリ)・春告鳥(ハルツゲドリ)・花見鳥(ハナミドリ)・歌詠鳥(ウタヨミドリ)・経読鳥(キョウヨミドリ)・匂鳥(ニオイドリ)・人来鳥(ヒトクドリ)・百千鳥(モモチドリ)・愛宕鳥(アタゴドリ),報春鳥(ホウシュンドリ),初音(ハツネ),

等々,別名は多い。『日本語源大辞典』に,

「鶯の鳴声は,ホーホケキョ,ヒトクヒトクなどと聴き取られ,『饗み鳥』『人來鳥』は鳴声に由来する異名である」

とある。この,

ホーホケキョ,

は江戸時代から使われ出した。それ以前,

「平安時代は,鶯の声を『ひとく』と聞いた。『梅の花 見にこそ來つれ 鶯のひとくひとくと厭ひしもをる』(『古今和歌集』)。『ひとく(人が来る)』の意味に掛けて用いられる。『ひとく』は江戸時代まで用いられ続けた。鎌倉室町時代には,鶯を飼ってよい声で囀るように躾けることが流行った。『つきひはし(月日星)』と聞こえるように鳴く鶯が最高であった。(中略)
 江戸時代になると,『ほーほけきょー』と写され,『法華経』の意味を掛けて聞いた。」

とある(『日本語源大辞典』)。

800px-Cettia_diphone.jpg



「ウグイス(ウグヒス)」の「ス」は,前に「カラス」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/459343657.html?1526151249

で触れたように,「鳥を表す語」(『岩波古語辞典』)で,カケス・キギス・カラス・ホトトギス等に見られる。で,『大言海』は,

「ウクイは,鳴く聲,スは鳥の接尾語(ほととぎス,からス,きぎス)。古今集,十,物名,ウグヒス『心から,花の雫に,そぼちつつ,ウグヒスとのみ,鳥の鳴くらむ。』承暦二年殿上歌合『いかなれば,春來る毎に,ウグヒスの,己れが名をば,人に告ぐらむ』(名言通)」

とする。『擬音語・擬態語辞典』も,

「鳴声を『うーぐい』と聞いたところから」

と,鳴声説を採る。鳴声説が,

鳴声から(擁書漫筆・箋注和名抄・言元梯・古今要覧稿・松屋筆記),
ウグヒは啼声,スは鳥の名につく接尾辞(雅語音声考・嚶々筆語・名言通・大言海・日本古語大辞典=松岡静雄),

と大勢である。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/u/uguisu.html

も,「ウグヒ+ス」と鳴声説を採る。

http://www2.chokai.ne.jp/~assoonas/UC78.HTML

も,「うくひす」は,

「昔の『う』の発音は、『fu』に近いものであり、『い』の発音も『hi』に近いものでした。(中略)そこで、『うぐいす』の発音を大ざっぱに遡っていくと、『うくひす』『ふくぴちゅ』の順に古くなるわけですが、お気付きのようにフークピチュ(声に出して見ればよくわかる)という鳴き声からきているものです。」

と,鳴声説を採る,それ以外にも,

ウクは奥,ヒスは出づ。奥出づの意(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解),
ウはフ(生)の転。スは巣。茂みに巣をつくる鳥(東雅),
愛飲巣または,愛作巣の意から(和字正濫鈔・和語私臆鈔・円珠庵雑記・燕石雑志),
卯の方に巣をくう鳥か。陽気を好む鳥(和句解),

等々があるが,最も説得力のあるのは,『日本語源広辞典』の,

「中国語の黄鶯子(wung yen su)」

語源説だが,「鶯」(この字のみでコウライウグイスを指す)の呼び名ではなく,

黄鶯(こう おう),

という屋上屋を重ねた名の音なのか,の説明がなければ,こじつけになるのではないか。やはり,「ウグイス」は鳴き声であり,鳴き声由来と考えるのが,妥当ではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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2018年05月16日

ホトトギス


「ホトトギス」は,『広辞苑』を見るだけでも,

杜鵑,
霍公鳥,
時鳥,

の他,

子規,
杜宇,
不如帰,
沓手鳥,
蜀魂,

と異名を挙げる。「ホトトギス」の異名は挙げてみると,

文目鳥(あやめどり)・妹背鳥(いもせどり)・卯月鳥(うづきどり)・勧農鳥(かんのうちょう)・早苗鳥(さなえどり)・子規(しき)・死出田長(しでのたおさ)・蜀魂(しょっこん)・黄昏鳥(たそがれどり)・橘鳥(たちばなどり)・偶鳥(たまさかどり)・夜直鳥(よただどり)・魂迎鳥(たまむかえどり)・杜宇(とう)・時鳥(ときつどり)・沓手鳥(くつてどり),

等々,凄い数に上る。このうち,「杜宇」「蜀魂」「不如帰」は、中国の故事や伝説にもとづくらしい。

Cuculus_poliocephalus.jpg


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%88%E3%83%88%E3%82%AE%E3%82%B9

によると,

「長江流域に蜀という傾いた国(秦以前にあった古蜀)があり、そこに杜宇という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興し帝王となり『望帝』と呼ばれた。後に、長江の氾濫を治めるのを得意とする男に帝位を譲り、望帝のほうは山中に隠棲した。望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来るとそれを民に告げるため、杜宇の化身のホトトギスは鋭く鳴くようになったと言う。また後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、『不如帰去』(帰り去くに如かず。= 帰りたい)と鳴きながら血を吐いた、血を吐くまで鳴いた、などと言い、ホトトギスのくちばしが赤いのはそのためだ、と言われるようになった。」

と。なお,平安時代以降には「郭公」の字が当てられることも多いが,これはホトトギスとカッコウがよく似ていることからくる誤りによるものと考えられている。松尾芭蕉もこの字を用いている。『大言海』は,

郭公,

は,「カッコウ」なり,としている。

「ホトトギス」は,そのイメージとは異なり,「ウグイスなどに托卵する習性で知られている,結構えげつない鳥でもある。

http://www.inter-link.jp/back_no/zipang/zipang_18.html

「ホトトギスの習性としてよく知られているのが托卵である。ホトトギスはウグイスなどの巣に卵を産み付け、ウグイスに我が子を育てさせる。驚くのがホトトギスのヒナで、生まれて直ぐにヒナは巣の中のウグイスの卵を背中にのせ巣から放り出すという荒業をやってのける。結果、悲しいかなウグイスは自分の体の2倍の大きさに成長するホトトギスを育て上げることになる。親子そろって非常に狡賢い鳥なのである。」

と。しかしもうひとつ特徴的なのはその鳴き声である。『広辞苑』は,「ホトトギス」の語源を,

「鳴声による名か,スは鳥を表す接尾語」

とする。「カラス」「ウグイス」で触れたことと重なるが,これが妥当なのだろうと思う。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ho/hototogisu.html

が,

「ホトトギスの名は,『ホトホト』と聞こえる鳴き声からで,『ス』はカラス・ウグイスなどの『ス』と同じく,小鳥の類を表す接尾語と考えられる。漢字で『時鳥』と表記されることから『時(とき)』と関連付ける説もあるが,ホトトギスの仲間の鳴き声を『ホトホト』と表現した文献も残っているため,鳴き声からと考えるのが妥当であろう。
 江戸時代に入ると,ホトトギスの鳴き声は,『ホンゾンカケタカ(本尊かけたか)』『ウブユカケタカ(産湯かけたか)』,江戸時代後期には,『テッペンカケタカ(天辺かけたか)』などと表現されるようになり,名前が鳴き声に由来することがわかりづらくなった。『トッキョキョカキョク(特許許可局)』という鳴き声は,戦後から見られる。
 ホトトギスには,『杜鵑』『時鳥』『不如帰』『子規』『杜宇』『蜀魂』『田鵑』など多くの漢字表記があり,『卯月鳥(うづきどり)』『早苗鳥(さなえどり)』『魂迎鳥(たまむかえどり)』『死出田長(しでのたおさ)』など異名も多い。

とまとめているのが的確である。「ホトホト」と聞えたのである。『大言海』に,

「歌に『己が名を名のる』と詠める多し」

とあるが,萬葉集の,

「名告り鳴くなる保登等藝須」

等々,名乗っているとみていたものらしい。それにしても,

ホトホト→ホンゾンカケタカ・ウブユカケタカ→テッペンカケタカ→トッキョキョカキョク,

とは聞こえ方の差が大きい。結局ヒトの知覚,認知は,知っているものを聞く,ということだろう。

「『キョッキョッ キョキョキョキョ!』と聞こえ、『ホ・ト・…・ト・ギ・ス』とも聞こえる。」

というのが,その辺の事情を表していなくもない。

鳴声説が大勢だが,その他に,

ホトトキス(火時鳥)の義(柴門和語類集),
梵語から(秉燭譚),

という異説もある。

参考文献;
http://www.inter-link.jp/back_no/zipang/zipang_18.html
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%BB%E3%81%A8%E3%81%A8%E3%81%8E%E3%81%99
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%88%E3%83%88%E3%82%AE%E3%82%B9
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2018年05月17日

ほとほと


「ほとほと」は,擬音のそれではなく,『広辞苑』で

殆,
幾,

と当てる「ほとほと」である。

今少しで,すんでのところで,
大体,ほとんど,
本当に,非常に,

という意味があるが,今日では,

ほとほと困った,
ほとほとあきれた,

という意味でしか使わないように思う。「大体」「すんでのところで」はあくまで状態表現だが,「本当に」は,その状態に対する価値表現になっている。意味の視点が,客体表現から,主体表現に転じている,と見ることができる。

『岩波古語辞典』には,

「事の進みがぎりぎりの所まで,立ち至っている状態に言う」

とあり,

あやうく(…するところだ),

が,

大体,

に転じるところまでしか,『岩波古語辞典』には載らない。

「平安時代末期には,ホトホド・ホトヲトなどと発音されていたらしい。後にホトンドに転ずる」

とある。『日本語源大辞典』によると,

「院政時代から鎌倉時代にかけて,『ほとほど』(『観智音本名義抄』)や『ほとをと』(『色葉字類抄』『名語記』)となり,室町時代中期以降『ほとんど』(『文明本節用集』)の形を取り,今日に至っている。」

とある。

こうみると,「ほとんど」に転じた段階で,

今少しで,すんでのところで,
大体,ほとんど,

という状態表現の意味を「ほとんど」に移行し,「ほとほと」が,主体表現の,

非常に,本当に,

の意味に純化したというように見える。「ほとほと」の転じた「ほとんど」は,

殆,

と当て,

大方,大略,
今少しのところで,

という意味で,「ほとほと」の「ほとんど」への転訛で,意味がシフトしたことがよくわかる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ho/hotondo.html

は,「ほとんど」の項で,

「『ほとほと』は、…『もう少しで』というところから、『だいたい』や『危ういところで』の意味を表すようになった。 現代語では『ほとんど』がこの意味を 引き継ぎ、『ほとほと』は意味が変化し『まったく』『つくづく』など困り果てた気持ちを表す。」

とまとめている。

『大言海』は,「ほとほと」を,

「邊邊(ほとり)の意と云ふ」

とするし,『日本語源広辞典』も,

「ホトホト(辺・側のホトリのホトの畳語)」

とする。『岩波古語辞典』の「ほとり」の項に,

「ホトはハタ(端)の母音交替形。リは方向をいう接尾語」

とある。「はた(端)」は,

「内側に物・水などを入れてたたえているものの外側。へり」

とある。どうやら,「ほと」を重ねて,その近くにある,間近,という意味を擬態語として表現したものらしい。

ほぼほぼ,
あつあつ,
とってもとっても,
さらさら,

と同趣旨の,強調表現と見ることができる。『日本語源大辞典』は,

「辺や側を示す『ほとり』の語基『ほと』の畳語で,『境界をなす部分(周縁)において』を原義とする。」

とし,

ホトリ(辺辺)の意という(大言海),

以外に,

ハツハツ(端々)の義(国語溯原=大矢徹),
ハタハタ(端々)の義(国語の語根とその分類=大島正健),
ホトはハト(端処)の転(日本古語大辞典=松岡静雄),

を挙げ,「ホトリのホトをハタ(端)の母音交替形とする説に従えば」,「端」に関わる語源説も有力,とする。

なお,今日ではほとんど使わないが,「ほとほと」を,形容詞で使うと,

ほとほと(殆・幾)し,

となり,

ほとんど…しそうだ,すんでのところで…である,
もう少しで死にそうである,
極めて危ない,

という意味になる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
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2018年05月18日

ほとり


「ほとり」は,

辺,
畔,

と当てる。しかし,「辺」は,

あたり,

とも訓ませる。「あたり」と「ほとり」の違いが気になった。「邊(辺)」の字は,

「邊の右側の字(臱 ヘン・メン)は,『自(鼻)+両側にわかれる印+方(両側に張り出る)』の会意文字で,鼻の両わきに出た鼻ぶたのはしを表す。邊はそれを音符とし,辶(歩く)を加えた字で,いきづまる果てまで歩いて行ったその端を表す。辺は宋・元の頃以来の略字。」

とある。「辺」の含意は,果て,らしい。

「ほとり」は,『広辞苑』によれば,

ほど近い所,
水際,岸,
都から遠く離れた所,かたいなか,

とある。この意味の幅はかなり主観的だ。『岩波古語辞典』は「ほとり」の項で,

「ホトはハタ(端)の母音交替形。リは方向をいう接尾語」

とある。「はた(端)」は,

「内側に物・水などを入れてたたえているものの外側。へり」

とある。「ほとり」意味は,

涯,辺際,
境目の所,
そばにいる人,
縁故あるもののはしくれ,

とある。後者二つは,「はて」「際」からのメタファと見ると,

何かの端,

を指している,と見ることができる。ある場合は,「水辺」のように,

水の端,

であり,ある場合は,「都の涯」というように,

片田舎,

になる。あくまで,その人にとっての境界域の縁,ということになる。『大言海』には,

「端(はた)と通じるか」

として,

程近き処,
あたり,
そば,

という意味しか載せない。では,「あたり」はどうか。『広辞苑』には,

基準または着目する物に近い範囲,
およその目安をあげて所・時・数量,時には事物を示す語,

とある。『岩波古語辞典』には,

「動詞アタリ(当)と同根。見当をつけた場所の意。上代には,自分の家,妻の家などを遠くから見当をつけていう場合に多く使う。平安時代には,人を婉曲に指すのにも使う。類義語ヘ(辺)は,はずれた所,はしの所の意。ホトリは山や水のそばをいい,ワタリは『六条わたり』など,地名を承けて漠然と広い地域を言う」

とある。『大言海』も,

「其処に当たりの義。当所の義」

とある。どうやら,主体にとって,自分の家のように明確な一ヵ所を,外から「あたり」というのに対して,「ほとり」は,逆に内(主体)から外に向かって,何かを指す,という感じのようである。「あたり」は点なのに対して,「ほとり」は面を指している,という含意もある。『日本語源大辞典』が,

「『あたり』が,基準となる場所も含めて付近一帯を指すのに対して,『ほとり』は,基準になるもののはずれ,ないし,その近辺を指している。」

とするのも,近い語感である。これは,「あたり」の語源と関わっていると思う。

『日本語源広辞典』は,「あたり」は,

「空間的な『当り』です。おおよその目あてとする場所」

とし,『日本語源大辞典』も,

アタリ(当)と同根(小学館古語大辞典・岩波古語辞典),
ソコ(其処)ニ-アタリ(当)の意。当所の意(花鳥余情・和訓栞・大言海),

と,当該の目標がはっきりしている含意が強い。『日本語源大辞典』に,

「平安時代までは『わたり』とほぼ同じ意味に使われている」

とするが,「六条わたり」と地名につく,という意味で,目標ポイントが狭く限定されていることをよく示す。

それに対して,「ほとり」は,『日本語源広辞典』は,

「ホト(ハタ・端・辺・傍・側)+リ(接尾語)」

とし,『日本語源大辞典』は,

ホトはハタ(端)の転か(国語の語根とその分類=大島正健),
ホカトホリ(外通)の義(名言通),
ヘワタリの略転(松屋筆記),

と,主体から距離を示している感じが強い。逆に言うと,「ほとり」は客観的な縁ではなく,あくまで主観的な縁感覚ということだが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)


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ラベル:ほとり
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2018年05月19日

パースペクティブ


江角健治 個展(飯田弥生美術館ギャラリー)にお邪魔した。

20180327011231unnamssed.jpg


毎年拝見しているわけではないが,独特のひしゃげた(傾げた)家々の絵が独自の雰囲気を醸し出す。今回,僕は,三点ほどある,いわゆるパースペクティブで書かれた絵に注目してみた。以前にもあったのかもしれないが,こういう絵はあまり印象にない。随分前になるが,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/397355525.html

で,この作家の絵の特徴を,

押絵,

になぞらえたことがある。画家の見た世界が,

押絵

として表現される,ということは,そこに,大袈裟な言い方だが,作家の世界観がある,と思う。

表現の世界は,自立しているので,押絵として世界を描いた瞬間,その押し潰された,というか,

次元を折り畳んだ世界,

に転換することで,より自由に描ける世界が(作家に)生まれてくるのだと思う。では,その作家が,いわゆる遠近法,

パースペクティブ,

で表現するとどうなるか,という興味で拝見した。

ひとつは,「黒い倉庫」
いまひとつは,「ブタのぬいぐるみ」

である(もうひとつ「赤い屋根の大学」もある)。

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(「黒い倉庫」)


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(「ブタのぬいぐるみ」)


正直言うと,他のいつもの絵に比べると,際立たない。ただの古ぼけた倉庫だし,ちょっと傾いた建物にすぎないようにみえる。独特の雰囲気が,ありふれた世界観に紛れ込んでしまう。それは逆に,この普通のパースペクティブの絵を見て,改めて,ひしゃげて,(次元の)圧縮された,この作家の絵の特徴が,際立ってくる気がした。

前に,僕は,こう書いた。

画家のパースペクティブ

を表現するのが,絵なのだと思う(この場合パースペクティブは,遠近法ではなく,眺望,あるいは和辻の使っていた視圏の意味で使っている)。そこには作家の見た(見せたい)世界が描かれる。画家の見た世界が,

押絵

として表現される,ということは,そこに,大袈裟な言い方だが,作家の世界観があると思う,と。

しかし通常のパースペクティブで描くと,その独特の世界観が弱められてしまう。言葉は悪いが,ありふれたものになってしまう。

要は,折り畳み,圧縮する中に,様々の思い,感情,来歴が閉じ込められる。あるいは,独特の,

ひしゃげ方,
傾き方,

にも,その家々の歴史(積み重なった過去)や個性(独自の佇まい)が見えてくる。それが,見る側に,

押絵,

のような,

次元を折り畳んだ,

独自の厚みを感じさせる。

20180327011231unnamssed (2).jpg

(ハセ川さんちの理容店)


たとえば,案内ハガキに載った「ハセ川さんちの理容店」を見るとよく分かるが,この傾きに,この家の歴史があり,ひしゃげそうな店構えに,悲喜こもごもの来歴がある(と見た作家の思いがあると言い換えてもいい)。しかし,これを通常のパースペクティブで描けば,ただの古ぼけた床屋に過ぎなくなる。

次元を折り畳んだ世界,

にはどうやら,まだまだ奥行があるらしい。

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2018年05月20日

あたりめ


「あたりめ」は,

鯣(するめ)の忌詞,

と『広辞苑』にある。『大言海』には,「あたりみ」に,

擂肉(すりみ)の異名,

とあり,「あたりばち」を見ると,

擂鉢(すりばち)の異名,

として,

「耗(す)るに通づるを忌み,言ひかへて云ふ。」

とある。

擂木(すりこぎ),
擂薯(あたりいも),
擂肉(あたりみ),

といった類例が並ぶ。「あたりめ(鯣)」もその流れになる。で,『大言海』は,

「随って,硯箱(すずりばこ)を,アタリバコと云ひ,鯣(するめ)をアタリメなどと云ふ」

と。「當(当)る」の項で,「忌詞」に対応させる意味が,載る。ひとつは,

果実などがいたむ(たとえば,ミカンがタル),

で,いまひとつは,

「(他動詞的に使って)剃る,擂る。商家で『する』『そる』というのを嫌って言う」

とある(『広辞苑』)。『大言海』にも,例えば,「擂る」なら,

味噌をあたる,
薯をあたる,

などと使い,

「随って,擂鉢をアタリバチ,擂木(すりこぎ)をアタリギ,擂肉(すりみ)をアタリミ,鯣(するめ)をアタリメ,硯箱をアタリバコなどとと云ひ,又,髭を剃るを髭をアタルと云ふ。」

とある。要は,

「『する(擦る・摺る・擂る)』は『(お金を)する』に通ずるので、縁起の良い『あたり』に置き換えた。」(『大辞林』)

ということで,スリッパを,

アタテリッパ,

というところまでいくと,いささか滑稽ではある。「そる」は,「逸る」を忌むということだろうか。

なお,

http://www.zen-ika.com/ikaQA50/ikaQA-4.html#Q45

に,

「するめは昔の儀式や結納の際の縁起物として使われてきましたが、これは室町時代にお金のことを『お足』といっていたことによるらしく、足がたくさんあるイカは縁起が良いということになったようです。また、するめは保存性のいい食べ物なので幸せが長く続くという意味にも通じます。結納の時には寿留女と書いて昆布(子生婦)とともに使われたりもします。ただ,『するめ』という言葉は『お金を掏る』ということにも通じますので、これも縁起を担いで、逆に『あたりめ』というようにもなりました。葦のことを地方によっては『よし』というのと同じことです。」

とあり,どうやら「するめ」を縁起物ににつかったから,尚のこと,「する」を忌んだとみていい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%A1

には,

「日本においては古くからイカを食用としており、保存ができる乾物加工品としてのスルメも古い歴史がある。古典的な儀式や儀礼の場では縁起物として扱われ、結納の際に相手方に納める品としても代表的なものである。結納品の場合には寿留女の当て字を用い、同じく結納品である昆布(子生婦)とともに、女性の健康や子だくさんを願う象徴となっている。また大相撲の土俵にはスルメが縁起物として埋められている。」

とし,

「縁起物であるとする理由は諸説有るが、日持ちの良い食品であることから末永く幸せが続くという意味とする説、室町時代の頃からお金を「お足」といい、足の多いスルメは縁起が良いとする説などがある。」

とあり,しかし,その「するめ」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%AB

によると,

「現在では、加工後の干物を『するめ』と呼び、その材料になる生物、すなわち本種を『スルメイカ』と呼ぶのが普通だが、古くは加工前のイカ自体をも『するめ』と呼んだ。後に干物との呼び分けの必要が生じて、『するめいか』という合成語が使われるようになったらしい。なお、平安時代の辞書『和名類聚抄』を見ると、『小蛸魚』の項に訓じて『知比佐岐太古、一云須流米』(ちひさきたこ、するめともいふ)とあり、『するめ』は古くには、さらに異なる意味をもっていたことがうかがわれる。」

とある。『たべもの語源辞典』も,

「現在は干したタコはヒダコである。昔,小さいタコの干したものをスルメと呼んだとなると,スルメイカの名から『するめ』という名ができたのではないということになる。」

としている。和名鈔を信ずるなら,「するめ」は,

小さいタコ,

を指していた。今日言うヒダコなのかもしれない。縁起物として足の多さを吉とするのなら,蛸でもかまわないのだから。そう言えば,「凧」は,かつて(関西では),

いかのぼり,

と呼んでいた。「たこ」と「いか」は交換可能だったのかもしれない。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/atarime.html

によると,「あたりめ」は,

当たりめ,

と当てるらしい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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