2018年06月01日

てる


「てる」は,

照る,

と当てる。「照」(ショウ)の字は,

「召は『口+音符刀』からなり,刀の刃の曲線のように,半円を描いて招きよせること。昭は『日+音符召』の会意兼形声文字で半円を描いて,右から左へと光りがなでること。照は『灬(火)+音符昭』。昭が明らかの意の形容詞にもちいられるため,さらに火を加えてすみからすみまで半円形にてらすことを示す。」

とある。「遍く照らす」といった含意でり,あえて言えば,照らす主体からの視点と見ていい。

「てる」は,

太陽や月が光を放つ,
晴れる,
光を受けて美しく輝いて見える,映える,
(面照るの略)能楽で,顔面が少し上向きになるのをいう(対は曇る),

とどちらかというと,状態表現である。他の辞書には載らないが,『学研全訳古語辞典』に,

とる(照る),

が載る。

「てる」の上代の東国方言,

として,万葉集の,

日がとれば雨を待(ま)とのす君をと待とも

が載る。

さて,「てる」の語源について,『大言海』は,

「テラテラする意」

とある。『擬音語・擬態語辞典』は,

「てらてら」について,

「『照る』の未然形『てら』を重ねてできた語。すでに室町時代には使われ,夕陽や月が『てらてら』輝くと表した。
 一方,連用形『てり』を重ねた『てりてり』という語も室町時代に見られた。『絹のてりてりと光色のあるに』(四河入海)」

とある。素人が言うのもおこがましいが,普通は逆ではあるまいか。

てらてら,てりてり→てる,てり,

と動詞化するのではあるまいか。『日本語源広辞典』は,

「テ(つや・光)+ル(動詞化)」

としている。『日本語源大辞典』は,

タヘ(妙)の反テを活用したもの(和訓栞),
足りて余光のある意からタル(足)の義(日本語源=賀茂百樹),
ツテアル(伝有)の義(名言通),
光を形容した語テラを活用したもの(国語の語根とその分類=大島正健),
テラテラと光る意から(国語溯原=大矢徹),
テンハルル(天晴)の義(和句解)

とあるが,どうも,

テラテラと光る,

という擬態語が気になる。「照る」に似た言葉に,

きらめく(煌めく),
かがやく(輝く),

がある。「きらめく」は,「きら」からきている。「きら」は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/449864898.html

で触れたように,

キラキラと見えるもの,また光のきらめき,

の意であるが,また,その状態から,

雲母(うんも),

を指す。あるいは,モノとしての雲母から,「きら」という言葉ができたのかもしれない。雲母は,

きらら,

とも呼ぶ。『大言海』には,

「煌煌(きらきら)の約。うらうら,うらら。きはきは,きはは」

と載る。雲母の「きらら」自体が「きらきら」という状態をそのまま名づけたように見える。「かかやく」も,

カガ・カガヤ(眩しい・ギラギラ)+ク(日本語源広辞典),
カガは赫,ヤクはメクに似て発動する意(大言海)
カクエキ(赫奕)の転(秉穂録),光の目に強く感ずるさまと,カ音の耳に強く感ずる趣の相似ていることから(国語溯原=大矢徹),

等々と,擬態語からの動詞化,形容詞化への変化とみられる。とすると,類似語「てる」も,

テラテラ・テリテリ→テル,

という変化と見たいが,どうだろうか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2018年06月02日

くもる


「くもる」は,

曇る,

と当てる。『広辞苑』には,

雲を活用させた語,

とある。「曇」(漢音ドン,呉音タン)の字は,

「『日+雲』で,雲が深くて日を隠すことを示す。底深く重い意を含む。雲が奥深く重なって重苦しいこと」

で,「雲」(ウン)の字は,

「云(ウン)は,立ち上る湯気が一印につかえて,もやもやとこもったさまを描いた象形文字。雲は,『雨+音符云』で,もやもやたちこめる水蒸気」

とある(『漢字源』)。しかし,

https://okjiten.jp/kanji102.html

は,

k-102.gif



「会意兼形声文字です(雨+云)。『天の雲から雨水が滴(したた)り落ちる』象形と『雲が回転する様子を表した』象形から『くも』を意味する『雲』という漢字が成り立ちました。」

とする。しかし,「雲」の意味は,

くも,
雲のようにもやもやしたもの,

の意で,雨の落ちる意は含まない。後世の「字面」からの後解釈に思える。

さて,「曇る」であるが,『岩波古語辞典』『デジタル大辞泉』『大辞林』も,

「雲の動詞化」

とする。

800px-Img20050526_0007_at_tannheim_cumulus.jpg



『大言海』も,

「隠(くも)る義なりと云ふ(かくむ,かこむ。くくもる,くこもる)。曇ると云ふも,雲を活用せしめたる語なり。沖縄にて,クム,朝鮮にてクラム。」

と同様に,「雲の動詞化」説を採る。しかし,『日本語の語源』は,

「黒雲の中に(雨)コモル(籠る)は(天)クモル(曇る)に転音・転義をとげた。その名詞形のクモリ(曇り)は語尾を落としてクモ(雲)になった」

と真逆である。つまり,

クモル(隠る)→クモ(雲)→クモル(曇る),

ではなく,

コモル(籠る)→クモル(曇る)→クモ(雲),

ということだ。しかし,並べてみると,クモルあるいはコモルから「クモ」ができ,更にそれが動詞化するというよりは,クモルあるいはコモルから,クモルとなり,クモとなった方が,自然な気がするのだが,どうだろうか。

『日本語源広辞典』は,「雲」の語源を,

「隠る・籠る」と語源が等しいのだろうというのが通説,

としており,それならなおさら,

クモルあるいはコモル→くもり→くも,

と見るのが妥当と思えるが,『日本語源大辞典』は,「雲の動詞化」以外,

クモオフル(雲生)の義(東雅・類聚名物考),
クモヰル・クモヲル(雲居)の義(言元梯・日本語原学=林甕臣),
クモ(雲)カサナルからか(和句解),
コモル(籠)の義(志不可起・日本釈名・国語の語根とその分類=大島正健),
「薫」(kum)の転音から(日本語原学=与謝野寛),

等々載せるが,「コモル」「クモル」以上の説は見当たらない。ただ,『日本語源広辞典』の,「くもり」について,

「語源は『雲+寄り』の変化です。『雲+り』で,曇天の意味を表します。『日+寄り』,つまり,日和に対する語です」

というら説明はちょっと気になるが,「日和」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/442897173.html

で取り上げたように,「日和」を「にわ」と訓ませ,

「万葉集の『にはよくあらし』を日の和(な)いだことと解して当てた字」(『大辞林』)
「日和の字は,万葉集256『飼飯の海の庭よく荒し』,同2609『武庫の海の爾波よくあらし』のニハを,後世,日の和らいだことと解して当てた『日和(ニハ)』という字面が,同義のヒヨリの語に当てられて新しく成立したもの」(『岩波古語辞典』)

とあり,

海上の天気,または海上の天気の良いこと,

の意味であり,「庭」を当て,

魚場,

の意から転じて,

「風がなく海面の静かなさま」

という意味になる。『日本語源広辞典』の解釈は,こじつけということになる。

「くも」の語源は,『日本語源大辞典』に,

コモル(隠・籠)の義(閑田耕筆・名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・大言海),
天体をコメル(籠)ところからクミと呼ばれ,それが転じたもの(日本古語大辞典=松岡静雄),
クマ(隠)の転(言元梯),
クグモルの義(桑家漢語抄),
クモリの約(冠辞考),
すべてをひきこめてしまうところからコムモロの反(名語記)

といった,コモル・クモム系があり,

水気が集まってできるというところから,クム(組)の転(箋注和名抄・雅言考・碩鼠漫筆),
クム(酌)から出た語。水をクミ(酌=雲)あげなければアム(浴=雨)ことができないことから(嚶々筆語),

といった,クム系があり,

雲の姿から,クは内へまくり入る意,モは向かう義(仙覚抄),
クはクラキの下略。モはモノ(物)か,モト(基)か,ヨモ(四方)のモか。また,いつも起こるところから,いつものモか(和句解),
キムレヲリ(気群居)の義(日本語原学=林甕臣),
煙の上昇する意の「薫」(kum)の転音転義(日本語原学=与謝野寛),
朝鮮語で雲をいうkuramと同源か(万葉集=日本古典文学大系),
クロシ(黒),クラシ(暗)等に含まれるアイヌ語に似た語根kurがあり,さらに朝鮮語kurum(雲)と比較すると,kumoはkur + moから来たか(日本語の系譜=服部四朗)

等々と諸説があるが,やはり,普通に考えれば,

クモル(隠る)→クモ(雲)→クモル(曇る),

か,

コモル(籠る)→クモル(曇る)→クモ(雲),

だろう。僕は,後者に与したい。

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ラベル:曇る くもる
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2018年06月03日

おどし


「おどし」は,

縅,

と当てる。

鎧の札(さね)を糸または細い革で綴ること,

である。

赤絲威(あかいとおどし)鎧,

等々といったりする。『平家物語』には,

「朽葉の綾の直垂に、赤革縅の鎧着て、高角打つたる甲の緒をしめ」

といった表現が載る。『広辞苑』は,

「『緒通し』の意。『縅』は国字。もと『威』と当てた」

とある。『漢字源』には,

「『糸+威』。をどしは,もと『緒通し』の意。意がおどし(威)に近く,また武具の部品であるので,『緒通し』を『威し』と考えてつくった字。威の訓を音符とした日本製の漢字」

とある。

img119 - コピー.jpg

(『図説戦国甲冑集』より)


とすると,『日本語源広辞典』の,

「鎧の札(サネ・鉄薄板)を,糸や革で綴ることをいいます。威光を示す意味から,次第に威しと意識されるようになった」

という説明は,前後が逆である。最初から,「威し」の意を含めて,「縅」の字を作っているのだから。

因みに「威」(イ)の字は,

「『女+戊(ほこ)』で,か弱い女性を武器でおどすさまを示す。力で上から抑える意を含む」

とある。「戊」(漢音ボ,呉音ム)は,十干の「つちのえ」だか,

「戉(エツ まさかり)に似た武器を描いたもので,その根元の穴が柄にかぶさるので,ボウ(=冒)という。のち十干の序数に当てられたため,原義は忘れられた。戈の一種で,矛(ボウ 突く武器)とは形が異なる。」

とある。

札(さね)は,『広辞苑』には,

「鉄または練革(ねりかわ)で作った鎧の材料の小板。上部を札頭(さねがしら),下部を札足(さねあし)と言う。これを横に重ねて革緒でからみ,糸または革の緒で縦に数段縅(おど)す」

とある。こうみれば,「おどし」は,

緒通す,

で決まりのようだが,異説はある。

鎧の威の毛色で敵をおどすという意から(安斎雑考・両京俚言考),

とある。しかし,

安斎雑考,

は,江戸中期の有職故実研究書,

両京俚言考,

は,江戸中期の国語辞典,である。いずれも,江戸期というところが鍵のようである。『図説日本甲冑武具事典』は,

「鎧の札板を上から下へ連接することをいう。江戸時代には『威し』の意味にしているが,『緒通し』の転訛である。」

としている。こんなものを「威し」とするほどに,江戸時代は戦いと無縁であったということかもしれない。

参考文献;
伊澤昭二監修『『図説戦国甲冑集』』(学習研究社)
笠間良彦『図説日本甲冑武具事典』(柏書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ラベル:おどし
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2018年06月04日

やはり


「やはり」は,

矢張り,

と当てるが,『日本語源広辞典』の,

「矢を張ってじっと静かに待っている」

というのは如何であろうか。「矢張り」は,当て字なので,それを解釈するというのは。

「やはり」が音韻変化して,

やっぱり,

とも言う。

ヤッパシ,
ヤッパ,

も同じである。

もとのまま,前と,あるいは他と,同じに,
思った通りに,案の定,

といった意味である(『広辞苑』)。しかし,『デジタル大辞泉』は,この他に,

さまざまに考えてみても結局は同じ結果になるさま,つまるところ,
動かずにいるさま,

の意味も加える。『大言海』は,

「彌張(やは)りの意にもあらむか」

と書く。『岩波古語辞典』は,

「ヤはヤハヤハ・ヤハラなどのヤハに同じ」で,

ゆったりとしているさま,静かにじっとしているさま,
依然として。転じて,予想通り,案の定,

と意味を載せる。「やはら」は,

柔ら,

と当て,

「ヤハは擬態語。ラは状態を表す接尾語」

とあり,

ふんわりしている状態,

を意味する。「やはやは」は,

いかにも柔らかなさま,

の意である。どうやら,「やはり」の「やは」は,今日言う,

やわやわ,

という擬態語と通じる。

柔らかでしなやかな様子,
穏やかでゆったりとした様子,
力を加減して穏やかに物事を行う様子,

の意である。とすると,「やはり」は,その「やは」の状態を示す,状態表現として,

ゆったりとしているさま,静かにじっとしているさま,

を示していた。それが,視点を転じて主体表現となると,

依然として,そのまま,

となり,その状態が続いていると予想する通りの

予想通り,案の定,

という価値表現へと転じたということだろうか。『日本語源大辞典』は,

「やおら」「「やわら」と同源,

とも書く。「やおら(やをら)」は,

そっと,おもむろに,

の意で,『岩波古語辞典』の言う,

力を加減して穏やかに物事を行う様子,

という意に通じる。『大言海』は,

「弱(よわら)の転と云ふ。サレド,ヤハラと云ふも同語なるべければ,柔(やはら)なるべし」

と,「やはら」とつなげている。

例によって,『日本語の語源』は独自の音韻変化をたどってみせる。

「ナホ(尚,猶)は『やはり,以前として』という意の副詞である。『依然として存在している』という意のナホアリ(猶在り)は,ホア[h(o)a]の縮約でナハリに転音するとともに,『ナ』が子交(子音交替)[nj]をとげてヤハリ(矢張り)・ヤッパリになった。」

とする。しかし,これだと,「やはり」の状態表現から価値表現への変化が説明できない。後世の意味からの後解釈ではなかろうか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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コトバの辞典;
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ラベル:矢張り やはり
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2018年06月05日

ななめ


「ななめ」は,

斜め,
傾,

と当てる。

傾いている,

意であるが,

陽が西に近づく(陽が傾く),
(人の気持ちなどが)普通とは違っている・こと(さま)
ひと通り,世の常,
(ななめならずとおなじ)ひととおりでないさま,はなはだしいさま,

の意が載る(『広辞苑』『大辞林』)。『岩波古語辞典』を見ると,

「『ナノメ』の母音交替形」

とあり,「なのめ」には,

「日本人は垂直・水平であることを,きちんとしてよいこととしたので,ナノメは,いい加減,おろそか。どうでもよい扱いの意となった。ナナメは漢文訓読体に使い,ナノメは平安女流の仮名文学でもちいた」

とあり,『日本語源大辞典』には,

「『なのめ』より遅れて,平安後期になって生じた語。当初は主に漢文訓読文に用いられたが,中世になって『なのめ』が勢力を失うに伴って『なのめ』の表していた意味・用法を包含し優勢になった」

とある。

ひと通り,世の常,
の意と,
ひと通りでないさま,はなはだしいさま,

と真逆で使われているのは,「斜めならず」が,

ひと通りでないさま,はなはだしいさま,

で使われたために,「ななめ」自体の意味に紛れ込んだと見れば,不思議ではない。むしろ,『岩波古語辞典』の説明とは異なり,「ななめ」に,

いい加減,おろそか,

だけでなく,

ひと通り,尋常,

の意があることが不思議である。「なのめ」も「ななめ」も,

傾き,

の意から,

おろそか,いい加減,

の意を持つ。この「ななめ」の意味の特徴は,類義語「そば(稜・傍)」を見るとよく分かる。『岩波古語辞典』「そば」には,

「ソハと同根。原義は斜面の意。また鋭角をなしている角,斜めの方向の意。日本人は水平または垂直を好み,斜めは好まなかったので,斜めの位置,とがったかどの場所の意はやがて,はずれ・隅っこの意に転じ,さらに少しばかりのものなどを指すようになった。また,はずれた所の意から,物の脇・物の近くの意を生じた。ソバ(蕎麦)・ソビエ(聳)も同根」

とある。「そば(蕎麦)」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/437123006.html

で触れた。「そば」という位置という状態表現が,価値表現へと転じる経緯がよくわかる。しかし,「ななめ」は,それなら,なぜ,たとえば,

「わが為にも人のもどきあるまじななめにてこそよからめ/源氏 浮舟」
「わが娘はななめならむ人に見せむは惜しげなるさまを/源氏・東屋」

というような,

ありふれているさま,平凡,普通,尋常,ひと通り,

等々の意味で使われるのか。『日本語源広辞典』は,「ななめ」について,

「『ナ(斜)』+の+モ(面)」が,ナノメ,ナナメと音韻変化した語です。普通と違っている意です。中世以後,御機嫌の場合は,『機嫌がよい』意でつかうようになります。」

でも,それなら,ますます「尋常」のを持つ意味がわからない。たとえば,『日本語源大辞典』は,

十のうち五,六を峠とするとナナ(七)は下りでナナメになるところから(日本釈名),
七眼の義。七つ時は日の傾く頃であるところから(和訓栞),

とし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/na/naname.html

は,

「『なのめ』の『なの』は『なのか(七日)』の『なの』と同じ『七』のことで,七つ時が日の傾くころであるところからといわれている。10のうち5,6を峠とすると,7は下り坂で斜めになるところからといった説もあるが,登りも斜めであるし,他の数でも斜めであると言えるので考慮しがたい。七つ時が有力であると思えるが,『なのめ』は『傾く』の意味よりも,ありきたりのさまや,いい加減なさまの意で用いられているため断定は難しい。」

と,「七つ時」つまり,午後五時頃とする。これでは,

尋常,

という意味の謂れが説明できない。それに唯一答えを出しているのは,『日本語の語源』である。

「なみなみ(並々)は,語中の『ミ』を落としてナナミ・ナナメ(並々)に転音した。ナナメナラズ(並々ならず)は,ひと通りではない。はなはだしい」という意味で,〈木曽義仲都にて狼藉ナナメナラズ〉(盛衰記)という。
 ナナメはナノメ(並々)に転音した。『世の常。ひととおり。人並み』の意の副詞として〈つらきことありとも念じて(がまんして)ナノメニ(人並みに)思ひなりて〉(源氏・帚木(ははきぎ))という。
 ナナメナラズ(並々ならず)もナノメナラズに転音して『並々でない。ひととおりでない。格別だ。きわだっている』という意味で〈家中富貴してたのしいことナナメナラズ〉(平家),〈主上ナナメナラズ御嘆きあって〉(平家)という。
 現代語ではナナメ(並々)をナナメ(斜)とみて,機嫌が悪いことをゴキゲンナナメといい,大変機嫌のよいことをゴキゲンナナメナラズという。」

この説に依るなら,

斜めの「ななめ」

並々の「ななめ」
とは,由来を異にするのかもしれない。それが「斜め」の中に,交じりあってしまったのかもしれない。つまり,

なのめ(斜め)→ななめ,
と,
ななめ(並々)→なのめ→ななめ,

と転訛する中で,両者が捩れあい,「斜め」の意と「並々」の意とが「ななめ」の中で交じりあった。と。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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ラベル:ななめ 斜め
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2018年06月06日

キジ


雉,
雉子,

と当てる。日本の国鳥である。古語では,

雉子(きぎす),

という。

きぎし,

ともいう。

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(キジ(オス) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B8より)

『岩波古語辞典』には,「きぎし」の項で,

鳴き声による名か,

とある。『大言海』も,「きぎし」の項で,

「キギは鳴く聲。キキン,今はケンケンと云ふ。シはスと通ず。鳥に添ふる一種の音。…キギシのキギスと轉じ(夷(えみじ),エビス),今は約めてキジとなる」

とある。

キギシ→キギス→キジ,

という転訛である。『日本語源広辞典』も,

「キギ(金属的な鳴声)+ス(鳥の意味の接尾語)

とする。「ウグイス」の項で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/459382881.html

ウクイという鳴く聲,スは鳥の接尾語,「カラス」の項で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/459343657.html

鳴き声「ころ」「から」+ス,「ホトトギス」の項で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/459403506.html

「ホトホト」という鳴き声+「ス」というのと同系と見ることができる。

ただ『日本語の語源』は,鳴声説だが,別の音韻変化説を採る。

「〈雉子も鳴かずば討たれまい〉(狂・禁野)というが,その鳴き声をとってキキトリ(鳥)といった。トリ[t(or)i]の縮約でキキチ・キギシ(雉子)・キギスに転音した。〈春の野にあさるキギシ(雉)の妻恋に〉(万葉)。さらに,『キ』を落としてキジ(雉)になった。」

キキトリ→キキチ→キキシ・キギス→キジ,

という転訛を採った。

『日本語源大辞典』に,

「万葉東歌,記紀歌謡の仮名表記には『きぎし』とあり,古くは多く『きぎし』と呼ばれていたが,『古今六条』には『きじ』が六首,『きぎす』が二首見られる。後者は共に万葉の歌だが,『きぎし』から『きぎす』に移行した時期は不明」

とある。それでも,鳴き声以外の説を立てるのもあり,

低く飛ぶところから,ヒキシ(低)の上略(滑稽雑誌所引和訓義解),
子を思うあまり,野火にヤキシヌ(焼死)ところからか(和句解),

と,なかなか苦しい。

ケン・ケーン,

といまは聞くが,かつては,

キキン,
キンキン,

と聞えたということだろう。『擬音語・擬態語辞典』には,

江戸時代中頃から,キジの雄鶏の鳴き声を,

れんけん,

と写すようになった,とある。因みに,

「けんけんほろろ」

は,雉(雄)の鳴き声と羽音だが,「けんもほろろ」は,

「『けんけん』に『けんけんほろろ』が重ねあわされて誕生した」

とある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:キジ 雉子
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2018年06月07日

まこと


「まこと」は,

誠,
真,
実,
信,


等々と当てる。『広辞苑』『岩波古語辞典』『大言海』に,

「ま(真)こと(事・言)の意」

とある。かつて,「言」は「事」であったので,「こと(事・言)」としている,と見ていい。『岩波古語辞典』には,

「古代社会では口に出したコト(言)はそのままコト(事実・事柄)を意味したし,また,コト(出来事・行為)は,そのままコト(言)として表現されると信じられていた。それで,言と事は未分化で,両方ともコトという一つの単語で把握された。従って,奈良・平安時代のコトの中にも,言の意か事の意か,よく区別できないものがある。しかし。言と事が観念の中で次第に分離される奈良時代以後に至ると,コト(言)はコトバ・コトノハといわれることが多くなり,コト(事)と別になった。コト(事)は,人と人,人と物の関わり合いによって,時間的に展開・進行する出来事,事件などをいう。時間的に不変の存在をモノという。」

とある。

『日本語源広辞典』にも,

「『眞事,眞言,正事,正言』の文字通りです。正しい事実,正しい言葉,いずれもマコトである。うそごまかしのないこと。副詞のマコトニは同源です。日本人は,マコトの微妙な違いは,中国語源で区別しています。」

とある。この使い分けは,

信は,信実と熟す。間違いなき義。實より軽い,
眞は,ほんまにと訳し,偽の反と註す,うぶのままにてすこしもつくろわざる義,天真,性真などと熟す,
誠は,詐の反。眞と同用,眞誠と熟するにても知るべし,
實は,虚の反,充満して欠ける無きをに云ふ,
忠は,真心,心の中心,汚れなき心,

とある(『字源』)。

「信」(シン)の字は,

「言は,言明(はっきり言う)の意。信は『人+言』で一度言明したことは押し通す人間の行為を表す。途中で屈することなく,まっすぐのび進の意を含む。信義の信はその派生語」

「眞(真)」(シン)の字は,

「『匕(さじ)+鼎(かなえ)』で,匙(さじ)で容器に物を満たすさまを示す。充填の填(かけめなくいっぱいつめる)の原字。實(ジツ)はその語尾が入声(つまり音)に転じた言葉」

「誠」(漢音セイ,呉音ジョウ)の字は,

「成(セイ)は『戈(ほこ)+音符丁(とんとうつ)』からなり,道具でトントンと打ち固めて城壁をつくること。かけめなくまとまるの意を含む。誠は『言+音符成』で,かけめない言行。」

「實(実)」(ジツ,漢音シツ,呉音ジチ)の字は,

「『宀(やね)+周(いっぱい)+貝(たから)』で,家の中に財宝を一杯満たす意を示す。中身が一杯で,欠け目がないこと,また,真(中身がつまる)は,その語尾がnに転じた言葉」

「忠」(チュウ)の字は,

「中とは,なか・中身などの意。忠は『心+音符中』で,中身が充実して欠け目のない心」

とある(『漢字源』)。

漢字では,

實>信,
真⇔偽,
誠⇔詐,
實⇔虚,

と使い分けていることになるが,微妙に日本語とは違うかもしれない。日本語では,

事実の通りであること,嘘でないこと,
偽り飾らない情,

と『広辞苑』には意味が載る。

本来は,

マ(真)+コト(言・事),

と,言葉と事実は区別されないにしろ,

言ったこと,
と,
行ったこと,

とは重なった意味で,あくまで,状態表現であった。しかし,コトが,言と事と区分するようになると,マコトは,心の問題へとシフトしていく。

『学研全訳古語辞典』によると,「まこと」は,

「日本の文芸全般を通じての、根本的な美的理念。真実の姿・感情を尊重し理想とする精神で、感情と理性とが自然に一体となった境地のこと。特に『万葉集』を中心とする上代文学に見られ、文学用語としては『古今和歌集』の仮名序に現れるのが最初。平安時代の『もののあはれ』や、中世の『幽玄』などの美的理念の基調ともなった。江戸時代の俳論や歌論などにもしばしば説かれ、その根底になっている。」

としている。

「真実の姿・感情を尊重し理想とする精神で、感情と理性とが自然に一体となった境地のこと。」

とは,

「世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くはみな虚言(そらごと)なり」(徒然草)
「あづま人こそ、言ひつることは頼まるれ。都の人は、ことうけのみよくて、まことなし」(仝)

と,しかし,それ自体が,

虚実の境,

の絵空事(虚構)に思えるが

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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ラベル:まこと
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2018年06月08日

やぶさか


「やぶさか」は,

吝か,

と当てる。「吝嗇」の「吝」の字である。今日,

やぶさかでない,

という言い回しで使う。

協力するに吝かではない,

といった場合,

…する努力を惜しまない,
喜んで…する,

と辞書には意味が載るが,本当にそうなら,まさに,「二つ返事」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/450632554.html

で触れたように,

ためらうことなく,すぐ承諾する,

と言うはずで,

吝かではない,

という言い方には,どこか物惜しみする含意がなくはない。『日本語源広辞典』には,

「やぶさか(物惜しみする)+で+ない」

で,「少しも惜しまない」いとする。しかし,それならそうとはっきり言ってもらった方がいい。どこか奥歯に物の挟まったような言い方である。やはり,「やぶさか」の意味,

物惜しみするさま,けちなこと,
未練なさま,思い切りのわるいさま,

が翳を落としていると思う。それに当てた「吝」(リン)の字は,

「『文+口』。文は修飾を意味する。口先を飾って言い訳し,金品を手放さない意を示す。憐(レン 思い切り悪く,心を悩ます)ときわめて近い」

とある。「やぶさか」に当てたのは正鵠を射ている。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%84/%E3%82%84%E3%81%B6%E3%81%95%E3%81%8B%E3%81%A7%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

が言うように,

「困っている人を援助するとき、『吝かでない』『微力ながら』『陰ながら』などと、あまり積極的に人助けをしたくないようなことを言う日本人のために弁護しておくと、これらは自慢げに人助けをするべきではないという『陰徳(隠れてする善行)』の美学を表した言い方だと解釈することもできる。つまり、「たいしたことはできない」と言いつつ精一杯力を尽くすのがカッコいいと、われわれは考えているのである。」

という解釈も成り立つが,それなら,

微力ながら,お手伝いさせていただきます,

というだろう。それと,

吝かではない,

を同列には置けない。やはり,

「努力を惜しまない、喜んでするという意味。けち、出し惜しみすること、ためらうことという意味の『吝か』を否定したもの。『御社の再建にあたって協力するに吝かでない』『あなたの努力を認めることに吝かでない』などと用いるが、ほんとうに喜んで協力したり、認めたりしたいなら、『全面的に協力します』『喜んで認めます』とズバリ言うべきで、出し惜しみするとかためらうという意味の『吝か』を持ち出すのは、『ほんとうは吝かだけれども、タテマエ上言ってみました』的なホンネをのぞかせた言い方であると言えよう。」(『笑える国語辞典』)

といっている通りである。文化庁が発表した,平成25年度「国語に関する世論調査」では,

「協力を求められればやぶさかでない」を、本来の意味とされる「喜んでする」で使う人が33.8パーセント、本来の意味ではない「仕方なくする」で使う人が43.7パーセントと、逆転した結果が出ている,

とあるが,「吝かでない」の本来の意を汲んでいるといっていい。やりたければ,「微力ながら」とは言っても,「やぶさかではない」などと持って回った言い方はしまい。『実用日本語表現辞典』

https://www.weblio.jp/content/%E5%90%9D%E3%81%8B%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84

には,

「形容動詞『吝か(である)』の否定形で、多くの場合『やりたい』というおおむね積極的な意思を示す表現。
『吝か』は、それ自体『気が進まない』『気乗りしない』『あまりやりたくない』といった後ろ向きな気持ちを示す。これを『吝かではない』と、否定形によって表すことで、『やりたくないわけではない』、『やってもよい』、あるいは、『どちらかと言えばやりたい』、『むしろ喜んでする』といった肯定的・積極的な姿勢を婉曲的に表す。
『吝かではない』のように否定的表現を否定する修辞法は『緩叙法』とも呼ばれる。例えば『嫌いではない』(わりと好きだ)、『悪くない』(けっこう良いと思う)などのような表現でも緩叙法が用いられている。」

とある。ここから読めるのは,せいぜい,

やりたくないわけではない,
やってもよい,

という消極的な意思に思える。

『岩波古語辞典』には,

「論語建武本や文明本節用集にはヤブサカとあるが,名義抄にはヤフサガルとあり,鎌倉時代以降,清濁が写ったらしい」

とある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ya/yabusaka.html

は,

「やぶさかは、平安時代の言葉で、物惜しみする 意味の動詞『やふさがる』,けちである意味の形容詞『やふさし』と同源と考えられている。鎌倉中期以降,『やふさがる』『やふさし』は用いられなくなり,『やふさ』に接尾語の『か』がついた『やふさか』『やっさか』という語が生まれたが,『やっさか』は消滅した。やがて『やふさか』の二音節が濁音化され,『やぶさか』となった。」

と,その経緯を詳説しているが,『日本語源大辞典』は,やはり,

「古く,『物惜しみする』『物語惜しい』の意味の動詞,形容詞形として,『やぶさがる『やふさし』があった。鎌倉中期以降,この両語があまり使われなくなって,かわって『やぶさか(なり)』という形容動詞形が発生した。
 文明本節用集には『吝 ヤツサカナル』『吝 ヤブサカナラバ』の二形が併記されているが,これは,『やふさし』『やふさがる』の語幹『やふさ』に接尾語『か』が付いて,『やふさか』が成立し,それが一方で『ふ』が促音化して『やっさか』,一方で『ふ』が有声音化して『やぶさか』となったもの。このうち,『やっさか』は消滅し,現在は『やぶさか』のみが残る。」

とする。やはり,「やぶさか」の意味が翳を落としている。

さて,「やぶさか」の語源は,『大言海』は,

「破れ離(さか)る意かと云ふ」

とある。しかし,この語源も一筋縄ではいかない。

物を惜しんで人に与えずその仲が遠ざかるところからヤブリサガル(傷離)の義(名言通),
ヤブレサカル(破離)の義か(和訓栞・大言海)
イヤフサガル(弥塞)の義(東牖子),
藪険の義か(俚言集覧),
ヤヒナサカ(弥鄙性)の義(言元梯)

等々,いずれもいま一つである。『岩波古語辞典』は,「やふさがり」に,

慳り,

「やふさし」に,

慳し,

と当てる。しかし「やふさし」の古形は,

やひさし,

で,それは,

吝し,

と当てている。「慳」(漢音カン,呉音ケン)は,

「心+音符堅(かたい)」

で,心が妙にひねくれて堅いこと,である。けちの意味もあるが,どちらかというと,頑なという意味である。そこで,『大言海』の

「破れ離(さか)る意かと云ふ」

が思い起こされる。「離(さか)る」は,「サケ(離・避)の自動詞形」で,

遠くに離れる,

意である。「破る」は,

「固いもの,一つにまとまっているものなどの一部分を突いて傷つけ,その全体をこわす意。類義語ヤリ(破)は,布などの筋目を無視して引きちぎる意。サキ(割)は切れ目から全体を引き離す意」

とある(以上『岩波古語辞典』)。ここからは,推測になるが,「やふさがり」「やふさし」に,「慳」を当てたのは,物惜しみだけではなく,非協力な頑なさを評していたのではあるまいか。それに価値表現が強まり,物惜しみにシフトしていった,と。ま,臆説ではあるが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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書評
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2018年06月09日

やぶれかぶれ


「やぶれかぶれ」は,『江戸語大辞典』は,

破れ被れ,

と当てている。

やけを起こし,自暴自棄であるさま,
望みを失いやけな振舞に出ること,

といった意味である。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/36ya/yaburekabure.htm

に,

江戸時代から,

とあるように,『江戸語大辞典』に,

「サア殺せ,やぶれかぶれの捨て鉢も」

と。文政時代の用例が載る。『日本語俗語辞典』には,

「やぶれかぶれとは自棄になることや自暴自棄なさまを表す言葉だが、破れかぶれと書く通り、単に自棄になるというより、何かに破れ(=敗れる)たり、失敗したり、思い通りにいかないなど、物事が悪い方向へ向いてしまったことによる際に使われる。警官に囲まれた犯人が凶器を無闇に振り回すさまなどがこれに当たる。また、時代劇で悪人に捕まった町人が『こうなったらやぶれかぶれだ。煮るなり焼くなり好きにしやがれ』といったセリフを言うことがある。このように『開き直り』、さらに『居直り』といった意を含んで使われることも多い。」

と説明されるが,語源が定かではない。「破れ」はいいとして,『江戸語大辞典』以外は,

被れ,

と当てる例はない。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10125350065

は,

「『やぶれ』の『破れる』は物事が成立しないことで『破綻』の意のほか、『負ける』の意の『敗れる』もあり、『かぶれ』は接尾語的に用いて、『その影響を強く受けて悪く感化されること』を表すので、負けたりして破綻した人がその影響を強く受けて、どうにでもなれという気持ちになることからでしょうか。」

とある。『岩波古語辞典』の「破る」には,

「破る」は,

「固いもの,一つにまとまっているものなどの一部分を突いて傷つけ,その全体をこわす意。類義語ヤリ(破)は,布などの筋目を無視して引きちぎる意。サキ(割)は切れ目から全体を引き離す意」

とあるが,その自動詞形「破れ」には,破綻の意味もあるが,

崩れ乱れる,

という意味がある。自動詞の用例に,

やぶれかぶれ,

が載る。その意味で,「破れ」は,

崩れ乱れる,

意味があるが,その背景には,

敗れ,
ダメになる,

といった意味の陰翳があるように思える。「被れ」の「被る」は,

カガフリ→カウブリ→カブリ,

と転訛している。「被る」にも,

頭の上に被う,

という意味だけではなく,

しくじる,失敗する(多く主人や親に対して),

という意味がある。ここから億説だが,

(戦に)敗れて(主人に対して)失敗した,

という状態表現が,価値表現へと転じ,そのことの絶望的な状況から,自暴自棄の表現へと転じた

(戦に)敗れて(主人に対して)失敗した→絶望的状態→自暴自棄,

という変化と見たが,どうであろうか。

「なげやり」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/454889115.html

で触れたように,類義語「投げやり」が,

投げ遣り,

で,

投げ捨てる,

という意味で,そこから,

投げ捨てておくこと→結果はどうなっても構わない→物事をいいかげんに行うこと→成り行き任せ→無責任,

といった意味の,状態表現から価値表現への変化とよく似ている。似た言葉の「捨て鉢」は,

http://yaoyolog.com/%E3%80%8C%E3%81%99%E3%81%A6%E3%81%B0%E3%81%A1%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%84%E3%81%86%E6%84%8F%E5%91%B3%EF%BC%9F%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%9D%E3%81%AE%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%81%A8/

に,

「ここでいう『鉢』とは、お坊さんが一般家庭を回って食べ物などを分けてもらう『托鉢(たくはつ)』に使う鉢の事を指しているのだそうです。中には托鉢に対して否定的な方もいらっしゃるようで、ひどい罵声を浴びせられることもあったのだとか。そのような事も含め、辛い修行を投げ出しドロップアウトする事を、『鉢を捨てる』と例えたところから、『捨て鉢(すてばち)』と言う様になったのだそうです。」

とあるが,

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%A6%E3%81%B0%E3%81%A1

に,

「修行僧が、唯一有することを認められる鉢を捨てて修行を投げ出すことから、との説があるが、有力な出典はなく、又、『鉢』の字を当てるのは明治以降であって、江戸期は『捨罪(「罰ばち」の誤りか?)』などの記法もあり、語源俗解の疑いがある。『すてっぱち』の例もあり、『やけっぱち』『やけのやんぱち』『うそっぱち』等にみられる『はつ(=はてる)』に由来する『はち、ぱち』を、『すてる』に付し、強調したものではないか。」

とあるので,鉢であるかどうかは疑わしいが,「投げ捨てる」ということにウエイトがある。となると,「なげやり」と含意は重なる。

さらに,類義語「やけくそ」は,『日本語源大辞典』が,

「火災などで焼損した貨幣を焼金(やけがね)・焼錢(やけぜに)といい,略して『焼け』と呼んだ。表面の文字が焼けただれて不分明となり,撰銭(えりせん)の対象として排斥されたことから,『焼けになる』の語と関係があるか。」

としている。『江戸語大辞典』の「焼け」の項には,「自暴自棄」の意味の他に,

焼金(やけがね)・焼錢(やけぜに)の略,

が載る。「棄てざるをえない銭」から来たというのが語源なのかもしれない。因みに,

焼けのやん八,
焼けの勘八,

という言い方は,『江戸語大辞典』によると,

「『やけ』の縁語で,『かんぱちこ』(カラカラに乾いたさま)と言い続け,それを人名に模した語」

とある。で,自棄(やけ)度は,

なげやり→すてばち→やけくそ→やぶれかぶれ,

と高まっていく,と見たがどうであろうか。

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2018年06月10日

やぶる


「やぶる」は,

破る,
敗る,

と当てる。「やぶる」は,『岩波古語辞典』に,

「固いもの,一つにまとまっているものなどの一部分を突いて傷つけ,その全体をこわす意。類義語ヤリ(破)は,布などの筋目を無視して引きちぎる意。サキ(割)は切れ目から全体を引き離す意」

とある。だから,まずは,物理的に,

(堅いものを)くだく,こわす,
(布・紙など平らなものを)裂く,

という状態表現から,それをメタファに,

人を傷つける,
ヒトの心に反するようなことをする,
妨げてダメにする,
守るべきものに反する,犯す,
(固め・備え・護りなどを)突破する,

さらに,意味の外縁を拡げて,

戦いや勝負ごとに相手を負かす,
相手を言い負かす,

といった意味になり,ここで「敗る」と当てる。「破」(ハ)字は,

「『石+音符皮』。皮(曲線をなしてかぶせるかわ)とは直接の関係はない。」

とあるが,これではよくわからない。

https://okjiten.jp/kanji847.html

には,

「形声文字です(石+皮)。『崖の下に落ちている石』の象形(『石』の意味)と『獣の皮を手ではぎとる』象形(『皮』の意味だが、ここでは『波』に通じ(『波』と同じ意味を持つようになって)、『波(なみ)』の意味)から、くだける波のように石が『くだける』を意味する『破』という漢字が成り立ちました。」

とする。「やぶる」「表面をやぶる」「こわす」という意味から見ると,後者の方がわかりやすい。

「敗」(漢音ハイ,呉音ヘ・ベ)は,

「貝(ハイ・バイ)は,二つに割れた貝を描いた象形文字。敗は『攴(動詞の記号)+音符貝』で,まとまったものを二つにわること。または二つにわれること。六朝時代は,割ることと割れることの撥音に区別があった。」

とある。

https://okjiten.jp/kanji671.html

には,

「形声文字です(貝+攵(攴))。『子安貝』の象形(貝の意味だが、ここでは『敝(へい)』に通じ(『敝』と同じ意味を持つようになって)、『やぶれる』の意味)と『ボクッという音を示す擬声語・右手の象形』(『手で打つ・たたく』の意味)から『やぶれる』を意味する『敗』という漢字が成り立ちました。」

とある。「破」も「敗」も,「やぶる」意であり,それが,「敗」は「敗る」意へとシフトしたものらしい。『字源』には,

破は,わる,われるなり。又,裂なり。破竹,破甕,破卵,傘破の類。
敗は,成または勝の反。物のつぶれる義。急に物をわりやぶるは,破なり。いつとはなしにつぶれやぶれるは,敗なり。…破軍は,急に打ち破るなり。敗軍は漸くに敗りたるなり。

と,両者の区別をしている。『大言海』は,「やぶる」に,

破,
敗,

の他に,

壊,
傷,
残,
敝,
裂,

の字を当てている。『字源』によると,

壊は,くずれ毀(そこな)われるなり。やぶるとも訓む。破壊,敗壊,崩壊などと用ふ。
傷は,きずつきやぶれるなり,
敝は,完の反。衣服の古びやぶれる義。敝衣,敝箒。
裂は,ひきさくなり,大小に通じて広く用ふ。
残は,そこなふとも訓む。あれのこる義,

さて,「やぶる」の語源であるが,『大言海』は,

破毀(やれこぼる)の義,

とする。他に,

イタハグラス(板剥)の反(名語記),
矢触の義か(和訓栞),
ヤベアル(矢方有)の義(名言通),
ヤフル(屋古流)の義(柴門和語類集),
ヤブル(屋古)の義か(和句解),
ヤブル(弥古)の義か(和語私臆鈔),
ヤブウル(得)の約で,ヤはイヤ(弥)の略,ブは広がり進む意(国語本義)

等々と諸説あるが,

「やる」で,

破る,

と当てる。「やる」と「やぶる」の何れが古いのかは,わからないが,『岩波古語辞典』は,他動詞「や(破)り」と自動詞「や(破)れ」を載せ,前者は,

「紙や布などの,漉きめ織り目を無視して引きちぎる」

意とあり,

「めでたき御紙づかひ,かたじけなき御言の葉を尽くさせ給へるを,斯くのみヤラせ給ふ,なさけなきこと」(源氏)

と用例を載せ,後者は,

「(紙や布地・垣根などが)裂け目ができてちぎれる」

意とし,

「衣こそばそれヤれぬれば,継ぎつつもまた合ふといへ」(万葉)

と用例を載せる。どうやら「やぶる」と「やる」は併存してきた。とすると,「やぶる」の語源の説明は,

や(破)る,

について,説明できなくてはならない。『日本語源広辞典』は,「やぶれる」の項で,『大言海』の「やりこぼつ」を,

「音韻変化上,疑問です。」

としながら,

「紙,布などを裂く,裂いてだめにするヤブルが,語源に近く,平滑な板状のものをこわすのをヤブル,戦いをしてヤブル(破る・敗る)も同源と考えます。」

とあるのは,説明になっていない。

「や(破)る」を考えたとき,「や」の動詞化,ということを思いつく。ここからは臆説である。で,「や」を「弥」と考えるか,「矢」と考えるか,といえば,「矢」であろう。「弓矢」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/450350603.html

で触れたが,「矢」の語源には,

ヤリ(遣)の義(名言通・大言海),
ヤル(遣)の義(日本釈名・日本声母伝・天朝墨談),
ヤ(破)の義(東雅),
ヤブル(破)の義(古今要覧稿・言葉の根しらべ),
ハヤ(早)の義(言元梯),
竹を並べたところが胡簶(やなぐい)に似ているところから,ヤナの反(名語記),
イヤル(射遣)の義(言葉の根しらべ),
イヤリ(射遣)の義(日本語原学),
イル(射る)の転,イラの約(和訓集説),
射る時の音からか,また,ハ(羽)の転か(和訓栞),
当たるか当たらぬかはさだめがたいところから,疑問詞のヤ(国語本義),

等々ある中で,

ヤ(破)の義(東雅),
ヤブル(破)の義(古今要覧稿・言葉の根しらべ),

の説が気になる。「やる」は,

矢,

の動詞化なのではないか,と思うのである。

矢る→や(破)る→やぶ(破)る,

と。臆説ではある。

Yoshitoshi_Fujiwara_no_Hidesato.jpg

(箙(えびら)を携え、矢を射ろうとしている藤原秀郷 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E7%9F%A2より)


参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:敗る 破る やぶる
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2018年06月11日

あおる


「あおる」は,

煽る,

と当てるが,

風や火の勢いで物を動かす,
物を前に進めようと手や足を動かす,
そそのかす,
鐙で泥障(あおり)を蹴って馬を急がせる,
写真撮影で低い位置からカメラを上向きにする,

等々の意味がある。『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E7%85%BD%E3%82%8B

は,「煽る」の語源を,

「もとは、乗馬で、鐙(あぶみ)で障泥(あおり)を蹴って馬を急がせることをいった。障泥は、馬の両脇腹を覆う革製の泥除けのこと。」

とする。『岩波古語辞典』も,「あふ(煽)り」の項で,

鐙で馬の原を蹴って進ませる,
風などが吹き動かす,

と意味を並べている。『日本語源大辞典』も,

「鐙で馬の泥障(あおり)を蹴って急がせる」

と載せる。「あおり」は,

障泥,
泥障,

と当てる。「泥障」は,

鞍の下に切付(きりつき)・肌付(はだつき)という韉(したぐら)を載せる。泥障は革製のものを言い,切付が小型化したため,鐙は重みで内屈して乗りにくくなるので,それを支えるために堅い革板を垂れたのが始まりであり,また鐙で馬に合図するのに,重い鐙で馬腹を傷つけるのを防ぐために付けた,

とされる。室町時代末期,つまり戦国期に流行した,という。しかし,『大言海』は,「あふる」について,

「あふる(翻る)」 あふぐ(扇ぐ)の自動詞。風に吹かれて動く,
「あふる(煽る・翻る)」 「あふ(翻)るの他動詞。吹き動かす。
「あふる(足触る)」乗馬して両の鐙にて馬の両脇を挟み打つ,

と,別項を立てる。「あふる(足触る)」は,

「足触(あしふ)るの略(足塞(なへ)ぐ,あなへぐ)。名詞形に足觸(アフリ,障泥と云ふ,四段活用の,触るなり。自動を他動に用ゐる…,アオルと発音するは,倒(たふ)る,たおる。扇(あふ)ぐ,あおぐの例なり)

とある。

105760.jpg



『日本語源大辞典』に,「あおる(煽る)」の語源は,

アシフル(足振)か(名語記),
アシフル(足觸)の略(大言海),

「あおり(泥障)」の語源は,

アオ(煽)ルの連用形から(広辞苑),
アフル(足触)の名詞形(名語記・東雅・大言海),
アブミスリの中略であろう(類聚名物考),
アハリ(足張),またはアヲリ(足折)の義(日本釈名),
馬に乗る時のに足を折りかがめる意のアヲリ(足折)からか(和句解)

等々あるが,普通に考えれば,

アフル(足触),

だろう。しかし,それと,

あおる(煽る),

という言葉の,

風や火の勢いで物を動かす,
物を前に進めようと手や足を動かす,
そそのかす,

という意味とはつながらない。腹を蹴って,馬に合図するのは,進めという意ではあっても,必ずしも「煽る」意ではない。「煽」(セン)字は,

「扇は,『戸+羽』の会意文字で,門に付けられた羽のような扉をあらわし,扉に似た形をしてぱちぱちと風をあおるうちわもあらわす。煽は『火+音符扇』で,火をあおること」

で,明らかに,

扇ぐ,

意である。それなら,

煽る,

に通じる。『日本語源広辞典』は,

「アフル(風を起こして物を動かす)です。」

とし,それが,

呷る,

にも通じるとする。これが正解だろう。因みに,「アオリイカ」の「アオリ」とは,

泥障,

の意である。「幅広いヒレ」が泥障(あおり)に似ているからとか。

萊氏擬烏賊.jpg



参考文献;
笠間良彦『図説日本甲冑武具事典』(柏書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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2018年06月12日

逐電


逐電は,『広辞苑』に,「ちくてん」で載り,

「チクデンとも。稲妻を追いかける意」

とあり,『デジタル大辞泉』には,

「古くは『ちくてん』とも。」

とある。今日だと,

行方をくらます,

意で用いることが多いが,

極めて早く行動すること,

という意味も載る。『岩波古語辞典』には,「ちくてん」で,

「電光を逐(お)う」

とある。「逐電」の「逐」(漢音チク,呉音ジク)の字は,

「『豕(いのしし)+辶(すすむ)』で,いのししを追いつめることを表す。」

で,あとをつけて一歩一歩追いつめる,という意味である。

「電」(漢音デン,呉音テン)の字は,

「原字は申で,いなずまの姿をえがいた象形文字。のち『臼(両手)+|(のばす)』の会意文字。電は『雨+音符申(のびる)』で,さっと長くのびるいなづま」

を示し,稲妻,雷の光,を意味する。つまり,逐電は,

雷光を逐う,

という意であり,そこから,

極めて早く行動すること,

とつながったと思われる。『字源』は,「逐電」を,

電光を遂ふ如く極めて早し,

としている。これが原義と思われる。因みに,「逐う」の類語は,

追う,

だが,「追う」は,

逃げるものを追いかけ捕える義,

とあり,「逐う」は,

此の方より,物をおひ払う義。駆逐と連用す。逐臣とは,国外へ,逐ひ払ひたる臣を云ふ。また追と同じくものを追い回す義にも用ふ」

とある。「逐」には,「放逐」とか,追放の含意があることは,着目していい。

なお『大言海』には,こうある。

「相馬の語に起こる。劉勰,新論『九方諲之相馬也,雖未追風逐電,絶塵滅影,而迅足之勢固已見矣』。朱子題跋『天馬脱銜,追風逐電』」

「新論」は,北齊·劉晝「新論·知人」らしい。これを見る限り,

追風逐電,

と対句になってしいて,とかく迅速であることを言っているようだ。

追風逐電

が成語であるらしく,

https://tw.18dao.net/%E6%88%90%E8%AA%9E%E8%A9%9E%E5%85%B8/%E8%BF%BD%E9%A2%A8%E9%80%90%E9%9B%BB

形容速度極快,多指馬飛速賓士,

と釋義が載っている。

追風逐日,

とも言うらしい。この限りでは,迅速さを言うのみだから,

御使逐電帰参,

という用例が載る。「逐」の字の持つ,

追放,

の含意のせいだろうか,

http://railway.cocolog-nifty.com/hyogen/2010/03/post-ebf6.html

に,

「逐 は『追いかける』意なので、逐電 は『稲妻を追いかけるごとく素早く逃げる』語意になるのだが、これとて『逃げる』という意味はこの二文字のどこにもないわけで、実際もともとの中国の用法では『逃げる』の意は含まれない。だからこれは、日本での慣用によってたまたま定着した意味なのであろう。」

とあるように,日本では,

「未だ了(をは)らざるに成通卿逐電」

と,逃げる意に転じている。「逐」には元々「追う」意であり,せいぜい追い払われる意があっても,逃げるでは,180度変わっている。この転換は,視点が,

追われる,

という状態表現から,主体の,

逃げる,

という表現に転換しているところも,面白い。

なお,類義語「駆落ち」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/436373236.html

で触れた。この「駆落ち」も,本来,

戦いに負けて他所へ逃げ走ること,没落,

という意味なのに,逃げる意味が,

「恋し合う男女が連れだって密かに他の地へ逃亡すること」

へと転じている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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2018年06月13日

さえずる


「さえずる」は,

囀る,

と当てる。「囀」(テン)の字は,

「『口+音符轉(テン)』。轉(転)は,転がす意を含むが,囀はそれと同義」

で,

玉を転がすように続けて鳴く,

意らしい。

DSC04890.JPG

(囀るグイス)


ところで,鳥の鳴き方には,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E9%A1%9E%E7%94%A8%E8%AA%9E#%E3%81%95%E3%81%88%E3%81%9A%E3%82%8A

によると,「さえずり」と「地鳴き」がある。「さえずり(英:bird song)」は,

「主に縄張り宣言や雌を呼ぶために、繁殖期の雄が発する鳴き声。中でも鳴禽類は鳴管の筋肉がよく発達しており、高度なさえずりをする種がある。」

で,「地鳴き(じなき、英:bird call)」は,

「さえずり以外の鳴き声。主に繁殖期以外での鳴き声を言う。一例として、ウグイスのさえずりが「ホーホケキョ」、地鳴きが「チャッチャ、チャッチャ」。ほかには警戒や威嚇の際の鳴き声、雛を呼ぶときなどの鳴き声を言う。状況に応じ使い分ける。」

とある。「地鳴き」は比較的「さえずり」に比べると,僕には四十雀が象徴的だが,地味かもしれない。

さて,「さえずる」は,『広辞苑』には,

「サヒヅルの転」

とある。『岩波古語辞典』には,「さひづり」は。

「サヘヅリの古形」

とある。『大言海』は,

「サヘは,喧語(さへ)くの語根…,ツルは,あげつらふ(論),引(ひこ)つらふのツラフと通づ…。佐比豆留とある比は,閇(へ)の音に用ゐたるなり」

とあり,「喧語(さへ)くの語根」との関連で,「コトサヘク」の項で,

「コトは,言ナリ,サヘクは,四段活用の動詞ニテ(名詞形に,佐伯となる)囀る,喧(さばめく)と通ず。」

とあり,

「つらふのツラフと通づ」の項で,

「萬葉集『散釣相(サニツラフ)』『丹頬合(ニツラフ)』の釣合(ツラフ)にて,牽合(ツリア)フの約(関合[かかりあ]ふ,かからふ),縺合(もつれあ)ふの意なり」

として,

喧語(さへ)く+縺合(もつれあ)ふ,

とする。鳥が騒がしく喋りまくっている,という感じであろか。よく主意は伝わる。『日本語源広辞典』は,

「擬音さへ+ク(動詞語尾)」

が語源とし,

「さわがしく物を言う意で,これにズル(動詞化)をつけた再動詞」

とするのも,構造は同じである。これと類する説を,『日本語源大辞典』は,

サヘは擬声語か(時代別国語大辞典-上代編),
サヘは擬声語で,ヅルは音ヅルなどと同じか(小学館古語大辞典),
サヘはサヘク(喧語)の語根。ツルはアゲツラフ,ヒヨ(引)ツラフのツラフと通じる(大言海),

の諸説以外に,

障りて通じがたいところからサヘ(障)出るの義(和句解),
サヘツル(栄連)の義(言元梯),
サヘツレル(清連)の義(名言通),
曲節をつける意で,シハユリナクランの反(名語記),
弁舌をよくするものの意で,サヘツル(才出)の義か(和句解),

も載せるが,

さわがしい+連,

擬声語+連,

というところなのではないか。それなら,「囀」の字の意味と重なる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ラベル:さえずる
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2018年06月14日

はれる


「はれる」(はる)は,

晴れる,
霽れる,

と当てる。

雲や霧が消えて去ってなくなる,
雨や雪が降りやむ,

とい意味だが,それをメタファに,

心のわだかまりが解けさる,
疑いなどが解けて潔白になる,
視界が開ける,

といった意味にも使う。『岩波古語辞典』の「はれ」の項には,

「ハラ(原)と同根か。ふさがっていた障害となるものが無くなって広々となるさま」

とある。「はら(原)」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455267128.html

の項で触れたように,「腹」の語源の一つには,「ハラ(原)」があり,人体の中で広がって広いところ,の意,という説がある。『大言海』は,

「廣(ひろ)に通ず,原(はら),平(ひら)など,意同じと云ふ。又張りの意」

とし,「原」の項では,

「廣(ひろ),平(ひら)と通ず。或いは開くの意か。九州では原をハルと云ふ。」

とある。これは,『岩波古語辞典』の,

「ハラ(原)と同根か。ふさがっていた障害となるものが無くなって,広々となる意」

と通ずる。面白いのは,『大言海』は「はる」の項で,

墾,
治,

という字を当てるものは,

「開くの義,開墾の意,掘るに通ず」

とし,

晴,
霽,

の字を当てるものは,

「開くの義,履きとする意」

として,いずれも「開く」につながるのである。その意味は,

パッと視界が開く,

晴れ晴れ,

という感じと似ているが,それは,

開いた(開墾した),

という含意があることらしい。つまり,開く(開墾する)ことで,開けたという意味である。

『大言海』の「はる(晴る・霽る)」に,

「開(はる)くの義。はきとする意」

通ずる気がする。「はるく」

開く,

は,

晴れる,

意とある。『日本語源広辞典』に,「晴れ」について,

晴・墾・原と同源,

とし,

「空に障害物,雲,霧などがなく,ハレバレとした様」

とあるのも同旨である。

清里高原の青空_cloudless_blue_sky,_Kiyosato,_Japan.jpg

(雲一つない青空 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E7%A9%BAより)

『日本語源大辞典』には,

ハルカアル(遥有)の転か(名言通),
ハル(発)の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ハルク(開)の義(大言海),
ハアル(開生)の義(国語本義),
ハラフ(払)の義(言元梯),
払い除けられたように散る意から(国語の語根とその分類=大島正健),
ハル(墾)・ハラ(原)と同根か(岩波古語辞典),

とあるが,「開く」という感覚が,一番しっくりくる。『岩波古語辞典』が「晴れと同根」とする「はるか」を,『大言海』は,

開處(はるか)の義,

とするが,それも「開く」ところから来ているとみていい。

『日本語源広辞典』は,「はるか」について,

「ハル(ハルバルの意)+カ(接尾語)」

で,遠く離れた状態をあらわす,という。もとは,空間的な意味だが,時間的にも使う,とある(『岩波古語辞典』)。その,

人からの遥かに離れた感覚,

が,

広がり,

を感じさせ,

はるけき,
はるかす,

といった遠い感じだけでなく,視界が開く感じにも,意味はつながっていく。「はるか」に開いた「晴れ」だからこそ,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455267128.html

で触れたように,「ハレ(晴れ、霽れ)」は,普段の生活である「日常」(「ケ(褻)」)の軛から脱するとき開放感を表してしている。僕には,

はれ,
はるか,
はるばる,

は,そういう気分や状態を表す擬態語だったのではないか,という気がしてくる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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スキル事典;
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2018年06月15日

あめ(雨)


「あめ」は,

雨,

と当てる。

320px-Hiroshige_Atake_sous_une_averse_soudaine.jpg

(歌川広重『名所江戸百景』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8より)

「雨」(ウ)の字は,

「天から雨の降るさまを描いたもので,上から地表を覆ってふる雨のこと」

とある(『漢字源』)が,

k-103.gif



https://okjiten.jp/kanji103.html

は,

「天の雲から水滴が滴(したた)り落ちる」

象形を描いてわかりやすい。『岩波古語辞典』は,

「アマ(天)と同根」

とする。『大言海』は,

「天水(アマミズ),アマミ,アメと約転したる語。東雅,雨『アメとは,天水也』。萬葉集に『妹が目(メ)を欲り』など云へるメは,目見(マミ)の約なり,…ツを略するば,出水(イズミズ),泉。水草,みくさの例あり。雨を,天津水(あまつみず)と云ひ,天水(てんすゐ)と云ふ。沖縄にて,アミ」

とある。

Starkregen.jpg

(移動する雨雲と雨筋 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8より)

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/ame.html

の言う通り,

「雨は、古くから草木を潤す水神として考えられており、雨乞いの行事なども古くから存在する。『天』には『天つ神のいるところ』といった意味もあるため、雨の語源は、 上記『天』『天水』のいずれかであると考えられる。」

雨の語源は、大別すると、

「天(あめ)」の同源説

「天水(あまみづ)」の約転とする説

にわかれる。しかし,

http://www.7key.jp/data/language/etymology/a/ame2.html

に,

「雨が多く、水田や山林など生活に雨が大きく関係している日本では、古くから雨のことを草木を潤す水神として考えられた。雨が少い場合は、雨乞いなどの儀式が行われ、雨が降ることを祈られた。『天』には『天つ神のいるところ』との意味があり、そのため雨の語源と考えられている。」

とあるように,「天」そのものと見るか,その降らせる水にするかの違いで,両者にそれほどの差はない。

『日本語源広辞典』は,

「語源は,天(アメ,アマ)と共通の語源であろうという説が有力です。大言海は『アメ(天)+ミ(水)』説です。アマ(非常に広大な空間)から落ちてくる水が,雨なのです」

とまとめる。

アマミズ(天水)の約転(名語記・東雅・言元梯・名言通・和訓栞・大言海・国語の語根とその分類=大島正健)。
アメ(天)と同語(和句解・日本釈名・日本古語大辞典=松岡静雄),

の二説が大勢だが,しかし,これ以外にも,

アム(浴)の転(嚶々筆語),

という説もある。

アマモレ(天降)の約(和訓集説),

は,天水と同じだろ。

因みに,「雨」が頭にくると,

「雨模様」 は,

「あまもよう」

と訓む。他にも,

「雨粒 (あまつぶ) 」 「雨脚 (あまあし) 」 「雨傘 (あまがさ) 」 「雨靴 (あまぐつ) 」 「雨垂れ (あまだれ) 」 「雨合羽 (あまがっぱ) 」 「雨蛙 (あまがえる) 」

等々。「あま」は,

あめ(雨),

の古形ではあるが,同時に,

アメ(天)の古形,

でもある。「あま(天)」の項で,『岩波古語辞典』には,

「『天つ』『天の』の形で他の語に冠する。アマは,何もないという意のソラ(空)とは異なり,奈良時代及びそれ以前には,天上にあるひとつの世界の意。天上で生活を営んでいると信じられた神々の住むところを指した。」

とある。とすると,

雨=天,

ではなく,やはり,

天水,

と考えるのが妥当のように思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2018年06月16日

あめ(天)


「あめ」は,

天,

と当てる。「天(てん)」の意である。「天」(テン)の字は,

「大の字に立った人間の頭の上部の高く平らかな部分を一印で示したもの。もと巓(テン いただき)と同じ。頭上高く広がっている大空もテンという。高く平らに広がる意を含む。」

とある。

300px-天-oracle.svg.png

(殷 甲骨文字 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A9より)


しかし,「あめ(天)」は,「天(てん)」とは少し異なる。「天(てん)」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163401.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163558.html

等々で触れたことがあるが,たとえば,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9

では,

「中国の思想では、全ての人には天(天帝)から、一生をかけて行うべき命令(天命)が与えられており、それを実行しようとする人は天から助けを受け、天命に逆らう者は必ず滅ぶと考えられている。天は全ての人のふるまいを見ており、善を行うものには天恵を、悪を行うものには天罰を与える。その時の朝廷が悪政を行えば天はこれを自然災害の形を取って知らせ、逆にこの世に聖天子(理想の政治を行う皇帝)が現れる前兆として、天は珍しい動物(麒麟など)を遣わしたり、珍しい出来事を起こして知らせる、と考えられた。特に皇帝、王朝の交代時には盛んに使われ、ある王朝を倒そうとする者は「(今まで前王朝に与えられていた)天の命が革(あらた)まって我々に新しい天命が授けられた。」と言う考え方をする。つまり革命である。」

とある。あるいは,『ブリタニカ国際大百科事典』には,

「殷代には,『天』は『大きい』という意味であり,天空を支配する最高神を『帝』と呼んでいたが,周代には,『天』と『帝』が同義語となり,地上の支配者である王は上帝の命により天下を統治するものと考えられるようになった。そこで,地上の『王』も『帝』と呼ばれるようになる。」

とある。中国から日本に伝えられたその,

「『天』(天上世界、宇宙の最高神、守護神などを意味する)の観念には、〔1〕道教系、〔2〕儒教系、〔3〕仏教系のものがあり、これらがそれ以前からあった〔4〕日神(ひのかみ)信仰(ここからのちに皇祖神天照大神(あまてらすおおみかみ)の観念が発生する)と合体して日本古代の天の思想を形成したようである。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

さて,ここでは,その古来の「あめ(天)」の語源である。「あめ(天)」の古形は,

あま,

であると,『岩波古語辞典』はする。そして,「あま(天)」の項で,『岩波古語辞典』には,

「『天つ』『天の』の形で他の語に冠する。アマは,何もないという意のソラ(空)とは異なり,奈良時代及びそれ以前には,天上にあるひとつの世界の意。天上で生活を営んでいると信じられた神々の住むところを指した。天皇家の祖先はアマから降下してきたと建国の神話にあり,万葉集などにも歌われている。それでアマは,天上・宮廷・天空に関する語につけて使う。」

とある。「あめ(天)」は,

「天つ神の住む天上の世界。古くは地上の『くに』の対。後にアメが天界の意から単なる空の意と解されるに至って『つち』の対」

とある。しかし,『大言海』は,「あめ」の項で,

「橘守部の説に,アメは,上邊(うはべ)の約,底國(そこのくに)を下邊(したべ)と云ふに対するという,いかがあるべき,凡そ,此の如き原始語の語原を説かむは,不可能の事なり,外に語原説,尚種々あれど,皆付会なり,此語アマとも云ふは,,熟語に冠したる時の音轉なり。爪(つめ),ツマ先。目(め),ま蓋などの例なり。雨(あめ)を,あま雲,あま水,あま夜など云ふも同じ。天津と云ふ,ツは(津は借字)古き辞(テニハ)にて,之(の)の義なり。和訓栞『天の字は,多くアメと訓めり。古事記に,アメと云ふにはち註せず,アマと唱ふべきには註あり。サレバ,アメは本語,アマは轉語なるべし』。アメノ,アマノは,万葉仮名にて書きたるあるは,区別に論なけれど,漢字にて,天(てん)とのみ書きてありて,何れともしらぬは,各書の旧旁訓に従へるもあり,…アマノとあるに,一切,アメノと改訓するは妄なりと思ふ。好古叢誌の巻二に,飯田武郷の,アマノ,アメノの区別説あり。天(アメ),天(アマ)又は,連体詞となりて,天(あめ)の,天(あま)の,天津,と云ふに種々異議あり」

と,「あま」「あめ」の音転であり,「あめ」を本来とする。

『大言海』が,付会と一蹴する諸説を,『日本語源大辞典』は,次のように載せる。

アオギミユ(仰見)の略訓(桑家漢語抄)
アミ(阿水)の意(柴門和語類集)
ウカミ(所浮)の義か。また,あまりの義か(雅言考),
アヲミル(蒼見)の反(名言通),
イカミエ(大見)の反(名語記),
天を仰ぎ見る時に自然に出る感嘆の声(言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本語源=賀茂百樹),
「奄」の音(am)の転音(日本語原学=与謝野寛),

確かに,付会というか語呂合わせといっていい。わからないものはわからない,というのも見識かもしれない。

『日本語源広辞典』は,

「ア(非常に大きい空間)+マ(空間)」

とし,

「日本語では,天と地と対立する概念のときはアメを使い,複合語のとき,アマとなることが多いようです。」

とする。それなら,

天を仰ぎ見る時に自然に出る感嘆の声,

に個人的には惹かれる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
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コトバの辞典;
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ラベル:あめ(天)
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2018年06月17日

天児


「天児」は,

あまがつ,

と訓む。

天倪,
尼児,

とも当てる。『広辞苑』には,

古く。祓(はらえ)に子供の傍に置き,形代(かたしろ)として凶事をうつし負せるために用いた人形。」

とある。『人形事典』には,

「平安時代からある。形代から進歩したもので、十文字形に作った棒の上部に、きれでくるんだ顔をつけた小児の祓いに用いられるもので、日本の人形の祖型の一つである。」

とある。

g-5.gif

(『人形事典』 https://www.weblio.jp/content/%E5%A4%A9%E5%85%90より)


『日本大百科全書(ニッポニカ)』には,

「幼児の守りとして身の近くに置き、凶事をこれに移し負わせるのに用いる信仰人形。幼児用の形代(かたしろ)として平安時代に貴族の家庭で行われた。『源氏物語』などの諸書には、幼児の御守りや太刀(たち)とともにその身を守るまじない人形の一種として登場する。1686年(貞享3)刊の『雍州府志(ようしゅうふし)』(黒川道祐(どうゆう))によると、30センチメートルほどの丸い竹1本を横にして人形の両手とし、2本を束ねて胴として丁字形のものをつくり、それに白絹(練り絹)でつくった丸い頭をのせる。頭には目鼻口と髪を描く。これに衣装を着せて幼児の枕元(まくらもと)に置き、幼児を襲う禍(わざわい)や穢(けがれ)をこれに負わせる。1830年(文政13)刊の『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』(喜多村信節(きたむらのぶよ))には子供が3歳になるまで用いたとある。天児を飾ることは室町時代に宮中、宮家などで続いてみられ、江戸時代には民間でも用いられるようになった。また天児と同じ時期に発生した同じような人形に縫いぐるみの這子(ほうこ)があり、江戸時代に入ると天児を男の子、這子を女の子に見立てて対(つい)にして雛壇(ひなだん)に飾り、嫁入りにはこれを持参する風習も生まれた。」

と詳しい。「這子(ほうこ)」は,

はいこ,

とも訓み,文字通り,

這っている人形,
幼児の這い歩く姿をかたどった人形,

である。

御伽(おとぎ)這子,

とも言った。『人形辞典』には,「這子・婢子」と当てて,

「平安時代(794~1192年)からある小児の遊び物。はじめは天児と同様、小児の祓いの人形だった。首と胴は綿詰めの白絹、頭髪は黒糸、這う子にかたどってあるので、こう名付けられた。別名をお伽婢子(ほうこ)ともいう。」

とある。将に,人形のはしりである。

g-6.gif


「天児」と「這子」は,『大辞林』には,

「古代,祓(はらえ)に際して幼児のかたわらに置き,形代(かたしろ)として凶事を移し負わせた人形」

であった「天児」が,

「後世は練絹(ねりぎぬ)で縫い綿を入れて,幼児のはうような形に作り,幼児の枕頭においてお守りとした這子(ほうこ)をいうようになった。」

とある。

「孺形(じゆぎよう)」

ともいうらしい。 「形代」とは,

「神霊が依り憑く(よりつく)依り代の一種。人間の霊を宿す場合は人形を用いるなど、神霊が依り憑き易いように形を整えた物を指す。」

元々は,神を祭る際に,神霊の代わりとして据えたもの,

を指すが,みそぎ・禊(はらえ)などに用いた人形(ヒトカタ)を指すようになる。で,

「人の身についた穢れや厄を託して,海や川に流すもの。神霊の依代 (よりしろ) の一種と考えられている。多くは紙の小さな人形 (ひとがた) であるが,ところによってはわら人形や,食物に託すこともある。鳥取県の流し雛も形代の一種で,川に流したり,氏神様の境内に納めたりする。疫病神や悪霊の依代とされて,毎年村境に送られるわら人形や,神聖なものとされている削り掛けや鏡,玉,臼,杵なども形代の一つである。しかし一般には,なで物といわれる,穢れを託して送ってしまうものをさす場合が多い。」(ブリタニカ国際大百科事典)

さて,では「天児」の語源は,何か。『大言海』は,

「春雨抄(寛永)に,天兒,源氏物語,河海抄に,尼兒と記せり。或は,天聞勝(あまかつ),天目勝(あまかつ)などともあり,語原詳ならず。先輩の明解も索め得ず,強いて言はば,天禍津靈(アママガツビ)の約略(河津蛙[かはずかへる],河蝦[カハズ]。秋津蟲,蜉蝣[あきつ])。禍津靈を負はする物の意か。牽強ならむか,再考に付す」

と,苦しげである。

『日本語源大辞典』には,

目勝(アマカツ,あるいはマナカツとよむか)の義,一説にアヅマワラハ(東豎子)を模すともいう(和訓栞),
アマガメ(天母形)の転(嬉遊笑覧),
アメガチコの約転(貞丈雑記),
アマガツ(天勝)の義(名言通),
オモガタ(母像)の転か(日本語源=賀茂百樹),

と諸説載るが,確かに苦しい。

天兒,

は当て字なので,ここから探るのは難しいのだろうか。

なお天児(あまがつ)と這子(ほうこ)については,

https://www.hinaningyou.jp/know02.html

に詳しい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2018年06月18日

ほうき


「ほうき」は,

箒,
帚,

と当てる。「帚」(ソウ,漢音シュウ,呉音ス)は,

「柄つきのほうきうを描いたもので,巾(ぬの)には関係がない。巾印は柄の部分が変形したもの。掃(ソウ はく)・婦(ほうきをもつ嫁)の字の右側に含まれる。」

とある。「箒」(ソウ,漢音シュウ,呉音ス)は,帚の異体字。

「ほうき」は,ほとんどの辞書が,

ハハキの転,

としている。『日本語源大辞典』は,

「語形としては『十巻本和名抄-四』『色葉字類抄』『観知院本名義抄』などには『ハハキ』とある。節用集や下學集の中には『ハハキ』『ハワキ』とするものがあるが,室町時代には『ハウキ』が優勢となっていた。『日葡辞典』では,『Foqi(ハウキ)』となっている一方,『fauaqigui(ハウキギ)』『tambauaqi』(タマバワキ)などハワキの形も見られる。」

と,語形変化を説く。

ハハキ→ハワキ→ハウキ・ハワキ→ホウキ,

といった変化であろうか。

「ははき」は,『岩波古語辞典』に,

「羽掃きあるいは葉掃きか」

とある。『日本語の語源』は,

「落葉を掃き寄せる道具をハハキ(葉掃き)といったのがホホキ・ホフキ・ホウキ(箒)になった」

としている。『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E7%AE%92

「もとは鳥の羽を用いたことから、『羽(は)+掃(は)き』と考えられる。」

とする。

800px-Shimogamo-Broom-M1625.jpg

(箒(下鴨神社・京都市左京区)https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%BB%E3%81%86%E3%81%8Dより)


羽掃き,

葉掃き,

かの断定は難しそうだ。ただ,

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%BB%E3%81%86%E3%81%8D

には,

「『ほうきで掃く』を意味する動詞『ははく(>はわく)』の連用形名詞化。」
「羽箒を用いた掃き掃除を意味する『ははき(羽掃き)』から転じた言葉とも。」

とあるので,あるいは,用途に応じて,素材を変えていたということも考えられる。たとえば,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%92

には,

座敷箒(ざしきぼうき)
土間箒(どまぼうき)
庭箒(にわぼうき)
荒神箒(こうじんぼうき)
茶道具の羽箒,

等々がある。

http://azumahouki.com/know/history/

には,

「古くは実用的なお掃除道具ということ以上に、神聖なものとして考えられており、箒神(ははきがみ)という産神(うぐがみ、出産に関係のある神様)が宿ると言われていました。日本最古の書物『古事記(712年 奈良時代)』には、『玉箒』や『帚持(ははきもち)』という言葉で表現されており、実用的な道具としてではなく、祭祀用の道具として登場しています。」

とあり,荒神箒は,その名残りかも知れない。『世界大百科事典 』には,

「正倉院には、養蚕儀礼用ではあるが、『子日目利箒(ねのひのめのとぎぼうき)』という奈良時代の箒が残っている。これはキク科のコウヤボウキの茎を束ねて根元を革紐(ひも)で結んだもので、ガラスの小玉の飾りがついており、柄はついていない。また、民俗的な伝承が多く、妊婦の腹を箒でなでたり、産室にこれを立てておくと安産になるといった出産に関する信仰が古くからある。これは古くは産室にカニをはわせる習慣があり、そのために箒を使ったことからきており、カニの脱殻作用を霊肉の更新と結び付けた古代人の信仰によるものといわれる。」

ともある。『日本語源大辞典』には,

「『古事記上』に,天若日子の死に際して鷺を『箒持(ははきもち)』としたことが述べられ,『古語拾遺』(嘉禄本訓)には豊玉姫命の出産に際して天忍人命が『箒(ははき)』で蟹を払ったことが記されている。後世箒を逆さに立てて長居の客を帰すまじないにもみられるように,『ほうき』は呪術的な意味を持つ道具であったことがわかる。」

とある。もともと「掃く」という行為は,浄めるという含意がある。「掃く」こと自体が,特別な動作だったのかもしれない。その道具「ほうき」も特別な物だったといっていい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ほうき
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2018年06月19日

あめ(飴)


「あめ」は,

飴,

と当てる「あめ」だが,古くは,

糖,
餳,

とも書いた,とある(『広辞苑』)。「飴」(シ)の字は,

「『食+音符台(人工を加えて調整する)』。穀物に人工を加て柔らかく甘くした食物」

である。

Mizuame_001.jpg



https://okjiten.jp/kanji2275.html

には,

k-2275.gif



「会意兼形声文字です(食+台)。『食器に食べ物を盛りそれに蓋をした』象形と『農具:すきの象形と口の象形』(『大地にすきを入れて柔らかくする、やわらか』の意味)から、やわらかな食品『あめ』を意味する『飴』という漢字が成り立ちました。」

と異なる由来が載る。『たべもの語源辞典』には,

「台には『よろこぶ』という意味があり,食べてよろこぶものが,飴である。」

とある。しかし,『漢字源』には,「台」は,

「もと『口+音符厶』。厶(イ)は,曲がった棒でつくった耜(シ すき)のこと。その音を借りて一人称代名詞にあてた。」

とある。「臺」(台)の方は,

「『土+高の略体+至』で,土を髙く積んで人の来るのを見る見晴らし台をあらわす。のち台で代用する。」

とあり,そんな意味はないのだが。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%B4

によると,

「文献上は、神武天皇が大和の国を平定した際に、『大和高尾』の地で『水無飴』を作ったという記載が、『日本書紀』の「神武紀」にある。
われ今まさに八十平瓮をもちて、水無しにして飴を造らむ
この『飴』は『たがね』と読む。『日本書紀』は神話であり、『神武天皇の時代』とされる紀元前7世紀については不明であるが、同書が編纂された720年(養老4年)には、既に飴が存在していたことになる。
正倉院に収蔵されている古文書に阿米(あめ)という記載があり、飴を意味していると考えられており、8世紀前半には日本で飴が作られていた事が分かる。この当時の飴はいわゆる水飴であったというのが研究者の一致した見解となっており、『阿米』という記載から伺えるように米を原料としていたと考えられている。」

とあり,さらに,『たべもの語源辞典』には,

「飴を『たがね』とよませたのは,米飴(たがね)すなわち『こめもやし』で飴をつくったからである。」

ともある。因みに,「もやし」とは,米を発芽させたもので,

「『米もやし』を使ってでんぷんを糖に変える」

のである(後年には麦芽が使われるようになる)。

既に,

「平安時代には西の京の市に飴市があった。この時代は米のもやしでドロドロの飴をつくった。鎌倉時代には,地黄煎(きおうせん)という飴があった。穀芽の粉末に薬草でもある地黄の汁を合わせて飴にしたものが起こりで,京稲荷前で製したものを,江戸では下り飴といった。職人尽の絵に地黄飴(あまいせんねん)とある。元禄(1684-1704)のころには『あまい』とも『せんねん』ともよんだ。細長い飴袋に『千歳飴』と書く名称の起こりはこれによる。糯米をよく煮て,麦麹の粉と冷湯とを合わせて甘酒のようにして濾過して練ったものを水飴または湿(しる)飴と称した。これをさらに練って固くしたものが堅飴で,膠飴(くろあめ)と称した。さらに練ると白色に変じ,それが白飴である。元和元年(1615)大阪の浪人平野甚左衛門重政が水飴を創製し,伏見に伝わり,後,重政は江戸に出て浅草寺でつくった。それが千歳飴である。」

と飴の歴史である。

main.jpg

(飴売渦松 一英斎芳艶画 文久元年(1861)http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no25.htmlより。江戸の飴売りに扮した市村羽左衛門。飴売りは、このように三味線をひいたり、鉦(かね)をたたいたり、また唐人飴売りは唐人風の服装で、チャルメラのような笛を吹いて飴を売り歩いたといいます。)

さて,「あめ(飴)」の由来である。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/ame_candy.html

は,

「 あまい(甘い)」の「あま」が交替した語。」

とあり,『たべもの語源辞典』も,

「マイのアマがアメになった」

としているが,『大言海』は,

「日本釈名(元禄)下,飲食,飴『アメは,アマ也。アマキ意。メと,マと通ず』。俗語考(橘守部)『アメ,アマメ「飴也」云々,田舎人の,アマメとも云ふことのあるを思へば,甘滑(あまなめ)の約れる言なるべし。云々,味噌豆より出る滑(なめ)を,直にナメと云ふ類也』。又,或は,甘水(あまみ)の約転か(雨も,天水(あまみ)の約転)。沖縄にては,アミと云ふ」

と,定めていない。

『日本語源大辞典』は,

「(あまいの)語根『あま』(甘)に,名詞を形成する接辞iが付き,転成したもの」

としつつ,諸説を載せている。

アマ(甘)の転(日本釈名・東雅・箋注和名抄・言元梯・言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本古語大辞典=松岡静雄),
アマナメ(甘滑)の約(俗語考),
アマケ(甘食)の転(名言通),
アは甘,メはなめて食べるからか(和句解),
アメ(雨)と同源。雨は万物を養うことからという(古語類音=堀秀成),
アマミチ(甘満)の反(名語記),

等々。やはり,「甘い」の「あま」からは抜け出せない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:あめ(飴)
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2018年06月20日

あまい


「あまい(あまし)」は,

甘い,

と当てる。「甘」(カン)の字は,

「『口+・印』で,口の中に・印で示した食物を含んで味わうことを示す。ながく口中で含味する。うまい(あまい)物の意となった。」

とある(『漢字源』)。これを見ると,漢字字体に,

味覚の甘さ,

と同時に,

うまい,おいしい,

とい意味が入っていることがわかる。ただ,日本語で言う,

脇が甘い,
天が甘い,
子供に甘い,

等々といった「厳しくない」という意にまで,メタファとして使うのは,我が国だけのようである。

『大言海』は,「あまし」に,

甘し,
甜し,

を当てる。「甜」(漢音テン,呉音デン)は,

「『甘(あまい)+舌』で,舌にへばりつくようなあまさ」

とある(『漢字源』)。「ねっとりとあまったるい」意なので,甘味が濃厚といことだろか。この字にも,「うまし」(美味)の意がある(『字源』)。

『大言海』は,「あまし」は,

「旨(うま)しと通ず」

とする。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/amai.html

も,

「甘い味は『美味』の意味で多く用いられることや、熟した果実の甘い味を『うまい』と表していたことから,『うまい(うまし)』が転じて『あまい(あまし)』になったと考えられる。また,『あじ(味)』の『あ』は『あまい』の『あ』に通じるため,『あ』の音に『味わい』の意味があり,『うまい』と合わさったとも考えられる。味覚を表す他の語と同じく『甘い』も時代が新しくなるにつれ,味覚以外に様々な表現に用いられるようになった。」

うまし→あまし,

とする。あるいは,大括りな「うまい」という表現から,味覚の甘さだけが分化して,

あまい,

と際立ったのかもしれない。実際,『岩波古語辞典』の「うまし」は,

甘し,
旨し,
美し,

を当てる。美味の旨いから味覚の甘いに焦点があわされ,それをメタファに,優れているという価値表現へと転じ(うまし國),巧み,さらに,(技倆が)優れている,上手(「巧い」「上手い」)の意味へと転じていく。旨い,甘い,が心持へ,更に技倆へと拡大された。

『日本語源広辞典』も,

「『ウマシとアマシ』は,語源が近いというのが大言海の説です。そうした『甘美な物を食べる口形から出た語』であろうというのが有力な語源説です。方言で,アマー,アミャー,ウミャーなどという言葉が生きています。アマエル,アマヤカスも同源の動詞です。」

とする。しかし,「うまい」については,三説挙げる。

説1は,「ウム(熟むの未然形)+シ(形容詞化)」。果実の熟した味の良さをいう形容詞で,後にアマイと混用した,
説2は,「倦む+シ」。飽きるほどの味の良さをいう,
説3は,「ウ(大)+マ(間)+シ」。たいそう立派な空間の意味(うまし國等々)。後に,良い,美味に転じた,

『日本語源大辞典』は,「うまい」の語源を,

ウマは,熟した果実の味をいうウム(熟)から。アマシと通じる語か(日本釈名・国語の語根とその分類=大島正健),
ウミシキ(熟知)の義(名言通),
アマシと同源(和句解),
クハシ(妙)の転(言元梯),
アマムカハシキ(甘向及)の約転(和訓集説),

と諸説挙げるが,常識的だが,

熟した果実の味をいうウム(熟)から,

が妥当に思える。「甘い」側も,

ウマシと通ず(日本釈名・大言海),

と,

あまし⇔うまし,

が互換的のようだが,

うまい→あまい,

と分化したと,見たい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
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