2018年06月21日

あま


「あま」は,

海人,

と当てるが,

蜑,

とも当てる。『広辞苑』は,

あまびと(海人)の略,

とある。『岩波古語辞典』には,

白水郎,

とも当てるとし,

「白水は中国鄮県の地名。白水郎は海上交通の役を司った者,るいは白水の漁夫の意。鄮県の白水郎の名に親しんだ日本の留学生が,それをアマの表記に用いたものであろうという。」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E4%BA%BA

には,

「九州の一部などでは白水郎と記されている。このことから、中国・四国地方より東では潜水する海人を海人と呼び、九州地方では白水郎と呼んでいたことが伺える。」

とある。

800px-Ama.jpg



『大言海』は,

白水郎,
泉郎,

とも当てる。

「海人(あまびと)と云ふが成語なるべし。アマビトを下略して,アマとのみ云ふは,杣人(そまびと)ヲ,ソマとも云ふが如し。…アマウドは,アマビトの音便(旅人,たびうど,商人,あきうど)」

とあり,

字類抄「海人,漁人,アマビト」
庭訓往来(元弘)「水主(カコ),楫取(カンドリ),漁客(スナドリ),海人(アマウド)」,
箋注和名抄「泉郎,阿万」

等々を引く。ただ,『日本語の語源』は,

「漁夫のことをウミビト(海人)といったのがアマビト・アマ(海士。海女)になった。」

と,

ウミビト→アマビト→アマ,

と転じたとする。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E4%BA%BA

によると,

「男性の海人を『海士』、女性の海人を『海女』と区別して記されることがあるが、いずれも『あま』と呼ばれる。海士を一文字にした『塰』という和製漢字(合字)があり、鹿児島県種子島の塰泊(あまどまり)という地名に用いられている。
中国の水上生活者を意味する『蜑』(たん)、『蜑家』、『蜑女』という表記を用いて、『あま』と読む例が近世の文書に見られる。例えば、『南総里見八犬伝』に、『蜑家舟』と書いて『あまぶね』と読む語が登場する。
その他、『海人』と書いて、うみんちゅ(沖縄方言)、かいと(静岡県伊豆地方など)と読む場合もある。大韓民国では済州島などに『海女(ヘニョ)』と呼ばれる女性を中心とした海人がいる。」

とあり,『魏志倭人伝』には,

倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み、文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。

とある。海人である。

アマビト→アマ,

ウミビト→アマビト→アマ,

で決まりかと思うが,その他にも,

アヲミ(蒼海)の轉語アマ(海)から転じた(和訓栞),
アはアヲウミ(蒼海),マはスマヰ(住居)の略(日本釈名・関秘録),
ウナベ(海部)の約転か(雅言考),
アマヘ(蜑戸)の略(名言通),
アフギマネク(仰招)の意(和句解),

等々。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2018年06月22日

すっぽかす


「すっぽかす」は,

そのままにして捨て置く,
約束などをしておいて,それを履行しないで放っておく,

といった意味になる。最初は,

ほったらかす,

という状態表現であったものが,価値表現へと転じ,

約束を破る,

といった意味ににシフトしたと見える。『大言海』は,

素放,

と当てている。で,

物をそのままににす,
投げ遣りにす,

という意味しか載らない。『岩波古語辞典』には載らず,『江戸語大辞典』「すっぽかし」の項に,

素っぽかし,

と当てて,

「動詞『すっぽかす』の連用形名詞」

とあり,

うそ,
うそつき,
愚弄,

と意味が載る。ということは,現代の方がソフトな意味に転じていて,もともとは,

うそ,
ないし,
うそつき,

を直接指していた,ということだろうか。『日本語源広辞典』は,

「すっかり+ほったらかす」の簡約変化,

とするが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/su/suppokasu.html

の,

「すっぽかすの『すっ』は、『素っ裸(すっぱだか)』『すっ飛ばす』『素っ頓狂(すっとんきょう)などの『すっ(素っ)』と同じく、言葉の前についてその意味を強める語。すっぽかすの『ぽかす』は、捨てる意味の『ほかす(放す)』を破裂音化したもので、『素っ放かす』と漢字表記もする。」

という説明の方が納得できる。「す」は,

「後世『素』と当て字」

と,『岩波古語辞典』にあり,

ただそれだけの,また生地のままの意を表す(素顔,素肌),
なにも伴わないこと(素で踊る,すうどん,素手),
(他の語の上につけて)軽蔑の意をこめと,ただの,みすぼらしいなどの意(素寒貧,素町人),
程度の甚だしいことを示す(素早い,すばしこい),

といった使い分けになる。やはり,「ほかす」を強めた,というのが妥当だろう。「素」の字は,

「より糸にする前の元の繊維。繭から引き出した絹の原糸」

で,

しろ,

を意味する。うまい当て字ではある。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%99/%E3%81%99%E3%81%A3%E3%81%BD%E3%81%8B%E3%81%99%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,

「すっぽかすとは、程度が激しいことを意味する『す(素)』と、捨て去るという意味の『ほかす(放下す)』からなる慣用語で、すべきことをしないで放置する、約束を破るという意味あいで使用されるが、例えば『仕事をすっぽかす』とか『デートの約束をすっぽかす』のように、仕事をしなかったり、約束を破ったりすることにたいして理由もなく、理由を相手に説明して許しを得ようという気持ちもない場合、つまり『かったるくて仕事したくねえ』とか『あんたなんかとつきあうつもりないから』という気分のときに用いる。

とある。故意で約束を破る,という意味では,一種の意思表示ではある。約束したときは,断れなかった,弱気のつけでしかない,とも言える。

「ほかす」は,

放下す,

と当てる。

「ほうかの転」

である。『大言海』は,

「ほほかす」の転,

としているが,

放置,

の意であるが,「放下」とは,ただの放置ではなく,

投げ捨てる,

意である。禅宗でいう「放下」(ハウカ,ハウゲ)は,

「一切を放り投げて無我の境地に入ること」

を意味したようだから,一種,

すっぽかす,

も決断といってもいい。そこから派生して,

放下師,

という大道芸になるが,それはまた別の話。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2018年06月23日

放下


「放下」は,

ほうげ,

と訓む。また,

ほうか,

とも訓む。「ほうげ」と訓むと,

投げ捨てること,
禅宗で,心身共に一切の執着を捨ていること,また,その禅僧,

を意味するが,「ほうか」と訓むと,投げ捨てる意味の他に,「放家」とも当てて,

中世・近世の芸能,

を指す。『広辞苑』には,

「手品や曲芸を演じ,小切子(こきりこ)を操り,小歌を歌い,八桴(やつばち)を打ちなどした。その演者を,放下師または単に放下ともいい,僧形のものが多かったので,放下僧とも呼んだ。僧形でも烏帽子を被ったり,笹を背負うなど,異形の姿だった。」

とある。

71UtaAwase_Houka.jpg

(『七十一番職人歌合』より「放下」。笹竹を背負い、烏帽子姿であるく放下師https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E4%B8%8Bより)


『岩波古語辞典』には,

「又,一種の国賊あり,放下の基と号して,三衣一鉢を捨てて,身に衣を着ずして,或,烏帽子を着,或は,狗・猫・兎・鹿(しし)の皮を着て,舞いを為し,歌を歌ひて,正法を謗し,人家の男女を誑譃(わうご)して世を渡る類あり」(塩山和泥合水集)

とある。

もともとは,

「手より物を投げ放ち捨つる」(『大言海』)

意味でしかないが,禅家で,特殊な意味を込めたのは,

『五家正宗賛(ごけしょうじゅうさん)』にある趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん 778~897年)の逸話に依るらしい。

Zhaozhou_Congshen-Fozu_zhengzong_daoying37.jpg

(趙州従諗 『仏祖正宗道影』木版画https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%99%E5%B7%9E%E5%BE%93%E3%82%B7%E3%83%B3より)


http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/060801.html

には,

放下著(ほうげじゃく),

というらしく,

厳陽尊者(げんようそんじゃ)という修行者が趙州和尚に問います。
「一物(いちもつ)不将来(ふしょうらい)の時、如何いかん」
趙州和尚が答えます。
「放下著」
更に問います。
「既に是れ一物(いちもつ)不将来(ふしょうらい)、箇(この)什麼(なに)をか放下せん」
するとこう答えた,と。
「放(ほう)不(ふ)不(ふ)ならば担取(たんしゅ)し去され」

これだけ棄てて無一物になった,という自我(自恃)をも「棄てろ」というのが,

放下著,

であるらしく,それがわからないようなら,そいつ(無一物)を担いでされ,とまで言われた,というわけである。

それが大道芸の放下に使われたについては,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E4%B8%8B

に,

「『放下』の語はもともと禅宗から出た言葉で、一切を放り投げて無我の境地に入ることを意味したが、『投げおろす』『捨てはなす』の原義から派生して鞠(まり)や刀などを放り投げたり、受けとめたりする芸能全般をあらわすようになったと考えられる。」

とあるが,それだけではなく,通常の世界から放下されたもの,という意が込められていたのではあるまいか。

その芸については,

「放下師(放下)がおこなった芸には、中国から渡来した鼓のようなかたちの空中独楽の中央のくびれ部分に紐を巻き付けて回転させたり、空中高く飛ばしたりして、自在に使い分ける輪鼓(りゅうご)や田楽芸の『高足』から転じた連飛(れんぴ)、また、鞠・短刀などを空中に投げ上げて自在にお手玉する品玉(しなだま)、八ツ玉、手鞠、弄丸(ろうがん)などがあり、従来の散楽や田楽から学び習った曲芸や奇術を専業化し、人びとが行き交う大道や市の立つ殷賑の地などでこれを演じて人気を博した。また、『こきりこ』(筑子)と称される、長さ30センチメートル・太さ1センチメートルほどの竹の棒2本を打ち合わせたり、拍子をとったりして物語歌をうたい歩き、あるいは辻に立って歌い、特に子女からの人気を集めた。」

と詳しい。

Houka_SumiyoshiOdori.jpg

(路上で皿回しをしている放下師。『人倫訓蒙図彙』(元禄3年(1690年)頃刊行))。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E4%B8%8Bより)


参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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ラベル:放下 放下著
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2018年06月24日

謀る


「謀る」は,

はかる,

とも訓むが,

たばかる,

とも訓ませる。「はかる」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/444151160.html

で触れたように,『大言海』は,

≪計・測・量≫「大指と中指とを張り限る意」

として,

「物事の程を知らむと試みる。つもる。はからふ。」

をまず挙げ,次に,

≪権・称≫「秤にて軽重を試みる。「枡にて多少を試みる。掛く。」
≪度≫「尺(ものさし)にて長短を試みる。差す。」
≪思量・謀≫「考へ分く。分別す。たくむ。」
≪詢・商議≫「語らひて論じ定む。相談す。」「欺く。だます。たばかる。たぶらかす。」

と分けている。『古語辞典』は,「はか(計・量)り」を,

「はか(量・捗)の動詞化」

としている。「はかどる」の「はか」で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/431282570.html

で,触れたことがあるが,「はか」について,『大言海』は,「計」を,

「稻を植え,又は刈り,或いは茅を刈るなどに,其地を分かつに云ふ語。田なれば,一面の田を,数区に分ち,一はか,二(ふた)はか,三(み)はかなどと立てて,男女打雑り,一はかより植え始め,又刈り始めて,二はか,三はか,と終はる。又稲を植えたる列と列との間をも云ふ。即ち,稲株と稲株との間を,一はか,二はかと称す。」

とし,「量」を,

「量(はかり)の略。田を割りて,一はか二はかと云ふ。農業の進むより一般の事に転ず。」

としていた。それを前提に,『古語辞典』は,

「仕上げようと予定した仕事の進捗状況がどんなかを,広さ・長さ・重さなどについて見当をつける意」

として,

予測する,
広さ・重さ・値段などを計量する,
よい機会かどうかなど見当をつけてえらぶ,
よいわるいのなどの見当をつけながら,論じる,
もくろむ,企てる,
だます,

と意味の幅を付ける。単なる予測から,価値判断が加わり,それか悪意へシフトすると,だますになっていく,という意味の外延の広がりのあることばである。「はかる」の「謀る」は,

見当をつけるとい意味から,目論み(企み)に転じ,そこから悪だくみへと,意味が転じて言ったものだ。その意味では,「はかる」には,心の中で練っていくという含意がある。

「たばかる」も,

思案する,思いめぐらす,
相談する,
謀り欺く,だます,

と,思案の末に,騙す,という意味で,ほぼ重なる。『広辞苑』には,

「タは接頭語」

とあり,『岩波古語辞典』には,

「タは接頭語。ハカリは未知の分量・重さなどを知ろうと計量するのが原義。転じて,物事の処理を工夫し計画する意。さらに,たくらんで人をだます意」

とあり,ほぼ「はかる」と重なる。

『大言海』は,

「タは發語。安斎随筆…は『たくみはかるの略語か』とあり」

としている。とすると,「はかる」よりは,「たくらむ」含意が強まる。「た」は,

「動詞・形容詞の上につく。意味は不明」

とあるが,

「語調を整え強める」(『広辞苑』)

というところなのだろう。

「たやすい」
「たなびく」

等々と並んで,「たばかる」も入る。「手」の古形に,

手枕,
手力,
手挟み(たばさみ),
たなごころ,
手折る(たおる)

等々「た」と訓ませる接頭語があり,これとつながるのではあるまいか。

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%9F

は,接頭語「た」について,

「『手の語根』と同語源とも考えられる。」

としている。あえて,「た」を付けるということは,そこに意図が強調されている,とみることができる。「はかる」より「たばかる」の方が,より意識的意図的の含意が出る。

『日本語源大辞典』は,接頭語「た」説以外にも,以下のように諸説載せる。

タクミハカルの略か(安斎随筆),
タ(他)ヲハカル意か(和句解),
昔,手で物の大小をはかったところから,テハカル(手量)の義(名言通),
タマハカル(魂計)の義(柴門和語類集),
タバカリはアタリハケリ(化術)の義(言元梯),

等々。「手」との関連がやはり注目される。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2018年06月25日

ヒバリ


「ヒバリ」は,

雲雀,
告天子,

等々と当てる。『広辞苑』には,その鳴き声を,

「一升貸して二斗取る,利取る,利取る」

と聞きなした,とある。

「日本では留鳥・漂鳥として河原・畑などにすみ、春になると空高く舞い上がりながら、ピーチュク、チルルなど長くて複雑な節回しでさえずる。」(『デジタル大辞泉』)

とあるから,芭蕉の,

ひばりより空にやすらふ峠哉(『笈の小文』)

が生きてくるのだろう(『笈の小文』以外は「空に」は「上に」とあるらしい)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%90%E3%83%AA

には,「ヒバリ」の異称を,

告天子(こうてんし,こくてんし,ひばり),
叫天子(きょうてんし),
天雀(てんじゃく),
姫雛鳥(ひめひなどり),
噪天(そうてん),
日晴鳥(ひばり),

等々を上げている。

『大言海』は,「ヒバリ」の項で,

天鷚(てんりょう),

の異称も挙げて(「鷚」はヒバリの意),

「日晴(ひはる)の意。空晴るれば,飛鳴して雲の上に昇る,日晴鳥(ひはれどり)なり」

とある。さらに,

日本釈名「告天子,ヒバリは日のはれたる時,そらに高くのぼりてなく鳥なり,ヒハル也。雨天にはノボラズ」

を引く。『日本語源広辞典』も,

「日+晴れ+り(鳥)」

とし,空晴れ天高く飛び鳴く鳥の意,とする。確かに,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/hi/hibari.html

が,

「奈良時代から見られる名。語源は,晴れた日に空高くのぼり鳴くところから,『日晴(ひはる)』の意味が定説となっている。しかし,ヒバリの鳴き声を模した表現には『ピーチク』『ピーパル』『ピーピーカラカラ』,また『ピーチクパーチクひばりの子』と言うように,鳴き声の『ピパリ』とする説ある。漢字の『雲雀』は,雲に届くほど天高く飛翔する雀に似た鳥の意味から。」

とする通り,「日晴」が定説のようだが,個人的にはすっきりしない。鳥は基本雨の日はあまり飛ばず,雨が上がると,賑やかに囀り飛ぶという印象をもっているからだ。晴れている日に鳴くのも飛ぶのも,「ヒバリ」に限ったことではないのではあるまいか。

Skylark_2,_Lake_District,_England_-_June_2009.jpg



『日本語源大辞典』は,

ヒハル(日晴)の義。日が高く晴れたときのみ高く上り鳴くところから(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・和訓栞・大言海)
鳴き声がピパリからか(箋注和名抄・音幻論=幸田露伴),
ヒラハリ(翩張)の義(名言通),
高く上るところからヘヘ(隔々)リの義(言元梯),
ヒは日,ハはハルカ(遥)または羽,リはアガリサガリのリか。日のさすとき,はるばるとあがる鳥でるところから(和句解),

と挙げるが,髙く上がるというのがヒバリの特徴なら,晴れよりそこに語源をさぐるべきではないか。

『日本語の語源』は,

「空高くしきりにさえずるのでシバナキ(屡鳴き)鳥と呼んだ。『シ』の子交(子音交替)[∫c],『ナキ』の縮約[n(ak)i]でヒバニ転音し,さらに語尾の子交(子音交替)[nr]でヒバリ(雲雀)になった。」

とするが,これも如何であろうか。

万葉集で「ヒバリ」を歌う歌は,

うらうらに 照れる春日(はるひに)ひばり上がり 心悲(こころがな)しも ひとりし思へば(大伴家持)
ひばり上がる 春へとさやに なりぬれば 都も見えず 霞かすみたなびく(大伴家持)
朝な朝な 上がるひばりに なりてしか 都に行きて 早帰り来む(安部沙弥麻呂)

等々あるらしいが,いずれも「ひばり上がり」である。いずれも,「日晴れ」といった開放感のある感じではない。「日晴れ」説には疑問である。

春を告げる鳥,

とされる以上,

天髙く飛ぶ,
か,
鳴き声,

から採ったと見るべきではあるまいか。「ヒバリ」の囀りについて,

https://www.bioweather.net/column/ikimono/manyo/m0604_2.htm

は,

「ヒバリは上昇していくとき(『上がり』と呼ばれる)、空中で停飛しているとき(『空鳴き』、『舞鳴き』)、そして降りてくるときで(『降り』)、それぞれ鳴き方が異なります。
 上昇していくときは比較的単純な鳴き声の繰り返しですが、停空飛翔状態になると、多い個体では15種類以上もの声のパターンを組み合わせて、複雑なさえずりを長時間続けます。そして降りてくる時には、スズメや他の鳥の鳴き声も混ぜ、少し短めの声を組み合わせてさえずります。」

という鳴き声を摑まないわけがない。『語源由来辞典』の,

「ヒバリの鳴き声を模した表現には『ピーチク』『ピーパル』『ピーピーカラカラ』,また『ピーチクパーチクひばりの子』と言うように,鳴き声の『ピパリ』とする説ある。」

から,「ピパリ」説に(あまりスッキリしないので不承不承)軍配を上げておくことにしたい。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2018年06月26日

モズ


「モズ」は,

百舌,
鵙,

と当てる。「鵙」(ゲキ,漢音ケキ,呉音キャク)の字は,

「貝の部分は,もと『目+犬』で,犬が目をきょろきょろさせることをあらわす。鵙の本字はそれを音符とし,鳥を加えた字で,芽をきょろきょろさせて虫を捕食する鳥を表す」

で,「モズ」の意である。「百舌」字は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%BA

に,

「様々な鳥(百の鳥)の鳴き声を真似た、複雑な囀りを行うことが和名の由来(も=百)」

とあるように,「モズ」の語原からくる当て字と思われる。『日本語源広辞典』は,

「モ(鳴声・擬音)+ス(小鳥)」

は,「モ」とは聞こえないのでむりがあるだろう。『語源由来辞典』は,

http://gogen-allguide.com/mo/mozu.html

「百の舌を持つ鳥を表す」

とし,

「モズの語源は諸説ある。鳴き声に関するものが多く,中でも『モ』は鳴声,『ズ(ス)』はウグイスやカラスと同じく鳥を表す接尾語とする説が有名である。『ス』は妥当であるが,代表的な『モズの高鳴き』と呼ばれる鳴声は,秋に鳴く『キイーキイー』という高い音で,これを『モ』の音で表現するには無理がある。『モ』は鳴き声そのものの音ではなく,非常に多い数を表す『モモ(百)』で,百鳥の音を真似るところからの名であろう」

としている。『大言海』も,

「モは鳴く聲,スはウグイス,カラスなどのスと同じ,百鳥の音を真似る故に,百舌と云ひ,又,反舌とも云ふ。」と

する。また,『日本語の語源』が,「百」を,

「鋭い声でけたたましく連続的に鳴くのでモモシタ(百舌)と読んでいた。語頭の『モ』,語尾の『タ』を落して,モシ,モス,モズ(百舌・鵙)と転音した」

とするのも,「モ」を「百」とする意味では同じ解釈といっていい。

『日本語源大辞典』には,その他に,

メ(目)ノサスの反(名語記),
モス(百舌)の義。セツの反。セッセッと鳴くところから(言元梯),
その鳴声モヂリ(綟)の義(名言通),
反舌の義(東雅),

といった説を載せるが,

百の舌,



百の声,

かというところだろう。

800px-Lanius_bucephalus_male.JPG

(モズ(オス) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%BAより)

「モズの高鳴き」は,

「秋から11月頃にかけて『高鳴き』と呼ばれる激しい鳴き声を出して縄張り争いをする。縄張りを確保した個体は縄張りで単独で越冬する。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%BA

とか。また,「速贄(はやにえ)」といモズの習性も名高いが,

「モズは捕らえた獲物を木の枝等に突き刺したり、木の枝股に挟む行為を行う。秋に初めての獲物を生け贄として奉げたという言い伝えから『モズのはやにえ(早贄)』といわれた」

ものだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%BA

によると,

「ワシやタカとは違いモズの足の力は弱く、獲物を掴んで食べる事ができない。そのため小枝や棘をフォークのように獲物を固定する手段として使用しているため」
「空腹、満腹に関係なくモズは獲物を見つけると本能的に捕える習性があり、獲物を捕らえればとりあえずは突き刺し、空腹ならばそのまま食べ、満腹ならば残すという説もある。はやにえにしたものを後でやってきて食べることがあるため、冬の食料確保が目的とも考えられるが、そのまま放置することが多く、はやにえが後になって食べられることは割合少ない。また、はやにえが他の鳥に食べられてしまうこともある。」
「モズの体が小さいために、一度獲物を固定した上で引きちぎって食べているのだが、その最中に敵が近づいてきた等で獲物をそのままにしてしまったのがはやにえである」

等々諸説あるが,

「餌付けされたモズがわざわざ餌をはやにえにしに行くことが確認されているため、本能に基づいた行動である」

と見られている。「餌付けされたモズがわざわざ餌をはやにえにしに行く」というのはどこか悲しい。

Lanius_bucephalus_crying.JPG


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:モズ 百舌
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2018年06月27日

ヒヨドリ


「ヒヨドリ」は,

鵯,

と当てる。『広辞苑』は,

白頭鳥,

とも当てる,としている。

Brown-eared_Bulbul_1.jpg



「鵯」(ヒ,漢音ヒツ,呉音ヒチ)の字は,

「『鳥+音符卑(背が低い)』あるいは,ぴっぴいと鳴く聲を真似た擬声語か」

とある(『漢字源』)。

必ずしも,「ヒヨドリ」を指していおらず,『字源』は,我が国だけで「ひえどり(鵯鳥)」,「ヒヨドリ」を指す,としていて,はしぶとがらす,みやまがらす,の意としている(鵯烏)。『漢字源』は,白頭鳥,またひよに似た鳥の総称,としている。どうやら,姿形もさることながら,

鳴き声,

から来た字のようである。『大言海』は,

「ヒエドリ(鵯鳥)の転」

とし,「ひえどり」の項で,

「稗鳥の義。稗を食へば云ふならむ。字は,蓋し,鵯鳥の二合和字」

とある。しかし,

http://www.nihonjiten.com/data/45847.html

は,

「鳴声『ヒィーヨヒィーヨ』に由来する説、ヒエを好んで食べることから、古名『稗烏(ヒエドリ)』が転じた説がある。ただし、ヒヨドリはヒエは食べない。漢字表記『鵯』は国訓で『ヒヨドリ』、いやしいの意『卑』は『小さい』の意味に用いる『稗(ヒエ)』に通じるか。」

としており,「稗」は当て字,僕は漢字「鵯」から,名を取ったのではないか,だから,

ヒドリ→ヒエドリ,

と訓んだのではないかと勘繰りたくなる。しかし,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A8%E3%83%89%E3%83%AA

の言うように,

「鳴き声は『ヒーヨ!ヒーヨ!』などと甲高く聞こえ、和名はこの鳴き声に由来するという説がある。また、朝方には『ピッピッピピピ』とリズムよく鳴くこともある。」

とあり,

ひいよひいよ(『広辞苑』)
ピーヨピーヨ(『デジタル大辞泉』)

とい鳴き声からか,

ヒヨ,

とも呼ばれる。その意味では,

ヒヨ→ヒヨドリ,

は考るのが,自然なのかもしれない。『日本語源広辞典』は,

「ピーヨ,ピーヨ+鳥」

とするが,カラス,ウグイス,ホトトギス,の「ス」,スズメ,ツバメ,の「メ」等々と違い,なぜか,

ヒヨメ,
ヒヨス,

とはならなかった。『日本語源大辞典』も,

鳴き声(和句解・音幻論=幸田露伴),
古名ヒエドリ(稗鳥)の転(大言海),

の二説挙げるのみである。やはり,

ピーヨ→ヒヨ→ヒヨドリ,

と転訛したと見るのが妥当に思える。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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2018年06月28日

ツグミ


「ツグミ」は,

鶫,

と当てる。「鶇」(トウ)は,我が国でのみ「つぐみ」に当てる。「鶫」の字は,その字に似せて,つくった国字らしい。

「鳥+音符東」

について,

http://www.nihonjiten.com/data/45821.html

「音符『東』は、五色で青に配する意に通じるか。」

とある。

「古くは跳馬と呼ばれましたが、これは、地面をはねるようにとんでエサをとる格好から」

名づけられたとある(https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1359.html)が,『大言海』は,「ツグミ」の別名に,

馬鳥,
鳥馬(テウマ),

『広辞苑』は,

チョウマ,
ツムギ,

を挙げている。「チョウマ」「テウマ」は「跳馬」のことであろうか。

800px-Turdus_eunomus_-Japan-8.jpg



「ツグミ」は秋の季語。

喧嘩すな あひみたがひに 渡り鳥(一茶)

という句もあるとか。秋に渡来し,越冬する。で,

「和名は冬季に飛来した際に聞こえた鳴き声が夏季になると聞こえなくなる(口をつぐんでいると考えられた)ことに由来するという」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%B0%E3%83%9F

という説がある。『大言海』も,

「噤(つぐ)みの義。夏至の後,聲無ければ云ふ」

とする。

『日本語源大辞典』は,

夏至の後は鳴かないところからツグミ(噤)の義(日本釈名・大言海),
その形状から,セクグミ(背勾)の転スクミの義(名言通)。

の二説挙げる。「せくぐみ」は,

跼む,

と当て,

背を丸め,体を前方にかがめる,

意である。「すくみ」は,

竦み,

は,硬直して動かなくなる,意である。「ツグミ」の姿勢を指している。似た説は,

http://ta440ro.blog.shinobi.jp/%E9%B3%A5/%E3%83%84%E3%82%B0%E3%83%9F%E3%81%AE%E8%AA%9E%E6%BA%90

が,

「ツグミという名の由来です。ネット上で調べてみると、日本に滞在している冬場は口をつぐんで鳴かないからだと書いてあるものが沢山見つかりました。…ツグミという鳥は冬場に囀りはしませんが、決して無口な鳥ではありません。知らないで近づいたときに不意にケッと鳴いて飛び立ったり、何かを主張しているのか騒がしく鳴いていることも多いのです。そんな鳥に果たしてツグミなんて名前を付けるでしょうか? 名づけた人は余程ツグミを観察したことがないのでしょうか?
 一方で信憑性があると感じたのは、関東の方言でしゃがむことをつぐむといい、それに由来する、という説です。関東の方言でしゃがむことをつぐむというのか否かは知りませんが、ツグミは地面の上に直に降り立って、ちょっと嘴を上に向け、つんとした姿勢でいることが多い鳥です。広々とした地面に数羽が離れてポツンポツンと立ち尽くす鳥はそれほど多くありません。その姿を人がしゃがんでじっとしているように擬人化して見るのはそれほど無理がないように思えます。」

「しゃがむ」説を採る。かつて,「跳馬」(チョウマ)と呼ばれたのは,「ツグミ」の恰好であった。

「地面をはねるようにとんでエサをとる格好から」

名づけられた(https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1359.html)という由来から考えても,

セクグミ(跼)→スクミ(竦)→つぐみ,

の転訛がだとに思えるが。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)


ホームページ;
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ラベル: ツグミ
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2018年06月29日

ムクドリ


「ムクドリ」は,

椋鳥,

と当てる。

ムク,
白頭翁,

とも呼ぶそうだ。

Mukudori_05z4384cs.jpg

(ムクドリ(左が雄、右が雌)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%AAより)


「ムクドリ」の語源は,大別,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%AA

の言う,

「『群木鳥・群来鳥(ムレキドリ)』から転じたとする説と、椋の木の実を好むからとする説」

に分かれるようだ。『日本語源大辞典』は,諸説を,

椋の実を群れはむところから(滑稽雑談),
椋の気に棲むところから(本朝食鑑),
必ず群れてとぶところから,ムレキドリ(群木鳥)の義(俗語考),
ムレキドリ(群來鳥)の略転か(大言海),
ムクんだ鳥の義か(大言海),

と挙げる。さすがに『大言海』の,

「ムクみたる鳥の意か,又,羣來鳥(むれきどり)の略転か」

とする「むくみたる鳥」説は,『日本語源広辞典』が,

「身体がムクンダ鳥説(大言海)は疑問です」

という通り,ちょっと首を傾げたくなる。『日本語源広辞典』は,

「椋の実を好んで食べる鳥」

説を採る。『日本語の語源』は,

「ミクフ(実食ふ)木は,クフ[k(uf)u]の縮約でミク・ムク(椋)になった。〈大庭のムクの木を中に立て〉(平治)。椋の実を好んでついばむところから『椋鳥』の名がある。椋の実は小さいがあまく子供も好んで食べた」

とする。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/mu/mukudori.html

は,

「椋木( ムクノキ)の実を好んで食べることからというのが定説となっているが,ムクノキ以外の 種子や果実,昆虫なども食べる。ムクドリの特徴は,何万羽ともいわれる大群をつくって『リャーリャー』と鳴くところにあるため,『群木鳥(ムレキドリ)』もしくは『群來鳥(ムレキドリ)』の略転説がある。ムクドリを指す方言の『雲鳥(クモドリ)』は雲のように見える大群の鳥の意味から,『ムラ』『ムラドリ』が群れをなすところから,『ムクギ』『ムツキードリ』は『群來(鳥)』,『ムッツドリ』が『群集い』とすると,ムクドリの語源も『群れ』と考えるのが妥当である。」

と,「群れ」に着眼し,「群木鳥」系を採る。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%AA

には,

「日本の方言では、モクドリ、モク、モズ、クソモズ、モンズ、サクラモズ、ツグミ、ヤマスズメ、ナンブスズメ、ツガルスズメなど様々に呼ばれている。 秋田県の古い方言では、ムクドリのことを『もず』『もんず』と呼んでいる」

とあり,ここには,「群れ」も「椋」も関係なく,どこかに嘲りがある気がする。そのせいか,

ムクドリ,

には,

田舎から都へ来た者をあざけっていう,

という意味がある。『江戸語大辞典』には,

「江戸へ出てきた田舎者,またその嘲称」

とあり,さらに,

「椋鳥のように群れをなす人の形容」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%AA

には,

「江戸時代、江戸っ子は冬になったら集団で出稼ぎに江戸にやってくる奥羽や信濃からの出稼ぎ者を、やかましい田舎者の集団という意味合いで『椋鳥』と呼んで揶揄していた。俳人小林一茶は故郷信濃から江戸に向かう道中にその屈辱を受けて、『椋鳥と人に呼ばるる寒さかな』という俳句を残している。」

とある。まあ,たまさか江戸に生まれただけで,江戸ッ子などといって田舎者を嘲るのは,虎の意を借る狐に似て愚かしいが,その江戸ッ子の実態は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/436936674.html

で触れた。,「江戸ッ子」は,

「表通りには住んで いない。皆裏通りに住んでいた」

輩を指す。目くそ鼻くそである。

しかし,不思議と,「ムクドリ」は,文学には登場する(確か古井由にも『椋鳥』という作品があった)。「ムクドリ」の季語は,冬。

榎の実散るむくの羽音や朝あらし(松尾芭蕉)

といった句もあるとか。

やはり,「群れ」が目だったと考える方が自然かもしれない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2018年06月30日

シジュウカラ


「ジュウカラ」は,

四十雀,

と当てる。

白頬鳥,

とも。どこかで,「四十雀」は,

「スズメ(雀)よりも40倍の価値があるから」

という説を聞いたことがあるが,『大言海』には,

「雀,四十を,其の一鳥ら代ふる意と云ふ,或は云ふ,四十は,羣(むれ)る意なりと,或は云ふ,鳴く聲を,名とせるなりと」

ある。

Japanese_tit_in_Suita,_Osaka,_November_2016_-_683.jpg



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%AB%E3%83%A9

は,

「和名は鳴き声(地鳴き)に由来する。さえずりは甲高いよく通る声で『ツィピーツィピーツィピー』などと繰り返す。」

と鳴声説を採る。『日本語源広辞典』は,

「シジュウ(多く集まる)+から(鳴く鳥)」

としているが,よく意味が解らない。が,『日本語源大辞典』の,

四十カル(軽)の義。多く群れるところから・カルはカルク翻るところから(名言通),
四十は群がる意という(大言海),
雀四十を以てこの鳥一羽に代える意という(大言海),
鳴き声チンチンカラカラの略転(名語記),
鳴く声からという(大言海),
シジウと鳴くカラの意。カラはヤマガラのガラ,ツバクロのクロと同じで,小鳥全体の総称(野鳥雑記=柳田國男)

諸説から,「から」が小鳥の総称ということがわかる。

http://yaplog.jp/komawari/archive/619

によると,

「雀は、種スズメではなく、小鳥一般を示す言葉です。」

とあるから,「から」を,

雀,

と当てたのかもしれない。たとえば,「コガラ」は,小雀と当て,「ハシブトガラ」は,嘴太雀と当て,「ヤマガラ」は,山雀と当て,「ヒガラ」は「日雀」と当て,「ゴジュウカラ」は,五十雀と当てる。

800px-Poecile_varius_on_plate.JPG



「五十雀(ごじゅうから)」という名がある以上,そのことを合わせて説明しなくてはならないので,群がる,という説は少し説得力を失うだろう。しかし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/si/shijyuukara.html

は,

「平安時代には,『シジウカラメ』と呼ばれ,室町時代から『シジュウカラ』と略された。シジュウカラのさえずりは『ツツピーッツピー』,地鳴きが『チ・チュクジュク』と表されるので,『シジウ』は鳴声を表したものと考えられている。『カラ』はヤマガラの『カラ』や,ツバクラメ(ツバメ)の『クラ』と同じく,鳥類を表す語。『メ』は『群れ』の意味か,鳥を表す接尾語(というより,「カラメ」と「クラメ」は同じではあるまいか)。
 五十雀がいるせいか,四十雀の「四十」を『40羽』と考える説もある。ゴジュウカラはシジュウカラに似ているところから付いた名なので,五十雀の存在を考慮する必要はなく,四十は『シジウ』の音から当てられたと考えるのが妥当である。」

と言い切る。「シジュカラ」の語源は,鳴き声「シジウ」から来たとするのが妥当ではある。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/841789/26

に,

「鳴き声に由来する思しき命名の方言も実に多岐にわたり千差万別です。しーながら・しゅんしゅんがら・ししがら・四十がらがら、しんしんがら・しんじゅがら・しじうがら・すすんがら・すんすんがら・ちんちんからからetc.農林省農務局 編『類ノ方言』」

とあるのでなおさらである。しかし,である。「ゴジュウカラはシジュウカラに似ているところから付いた名」とは,ちょっと決めつけが過ぎまいか。

http://yaplog.jp/komawari/archive/619

は,

「『四十雀に似てるから』などといういいかげんなのもありますが、分類では別のグループです。
確かに両者の姿形は明らかに異なっています。動き方も、かなり違います。また、木を逆さまに降りられる生態は、ゴジュウカラに独自のものです。『木廻(きまわり)』とか『逆鉾(さかほこ)』など、行動をよく表した異名もありますけれども、やはりこの鳥の正しい名は、江戸のむかしからあくまでも『五十雀』でした。
図説 鳥名の由来辞典…に、…むかしは四十歳で初老、五十歳で老人であったので、ゴジュウカラの青みがかったグレーの羽を老人に見立てた」

としている。とすると,「シジュウカラ(四十雀)」と「ゴジュウカラ(五十雀)」の名の由来は,セットで考えなくてはならなくなる。

Sitta_europaea.jpg



さらに,

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018806/88

には,

「『その鳴声は「親死ね、子死ね、四十九日の餅を食ひたい」(静岡市)』
ここから『シジュークンチ』とも聞こえてくることから後方音を省いて『シジュー』+『雀(から)』になったとすると、五十雀のことを『きわまり』と呼ぶ理由とも繋がりそうです。数字では49の『極まり(=桁上がり)』が50だからです。

とあり,「シジュウカラ」と「ゴジュウカラ」は,対になって名づけられているとみていいのではあるまいか。芭蕉の句に,

「老いの名もありとも知らで四十雀」(続猿蓑)

とあるのも,そういう繋がりの中で詠むと,いっそう意味深い。なお,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%AB%E3%83%A9

に,

「総合研究大学院大学の研究で、シジュウカラが単語を組み合わせて文にし、仲間へ伝達する能力を持つことが明らかになった。研究では鳴き声の組み合わせを変えた時のシジュウカラの反応が異なるとされ、チンパンジーなど知能が高い一部の動物で異なる鳴き声を繋げる例は見られたが、語順を正確に理解し、音声を理解する能力は他に例が無く、言語学上重要な手掛かりとなると見られている。」

とあり,「シジュウカラ」の別の側面が見えてくる。ますます「シジュウカラ」と名づけた意味の奥行がのぞめるようだ。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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