2018年09月21日

まく(負く)


「巻く」と当てる「まく」は,関連する,

巻く,
捲く,

と,

枕く,
婚く,
纏く,

は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/461755507.html?1537386881

で触れた,「まく」に当てる,

播く,
撒く,
蒔く,

と, その他由来を異にする,

負く,
任く,
罷く,
設く,

について,続けてみたい。

播く,撒く,蒔く,と当てる「まく」は,『岩波古語辞典』に,

投げて一様に散らばらせる,

意とある。振りまく,種をまく,といった意味になる。『日本語源広辞典』の,

「マク(粉,粒を丸く散らし落す)」

では,なにやら同語反復のきらいがある。『日本語源大辞典』は,

マアク(間明)の義(名言通),
マク(間配)の義(言元梯),
マクバルの義(和句解),
バラバラという音からか。マとバは通音(国語の語根とその分類=大島正健),
マは廻囲の義(国語本義),
マヰクの義か(和句解),
マはモリ(漏)の語幹モの転か(日本古語大辞典=松岡静雄),

と,いずれもいまひとつである。僕は,「巻く」と関連するのではないか,という気がする。種をまく時,円を描くようにに播く。振りまく時も,同様である。こういう振舞の言語表現は,ひとつらなりなのではないか。

「負く」は,敗北の意と,値段を負ける,意とがある。後者は,前者を準えているので,敗北の意が先だろう。『大言海』は,両者を別項にし,敗北の意の「負く」は,

間を譲る意か,

としている。「負けさせる」意の「負く」は,「譲る」という意味のメタファとして使われたとみていい。

「負ける」の語源について,『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「マク(任)+ク」。相手の意のままになる意,
説2は,「マ(間)+ク」。相手に間を譲る意,

『日本語源大辞典』は,

敵に事をまかせる意で,マカスル(任)義(名言通),
任を活用したもの(国語本義),
マロカル(転軽)の義(言元梯),
アケルの転か,またマロバス(転)の義か(志不可起),
間を開いて歩を譲るの意(国語の語根とその分類=大島正健),
マケル(目消)の義(柴門和語類集),
マはメ(目),クルはクラムの義か(和句解),
真にクグマルの意(本朝辞源=宇田甘冥),
マコトの消える意(日本声母伝),

と挙げる。やはり,「任く」との関連に着目すべきだろう。「任く」は,任せる意である。『岩波古語辞典』は,

マカセ(任)と同根,

とし,「任せ」は,

「マケ(任)と同根。物事の進行を他の自由な意志・力のままにさせる」

とする。ほぼ「負け」と重なっている。

「任す」「任せる」の語源は,『日本語源広辞典』には,

「マケ(意のままにする)+ス」

とし,『日本語源大辞典』は,

マケス(任為)の義(日本語原学=林甕臣),
人を勝たせ自分を負けにして相手次第にする意から(和句解),
モタゲサス(持挙)の義(名言通),
君の目を臣に借す意で,マカス(目借)の義(柴門和語類集),

と,ほぼ,「負かす」と重なっていく。「負く」と「任く」は,同じ意味を,違う言い方で言っているだけに見える。敗北し,意に任かす,と。『大言海』は,「任く」の項で,

罷(まか)らすの約,

とするので,「罷く」ともつながっていく。「罷る」は,『岩波古語辞典』で,

マカセ(任)・マケ(任)と同根。天皇・主人など,自分を支配する者の命ずるままに,行ったりする意。自分の石に依らず相手の意志に従って動くので,相手に敬意を表することになり,後には謙譲表現になった」

とある。こうみると,先ず物理的な敗北の,

負く,

があり,次に心理的な敗北・隷属の,

任く,

があり,遂に下から見上げる隷属の目線から,謙譲の,

罷く,

となる,という変化であろうか。

「設く」は,設ける意だが,この「まく」だけは,独立のようである。「まく」は,「まうく」「もうく」と変化して用いられる。『岩波古語辞典』に,

将来の事態を見込んでそれに応じた用意をする意,

とある。この「設ける」は,「儲ける」に通じる。

マウクル(間受)の義(言元梯・国語の語根とその分類=大島正健),
マチウク(待受)の義(名言通。和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥),
マウケ(待請)の義(柴門和語類集),

と,マチウケという含意でいいのだろう。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2018年09月22日

まくら


「まくら」は,「まく(巻く)」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/461755507.html?1537386881

で触れたように,「巻く」は,『岩波古語辞典』に,

「一点,または一つの軸を中心にして,その周囲に渦巻状の現象や現状が生ずる意」

とあり,『大言海』には,

「圓く轉(く)る意か」

とし,

「渦の如く,クルクルと折り畳む」

とする。そして,

纏く,

をつなげ,

纏いつく,
絡み付く,

意とつなげている。そして,

枕く,

は,

「纏く意,マクラと云ふも頭に纏く物なれば云ふならむ」

とする。「枕く」は,

相手に腕をかけてかき抱く,

と,「巻く」とつながるのである。で,改めて,「まくら」に触れてみたい。「まくら」は,

枕,

と当てるが,「枕」(チン,シン)の字は,

「会意兼形成。右側の冘は,人の肩や首を重荷でおさえて,下に押し下げるさま。古い字は,牛を川の中に沈めるさま。枕はそれを音符として,木を加えた字で,頭で押し下げる木製のまくら。」

とある(『漢字源』)。

『日本語の語源』は,「まくら」の語源を,

「アタマオク(頭置く)の省略形としてマク(枕く・四段)という動詞が生まれた。『枕とする枕にして寝る』という意味である。」

という説は,逆立ちではあるまいか。「まく」という動詞は,「巻く」「纏く」「枕く」と意味の繋がりがあり,普通に考えれば,その「枕く」から「まくら」となったと見るべきではあるまいか。

pil_knd_img_1_01.jpg

(丸太を半月状に切り落として使用した。スギ、桂、桐、香木などが使用された。http://www.fujibed.com/pillow_museum/kind.htmlより)

pil_knd_img_1_03.jpg

(木枕(日本・飛鳥時代~・レプリカ)自然木の幹と枝をうまく使い枕に加工してある。ややバランスが悪い。仝上)


『大言海』は,「まくら」を,

「間座(まくら)の義。頭のすきまを支ふるなり」

とする。もしあるとすると,

枕く座,

なのかもしれない。「くら」は,『岩波古語辞典』に,

「鞍と同根」

とし,

「人や動物が乗る台,また物を乗せておく設備」

とある。「高御座(たかみくら)」「千座」「鳥座」等々,複合語に残っている。

『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「マ(間・床と頭の間)+クラ(座)」の大言海説。
説2は,「マク(枕く)+ら(接尾語)」。

『語源由来辞典』は,

http://gogen-allguide.com/ma/makura.html

「枕の語源は、『ま+くら』とする説と、『まく+ら』とする説がある。『ま+くら』の説には、頭 の隙間を支える意味で『間座(まくら)』、神・霊を召喚するために頭を乗せる意味で『真座(まくら)』などがある。その他、『ま』を『頭のま』とする説など数多くあるが,それぞれの言葉が使われていた時代が前後するため,有力な説とはされていない。
 『まく+ら』説は,『枕にして寝る』意味の『まく』に接尾語『ら』がつき名詞化されたというものである。万葉集に『大和女(やまとめ)の膝麻久(ひざまく)ことに 吾を忘らすな』と,『まく』の例がみられる。また『ま+くら』と『まく+ら』の中間に位置する『纏(ま)く+座(くら)』や『巻く(まく)+座(くら)』といった説もある。」

と書くが,「巻く」も「纏く」も「枕く」も,さらに「婚く」も,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/461755507.html?1537386881

で触れたように,ほぼ重なることを考えると,

枕く+座(くら)。

makukura→makura,

の転訛もありえる,と僕は思う。

『日本語源大辞典』は,『大言海』の「間+座」説以外に,以下のように諸説挙げている。

マはアタマの略。アタマクラ(頭座)の義(日本釈名・茅窓漫録),
アタマクラ(天顖座)の義(言元梯),
マクラ(頭座)の義か(箋注和名抄・雅言考),
目をおいてやすむところから,マクラ(目座)の義(類聚名義抄・俚言集覧),
メクラ(目座)の義(名言通),
メクラミ(目座)の義(日本語原学=林甕臣),
目鞍の義(名語記),
マはカミ(首)の義(東雅),
マク(枕)の義から(雉岡随筆),
動詞マク(枕)と同根(小学館古語大辞典),
古くは畑を巻いて枕としたところから,マン(巻)の義(古事記伝・俚言集覧),
マキクラ(纏座)の義(古事記伝・和訓集説・雅言考・菊池俗語考・日本語源=賀茂百樹),
マクとクラ(座)の合成語(国語の語根とその分類=大島正健),
神霊を呼び出す手段として枕するための。マクラ(真座)の義か(文学以前=高崎正秀),

「巻く」「纏く」「枕く」が重なるとすると,ほぼ,

まく(巻く・纏く・枕く)+くら(座),

に行きつくが,ひとつ,頭を乗せる,という意味の,

頭座,

は,いかにもありそうだが,「あたま」は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/454155971.html

で触れたように,。『岩波古語辞典』に,「あたま」は,

「古くは頭の前頂,乳児のひよめき。頭部全体は古くはカシラといったが,中世以後,アタマともいうようになり,カシラはだんだん文語的につかわれるようになった。」

とある。「あたま」は全体を指さなかった。

かしら+くら,

では語源とはなるまい。

参考文献;
http://www.fujibed.com/pillow_museum/kind.html
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:枕く まくら
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2018年09月23日

まげて


「まげて」は,「まげてお願いしたい」というように使うが,

枉げて,
曲げて,

と当てる。「枉」(オウ)の字は,直の対,

枉道(オウドウ),

道理を押し曲げる,

の意で使われ。「曲」(漢音キョク,呉音コク)も,「直」の対。

「象形。曲がったものさしを描いたもの」

とされる(『漢字源』)。

「まげて」は,『広辞苑第5版』には,

「『理』を曲げての意」

とあるが,『デジタル大辞泉』の,

「道理や意志に反して行動するさま。無理を承知で頼むときに使う。」

の方がわかりやすい。

無理に,
どうしても,

というより,

是が非でも,

というニュアンスである。『学研全訳古語辞典』には,

無理ではあろうが,ぜひとも,

とある。これが正確な気がする。「枉げる」のは,心ならずもの「心」は,

理想の「想」,
なのか,
道理の「理」,
なのか,
節義の「節」,
なのか,
規範の「矩」,
なのか,
情誼の「情」,
なのか,
志操の「志」,
なのか。

枉げたことが,大きくその後の生きざまを左右することもある。

「まげる」について,『岩波古語辞典』は,「曲がり」「曲げ」の項で,

「マガ(禍)と同根。湾曲,屈曲する意。真直ぐのものが好まれ,正しいものとされたので,マガリは悪く,ねじける意。類義語ユガミは均整を失って,左右どちらかに寄り,傾く意」

とある。それは漢字「曲」「枉」の含意と同じである。しかし,『大言海』は,「曲(ま)ぐ」の項で,

巻くに通ず,

とている。「巻く」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/461755507.html?1537386881

で触れたように,『大言海』は,

「圓く轉(く)る意か」

とし,

「渦の如く,クルクルと折り畳む」

とし,

纏く,

とつなげ,

纏いつく,
絡み付く,

意とつなげている。この場合,「曲がる」状態を「巻く」状態に重ねている。しかし,「巻く」の持つ,「纏く」とつながり「枕く」「婚く」と重なっていく含意と,「曲ぐ」の含意とは違い過ぎないだろか。しかし,『日本語源大辞典』は,

ものを円形にする意で,マロ(円)の転(国語溯原=大矢徹・国語の語根とその分類=大島正健),
マク(巻く)に通ず(大言海),
マは任すの意(国語本義),
マハリキアル(廻來有)の義(名言通),

と,いずれも「円」や「丸」と関わらせている。

改めて,『岩波古語辞典』のいう「禍(まが)」に当たると,『岩波古語辞典』は,

「マガリ(曲)と同根。真直ぐな,正しいものに対して,不正・害悪の意」

とするのだが,『大言海』は,

「枉(まが)の義。直(なお)の反」

とする。ここで「曲」に返ってくるのである。つまり,

枉(曲)げは,禍,

とつながるのである。さらに「禍」の語源をみると,たとえば,『日本語源広辞典』は,

「マガ(曲)」

とするし,『日本語源大辞典』も,

マカ(曲)の義(言元梯),
マガルの義(和訓栞),
マグ(曲)と同根(小学館古語大辞典),

と,「曲」と「禍」が重なる。『広辞苑第5版』には,「まが」の項で,

曲,
禍,

を当て,

邪なこと,
悪いこと,

としている。つまり,

曲がる,

は,

禍がごと,

なのである。とすれば,

「枉げてお願いします」

と頼まれたとき,禍事をお願いされていることになる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2018年09月24日

まる(丸・円)


「まる」は,

丸,
円,

と当てる。

「圓(円)」(エン)の字は,

「会意兼形声。員(イン・ウン)は,『○印+鼎(かなえ)』の会意文字で,まるい形の容器を示す。圓は『囗(かこい)+音符員』で,まるいかこい」

とあり,「まる」の意であり,そこから欠けたところがない全き様の意で使う。我が国では,金銭の単位の他,「一円」と,その地域一帯の意で使う。

「丸」(漢音カン,呉音ガン)の字は,

「会意文字。『曲がる線+人がからだをまるめてしゃがむさま』で,まるいことを表す。」

とある。もとは,弾丸や丸薬など,丸い粒状のものを意味したようである。我が国では,円形・球状,まるめる,まるごと(全部)の意で使う。丸を接頭語的に,丸裸,丸のまま,というのは我が国だけの用法である(以上『漢字源』)。

なお, 「丸」と「圓」の使い分けは,

圓は,方の対,まんまろきなり,形態に限らず,義理の上にも広く用ふ。圓満,円熟。韓非子に「左手畫圓,右手畫方,不能兩全」
丸は,弾丸なり,丸薬などの如くまんまるくころげるものなり,

とあり(『字源』),どちらかというと,丸は,粒,円は,方形に対し円いという含意である。

Enso.jpg

(「一円相(いちえんそう)」「円相図(えんそうず)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E7%9B%B8より)

『広辞苑第5版』は「まる」は,

マロの転,

とする。『岩波古語辞典』も,「まろ」を,

「マルの古形。球形の意。転じてひとかたまりであるさま」

とする。『日本語源大辞典』は,

「中世期までは『丸』は一般に『まろ』と読んだが,中世後期以降,『まる』が一般化した。それでも『万葉-二〇・四四一六』の防人歌には『丸寝』の意で『麻流禰』とあり,『塵袋-二〇』には『下臈は円(まろき)をばまるうてなんどと云ふ』とあるなど,方言や俗語としては『まる』が用いられていたようである。本来は,『球状のさま』という立体としての形状を指すことが多い。」

とし,更に,

「平面としての『円形のさま』は,上代は『まと』,中古以降は加えて,『まどか』『まとか』が用いられた。『まと』『まどか』の使用が減る中世には,『丸』が平面の意をも表すことが多くなる。

と,本来,「まろ(丸)」は,球状,平面の円形は「まどか(円)」と,使い分けていたが,「まどか」の使用が減り,「まろ」は「まる」へと転訛した「まる」にとってかわられた,ということのようだ。『岩波古語辞典』の「まろ」が球形であるのに対して,「まどか(まとか)」の項には,

「ものの輪郭が真円であるさま。欠けた所なく円いさま」

とある。平面は,「円」であり,球形は,「丸」と表記していたということなのだろう。漢字をもたないときは,「まどか」と「まる」の区別が必要であったが,「円」「丸」で表記するようになれば,区別は次第に薄れていく。いずれも「まる」で済ませたということか。『日本語源大辞典』には,

「『まと』が円状を言うのに対して『まろ』は球状を意味したが,語形と意味の類似から,やがて両者は通じて用いられるようになる」

とある。なお,「まとか」が,「まどか」と濁音化するのは,江戸時代以降のようである。

とすると,語源は,「まろ」と「まどか(まとか)」と,別々に探るしかない。

『日本語源広辞典』は,「まる」について,

「満(満三年・まる三年)です。manがmaruと音韻変化した語」

として,中国語「満」が語源とする。「満」は,満ちる意であり,「まる」を球形の意にに用いていたことと繋がりは見えるが,これでは,もともと「まろ」と言っていたこととどうつながるのだろうか。

『日本語源大辞典』は,

音を発するときの口の形から(国語溯原=大矢徹・国語の語根とその分類=大島正健),
マアル(真在)の義(日本語原学=林甕臣),
全の義(俚言集覧),

と挙げているが,いずれもちょっと説得力を欠く。僕は,臆説ながら,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/461755507.html?1537386881

で取り上げた,「巻く」と関係があるのではないか,と推測してみる。大言海』は,「巻く」を,

マルククル(円転),

としていた。 僕には,そこから「廻る」との関連が気になった。「廻(まは)る」は,『岩波古語辞典』には,

舞ふと同根,

で,

「平面を旋回する意」

とある。「舞う」の語源を見ていくと,『日本語源大辞典』に,

「類義語『踊る』があるが,それは本来,とびはねる意であるのに対して,『まう』は回る意」

とある。こう見ると,「巻く」は「まる」とつながり,「まる」は「廻る」とつながっていく。「まる」は,

廻る,

という動作や所作から生まれて来たのではないだろうか。

「まどか」の語源は,『日本語源広辞典』は,

「マド(円)+カ(状態)」

とする。『日本語源大辞典』は,

マタキ(全)と通ず(和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健),
マタキカタ(全形)の義(名言通),
マトは円の義(語簏),
マロカ(丸所)の義(言元梯),
タマ(玉)トイハンの略か,またマロク(円)の転か(和句解),
陽がのぼると先円い形であるところから,先起日の義(国語本義),

を挙げるが,「まどか」が平面であることを無視した説は捨ててよい。『日本語源大辞典』は,こう付記する。

「『まと』は『またし(全)』と同根で,円環が完成した状態を意味する。」

としている。しかし,僭越ながら,「全き」という抽象概念から,具象的な「円(まどか)」が生まれたということは,文字を持たない和語の状態からは考えにくい。むしろ逆であろう。その意味で,「まと」は,

的,

の「まと」ではないか。「円」を「まと」といい,「的」も「まと」といった(『岩波古語辞典』)。「的」の項で,『岩波古語辞典』は,

「(マト(円)の意か)弓を射る時の目標に立てておく物」

とし,『日本書紀』仁徳十二年の,

「高麗国,鉄の盾・鉄の的を貢る」

を引く。この形から来たという方が,納得がいく。「まと(的)」の語原は,『大言海』も挙げているが,『日本語源広辞典』は,

「マ(目)+処」

で,目あてにする所,とする。『日本語源大辞典』は,

一般的な形状からマトカ(円)の義(名語記・日本釈名・箋注和名抄・本朝軍器考・類聚名物考・名言通),
マト(目処)の義(国語溯原=大矢徹・音幻論=幸田露伴),
メアテシロ(目当代)の転か(和語私臆鈔),
メアテ(正鵠)の義(言元梯),
マは円,トは星の意の斗の意か(和句解),

と挙げ,形に注目させていないが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル: まる
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2018年09月25日

まる(麿・丸)


麿,
丸,

と当てる「まる」は,

まる(丸・円)

で触れた「まる(丸・円)」と同じく,

まろ,

の転である。「まろ」は,

麻呂,
麿,

と当てる。

「一人称,主として平安時代以降,上下,男女を通じて使われた」(『広辞苑第5版』),

とあり,『大言海』は,「まろ(麿・麻呂)」の項を三つ別に立てている。第一は,

「麿は麻呂の合字,生(うまれ)の約轉かと云ふ。我と云ふも生(あれ)なるべく(稗田阿礼など名とせしもあり),生子(むすこ),生女(むすめ)など,生まれた子の称あり。親より子を生(まろ)と云ひ,子自らも呼ぶやうになり,生(あ)れ継ぐ男子(おのこご)の称となりしなるべし」

とある。そして,意味を,

親より子を親しみて呼ぶ語(後世,子を坊と呼ぶが如し),
男子の名とする語,後,美称となり,高貴の児童の名に加ふ,
父母愛して,吾が見の如く思ふ由にて名づく。転じて,丸とも書く,

とする。二項目の「まろ(麿・麻呂)」は,

自称の代名詞。われ,の意,

で,三項目の「「まる(麿・麻呂)」は,

自称より転じて,人名の下に用いる,

とある。この経緯は,『岩波古語辞典』に,

「奈良時代には,多く男子の名に用いた語。平安時代には広く男女にわたって自称の語として使われ,親愛の情の籠められた表現であった。室町時代転じてマルになり,接尾語となった。」

とある。『日本語源大辞典』にも,

「名称の構成要素として,あるいは自称の代名詞として『まろ』を用いることがあるが,やはり中世期に『まる』に転じている。」

とある。どうやら,

子供への親愛の情のマロ,
から,
男の子の名前,
となり,
男女の自称,
となり,

遂に,接尾語となって,

犬の名,

としても,用いられるに至る。接尾語として,「まる」と転じて以降,「丸」と表記して,「牛若丸」というような人の名以外に,

名刀の名(蜘蛛切丸),
鎧(胴丸・筒丸),
楽器の名(富士丸,獅子丸),
船舶の名,

等々へと転用されていく。この「まろ→まる」は,円・丸の「まろ→まる」と,音は重なるが,別系統なのではないか,という気がする。この流れは,「丸・えん」の意味の流れとはまったく交わることはない。

船の名が愛称の流れからきているというのは,どうかと思うが,

「日本の船名のあとにつけられる語で,使われた上限は 12世紀末期までさかのぼる。一般に普及したのは室町時代以後で,小船を除いてほとんどの船が船名のあとにこの丸号をつけた。その由来には諸説があって,定説はない。しかし目下のところでは,刀や楽器などに丸をつけたのと同様に,船主が自己の所有船に対する愛称として用いたとする説が最も無難のようである。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

とある。ただ,この他に,

「本丸、一の丸などといった城の構造物を呼ぶときの「丸」からとられたという説。つまり船を城に見立てた」

という説がある(今日の船名は,明治期に制定された船舶法取扱手続きに、「船舶ノ名称ニハ成ルベク其ノ末尾ニ丸ノ字ヲ附セシムベシ」という項があり、これが今日の日本商船の船名に「丸」がつく大きな理由になったものらしいhttps://www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_029.html

城の「本丸」「二の丸」は,曲輪(くるわ)から来ている。郭(くるわ)とも書くが,これは,

「古築城は,くるくると円くめぐらせたり,丸と云ふ,是なり」(『大言海』)

と,その形状から来ている。あるいは,

「螺旋状に築くところから」

とも言われるのは,同じである。つまり,城の「本丸」「二の丸」は丸い曲輪の形状から,「まろ(円・丸)」から来ている。とすると,船は,その系譜ではなく,「まろ(麻呂・麿)」の系譜ということになる。

800px-Scale_model_of_Chihaya_castle.jpg

(多数の曲輪で構成された中世山城(千早城) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B2%E8%BC%AAより)


形状からでないとすると,では,「まろ(麿・麻呂)」の語源はどこから来たか。『大言海』は,

生(うまれ)の約轉,

としたが,『日本語源大辞典』は,

マルは不浄を入れる容器。鬼魔も嫌うものであるところから,それらが近づかないように祈願してつけたもの,また人徳円満の意をも兼ねる(海録所引貞丈漫筆・続無名抄),
ものをよく知っている人を言う角に対する丸の意から,卑下して付けたもの(松屋筆記所引宗固随筆),

を挙げるが,いずれもちょっと首肯しがたい。その謂われで,自称の名に用いるとは思えない。たしかに,「まる(放)」には排泄の意があるが,古形は「まろ」であったことを考えると,『大言海』説,

生(うまれ)の約轉,

以上の説は見当たらない。

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2018年09月26日

まわる


「まわる」は,

回る,
廻る,

と当てる。「回(囘)」(漢音カイ,呉音エ)は,

「象形。回転するさま,または小さい囲いの外に大きい囲いをめぐらしたさまを描いたもの」

であり,「廻」(漢音カイ,呉音エ)は,

「会意兼形声。『回は,まるく回転するさまをしめす。印は,『廴(ひく,すすむ,行く)+音符回(まわる)』で,ぐるぐるとまわって進むこと」

で, 若干含意に違いはある。

さて,「まわる」は,『日本語源広辞典』に,

「メ(目)が語源です。『マワ(目の回転)+ル』が語源です。『マワ(目の回転)+ス』も同源の他動詞です。」

とする。しかしこれでは,「まわる」という詞を前提にしており,「まわ」の語源を説明しなければ,語源として中途半端である。

『岩波古語辞典』は,

「マヒ(舞)と同根。平面上を旋回する意。」

とある。これだと,『日本語源広辞典』の「マワ(マハ)」の説明になっている。

「舞ふ」の項では,『岩波古語辞典』は,

「マハリ(廻)と同根。平面上を旋回運動する意。類義語ヲドリは,跳躍運動する意が原義」

とある。「まい・おどる」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/448651477.html

で触れた。この「まわる」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/461823271.html?1537729696

でも触れたように,「まる(丸・円)」は,「巻く」と関係があると推測する。『大言海』は,「巻く」を,

マルククル(円転),

としていた。 当然そこから「まわる」との関連し,「まわる」は「舞う」とつながり,「まる(丸・円)」と「巻く」ともつながる。言葉が,動作や振舞を起源とすることは多い。

「舞う」について,『日本語源広辞典』は,

「マ(回)+フ(継続)」

とし,『日本語源大辞典』の諸説も,

マハス(廻)の義(名言通),
マハルの約(名語記・和句解),
マハリフル(廻経)の義(日本語原学),
マハルと同根(岩波古語辞典),
円状に回転するところか,マロ(円)の転(日本語原考),
マヒのマはタマ(玉)・マル(丸)・マワル(廻)などの語幹(日本古語大辞典)
マは周の義,フは進む義(国語本義)
幻術の意の梵語マヤから(和語私臆鈔),

等々,「まわる」と絡まっている。つまり,

まう→回る→巻く→まる(丸・円),

と,動作から抽象概念へと抽出されていくプロセスなのではないか。

「くるま(車)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/458661930.html)も,

「くるくる」回る,

という擬態語から来ている。『擬音語・擬態語辞典』には,

「『くるくる』は平安時代から見られる語で,奈良時代には『くるる』と言った。「枢」(くるる)は,「くるぶし」て触れたように(http://ppnetwork.seesaa.net/article/458644074.html?1523042309),

回転軸となる軸材,

の「まわる」機能からきている。『大言海』は,

「クルは,回轉(くるくる)の義,マは,輪と通ずと云ふ(磯間[いそま],磯曲[いそわ]。曲[ま]ぐる,わぐる)。或は,クルクル廻はる意か」

とある。これも,回るという擬態語から,「くるま」が抽出されている。「まわる」は「舞う」から来たと見ていいと思う。

ちなみに,似た語で「めぐる(廻る・巡る・回る)」は,

「物の周囲を一周りするように囲む意。転じて,一つ方向に順次移動して,再び出発点に戻る意。類義語ミ(廻)は,曲線にそって動く意,モトホリ(廻)は,ひとつ中心をぐるぐる回る意。マハリ(廻)はマヒ(舞)と同根で,平面上を大きく旋回する意」

とある。「まわる」は,主体的な視点なのに対して,「めぐる」は,客体的な視点名の気が,基本的に違う。廻り方の差というよりは,発話の視点の差なのではないか,と思う。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:まわる 回る 廻る
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2018年09月27日

めぐる


「めぐる」は,

廻る,
巡る,
回る,

と当てる。「巡る」以外は,「まわる」と訓むのかどうかは,文脈に依存するほかない。「巡」(漢音ジュン,呉音シュン)は,

「会意。川は,川の流れが大地をめぐることをあらわす意。巡は『川+辶(すすむ)』で,川の水のようにぐるりとめぐること」

とある(『漢字源』)。「回」「廻」との違いは,

「回は廻るに同じ。もと水のうずまき流れる貌なり。旋に近し。」

とある(『字源』)ので,「回」「廻」は回転のイメージが強い。因みに,「周」は,

「帀(ソウ,めぐる)なり。ぐるりと一まわりするなり」

とあり,「旋」は,

「行・巡・周などとは異なり,物のくるくると幾遍もめぐるなり」

とある。「行」は,ここでは,

「巡行と連用す。ひと通りめぐり行くこと」

とある。ついでに「運」は,

「めぐりて行くこと,日月之運行,四時之運の如し。世運は,時代のうつりかわりて行くことことなり」

とある(『字源』)。

『岩波古語辞典』には,「めぐる(廻)」について,

「物の周囲を一周りするように囲む意。転じて,一つ方向に順次移動して,再び出発点に戻る意。類義語ミ(廻)は,曲線にそって動く意,モトホリ(廻)は,ひとつ中心をぐるぐる回る意。マハリ(廻)はマヒ(舞)と同根で,平面上を大きく旋回する意」

と区別している。

『大言海』は,「めぐる(廻・回・旋)」について,

「目轉(めく)るの義か,或は,圓繰(まじく)るの略轉かと云ふ」

とする。「まく」「まわる」「まる」との関連は当然予想される。『日本語源大辞典』は,

メクル(目転)の義(名言通・大言海),
目牽の義(和句解),
目の暗くなる意(和句解),
ミエカクレル(見隠)の反(名語記),
メはマル(円)のマの転(国語の語根とその分類=大島正健),
マロクル(円繰)の略転か(大言海),
マクル(間転)の義(言元梯),
アメメグる(天行)の略(和語私臆鈔),
メグ得るの義。メは起こり始める意。グは付止まらない意(国語本義),
動詞マグ(曲)の派生語(続上代特殊仮名音義=森重敏),

と諸説挙げ,『日本語源広辞典』は,

「メ(物の次第。順序)+繰る」

で順序が回る,とするが,「繰る」は,『日本語源広辞典』自身が,

「タグルカラ,タの脱落」

と語源をするように,「手繰る」は,こちらへ引き寄せる意で,「めぐる」の意の「まわる」のイメージとはかけ離れているのではあるまいか。ただ『大言海』は,「くる」に,

繰る,
刳る,

の二項に分け,「繰る」について,

廻らして手繰り引く,

の意とし,「刳る」を,

廻らし,穿つ,

の意とするので,「廻る」意がないとは言えない。しかし『岩波古語辞典』の「くる(繰・絡)」の意は,

「糸などの細長いものを手許に引いて寄せる」
「順次引き出す」

意で,「綿繰車にかけて,綿花の種子を捨てる」意が,辛うじて引っかかる。どうも,「まわる」意味とは直接つながらない。

また,「メ」を「目」と当てるのは,「目」の古語は,「マ」であることから考えると,ただちに,「メクル(目転)」と当てるのには,疑問が残る。

完全な億説だが,「まわる(回る)」が,名詞化し「まわり(周)」になり,その「まわり」との関連で「めぐり(廻り)」となり,それが動詞化して「めぐる(廻る)」になったと考えるが,どうだろう。音韻を無視しているが,動作が名詞化し,その名詞の類縁から「めぐり」「めぐる」になった,と。

その意味で,上記の,

動詞マグ(曲)の派生語(続上代特殊仮名音義=森重敏),

に与したい。「曲ぐ」は「巻く」にも「まる(円・丸)」にも通じる。ただ,難点は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/461807273.html?1537644057

で触れたように,「曲げ」は,「禍」に通じる。ちょっと「まる(丸・円)」とは乖離するところだ。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
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コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2018年09月28日

焼きが回る


「焼きが回る」は,

刀の刃などを焼く時も,いき渡り過ぎてかえって切れ味が悪くなる,

という意味から,転じて,

齢を取ったりして能力が落ちる,

意で用いられる(『広辞苑第5版』)。しかし,転じるにしても,火が回り過ぎることが,転じるとしても,齢を経て能力が落ちるいとは,どうもつながらない。「火がいきわたりすぎる」ことと「齢を経ること」とのつながりがよくみえない。

DebaBocho.Cleaver.Japan.jpg



「日本刀を製造する過程で、硬くする目的で火に入れることはよく知られています。しかし、あまり火を入れすぎると、かえって切れ味が悪くなることもあるそうです。このことを『焼きが回る』と表現したのが、転じて『能力が落ちる』という意味になったのです。」http://aslan-bun.com/?p=2504

という説明だと,火を入れ過ぎるのを「焼きが回る」といい,切れ味が劣るという意味から,「能力が落ちる」意になるのまではわかる。しかし,それが「齢を取って」問い意味が出てくるのは,火が回り過ぎる,つまり時間が過ぎる,という意味なのだろうか。

たとえば,

「焼き入れする場合、刀身に焼刃土(やきばつち)を塗ります。主成分は耐久性のある粘土で、木炭の粉や砥石の粉などを混ぜて作りますが、伝法によって焼き入れの温度が違うため、各自工夫したものを作ります。重要なのは高温に耐えられ、簡単にはげ落ちてしまわないものを作るということです。粘土は熱によって焼き締まるので刀身に貼り付き、砥石の粉は焼刃土のひび割れを防ぎ、木炭の粉は焼き入れの促進と断熱の役割を果たしていると考えられています。
火造りが終わった刀身を藁灰で洗って油分を取り、十分に乾かしてから焼刃土を塗ります。刃になる部分には薄く、それ以外は厚く塗ります。自分が目指す刃文の形に塗り、足(あし)などを入れる場合はヘラの薄い部分に焼刃土を付け、足を入れる部分に置いていきます。」http://www7b.biglobe.ne.jp/~osaru/dekirumade.htm

「焼き入れする前の日本刀の組織は、アルファ鉄というものになっていますが、加熱していくと726度で変態します。これをA1変態点といいアルファ鉄がガンマー鉄に変化する点です。刃文が出るようにするには、A1変態点以上に熱しなければなりません。ただし、800度以上になってしまうと鉄の結晶が肥大化してしまいます。最も硬くなるのは750~70度に達したときです。…焼き入れ直前の日本刀はアルファ鉄がガンマー鉄に変わり、オーステナイトという組織になっています。これを水中で急冷するとガンマー鉄がアルファ鉄に変わりマルテンサイトという組織になります。日本刀の刃の部分は薄く、焼き刃土も薄く塗ってあるので、水に入れると瞬間的に冷却されマルテンサイトに変化します。マルテンサイトは硬度が非常に高く、物を斬るのに適しています。また、オーステナイトからマルテンサイトに変化すると膨張します。つまり刃の側が膨張するので自然と反りが生じるのです。」http://www7b.biglobe.ne.jp/~osaru/kagaku.htm#yakiirenokouka

を見ると,ひとつは,粘 土,木 炭 粉,砥 石 粉 な どを水で練 り合わせた「焼 刃土」の塗り方であり,いまひとつは,冷却する水であるように見える。「講談などで師匠の焼き入れの際の水の温度が知りたくて、湯舟に手を入れて温度を知ろうとした弟子が師匠にその手を切り落とされた」(仝上)といった話があり,「焼きが回る」につながることは見つけられない。

「通常高温の金属を水で急冷する場合金属と水との温度差が大きいと金属表面付近の水が激しく沸騰し,そこで生じる蒸気が薄 い膜となって金属表面全体を覆う(膜沸騰段階)この段階では水と金属が直接接触していないため,冷却は緩 やかとなる.これがある温度に達すると蒸気膜が切れ,水と金属が直接接 するようにな り(核沸騰段階),金属は急激に冷却されるようになる焼刃土を塗るとこのうちの膜沸騰段階が生じず,冷却開始直後から核沸騰段階となって金属が急冷されるため,焼刃土を塗った方が早く冷却される結果になるのである」.(上原拓也・井上達雄「日本刀の焼入れにおける焼刃土の効果」)

と,やはり冷却に焦点が当たっている。ただ,

「高炭素の備前伝では 780℃,低炭素の相州伝では 800℃程度と,いずれも Ac1 変態点(760℃ ) 以上に加熱し,前者では常温から 40℃,後者では約 80℃の水に焼入れる」

とあり,この微妙な火加減,温度加減を言っているのだとすると,ほんの数秒単位のことを指しているやに思われる。

「この焼き入れによって刀身に自然とおよそ二分五厘(7.5粍)の反りが生じます。それは刃側の鉄組織が膨張するのに対し、棟側は焼刃土を厚く塗っているため膨張せずにいるからです。」(仝上)

とあり,焼き入れの時間の微妙さが伝わってくる。『江戸語大辞典』を見ると,

焼きが廻る,

で,

火加減がいきわたり過ぎて却って切れ味が悪くなる,

意から,転じて,

鋭さがなくなる,

とある。ここまでが本来の意味の転化なのだろう。つづいて

頭の働きや腕前が衰える,
老いぼれる,
すっかり古びる,

とあるので,鋭さがなくなる,から,老いへと転じ,古びると転じた流れが見える。

その焼き入れ時間の微妙さは僕にはわからないが,むしろ,似た言い回しで,

刃金が棟に回る,

の方が実感がある。その意味は,

「(『棟』は刀のみね)刃の鋼の部分がすり減って,みねの部分を刃として使うようになってしまう。知恵や力量が衰えることの喩え」(『故事ことわざ辞典』)

とある。それだけ使える刃は,いいものだったということでもあるが。

『笑える国語辞典』の,

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%84/%E7%84%BC%E3%81%8D%E3%81%8C%E5%9B%9E%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

「焼きが回る」の説明がなかなかふるっている。

「焼きが回るとは、刃物の制作過程である焼き入れをやりすぎて刃がもろくなり、切れ味がわるくなるということで、年を取るなどして能力が落ちるという意味で用いられる。仕事を頼まれた高齢の職人がうまくできなくて、『オレも焼きが回ったものだ』などと嘆息するといったシーンがありがちだが、このじいさんは、焼きが回っていなければ(つまり若いうちは)オレも日本刀のように切れまくっていたのだと、言い訳しつつ実は大いに自慢しているのである。」

「焼きが回る」と「刃が棟に回る」は関連があるらしいhttp://www.web-nihongo.com/edo/ed_p0116/

「江島其磧(えじまきせき)の浮世草子『世間娘気質(せけんむすめかたぎ)』(享保2年〈1717〉序)に、『亭主手の物(得意なこと)と料理自慢の包丁の焼がむねへまはり、鰒汁(ふぐじる)の仕ぞこなひに客も其身(そのみ=本人)も大きにあてられ(死んでしまう)』とある。
 包丁のむね(刀のみね)を引用し、焼きが包丁のむねのほうへまわるといっている。この『世間娘気質』の譬(たと)えの場合、「焼き」(刀剣などを鍛えるために熱処理すること)が、本来あるべき包丁の刃の部分に回らず、むねのほうに回ったというのだから、得意としていた料理の腕前の包丁さばきが発揮されなかったという意味にとれる。」

とある。「焼きが棟に回る」の方が,「焼きが回る」よりも,「焼き入れ」の失敗が明晰に思える。

なお,「地金」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/413474051.html

で触れた。

参考文献;
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsms1963/44/498/44_498_309/_pdf
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2018年09月30日

まるで


「まるで」は,

丸で,

と当てる。「丸で夢のよう」という使い方をする,

ちょうど,あたかも,さながら,

という意味と,下に否定語を伴って,「丸で駄目だ」という使い方をする,

全く,まるっきり,全然,

という意味とがある。

「丸で」と当てるように,当然「まる」と関わることが推測される。『日本語源広辞典』は,

「マル(丸・円)+で」

とし,

「すべての点から見て,欠かさないで,そのままの意」

とする。当然,

丸っきり,

も同じで,

「マル(丸・全部)+キリ(限り)」

で,

すっかり,すべて,

の意となる。このことは,「まる」の意に,

完全なこと,
丸のまま,

の意があることからも納得がいく。「まるまる」で,

すべて,
すっかり,

という意で使うし,「まろ(丸)げ」「丸める」

全てひとまとめにする,

という意味になることにもつながる。それを否定に使って,

まるっきり(ダメ),

というのも意味のつながりとして理解できる。しかし,

まるで~みたい,

と喩えるのに使うのはどこから来たのか。面白いのは,『江戸語大辞典』の「まる」の,

芝居者用語,土間桟敷の借り切り,
丸札の略,

意味に続いて,「まるで」の項があり,

本物そっくりに,実物同然に(「丸でやる気か」天保五年春色辰巳園),
あたかも,さながら(天保八年「宛然(さながら)湯でたての蛸のやだね」娘太平記),
残らず(天保八年「さっぱりまるでむきだして言って聞かせてくれなねへ」春告鳥),
全く(文政十年「全然(まるで)干上がって居る」藪の鶯),

の意味が載る。「まるに」という言葉もあり,

まるっきり,全然,

という意味が載る。「宛然」を「まるで」と訓ませたり,「全然」を「まるで」と訓ませたり,とルビから始まったもののようだ。どうやら,「全然」が今日否定を伴わない言葉として使われるように,「まるで」は,この時期意味を転じたらしい。「まるで」はまだ認知されていなかったのか,『岩波古語辞典』『大言海』には,「まるで」は載らない。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ma/marude.html)は,「丸で(まるで)」について,

「まるでは漢字で『丸で』と書くように、円を表す『丸』に由来する。丸は、欠けたところが 無いことから、『完全』『全部』の意味を表すようになった。江戸中期から、完全に似て いるさまを表した『まるで』の形があらわれ、『あたかも』の意味が生じた。『まるで違う』『まるで駄目だ』といった、下に否定的な意味の語を伴い、まさしくその状態である事を表す『まるで』は明治時代にはいってからである。」

とある。この変化の機微はわからない。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:丸で まるで
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