2018年10月24日

霜月


「霜月」は,陰暦十一月の異称である。その他に,

ちゅうとう(仲冬),
かぐらづき(神楽月),
かみきづき(神帰月),
けんしげつ(建子月),
こげつ(辜月),
しもつき(霜月),
しもふりづき(霜降月),
しもみづき(霜見月),
てんしょうげつ(天正月),
ゆきまちづき(雪待月),
ようふく(陽復),
りゅうせんげつ(竜潜月),
ゆきまちづき(雪待月),
かおみせづき(顔見世月),
ねのつき(子の月),
ちょうげつ(暢月),

等々がある。異称のいわれについては,

https://jpnculture.net/shimotsuki/

が詳しい。

main145.jpg

(歌川豊国(三代目)「十二月ノ内霜月酉のまち」嘉永7年(1854)国立国会図書館所蔵 http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no145.htmlより)


僕は個人的に不審に思うのは,神無月(http://ppnetwork.seesaa.net/article/461948043.html?1538337813)で触れたように,三代歌川豊国は,「神無月 はつ雪のそうか」という浮世絵で,牡丹雪が降り続く夜に,蕎麦売りの屋台に集まり、蕎麦を食べて暖をとる「そうか」(夜鷹)を描いていた。神無月で牡丹雪である。そのよく月に「霜の月」とは如何なものか。

この説は,どうやら「神無月」を「神無き月」と解釈したのと同一人物の臆説から始まっているらしい。神無月について,

「十月(かみなづき),天下のもろもろの神,出雲國に行きて,異国(ことくに)に神無きが故に,かみなし月と云ふをあやまれり」

とした藤原清輔(治承元年卒)の「奥義抄」は,「霜月」についても,

「十一月(しもつき)、霜しきりに降るゆえに霜降月(しもふりつき)といふを誤(あやま)れり」

と同じ口吻で言っているのが笑える。しかしこれが定説なのだという。理解できない。しかし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/si/shimotsuki.html

も,

「『霜降り月・霜降月(しもふりつき)』の略とする説が有力とされる。その他、十は満ちた数で一区切りなので上月になり,それに対して下月とする説 や,『神無月』を『上な月』と考えて『下な月』とする説など,上下の『下』とみる説。『食物月(をしものつき)』の略とする説や,『擂籾月(すりもみづき)』の意味など諸説あるが,いずれも有力とはされていない。」

と,霜に絡めようとしている。しかし,「霜月」が,当て字なら,それをもとに解釈しているにすぎなくなる。

『大言海』は,

「食物(をしもの)月の略。新嘗祭を初めとして,民間にても,新饗(ニヒアヘ)す。むつきの條を見よ」

とする。睦月(http://ppnetwork.seesaa.net/article/455932349.html)で触れたように,『大言海』は,「むつき(睦月・正月)」の項で,

「實月(むつき)の義。稲の實を,始めて水に浸す月なりと云ふ。十二箇月の名は,すべて稲禾生熟の次第を遂ひて,名づけしなり。一説に,相睦(あひむつ)び月の意と云ふは,いかが」

とし,

「三國志,魏志,東夷,倭人傳,注『魏略曰,其俗不知正歳四時,但記春耕秋収為年紀』

を引いて,「相睦(あひむつ)び月の意」に疑問を呈して,「實月」説を採っていた。

そもそも,「とし(年)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/455913434.html?1514751938)が,

「日本語で『とし』とは、『稲』や穀物を語源とし、一年周期で稲作を行なっていたため『年』の意味で使われるようになったという。ちなみに、漢字の『年』は禾に粘りの意味を含む人の符を加え、穀物が成熟するまでの周期を表現した。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4

とあるのだから,なおさら農事に関わると,僕は思う。『大言海』も,

「爾雅,釋天篇,歳名『夏曰歳,商曰祀,周曰年,唐虞曰歳』。注『歳取歳星行一次,祀取四時一終,年取禾一熟,歳取物終更始』。疏『年者禾塾之名,毎年一熟,故以為歳名』。左傳襄公廿七年,註『穀一熟為一年』。トシは田寄(たよし)の義,神の御霊を以て田に成して,天皇に寄(おさ)し奉りたまふ故なり,タヨ,約まりて,ト,となる」

としている。因みに,「年」の字も,

「『禾(いね)+音符人』。人(ニン)は,ねっとりと,くっついて親しみある意を含む。年は,作物がねっとりと実って,人に収穫される期間を表す。穀物が熟してねばりを持つ状態になるまでの期間のこと。」

とあり,「歳」の字も,

「『戉(エツ 刃物)+歩(としのあゆみ)』で,手鎌の刃で作物の穂を刈り取るまでの時間の流れを示す。太古には種まきから収穫までの期間をあらわし,のち一年の意となった。穂(スイ 作物のほがみのる)と縁が近い。」

と,同じである。これまで触れてたように,

師走(陰暦十二月 http://ppnetwork.seesaa.net/article/455892480.html
睦月(陰暦一月 http://ppnetwork.seesaa.net/article/455932349.html
如月(陰暦二月 http://ppnetwork.seesaa.net/article/456805354.html
弥生(陰暦三月 http://ppnetwork.seesaa.net/article/457607450.html
卯月(陰暦四月 http://ppnetwork.seesaa.net/article/457762501.html
皐月(陰暦五月 http://ppnetwork.seesaa.net/article/458763376.html
水無月(陰暦六月 http://ppnetwork.seesaa.net/article/459166730.html
文月(陰暦七月 http://ppnetwork.seesaa.net/article/459184411.html
葉月(陰暦八月 http://ppnetwork.seesaa.net/article/460695958.html
長月(陰暦九月 http://ppnetwork.seesaa.net/article/460732975.html
神無月(陰暦十月 http://ppnetwork.seesaa.net/article/461948043.html?1538337813

各月名は,農事と深くつながっている。「霜月」だけが,その一年の流れと無関係であるとは,ちょっと信じられない。

『日本語源広辞典』は,「霜の月」を採る,とした上で,

「『食物月』(ヲシモノツキ)説がありますが,付会かと考えます」

と切り捨てる。しかし「しもつき」が「霜月」と当てた根拠は,無い。根拠のない当て字をもとに「霜の月」とする方が付会ではあるまいか。

320px-100_views_edo_101.jpg

(歌川広重『名所江戸百景』より「浅草田圃酉の町」。吉原妓楼の一室から、鷲神社へ参る人の賑いを遠くに望む。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%89%E3%81%AE%E5%B8%82より)


『日本語源大辞典』には,確かに,

シモフリノツキ(霜降月)の略(奥義抄,名語記,日本釈名,萬葉集別記,柴門和語類集),
シモヅキ(霜月)の義(類聚名物考,和訓栞),

と,「霜」系が多数派だが,その他,『大言海』の「食物月(ヲシモノツキ)」以外に,

シモグル月の義。シモグルは,ものがしおれ痛む意の古語シモゲルから(嚶々筆語),
スリモミヅキ(摺籾月)の義(日本語原学=林甕臣),
新陽がはじめて生ずる月であるところから,シモツキ(新陽月)の義(和語私臆鈔),
十月を上の月と考え,それに対して下月といったものか。十は盈数なので。十一を下の一といったもの(古今要覧稿),
シモ(下)ミナ月,あるいはシモナ月の略。祭り月であるカミナ月に連続するものとしてシモナツキを考えたものらしい(霜及び霜月=折口信夫),

等々を乗せる。しかし,僕は,

既に,神無月に初雪の浮世絵があるという季節感から,陰暦十一月(新暦の十二月)に霜月では遅い,と感じること,

そして,

一月から十二月まで,農事と関連する語原であったことから,農事につなげるものとして,

新嘗の,「食物月(ヲシモノツキ)」(大言海)

か,

「スリモミヅキ(摺籾月)の義」(日本語原学=林甕臣),

のいずれかが妥当ではないかと思う。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:霜月
posted by Toshi at 04:59| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月25日

かわや


「かわや」は,便所の意だが,

厠,
圊,
溷,

等々と当てる。

「川の上に掛けて作った屋の意,また,家の側の屋の意ともいう」

とあり(『広辞苑第5版』),『日本語源広辞典』も,

説1は,「川+屋」。汚物,排泄物を川に流した小屋,
説2は,「カワ(側)+屋」。本屋に対し,傍らに小屋を立てた,

の二説を挙げる。また,

「かわやが『川屋』であるか『側屋』の意であるかは議論のわかれるところである。けれども側屋は竪穴住居を考えればいささか無理のある表現とも考えられる。『古事記』の丹塗矢の物語から考えても,川屋を否定することはできない。同じく『古事記』には,素戔嗚尊の話の中に『くそへ』という重い罪穢れを犯し罰せられる記事がある。『くそへ』とは糞を放(ひ)る意であるが,昔から日本民族は糞尿を穢らわしいものとし,これを水に流し去ることを願っていたのかもしれない」

と(楠本正康『こやしと便所の生活史』),「川屋」に軍配を上げている。因みに,『古事記』の丹塗矢の物語は,三輪山の大物主神が勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)に思いをかけ,丹塗矢と化して溝を流れ,用便中にほとを突いた,という話で,川で用を足していたということになる。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ka/kawaya.html)は,

「厠は数ある便所の別名の中でも古く、奈良時代から見られる。 712年『古事記』には、水の流れる溝の上に設けられていたことが示されており、川の上に掛け渡した屋の意味で、『川屋』の説が有力とされる。また、現代では住居の中に便所を作るのが一般的だが,少し前までは,母屋のそばに設けるのが一般的であったところから,『側屋』とする説もある。」

と,やはり「川屋」説に傾いている。『岩波古語辞典』も,

「川の上に架した屋の意」

を採る。『大言海』は,

「側屋(カハヤ)の義。家の傍に設くる意。後架の,屋後の架設なると,同意なり。裏とも云ふ。川に架し作れば云ふとの説あれど,川なき地にはいかがすべき」

と,「川屋」説をを批判するが,古代,水辺に住まいするのは当然なので,ちょっと的外れかもしれない。鳥浜貝塚(縄文時代前期、約5500年前 福井県若狭町)では,

「2000点を超える多量の糞石(ふんせき)が出土している。特に杭の打たれた周辺では他の場所と比較して、より多くの糞石が出土することから、この遺跡に暮らした当時の人々は湖に杭を打ち桟橋を作っていたと考えられ、桟橋からおしりを出して用を足していただろうと推測される。このような構造のトイレ(桟橋形水洗式(さんばしがたすいせんしき)トイレ、いわゆる『川屋』)は現在でも環太平洋地域で広くみられる。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E9%81%BA%E6%A7%8B)。やはり,「川屋」の字が妥当かどうかは別として,川で用を足していたのに違いはない。

『日本語源大辞典』は,「側屋」説,「川屋」説以外に,

かわるがわる行くところから,カハヤ(交屋)の義(万葉代匠記・万葉考),
カハは糞の意(海録),
クサヤ(臭屋)の義(三樹考),
カワルキヤ(香悪屋)の義(和句解・日本釈名),

を載せるが,やはり,「側屋」説,「川屋」説のいずれかだろう。

漸く,藤原京・藤原宮(7世紀末、都としては694年~710年)では,

「藤原宮の南面西門から外に出てすぐの南東、右京七条一坊西北坪の遺跡から土坑形汲取式(どこうがたくみとりしき)トイレを検出している。(中略)公的な機関(役所)があったと想定され、このトイレは、その内部に設置された共同便所だったと考えられている。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E9%81%BA%E6%A7%8B)。そして,

「藤原宮の宮殿の東側、官庁街との間を南北に走る幅5m、深さ1mの基幹排水路が東大溝(ひがしおおみぞ)である。この溝の両岸の傾斜面には、向かい合う位置に大小の柱穴が交互に13.5mにわたって並んでいた。初めは幅広の橋とされていたが、その南16.5mの地点からも同様の遺構が発見され、橋ではなくトイレではないかと考えられるようになった。溝の中からは籌木も出土している。このトイレは、柱穴の検出状態から、溝をまたいで長屋のように建てられた溝架設形水洗式(みぞかせつがたすいせんしき)トイレではないかと想定される。」

とうある(仝上)。やはり「川屋」説に軍配のようである。溝の中から出土した籌木(ちゅうぎ、ちゅうぼく)とは,

「古代から近世初頭にかけて用いられた、排泄の際に用いられた細長い木製の板のことである。糞箆(くそべら、くそへら)ともいう。トイレ遺構の便槽から出土する。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%8C%E6%9C%A8

これについては,「べらぼう」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/421256499.html)で触れた。

貴族,役人はともかく,庶民は,中世になっても,路上で用を足している。

1024px-Gaki-Zoushi.jpg

(旧河本家本『紙本著色餓鬼草紙』第3段「食糞餓鬼図」/平安京域内(洛中)の小路で排便する人間達(庶民)と、人間の糞便を食いたくてたむろしている食糞餓鬼が描かれている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%8C%E6%9C%A8より)

面白いことに,きちんとしてトイレであっても,路上でも,一様に,籌木を使っていることだ。

ただ,「糞尿」を「こやし」として使うようになると,少し事情が変わるようだ。

「人糞尿が貴重な肥料として使われるよになると,これを一ヵ所に蓄えておかなければならない。そのために,直接耕作にたる農民も,耕作を受け持たせている地頭や名主たちも,やがて住居の外側などに大きな便池を蓄えた便所を設けるようになったのであろう。だが,当時の住居の構造,たとえば武家造といわれる建物の平面図からはこれを立証することはできない。しかし,禅寺では東司(とうす)と呼んで,大きな外便所を持つものが多くなってきた。便所は,このような家の外側に設けられたので,『側屋』と考えるべきだと主張する人もいる。」(楠本正康・前掲書)

「川屋」から「側屋」へと,便所の位置の変化から,当てる字が変わっただけのように思える。

なお,トイレ名の変遷に付いては,

「日本には便所を意味する呼称や異称が多い。現在でも使用される『厠(かわや)』は、古く『古事記』にその例が見え、施設の下に水を流す溝を配した『川屋』に由来するとされる。あからさまに口にすることが『はばかられる』ことから『はばかり』、最後の手を清めることから『手水(ちょうず)』がある。厠の異名となる『雪隠(せっちん)』は、従来より茶会等で厠を意味する表現である。茶室の庭(内路地)に客専用の砂雪隠や飾雪隠を設けて、日常的の使用する厠(外路地)と別の清潔な厠で茶会の客をもてなした。後にこれが転じ、茶室以外の場でも上品な表現として雪隠が使用されることになった。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%BF%E6%89%80)。

トイレの遺構については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E9%81%BA%E6%A7%8B

に詳しい。

最後に漢字にあたっておくと,「厠(廁)」(シ,漢音ソク,呉音シキ)の字は,,

「广(いえ)+音符則」で,屋敷の片隅に寄せて作った便所」

「溷」(漢音コン,呉音ゴン)は,

「□印(かこい)+豕(ぶた)」で,きたない豚小屋,転じて便所。溷は,それを音符として水を加えた字。汚い汚水。」

「圊」(セイ)は,「かわや」の意。『漢字源』には載らない。

参考文献;
楠本正康『こやしと便所の生活史―自然とのかかわりで生きてきた日本民族』(ドメス出版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル: かわや
posted by Toshi at 05:05| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月26日

姑息


「姑息」は,

「『姑』はしばらくの意」

で,

一時の間に合わせ,
その場逃れ,

の意味である(『広辞苑第5版』)。「姑」(漢音コ,呉音ク)の字は,

しゅうとめ,

の意であるが,副詞として,

しばらく,そのままで,とりあえず,
とか,
手を付けず,そのままにしておく,

といった意味で,「姑息」は,「手を付けずそのままにしておく」意とある。「姑」と似た意味の副詞を,

「暫」は,不久也と註す。少しの間の意なり,暫時と熟す,
「姑」は,且也と註す,暫の意はなし,まあ,と譯す。孟子「姑舎汝所學而従我」,
「且」は,姑に近し,
「少」は,少しの間といふ義,小時の時を省きたるなり,
「薄」は,今しばしの義,いささかとも訓む,

と区別する(『字源』)。「且」には,しばらくという意味はなく,

まづ(先)しばらく(姑)未定の意をあらわす,

という意味(『字源』),あるいは,

まあまあという気持ちを示す言葉,取りあえず,

という意味(『漢字源』)が含意を伝えているかもしれない。「息」(呉音ソク,漢音ショク)の字は,息の意で,

「会意,『自(はな)+心』で,心臓の動きに連れて,鼻からすうすうといきをすることを示す。狭い鼻孔をこすって,いきが出入りすること。すやすやと平静に息づくことから,安息・生息などの意となる。」

とあり,ここでは,「やすむ」「やめる」という意味である。

『大言海』は,

「姑(しばら)く息(や)むなり,姑は婦女なり,息は小児なりといふ説はあらじ」

として,

「仮初(かりそ)めにことをすること,間に合わせ」

の意を載せる。『日本語源広辞典』も,同様に,

「姑(しばらく)+息(やすむ)」

とし,

しばらくの間,息をつくこと,

としている。つまり,

「しばらくの間息をつく」

という状態表現が,少し価値表現を加味して,「間に合わせ」となり,さらに価値表現を加えて,「一時逃れ」「その場しのぎ」へと意味が悪い価値を高めていく,とみることができる。

出典は,『禮記・檀弓』。

曾子寢疾,病。樂正子春坐於床下,曾元、曾申坐於足,童子隅坐而執燭。童子曰:「華而睆,大夫之簀與?」子春曰:「止!」曾子聞之,瞿然曰:「呼」曰:「華而睆,大夫之簀與」曾子曰:「然,斯季孫之賜也,我未之能易也。元,起易簀。」曾元曰:「夫子之病帮矣,不可以變,幸而至於旦,請敬易之。」曾子曰:「爾之愛我也不如彼。君子之愛人也以德,細人之愛人也以姑息。吾何求哉?吾得正而斃焉斯已矣。」舉扶而易之。反席未安而沒。

の,

君子之愛人也以德,細人之愛人也以姑息。

君子の人を愛するや徳を以もってす。細人の人を愛するや姑息を以もってす,

から来ている。その解釈は,

孔子の門人,曽子の言葉に由来します。病床にあった曽子は,自分の寝台に,身分と合わない上等なすのこを敷いていました。お付きの童子にそのことを指摘された曽子は,息子の曽元にすのこを取り替えるよう命じます。曽元は,父の病状の重いことを考慮し,明朝,具合が良くなったらにしましょうと答えます。それに対し,曽子は,お前の愛は童子に及ばないと,次のように言いました。
 「君子の人を愛するや徳を以もってす。細人の人を愛するや姑息を以もってす。」(君子たる者は大義を損なわないように人を愛するが,度量の狭い者はその場をしのぐだけのやり方で人を愛するのだ。)
 その場にいた者たちは,曽子を抱え上げてすのこを取り替えますが,彼は間もなく亡くなってしまいました。曽子は,一時しのぎの配慮に従って生き長らえるよりは,正しいことをして死ぬ方がよいと考えたのです。」

とある(http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_06/series_10/series_10.html)。「礼記」だから,こんな感じの説教になる。ここでは,確かに,「一時しのぎ」の意味で使われている。しかし,

「姑息」には、「卑怯」や「狡(ずる)い」の意味は含まれない。「姑息な手段」を「卑怯な手段」と解するのは誤解,

というのは如何であろうかか。言葉は人が使ってはじめて生きる。生きている言葉がすべてではないか。僕には,

「しばらくの間息をつく」という状態表現
  ↓
「間に合わせ」
  ↓
「一時逃れ」「その場しのぎ」
  ↓
 
「卑怯」「ずるい」「けち」

と,価値表現が変化していくのは,他にも例のある言葉の意味の変化の王道に見える。しかし,この誤解を大袈裟に言い立てたがる。それは,文化庁の調査が拍車をかけた。

「姑息について尋ねた「国語に関する世論調査」では,

「『本来の意味とされる「一時しのぎ」という意味』と答えた人は2割に届かず,本来の意味ではない『ひきょうなという意味」と答えた人が7割を超える』

という(http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_06/series_10/series_10.html)。

(ア)「一時しのぎ」という意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15.0%
(イ)「ひきょうな」という意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・70.9%
(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.9%
(ア),(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.1%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9.2%

しかし,今日「姑息」を7割を超る人が「ひきょうな」の意味としているということは,既に,意味が変じたのであって,「一時しのぎ」の意味で使っても,伝わらないということを意味する。言葉は伝わってこそ意味がある。今に,辞書に意味として「卑怯な」が載ることになるだろう。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ko/kosoku.html)は,

「姑息の『姑』は『しばらく』、『息』は『休息』の意味。『しばらくの間、息をついて休む』ところから、姑息は『その場しのぎ』の意味となった。 姑息が『卑怯』や『ケチ』の意味で用いられる事も多いが、そのような意味はなく誤用である。『卑怯』や『ケチ』の意味で用いられるのは、『姑息な手段(その場しのぎの手段)でごまかそうとする』など,良くない場面で多く用いられる言葉であることや、『小癪』と音が似ていることから,その混同によるものと考えられる。」

あるいは,『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%93/%E5%A7%91%E6%81%AF%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

「姑息(こそく)とは、一時の間に合わせ、その場しのぎという意味で、『姑息な手段をとる』などと用いる。ところがほとんどの日本人は『姑息な手段』を『卑怯な手段』とか『ズルいやり方』という意味に誤解していて、話す方も聞く方も誤った認識で合致しているから、『姑息なヤツだね』『ほんとうに姑息なヤツだ』などと応答して、会話になんの齟齬も来さないという無法状態になっている。おそらく『こそく』という言葉の響きが、『こそこそ』とか『こせこせ』とか『小癪(憎らしい)』といった言葉の響きと似ているところから生まれた誤解ではないかと思われる。」

等々とするのはこじつけではないか。価値表現はどんどん意味を変ずるものだ。「やばい」がそうなように,真逆の意味になったものすらあるのが言葉である。

言葉は生きている。

その文脈で通じれば,それが重なれば意味も変わる。当たり前のことを,誤解などと言っている人は,いまの生きている言葉から目を背けている。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:姑息
posted by Toshi at 04:55| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月27日

もぬけ


「もぬけ」は,

もぬけの殻,

といった言い回しをする。

蛻,
裳脱け,
藻抜け,

等々と当てる。「蛻」の字は,

蛻変(ぜいへん),

という言葉があるらしい(造語かもしれない)。昆虫が「さなぎ」から「蝶々」羽化する状態 を言う。「脱皮」である。

蚕蛻(さんぜい),
蛇蛻(だぜい),
蟬蛻(せん ぜい),

という言葉もある。「蛻」(ゼイ,漢音セイ,呉音セ)は,

「会意兼形声。兌(タイ)は『八(左右にはぎとる)+兄(頭の大きい子ども)』からなる会意文字で,人が衣を脱ぐさまを表す。脱の原字。蛻は『虫+音符兌』で,虫が殻を脱ぐこと」

とある。おそらく,他の「裳脱け」「藻抜け」は後の当て字と思われる。「蛻」は,

脱皮すること,またその抜け殻(外皮),

を意味する。で,

もぬけがわ(蛻皮),
もぬけのから(蛻の殻),

という言い回しをする。いずれも,残された方を言う。しかし「蛻」自体に殻の意味もあり,重複している。そのせいで,

裳脱け,
藻抜け,

とあてたものと思われる。おそらく,「抜け殻」をメタファにした使い方をするようになって以降のことと思われる。『日本語源広辞典』は,「もぬけのから」の項で,

裳脱けの殻,

と当て,

「人が抜けだしたあと,の比喩的な用法」

としている。

さて,「蛻」と当てた和語「もぬけ」の語源だが,『岩波古語辞典』は,

「モはミ(身)の古形ムの母音交替形で,モ(身)ヌケ(脱)の意か」

とする。併せて,和名抄を引き,

「蛻,訓毛沼久(もぬく),蟬・蛇之解皮也」

を載せる。『大言海』は,「もぬく」の項で,

「身脱(むぬ)くの轉」

としているし,『日本語の語源』も,同じく,

「ミヌケ(身抜け)の殻はモヌケ(蛻)の殻になった」

と音韻変化説を採る。

800px-Nukegara.JPG



他には,『日本語源大辞典』に,

モヌケ(最抜)の義(名言通),
モヌケ(茂抜)の義(柴門和語類集),
モノケ(衣抜)の義(言元梯),
モヌケルはムヲヌケルの義。モはムロの反(俚言集覧),
マロヌケの義,モはマロの反(名語記),

と諸説載せるが,やはり,

身抜け説,

でいいのではあるまいか。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%82/%E3%82%82%E3%81%AC%E3%81%91%E3%81%AE%E6%AE%BB-%E8%9B%BB%E3%81%AE%E6%AE%BB%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

は,

「もぬけの殻(蛻の殻)とは、捜査情報ダダ漏れの間抜けな警察が強制捜査に入ったさいの、麻薬密造グループのアジトのありさま。『蛻(もぬけ)』は、ヘビやセミなどのぬけがらのことで、『身抜け』が転じたものかといわれる。もぬけの殻は、ヘビやセミの抜け殻のように、魂の抜け去った体、死骸のことをいった。そこから、肝心の中身がない空っぽの空間、つまり、逮捕すべき麻薬密造者や麻薬製造の材料や機器類がすっかり逃げ去り持ち去られたあとの何もない部屋などを比喩的にいうようになったものである。」

と,意味の範囲をまとめている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:57| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月28日

腑抜け


「腑抜け」は,

「(はらわたを抜き取られたかのように)いくじのないこと,まぬけ,腰抜け」

とある(『広辞苑第5版』)。しかし,

いくじがない,

腰抜け,

は通じるが,

間抜け,

は少し意味がずれるのではないか。

『日本語源広辞典』にも,

「『腑+抜け』です。身体の中の臓腑が抜けている意です。信念や態度にしっかりしたものがない意です。」

とある。やはり,「間抜け」は,少し意味が違う。ただ,『江戸語大辞典』には,「腑抜け」は載らないが,

腑抜玉(ふぬけだま),

が載り,

愚かな人,いくじのない人などを嘲って言う語,

とあるので,「愚かさ」も,「腑抜け」に入るのかもしれない。『大言海』をみると,

「臓腑の脱けてある義」

として,

「人を罵りて云ふ語」

とある。これが正確かもしれない。だから,

まぬけ,
あはふ,
うつけもの,
とんちき,
鈍漢,

と悪罵が並ぶ。普通に考えると,

「はらわたを抜き取られた状態の意」

から,

意気地がないこと,気力がな,また、その人やそのさま,腰抜け,

という(『デジタル大辞泉』)のが意味の外延だが,その,

気力のない,しっかりしていない,

という状態表現に,価値表現を加えると,

腰抜け,

となり,それでせっかくの機会を逸すれば,

まぬけ,

となっても,意味の変化として可笑しくはない。

『由来・語源辞典』(http://yain.jp/i/%E8%85%91%E6%8A%9C%E3%81%91)に,

「『腑』は、五臓六腑の腑で、『はらわた』『臓腑』のこと。さらに腑は、思慮分別や考えの宿るところも表す。つまり『腑抜け』とは、思慮分別が 抜け落ちてなくなること、意気地がなくなることをいう。」

とある。それを評して,

まぬけ,

と言っても,間違いではないが,いささか価値表現が過ぎる。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/hu/funuke.html)は,

「腑抜けの『腑』は、『はらわた』『臓腑』を意味する語。『肝』に『気力』や『度胸』の意味があるように、『腑(腹)』は底力を出す際に力を入れる場所と考えられている。力を入れるべき場所が抜け落ちた状態から、腑抜けは『意気地がないこと』や『腰抜け』を表すようになった。また、『腑』は『心』や『考え』も意味することから、『腑抜け』『腑が抜ける』は思慮分別が抜け落ちてなくなることも言うようになった。」

という価値表現の変化を説いている。

腑に落ちる(http://ppnetwork.seesaa.net/article/441077426.html)で触れたように,

『大言海』の「腑」の項には,「臓腑」の意味の他に,

「俗に,思慮分別の宿る所。腑の足らぬとは,料簡の不足の意。腑の抜けるとは,料簡の脱したる意。」

とある。だから,原初は,

意気地なし,
根性がない,
元気がない,

といった意味の外延を拡げたというのでいいのだろう。

漢字「腑」は,

「府は,いろいろな物をまとめて置く所。付と同系のことば。腑は『肉+府』で,体内にある食物や液体のくら。もと府と書いた。」

とある(『漢字源』)。漢方で言う,

五臓六腑,

つまり,五臓は,

肝・心・脾・肺・腎(心包を加え六臓とも)

を指す。六腑は,

胃・肝・三焦(リンパ管を指す)・膀胱・大腸・小腸,

を言う(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%87%93%E5%85%AD%E8%85%91に詳しい)。「腑に落ちる」が,身体の中心で,

得心した,

という意味になるとすれば,それが抜けていれば,得心,理解が飛んでしまうということか。

「腰抜け」 いくじがないこと。おくびょうなこと。
「腑抜け」 魂が抜けたようになって、しっかりした気持ち・考えがもてないこと。いくじがないこと。

と比較していた(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q101050775)し,

「間抜け」 考えや行動に抜かりがあること。鈍間(のろま)で気が利かないこと。また、そのような人。
「腑抜け」 肝がすわっていないこと。また、そのさまやそのような人。意気地なし。腰抜け。気力がなく、しっかりしていないこと。

と対比している(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1315648348)が,「間抜け」と言うのはストレートだが,「腑抜け」と言うのは,言外に「間抜け」を押しやり,ソフトな言い回しになる。「腑抜け」と言うことで,「腰抜け」のストレートさをソフトにしている感がある。文脈に依るので,比較することにはそんなに意味がない。

また,

【1】「腰抜け」は、臆病(おくびょう)で思い切って事を行えないようなこと。また、そういう人。
【2】「腑抜け」は、気力、精神力などがなかったり、極度に乏しかったりして、事を行えないこと。はらわたを抜き取られた状態という意から言う語。
【3】「ふがいない」は、はたから見ていて歯がゆくなるほど、また、黙っていられないほどいくじがない意。「腑甲斐無い」「不甲斐無い」などと書くこともある。

と比較しているものもある(『類語例解辞典(小学館)』)。いずれも,傍から見ている価値表現だが,「期待する甲斐がない」と言う含意の「不甲斐ない」には,いくらかの期待がある。罵りの順位は,

腰抜け→腑抜け→不甲斐ない,

というところか。因みに,「臓腑」といっても,

「中国医学の基本的な概念の一つで,《素問》《霊枢》など,漢代の《黄帝内経》に由来するという書に記載され,その後これを中心にして発展した。臓と腑はもとは蔵と府と書かれていた。臓と腑も胸部と腹部の内臓であるが,臓は内部の充実した臓器で気を蔵し,腑は中空のもので摂取した水と穀物を処理したり,他の部位に輸送したり,体外に出したりするという区別がされている。」(『世界大百科事典』「臓腑説」)

とあり,「気」は,「腑」ではなく「臓」らしいのだが。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:腑抜け
posted by Toshi at 05:10| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月29日

間抜け


「間抜け」は,

間(ま)の抜けたこと,
する事に抜かりがあること,またその人,
とんま,

とある(『広辞苑第5版』)。『大言海』は,さらに,

為る事の,程に外れるを罵る語,又,その程に外るるもの,

として,

しれもの,あはう,ばか,

と罵る言葉を並べる。

『日本語源広辞典』は,

「『マ(間・芝居や音楽での調子や拍子)+抜け』です。変な調子の意です。転じて,行動会話などで,他人との歩調が合わずテンポが狂ってしまう人を言います。ぼんやり,うすのろなどの意です。」

とし,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ma/manuke.html)も,

「まぬけの『間(ま)』は,時間的な感覚の間である。芝居や舞踏,漫才などで『間』は,音の動作や休止の時間的長短のことを言い,拍子やテンポの意味にも用いられる。『間が抜ける』ことは,『拍子抜けする』『調子が崩れる』ことであり,填補が悪ないことを意味した。転じて,行動に抜かりがある意味になり,さらに愚鈍な人を罵る言葉になった。」

とする。それは,

拍子が合わない,
テンポが合わない,
間が合わない,

のであり,要は,

調子っぱずれ,

の意で,「間抜け」とは,微妙に違うのではないか。『岩波古語辞典』は,

「物事の間が抜けて馬鹿らしく見えること。またそういう言動をする人を罵って言う語」

とある。「間抜く」という言葉かあり,

間にある物を抜き取ること,
間引く,

という意味である。古くから使われ,

「(ママコ立ての遊びで,石を)またまた數ふれば,かれこれまぬきゆく程に,いづれものがれざるに似たり」(徒然草)

が引かれている。間引きが過ぎれば,スカスカになる。「間抜け」はこちらではないか。

「間」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/395727101.html)で触れたが,「間」は,「閒」の俗字とある。その意味は,

「門」と「月」。門の間から月の光が差し込んで「間」という意味を表したもの,

だとする。およそ,意味は,

①「あいだ」二者間の物理的,時的又は形而上のへだたりのこと。間一髪,間隔,空間,隙間。年間,期間,時間。
②人と人との関係。人間,世間,仲間。
③隙を探る。間者,間諜。

等々。用例から,細かく見ると,

①(あいだ,ま,かん,けん)二者間の物理的へだたり。隙間,間隔,間合,眉間
②(あいだ,ま,かん)二者間の時間的へだたり。この間,いつの間にか,間近い,時間,合間,間食
③(あいだ,ま)二者間の概念上のへだたり。間違い,間引く,間抜け
④(ま)言葉のやり取りのタイミング。話す時に言葉を言わないでおく時間。間が悪い,間の取り方
⑤(ま,あいだ)人と人との関係。仲間,間柄,間に入る,間男
⑥(ま)部屋。板の間,居間,謁見の間,床の間
⑦(ま)めぐりあわせ,運,タイミング。間がいい,間が悪い,間に合う

等々。

どうも,鍵は,「間(ま)」の意味にある。ここからは勝手な妄想だが,合間と間合と隙間の違いを考えてみる。

合間,というのは,ニュートラルで,あいた「間」をさす。それが,主体的に意味を持てば,

間合,

になり,意味がなければ,

隙間,

になる。しかし,隙間は,

本来空いているべきでない,「間」が,空いていることだから,

隙,

にもなる。隙間は,あってはならないものだから,詰めるべきものだが,間合いは,その距離に意味があ。

間(ま),

を詰めれば,命取りにもなる。合間は,それを意識すると,意味ある,

距離,ないし空白,

となり,意識した側に,アドバンテージがある。だから,意識しなければ,

隙間,

に変わる。しかし,隙間は,間合いにはならない。本来空いていてはいけないというか,詰まっているべきものがあいているのたがら,

空穴来風,

という言葉があるそうだが,隙間があるから穴に風が入ってくる。その意味では,「間抜け」は,この意味ではあるまいか。

しかし,ほとんどが,「拍子外し」「間合いのずれ」に語原を求めている。 たとえば,

http://www.zatsugaku-trivia.com/gogen/%E3%80%8C%E9%96%93%E6%8A%9C%E3%81%91%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%81%AF%E3%80%81%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E%E3%81%A7%E9%96%93%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8A%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%93.html

では,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211677342

は,

「『間』は、芝居や音楽での調子や拍子といった意味です。この間が抜けると芝居の雰囲気がくずれ、音楽も変な調子になってしまいます。そこから、動作や会話などにおいて他人と歩調が合わず、テンポの狂ってしまう人を、ぼんやり者、うすのろという意味で「間抜け」といいました。」

等々。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%BE/%E9%96%93%E6%8A%9C%E3%81%91%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,

「間抜けとは、おろかで要領が悪いこと、また、そういう人をいう。『間』とは、物と物や音と音に挟まれた『抜けている』部分を意味し、『抜けているところ(間)』が『抜けて』いるとは、『抜けているところがさらに何かが抜けている』のか、『抜けているところがちゃんと抜けていない』のか、いまいちよくわからない言葉だが、要は『抜くべきところ(間)』の抜き方が悪くて、物と物や音と音の間隔がアンバランスになっていることをいうらしい。もっとも、語源についてあれこれ考えなくても、間抜けなやつというのはふたことみこと言葉をかわせばすぐ判別できる(自分が間抜けだったら、わからないかもしれないが)。」

と,ちょっと鋭い。「間」を抜くことと,「間」を外すこととは,違う。

因みに,

バカ = 知能の働きが鈍い性質
間抜け = 軽率に行動する性格
間抜けは、鈍いわけでもないのに何でも軽々しくやってしまう性格,

と区別しているものがあった(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12102787022)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:間抜け
posted by Toshi at 05:02| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月30日

ぼんくら


「ぼんくら」は,

盆暗,

と当てるらしいが,当て字の感じである。

ボンクラ,

とも表記する。「シカト」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/461268136.html)で触れたが,「ボンクラ」は,

「漢字になおすと『盆暗』。盆は博打場のことであり、ここで目端が利かず負けてばかりの人間をさす言葉が一般語化しました。」

という。この説が大勢らしく,

「もと,ばくちの語で,采(さい)を伏せた盆の中に眼光が通らないで常に負けるという意」

とし,

ぼんやりしていて,ものがわかっていないさま,また,その人,

という意味とする(『広辞苑第5版』)。しかし,どんな人も盆の中が見えるはずはない。この博奕は,

「丁半では、偶数を丁(ちょう)、奇数を半(はん)と呼ぶ[1]。茶碗ほどの大きさの笊(ざる)であるツボ(ツボ皿)に入れて振られた二つのサイコロ(サイ)の出目の和が、丁(偶数)か、半(奇数)かを客が予想して賭ける」

丁半博打(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%81%E5%8D%8A)である。

「2つのサイコロを区別して転がして目が出たとき「全体の」場合の数は36。「出た目の和が偶数の」場合の数、「出た目の和が奇数の」場合の数は、それぞれ18。丁(偶数)または半(奇数)の確率は1/2である。」(仝上)

眼光の問題ではあるまい。『笑える国語辞典』も,

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%BB/%E3%81%BC%E3%82%93%E3%81%8F%E3%82%89-%E7%9B%86%E6%9A%97%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

「ぼんくらは『盆暗』と書くように、サイコロ賭博などを行う場(=盆)において勝負の行方が読めない(=暗)ことをいったものである。しかし、サイコロ賭博などで勝負の行方は誰も読めないものであり、手数料収入により必ず儲かることになっている胴元以外、そこに集まっている連中はみんな『ぼんくら』といってもいいようなものである。」

としているほどである。しかし,大勢は,

「もと博打用語で、盆の上の勝負に暗い意」(『大辞林』),
「博奕の語。簺を伏せたる盆の中に,眼光とほらず,負目にのみ賭ける気の利かぬこと。またそのもの」(『大言海』),
「盆の上の目利きが暗いこと」(盆暗と蔵前を掛けて,「盆暗前」という言い方もあった)(『江戸語大辞典』)
「ぼんくらとは盆暗と書く賭博用語で、盆の中のサイコロを見通す能力に暗く、負けてばかりいる人のことをいった。ここから、ぼんやりして物事がわかっていないさま、間が抜けたさま、更にそういった人を罵る言葉として使われる。」
(『日本語俗語辞典』http://zokugo-dict.com/30ho/bonkura.htm),
「『ぼん』は博打でサイコロを振りだすところ、『盆』のこと。盆に伏せた壺の中のサイコロの目が読めない意で『ぼんくら(盆暗)』」(『由来・語源辞典』http://yain.jp/i/%E3%81%BC%E3%82%93%E3%81%8F%E3%82%89),

等々とする。『日本語源広辞典』も,

「語源は『バクチの盆に暗い』です。常に負けるので,盆暗です。異説として『盆の頃に壁を塗った蔵(壁下地が腐りやすく長持ちしない)』ので,ボンクラだとする説がありますが,付会説でしょう。」

とするし,同じく,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ho/bonkura.html)も,

「ぼんくらは、盆の上での勝負に対する目利きが暗いことから、勝負によく負ける人を賭博 用語で『盆暗』と呼んだことが語源とされる。 別説では、お盆の暑い頃に蔵の土を塗ると 乾きが均等にならないため、お盆に造られた蔵を『盆蔵(ぼんくら)』と言いったことによるとする説もある。しかし、漢字『盆蔵』が使われた例が見られないことや、『蔵』は『くら』と読むにも関わらず、『暗』の字に転じた経緯が定かでなく、不自然なことから俗説と考えられる。また意気地なしのことを『ぼんくら』と言った例があるため、幼児を意味する『坊』が変化した『ぼん』に『盆』が当てられたとする説もある。」

と同趣旨である。しかし,「建築用語」(http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2007/09/2_10.html)として,

「ダメな人とか頭の鈍い人のことを『ボンクラ』といいますが、この言葉を漢字で書くと『盆暗』とか『盆蔵』と書きます。『盆暗』と書く場合は、『盆』は賭博の盆ござのことで、盆の事に暗い。つまりサイコロの目の動きを読んだりする事が下手な人という意味に使われていたのが、頭のにぶい人を指す言葉となりました。『盆蔵』と書く説は、盆は八月のうら盆の盆で、蔵は土蔵をさします。土蔵造りは普通寒い季節にしますが、これを夏の暑いときにすると、土の表面ばかり乾燥して、平均して乾かないので、役に立たない土蔵になってしまいます。それで盆の頃造られた蔵、つまり『盆蔵』は駄目だということから、駄目な人の事を『盆蔵』と言います。」

と,別々に説明している。これをみると,はじめ「ぼんくら」という言葉があって,それに,それぞれの立場で,

盆暗,
盆蔵,

と当てただけなのではないか,と思えてくる。

『日本語源大辞典』は,

賭博用語で,盆の上での勝負に対する眼識が暗い意(大言海・ことばの事典=日置昌一・すらんぐ=暉峻康隆・上方語源辞典=前田勇),
賭博用語で,サイコロを振り,勝負を見極める胴親の補助役が,勝った方に渡すコマを間違えることで,盆の上での計算に暗い意(サイコロの周囲=加太こうじ),
ボンは小児の意の坊の訛(俚言集覧),

が載る。

「勝負を見極める胴親の補助役が,勝った方に渡すコマを間違えること」

ならば,賭場の内々の言い回しとしてよく分かる。丁半博奕は,

「盆蓙(ぼんござ、盆茣蓙とも)と呼ばれる、綿布団に四隅に鋲を差して固定した盆台(ぼんだい)の上に幅二尺(約60cm)長さ二間(約3.6m)の金巾などで作った盆切れを置き、その周囲に審判員兼進行係の中盆(なかぼん)、中盆に従ってサイコロを振るツボ振リ、あとは客が座り、後述のルールに沿って賭博の進行を行った。」

とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%81%E5%8D%8A),

「客は勝負の前に、賭け金として使う現金を博徒が用意したコマ札に替え、勝負の間はこのコマ札で取引をした。コマ札の材質は木、竹、紙などさまざま」(仝上)

これだとよく分からないが,詳しくは,

「盆座を中心にして、『壺振り(つぼふり)』と『中盆(なかぼん)』が向かい合って座る。『張る』客の座も決まっていて、丁(偶数)を張る者が中盆の側に座り、半(奇数)を張る者は壺振りの側に座る。賭場の元締めとなる胴元(どうもと)はおらず、丁を張る者と半を張る者は、賭け金の総額が等しくなければならない。用意がととのうと、中盆が『壺』と号令をかけ、壺振りが賽子を壺笊(つぼざる)に入れて振り、場に伏せる。それから、参加者がそれぞれに賭ける。丁半が対等になると、中盆が『勝負』と言って、壺笊をあけ、勝負が決まる。テラ銭(寺銭)は、原則が4分で、『6』の目がそろう『ビリゾロ』のときは1割であるとか、数字がそろう『ゾロ』のときに取るとかの方法があった。」(https://imidas.jp/jidaigeki/detail/L-57-136-08-04-G252.html

となる。で,出目の判定をした「中盆」に従って,客のコマのやりとりがある。それを間違えた,と言うことである。

しかし,

「盆暗」

「盆蔵」

と当て分けた,元は,億説だが,「盆」の「ぼん」は,

ぼんやり,

の「ぼん」だったのではないか。

「『ぼんくら』は『ぼんやり』よりもさらに『どうしようもないやつ』というニュアンス」

という(『擬音語・擬態語辞典』)。勝手な臆説を加えるなら,「くら」は,

暗,
闇,

と当てる「くら」ではないか。

ぼんやり+くらし(暗・闇)→ぼんくら,

と。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:54| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2018年10月31日

こやし


楠本正康『こやしと便所の生活史』を読む。

img129.jpg


本書は,文字通り,日本における,

こやしと便所の歴史,

である。そして,「肥料」という言葉は明治以降に使われた言葉で,それ以前は,

こやし,

であり,室町時代以降,

糞,
糞培,
糞苴,

を当て,「こやし」と訓ませた。実に分かりやすい。人糞が主要な「こやし」だったからである。

稲作は,早く縄文時代に始まっているが,施肥は弥生時代から始まっている。稲は,

「根刈りではなく,穂刈りだったため,稲わらはそのまま水田に残って,施肥資源になった。」

刈草や稲わらなどの有機物質には,化学肥料では,まったくみられない特徴として,地力の保持増進の働きかある,という。

「稲わら,刈草,木の若草などを水の中に溶かした形にすると,自然状態表現では溶けにくい鉄分が,キレート鉄となり,分子構造が変わって,還元状態で水に溶けやすい二価の鉄となって,有機物から分離され,分解されやすくなる。そして,グルコースのような還元性の糖分が,鉄を見ずに溶けにくい三価の形から二価の形に変えて水溶性とし,植物が鉄を吸収しやすくする。」

ということが現代ではわかっているが,そういう合理的な施肥を,弥生時代にしていたことになる。

いわゆる「便所」は,「かわや」と言われた。これは,

「川の上に架した排便場所」

から来たもののようであるが,事実弥生時代の竪穴住居には「便所」は見当たらない。それが,平城京(750年頃)にはじめて,

共同便所,

らしいものが造られ,延喜式(927年)にはじめて,

「人糞の施用」

があらわれる。「生食用の瓜類」に使われた。これが,

「人糞尿を肥料として用いた文献上の最初の例」

という。

「この人糞尿は,播種前の踏み込み用として使用しているので土壌微生物のはたらきにより,たとえ病原菌等による汚染があったとしても,捕食されて衛生上は安全であり,また糞部分が遅行性であっても,播種前の施用であるため,分解されるまで十分な時間的余裕がある。したがって,現代の科学からみても合理的な施肥方法であったといえる」

とか。この施肥に用いたのと,共同便所とはつながりがあるようである。

二毛作が始まる鎌倉時代,

「灌漑による水田耕作と灌漑を排し,乾田として畑作を繰り返すので,とくに多量の施肥を必要とする。しかも,多収穫をはかるためには,畑作に対する追肥や稲作に対する稲ごえ(追肥)が欠かせない。この場合は,速効性でしかも十分な栄養素をもっていることが何よりも必要なので,この条件を満たしているのは腐熟した人糞尿が最も効果的なのだ」

という。特に,

「長期間貯留して分解された人糞尿が速効性がある」

ことが明らかになるにつれて,

「これを一ヵ所に貯えておかなければならない。そのために。直接耕作にあたる農民も,耕作を受け持たせている地頭や名主たちも,やがて住居の外側などに大きな便池を備えた便所を設けるようになった」

と想像されるという。最古の農業技術書『清良記』に,

「農家に入ってみて,牛馬の厩がきれいに清掃され,雪隠もきれいでたくさん糞尿を貯えてあるうえ,敷地内に菜園が見事に作られて靑あおと育っており,外の田畑が格別素晴らしいような場合は立派な百姓である。これに反し,家の垣根や壁がくずれ,菜園は方ぼうに散らばり,厩には垣も壁もなく,あちこちに厩肥や糞をばらまいておくような者は,どこかの奉公人のように見え,百姓とはいえない」

とあるように,既に肥料としての人糞の重要性が認識され,『洛中洛外図』にも,生育した水田に,柄杓で稲ごえをする頭が描かれているが,

「米の多収穫のためには,この稲ごえが欠かせないのだ。しかし,稲ごえは速効性であることが何より必要で,同時に肥効成分を兼ね備えているものでなくてはならない。…当時としては液状でこのような条件を備えているものは,十分に腐熟した青みがかった人糞尿か,または混じりもののない尿だけだった」

ところから,柄杓で撒いているものの正体は明らかである。こうした施肥の頂点は,江戸時代である。多くの農業専門書が上梓されたが,例えば,佐藤信淵は,

「人糞尿は温熱滋潤の脂膏と揮発透さんの塩気を含んでいるので,田畑に培養すれば,作物の生育にこれほど役立つものはない。しかし,新しいものは効果がないので,腐熟醸化してから使う。糞は溶けて青味をおびた液状となったものを施用しなさい」

こうした篤農家たちの主張は,明治になって,科学的に立証されることになる。注意深い観察から得た経験則が,ここでも生きていることがわかる。

江戸時代,都市の町割りに当たっては,あらかじめ組み取りを考慮して便所が設けられた。たとえば,

「当初から家の裏の方に設けられた」

し,裏店では,

共同便所,

が設けられた。組み取りの対価が決まっており,五段階に分けて価格設定していた,というのが笑える。

最上等品 勤番(大名屋敷勤番者のもの),
上等品 辻肥(市中公衆便所),
中等品 町肥(ふつうの町屋のもの),
下等品 タレコミ(尿の多いもの),
最下等品 (囚獄,留置所のもの),

しかし,そのそうした総額は,年間,四万九千両余,という。このランキングは,明治期,軍人のそれが最上級だというのと,対比すると,ただ笑ってはいられない。

こうした施肥との関係は,トイレのスタイルにも反映するが,戦後化学肥料にシフトするに連れて,糞尿はいらないゴミに化していく。僕の記憶では,少年時代,農地には肥溜めが点在していた。いつごろ無くなったものだったか。今日,トイレは,もはやただ孤立した排泄場所に過ぎなくなったが,それは肥溜めの消滅と関わるに違いない。

本書は,なかなか面白い着眼だが,遺構が残っていないせいもあるが,トイレのありようと施肥の関係だけでなく,排泄そのもの変化(室町期人々は路上でも用を足していた)との関係にも広げて,深掘りしていくと,裏面の文化史になったと思えるのだが。

参考文献;
楠本正康『こやしと便所の生活史―自然とのかかわりで生きてきた日本民族』(ドメス出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:00| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする