2018年09月13日

化け猫


「化け猫」というと,ある年代の人には,

鍋島の化け猫騒動,

が記憶に残る。単なる怪談話だが,

「佐賀藩の2代藩主・鍋島光茂の時代。光茂の碁の相手を務めていた臣下の龍造寺又七郎が、光茂の機嫌を損ねたために斬殺され、又七郎の母も飼っていたネコに悲しみの胸中を語って自害。母の血を嘗めたネコが化け猫となり、城内に入り込んで毎晩のように光茂を苦しめるが、光茂の忠臣・小森半左衛門がネコを退治し、鍋島家を救うという伝説」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%96%E3%81%91%E7%8C%AB

である。この背景にあるのは,沖田畷の戦いで討ち死にした龍造寺隆信に代わって,鍋島直茂(隆信の生母慶誾尼が鍋島清房の継室となったため,隆信の従弟(直茂の生母と隆信の父が兄妹)で義弟)に実権を握られ,藩を簒奪されたと思った孫の高房が自害したという歴史的背景が,怪談話化へと展開した,と見られている。

Ryūzōji_Takahusa.jpg

(龍造寺高房像(天祐寺蔵、佐賀県立博物館保管)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%80%A0%E5%AF%BA%E9%AB%98%E6%88%BFより)


それにしても,なぜ猫か。

「ネコが妖怪視されたのは、ネコが夜行性で眼が光り、時刻によって瞳(虹彩)の形が変わる、暗闇で背中を撫でれば静電気で光る、血を舐めることもある、足音を立てずに歩く、温厚と思えば野性的な面を見せることもあり、犬と違って行動を制御しがたい、爪の鋭さ、身軽さや敏捷性といった性質に由来すると考えられている」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%96%E3%81%91%E7%8C%AB)が,

「化け猫の俗信として『行灯の油を舐める』というものがあり、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』にも、ネコが油を舐めることは怪異の兆候とある[6]。これは近世、行灯などの灯火用に安価な鰯油などの魚油が用いられ、ネコがそうした魚油を好んで舐めたためと見られている。また、当時の日本人の食生活は穀物や野菜類が中心であり、その残りを餌として与えられるネコは肉食動物ながらタンパク質や脂肪分が欠乏した食生活にあった。それを補うために行灯の油を舐めることがあり、行灯に向かって二本足で立ち上がる姿が妖怪視されたものとの指摘もある。」

ともある(仝上)のに,猫が化ける,との俗説は強く,たとえば,

「尻尾の完全な猫は化けるという俗信があり仔猫のちに人が尻尾を切断して根元だけをわずかに残す習俗」

が最近まであった(『日本怪談集 妖怪篇』)。あるいは,

「猫を飼うには,最初その猫に向かい『二年間飼うてやる』とか『三年間飼うてやる』とかいって,あらかじめ年限を定めて飼わねばならぬ。もし年限をきめずにおくと,年老いて古猫になり化けるからいけない。年限を定めておくと,その年期が満つればねこはどこともなく行ってしまう。また猫は毒を喰うか殺されるかしないかぎり,その死骸を人間に見せないものであるという。」

等々。僕も,猫は「死骸を人間に見せない」という話を聞いたこともあるし,どこかへ消えてしまって帰ってこなくなった猫も何代かいた記憶がある。ま,俗説ではある。

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(与謝蕪村画『蕪村妖怪絵巻』より「榊原家の化け猫」。深夜の古屋敷で手拭をかぶって踊るネコを描いたもの。本文中には「夜な夜な猫またあまた出ておどりける」とあるものの、尾が二股と伝えられる猫又と異なり、尾は1本として描かれている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%96%E3%81%91%E7%8C%ABより)

古猫については,

「古猫の尻尾の二本に裂けた猫股(猫又とも)はよく化ける」

とか,

「飼猫が一三年たつと化けて人を害す」

という。この辺りは「化け猫」は,

「猫又と混同されることが多く、その区別はあいまいである。」

とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%96%E3%81%91%E7%8C%AB)のを証しているように見える。

「猫又」は,

「大別して山の中にいる獣といわれるものと、人家で飼われているネコが年老いて化けるといわれるものの2種類がある」

らしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E5%8F%88)。

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(佐脇嵩之『百怪図巻』より「猫また」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E5%8F%88より)


「中国では日本より古く隋時代には『猫鬼(びょうき)』『金花猫』といった怪猫の話が伝えられていたが、日本においては鎌倉時代前期の藤原定家による『明月記』の天福元年(1233年)8月2日の記事に、南都(現・奈良県)で『猫胯』が一晩で数人の人間を食い殺した という記述がある。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E5%8F%88)。猫又が文献上に登場した初出らしいが,

「目はネコのごとく、体は大きい犬のようだった」

とあり,猫かどうか。しかし,鎌倉時代後期『徒然草』(1331年頃)に,

「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなると人の言ひけるに……」

と記され,江戸時代の怪談集『宿直草』『曽呂利物語』で,

「猫又は山奥に潜んでいるものとされ、深山で人間に化けて現れた猫又の話があり」

他方で,鎌倉時代成立の『古今著聞集』(1254年稿)の観教法印の話では、

「嵯峨の山荘で飼われていた唐猫が秘蔵の守り刀をくわえて逃げ出し、人が追ったがそのまま姿をくらましたと伝え、この飼い猫を魔物が化けていたもの」

とし,『徒然草』は,これもまた猫又とし、

「山にすむ猫又の他に、飼い猫も年を経ると化けて人を食ったりさらったりするようになる」

と書く。江戸時代以降には,

「人家で飼われているネコが年老いて猫又に化けるという考えが一般化し、…山にいる猫又は、そうした老いたネコが家から山に移り住んだものとも解釈されるようになった」

とある。こうなると,「猫又」も「化け猫」もほぼ重なってしまう。

Tonoigusa_Nekomata.jpg

(荻田安静『宿直草』より「ねこまたといふ事」。狩人が自分の母に化けた猫又(左下)を射る場面。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E5%8F%88より)


それにしても,なぜ猫だけが化けるのか。同じく人間と古い付き合いの犬が化ける,というのは聞いたことがない。今野円輔氏の,

「もとは隠された猫神信仰が広く分布していたのかもしれない」

との説は,河童が水神信仰の成れの果てであるように,多くの妖怪変化が,かつての神霊現象ないし信仰の衰退した結果であることを考えると,宜なるかなと思う。

参考文献;
今野円輔『日本怪談集 妖怪篇』(現代教養文庫)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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posted by Toshi at 04:41| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする