2018年08月05日
弱虫
「弱虫」
意気地のないものを罵っていう語,
とある(『広辞苑』)が,『江戸語大辞典』の,
弱いこと,
弱いことを罵っていう語,
というのがシンプルなのではないか。「虫」は,いわゆる「昆虫」の意の他は,
癇癪,
腹痛,
などを指して,「腹の虫」「癇癪の虫」といったり,
ふさぎの虫,
というように,
「潜在意識。ある考えや感情を起すもとになるもの,古くは心の中にある考えや感情をひき起す虫がいると考えていた」(『広辞苑』)
それが広がって,
本の虫,
等々というが,その流れに,
虫が知らせる,
虫がいい,
虫が好かぬ,
虫が障る,
等々。それを拡げて,
「ちょっとしたことにもすぐそうなるひと,あるいはそういう性質の人をあざけっていう語」(『広辞苑』)
の中に,
弱虫,
泣き虫,
は入るようだ。この「虫」は,「むし」の項,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/450968686.html
でふれたように,
(唐代の中国の書『太上除三尸九虫保生経』にある三尸の画。向かって右から順に上尸、中尸、下尸。人の腹の中に棲むと信じられた https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B0%B8より)
虫の知らせ,腹の虫,腹の虫が治まらない,虫の居所が悪い,虫が(の)いい,虫が(の)好かない,獅子身中の虫等々の言い回しがされたのは,
「日本では《三尸の虫》(さんしのむし)というものの存在が信じられた。これは中国の道教に由来する庚申信仰(三尸説)。人間の体内には、三種類の虫がいて、庚申の日に眠りにつくと、この三つの虫が体から抜け出して天上に上がり、直近にその人物が行った悪行を天帝に報告、天帝はその罪状に応じてその人物の寿命を制限短縮するという信仰が古来からあり、庚申の夜には皆が集って賑やかに雑談し決して眠らず、三尸の虫を体外に出さないという庚申講が各地で盛んに行われた。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%AB)
とあり,体内に虫がいると信じそれがさまざまなことを引き起こすという考えを抱いていたからである。ちなみに,「三尸」とは,正確には,
「中国,道教において人間の体内にいて害悪をなすとされる虫。早く,晋の葛洪の《抱朴子》には,人間の体内に三尸がおり庚申の日に昇天し司命神に人間の過失を報告して早死させようとすると記す。くだって,宋の《雲笈七籤》所収の《太上三尸中経》では,三尸の上尸を彭倨,中尸を彭質,下尸を彭矯と呼び,この三彭は小児や馬の姿に似,それぞれ頭部,腹中,下肢にあって害をなす。庚申の日,昼夜寝なければ三尸は滅んで精神が安定し長生できると記す。」(『世界大百科事典 第2版』)
「庚申」とは,
「庚申の日に、仏家では帝釈天たいしやくてん・青面金剛しようめんこんごうを、神道では猿田彦を祀まつって徹夜をする行事。この夜眠ると体内にいる三尸の虫が抜け出て天帝に罪過を告げ、早死にさせるという道教の説によるといわれる。日本では平安時代以降、陰陽師によって広まり、経などを読誦し、共食・歓談しながら夜を明かした。庚申。庚申会。」
で,これを「庚申待ち」と呼ぶらしい。また,「三尸」とは,
「三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。
60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。
日本では平安時代に貴族の間で始まり、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B0%B8)
とあり,
「上尸・中尸・下尸の3種類があり、人間が生れ落ちるときから体内にいるとされる。『太上三尸中経』の中では大きさはどれも2寸ばかりで、小児もしくは馬に似た形をしているとあるが、3種ともそれぞれ別の姿や特徴をしているとする文献も多い。
病気を起こしたり、庚申の日に体を抜け出して寿命を縮めさせたりする理由は、宿っている人間が死亡すると自由になれるからである。葛洪の記した道教の書『抱朴子』(4世紀頃)には、三尸は鬼神のたぐいで形はないが宿っている人間が死ねば三尸たちは自由に動くことができ又まつられたりする事も可能になるので常に人間の早死にを望んでいる、と記され、『雲笈七籤』におさめられている『太上三尸中経』にも、宿っている人間が死ねば三尸は自由に動き回れる鬼(き)になれるので人間の早死にを望んでいる、とある。」(仝上)
と詳しい。
「弱虫」も,その「三尸(さんし)」のせい,ということになる。自分の咎ではない,と言い訳できるところがみそ。『笑える国語辞典』
https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%88/%E5%BC%B1%E8%99%AB%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/
は,「弱虫」の項で,
「弱虫とは、臆病な人、意気地のない人をあざけっていうときに用いる言葉。『泣き虫』が『すぐ泣いてしまう人』を意味するように、『虫』は『ある性格をもった人』のこと。しかし『弱虫』に対する『強虫』という言葉がないように、人間に追いかけ回されてたたきつぶされる貧弱な性質がすでにこの『虫』という言葉に表現されており、『金食い虫』『点取り虫』なども同様に、弱々しい性質の人をあざけるのに主に用いられる。ただし『本の虫』『研究の虫』などといったときの『虫』は、本にとりついて紙を食べる虫のように本や研究を生きがいとしている人をいったものであり、『弱虫』の『虫』ほどあざける気持ちはなく、同じ『虫』でもさまざまなプロフィールがあることを頭に入れておかなければならない。」
とし,既に,「三尸」が忘れられていることを示している(『大言海』は,「三尸蟲」(さんしちゅう)としている)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B0%B8
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95