2018年08月21日

タケ(竹)


「タケ」は,

竹,

と当てる。「竹」(漢音・呉音チク,唐音シツ)の字は,

「象形。タケの枝二本を描いたもの。周囲を囲む意を含む」

とある(『漢字源』)。

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『たべもの語源辞典』に「竹」について,

「モウソウという竹は,元文年間(1726-41)徳川八代将軍吉宗のとき,琉球から薩摩に二本移植されたのが始まりである。これは中国中部の江南竹で,雪竹ともいう。日本で孟宗竹とよんだのは,中国の筍の産地として有名な西湖近くの法華山一帯から出るものを毛笋(モウシュン)とよんでいるから,これが訛ってモウソウとなり,孟宗とあて字したものである。中国から日本に移植された竹は,マダケ(漢名,苦竹。ニガタケともよぶ),ハチク(漢名,淡竹。苦味がうすいからである。クレタケ,カラダケともいう),布袋竹(ホテイチク。短い節間がふくれていて,ほていさんの腹を連想させるところからの名),鼓山竹(ゴザンチクともいう。漢名多般竹)である。日本原産の竹は,中部山岳地帯,東北地方にあるスズタケ(篶竹。スズ・ミスズともいう。スズは篠(しの)と同じ意)である。」

とあり,これによると,「篠竹」以外は,中国由来,ということになる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9

に,

「日本ではタケは青森県(本州北端)から九州だが、ほとんどは帰化植物と見られる。」

とある。

『たべもの語源辞典』は,語源説のどれかに肩入れはしていないが,

「新井白石の『東雅』には,『万葉集抄』にタは高いことだとあって,ケとは古語に木をケというようであり,タケとは,生じて高くなる木という意味でつけられて名である,と説いている。タカムナという筍の異名からタカムは高くなることで,ナは『菜』でたべものを意味するという説もある。」

と紹介する。『大言海』は,

「長(たけ)生(お)ふる義,成長の早きにつきて名あるか。又,高(たか)生(は)えの約と云ふ」

とし,『日本語源広辞典』は,

「説1は,『高い草』語源説です。説2は,『中国音tikuがtake音韻変化した語』だという説です。タカイの語源がタカシですから,これをたどって,文字のない時代まで遡ると,タケが,タカ(高)から,生まれたことがうなずけます。また大陸からの原人の中国音が影響したかともかんがえられます。」

とする。ただ, 『岩波古語辞典』は,「タケ」の項で,

「タケ(丈)・タカ(高)と同源とする説は,アクセントを考えると成立困難である。」

と「高」とつなげる説を一蹴する。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ta/take.html

は,

「語源は諸説あり、主な説は『高(たか)』『丈(たけ)』と同源で高く伸びるものの意味。タケノコの旺盛な成長力から、『タケオフ(長生)』の意味からとする説。『タカハエ(高生)』の約とする説。朝鮮語で『竹』を意味する『tai(タイ)』からとする説がある。『高』や『丈』と『竹』はアクセントが異なるため難しいとの見方もあるが、区別するためにアクセントが変わった可能性もある。また朝鮮語『tai』の説には,和語として『高』や『丈』の意味に分化したとする説や、『タ』が朝鮮語『tai』からで,『ケ』が『木』の意味からとする説もある。」

の言うような,「『高』や『丈』と『竹』はアクセントが異なるため難しいとの見方もあるが、区別するためにアクセントが変わった可能性もある」とするのは,文脈依存の和語ということを考えると,ひとつの考え方かもしれない。確かに,高・丈とつなげる説は結構多いのである。

タカ(高)の轉(日本釈名・日本声母伝・円珠庵雑記・言元梯・菊池俗語考),
タケ(丈)が高いところから(古今要覧稿・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本語源=賀茂百樹),
動詞タク(高)の連用形名詞法(続上代特殊仮名音義=森重敏),

『大言海』の「高生え」も「長生ふ」も,「長け」は,

「タカ(高)の動詞化」

なので,やはり,「高」とつながり,難しい。「高」との関わりを捨てるとなると,

タは,竹の意の朝鮮語takiから,ケはキ(木)の意(国語学通論=金沢庄三郎),

になるが,僕は,篠竹以外,ほとんどが中国由来,ということを考えると,『日本語源広辞典』の,

中国音tikuがtake音韻変化した語,

という説が捨てがたい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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ラベル:タケ(竹)
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2018年08月22日

幽霊


今野円輔『日本怪談集 幽霊篇』を読む。

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まさに,本書は「志怪小説」である。志怪とは,

「怪を志(しる)す」

中国の旧小説の一類,不思議な出来事を短い文に綴ったもの。また創作の意図はなく,小説の原初的段階を示す。六朝東晋の頃より起こった。「捜神記」など,

と『広辞苑』にある。ここで言う,「小説」は,

「市中の出来事や話題を記録したもの。稗史(はいし)」

であり,

「昔、中国で稗官(はいかん)が民間から集めて記録した小説風の歴史書。また、正史に対して、民間の歴史書。転じて、作り物語。転じて,広く,小説。」

その意味で,いま言う小説のはしり,ということになるが,

「志怪小説、志人小説は、面白い話ではあるが作者の主張は含まれないことが多い。志怪小説や伝奇小説は文語で書かれた文言小説であるが、宋から明の時代にかけてはこれらを元にした語り物も発展し、やがて俗語で書かれた『水滸伝』『金瓶梅』などの通俗小説へと続いていく。」

と,一応フィクションではない。本書は,その志怪小説の「幽霊」篇である。

「このような体験を,超心理,深層心理の発現と解するのも,あるいは単なるナンセンスと眺めるのも,それは読者のご自由だが,何はともあれ,なるべく,どんな先入観にもとらわれずに,その実態を見極める作業からはじめることが,もっとも科学的態度ではないかと思う。多くの例話を読み,比較,総合を試みることによって,わが同胞の霊魂現象が果たしていかなるものであるかを考える素材としていただけるならば,この,日本初の“幽霊体験資料集”編纂目的のなかばはたっせられたわけである。」

と,著者は「はじめに」にしるす。

すがたなきマボロシ,
人魂考,
生霊の遊離,
たましいの別れ,
魂の寄集地,
浮かばれざる靈,
死霊の働きかけ,
船幽霊,
タクシーに乗る幽霊,
親しき幽霊,
子育て幽霊,

と言った章別に,体験談が載る。おなじみの『遠野物語』をはじめとする史料からの転載もあるが,

「編者の直接採取以外の資料については,資料的価値のある部分だけの再録にとどめ,できるだけ原文を尊重した。」

など,柴田錬三郎『日本幽霊譚』,小泉八雲『怪談』,田中貢太郎『怪談全集』などからは採ってないと,あくまで,「志怪」に限定している,とみていい。

「幽霊譚」に奥行が見えてくるのは,「お菊虫」や「皿屋敷」を廻って,折口信夫の,

「キクという名の女性について,折口信夫先生は,(慶応大学の御霊信仰についての講義で)…『佐倉宗五郎の話は実感人形(稲の害虫を追う虫送りの)から出た話にすぎない。宗五郎も,死んで稲虫になったと言われている。そのことから出発して,宗五郎の靈が祀られるにいたる史実らしいものが考え出されもしているのだ。だから同じような伝説のある人なら直ぐそんな話がくつついてくる。伝説が事実を変造する』と説いたあと,『播州皿屋敷の話も同じだ。キクという女は,井戸に投げこまれてオキク虫というものになっているが,これは早乙女虐殺の話で,きっと井戸に関係がある。地下水はどこへでも通じているからだ。不思議に日本の虐殺される女の名には,お菊というのが多い。私は正確には三つ知っている。(イ)毛谷村六助妻園の妹,おきく,(ロ)累解脱物語,与右衛門の子,(ハ)播州皿屋敷,ひとつの見当はついている。加賀の白山に関係がある。自由のククリヒメだが,これはヒントに止める。ともかくオキクと水とは関係がある。水の中で虐殺された女の霊魂とオキクとの関係がある。』」

という話を糸口に,民俗の深部に辿り着ける。

著者が,三田村鳶魚の,

「幽霊を,あるとして無い証拠を挙げるのも,無いとしてあるという現実を打破しようとするのもコケの行き止まり」

という詞を引用しつつ,

「鳶魚翁が指定しなかった第三の立場があろうかと思う。簡単にいうならば,いわゆる幽霊なるものは物理的には実在しないことはいうまでもないから問題にはしないが,実在しないモノを,どんな条件のもとで,どんなふうにその姿を見たり,その声を聞いたりするのか,そこには日本人の特質らしい現象が認められるかどうか,歴史的な変遷がありそうか,など調べてみようというたちばである。」

とし,幽霊を相手にせず,

「幽霊を見聞するわれわれ自身の生活史の一部分-隠されていた未解決の精神史,民間信仰史の一面」

を相手にする,と。

そして,最後に,

「ともかく,真実らしい体験記を整理してみると,われわれが幽霊について持っていた常識は大部分間違っていたらしい。…じっさいの幽霊の中には『恨めしや-』といって出たモノはほとんどない。女性も出るが,男性もしきりに出るばかりか子供,老人の靈にも男女の別はなさそう。血みどろとか,吹出物などで醜悪な顔付きといった陰惨な姿もほとんど体験されていない。ちゃんと足があった。ミシミシと歩く音をたてながらという例が多く,足が無かったというのはむしろ少ない。服装では三角の額烏帽子といった死装束も少なく,ふだん着,外出着が多い…。タクシーを利用する幽霊が急増した。恨めしいどころか,肉親がなつかしくて会いに来ただけというのが多く,圧倒的に多いのはウナ電や電話より早く来る死亡通知の幻。明治このかたの新傾向らしいのは,何の目的で出たのかさっぱりわからないというタイプ。」

とまとめる。いまから60年近く前の編纂だが,現代もあまり変わるまい。

参考文献;
今野 円輔『日本怪談集 幽霊篇』(現代教養文庫)

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2018年08月23日

ささ(笹)


「ささ」は,

笹,
篠,
小竹,

と当てる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9

によると,広義には,竹とは,

「イネ目イネ科タケ亜科のうち、木本(木)のように茎が木質化する種の総称である。通常の木本と異なり二次肥大成長はせず、これは草本(草)の特徴である。このため、タケが草本か木本かは意見が分かれる(『木#学術的な定義を巡って』も参照)。ただし、タケの近縁種は全て草本で、木本は存在しないので、近縁種に限った話題では、近縁の完全な草本と対比して、タケは木本とされることが多い。」

とし,その生育型から,

狭義のタケ,
ササ(笹),
バンブー (bamboo),

の3つに分けられる,その「笹」である。

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その違いは,

「バンブーは地下茎が横に伸びず、株立ちとなる。大型になり、熱帯域に多い。
タケは地下茎が横に伸び、茎は当初は鞘に包まれるが、成長するとその基部からはずれて茎が裸になる。
ササはタケと同じく地下茎が横に伸びるが、茎を包む鞘が剥がれず、枯れるまで残る。
一般にササはタケより小さいが、一部には逆転する例もあり、オカメザサはごく小さなタケ、メダケは大きくなるササである。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B5)。

『字源』によると,「笹」は,國字とあるが,『漢字源』には,

「『竹+世(何代にもはえる)』の会意文字か」

とあり,さらに,一説に,

「『竹+葉(小さい竹の葉)』の会意文字とも」

とあるので,見解は別れているようだ。「ささ」は,

くまざさ,ちまきざさ,など小形の竹の総称,

とある。「篠」(ショウ)の字は,

「竹+條(細いすじ)」

で,「しのだけ」を指す。幹が細く矢柄に用いる。「ささ」は,

小竹,

と当てるように,「ささ」は「細」,小さい意である。「ささ」(細小・少)のみで,

「小さいもの,細かいものを賞美していう」

とあり,「ささ蟹」「ささ濁り」等々と用いる。その「ささ」の意の可能性はある。

『大言海』は,「ささ」を二項に分ける。ひとつは,

小竹,
細竹,

と当てて,

「細小竹(ささたけ)の下略。或は云ふ,葉の風に吹かれて相觸るる音を名とし,竹の異名としたるなりと」

とし,

ささだけ,又は竹の異名,

とする。いまひとつは,

笹,

と当て,

「(小竹)の語の,一種の竹の名に移りしなり(神榊(さかき)の榊となり,薄(すすき)の芒(すすき)となりし類)。細小(ささ)は,自ら低きをいふこととなる,笹の字は,和字なり(節(よ)を世(よ)に寄せて作れるか))」

とあり,「笹」は,やはり『字源』のいう通り,國字ということのようである。

こうみると,「細小」の「ささ」が「笹」となったか,と思われる。擬音語「ささ」は,『擬音語・擬態語辞典』によれば,「ささっ」は,

「鎌倉時代から『ささ』の形で見える。」

とある。新しい使い方のようなのである。『デジタル大辞泉』に載る「ささ」の用例は,

水が勢いよく流れたり注ぎかかったりするさま。「あがきの水、前板までささとかかりけるを」〈徒然・一一四〉
風が吹くさま。「扇をひろげて、殿上をささとあふぎ散らして」〈盛衰記・三〉
動きの速いさま。「人々のささと走れば」〈大鏡・道長下〉
大勢の人々が口々に物をいってさわがしいさま。また、一時に笑うさま。「聴聞衆ども、ささと笑ひてまかりにき」〈大鏡・道長下〉

と,鎌倉時代である(古くは,「さざ」と濁ったようである。あくまで,「水の擬音」として使われてきた。「ささ」と風音に使うようになったのが,鎌倉時代以降ある)。やはり,たぶん竹と比べて「細小(ささ)」から,「ささ」となったと見るのが妥当に思える。『日本語の語源』も,

いささたけ(細小竹)

から「ささ」となったとしている。『日本語源広辞典』には,

「『ササ(わずかな,ちいさい,細,小)』です。万葉集の『わが宿のイササ群竹吹く風の』のイも,ササも小さい意味です。笹の字は国字です。『竹+世(葉擦れの音)』。竹の葉擦れの音を文字にしたものです。」

とある。その他,『日本語源大辞典』には,

サシノハ(小篠葉)の義(日本語原学=林甕臣),

も載るが,「細小」説の一種とみていい。

なお,酒を「ささ」というのは,女房詞かららしいが,

「さけ」の「さ」を重ねたものとも,
中国で酒を竹葉といったことからとも,

いうらしい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
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コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:ささ 小竹
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2018年08月24日

ささ(酒)


「酒」は,

ささ,

とも言う。

Sake_set.jpg

(酒器に酌まれた日本酒。盃(左)、猪口(中央)、枡 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92より)

「酒をいう女房詞」

らしいが,『広辞苑』には,

「『さけ』の『さ』を重ねた語。一説に,中国で酒のことを竹葉というのに基づくとする」

とある。『デジタル大辞泉』にも,

「中国で酒を竹葉といったことからとも、『さけ』の『さ』を重ねたものともいう」

とある。『岩波古語辞典』では,「ささ(笹・小竹)」の項に,載せる。「笹」とどんな関係があるのか。『たべもの語源辞典』は,「さけ」の語源として,

「中国で酒の異名を竹葉というが,竹葉から笹となり酒となったなどのこじつけ」

と一蹴するが,「さけ」の語源かどうかはさておき,「竹葉」の故事自体は,室町時代の古辞書『土蓋嚢抄』(1446)に,

酒ヲ竹葉ト云事ハ如何,

に応えて,

竹ノ葉ノ露タマリ。酒ト成ル故ニ。竹葉ト云ト,

とあり,

昔漢朝ニ劉石〔リウセキ〕ト云者アリキ。繼母ニ合テケルカ。其繼母我ガ實子ニハ能飯〔イヒ〕ヲ食セ。孤子〔マヽコ〕ニハ糟糠〔サウカウ〕ノ飯ヲ與ヘケリ。劉石是ヲ不得食シテ。家近キ所ニ木ノ股ノ有ケルニ。棄置ケリ。自然ニ雨水落積テ,漸ク乱レテ後芳バシカリシカハ,劉石之ヲ試ルニ其味ヒ妙ナリ。仍テ竹ノ葉ヲ折テ指覆フ。其心ヲ以テ酒ヲ作テ國王奉リシカ。味ヒ比无(ナク)シテ褒美ニ預リ。献賞ヲ蒙テ家富ミケル也。是ニ依テ。酒ヲ竹葉ト云云。

と,由来を述べている(https://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/Ko_sake_nomi.htmlより),という。竹の葉を折って覆ったらなぜ美酒になるかはともかく,こんなところから,酒を「竹葉」という謂れはある。ただ,それから,「ささ」につながるというのは,少々牽強に過ぎまいか。むしろ,「笹」は酒と関係が深いらしい。

https://sasa-japon.info/culture/sasa-sake/

には,

「日本の古い詩にも笹と酒の関係性が発見できます。
『岩魚(イワナ)にはまだならずとも笹魚(ササウオ)のササをすすむるひと筋となれ』
このように酒と笹の縁は国をまたいで古くから伝わっています。
酒をつくる時、飲む時、そこにも酒と笹とのつながりがあります。酒をつくる際、防腐剤としてもっとも古くから使われてきたのはクマ笹の葉を粉末にしたものを使う方法です。戦前まで函館の酒造所で行われていたようです。
中国では酒の発酵を止めるのにも使っていたとか……。」

と,笹と酒の関係は深そうである。で,「ささ」と言ったと説く方がまだ,わかる。「竹葉」経由では少し回りくどい。

『大言海』は,

「和訓栞,ササ『小児詞にて,サケを重ねたるにや』。小児語より婦女の語にも移りたるなり(愛(は)し,母(はは)。鶏(とり),とと。浅漬,あさあさ。数子(かずのこ),かずかず)」

と,幼児語説を採る。

『日本語源大辞典』は,

酒の異名「竹葉」を和語化した語か(嘉良喜随筆・漫画随筆・閑窓瑣談・和訓栞),
サケ(酒)ノサを重ねた語か(古事記伝・和訓栞・大言海),
人に酒をすすめる時のことばから(総合日本民俗語意考),

と挙げる。『日本語源広辞典』も,この三説をあげるが,「酒をすすめる」説について,

「イザイザの音韻変化,勧める語」を酒の名詞と思い間違った」

としている。『日本語源大辞典』は,更に,

君にササグルの略語(柴門和語類集),
三々九度の「三々」から(貞丈雑記),
「酢々」が国語化したもの(日本語原学=与謝野寛),

と,三説を紹介している。しかし,前述の,

https://sasa-japon.info/culture/sasa-sake/

が,

「群馬県や和歌山県新宮市では酒をササという文化が僅かに残っています。宮中では酒のことを表す言葉として、ササとオッコンの両方が使われています。また、『日葡辞典』には酒粕のことをササノミと載っています。」

とある。「ささ」は「さけ」の語源とつながっているのではあるまいか。

「酒」の語源については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/451957995.html

で触れたが,『岩波古語辞典』に「き」が酒の古名とあり,この「き」は,「kï」である,とする。「ki」ではない。この「き」について,

「古語時代は食べることまたは食べ物を『ケ』、飲み物はそれが転じて『キ』となった」(東雅)
「奇(く)しをつめて,キと呼び,キと呼んだ」(たべもの語源辞典)

の説が目に留まったが,『日本語源大辞典』は,

カミ(醸)の約(大言海),
キ(気)の義か(和訓栞),
ケ(饌・食)の轉(言元梯・日本古語大辞典=松岡静雄),
蛮語である(和訓八例),
キ(醗)の字音(日本語原学=与謝野寛),

と諸説載せる。どうやら,「さけ」が,『大言海』の言うような,

「サは,発語にて,サ酒(キ)の転(サ衣,サ山。清(キヨラ),ケウラ。木(キ)をケとも云ふ)」

に落ち着くとすると,「ささ」は,本来意味のなかった「さ」を,

重ねた,

とするのが妥当に思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ささ さけ
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2018年08月25日

シカト


シカト,

と表記されることの多い「しかと」は,

確と,
聢と,

と当てられる,

はっきりとしているさま,確実でまちがいのないさま,たしかに,
かたく,しっかりと,十分に,完全に,
すきまなく,びっしりと,

という意味で使われるそれではなく,

相手を無視する,

という意味で使われる「しかと」である。『広辞苑』には,

「花札の紅葉の札の鹿がしろを向き知らん顔しているように見えることからいう」

とある。

Hanafuda_10-4.svg.png

(語源となった「紅葉に鹿」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%A8より)

『広辞苑』に載るくらいだから,一般に認知された言葉と思えるが,そんなに古くはない。他の辞書には当然載らないが,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/si/shikato.html)には,

「シカトは、花札の十月の絵柄『鹿の十(しか のとお)』が略された語。十月の札は、鹿が横を向いた絵柄であるため、そっぽを向くこと や無視することを『シカトする』と言うようになった。 警視庁刑事部による『警察隠語類集』(1956年)には、『しかとう とぼける。花札のモミヂの鹿は十であり、その鹿が横を向いているところから』とあり、このころはまだ『シカト』ではなく『しかとう』で,賭博師の隠語であったことがわかる。その数年後には、不良少年の間で使われ、『しかとう』から『シカト』に変化している。やがて、一般の若者にも『シカト』は使用されるようになった。」

とある。『とっさの日本語便利帳』(https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%82%AB%E3%83%88-898732)には,

関東地方での使用頻度が高い,

とある。『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/12si/sikato.htm)には,

「昭和時代のツッパリ・ブームで不良が頻繁に使わったことから広く普及(不良漫画ではカタカナのシカトがよく使われる)。しかとは行為をする当人が「しかとしよう」といったものより、された側の「しかとかよ」「しかとすんなよ」という使われ方のほうが多い。余談だが動物がそっぽを向いた他の花札に『松に鶴(一月)』がある。こちらが使われていたら『ツルイチ』というちょっと間の抜けた語感の言葉になっていたのかもしれない。」

とあり,同趣旨のことは,http://zatugaku1128.com/sikato/にもあり,

「ちなみに動物がそっぽを向くという柄は、鹿の他にも一月の最高札である『松に鶴』もあります。もしこちらが使われていたら『シカト』ではなく『ツルイチ』になっていたわけですが、『松』も『鶴』も日本では縁起の良いものとされてきたため、隠語としてはどこか仰々しいというところもあったのでしょうか、『シカト』のほうが広まっていきました。」

とある。『笑える国語辞典』(https://www.waraerujd.com/blank-39)は,なぜ「鹿に紅葉」が使われたかについて,

「無視することという意味で、一九八〇年代頃の不良仲間が愛用した隠語。 シカトは、花札の十月の札に描かれた鹿が、横を向いてこちらを無視しているように見えることから、十月の鹿、鹿十(しかとお)からシカトに変化した言葉だと言われる。しかし、花札に描かれた動物で私たちと目を合わせている(正面を見ている)ヤツはいないし、鹿の場合は、後ろを振り返っていてこちらを見ようとしている風情もあり、古人が作った和歌を見ても、鹿は女を求めて鳴いてばかりいて『知らん顔』とはほど遠く、そんな彼がなぜ『シカト=無視』の象徴に選ばれたのかは不明。もしかして、『無視か!(むシカ)』というダジャレか?」

としている。そんなところなのかもしれない。

花札にはまったく知識がないが,「花かるた」とも呼ばれ, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E6%9C%ADによれば,

「八八花のことで、一組48枚に、12か月折々の花が4枚ずつに書き込まれている。48という枚数は、一組48枚だったころのポルトガルのトランプが伝来した名残である。2人で遊ぶこいこい、3人で遊ぶ花合わせ、という遊び方が一般的だが、愛好家の中では八八という遊び方に人気がある。」

とか。なお,https://allabout.co.jp/gm/gc/215733/によると,花札用語と関わる賭博用語からきたものに,「ボンクラ」が,

「漢字になおすと『盆暗』。盆は博打場のことであり、ここで目端が利かず負けてばかりの人間をさす言葉が一般語化しました。」

とあるし,「ぴか一」は,

「『光一』という花札の役の名前です。7枚の手札のうち、1枚だけ光り物(20点札)で残りがカス札ばかりの役なのですが、ここから他のものから1つ頭が抜けていることをこう呼ぶようになったのです。」

とか。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/hi/pikaichi.html)には,

「ピカイチは、花札用語で手役のひとつに由来する。その手役とは、初めに配られた七枚の札のうち二十点の札が一枚だけあり、残りの六枚が全てカス札の場合、同情点を四十 点ずつもらえる役のことである。二十点札を『光り物(ピカ)』と言うことから、この役は『光一(ピカイチ)』と呼ばれ、転じて『抜きん出る』意味となった。」

とある。

ホームページ;
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2018年08月26日

シカ


「シカ」は,

鹿,

と当てる「シカ」のことである。

800px-Flickr_-_don_macauley_-_Sika_Deer.jpg



『広辞苑』には,

「『めか(女鹿)』に対し牡鹿をいうとも」

とあるが,これは,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/si/shika.html)に,

「古くは、シカは『カ』といった。その『カ』に『シ』が付いた『シカ』がオス、『メ』が付いた『メカ』がメスを表した。オスを表す『シ』は『夫』を表す古語『セ』の転で、メスを表す『メ』は『女』である。やがて、オスを表す『シカ』がメスも表すようになり、オスは『ヲジカ』、メスは『メジカ』と呼ばれるようになった。」

とあるのに対応する。『岩波古語辞典』にも」「か」は,

鹿の古名,

とあるが,『播磨風土記』に,

「おおぎみ…『しか鳴くかも』とのりたまいき。かれ餝磨(しかま)の郡となづく」

とあるように,ふるくから「シカ」も使われている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%AB

には,その辺りの経緯を,

「シカを意味する日本語には、現在一般に使われる『しか』のほかに、『か』、『かのしし』、『しし』などがある。地名などの当て字や、『鹿の子(かのこ)』『牝鹿(めか)』などの語に残るように、古くは『か』の一音でシカを意味していた。
一方、古くからの日本語で肉を意味する語に『しし』(肉、宍)があり、この語はまた『肉になる(狩猟の対象となる)動物』の意味でも用いられたが、具体的にはそれは、おもに『か』=シカや『ゐ』=イノシシのことであった。 後に『か』『ゐ』といった単音語は廃れ、これらを指す場合には『しし』を添えて『かのしし』『ゐのしし』と呼ぶようになったが、『かのしし』の方は廃語となって現在に至っている。さらに、『鹿威し(ししおどし)』『鹿踊り(ししおどり)』にあるように、おそらくある時期以降、『しし』のみでシカを指す用法が存在している。
こうした一方で、『しか』という語も万葉集の時代から存在した。語源については定説がないが、『か』音は前述の『か』に求めるのが一般的である。一説に『せか』(『せ』(兄、夫)+『か』)の転訛と考え、もと『雄鹿』の意味であったとも、また、『しし』+『か』の変化したものかともいう。」

と詳しい。『大言海』は,「か」(鹿)で,

「鳴く声を名とす,『カヒよとぞ鳴く』など云ふ」

とある。

「『鹿』は秋の季語であり和歌などに詠まれ、歌集におさめられている。シカは秋に交尾期があり、この時期になるとオスは独特の声で鳴き角をつきあわせて戦うため人の注意を引いたのだろう。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%AB)ように,鹿の鳴き声は,さまざまに歌に残されている。

奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき(猿丸大夫)(『古今和歌集』「詠み人知らず」)
下紅葉 かつ散る山の 夕時雨 濡れてやひとり 鹿の鳴くらむ(藤原家隆) 『新古今和歌集』
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる(藤原俊成) 『千載和歌集』

等々。なお,

「ニホンジカの夏毛は茶褐色に白い斑点が入った模様をしており、これは鹿の子(かのこ)と呼ばれ、夏の季語である。」

で,『大言海』は,「シカ」に,

牡鹿,

と当てて,前述来と同趣旨のことを,

「夫鹿(せか)の転。女鹿(めか)に対す。カセギというも,鹿夫君(かせぎみ)なりと云ふ。一説に,其角,桛木(かせぎ)に似たれば名とすと云ふ。セウガ,メウガと同趣(か,をシカ,サをシカ見合わすべし)」

とする。

『日本語源広辞典』は,以上から,二説に集約する。

説1は,「メカ(女鹿)」に対する牡鹿を,セカ(夫鹿)と呼び,その変化したもの,
説2は,「シ(肉)+カ(接尾語)」

『日本語源広辞典』は,「カ」を接尾語とするが,「カ」は「シカ」の古名と考えていい。『日本語源大辞典』は,

「古代からの食用狩猟獣で,猪と共に肉を意味する『しし』の語でよばれた。猪と区別して『かのしし』とよび,また『かせぎ』ともいう。これらに共通する『か』が,鹿を意味する基本的な語のようだが,『しか』と『か』の関係は明らかではない」

というが,「か」は,『大言海』のいうように,鳴き声,つまり擬音語からきているとみていい。ただ,「しし」というときは,(食用の)肉をさし,「シカ」は,「せか」「めか」と呼ぶときは,動物としての「シカ」を指していたのではないか。だから,歌や風土記などでは,「か」あるいは「シカ」が使われてきた。主体側の意識の差で,相手をつかいわけていただけなのではあるまいか。

C.n.yesoensis(200107).jpg



『日本語源大辞典』には,諸説が

メカ(女鹿)に対していうセカ(夫鹿・雄鹿)の轉(万葉集講義=折口信夫・大言海),
シカ(妋鹿)の意(日本語原学=与謝野寛),
シシカ(肉香)の義(名言通),
シは発語。カは鹿(国語の語根とその分類=大島正健),
シ(宍)カの意。カはケ(食)の分化した語で,肉が食用に供される動物をいう(日本古語大辞典=松岡静雄),
シシ(獣)の中で身のカルイ(軽)ものの義か。あるいは,シはシシ(獅子),カはカナシ(悲)の義か(和句解),
よく天道を知り,嗅覚が発達しているところから,シカ(知齅)の義(柴門和語類集),
シはシタフ意,カは鳴声から(槙のいた屋),
シロ(白)く,臭(か)あるところから(日本釈名),
アシキハの略(関秘録),
ホシケ(星毛)の義(言元梯),
背も角もシッカリした獣であるところから(本朝辞源=宇田甘冥),
シカ(大角),またはシカ(獣角)か(語源辞典=動物編=吉田金彦),

載るが,その区別がついていないと思えてならない。。

因みに,「鹿」(ロク)の字は,(角のある牡)シカの姿を描いた象形文字。

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参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ラベル:シカ
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2018年08月27日

タケ(茸)


「タケ」は,

茸,
菌,
蕈,

と当てるが,「きのこ」の意である。「きのこ」も,同じ字を当てる。

800px-Totholz-am-Teufelssee-bei-Thelkow-19-09-2008-036.jpg



「きのこ」は,

木の子,

で,「たけのこ(竹の子)」に対しての語(『日本語源広辞典』)とあるが,『大言海』は,

「竹の子,芋の子もあり」

としているので,必ずしも対ではなさそうだ。木に寄生するために,そう名づけたものらしい。「くさびら」(クサヒラ)とも言うらしいが,古くは,

木茸(きのたけ),
土茸(つちたけ),

といったらしい。『大言海』の「たけ(茸・菌・蕈)の項には,

「椎茸,榎茸の類は木ノタケと云ひ,松茸,初茸の類を土タケと云ひ,岩茸の類は岩タケと云ふ」

と区別している。『大言海』が引用しているのを挙げると,

和名抄「菌茸,菌有木菌木菌岩菌,皆多介,如人著笠者也」
箋注和名抄「菌,太介,有數種,木菌土菌石菌云々,形似蓋者」
本草和名「木菌,岐乃多介,地菌,都知多介」

等々。なお,「たけ」の訓みについて,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%82%B3

「日本語のキノコの名称(標準和名)には、キノコを意味する接尾語『〜タケ』で終わる形が最も多い。この『〜タケ』は竹を表わす『タケ』とは異なる。竹の場合は『マ(真)+タケ(竹)』=『マダケ』のように連濁が起きることがあるが、キノコを表わす『タケ』は本来はけっして連濁しない。キノコ図鑑には『〜ダケ』で終わるキノコは一つもないことからもこれがわかる。しかし一般には『えのきだけ』、『ベニテングダケ』のような誤表記が多い。」

とある。「タケ(竹)」とは異なる,特殊の位置を「タケ(茸)」は持っているらしい。

さて,「タケ」の語源であるが,『岩波古語辞典』は,

「タケ(長)と同根高く成るものの意」

とあり,「長け」を見ると,

「タカ(高)の動詞化。高くなる意。フカ(深)・フケ(更)・アサ(浅)・アセ(褪)の類」

とある。この「長け」は,身の丈の「丈」とも通じる。「たけ」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/443380153.html

http://ppnetwork.seesaa.net/article/456786254.html

で触れたことがあるが,『日本語源広辞典』は,

「長く(タク)は,高さがいっぱいになることの意で使います。時間的にいっぱいになる意のタケナワも,根元は同じではないかと思います。春がタケルも,同じです。わざ,技量などいっぱいになる意で,剣道にタケルなどともいいます。」

としている。しかし,『たべもの語源辞典』は,この説を,説明なく,「感心しない」と述べ,

「キノコを~タケというが,タケリ(牡陰)の略で,男性のシンボルに似ているからといい,略してタケになった」

と自説を挙げるが,それこそ感心できない。『大言海』も,

「牡陰(たけり)の略。形似たり」

としている。しかし,『大言海』自身が区別して見せたように,「タケ」には,松茸のような「土タケ」だけではない。たとえば,「シメジ」はどう説明するのだろうか。

800px-ハタケシメジ(Lyophyllum_decastes).JPG



『日本語源大辞典』は,

形が似ているところからタケリ(牡陰)の略(名言通・大言海),
タケ(長)と同根(岩波古語辞典),

以外に,

丈,竹,嶽と同義で直立の義(箋注和名抄),
動詞のタク(高)の連用形名詞法(続上代特殊仮名音義=森重敏),
笠のようにたけたつところから,タケ(長)タルの義(拠字造語抄),
気味のタケキ(猛)の義(和訓栞),
タケ(陀化)の義(言元梯),

が載るが,『日本語源大辞典』が,「タケル(直立)」説,「タケリ(牡陰)」説以外に挙げた,

「タケル(長ける・時が過ぎ,開いたキノコ)のタケ」

の説明がいい。「タケ」は,長け,丈であり,タケナワの「タケ」である。

春タケナワ,

の「タケ」にある,時間経過が過ぎると,カサが開くい意ではないか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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ラベル:タケ きのこ
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2018年08月28日

たけ


「たけ」は,

丈,
長,

と当てると,

物の高さ,縦方向の長さ,

となり,

動詞「たく(長く)」と同源,

であり,

岳,
嶽,

と当てると,

髙くて大きい山,

の意となり,

「たか(高)」同源(中世「だけ」とも),

とある(以上『広辞苑』)。

丈-bronze.svg.png

(「丈」金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%88より)


しかし,『岩波古語辞典』をみると,「たけ(長・闌)」は,

「タカ(高)と同根。高くなるものの意」

とあり,単に物理的な長さ,高さだげではなく,時間的な長さ,高まりも指し,「たけなわ」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/456786254.html

で触れたように,

「長く(タク)は,高さがいっぱいになることの意で使います。時間的にいっぱいになる意のタケナワも,根元は同じではないかと思います。春がタケルも,同じです。わざ,技量などいっぱいになる意で,剣道にタケルなどともいいます。」(『日本語源広辞典』)

という意味も持つ。だから,

「タカ(高)と同根。高い所の意」

である「たけ(岳・嶽)」ともほぼ重なる。

岳-oracle.svg.png

(「岳」甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B2%B3より)


『大言海』は,「たけ(嶽・岳)」を,

高嶺(たかね)の約,

とし,「たけ(丈)」を,

高背(たかせ)の約,長(た)くの義,

とするが,これは,逆立ちではあるまいか。「嶽」の字,「丈」の字を当てはめた後の解釈にすぎないのではないか。僕には,

丈も長も,
岳も嶽も,

かっては,「たけ」だけで済ませていた。文脈依存の文字を持たない祖先にとって,その区別は,その場にいる人にわかればいいのである。そう考えると,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/461300903.html?1535312164

で触れた「たけ(茸)」も,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/461199145.html

で触れた「たけ(竹)」も,すべて,

たけ,

であり,長さ,髙さ,という含意を込めていたのではないか,という気がしてくる。

『日本語源大辞典』は,「たけ(岳・嶽)」の項で,

「『たけ(長・丈)』とともに(たけ『岳・嶽』も),形容詞『たかし(高)』の語幹『たか』と同根で,下二段動詞『たく(長)』とも関連づけられる。高い山岳を意味し,特に方言では,薪や茸などを採る生活圏内のヤマに対して,しばしば信仰の対象となる生活圏外のものをさす。中世の辞書類にはダケが挙げられることが多く,『日葡辞書』にも『本来の語はdaqe(だけ)である』とあるなど,濁音形ダケが単独で用いられることもあったが,第一音は本来清音である。」

と述べている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ラベル:たけ
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2018年08月29日

てぬぐい


「てぬぐい」は,

手拭い,

と当てる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%8B%ADによると,

「今昔物語では「手布(たのごい)」という表記の記述があり、和名抄には「太乃己比(たのごひ)」という表記の記述があり、それぞれ、手拭を指しているといわれている。」

とあり,『岩波古語辞典』には,

てのごひ,

と載り,

たのごひ,

とも。とある。「て(手)」は,古形が「た」なので,「たのごひ」というのも「てぬぐい」のことである。「のごひ」は,

拭い,

と当てる「ぬぐい」の古形である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%8B%ADによれば,

「暖簾と区別も曖昧であり、所定の場所に掛けて日除けや塵除けや目隠しとして使われ、その用途は人の装身具として求められた機能と同じであり、垂布(たれぬの)や虫垂衣(たれむし)や帳(とばり)と呼ばれていた。また紋や家紋を入れる慣わしも同じである。」

とあり,奈良時代には,

「神仏の像や飾り付けなどの清掃を目的とした布として、使われていた」

とする説があり,平安時代には,

「平安時代に、神祭具として神事に身に纏う装身具として使われていた。当初は布は貴重なため、祭礼などを司る一部の身分の高い者にしか手にすることはなかったが、鎌倉時代以降から庶民にも少しずつ普及し、室町時代には湯浴みの体を拭うためにも使われるようになり、戦国時代には広く用いられるようになった。」

とある。『大言海』の「てぬぐい」の項には,

手巾,
手帕


とも当てるとある。「手巾」(シュキン)は,

手ぬぐい,またはハンカチ,

を指し,「手帕」の「帕」(ハク・バツ)は「はちまき」(抹額)を意味し,「帨」(エツ・ゼイ)は「てぬぐい」「てふき」(佩巾)を意味する,というように,当てた漢字からも意味の幅がある(『字源』)。

「3尺から9尺であったが、江戸時代には一幅(曲尺の1尺1寸5分、約34.8cm・反物の並幅、約36から38cm)で、長さは鯨尺2.5尺(約94.6cm)になり、ほぼ現在の約90cm x 35cm程度の大きさになった。詳細に寸法が違うのは一反(12m前後とまちまち)の布から8から11本を裁断したために、大きさが規格として曖昧になっていることや、着物を作成した時の反物の端切れからも作られたことによる。手拭の端が縫われていないのは、清潔を保つ為水切れをよくし早く乾くようにと云う工夫である。」

とある。なかなかの工夫の跡である。『デジタル大辞泉』には,

「手・顔・からだなどをふくのに用いる布。鉢巻きやほおかぶりなどにも使う。ふつう、一幅 (ひとの) の木綿を3尺(約90センチ)に切ったもので、模様や文字が染め出してある。」

とあり,用途はさまざま。

113041.jpg

(『デジタル大辞泉』より)


『江戸の風呂』によると,

「手拭いを古くは,胾,帍,手巾と書いて『てのごい』と呼んだが,それが『てぬぐい』となったのは,『手拭』と書く近世になってからである。長さは一定せず,用途によって都合のいい尺数に切って使ったが,幕末になってほぼ鯨尺二尺五寸(約95センチ)に定まったようにだ。
 古くは白の木綿地,江戸時代になって赤手拭い,澁手拭い,染め分け手拭いがあらわれ,さらに豆絞り,けし玉,王しぼり,半染手拭いなどが市場に出まわった。これは入浴に限らない。かぶりものにも,帯や目印にもされた。」

とある。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%8B%ADには,

「江戸時代には都市部近郊に大豆などと並んで綿花の穀倉地帯が発展し、木綿の織物とともに普及していった。都市近郊で銭湯が盛んになったことや、奢侈禁止令により、絹織りの着物が禁止され、木綿の着物がよく作られるようになると、端切れなどからも作られ、生活用品として庶民に欠かせないものになった。この頃から『手拭』と呼ばれるようになり、入浴に使われたものは、『湯手(ゆて・ゆで)』とも呼ばれた。
また実用だけでなく、自身を着飾るおしゃれな小間物として、己の気風や主義主張を絵文字の洒落で表し、染めぬいたものを持ち歩いたり、個人が個々の創作で絵柄を考え、発注した手拭を持ち寄り、『手拭合わせ』という品評会を催されるまでになり、折り紙のような趣きとして『折り手拭』という技法もうまれ、庶民の文化として浸透していった。」

とある。

800px-Ase_o_fuku_onna2.jpg

(歌麿画:『汗を拭く女』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%8B%ADより)


『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%A6/%E6%89%8B%E6%8B%AD%E3%81%84-%E6%89%8B%E3%81%AC%E3%81%90%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

にも,

「庶民の間に広く普及していた江戸時代には、ハンドタオル、ハンカチのように水や汗で濡れた手や顔をぬぐうほか、入浴後に体をふくバスタオルの機能もはたしていた。(中略)庶民の誰もが手ぬぐいを持っていた江戸時代には、染色が発達しデザインも多様になり、手ぬぐいをもちよってそのデザイン性を競う競技会のような催しも行われたほどである。また手ぬぐいは、身体をぬぐうという本来の用途のほか、はちまき、ほおかぶり、あねさんかぶりなど、かぶりものとしても広く用いられ、物売りや農民など日中外で仕事をする人々のほか、夜間に人目を忍んで活動する泥棒にも、頭や顔を隠す必需品であった。」

とある。今日のマフラーの代用品でもあった。なお,「てぬぐい」の柄については,

https://kamawanu.co.jp/tenugui/origin.html
http://ky.japanese-towel.com/pattern.html

に詳しい。ところで,落語の世界で手ぬぐいのことを「まんだら」というらしいが,

800px-Kuniyoshi_Utagawa,_Man_on_a_boat.jpg

(歌川国芳「夕涼み」 手拭を両肩に廻している https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%8B%ADより)


斑,

とも当て,

「元来は仏教絵図だが、四角いところから言う」(『業界用語辞典』),
「手拭いを「マンダラ」という。折りたたんだところが斑というところから出た。」(『落語文化史』)
「扇子を風(かぜ)と呼び、開いたり畳んだりして、きせる、刀、箸、筆、竿、傘、お銚子、などを表現。手ぬぐいは何にでも化けることから曼荼羅(まんだら)と称し、手紙、本、財布、たばこ入れなどとなる。」(知恵蔵)

と,諸説あるらしいが,http://textview.jp/post/hobby/11244で,浄土真宗本願寺派 如来寺第19世住職の釈徹宗氏が,

「もともと『高座』という言葉は『お説教をする場所』を指していました。和服を着て座布団に正座する落語のスタイルは、仏教のお説教の影響を色濃く残していると言えます。お扇子を持つのもおそらく、お坊さんの使う、『中啓(ちゅうけい)(扇)』が源流でしょう。落語界では手拭いを『まんだら』と呼びますが、あれも、四角くて模様がついている様子を曼荼羅(まんだら)に見立てたわけです。また『前座(ぜんさ)』は、本格的な大説教者が出る前にお話する『前座(まえざ)』から来ています。そう考えると、説法と芸能という目的の違いはあるものの、形態は共通しているんですね。」

との説明が説得力がある。

参考文献;
今野信雄『江戸の風呂』(新潮社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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ラベル:手拭い てぬぐい
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2018年08月30日

石鹸


「石鹸」は,

シャボン,

のこととされる。明治初めまで,石鹸に,シャボンとルビさえ振った。『江戸語大辞典』にも,「しゃぼん」の項で,

「スペイン語でjabonの古い綴字xabonのポルトガル語訓みか」

として,石鹸の意とする。『大言海』も,「石鹸」の項で「しゃぼん」の意とする。確かに,石鹸は,

「日本には安土桃山時代に西洋人により伝えられたと推測されている[4]。最古の確かな文献は、1596年(慶長元年8月)、石田三成が博多の豪商神屋宗湛に送ったシャボンの礼状である。
最初に石鹸を製造したのは、江戸時代の蘭学者宇田川榛斎・宇田川榕菴で、1824年(文政7年)のことである。ただし、これは医薬品としてであった。
最初に洗濯用石鹸を商業レベルで製造したのは、横浜磯子の堤磯右衛門である。堤磯右衛門石鹸製造所は1873年(明治6年)3月、横浜三吉町四丁目(現:南区万世町2丁目25番地付近)で日本最初の石鹸製造所を創業、同年7月洗濯石鹸、翌年には化粧石鹸の製造に成功した。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E9%B9%B8

とされるのが一般的である。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/se/sekken.html)も,

「石鹸の『石』は固い物の意味。『鹸』は塩水が固まったアルカリの結晶、また灰をこした 水のことで、アルカリ性で洗濯にも使えることから、本来は『鹸』の一字で『石鹸』も意味 する。 つまり、『固い鹸』の意味として日本人が考えた造語である。南蛮貿易により渡来したが、当初は灰汁を麦粉で固めたものを言い、『鹸』の意味のまま用いられていた。江戸時代には『シャボン』が常用語として使われていたため『石鹸』の語はあまり見られないが、明治に入ると漢語重視の風潮になり、多く用いられるようになった。たたし、この当時の振り仮名は『シャボン』とされるのが普通で、『せっけん』と読まれるのは明治後半からである。」

とする。しかし,シャボンと石鹸は別物である,という。

慶長十七年(1612)に,東大寺三蔵(正倉院)の御宝物改めをした記録に,

「長持ち一つ,内しゃぼん一長持有」

とあるそうである(『江戸の風呂』)。つまり,慶長年間には調査した人間が「しゃぼん」という言葉を知っており,奈良時代からあった宝物をそう呼んだ。ただ,これは,

蜜蝋の類,

と今日では見なされている。上記にもあるが,慶長元年(1596)伏見大地震の見舞いに,博多の豪商神屋宗湛(1553-1635)が石田三成(1560-1600)宛にシャボンを贈っており,この時の礼状が,

「しゃぼん二被贈候遠路懇志の至り…」

と,残っているとか(仝上)。

「当時のしゃぼんの産地はおもにスペインで,『ペネチア石鹸』とか,『マルセーユ石鹸』『カスティリア石鹸』と呼ばれる高級品だった」

が,南蛮交易に進出した宗湛だからこそ入手できた(仝上)。

1024px-Marseiller_Seife.jpg

(マルセイユ石鹸(サヴォン・ド・マルセイユ)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E9%B9%B8より)


しんし,「石鹸」は,元来中国産である。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q127648597には,
石鹸を,

中国の湖の付近の石が、アルカリ性で泡が立ち、洗濯に使っていたのが語源,

とし,この石は、

「ラーメンのコシを出すのに使う事もあり、『灌水(かんすい)』とも、呼ばれています。」

とあるが,

「石鹸は元来中国産である。明の名医李時珍が,1590年に著した『本草綱目』のなかに石鹸という字があり,これを幕府の儒官林羅山(1583-1657)が二本に紹介したもので,製法はかの地の山東に産する草の灰汁にうどん粉をこねあわせて石のように固めたもので,洗濯にも使い,まんじゅうのふくらし粉にも使うとあるから,いわゆる脂肪酸アルカリ塩としてのしやぼんとは性質のちがうものだった。」

とある(『江戸の風呂』))。「鹸」(漢音カン,呉音ケン)の字を見ると,

「会意兼形声。『鹵(転々とアルカリの噴き出たさま)+音符僉(ケン・セン 引き締める,集めて固める)』」

とあり,

塩水の固まったアルカリの結晶,
あく,灰を溶かした水の上澄み,アルカリ性で選択に使える,

とあり,まさにこれが「石鹸」であり,シャボンとは全く別物。この字を当てて,シャボンと訓ませていた,ということになる。

しゃぼんは,江戸時代後半には蘭医学とともに薬用としておおいに利用され,明治五年,京都府が設立した舎密局(化学研究所)が石鹸製造を始めたというたという。さらに,

https://www.live-science.com/honkan/soap/soaphistory01.html

に,

「国産の石鹸が初めて売り出されたのは1873年(明治6年)。堤磯右衛門が1本10銭で棒状の洗濯石鹸を販売したのです。しかし、その品質は舶来の石鹸に比べて今ひとつでした。その後1890年(明治23年)には、国内初のブランド石鹸『花王石鹸』が発売になります。現在の花王石鹸創立者・長瀬富郎が製造販売したもので、桐箱に3個入って35銭。当時は米1升が6~9銭で買えましたから、それを考えると非常に高価な商品でした。」

とある。

因みに,サボテンはシャボテンとも言うが,

「日本には16世紀後半に南蛮人によって持ち込まれたのが初めだそうで、その南蛮人がウチワサボテン(↑の画像)の茎の切り口で汚れを拭き、樹液を石鹸(シャボン)として使っていたとか。そこで、石鹸のようなものという意味で石鹸体(しゃぼんてい)となったとか。」(http://coolum.sblo.jp/article/88317671.html

と,シャボンと関係がある由である。

参考文献;
今野信雄『江戸の風呂』(新潮社)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:石鹸 シャボン
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2018年08月31日

三助


「三助(さんすけ)」は,

下男の通名,
後に,銭湯で風呂を焚いたり浴客の体を洗ったりする男,

の意で,

「近世では,商家や町家の下男の通り名であったが,次第に風呂屋の男の使用人に用いられるようになった。燃料を町内や廻り場から集め,釜を焚き,また特に洗い場で浴客のあかすり,肩もみを行う職業として知られた。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

の説明が意を尽くしている。今日はほぼ見かけなくなった。

yuya.gif

(豊原国周作の『肌競花の勝婦湯』です。三助も見える。 番台には「おひねり」が盛られた三方が見えるので「紋日」の情景でしょう。「紋日」は元旦や五節句などの特別な日のことで、 「物日」とも書き「ものひ」、通人は「もんぴ」と言ったそうです。この日、湯屋は浴客に茶をふるまい、客はその返礼に十二文のおひねりを渡しました。http://www17.plala.or.jp/nitakara-gura/yuya2.htmlより)

「三助」の語源は,『日本語源大辞典』には,

「下男・小者など奉公人の通称」
と,
「銭湯で湯をわかしたり,客の体を洗ったりする男」

と,それぞれ由来を別とするとして,前者は,

「飯炊き女を『おさん』と呼ぶの対」(江戸語大辞典),

後者は,

「湯屋の下男に三助という名の者が多かったからか」(大言海),

と区別している。湯屋が始まるのは,天正十九年(1591)の蒸風呂らしいが,当初は,湯女を置いた。それが,明暦三年(1657)の湯女禁止令で,その後男に代わり,三助が登場するだから,いわば,商家の下男に当てていた名を振り替たとも言えるし,元々別系統ともいえるが,『大言海』の「三助」の説明は,

「垢掻男に,三助と云ふ名の者多かりしが故に,呼びしならむ。飯焚(めしたき)を権助,田舎人を権兵衛,丁稚を三太と呼ぶ例なり」

と,湯屋に限定している。『江戸語大辞典』は,

「飯炊き男の通名。飯炊き女を『おさん』と呼ぶのと対」

とし,更に,

「湯屋で,釜焚き男,また湯汲み男。客の背を流す。」

とし,下男→釜焚き男と転化されたという説のようだ。その他,「三助」語源には,

「越後から江戸へ湯奉公にきた三兄弟の名が,二之助,三之助,六之助と「助」の字が付き,しかも三人は骨身惜しまず働いて,客に人気があったところから,…三人の助,三助と呼ばれるようになった」
「慶安五年(1652)六月,湯女は三人までという町触れが出…,やがて風紀上の問題から湯女が男にかわり,三人の男ということで三助になった」
「聖武天皇の后光明皇后が,奈良法華寺の温室(浴堂)で施浴のため千人の垢を流すことを誓願しかし,たが,このとき皇后の手伝いをしたのが,早蕨(さわらび),小菊,皐月という典侍たちだった。典侍は別に『すけ』ともいい,その三人のすけで三助になった。」

等々の説がある(『江戸の風呂』)。どうも後世のこじつけの感じがする。むしろ,

「三助の『三』は炊爨(すいさん)の『さん』の意味で、炊爨やその他雑用を勤めたことによる。現代のように銭湯の浴室で浴客の垢すりや身体を洗う接客、その他雑用を行った男性被用者を一般に指すようになるのは享保(1716年 - 1736年)、または化政期以降である。それ以前の江戸時代は、雑用に従事し身分の低い男性奉公人である下男や小者の通称が三助であった。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8A%A9

とある,その「さん」が気になるのは,飯焚き女を,

おさん,
とか,
おさんどん,

と呼んだことだ。下男の意の「さんすけ」と「おさん」「おさんどん」の「さん」が共通しているのである。

「おさん」は,

御三
御爨,

と当てる。

台所で働く下女の通称。おさんどん,

だが,それから転じて,「おさんどん」で,

台所仕事,

を意味するよになる。語源は,

貴族の屋敷の奥向き「御三の間」の略から,
かまどをいう「御爨」に掛けたしゃれから,

とするのが大勢だ。『大言海』は,前者だが,「三の間」とは,

貴族の邸の奥向き,下婢の居る所,さんのま,

というらしいが,そこから下女を指す言葉になったというのは聊かこじつけずぎまいか。しかし,

http://www.gengosf.com/dir_x/modules/wordpress/index.php?p=66

に,

「『おさん』は、貴族や将軍などに雇われ雑用をする女、とくに飯を炊き炊事する女である。『飯をたき炊事する』にあたる和語は『かしく』で、これを古字書を見ると、古代から『炊』『爨』の漢字をあてていた。この二種の漢字で、漢字の字義上、和語『かしく』に対応する漢字は『爨』であり、この漢字を使用するのが正式であったと考えられる。それで下女を雇う貴族や将軍家などでは漢語を重視して『炊事』の言葉として漢語『爨』を用いるとともに、その炊事をする者をも指すようになり、ついには『お』を付して『おさん』と丁寧に扱いもしたようである。これが次第に敬意が逓減して下女の別名として使用された。一方、同じ役割の男にも『爨』に男を表す『助』を加えて『爨助』とし、最初は女の場合と同じく炊事用の水汲み、その薪割りの仕事などに従事した者とみられる。かくして男女ともに対応した語、『お爨(おさん)』「爨助(さんすけ)」を作り上げて体系ができたのである。」

と,ここまで説かれると首を傾げつつも黙るしかない。

個人的には,僕はそんな大層ないわれはない,と思っている。たとば,『日本語源大辞典』の,

「女中の名は,家々で決まった名のある所が多く,代々の女中の呼名をそれにし,その選定がたまたまいくつかの名に偏った場合の一つであろう」(擬人名辞典=鈴木棠三)

というのが妥当な気がしてくる。個々人の名前はなく,ただ役割名があった,他の誰に代わっても誰も気づかない。「三助」も同じで,

「飯炊きの下女をさんどんというように,三助もその程度の身分低き下男という意味ではなかったのだろうか」

というのが最も納得できる(『江戸の風呂』)。

参考文献;
今野信雄『江戸の風呂』(新潮社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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