2018年09月28日

焼きが回る


「焼きが回る」は,

刀の刃などを焼く時も,いき渡り過ぎてかえって切れ味が悪くなる,

という意味から,転じて,

齢を取ったりして能力が落ちる,

意で用いられる(『広辞苑第5版』)。しかし,転じるにしても,火が回り過ぎることが,転じるとしても,齢を経て能力が落ちるいとは,どうもつながらない。「火がいきわたりすぎる」ことと「齢を経ること」とのつながりがよくみえない。

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「日本刀を製造する過程で、硬くする目的で火に入れることはよく知られています。しかし、あまり火を入れすぎると、かえって切れ味が悪くなることもあるそうです。このことを『焼きが回る』と表現したのが、転じて『能力が落ちる』という意味になったのです。」http://aslan-bun.com/?p=2504

という説明だと,火を入れ過ぎるのを「焼きが回る」といい,切れ味が劣るという意味から,「能力が落ちる」意になるのまではわかる。しかし,それが「齢を取って」問い意味が出てくるのは,火が回り過ぎる,つまり時間が過ぎる,という意味なのだろうか。

たとえば,

「焼き入れする場合、刀身に焼刃土(やきばつち)を塗ります。主成分は耐久性のある粘土で、木炭の粉や砥石の粉などを混ぜて作りますが、伝法によって焼き入れの温度が違うため、各自工夫したものを作ります。重要なのは高温に耐えられ、簡単にはげ落ちてしまわないものを作るということです。粘土は熱によって焼き締まるので刀身に貼り付き、砥石の粉は焼刃土のひび割れを防ぎ、木炭の粉は焼き入れの促進と断熱の役割を果たしていると考えられています。
火造りが終わった刀身を藁灰で洗って油分を取り、十分に乾かしてから焼刃土を塗ります。刃になる部分には薄く、それ以外は厚く塗ります。自分が目指す刃文の形に塗り、足(あし)などを入れる場合はヘラの薄い部分に焼刃土を付け、足を入れる部分に置いていきます。」http://www7b.biglobe.ne.jp/~osaru/dekirumade.htm

「焼き入れする前の日本刀の組織は、アルファ鉄というものになっていますが、加熱していくと726度で変態します。これをA1変態点といいアルファ鉄がガンマー鉄に変化する点です。刃文が出るようにするには、A1変態点以上に熱しなければなりません。ただし、800度以上になってしまうと鉄の結晶が肥大化してしまいます。最も硬くなるのは750~70度に達したときです。…焼き入れ直前の日本刀はアルファ鉄がガンマー鉄に変わり、オーステナイトという組織になっています。これを水中で急冷するとガンマー鉄がアルファ鉄に変わりマルテンサイトという組織になります。日本刀の刃の部分は薄く、焼き刃土も薄く塗ってあるので、水に入れると瞬間的に冷却されマルテンサイトに変化します。マルテンサイトは硬度が非常に高く、物を斬るのに適しています。また、オーステナイトからマルテンサイトに変化すると膨張します。つまり刃の側が膨張するので自然と反りが生じるのです。」http://www7b.biglobe.ne.jp/~osaru/kagaku.htm#yakiirenokouka

を見ると,ひとつは,粘 土,木 炭 粉,砥 石 粉 な どを水で練 り合わせた「焼 刃土」の塗り方であり,いまひとつは,冷却する水であるように見える。「講談などで師匠の焼き入れの際の水の温度が知りたくて、湯舟に手を入れて温度を知ろうとした弟子が師匠にその手を切り落とされた」(仝上)といった話があり,「焼きが回る」につながることは見つけられない。

「通常高温の金属を水で急冷する場合金属と水との温度差が大きいと金属表面付近の水が激しく沸騰し,そこで生じる蒸気が薄 い膜となって金属表面全体を覆う(膜沸騰段階)この段階では水と金属が直接接触していないため,冷却は緩 やかとなる.これがある温度に達すると蒸気膜が切れ,水と金属が直接接 するようにな り(核沸騰段階),金属は急激に冷却されるようになる焼刃土を塗るとこのうちの膜沸騰段階が生じず,冷却開始直後から核沸騰段階となって金属が急冷されるため,焼刃土を塗った方が早く冷却される結果になるのである」.(上原拓也・井上達雄「日本刀の焼入れにおける焼刃土の効果」)

と,やはり冷却に焦点が当たっている。ただ,

「高炭素の備前伝では 780℃,低炭素の相州伝では 800℃程度と,いずれも Ac1 変態点(760℃ ) 以上に加熱し,前者では常温から 40℃,後者では約 80℃の水に焼入れる」

とあり,この微妙な火加減,温度加減を言っているのだとすると,ほんの数秒単位のことを指しているやに思われる。

「この焼き入れによって刀身に自然とおよそ二分五厘(7.5粍)の反りが生じます。それは刃側の鉄組織が膨張するのに対し、棟側は焼刃土を厚く塗っているため膨張せずにいるからです。」(仝上)

とあり,焼き入れの時間の微妙さが伝わってくる。『江戸語大辞典』を見ると,

焼きが廻る,

で,

火加減がいきわたり過ぎて却って切れ味が悪くなる,

意から,転じて,

鋭さがなくなる,

とある。ここまでが本来の意味の転化なのだろう。つづいて

頭の働きや腕前が衰える,
老いぼれる,
すっかり古びる,

とあるので,鋭さがなくなる,から,老いへと転じ,古びると転じた流れが見える。

その焼き入れ時間の微妙さは僕にはわからないが,むしろ,似た言い回しで,

刃金が棟に回る,

の方が実感がある。その意味は,

「(『棟』は刀のみね)刃の鋼の部分がすり減って,みねの部分を刃として使うようになってしまう。知恵や力量が衰えることの喩え」(『故事ことわざ辞典』)

とある。それだけ使える刃は,いいものだったということでもあるが。

『笑える国語辞典』の,

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%84/%E7%84%BC%E3%81%8D%E3%81%8C%E5%9B%9E%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

「焼きが回る」の説明がなかなかふるっている。

「焼きが回るとは、刃物の制作過程である焼き入れをやりすぎて刃がもろくなり、切れ味がわるくなるということで、年を取るなどして能力が落ちるという意味で用いられる。仕事を頼まれた高齢の職人がうまくできなくて、『オレも焼きが回ったものだ』などと嘆息するといったシーンがありがちだが、このじいさんは、焼きが回っていなければ(つまり若いうちは)オレも日本刀のように切れまくっていたのだと、言い訳しつつ実は大いに自慢しているのである。」

「焼きが回る」と「刃が棟に回る」は関連があるらしいhttp://www.web-nihongo.com/edo/ed_p0116/

「江島其磧(えじまきせき)の浮世草子『世間娘気質(せけんむすめかたぎ)』(享保2年〈1717〉序)に、『亭主手の物(得意なこと)と料理自慢の包丁の焼がむねへまはり、鰒汁(ふぐじる)の仕ぞこなひに客も其身(そのみ=本人)も大きにあてられ(死んでしまう)』とある。
 包丁のむね(刀のみね)を引用し、焼きが包丁のむねのほうへまわるといっている。この『世間娘気質』の譬(たと)えの場合、「焼き」(刀剣などを鍛えるために熱処理すること)が、本来あるべき包丁の刃の部分に回らず、むねのほうに回ったというのだから、得意としていた料理の腕前の包丁さばきが発揮されなかったという意味にとれる。」

とある。「焼きが棟に回る」の方が,「焼きが回る」よりも,「焼き入れ」の失敗が明晰に思える。

なお,「地金」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/413474051.html

で触れた。

参考文献;
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsms1963/44/498/44_498_309/_pdf
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:42| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする