「いたる」は,
至る,
到る,
と当てるが,「いたる」に該当する漢字は,この他,
格る,
詣る,
距る,
迄る,
等々もあるようだが,その区別について,『字源』は,
至は,至極の義にて,其の處まで来たり着く義。詩經「如川之方至」
到は,至也。彼より此処に到着する意。至と通用す。至家を到家ともかく,されども,知至・徳至には到は用ひず,論語「民到于今称之」
詣は進なり,往く也,到也などと註す,
格は,至也,来也,感通也と註す,至るべき正しき處に止まる義。書經「舞于羽于両階,七旬有苗格」,
距は,向こうにここ迄と限りありて至るなり,書經「予決九川,距四海」
迄は,至也。詩經「以迄于今」,
とあり,どうやら,「至」と「到」の区別が基本と見える。
(殷,甲骨文字「至」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%87%B3より)
「至」(シ)の字は,会意文字で,
「『矢が下方に進むさま+一印(目指す線)』で,矢が目標線まで届くさまを示す」
とある(『漢字源』)。しかし,
https://okjiten.jp/kanji975.html
は,
「指事文字です。『矢が地面につきささった』象形から、『いたる』を意味する『至』という漢字が成り立ちました。」
とする。「会意文字」は,
「すでにある象形文字や指示文字を組み合わせて、もとの漢字の意味を生かした新しい漢字。木がたくさんある→木を組み合わせて→森」
で,「指示文字」は,
「形がない物事を線・点で表す漢字です。数を表す→一、二など,位置を表す→上、下など」
だが(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14112617784による),どちらかというのは微妙だが,
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%87%B3
は,象形又は指事とし,
「矢と地面を表し、矢が地面に刺さった形。矢がある目標地点に『いたる』ことを意味する。」
としている。いずれにしても,矢が,目標地点に届いたさま,ということになる。
(西周,金文「到」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%B0より)
「到」(トウ)の字は,会意兼形声で,
「到は『至+音符刀』。至は,矢が一直線に届くさま。刀は,弓なりにそった刀。まっすぐに行き届くのを至といい,弓なりの曲折を経て届くのを到という」
とある(『漢字源』)。
https://okjiten.jp/kanji1108.html
は,
「形声文字です(至+刂(刀))。『矢が地面に突き刺さった』象形(『至る』の意味)と『刀」の象形(「かたな」の意味だが、ここでは、『召』に通じ(『召』と同じ意味を持つようになって)、『まねく』の意味)から、『(まねかれて)いたる』を意味する『到』という漢字が成り立ちました。』
とし,多少意味が違う。
因みに,「形声文字」は,
「意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作った新しい漢字です。『洗』は、意味を表す『さんずい(水を表す)』と、どう発音するか音を表す『先(せん)』が合わさってできています。」
(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14112617784による)
を意味する。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%B0
は,会意と形声の二説を挙げ,
「字の初形は、至と人とに従う。至は矢の到達するところ、そこに人の立つ形である。至と、音を表す刀とで、いたりつく意をあらわす。」
と二つの由来を挙げている。「刀」と「人」ということで意味がわかれる。しかし,いずれにしても,そこへ到達しているということよりは,
たどりつく,
という含意になるようだ。ついでに,「格」(漢音カク,コウ,呉音キャク)の字は,「格物窮理」「格物致知」の成語でも知られる。会意兼形声で,
「各は,夂(あし)と四角い石を組み合わせて,足が堅い石につかえて止ったさまを示す。格は『木+音符各』で,つかえてとめるかたい棒」
とある(『漢字源』)。しかし,
https://okjiten.jp/kanji790.html
は,
「会意兼形声文字です(木+各)。『大地を覆う木』の象形と『上から下へ向かう足、口の象形』(神霊が降ってくるのを祈る意味から、『いたる』の意味)から、木の枝がつきでる事を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、『いたる』、『地位』、『法則』を意味する『格』という漢字が成り立ちました。」
とある。しかし「各物窮理」という表現の語感は,「足が堅い石につかえて止ったさま」がよく表している気がする。
(殷,甲骨文字「格」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A0%BCより)
さて,「至」「到」「格」等々を当てはめた「いたる」は,『広辞苑』は,
「イタ(致)ス,イタダキ(頂)と同源」
とし,『岩波古語辞典』も,「至・達・及」の字を当てて,
「イタは,イタシ(致し)・イタダキ(頂)・イタ(甚)と同根。極限・頂点の意。時間・程度道程などについて,出発点から徐々に進んで最高の度合いに達し,極まる意」
とする。その意味では,「到」ではなく,「至」の字を当てるのが妥当なのだろう。『大言海』は,
「行足(いきた)るの略か(かきなぐる,かなぐる)」
とし,萬葉集の,
「唐國に,行き足らはして,帰來む,丈夫(ますら)武男(たけお)に,御酒(みき)たてまつる」
の,「行き足らはして」を「いきとどきて」と解している。
しかし,「至」を当てたとすると,そこへ届いたという意であって,そのプロセスは含意にない。その意味で,「いた(甚)」の,
「極限・頂点の意。イタシ(致)・イタリ(至)・イタダキ(頂)と同根。イト(甚・全)は,これの母音交替形」
の説明(『岩波古語辞典』)の方が説得力がある。
『日本語源広辞典』は,
イタ(極点)+ル(動詞化),
イ(行き)+足る(わたる),
の二説を選択していないが,
「極点に到達している」(『日本語源広辞典』)
というのと,
「ある場所,ある時間,ある状態に,行き着く,または到達する」(『日本語源広辞典』)
という意味の説明をみても,前者の方がすっきり納得できる気がする。
極点,
そのものを動詞化したものとみたい。
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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