2018年07月19日

かこつ


「かこつ」は,

託つ,
喞つ,

と当てる。

「無聊を託つ」

の「かこつ」である。「託」(タク)の字は,

「乇(タク)は,植物の種がひと所に定着して,芽をふいたさまを表す会意文字。ひと所に定着するという意味を含む。家を建ててそこに定住するのが宅(タク)である。託はそれを音符とし,言を加えた字で,言葉で頼んでひと所に預けて定着させること」

であり,「たよりにする「かこつける」「ことよせる」という意味である。「喞」(漢音ショク・シツ,呉音ソク・シチ)の字は,

「『口+音符即』。激しい鳴声を表す擬声語」

で,「喞喞(ショクショク,ソクソク)」で,虫などがちっちっとしきりに鳴く声で,そこから,嘆息の声の意。嘆く意から当てたのだろか。我が国だけの使い方である。

「かこつ」は,

他のせいにする,口実とする,
自分の境遇などを嘆く,愚痴をこぼす,

という意味になる(広辞苑)が,『岩波古語辞典』をみると,

口実とする,
相手に言いがかりをつけて責める,
相手に愚痴・不平を言う,
関係があるとして,相手に寄りかかって頼みとする,

という意味がある。これは,「かこつ」の由来に起因する。『岩波古語辞典』には,

「カコトの動詞化,相手に関係があるとして,自分の行為の口実にし,また相手に原因や責任をかぶせるように言うのが原義」

とある。「かこと」は,

託言,

と,『岩波古語辞典』にはあり,

「物事の原因・理由・責任を他人や他のことにかこつける言葉の意」

とあり,

言い訳,口実,
(関係ありとする)非難,言いがかり,
不平,愚痴,

の意味である。『大言海』は,「かこつ」を,

「假言(かこと)の末音を活用せしめたる語。独語(ことりごと)をヒトリゴツ,告言(のりごと)をノリゴツとする,同例」

としているが,「託言」(かごと)をみると,

「假言(かりごと)の略。誓詞(ちかひごと),ちかごと,同例」

としているので,『岩波古語辞典』と同じである。「かごと(託言)」の意味を,

かこつける言,

つまり,

言寄せる
何かのせいにする,
かずける,

のが原義で,転じて,

嘆き言う,
侘び思う,

と『大言海』がしているのが,意味の流れとして正確なのだろ。「假言」とは,

かずける,

つまり,

被ける,

人の頭に被らせる,

である。遅刻を電車の遅れに被けるみたいなものである。それは,「口実」であり,「嘆き」に転じても,どこか人のせいにしている含意が残る。

「かこつける」という言い方を,今日ではすることが多い。「かこつく」の口語である。『岩波古語辞典』は,

「カコチツケの略」とするが,『大言海』の,

假言(かごと)付くの略,

とするのと同じであると思われる。「志不可起」「亮々草子」も「假言付く」としているようだ(『日本語源大辞典』)し,『日本語源広辞典』も,

カコツ(仮言・託言)+クの下一段化」

と,ほぼ重なる。つまりは,「被ける」である。

こうみてみると,

無聊を託つ,

は,ただ嘆いているというよりは,無聊に託けて,何もしていない自分を言い訳している,という含意があるように思えてくる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2018年07月20日

かずける


「かずける」は,

被ける,

と当てる。この字の通り,本来は,

頭に被らせる,
祝儀や褒美として衣類を肩にかけさせる,

という意味だが,それをメタファに,

かこつける,
責任を他に負わせる,転嫁する,

といった意味になる。「被」(漢音ヒ,呉音ビ)の字は,

「皮は,獣皮を手で引き寄せてかぶろうとすることを示す会意文字。傾斜する意を含む。被は『衣+音符皮』で,衣をひきよせてかぶること」

とある。

https://okjiten.jp/kanji1251.html

によると,

「会意兼形声文字です(衤(衣)+皮)。『衣服のえりもと』の象形(『衣服』の意味)と『獣の皮を手ではぎとる』象形(『皮』の意味)から、『毛皮のように覆う夜着』、『着る』を意味する『被』という漢字が成り立ちました。」

と,若干ニュアンスは違うが,「かぶる」「着る」という意味ではある。

「かずける」は,「かづく(かずく)」(下二段)の口語,「かづく(かずく)」は,

被く,

と当てるが,『広辞苑』は,

「『潜(かず)く』と同源で,頭から水をかぶる意が原義,転じて,ものを自分の上にのせかぶる意」

とある。「かづく」は,「かずける」とほぼ同じ意味になる。『岩波古語辞典』も,

被くと潜くは同源,

とする。「潜く」の項で,

「頭にすっぽりかぶる意」

とし,

水にくぐる,
水にもぐって,貝・海藻などをとる,

という意が載る。『大言海』は,「かづく」で,

①(潜く)(自動詞(頭突[カブツ]くの約か)もぐる,潜りて探る,
②(潜く)①の他動詞化,潜かしむ,もぐらしむ,
③(被く)(①と同義。自他同活用の語なるべし。ひらく(開)などの例)頭に掩(おお)う,被る,
④(被く)(他動詞・下二,③の挙動を,他に施すなり,あむ,あむす(浴)と同趣)かぶらす,
⑤(仮託)④の転。かこつける,負はす,帰せしむ,

と,項を別に,意味の展開を具体的に示している。この説では,「かづく」は,

潜く→被く→仮託

と,意味を転じ,人にかぶせる意となっていく。

「かづき」(被)は,名詞として,

被り物,

の意だが,

被衣,

とも当て,

衣被(きぬかづき),

の意でも使われる。『岩波古語辞典』によると,「かづき」は,

「室町時代頃から,『かつぎ』へと移りはじめたらしい」

とあり,『日葡辞典』には,

「カツギ,よりよくはカヅキ」

とあるとする。したがって,「衣被」も,

きぬかづき→きぬかつぎ,

と転じる。

で,「かづく」の語源は,「被く」が「潜く」から来たとすると,「潜く」の語原を探ればいいのだろが,『日本語源大辞典』には,両者の関係抜きで,それぞれの語源を,次のように挙げている。

まず「潜(かづ)く」は,

カブツク(頭突)の約か(大言海),
頭をツキイル(衝入)の意(雅言考・俗語考・和訓栞),
ヌカツク(額突)の上略(和訓栞増補),
水ヲ-カヅク(被)義か(俚言集覧),
カブリツクの約。カブルは水をカブル意(和訓集説),
カミツク(上着)の義(名言通),

「被(かづ)く」は,

上から被う意のカヅク(頭附)(国語の語根とその分類=大島正健),
カはカシラ(頭),カミ(髪)の原語。頭部を着くという義(日本古語大辞典=松岡静雄),

とある。しかし,「潜る」意の「かづく」から転じて,「被る」意の「被く」となったとするなら,

カブツク(頭突)の約か,
頭をツキイル(衝入)の意,

が自然に思えるのだが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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書評
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ラベル:かずける 被ける
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2018年07月21日

ぬかずく


「ぬかず(づ)く」は,昨今ではあまり使わないが,

額衝く,
叩頭く,

などと当てる。

「額(ぬか)を突く意」

と『広辞苑』にあり,

ひたいを地につけて拝礼する,丁寧にお辞儀する,

という意味である。「ぬか(額)」は,

ひたい,

の意だが,『岩波古語辞典』には,

「平安時代以後は,『ぬかをつく』などと区別の場合を除き,もっぱら『ひたひ』という」

とあるので,「ぬかづく」以外では,「額」を「ぬか」とは呼ばなくなって久しいようだ。「ぬかづきむし(叩頭虫)」は,今日の,

コメツキムシ,

の意だが,こういう形で残ったらしい。『大辞林』には,

〔古くは『ぬかつく』と清音か〕」

とあるが,『日本語源広辞典』は,

「ヌカ(額)+付く」

だから,この場合だと,

額を地に付ける,

になる。『大言海』の,

額を地に突く,

のと何れであろうか。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/nu/nukazuku.html

は,

「ぬかずくは、『額(ぬか)+突く( つく)』の語構成。『ぬか』は『ひたい』と同義語だが、礼拝の意味でも使われる語であった 。『つく』は地面に突き当てる意味で、ぬかずくは礼拝を強めた表現、もしくは実際に地面に固体をつけた礼拝のことである。古くは『ぬかつく』と清音だったとされ、『万葉集』にも『ぬかつく』の例がみられる。ただし、平安中期には『ぬかをつく』という表現もあり、『ぬかつく』と一語化されるのはそれより遅い時期と考えられる。濁音化された『ぬかづく(ぬかずく)』の形は、『文明本節用集』や『日葡辞典』などに見られ,室町以降に濁音化された可能性が高い。」

とあり,

額+突く,

を採る。『日本語源大辞典』も,同趣のことを述べていて,

「『観智院本名義抄』の『叩頭虫』の訓『ヌカツキムシ』は『ツ』に点が一つ打たれており濁音を表す双点(点二つ)とは区別されるので,古くは清音であったと考えられる。ところが『文明本節用集』や『日葡辞典』では濁音になってり,室町期以降に濁音化したらしい。」

とし,さらに,

「古くは『ぬか』だけで礼拝の意味があったらしい。また『ぬかをつく』という表現も『三宝絵詞』などにみられ,平安中期でも動詞として必ずしも熟していなかったようである。」

とする。「ぬか」だけで礼拝の意味があったとすると,

額を付く,

ではなく,

額を突く,

でないと,「ぬかづく」の原意は出てこないのではあるまいか。しかし,それはあくまで漢字に依るもので,「つく」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/448009954.html

で触れたように,おおまかに,「つく」は,

「付く・附く・着く・就く・即く」系,

「突く・衝く・撞く(・搗く・舂く・築く)」系,

とに使い分けている。しかし,語源を調べると,「突く・衝く・撞く」系の,「突く」も,

付く,

に行き着くようだ。『日本語源広辞典』によると,「突く」は,

ツク(付・着)と同源,

とあるので,

付(着)く,

に行きつく。語感の差は,漢字から来ているだけかもしれない。大勢は,

額突,
額衝,
額付,

の差はあるが,ほとんどこの説に収斂する(万葉代匠記・塩尻・和字正濫鈔・万葉集類林・箋注和名抄・言元梯・名言通・大言海)。異説は,

ヌはめぐらす義,カはカシラの義,ヌカヅクは頭をめぐらして,地にツクの義(仙覚抄),

である。どうやら,

額+つく(突・衝・付),

でいいようである。では「ぬか」は,何から由来したのか。

『大言海』は,

「人の相逢ふ,先ず其額を見る。向(むか)に通じるか」

とするが,如何であろうか。しかし,『日本語源大辞典』を見ると,

ムカ(向)の義(円珠庵雑記・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・大言海),

と,結構多数派である。その他,

ナカ(平所)の義(言元梯),
ヌク(抜)と同語。額面の抜け出た所の意(日本古語大辞典=松岡静雄),

がある。どれも,ちょっと惹かれないが,この中から選択するとすると,

抜く,

かもしれない。意味は,「ムカ」と似ているが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)


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コトバの辞典;
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2018年07月22日

ぬか


「ぬか」は,

糠,

と当てる。穀物,特に玄米を精白した際に出る果皮,種皮,胚芽などの粉状のものを指す。細かなそれをメタファに,ある語に冠して,「細かい」「頼りない」「はかかない」等々の意を表す,

(粉)糠雨,
糠喜び,

等々といった使い方をする。「糠」(コウ)の字は,

「庚(コウ)は,かたいしん棒を描いた象形文字。かたく張る意を含む。康(コウ)は『米+音符庚』からなり,穀物のかたいから。糠は『米+康』。」

とあり,穀物の外皮,さらにぬかの意。「糠」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%A0

には,

「日本では合成洗剤が普及するまで、米糠は洗剤としても広く用いられていた。米糠に含まれるγグロブリンというタンパク質が界面活性剤の役割を果たしているとされている。布袋に包んで、柱や床を磨き上げるなどの掃除にも利用された。」

とある。

第2回の3喜多川歌麿娘日時計午ノ刻.jpg

(「娘日時計 午(ま)ノ刻」喜多川歌麿(寛政6年~7年頃)口に銜えているのは、石鹸代りの糠袋http://www.emuseum.jp/detail/100298/000/000より)


『大言海』には,

「脱皮(ぬけがは)の略と云ふ」

とある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/nu/nuka.html

も,同じく,

「ヌケカハ(脱皮)」の意味であろう。 『和名抄』にも『糠 米皮也』とあるように、玄米が皮を 覆った米とするならば、精米は皮が脱がされたもので、糠は脱がされた皮にあたる。 」

とある。『日本語源大辞典』も,

ヌケカハ(脱皮)の義(箋注和名抄・名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子。国語の語根とその分類=大島正健・大言海),
ヌケカハの反(名語記),
ヌギカハの略(本朝辞源=宇田甘冥)
米のヌケガラの義(和句解・日本釈名),

と概ね「ヌケカワ」説である。『日本語源広辞典』は,「ヌケカハ」説ながら,「ヌカ」の「カ」について,

「ヌカの語源は,ヌケカハが,ヌカハ,ヌカと音韻変化したものです。ヌは,脱穀の意のヌですが,カを皮とみるか,離ルノカとみるか,二説あります。」

とし,

「説1は,『ヌ(脱ぐ)+カ(皮)』で,脱穀させたあとの,ヌケカワ説です。説2は,『ヌ(脱ぐ)+カ(離る)』で,籾のち,穀粒と離されたものというヌカ説です。農民は,コヌカ(粉+糠)―玄米の皮,外胚皮などが砕けて粉になったコメヌカ(米+糠)と,モミヌカ(籾+糠)―モミガラ(籾+穀)と区別しています。」

とするが,ここでは,前者の「コヌカ」を問題にしているので,この説明は,あまり意味がない。結局,「カ」は,いずれとも決めていないが,普通に考えれば,

ヌ(脱ぐ)+カ(皮),

ではあるまいか。

因みに,「糠喜び(ぬかよろこび)」は,

当てが外れて喜びが無駄になる,

意だが,『語源由来辞典』は,

http://gogen-allguide.com/nu/nukayorokobi.html

「ぬか喜びの『ぬか』は,玄米を精白する時に生じる種皮や胚芽の粉末の『糠』のこと。『糠』はその形状から,近世頃より『細かい』『ちっぽけな』といった意味で用いられるようになり,『糠雨(ぬかあめ)』や『糠星(ぬかぼし)』という言葉にも使われている。さらに、『糠』が『小さい』の意味から派生し,『はかない』『頼りない』などの意味を持つようになり,はかない喜びを『ぬか喜び』というようになった。」

とある。しかし,個人的にはどうも精米するときの飛び散るイメージから来ているように思えてならない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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書評
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ラベル:糠雨 ぬか 糠喜び
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2018年07月23日

主君「押込」


笠谷和比古『主君「押込」の構造―近世大名と家臣団』を読む。

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本書のテーマは,

「近世の大名諸家でおきた主君『押込』の問題である。」

主君「押込」は,例外的な行為ではなく,慣行として行われてきたことを,本書は明らかにしていく。

歌舞伎の「伽羅先代萩」ではないが,時代劇の伊達騒動や黒田騒動といったお家騒動は,大概,主君と対立する重臣層は,悪役と相場は決まっている。しかし,本書は,そうして培われてきたわれわれのイメージを一新したことで,有名である。それどころか,家臣団による,主君「押込」は,

「悪逆行為などではなく,それ自体は正当な行為としてこの社会(つまり江戸期の武家社会)では広く認知されていた事実」

を,本書は明らかにしている。しかし,問題の性格上,

「主君『押込』問題なるものは,それが発生したにしても,大名家の公式記録にその次第が明記されることはまずない」

ので,あくまで一次史料をもとに検討を加えていくが,

「もとより事件のアウトラインをつかむためには第二次的な史料,即ち後の時代に,第三者の手で,単なる風聞に基づいて,記されたようなタイプの史料にもよらねばならないであろう。しかしその場合でも,それが第一次史料によって裏付けられる,ないし強い示唆を与えられている場合にはじめて,その記述を信憑性のあるものとして受け入れていくことにしよう。」

との方針で,本書では,

宝暦・明和の蜂須賀家の事件,
宝暦元年の岡崎水野家事件,
宝暦四年旗本嶋田家事件,
宝暦五年加納安藤家事件,
正保三年古田騒動,
万治三年伊達綱宗隠居騒動,
元禄八年丸岡本多騒動,
宝暦七年秋田騒動,
安永九年上山松平家の内訌,
文久元年黒羽大関家事件,

等々を取り上げている。しかし,あるいは,表面化しないものの,前藩主隠居,家督相続されている事例の中にも,家臣団による「主君『押込』」が隠されているかもしれないと思わせるところがある。

さて,蜂須賀十代当主重喜を廻る案件は,末後養子として佐竹家から迎えられた重喜が,

「根本的に旧例や家格秩序に拘束されない,合理的な役職制度」

を目指とた新法「役席役高の制」を導入し,

「家格基準の秩序体系を役職を中心とするものに組み替え,同時に少録下位家格の者に,高級役職への就任機会を与えようとする」

ことを目指し,仕置家老を失脚させ,自分を「押込隠居」させようとした三家老を閉門に追い込み,ついに,

「主君の意のままに任免可能な自由な官僚制」

を実現し,

「旧例にも家格秩序にも身分特権を有する勢力の意向にも制約されず,主君の意思がそのまま藩という政治機構の意思に転化しうるような政治体制,すなわち,『専制』」

形成するに至る。一方で,倹約令,備荒貯穀倉の設立,放鷹地の開墾,藍玉専売等々を実施し,自らは,領内に豪奢な別荘を造営する。しかし,その時点で幕府が介入し,隠居命令を出す。そこに,

「養子之事ニ茂候得ば,養家江対し旁不慎成儀ニ思召候,依之隠居被仰付之」

とある。ここにあるのは,

「家老層の勢力が安定的に存在する一般的な状態の下では,主君はその権威と権力をもってしても容易には専制的権力行使がなしえない」

主君「専制」を暴政と見做して容認しない姿勢である。

藩内の家老を中心とする政治体制には,それを必然とする背景がある。ひとつには,

「近世初期の主君親裁ないし主君独裁体制なるものは,その仕置きの内容が,後の時代に見られるような全体としての藩政の内実をもたず,精々主君の蔵入地の差配と,それに基づく財政運営を対象とするような段階の政治形態であった…。それがいわゆる藩政の確立と共に,家臣団の給地も一元的に統合されて藩領の全体性の中に包摂され,年貢収取・治水・開発・勧農・救恤・治安・裁判等の全般滝なった行政が,この藩全体に押し及ばされ,他方では家臣団の封禄支給も実質的に藩財政の一環に組み込まれていくような段階に至ると,(知行地の多い)外様大身の重臣を含む家臣団の総体が藩政の運営・決定に参与していくことになるのである。
 だから家老政治とは,このような一元的な藩政の必然的な産物だと見ることができる…。」

しかも,第二に,この大身の家臣たちは,たとえば,黒田長政が遺言で,

「武功有ル家来共ヲモソコナヒ不申」

と言い残しているように,家禄とは,

「単なる封禄ではなく先祖の武功に基礎をぐ封禄であるとされる。即ち,勲功ある家臣の家にとっては知行・家禄は当然の権利」

なのである。今日の藩を作り上げたのは,藩主のみではなく,家臣の武功に依っているからである。だから,長政は,遺言で,

「子孫ニ至リ,不義放逸ヲ専トシテ,諌ヲ聞入ズ,自由ヲ働キ掟ヲ守ラズ,ミダリニ財宝ヲ費スモノアラバ,家老中申合セ,其者ヲ退ケ,子孫ノ中ヨリ人柄ヲ撰ビテ主君トシ,国家ヲ相続セシムベシ」

と書かしめている。この考え方は,君主ではなく,「御家」に忠誠の対象としていくことを反映している。幕府の『東照宮御遺訓』には,

「将軍の政道その理にかなはず,億兆の民艱困することもあらんには,誰にてもその任にかはるべし,天下は一人の天下にあらず,天下の天下なり」

ということを「家康が語ったと信じられていた」という時代的な背景がある。

こうしたことを背景として,主君「押込」行為が,

「規範的な意味においても正当ものとしての地位を獲得し,近世秩序の一方の柱をなすものとして成長していく過程」

で,手続き,型式が明確になって,制度的に安定していく。それは,

家老・重臣層の合意形成,
親類大名の諒承取り付け,
幕府の内意,

であり,それを以て「押込」が執行される。その限りでないと,例えば,安藤家事件で,家老に死罪を申し渡した書面で,幕府は,

「其方儀,主人對馬守不身持に候はば幾度も諫言を可加之処,等閑に取計,心底を不尽蟄居致させ,」

と,重ねての諫言もせぬことを咎めている。「主君『押込』」は,諫言の延長線上の行為とみなされているのである。

参考文献;
笠谷和比古『主君「押込」の構造―近世大名と家臣団』(平凡社選書)

ホームページ;
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コトバの辞典;
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スキル事典;
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2018年07月24日

ほむら


「ほむら」は,

焔,
炎,

と当てる。「炎」(エン)の字は,

「『火+火』で,盛んに燃えるさまを示す。談・啖・淡などの音符としては,タンと読むことがある。」

とある(『漢字源』)。

k-1340.gif



「焔(焰)」(エン)の字は,

「臽は穴にはまる意をあらわすが,ここでは単に音符で,元の意味は関係ない」

というしかないが(『漢字源』),

https://okjiten.jp/kanji2294.html

には,

「会意兼形声文字です(火+臽)。『燃え立つ炎』の象形(『火』の意味)と『人が落とし穴に落ちた』象形(『落ちる、落とす』の意味)から、火が落ちる事を意味し、そこから、『火が少し燃え上がるさま』を意味する『焰』という漢字が成り立ちました。」

とある。

k-2294.gif


「焔」「炎」いずれも,「ほのお」の意味である。

『広辞苑』『デジタル大辞泉』は「ほむら」の項で,

「火群(ほむら)の意」

としている。

The_flame_of_wisdom.jpg

(蝋燭の炎 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%8Eより)


「ほ(火)」は,

「ひの古形,他の語を伴って複合語をつくる」

とある。「火影(ほかげ)」「火口(ほぐち)」「火屋(ほや)」「火筒(ほづつ)」「火 垂 (ほたる) 」等々。「ほむら」は,単なる火ではない。

火の群れ,

である。だから,「ほむら」は,メタファとして,

怒り,怨み,嫉妬の燃え立つ,

意としても使われる。「炎」は,また,

ほのお,

とも訓ませるが,語感としては,「ほのお」より大きく盛んな感じである。「ほのお」は,

「火の穂」

と,『広辞苑』にはある(『大言海』『日本語源広辞典』も)。『日本語源大辞典』には,

「キ(木)に対して複合語に表れる「コ」(木だち,木の葉)と平行的関係のもの」

とある。「ほのお」は,単に「火の穂」を示していて,ここには,状態表現しかない。「ほむら」となると,そこに価値表現が加味されている気がする。

そして,この「ほ」(火)は,

穂,

にも通じる。「ほ(穂)」について,『日本語源広辞典』は,

「抜きん出ているもの」

の意とし,火の穂,稲の穂の意とし,『大言海』は,

「秀(ほ)の義,分明にあらわるるより云ふ」

とある。際立つ,という含意であろうか。『日本語源大辞典』には,「穂」を,

火の義,穂の出始める色が赤いところから(和訓栞・柴門和語類集・言葉の根しらべの=鈴木潔子),

とする説もある。「穂」「火」は漢字でしかない。「ほ」は,穂でもあり,火でもあり,秀でもあった。『岩波古語辞典』は,「ほ」の字に,

穂,
秀,

であった。際立ち,抜きん出る物を指していたと見ていい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ほむら
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2018年07月25日

はづき


「はづき」は,

葉月,

陰暦八月の意である。仲秋である。

五節句之内%E3%80%80葉月.jpg

(歌川芳虎 五節句之内 葉月 http://ukiyoe.yamabosi.jp/?p=23452より)


「古くはハツキと清音」

とある(『広辞苑』)。『岩波古語辞典』には,「はつき」で載り,

「八月,ハツキ」(色葉字類抄)
「葉月,ハツキ,八月の異名」(伊京集)

を引く。

https://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%88

には,八月の異名が,

秋風月(あきかぜづき),
雁来月(かりきづき),
観月(かんげつ),
建酉月(けんゆうげつ),
木染月(こぞめつき),
壮月(そうげつ),
竹春(ちくしゅん),
仲秋(ちゅうしゅう),
月見月(つきみつき),
燕去月(つばめさりづき),
紅染月(べにそめづき),
月見月(つきみづき),

等々と載る。まさに,新暦九月のイメージである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%88

は,葉月の由来を,

「木の葉が紅葉して落ちる月『葉落ち月』『葉月』であるという説が有名である。他には、稲の穂が張る『穂張り月(ほはりづき)』という説や、雁が初めて来る『初来月(はつきづき)』という説、南方からの台風が多く来る『南風月(はえづき)』という説などがある。」

と併記にとどめる。たしかに,「葉落ち月」系の説が目につき,たとえば,

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/saijiki/hatuki.html

は,

「平安末の藤原清輔著『奥義抄』は『木の葉もみぢて落つるゆゑに葉落ち月といふをあやまれり』とし、『葉落ち月』を略したものと古人は考えていたようだ。『はつき』を『葉尽き』の掛詞としている歌が幾つか見えることも、この語源説の補強材料になるだろうか。
もとより全般として落葉が本格化するのは晩秋からであるが、桜の葉などはこの時期すでに色づいており、散り始める樹も少なくない。陰暦八月頃は、古人にとって殊更木の葉に注意が向く時節だったのだろう。
室町初期の成立と推測されている歌集『蔵玉集』には、八月の異名として『秋風月』『月見月』『紅染こぞめ月』の三つを挙げている。」

歌人の感性は感性として,語源とはなり得まい。ただ,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ha/hazuki.html

が,

「葉月の語源は、新暦では九月上旬から十月上旬の秋にあたるため、葉の落ちる月『葉 落ち月』が転じて『葉月』になったとする説。 北方から初めて雁が来る月なので、『初来月』『初月』から『葉月』になったとする説。稲の穂が張る月『穂張り月』『張り月』から、『葉月』になったとする説がある。「葉落ち月」の説が有力にも思えるが、必ずしも漢字が そのまま残るとは限らず、当て字の可能性もあるため、正確な語源は未詳。」

というように,「葉月」は当て字なので,この字から由来を推測するのは,いささか危うい。『大言海』は,

「稲穂の發月(はりづき)の意と云ふ,或は云ふ,葉落月の意なりと,いかがか」

と決定を避けているが,「いかがか」は,後者の説に向けているように思われる。『大言海』は,これまで,十二月(しわす)から七月(ふづき)まで,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455892480.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/455932349.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/456805354.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/457607450.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/457762501.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/458763376.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/459166730.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/459184411.html

一貫して,農事と関わらせて「月名」の由来を説いてきた。ただ葉が落散る月は,ありえるのかという含意と見る。和訓栞に,

「はづき,八月を云ふ。葉月の義。黄葉の時に及ぶを云ふめり,西土にも葉月の名あり」

を意識したのかもしれない。『日本語源広辞典』は,「發月」説を採る。

「『稲の穂の張る月。充実する月。つまり,発月(ハリツキ)』が語源と考えます。『稲ばらみの果てる月』ともとれますが,果て月は縁起が悪いので語源となりにくいと考えます」

と。僕も,農事と関わるという意味で,この説に与したい。

『日本語源大辞典』は,例によって諸説挙げている。

ハオチ(葉落)月の略(奥義抄・和爾雅・日本釈名・菊池俗語考・紫門和語類集・大言海),
ホハリ(穂発・穂張)月の義。稲の穂をはる月の意(語意考・古事記伝・百草露・古今要覧稿・日本語原学=林甕臣・大言海),
ハナヅキの略。初稲の花の月の義(兎園小説外集),
ハはハシキのハ。稲の實が端に現れる月の意(嚶々筆語),
初雁の来る月であるところからハツキ(初來)の義(滑稽雑誌・類聚名物考),
ハジメノツキ(初月)の略(和語私臆鈔),

等々。農事にかかわる意味では,

ハナヅキの略,
ハはハシキのハ,

もあるかもしれない。しかし,『日本語の語源』は,

「ハチヅキ(八月)-ハヅキ(葉月)」

と,珍しく滑っている。八月だけが「八」を言う意味がはっきりしなければ,意味のない説に思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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スキル事典;
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2018年07月26日

外部


柄谷行人『探求Ⅱ』を読む。

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『探求Ⅰ』では,他者を問題にした。

「この私と他の私とが同一ではなく,また同一の規則体系にも属さないような条件を考察し,それを『売る-買う』や『教える-学ぶ』といった非対称的なコミュニケーションの関係に求めた」

つまり,「言語ゲーム」を共有しない他者である。本書では,実は,そういう他者との関係に視点を当てる。「あとがき」で,

「問いつづけてきたのは。『間』あるいは『外部』において生きることの条件と根拠」

と書く。それは,

「理論の問題ではなく生きることの問題」

とし,本書では,それを,

超越論的,

という言葉で表現する。

「超越論的主観とは,外部的であろうとする“態度” そのものなのだ」

と。

「《超越論的》ということは,…外部的であることだが,しかし,それは実際に共同体の外にあったりそれを超越していることを意味するのではない。共同体を超越して世界一般について考えることが,まさに共同体の内部に在ることなのだ。
 超越論的自己は,したがって自己意識ではない。自己意識は,たしかに自分の属している世界をこえる。しかし,それは反省にすぎず,つまり鏡像の中にあるにすぎない。したがって,《超越論的》であることは,たんに自己関係(自己言及)的であるのではなく,共同的なシステムに対して自己関係的であるのでなければならない。」

「あるシステムに対して自己関係的であり,そのかぎりで外部的であることを意味している。」

だから,もちろん「自らをメタ(超越的)レベルにおくのではない」。

「私は,超越論的ということを,自己意識の構造や自我の統一などといった問題に限定しないで,われわれが経験的に自明且つ自然であると思っていることをカッコにいれ,そのような思い込みを可能にしている諸条件を吟味(批判)することだという意味で考える。」

「さらに重要なことは,私という主体はないと言うこと,ランボー流にいえば,『私とは他者だ』と言うことが,それ自体超越論的な主体によって可能だということである。
 そのような主体が在るというならば,それはただちに経験的な主体になってしまう。あるいは超越的な主体になってしまう。超越論的主体は,世界を構成する主体=主観ではなく,そのような世界の外部に立とうとする実践的な主体性においてしかないのである。」

その出発点は,

単独性,

である。「この私」「この物」の「この」である。それは,

個体の特殊性,

とは異なる。

「主観は『この私』ではない。主観とは誰にでも妥当するものだ。事実,『私』という主体(主観)は,言語の習得のなかで形成されるものであり,それはもともと『共同主観的』である。いいかえれば,『私』という類の特殊でしかない。しかし,単独性としての『この私』は,そのような主観ではない。(中略)この私は,この物やこの他者との関係においてしかあり得ないのである。私も他者も物もあるが,この私・この他者・この世界が存在しないような世界は分裂病的である。」

それは,

固有名,

にも通じる。

「固有名は外国語のみならず自国語においても翻訳されない。つまり,それは一つの差異体系(ラング)のなかに吸収されないのである。その意味で,固有名は言語のなかでの外部性としてある。」

そこで,デカルトの「コギト」が改めて問い直される。

「『コギト』がたんに『思惟』することではなく,それまでの“慣習”(システム)のなかでの思惟をすべてカッコにいれることを意味するからであり,(中略)『私が考える』が“慣習”にすぎないのではないかと疑うことにしかない。つまり,この疑うことそれ自体が“精神”の証明なのである。
 デカルトによる“精神”の論証は,読者に“精神”を要求する。彼は,自分の論証は,『先入見からまったく解放せられたる精神を,自分自身を感覚との交わりから容易にたち切ることのできる精神を要求する』といっている(『省察』)。デカルトがいいたいのは,われわれが心をもち意識をもつといったことは“精神”の証明にはならないということだ。そのような意識または自己意識は,いわば“身体”なのだ。」

その「精神」は,システムの外に立つことを要求する。このデカルトの方法が,

超越論的,

なのである。ただし,それは,

「上方や下方に向かうことではない。それはいわば横に出ることだ。…デカルトの『方法的懐疑』が,もはやどんな立場でもありえない立場,《外部性》としての立場においてのみ可能である」

その意とすることは,内省(自己対象化)やメタ化(超越的)ではない。

「われわれが『思惟』とよんだり『内面』とよんでいるものは,社会的な“慣習(言語ゲーム)”にすぎない。『私は考える』は,少しも私的ではない。内的なものは,徹頭徹尾社会的(制度的)である。それはデカルトのいう“身体”であって,“精神”ではない。」

このデカルトのコギトが「一般的な私(主観)ではなく」外部性,単独性,言い換えると,超越論的な立場に立つ。そこで,『探求Ⅰ』のソクラテスの対話に,戻ってくる。

「ソクラテスが提出したのは,世界や自己に理性が内在するという考え方ではなく,『対話』を通過したものだけが理性的だという考え方である。」

それは外部,他者との対話である。フロイトの精神分析に,著者は同じ対話を見る。

「精神分析は『対話』でなければならない。(中略)フロイトは,いわばソクラテス…の斥けた他者を,『対話』の場に連れこんだ。(中略)しかし,そのとき,彼はけっして対話に入らない者たちを見出したのである。(中略)分裂病者は,感情転移してこない。彼らは《他者》である。そのとき,彼らを『ナルシズム神経症』とよぶのは,本来感情転移(同一化)するはずの者がそれを拒否して背を向けたというのにひとしい。それは,他者の超越性(外部性)を,内在化することである。他者の外部性をみとめるかわりに,それを内部からの脱落者(退行者)とみなすのである。(中略)リビドーし,感情転移関係においてのみ根拠をもつ概念であり,しかるに分裂病者が感情転移してこないとすれば,フロイトはどちらかを選択しなければならない。つまり,リビドー理論を貫徹すれば,分裂病を退行とみなければならず,分裂病者を他者と見れば,リビドー理論を放棄しなければならないのである。だが,フロイトはこの選択を強いる『境界』に立ちつづけたようにみえる。ユング派も,反精神医学も,それぞれ違った意味においてだが,フロイトを批判すると同時に,彼が見出した『境界』そのものを洗い流してしまったのである。」

こういう姿勢を,

超越論的,

というのであろう。

「理論の問題ではなく生きることの問題」

とはこのことであろう。それは,是非はともかく,ある意味で,本書は,予言になっている。今日のわれわれほど,超越論的であることが必要なのである。

「特に日本において支配的なデカルト的な主体への批判は,一つには,主-客分離をこえて主-客合一の境地へ至るというような類のものである。そして,西洋における『主体』批判の言説がそこに援用される。しかし,それは個としての私を,たえず共同体の中に回帰させようとする支配的な言説(文法)に強制されているのではないか,と疑ってみることができる。そのように疑う私が,いわば超越論的なった自己である。それは個としての私ではなく,外部性・単独性としての私である。」

そういう超越論的なった立場こそが,今日こそ求められる。知的退廃とは,主-客合一の圧力である。類(一般性)に呑みこまれる個(特殊性)ではなく,その外に立ち,超越論的なった立場に立つ「この私」という単独性なのである。

参考文献;
柄谷行人『探求Ⅱ』(講談社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2018年07月27日

ながつき


「ながつき」は,

長月,

と当て,

ながづき,

とも言った(『広辞苑』)。旧暦九月の異称である。

SC20199.jpg

(歌川豊広「重陽の節句」https://www.mfa.org/collections/object/chrysanthemum-festival-26597より)

「ながつき」の異称には,

https://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%88

に,

彩月(いろどりづき),
祝月(いわいづき),
詠月(えいげつ),
菊開月(きくさきづき),
菊月(きくづき),
晩秋(くれのあき),
玄月(げんげつ),
建戌月(けんじゅつづき),
青女月(せいじょづき),
竹酔月(ちくすいづき),
寝覚月(ねざめづき),
晩秋(ばんしゅう),
暮秋(ぼしゅう),
紅葉月(もみじづき),
稲刈月(いなかりつき),

等々新暦10月頃の季節感と合う。『岩波古語辞典』には,

「玄月,ナガヅキ」(伊京集)

が載り,

「後世ナガヅキとも」

とあるので,「ながつき」と訓むのが古いようである。多くは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%88

のように,

「長月の由来は、『夜長月(よながつき)』の略であるとする説が最も有力である。他に、『稲刈月(いねかりづき)』が『ねかづき』となり『ながつき』となったという説、『稲熟月(いねあがりづき)』が略されたものという説がある。また、「寝覚月(ねざめつき)」の別名もある。」

と,「夜長月」を有力とし,『日本語の語源』も,

「ヨナガツキ(夜長月)」

を採る。また『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/na/nagatsuki.html

も,

「語源は諸説あり、新暦の十月上旬から十一月の上旬にあたり、夜がだんだん長くなる『夜長月(よながつき)』の略とする説。その他、雨が多く降る時季であるため、『長雨月(ながめつき)』からとする説。『稲刈月(いなかりづき)』『稲熟月(いなあがりつき)』『穂長月(ほながつき)』の約や、稲を刈り収める時期のため、『長』は稲が毎年実ることを祝う意味からといった説。『名残月(なごりづき)』が転じたとする説などがある。この中でも、『夜長月』の略とする説は、中古より広く信じられている説で最も有力とされている。」

と,「夜長月」を採る。しかし「長月」は当て字である。当てられた字からの解釈は,ほぼ意味がない。「師走」から順次見てきたが,ほぼ農事と関わらせている。秋の夜長を楽しむとは,後世の,歌人の思い入れではあるまいか。『大言海』は,

「稲熟(いなあがり)月の約かと云ふ。夜長月はいかがか」

と,夜長月に疑問を投げかける。『大言海』は,これまで,十二月(しわす)から八月(はづき)まで,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/455892480.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/455932349.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/456805354.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/457607450.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/457762501.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/458763376.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/459166730.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/459184411.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/460695958.html?1532460043

と一貫して,農事と関わらせて「月名」の由来を説いてきた。それが正しいと,僕は思う。『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「夜+長月」。夜の長い月,
説2は,「稲熟月(イネアガリツキ)」

を挙げ,「イネアガリツキ」という大言海説は,

「イネアガルという用例が少ないのが難点であり,疑問」

とする。しかし,それなら,当て字にすぎない「長月」から,「夜長月」と考えるのも,因果が逆立ちしているのではあるまいか。『日本語源大辞典』は,

ヨナガツキ(夜長月)の略(奥義抄・和爾雅・日本釈名・類聚名物考・古今要覧稿・菊池俗語考・紫門和語類集),
イナカリツキ(稲刈月)の略(語意考・兎園小説外集・百草露・日本語原学=林甕臣),
イナアガリツキ(稲熟月)の約か(古事記伝・大言海),
ナガ(長)は稲の毎年実るを祝う意で,稲を刈り収めるときであるところから(嚶々筆語),
ナコリノツキ(名残月)の略(和語私臆鈔),

等々と挙げた上で,

「語源はあきらかでない。『拾遺-雑下』に,『夜昼の数はみそぢにあまらぬをなど長月といひはじめむけむ』『秋深み恋する人のあかしかね夜を長月といふにやあるらん』とした,伊衡と躬恒との問答の歌があり,また,夜がだんだん長くなるから『夜長月』というのを誤ったものだと,『奥義抄』にあるので,(ヨナガツキ(夜長月)の略)のような語源説が中古以来広く信じられていたことがわかる。…折口信夫によれば,五月と九月は長雨の時季で,『ながめ』と称する物忌の月だという。」

とある。「中古」から信じられていたのは,「長月」という字を当てて後のことでしかなく,「ながつき」の語源とは採れない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2018年07月28日

ナシ


「ナシ」は,

梨,

である。「梨」(リ)の字は,

「会意兼形声。利は犁の上部と同じで,ざくざくとよく切れる,すきの刃。さくさくと歯切れよく切れるなしの実をあらわす。俗に,音符を利(よく切れる)にかえて梨と書く」

で,おそらく,梨の実と一緒に中國から入って来たに違いない。

800px-Pear-tree,katori-city,japan.JPG



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B7

によると,

「日本でナシが食べられ始めたのは弥生時代頃とされ、登呂遺跡などから多数食用にされたとされる根拠の種子などが見つかっている。ただし、それ以前の遺跡などからは見つかっていないこと、野生のナシ(山梨)の自生地が人里周辺のみであることなどから、大陸から人の手によって持ち込まれたと考えられている。文献に初めて登場するのは『日本書紀』であり、持統天皇の693年の詔において五穀とともに『桑、苧、梨、栗、蕪菁』の栽培を奨励する記述がある。」

とあり,古くから食べられていた。『たべもの語源辞典』によると,

「『万葉集』には,梨の歌が四種ある。『妻梨の木』と書いたもの二首,梨・棗とあるもの一首,梨という名は出ないが梨の黄葉を歌ったもの一首である。」

とある。「梨」の出る三首は,

2188: 黄葉のにほひは繁ししかれども妻梨の木を手折りかざさむ
2189: 露霜の寒き夕の秋風にもみちにけらし妻梨の木は
3834: 梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く

である(http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/flower/nasi.html)。

『たべもの語源辞典』はさらに,

「白楽天の長恨歌に『梨花一枝春雨帯』とあるが,中国では,梨の花が清白だから雪にたとえられ,一転して美人の形容となった。中国梨は,日本梨と同種である。」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B7

には,

「五世紀の中国の歴史書『洛陽伽藍記』には重さ10斤(約6キログラム)のナシが登場し、『和漢三才図会』には落下した実にあたって犬が死んだ逸話のある『犬殺し』というナシが記述されている。」

といい,江戸時代には栽培技術が発達し、100を越す品種が果樹園で栽培されていた,とか。松平定信が記した狗日記によれば、

「『船橋のあたりいく。梨の木を、多く植えて、枝を繁く打曲て作りなせるなり。かく苦しくなしては花も咲かじと思ふが、枝のびやかなければ、花も実も少しとぞ。』とあり、現在の市川から船橋にかけての江戸近郊では江戸時代後期頃には、既に梨の栽培が盛んだった」

という。「ナシ」は「無し」に通ずるというので,忌み言葉として,

アリノミ(有の実),

と呼んだが,「この起源は相当にふるくて,平安時代の女房ことばにアリノミ」がある,というが,「ナシ」が古くあるのだから,当然といえば当然だろう。

さて,「ナシ」の語源は,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/na/nashi.html

は,

「果肉が白いことから『なかしろ(中白)』、略されて『ナシ』になったとする説。梨は風があると実らないことから『かぜなし(風無し)』で、『ナシ』になったとする説。果実の中心が酸っぱいことから『なす(中酸)』が転じたとする説。梨は次の年まで色が変わらないことから『なましき』が転じたとする説。『あまし(甘し)や『ねしろみ(性白実)』から、『ナシ』になったとする説。奈良時代当時、ナシとリンゴの原種となったカラナシ以外に果実の底が著しくくぼんだものが見当たらないことから、『つまなし(端無し)』の『つま(端)』が脱落したなど諸説あるが未詳。
 平安時代には、『ナシ』が『無し』に通じることを忌んで『ありのみ(有の実)』と呼ばれたり、『無し』に掛けた言葉や歌が多く見られるが、語源とは結びつかない。」

と諸説挙げるだけだが,『大言海』は,「奈子」説を採る。

「奈子の音かとも云ふ,外国渡来のものか」

とあるが,『日本語源広辞典』も,その説を採り,

「語源は,奈子の字音(大言海説)です。(中略)奈は,『赤なし』です。木の下に,示を加えた字の誤字です。中国の留学生が『奈という果実』としたのが語源」

とする。「奈」(呉音ナイ・ナ,漢音ダイ・ダ)の字は,

からなし,
野生のリンゴ(ベニリンゴ),
あかなし,

の意とある。

「会意文字。『来+示(祭礼)』が本字で,祭りの供え物として備えるからなしの木をあらわす」

で,調べると「カラナシ」は,「唐梨」と当て,

カリンの別称,バラ科の落葉高木,園芸植物,薬用植物,

と,

リンゴの別称,バラ科の落葉高木,園芸植物,

とあり,「赤い実のリンゴ」としているのは,「和名抄」らしい(ベニリンゴの古名)ので,その区別は,いまではよく分からない。ただ,「ベニリンゴ」は,

「別名ウケザキカイドウ(受咲海棠)ともいう。楕円形のリンゴに似た果実が垂れ下がる。先端に宿存萼(がく)があり、10月ころ紅色または黄色に熟す」(日本大百科全書(ニッポニカ))

カリンと似ているのだろうか。

800px-Karin01.jpg



しかし,カリンは,中国では,


「国語では『爾雅』にも記載がある『木瓜』(もっか)を標準名とする。他に『榠楂』(『図経本草』)、木李(『詩経』)、『木瓜海棠』、『光皮木瓜』、『香木瓜』、『梗木瓜』、『鉄脚梨』、『万寿果』などの名称がある。」

と,「ナシ」とは別である。日本で,「奈」がカリンと混同されたものだろう。『日本語源大辞典』に,

「奈良時代当時の果実では,ナシとカラナシ(リンゴの原種)のほかに底の部分がくぼんでいるものが見あたらない」

とあり,「奈」を,ベニリンゴ(カラナシ)とナシを混同した可能性がなくもない。

『日本語の語源』は,

「夏季の野菜・果物をナツミ(夏実)といったのがナスミ・ナスビ(関西)・ナス(茄子)・ナシ(梨)になった。」

とし,この「ナツミ(夏実)」説を,『たべもの語源辞典』も,

「日本梨の早生種は七月中旬からとれ,夏の実(ナツミ)という名がつけられたものがいくつかある。たとえば,ナツミからナスビがナス(茄子)となる。そしてナツミからナシになった。ナシは,どの果物にくらべても果汁の多い点では負けない。牛乳の水分は88パーセントだが,ナシは89パーセントもある。水菓子という名にふさわしい果実はナシである。」

と,諸説挙げた中で肩入れしている。その他,

中心が白いナカシロ(中白)の略(日本釈名・柴門和語類集),
風があると実らないところから風ナシの義(滑稽雑誌所引和訓義解),
ナス(中酸)の転(東雅・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
奈良時代当時の果実では,ナシとカラナシ(リンゴの原種)のほかに底の部分がくぼんでいるものが見あたらないところからツマナシ(端がない)のツマが脱落した(木の名の由来=深津正),

等々が『日本語源大辞典』に載るが,その他も諸説あって定まっていないが,その外観が似ているところから,

奈子(柰子)説,

に与しておきたい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ナシ
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2018年07月30日

弱冠


「弱冠(じゃっかん)」は,『広辞苑』に,こうある。

「(古代中国で男子20歳を『弱』といい,元服して冠をかぶったことから)男子の20歳の異称,また成年に達すること」

とあり,転じて,

年の若いこと,

とある。出典は,『礼記』曲礼上。

人生十年曰幼 學 二十曰弱 冠 三十曰壯 有室 四十曰強 而仕 五十曰艾 服官政 六十曰耆 指使 七十曰老 而傳 八十九十曰耄 七年曰悼 悼與耄雖有罪不加刑焉 百年曰期 頤

とあるらしい(https://kanbun.info/koji/jakkan.htmlによる)。訓読文は,

人生十年を「幼」と曰ふ、學ぶ。二十を「弱」と曰ふ、冠す。三十を「壯」と曰ふ、室有り。四十を「強」と曰ふ、而して仕ふ。五十を「艾」と曰ふ、官、政に服す。六十を「耆(き)」と曰ふ、使を指す。七十を「老」と曰ふ、而して傳ふ。八十九十を「耄(ぼう)」と曰ふ、七年「悼」と曰ふ、悼と耄とは罪有りと雖へども刑を加えず。百年を「期」と曰ふ、頤(やしな)う。

つまり,

二十曰弱冠(「弱」と曰ふ、冠す),

から来ている。「冠す」とは,

冠(かんむり)をのせる。転じて元服する,

意である。

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(弱 簡牘文字,戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%B1より)

「弱」(漢音ジャク,呉音ニャク)の字は,

「会意文字。彡印は模様を示す。弱は『弓二つ+二つの彡印』で,模様や飾りのついた柔らかな弓」

とある(『漢字源』)。これだと「よわい」という意味がよく出ない。

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%B1

には,

「『弓』+『彡』(かざり)の会意文字。装飾的な弓は機能面で劣ることから、『よわい』という意味がでた。」

とあり,

k-206.gif



https://okjiten.jp/kanji206.html

は,

「会意文字です(弓+彡×2)。『孤を描いた状態の弓(たわむ弓)』の象形と『なよやかな毛』の象形から、『よわい、たわむ』を意味する『弱』という漢字が成り立ちました。」

とある。これだと,「弱」の意味に辿り着く。

「冠」(カン)の字は,

「会意兼形声。『冖(かぶる)+寸(手)+音符元』で,頭の周りを丸く取り囲むかんむりのこと。丸いかんむりを手で被ることを示す」

とある(『漢字源』)。

k-1616.gif



https://okjiten.jp/kanji1616.html

は,

「会意兼形声文字です(冖+元+寸)。『おおい』の象形と『かんむりをつけた人』の象形と『右手の手首に親指をあて脈をはかる』象形から、『かんむりをつける』、『かんむり』を意味する『冠』という漢字が成り立ちました。」

冠をかぶるという動作そのものを形にしているとすると,「冠する」という言葉そのものとつながる。

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%B1%E5%86%A0

には,福沢諭吉が,

「そもそも義塾の生徒、その年長ずるというも、二十歳前後にして、二十五歳以上の者は稀なるべし。概してこれを弱冠の年齢といわざるをえず。たとい天稟の才あるも、社会人事の経験に乏しきは、むろんにして、いわば無勘弁の少年と評するも不当に非ざるべし。」(福沢諭吉『経世の学、また講究すべし』)

を,「本来的には誤用、修飾に用いて」若くしての意に使っている,とする。はすでに意味が,変じている証である。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/si/jyakkan_toshi.html

は,

「中国周時代の 制度に由来する。古代中国では男子の20歳を『弱』といい,その歳になると元服して冠をかぶったことから,男子の20歳を『若冠』と言うようになった。日本でも20歳の意味で使われていたが,『年が若い』という意味でも使われるようになり,基本的に男性のみに用いるが,女性にも用いられるようになった。さらに現代では,『弱冠17歳○○でした』『弱冠28歳△△でした』というように,一般的に成し遂げられる年齢よりも若いという意味で用いられるようになった。」

と意味の変化に触れている。NHK放送分化研究所

https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/132.html

は,

「『弱冠』の本来の意味は『(古代中国で男子20歳を『弱』といい、元服して冠をかぶったことから)男子の20歳の異称。また、成年に達すること』(『広辞苑』岩波書店)です。これが転じて今では『相対的な若さを表現する』場合や『20歳前後の若い人を指す』言い方として使われることが多くなっています。しかし、もともとの意味とは異なるうえ一般にはわかりにくく抵抗感があります。また、新聞社の中には『用字用語ハンドブック』の中で、『弱冠』について『男子20歳の異称』と本来の意味を示したうえで、新しい用法について『20歳前後に使う。「弱冠30歳」などとはしない』『10代からせいぜい20代までで「弱冠30歳」などとは使わない』と記述してあるところもあります。放送でも、『弱冠』の本来の意味と使い方をよく認識したうえで的確な表現を心がけましょう。」

とある。言葉は生き物だから,斯く変わっていく意味を,押しとどめることは難しいかもしれない。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)


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2018年07月31日

崩す


牧孝友貴 個展(報美社)に伺ってきた。

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昨年も伺った記憶があり,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/452196019.html

で触れたが,僕には,背景というか「地」が気にかかった。それは,たぶん描かれているものが具象度を薄める,もっというと,カタチを崩そうとする分,それが地が拮抗し切れていない,という印象であった。それは,勝手な読みかもしれない。しかし,今回,別のことに目が向いた。

一番惹かれたのは,「motorcycle touring2018015」と題された作品。僕が常識にとらわれているのかもしれないが,地に対象物が浮いている,という印象がない。たぶん現実の風景(ないしそのイメージ)から着想されたものと思うが,現実味が濾過された一種心象風景になっている。

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(motorcycle touring 2018015)


これに惹かれるのと同じ理由で,同じく「motorcycle touring20180502」というタイトルの作品にも惹かれた。これも,同じように,現実の風景が一種心象風景のように見える。あえて言えば,幻想的かもしれないが,別の言い方をすると,現実を丸めた分,抽象度を高めている,という言い方もできる。この場合,僕には,地だけが際立つような印象はない。全体が,一つの世界を形作っているとみえた。それが,全く個人的な印象かもしれないが,前回との差に思えた。

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(motorcycle touring 20180502)


もひとつ今回勝手にあることを感じたのは,「motorcycle touring 20180527」と「motorcycle touring 20180127」だ。

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(motorcycle touring 20180527)

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(motorcycle touring 20180127)


どちらも,色とりどりのドッドは,丁度デジタルデザインが最小単位のドットが分離して,カタチが崩壊していく(のによく使われる)ように,ひとつのカタチを崩れていく様に見える。これもまた心象風景でもありえる。

そう見ると,いま,この二つの絵は,未来を描いているとも見えてくる。別の言い方をすると,時間が描けている気がする。それが作家の志向かどうかはわからないが,僕には二つの意味で興味深い。

ひとつは,カタチを崩すのは,作家が自分の世界を築く在り方で,どう現実を丸めて見せるか,そしてそこにどう新しい世界を顕現させるかだと思うからであり,いまひとつは,カタチを崩すという作業には,画く行為自体を画くという意味が含まれていると思うからである。そこには,いかに現実の対象であれ,心の風景であれ,それをどうう描くかではなく,それを描こうとすること自体を対象化しなければ,描けないからである。

僕は最近,描くを描く,ということに個人的な関心がある。それは,単に,

何を描くかではなく,どう描くか,

という方法の問題ではなく,

その(発想を)描くこと自体をどう描くか,

という,

描くを描く,

ことこそが,文学でも,絵画でも,今日の大事な方法的視点だと思っているからである。そんなことを感じさせてくれた個展ではあった。

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