2018年06月08日
やぶさか
「やぶさか」は,
吝か,
と当てる。「吝嗇」の「吝」の字である。今日,
やぶさかでない,
という言い回しで使う。
協力するに吝かではない,
といった場合,
…する努力を惜しまない,
喜んで…する,
と辞書には意味が載るが,本当にそうなら,まさに,「二つ返事」
http://ppnetwork.seesaa.net/article/450632554.html
で触れたように,
ためらうことなく,すぐ承諾する,
と言うはずで,
吝かではない,
という言い方には,どこか物惜しみする含意がなくはない。『日本語源広辞典』には,
「やぶさか(物惜しみする)+で+ない」
で,「少しも惜しまない」いとする。しかし,それならそうとはっきり言ってもらった方がいい。どこか奥歯に物の挟まったような言い方である。やはり,「やぶさか」の意味,
物惜しみするさま,けちなこと,
未練なさま,思い切りのわるいさま,
が翳を落としていると思う。それに当てた「吝」(リン)の字は,
「『文+口』。文は修飾を意味する。口先を飾って言い訳し,金品を手放さない意を示す。憐(レン 思い切り悪く,心を悩ます)ときわめて近い」
とある。「やぶさか」に当てたのは正鵠を射ている。
『笑える国語辞典』
https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%84/%E3%82%84%E3%81%B6%E3%81%95%E3%81%8B%E3%81%A7%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/
が言うように,
「困っている人を援助するとき、『吝かでない』『微力ながら』『陰ながら』などと、あまり積極的に人助けをしたくないようなことを言う日本人のために弁護しておくと、これらは自慢げに人助けをするべきではないという『陰徳(隠れてする善行)』の美学を表した言い方だと解釈することもできる。つまり、「たいしたことはできない」と言いつつ精一杯力を尽くすのがカッコいいと、われわれは考えているのである。」
という解釈も成り立つが,それなら,
微力ながら,お手伝いさせていただきます,
というだろう。それと,
吝かではない,
を同列には置けない。やはり,
「努力を惜しまない、喜んでするという意味。けち、出し惜しみすること、ためらうことという意味の『吝か』を否定したもの。『御社の再建にあたって協力するに吝かでない』『あなたの努力を認めることに吝かでない』などと用いるが、ほんとうに喜んで協力したり、認めたりしたいなら、『全面的に協力します』『喜んで認めます』とズバリ言うべきで、出し惜しみするとかためらうという意味の『吝か』を持ち出すのは、『ほんとうは吝かだけれども、タテマエ上言ってみました』的なホンネをのぞかせた言い方であると言えよう。」(『笑える国語辞典』)
といっている通りである。文化庁が発表した,平成25年度「国語に関する世論調査」では,
「協力を求められればやぶさかでない」を、本来の意味とされる「喜んでする」で使う人が33.8パーセント、本来の意味ではない「仕方なくする」で使う人が43.7パーセントと、逆転した結果が出ている,
とあるが,「吝かでない」の本来の意を汲んでいるといっていい。やりたければ,「微力ながら」とは言っても,「やぶさかではない」などと持って回った言い方はしまい。『実用日本語表現辞典』
https://www.weblio.jp/content/%E5%90%9D%E3%81%8B%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84
には,
「形容動詞『吝か(である)』の否定形で、多くの場合『やりたい』というおおむね積極的な意思を示す表現。
『吝か』は、それ自体『気が進まない』『気乗りしない』『あまりやりたくない』といった後ろ向きな気持ちを示す。これを『吝かではない』と、否定形によって表すことで、『やりたくないわけではない』、『やってもよい』、あるいは、『どちらかと言えばやりたい』、『むしろ喜んでする』といった肯定的・積極的な姿勢を婉曲的に表す。
『吝かではない』のように否定的表現を否定する修辞法は『緩叙法』とも呼ばれる。例えば『嫌いではない』(わりと好きだ)、『悪くない』(けっこう良いと思う)などのような表現でも緩叙法が用いられている。」
とある。ここから読めるのは,せいぜい,
やりたくないわけではない,
やってもよい,
という消極的な意思に思える。
『岩波古語辞典』には,
「論語建武本や文明本節用集にはヤブサカとあるが,名義抄にはヤフサガルとあり,鎌倉時代以降,清濁が写ったらしい」
とある。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ya/yabusaka.html
は,
「やぶさかは、平安時代の言葉で、物惜しみする 意味の動詞『やふさがる』,けちである意味の形容詞『やふさし』と同源と考えられている。鎌倉中期以降,『やふさがる』『やふさし』は用いられなくなり,『やふさ』に接尾語の『か』がついた『やふさか』『やっさか』という語が生まれたが,『やっさか』は消滅した。やがて『やふさか』の二音節が濁音化され,『やぶさか』となった。」
と,その経緯を詳説しているが,『日本語源大辞典』は,やはり,
「古く,『物惜しみする』『物語惜しい』の意味の動詞,形容詞形として,『やぶさがる『やふさし』があった。鎌倉中期以降,この両語があまり使われなくなって,かわって『やぶさか(なり)』という形容動詞形が発生した。
文明本節用集には『吝 ヤツサカナル』『吝 ヤブサカナラバ』の二形が併記されているが,これは,『やふさし』『やふさがる』の語幹『やふさ』に接尾語『か』が付いて,『やふさか』が成立し,それが一方で『ふ』が促音化して『やっさか』,一方で『ふ』が有声音化して『やぶさか』となったもの。このうち,『やっさか』は消滅し,現在は『やぶさか』のみが残る。」
とする。やはり,「やぶさか」の意味が翳を落としている。
さて,「やぶさか」の語源は,『大言海』は,
「破れ離(さか)る意かと云ふ」
とある。しかし,この語源も一筋縄ではいかない。
物を惜しんで人に与えずその仲が遠ざかるところからヤブリサガル(傷離)の義(名言通),
ヤブレサカル(破離)の義か(和訓栞・大言海)
イヤフサガル(弥塞)の義(東牖子),
藪険の義か(俚言集覧),
ヤヒナサカ(弥鄙性)の義(言元梯)
等々,いずれもいま一つである。『岩波古語辞典』は,「やふさがり」に,
慳り,
「やふさし」に,
慳し,
と当てる。しかし「やふさし」の古形は,
やひさし,
で,それは,
吝し,
と当てている。「慳」(漢音カン,呉音ケン)は,
「心+音符堅(かたい)」
で,心が妙にひねくれて堅いこと,である。けちの意味もあるが,どちらかというと,頑なという意味である。そこで,『大言海』の
「破れ離(さか)る意かと云ふ」
が思い起こされる。「離(さか)る」は,「サケ(離・避)の自動詞形」で,
遠くに離れる,
意である。「破る」は,
「固いもの,一つにまとまっているものなどの一部分を突いて傷つけ,その全体をこわす意。類義語ヤリ(破)は,布などの筋目を無視して引きちぎる意。サキ(割)は切れ目から全体を引き離す意」
とある(以上『岩波古語辞典』)。ここからは,推測になるが,「やふさがり」「やふさし」に,「慳」を当てたのは,物惜しみだけではなく,非協力な頑なさを評していたのではあるまいか。それに価値表現が強まり,物惜しみにシフトしていった,と。ま,臆説ではあるが。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95