2018年09月02日

風呂


「風呂」は,

「もともと日本では神道の風習で、川や滝で行われた沐浴の一種と思われる禊(みそぎ)の慣習が古くより行われていたと考えられている。仏教が伝来した時、建立された寺院には湯堂、浴堂とよばれる沐浴のための施設が作られた。もともとは僧尼のための施設であったが、仏教においては病を退けて福を招来するものとして入浴が奨励され、『仏説温室洗浴衆僧経』と呼ばれる経典も存在し、施浴によって一般民衆への開放も進んだといわれている。特に光明皇后が建設を指示し、貧困層への入浴治療を目的としていたといわれる法華寺の浴堂は有名である。当時の入浴は湯につかるわけではなく、薬草などを入れた湯を沸かしその蒸気を浴堂内に取り込んだ蒸し風呂形式であった。風呂は元来、蒸し風呂を指す言葉と考えられており、現在の浴槽に身体を浸からせるような構造物は、湯屋・湯殿などといって区別されていた。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%91%82)。『広辞苑』には,

「ムロ(室)の転か。一説に『風炉(ふろ)』からとも」

とある。上記ウィキペディアも,

もともと「窟」(いわや)や「岩室」(いわむろ)の意味を持つ室(むろ)が転じたという説,
抹茶を点てる際に使う釜の「風炉」から来たという説,

の二説を挙げる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%91%82)し,『日本語源広辞典』も同じである。因みに「風炉」(ふろ)は,茶道で、茶釜を火に掛けて湯をわかすための炉のことで,釜の下で火を焚いてお湯を沸かすという共通点があるものの,かつては蒸風呂であり,ちょっと後世の説に思える。

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(名古屋城本丸御殿の風呂屋形、裏側にある竈から蒸気を供給する蒸し風呂 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%91%82より)


『大言海』は,

「湯室の略轉。又一説に,ムロの轉。土窟,石窟の義と(新村出の説)」

とする。常識的には,

ムロ,
ないし,
ユムロ,

の轉ではないか,という気がする。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/hu/furo.html)は,

「風呂の語源は、物を保存するために地下に作った部屋の『室(むろ)』からとする説。 茶の湯で湯を沸かすための『風炉(ふろ)』からとする説。 『湯室(ゆむろ)』が転じたとする など諸説ある。 風呂は平安時代末頃から存在したが、蒸気を用いた蒸し風呂形式の ものをいった。湯をはって浴槽につかる形式の風呂は江戸初期から現れるが、『湯屋』『お湯殿』といって風呂と区別されていた。正確な語源は未詳であるが、用いられた形式を考慮すると『湯室』の説は考え難く、お茶の『風炉』も『湯』を主に考えると難しいため、『室』の説がやや有力と考えられる。」

と,「室」説を採る。『江戸語大辞典』の「風呂」の項には,

「家庭に設けた浴場・浴槽。その他は固有名詞・慣用語にいうのみ」

とあるのは,一般には,「湯屋」といったためと思われる。

『ブリタニカ国際大百科事典』は,

「穴倉や岩屋を意味する室 (むろ) から転じた言葉で,元来は湯に入ることと区別されていたが,江戸時代中期以降,湯の中にからだを入れる湯殿と風呂場との区別がなくなった。蒸し風呂は初めからだを清潔にするためよりも疲労を除き,病を養う目的が強く,室町時代に京都の寺院などの施浴から始り,市中にも風呂屋,湯屋が現れて大衆化した。町風呂は慶長年代に単なる銭湯から湯女をおく庶民の享楽の社交場になっていった。」

と,「室」説を採る。『百科事典マイペディア』は,

「室(むろ)から転訛した語といわれる。古くは石を焼いて水に投じ温浴。釜で湯を沸かし蒸気を室内に充満させる蒸風呂は,寺院の僧侶が湯気で膚をやわらげ垢(あか)を落とすのに使用したもので,のち一般に普及したといわれる。」

とし,『とっさの日本語便利帳』も,

「古い風呂が、室の中に蒸気を充満させて身体を温めて、垢を落とす蒸し風呂であったため『むろ』と呼ばれ、それが『ふろ』に転じた。」

とする。極めつけは,『日本大百科全書(ニッポニカ)』の,

「『ふろ』の語源は室(むろ)から転じたものといわれ、窟(いわや)または岩室の意味である。石風呂(いわぶろ)(または岩風呂)というものが、瀬戸内海沿岸あたりからしだいに発達して周辺に広がっていった。海浜の岩窟(がんくつ)などを利用した熱気浴、蒸し風呂の類(たぐい)である。また自然の岩穴でなく、石を土などで築き固めた半球形のものもある。これらの穴の中で、雑木の生枝、枯れ枝などをしばらく焚(た)くと、床石や周辺の壁が熱せられ、そこに海藻などを持ち込み、適当な温度になったところで中の灰をかき出すか、または灰をならして、塩水に浸した莚(むしろ)を敷き、その上に横臥(おうが)して入口をふさぐ。暖まると外に出て休養し、また穴の中に入るということを何回か繰り返す。雑木の枝などを燃やすことによって、植物に含まれる精油その他種々の成分が穴の中にこもり、また海藻を持ち込むことは、水蒸気の中に塩分とかヨード分が含まれることになるので、往古の人にとって保健療治の効果は大なるものがあったに違いなく、自然に獲得した知恵としては驚嘆に値する。瀬戸内海沿岸および島などに弘法大師(こうぼうだいし)の広めたと伝える石風呂遺跡の多い理由も、これらのことから理解しやすい。」

とある。『日本語源大辞典』をみると,

ムロ(室)の轉(風呂の起源=柳田國男・国語学叢書=新村出・話の大辞典=日置昌一・万葉集叢攷=高崎正秀・湯屋と風呂屋=喜田貞吉),

で,「湯屋」説は『大言海』のみ,

茶の湯のフロ(風炉)から(名語記・守貞漫稿・和訓栞・話の大辞典=日置昌一・上方語源辞典=前田勇),

が風炉説である。

薬草などを入れた湯を沸かしその蒸気を浴堂内に取り込んだ蒸し風呂形式,

の蒸風呂を考えると,

「窟」(いわや)や「岩室」(いわむろ)の意味を持つ室(むろ)が転じた,

とする「室」説が妥当なのだろう。その蒸風呂,平安時代になると寺院にあった蒸し風呂様式の浴堂の施設を上級の公家の屋敷内に取り込む様式が現れる。『枕草子』などにも、蒸し風呂の様子が記述されている。

浴槽にお湯を張り、そこに体を浸けるというスタイルは,江戸時代で,戸棚風呂と呼ばれる下半身のみを浴槽に浸からせる風呂から,風呂と呼ばれる全身を浴槽に浸からせる風呂へと転じていく。

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(「女湯」 大判錦絵2枚続 鳥居清長画 天明後期 ボストン美術館蔵。銭湯を詳細に描いた浮世絵としては、最も早い時期の作品。画面右、衣服棚がある畳敷のところが脱衣所。画面中央の板敷の間が洗い場、その間に竹を並べて水はけを良くしている。中央上、下半身のみの女性が見えるところが石榴口で、湯が冷めないよう出入口が低くなっていた。左上の小窓から見える男は三助。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%AD%E6%B9%AFより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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posted by Toshi at 04:26| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする